寸志

20 件の小説
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寸志

はじめまして 報われない恋愛を書いてます。

あの時、あの人のペン

部室のドアを開けた瞬間、少しだけ戸惑った。 中はもう、俺の知っている場所じゃなかった。 隅には段ボールが積まれていて、使われていない机や椅子が無造作に置かれている。 いつの間にか、ここは物置き場になっていたらしい。 去年まで、あんなに人がいたのに。 笑い声も、話し声も、全部ここにあったはずなのに。 「……そっか」 小さく呟いて、中に入る。 足元で、何かが軽く音を立てた。 視線を落とすと、見覚えのあるペンが転がっている。 その瞬間、思い出した。 去年の4月。 部活の見学で、この部室に来たのが最初だった。 ドアを開けたとき、 「どうぞ」と声をかけてくれたのが、先輩だった。 特別なことは何もなかった。 ただ、それだけ。 それだけなのに、やけに印象に残った。 結局、そのままこの部活に入った。 理由なんて、自分でも分かってた。 先輩は、優しい人だった。 誰に対しても同じ距離で、同じ笑い方をする。 だからこそ、勘違いしそうになる。 「これ手伝ってくれる?」 そう言われるたびに、少しだけ嬉しくて。 少しだけ、期待してしまう。 自分だけじゃないって、分かっているのに。 夏が来て、秋が来て。 一緒にいる時間は、思っていたよりずっと多かった。 でもその分だけ、 “あと一歩”が埋まらないことも、よく分かってしまった。 先輩の隣には、いつも同じ人がいた。 同級生で、同じ部活で。 自然に笑い合ってる、その距離。 たった一年。 それだけのはずなのに、どうしても越えられない距離に思えた。 入れる隙なんて、最初からなかった。 「付き合ってるらしいよ」 誰かのその一言で、全部がはっきりした。 やっぱりな、って思った。 分かってたはずなのに、 胸はちゃんと痛かった。 それでも、離れようとは思えなかった。 近くにいられるだけで、よかったから。 冬が来て、卒業の時期が近づく。 「おつかれさま」 「また明日」 そんな何でもないやり取りも、 少しずつ減っていった。 最後の日。 何か言わなきゃって思った。 でも、何も言えなかった。 「じゃあね」 いつもと同じように、先輩は軽く手を振る。 「……はい」 それだけしか返せなかった。 手の中のペンを、そっと見つめる。 結局、最後まで言えなかった。 言う理由も、タイミングも、何度もあったはずなのに。 でも、あと一歩踏み出したら、 今までの全部が壊れそうで。 それが怖くて、動けなかった。 ペンを、元あった場所に戻す。 それで全部終わりみたいに。 部室を出ると、外の空気は少しだけあたたかかった。 春は、また来る。 でも、あの人と過ごした春は、 もう二度と戻らない。 あと一歩のまま、 結局、何も変わらなかった。 それでも。 あの頃、もし言えていたら。 何か、変わっていたのかな。 あの距離が、 一番近かった気がしてしまうのが、 少しだけ悔しかった。

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天井の星

 結婚式の帰り道、ヒールの音がやけに響いた。  「来てくれてありがとう」  そう言って笑ったあなたは、昔と同じ目をしていた。  でも、その隣には私じゃない誰かが立っていた。  ちゃんと笑えたと思う。  拍手も、祝福の言葉も、全部ちゃんと。  それなのに、電車の窓に映る自分の顔は少しだけ疲れて見えた。  そのまま実家に帰ったのは、ただ静かな場所に行きたかったからだ。  久しぶりの自分の部屋。  ベッドに腰を下ろして、何気なく天井を見上げる。  小さな星型のシール。  眠れない夜に、二人で背伸びして貼った星。 「これで寂しくないね」  あのとき、どうしてあんなに嬉しかったのだろう。  指先で、一番近くの星の端をめくる。  ぺり、と小さな音。  ああ、と胸の奥で何かがほどけた。  あれは友情なんかじゃなかった。  あなたが他の子と話すたびにざわついたのも、  隣にいるだけで安心したのも、  名前をつけるのが怖かっただけだ。  星をひとつ、またひとつ剥がしていく。  天井は少しずつ白く戻っていく。  最後の一枚を手のひらに乗せて、そっと笑った。 「おめでとう」  今なら、心から言える気がする。  白い天井を見上げながら、  私は静かに目を閉じた。

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窓の向こう

教室には、夕方の光だけが残っていた。 窓から差し込むオレンジ色が、机の上に長い影を落としている。 「……ごめん」 幼なじみは、目を伏せたままそう言った。 その一言で、全部わかった気がした。 私は少しだけ息を吸って、笑った。 ちゃんと、いつもの私でいるために。 「……行ってきなよ」 そう言ってから、少し間を置く。 「あの子、ずっと待ってるから」 幼なじみは驚いたように私を見て、 それから、何か言いかけてやめた。 最後に小さく頷いて、教室を出ていく。 扉が閉まった瞬間、 胸の奥が、音を立てて崩れた。 幼なじみのことを好きになったのは、 たぶん、ずっと前だ。 隣にいるのが当たり前すぎて、 失う想像なんて、したこともなかった。 だから私は、 その気持ちを友達に相談していた。 何気ない会話の中で増えていった違和感。 友達が話す、あの人のこと。 あの人が向ける、友達への視線。 気づいた時には、 もう、遅かった。 私は窓のそばに立って、校庭を見下ろす。 放課後の校庭に、友達がひとりで立っていた。 何もしていないのに、 ずっと待っているみたいな背中。 走る足音が聞こえる。 幼なじみが、校庭へ向かっていく。 三階の教室から、 私はその背中を見送った。 私の方が好きだったのに。 私の方が、あの人のことをよく知ってるのに。 私の方が——。 言葉にならなかった想いが、 胸の奥で、静かに溢れていく。 私は泣いた。 声を殺して、 誰にも気づかれないように。 校庭では、二人が並んで立っていた。 その距離が、もう戻らないものだとわかってしまう。 ……背中、押しちゃったよ。 窓を閉めると、校庭の声が遠ざかる。 教室には、夕焼けだけが残っていた。

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散る

久しぶりに、庭に出た。 桜はもう、満開ではない。 風が来るたび、 花びらが少しずつ減っていく。 減っているのに、 落ちる瞬間はよく見えない。 前は、ここで立ち止まらなかった。 呼ばれるから。 今は、呼ばれない。 花びらが一枚、靴の先に触れる。 踏まないように、少し足をずらす。 理由はない。 ただ、そうした。 洗濯物を干す。 竿が長い。 前から長かったはずなのに、 今日はそう思った。 風が強くなる。 花びらがまとめて動く。 ああ、と思う。 声にはならない。 言う相手もいない。 昼になる前に、 庭は少し軽くなった。 集めれば、山になる。 集めなければ、なくなる。 どちらもしなかった。 夕方、もう一度外に出る。 枝の色が、朝と違う。 花は、まだある。 でも、もう終わっている。 小さな靴の跡が、花びらの下に見える。 いつのものか、分からない。 消えていく途中だ。 私はそれを、ただ見ていた。 風が吹き、花びらが一枚、また一枚、 散っていく。

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クリスマスローズ

彼女の庭に、クリスマスローズが咲いていた。 冬の終わり、うつむくように。 幼なじみの彼女はいつも僕の隣にいた。 それが当たり前で口にしなくてもいいと思っていた。 彼女に婚約者ができたという報告を聞いたのはそれを知った朝だった。 花言葉は一つだけ。 「私を忘れないで」 伝える理由は、もうどこにもない。 そう思ったはずなのに、 気づかぬうちに、僕は彼女のもとへ走っていた。

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クリスマスローズ

その字

 押し入れから見つかった黄ばんだノート。  その隅には、子どもの頃に見慣れていた、少し丸い字の返事が眠っている。  あの頃、私は毎日そのノートを机にそっと置いていた。  すると翌日には、知らない誰かが返事を書いて戻してくれた。  名前も、顔も知らない。でもその字を見るだけで胸が弾んだ。  「つぎはきみのばんだよ」  その一行が、当時の私をワクワクさせていた。  けれどある日を境に、返事は突然止まった。  ページは白いまま、時間だけが先に進んでしまった。  ノートには、幼い私が最後に書いた一文が残っている。  「あしたも、かえしてね。」  今読み返すと、その字は薄れかけて風のようだけれど、なぜか胸の奥だけが温かくなる。  名前も知らないあの子に、もう一度だけ。  続きを書いてみたかった。

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十年前の君

古い机の引き出しの奥で、茶色く変色した封筒を見つけた。 差出人は、高校時代の彼だった。 震える指で封を切ると、10年前の日付と彼の不器用な文字。 「最後の日、ちゃんと話せなくてごめん。」 胸がぎゅっと痛くなった。 当時届いていたはずなのに、私は気づかなかった。 思わず返事を書き、ポストに投函した。 数日後、封筒は赤いスタンプとともに戻ってきた。 《宛先人不在(死亡)》 涙が一粒、床に落ちた。 もう返事は届かない。 でも、10年前の手紙が教えてくれた。 彼は最後まで、私を嫌っていなかった。 そっと封筒を抱え、私は歩き出す。 夕焼けが街を赤く染めて、胸の痛みを優しく包んだ。

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前の席

中学の頃、私はあの子のことがずっと好きだった。 席は私の前。授業中、ノートを覗き込むと、ふとした仕草で髪をかき上げたり、小さな笑い声をこぼしたりするのが見えた。 でも、あの子に彼氏ができたことが学年中に広まったあの日から、あの子は学校に来なくなった。 最初の頃は、まだ戻ってくるだろうと信じていた。 月日が経ったある日、教室に入ると、前の席には当たり前のように誰かの荷物が置かれていた。 その瞬間、胸の奥がキュッと締め付けられた。 あの笑顔も、あの仕草も、もうここにはない。 教室の空気は、あの子がいないだけで微妙に冷たく感じた。 私は席に座り、空っぽの前の机をぼんやり見つめながら、ただ悲しくなった。 何年も経った今でも、ふと思う。 あの子は今、どこで何をしているのだろうか。 幸せにしてるかな。笑ってるかな。 あの頃のまま、元気でいるといいな、と、ただそう思う。 あの席は今も空っぽだけど、私の中には、ずっとあの子の笑顔が残っている。

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見るための月

放課後の教室は、いつもより少し静かだった。 先生の背中が夕焼けに染まり、揺れる輪郭を見つめるだけで胸がざわつく。 「先生って、夜空の月みたいです。」 先生が振り返る。 「……急にどうしたの?」 「毎日見えるのに、どんなに手を伸ばしても届かないんです。」 「届いちゃいけないからね。」 優しい声が胸に刺さる。 でも、その痛みが、好きだという気持ちをはっきりさせた。 「月は、見るためにあるんだよ。触るためじゃなくて。」 指さした窓の外には薄い月。 手を伸ばしても届かない光。 それでも私は、見ているだけで胸がいっぱいになる。 たとえ、永遠に手に入らないことを分かっていても。

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見るための月

一行ずつ

放課後の教室は、すっかり静かになっていた。 僕は一人机に向かい、ノートの上を鉛筆がすべる音だけが、小さく響いている。 問題を解いているというより、ただ文字の上をなぞっているような感覚だった。 ふと、窓の外に視線が向く。 校庭の端で、彼女が笑っていた。 隣には彼がいて、二人はゆっくり歩きながら話している。 声は届かない。それでも、楽しそうだということだけは分かった。 もう一度ノートに目を落とす。 数字の列は静かで、何も求めてこない。 ただ、そこにあるだけだ。 忘れたいとか、諦めたいとか、そういう言葉は浮かばない。 胸が痛むというより、ページの白さが少しだけ眩しく感じるだけだった。 風が少し吹いて、窓の隙間から冷たい空気が入ってくる。 その流れにのって、彼女の笑い声が聞こえそうになった瞬間、僕は咄嗟にペンを持ち直し、問題の続きを書き始めた。 一行、また一行。 ただ前に進めるように。 それだけでいい。 それだけで、今日はもう十分だった。 いつの間にか、ノートの端に落ちた雫がにじんでいた。 自分が泣いていることに、僕はそこでようやく気づいた。

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