螺旋

生きるために生まれ 死ぬために生き 生まれるために死んでゆく あなたの命は循環する あなたの命は巡り巡る あなたの命は点と線で あなたの命は他の命へ 人 虫 鳥 魚 木 あなたの命はそうして続いていく バトンを渡すように、次へ                 次へ          次へ        次へ               次へ         次へ     次     次へ          次へ        次へ            次へ 次へ 次へ

 メリーメリーエンド 。

目を覚ます。 知らない照明。みたことのない壁の汚れ。 そして、手錠が繋がったベッド。 真っ白な一室。 「、、、」 [やぁ、目覚めたかい 色葉。] 自身の目の前に、 黒い猫 がいる。 いや、猫にしては小さく、鳥にしては大きい 、、これは猫? なぜ先ほどまで気づかなかったのだろう。 「色葉?」 猫?の言う イロハ について問いかける 猫?は首を傾け、一定の声量で話し続ける。 [君のことさ 色葉。] 猫?がそう言った途端。 頭の中に一文が流れ込んでくる。 【病室 001号室 色葉  精神 不安定 交流関係者 現在、着猫と話している。】 重低音で流れる音は、声とは考えられない 脳裏にこびりついて離れない。気味が悪い声。 、、 私の名前は、色葉 ここは病室で、、目の前にいるのは 「着猫?」 そう聞き返すと、猫?は少し明るい声で 反応する [ぼくの名前覚えてくれてたんだね!色葉!] 猫は毛を逆立たせ、色葉の足元に座る 喉をゴロゴロと鳴らす。 着猫を可愛いと思ってしまう。 着猫をそっと撫でる、暖かい。生きている そして、、なんだかゴワゴワしている 毛玉を水で濡らしたような感触。 「可もなく不可もなくって感じだ」 [色葉?  さっきとっても失礼なこと  言われた気がするよ] 着猫は不機嫌になり、そっと地面に降りると、 ドアの方へ向かう [色葉が起きたこと、先生に伝えてくるね] と言い残し、壁をすり抜ける 「、、猫は液体って、こう言うことか」 自己完結させ、考えないようにする。 きっとこれは夢だ。 「考えるだけ無駄だ。」 静かに目を瞑る 誰かに言われた言葉を思い出す 「目を瞑ったら 数を数えるんだ。 1 2 3 4 5 6 7 8 …… ……」 一日目

【踊り子】

少女は踊るのが大好きでした。 舞踏会に出れば注目の的。 タップを踏む足音、ひらりと舞うスカートに 靡く髪の毛、全てが彼女を輝かせる装飾品であり スポットライトになるのです 彼女は家でも踊り続けます。 なぜって? それはダンスが好きなだけではございません 親からの罵声、兄妹からの嫌味 全てを誤魔化すためのタップ音なのです。

空は見守る、僕は空を眺める

ある日突然、友達に聞かれた。 「空になりたいって思った事はある?」 最初は何を言っているのかよく分からなかった。 いや、ずっと考えてもよく分からなかった。 考えても無駄だと思い、適当に僕は答えた。 「なりたくない。」 「どうして?」 「んー、分からないな。」 そんな感じで会話は途切れ、この話を出される事はなかった。 ある日、僕は高いところからあたりを見渡した。 今なら思う。 僕は空になりたい。 空は、あたりを見渡す。 明日には咲きそうな花の蕾。 ゆらゆらと揺れる、花や木。 風に乗って、飛んでいく枯葉。 萎んでしまった花。 新たな命を感じる小さな草。 そして、花の蕾。 そんな、生命の円を毎日見守る。 僕は、空を見上げる。 そして、眺める。 毎日、眺める。 同じようで、同じじゃない。 色、雲の位置。 そんな代わり代わりしていく人生は、 空が表している。 空も人と一緒。 なら、人でもそらも関係ない。 みんな一緒に生きていく。 花、人、そして空。

140文字小説+α その187 「家宝」

 我が家は、江戸から続く由緒ある家。  そんな我が家に伝わる家宝の壺を鑑定士に見てもらうことになった。 「ふむふむ。造りはなかなかいいですが、どなたの作品ですか?」 「あの後藤田露白です」 「……誰?」  無名の作家だったの!? 「ま、待ってください。後藤田露白って、聞いたことありませんか? 江戸後期に活躍した陶芸家で……」 「すいません。1ミリも聞いたことがないです」  そんな馬鹿な。我が家に客人が来た時も、自信満々に「あの後藤田露白です」ってどや顔で言ってたんだけど?  確かに俺もあんまり聞かない名前だとは思っていた。でも、ちょっとマイナーな作家なのかな、ぐらいの感覚だったんだけど?  まじか、まじで無名の作家だったのか。これは、壺の値段も大したことないんだろうな……。 「ちなみに、壺の値段は……」 「165万円です」  そこはそこそこに高いんかい!

嘘つきな彼女

彼女は痛くないと言った。 痛いのが好きとまで言った。 だから…… 喜ぶ顔が見たくて僕は 彼女に痛みという痛みをあげた。 喜んでくれると思ったのに 彼女は泣いた なぜなくのかわからない。 痛いのが好きというからあげたのに。 なぜ泣くのか。 でも、彼女は笑う。 だんだん僕もわからなくなってきた。 好きなのか嫌いなのか。 彼女の最後の顔を見た時にわかった。 彼女は両方本当で両方嘘だったんだ。 ごめんね。 わからなくて。 でも、 ぼく、 嘘つきは嫌いなんだ

そうだ、人間ドックに行こう。 

アラフォーですが、まだまだ未経験なものがたくさんあります。 公務員6年から専業主婦と、今まで社会経験も少ない自分です。 勤めていれば、会社で健康診断を受けられるのですが、なにぶん働いていなかったので今まで受けておりませんでした。 30過ぎたあたりから、人間ドック受けてみたいなとは思いつつも、 まず受診できるところを探し始めないといけなくて、 なおかつお金もかかるし、 予約するのも日にちを決めなければいけないし…… と思って、ずるずると結局なんにもせず過ごしておりました。 夫もそろそろ身体を気にする歳だから受けたらいいのにと後押しはしてくれていたのですが…… なんだかんだで特に問題なく過ごせていたので、気にはなりつつも面倒が勝っていたのでした。 ……ところが。 数ヶ月前に実家に帰ったとき。 えらく母に心配されまして。 なんかすごい痩せてない?? ご飯食べてるの?? 前に健康診断行きたいって言ってたけど、行ってる?? と、めっちゃ身体のこと気遣われてしまって。 子どものころは食べるの大好き! ぽっちゃり体型の自分だったので、余計に心配したようで。 自宅に帰ってからも、メールで心配されました。 ということで、やっっっと、おんもたい腰をどっこいしょ!と持ち上げてようやく人間ドックを受けてみようかというところまで至りました。 これでまだ決意の段階。 続きはまた。

物語にない物語なんて

「好きだよ」 帰り際、勇者はいつもそう言う 俺の目を見てはっきりと言うから 恥ずかしさはないのかといつも思う 俺が何かを返す前に去ってしまうので 俺が何かを言い返せたことはない きっと勇者も返答は求めていないのだろう …勇者の好きは、どの好きなのだろうか 家族のような存在として 友人として それとも、恋愛として 聞く機会はいつでもあるのに一歩が踏み出せない きっと俺が望んでいる答えは一つで それ以外を言われるのが怖いんだろう 嗚呼でも、きっとわかってるんだろう 勇者が俺を好くわけがないと …勇者が魔王を好きになる物語なんて どの図書館にもなかったのだから

欠陥品

 唐揚げにレモンをかける派。  ではない。  私はかけない。  何のためにかけるのか。  サッパリとしたいからレモンをかけるのだ。  それは知っている。  だが、唐揚げの良さを潰してしまっている感じがするので私はレモンをかけない。  テキーラを飲んだ後、私はレモンを齧らない。  というかそもそもテキーラを飲まないので齧らない。  「レモンを齧るためにテキーラを飲んでいる。」  そう言った奴がいた。  ちょっと何言ってるか分からない。  レモンが嫌いなわけではない。  レモンティーとか飲むし。  レモンケーキとかあれば食べるし。  炭酸水のレモンのヤツも飲むし。  少し話は変わるが、アメリカにはこんな諺があるらしい。  『When life gives you lemons, make lemonade.』  『人生にレモンを与えられたらレモネードを作れ』  つまり、「生きていて困難や壁にぶち当たったりしたら、それを利用して上手いことやっちゃえばいいじゃん。」  という解釈でいいのだろうか。  なるほど。  良い諺だと思う。  もう一つ雑学。  『Lemon』という言葉には『欠陥品』という意味もあるそうだ。  どゆこと?  なぜそんな意味を含むようになったのか、諸説あるようだが明確な理由は不明らしい。  可哀想なLemon。  お前は欠陥品なんかじゃないよな。  だって唐揚げを食べたいけど、油のしつこさが苦手な人のために唐揚げをちょっとサッパリさせてくLeるmonな。  テキーラでクワァーってなった口の中をリセットさせてくLeるmonな。  だから、欠陥品なんかじゃなくて、補助的存在?  マイナス要素をプラスに持っていく?みたいな?  あ、さっきの諺の意味みたいだな。  だから、ああいう諺が出来たのか。  やるじゃんレモン。  やるじゃんアメリカ。  つまり、レモンは『欠点はあるが何かと合わせて本来の力を発揮するヤツ。』  『単体だと酸っぱくて食えたもんじゃねーけど、他のクセの強いヤツと一緒にすると他のクセの強いヤツを上手く打ち消して、むしろ引き立てていい感じにするヤツ。』  いいね。  そんな人に、私はなりたい。  というわけではない。  私は単体でもいける人になりたい。

『透明な楽譜を抱きしめて』

 その店に足を踏み入れたとき、僕――刹那の胸を突いたのは、懐かしさではなく、底冷えするような「空白」だった。  路地裏の古い煉瓦ビルの地下にある調香室『レミニセンス』。  一ヶ月前、雨の夜にスリップした車に跳ねられた僕は、一命を取り留めた代わりに、人生の最も重要な「最後の三年間」の記憶を綺麗に失くしてしまっていた。  自分が「記憶の調香師」であることや、スポイトの扱い方、何百種類もの精油の配合比率は、指先が記憶している。 なのに、誰のためにこの店を開け、誰の笑顔を思い浮かべて香りを創っていたのかだけが、どうしても思い出せない。 記憶のフィルムの大切な場面だけが、白く焼き切れてしまったようだった。  がらんとした店内のカウンターに、一本の透明なガラス瓶がぽつんと置かれていた。  少し擦り切れたラベルには、見慣れた僕自身の几帳面な筆跡でこう書かれている。 『硝子の協奏曲(コンチェルト)――暗闇と無臭の世界を歩く君へ』  その文字を見た瞬間、胸の奥がギュッと強く締め付けられた。  暗闇と、無臭の世界。光も香りもない場所で、たった一人で歩いていた誰かのために、僕はこれを創ったのだ。  キャップを外し、手首の脈打つ場所に一滴、落としてみる。  ツンと鼻腔を刺したのは、冷たい雨上がりのアスファルトの空気、それから、どこか傷つきやすい硝子細工を思わせる、ひたすら澄み切った切ない香りだった。  その香りを深く吸い込んだ瞬間、頭の奥で、カランとクリスタルガラスが触れ合うような綺麗な『レ』の音が響いた。 「……誰だ?」  僕が忘れてしまった、僕の命よりも大切だったはずの「君」の気配が、そこには確かにあった。  僕はその香水瓶をコートのポケットに強く握りしめ、導かれるように地下の店を飛び出した。 この香りと、脳裏に響く音が、僕の失われた記憶を繋ぎ止める唯一の地図だった。  最初に向かったのは、街外れにある古いケヤキの並木道だった。  秋の冷たい風が吹き抜け、枯れ葉がアスファルトをカサカサと擦る音がする。 手首の香りをもう一度嗅ぐと、冷気と混ざり合ったベルガモットの鋭い香りが立ち上り、同時に頭の中で『ミ』の音が重なった。  その瞬間、目の前の景色に、過去の残像が重なった。  白杖(はくじょう)の先が、点字ブロックの凹凸をコツ、コツと規則正しく叩く音。  そこにいたのは、一人の少女だった。彼女は視線をどこにも定めず、ただ耳を澄ますように少し首を傾げて立っていた。  記憶の底から、誰かの掠れた、でも鈴のように心地よい声が聞こえた気がした。  そうだ、彼女は生まれつき目が見えなかった。世界を「色」ではなく「音」と「肌触り」で捉える人だった。  僕は思い出す。彼女が指先で僕の調香室の瓶の輪郭をなぞるときの、あの驚くほど繊細で慎重な手つきを。 見えないからこそ、彼女は指の腹で物の形や温度を愛おしむように確かめていた。  そして、ラベルに書かれた「無臭の世界」という残酷な意味が、鮮烈に蘇る。  彼女は、事故で頭を打った後遺症で、嗅覚までも完全に失っていたのだ。  僕の目の前で、彼女が香水瓶を鼻に近づけ、どれほど深く息を吸い込んでも、彼女の表情はピクリとも動かなかった。 『……やっぱり、何も分かりません。ただの冷たい空気みたいです。世界から匂いが消えてしまうと、私が今まで聴いてきた美しい音まで、全部色褪せて砂になって消えていく気がするんです』  見えない瞳から、行き場を失った大粒の涙が頬を伝う光景が、脳裏に焼き付いていた。  暗闇の中で、匂いさえも奪われ、それでも必死に前を向いて歩いていた彼女。 そんな彼女の世界を少しでも彩りたくて、僕は「彼女が聴いている音を香りに変えて閉じ込める」と約束したのだ。  僕は胸の奥が張り裂けそうになりながら、並木道を走り出した。次はどこだ? この香水が、僕を次の場所へ急き立てた。  たどり着いたのは、街の片隅にある寂れたコンサートホールの舞台裏だった。  埃っぽい空気の中に、ぽつんと置かれた古いアップライトピアノ。 鍵盤にそっと指を置くと、信じられないくらい完璧に調律された、濁りのない『ラ』の音が静寂を震わせた。  視界が歪み、熱いものが頬を伝った。  ここに彼女がいた。彼女はピアノの調律師だった。  見えない目で鍵盤のわずかな沈み込みを指先で感じ取り、耳だけで弦の微細な狂いを聴き分ける彼女の横顔。 調律を終えたあと、僕の方を向いて「刹那さんの声は、クリスタルガラスを叩いたような『レ』の音ですね」と無邪気に笑った、あの眩しい笑顔。  僕が香りを作るとき、いつも彼女は隣でその作業の「音」を聴いていた。 ピペットから液体が落ちる微かな水音、ガラス棒がビーカーに触れる澄んだ音。 匂いが分からない代わりに、彼女は僕の動きのすべてを音として記憶していたのだ。 「律……」  乾いた唇から溢れた名前に、自分自身が驚いた。  彼女の名前は、律(りつ)だ。  その瞬間、ポケットの香水瓶から、まるで魔法の封印が解けたかのように、隠されていた最後の香りが爆発的に立ち上った。 それは、バニラとサンダルウッドが溶け合った、甘くて、少し苦くて、どうしようもないほど愛おしい、陽だまりのような香り。  そして同時に、すべての記憶の濁流が僕を襲った。  彼女は失われた視力と嗅覚を取り戻すため、危険を伴う手術を受けにドイツへ旅立ったこと。 この香水は、孤独な手術室へ向かう彼女に僕が贈った、世界に一つだけのお守りだったこと。   そして――彼女は今日、あの約束を果たすために、日本へ帰ってくる。 「僕は、なんてバカなことを……!」  僕は調香室へと引き返した。冷たい雨が降り出し、コートが重く濡れていくのも構わず、全速力で走った。 息が切れて肺が破れそうになっても、足を止めなかった。  暗闇と無臭の世界を、いつも一人で懸命に歩いていた彼女を、今度は僕が一人にしてはいけない。 せっかく僕の元へ帰ってきてくれた彼女を、忘れたままにしていいわけがない。  地下へと続く階段を滑り落ちるように駆け下り、震える手で店の扉を勢いよく押し開ける。  真鍮の鈴が、激しく、切なく鳴り響いた。  薄暗い店内のカウンターの前に、ずぶ濡れのトレンチコートを着た女性が立っていた。  手元には、もうあの白い杖はなかった。  彼女の指先には、僕が持っているのと同じ、擦り切れたラベルの香水瓶が握られている。  僕の激しい息遣いと足音に、彼女がゆっくりと振り返る。  彼女の瞳は、もうどこかを彷徨ってはいなかった。  まっすぐに、僕の顔を見つめていた。 その黒目には、店のランプの温かい光と、僕自身の姿がくっきりと映り込んでいた。 「……刹那さん?」  律の声。 僕がずっと、記憶の暗闇の中で求め続けていた、クリスタルガラスの『レ』の音。  彼女は一歩、また一歩と、誰の助けも借りずに自分の足で僕へと近づいてくる。 そして、僕の目の前で立ち止まると、恐る恐るといった様子で自分の手首を鼻先に近づけ、深く息を吸い込んだ。 「雨上がりの、冷たい空気の匂い……」 彼女の瞳から、一つ、また一つと、涙がこぼれ落ち、次第に大粒の涙を流し始めた。 だが、今度は暗闇の中で流す絶望の涙ではなかった。 「それから、陽だまりの中で眠る猫みたいな、温かい匂い。少し苦くて、でも、とっても優しくて……私がずっと聴いていた、大好きな世界の色がする……」  彼女は顔を上げ、初めて「見る」僕の存在を確かめるように、震える指先でそっと僕の頬に触れた。 「刹那さん。私、手術が成功して、目も、鼻も、全部治ったよ。今まで指先でしか触れられなかったあなたの顔が、ちゃんと見える。暗闇と無臭の世界を歩いていた私に、あなたが作ってくれたこの香りの意味が、やっと分かったの」  律は、香水のついた手首を僕の鼻先へと差し出した。  そこから立ち上ったのは、僕が三年前、彼女への狂おしいほどの愛を込めて調合した、あの『硝子の協奏曲』の香りだった。  匂いも光もなかった彼女の世界を、少しでも彩りたいと願って一滴ずつ重ねた僕の祈り。 それが今、三年という歳月を経て、彼女の五感すべてに届いていた。 「ごめん、律。僕、事故で一瞬だけ、君のことを失くしそうになった。でも、君がくれた音と、この香りが、僕をここに連れてきてくれた」  僕はカウンターの横で彼女を強く、強く抱きしめた。  律は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに僕の背中に腕を回し、胸に顔を埋めて声を上げて泣いた。 「ううん、いいの……。覚えていてくれてありがとう、刹那さん。この香りがね、私に、刹那さんのところへ走りなさいって教えてくれたの。もう、暗闇も、無臭の世界も怖くないよ」  彼女の髪から香る雨の匂いも、彼女の肌から立ち上る『硝子の協奏曲』の甘い残り香も、そして、僕を見つめる彼女の潤んだ瞳の輝きも、すべてが僕たちの間にあった。  地下の小さな調香室に、ふたつの重なる鼓動が、静かな協奏曲のように響き渡る。  目が見えなくても、匂いがしなくても、確かに繋がっていたふたつの魂。  失われた感覚と記憶を取り戻した僕たちの愛は、もう二度と消えることのない永遠の香りとなって、小さな部屋を優しく満たしていった。

青を待つ

赤信号を見上げながら、私は小さくため息をした。 冷たい夜風が、マフラーの隙間から首元を抜けていく。 仕事で失敗したわけじゃない。 誰かと喧嘩をしたわけでもない。 ただなんとなく 自分が世界に取り残されて透明人間になってしまったかのような 寂しさが胸の奥におもりのように溜まっていた。 「……長いな」 いつもより長く感じる赤信号。 周りの人たちはスマホを眺めたり、足早に通り過ぎたりしている。 みんなには帰る場所があって、明日への明るい未来が見えているように思えて。 がんばらなきゃと思うほど足がすくんで動けなくなる。 進めと言われているような気がして けど、どこへ進めばいいのか分からない。 その時ふと隣に立った見知らぬおばあさんが、ぽつりと言った。 「焦らなくてもいいのよ」 驚いて顔を向けると、おばあさんは私を見て微笑んでいたわけではなく ただじっと、目の前の赤い光を見つめていた。 独り言だったのかもしれない。 あるいは、私と同じように立ち止まっている誰かに、そっと届くように呟いたのかもしれない。 その言葉が、冷え切った心にじんわりと染み込んでいくのが分かった。 進めないのは、自分がだめだからじゃない。 今はただ、次に進むためのエネルギーを蓄える大切な「赤」の時間なのだ。 じっと待つことだって、立派な準備なのだと誰かに許されたような気がした。 カチリと音がして目の前の世界に鮮やかな青が灯る。 「……よし」 私は小さく声に出して一歩を踏み出した。

からくりまちのトト

 からくる、からくる。  トトは、小さな女の子でした。トトは、からくりまちのはずれの、小さな時計台に住んでいるのでした。トトは、今日も朝早くから天文台へゆきます。  トト、トト。トトが走るとき、足元はトトの名前を奏でました。トト、トト。トトが走るとき、たくさんの人がトトを呼び止めました。おはよう、トト。林檎はいかが? 「急いでいるのよ。またあとでね」  トトは天文台へ走ってゆきました。東の空は紅く染まっています。  からくる、からくる。 「トト、今日は木星がいっとう輝いて見えるよ」  天文台の天文学者のおじいさん、ジーフィーが言います。 「ほんとね、きれいね」  慌ててローブを羽織って望遠鏡を覗き込んだトトが答えます。でも、随分木星が西ね、計算し直さなきゃいけないわ。トトは星図を机いっぱいに広げて難しい計算をするのでした。  すら、すら。トトが星図をかくとき、ペンはまるで最初から行き先を知っていたかのように紙の上を滑ります。すら、すら。紙と紙の擦れる音が、一室に響きます。 「いけない。太陽に近づきすぎだ」  突然、望遠鏡を覗いていたジーフィーが慌てたように言いました。 「方角を調整しないと」  からくる、きりきり。からくりまちは音を立てて、ゆっくりとその進行方向を西へと変えました。古い石造りの天文台の天井から細かい石粒がぱらぱらと落ちます。 「ジーフィーおじさま、いきなりはダメよ。線がずれたわ、ほら」  慌てて避難した机の下からトトが這い出て、拗ねたようにほおを膨らませます。 「すまないね。私も手伝おう」  ジーフィーは白いふわふわの眉が覆う奥で、静かに目を細めました。  からくる、からくる。  何時間たったでしょう。東の空からは、相変わらず赤い日がトトを照らします。 「トト、そろそろ終わろう。疲れただろう」 「いいえ、まだ」  星図から顔も上げずに答えます。すら、すら。ペンは軽快に、忙しそうに、踊ります。 「明日は大事な日だ」  トト。ジーフィーの言葉に、トトはぴたりと手を止めました。視線がちらりと窓に逸れ、夕日が瞳に映ります。 「じゃあ、あと、これだけ」  トトは、そういってまた星図に向き直るのでした。  結局、トトが天文台を出たのはさらに数時間経ってからなのでした。東の空の夕日がトトを包みます。  時計台への帰り道、街の人はトトに語りかけます。トト、トト。おかえり、トト。あとでシチューのお裾分けを持っていくわ。トト、この街は、いつ行くの? あの太陽へ飛び立つのでしょう。トトはついっと足を止めます。明日よ、あす。 「あす、この街は飛ぶわ」  からくる、からくる。  朝、トトが天文台に飛び込むとジーフィーはもう、全ての支度を終えていました。 「トト、準備はいいね」 「ええ、ばっちりよ」  ペンを握り、トトが答えます。 「さあ行こう」  からくりまちはいよいよ速度を上げました。ぐんぐんがしゃがしゃ走っていって、もう太陽の速度を追い越すのです。 「今よ!」  からくりまちは、そらに、うんと近くなりました。そして、今までいた星に影を落とします。からくる、きりきり。からくりまちは、小さな天文学者、トトの計算通りに進んでいきます。  太陽が、きらきらとからくりまちを照らします。どの方角かは、あなたももうわかるでしょう。  トトが天文台の窓から顔を出すと、すずやかな風がびゅうと吹いて、髪が靡きました。太陽が、もう、すぐそこに。  遠くで、星がひとつ光りました。

人間ドックへの道のり

人間ドックに行こう。 そうと決まれば、まずは病院さがし。 せっかくなので、からだの色々なところを調べてもらいたい。 がん家系だし、腸内環境わるいと思うから、胃カメラかバリウムをやってもらいたい。 でも検診って高いんだろーなー。 そもそもどこでやってもらえるのかなー。 ぐーぐるぐーぐる。 そういえば! 医療保険のサービスで、検診が安くなるってあったな! 使えるかさっそく保険のサービスに電話してみる。 割引サービスが使えるところを探してもらうと…… 近くて、電車乗りついで一時間の市街地。 もしくは、車で40分以上かかる隣の街。補足:私は運転が下手。 そうだ。前もここまで調べて受けるのやめたんだった。 遠いし、予約も取りにくいし。 心がすぐ折れそうになる。 (チッ、サービスあっても使えん………。こういうサービス付けなくていいから保険料すこしでも安くなればいいのに……) …………。 そういえば! JAFにも人間ドックの割引サービス載ってたな! ネットで調べてみる。 …………………。 んふふー😇 これもまた遠いな! またまた心がすぐ折れそうになる。 ……………と、いう状態だったのですが、 どうやらもっと近くに健診できる所があるという噂を聞いて! 調べたところ、 どうやらネットで予約が取れるらしい。 料金や内容などをチェックして、受診する日を予約。 やっとスタート地点まできました。 ということでとりあえず今日はここまで! また早めに続き上げます!がんばるます!

母の手

 母の手は冷たかった。  思えば母が座っている姿を見たことがなかった。いつも朝早くから台所に立ち、包丁とまな板と音を奏でていたり、鍋とにらめっこしたりしていた。  天気がよければ畑や田んぼの世話をして、雨なら繕いものや家の掃除など。母はまさしくこまねずみのように何かしら動いていた。  子供の頃からそんな姿を見ていた私は、ある日母に趣味はなにかと聞いてみたことがあった。  そのとき草むしりをしていた母は、手を止め地面から目線を外し数秒考えた。そして、草むしりかなと答えて、また黙々と草むしりに集中した。  私は丸まったその背中を見ながら悲しくなった。母はいつも家族のために働いてばかりで、自分の好きなことはないのかしないのか。  母の手は赤紫蘇で染まったり、あかぎれで切れていたりしていた。爪は土のような汚れが詰まっていた。それでも私は母の手が好きだった。母は冷え性だから触れるとひんやりとするのだが、それも含めて好きだった。  最後に触れる母の手。動かなくなった重なった両手をなぞる。  細く、骨張っていて、いつものように冷たかった。