雨と小さな折りたたみ傘
雨が降り出したのは、放課後の図書室を出た瞬間だった。 傘を持っていない。校門の屋根の下で立ち尽くす私の隣に、スニーカーの足音が近づいて停まった。 「……傘、忘れたの?」 声をかけてきたのは、クラスで一番モテる蓮だった。サッカー部の練習が雨で休みになったのか、大きなスポーツバッグを肩にかけている。普段は遠くから眺めるだけの存在。まともに話すのも、今日が初めてだった。 「うん……予報見忘れてて」 「じゃあ、入る?」 蓮がバサッと開いたのは、黒い折りたたみ傘。高校生の男の子と二人で入るには、どう見ても小さすぎる。 「え、でも狭くない? 蓮くんが濡れちゃうよ」 「いいから。風邪ひくぞ」 強引に腕を引かれ、傘の中に押し込まれる。 その瞬間、ふわっと蓮の匂いがした。雨の匂いと、微かに残る爽やかな制服の柔軟剤の香り。距離が近すぎて、私たちの肩と肩がぴったり触れ合っている。 「……行くよ」 歩き出すと、一歩ごとに肩がぶつかる。息ができないくらい心臓がうるさい。自分の胸の音が蓮に聞こえてしまうんじゃないかと、生きた心地がしなかった。 「……ねえ、顔赤いけど、熱ある?」 突然、蓮が立ち止まった。 傘を持ったのと反対の手が伸びてきて、冷たい指先が私の額にそっと触れる。 「っ……! 熱じゃない、熱じゃないよ!」 慌てて後ろに引こうとすると、蓮の指がすっと下がって、私の頬を包み込んだ。 「嘘つけ。耳まで真っ赤じゃん」 覗き込んでくる蓮の目と、視線がバッチリ合ってしまう。長いまつ毛、少し濡れた髪、そこから覗く真剣な瞳。息が止まる。 「……蓮くんのせいだから」 思わず声に出てしまった小さな呟き。 「え?」と驚いたように目を丸くした蓮だったけれど、次の瞬間、フッと柔らかく笑った。 そして、包み込んでいた手をおろすと、そのまま私の右手へ滑らせ、ぎゅっと指を絡めてきた。 「……気づいてないと思ってた?」 耳元で低く囁く声。握られた手から、熱が体中に伝わっていく。 「雨、もっと降ればいいのに」 小さめの傘の下で、蓮が私の手を強く握り直した。雨の音さえ消えてしまうほど、ふたつの鼓動が重なって鳴り響いていた。
『透明な楽譜を抱きしめて』
その店に足を踏み入れたとき、僕――刹那の胸を突いたのは、懐かしさではなく、底冷えするような「空白」だった。 路地裏の古い煉瓦ビルの地下にある調香室『レミニセンス』。 一ヶ月前、雨の夜にスリップした車に跳ねられた僕は、一命を取り留めた代わりに、人生の最も重要な「最後の三年間」の記憶を綺麗に失くしてしまっていた。 自分が「記憶の調香師」であることや、スポイトの扱い方、何百種類もの精油の配合比率は、指先が記憶している。 なのに、誰のためにこの店を開け、誰の笑顔を思い浮かべて香りを創っていたのかだけが、どうしても思い出せない。 記憶のフィルムの大切な場面だけが、白く焼き切れてしまったようだった。 がらんとした店内のカウンターに、一本の透明なガラス瓶がぽつんと置かれていた。 少し擦り切れたラベルには、見慣れた僕自身の几帳面な筆跡でこう書かれている。 『硝子の協奏曲(コンチェルト)――暗闇と無臭の世界を歩く君へ』 その文字を見た瞬間、胸の奥がギュッと強く締め付けられた。 暗闇と、無臭の世界。光も香りもない場所で、たった一人で歩いていた誰かのために、僕はこれを創ったのだ。 キャップを外し、手首の脈打つ場所に一滴、落としてみる。 ツンと鼻腔を刺したのは、冷たい雨上がりのアスファルトの空気、それから、どこか傷つきやすい硝子細工を思わせる、ひたすら澄み切った切ない香りだった。 その香りを深く吸い込んだ瞬間、頭の奥で、カランとクリスタルガラスが触れ合うような綺麗な『レ』の音が響いた。 「……誰だ?」 僕が忘れてしまった、僕の命よりも大切だったはずの「君」の気配が、そこには確かにあった。 僕はその香水瓶をコートのポケットに強く握りしめ、導かれるように地下の店を飛び出した。 この香りと、脳裏に響く音が、僕の失われた記憶を繋ぎ止める唯一の地図だった。 最初に向かったのは、街外れにある古いケヤキの並木道だった。 秋の冷たい風が吹き抜け、枯れ葉がアスファルトをカサカサと擦る音がする。 手首の香りをもう一度嗅ぐと、冷気と混ざり合ったベルガモットの鋭い香りが立ち上り、同時に頭の中で『ミ』の音が重なった。 その瞬間、目の前の景色に、過去の残像が重なった。 白杖(はくじょう)の先が、点字ブロックの凹凸をコツ、コツと規則正しく叩く音。 そこにいたのは、一人の少女だった。彼女は視線をどこにも定めず、ただ耳を澄ますように少し首を傾げて立っていた。 記憶の底から、誰かの掠れた、でも鈴のように心地よい声が聞こえた気がした。 そうだ、彼女は生まれつき目が見えなかった。世界を「色」ではなく「音」と「肌触り」で捉える人だった。 僕は思い出す。彼女が指先で僕の調香室の瓶の輪郭をなぞるときの、あの驚くほど繊細で慎重な手つきを。 見えないからこそ、彼女は指の腹で物の形や温度を愛おしむように確かめていた。 そして、ラベルに書かれた「無臭の世界」という残酷な意味が、鮮烈に蘇る。 彼女は、事故で頭を打った後遺症で、嗅覚までも完全に失っていたのだ。 僕の目の前で、彼女が香水瓶を鼻に近づけ、どれほど深く息を吸い込んでも、彼女の表情はピクリとも動かなかった。 『……やっぱり、何も分かりません。ただの冷たい空気みたいです。世界から匂いが消えてしまうと、私が今まで聴いてきた美しい音まで、全部色褪せて砂になって消えていく気がするんです』 見えない瞳から、行き場を失った大粒の涙が頬を伝う光景が、脳裏に焼き付いていた。 暗闇の中で、匂いさえも奪われ、それでも必死に前を向いて歩いていた彼女。 そんな彼女の世界を少しでも彩りたくて、僕は「彼女が聴いている音を香りに変えて閉じ込める」と約束したのだ。 僕は胸の奥が張り裂けそうになりながら、並木道を走り出した。次はどこだ? この香水が、僕を次の場所へ急き立てた。 たどり着いたのは、街の片隅にある寂れたコンサートホールの舞台裏だった。 埃っぽい空気の中に、ぽつんと置かれた古いアップライトピアノ。 鍵盤にそっと指を置くと、信じられないくらい完璧に調律された、濁りのない『ラ』の音が静寂を震わせた。 視界が歪み、熱いものが頬を伝った。 ここに彼女がいた。彼女はピアノの調律師だった。 見えない目で鍵盤のわずかな沈み込みを指先で感じ取り、耳だけで弦の微細な狂いを聴き分ける彼女の横顔。 調律を終えたあと、僕の方を向いて「刹那さんの声は、クリスタルガラスを叩いたような『レ』の音ですね」と無邪気に笑った、あの眩しい笑顔。 僕が香りを作るとき、いつも彼女は隣でその作業の「音」を聴いていた。 ピペットから液体が落ちる微かな水音、ガラス棒がビーカーに触れる澄んだ音。 匂いが分からない代わりに、彼女は僕の動きのすべてを音として記憶していたのだ。 「律……」 乾いた唇から溢れた名前に、自分自身が驚いた。 彼女の名前は、律(りつ)だ。 その瞬間、ポケットの香水瓶から、まるで魔法の封印が解けたかのように、隠されていた最後の香りが爆発的に立ち上った。 それは、バニラとサンダルウッドが溶け合った、甘くて、少し苦くて、どうしようもないほど愛おしい、陽だまりのような香り。 そして同時に、すべての記憶の濁流が僕を襲った。 彼女は失われた視力と嗅覚を取り戻すため、危険を伴う手術を受けにドイツへ旅立ったこと。 この香水は、孤独な手術室へ向かう彼女に僕が贈った、世界に一つだけのお守りだったこと。 そして――彼女は今日、あの約束を果たすために、日本へ帰ってくる。 「僕は、なんてバカなことを……!」 僕は調香室へと引き返した。冷たい雨が降り出し、コートが重く濡れていくのも構わず、全速力で走った。 息が切れて肺が破れそうになっても、足を止めなかった。 暗闇と無臭の世界を、いつも一人で懸命に歩いていた彼女を、今度は僕が一人にしてはいけない。 せっかく僕の元へ帰ってきてくれた彼女を、忘れたままにしていいわけがない。 地下へと続く階段を滑り落ちるように駆け下り、震える手で店の扉を勢いよく押し開ける。 真鍮の鈴が、激しく、切なく鳴り響いた。 薄暗い店内のカウンターの前に、ずぶ濡れのトレンチコートを着た女性が立っていた。 手元には、もうあの白い杖はなかった。 彼女の指先には、僕が持っているのと同じ、擦り切れたラベルの香水瓶が握られている。 僕の激しい息遣いと足音に、彼女がゆっくりと振り返る。 彼女の瞳は、もうどこかを彷徨ってはいなかった。 まっすぐに、僕の顔を見つめていた。 その黒目には、店のランプの温かい光と、僕自身の姿がくっきりと映り込んでいた。 「……刹那さん?」 律の声。 僕がずっと、記憶の暗闇の中で求め続けていた、クリスタルガラスの『レ』の音。 彼女は一歩、また一歩と、誰の助けも借りずに自分の足で僕へと近づいてくる。 そして、僕の目の前で立ち止まると、恐る恐るといった様子で自分の手首を鼻先に近づけ、深く息を吸い込んだ。 「雨上がりの、冷たい空気の匂い……」 彼女の瞳から、一つ、また一つと、涙がこぼれ落ち、次第に大粒の涙を流し始めた。 だが、今度は暗闇の中で流す絶望の涙ではなかった。 「それから、陽だまりの中で眠る猫みたいな、温かい匂い。少し苦くて、でも、とっても優しくて……私がずっと聴いていた、大好きな世界の色がする……」 彼女は顔を上げ、初めて「見る」僕の存在を確かめるように、震える指先でそっと僕の頬に触れた。 「刹那さん。私、手術が成功して、目も、鼻も、全部治ったよ。今まで指先でしか触れられなかったあなたの顔が、ちゃんと見える。暗闇と無臭の世界を歩いていた私に、あなたが作ってくれたこの香りの意味が、やっと分かったの」 律は、香水のついた手首を僕の鼻先へと差し出した。 そこから立ち上ったのは、僕が三年前、彼女への狂おしいほどの愛を込めて調合した、あの『硝子の協奏曲』の香りだった。 匂いも光もなかった彼女の世界を、少しでも彩りたいと願って一滴ずつ重ねた僕の祈り。 それが今、三年という歳月を経て、彼女の五感すべてに届いていた。 「ごめん、律。僕、事故で一瞬だけ、君のことを失くしそうになった。でも、君がくれた音と、この香りが、僕をここに連れてきてくれた」 僕はカウンターの横で彼女を強く、強く抱きしめた。 律は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに僕の背中に腕を回し、胸に顔を埋めて声を上げて泣いた。 「ううん、いいの……。覚えていてくれてありがとう、刹那さん。この香りがね、私に、刹那さんのところへ走りなさいって教えてくれたの。もう、暗闇も、無臭の世界も怖くないよ」 彼女の髪から香る雨の匂いも、彼女の肌から立ち上る『硝子の協奏曲』の甘い残り香も、そして、僕を見つめる彼女の潤んだ瞳の輝きも、すべてが僕たちの間にあった。 地下の小さな調香室に、ふたつの重なる鼓動が、静かな協奏曲のように響き渡る。 目が見えなくても、匂いがしなくても、確かに繋がっていたふたつの魂。 失われた感覚と記憶を取り戻した僕たちの愛は、もう二度と消えることのない永遠の香りとなって、小さな部屋を優しく満たしていった。
レモン
レモンはあなたの手の中 あなたはレモンの手触りを知っている 表面の凹凸 皮の厚み 張りのある指触り 手のひらに収まる楕円を あなたは知っている あなたはレモンの香りを知っている 外皮の向こう 輪切りの断面 鼻を抜ける 爽やかな柑橘の匂いを あなたは知っている あなたはレモンの味を知っている みずみずしい果汁 果肉の粒の感触 口の中に広がる酸味に 唾液が溢れるのを あなたは知っている だけど レモンは レモンであることを 知らないかもしれない リモネ リモン シトロン シトルーン ツィトローネ あらゆる国で根付いている 私はそれをレモンと呼び あなたに手渡した あなたが欲しいと思う時に いつでも手に取れるように 私からあなたへ レモンはいま、あなたの手の中
螺旋
生きるために生まれ 死ぬために生き 生まれるために死んでゆく あなたの命は循環する あなたの命は巡り巡る あなたの命は点と線で あなたの命は他の命へ 人 虫 鳥 魚 木 あなたの命はそうして続いていく バトンを渡すように、次へ 次へ 次へ 次へ 次へ 次へ 次 次へ 次へ 次へ 次へ 次へ 次へ
そうだ、人間ドックに行こう。
アラフォーですが、まだまだ未経験なものがたくさんあります。 公務員6年から専業主婦と、今まで社会経験も少ない自分です。 勤めていれば、会社で健康診断を受けられるのですが、なにぶん働いていなかったので今まで受けておりませんでした。 30過ぎたあたりから、人間ドック受けてみたいなとは思いつつも、 まず受診できるところを探し始めないといけなくて、 なおかつお金もかかるし、 予約するのも日にちを決めなければいけないし…… と思って、ずるずると結局なんにもせず過ごしておりました。 夫もそろそろ身体を気にする歳だから受けたらいいのにと後押しはしてくれていたのですが…… なんだかんだで特に問題なく過ごせていたので、気にはなりつつも面倒が勝っていたのでした。 ……ところが。 数ヶ月前に実家に帰ったとき。 えらく母に心配されまして。 なんかすごい痩せてない?? ご飯食べてるの?? 前に健康診断行きたいって言ってたけど、行ってる?? と、めっちゃ身体のこと気遣われてしまって。 子どものころは食べるの大好き! ぽっちゃり体型の自分だったので、余計に心配したようで。 自宅に帰ってからも、メールで心配されました。 ということで、やっっっと、おんもたい腰をどっこいしょ!と持ち上げてようやく人間ドックを受けてみようかというところまで至りました。 これでまだ決意の段階。 続きはまた。
十五夜のハロウィン少女
かぼちゃのハロウィンコスプレを見るたびに思い出すのはあの女の子と食べた豚骨ラーメンだ。汚くて、お世辞にも美味しいラーメンではなかったが、今まで食べた中で一番楽しい食事だった。俺の貧弱な人間関係の中でも最も大切にすべき大事な思い出だ。 深夜十時半、自分の最寄駅のプラットホームに降り立つ。極寒の秋風が吹き荒れていた。 改札の前に立っていたカップルがイチャイチャしていて腹が立つ。 「今日って十五夜らしいよ」 と女の子が云う。 優しそうな顔をしている。 「まじかーてかそんな月丸くなくね?」 男の方が空に浮かぶ月を目を細めて見ていた。 確かに左側が少し欠けている。 「丸いじゃん!よく見て見なってぇー」可愛い声を出して「本当に丸いもん!」と云った。 今日は年に一度の十五夜の日だ。十五夜とは旧暦で言う八月十五日にススキと月見団子、そして秋の名産品を並べて月に向かって感謝する日だ。有り体にいえばハーベストフェスティバル。旧暦に従っている為に必ずしも十五夜が満月である必要は無く、一昨日が満月だった。 カップルは手を繋いで駅の外に歩いて行った。 暖かそうだった。 俺の心に何故か温もりが芽生えて、片手を見ると俺は誰の手も握っていなかった。 「気のせいか、、、、」 心なしか声が震えている気がする。 いや、彼女なんて俺には必要ない。俺は医学部に絶対に入ると決めたんだ、女は勉強の邪魔だ。 心を平静に保とうとする。 俺だってモテない訳じゃない。 作らないだけだ。 カップルの女の子の方を思い出す。短いスカート、男と話していて嬉しそうな顔、薄く化粧した姿。 男の方は印象が薄くて、スポーツ刈りだったことくらいしか覚えていない。 「侑斗くん!待ってたよー」 誰かが言った。 俺は自分の名前を呼ばれて振り返った。 ゆうと、それが俺の名前。しかし、後ろには改札があるだけで誰もいなかった、 「幻覚か、、」 そう、俺は幻覚を見るまで彼女を欲していたが年齢=彼女がいたことない歴の自分にとって彼女をどうやって作るのかわからない。彼女が何処からか生えてくるものではないのは知っているが、校舎裏に呼び出して「付き合ってください」とラブレターを渡すようなベタな告白くらいしかわからなかった。でも友達の中には彼女がいる奴も多い。総じて奴らは幸せそうだ。俺も欲しい、女の子の前だと何故か淡白に振る舞ってしまうのだ。 木枯らしが吹いて身を震わせる。葉は紅葉して駅前の道路を紅く染めた。俺は落ちていたイチョウを一枚拾って砂をはたいて指先で遊ぶように回す。暫く歩くともみじがあった。もみじも拾うと子供の手みたいだと思った。「もみじのような手」という表現が日本には古来からある。 俺は家に向かって歩いている。学ランの襟を寄せて「寒くなったな」と呟いた。 もう日が沈むのが早くなってきている。辺りは暗く、大通りを通る車は総じて渋滞気味にゆっくりと走る。道路は車のライトを受けて光っているみたいだ。過剰に受けた光は行き先を失って俺のほうにやってきた。俺は目を逸らして路地に入る。今日は車のライトが眩しくて大通りを通る気になれなかったからだ。一本裏手に入ると一気に閑散とする。車の走る音が遠ざかって、音が無くなる。偶に夕飯の匂いがして、閑静な住宅街にカレーとか焼き魚の匂いがする。 公園が見えてきた。この道の街灯は優しい光をしていて、最低限の光源は保ちつつ、目に優しいから好きだった。静かな道、優しい光。偶に俺はこの道を通ると夢を見ているような感覚に襲われる。単に疲れて眠い日に限ってこの道を通っているに過ぎないのだが、この道を特別な道として扱ってもいいんじゃないかと思っている。俺がふわふわとしながら歩いていると、泣き声が聞こえた。 真っ暗な公園から聞こえてくるその声は絞り出すような悲壮な声だった。 気になって、公園の入り口をくぐる。 「今日はハロウィンじゃないよ」 つい言ってしまった。 何故なら公園の中で泣いていたのはかぼちゃのコスプレをした女の子だったからだ。 ベンチに座っているらしい。女の子は俺のほうを見ている。 真っ暗な陰から覗いている。 「ーハロウィンだもん、、」 「今日は十五夜ですよ。まだ一ヶ月近くある。」 女の子は再び泣き始める。 俺は隣に座った。 「どうしたんですか?理由なら聞きますよ」 女の子は顔を上げる。 「聞かなくていいよ。どうせ『気にし過ぎ』って言われるだけだし」 「そんなことない」 俺は断言した。 こんなところで泣くんだ、それなりの理由があるに決まっている。 女の子は十月三十一日の渋谷に居そうな、オレンジを基調にした丸いシルエットのスカートを履いていた。かぼちゃを模しているのかスカートも前部分には黒い布で顔が縫い付けられている。首の広いオレンジ色の半袖に、黒いフリルの付いたエプロンを掛けて、頭にはかぼちゃのオレンジ色の帽子を被る。帽子のかぼちゃと目が合った。女の子はファンシーでツインテールで髪を纏めていた。 「何で仮装をしてるんですか?」 女の子はピクリと反応した。 俯いて、答えようか迷っているようだった。 「ハロウィンパーティーをしていたの。」 「ハロウィンパーティー?」 早くないか? ダイソーでやっと季節商材が並び始めたというのに。 「気が早いと思ったでしょ」 「うん。思った」 「それでね、私の親友がドイツの学校に入学するって言って、明後日に日本を発っちゃうの」 話が見えてきた。 彼女は親友と別れるのが悲しくて泣いているんだ。 顔を覆った大きなかぼちゃの帽子を揺らして顔を上げる。 俺の目も暗闇に慣れてきた。 女の子と目が合った。 彼女は可愛かった。泣きぼくろの印象的な女の子で、美人というよりも愛らしい、服装のせいか子供っぽくてなぐさめてあげたいような、印象だった。 女の子は続ける。 「だから、最後にお別れ会も兼ねてさっきまで二人でハロウィンパーティーをしていたんだけど、こうして悲しくて深夜の公園で泣いてたの」 「寂しいよな。俺も親友が引っ越して悲しかったな。毎日一緒に遊んでたのに突然、北海道に引っ越しだって言われて、悲しくってそいつと喧嘩しちゃったんだ」 「喧嘩別れだったの?」 「いいや?すぐに仲直りできたよ。喧嘩別れだと後味が悪いだろ?」 女の子は驚いた顔をした。 「こういう話のオチって喧嘩別れで終わるものだと思ってた」 心底意外だ。 俺が怒った理由なんて「明日から誰と遊べばいいんだ」っていう身勝手な理由だったから、頭を冷やせば誰のせいでもないのが分かるのに。引っ越す親友が悪い、その原因を作った親が悪い、その親に転勤を勧めた会社が悪い、まあ、親が転勤するのは俺の推測だが。 「仲直りできて良かったね」しんみりとして女の子は言った。「今でも連絡は取っているの?」 「取ってるわけないだろ」 へえーと呟いて女の子と俺の間に静かな沈黙が流れる。 「ていうか君敬語じゃないね?」 「え、まあ、はい」 眉をひそめる。 「さっきまで敬語だったじゃん」 「いや、なんか堅苦しすぎるかなって」 「君、高校生だよね?」 「はい」 「私大学生なんだけど!」 大上段に構えて女の子は言う。 年上には見えなかった。 「すいませんでした」 俺は少し驚いて女の子の顔を見た。仮装のせいもあるが年下に見えるくらいだった。 「よく大学生に見えないって言われるの。馬鹿にされて困るわ」 「馬鹿にされそうですもんね」 「はぁ?君まで馬鹿にして!やめてよね、」 「すいません」 表情がすぐに変わる人だった。 風が吹いた。 俺と女の子の間を冷たい風が吹き抜けて、女の子は身を震わせた。俺は自分のマフラーを整える。女の子は半袖に膝丈のもふもふを敷き詰めたスカート(パニエ)を履いているだけだった。 「さむっ」 女の子は云う。 俺は何をすればいいのか分からなくて「寒いですね」と相槌を打つ。 「友達とハロウィンパーティーをした帰りなんだけど、友達が別の友達に呼び出されて友達が行っちゃったの」 「公園でパーティーをしていたの?」 「そんなわけないでしょ、友達の家で。それで私は仕方ないから帰ろうとしたんだけど、涙が出てきちゃって」 鼻水を啜る音がする。 「これ良ければ使ってください」 僕はティッシュをポケットから取り出す。「ありがとう」と云って女の子は受け取った。 「私は、、そう、、あの子と離れ離れになるのが悲しかったんじゃ無くて、私が軽く扱われたのが嫌だったの。二人で過ごせる最後の日だったのにあの子は別の友達のほうに行っちゃった。」 「そうなんですか、、」 確かにそうかもしれない。唯一無二の親友だと思っていた人に別の親友が居たら嫉妬する。僕はお腹が空いていたから、女の子の話をもっと聞いてあげたかったけど、もうアドバイスできるような脳みそではなく、身体も今にも倒れそうだった。 女の子は悲しそうに、お世辞にも上品ではなかったけど鼻を噛んで、俺にティッシュを返却してきた。 「返さなくて大丈夫です。でも、お腹空きませんか?」 「君はお腹が空いたの?」 「そりゃもちろん、俺、近所にある美味しいラーメン屋知ってるんですけど一緒に来ますか?」 女の子は俺のほうに顔を上げた。 迷ってる顔だ。 「お金持ってないの」 「奢りますよ」 俺はキメ顔でそう云った。 少し心がときめいて?俺は「ささ、立って」と慇懃無礼に言って女の子を立たせる。 「ありがとう」 秋風が強く吹き荒れ、女の子の声もうまく聞こえない。しかし、俺は並んで歩く女の子が何か呟いたことに気がついた。 「何か言いました?」 声を張って風にかき消されないように云った。 「?なんでもないよ」 いっぽ女の子は前を進んでくるりと華麗に一回転した。パニエの入ったオレンジ色ののパンプキンスカートが揺れる。半袖で寒そうだった腕を抱える。回ると絶対に寒いはずなのに、またぐるぐるとスカートを回して遊んでいる。 「寒そうですね」 「寒いよー」 街灯の下で振り向いた女の子の目の周りが赤く腫れていた。 暗い公園では見えなかったけど、相当泣いていたようで、頬を伝った一筋の涙がキラキラと光っていた。 「マフラーで良ければ貸しますけど」 「大丈夫だよ」 少し悲しい。 何だか俺が汚いと言われたみたいだ。 でも、俺と女の子の距離なんてそんなもんだ。 くるくると女の子は回転して、僕の前を歩く。オレンジ色のスカートに縫い付けられたジャックオランタンと完全に目が合った。まるで女の子の守護神みたいだった。 僕はマフラーを巻き直し、「もうすぐ着きます。そこの角を右手に曲がったらラーメン屋です」と云った。 女の子は角を曲がった。姿が見えなくなる。少し焦って、早足に俺も角を曲がる。 「あったでしょう?」 女の子の顔がすぐ目の前にあった。 鼻が当たりそうだ。 ニカっと腫れた目元で笑う。 「ラーメン楽しみだね」 と云った。 俺はドキドキする以前にびっくりした。心底驚いて、少し経ってから耳を触る。 よかった、耳は赤くないらしい。 「何のラーメンがおすすめのお店なの?」 女の子はラーメン初心者みたいで住宅街にある低いラーメン屋の暖簾を珍しそうに見ている。店内からラーメンの暖気が漏れ出して手をかざすと暖かい。 店の戸に手をかけて、建てつけが悪いのを無理やりこじ開けると店内の暖かい空気がやってきた。 「生き返るー」 「あったかいですね」 女の子は抱えていた腕を離した。カウンター席に着いて俺に隣に座るように指示する。 店内は外から想像するよりも広くて、初めて来る人はいつも驚く。入り口から見えるカウンター席の奥に厨房を挟んで向かい側に四人がけの大きなテーブルが三つ並んでいる。奥の四人がけのテーブルに四人家族がいて、その幼い兄弟がこちらのほうを見る。不思議そうな顔をしている。俺は一瞬、自分のほうを見ているのかと思ったが直ぐに女の子のことだと思い直した。 「とんこつラーメンふたつ」 俺は女の子に注文を聞かないで店主に食券を出す。このラーメン屋には学生ラーメンがあって、俺はいつもそれを食べているが女の子は大学生と言うし、食べているラーメンの値段が違うというのもおかしな話だから、どうせ奢りだ、俺は学生ラーメンより高い普通のとんこつラーメンを注文した。 この店の売りはとんこつラーメンだ。 「たのしみだね。ラーメン屋さんなんて久しぶりに来たよ」 女の子はカウンターに置かれた割り箸をまだラーメンが出てきてもないのに手に取って弄っている。 「よく父がここに連れてきてくれたんです」 別に親父は死んでいる訳ではないが控えめに笑った。 「へぇー良いお父さんだったんだね。私のお父さんはファミレスによく連れて行ってくれたよ」 割り箸を割った。 ばきりと根元がくっついたまま割れた。 下手だった。 俺も割り箸を手に取って割る。 「ラーメンばっかり連れてこられて、俺も偶にはファミレスに行きたかったです」 女の子は「へぇ」と興味なさそうに相槌を打った。 ラーメン屋の大将が麺の硬さとニンニクの量を聞いてきた。 俺は答えて、どうする?と女の子に問うた。「わかんない」と困惑した様子で俺のほうを向く。 「俺のと同じで」 と返して、大将は鷹揚に頷いて笑った。 いつもこの笑顔には慣れない。 ここに誰かの居場所を作ろうとしているのかもしれない。誰かにとっては必要とされる笑顔。 「近所に住んでいるの?」女の子は割り箸で遊びながら聞いた。 「この先の北大通りを右に曲がると高校があるじゃないですか、」 「『じゃないですか』って言われたってわかんないよ、この辺に住んでないんだから」 「ええーと、電車で来たんですか?」 「まあね、」 女の子は答えた。 入り口から新しい客が入ってきた。 「お願いなんだけどさ、途中まで送って行ってくれないかな?」 小首を傾げて精一杯笑っていた。 俺はしばらく考えるふりをする。 女の子ははにかんでいた。視線が怖い。 「ちょっとだけですよ」 「ありがとうー」 安心したように緊張が解けて軽薄そうに笑った。 白濁したラーメンが女の子の前に置かれて、大きな器の中には白くて細い麺が入っていた。 「おいしそー!」 俺の前にもラーメンの器が置かれた。 大将がニカッと笑って俺のほうを冷やかすように見ている。 「何か言いたいことでもあるんですか?」 俺は大将に向かって言った。 「ゆうとがまさか女の子連れて来ると思わないだろ?あんなにちっさかったのに、」不躾に女の子の服を見る。 「連れて来るに決まってるじゃないですか」 「決まってるのかぁ?お前絶対モテないと思ってたのになぁ、こんなに可愛くて、、」 「私、こいつの彼女じゃないです!」 強く反発した。 「ただの知り合いですって」 知り合い以下だ。まだ会ってから三十分も経っていない。 「まあいいや、楽しめよ」 そう云って大将は厨房に入っていった。 俺らは顔を見合わせて、彼氏彼女に見える、ということに疑問を投げかける。 不思議そうな顔をして「えー」と呟いた女の子。 「いただきます。」 俺は無視して手を合わせる。 それを見て女の子も手を合わせた。 「いただきます」 具の少ないとんこつラーメンの麺束をかき回して一掴みの麺を箸で持ち上げた。麺は白い湯気をあげて、俺の顔にも湯気がかかった。女の子は冷まそうと、しばらく空中に麺を持ち上げて一口食べた。 「おいしい?」 女の子は俺のほうに視線をやって、「美味しいよ」と言うように頷いた。 俺も麺を持ち上げる。湯気が舞って、熱いまま食べた。 そういえば、自分がすごくお腹が減っていたことを思い出した。腹の底が暖かくなった。マフラーをつけたままだったから脱いで、汚れないように膝の上に畳んでからかける。女の子を見ると美味しそうに食べていて、俺はちょっと救われた気がした。「おいしくない」なんて言われたらどうしようかと思ったから、安心して自分のラーメンを食べられる。具はトッピングで、別に食券を買わないとついてこない。俺はいつもほとんど具なしラーメンを食べていたから、気にしていなかった。そもそも華奢な女の子がどれだけ食べられるのか分からない。 「そういえば君、名前なんだっけ」 隣で女の子が言った。 「岡崎 侑斗です」 「ゆうとって言うの?へぇー漢字は?」 「岡崎、、は流石に分かりますよね?」 「分かるよ?ゆうとっていっぱいあるよね。優しく、でも悠久、でも、裕福とか色々ある」 「にんべんに有ると書いて北斗七星の斗です」俺は空に指で侑を書くふりをする。「良い名前じゃないですか?」 「珍しい字を使うね」 「結構いると思うんですけど」 女の子は汁を飲んだ。 「名前は?そっちも教えて下さいよ」 俺は女の子のことを何と呼んだらいいのか分からなくてわざと避けた。君、あなた、あんた、先輩、、 「ええーどうしよっかなー?」 そんなことを言い始めた。 「え!教えてくれないんですか!?僕もう何て呼べばいいのか分からないんですけど」 新しく客が入ってきて、俺たちの会話にぎょっとしたようにしてから、奥の一番端のカウンター席に座った。 「いやさ、ほら、号泣してるところ見られちゃったから、恥ずかしいなーって」 「名前だけで何処の誰かなんて分かりませんよ」 「でも、、、いいや教えないっ」 「じゃあインスタ」 「だめっ」 「LINEは、」 「もっとだめっ」 顔の前でばつ印を作って拒絶する。傷ついた。 俺は何を言えばいいのか分からなくて、最後の麺をすくった。 「じゃあ先輩って呼んでもいいですか?」 女の子は心底意外だったという表情をした。 「勝手に名前をつけてくれてもよかったけどね」 「そんな妖怪みたいな、、」 白濁したラーメンを見つめている先輩。俺も残り少ないラーメンの汁を見る。 先輩はレンゲで一口ずつ丁寧にすくってスープを飲んでいる。 俺は散り散りになった細かな麺を割り箸で追いかける。掴んだ麺をちびちび食べると苦い割り箸の味がした。 テーブル席の家族が立ち上がって、店を出て行く。幼い兄弟が大きな目で先輩の服をじろじろ見る。 先輩はポケットに手を入れて、何かを探している。 「ラーメンを奢ってくれてありがとう、これお礼なんだけど」 先輩がポケットから取り出したのは、二つのホームパイ。 「あ、ありがとうございます」 「ラーメン代にはならないけど、気持ちだよ」 ホームパイは包装がハロウィン仕様になっていて、中身がかぼちゃ味なのか、普通のホームパイなのか分からなかった。ホームパイを二つ、掌のうえに置いた。 僕と先輩はラーメンを食べるでもなく、話すでもなく、二人でぼーっとしていた。 ぼーっとしていたのは身体が暖かくなったからでも、炭水化物を食べて低血糖になったからでもない。俺は「そろそろ行きますか?」の一言が言えなかったからだ。 口火を切ったのは先輩だった。 「友達がドイツに行くって話したじゃん」 「そうらしいですね」 「ドイツの学校ってね、九月始まりが多いんだけど、私の友達はちょっと遅めの十月始まりの学校に入ったの」 だからこの季節に入学なのか。 「何でドイツに行くのー?って聞いたら『ドイツに好きなアーティストが居るの』って言われちゃって、好きなアーティストの近くに住みたいから留学しに行くんだって、羨ましいね」 「羨ましいですね」 ちょっとしんみりした空気が流れた。 俺はドイツに行くことになる同級生がいたのを思い出した。ドイツの大学ではないが、ドイツの高校にこの秋入学する人、その人の名前は、何だっけ? 「俺にもドイツに行く知り合いが一人いますよ」 先輩は「え」と云って反応した。 先輩はちょっと焦ったみたいだ。 「でも、俺と同い年の高校生ですよ、たぶんドイツでも合わないでしょうね進学するのは高校だから」 先輩は驚いていた。 顎に手を当てて、少し考えるようにした。 「そろそろ行く?」 言われてしまった。 店内を見渡して、客が少なくなっていることに気がついた。 でもまだこの店は閉まらない。深夜まで人が来て食べて行く。こんなに外からでもいい匂いがするのにクレームが来ていないか気になるくらいには。 「お客さん減りましたね」 「うん」 「行きますか。」 「うん」 俺と先輩は席を立った。先輩は店内を見渡していた。 「食券制なのでお会計は済んでますよ」 先輩は振り返って俺のほうを 見る。図星だったらしい。 「そんなこと知ってるよ」 俺は店の扉を開けた。 冷たい風が顔に当たる。でも、さっきよりも凍てついた寒さじゃなかった。 「ちょっとあったかくなったかな?奢ってくれてありがとうね」 と先輩が云った。 「どういたしまして。美味しかったですか?」 「美味しかったよ」 お腹がいっぱいになって幸せだった。でも少し悲しかった。 風が強く吹いて枯葉がくるくると回転する。枯葉は深夜の街灯に照らされて地面に突っ伏した。また風が吹いた、仲間の落ち葉が積み上がって道を作り、僕らはその上を歩く。ご機嫌に先輩は葉とともに踊る。ジャックオランタンが俺の目と合って、笑っていた。先輩は俺の一歩前を歩く。俺は先輩の後ろで今日のラーメン代を計算していた。ラーメンは他の外食に比べて比較的安いし、美味い。たぶんここに先輩を連れてきたのは正解だ。ファミレスよりもよっぽど面白いだろう。先輩を駅のほうに案内する、そう遠い訳ではないが忙しなく帰宅の車が道路を通ってうるさいし、車のライトが明るすぎて目がチカチカする。先輩は偶に自分のほうを振り返ってついてきているか確認する。人通りの多い北大通りに出てからはくるくる回るのをやめた。水分の多いイチョウしか落ちていないからだろうか。 「やっぱり寒いからマフラー貸してくれない?」 気まずそうに先輩は言った。 「いいですけど」 びっくりしたけれど黒いマフラーを先輩に手渡す。 「今日は助けられてばっかりだ。お礼できないけどありがとうね」 「じゃあ、今度同じような人を助けてあげてください」 「どっかで聞いた話なんだよなぁそれ」 ひとりで先輩は笑った。とても大学生には見えない。背が低いから贔屓目に見ても高校生に見える。 駅が見えてきた。 ボロボロで小さな改札しかない俺の最寄り駅。 「ああーラファンパンだ」 「ラファンパン?何ですかそれ?」 「ラファンパンっていう妖精がいて、その妖精は金貨を入れる袋を作ってもらった代わりに回復魔法をかける時間を長くしてくれるの」 先輩は駅の改札の前で立ち止まった。 「それで私はラファンパンってワケ」 「先輩が?」 自分を回復魔法をかける妖精に例えた先輩はニカッと笑った。ラーメン屋の大将の顔が浮かんだ俺は目を逸らす。あのとんこつラーメンを食べるとああなってしまうのか。 「ラファンパンは定期的の金貨を月に捧げないと身体が小さくなって、最終的に消滅しちゃうの!」 「先輩はだから金欠なんですか?」 そうだよ、と笑って先輩は「マフラー貰っていっていい?」と聞いた。 「良いですよ」と俺は答えた。 先輩は改札にSuicaをタッチした。 じゃあね、と手を振る。 「今日はありがとうね、ほんとうに、今度会ったらラーメンでも奢るよ」 そう云って先輩はホームに降りて行った。 俺は手を小さく振って、先輩が見えなくなると手を下ろした。 駅の階段を降りて、空を見上げる。 十五夜の少し欠けた月が空に明るく光っていた。 「云う」と「言う」は意識して使い分けています。会話文のすぐ後に来る「いう」は「云う」、その他は「言う」。若干ニュアンスが違うつもりです。 「こと」は基本的にひらがな。 「付く」は「つく」 尾崎侑斗は岡崎体育のつもりでつけた。小説家にいっぱいいるでしょ、尾崎。 わざと侑斗くんの敬語は崩したりしてます。 天気の子ってヒロイン実は年下だったよね。 ラファンパンは「斎藤さん、異世界に行く」って漫画。面白いよ。 どうしても一人称を俺にするとラノベっぽく見えるのはどうしたら良いでしょうか?諦めて僕にすべきですか?
ツインズ
【橋本沙織の独白】 わたしには詩織という名の、別居中の双子の妹がいる。 一卵性双生児なので容姿は瓜二つ、特に子供の頃はよく見間違えられたものだ。 見た目はそっくりのわたしたちだけれど、性格や趣味嗜好は正反対。同じ家庭環境で育ってきたはずなのに、どうしてこんなに違うのか、自分でも疑問に思う。 例えば―― わたしは気の長い慎重派なのに対し、詩織は短気で気分屋。 わたしは節約家で詩織は浪費家。 わたしは内向的で詩織は社交的。 ――など。 あらゆる面が真逆のためか、常に言い争いの絶えないわたしたち姉妹だが、異性の好みだけは不思議と一致していた。 そして、正直そのことが一番厄介な問題でもあるのだが……。 わたしには今、交際中の男性がいるのだけれど、どうやら詩織も彼、賢一のことが気になっているらしい。 それどころか、自分勝手でわがままな詩織は賢一を奪い取ろうと、わたしに隠れて彼に近づき、色目を使っているとの噂も聞く。 ついこの間も、たまに顔を合わせたと思ったらいきなり 「姉さんが死んでくれたら、賢一さん、わたしの彼氏になってくれるのに。顔もスタイルも同じなんだし、賢一さんからすれば何も変わらないものね」 などと、笑いながらのうのうと話す始末だ。 冗談ではない。優柔不断なところがある賢一をわたしの方へ振り向かせるため、どれだけの時間と労力を費やしたと思っているのか。 本当にふざけた女だ。とても身内とは思えない。 こういう手合いは一度痛い目を見ないと分からないのだろう。 わたしは「話をつけよう」と、〈彼女〉に連絡を取った。 【橋本詩織の回想】 わたしには沙織という名の、別居中の双子の姉がいる。 一卵性双生児なので容姿は瓜二つ、特に子供の頃はよく見間違えられたものだ。 見た目はそっくりのわたしたちだけれど、性格や趣味嗜好は正反対。同じ家庭環境で育ってきたはずなのに、どうしてこんなに違うのか、自分でも疑問に思う。 わたしと違い、姉はいつも家に引き篭っているような、根暗なところがある。 そんな姉にも、少し前に彼氏が出来た。 あらゆる面が真逆のためか、常に言い争いの絶えないわたしたち姉妹だが、異性の好みだけは不思議と一致していた。 わたしも姉の恋人、賢一さんに、いつしか強く惹かれるようになっていた。 姿形は姉と変わらないかも知れない。だが、「女」としての魅力は姉以上である自信が、わたしにはある。 姉には悪いけれど、賢一さんの気持ちがわたしに移るのも時間の問題だろう。 そんなある日、姉から電話があった。賢一さんのことで話があるということだ。いよいよ決着をつけようと言うのだろうか。望むところだ。 夜、家まで来て欲しいとのことなので、わたしは取り決めた日時に姉のアパートに向かった。 姉の住むアパートは繁華街から離れていて、周囲は夜になると人通りが少なく、途端に淋しくなる。 途中には大きな公園があり、周りを迂回するとかなり時間が掛かってしまう。 姉からは公園の中を通った方が近道だと聞いている。面倒だと思ったわたしは近道することにした。 街灯のまばらな公園内は暗く、鬱蒼とした木々が風にざわめく音が不気味だった。 早く通り過ぎてしまおう。足早に出口へ向かうと、突然、木の陰から何者かがわたしの前に現れた。 黒いパーカーのフードを目深に被っているので、顔ははっきりと見えない。だが、体格的には間違いなく女だ。それもわたしとほぼ同じ背格好の。まさか……。 「姉さん? 姉さんなの?」 相手は何も答えない。だが、こんなことをするのは姉に違いない。 「脅かさないでよ。まったく」 しばらくの沈黙の後、相手は口を開いた。 「あなた、橋本さん?」 え? 姉の声ではない。誰? 「え、ええ。わたし、橋本ですけど……」 あなたは? と聞き返す間もなく、相手はわたしに向かって身体を密着させてきた。 強くぶつかってきたわけでもないのに、腹部を中心に強い衝撃が広がる。 「え?」 間近に迫った相手の、フードの奥の顔がはっきりと見えた。やはり姉ではない。知らない女だ。 「その顔、やっと見つけた」憎悪に満ちた目をわたしに向け、女が囁いた。 直後、先ほどの腹部に受けた衝撃が激痛に変わった。 女が身体を離すと、足の力が抜けて、わたしはその場にひざまずいた。一瞬の出来事で、何が起こったのか理解が追いつかない。 激痛が走る腹部を両手で押さえる。服はなぜかその部分だけ濡れていて、ドロリと嫌な感触。手のひらは赤黒い液体でまみれていた。 女を仰ぎ見ると、彼女は血で真っ赤に染まったナイフを手にしてわたしを見下ろしている。顔に満足そうな笑みを浮かべながら。 「そうか、そうだったのね。姉さんも……」 次第に薄れて行く意識の中で、わたしは全てを理解した。 〈了〉
メリーメリーエンド 。
目を覚ます。 知らない照明。みたことのない壁の汚れ。 そして、手錠が繋がったベッド。 真っ白な一室。 「、、、」 [やぁ、目覚めたかい 色葉。] 自身の目の前に、 黒い猫 がいる。 いや、猫にしては小さく、鳥にしては大きい 、、これは猫? なぜ先ほどまで気づかなかったのだろう。 「色葉?」 猫?の言う イロハ について問いかける 猫?は首を傾け、一定の声量で話し続ける。 [君のことさ 色葉。] 猫?がそう言った途端。 頭の中に一文が流れ込んでくる。 【病室 001号室 色葉 精神 不安定 交流関係者 現在、着猫と話している。】 重低音で流れる音は、声とは考えられない 脳裏にこびりついて離れない。気味が悪い声。 、、 私の名前は、色葉 ここは病室で、、目の前にいるのは 「着猫?」 そう聞き返すと、猫?は少し明るい声で 反応する [ぼくの名前覚えてくれてたんだね!色葉!] 猫は毛を逆立たせ、色葉の足元に座る 喉をゴロゴロと鳴らす。 着猫を可愛いと思ってしまう。 着猫をそっと撫でる、暖かい。生きている そして、、なんだかゴワゴワしている 毛玉を水で濡らしたような感触。 「可もなく不可もなくって感じだ」 [色葉? さっきとっても失礼なこと 言われた気がするよ] 着猫は不機嫌になり、そっと地面に降りると、 ドアの方へ向かう [色葉が起きたこと、先生に伝えてくるね] と言い残し、壁をすり抜ける 「、、猫は液体って、こう言うことか」 自己完結させ、考えないようにする。 きっとこれは夢だ。 「考えるだけ無駄だ。」 静かに目を瞑る 誰かに言われた言葉を思い出す 「目を瞑ったら 数を数えるんだ。 1 2 3 4 5 6 7 8 …… ……」 一日目
欠陥品
唐揚げにレモンをかける派。 ではない。 私はかけない。 何のためにかけるのか。 サッパリとしたいからレモンをかけるのだ。 それは知っている。 だが、唐揚げの良さを潰してしまっている感じがするので私はレモンをかけない。 テキーラを飲んだ後、私はレモンを齧らない。 というかそもそもテキーラを飲まないので齧らない。 「レモンを齧るためにテキーラを飲んでいる。」 そう言った奴がいた。 ちょっと何言ってるか分からない。 レモンが嫌いなわけではない。 レモンティーとか飲むし。 レモンケーキとかあれば食べるし。 炭酸水のレモンのヤツも飲むし。 少し話は変わるが、アメリカにはこんな諺があるらしい。 『When life gives you lemons, make lemonade.』 『人生にレモンを与えられたらレモネードを作れ』 つまり、「生きていて困難や壁にぶち当たったりしたら、それを利用して上手いことやっちゃえばいいじゃん。」 という解釈でいいのだろうか。 なるほど。 良い諺だと思う。 もう一つ雑学。 『Lemon』という言葉には『欠陥品』という意味もあるそうだ。 どゆこと? なぜそんな意味を含むようになったのか、諸説あるようだが明確な理由は不明らしい。 可哀想なLemon。 お前は欠陥品なんかじゃないよな。 だって唐揚げを食べたいけど、油のしつこさが苦手な人のために唐揚げをちょっとサッパリさせてくLeるmonな。 テキーラでクワァーってなった口の中をリセットさせてくLeるmonな。 だから、欠陥品なんかじゃなくて、補助的存在? マイナス要素をプラスに持っていく?みたいな? あ、さっきの諺の意味みたいだな。 だから、ああいう諺が出来たのか。 やるじゃんレモン。 やるじゃんアメリカ。 つまり、レモンは『欠点はあるが何かと合わせて本来の力を発揮するヤツ。』 『単体だと酸っぱくて食えたもんじゃねーけど、他のクセの強いヤツと一緒にすると他のクセの強いヤツを上手く打ち消して、むしろ引き立てていい感じにするヤツ。』 いいね。 そんな人に、私はなりたい。 というわけではない。 私は単体でもいける人になりたい。
青を待つ
赤信号を見上げながら、私は小さくため息をした。 冷たい夜風が、マフラーの隙間から首元を抜けていく。 仕事で失敗したわけじゃない。 誰かと喧嘩をしたわけでもない。 ただなんとなく 自分が世界に取り残されて透明人間になってしまったかのような 寂しさが胸の奥におもりのように溜まっていた。 「……長いな」 いつもより長く感じる赤信号。 周りの人たちはスマホを眺めたり、足早に通り過ぎたりしている。 みんなには帰る場所があって、明日への明るい未来が見えているように思えて。 がんばらなきゃと思うほど足がすくんで動けなくなる。 進めと言われているような気がして けど、どこへ進めばいいのか分からない。 その時ふと隣に立った見知らぬおばあさんが、ぽつりと言った。 「焦らなくてもいいのよ」 驚いて顔を向けると、おばあさんは私を見て微笑んでいたわけではなく ただじっと、目の前の赤い光を見つめていた。 独り言だったのかもしれない。 あるいは、私と同じように立ち止まっている誰かに、そっと届くように呟いたのかもしれない。 その言葉が、冷え切った心にじんわりと染み込んでいくのが分かった。 進めないのは、自分がだめだからじゃない。 今はただ、次に進むためのエネルギーを蓄える大切な「赤」の時間なのだ。 じっと待つことだって、立派な準備なのだと誰かに許されたような気がした。 カチリと音がして目の前の世界に鮮やかな青が灯る。 「……よし」 私は小さく声に出して一歩を踏み出した。
母の手
母の手は冷たかった。 思えば母が座っている姿を見たことがなかった。いつも朝早くから台所に立ち、包丁とまな板と音を奏でていたり、鍋とにらめっこしたりしていた。 天気がよければ畑や田んぼの世話をして、雨なら繕いものや家の掃除など。母はまさしくこまねずみのように何かしら動いていた。 子供の頃からそんな姿を見ていた私は、ある日母に趣味はなにかと聞いてみたことがあった。 そのとき草むしりをしていた母は、手を止め地面から目線を外し数秒考えた。そして、草むしりかなと答えて、また黙々と草むしりに集中した。 私は丸まったその背中を見ながら悲しくなった。母はいつも家族のために働いてばかりで、自分の好きなことはないのかしないのか。 母の手は赤紫蘇で染まったり、あかぎれで切れていたりしていた。爪は土のような汚れが詰まっていた。それでも私は母の手が好きだった。母は冷え性だから触れるとひんやりとするのだが、それも含めて好きだった。 最後に触れる母の手。動かなくなった重なった両手をなぞる。 細く、骨張っていて、いつものように冷たかった。
満ちてゆく
「人は、何かを手放す度に、満ちてゆく」 かつて私がまだ若く、何者かになろうと必死に都会を駆け抜けていた頃、ある大切な人が教えてくれた言葉だ。 あの頃の私は、その言葉の本当の意味をこれっぽっちも理解していなかった。 人生とは何かを掴み取り、積み上げていくことだと信じて疑わなかったからだ。 若さ、名声、富、他者からの承認。 それらを両手いっぱいに抱え込むことだけが、自分を「満たす」唯一の方法なのだと。 しかし、今の私にはよく分かる。 ベッドから見える四角い窓の外、ゆっくりと沈んでいく夕日が、静かな病室を穏やかな茜色に染めていた。 私の人生の、これが最後の夕暮れだった。 白く清潔なシーツの上に置かれた私の手は、すっかり細くなり、深く刻まれたしわがこれまでの長い年月を物語っている。 点滴の管が伝うその腕には、かつて世界を相手に戦おうとしていたような頃の力強さはもう残っていない。 「終わるんだな」 不思議と、恐怖や悲しみはなかった。 そこにあるのは、嵐のあとの海のような、どこまでも深く、静かな平穏だった。 この数ヶ月、私は文字通り「手放す」ことの連続だった。 自由に歩くことのできる足、思い通りに動く身体、社会的な繋がり、およびやがて訪れるであろう未来そのもの。 かつてあれほど執着し、失うことを恐れていたものたちが、一枚、また一枚と、秋の枯葉のように私の身体から剥がれ落ちていった。 けれど、奇妙なことに。 すべてを失っていくはずの私の心は、今、人生のどの瞬間よりも軽やかで、そして信じられないほどの幸福感に包まれていた。 目を閉じると、私の耳の奥に、懐かしいピアノの旋律が聴こえてくる。 それは、あの人がよく弾いていた、優しくて、どこか切ない即興曲のメロディ。 その音色は、私の心に残った最後のおりを、サァと洗い流していく。 心の中で、その旋律をそっと口ずさむ。 私は気づいたのだ。 手放すということは、空っぽになって消えていくことではない。 自分を縛り付けていたすべての鎧や、他人の目、未来への不安という「余計なもの」を削ぎ落とした先で、本当の自分に出会うことなのだと。 私の両手は、もう何も掴んでいない。何も持っていない。 だからこそ、その開いた両手のなかに、目に見えない大いなる愛が、温かい光となって絶え間なく流れ込んでくる。 まぶたの裏に、これまでの人生で出会った大切な人たちの笑顔が、走馬灯のように鮮やかに蘇る。 厳しくも温かかった両親の眼差し。 共に笑い、共に涙した友人たちの声。 傷つけ合いながらも、確かに愛し合ったあの人の手の温もり。 そして、私がこの世界に遺していく、愛しい子供たちの健やかな寝顔。 「ああ、私はこんなにも愛されていたんだ」 若い頃は、もっと愛されたい、もっと満たされたいと、いつも喉が渇いたように何かを求めていた。 でも、それは逆だったのだ。 私は最初から、あふれるほどの愛の中に生かされていた。 世界は最初から、私を包み込んでくれていた。 何かを失うことは、悲しいことではなかった。 ただ、元いた場所へ還るだけ。 何も持ずにこの世界に生まれ、たくさんの愛を味わい、傷つき、そして今、そのすべてを世界へと還していく。 その循環の美しさに、胸の奥がじんわりと、熱く震えた。 窓の外を見ると、いつの間にか太陽は沈み、深い藍色の夜空が広がっていた。 そして雲の切れ間から、洗いたてのような美しい、大きな満月が顔を出した。 月の光が病室の床に差し込み、私を優しく照らす。 その光は、まるで「お疲れ様」と私を祝福してくれているようだった。 心臓の鼓動が、少しずつ、その間隔を広げていくのが分かる。 それは、終わりの合図ではなく、新しい旅立ちの足音のようだった。 私の人生は、完璧ではなかったかもしれない。 たくさんの間違いを犯し、回り道をして、傷つくことも多かった。 けれど、そのすべてが愛おしい。 私という器は、出会ったすべての人、経験したすべての感情によって、最後の最後に、これ以上ないほどの幸せで満たされていく。 「ありがとう」 私は声にならない声で、世界に向けて小さく呟いた。 最後の息をそっと吐き出す。 それは、体の中に残っていた最後の執着を手放す瞬間だった。 身体は驚くほど軽くなり、私は風と同化した。 あの大切な人がまとっていたのと同じ、自由で、どこまでも軽やかな風。 私は開け放たれた窓から、夜空へと溶けていく。 満月の光に導かれながら、ただ、満ちてゆく。 最初から何も失っていなかった私を、大いなる愛が優しく抱きしめていた。 私の旅は、今、最高に幸せな気持ちのまま、静かに、優しく、 満ちてゆく。