泥からす
13 件の小説星の象
星の象と出会った。 象は、いつも荷物を背に夜の間を旅しているのだと語った。 だから、いつしか星の象と呼ばれるようになったのだと。 それから、象はボクにキリマンジャロの山頂で見た溢れそうな星空の風景や、ジャングルの奥の湖で、湖面に映る天の川から水を飲んだ時の話を聞かせてくれた。 「うらやましいな」 ボクは思わず呟いた。 抱えた膝の間に、涙が一つ流れ星の様に落ちる。 けれども、象は「そうでもない」と大きな耳を左右に揺らし、ついさっきボクが飛び出してきたばかりの街を、その長い鼻先で示して言ったんだ。 「ごらん。あのたくさんの灯りを。なんて美しいんだろう。まるで、たくさんの星が集まっているようじゃないか。あの美しさを知っているならば、この中で美しく生きられない人なんて、いないだろうと私には思えるよ」
怪盗ハロウィン
「弁償しろっ!このクソガキ」 高級そうなスーツに身を包んだ若い男が、往来で怒鳴っていた。 相手はハロウィンの仮装をした子供。 どうやら、男はデートの最中で、子供の持っていたお菓子が男の服を汚したらしい。 大の大人がみっともない。今日はハロウィンじゃないか。 とても見ていられなかった私は、男を宥めると、クリーニング代を胸に突きつけて子供を解放してやった。 渋々といった顔で引き下がった男と別れてから、暫くして、背後で「無い!無い!」と叫び声が聞こえた。 振り返ると、少し離れた先で、さっきの男がスーツのポケットを必死に探っている姿がちらりと見えた。 私は、手の中の箱に目をやり、それから、小さく笑った。 おやおや。もしかしたら、この指輪の入ったケースの事かね? ちょっとした悪戯だよ。 だって、仕方ないじゃないか。ハロウィンの夜だというのに、お菓子をもっていない君が悪いんだ。
面忘れ
ある日の授業中、ずっと感じていた違和感の正体に気がついた。 クラスの誰かが足りないのだ。 だけど、どんなに考えてみても、足りないのが誰なのか、そいつがどんな奴だったのか、まるで思い出せない。 休み時間に、前の席の友人に話してみたら、彼もまったく同じだと言う。 二人して記憶の片隅に残る断片を必死に寄せ集めてみたが、結果は変わらなかった。 「なんにせよ、影の薄い奴だよな」 諦めた俺は、そう言って椅子にもたれて笑ったが、期待した友人からの返答がない。 見ると、彼はいつの間にか能面の様な表情で、黙って俺を見つめていた。 途端に、不気味な悪寒が背筋を這い上がるのを感じる。 思わず「なんだよ」と口走った俺に、友人は抑揚の欠けた声で、しかし確かに、はっきりとこう言ったのだ。 「お前、誰だっけ?」 気がつくと、クラス中の生徒が、友人と同じ表情で俺を見ていた。
深慮遠謀
ミリタリーマニアの友人宅に、幽霊が出たと言う。 血塗れだったので、格闘戦は素人だろうと思った友人は、ナイフで応戦。刺したら消えたと言う。 その後も幽霊は現れ続けたが、友人は相手が死なない事をいい事に、夜毎の実戦演習を楽しんでいるそうだ。 だが、少々常軌を逸していないだろうか? その内、現実の区別がつかなくなるのでは? それが幽霊の狙いかどうかは知らないが、私は危惧している。
巷説七五三縁起
天和元年。時の将軍徳川綱吉は、守役の林算学を呼び寄せ次の様に問うた。 「この度、我が子徳松の健勝を祈願する行事を新設しようと思うが、いつが良いか」 算学これに答えて曰く 「七、五、三なり」 これが世に伝わる七五三の行事の起こりである。 さて、後年「なぜ七五三だったのか」と人に問われた算学は、首を捻ってこう答えたと言う。 「それが、某もさっぱりなのだ。なんせあの時は和蘭から入ってきた『そすう』とやらを暗記するのに夢中であったからなぁ」
パンドラの二重底
ある日、冥王プルートはゼウスに尋ねた。 「なぜ、厄災の壺をパンドラに託したんだい? あいつら、自分のしでかした罪の大きさに今も苦しんでるぜ」 すると、ゼウスは頭をかいて答えた。 「サプライズのつもりだったんだがね。若い夫婦には、挫折と目標が必要だ」 「それにしては、代償が大きすぎるだろう」 プルートは重ねて問う。ゼウスは苦笑いを浮かべると 「実はな、あの壺の底には、時を戻す砂が入っているんだよ。彼らが自分の行動の結果から逃げずに、真正面から向き合えば気づく様にしておいたんだが……」 そう言って、葡萄酒の杯を悪戯っぽく揺らして見せた。 「まぁ、彼らがいつ気がつくか、気長に待とうじゃないか。何せ、時間なら退屈するほどあるんだからな」
独弔
真夏の都心に降り注ぐ陽射しは、容赦がない。 陽炎こそ立たないまでも、無慈悲に熱を溜め込んだアスファルトやコンクリートによって膨張した大気は、粘性の高い液体を満たしたグラスを通して見るかの様に視界を歪ませる。 しかし、これまで幾度となく人口に膾炙して来た通り、元来この社会が歪んだものであるのならば、そこに映るものは虚飾を剥ぎ取られた都市の本来の姿なのかもしれない。 私は八重洲から銀座に向かう大通りを歩いている。 この辺りは、オフィス街と呼ぶには古臭い雑居ビルが肩を寄せ合う一画で、地方の人間が抱く華やかな東京のイメージからはかけ離れた場所だ。 所々に、財政難で放置されているらしいフェンスに囲まれた更地が無惨な姿を晒している。その隙間を末端神経の繊維の如く伸びる路地には、およそビジネスパーソンなどと言い換えるには不似合いに草臥れた顔をした会社員たちが、悪戯な子供から身を隠す場所を求めて逃げ惑う虫達の様に急ぎ足で行き過ぎる以外、人影は少ない。 こうした風景は、ともすれば『古き良き』という聞こえの良い言葉に修飾にされるものなのかもしれないが、その実、この東京という街そのものが、いまだ多くの日本人の胸中に巣食う『昭和』という亡霊を隔離するための、いわば巨大な墓標なのではあるまいか。 ならば今の私は、この街に捧げられた供物と言うところだろうか。 そんな事をつらつらと考えていると、道向かいの歩道を此方向きに歩いて来る男の姿が目についた。 男は喪服姿で、胸に大事そうに箱を抱えている。箱は白布に包まれており、良くは見えないが、どうやら名前らしき文字が書き付けてあるようだ。 すると中身は骨壷か。この白昼に、あの男は何故そんなものを。 近くに葬儀場でもあるのだろうか。いや、それでも骨壷を持ち歩くとは、やはり尋常とは言い難い。異常である。位牌ではなく、布に名前を書いているのも妙だ。 誰も不審に思わないのだろうか。訝しみ、周囲を見回した私は言葉を失った。 気付けば、歩道に見える人々は皆、男と同じように喪服姿で胸に白い箱を抱えていた。 しかも、その全員が私の進行方向から、つまり此方に向かって歩いて来るのであり、私と同じ方向に行く人間は誰一人いない。 うだるような熱気の中、それは正気とは思えない光景だった。 私は、ぐらりと眩暈を覚えて、喪服の人々の間を縫って駆け出した。 最初に見えた店に飛び込む。雑多なガラクタが積まれた店内は外とは対照的に暗く、一見して何の店か分からない。至るところに影が潜み、その部分は黒く沈んでいる。それは、どこか子供の頃に見た日本家屋の座敷を連想させた。 古びたカウンターの中にいる主人は、私の姿を見ると、恵比寿面を彷彿とさせる笑みを貼り付けたまま、私にあの白布に包まれた箱を差し出した。 「ご苦労様でございます。さあ、どうぞお持ちください」 その箱に書かれた名を見て、私は全てを了解した。 ああ、そうか。今日は……。 最早逆らう事は出来ない。私は、ゆるゆると差し出されたその箱を手に取った。 外へ出ると、通りには焦げ付いたアスファルトの臭いが充満していた。 したたる汗すらも蒸発しそうなほどの熱さ。喧騒はすでに遥か彼方に遠ざかり、今までどこに隠れていたのかと疑うほどの蝉時雨が鼓膜に降り注ぐ。 それは、焦熱地獄の業火に焼かれるこの街の、断末魔の悲鳴であっただろう。 その中に、私は幽鬼の如く朦朧と踏み出した。
ぼくに似たひと
僕は地面に横たわり、間もなく訪れる死を待っている。 夜は蒼く、凪いだ海面の様に透き通り、底に沈む月がとても大きく見えた。 眺めていると、僕の上に堕ちてくる様な錯覚を覚える。 きっと、あの光に網膜を焼き尽くされた時、僕と言う存在は、その歩みを止めるのだろう。 すると突然、僕の腹からジッパーを開く音がして、中からもう一人の僕が現れた。 そいつは、地面に横たわる僕を一瞥し、そのまま無言で背中の翼を羽ばたかせる。 ああ、行ってしまう。 僕は慌てて 「待ってくれ! 君は僕なんだろう? 僕も一緒に連れて行って」 そう叫んだのだけれど、彼は振り返る事もなく飛び去ってしまい、取り残された僕は、月の光に砕けて砂になった。 もし、僕の話を疑うのなら、君の家の近くにある公園に来るといい。 その砂場にも、僕のカケラがあるから。 そして、君ならどうするのか、僕に教えてほしい。
薔薇は…
「昨日、薔薇を見たよ」 偵察任務の最中、戦友が呟いた。 「バカ言え。こんな戦場にか?」 俺が茶化して応じると、戦友は黙って前方を顎で示した。 遠くに砂漠の街が見える。テロリストが潜伏する街。間もなく空爆される予定の街。今まさに、その街の門から何か小さなものが走り出たところだった。 スコープを覗いて確認すると、それは一人のみすぼらしい少年だった。 少年は、いつ撃たれるかも知れない状況の中を、家族のための水桶を抱えて、懸命に走っていた。 気高く、真っ直ぐに、自分の誇りにかけて。 俺は、驚いて隣の戦友を見る。戦友は、目だけで答えを返して来た。 「確かに薔薇だ」俺は言った。 「ああ」 「薔薇は大地に、か」俺はM4カービンを手に取る。 「そう。それこそが相応しい」戦友も立ち上がる。 そして、俺たちは頷き合うと、後方から迫り来る無人の爆撃機に向けて、銃を構えた。
道連れ
一年前、ガードレールの錆になったあいつと同じ道をバイクで走る。 海岸沿いの国道。空は晴れ渡り、体に当たる海風も心地よい。 あいつが最後に見た景色を、心の中で噛み締めた。 しばらく行くと、トンネルに入った。暗く長いトンネルの先は、緩くカーブしている様で、出口は見えない。 トンネルの中程まで来た所で、急に後方から現れたバイクが煽って来た。左右に蛇行しながら、ピッタリと後ろに着いてくる。 ││なんだ、こいつ。 舌打ちしてミラーを確認した俺は、そのまま凍りついた。 そこに写っていたのは、ボロボロのバイクに跨った血塗れのあいつだった。 「俺も連れて行ってくれよ」 頭の中であいつの声がする。ミラー越しにあいつの濁った目がニヤリと歪むのが分かった。まるで悪夢を見ているようだ。 急速に遠ざかろうとする現実感を、俺は理性で必死で繋ぎ止める。ブレそうになるハンドルを立て直し、前方に集中する。 このまま事故りでもしたら、あいつの二の舞だ。 それにしてもなんで? なぜあいつはあんな姿で俺の前に現れたんだ? 「もっと生きたかった」 俺の疑念に応えるように、今度は、はっきりと耳元であいつの声がした。 それを聞いた瞬間、俺は一瞬にして吹き上がる感情を抑えきれず、思わず大声で叫んでいた。 「バカヤロー‼︎ テメー、いつからそんな後ろばっか見る様な奴になっちまったんだ」 亡霊と化したあいつの情けない姿に、どうしようもなく怒りが込み上げる。 「テメー、そんな奴じゃなかっただろ? お前、死んだんだよ。好き勝手やって、それでしくじって、死んだんだよ。それが、無念か? 俺もそっちに行けば満足か? チゲェだろ。現実から目を背けてんじゃねぇよ」 俺は夢中で叫んだ。無性に腹が立って、何より悔しかった。 「お前みてぇな奴が、俺に追いつけるかよ!」 思いっきりスロットルを吹かし、俺は出口の光を目指した。 気がつくと、後方のライトは消え、あいつの気配も消えていた。 俺はもう一度、心の中で叫んだ。 俺は生きる。お前の想いも乗せて、俺の人生を走り切ってやる。俺が走っている限り、お前も一緒だ。だから、しっかり着いてこいよ。俺が天国のゴールに辿り着くのは、ずっと先だぜ。 気がつくとトンネルの出口が迫っていた。 視界に飛び込む光で、外の景色が透き通って見える。 全てが白く、光に溶けて。 もう、何も聞こえない。