アバディーン・アンガス@創作アカ

13 件の小説

アバディーン・アンガス@創作アカ

ローファンタジーや一風変わった雰囲気の作品が大好物。 主にダークファンタジーとかサイバーパンクとか、好きな要素をごった煮した作品を鋭意執筆中です。 「好きじゃないけど面白い」と言われる作品を目指しています。 合間に書いた短編を気ままに投稿していく予定です。

紅い紅い星空が見下ろしていた

 ガルダから戦闘終了の報せを受け、アルナと彼女の護衛役はアムリタの下へと急ぐ。  ガルダは合流するまでの間、墜落したヘリの中からマイルズとリオラの遺体を探していた。  ガルダの姿を遠目に確認した隊員達は、勝利とは言い難い犠牲の多さと、彼女の沈痛な胸中を察する。隊員の内一人は見張りを務め、他の隊員はガルダと共に捜索に加わった。  発見されたマイルズとリオラは、辛うじて原型を保っていた。  凄惨な姿がアルナの視界に入らないよう配慮しながら、ガルダ達は二人の遺体を運び出し、そっと布を掛けて安らかな眠りを願う。 「ご苦労様、マイルズ。お前は最初からずっと私の味方でいてくれたな。どんな無茶なことにも付き合ってくれて……こんなんじゃ労い足りない。向こうに行ったら、部下と上司の垣根を越えて酌み交わそう。約束だ」  ガルダはマイルズに向けて弔いの言葉を送ったあと、かき集めたダルタンの灰をリオラの隣に積み重ねた。 「すまない、兄を救ってやれなくて。君にアムリタを飲ませてあげられなくて……せめて兄と共に笑顔でいることを願う。ダルタンは私の命の恩人だ。礼を言えなかった私の代わりに、ありがとうと、そう伝えておいてくれないか」 「ガルダ隊長。米国特殊部隊の掃討を生き残った熊が一頭、向こう岸からこちらの様子を窺っています。急いだ方がよろしいかと」 「巨人にやられた隊員達がまだ残っている。彼等も連れて来なければ」 「私も同じ気持ちです。ですが、そうするには余りにも時間が足りません。米軍に察知される可能性もあります」  見張り役の隊員から報告を受けたガルダは、遺体の傍に寄り添ったまま指示を出す。 「わかった……アムリタを回収してきてくれ」  隊員はヘリに搭載された巨人回収用アームを使って、アムリタを包む巨木の根を切り取り、滝壺からそれを持ち上げアスファルトの上に置いた。  ガルダはヘリに搭乗していた隊員を下がらせると、直ぐに破壊の合図を出そうとはせず、ゆっくりとアムリタの側へと近付いていく。  彼女は徐にナイフを取り出し、その刃先を力強く球体に突き刺した。彼女の所作は一見して荒々しいものだったが、アムリタが零れ出ないよう細心の注意を払っている。  隊員達は驚きながらも、疑問を口にすることはなく、異を唱えることもしない。アルナは不安げにガルダを見つめている。  ガルダはナイフの先端に付着したアムリタの雫を慎重に運び、遺体の傍へ戻って膝を付いた。  それから掛けた布をそっとめくり上げ、添えるように、手向けるように、リオラの口元に優しく垂らす。 「ダルタン。約束を守ってやれなくて、本当にすまなかった……今の私には、これくらいのことしか出来ない」  布を掛け直し、ガルダは力強く立ち上がると、滝の底目掛けてナイフを放り投げた。アムリタに触れた以上、使用には危険が伴うと判断したのだ。  心の荒波を鎮め、ガルダはアルナと視線を交わす。 「力を貸してくれ、アルナ」  アルナは頷くと、左目の眼帯を丁寧に外して、自らの原罪を顕現した。  眼帯の下から、底知れぬ闇と化した眼球と共に、羽を広げた蝶を想わせる漆黒の痣が露わになる。  アルナに超常的な身体能力や治癒能力は備わっていないが、彼女の左目にはアムリタを破壊するだけの力が宿っている。  アルナの左目は瞬きもせず、じっとアムリタを見つめ続けた。  頭上の雲が姿形を大きく変え始めた頃、アムリタは黒く変色し始め、やがて黒曜石の塊へと変わる。  原罪を顕現してからじわりじわりと増していたアルナの痛みは、子を産む苦しみに劣らない激痛となった。  左目を抑え付け、蹲ったアルナのことを、ガルダは優しく抱き締める。 「ありがとう、アルナ。よく耐えてくれた……」  ガルダはそっとアルナの頬に人差し指をあてがい、伝う涙を指先で受け止めた。  それから手早く眼帯を着けてあげて、アルナの膝裏に腕を通し抱き上げる。  離反軍一行は名残惜しそうにその場から立ち去る。武装ヘリは長距離移動の用途では使うことが出来ない。米軍にすぐさま位置を特定され、襲われてしまう可能性があるからだ。  眠りに付いた隊員とマイルズ、リオラとダルタン。亡くした者達の思いを胸にガルダは前を向く。  平和の実現をその先に見据えて、ガルダは赤い瞳に熱を宿した。  悠久。そう思える程の時間を少女は眠っていた。  大地が薄灰色に染まった頃、彼女は吹き荒れる風の音で目を覚ます。  長く続いた夢を辿って、朧げな記憶を遡り、彼女は最期に口にしたものを想う。  みずみずしくて、赤い皮をした甘い果実。大切な誰かと分け合ったものだった。 「あれ、わたしって……ここはどこ……」  少女は無意識の内に呟き、自分の声に驚く。そして辺りを見回してから、ふと空を見上げた。  頭上には、無数の星が閃いていた。  独り立ち尽くす少女のことを、紅い紅い星空が見下ろしていた。

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灰に落ちる一滴

 銃弾の暴風を前にしてもクローネは微動だにしない。何故ならば、目の前にリオラが居るから。  思惑通りダルタンの狙いは定まらず、彼が放った銃弾はクローネに掠りもしない。  合図を待たずに行われた銃撃は、開戦を告げる音色となって一帯に轟く。  ダルタンの錯乱は轟音に乗って、別行動を取っていたガルダの耳に届いた。 「どうしたダルタン! ダルタン!」  ガルダは耳元に装着した小型の通信端末を通して呼びかけた。  しかし、銃声に遮られて声が届かない。  ダルタンの突発的な発砲は、完全に作戦を度外視した行動だ。  ダルタンがクローネの注意を引いている間に、ガルダ達は残された二十四名の部隊を率いて兵器が積まれた武装ヘリを可能な限り奪取するつもりだった。  雷で撃墜されるリスクは、ダルタンの協力があれば回避出来る。彼は幾度かクローネと交戦したことがあり、槍を避雷針にすることで雷撃をいなしたことがあった。  クローネの妨害はダルタンが防ぎ、巨人に対しては予め用意した対策法で対処。あとはダルタンと共にクローネへの集中砲火を浴びせ、最終的にはアムリタを確保する作戦だ。  しかし、彼が放った銃声を聞きつけて、異形の掃討中だった巨人が一人、ヘリの近辺に戻ってきてしまう。  ガルダは咄嗟に部隊を下がらせて傍にある廃ビルに身を隠すが、彼女達の存在はヘカトンケイルアーマーのレーダーで瞬く間に検知された。  巨人は廃ビルごと粉砕する勢いでガルダ達に突進する。  一方、ダルタンは弾切れを起こしたアサルトライフルを放り捨て、自らの原罪を顕現させようとしていた。  銃身がアスファルトの上で波打つと同時に、ビルが倒壊する衝撃が足の裏を伝って、空気振動が鼓膜を揺らす。そして彼は我に返る。 「ああ……ガ……ガルダさん!」  ダルタンは、ガルダ達が居るであろう方向を向いて、己の失態とその末路を悟った。  ダルタンの一言で、クローネは離反軍の思惑と、彼等がダルタンを味方に付けたという事実を察し得る。 「そっか。これが君のやりたかったことなんだね」  クローネはリオラが居る冷蔵庫を払いのけるように放り飛ばし、眉間に力を加えて苦悶の表情を浮かべる。想い続けていた親友が、離反軍に懐柔されたことが屈辱的でならなかった。  クローネの合図を聞き付けて、一帯の掃討を終えた巨人達が続々とダルタンの周りに集う。  ダルタンは目の前の出来事が受け入れられず、理解が出来ず、頭を抱えた。そして崩れ落ち、両膝を付く。  もう見てきたもの、聞いてきたもの、感じたものが、信じられない。記憶が当てにならない。  自分が分からない。どうしてこんなことをしてしまったのか、どうしてこうなってしまったのか、分からない。  足の裏から地面を踏みしめる感覚が薄まって、宙に浮いた自分という存在が、紙を滅茶苦茶に丸めるように姿形を保てなくなる。  呼吸をしようとしても吐き出せず、吸い込めず、早まる動悸に合わせて伸縮する鳩尾が、骨を叩いて叩いて軋ませるような苦痛。それが延々と続く。 「もう嫌だ……殺してくれ……殺してくれ……僕を……僕を殺してくれ……」  ダルタンは蹲り、懇願した。願いをいとも容易く叶えられる者に、力ある者に縋った。 「大丈夫だよダルタン。安心して。私が癒してあげるから……一緒にいこうよ、ダルタン」  クローネの声がダルタンの耳を通って、艶めかしく意識の喉元を撫でる。そっと優しく、心地良く、我が言葉を受け取り給えと訴えながら。  ダルタンはゆらりと頭を回して考える。屈した方が、一層のこと楽なのではないかと。  一筋の涙がダルタンの頬を伝った瞬間、飛翔する武装ヘリの音が彼の耳を劈いた。  ガルダが囮になっている間に、マイルズと彼の部隊が辛うじて奪取したヘリだ。  機銃の銃口をクローネに向けて、マイルズは引き金を引く。 「聞こえるか、ダルタン……」  水の波紋が重なり合うように、ガルダの声がした。 「今の内に逃げてくれ、ダルタン」 「え……?」 「逃げて、生き延びてくれ。妹のことは私達に任せろ」 「そんな……でも、ガルダさんが……」 「すまない、私達のエゴに巻き込んでしまって……妹の話を聞いてから、私は、リオラのためにアムリタを残すつもりでいた。後のことは任せろ。君の下に、必ずアムリタを届ける」 「ガルダさん……」  そこで通信は途絶えた。  一人の巨人がクローネの前に躍り出て、銃弾から主の身を守る。  銃弾の雨を背中で受け止めた巨人は、吐血しながら絶命する。  クローネは項垂れた巨人の頭を優しく摩ってやり、その勇敢さを労うと、そっと片手を翳してヘリに狙いを定めた。  上空に立ち込めた暗雲から、閃光と轟音を伴って白い稲光が落ちる。  だが、ヘリには当たらない。  ダルタンが作り出した槍が避雷針となって、クローネの雷を受け止めた。  ダルタンはゆっくりと立ち上がる。目的のためではなく、自らが助かるためでもなく、仲間を――離反軍を守るために。  彼は手の平から短くも鋭い槍を召喚する。  不穏な動きに気付いた巨人は、彼を無力化すべく腕を振り被った。  ダルタンは淀みの無い動きで巨人の懐に入り込み、露わになった脇の関節部に槍を突き刺す。そして間髪入れずにスタンガンを押し当てて、槍に電流を走らせた。アサルトライフルと同様にガルダから支給された装備だ。  ショートしたヘカトンケイルアーマーは煙を上げ、単なる重りに成り果てる。巨人はもう身動きが取れない。  無力化した巨人の肩にダルタンは上り、自身を囲う巨人の人数分だけ体から槍を召喚すると、鋭い眼光で敵意を剥き出しにした。  巨人らは各々臨戦態勢を取るが、巨人の体そのものを踏み台にして頭上を動き回るダルタンを捉えられず、首元の関節に槍を突き刺され、次から次へと無力化されていく。  自身を囲っていた巨人を全て封じたあと、ダルタンはガルダの方に向かおうとするが、 「いい動きだ、ダルタン」  と耳元の通信端末から聞こえ、踏み止まった。  ガルダは自身の部隊を失うという犠牲を払いながらも、襲い掛かってきた巨人を無力化することに成功していた。  遠目に見えるガルダの立ち姿を見て、ダルタンは安堵する。  彼の心底嬉しそうな、安心感に満ちた表情に、クローネの胸は甚く締め付けられた。  轟々と噴き出す溶岩に似た嫉妬と、大海をも包み込む愛がない交ぜになって、負の塊とも言うべき醜い惑星がクローネの中に出来上がる。  そして彼は微笑んだ。神々しく、穏やかに、そして麗しく。 「私を見て、ダルタン」 「…………?」 「目に焼き付けて。もう、この姿には戻れないだろうから」 「何をする気だ……」 「きっと、とても怖いものだと思う。でも忘れないで、ダルタン。そこに居るのは、私だから」  クローネの背後が光り輝き、眩い閃光は光背を形作った。クローネという蝶の蛹が真っ二つに断裂し、主を守った巨人の亡骸は衝撃を受けて滝の下へと転がり落ちる。リオラは更に遠くまで吹き飛ばされる。  異変を感じたマイルズは躊躇いなく引き金を引いた。  しかし、機銃は大いなる手の指先にへし折られて動作しなかった。  クローネという殻を破って顕現したそれは、四本の腕を持ち、男の姿形をした人智を超越する存在。青白い雷と光を帯びた肉体は、この世の理から逸脱した神秘の光源を背負い、自らの存在を黒い逆光のベールで覆い隠す。  見る者全てに天へ到達すると思わせたクローネの上半身は、ダルタンに覆い被さるが如く前のめりになって巨大な瞳を見開いた。  ダルタンは驚愕のあまり、口を半開きにしたまま膠着している。 「軍曹と合流するんだ、ダルタン!」  そう呼び掛けたのはマイルズだ。  リオラへの巻き沿いを危惧して使われなかったミサイルが、ヘリにはまだ残っている。  マイルズはクローネに照準を合わせ、ミサイルを発射しようとする。  その刹那、大いなる手がいとも容易くヘリを払い除けた。まるで鬱陶しい羽虫でも叩き落とすかのように。 「マイルズー!」  ガルダは通信端末に向けて叫んだ。しかし返事はない。  彼女は残された武装ヘリに乗り込むべく移動していたのだが、マイルズの墜落を見て踏み止まる。  もう勝機はないと判断し、ガルダは撤退命令を伝えようとするが、声が出せない。  迫り来るクローネに気が付いた途端、彼女は口を動かせなくなっていた。  神々しくも悍ましい姿から齎される風圧、威圧、畏怖、そして溢れ出た憎悪と憤怒……それら全てを前に、ガルダの思考は停止する。  私は一体、何と対峙しているのかと……そう考えることで精一杯だった。 「ガルダさん!」  動き出したクローネが何処に向かっているのか、ダルタンは直ぐに気が付く。  同時に火柱の軌跡が彼の視界を横断した。マイルズのヘリだ。  墜落する様子を、ダルタンは自ずと目で追ってしまう。  火柱が向かう先には、吹き飛ばされた冷蔵庫があった。  ガルダを助けに行くべきか、リオラを助けに行くべきか。ダルタンは迷宮を彷徨った末に――リオラを見た。元気にリンゴを食べたあと、お伽話のように美しい姿のまま眠りに付いたリオラではなく、細く窶れて、衰弱の末に息を引き取り、受け入れ難い姿となったリオラを、彼は見た。  流れ出る涙を拭い、ダルタンはリオラの言葉を再び思い出す。  生きている限り幸せに向かって歩く……そう、リオラに背中を押された気がした。  今のダルタンにとっての幸せは、友を守ることだ。 「ごめんね、リオラ……僕はもう、大丈夫だよ」  ダルタンは走り出す。足の裏から槍を伸ばし、推進力を得て跳躍したダルタンは、ガルダが襲われるよりも早くクローネの前に立ち塞がった。 「ダルタン……!」  名前を呼ぶガルダに向かって、ダルタンは振り向く。 「今までありがとうございます、ガルダさん」 「待て、ダルタン。一体何を……!」  そこを退けろと言わんばかりに、クローネは口を開いてガルダを食い殺そうとする。  対峙するダルタンは胸を突き出し、己の原罪を顕現した。 「最期に貴女と出会えて、本当に良かった」  そう言って、ダルタンは笑った。  瞬間、空を覆っていた暗雲が槍に穿たれ、白銀の月がアムリタを覗く。  寛大にも、紅い紅い星空は彼の原罪を包み込んだ。魂の根源である心臓を贄とした、天を貫く強大な槍を。  聳え立った槍に顎を貫かれ、クローネは星空の彼方に消えていく。  クローネの雷を吸い取った槍は迸る青白い雷光を纏い、ダルタンを眩く光輝かせた。  全身に雷を浴びたダルタンは、人の形を成した灰塵と化す。  慎ましげな風が吹いて、ダルタンという存在の名残がガルダの前から散っていく。  ガルダは呆然と立ち尽くし、月明りに照らされる遺灰の波を見つめた。  数刻前の混沌が嘘のように、アムリタの周りは静まり返っている。彼女を包み込むものは頬を撫でる微風と響き渡る滝の音色だけ。  ガルダは膝を付くと、飛び去って行く灰を無我夢中でかき集める。  積み上げた灰の山に一滴の涙が零れ落ちた瞬間、ガルダはようやく理解した。尊い犠牲と戦いの終結を。 「私はまた、生かされたんだな………」  ダルタンの気高さと最期を想い、ガルダは歯を食いしばった。  彼女の勝利を唯一祝福するかのように、アムリタは月の光を浴びて光り輝いていた。

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犯した罪の意味が揺らぐ

 米国特殊部隊の動向を窺いつつ、作戦は翌日決行することに決まった。  ダルタンは狭く静かな寝室へと案内される。  彼はベッドだけが置かれた薄灰色の室内を見回し、ゆっくりと息を吐き出した。  明かりを付けたままベッドの上に寝ころび、ダルタンは目を瞑る。縋るように、逃避するように、瞼の裏でリオラとの思い出を辿った。  目元に腕を押し当て、透き通る血潮の色を紅い星空に見立てる。そしてリオラが夢を語った時のことを思い出した。平和な田舎町で、一緒に小さな雑貨屋を営もうと、リオラは本気で提案していた。いつしかこれが兄妹の夢になっていた。  しかし、そうするには余りにも、自分の手は血で汚れ過ぎたと、ダルタンは悲痛な現実と向き合う。  自らの腹部に罪を刻み始めたのは、この罪悪感を和らげるためだった。  大きな戦いを前にしてこんな思いを抱くのはどうしてなのかと、ダルタンは不思議に思う。  寝付けぬ余り体を起こすと、小さなノックが聞こえてきた。 「私だ」 「ガルダさん?」 「入っていいか」 「大丈夫です」  ガルダはそっと扉を開けて、浮かない表情のダルタンと目を合わせる。 「様子を見に来たんだが、眠れないみたいだな」 「はい……」 「明日に備えて早く寝ろ……と言いたいところだが、無理のある話だろう」  ダルタンの横に、ガルダは優しく腰を下ろす。 「大丈夫、リオラは無事だ。たとえ不測の事態が起きても私達がフォローする。明日にはきっと再会できるさ」 「ありがとうございます」  ガルダの気遣いに励まされ、ダルタンの表情は自ずと綻ぶ。 「あの、ガルダさんはどうして、離反軍のリーダーになったんですか?」  ダルタンはふと、どことなく抱いていた疑問を投じた。 「…………そうだな。どこから話そうか」  ガルダは腕を組んで目を瞑る。暫しの沈黙を経た後、彼女はゆっくりと瞼を上げた。 「ダルタン。君の歳は幾つだ」  一見して話題とは関係のない質問に驚きながらも、ダルタンは答える。 「えっと、少し自信がないけど、確か十七です」 「そうか……」  深く息を吸って、ガルダは重くなった口を精一杯動かした。 「私は……米国特殊部隊に居た」 「え……」  驚愕の余り呆気に取られ、ダルタンは口を開けたまま膠着する。 「有り体に言うと、任務に嫌気が差したんだ。丁度君のような子供を相手に、銃を向けろと指示されてね。だから抜けた」 「……そう、だったんですか」 「踏み止まったのは、何もかも手遅れだと気付いた後で……私達は、罪もない民間人を、子供たちを、殺したんだ。比喩とかじゃない。本当に殺したんだ。ただ、私は引き金を引かなかっただけで……もっと別の方法で、ありとあらゆる方法で殺していた」  かける言葉が見つからず、ダルタンはガルダの赤熱した瞳をじっと見つめた。 「唯一救いだったのは、同じ気持ちを抱いた者が、私だけではなかったこと。離反軍に属する者は皆、償い切れない罪を抱えて戦場に赴いている。だから、ダルタン……君たちを発見した時から、私は気が気でならなかった。私もマイルズも、他の隊員も、君に救われて欲しいと強く願っている。明日の戦いは、その為の戦いだ」  ガルダは瞬くことなく、ダルタンに視線を返す。 「許してくれとは言わない。ただ、少しの間だけ私達を信じてくれないか」  ダルタンは大きく頷いた。彼の揺るぎない眼差しを受けて、ガルダはありがとう、と微笑んだ。  二人の間にそれ以上の言葉は必要なく、ガルダは寝室を後にし、ダルタンは眠りに付いた。  日が昇り、妖しげに瞬く紅い星空は、薄く淡い青紫色の晴天へと移り変わる。  空を覆い尽くす影は全て、飛来する米国特殊部隊の武装ヘリ。行き先は工業地域の最北部。  やがて武装ヘリの群れはとある境界線を越えないよう前進を止め地に降り立った。  これ以上の接近は不可能だと判断したのだ。  アスファルトに走る一筋の亀裂を境にして、世界が変貌している。  地面に空いた隙間は深く大きくなっていって、地平線に届くと錯覚する程に広大な渓谷と化していた。断崖からは水が噴き出し滝を形成している。  扇状に広がった地形は、今はなきナイアガラの滝に近しい。  滝口の傍には一本の巨木が生えており、それは上空の雲を貫いて一帯を見下ろしている。  滝壺には岸壁を裂き滝を割って生え出た巨木の根が禍々しく絡まり合っていて、意思を持ってそうしているかのように先端を丸め込んでいた。  球体を作り上げる根の境目からは、金色の液体が垣間見える。  アムリタだ。アムリタは滝壺にある。  この世ならざるものは景色だけでなく、取り巻く生物もまたかつての地球から逸脱している。  蛇のように長い首を持ち、十メートルを超える翼を広げた鳥類が、滝に沈んでは跳ね上がり、大空へと昇っていく。陸地にはそれを獲物とする熊が瓦礫をかき集めて大きな洞穴を作り上げ、水場の周辺を縄張りとしていた。熊の成体は高層ビルの三階に達するほどの体長を誇る。  工業地域に住んでいた人間はこれら異形により喰い尽くされて今に至る。故に、異形は新たな餌場と水源を求め、滝の周辺に独自の生態系を築いた。まるでアムリタを守護するかのように。  離反軍の装備では到底これらの障害を突破できないが、米国特殊部隊ならば可能だ。  異形の掃討は米国特殊部隊に任せ、彼等が消耗した隙を狙いアムリタを掠めとる。これが数日前まで離反軍が計画していた作戦だった。  だが、今は違う。  異形の掃討を始めた米国特殊部隊の前に、一人の青年が現れる。短い漆黒の頭髪は、数多の血を吸い赤みがかっていた。  ダルタンだ。  彼が突き付ける視線の切っ先では、ブロンドヘアーが風を受けて波を打っている。  クローネだ。 「ほら見て、ダルタン。あそこにあるのが、アムリタだよ……私たちが幸せになるために必要なものだ」  クローネはダルタンに背を向けたまま滝壺の中を見据え、左手を翳した。  クローネの指先から雷光が奔り、空を突いて滝へと落ちる。  雷は渓谷を穿ち、空飛ぶ異形を叩き落とし、アムリタへの空路を切り開く。  異形の断末魔に聞き惚れながら、クローネは得意げに振り向く。  ダルタンは掃討の様子に気を取られながらも、一寸も違わぬ姿勢で臨戦態勢を維持した。 「リオラを返せ、クローネ」  ダルタンは慣れない手つきでアサルトライフルを構える。  彼が身に纏った装備を見て、クローネはほくそ笑んだ。それらはよく見知ったもので、目障りな離反軍のものだと一目で分かったからだ。 「殺して奪って、またお腹に傷を増やしたのかい? ダルタン」 「リオラのためなら僕はなんだってする。誰にも邪魔はさせない」  リオラのため、という言葉を境に、クローネは涙袋に雫を溜めこんだ。 「目を覚まして、ダルタン。あの子はもう、この世に居ないんだ。アムリタは不死の霊酒。死人を生き返らせるという伝承は聞いたことがない」 「僕が耳を傾けると思うか」 「それでも私は言い続けるよ。だって君が、唯一の友達だから! ダルタンには幸せになって欲しいんだ。私と一緒に。ただそれだけなのに……どうしてダルタンは、死んだ妹なんかの為に自分を傷つけるの?」 「もう何を言っても無駄だよ……」  ダルタンは来るべき合図を待って、内から込み上げる怒りを抑え込む。 「ねえ……冷蔵庫を最期に開いたのはいつ?」  クローネは眉を落とし、目を据わらせて、血潮の熱を感じさせないほど冷たい声音で問いかけた。 「冷蔵庫を最期に……?」  ダルタンの脳裏に、頬がこけたリオラの笑顔が浮かぶ。新鮮なリンゴを手に入れて、二人で分け合った時の記憶だ。 「それはどれくらい前の出来事?」  クローネの声は聞こえていない。ただ、ダルタンは無意識の内に答えとなり得る独り言を発する。 「この工業地域に来る前……二週間くらい……?」 「その間ずっと、リオラは飲まず食わずだった?」 「い、いいや、そんな、そんなはず」  微かに、ほんの微かに、ダルタンは記憶の深淵から浮かび上がるものを感じた。  鼻を刺す臭い、湧き上がる吐き気、この目で見たものが信じ難く、幾度も自らの眼球を押し潰しては自己治癒を繰り返し、腹部に切り傷を加えた時の痛み。 「よく思い出してダルタン。君はずっと幻に囚われているんだよ」  次第に、鮮明に、クローネの大きくなる声に応じて、色鮮やかに光景が蘇った。開けてはならなかった記憶の蓋が開いていく。  それでもダルタンは否定する。 「違う! 違う違う違う!」 「君は縋っている。妹はこの冷蔵庫の中で生きているって、ずっと思い込んでいるんだ」 「出鱈目を言うな!」 「じゃあ見せてあげようか! 君の妹が、今どんな姿で眠っているのか!」  クローネが背後に隠していたリオラを――彼女が納められている冷蔵庫を持ち上げ、ダルタンの目の前に叩き付けた。そしてドアに手を掛ける。  僅かに開かれた隙間から、夥しい羽虫と腐臭が飛び出した。 「やめろおおおおおお!」  ダルタンは我を忘れて引き金を引く。  開戦を告げる角笛に代わって、ダルタンの雄叫びと銃声が響き渡った。

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最期を願う祈りと知略

 梯子を下りていく途中、ダルタンは人々の息遣いや寝息を聞き取る。  ここはかつて大勢の労働者が宿舎として使っていた空間だ。広く大きく複雑で、息を潜めるのに適している。  鋼鉄の廊下に足を付いて間もなく、隻眼の少女が三人を出迎えた。彼女は紫色のボブヘアーを掻き分けて、噤んだ口の代わりに視線を泳がせる。ダルタンに向けて、そいつは誰だと言いたげだった。  意図を汲み取ったガルダは、少女の頭を撫でながら簡単な説明をする。 「アルナ、お迎えご苦労。米国特殊部隊に襲われていたところを保護したんだ……君と一緒だ」  アルナと呼ばれた少女は、眉根を潜めて感情の機微を表す。  ダルタンは二人のやり取りを聞いて、酷くいたたまれない気持ちになった。アルナとダルタンは互いの哀しい瞳を見やって、そっと目線を逸らし合う。 「マイルズ。他の同志は到着したか?」  ガルダの問いに、マイルズは表情を曇らせた。 「軍曹の部隊と、私が率いていた部隊で全てです。他の合流地点とは連絡が付かず、通信も途絶えています」 「……そうか。アルナは負傷者の治療を手伝ってくれ。私とマイルズは、彼と話をする」  大きく頷いたアルナは廊下の奥へと消えていく。彼女の後を追うように、ダルタンは簡素な椅子とテーブルだけが置かれた部屋へと案内された。  三人が席に付いて間もなく、マイルズは口早に切り出す。 「軍曹、撤退しましょう。損害が大きすぎます。残された戦力は僅かです。到底目標を確保できない。民間人を保護したというなら、尚更そうすべきです」  マイルズの発言に反応を示したのは、ガルダではなくダルタンだった。  彼は不安に駆られて視線を落とす。  ダルタンは藁にも縋る思いで此処に来た。一人でなければリオラを救出することが出来るかもしれないと、一縷の望みを胸に抱いて。  しかし、たった今それすらも否定されたような気がして、彼の心中にあった希望は短くなった蝋燭の灯火に等しい。  マイルズの提案に対し、ガルダは直ぐに返答を口にしようとはせず、ゆっくりと瞬きをしてからダルタンを一瞥した。 「まだ君の名前を聞いていなかったな」 「あ、ええっと……僕はダルタンと言います」 「……ダルタン。リオラは、君の家族か」 「はい。僕の妹です……」 「マイルズ。ダルタンの妹が、米国特殊部隊に拉致されている。救出してやりたい」  状況が呑み込めず、マイルズは目を細めた。  同時にダルタンも驚いて顔を上げる。ガルダは安心しろと言う代わりにダルタンと目を合わせた。 「一体それは……軍曹、詳細を」 「ダルタンはクローネと交戦し、妹を人質に取られた。私が助け出せたのはダルタンだけだった」 「今、交戦したと仰いましたか?」 「そうだ。ダルタンはただの民間人ではない。恐らく、クローネと同じ……原罪をその身に宿している。力を手にした経緯は分からないが」  マイルズは驚嘆し、目を見開く。そして天を仰ぎ右手で傷口を抑えた。  様々な意見や質問を飲み込んだ末に、彼の口からは酷くか細い声が発せられる。 「これまたとんでもないことを……軍曹が無事で何よりです」 「クローネは自らの能力で一時的に五感を失っていた。大したことはしていない」 「軍曹のお気持ちは分かりますが、アムリタを破壊するにしろ、救出するにしろ、絶望的な状況に変わりはありません。まさか、彼も戦力に加えると……?」 「アムリタを破壊……?」  ダルタンはマイルズの発言を聞き逃さなかった。  動揺する様子を見兼ねて、ガルダが落ち着いた声音で説明を始める。 「その通りだ。大きすぎる可能性が人々を狂わし、大地を侵して生態系を作り替えた。我々離反軍の目的は、アムリタを誰の手にも渡さず、この地球上から消滅させ、平和を取り戻すことだ」 「一体どうやって……いや、今は方法なんてどうだっていい。アムリタを破壊しちゃだめだ!」  大声を出して異を唱えるダルタンのことを、ガルダは決して咎めようとはしない。彼女は優しく続きを促す。 「……どうして?」 「それじゃあ、リオラが助からない!」  ガルダとマイルズは事情を察し、立ち上がったダルタンの言葉に耳を傾ける。 「リオラは酷い病気なんです。もう声も出せないくらい弱ってる。リオラを助けるには、アムリタを飲ませてあげるしかないんだ」  ダルタンは己の無力さと、そして積み重なった現状の非情さを噛み締めて涙を流した。そして崩れ落ちるように座り直す。  マイルズは軽く眉間を摘まんで同情心を打ち消し、心を鬼にして口を開いた。 「ダルタン。たとえアムリタを使ったとしても、リオラが助かる保証は何処にもない。それどころか、もっと酷いことに」 「よせ」  ガルダが割って制止する。袖で涙を拭うダルタンの肩に、彼女はそっと手を置いた。 「妹を助ける為に、一人で戦い続けてきたんだな」  小さく頷くダルタンに、ガルダは優しく微笑みかける。そしてマイルズに視線を返した。 「愛する人の為に……方法は相容れずとも、我々は同じ志を持って戦場に赴いている。違うかマイルズ」 「いえ……」 「アムリタをどうするかは、リオラを救出し、目標を確保してから考えればいい。今は対策を練ることに集中しよう」  ダルタンの涙は止まなかった。  旅を続けていく中で、彼が真っ先に学んだことは不信だ。  時には騙され、裏切られ、信じられるものは妹と自分自身のみ。そうして独り戦い続けてきたダルタンにとって、ガルダの心遣いは乾いた荒野に降りしきる恵みの雨に等しく、流しても流しても雫が頬を伝っていく。  彼は感謝の言葉を口にしようとするが、涙ぐむせいでうまく声が出せない。 「ダルタン。一つ気になったことがある。君がアムリタを求めているということを、クローネは知っているのか?」  ガルダの質問を不思議に思いながらも、ダルタンは時間をかけて返答を口にする。 「はい。知っていると思います。あいつとは何度も戦ってきたから……」 「なるほど。クローネからすれば、我々とダルタンは敵対していても何らおかしくはないな」  ガルダの研ぎ澄まされた表情を見て、マイルズは確信する。彼女が勝利の可能性を見出したことに。 「軍曹。覚悟は決まっています。作戦を」 「ありがとう、マイルズ」  マイルズの意志を受け止め、ガルダは内なる葛藤と戦いながらダルタンと向き合った。 「君の力を貸してくれないか、ダルタン」  ガルダから向けられた信頼の眼差しを受け止め、ダルタンは力強く頷く。 「たとえどんな事情であろうと、子供を戦場に立たせるのは私の信条に反する。ダルタン……この作戦が、君にとって最期の戦いになることを祈る」 「軍曹。どうするおつもりですか」 「……奴らを欺いて見せる」

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熱を帯びる赤い瞳

 巨人たちの追跡は瓦礫の隙間を走る鼠一匹見逃さない。だがガルダの逃走術と潜伏技術は更に上手を行っていた。米国特殊部隊が使用する装備の特徴を把握しているからだ。  二人は巨人たちの死角を通り、レーダーを攪乱する囮を設置しながら移動する。  ガルダの作戦は功を奏した。巨人たちは標的を完全に見失い、苛立ちのあまり地団駄を踏んだ。 「もうすぐ合流地点だが……気を抜くなよ」  ガルダの忠告を聞いていたにも関わらず、ダルタンは先行する彼女の背中に潜めた声で話しかける。 「助けてくれたことには感謝します。でも、僕は貴女に従うわけじゃない。リアラを助けるために行動を共にするだけです。もし、リアラを見捨てるようなことになれば、僕は相応の行動を取ります。リアラの命を最優先に……」  続く言葉は嗚咽で途切れた。ダルタンの異変に気づいて、ガルダは振り向く。 「ごめん、リアラ……僕が弱いばかりに、あんな、あんなことに……」  ダルタンのか細い声が次第に大きくなっていって、やがては大粒の涙が頬を伝い、話し声は泣き声に変わった。  瞬間、ガルダはダルタンの口を左手で塞ぎ、右手を彼の後頭部に回す。  ダルタンの額に自らの額をぶつけると、彼女は熱された刃のように赤い瞳を突き付けた。 「喚くな小僧。リアラってのが誰なのか生きてるのか死んでるのか私には分からないが、死に損ないにしか出来ないことがまだ残っているだろう。分かるか」  余りにも突然の接近と威圧感に、ダルタンは気圧されて抵抗できない。彼は拘束されたまま弱々しく首を横に振った。 「悪足掻きだ。死人には口もなければ手も足もない。だが幸運なことに我々は五体満足で生きている。その足で歩き、その手で奴を殴り飛ばすことが出来るのは我々生き残った者達だけだ。そうだろう」  ダルタンは、はっとして頷く。生きている限り幸せに向かって歩く。それがリオラの口癖だった。 「なら、涙は祝杯の時に取っておけ。今は一刻も早くここから立ち去り、仲間たちと合流しなくてはならない。私の言う通りに出来るか」  再度ダルタンは大きく頷く。  決意の籠った彼の眼差しを受けて、ガルダは手を離した。それから涙を優しく、丁寧に拭ってやる。 「よし、素直でいい子だ。ここまでよく頑張ったな……さあ、行くぞ」  二人は火力発電所の残骸を通り抜けて、先刻の戦いとはかけ離れた静けさの中、月明りから逃れて歩く。滅びた鋼鉄の樹海に響くは、咎人を求めて彷徨う巨人の足踏み。  道中、体中に残った痛みに耐えかねて、ダルタンは躓いた。  ガルダはそっと歩み寄って、物言わず背中を近づける。暫し意図を読み取れなかったダルタンだったが、彼女の手招きを見て、ダルタンはそっと背中に抱き着いた。  ダルタンを背負いながらも、ガルダは速度を緩めることなく、足音を立てることもなく、合流地点の倉庫へと辿り着く。  一寸の光も届かない暗黒空間に足を踏み入れ、ハンディライトで床を照らすと、地下室へと続く入り口が露わになった。 「下ろすぞ」 「はい……」  ガルダはダルタンを側に座らせ、そして屈み込み、手の甲を一定の間隔で扉に当てる。仲間が到着したことを報せる合図だ。  ゆっくりと、鈍い音を立てて入り口は開いた。中から顔を出したのは、額から右目にかけて裂傷の谷が形成されている男。 「おかえり、軍曹」  男は低く嗄れた声で出迎えた。そして怪訝そうな眼差しでダルタンを見やる。 「そちらは?」  男がそう言い切る前に、ガルダは返答を口にし始めた。 「協力者だ。経緯は追って話す。中に入れてくれ、マイルズ」  マイルズは右手で傷を抑えると、喉から出かかった意見を飲み込みながら頷く。 「了解……これは良い知らせなんですね」 「多分な」  これからの気苦労を案じてマイルズは表情を曇らせるが、一方で大きな期待を胸中で膨らませた。長い付き合いだからこそ彼は知っている。ガルダが厄介ごとを持ち込んで来た時、それは吉兆であると。

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邂逅する若き咎人

 ダルタンは地を穿ち震えさせる轟音で目を覚ました。  再び夜空を見上げたその時、謎の飛行物体が彼の視界を横断していく。  ダルタンは一つ、二つ、三つと目で追いかけて、それが瞬く星々の下で群れを成していることに気が付き、数えるのを止めた。終わりが見えなかった。  やがて月明りが飛行物体の正体を露わにする。  注意深く観察していたダルタンの虹彩に、威圧的な狼のシンボルが映り込む。そして彼は、それらが米国特殊部隊の武装ヘリだと気が付く。  ダルタンの生まれ故郷、ルクセンブルクが米軍に滅ぼされた時も、彼は全く同じ光景を目の当たりにしていた。 「僕のことを追いかけて来たのか……?」  急いでリオラを担ごうとしたその瞬間、ダルタンの視界が不自然に明滅する。隅に追いやった男の死体から微かに光が漏れ出ていた。  ダルタンは男の上着を力任せに引き剥がす。すると、コートの内側から米軍に属することを示唆するドッグタグと、光の出所である通信機器が露わになった。 「浮浪者のふりをして近づいて来たんだ……早く逃げないと」  ダルタンは冷蔵庫を背負って辺りの様子を確認する。  錆びついた壁の隙間から目にしたものは轟音の正体、ヘリから降下してきた巨人部隊の行進だった。  巨人部隊が身に着けているヘカトンケイルアーマーは五メートルを超える対異形用のパワードスーツ兵器であり、超能力者のダルタンですら苦戦を強いられた相手。囲まれれば死を覚悟しなければならない。  ダルタンは敵の視界に入らないよう、そして冷蔵庫で眠るリオラをなるべく揺らさないよう、一階に降りてから逃走を図る。  タイミングを見計らって裏口から飛びだしたダルタンであったが、一筋の白い雷撃が彼を迎え入れるように行く手を阻んだ。  舞い散る砂煙と白煙を物ともせず、落雷地点の中心から一人の人物がダルタンの前に歩み出る。 「アムリタが注がれたあの日から、六年と半年、君と私が出会ってから、再会の今日まで七か月……逢いたかったよ、ダルタン」  その人物は神々しいブロンドヘアーをなびかせて、慈しみに満ちた微笑みをたたえながら悠々と愛を語った。  ダルタンはじりじりと後退り、強い憎しみを込めて名を口にする。 「クローネ……」 「覚えていてくれてありがとう! 皆、聞いたか? 拍手を! 盛大な拍手を!」  クローネの呼びかけに応じて、巨人部隊が二人の下へ一斉に駆け付けた。  城壁のように二人を取り囲んだ巨人たちは、大仰な身振り手振りで拍手喝采の嵐を起こす。 「故郷を灰にしたお前のことを、絶対に忘れるものか……!」 「でもね、ルクセンブルクでの任務がなかったら……私たちは出会ってすらいなかったんだよ」 「出会わなくて良かったんだ! リオラが居れば、それでよかったのに!」  リオラの名を耳にした途端、クローネの表情が曇る。  クローネが徐に右手を翳すと、ダルタンの背後に立つ巨人が彼に襲い掛かった。  アーマーの関節が動く音を聞いて、ダルタンは攻撃の予兆に気が付く。  前方に跳躍することで振り下ろされた拳を回避したダルタンであったが、直後に別の巨人から痛烈なショルダータックルを食らった。  ダルタンは吹き飛ばされ、地面の上を滑る。彼の手から離れた冷蔵庫が巨人たちの手に渡った。  好機を窺がっていたクローネは人差し指を伸ばし、リズミカルに両手を振るい始める。優雅に色っぽく、まるでオーケストラの演奏を導く指揮者のように。  巨人たちはクローネが描くリズムに乗って、冷蔵庫を投げ渡し始めた。 「やめろ! やめてくれ! リオラに手を出すな!」 「やめないよ。だって、君はちっとも理解してくれないんだもの」 「リオラは弱っていて、声も出せないんだ! そんなに揺らしたりしたら……」  クローネはダルタンの叫び声を受けて、愉悦の余り頬を緩める。  指揮は徐々に速まっていき、合わせて巨人たちの動きも速度を増していく。  興が乗った巨人たちは無邪気に笑い声を上げ始めた。 「ゲームはもうすでに終わっているんだよ、ダルタン。私がまだ宣言をしていないだけなのに、君は事実に気が付いていない。逃げ場は封じて、キングの首には刃を添えた。残された選択肢は一つだけだよ、ダルタン。ほうら、盤面をよく見て……」  クローネの言葉に込められた真意を、ダルタンは理解する。  頭を垂れて命乞いをし、従えと、アムリタを諦めろと、クローネはそう言っている。  ダルタンは歯を食いしばって冷静に知略を巡らした。表向きだけでも要求に応じれば、リオラは解放されるのではないかと。  だが、冷静でいられたのはほんの一瞬。  心底楽しそうに指揮者を気取るクローネの姿が許せない。笑い続ける巨人たちが許せない。リオラを傷つけて楽しそうにしている姿が、憎くて憎くて堪らない。  ダルタンの理性は憤怒で灰と化す。  彼の体は熱を帯び、膨張を始めた。  決死の覚悟を決めて、ダルタンは人ならざる声を発する。 「アムリタは渡さない。あれはリオラのものだ……!」  ダルタンの頭髪がひとりでに揺らめき、熱された血涙が彼の青白い頬を伝う。地面に零れ落ちた一滴の赤黒い魂から、ダルタンの原罪が小さな茨の槍となって出現した。  かつてダルタンは、アムリタの影響を色濃く受けた葡萄――青の知恵の実を食らっている。彼の血肉に宿ったそれは、ダルタンに強大な力と戒めの苦痛を与える。  全ての愚行は、最愛のリオラを救うがために。 「うおおおおお!」  ダルタンは天を仰ぎ雄叫びを上げ、五本の茨の槍を脇腹から召喚した。  内一本、一際長く鋭い槍が油断していた巨人の頭部を貫いた。だが戦力は失われない。ヘカトンケイルアーマーが自動操縦に切り替わるだけだ。  四本は躱されるかアーマーに呆気なく防がれ、絶望的な状況は一変もしない。だがダルタンの戦意は衰えない。  体から槍を引き抜き、振り回し、クローネに向かって投げつける。しかし、手刀で軌道を逸らされる。ダルタンはまた投げつける。今度は上半身を反らして躱される。投げつける。狙いが逸れて当たらない。投げつける。飛距離が足りない。  最後の一本を握り締め、ダルタンは力なく振りかぶった。穴だらけになった体は彼の意志と治癒能力で塞がっていくが、痛みが癒えることはなく、消耗は激しい。  自戒を込めた腹部の傷だけは、どうしても治らない。彼の潜在意識が決して治そうとしない。  見かねたクローネが憐れみ深く眉根を寄せてダルタンを諭す。 「もうやめて。これ以上、君が傷付く姿を見たくないよ……」 「黙れ!」  力を振り絞って投擲された最後の槍を、クローネは軽々と片手でつかみ取った。  茨の棘が手を貫通しても意に介さず、クローネは手首を伝う流血をゆっくりと舐めとって見せる。 「どんなことがあっても、もう手放さないから」  クローネは妖艶な笑みを浮かべてそう囁くと、赤黒く染まった舌を伸ばし、自らの原罪を顕現した。  その場に居合わせた者たちが一様に息を呑んだ瞬間、クローネの背後から閃光が迸り、わずかに遅れて雷鳴が響き渡る。  神々しい逆光は偶像の光背を模して、クローネの姿を黒いベールで覆い隠した。  何処からともなく猛獣の唸り声のような音が轟き、クローネのシルエットが縦に裂け、その境目から人ならざる巨大な手が出現する。  巨人たちは顔を覆いひれ伏す。ダルタンは瞬きすらせず、異形と化した宿敵の姿を睨み付けた。  ゆっくりと、クローネの大いなる手がダルタンに覆い被さろうとする。  しかし、巨大な指先は空を切った。指と指の間から、薄灰色の煙幕だけが溢れ出る。 「あれ……」  クローネは大いなる手を収納し、人間の姿を得て視覚を取り戻した。  そしてようやく、地面を転がるスモークグレネードの存在に気が付く。 「無粋な鼠共め」  そう吐き捨てたクローネの面持ちは、この世のものとは思えないほど歪んだものだった。  ダルタンは息を潜めて瓦礫の山にもたれかかる。彼の隣には、軍服を着た赤毛の女が居た。  彼女の首には使い古された双眼鏡が下げられている。 「あの……どうして、貴女は……」 「詳しい説明は後だ。今はここから離れるぞ」  煙に紛れてダルタンを担ぎ上げ、彼の窮地を救ったのは彼女だ。一目で只者ではないと分かるほど冷静な様相に、身に纏った夥しい装備品の数々はダルタンを委縮させる。 「まずは名乗っておこう。私はガルダ。離反軍を率いている」 「離反軍……!」 「要求はシンプルだ。命が惜しいなら私と来い。信用できないなら好きにしろ。さあ、どうする?」  唐突な選択と不可解な状況に混乱しながらも、ダルタンは即決した。  彼は眉を潜めて厳かに頷く。全てはリオラを救うがために。

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紅い紅い星空を見上げる

 神々が作りし霊酒、怒る神の涙、天の盃から零された弔い酒、地球に落とされた神々しく巨大な一滴を、人々は畏敬の念に駆られてそう言い表した。  やがて呼び名が定まる。  あれは、アムリタだと。  時を同じくして、人々の間に噂が広まった。世界中に飛び散ったアムリタの雫を飲めば、不死の存在になれる。或いは奇蹟をその身に宿すことが出来ると。  アムリタを求めて旅を続ける青年ダルタンは、そのどちらも望んではいなかった。 「ぐおおお!」  廃工場の屋根裏で呻き声が上がった。  一人の男が、ダルタンの手刀で脇腹を貫かれている。 「ごめんなさい。先に撃たれたら、こうするしかないんだ」  ダルタンは謝辞を述べたあと、脇腹に突き刺した右腕を引き抜き、自らの親指で腹部に切り傷を加えた。罪の重さを刻んだ傷だ。  彼の短い頭髪は闇に溶ける漆黒そのものだが、返り血を吸って少し赤みがかっている。 「ごめんね、直ぐ楽にするから」  ダルタンは悶える男の首をもぎ取ると、両手を手に取ってそれを抱かせてやり、屋根裏の隅に寝かせて死後の安息を願った。そして静寂を取り戻す。全ては最愛の妹――リオラが安らかに過ごせるように。  ダルタンはリオラが眠る冷蔵庫を持ち上げ、死体から離れた場所に置くと、彼女に寄り添うようにもたれかかった。そして崩れた屋根の隙間から、紅い紅い星空を見上げる。 「アムリタが降ってきたあの日も、こんな色をしていたっけ……綺麗だけれど、禍々しくて、ずっと変わらないね。ねえ、リオラ」  返事はない。けれどダルタンは気にしない。  体が弱っているのだから、眠っているだけなのだとダルタンは信じた。 「おやすみ、リオラ。もうすぐだから、明日にはきっと辿り着けるよ。大丈夫、必ずアムリタを飲ませてあげるから……元気になったら、先ずリオラの友達に会いに行こうよ。皆の所に、絶対連れていってあげるからね」  彼が過酷な旅路の末に求めているのは、妹と過ごす安寧の日々。アムリタの入手はその手段に過ぎない。  ダルタンはひと時の安らぎに身を委ねて瞼を下ろした。  遥か遠方、月影から逃れて、二人を見据える双眼鏡にも気づかずに。

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タケウチは墓を立てる

 タケウチは膝から崩れ落ちた。  どうして地球が変わり果ててしまったのか、自分が冷凍睡眠されている間にどれ程の時間が経ったのか、到底理解が追い付かない。  ただ一つ、タケウチには分かったことがある。この施設にあるもの全てに既視感があること。スペースコロニー『タヌキ』で見たものばかりだということ。  次第に頭の中で当てはまるピース、それは『タヌキ』に乗ることが決まってから脊髄に埋め込まれた居住権チップの存在。元々は住人の生活と管理を簡便化する為のものだった。  過去の遺物は、それに反応しているという仮説がタケウチの中に浮かび上がる。  そして、過去の遺物と呼ばれる建造物は、明らかに文明崩壊への備えだ。  崩壊前に飛び立ったコロニーの住民たちに物資を託し、一人でも多くの地球人を宇宙に連れて行くためのものだとするならば、吟遊詩人が扉を開けられないこととも辻褄が合う。  『タヌキ』の為に用意されたのだから、当然だ。  『タヌキ』の住人全員が、救世主だったのだ。 「救世主は、僕じゃなくても良かったんじゃないのか……?」 [そうかもしれない。だが、現に生き残ったのはただ一人。たった一つの事実に大きな価値があると私は思う]  吟遊詩人の言葉に、タケウチの涙は枯れた。 「やっぱりそうだ。たまたま僕が生き残っただけなんだ。スペースコロニータヌキに入った時と同じ。人殺しの子供で、宇宙のゴミになっても構わないからって、適当に選ばれて……僕は偶然ここに居るだけ。何も、何も変わらない。何も」 [……どうした、救世主よ]  タケウチに吟遊詩人の疑問は届かない。  彼の中に湧き上がるのは諦観。  自分は決して特別な存在などではなく、取りこぼされただけなのだと思い知るのは二度目のこと。  地球から助けがやってくるかもしれないと、心の何処かで抱いていた淡い希望すら潰えた。  居住権チップさえあれば良いのなら、タケウチという自我も意思も個性も必要ない。それこそ、死体からチップを剥ぎ取りさえすればいい。  今一度タケウチは自問した。  生には苦痛と責任が伴う。生き甲斐も意義もなく、崩壊した世界で生存する理由とはなにか。何故、自分はこの世界に居るのか。  重くのしかかる現実を体現するかのように地鳴りが響く。  揺れ動く足下と天井。倒れかかる棚を軽やかに避けて、カンテラが部屋から脱出した。  彼はタケウチの様子を気に掛けながらも、両脇に抱えた鞄を下ろして状況を確認する。 「何が起きたのでしょうか」  吟遊詩人は出入口に向かい、外の様子を窺った。 [ジュラーフの群れだな。囲まれている] 「まさか……さっきの光に反応したのか!」 [可能性は高い]  返答を待つ間に、カンテラは建物内から取り分け鋭利なものを探す。  彼は工具箱からエネルギーカッターを取り出し、使い方を確かめた。  武器を握るカンテラの目つきは、群れを守る狼のそれだ。 「数は分かりますか」 [四頭は目視した。それ以上は確実にいる] 「もたもたしていると、三人とも踏み潰される……俺が注意を引くので、二人は鞄を担いでそのうちに逃げて下さい」 [あまりにも無謀ではないか] 「大丈夫です。二頭は確実に狩れますよ。経験がありますから」 「待って、カンテラさん!」  タケウチの必死な呼び声が木霊する。  カンテラと吟遊詩人はタケウチと目を合わせた。 「僕の脊髄を取り出して、残りを餌に使って下さい」  タケウチの黒い虹彩が、一糸乱れぬ視線をカンテラの瞳に送る。 「な、何を言っているんだタケウチ……」 「過去の遺物はきっと、僕の脊髄にあるチップに反応しているんです。僕は要らない。僕の脊髄さえあれば、皆助かるんです」 「馬鹿を言うな、タケウチ! そんなこと、君を殺す理由にはならない」 「幾つかありますよ。船に残っていた死体のチップは、損傷して使えない可能性があるけど、僕のチップは正常に機能しています。もし僕が生きていれば、貴重な食料を余計に消費する。ここで有効活用するのが、一番確実で賢い選択だと思いませんか」  まくし立てるタケウチを前に、吟遊詩人もカンテラも言葉を失った。そして再び地鳴りが響く。先ほどよりも大きく、そして近い。  切迫する状況の只中で、吟遊詩人が一つの大きな選択を行う。  彼はフードを徐に下ろした。 [チップが反応しているのかどうか、原理は私にも分からないことだ。早まるのは良くない]  露わとなった素顔は、人のものではなかった。  人工皮膚が破けて、骨組と配線が露出した吟遊詩人の――アンドロイドの顔は、清々しく微笑んでいる。  タケウチとカンテラは互いに顔を見合わせて目を丸くした。 [私は導き手の役目を終えた。加えて私は、君たち人間と違い生きてはいない。活動限界も既に超過しているのだ。囮役には適任だろう] 「吟遊詩人……やめてください。どれ程の人が貴方に救われたことか。まだ俺は、何もお礼が出来ていない」  カンテラの震えた言葉に、吟遊詩人は優しく首を横に振る。 [礼は要らない。人を救うのは人だ。私は人に創られたのだから間違いない] 「いいえ、そうではなくて! 俺がディディアと、皆と出会えたのは貴方のお陰だった」  無慈悲な地鳴りが更に近づく。轟音と迫りくる足音が二人の会話を遮った。 [杖を救世主に! 後は任せた]  カンテラに杖を押し付け、颯爽と外へ繰り出す間際、吟遊詩人は振り向いてタケウチを見つめる。 [タケウチ。アンドロイドの私がこんなことを言うのもおかしなことだが……君と出会って、自らの存在意義を実感できた。私の心は救われたんだ。ありがとう、生きていてくれて] 「…………!」  最期の言葉が、暗く淀んだタケウチの胸中で残響した。  呆然とするタケウチの肩をカンテラが掴む。 「行こう、タケウチ!」  タケウチは、頷いた。そして渡された杖を握る。  カンテラは両脇に鞄を抱え、タケウチを背負い、建造物から飛び出した。  独り先を歩き、ジュラーフの群れに近付いていく吟遊詩人は、自らに残された動力源を最大限使って全身から大きな音と光を発する。  注意を引かれたジュラーフたちは長い首をしならせて、一斉に吟遊詩人の肢体にかぶりついた。 「見ちゃだめだ、タケウチ! しっかり捕まっていてくれ!」  カンテラの声に応じて、タケウチは彼の背中に顔を埋める。  背後から轟くジュラーフの雄叫びに、噛み砕かれる金属音が混じっている。  カンテラは全身全霊の力を込めて坂を駆け上がり、踏み潰される建造物にはわき目も振らずに走り続けた。  集落に辿り着き、鞄とタケウチを下ろしたカンテラは、疲労のあまりその場に倒れ込む。  タケウチも尻餅を付いて中々立ち上がれない。  ライーロが二人の帰還に気が付き、憔悴した二人の下に駆け寄った。 「おかえりなさい! すごい汗だよ、カンテラ! 大丈夫?」  カンテラの体を揺するライーロを、遅れてやってきたディディアが優しく制止する。 「無事でよかった。カンテラ、タケウチ」  二人は力なく頷く。  ディディアは吟遊詩人の姿がないことに気が付く。そして察する。二人の顔が浮かばれない理由を。 「犠牲が出たのか……?」  疲れ切ったカンテラに代わって、タケウチは泣きじゃくりながら旅の顛末を語った。    暫くして、集落では宴が始まった。吟遊詩人を弔い、想うための、そして集落の家族が一人も欠けなかったことを祝うための宴だ。  タケウチは調理係に保存食の使い方を教えて、出来上がった料理を少しばかり口にした後、夜風に当たるとディディアに告げてから集落を離れた。  向かった先は、墜落した『タヌキ』の残骸。 「明日には、二人にもこの空が見えるようにするよ。ヒビキさん、ナギサさん」  彼の頭上で、鮮やかな紅色の星空が煌めいている。  混在する淡いコバルトブルーは、タケウチが零した涙と同じ色をしていた。  頬を伝う涙を拭って、タケウチは握り締めた杖を見つめた。吟遊詩人から託されたものだ。  どんな意味が込められているのか……彼はじっと考える。 「タケウチ」  背後からの呼び声に応じてタケウチは振り向く。声の主はカンテラだった。  彼はタケウチの隣に腰を下ろす。 「ごめん、一人になりたいだろうに。どうしても話がしたくてさ」 「いえ、大丈夫です。実は僕も、ゆっくり話したいなと思っていて」 「そりゃ良かった」  タケウチもカンテラと同じように、その場に腰を下ろした。 「タケウチはこの後、どうするつもりなんだ」 「そういえば、二人のお墓を作ること以外、全然考えてなかった……」 「問題が山積みだったからな。だからこそ、時間がある時に話しておきたくてね」  タケウチは頷いて考え込む。 「その、今も思い出すと怖くて……このまま、この星で生きていく自信がないっていうか」 「分かるよ。短い間だけど、俺は今よりも恵まれた生活をしていたことがあってさ。集落の皆は過酷な環境に居る。タケウチは尚更辛いだろう。こんなに大きな船に乗っていたんだから……」  少し言い淀んだ後、カンテラは目を据えて続ける。 「もし、本当に辛かったら言ってくれ。いい方法なら幾らでも知ってる。その時は、君の友人たちを悲しませないように墓を立てるから」 「ありがとうございます」  タケウチが神妙な面持ちで返事をすると、カンテラは温かみのある笑みを返してタケウチの背中を叩いた。 「本気にしないでくれよ! そんなおっかないこと出来ないって!」 「いえ、その、すごい真剣な感じだったからつい……」 「まだ迷っているなら、俺達に付いてくればいい。集落の皆も、ディディアもライーロも、きっとタケウチを歓迎してくれる。勿論俺もね」  カンテラは朗らかに歯を見せて立ち上がる。 「こっちの話は本気だからさ、真剣に考えておいてくれ。それじゃあ、また明日話そう」  二人はおやすみとだけ言葉を交わして別れた。  集落が灯す明かりで、カンテラの後ろ姿は暗闇に黒く浮かび上がっている。  彼を暫し見送った後、タケウチも立ち上がって集落に向かおうとする。  その時、持ち方を変えた杖が甲高い音を立てて光を発した。  杖の先端から伸びた青い光はドーム状に拡散し、宵闇にローマ字と網目模様を描き出す。  それらは方角と緯度と経度、そして特定の地点について詳細な座標を記していた。  音と光に気が付いたカンテラは、引き返してタケウチの傍に歩み寄る。 「タケウチ。これは一体?」 「僕にも分からないけど……多分、過去の遺物が何処にあるのか、記した地図なんだと思います」 「なるほど……だから吟遊詩人は、タケウチにこれを託したのか」  ふと、タケウチはカンテラに視線を送る。気が付いたカンテラもタケウチを見返す。 「カンテラさん。僕、杖のことが分かるまで、何とかして生きようって、そんな風に思ってました。でも……」 「でも?」 「今は、杖を使って、誰かにありがとうって言われるようになりたい」 「そっか……応援するよ。なんなら、俺も手伝うさ」 「ありがとうございます、カンテラさん」    タケウチは翌日、ディディアからの誘いもあって、正式に集落の一員となった。  それから約束通り、カンテラと共に友人たちの、そして吟遊詩人の墓を建てた。  胸に悲哀と想いを宿し、献花に美しき星空を添えて。

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タケウチは気が付いてしまう

 紅い紅い星空の下、荒野に描かれた地平線の上を三人の旅人が歩く。  内二人は行く先も知らずに。 「吟遊詩人も、流星を見てこちらに?」  カンテラの問いかけに吟遊詩人は頷いた。  仕草には何処となく高揚しているような雰囲気がある。顔色は相も変わらず窺えないが、それでもタケウチがそう感じる程に、大きな動作で。 [私の役目も終わりが近い。長かった……実に長かった]  言い終えたところで、吟遊詩人は足を止めた。そして杖を振るい、先端は左手の方向。指し示す方角には、移動する巨大な陰影の群れ。  カンテラは目を細めて呟く。 「ジュラーフの群れだ……」  付け加えるように吟遊詩人の声が続く。 [私は今、箱舟に向かう道中を引き返している。あれは数時間前もここを通っていた。動きが不規則過ぎる……急ぐぞ]  足元を見やる吟遊詩人。二人も釣られて同じ動作をする。目の前には、クレーターを思わせる猛獣の足跡があった。  幾重にもそれが重なっているということは、ここを幾度も往来しているということだ。 「あの、ジュラーフってその、もしかして、首が長くて黄色い草食動物ですか……?」  加速する吟遊詩人を必死で追いかけながら、タケウチは聞いた。  カンテラは眉を潜めて答える。 「首が長いこと以外当てはまらないな。体は紫色で赤い斑点模様がある。そして獰猛な雑食動物だ。固い土以外なんでも食べる。なんでもね」  最後の言葉を強調しながら、カンテラは親指で自分を、それから人差し指でタケウチを指さした。タケウチは、結局のところ食べられるかもしれないのかと身震いした。    数時間か数十分か、一歩でも先へと急かされるまま歩き続け、タケウチが息を切らしたところで吟遊詩人は足を止める。  三人の目の前には正方形の建造物。見上げる程に大きなものだが、陥没した一帯の中心に存在するため遠目からでは確認出来ない。  まるで砂場に捨ておかれた遊具のようにそれは埋もれ、荒涼としている。 [廃墟というには相応しくない程の価値が有り、オアシスと呼ぶには余りにも人を寄せ付けない。これが過去の遺物だ、救世主よ]  吟遊詩人はそう言うと、タケウチの背中に右手をあてがい、入り口らしき扉の前へ案内する。カンテラも後に続く。 [よく見たまえ。これが君の欲していた答えだ]  カンテラを促した吟遊詩人は、手元がよく見えるように体を傾けつつ、左手で扉に触れた。しかし何も起こらない。  それからタケウチの左手を握り、扉に触れさせる。するとどうか、未知の建造物に彫られている模様が光輝いて、扉がひとりでに道を開けた。  まるで救世主の到来を報せるかのように、建造物から青白い光線が星空に向けて放たれる。 「す、すごい……」  カンテラが感嘆の声を漏らした。  タケウチは信じられないと言いたげに口を開き、光の柱を見上げている。 [救援が来たことを報せる為の信号弾だ。感傷に浸りたいところだが、生憎時間がない]  吟遊詩人は建造物に勇んで足を踏み入れる。  中は灯りが点いていて明るい。カンテラは眩しそうに片手で目元を覆っている。  吟遊詩人が確固たる足取りで向かった部屋の入り口には、Storageの表記。  ゆっくりと吟遊詩人の後を付いていくタケウチは、眉を潜めて右を向いたり、左を向いたり、かと思えば一点を注意深く観察したり。  明らかに様子がおかしいとカンテラは気が付く。 「どうしたんだ、タケウチ」 「い、いえ……その、なんでもありません」 「そっか……言いたくないならいいんだ」  酷く怯えたような、それでいて悲嘆に暮れるようなタケウチの面持ちを見て、カンテラは深く追及することをやめた。そうすることが、今は賢い判断だと思えた。 [救世主よ。やはり私にはアクセス権限がない。開けてくれないか]  吟遊詩人に呼ばれて、タケウチは部屋の入り口に向かう。恐る恐る、タケウチは自ら操作パネルに手を触れた。  扉は開いた。  カンテラは驚きつつ吟遊詩人に問う。 「中には何が?」 [望みのものだ]  覗き込んだカンテラの目に飛び込んできたものは、棚に陳列された物品の数々。特殊な容器に入った透明な液体は白い冷気を帯びていた。それらを持ち運ぶのに適した鞄もある。  見慣れないものばかりに目を丸くするカンテラ。彼は吟遊詩人の意図を察して、期待に満ちた言葉を吐く。 「これは水に、食料ですか……?」  共に確認する吟遊詩人は、淡々と言葉を紡ぐ。 [それらは保存食だ。施設の電力は優先的にこの部屋に回されていた。救世主が訪れるまで、不要な消費はしないように、これらの貴重な物資を守り続けていたのだ] 「すごいぞ、タケウチ。見たことないものばかりだけど……これだけあれば、皆助かるぞ!」  カンテラはありったけの食料と水を鞄の中に詰め込んでいく。喜びのあまり昂るカンテラを他所に、タケウチは沈痛な面持ちで吟遊詩人の方を向いた。 「あの、これ」  タケウチは部屋の外から、施設内に常備されていた一枚の薄型液晶パネルを持ってきた。電子タブロイドと呼ばれる冊子である。  一匹の動物が、タブロイドに表示された動画の中で元気に跳ね回っている。 「イリオモテヤマネコという動物です。僕の好きな……大好きな動物です」 [……そうか] 「僕の故郷は、地球と呼ばれる星でした。イリオモテヤマネコは、僕が知る限り地球にしか生息していません」  頷いて聞く吟遊詩人。タケウチは間を置いて続ける。 「この建物は、大昔からここにあったもの……で、合ってますか?」 [そうだ] 「じゃあ、ここは、この星は!」 [生命が維持できる惑星は、広大な銀河でも未だ他に見つかっていない]  明言はせずとも、吟遊詩人の返答は紛れもない真実となってタケウチの鼓膜に届いた。  タケウチの食いしばった歯が震えて、口の中に涙が溜まる。 「な……なんでこんな。こんなこと……ぼ、僕は、コロニー内で、感染症の疑いで冷凍睡眠されて、それから……一体……」 [私には事象と状況を数値でしか判断できない。だが……心中を察する] 「カンテラさんや、ほかの皆は……もう、知っているんですか……?」 [いいや。彼らはこの星をパーガトリーと呼ぶ。私がそう教えた] 「どうして?」 [希望が人を生かす。そう教え諭され、プログラムされた。この星がかの地球だと知っている者は、私と救世主。いや……もうじき君だけになる]

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タケウチは立ち上がる

「救世主……」  呟いたのはカンテラだ。 「貴方の瞳には淀みがない。いつも分け隔てなく事実を観測し、正しい判断と知恵を授けて下さった。詳しく聞かせて下さいませんか」  厳かに、そして敬意を払った問いを口にしながら、カンテラは吟遊詩人の側へ歩み寄った。 [過去の遺物を呼び起こせるのは、私と彼だけなのだ。しかし彼ならば、私よりも多くのものを復活させられるだろう] 「なにか根拠があるのですね」  タケウチとライーロは息を潜め、会話する二人を見つめている。 [彼は私と同じ世代を生きている。スーツと船を一眼見て確信した。故に救世主たり得るのだ]  吟遊詩人は杖の先を瓦礫の山へ向けたあと、再びタケウチの方へと動かした。 「具体的には、どういう……?」 [その目で確かめたほうが早い]  淡々と事実を口にした吟遊詩人は、カンテラに背を向けて歩き出す。  そしてライーロの方を向き、頭を下げて一言。 [案内ご苦労だった]  ゆっくりと姿勢を正し、悠々と歩き去る吟遊詩人。  タケウチは呆然とし、膝立ちの姿勢で吟遊詩人の背中を見送っている。  カンテラは決意を込めて頷くと、その場で片膝を付いた。そしてタケウチの肩に手を乗せる。  カンテラの澄んだコバルトブルーの瞳が、タケウチの黒い虹彩に飛び込む。 「ついて行こう、タケウチ。きっと、君が何者なのか……あの人は知っている」 「え……でも、僕はただの……」 「謝らせてほしい。君の事を遭難者だと報告したのは俺だ……早計だったよ。すまなかった」 「いえ、違うんです! 本当のことなんです。僕はただの……遭難者なんです」 「自分に何が出来るのか、案外自分が一番よく分かっていないものさ。俺もそうだったから」  それでも首を横に振るタケウチに、カンテラは囁き声で言う。 「なあ、タケウチ。たとえ微かな望みでも、賭けてみないか。お互い助かったら、友達の墓をちゃんと作ってやろう。その時は俺も手伝うからさ」  カンテラは微笑むと、タケウチの背中を優しく叩いて立ち上がる。 「ライーロはディディアの所に戻って、こう伝えてくれないか。俺とタケウチは、吟遊詩人と行動を共にしていると」 「分かったよ! 任せて!」  大声で返事をしたライーロは、元気よく集落の方へと走っていった。  ライーロが向かう反対の方向に、荒野に向かって小さくなる吟遊詩人の背中がある。カンテラはそれを足早に追いかけた。  タケウチは涙と鼻水を何度も拭い取って、ようやく立ち上がる。  カンテラと吟遊詩人は足を止めてタケウチが追い付くのを待った。 「……もう一回頑張ってみるよ。ヒビキさん、ナギサさん」  口にした名は、彼の側で永い眠りについた者達の名前だ。  互いの孤独を理解しあった、数少ない仲間達の名前だった。

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