吉口一人

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吉口一人

第八話 路上教習

翌日、俺はいつものように交差点に来ていた。鈴木さんから聞いた話をホロ子さんにしてみたが、思っていた反応とは違った。 「金澤? 知らないわよそんなヤツ。アタシ、生きていた時の記憶が無いんだってば。もう忘れたの? 記憶力ニワトリなの? バカなの?」 「ぐぬぬぬ」 相変わらずの減らず口である。せっかくこっちが親切で言ってやってるというのにこの態度だ。 「それより、今日から路上教習なんだけど。アンタも付き合いなさいよ」 「路上教習って具体的には何をするんだよ」 「外で知らない人を脅かしたりするんだって」 これは後から爺さんに聞いて判明したことなのだが、ホロ子さんが取得しようとしているのは幽霊免許の中でも『驚型免許』というものらしい。彼女のように生前の記憶がない幽霊は基本的にこの驚型ルートしかないようだ。記憶があれば、家族の夢枕に出たりしてホッコリさせる『忠型』や、誰かの背後霊や守護霊としてベッタリくっつく『応型』などがあるらしい。『驚型』は文字通り、誰かを驚かせて霊の存在自体を現世で伝承させることを目的とした免許である。 「ところで、なんで君の路上教習に俺が付き合わなきゃいけないんだ?」 「何かあった時のフォロー役として、生きてる人が一人は必要なんだってさ」 「ふーん」 例えば、驚かせすぎた相手が階段から転んで大怪我をしたとして、教官も教習生も幽霊では救急車を呼ぶことができない、ということらしい。 「俺にメリットなくね?」 「こんなに可愛い幽霊と一緒に居られるだけで感謝しなさい」 全く生きていないくせに大した自信である。 「それで、どこに行くんだ?」 「今日の教習ルートは君の学校じゃ」 いつの間にか背後に現れていた爺さんに少しビクついてしまう。 「お、学校か! 2回目だね」 「あ! ちょ、ちょっと!」 俺の言葉に途端に慌て出すホロ子さん。そして爺さんの顔はみるみる怒りに満ちていった。 「2回目じゃと? お主、わしに無断で勝手に行ったのか?」 「い、いやぁその……」 「あ、俺が勝手に連れて行っちゃったんです! ダメなこととは知らず!」 意図を理解し、俺は即座にフォローを入れる。本当はホロ子さんが勝手に付いてきてしまったのだが。 「フン、まあそういうことにしておいてやるわい。次はないぞ」 なんとか許されたらしい。他人事なのに冷や汗をかいてしまった。 「でも、ホロ子さんって俺みたいに一部の霊感強い人にしか見えないでしょ? どうやって驚かせるんです?」 「霊力を高めれば身体の透け具合や存在感を自在に調整することができるんじゃ。どれ、今は誰もいないみたいだし、ここでやってみなさい」 「はぁぁぁ!」 ホロ子さんが身体に力を込めると、確かに今まで向こう側が透けて見えるくらいだった彼女の身体はだんだんと色濃くなっていった。 「おー! すごいすごい!」 「ふん、このくらい当然よ!」 自信満々にドヤ顔をするホロ子さん。ふと腕時計を見ると始業時刻ギリギリなこと気づく。 「あ、やべ! もうこんな時間だ! 俺、もう行きます!」 「ほっほっ。気をつけて行くんじゃぞ」 「ふん、また後でね。せいぜい覚悟しておきなさい」 彼女の挑戦的な声を聞きながら俺は校舎へ急いだ。

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第七話 成仏への道

「それでね。調べてみてわかったのよ。この学校、何年か前に死亡事故が起きているらしいよ」 隣の席の鈴木さんがなにやら嬉しそうに言った。 「ねえ、聞いてるの?」 「ん? ああ、聞いてたよ。志望校がどうしたって?」 「志望校じゃなくて、死亡事故! ねえ、どうしてそんなに眠そうなの?」 彼女の指摘通り、俺は途轍もない眠気に襲われていた。理由は明白。 「いやぁ、ちょっと。仮免試験があってね」 「へえ、神谷くん。教習所に通ってるの?」 「いや、俺じゃなくて」 俺が全てを言い終わる前に、鈴木さんは何かを察したらしくため息をついた。 「そういえばあの子も『教習中』だったね……」 「うん。昨日の夜中に急に呼び出されたと思ったらアイツの仮免試験でさぁ」 「ふーん、『アイツ』ねぇ。私が必死に調べ物してるとき、君は夜中に女の子と逢引きですか。良いご身分ですねぇ」 「何で怒ってるの」 この子、俺のことが好きなんだろうか。 「それで死亡事故って?」 「そうそう。二年前だからちょうど私たちの入学前にね」 話を聞くと、この学校で陸上部の練習中に熱中症により亡くなった女子生徒がいたとのこと。現在、俺たちは高校二年生なので、それが起きたのは俺たちが入学する直前、中学三年生のときだ。真夏の酷暑の中、ロクに水分補給もさせず過度な練習をさせる昭和スタイルの顧問のせいで起きたと言う悲しい事故だった。 「それでね。そのときの顧問も今と同じ金澤先生だったらしいんだ」 「カナヤンか。しかし、よくクビにならなかったな……」 確かに金澤先生、通称カナヤンはそんな事故を起こしかねない人だ。時代錯誤のパワハラ気質で、よく生徒を怒鳴っているのを目撃する。陸上部に入った友達からも度々愚痴を聞かされる。生徒からも保護者からと良く思われていない先生である。 「それにしても、鈴木さんはどうしてそんなに熱心に調べたの?」 「そりゃあ、彼女を、成仏させてあげたいからよ」 「成仏か」 幽霊としてこの世を徘徊している現状は、やはり良いことではないのだろうか。しかし、俺は成仏だけが道ではないのかと考え始めたところでもあった。 答えはまだ出ない。

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第六話 仮免

その日、俺は奇妙なLINEを受信した。差出人の名前は「unknown」となっており、アイコンも人のシルエットのデフォルトである。 メッセージには「明日の午前二時。いつもの交差点に来ていただけますでしょうか。持ち物は特に不要です。よろしくお願いいたします」と書いてある。 いつもの交差点はホロ子さんと出会ったあの場所のことだろう。つまりこれはホロ子さんからのLINEなのだろうか。そう思い何度かこちらからもメッセージを送ったが、一向に返信はなく既読もつかなかった。 仕方なく俺は指定された午前二時に家をこっそりと抜け出し、パジャマのまま交差点へと向かっている。シンと静まり返った深夜に外を歩くなんて初めてのことだったが、思ったよりも遥かに怖かった。別にこんな怪しい誘いに乗る必要などなかったが、おそらく世界で自分だけに起きているであろう非日常的な展開にどこかワクワクしていたのだ。 「やっぱやめときゃよかった……」 後悔先に立たずとはよく言ったもので、後悔というのは文字通り後からやって来るものだ。俺の中に存在する人類としての本能が暗闇や孤独を恐れているのがはっきりとわかる。スタスタと聞こえる自分の足音にさえビクビクとしてしまい、こんなにも自分は臆病だったのかとガッカリしてしまう。 そんな精神状態でようやく辿り着いた交差点。しかしホロ子さんの姿はどこにもない。いつものようにこちらを見るなり軽口を叩いてくれたらどれだけ安心出来ただろうか。 キョロキョロとあたりを見回してみるが、やはり制服姿の少女はいなかった。 誰かのイタズラだったのだろうかと思い、背を向けて家に帰ろうとしたそのとき。 「う、ら、め、し、や」 「ぎぃやあああああああ!」 俺の絶叫が静かな夜の街に響き渡った。背後から聞こえた声が冷たく鋭い刃のように俺の心に突き刺さる。 振り返るとそこにはいつも以上に青白く生気のない顔をしたホロ子さんが立っていた。俺は驚きのあまり尻餅をついた。 「合格じゃ!」 どこからともなく教官の爺さんが現れる。この人を見たのは久々だ。 「ご、合格?」 「いやぁ、すまんの。今日はこの子の仮免試験日だったんじゃよ」 ホロ子さんの方を見ると、少し恥ずかしそうな顔でモジモジとしている。 「お主は見事に驚いてくれたからのぉ。文句なしに合格と言えるじゃろう。ここからは路上教習に移れるわい」 「いや、ここも路上でしょ……」 「細かいことはいいんじゃよ。ほれ、では。ちょいと失礼して」 爺さんはホロ子さんの頭にある三角布に手をかざした。手は淡く黄色に光り、薄暗い夜の交差点を照らした。 「これでよしと」 爺さんが手をどけると、そこには『仮免』と赤い血のような字で書かれていた。確か以前は『教習中』だったはずだ。 「や、やった!」 見たことがないくらいに素直に喜ぶホロ子さんを見て、俺も少しだけ嬉しくなった。

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第五話 霊感

「その子、誰?」 隣の席の鈴木さんは、俺の背後に取り憑くホロ子さんを指差してそう言った。 俺はわざとらしく背後を振り返る。 「誰って、同じクラスの中山さんじゃないか」 適当に後ろにいたクラスメイトの名前を出してみる。 「違う違う。神谷くんの後ろにいる、その透けてる彼女のこと」 チラリとホロ子さんの方を見てみると、それはそれは焦った表情をしていた。 「鈴木さん、もしかして見えてる?」 「うん。『教習中』って?」 そこまで言われて、俺は諦めた。彼女は"視える"側だったのだ。 「ほら。自己紹介しなよ」 「え、ちょっ。そう言われてもアタシ紹介できるほど自分のこと知らないし……」 慌てて俺の背中に隠れるホロ子さん。俺にはあれだけ強気なのに意外と人見知りなのかもしれない。 「この子は俺が登校中の交差点で出会った幽霊なんだ。幽霊の世界にも免許があるらしくて、彼女は今頑張ってそれを取得しようとしてるらしい」 自分で言っといて意味のわからない説明ではあるが、そうとしか言いようがない。鈴木さんは意外にもすんなりと納得してくれた。 「ふーん、可愛い子だね。名前は?」 「俺も知らないから適当にホロ子さんとかって呼んでる」 「あだ名で呼んでるんだ。へー」 なぜだか、鈴木さんの目線がどんどん鋭くなっていく。 「皆が見えないと思って学校に可愛い女の子連れ込んで、結構なことだね?」 「あれ? なんだか冷たい?」 「別に? 学校に勉強と関係ないもの持ち込んだらダメなんだよ?」 「このアタシをモノ扱いするんじゃないわよ!」 ホロ子さんは俺の腹のあたりから顔だけ貫通させる。そんな異次元な状況にも何も言わないので鈴木さんは霊に慣れているようだ。 「ウチの制服着てるけど、元は生徒だったのかな?」 「多分そういうことだと思うんだけど。記憶がないらしいんだ」 「在学中に亡くなったってことなら情報はありそうだし、調べればこの子が誰だかわかるんじゃないかな?」 「だってさ、ホロ子さん。どう?」 お腹から顔を出すホロ子さんに聞くが、反応はイマイチだった。 「別にそこまでしなくていいわよ……。免許取って毎日アンタら人間を適当に脅かして楽しく暮らせればそれでいいわ」 正直に言うと、俺はこの幽霊を成仏させてあげた方が良いのではないかと思っていた。そのためには生前の記憶を取り戻させ、何が未練となってこの世に残っているのかをわかることが大事なんだと思っていた。 しかしこの顔を見ると、ホロ子さんは自分という存在自体に何かしら思うところはあるようだが、成仏したいとは思っていないように見える。 幽霊に成仏を押し付けるのは生きている人間の勝手なエゴで、彼女らからしたら成仏ハラスメント、略してジョブハラとでも呼ばれてしまうかもしれない。俺は少し反省した。

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第四話 手がかり

「へ〜、ここがアンタの高校なのね。ボロイ校舎ね〜」 「君だって生前ここに通ってたんだよ。多分」 本当に連れてきてしまった。 今朝、幽霊のホロ子さんといつもの交差点で会い、話していると彼女が俺の高校について行くと言い出したのだ。 こんなところ、誰かに見られたら大変だ。幽霊を連れ込むことは校則違反ではないだろう。しかし俺にすらあった霊感なるものが、他の者に無いとは断言ができない。"視える"奴からしたら俺は突然学校に女の子の幽霊を連れ込んできた奴、あるいは突然女の子の幽霊に取り憑かれた奴に見えるだろう。 「おい、あんまり話しかけないでくれよ」 小声で忠告する。それを聞いたホロ子さんはニヤリと笑った。 「ねえ、あそこ!」 「え?」 彼女は教室で自分の席に座る俺の右側をふいに指差した。思わずそちらを向いてしまうが、そこには隣の席に座る女子生徒の鈴木さんがいるだけだった。 「なんでもなーい(笑)」 「は? ふざけんなよ?」 来て早々悪ふざけをする幽霊をどう懲らしめてやろうかと考えていると、隣から可憐な声が聞こえてきた。 「か、神谷くん?」 しまった。完全にやらかした。この子の目に俺は、いきなり自分の方を向き悪態をついてきたやばい男に映っているだろう。ちなみにここで初公開だが、神谷とは俺の苗字である。 「いや! なんでもないんだ、鈴木さん! 君は本当に何も関係ない!」 「そ、そう? よかった。じゃあ、どうしたの?」 鈴木さんは胸のあたりまで伸ばした艶やかで美しい黒髪を撫でながら言った。この間の席替えでこの子の隣になれたのはラッキーだった。皆がどう思っているか知らないが、俺はこういう可憐で清純な感じの女子がタイプだ。 「いやぁ、ちょっと最近家族と喧嘩したのを思い出しちゃって……」 「そう、なんだ。大変だね」 俺のとってつけたような言い訳を訝しむ鈴木さん。 「そ、そういえば鈴木さん。今日の数学の宿題」 「あー!!!」 「うわぇあ!?」 突然背後で大声を出す幽霊に、またしても身体が勝手に反応をしてしまう。こいつ、完全に俺の反応を見て遊んでいやがる。 「ちょ、神谷くん?」 今度こそ、俺は完全に気の触れた奴になってしまった。違うんだ、鈴木さん。 「違うんだ! ほんと、マジで!」 「あの、神谷くん。さっきから気になってたんだけど」 鈴木さんは俺の背後を指差して言った。 「その子、誰?」

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第三話 生前

今日も今日とて、いつもの交差点に差し掛かる。 今日は家をいつもより早く出てみた。というのも、いつもは遅刻ギリギリで時間がない中なので、霊の彼女とゆっくり話す時間がなかったからだ。 「あれ? 今日は教官の爺さんはいないの?」 そこにはいつもの通り『教習中』の三角布を頭に被って佇むホロ子さんの姿だけがあった。 「き、今日は自主練してるのよ。なによ、アタシに向上心があったらいけないわけ? アンタこそ、いつも遅刻ギリギリな感じなのに今日はやけに早いじゃないの」 「いやぁ。おかげでこうして君に会えて嬉しいよ」 「は、はぁ⁉︎ アンタ、人間のくせに幽霊を口説こうっての?」 生きている人間なら頬を赤らめているところなのかもしれないが、幽霊には赤らめるだけの血の気がない。 軽く揶揄ったつもりが、こうも純情な反応をされてしまうとこちらも何だか気恥ずかしい。 「そ、そういえば、ホロ子さんはなんでこの交差点にいるの? やっぱり生前に関係が?」 話題を急いで変えようとした結果、気になっていたことを聞いてしまった。なんとなく想像はつく。交差点というのは事故が多発するポイントだ。そんな場所に現れる幽霊ともなると、そういうことなのだろう。 しかし、彼女は俺の予想に反し、キョトンとした顔で返答をする。 「アタシ、生きていた頃の記憶なんてないんだけど。というより初めから幽霊として生まれてきたんじゃないの?」 「そんなわけなくない?」 もちろん自分の常識が全てではないので、そんなこともあるのかもしれないが。幽霊として"生まれる"という矛盾も気になる。 「でも言われてみれば不思議かも。なんでアタシ、ここに来たくなるんだろう」 ホロ子さんは俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声量でボソッと呟いた。 見慣れてしまった彼女の姿を改めてよく見てみると、そういえばこの子は幽霊ながら制服を着ている。見た目も高校生くらいだ。もし"生前"があるのなら、そのくらいの年齢で亡くなった女の子だったのだろう。 「というかそれ、ウチの制服じゃないか」 俺の通う高校は男は学ラン、女はセーラー服だ。このセーラー服がなかなか女子の中では人気のようで、女子中学生の間ではウチの高校の志望理由の一つになっているのだとか。 「は? そうなの?」 「間違いないね」 「そんな大事なことなんでもっと早く言わないのよ」 そう言われても、これまでは幽霊と話すという非日常に適応することで精一杯だったのだ。 「というか君、自分が何者か知りたいって気持ちがちゃんとあったんだね」 「そりゃあ、まあ、ちょっとはあるわよ……」 歯切れの悪い幽霊である。 「あ、そろそろ行かないと! また明日ね、ホロ子さん」 「ちょっと待って」 「なに?」 「学校行くんでしょ? アタシもついていくわ」 「え〜??」 また、面倒なことになってしまった。

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第二話 教習中

「やべー今日も遅刻だ」 どうにも最近眠たくて、朝はなかなか起きられない。スマホのアラーム機能だけでなく、実物の目覚まし時計を買って二重で鳴らしているのだが、それでも夢の世界は俺を離してくれない。 パンを咥えて走りながら、この間体験した不思議な出来事のことを思い浮かべる。 「ありゃ一体、なんだったんだろうな」 幽霊に出会った。それも無免許の。 自分に霊感があるなんて全く思ったことがなかったが、この目ではっきり見えたのだからそういうことなのだろう。 幽霊とは恐ろしいものだと思っていたのだが、あの少女は生きている人間と同じような見た目で同じような喋り方をしていたので、全く怖くなかった。 「はは、ここでまた会ったりして」 そんなことを考えながら、例の交差点に差し掛かると。 「う、うらめしや〜」 「こら、手の角度が違うと何度言ったらわかる!」 (い、いたー!) 本当にいた。 この間出会った爺さんと少女の幽霊だ。 二人ともこの間と同じく、三角形の布を頭につけた、ザ・オバケな出立ちだ。 違うことは爺さんの三角布には「教官」と、少女の布には「教習中」と赤い血のような文字で記されていることだ。 「あ、アンタ!」 少女が先にこちらに気付いた。 「やーホロ子さん。今日も精が出るね」 「ちょっと、ホログラムじゃないって言ってるでしょ」 また会えた。その事実に俺はなぜか安堵していた。 「少年、また会ったのぉ」 「どうも、こんにちは。『教習中』ってのは……?」 「文字通りじゃ。幽霊として人と関わるために必要なことを、こやつに叩き込んでおるところじゃ。ちょうど良い。さっき教えたことをこの少年に試してみなさい」 爺さんがホロ子さんに指示をする。少し不貞腐れた表情で、少女はこちらを向いた。 「恨めしや〜〜」 精一杯怖い顔をして俺に顔を近づけてくるが、意外と整った顔をしているな、という感想しか湧いてこなかった。 呆れた表情の爺さんを見てホロ子さんは叫ぶ。 「だってアタシ、こいつのこと恨めしくなんかないし!」 「お主自身の恨めしさは関係ないと言ったじゃろ! 女優のように本気で役になり切るのじゃ」 「そもそも、なんでこんなことしなきゃいけないのよ」 「よいか? 我々の存在意義とは、ひとえに死後の世界や霊魂の存在を人間世界に知らしめることにある。あの世があるとわかるだけで変われる人間がどれほどいると思う?」 「どういうこと?」 「現世に不満を持って死んだ人間は人を脅かす怖い幽霊になる。世の平穏を願って死んだ人間は子孫を護る守護霊になる。そうわかれば今この瞬間の生き方も変わってくる。先祖を敬う気持ち、人との関わりを大事にする気持ち、一度きりの人生を無駄にせず謳歌しようとする気持ちが芽生えてくるじゃろう。そうやって人間の生きる道を正しい方向へ導くことこそが我ら幽霊の仕事なのじゃ」 俺は妙に感心した。幽霊なんて非科学的だと脳みそでは理解する一方で、それだけでは否定しきれない底知れぬ畏怖のようなものを心のどこかでは感じていた。恐らく、ほとんどの人間は同じように感じているだろう。 人が死んだら、この世に"化けて出る"かもしれない。というのは色々な意味で人間の行動を牽制しているのかもしれない。 「ほれ、わかったらもう一度じゃ! 今度はアクセルとブレーキを踏み間違えるなよ」 「アタシのどこにそんなもんがあるのよ!」 免許取得までは時間がかかりそうだ。

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第一話 無免許幽霊

「いっけなーい! 遅刻遅刻ー!」 曲がり角を曲がった途端、ドン! という大きな衝撃音と共に制服姿の少女とぶつかる……と思いきや、俺の身体は少女の身体をすり抜けて行った。 「は?」 「え?」 お互いに困惑する。 よく見てみると、少女の身体は向こう側が見通せるくらいに半透明であり、膝から下の脚が無く、頭には三角形の布のようなものを巻いている。 「アンタ、私が見えちゃってるの?」 「え、あの、幽霊??」 「見りゃわかるでしょ。生身の人間のくせに目ついてないの?」 本物の幽霊に出くわした衝撃よりも、その高圧的な態度に苛立ってしまう。 「いや、ホログラムって可能性もあるし」 「そんなわけないんですけど?」 「幽霊って証明できるものはあるの? ないならホログラムのホロ子さん確定」 「ホログラムじゃない! そもそも幽霊の証明なんてどうすりゃいいのよ」 「免許証とか」 「そんなもんあるか!」 「あるよ」 「「え!?」」 突如聞こえてくる三つ目の声。 「あるよ」 振り向くとそこにはシワだらけで貫禄のあるお爺さんがいた。少女と同じく半透明の身体をしている。 「ホレ、幽霊免許」 お爺さん幽霊が懐から取り出したカードのようなものは実在の運転免許証そっくりだった。 「ほ、ほんとだ……」 「ということはこの子は?」 「うん、無免許」 信じられないという顔をする少女の肩を叩き、お爺さん幽霊はニッコリと笑った。 「そんなわけで署まで来てもらおうかの?」 「ちょ、ちょっと待って! 署って何よ! そんなの聞いたことないんだけど⁉︎ ちょっとアンタ! 何笑ってんのよ!」 「無免許はダメですよね」 「そう、最近多いんじゃよ。無免許で人を驚かせてる幽霊。ちゃんと免許を取って出直すんじゃ。ホレ、行くぞ」 お爺さんと、お爺さんに首根っこを掴まれた少女はゆっくりと空に昇って行った。 「アンタ! 覚えてなさいよー!」 そう言って二人の姿は豆粒のように小さくなっていき、やがて雲のその先へと行ってしまった。

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