クリオネ

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クリオネ

※注釈※ 時折り過去話に手を加える事があります (大きく変えた場合は報告します) 定期的なご確認をお願いします。 novelee様の不具合か、 長い文章の一部が 途切れている場合があります。

フレイル=サモン(CVⅢ)

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 「えーっと…一旦説明してもらえるか?」 ゲージに放り込まれた実験動物を睨みながら、ラノスは唸るように尋ねた。先ほど彼の額に噛み付いた黒ネズミは、飢えた獣のようにゲージの一部をガリガリと削っている。  ラノスとシノ、ハーブとファームの四人は、大きなテーブルを両側から挟むようにして座っていた。部屋の隅では二度寝中の白狼が静かな寝息を立てており、その背中には黒猫のチャームも丸まっていた。 「はい…」 見習い醸造師のファームは、ラノスの問いかけに少ししょんぼりした表情で口を窄めた。 「この子はヒバナネズミの“サンゴー”。ハーブ師匠が飼育している実験動物の一匹で、ここ最近は私がお世話をしています。餌やりや飲み水の交換程度ですが」 「ちょ、ちょっと待ってくれ。飼育しとる実験動物って言うたか?」 助言獣は眼を丸くして話をぶった斬った。シノの方をチラ見すると、「何に驚いてるんだろう」と言わんばかりの稀有な瞳と目が合った。  その場を代表してハーブが答える。 「あれ、言ってなかった?。まあ最近は投薬実験も殆どしてないし、実験動物とは名ばかりの単なる小動物なんだけどね」 「チュウゥッ」 サンゴーはいたって健康そうに甲高く鳴いた。 (投薬実験用……つまりこいつはモルモットってことか) ヒバナネズミは非常に繁殖力が高く、体内の消化器官にも、人間に近しい部分が多数存在するという。実験動物には相当適しているのだ。長く伸びた前歯が火打石になり得るという一点を除けば。 「ねえファーム。この餌あげてもいい?」 テーブルに上体を伏せていたシノは、手中に握られていた根菜を顔の横まで持ってきた。それはさっき机上で見つけ、チャームに一口だけ食べさせた生野菜だ。 「いいよ。けど気をつけてね」 ファームは肩をすくめ、ハーブと顔を見合わせた。  ゲージには幅三センチほどの小さな隙間があるため、スティック状の赤野菜はすんなりサンゴーの元まで届いた。 「さあ、食べてたべて!」 きらきらした無垢な笑顔で、ヒバナネズミに餌を差し出す。がしかし、サンゴーはそれに一齧りするどころかーー[ガチンッ]  上下の長い前歯を力強く打ち合わせ、火打石のようにして細やかな火種を生み出した。 「うわっ!」 シノは思わず野菜スティックを手放し、条件反射でぴょんと飛び上がった。ラノスがさりげなくその背中を支える。 「い、今のは……?」シノは未だに状況を飲み込めておらず、サンゴーの逆立った毛並みを凝視する事しか出来なかった。 「見てもらった通りだよ。ここ最近、ずっとこのサンゴーだけが朝食を食べないんだ」 大魔導士は嘆息でも吐きそうな口調でとんがり帽の庇をクイッと上げた。  なるほどと頷くラノスの隣で、シノは頭上に大きなハテナを浮かべる。  おそらく彼女の質問は“今の火花は?”という意味の問いかけだったのだろうが、ハーブは“今ご飯を拒絶したのは何故?”という意味合いだと勘違いして答えてしまったようだ。 「失礼な事を聞くが、この野菜は美味いやつなんか?」 「もちろんさ。今日のご飯はラシャクっていう根菜なんだけど、これはサンゴーが特に好きだったフードなんだ。いつものこの子なら、夢中になって喰い貪るほどにね」 ハーブは皿に並べられたラシャクを一本だけ手に取った。試しにネズミの前にまで持っていくが、懲りずに火花を散らして威嚇する。 「ほおん。で、なんでそのネズミを追っかけとったんや?」 ファームはあからさまに体を硬直させ、サッと目を伏せた。垂れたボブカットヘアのせいで見えにくいが、その顔は何かを憎んでいるようにも見える。 「あー…言ってもいい?ファーム」 言い出しにくそうな彼女に、ハーブは助け舟を横流しする。青年は黒髪をかきあげ、声も出さずに小さく頷いた。  彼女の説明をまとめると、大体次の通りだった。  そもそもヒバナネズミのような小動物たちは、こことは別の飼育部屋で育てているらしい(バースやチャームなどのペット用の部屋ではないそうだ)。  生き物の数は数えられるほどしかおらず、代わりに最近は植物だったり茸だったりがメインになっているという。  ファームは今朝、ルーティンである餌やりをしようと飼育部屋に向かった。計五匹のヒバナネズミのうち、相変わらずサンゴーだけは一切ご飯に手をつけない。  ここ連日ともなると流石に心配になり、ファームは“環境が悪いのではないか”と踏んだ。 実際、ヒバナネズミ以外にもそういう環境次第で絶食する動物はいるらしい。  他の子たちに餌をあげ、サンゴーのゲージと残りのラシャクを手にしてリビングに戻ってくる。とその時、ハーブの部屋からトコトコと降りてきたチャームと目が合った。  瞬間。サンゴーの歯はガチンッと弾き音を立て、赤細い火花が一閃になって宙空へ飛んでいった。 『ぴゃあっ⁉︎』  ファームは驚いた結果、野菜とケースをテーブルに投げるように放ってしまったのだ。ラシャクの入ったサラダはバランスを崩してひっくり返り、ケースの鍵は荒々しく開いて…………  ハーブは“後は察してくれ”と言わんばかりに肩をすくめた。 「なるほど。それから追いかけっこに発展して、この部屋に獣臭が充満してったんやな」 先住狼のバースや飼い猫のチャームも巻き込んで、朝からその脱柵ネズミを捕らえようとしていたという訳だ。 (にしてもファーム……マチラチの件然り、相当この黒ネズミとは縁があるな)ラノスは彼女の目を見ながらそう思った。  机の対面に座るシノは、ヒバナネズミを物珍しそうに見つめていた。 このぐらいの歳の子なら、火を放つ動物に恐怖を煽られても仕方ないだろうに。好奇心の塊である彼女にとって、実験動物という響きにはどこか滾るものがあったようだ。 「興味ある?」とハーブが聞くと、少女は屈託のない表情で「ある!」と食い気味に答えた。 「ヒバナネズミって、そんなぎょうさんおんのか?」 ラノスが尋ねると、魔導士はふるふるっと首を振った。 「ううん。ぶっちゃけると、醸造の検証に使っていた動物たちは殆ど知人に譲っちゃったんだよね。今は薬草やらきのこやらの栽培しかしてない」  ハーブは椅子からすくっと立ち上がり、サンゴーの入ったままのゲージを体前で持ち上げた。 「じゃあせっかくの機会だ。今日の午前の授業は、趣向を変えて生物学にしよう。先生はファームって事で大丈夫?」 ファームとシノは、まるで姉妹のように「はい!」と返事をシンクロさせた。  三人が部屋を出て行ったのち、ハーブは数冊の学術書を棚から引っ張り出した。分類はどれも動物学関連のものである。 「チュウッ」サンゴーは図鑑と睨めっこしているハーブに向け、何かを訴えかけるように幾度も鳴いた。が、そんなものは彼女の集中を途切れさせる確固たる原因にはならない。  ハーブはヒバナネズミの説明文が終わった事で目を離し、別の本にしようと頭のスイッチを切り替えた。 「チュウ!チュウチュウ!」 「ん……」 やけに騒がしいなと感じたのはその時だ。これまでとは明らかに違う、まるで窮鼠にでもなったかのような声を発しているその姿からは、途方もない焦りをひしひしと感じる。  たまたまサンゴーの小さな黒目と目が合ったため、ハーブは人差し指をそいつの前に差し出しながら話しかける。 「大丈夫、怖がらないで。私がいるよ」 何かに怯えているのか、サンゴーはハーブの指に縋るような手つきで擦り寄った。噛まれる覚悟すらしていたため、逆に衝撃を受ける。 「ははっ、どしたの急に。甘えん坊さんだな」  バースやチャームを直に飼育しているのもあってか、動物が餌を食べなくなる傾向はある程度理解しているつもりだ。フードの変化,環境の変化,体調不良,それからストレスの影響。とかだったかな。あいにく獣医学は専門外だから、あくまで個人としての知識範囲であるが。 「とはいってもフードはいつものだし、生活環境だって今までの通りだった。じゃあ体調不良?」 「チュウッ!」 サンゴーは再度金切り声をあげると、素早く体をその場で丸めた。見たところ、突然の寒さにただ暖をとっているだけではなさそうだ。 「お…?」 「ニャー」 丁度その時、黒猫のチャームがハーブの足首に頬を擦りつけた。彼女がこうやって喉をゴロゴロと鳴らしてくるのは、大抵餌をねだっているというサインだ。 「ありゃそっか。まだ朝ご飯を用意してなかったっけね」 ハーブはポンと手を打った。 (そうだよ。ご飯を食べないネズミさんも大事だけど、それ以上にご飯を食べたい天使たちにも毎日のご褒美をあげなくちゃ) 「ちょっと待っててね、チャーム,バース」 後方で欠伸をする白狼にも、ふふっと猫撫で声で笑いかける。フードを取りに行くためにすくっと立ち上がると、足元の黒猫と机上のヒバナネズミがすっぽり視界に収まった。  そういえばサンゴーが積極的にご飯を食べなくなったのって、チャームが家に来た頃だったっけ。 「…………もしかして」 脳天にピカリと光ったアイディアを元に、ハーブは一つの仮説を立てた。 ーTo be continued

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フレイル=サモン(CVⅢ)

フレイル=サモン〈CVⅡ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮前〉 「眩しっ」  照りつける太陽光に思わず目を瞑る。今朝から蝋燭の灯とガラス越しの自然光だけを浴びていたフレイルにとって、この直射日光は些か強烈すぎたようだ。 「まったく、元気な空模様だこと…」 覆うように広がる青空を見上げながら、ぽつりと嫌味事を呟く。その最高の日和とは真逆に、フレイルの心は鼠色の厚い雲に覆われていた。 「どうやら、新入護衛隊員は君だけのようだね」 後方…つまりは宮殿の方から、一人の男が大股で隣までやってくる。フレイルは乾いた同意を返した。 「あはは……ほんと、奇跡ですよね。グラスト副隊長」 彼は長い銀髪を大げさな動きで掻き上げ、わざと朝風の中に靡かせた。どうやら耳元に光る金色のピアスを見せびらかしているらしい。あえて無視する事に決めて目を逸らしていると、彼は機嫌を損ねるどころか眉を八の字にした。 「どうしたんだフレイル。顔色が悪いぞ?いくら僕が美しすぎるからって、そう卑下することはないさ」 グラストは“彼なりに”気遣いの言葉をかけてくる。  何だこいつはと落胆したくもなるが、欠片ほどの悪意も無いためタチが悪い。つまり、彼は自身の美貌のせいでフレイルが落ち込んでいるのだと本気で思っているのである。  特大のため息をなんとか飲み込み、フレイルは適当に「そうですね」と返答した。真正面から反論する気はさらさらないので、代わりに話題を転換する。 「えっと、行くのって国軍運用地でしたよね」 「うむ。護衛隊を含む全軍隊は、基本的にはその一帯にある施設で訓練を行うからな」 グラストは腕を組み、眼下の活気立つ街並みを眺めた。  これから向かうのは、明日以降訓練を行う事になるという軍事施設である。護衛隊の施設以外にも、国軍運用地には部隊別に設置された施設が多くあるそうだ。その中の一角に、護衛隊が使用する場所もある。  グラストはフレイルの特待兵バッジと、自身の金色のバッジを続けて見た。 「寮塔は実に素晴らしいが、ネックなのは訓練の為に一般兵より長い距離を移動しなければならないところだな」 驚いた。この人ってまともな事言えたんだ。口が裂けても本人には言えないが。とー 「お待たせ、二人とも」 開かれた王宮の門を潜り、弾むような声が聞こえてくる。ノアン…いや、今は仕事モードが抜けているらしいので、いつもの「アン」だ。 「おお、Missノアン。先のステージ上での説明、実に素晴らしかった!」 グラストやけにキラキラした瞳で彼女の方を見た。対しアンは特に拒絶もせず、 「これはこれはどうも副隊長さま」などと片手間にあしらう。彼女の水晶のような瞳は、続いてフレイルに向けられた。 「いい?フレイル。グラスト副隊長が虐めてきたら、すぐに報告すること」 「あっ、はい。アン……ノアン隊長」 あぶないあぶない。危うくいつものように短縮系の呼び名を口走るところだった。今は一応仕事中だし、横には容易に地雷となりえる彼(グラスト)がいる。 「?。何を言う、Missノアン。昨日言ったはずだよ。僕はそこまでバイオレンスじゃないってね」 キョトンとした顔で首を傾げるそいつに、心の中でぼそりとツッコミを入れる。 (そっちこそ何言ってんだよ。あんなに恐喝してきたくせに) ムッと眉間に皺を寄せる。グラストはなんとそれに気づいたらしく、さりげない素振りでフレイルの腹部へ肘鉄をお見舞いした。 「おぶえっ⁉︎」 我ながら不恰好な嘔吐きだと評価する余裕もないまま、打撃を受けた部分を条件反射で抑える。尻餅をついたりのたうち回ったりする程では無かったが、数値化したらとんでもない火力だったと思う。 「ん。フレイル、どうかした?」 丁度彼女の位置からは死角になっていたらしく、アンが心配そうにこちらを覗く。正直チクる事も出来るが…… 「なんだいフレイル!お腹でも痛いのか⁉︎」 ついさっきの悪質な攻撃は何処へやら、グラストは本気で心を痛めるような表情をしていた。全身全霊を込めたこの行動は、きっと「ノアンには告げ口をするな」という言葉の暗喩だろう。 (もうこれサイコパスだろ……)と内心拳を震わせつつも、これからの一週間に及ぶ彼との訓練を思い出して抗争心をそっと沈めた。 「いえ何でも。ささ、早いとこ向かいましょう!」 またしても何も知らないアンと、その後ろで頷くグラストの両方に笑って提案する。 「まあ、元気なら良いわ」 アンは肩をすくめた。 「ああ!元気に越した事はないからな!」とグラスト。 フレイルはとうとう耐えきれなくなり、そっと嘆息を漏らした。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉  古くなった木製の玄関扉を開けると、ツンと刺すような獣臭がシノの鼻腔をつっ突いた。すぐ真後ろにいるラノスと同様、顔がしわくちゃになるまで眉間を寄せる。 「うっ…!。な、なんやこの臭い……馬小屋か?」 馬車に乗っている時は、確かに干し草や馬の臭いが風に乗って運ばれてくる事はあった。だがここは……かつて国軍にも所属していたという偉大な醸造師が根城にしている場所である。 「ラノス、あれ見て」 片手で必死に鼻を押さえながら、シノはか細い指をテーブルの上に向けた。  卓上には、大きな金属製のゲージがぽつんと放置されていた。中身は見るからに空っぽだ。横開きの蓋は開け放たれており、格子の中に何も入っていない事を強調する。  慎重に近づいてよく観察してみると、傍には短冊切りにされた野菜が皿ごとひっくり返っていた。 「切ったばっかりらしいな。野菜の表面に新鮮な水分が残っとる」 にんじん色の果肉をじっくり見つめながら、ラノスはそう考察する。シノがあからさまに好奇心を抱いている事を、彼は陰ながらきちんと気付いていた。 「だね…………。食べれ」「るやろうけど食うなよ」 念入りに釘を刺す。シノはぷくっと頬を膨らませた。 「…はあ。師匠もファームもバースもチャームも、みんな何処行ったんだろ」 シノはきょろきょろと辺りを見渡した。以前みんなで掃除をしたので、部屋はそこまで汚くもない。窓辺に並んだ色鮮やかなポーション達には朝日が射し、凪を保っている液体を通して虹模様を描いた。 [……ドタドタドタ……] 頭上から慌ただしく駆けるような足音が聞こえた気がして、ラノスはふと天井を見上げた。途端、遠くの音はぴたりと止む。 「気のせいか」 「あっ、チャーム!」 シノは難しい思考を振り払い、視界に入った黒猫の方へと飛んで行った。ラノスは止めようと手を伸ばしかけ、まあ良いかと辺りの観察に戻る。  チャームという名の黒猫は体勢を低くして机の下に隠れており、潜り込んできたシノを狩人のような瞳で睨んだ。その様子がどうもいつもと違うので、一抹の疑問を胸に留める。 「どしたのチャーム。シノだよ、忘れちゃった?」 昨日ユメと来た時には、エサをくれと言わんばかりにシノの膝乗っては愛しの鳴き声を発していたというのに。本当に同じ猫なのか疑いたくなるぐらい、今日はすっかり警戒モードだ。 「うーん。お腹空いてるのかなぁ」 もしかしたらハーブ達は出掛けていて、この子はご飯にありつけず飢えているのかもしれない。だとしたら大変だ。 「そうだ、いいのがあるよ」 シノは四つん這いのまま少し後退し、手首から上だけを机の上に伸ばした。お目当ての野菜は思ったより簡単に指先に届く。 「はい。どうぞ」 「ニャァ」 手に取ったそれを子猫の前に差し出すと、チャームは一瞬だけ頭を引いた。警戒している証だ。 「大丈夫だって。食べれるから」 ラノスが言ってた、とちゃんと付け加える。チャームはスンスンッと念入りに匂いを嗅いでから、やっと一口だけ齧った。 「美味しい?」 「ニャッ」 小さな口を動かして咀嚼するその様子を見て、シノは満足気に微笑んだ。 「おい、シノ!」 何があったか、ラノスは突如として声を荒げて呼びかけた。 「わ⁉︎」[ゴンッ]「あいたっ!」 声量と威圧に思わず驚いてしてしまい、シノは勢い余ってテーブルの下に頭を打ちつけた。朱色の髪越しに頭を抑え、苦しさを紛らわすべく必死に悶える。  なんとかラノスの下へ這い寄ると、彼はシノのいる床ではなく何もいない天井を凝視していた。 「ラノス…?」 「なんかおる。この上って、確かハーブとファームの部屋やったよな?」 シノは首肯し、よろよろと立ち上がった。手元には食べかけの野菜が握られている。 「にしては足音が奇妙なんや。まるで小動物みたい……な…」 とそこまでを推理した、次の瞬間。 [ドタドタドタドタドタドタドタッ]凄まじい勢いで何者かが階段を駆け降りてくる。ここからだと階段は裏側しか見えないため、誰なのかはまだ分からない。 「シノ。下がっとけ」 ラノスはシノの前にサッと手を翳した。両の目を三角にし、とうとう姿を見せた生命体をキッと睨みつける。 「チュウッ!」 「ーーへ?」 こちらへ猪のような速度で猛突進してくるのは、一匹の黒いネズミだ。 「待ちなさいサンゴー‼︎」 階段の方向から、若々しい女性の怒鳴り声が聞こえてくる。あれはファームの声だ。  ネズミは床を後ろ足で蹴り上げ、高々と飛び上がった。そのY軸は常時浮遊しているラノスの高度と一致し………… 彼がふと目を見開いた時には二本の鋭利な前歯が助言獣のずんぐり頭に突き刺さっていた。 「いっっっっだああああああああああああああっ‼︎」 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CVⅡ〉

フレイル=サモン〈CVⅠ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮「大聖塔」〉  フレイルは“護衛隊”と書かれたプラカードを掲げる軍人の眼前に黙って立ち惚けていた。後ろには当然のように誰もいない。 (そっか。ジェノバ中央都市の護衛隊の入隊は俺だけなんだっけ) 優越感と孤独感は紙一重だというが、今ならその言葉の真偽が分かる。実際、フレイルは爪先で床を弄るように足首を動かすことで時間を潰していた。 (はあ。リクの所属が同じところだったらな…) 東部都市では割とあっさり別れた彼だが、あの時に釣り落とした魚は想像以上にデカかったらしい。きっとリクがここにいたとしたら、ステージ脇に並べられた椅子に座っている面々を見て、二人してがくがくと萎縮していた事だろう。  計十二人の軍人達が、これでもかという程の威圧感圧を放ちながら木椅子に腰を据えている。どの者の軍服にも山吹色のバッジが見られることから、相当な地位を確立している事は容易に予想出来た。  一人ひとりを観察するように見ていると、右端にいたアンの蒼色の瞳とばっちり目が合った。 (あっ) どどどうしよう、何か返さないと!と脳を回転させている間にーースッ。 (あれ?) アンは視線を逸らした。見つめ合う事に対する恥ずかしさなんだと思いたいが、それは所詮ただの妄想である。その証拠に、再度見てみた彼女は「仕事モード」のそれだった。 (なら仕方ないね。あー、えっと…) 一応、その隣の男についても説明しておこう。  アンの一つ隣の席に座しているのは、塔の入り口で出会ったタスパという軍人によく似ているグラスト・アングリアだ。自己肯定感の高さを象徴するように足を組み、いかにもつまらなさそうな目でこちらをねめつけている。 (いや何なに!そんなに睨まれても心当たりが無いって!) 冷や汗が頬に滲み、首筋を辿って床へと垂れていく。フレイルはぶるっと身震いした。もしかしてだけど、アンとアイコンタクトを取ったから……拗ねてる? (いやいやまさかね) 正直彼なら充分あり得るが……まあ、今は一旦良い。この事は後日、アンも合わせた3人の場で議論する事にしよう。  ふと耳を傾けると、周りの騒めく声が少し大きくなったような気がする。 (人が増えてきたんだな)フレイルは横目で確認した。  到着した時と比べると、明らかに集団の存在感が増してきている。とはいえその人数は大体90人ぐらいで……正直、一つの都市軍隊における新入隊員の数としては決して多くないように見えた。 (その中で護衛隊は一人…) 隣の列に着々と人が並んでいくのを見ていると、もはや優越感は欠片も湧かない。あるのはちょっとした羞恥心と、ひとつまみの哀愁だけだ。  ゴーン…。ゴーーン……。ゴーーーン………。 何処からか反響してくるその音は、街の時計台から忙しなく鳴る振鈴だ。新入隊士達はそれが耳に入った途端、水を打ったようにしんと静まり返った。  ステージ脇の椅子から、一人の男性軍人がゆっくり立ち上がる。コートの下には柄の短い斧がベルトに挿さっており、その刃は遠目に見ても分かるぐらいにはよく手入れがされていた。  猪首とはいかないぐらいの太い首を鳴らし、軍人は周辺の空気を一気に吸い込んだ。 「これよりッ‼︎サウラ国軍及びジェノバ中央軍、入隊式を開始するッ‼︎」 閑散とした水面に岩を投擲するかの如く、男は割れるほど野太い声を張り上げた。体感だが、カラクサ宿屋辺りには聞こえたんじゃないかと思う。 (ひ、ひえぇ…)あまりの衝撃に目を床へ落とす。 残響は耳鳴りとなって鼓膜に被さり、三半規管をこれでもかと刺激した。 「まずはダラクタラ国王陛下の話だ。心して聞くようにッ‼︎」 そんな感情など露知らず、絶叫軍人は重圧を込めた命令で威嚇する。 (あの人も護衛隊なのかな。だとしたら、アンガチ恋のグラストやだる絡みのラージさんと肩を並べるぐらい厄介だぞ) フレイルは指先の一寸も動かさず、心の中で肩をすくめた。  雑念に脳を委ねていると、ステージの講演台に高齢の男性が一人歩いてきた。付き添いの衛兵がその体を支える。講演台に着くと、彼は眼前の新入隊員達をしっかり見据えた。 「全員座れ」 そう命令を下した声色は、恐ろしいぐらい優しい。フレイルを含めたその集団は、怖気付くかのような速度でサッと腰を下ろした(どういう座り方がベストなのか分からなかったので、一応体操座りをする)。  国王による訓話は、仰々しい雰囲気から始まった。 「まずはじめに、この場の全ての新入隊員に向けて改めて祝いの言葉を贈る。合格おめでとう」 ダラクタラは両肘を腰の高さで曲げ、胸の前でパチパチと甲高い拍手をした。だだっ広い塔の中でその音は生まれ、街にたどり着く前に生活音と混ざってなくなった。 「……残念なことに、この国の就軍率は年々地を這うように下がっている。今年は歴史上最も低く、護衛隊と射撃隊への入隊が僅か一人ずつという結果になった」 射撃隊なんてあるんだ、と能天気に思うフレイルとは真逆に、国王のテンションはこの国の就軍率のように段々と下がっている。 「君たちには、これまでの新入隊員とは桁違いの働きを期待する事になるかもしれない。人員不足が長年の課題だからな」 ダラクタラは言葉を切り、浅めの深呼吸を行った。何を覚悟しているのか、ギリッと歯を食いしばる。 「あまり熱い言葉をかけるのは苦手だがーー」 翠色の宝石を煌めかせる片手を体前に構え、ギュッと空気を握る。 「共に戦おう。国民を守り、ジェノバを…そしてサウラをよりよく発展させる為に。既軍の者達と共に高め合い、強く成長してほしい」 少しだけ体勢を前のめりにしつつ、講演台の両端を力強く握りしめる。彼の訴えかけるような目は、見えない炎でめらめらと燃えていた。 「君たちの活躍は逐一私の耳を通すようにしている。それに応じた報酬も、適度に付けるつもりだ」 今気づいたように両手を引っ込め、締めの言葉を述べる。 「これから説明されるだろうが、一週間して再度ここに集まった時、君たちがどんな顔をしているのかを楽しみにしている」 国王は一歩退き、深々と礼をしてから衛兵の補助を受けつつステージを降りた。 (王は王なりに、不安と葛藤の毎日なんだろうな。それに……) 式辞中、彼の両膝が時折り病的に震えているのが何度か見えた。王室の椅子から立ち上がっている所を見るのは何気にこれが初めてだが、衛兵に介助されている様子を見るに何かしらの限界が近づいているのは確かだ。 「続いてッ‼︎陛下のお話にもあった通り、これからの訓練の流れについて説明するッ‼︎」 先程と同じ割れ声の男がそう進行する。ここまでくると、本人より司会を任せた人物に問題があるようにも思えてきた。  幸いな事に、説明をするのは例の男ではなくクールビューティーなノアン・クリスチア護衛隊長らしい。 ステージに上がった彼女の姿は、ステンドグラスから射す光と相まって普段以上に美しかった。 「皆さんにはこれから七日間、次のような流れで訓練を行ってもらいます」 懐から取り出した四つ折りの紙をペラペラと開き、項目ごとに読み上げる。 「午前中は主に、所属部隊にて合同修練を行います。基本は戦闘意識や体術,立ち回りの指導が主ですね。これは原則として全員参加です。訓練場所は後々お伝えします。  続いて午後ですが、この時間は各々の武器種に応じた鍛錬の時間となっています。武器種は剣,弓,斧,槍。それから武器ではないですが馬術などもあります。それぞれに専門的且つ実践の得意な師範が付く事になるので、実力の向上にはこの上ない環境でしょう」 フレイルは(アンが以前言っていたのはこれの事か…)と過去を追憶していた。 『ただ、試験に合格すれば一流の戦士がみっちり戦闘稽古をしてくれるってだけ。それも無料で』 コブラ防武店にて、半ば強制的に告げられた彼女の言葉が脳裏に蘇る。アンは少し間を開けてから続けた。 「これらはあくまで自主鍛錬という扱いで、受けるかどうかは完全に任意となっています。武器種は一度選択した後でも自由に変更でき、開始時間までに指定の場所に行きさえすれば鍛錬に参加する事が出来ます」 手際よくそこまでを説明した所で、アンは手元の紙を裏返した。彼女の最高級ラジオは、いつまで聞けるレベルだ。 「最後に。新人軍兵は、最初の一週間は任務ではなく訓練や鍛錬のみを行う事になっています。実践任務についての説明は、一週間後に再度召集をかけてから行う予定です。私からは以上となります」 アンはぺこりと頭を下げ、靴音をできるだけ鳴らさないような足取りで自身の座席に戻った。と同時に、司会進行役の割れ声隊員が彼女と場所を交代する。 「以上でッ‼︎サウラ国軍及びジェノバ中央軍、入隊式を閉式するッ‼︎」 一流アナウンサーのような滑舌を聞いた後だと、その声はたった一人で不協和音を奏でているように感じてしまう。まあとはいえ、式はこれにて終了だ。 (あれ?意外と早く終わったな) 身の回りに時計が無いので正確には不明だが、多分四十分程度しか経っていないように思う。 (まあいいや。帰ったらラノスと寮室の家具でも買いにーー) 「ではこれよりッ‼︎」 軍人は割れた怒声を上げ、たった一息でその声量を続けた。 「属軍別の訓練場所案内を開始するッ‼︎ステージ横におられる隊長・副隊長の指示に従って、速やかに動くようにッ‼︎」 …………………………………グシャッ。 刹那、フレイルがちまちまと組み立てていた「今日の予定」は粉々に粉砕された。 −To be continued

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フレイル=サモン〈CVⅠ〉

フレイル=サモン〈CV〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮「連絡橋」〉  食事塔内部の猛暑と寒波を再度越え、朝の冷えた空気が満ちた外に出る。直前まで1階の茹だる熱気に苛まれていたので、この肌寒さは逆に心地が良かった。 「さて。じゃあさっき話した通りで」 フレイルは後方の二人を回れ右で振り返った。“さっき話した通り”とは、居住塔を降りている最中に交わしたやりとりの事である。 「ワシはシノの行き迎えと、生活用品の買い物やったな」 ラノスは自信満々に頷いた。白毛の覆う手の平には、一枚の金貨が大切に握られている。 「シノは師匠のとこ〜」 天窓から射す日の一閃が、彼女の装飾品である[流銀の加護]にチラチラと反射する。フレイルは思い出したように忠告した。 「気をつけてね。王宮とハーブの家はだいぶ離れてるからさ」 「うんっ!」 シノは何かを振り落とすような勢いで首を振る。ラノスをボディーガードとして任命したのは、そんな彼女が心配だったからに他ならない。 「入隊式がいつ終わるか分からないから、とりあえず集合は夕方で。オーケー?」 「あいあい!」「了解した」 各々が各々の言葉で了承を表す。フレイルは二人の身長に合わせ、グータッチを交わした。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮「大聖塔」〉  大聖塔には既に大勢の新入軍兵たちが列を成しており、不安と緊張から奏でられる不協和音を広間全体に反響させた。 (さすがは軍人、時間厳守は当然の原則なんだろうな)  軍人の多さにも正直驚いたが、それ以上に圧倒されたのは塔そのものの造りだった。  一息で言い表すと、「椅子や机のない教会を、横に,縦に,長く引き伸ばした建物」だ。  建物の側面には五メートル四方のステンドグラスがこれでもかというほど敷き詰められており、神聖な朝日を外面から取り込んでは鮮やかな色彩を浮かび上がらせていた。 「綺麗……」と無意識に溢す。  当然のように天井は高く、今日初めて新品の軍服に袖を通したであろう者達をじっと見守ってくれている。  建物の前方には、それこそ教祖が信徒に教示を行う時に立つような講演台が仰々しく設置されていた。台のあるステージの上にはまだ誰も立っていないのに、何故か切って貼り付けたような威圧感が漂っている。  見知った顔でもないかと不安げに辺りを見渡すと、ちょうど例の講演台の傍に来賓用の椅子がいくつか確認できた。 (アンやラージさんのような先輩達は、みんなあそこに座るんだろうな) 「…………」 その豪華な並びにグラストを入れなかったのは、できれば思い出したくもない人命であったからだ。あの限界ナルシストとは同僚どころか、この先永遠に友達にもなれないだろう。最低限だけ関わるのが吉だ。  少し入り口付近をうろうろし、フレイルは軽く勇気を出して近場の護衛隊員に問い尋ねた。 「すみません、新入護衛隊員の列ってどこです……か」 その隊員の顔を見た瞬間、スーッと声が小さくなっていく。噂をすればとは良く言ったもので、そこに立っていたのは例のナルシスト軍人、グラストだった。 (よ、よりによって一番会いたくない人に…‼︎) フレイルは焦る気持ちを宥めるように下唇を噛んだ。納得のいく説明を自分自身に言い聞かせる。  たしかに彼は変態で自己中心的な人だが、悪い奴じゃない。こっちが困っているのを良いことに悪企むような狡い奴じゃない事は百も承知だ。  しかし、堂々と岩のように立つ彼は、前には見なかったにこやかな目つきで一方を指差した。 「一番右端の列だ。前方に看板を持った隊員がいる」 電気のような衝撃が体を走る。聞こえると思っていた鼻につく声とは違い、爽やかで中性的な声音が発せられたのだ。  彼が指した方を見ると、たしかに木製のプラカードを持った白ずくめの軍人が先頭に立っている。軍人達が体で隠すように並んでいるため、後方からでは見えなかったようだ。  っていやいやいや。今は正直な話、その場所よりも彼の方が重要である。よく見たら襟元にはフレイルの次のランクである「銀色」の特待兵バッジを付けているし。 「えっと。すみません、お名前を聞いても良いですか?」 グラスト似の軍人は嫌な顔一切せずに答えた。 「ん?。ああ、名前はタスパ・アングリア。中央軍戦闘隊所属の、地位は中佐を任されている」 アングリア……そのラストネームには、言わずと聞き覚えがある。 『彼はグラスト・アングリア。護衛隊の副隊長よ』 軍兵寮の受付で初めてグラストと出会った時、アンがそう紹介してくれた。似た顔立ちと同一の姓……関係性は分からないが、少なくとも血が繋がっているのは間違いなさそうだ。納得納得。 「?。どうかしましたか?」 タスパは心配して顔を覗き込んだ。グラストと同等に整った美顔がグッと近づく。 「あ、いえいえ。ありがとうございます!」 フレイルは慌てて頭を下げ、プラカードを掲げた軍兵の元へ小走りで向かった。 後で本人に確認しよう。どうせすぐ会う事になるだろうし。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮「王室」〉  ダラクタラ国王は豪華な椅子に腰掛け、悲しげに王室の天井を見上げた。ここ最近、こうしてボーッと無計画に何かを考える機会が増えている……気がする。 (今年の新入隊員の数は由々しき事態だ。特に護衛隊は酷い。確かに審査官がノアン隊長であるというのは相当高いハードルだったが、にしてもたったの二人というのはあまりに残念だ) 「(年々国民の入隊意識が減少している事はわかっていたが…… まさかここまで明確に形として表れるとは)」 眉間に皺を寄せ、伸びた顎髭を軽く摩る。悩む時の彼の癖だ。 「陛下。もう暫くで入隊式が始まります」 部屋の出入り口を警備している護衛隊員が静かに報告する。 もうそんな時間か…… 「ああ、分かった」 ダラクタラは肘掛けに力を込め、重たい腰を上げた。  迷いの種は途切れることを知らないが、だからといって適切な対策がそう簡単に練れる訳はない。王である私に出来る事…それは、歴史を漁り探究して、この国の保全と保安を整備することだ。ーーーと、視界の端で太陽光が机上の何かに反射する。 「………っ」 刹那のスピードでそちらを見ると、そこには緑翠色の宝石が嵌め込まれた指輪が忘れないでと叫ぶように転がっていた。存在を知らしめるかのように反射光を散らすそれは、本来王妃が着けるべき装飾とされている。あくまでもこの国の習わしだが。 「忘れる訳がないだろう」 ぽつりと呟き、その指輪を薬指に装着する。神聖な儀式の場だが、少し茶目っけを見せても良いだろう。緑の宝石は、無機物のくせにやけに活気づいているように見える。 「(子供を人一倍愛していた彼女なら、一体どのような政策をしたのだろうな)」 今は亡き愛妻の意思と共に、ダラクタラは王室に背を向けた。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「アンの部屋」〉  雰囲気はガラリと変わり、可愛らしい女の子の部屋へと移る。アンは、今起きたらしいユメの寝癖をクシで整えている最中だった。 「良かったねえユメ。もうちょっと起床が遅かったら、自分でしなきゃいけなかったんだよ?」 「ええ。ほんと、悪夢のおかげで助かったわ」 ユメはアンの膝の上で皮肉っぽく言った。  時は十分前に遡る。 『いにゃあああ!』 彼女はそんな絶叫をあげながらガバッと目覚め、飛び跳ねた頭の毛すら気にする様子もなく居間のソファへ飛んできた。 『あの…クソバカラノス!いよいよ私の夢にまで出てきて嫌がらせするつもりね!』 自身で購入したぬいぐるみに、ゼロダメージの鉄拳を複数回お見舞いする。アンは経験上止める必要がないと判断し、じっとその奇行を見守ることにした。  時間は戻り、アンは苦笑した。 「だから分かったってば。友達が夢にまで出てきてくれて嬉しかったんでしょ?」 「嬉しくなんかないって‼︎」 断固として否定する彼女の頬は、ほんのり赤らんでいるように見える。アンは少し上機嫌になってクシを置いた。毎朝のルーティーンであるブラッシングは完了だ。 「はい。完成」 「ありがと、アン」 持ち合わせのシンプルなコンパクトミラーで確認すると、跳ね毛の一つもない整った毛並みが目に入る。彼女の毛払い使いは世界一だ。 「流石だわ。本当に」 「長年やってると覚えてくるのよ」 アンは軍服の襟や袖丈を再度チェックし、服装を何度も確認する。  やがて自分の中で合格点が出たらしく、彼女は爽やかな笑顔で玄関の扉に手をかけた。 「それじゃ、行ってくるね」 「行ってらっしゃい、アン!」 ユメはアンに抱きつきたい衝動をなんとか内に秘め、彼女が戸を閉めるまで手を振る事に決めた。 「ふふっ」 螺旋階段を眼下に見据える廊下に出たとき、アンは我慢していた微笑みを一気に暴発させた。 「ふふっふっ、あはっ」 それは魔性の笑いではない。ましてや何の企みでも、何かを計画している故の嘲笑でもない。彼女は、ただひたすらに喜んでいたのだ。 「おや、Missノアンではないか!おはよう。奇遇なものだな!」 あまり耳には入れたくない周波数の声。アンのことをそんな風に呼ぶ特待兵は一人しかいない(多数もいないでほしい)。  アンは顔を上げ、仕事モードの冷たい表情で彼を見た。 「おはようございます、グラスト副隊長。奇遇?おかしいですね。 あなたも私も特待兵寮塔に拠点を構えています。同じ大聖塔へ行くのですから、回廊で遭遇するのは何も珍しいことではないでしょう」 一息で、まるで責め立てるような勢いでそう告げる。こうすれば大半の人間は引いていくのだが…… 「そんな事はないさ!これは偶然が生み出した必然のようなもの。つまりは運命なんだよ!」 うわー、めんどくさ。……まあ、良いか。彼の強さは折り紙付きだし、軍人としては尊敬すべきところもある。それに………ケインのことも。 「さっさと行きましょう。あまり無駄話はするものではありません」アンは流れるように背を向けた。 「ああ。…ところで、さっきは何を笑っていたんだ?」 ………………‼︎。気付かれていたか。よりによって彼に。 「はて、何のことでしょう」 「いや、とぼけなくても良いんだ。僕には分かる。そう、それはずばり……僕と朝から顔を合わせられて嬉しかったからだろう!」 決めっ決めのドヤ顔で言い放つ副隊長はさて置き、彼女は確かに喜んでいた。ユメが、アンやクッキーなどの好物意外で感情を荒げていたからだ。 (ユメは助言獣で、私とよく似ている。口調とか考え方とか、好きな食べ物とか嫌いな動物とか。だから彼女は私と同じで、黙って本を読んでいることより、思い切り体を動かすことの方が好き。  けど、あの子は助言獣だから……一人で部屋にいるしかない。彼女は非力で、悪人に捕まったりしたらまず戦えないから。たまに外に出て一緒に買い物をするけど、それだけじゃきっと、普段の退屈な生活の癒しにはとうていならない) アンは深く息を吸った。蝋燭の苦い匂いが鼻の奥をつんと刺す。 (そして、それは私も同じ。昔の波瀾万丈だった日々の方が、何倍も充実しているはずの今よりもずっと楽しかったように思える。けれど…) 脳裏に浮かぶのは、フレイルやラノス,シノたちの顔だ。 (私は、自分を変えてくれる存在にやっと出会えた。歩み寄って、努力して、失敗して、経験して…もう、今の生活が退屈だなんてこれっぽっちも思わなくなった)  ユメにとってはまだ始まったばかりだろうけど。その一歩を着実に踏み出したことが、今は何より嬉しかったのだ。 ーーカチッ、カチッ、カチッ……あと十分。いや九分と四十三秒か。いよいよ入隊式が始まる。それが音のない警鐘の合図だ。  時の流れに名を刻むことは、神を除いて何人にも不可能な行為である。つまり、この瞬間が歴史の大きなうねりの元凶であろうと、決して大それた名前は持たない。 持ってはならないのだ。 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CV〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅨ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮「食事塔」〉 「腹減ったぁ…」 青年が一人、呻きながら食事塔の1階〜3階までを登り終える。蹌踉とした足取りでここまでやってきた彼は、服装を見るに護衛隊員らしかった。  金髪のてっぺんから伸びた長いアホ毛の先端が、空腹に絶望する美顔の真上まで垂れている。 「だめだ。もう歩けないぃ……」 青年は近くの空のテーブルにぐったりともたれ掛かった。お腹が空いたからという理由だけでは説明がつかないほど、彼はすっかり意気消沈している。とーー 「はあ…ほら起きてコール。念願の朝食だろう」 それは、青年よりも少し後から塔を上がってきた別の男による嘆息だった。机に蹲った金髪の軍人を“コール”と呼んだ彼は、呆れた様子で自身の黒髪を掻く。  コールは残された力で反論しようとした。 「流石に深夜から夜明けまでの門番警備はキツすぎるよ。ビックもそう思わない?」 “ビック”という名の黒髪の青年は、黒縁眼鏡の鼻当てをクイっと上げた。度の低いレンズ越しに眼下の親友をふと見下ろす。 「『門番担当の隊員は業務後に食事塔のご飯が食べれるらしい!』って息巻いてたのはどこの誰だったかな?」 「ぎくっ」 「それに、キツすぎるよって言葉は仕事を引き受ける前に僕が散々言ってたはずだけど」 「ぎくぎくっ」 金髪の青年は痛いところを突かれ、自分の爪の甘さにげんなりした。要因は不明だが、余計に体調が悪化したような気がする。 「………まったく。何が食べたい気分?注文してくるけど」ビックが軍服をサッと翻す。 コールはその優しさににんまり顔で答えた。 「胃に優しいやつを頂戴。今お腹減りすぎてて、逆にあんま入んないから」 ビックはため息混じりに「はいはい」と頷き、相方をその場に残したまま注文所へ向かったー ーー強い酸味を放つ葉のてんぷらを黙って咀嚼しながら、フレイルは先程の一連の流れをなんとなく眺めていた。遠くて声は聞こえなかったが、あの二人組にははっきりと見覚えがある。  彼らはたしか、ここ暫く宮殿の門番をしていた軍人達だ。金髪の方がコールで、黒髪の方がビックだったか。  思考に夢中で咀嚼をおざなりにしていると、目の前で汁に浸した天ぷらにがっついていたラノスがカタンッとフォークを置いた。 「ふいーっ、ワシはもうお腹いっぱいや」 「シノもおなじく…」 マジか。続けはしなかったが、もちろんフレイルも腹八分である。  どうしよう。結構食べたつもりだったが、浅皿を覗くと黄金色の天ぷらがまだ五つほど見える。 (タラフリー……衣はサックサク、降りかかった塩も良い塩梅で最高に美味しかった。けど量がだめだ。これ以上食べたら、喉の奥へと見送ったばかりの思い出達が願わない凱旋を果たす事になる) 「はーあ。いい具合にお腹が減ってる夜勤明けの軍人でもいたらなあ……」 そんな夢物語を口走った、次の瞬間。 [ぐぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ] その腹の虫は、地割れとも思える程の轟音を室内に鳴り響かせた。一瞬花火でも打ち上がったのかと吃驚したが、その音の中心地点が先ほどの「コール」そのものである事に気付く。 「な、なんや‼︎。爆発か⁉︎」 「ううん。違うよ」 焦るラノスをぴしゃりと静止させ、否定の向きに首を振る。天ぷらの残った浅皿を手に、フレイルはガバッと立ち上がった。  テーブルに座って相方の帰りを待つコールに、フレイルはそっと近づいた。ラノスとシノには、食べ終えたそれぞれの食器を返却口へと持っていってもらっている。 「あの…」 「……んん?」 声をかけられたため、青年はなんとか顔を上げた。目元にかかった前髪を片手で払い除ける。コールはきょとんとした目でフレイルを見上げた。 「えっと、よかったら食べます?揚げたてではないですけど……その、間違って頼んじゃって」 青年は目線を天ぷらにシフトした。初めはそれが何か理解すらしていなかったが、漂ってきた匂いによって思考が塗り替えられる。 「い…」 「い?」  コールは机に倒れていた上体をほぼ垂直に起こし、湧き出た唾液をじゅるりと飲み込んだ。 「いただきますっっ‼︎」 素手で天ぷらを摘み上げ、貪るように口へと運んでいく。彼の目の輝きは、一時的にシノをも凌駕していた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  黒髪のビックは片手に暖かなラダシリーを乗せ、もう反対の手に自分用に注文した肉厚ステーキを乗せてやってきた。 「今月のメニューは当たりだったな」と、珍しく少し弾んだ気持ちで呟く。  こんな高級ステーキが無料で食べられるのなら、深夜の警備仕事は意外と割に合っている気がした。まあ、コールはその分の疲弊に耐えきれなかったようだが。 「コール、おまたs……」 「うんまああああっ!」 ………へ? 「美味しかったなら何よりです」 「ああ、生き返るぅ…」 ちょ、ちょ、ちょっと待って。状況が飲み込めない。  一つずつだ。一つずつ理解していこう。まずは、目の前の机でタラフリーに齧り付いているコールについて。 「あー、コール?」 「んんっ。おお、ビック!」 三個目の天ぷらに伸ばした手をぴたりと止め、金髪の青年はくるりとこちらを振り返る。どうやら正気を失った訳ではないようだ。 「その……色々と聞きたい事が渋滞してるんだけど」 チラッとコールの対面に立つ護衛隊員を睨む。少し横に跳ねた黒髪のショートヘアに、翡翠石のように綺麗な隻眼。の男は礼儀正しく頭を下げた。 「あ、どうも。新人護衛隊員のフレイルっていいます」 「は、はあ」 ビックは目をぱちくりさせた。何事かと怪しむ彼を見て、声高々に一喝する。 「おいビック、失礼だぞ!彼は僕の命の恩人だ」 「命の恩人って…もしかして、それを貰ったからか?」 “当たり前だろ”と返事をする代わりに、彼は芋天を口に頬張る。立て続けに起こる厄介ごとの嵐には、思わず頭が痛くなった。 「一つだけ聞かせて。さっきあっさり系が食いたいって言ってなかった?」 ステーキと共に卓上へ置いたラダシリーに目をやる。コールは悠長に芋天を飲み込んでから感嘆した。 「まあね。嗅覚ってほんとすごよ。ほとんどゼロだった食欲をここまで沸騰させてくれるんだから」 …………こいつはもうダメかもしれない。 ビックは彼の事を一旦諦めて、フレイル隊員の方を向いた。 「えーっと、コールがすみません。まさか先輩のものを食べてしまうなんて…」 紳士的なお辞儀が真正面から向けられ、体がむず痒くなる。「先輩」という敬称に違和感を覚えたのはその時だ。 「ああいや、気にしないでください。それに俺、先日の試験で合格したばっかりの新人隊員ですし」 手振りを添えて否定すると、ビックはギョッと目を丸めた。その視線は、襟元にて銅色に光る特待兵バッジの方を向かれている。 「そう………ですか」頷く彼の語尾は、若干フレイルに引いていた。 (入隊してすぐ特待兵に入るのは、アンも凄い事だって言ってたし。この反応はしょうがないか) とはいえ、まだ実感は湧いていない。この首元の称号が、自身の存在を如何に証明してくれるのか。気付くのは随分と先の事になりそうだ。  話題がぷつりと途切れたタイミングで、フレイルは思い出したように確認した。 「あの…一昨日の夜、宮殿の門番をしていましたよね。その前にも何度か」 「一昨日?」 丁度てんぷらを食べ終えたらしく、コールは完全に回復した脳で件の記憶を思い返した。 「…ああっ、もしかして、ノアン隊長と一緒にいた人ですか⁉︎」 コールは過去の情景をはきはきと確認した。たまたまなのか地の記憶力がすごいのか、彼は数日前の話をスラスラと思い出す。 「そうですそうです!あの時はーー」  フレイルが同意し始めると、唐突に彼の思考は変な方向へ曲がり始めた。 「たしかノアン隊長の………かぞ…く………」 コールは瞳から正気を無くし、急に口を窄めた。嫌な記憶にクラッと目眩いが起こり、そのまま前のめりになって机にゴチンッと倒れる。ギャグ漫画ならたんこぶか流血が起きているレベルだ。 「え、え?ええ⁉︎」 「すみません、フレイル…さん。こいつ、記憶力が良すぎるんです」 ビックはこいつ(コール)の背中をさすつてやった。  いやいや記憶力が良いって言ったって!。いつ誰が俺の事をアンの家族だなんて言ったんだよ。身に覚えがない……………ぞ…… 『家族…かな』 不意に思い出した、ポッと頬を赤らめる彼女の横顔。あれは一昨日の夜。コール(つまり門番)を騙して宮殿の中に入ろうとした際、アンがそんなことをでまかせていた。 「しまった…そこの誤解は解けてなかったか」 「(起こしたらあとで弁明せんとな)」忍び足で帰ってきたラノスは、自分に関係ないのをいいことに小声で笑いかけた。ついでにその後ろのシノも。 「(全然笑えないよ。はあ、面倒な事になった…)」 「おーい、コール。大丈夫かー?」 ビックは気絶中の彼の肩を強めに揺らした。呻く意外の返事は返ってこない。 「ど、どどどうしましょう⁉︎」 フレイルはわたわたと尋ねた。てっきりショック死したものだと思っていたが、どうやらただ寝ているだけらしい。 「うーん…」 ビックはほんのり嬉しそうに嘆息を吐いた。 「まあこうなることは日常茶飯事ですし。人も少ないですので、起きるまで待ちますよ」 自身が卓上まで運んできたステーキとラダシリーを指差す。 「俺自身、お腹空いてますし」 「はあ…」 意外と焦らない様子のビックに、フレイルは少しだけ驚く。  ってか日常茶飯事なの?アンと痴話を交わしていたと勘違いし、勝手にショートし、そのまま死んだように眠る事が? 「あ、改めて言っときます。俺らはアンとはギルドメンバーです。決して家族関係にはありません」 釘を刺すようにコールからビックへと視線を動かす。 「彼にも伝えておいてください」 「分かっていますって」 ビックは切な願いを片手で静止した。分かってるなら良いんだけど……と 「僕は応援してますよ」 いや分かってない!この人ぜんぜん分かってないよ!  小一時間きちんと訂正しておきたいところだが、その前に近くの壁掛けの時計が目に止まる。長針がほんの少し右にズレれば、もう入隊式開始の一時間前だ。  仕方ない、今日のところは引き下がろう。後日弁解すればいいさ。フレイルは右手を差し出した。 「じゃあ、俺らはこれで。これからよろしくお願いします。ビックさん」 「はい、よろしくお願いします」 ビックはブロンズ色のバッジをもう一度見てから握手を交わした。タメ口を使ってもらっても構わないのに、やはり彼は妥協も躊躇もせずに敬語を返した。 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅨ〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅧ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮[食事塔]〉  塔に入ると、一向は密閉された小さな部屋に出た。物置部屋ほどの狭苦しい空間が、蝋燭の光を受けて薄ぼんやりと浮かんでいる。食事塔というからには食堂のような場所なのだろうと思っていたが、眼前にあるのは実に奇妙な部屋だ。 そして何より…… 「なんかここ、暑くない?」 軍服の襟元をパタパタさせながら、フレイルは後ろの二名に確認をとった。 「うん……暑い」 「ああ、かなり蒸し暑いな。外は涼しいぐらいやったのに」 ラノスは獣毛に覆われる顎に片手を添えた。そう、そこがこの部屋の奇妙なところだ。  冬朝の冷たい空気のおかげで比較的涼しかったというのに、この踊り場(?)はどう言う訳だか高温で多湿だ。  額にかいた発汗を隊服の袖で拭う。空中を掻く助言獣は「んべっ」と舌を出し、数メートル先の階段を指差した。 「とっとと行こう。ずっとこんなとこおったら、ええ感じに蒸しあがってまうわ」 少女が赤毛を揺らして賛同する。確かに、これ以上貴重な水分を失うのはなんとか阻止したいところだ。 「うん。そうだね」 一向は木製の階段を登り、謎の灼熱の空間をそそくさと立ち去った。  2階に上がると妙な暑さはなく、逆に凍てつくような寒さを感じた。コートを着ているからフレイルはなんともないが、シノとラノスは顔を真っ青にして震えている。 「おいおいおい。ほんまにここは食事塔なんやろうな⁉︎」 歯をがちがち鳴らしながら、この場の誰も答えられない質問を乱暴に放り投げる。 「うん。多分ね…」 確固とした根拠はないが、少なくとも警備兵はここが食事塔だと言っていたはずだ。氷のように冷たくなった手すりを握り、うんざりしながら階段を登る。  3階の室温は割とまともで、下階と比べて快適に感じた。まあ、部屋の狭さは相変わらずだが。 「なんか、良い匂いする。泡?みたいな」 シノは眉を寄せた。 試しに空気を吸ってみると……ほんとだ。シャボン玉に近い泡系の匂いが、鼻腔をそっとくすぐってくる。それに僅かだが、壁の向こう側からカチャカチャという陶器の音も聞こえた。 「(なんだろこの音。誰かが食事中なのかな)」 「あっ、フレイル!」 軽快なステップを踏みしめながら、シノは階段を一段ずつ跳ね走る(?)。相当なものを発見したらしい。 「ほんま、見習いたいぐらいの元気やわ」とラノス。 「だね。……待ってよシノ!」 少し遅れて上り終えると、明らかにこれまでとは毛色の違う部屋に辿り着いた。 「明るっ」 まず目を刺激したのは、明らかな光量差だった。頭上にはシャンデリアらしき照明があり、そこから陽光と酷似した灯りが猛々しく注いでいるからだ。四方の壁に埋め込まれた大きな窓も、部屋を照らしている要因の一つだろう。  それから、天井の高さもまるきり違う。これまでの1階〜3階の高さは殆ど統一されていて、大きく見積もっても五、六メートルがいいとこだった。が、この部屋の天井は10メートルをゆうに越している。  次に違うのは部屋の広さだ。下の広さを仮に「一」としたら、この4階の広さは「二十二」は下らない。  そして、最後に、綺麗に並べられた多くの椅子とテーブル。フレイルはふと、元の世界のフードコートを思い出した。 「着いた……」 やけに長く感じた道のりを背に、一向は思わずハイタッチを交わした。    どうやら上にもまだ階があるらしいが、ひとまずはこのフロアで食事を摂る事にしよう。室温は3階よりも適温だし、下手に変える必要はない。  部屋の奥を視界に収めると、カウンターと大きな看板が目に入った。木製の立て看板には[注文所]というシンプルな筆字がある。 「じゃ、早速注文しますか」 「賛成」「さんせー!」  注文所のカウンターは鮮やかなレンガで出来ており、他のシックな白壁とは裏腹にポップな印象を受けた。  店員はエプロンを見に纏った細身の男性で、なんとなく軍人のようには見えなかった。こちらが注文しようとしている事に気付き、にこやかな笑顔で接客する。 「すみません、注文良いですか?」 「はい。こちらのメニューからお選びください」 店員は掌を上にしてカウンターを示した。煉瓦の上に置かれた紙面には、ざっと二十種類程の料理名が並んでいる。右上に「今月のメニュー」とあることから、メニューは毎月変化するのだろう。 「え…えーっとですね……」 フレイルは達筆な字で書かれた料理名の数々に目を泳がせた。 ……………………………ああ、分かっていたさ。こうなるって事ぐらい。 どういう理屈かは不明だが、この世界の文字は全て日本語か英語のみで表記されている。そのため料理名を読む事は出来るが、例によってそれがどんなものなのかは一切分からなかった。  決めあぐねるフリは一旦やめ、眼下の少女に話題を振る。 「シ、シノはどうする?」 「だぁからクリームシチュー!」 シノは「何回も言ってるじゃん!」とでも言いたげに頬を膨らませた。そうは言われてもな… 「ごめんって。っていうか多分だけど、クリームシチューないよ」 何度メニュー一覧を見ても、それらしい表記はされていない。チラッと店員の方を見ると、案の定申し訳無さそうに頷いていた。 「そうですね、申し訳ございません。デザートでしたら、代わりにクリームブリュレがございますよ」 「クリームブリュレ⁉︎」 ってなんだっけ。いや別に知らない訳じゃない。なんとなく頭にはあるんだ。けどその、ぼんやりと焼き菓子っぽいイメージしかないだけで。 「おおっ、シノそれにする!クリームビュルレ!」 上手く呂律が回らなかったらしく、なんとも可愛い言い間違いのまま、シノは注文を確定させた。  よし、このまま注文を引き伸ばすぞ。 「ラノスは?」 「そうやなぁ…………決めた。ぶっかけラダシリーにするわ」 かなり楽しみにしていたのか、ラノスは短い指でぴしっと紙面を指した。と同時に、彼が昨晩から言っている“ラダシリー”が何なのかを瞬時に理解する。  名前が“ぶっかけ〇〇”なんだとしたら、当てはまるのは 「うどん」か「そば」か「ラーメン」ぐらいなものだ。がしかし、ラーメンは過去に学んだようにラダシリーではなく「グレセリー」と呼ばれる。これすなわち、ラダシリーとは蕎麦か饂飩のどちらかであると揶揄している訳だ。  まあ、あくまで元の世界の基準での話だけど。 「あ、じゃあ…俺はタラフリーで」 フレイルはラダシリーのすぐ隣にあった文字を読み上げた。理由は一つだ。  グレセリーやラダシリーから分かる通り、この世界の“麺類”は“リー”で終わるものが多い。つまり、この料理は麺類がくる可能性が高いと言う訳だ。 (とくべつ麺が食べたかったわけじゃないけど、朝から知らない料理で胃を刺激するのは良くないよね) うどんかそばならあっさりしているし、朝から食べてもそう胃がもたれる事はないだろう。つまりこの勝負、勝ちは確定なのである 「はい、かしこまりました。クリームブリュレがおひとつ、ぶっかけラダシリーがおひとつ、タラフリーがおひとつですね」 店員が丁寧に繰り返す。フレイルはシノばりの威勢の良さで「はいっ!」と返事をした。 「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」 机上の料理をチラッと見ては、深く重いため息を吐く。浅皿にこんもり乗っかっているのはうどんやそばではなく、大盛りのてんぷらだった。 いや…なんで?。なんで朝っぱらからこんな油っこい揚げ物を食さないといけないんだ? (くそぅ…一丁前に黄金色を映えさせやがってっ!) 油を宝石のように光らせる衣をじっと見ていると、自然に食欲は湧いてくる。しかし食べたいと思うほどに、胃腸がそれを全力で拒絶した。 「あー、フレイル。ワシらもちょっと食べようか?」 ラノスは麺を啜る手をぴたりと止め、心配そうに顔を覗かせた。彼が食べているのは、そぼろのような肉と琥珀色の出汁を纏ったうどんである。フレイルへの優しさも勿論あるだろうが、彼のうどんには具が少ないので、天ぷらも食べたいというのが本音だろう。 「うん。食べていいよ」 「やりぃ!」 フォークで薄くスライスされた(おそらくは芋の)てんぷらを刺し取り、うどんのスープにそっと潜らせた。  そういえば、この国ではまだ箸の文化を見ていない。中華や和食はあれど、料理は全てナイフかスプーンかフォークを使って食べるようだ。 「あっ、シノもそれ欲しい!」 「はいはい、どうぞ」 クリームブリュレで口を一杯にする彼女には、塩気の効いた鳥天をプレゼントする。シノは器用にスプーンに乗っけて齧り付いた。 「どう、美味しい?」 「うんうん。ビュルレとよく合う!」 あはは…多分、そんな事は無いんじゃないかな。ブリュレは食べたことないから想像出来ないけど、君が食べているのはクリームブリュレじゃなくてプリンアラモードなんだから。 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅧ〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅦ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「自室」〉  上下の瞼によって出来た隙間を、外から射す自然光が強引にこじ開けてくる。本音を言うともう少し寝ていたいものだが、それが許されないことぐらいは当然理解していた。 「ふあぁっ……」  気怠さの残る体をなんとか起こし、二度寝に誘惑する掛け布団を苦労して跳ね除ける。小窓のカーテンは閉まっているというのに、太陽光線はそれを無視してこれ見よがしに煌めいていた。 (俺を起こした自然光の正体はこれか)  眠気覚ましのために思い切り伸びをし、温もりを残すベッドからそっと降りる。常温だったはずの床はまんまと朝の冷気に晒され、素足には堪えるほどひんやりと感じさせた。 「すぅ…すぅ…」  寝相でしわくちゃになったシーツの上で、シノが幸せそうに寝息を立てる。 ラノスは……と視線を動かした直後、掛け布団の一部が不自然に膨らんでいるのに気付いた。中の生命が息を吐く度、重たい毛布がゆっくり微動する。彼のいる場所はそこだ。  フレイルは微睡を振り払った頭の中で、キングベッドのレビューを行った。 「(寝心地、最高)」 単純だが、これ以上の表現は蛇足でしかない。枕然り,ベッド然り,シーツ然り,掛け布団然り、どれも一級品である。 「(ありがとうございます……)」 フレイルは特定の誰かではなく、関わったであろう全ての職人たちに心から感謝した。  昨晩は気付きもしなかったが、ベッドの隣には立派な木製のクローゼットがあった。音を立てないよう慎重に開くと、中には新品の軍服が木製のハンガーにかけられている。 「(ああ、昨日ダラクタラ国王が言ってたのはこれか)」 『隊服等は寮にあるものか、新入隊員の待機室で受け取るように』 コートの表面にそっと手を触れる。頑丈そうなイメージとは裏腹に、手触りは結構柔らかかった。  早速着てみようかとも思ったが、備え付けの壁掛け時計はちょうど七時半を差す。入隊式は十時からだ。 「…顔を洗ってくるか」 先に目を覚まそう。フレイルはクローゼットを閉め、抜き足で寝室を出た。  健康的な太陽の光に照らされたリビングを横目に、脱衣所のドアノブに手をかける。 「…あれ……」 その時。胸騒ぎのような何かが、全身を電流のような勢いで駆け巡った。それはやがて具体的な形を成し、一つの疑問としてフレイルの口から飛び出す。 「…水、どうしたら良いんだ?」 呟いてから約三秒の間は、勝手に答えが出るだろうという思考回路だった。脳がまだ休んでいた証拠である。しかし四秒後……突如生まれた焦りに、パチンッと切り替わるように頭が冴え出す。 「ど、どどどどどどうしよう⁉︎」 フレイルはお手本のように頭を抱えた。カラクサ宿屋の裏庭には水源の通った井戸があり、普段はそこから汲んだものを使っていた。だが竈と同じく、そんな都合のいいものが寮室にある訳はない。昨日の風呂はそもそも水が張っていたが……多分あれは、初日の特別支給だ。 [ガチャッ]  すぐ後ろで寝室の扉が開かれる。振り返ってみると、ドアの前に浮かんでいたのは白毛のラノスだった。 「ん、おはようフレイル。朝風呂にでも入るんか?」 助言獣は半目のまま尋ねた。頭のてっぺんに出来た大きな寝癖については、また後で触れる事としよう。  と、そんな事を言っている場合ではない。フレイルは否定の意味で首を振った。 「おはようラノス。残念だけど朝風呂じゃないよ。この部屋、なんと“水”がないんだ!」 焦りを顔に滲ませたつもりだったが、ラノスは「ありゃりゃ」と軽いリアクションを返した。 「いや“ありゃりゃ”じゃないって!。分かってる⁉︎。飲み水がないと人は数日で死んじゃうし、お風呂の水だって変えなきゃならない。生活が滞っちゃうんだよ!」 まだ寝ぼけているのだろうと信じきり、フレイルは声をがならせる。が…… 「けど、アンたちは生活出来とったやろ」 助言獣はぴしゃりと切り伏せた。咄嗟に反論が思いつかず、水を被ったように押し黙る。 「……まあ、確かに」 「な?。って事は、ワシらが知らん給水システムがあるっちゅー訳や。そんな騒ぐほどの事でもない。後で本人か他の隊員にでも聞いたらええやろ?」 ……言われてみれば、現時点で飲み水や生活用水に困っている事は無い。強いて言うなら、顔を洗ったり寝癖を直したい事ぐらいだ。命に関わる問題とは程遠い。  ラノスは厳しい指摘を続けた。 「お前は拡大解釈しすぎやねんて。もっと柔軟に思考せんと」 「うっ……ぐうの音も出ません…」 フレイルは彼の助言を涙とともに飲み込んだ。  何はともあれ、水問題は後回しになった訳だ。よって、次の計画に移ろう。 「まだ入隊式まで時間があるから、今朝は食事塔で朝食にしようかと思ってるんだけどーー」 “どうかな?”と続ける間もなく、ラノスは食い気味に首肯した。 「もちろん賛成や!シノも喜ぶやろうからな!」 彼の瞳はいつになくキラキラしており、何かにときめいているような印象を受けた。 (シノのため、ね) もちろんそれはそうなんだろうが、気持ちの半分くらいは彼自身の宮廷飯に対する期待だろう。フレイルは宥めるように提案した。 「分かったわかった。シノを起こしたら、混む前に食事塔へ行こう」 少年のようにガッツポーズを取るラノスに、フレイルは見守るような微笑みを浮かべた。  クローゼットのハンガーから隊服を取り外し、その場で手早く着替える(単純な作りで助かった)。保温性が高いのか着心地は非常に暖かく、夜の森でアンが寒さに余裕だった理由がよく分かった。  袖と丈を正し、襟元に特待兵のバッジを取り付ける。今更だが、採寸も何もなかったのにサイズはぴったりだった。 「どう?」 「おー!フレイル、かっこいい!」 シノはいつものワンピース姿で賞賛した。起こした数分前はまだ眠そうにしていたのに、もういつもの元気スイッチが入っている。 「うんうん。ええやんか、似合っとるぞ」 どうやら助言獣からも好評らしい。似合っているかどうかはさておき、フレイル自身この服装はかなり気に入っていた。 何も変わってなどいないはずなのに、アンやラージといった護衛隊員たちに一歩近づいたような気がしたのだ。 「さて。二人とも、同居人用の木札は持った?」 確認の言葉に応じ、ラノスとシノは各々のポケットから例の札を取り出す。フレイルはにっこり笑った。 「何かあったら近くの軍兵にそれを見せること。シノはまだ小さいから、特に覚えておいてね」 「あいあいあ!」 少女は威勢よく返事をした。この明るさは評価するべきだ。 ……まだぶっちゃけ不安は潰えないが、まあ基本的にはラノスが一緒にいるだろうし、大丈夫か。 「ほいじゃあ行きますか、朝食へ!」 「おおー!」」 ラノスとシノはほぼ同時に拳を突き上げた。  全員が螺旋階段のある踊り場に出た後で、自室の扉に鍵をかける。フレイルは思い出したかのようにスペアキーを取り出すと、隣を浮遊するラノスへ預けた。 「念の為持っといて」 「うい、了解」 「早くはやく!」 シノは跳ね走る(?)という独自の走法を編み出し、ぴょんぴょんその場で跳ね飛びながら階段を駆け降りて行った。  寮塔の入り口を抜けると、宮殿の中心に位置する五つの連絡橋が見えてくる。かつてアンに教えてもらった記憶の通りだと、入口から見て左奥の建物が食事塔だったはずだ。  水掘の小魚にはしゃぐシノを回収し、食事塔へ続く短い連絡橋を渡る。見ると入口を警備している軍兵がいたので、一応尋ねた。 「すみません、食事塔ってここで合ってます?」 一見眠たそうな隊員は、きちんと職務を全うするために欠伸を噛み殺した。 「ええ。後ろのお二方は同居人の方ですか?」 襟元のバッジを見た後で、男はシノとラノスの方を向く。フレイルは頷き、二人から木札を受け取って隊員に開示した。 「……はい、確認しました。お入りください」 護衛用と思われる槍を壁に立てかけ、入り口からサッと一歩退く。一行は未知となる食事塔に足を踏み出した。   ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅦ〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅥ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔[自室前]〉  フレイルは「1ー03」と表記されている扉の前に立った。心を落ち着けるために息を吐き、強大な敵に挑むような覚悟で鍵を取り出す。  鍵穴に金色のルームキーを差し込み、慎重に押し回すと…… 「ガチャッ……キィー…」 開錠された扉から蝶番が小さく鳴く。フレイルは息を呑んでドアノブを引いた。  まず第一に入ってきた情報は、一閃の光すら飲み込まれてしまうほど黒い深淵だ。扉の外から射す仄かな蝋燭の明かりでは、奥に広がる無限の暗闇など到底かき消せはしない。  キノコ栽培にはもってこいの暗さだが、あいにく麻痺毒持ちの茸を増殖させるつもりは今はない。  部屋のあちこちに置かれているオイルランタン(後で説明しよう)に火を灯すと、部屋全体の間取りがなんとなく頭に入ってきた。  玄関から続く短い廊下の両側には二つの扉があり、それぞれ左が寝室,右が浴室へと繋がっている。  廊下を進んだ先にはリビングが広がっていて、二人掛けの黒いソファと一人用の同色のソファが一つずつ、机を囲むように置かれていた。壁際には空っぽの本棚がある他、白いカーペットにテーブルなど、特待兵寮というのもあってか備え付けの家具は潤沢である。 「おぉぉ。これはすごい…」 「広いひろーい!」 シノは一目散に目を輝かせ、大きな方のソファを目掛けて飛び上がった。なんと微笑ましいんだと思っていたが、その時になって初めて気付く。あれは高反発な革製のソファだ。 「ちょっ、シノ!」 「ッ‼︎」 咄嗟に手を伸ばすが、勿論そんな行動は何の意味ももたない。シノは勢いをそのままにソファへとダイブし……腹部に強めの衝撃を受けて「ぐえっ」と嘔吐いた。 「だっ大丈夫⁉︎」 当たりどころ次第では、最悪大怪我にだってなりえる。フレイルが慌てて駆け寄ったが、シノはケロッとした表情で顔を上げた。 「うん、平気。二人はしない方が良いよ」 誰もしないよそんな事。はあ、特に怪我が無くて良かった。と安堵しているとー 「こらシノっ!あんまはしゃぐと危ないやろ」 ラノスが嗜めるように注意する。シノはサッと姿勢を正し、ややしょんぼり気味に頷いた。 「ご、ごめんなさい…」 ラノスは顰めた眉間をもとに戻し、優しげな微笑みで赤毛を撫でてやる。 「よう謝れたな。偉いぞ」 シノは「えへへ」とはにかんだ。説教直後の蟠りのような空気は感じられない。 (ずっと思ってたけど、ラノスってシノの親みたいだよな) お互いそんなつもりはないんだろうけど。シノの事を心配するだけじゃなく、叱責して成長させる所とか……心なしか、彼の方がよっぽど大人な気さえしてきた。  フレイルは“パンッ”と一本締めを行い、ウエストポーチから目当ての紙袋を取り出した。まだほんのり暖かいそれを、顔の隣まで持ってくる。 「さあ、それじゃあそろそろご飯にしようか!」 「賛成」「さんせー!」 ラノスとシノは並んで大きく頷いた。  ソファに腰を下ろし、眼前のテーブルに並べられた夕飯の数々に目をやる。前述した通り、今晩の食事は各々が料理を持ち寄って行うポットラックだ。それぞれ一品ずつ選んで買ってきたので、囲むように座る卓上には計三種類の食べ物が並べられている。 「シノ、まずこれ!」 細い手が真っ先に伸びたのは、ラノスが選んだ「焼きポッチ」…元の世界で言う「フランクフルト」だ。自らさっぱりしたものが食べたいと所望していたのに、焼きポッチの表面には濃い油がてらてらと光っている。 「まさかラノスがここまで正反対なものを選ぶとは…」 「に、匂いに釣られたんや。しゃーないやろ」 恥ずかしそうに目線を外したラノスを横目に、シノは熱のひいた焼きポッチに思い切り齧り付いた。 「ん〜、じゅーしーっ!」 溢れ出した肉汁をごくんと飲み込み、いつも通りの満点な笑顔を作る。ラノスは微笑みを返した。 「ワシはじゃあ、これにしよ」 短手を伸ばし、フレイルが選んだ細い料理を手に取る。今この瞬間にぶっちゃけてしまうが、それは全人類からのお墨付きの一品だ。  竹串に刺さっているのは五つの鶏肉で、こんがり火の通った表面には満遍なく塩が振りかけられている。香ばしい薫りは今や薄れてしまったが、街道の露店でそれを吸い込んだ時には意識が飛ぶかと思った程だ。  フレイルが選んだのは、天下の「焼き鳥」である。味付けはあっさりした塩味で、部位は見た目からしてモモだろうと思われる。  なぜそこが曖昧なのかというと、店の看板に“トロ”とか“ハンス”とかよく分からない名称しか書かれておらず、適当に「これください」と指差したものがたまたまモモだったのだ。 「美味っ。塩がええ具合のアクセントになっとるな。こりゃうまいわ、ほんま無限に喰える」 ラノスは目の色を変え、ものの数秒でまるまる一本をぺろりとたいらげた。よほど好みだったらしい。 「喜んでいただけてなによりだよ」 まるで作った本人のような口ぶりで微笑みながら、机上の揚げ物に目を向ける。流れで分かるかもしれないが、このジャンキーすぎる食べ物を選んだのはシノだ。 「じゃ、俺はこれを」 袋から一つ摘み上げると、ソフトボールぐらいの大きさをした唐揚げに見える。しかも結構重たい。指先に滲んだ油を付着付着させつつ、フレイルは未知の揚げ物を口に運んだ。   「んっ…」 意外や意外。衣の中に隠れていたのは肉ではなく、しっとりした卵生地だった。味は砂糖っぽい甘みが強い反面、素朴でどこか懐かしくも感じる。 「(なんだっけこれ。どっかで食べた事がある気はするんだけど)」 咀嚼しながら数秒間虚空を見つめ、舌の上でも幾度かバウンドさせる。 「(ーーあ、思い出した)」 この素朴な甘さと生地の食感は、まごう事なき沖縄の伝統揚げ菓子「サーターアンダギー」にそっくりだった。 「ふうー、食った食った」 少し膨らんだように見えるお腹を摩り、テーブルの紙袋の残骸に目をやる。焼き鳥にフランクフルトにサーターアンダギー……こういう機会でないと一生食べない組み合わせだ。 「も、もう食べれないよ…」 隣を見ると、シノもほぼ同じような態勢でソファに身を預けていた。寝てない状態じゃあまり聞かない言い回しだなと思いつつ、リビングルームを改めて見回す。 「にしても、ちょうど良い広さの部屋で良かったね」 約十畳はあるリビングは、殺風景な背景もあいまってかかなり広範に見える。ラノスは一人用のソファから首を縦に振った。 「な。あんまし広いと逆に困るし、狭すぎてもあかん。可もなく不可もなくやな」 まあとはいえ、今の部屋はあまりに殺風景だ。いつか時間があるときにルームメイキングしよう。 「ーさて。明日は早いんやろ?余韻に浸るより先に、まずは風呂に浸りや」 お、今のはちょっとだけ上手いよラノス。と右脳辺りで称賛しつつ、のそっとその場に立ち上がる。 「同意。俺から入って良い?」 「おお」「いいよ〜」 二人の肯定を背中で受け止めながら、フレイルはそそくさとバスルームへ向かった。  風呂上がり。備え付けのタオルで髪と体を拭い、グレーのウール素材のパーカーに頭と腕を通す。今晩のパジャマ代わりだ。 (寝巻きを道中買おうと思ってた事、すっかり忘れてたな) ちょっと動きずらいけど、たった一晩の辛抱だ。  バスルームの外はやや空気が冷たく、熱った体を心地良く包み込んだ。 「お。上がったな。ほれシノ、次入り」 「ういー」 「あ、待ってシノ」 風呂場に向かう所を呼び止め、フレイルは寝巻きの説明をした。水色のワンピースか白シャツ&長ズボンかで迷ったが、汚れの少なさから後者を選択する。 「なあフレイル。この大量のカクタスキノコはどうする?」 ゴミ箱にポットラックのゴミを捨てていると、ラノスが頸を漁りながら尋ねた。白い壁と同化した開閉型の収納棚を見つけたため、ひとまずそこに入れておくよう指示する。  数十分かけて荷物を整理し、ナイフと所持金,「N」型の弓だけをインベントリに入れる(レストリエで購入した花は置き場に困ったので、カモミールの花瓶に挿しておいた)。本棚にはハーブの調合書,砂漠の地図、バーベキューソースに梅酒を並べた。カモミールの花瓶とコモンドラゴンの卵は、残念ながら棚のサイズに合わず床に置かれた。 「お、お〜?」 フレイルは本棚を遠巻きに見た。バラバラなものがバラバラに棚を独占しているせいで、はっきり言って不恰好だ。 ラノスは案の定肩をすくめた。 「ま、インテリアはまた後ででええやろ。いやあ首凝ったわ」 重量あったんだ、その頸のポケット。てっきり四次元ポケット的なやつかと思ってたよ。 「ははっ、お疲れさま。ありがとね」 [ガチャッ] 浴室の扉が開く。シノが風呂からあがったのだろう。フレイルとラノスは何のけなしにそちらを見て……とびきり目を見張った。 「うおっ、髪びしょびしょやんか!」 「え?」 シノはキョトン顔でこめかみをかき上げた。潤いたっぷりの髪といえば聞こえは良いだろうが、ものは言いようとはよく言ったもので……ぽたぽたと床に水滴を残す様子に、フレイルはため息を吐いた。 「はあぁ…シノ、タオルを持ってこっちにおいで」 “こっち”と手招いたのは、食事中にラノスが座っていた一人掛けのソファだ。濡れたタオル(どうやら体は拭いたらしい)を後方から頭に被せ、わしゃわしゃを拭ってやる。ラノスは何故か少し不安そうだったが、やがて風呂に入った。 「……………」 「痛かったら言ってね」 タオルの中で小さな頭がこくんと頷く。暫くはされるがままだったが、シノは突然不満げに口を開いた。 「なあフレイル」 「ん、痛かった?」ピタリと手を止める。一応指の平でするようにはしていたのだが。爪でも立っていたのだろうか。 「あいや、そうじゃなくてさ。その……」 くるっと振り向き、子供らしい大きな瞳でフレイルの方を見る。いよいよ意味が分からなくなった、その時。 「へたならむりしなくていいんだぞ?」 シノはあくまでも心配のつもりで毒を吐いた。  ラノスが風呂から上がったタイミングで、リビングの灯りをフッと消す。コモンドラゴンの卵を腹に抱え(念の為だ)、一同は寝室へ向かった。 「へ…へへっ……下手ね…へへ」 苦笑いを浮かべるフレイルを見て、ラノスは少し後方から小声でシノに尋ねた。 「なあ、なんかあったんか?さっきからずっと変やけど」 「んー、分かんない。シノの髪拭いてたらこうなった」 なんやそれ……とジト目を向ける助言獣をよそに、フレイルはぼそぼそと呟く。 「(お、俺だって妹が小さい頃は髪拭いてやるぐらいしてたし……下手…)」 受けたショックは、自分でも引くぐらいに大きかったらしい。フレイルは少し手を震わせながら寝室のドアノブを回した。  “bedroom”という板が示す通り、その部屋は四〜五畳の寝室だ。定番のオイルランプに火を灯すと、おしゃれなキングベッドとシーツが真っ先に目に入る。 「なかなかええな。まあ、特待兵寮やしこんなもんか」 ラノスがひょこっと顔を出す。チラッと彼の表情を見ると…… 「だね。さっそく寝よう!」 フレイルの機嫌は分かりやすく良好になっていた。  ベッドの隣には小さな棚(机?)があったので、ドラゴンの卵はそこに置いた。と同時に、急激な睡魔が体を襲う。  ベッドと枕はふかふかの低反発素材で、触れているだけで眠気を誘うようだった。 「ふかふかふか!」 シノは真っ先に布団へ潜り込み(流石にダイブはしなかった)、掛け布団を首の下にまで掛けた。「ふか」が一個多いよ、とはわざわざ訂正せず、少女に続いて掛け布団を翻す。中に潜り込んでから、真ん中に助言獣が一体入る程度の空間を作った。 「ほらラノス、おいで」 助言獣は途中まで何かを言いかけ、やがてぐっと飲み込んだ。「狭くないか?」と聞くつもりだったのだろう。だがそこは安心だ。昨晩、同じサイズ感のメンバー(アン,シノ,ユメ)が似たベッドで快適に寝ていた事は調査済みだ。 「はいはい。ちょっと待っとけ」 ラノスはそっと寝室のオイルランタンを消した。部屋には暗闇が戻ったが、布団の中は自分たちの体温のおかげで暖かかった。 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅥ〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅤ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・中央道〉  茜色の空には丹霞がかかり、肌寒い気温とは裏腹に燃え上がるような彩色を飾っている。フレイル,シノ,ラノス,ユメは、中央都市を縦断するように街道を北上していた。目線の先には、息を呑むほど大きなジェノバ王宮が堂々と存在している。  昼間にさんざっぱら見た人の流れは未だ途絶えておらず、賑やかな声と活気がこの都市の豊かさをひしひしと感じさせた。とー 「ねえねえフレイル、今日のごはんは?」 人混みに紛れて聞き取りづらかったが、今のはシノの声だ。フレイルは宙空を見て唸った。 「うーん、そうだなぁ……」 なるべく自炊はしたいと思うし、手が込んでなくていいから何か食べたい気分ではある。がしかし、その…… 「?。何を考え込んどる?」 ラノスは心配そうに顔を覗かせた。よほど悩んでいるように見えたのだろう。まあ、よほど悩んではいたんだけど。 「寮って、多分竈ないよね」 「あっ」」フレイルの懸念に、シノとラノスが同時に勘づく。 現状、フレイルは竈がないと料理は作れない(あれば作れるという訳でもないが)。あのとんでもなく大きい石の塊が寮室にあればいいのだが。 「ねえ、ユメ。どうかな?」  縋るような目で特待兵寮在住の専門家の方を見るが……ユメは否定の意味で首を振った。 「うん。残念ながら無いよ。そもそも寮塔全体が火気厳禁だし」 (ピシッ、ガシャアァァンッ) 密かに組み立てられていた料理の新メニューは、その一言によって粉々に砕け散った。フレイルは分かりやすく肩を落とした。 「ま、まあほら。アンは『可能な限り自炊するように』って言ってたし!食事塔だってあるんだから、無理に晩御飯を用意する必要はないって」 ユメが傍らからフォローを入れる。仕方ない、ここは割り切るか。  さてそうなると、今晩の食事は外で摂る事になりそうだ。フレイルは誰となく尋ねてみた。 「この時間ならまだ飲食店は開いてるよね」 「ああ。丁度夕食時やからな」 辺りを見渡すと、営業中の看板が立てかけられた食堂がちらちら見受けられた。時間が時間なだけに混雑している店が多いが、そうでない処も何箇所かあった。 「みんなは何が食べたい?」 「シノ、クリームシチュー!」 赤毛の少女は空想上の生クリームを口いっぱいに頬張り、舌先に回想した甘味に再びにやけた。諄いようだが、この世界におけるクリームシチューとは元の世界でいうパフェのことだ。 「ワシはさっぱりしたもんがええな。昼間はジャンキーやったし、ラダシリーとか」 ん、なんて? 「私はシノちゃんと同じで、甘いものかなあ。ニジコロに、ハマイモ焼きとかさ」 ラダシリー…ニジコロ……だめだ一つも分からない。 フレイルは周りにバレないようひっそりと頭を抱えた。とはいえ、全く実りが無かった訳じゃない。 (それぞれの食べたいジャンルがバラバラだって事は明らかになったな) スイーツ系が二票、さっぱり系が二票(フレイルもラノスの意見に賛成だ)か。多数決ではどうも決まりそうにない。となれば、解決策はもうあれしかないだろう。 「あのさ、みんな。ポットラックなんかどう?」 フレイルの知らない料理がぽんぽん飛び出す会話の中に、そのキーワードを放り投げる。 「“ぽっとらく”?」 シノは耳馴染みのない慣単語をそのまま聞き返した。 「簡単に言うと、各々が料理を持ち寄って皆んなで食べる事だよ。ほら、レストリエで一回やったのを覚えてない?」 彼女の記憶は、美味しかったものほど取り出しやすい傾向にある。その影響もあってか、件のレストリエでの夕食は比較的早くに引っ張ってこれた。 「ああっ、からあげのやつ!」 「そうそう。ああいう感じで、それぞれが食べたいものを買って部屋で食べようって話」 たしかあの時はラノスが唐揚げで、フレイルがナゲット,シノは生ハムだった。 「……………」「……………」 あらかた話が纏まった矢先、ラノスとユメが唖然とこちらを見つめていることに気付く。そういえば、フレイルがポットラックの名前を出した直後から何も喋ってないな。 「な、何?もしかして知らなかった?」 「いや…」ラノスが短く首を振る。 「そうじゃなくて……」 ユメは塞がらない口でなんとか続けた。 「フレイルって、そんな言葉知ってたんだなぁって」 「正直もっとアホかと」 ……………はいはい、なるほど。よーく分かりました。 「シノ、目を瞑ってて」 「あいあい」決して目撃者にならないよう、固くかたく目を閉じる。  フレイルの瞳に映った二人の助言獣は、何とは言わないがあまりの悍ましさに顔を歪ませた。  王宮の前に到着すると、入り口に立つ二人の護衛隊員と目があった。門番同士で顔を見合わせ、何やら内密な報連相を行っている。 (え、何?。怖いんだけど…) まさか今朝の不法侵入の件か⁉︎と不安を募らせていると、門番の片割れが眼前まで近づいてきた。 「失礼。お名前は?」 「あ、えっと…フ、フレイルです。特待兵寮塔の申し込みは済んでますよ」 証拠品として、上着のポケットから部屋の鍵を取り出す。念のためスペアキーも。 「……………ふむ」 猪首の護衛隊員は確認するように頷き、フレイルの後方に立つ(もしくは浮く)他二名に目を向けた。緊迫感は拭えない。 「お二人のお名前をお願いします」 「あっはい。こっちがラノスで、こっちがシノです」 赤毛の少女はにっこり微笑んだ。そのすぐ頭上では、ラノスが痛々しそうに顔を歪めている。おまけにゲンコツでも食らったみたいに頭部を腫らして、一体どうしたんだ。  おっといけない。脇道に逸れるところだった。護衛隊員はまたもや照らし合わせるように頷き、コートの胸ポケットへ手を回した。慎重且つ丁寧に取り出したのは、白っぽい木の板だ。 「はい。間違いないようですね」 「?」な、なんだ。まだ理解できないぞ。 護衛隊員はプレートを計二枚、フレイルの掌の上に乗せた。ものによるだろうが、大きさは新品の消しゴム程度だ。しかし厚さはかなり薄いので、表面積の割に以外と軽い。  表面積といえば、板の表面にはそれぞれ“軍兵寮同居人 ラノス”“軍兵寮同居人 シノ”という文字が精巧に彫られている。間違いないっていうのはこの事か。 「レイン様から預かっております。外出する際や食事塔を使う場合などには、必ず持ち歩くようにして下さい」 「はい。分かりました」 後で渡そうと判断し、インベントリに収納しておく。とどのつまり、これは入邸(?)証という訳だ。軍兵寮の受付でレインが手渡し忘れたのだろう。 「(おいユメ。あれってお前も持っとんのか?)」 護衛隊員たちに聞こえないようにという配慮のためか、ラノスは小声で尋ねた。 「(ええもちろん。インベントリに入ってるわ。ま、私レベルになると顔が知れてるけどね)」 ユメはふふんっと自慢げに鼻を鳴らして返した。  屈強な体を持つ二人の隊員により、固く閉ざされていた鉄扉は最も簡単に開かれる。いつまで経っても慣れない耳障りな摩擦音に眉を寄せつつ、フレイル達一行はジェノバ王宮の門をくぐった。  特待兵寮塔へと続く石橋を過ぎ、今朝降りてきた螺旋階段を一歩ずつ登る。壁掛けの蝋燭は相変わらず吹き消えそうなぐらいに弱々しく、隣に申し訳程度に開けられた小窓から指す自然光の方が断然明るかった。  階段を一回廻ると一階の踊り場に辿り着き、同時に「1ー03」という数字が書かれた扉も目に入る。アンの部屋は塔のほぼ最上階にあるため、ユメとはここで一旦お別れだ。 「さて。じゃあ私はまだ上だから」 「そっか。本当、今日は色々ありがとうね」 フレイルはその“色々”に数多の意味を込めていた。あえて言及はしないが、今日一日で彼女に助けられた回数は尋常じゃない。まあ、ラノスとは喧嘩ばかりで困る場面もあったけど。 「ユメ!次は一緒にクリームシチュー食べようねっ!」 「もちろん!おすすめのスイーツ屋さんに連れてっちゃうよ!」 まるで長年の親友のように、ユメとシノは仲良くハイタッチした。 「フンッ。いつか絶対負かしたるわ。ほんで、ワシに激突してきた事を謝らせる」 「まーだ言ってたのそれ?ほんと、みみっちい男ね」 あ、やばい。またとめどない口論が始まる。フレイルは咄嗟にそう判断し、ラノスの喧嘩のスイッチが入る前に会話を断絶する。 「えーっと、アンにもよろしく言っといてよ。入隊式で会おうって」 「?。ええ、そうね。分かったわ」 一瞬キョトンと目を丸めたが、助言獣は深く考えずに手を振った。  次に螺旋の塔へ風が吹き込んだ時、彼女はもう目の前から姿を消していた。 ーTo be continued

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅤ〉

フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅣ〉

サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・カラクサ宿屋〉  徐々に傾き始める夕焼けを尻目に、フレイルは宿屋へと続くなだらかな丘を登り終えた。年季のいった木造家屋を眼前に、ふとある事を思い出す。  特待兵寮の契約を終えた今、もうここへ帰ってくる事はそうそうないはずだ。当分の拠点だったここを離れるのは辛いが、旅立ちと捉えれば少しは気持ちが軽くなる。フレイルは頭の中でそう切り替え、玄関の戸を開けた。 「ただいまー」 「おうフレイル、おかえり」 カウンターに腰掛けながら迎えたのは、嬉しそうに白尾を揺らすラノスだ。頼んでおいた食器洗いはもう終わらせてあるらしい。 「洗い物、ありがとね。助かったよ」 「ええって事よ。それよりコレや!」 ばばんっと自慢げに掲げたのは、彼の体に隠れてカウンターに置かれていた酒瓶だ。そう、「酒の瓶」である。  中に入っている液体は半透明な赤色で、よく見ると大粒の丸い果実が半分ほど浸かった状態で浮かんでいた。甘いような酸っぱいような、独特の香りをほんのりと感じる。 「あ、それ……」 なんだっけ、すごい見覚えがある。ずっと前にラノスに見せてもらったやつだ。それもこの宿で。 「ーーーーーーああっ、梅酒か!」 「大正解!プテンプトンが餞別やってさ」 えっ、プテンプトンが?そんな瓶一本分の梅酒を?。別にお酒を呑んでいるイメージは無かったけど、とはいえ凄い気前の良さだ。 「あとでお礼を言わなきゃな。ところで、荷物は用意した?もうすぐ出るつもりだけど」 「おう、ばっちりや!カクタスキノコはぜーんぶインベントリに入っとるぞ」 ラノスは短手をぐるっと回し、自身の頸を指し示した。 「せやフレイル、弓の件はどうなったんや。良えの買えたか?」 「お、聞いちゃう?」 え、まるで聞いてほしかったみたいな反応だって?。おめでとう、正解だ。 「じゃじゃーん!」 さっきのラノスと同じテンション感で、大きな「N」の形状をしたフォーディング・ボウを鞄から引っ張り出す。なんて事のない動作だが、弓矢をウエストバッグに入れられると言うだけでも革新的な進化だ。 「それ…ほんまに弓なんか?」 「もちろんさ。こうやって両端を引っ張れば……」 ガチャンッと木製の歯車が噛み合い、「N」は長めの「I」へと変形した。これにはラノスも目を見張る。 「おおっ、すごいな。耐久性は?」 「防武店の二人曰く、そう簡単に破壊されたりはしないってさ」 少なくとも[片月]のような竹弓に比べれば、耐久度の面では心配無用だ。 「そのコンパクトさで壊れにくいんならええな」 「だよね。即決だったよ」 金額もインパクト・ボウと同じぐらいだったし、弓に関してはこれで課題クリアだ。  開いた弓を元の「N」に戻していると、ラノスが再び質問を投げかけてきた。 「あ、なあなあ。も一つ質問ええか?」 「ん」 刹那、稲妻のような衝撃と共に、頭の中を漫画の一節が駆けていく。既視感とはこういう事をいうのだろう。  それは遠くにあるようで案外近く、手を伸ばしても決して届かないもの。閑散とした雰囲気とは裏腹に、騒々しい大雨が雑音を掻き立てるような、そんな言葉だ。 「アン、どこに行った?」 「…………………」 これは大きな選択だ。正直に彼女の所在を伝えるか、相手が確実に知らない“その台詞”で場を凍らせるか。 「はあ……」 正解など言われなくても分かっている。アンが何処にいるのか、端的にパパッと説明すれば良いだけだ。ラノスはそれを望んでいるし、ふざけた回答などこれっぽっちも求めていない。がしかし、こんな機会が二度も訪れるのかもわからない。  この問題は複雑に絡み合っているように見えるが、実は単純な話なのだ。「言わずに後悔する」か「言って後悔する」かの二つに一つ。とどのつまり、どちらにしても悔やむ事に変わりはないわけだ。 ………どうせ悔いる事になるのなら、美しく散る方が格好が付く。フレイルは脳裏で十字を切っり、体勢を整えてから低く言い放った。 「君のように勘の良いガキは嫌いだよ」 「………はあ?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なんや、仕事が出来たんなら早よそう言えばええのに」 ラノスは責めるつもりもなく鼻を鳴らした。 「はい。今度気をつけます!」 予想通りの冷めた空気になったというのに、何故か胸中には達成感と清々しい気持ちが溢れている。何か大きな事を成し遂げた感覚だ。 「アンも大変やなあ。ワシらももっと頑張らんと」 小さな声で意気込む彼に、フレイルは切り替えて返事をした。 「うん。そうだねラノス」 これから忙しくなるさ。護衛隊としてね。  溌剌とした笑い声が、遠方からうっすらと聞こえてくる。少女と付き添いの助言獣が帰ってきたらしい。もうそんな時間か。 [ガチャッ]勢いよく入り口の扉が開く。 「たっだいまあ!」この元気に満ち満ちた声はシノ。 「ただいま……はあ、疲れたぁーっ」 ユメは中空で大きく伸びをした。相当疲れが溜まっているとみえる。 「聞いてよフレイル!今日は一日中何してたと思う?座学よ、ざ・が・く!」 グッと顔を突き出して愚痴を溢し出したので、フレイルはギョッと一歩だけ後退する。よっぽど嫌だったんだな。 「ラノス、ざがくって?」 シノは同じく蚊帳の外だった助言獣に尋ねた。 「講義を受ける事……シノの場合、実験や観察,採取以外の勉強のことやな。目の前に先生がおって、その講義を聞いたり書いたりするんや」 六歳児にも分かるよう言葉を選びながら、短く簡潔に説明をまとめる。  ユメは“はあっ”とため息を混じえた。 「退屈でヤになっちゃうわ。シノちゃんだってそう思うでしょ?」 「ぅえ?」 話半分に聞いていたらしく、少女は自身の赤毛を指で弄りながら素っ頓狂に顔を上げる。一瞬だけ困惑したかと思うと、シノは何事もなく首を横に振った。 「ううん、シノは楽しいよ!。ポーションつくるのも好きだけど、師匠の話きくのがいっちばん好き!」 なんの穢れも知らないその純粋な笑顔は、天文学者がうっかり小さな恒星と勘違いしてしまうほどにきらきらと輝く。醸造への情熱に関しては、誰よりも燃えたぎっているようだった。 「……………………そっか」 「?」 ユメは精一杯微笑みを浮かべながら、一瞬だけスッと目線を落とした。知り合ってまだ一日も経っていないのもあるが、ユメの心内はいまいち分からない場面が多い。  まあ、今は良いか。重要なのはこれから何をするのかだし。 「さて。じゃあ二人とも、そろそろ行く準備をして」 「行くって、寮は見つかったんか?」 ラノスは他二人を代表するように問い返した。 「ふっふっふ。これを見よ!」 フレイルはポケットの中忍ばせていた小さな鍵を引っ張り出した。丸っこい黄金色のそれを高々と掲げ、三人の前にドンッと提示する。 「あ、それもしかして!」アンの助言獣であるユメは、一目見てピンときたようだ。 「特待兵寮塔1ー03号室……」 続けざまにラノスとシノも気付く。フレイルはニヤッと笑った。 「新しい住まいにさ!」  とその前に、行くべき所(“会うべき人”の方が正しいか)がある。大切な用件だ。 [パサッ] 「さて、掃除は終わりと…」  タイミングよく大浴場の暖簾をあげて出てきたのは、ここの宿主であるプテンプトンだ。ブラシを壁に立てかけた所で、フレイルは彼に声をかけた。 「プテンプトンさん。えっと、そろそろ行きます」 「ん、そうか」 皺の寄った手でわざとらしく首を掻く。少し淋しそうに目を背けたのを、フレイルは見逃さなかった。 「二週間、無料で宿を貸していただいて有難うございました。寝床は心地良かったですし、お風呂も日頃の疲れがとれました」 「シノ、ここの枕が一番よかった!」 前にもそんな事言ってたっけ。ぴょんぴょん眼下で跳ねる彼女を見て、そんなことを思う。 「はっ、礼なんていらん。客に休んでもらう場所なんだからな。それに……」 プテンプトンは人差し指を伸ばし、頭上の木造屋根を差した。かつて謎生物の攻撃(逃走?)にて開いた大穴は塞がり、スティゴやリリンたちのプロ技によって完璧に修復されている。 「お前たちはワシが退院するまでの間、この宿を守ってくれた。感謝したいのはむしろこっちだ」 痩せ細い手を力強く差し出す。今日だけでフレイルは何人もの人物と握手をしたが、この手が一番弱く、暖かかった。 「じゃねプテさん。今度はアンも連れてくるよ」ユメはラフに手を振った。 「ああ。来るなら深夜じゃなく、夕方までにな」 「また泊まり来る!カモミールありがと!」花瓶を片手に抱え、シノはぶんぶん手を振った。 「はいはい。落っことすなよ」 「梅酒ありがとな。今度来たらそん時一杯やろうや!」ラノスは手は振らず、八重歯が見えるぐらいはっきりと笑った。手には一升の瓶がある。 「悪いが、ワシは酒は呑めんぞ。その梅酒は貰いもんだ」衝撃のカミングアウトに、助言獣は少し残念そうに「そうか…」と返す。 「あはは。……それじゃあ、また来ます」 「おう。頑張れよ」 寡黙な男の不器用な激励を土産に、扉をそっと閉める。フレイルはカラクサ宿屋での生活に一つの区切りをつけた。 「………この宿で一人きりになるのも久しぶりだな」 定位置のカウンターに腰掛けながら、パイプ煙草を強めに蒸す。窓の外を見ると、もうじき空が暗くなる頃だ。  プテンプトンは悪態を吐いた。 「……まったく、スティゴめ。まだまだ未熟者だな」 天井を見上げ、ギリッと歯を食いしばる。 「隙間風が聞こえてくるぞ」 それは、長い夜の始まりであった。 ーTo be continued−

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フレイル=サモン〈CⅩⅩⅩⅩⅣ〉