クリオネ
183 件の小説クリオネ
来年度まで活動休止中〜♪ ※注釈※ 時折り過去話に手を加える事があります (大きく変えた場合は報告します) 定期的なご確認をお願いします。 novelee様の不具合か、 長い文章の一部が 途切れている場合があります。
年内の活動休止のお知らせ
「つぶやき」以外では初めまして。クリオネです。 【フレイル=サモン】をいつもご愛読していただき、 本当にありがとうございます。 こういった形での投稿は未経験なので、拙い部分もあるかとは思いますが、軽くでも目を通していただければ幸いです。 単刀直入に申します。タイトルにもある通り、2025年度の活動を一時休止する運びとなりました。理由は主に二つあります。 一つは、去年から取得したいと思っていた資格の勉強に本腰を入れたかったからです。年内(厳密には九月)の取得を目標にするならば、これまでの「四日に一本投稿」というペースを維持しつつの勉強は中々難しそうだと判断しました。 「いやいや待てよ。なら活動の休止じゃなく、投稿頻度の減少で良いんじゃないのか?」 いいえ。そうするわけにもいかないのです。 その訳は、二つ目の理由に関係しています。 それは「成績の低下」です。 今現在現役で受験生をしている僕の手元に、先日学力調査書なるものが届きました。学力調査書とは、いわゆる自分の成績を可視化した表でございます。 簡潔に内容をまとめると、恥ずかしながら殆どの教科において勉強不足ということでした。 私自身勉学はあまり得意ではありませんが、いざ数値として提示されると流石に焦ってしまいます。 これら二つの理由が重なったこと,それからストーリーの都合上区切りが良かったことなどが重なり、今回の苦渋の決断へと至りました。 ではここからは、活動休止の補足説明に入ります。 Q:活動再開の明確な日時は? A:来年の四月あたりだと予想しています。しかしその時の僕の状態によっては、休止期間を延期したり逆に早めたりするかもしれません。気長にお待ちください。 Q:本当はネタ切れなんじゃないの? A:断じてそんな事はありません!。物語の顛末を一から説明出来るぐらい、この先の大まかな展開などは頭の中で練られています。 但し練りすぎで疲れてしまい、結果的に投稿が遅れることもゼロでは無かったので、そういった意味では良い休憩になるかもしれません。 Q:必ず戻ってくる? A:必ず戻ってきます!前述した通り、【フレイル=サモン】の今後の大筋のストーリーは殆ど僕の頭に入っています。だからこそ、綺麗に完結させてあげるために日々奮闘しているつもりてます。 安心してください、失踪はしません。 Q:休止期間に小説が投稿される可能性は? A:ほぼゼロに近いかと思われます。 ありえるのは ・他の方の小説を拝見すること ・過去話の誤字脱字を訂正すること ・新しくサムネを制作すること ぐらいかと。希望は同じぐらい薄いですが。 Q:最後に、これを読んでくれた方へ一言 A:いつもフレイル=サモンを読んでいただいて本当にありがとうございます!皆様の応援のおかげで、僕は今日現在まで小説を書き続ける事が出来ました。 しかしフレイルたちの旅路は、僕の身勝手な独断で一時休止とさせてもらいます。きっといつか忘れた頃に浮上するので、その時は鼻で笑いながら見に来てください。 これからも心身ともに健康に、フレイルやアンたちの世界をなんとか書き述べたいと思っています。 来年の今頃、笑顔でこのアプリを開けるように 読み専の方、書き専の方、その両方の方。 全ての小説家(novelee)の方々へ、最大のご多幸とご健勝をお祈り致します。 年号/日付:令和七年/四月二十八日 著者:クリオネ ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅨ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「自室」〉 「ゔぅ。身体中バッキバキだあ…」 フレイルはフローリングに足を伸ばして座り、グッと開脚前屈をしてみた。多分気のせいなんだろうが、筋肉繊維がほぐれていく感覚が脹脛にぴりぴりと走る。 「ったく。まさか護衛隊の副隊長と思っきしバトってくるとはな」 ラノスは背中で苦笑いを浮かべた。商店街で購入してきたものを、一つひとつ収納している最中だからである。 「あれは仕方ないよ。売り言葉に買い言葉だったんだから」 フレイルは唇を尖らせた。 グラスト副隊長があんな風に煽ってこなければ、わざわざ今日訓練を行う事も無かった筈なんだ。…まあ、その挑発にまんまと乗っかったのは自分なんだけど。 「とはいえ、これで今後の課題がはっきりしたよ」 助言獣が肩越しにこちらを一瞥したので、フレイルは勿体ぶらずに続けた。 「防御力さ。これからは敵の攻撃を避けるだけじゃなく、時には正面から受け止める事も必要になってくると思う」 護衛隊が“対象を危険から守る”という仕事である限り、回避能力だけが得策でない時も多いだろう。ラノスは我が子の成長を喜ぶ親のような優しい顔をした。 「じゃ、その為にもこういう疲労とは嫌でも付き合ってかんとな」 「うげぇ…出来れば勘弁して」 フレイルはぽつりと悲痛の言葉を漏らした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「よし、片付け終了っ」 一仕事終えたと同時に、ほぼ反射的に手をはたく。振り返ると、フレイルはソファでぐったり寝そべっていた。 (………静かにしといてやるか) とはいえ、何もしないのは時間が勿体無い。その為に色々と買ってきたのだ。 「(始めるか。掃除の時間を!)」 ラノスは紙袋から幾つかのアイテム達を引っ張り出した。 ・石鹸 ・歯ブラシ(掃除用) ・雑巾 ・小さめの塵取りと箒 ・金属製のバケツ ・スポンジ 歯を磨く用の歯ブラシも人数分…どれもこれも殆どがセール品ではあるものの、素人目に見ても良質そうなものばかりだ。 個人的に特に良かったと思う買い物は、あまりにも実用的な木製の歯ブラシだ。動物の骨であしらわれたものも魅力的だったが、柄が不気味な色をしていたためやめておいた。 掃除道具を買うという名目で歯ブラシを買った事はどうかと思ったが、「口内洗浄も掃除みたいなもんやしな」と自分に言い聞かせることにした。 それに、これまでの口内ケアがせいぜい含漱だけだったことも考えれば、衛生面の進化は可能な限り取り入れるべきだろう。 「んん…?」 ソファにぐったり横たわったまま、フレイルは薄らと目を開いた。ぼやけていた視界だったがやがて焦点が合うようになり、助言獣が持っている棒がなんなのか分かるぐらいになった。 「それ、もしかして歯ブラシ?」 「ん。そうそう。安かったからな」 持ち手に緑の線が入ったものを手渡される。手触りは意外にもつるつるで、元の世界にあったプラスチック製のものよりも少し軽かった。 「へえ、表面が塗料で鞣してあるのか」 ブラシの部分にも軽く触れてみるが、柔軟性はそこまで悪くない。中々な上等品だ。 「ありがとうラノス」フレイルは首を振って感謝を伝えた。 「ええって事よ。掃除用具を探してたらあっただけやから」 再度紙袋に入れ、洗面所まで持っていく。ラノスは熱り立つように掃除を開始した。 「………………………あれっ、今何時や⁉︎」 ふと浴室の小窓に目を向ける。赤々と燃え上がる炎のような空模様が、空気口のような小さな窓から見てとれた。もう夕方だ。 ラノスはパッと手元を確認した。もこもこの泡に包まれた石鹸と、それを染み込ませたスポンジが両手に握られている。 「集中しすぎた…」手に何も持っていなければ、自分に呆れてコツンと頭を叩いていたところだ。 まさかコーナー部分に小さな汚れを見つけて、ずっとそれを落とそうと画策している間にこんな時間になっていようとは。 「シノを迎えに行かんと」 宮殿からハーブの家までの距離は、六歳児がたった一人で帰ってくるにはあまりにも遠すぎる。 ラノスはバケツに汲んだ水で手の泡を落とし、備え付けのタオルでそれを拭った。 洗面所の扉を跳ね開けると、玄関に置かれてあった樽がきれいさっぱり片付いているのに気付いた。 「あ、ラノス。掃除ありがとね」 居間から現れたのはダウンしていた筈のフレイルで、驚く程ピンピンしていた。それどころか、見た事のない真っ白のシャツに身を包んでいる。 「あー…どっか出かけるんか?」 「?。ううん。今帰ってきた所だよ」 フレイルは浴室の反対側に位置する寝室を横目に言った。と同時に、水色のワンピースを揺らすシノが扉の向こうから現れる。 「フレイル〜、準備できたよ」 ラノスは仰天しかけた。まさか自分が目を離している隙に、彼女を迎えに行っていたとは。 「一声かけてくれればワシが行ったのに。疲れとったんやろ?」 問われたフレイルは笑顔でそれを半分否定した。 「まあ、ちょっとだけね。けど少し仮眠をとったから、もういつも通りさ」 仮眠って……あんなにズタボロやったっちゅうに、もうそんなんになるまで回復したんか。それで迎えに買い物まで、ねえ。 「ったく、お疲れ様やな」 「それはおあいこだよ」 フレイルの碧眼は、水と泡で見事に毳立った彼の両腕を視界に捉えている。自分が昼寝をしている合間、ずっと家事をやってくれていたのだろう。 「ラノスこそお疲れ様」 「おつかれさま!」シノはそのまま言葉を繰り返す。 開けっぱの寝室に見えるからくり時計の針は、午後六時半を指していた。 今朝の段階で、夕飯は食事塔で摂るという事に決めていた。何故ならそれが一番手っ取り早かったからだ。 「でねでね!そのスモモスのお茶がすっごく美味しかったんだあ!」 シノは螺旋階段を横並んで下るフレイルに今日あった出来事をとびきりの笑顔で話していた。言いたいことが矢継ぎ早に頭に浮かんでいるようなので、なんとか落ち着けるよう片手で彼女の赤毛をそっと撫でた。 「全部ちゃんと聞くから、一個ずつ言ってみな」 「あっ、うん!」 朱色の瞳が真っ直ぐにこちらを見上げる。彼女の髪を飾る[流銀の加護]は、蝋燭の弱い灯りに反射してチラリと煌めいた。 丁度夕ご飯時という事もあり、食事塔には今朝とは比べ物にならない程の軍人達でごった返していた。その九割九分の人間には特待兵の称号であるバッジが胸元で光っているため、若干の緊張を感じてしまう。 朝食天ぷら事件(事故?)の事もあるので、今度の注文は吟味する事に決めた。 「じゃあ、ワシは鶏卵丼で」 ラノスは真っ先にそう注文した。今朝メニュー表を見た時から、夕食はこれにしようとなんとなしに決めていたそうだ。 「シノ、お肉食べたい!ステーキとか!」 ジャンキーな少女は背丈の関係でメニューが見えていないらしく、ぴょんぴょん跳ねながら声を張った。 「分かった分かった。じゃあ、このヤリウシのステーキでお願いします」 丁度良いメニューがあったので、指で差しながら読み上げる。カウンターの店員はにこやかに頷いた。 「俺はそうだねえ…」 フレイルは目線を滑らせた。さっきは吟味しようとか言ったが、とはいえ冒険したい気もちょっとある。お、これとか面白そうだぞ? 「えっと、ケルルトテル(?)を下さい」 「はい、かしこまりました」店員は手元のメモに走り書きを記し、奥から現れた別のスタッフに手渡した。 「ふふんっ。大勝利」まるでシノのようなセリフだが、その言葉はフレイルの口から飛び出たものだ。 テーブルまで運んだ料理を眼下にすると、思わず笑みが溢れてしまう。ふんわりと香る馴染みの匂いが鼻腔を刺激し、腹の虫を無愛想に鳴らした。 「ソースとマヨネーズが交差した表面。薄い円盤型の生地。側面からはみ出した葉野菜だって、今の俺には宝物に見えるよ」 ケルルトテル…名前からはどんな料理か分からなかったが、その正体は元の世界でいうところの「お好み焼き」だった。しかも(これは完全なフレイルの好みだが)、具材は豚肉&炒り卵である。 ナイフとフォークで切り取って口に入れると、フレイルは密かにガッツポーズを決めた。 「機嫌ええな、フレイル」 ラノスはスプーンで鶏卵丼を掬い、口に運んだ。これは名前からでも想像がつく。元の世界のものよりも色味が濃い気もするが、見覚えがあるのは親子丼だ。淡白な白米の層に金色の卵が染み込んでおり、小さめの鶏肉と合わさって絶品を作り上げている。 「美味っ」「うまああい!」 シノはラノスの言葉に被せて喜叫した。彼女が頬張っているのは、ヤリウシという牛の肉を使用したサイコロ状のステーキだった。見る限り、火加減はウェルダンぐらいのようだ。 「口が、もうなんか、すごくしあわせ」 熱々の肉汁が再度喉を潤す。柔らかなステーキを咀嚼する度、シノの頭にも脳汁が度々溢れ出た。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「自室」〉 一向は着々と就寝準備を進めていた。新たに溜めた風呂に入り、ラノスが買ってきたという寝巻きに着替える。 「おおっ、あったかい!」 シノは自身の新しい寝巻き姿を見下ろした。髪色とよく合った朱色のワンピースパジャマだ。いや、正確に構造をあげると、スカートの下に同色のショートパンツを履いている。 段々と夜も寒くなってきている今、このくらいの保温性は必須だろうという助言獣の意向だ。 「どやワシのセンスは!」 「これでもかってぐらい自慢するじゃん」 フレイルは肩をすくめつつも、自身の着ている寝巻きには中々愛着を持っていた。 全体の配色は深い緑色で、素材でいうと綿がふんだんに使われているらしい。手触りも申し分ないし、上着もズボンも着心地が良かった。 「なあ、どう?フレイル」 「ん?」 突如、シノが振り返りながら小首を傾げる。フレイルは素直に感想を述べた。 「うん。可愛いよ」 微笑むと、少女は満足げに目を細くした。よっぽど褒められて嬉しかったんだろうな。 部屋を明るく照らしていたランプの摘みを、ラノスはフッと右向きに回した。鼻先の景色すら見えなくなるほどの暗闇が広がる。 「さあ寝よっか。明日からはもっと忙しくなるし」 「やな」と同意すると、ラノスは自分からシノとフレイルの間で毛布を被った。昨日は嫌々っぽそうだったのに。フレイルは一瞬目を見開いてから、そっと微笑んだ。 「おやすみなさい」 「ん、おやすみ」 「おやすみぃ」 夜闇の中、三つの声が短く交差した。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅧ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 テーブルの中央に置かれているのは、出来立ての昼食だった。薄らと湯気すら立ち込めるその料理は、正式な名前をアルラーニョという。 「シノ、ちゃんと手は洗ったか?」 「もち!」 シノは小さな掌を開き、ラノスの前に突き出した。無事合格を貰ったため、そのまま机上に向き直る。 小皿に取り分けられた麺料理に狙いを定め、フォークの先端を山盛り麺の中腹辺りに刺す。 シノはママトソースが彩る真紅の麺を顔の高さまで持ち上げた。ソースの甘酸っぱい匂いの奥に、どこかハーブ草のような深い苦味も感じられる。 「お味はどう?」ハーブは特に初食者のシノとラノスに問い尋ねた。調理した本人として、第三者の意見は積極的に取り入れたいらしい。 「うん!おいひい!」 シノは口いっぱいに頬張りつつ、当然のように舌鼓を打った。まあ彼女は基本何にでも「美味しい」とコメントするので、正直味の証明にはあまり向いていない。 とはいえハーブのアルラーニョが絶品だというのは、前述したファームの批評の通りだった。 「ああ美味い。ホンマに店で食うのより良え仕上がりかもな」ラノスは舌の上で転がした。 パスタ麺にはもちもちとした弾力があり、素朴な小麦の味を全体の奥に感じさせた。飲み込んでみて初めて分かるが、こののどごしの良さもきっと麺のお陰なんだろう。 真っ赤なソースに紛れるのは、細かく刻まれたママトの果肉だ。濃厚なソースが麺を包み、一口食べた時のインパクトを演出している。 そして何より…… 「この香草もええな。なんて葉なん?」 おそらく薬草の一種だろう。苦味を感じたのは初めの数口だけで、後味には影響してこない。醸造師であるハーブだからこそ出来るアクセントだ。 ところが、魔導士はローブの袖から出した手をパタパタと横に振った。 「残念。香草じゃないよ」 「わかった、スモモスだ!」シノはガバッと手を挙げてから答えた。 「ん〜〜〜正解!」 ハーブは“正確にはスモクスだけどね”と小声で呟いた。ラノスもファームも、シノの言い間違える癖はちゃんと理解しているらしい。 「へえ、これスモクスの葉なんや」緑がかった葉をフォークで掬い上げる。当然だが、花っぽい香りはしなかった。 「スモクスは茎にも花にも葉にも毒がないから、食用として育てればほとんどの部位が食べられるんだよ」 どうやら彼女の場合、採取したスモクスの葉の殆どをこういったアルラーニョなどの色味役として入れているのだそうだ。流石はハーブといった所か。 その時、台所に置かれていた鉄製の薬缶から[ピイイイイィィィィ]という甲高い笛のようなものが鼓膜を刺激した。 「おわっ⁉︎」シノはあまりに吃驚して、思わずフォークを取り落としかけた。ハーブが優しく微笑む。 「お湯が沸いたみたいね。待ってて、今淹れるから」 「あ、手伝います」 ファームは師匠よりも先に椅子から降り、トコトコと湯の鳴る方へ向かった。 「び、びっくりしたあ…」 シノは少し戸惑いつつ辺りを見回した。景色は何も変わってない。 「大丈夫やって。ただ薬缶の水が沸騰しただけや」ラノスはシノの背中をそっと摩った。 「やかん…ああそっか、スモクスのお茶!」 シノは思い出した興味に関心を唆られ、顔を上げた。 「お待たせぇ」 丁度その時、台所の方からハーブとファームが四つのティーカップを丸い盆にまとめて持ってきた。 どのコップからも白っぽい湯気が立ち昇っていて、あっという間にフローラルな花の香りが部屋に充満した。 「熱いから気を付けてね」 「あいあい!」 魔導士はそれぞれの食器の横にカップを並べた。 上から見た色は意外にも黒っぽく、それでいて花の薫りは絶えず放たれている。実に不思議な見た目だ。 シノは舌なめずりをし、ティーカップの飲み口を口元まで運んだ。4〜5回ほど念入りに息を吹きかけ、表面の温度を出来るだけ冷ます。 「ごくっ」 「んんっ」少女は感じたことのない味に目を見開いた。花特有の控えめな味ではあるものの、その中にも甘みや酸味といった複雑なコクがある。 「うまっ。結構あっさりしとんのな。もっと甘ったるいもんやと思っとったけど」 それに、臭みやえぐみといったマイナスな味も一切しない。ハーブは誇らしげに笑顔を作った。 「そこはほら、天才醸造師さんの奇跡の配合だよ」 鼻高々に顔を上げる。助言獣は苦笑しつつも、心の中では関心していた。 (まあ事実、今日の昼食はハーブのお陰やしな) 机上のお茶とアルラーニョを見下ろしながら、ふとそんな事を思うラノスだった。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・大通り〉 食事を終え、ラノスはシノやハーブたちに別れを告げた。フレイルから頼まれたものは全て午前中に買っておいたので、後はもう寮に帰るだけだ。 (帰ったら何すっかなあ。無難に掃除とかか?) そうなると道具が必要になるな。とはいえ、一寮室に箒と塵取りが常備してあるとは到底思えない。 [チャリッ]午前中に両替えした小銭を手の中で転がす。ラノスはフッと口角を上げたー ー数十分経ってから、ラノスは宮殿内に聳える特待兵寮塔まで向かった。螺旋階段を浮遊する事で駆け上がり、瞬く間に自室に辿り着く。 「えっと、鍵はたしかここに…」頸のポケットに手を突っ込むと、買い物袋の真横にスペアキーを発見した。 鍵穴に先端をするりと挿れ、時計回りに回転させる。てっきりずっしりした重たい感覚がくるとばかりに思っていたが、実際に手に伝わったのは空回りするような軽い感覚だった。 「んん?」 開いてる?。疑問に思い表面を押してみると、それを裏付けるように扉は奥へと沈んだ。 「まぁたなんとかオークの仕業か?」 ラノスは嫌味ったらしく空気を噛み、ドアノブに手を置いた。いつでも苦無を引き抜けるよう準備する。 「あいにく、ウチから盗ってけるもんなんか何も無いねん!」短い手先を器用に動かし、手にした扉を勢いよく開く。 [バンッ] 「………あれ」 入り口は静まり返っていた。誰もいない。誰かがいた形跡も見当たらない。異様だったのは一つだけだ。玄関の傍らに、明らかに今まではなかったオブジェが置かれていたのだ。しかも三つも。 「これ、樽か」 薄らと上部に埃を被っているが、表面に大きな汚れはない。試しに側面に触れてみると、常温よりかは少し冷たかった。 「誰がこんなん…」 カツンッと爪弾くと、微かに液体の音が中で揺れる。瞬間、ラノスはハッと勘付いた。 後方に位置している螺旋階段から、カツ,カツ,カツと軍靴のような音が響いてくる。音の重なり具合から見て、降りてくるのはおそらく二人組だ。 「そっち大丈夫?」 「うん。平気」 階段の上からこだましたその端的な会話だけで、誰と誰かはすぐに見当が付いた。まさかもう入隊式から帰っているとは。 一階フロアに先に姿を見せたのは、バックで階段を降りてくるアンの背中だった。どうやら二人がかりでさっきの樽を運んできたらしく、こちらを見える位置にいたフレイルとはばっちり目が合った。 「あれ、ラノス?」 「おう。案外早く終わったんやな、フレイル」 ラノスは扉前から横に一歩退いた。彼らが持ってきた樽は、おそらく今朝話していた生活用水だ。 最後の樽を玄関の傍に寄せると、フレイルは欠伸混じりの伸びをした。一日何をしてきたのかは知らないが、その疲労感は手に取るように分かる。 「ありがとう、アン。手伝ってもらっちゃって」 「全然。もっと頼ってもらったって構わないわ」 疲れを滲ませた笑顔を作るフレイルとは反対に、爽やかな顔つきで微笑む護衛隊長は汗ひとつかいてはいなかった。 アンは寮室の入口から無造作な樽の山を覗き込んだ。 「本当に片付けは手伝わなくて良いの?」 「うん。これ以上迷惑をかける訳にはいかないからね。お気遣いありがとう」 フレイルは弱々しく一礼した。痛切な程に心配を纏うアンの眼は、静かにラノスへと向けられた。彼を休ませてやってくれ、という意味だろう。容易い願いだ。 アンは助言獣の力強い頷きを信用した。そっと唇を開く。 「じゃあ、またね」 「うん。またね」 フレイルは口角をニッと引き上げ、笑顔で手を振った。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅦ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・国軍運用地「黒の食堂」〉 国軍運用地には大勢の軍人がいる。そのせいもあってか、寮や訓練所以外の殆どの建物は大きな食堂になっていた。あまりにも数がありすぎるため、基本的には色で区別されているらしい。 それぞれが独自の色彩を看板に連ねる中、アンが連れてきたのは“黒”の食堂だった。昼食時のため軍兵でごったがえしていることを覚悟していたが、彼女が指し示した食堂は意外にもがらんと空いていた。 「私がこっちに住んでたときからの穴場なんだ。まだそのままだとは正直思わなかったけれど」 頬に垂れた金髪を指先で弄る。彼女は盛況していない門構えに人知れず肩を落とした。 入り口には年季の入った暖簾がかかっており、そこを境にして客の声が少なからず聞こえてきた。同時に、油をたっぷり使用した肉料理のような香りも漂ってくる。 食堂内には計4〜5人の軍兵と、エプロン姿の女性が目に入った。身軽に食器を配膳するその姿は、腹にくっついた堕肉などこれっぽっちも感じさせない。てきぱきした仕事運びに、フレイルは彼女が大ベテランの店員であることを勘づいた。 「いらっしゃ…あらノアン!久しぶりじゃないの!」 店員は孫を愛でるような優しい目でこちらを向いた。 (アン…君は本当、誰からでも愛されてるな)フレイルはひそかに思った。 「ただいまおばちゃん。近くに来たから寄ってみたよ」 アンは控えめに手を振り、近くの空席を指差した。壁際という事もあってか、椅子は丁度向かい合わせに二つある。 「ここ、いい?」 「ええ。お連れさんもどうぞ」 皺の出来た目が、アンとその同行者に向けられる。フレイルははにかむようにお辞儀をした。 店員がメニュー表を取りに裏の方へ行ったため、フレイルは卓上に腕をついてアンに尋ねた。 「感じの良い人だね。いつからの顔見知りなの?」 「うーん…」 蒼い瞳が空中を三回泳ぐ。考えるのにそれだけの時間を有するということは、よほどの歴史があるようだ。 「ずっと前…かな。私が護衛兵になった頃からだから。まだ右も左も分からなかった時、おばちゃんや当時の調理師さんたちが毎日のようにあったかい食事を作ってくれてね。 隊長と特待兵を任されてからは、行く機会も殆ど無くなっちゃったけれど」 アンの身の上話が加速するかというタイミングで、店員が薄い冊子のようなものを手にやってくる。 「はい、これメニューね。アンはいつものサンドイッチで良い?」 「うん。大丈夫だよ」メニューを開きながら頷く。次はフレイルの番だ。 「どうしよっかなあ。僕もアンと同じ……」 とその時、目に入った表記に心が大きく揺れ動く。 [ドルコン焼き〈ラパスコロニ風〉] ラパスコロニ⁉︎。ラパスコロニってなんですか⁉︎ 普通のドルコン焼きならわかる。言わば大きな七面鳥のようなものだ。タレや香辛料が微妙に違うので味はこっちの方が濃いが、巨大な焼き鳥であることに差はない。 問題はその横の表記だ。ラパスコロニ………どれだけ考えても、味の想像は全くつかない。気になるじゃないかそんなの。 「…いや、ドルコン焼き〈ラパスコロニ風〉でお願いします」 「うん?。あいよ。卵とムラガラシのサンドイッチに、ラパコロドルコンね」 店員は淡々と復唱した。そう略すんだ、それ。 厨房に注文を伝達しに行った所で、自然と話題が途絶えた。お互い大して話す事が無くなってしまったからだ。雑談力の訓練でもやっておくんだったな、と先立たぬ後悔が浮かぶ。 (いやまだあるぞ。彼女にするべき話) フレイルはずっと聞こうと思っていた疑問をとうとう持ちかけた。 「ねえ、アン。水ってどうすればいいのかな」 「えっ、水?」復唱しながら目を丸くする。突拍子もない質問だったし、そうなるのもしょうがないか。 「うん。寮での話なんだけどね。飲み水とか洗面とかお風呂とかトイレとか、あとシノの花瓶の水とか。生活用水の確保ってどうすれば良いのかなあって今朝気になってさ」 アンは張り詰めた顔を綻ばせ、いつもの優しげな口調で説明してくれた。 「それなら、特待兵寮塔の倉庫から持っていくといいよ。ほら、前に一番上の階層は倉庫になってるって言ってたでしょ?」 前って……ああ、お忍びでアンの部屋に泊めてもらった時のことか。確かにそれ以上は話されなかったかも。 「あそこには非常食だったり、軍兵が使うための水だったりがたくさん置かれているの。大きな樽に入れられてね」 アンはジェスチャーで樽の大きさを表した。大体一メートル無いぐらいか。 「ごめんね。最初に言っておけばよかった」 「いいって。大事になる前に気付けて何よりだよ」 フレイルは笑い返した。まあとりあえず、水問題は解決だ。塔に戻ったら水の樽をいくつか持って帰って、寮室で休むとしよう。 それからほんの二分後、厨房から店員のおばちゃんがお盆に皿を乗せてやってきた。角度的に見えにくいが、浅皿には白いパンのようなものが見られる。 「はあいお待たせ!。お先に卵とムラガラシのサンドイッチだよ」 「おお!」アンは子供みたいに目を輝かせた。 店員が運んできたのは、当然のように純白のパンが上下に具材を挟むサンドイッチであった。クリームシチューやシュークリーム,挙句クリームブリュレの件もあって名前には疑心暗鬼になっていたが、その名の通りで何故か安心した。 さて、もう少しサンドイッチの話をしようか。断面には水気のないスクランブルエッグが黄金色に煌めいており、こんがり焼けた一面をチラ見させた。 卵の下にあるのは…レタスだろうか。何かしらの葉野菜が見える。さてはあれが、未だ正体不明の“ムラガラシ”? テーブルに用意された布巾で両手を拭い、アンの手が純白のサンドイッチを手に取る。食べやすい持ち方に構えると、柔らかな三角形の一角を口に運んだ。 いつもは比較的上品に食べる彼女だが、昔を懐古したように二口,三口とがっつく。 サンドイッチにしては小さいからか、アンはあっという間に一つ目をぺろりと完食した。 明確な感想はお預けにし、幸せそうに唸る。 “フレイルくんも食べてみて”と言わんばかりに皿をこちらへ寄せたので、ありがたく一番小さなものを手に取った。 持ってみるとサンドイッチは思った以上に重たく、ぎっしりと敷き詰まった具材を容易に連想させた。 「いただきます」 さっきのアンと同じように、中央部分を目掛けて口を入れる。 歯を入れてみると、まずパンの軟質さに驚いた。少しもちもちした繊維が舌先に触れ、良質な小麦の香りが一瞬で鼻を抜けていく。 パンの膜を一つ破ると、甘めの味付けを施された炒り卵がお出迎えだ。ふわふわとろとろのスクランブルエッグではなく、微かに焦げるぐらいには完全に火が通っている。 焼き卵の下に見えていたのはやはりレタス(この世界だとヤベシっていうんだっけ)で、瑞々しいその葉は噛むたびに乾いた喉を潤してくれた。 ただ出来る事ならもう一押しパンチが欲しい。そう思ったその時、ツンと刺すような刺激が再び鼻を昇ってきた。この風味は唐辛子だ。 (ムラガラシって、唐辛子のことだったのか) 幸いにもそこまで激烈に辛い事はなく、他の具材と一緒に飲み込むと後引く辛さだけを残して消化されに喉を下った。 「美味しいね、これ」口に残ったムラガラシの辛味がどうもクセになる。 フレイルのあまりにも浅い感想にも、アンは「でしょでしょ!」と嬉しそうに飛びついた。 「…けど、シノはまだ小さいから食べられないかもよ」 揶揄うつもりで言ったのだが、アンは返って 元気に胸を張った。 「ふふんっ。なんと卵だけのものもあるんだなあ!」 メニュー表をぺらぺらと捲り、目当ての項目をピッと指差す。確かに、その白い指先が示しているのは「卵のサンドイッチ」という文字だ。 よっぽど食べてもらいたかったんだな、アン。 フレイルは無言で白旗を示した。 「はいお待ちっ。ドルコン焼き〈ラパスコロニ風〉だよ!」 厨房から出てきた店員は、何やらいそいそと皿を運んできた。サンドイッチは遠目に見てもよく分からなかったが、今回は一目で色の違いに気付く。 アンはサンドイッチ入りの浅皿を自身の方に寄せた。そうして出来たスペースに、店員が大皿をドンッと置く。中央に乗っているドルコン焼きには、真っ白い液体がとろりとかけられていた。 「注文は以上かな?」 「うん。大丈夫だよ」 アンは軽く一礼した。フレイルも続けて礼をし、フォークと食事用のナイフを両手に掴む。 鶏肉の一片を刃で削り、皿に垂れたソースをたっぷりとつける。溢れた肉汁とクリーミーなホワイトソースがいい具合に溶け合い、見ているだけで唾液腺を活性化させるようだった。 「ゴクッ」 その喉の音は、多分正面のアンには聞こえたと思う。肉を刺したフォークをそのまま口に運び、舌の上に乗せると、瞬間的に味蕾を電流が貫いた。 「う……まぁ……」 もはや言葉にもならない。なんだこれ。なんだ? 濃厚でミルキーな味わいのソースによって、ジューシーな風味が一変して断然マイルドになっている。 サンドイッチを貰ったので、お返しにこちらもドルコン焼きを差し出す。アンは喜んで一口食べた。 「意外とソースは甘いんだね。美味しい」 唇に付着した一滴のソースを布巾で拭い取る。驚いたような反応からみて、どうやら初めて口にしたらしい。 ラパスコロニがなんなのかは結局よく分からなかったが、今後何処かで見かけたらクリームソース系のものだと考える事にしよう。 食事を済ませ、アンとフレイルはほぼ同時に椅子から立ち上がった。いつの間にか先客は既に店を出たらしく、芳醇な香りの立ち込める室内には二人とおばちゃん店員以外には誰もいなかった。 「今日はありがとうね、おばちゃん」 「うんうんっ。また来な、ノアン!。それにお連れの兄ちゃんも!」 おばちゃんは、アンと隣り合わせに立つフレイルを見た。彼の顔に自然と笑顔が溢れる。 「ごちそうさまでした。また来ます」 両腰に手を当てながら、おばちゃんはにこにこと満足そうに微笑んだ。二人の若人を見つめ、また孫を愛でるような目で笑む。 「いやあ、初々しいねぇ」 「?」」両者、どういう意味だろうと頭の中で画策する。 おばちゃんは充分楽しんだらしく、 「さあ行ったいった!将来有望な軍人さん達がこんな埃っぽい店に長居してどうすんだい?」と急かすように手を叩いた。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅥ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・護衛隊訓練場〉 ガタイの良いグラストの肩に腕を回し、よろけつつもなんとかに立ち上がる。フレイルは放心状態のまま、虚な瞳をきょろきょろと動かした。 「フレイルくん!」 アンは棒のように突っ立っていたが、はっと我に返ったようにこちらへ跳んできた。誰も咎めなかったものの、以前交わした「仕事中はフレイルくんの事を“フレイル”と呼ぶ」という約束はすっかり忘れているらしい。 「怪我は無い?。まだ痛んだりする?」 「ううん。もう…大丈夫。ありがとう」 フレイルはグラストの肩から手を退けた。彼の方が若干背丈が上なので、傾けた片腕がほんの少し痺れていた所だ。 「グラストさんもありがとうございます。おかげで自分の実力を再認識出来ました」 ぺこりと頭を下げる。アンはそっと胸を撫で下ろした。 「そうか。なら何よりだよ」 グラストは柄にもなくふふっと微笑んだ。どういう意図かは不明だが、なんとなく剣士の心が顔を覗かせたような気がした。 「…ん。なんだ?何故じっとこちらを見つめている?」 「ああ、いえ」 フレイルは思考をぴしゃりと停止した。白髪を掻き上げながら、眼前の戦士は鼻を鳴らす。 「まあいい。今日の予定は以上だ。これにて解散とする」 わざわざ“解散”と称したのは、この場にいるフレイル以外の者にも発令された言葉だったからだろう。 「Missノアンも。今晩はよく休むといいよ」 「お気遣いありがとう。心置きなくそうさせてもらうわ」 アンが礼をした時、フレイルは咄嗟に手元のシナイフを意識した。半分程度が割れ欠けているそれは、もはや修理するより買い替えた方が早いように思われる。 「えっと、すみませんグラストさん。この刀…」 「ああ、それなら気にしなくて構わんぞ。上等品を安くで仕入れているからな」 彼は歯牙にも掛けない速度で答えた。よほどどうでも良い事なんだろうか。 きょとんとしていると、アンが呆れ気味に口を開いた。 「グラスト副隊長の斬り振りは激しすぎてね。よくこういう備品は破壊しちゃうのよ」 いやいやいや、竹刀叩き折るって相当だよ⁉︎。だから安く大量に仕入れているのかあ…とはならないって! 目を丸めていると、グラストはフレイルの持つシナイフをチラッと見下ろした。 「どうせ破棄する予定のものだ。気にするな」 「そう……ですか」 追加で尋ねるとどうやら持ち帰って良いとの事なので、フレイルはそれをインベントリの端に寝かせた。 「分かったらさっさと行け。訓練は明日の朝八時からだ」 「はっ、はい!」 グラストだけでなく、アンや行司役の軍兵にも向けて力強く頷いた。 ふわっと香る金木犀の甘酸っぱい匂い。ここは国軍運用地を抜けたすぐの街道で、多くの人々が共同して生活する市民居住地の入り口だった。長く先まで続く大通りを、二人の護衛兵が駄弁りながら歩いている。 「疲れたぁ…」 フレイルは腰に片手をつき、ぐっと背筋を伸ばした。正直効いている気は全くしないが、今出来る最大のデトックスといえばこれぐらいだ。あとは寮室に帰ってからにしよう。 「ほんとに大丈夫?」 アンは不安気に顔を覗き込んだ。まあ、あれだけ目の前でボコボコにされていたら流石に心配するか。 「大丈夫だって。幸い打撲にもならずにすんだし」 グラストから攻撃を受けた体の箇所を指でなぞってみる。右肩から左横腹にかけての一閃と、臍の近くに突き,下から噴き上げるような最後の一撃は、最初の一閃を丁度切り返すような位置だ。 「もっと強くならなきゃな…体力も防御力も今よりずっと鍛えて、グラスト副隊長の一撃を受けても怯まないようにしないと」 フレイルの目に赤く燃える炎を感じ、アンは肩をすくめた。その代わりに、前方に見える時計台を一瞥する。 「もうお昼時かあ。昨日は結局食べれなかったし、久しぶりにみんなで昼食にしない?」 笑顔でこちらを振り返る。フレイルは無論グーサインで返した。そして、すぐに一部を撤回する。 「あっ、ごめん。シノとラノスには好きにお昼食べてて良いよって言ってあるんだよね。だから二人が何処にいるかは分かんないや」 「そう…」 アンは少ししょんぼりしたが、殆ど間を置かないで代替案を挙げた。 「じゃあ、今日は二人で行こっか」 「その方がいいね」快く了承する。 よく考えれば、アンとのサシでの食事はこれが初めてだっけ? ここら一帯の軒は殆どが住宅街で、飲食の出来る店があるのはずっと先との事だった。大した距離じゃないが、この時間だと既に客で埋まっている可能性も大いにある。 「どこか穴場を知ってるとか?」 そう問うと、アンは踵を起点にして後ろを向いた。フレイルも隣で真似をする。 「ええ。ちょーっと戻るけどね。でも大丈夫。そこは一般人禁制だから」 彼女のセリフに登場した最後の単語のおかげで、フレイルはピンと勘付いた。 「前に言ってた、軍兵用の食堂の事か」 それは昨日、寮の鍵を借りるために国軍運用地へ向かった時のこと。アンは話の流れから軍兵用の食堂についてを話し、特にそこで食べていたという料理についても教えてくれた。 「正解っ!あそこで食べた卵とムラガラシのサンドイッチがまた絶品でね」 アンの舌にかつての味が蘇る。フレイルもいつか食べたいとは思っていたものだ。 二人はまたも横並びで駄弁りながら、今度は来た道をまっすぐ引き返した。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・大魔導士ハーブの家〉 玄関の扉を開けると、今朝のような獣臭は無くなっていた。ラノスの耳がイカれたのでなければ、誰の話し声も聞こえない。 「おーい、シノー。迎えに来たぞ〜」 …………返事はない。居間にはいないのだろうか? 衣服の入った紙袋を傍に置き、助言獣はもう一度声を張り上げる。 「おーい、シノー!迎えに来たぞ〜!」 「……はあぁい!…」 遠くの扉から聞こえたその声の主は、まごう事なきシノだ。どうやら彼女はあの部屋にいるらしい。 「ったく。あいつどんなトコにおんねや」 そう呟いた次の瞬間、奥の扉が擦音を立てて開いた。勢いよくドアノブを押した弊害か体勢を崩しつつ、シノがとびきり赤毛を揺らして現れる。何やらその両手にはザルのようなものが見られた。 「おかえりラノス!」 跳ねるように近づいてきた彼女が掲げたのは、カラカラに乾いた可愛らしい花弁だった。何枚あるかは数えないと分からないが、色はいずれも白,紫,薄いピンクのどれかをしている。 ラノスは少し観察してから推測したが、結局 「なんやそれ」と回答を放った。 シノは口を開いた。が、詳しい説明は戸口から出てきたハーブが代行する。 「私の庭に自生していたスモクスの花弁だよ。昨晩、ファームと一緒に収穫したんだ」 大魔導士の背後から、シノではないもう一人の少女も顔を出す。ラノスは咄嗟に“自生?”と返した。 「昔、観賞用に鉢で育てていたんだ。その時の種が、どういう経緯か庭に根を張っちゃったらしい」 シノが手を痺れさせていたので、ラノスはそっとザル持ちを代わってやった。 「…それからというもの、毎年毎年この時期になると庭にたっくさんのスモクスが咲くんだよ。プランターでの生育をやめちゃった今でもね」 彼女の落ち着いた言葉に困った様子はなく、逆に軽い諦めのようなものが薄らと感じられた。 「刈り取らんのか?」 「まさか。景観を害す雑草ならまだしも、スモクスは綺麗な花だからね。毎朝水をやってれば、それなりに愛着も湧くもんさ」 ハーブは言葉を切ると、ラノスが持っているザル内の花弁を仰向けの指で示した。 「まあ、とはいえあまりにも増えすぎた株は、こうして食用にしてしまうんだけど」 「食用?食えんのかこれ」 魔導士は「もちろん」と同意する。一言も発してはいなかったが、ファームもうんうんと全力で頷いていた。 「茎も花弁も可食部だから、育て方と調理法次第ではうんと美味しくなるよ」 ハーブは自信満々に自分の無農薬栽培についてを語りかけたが、やめておいた。途方もないし、シノもファームも興味が無いだろうからだ。 ふと眼下のシノに目を向けると、少女の真っ直ぐな目線は件の花弁だけを捉えている。ハーブが“美味しくなる”と言った時からずっとだ。 「茎は昨日の晩にサラダにしてファームと食べてしまったけど、スモクスティーのための花びらならある」 ハーブはいたずらっぽく笑って続けた。 「二人とも、昼食はフレイルくんと食べる予定?」 ラノスは手を横振って否定した。 「いや。いつ入隊式が終わるか分からんから、ワシとシノだけでどっか食事しにいくつもりやけど」 そこまで答えた所で、助言獣は彼女のしようとしている提案を内心察する。 「だったらちょうど良いわね。一緒に昼食にしない?今日はアルラーニョにする予定なんだ」 アルラーニョ……遠い記憶だが、微かに聞き覚えはある。 「アルラーニョですか!」 ようやっと口を開いたかと思えば、ファームは口の端に涎を浮かべながら顔を上げた。 「ぜひ食べてみてください!師匠の料理はどれも格別ですが、アルラーニョに関してはそこらの飲食店など軽く凌駕しています!」 もしやシノよりも食い意地が強いんじゃないかというぐらい、ファームは食べ物の話題となると饒舌になる。 「わあい!ラノス、いいよね⁉︎」 シノは星に願いかけるような面持ちでラノスを振り返った。かつてはフレイルに注意されたが、厚意は受け取らないと逆に失礼なこともある 「ああ。いただこう」買い物終わりで疲れているのも事実だ。 「じゃ、さっそく作りますか。みんな手伝ってくれる?」 首を傾げると、一同は声を揃えて同意した。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅥ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・国軍運用地「護衛隊訓練場」〉 訓練場はいつになくざわついていた。怒声や嗚咽,打撃音だけが虚しく響いていたそこは、今や一種のアリーナと化している。 広々とした床には翠色の畳が一面に敷かれており、冷たい風と共に時折り井草が香った。壁際で疲労に屈している護衛隊員らは、殆どが今から行われる“訓練”の方を向いている。 素足で畳の中央まで歩き、フレイルとグラストは向かい合わせに立った。睨み合う両者の手中には、勝敗を分かつ竹刀がそれぞれ握られている。 視界の端には物珍しそうに面を並べるギャラリーの他、フレイルからウエストポーチを預かっているアンの姿も見られた。 訓練の参戦を易々と了承しただけあって、彼女の顔に心配という二文字は無かった。 「はあぁ…」 既に胃がきりきりと痛い。やはり無理にでも辞退するべきだっただろうか。 グラストは竹刀を腰に帯刀し、訓練についてを詳述した。 「この訓練は、何もただ攻撃を受ければ良いという訳ではない。まずは君の剣で僕に触れてみろ」 「ーはい」 手短に返事をすると、グラストの代理だという軍兵が忘れていたように二人の間へと駆けてきた。行司役として片手を構える。 「では……両者構えっ!」 合図と共に、グラストは指先を器用に動かして竹刀を正中線に回した。スマートな作法が分からず若干もたつきながら、後を追うように竹刀を同じ高さに構える。 (少し重いけど……大丈夫だ。ちゃんと戦える) フレイルは自分を鼓舞するように竹刀を見つめた。剣の扱い方に自信はないが、リーチの長いナイフだと考えれば良い。 フレイルは喉元に飛び出しかけた苦い弱音を飲み込み、改めて腹を括った。 「では………初めっ!」 行司の手が縦に下降したのを皮切りに、戦闘訓練は開始した。 「(とにかくひたすら攻める…!)」 フレイルは誰にも聞かれないよう小声で呟いた。 グラストの攻撃パターンをよく知らない今、闇雲に作戦を立てていては埒が明かない。今最も重要なのは、出来るだけ相手の手札を場に晒す事だ。 フレイルは畳を蹴り上げ、グラストの居合範囲まで駆けだした。こちらの攻撃が届く距離になれば、相手も防御に徹するか後退するかの二択を迫られる事になる。 (よし、いける!) 適度なタイミングで利き足を踏み込み、横一文字に構えた模造刀を力まかせに振る。とー 「ぬるいっ!」 吶喊の声を発し、グラストは竹刀もろともフレイルの体を叩き切った。 「あだッ⁉︎」 凄まじい速度で下ろされた竹刀の先端が肩から脇腹にかけてを一閃し、フレイルはそのままうずくまって嘔吐いた。 (今更だけど…こういうのって普通、防具とか着てやるもんじゃない⁉︎) 痛む胸を軍着の上からギュッと抑える。寒さや引っ掻き傷には強い生地のようだが、打撃への耐性は限りなく低いらしかった。 グラストは苛つきながら竹刀を持ち直し、悶えるフレイルを眼下に置いた。 「立て。訓練は精魂尽きるまで行うぞ」 「………はい」 なんて鬼コーチだと内心蔑みつつ、竹刀を杖代わりになんとか立ち上がる。フレイルは二〜三歩彼と距離をとり、肩で息をしつつも思考を回した。 今の短い攻撃で、大体二つのことが分かった。一つは竹刀の扱いが難しいこと。まあ、これは新たな発見というより改めて感じた事だが。 もう一つは、グラストの攻撃が思っていたよりずっと重いこと。彼が握っているのはフレイルのものと同じ竹刀だろうに、飛んできた斬撃は比べものにならないくらいに強かった。 幸いにも痛みはすんなり引いたため、フレイルは改めて作戦を練ることにした。 「(思い切ってフェイントをかけてみるか)」 グラストはまるで食虫植物のように獲物が来るのを待ち、敵が間合いに入った途端に攻撃を繰り出すという手法を取るはずだ。そこまでの動きが予測出来ていれば、ひとまず上出来だろう。 なかなか反撃が来ないので、グラストは痺れを切らして呼びかけた。 「おいフレイル。まさか、今の一撃で本当に怖気付いた訳じゃあないよな」 フレイルは含んだように笑いかけた。 「ご冗談を」 竹刀を体前に構え、再びグラストに突進をかます。 斬るつもりは毛頭ない。彼が剣を振り上げた瞬間に素早く後退し、体勢を危うくしたその隙を縫うように叩く、といった算段だ。 「ほう、向かってくるか。面白いッ!」[バッ] 耳元に轟くその擬音は、グラストが床畳を思い切り蹴った音だ。それが何を言い表すかというと…… 「我が剣閃に散れッ!」 「っー⁉︎」 思わず“嘘だろ⁉︎”と叫びたくなる。不動を貫くとばかりに思われていた彼は、気が変わったように間合いを詰めてきた。 (落ち着け!。そもそも後方に退くつもりだったんだ。これだけ離れた距離なら、バックステップすれば回避できーー)[ドスッッ] 「あぎゃァっ‼︎」 想定外なことはもう一つ起こった。予想していたより、彼が遥かに身軽だったことだ。見せつけるような隆々とした筋肉は、グラストの動きを鈍くする枷にはならなかったらしい。 結果、その剣先はフレイルの腹部にきつく突きを入れた。 (……ぐっ…) 抉るような痛みにかまっている暇はない。フレイルは後転する既でで踏み止まった。手中の竹刀を再度握りしめる。 「(こうなりゃ強行突破だ!)」 グラストとの距離は約二メートル。ナイフでは難しいが、竹刀であればここからの攻撃は容易い。 「甘いッ!」「⁉︎」 まるでフレイルの思考を全て読んでいるかのような完璧な位置に、副隊長の刀が飛んでくる。鍔迫り合いになるやもと思われたが……… [バギンッッ] (………………は?) 手の中にずっとあった重いものが、一瞬にして軽い棒切れに変わる。その感覚は、東の森にてインパクト・ボウをワーウルフに破壊された時のものとよく似ていた。 彼が振り下ろした斬撃はフレイルの竹刀を見事真っ二つに叩き割り、そのまま切り返して持ち主の体を追撃した。 「うぐっ⁉︎」 竹刀が折れたショックと攻撃の激痛が同時に押し寄せ、フレイルは一瞬吐きそうになった。 情報量の勝利だ。その場にぺたりと跪きつつ、そんな事を胸に呟く。顔に汗が吹き出している事に気付いたのはその時だ。 「うむ。惜しかったな。あと幾度か修行を積めば、次は僕に届くだろう」 グラストはすっかり終了した空気の中で息をし、フレイルの竹刀の先端をひよいと拾った。 「……フレイル?」 返事がないため、不審に思った彼はそっと問尋ねる。 フレイルは跪いたまま、自身の竹刀を呆然と見つめていた。一メートルあまりあった刀身はその大半が欠け、ピンと張っていた蔓も外れて不恰好な見た目になっている。 しかし、不思議と思考は明るかった。 「すみません、グラストさん……」 刀身の折れた竹刀を逆手に持ち、ゆっくりと立ちあがる。ふと瞼を閉じれば、火削ぎを握っているような錯覚すら覚えた。 「こっちの方が僕の好みなんです」 フレイルはいつもの戦闘スタイルを形取った。 「ーーふふっ……ふははははっ!」 グラストは天井を震わすような高笑いを上げた。今の彼の瞳には、ノアンに良く見られたいという邪な感情は見られない。笑いの源は、湧き出る純粋な戦闘意欲だ。 「来い。フレイル!」 「(言われなくても)」 噛み潰したように言い、素早く畳を蹴り上げる。あっという間に間合いを詰められたことで、グラストはハッと驚愕した。フレイル自身、この速度には唖然としている。 (竹刀は機動面で難ありだったから、シナイフ(たった今決定した)の方が何倍も動きやすいな) グラストは咄嗟の判断でシナイフを防御した。攻撃に攻撃で返していた彼が、とうとう守りという手法をとったのだ。 特に耳に入ってこなかったため記述は控えていたが、周囲を取り囲むギャラリーたちの熱気は凄まじいものだった。 フレイルがシナイフを片手に立ち上がった瞬間なんかは、思わずアンが耳を塞ぎたくなるぐらいに。 「驚いた。君の運と機転には脱帽するよ」 交わる攻防の中、グラストは嬉しそうに微笑んだ。何がそんなに気に入ったのだろう。 「……………っ」感謝の言葉か上手い返しでもしたいものだが、どうも体力がそれを許してくれない。フレイルはシナイフの柄をこれまで以上の力で引っ掴んだ。早々に訓練を終わらせる必要がある。グラストも、なんとなくその意思を見抜いた様子だった。 「良いだろう。ーこれで決める」 彼の手にあるのはただの竹刀だというのに、その刀身は金属のように煌めいて見えた。 「…感謝……します」 荒い息を必死に宥め、シナイフを構える。両者は二秒間ほど睨み合ったのち、ほぼ同じタイミングで正面からぶつかり合った。 シナイフの先を前に突き出す瞬間、フレイルはギュッと瞳を閉じていた。全身全霊を賭けた渾身の一撃だった故の恐れかもしれない。 その時、竹光の先端が何かに触れる感触が柄越しに右手へと伝わった。そっと目を開いてみると…… 「‼︎」「……残念だったな、フレイル」 剣先はグラストの体に当たる事はなく、竹刀の腹によって食い止められていた。追加で攻撃しようにも、もう体力も気力も残ってはいない。 「……っぷはあ!」 フレイルが張り詰めた緊張を吐き出すと共に、初の訓練体験は周りの喝采のなかで閉幕した。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅤ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・国軍運用地〉 人通りの多い住宅街を抜け、フレイル,アン,グラストの三人はとうとう黒いレンガ造りの道へと踏み入った。太陽が燦々と昇るのとは裏腹に、目的地に向かうに連れて体感する肌寒さが少し増す。 「ー周辺をゴブリンの群れに囲まれ、満身創痍の絶体絶命。しかしその時、私は傷だらけの右手に最後の力を込め、奇跡の剣閃を弾かせた!」 グラストは自身の武勇譚を声高に喧伝した。うんざりと相槌を打ちながら、フレイルは改めてため息を吐いた。 本当にこの人に訓練をつけてもらうことになるのか……おっと、あからさまに気落ちしては失礼だ。何かしら賛美を述べないと。 「それはまあ……大層なお点前で」 「そうだろうそうだろう。僕の剣術捌きを前にすれば、どんなモンスターだって恐れを成して逃げ出すんだからね」 彼は自負する事に気を取られて、こちらの苦笑を感じ取らなかったらしい。自慢話はもうこりごりだが、護衛隊の副隊長という立場を踏まえれば聞きたいことは少なくない。 「そういえば、何故グラスト副隊長が新人護衛隊員の初週訓練を担当する事になったんですか?たしか今年が初めてなんでしたよね」 過去に彼自身から聞いた言葉を復唱するように尋ねる。グラストは真剣な顔つきで虚空を見上げた。 「大した理由はない。教育という未知の分野に、一度触れてみたかっただけだ。他人に剣術や武術を教える事で、僕自身が成長出来る部分もあるだろうからな」 かつてフレイルにイビりの片鱗を見せた男とはとても思えず、後方を歩くアンと一瞬顔を見合わせた。 「……というかフレイル、お前の使う武器は何だ?もし大剣か長剣であれば、我がアングリア家に代々言い継がれし大いなる剣術を教えてやらん事もないが」 グラストはさりげなく腰元の愛剣の柄に触れた。 まだ彼には紹介していなかったか。 「ナイフと弓です。えっと、天命武器(だったかな)がナイフでして」 インベントリに手を伸ばし、黒皮のナイフを半身だけ取り出す。どんな感想が飛び出すか想像していると、初見の頃のアンと同じく険しい顔つきをした。 がしかし、彼の方がどちらかといえば肯定的である。 「ナイフか。実に珍しい。そうなると、自主鍛錬は「剣」の“短剣部門”になるな」 「えっ、短剣なんですか?」 自主鍛錬の概要は分かる。軍兵達が午前中に修練を行ったのち、あくまでも自主的な選択で午後に武器の稽古が出来るというものだ。フレイルの場合、その選択肢はナイフと弓矢だと思っていたのだが。 困り顔を作っていると、アンがぽんぽんっと肩をたたいて教えてくれた。 「鍛錬の選べる武器は種類が多いんだ。例えば「剣」なら、長剣,大剣,短剣,片手剣,カトラス,レイピアの六つに分けられる。その内、ナイフは短剣に分類されるわ」 アンは精悍な仕事人の顔つきのまま説明した。弓についても同じだろうから、あとで確認する必要がありそうだ。 「そろそろ見えてくるぞ」 グラストは暗黒色に建ち並ぶ家屋のうち、奥にて門を構えている巨大な屋敷を指差した。 「我々の訓練所だ!」 フレイルは急に緊張感が芽生え、息を呑んだ。 門前に立つ二人の護衛兵に軽く会釈を交わし、一行は訓練所の敷地内に入った。人混みの喧騒が一つも響かない、なんとも静かな場所だ。 訓練所は、複数の建物を大きな石塀が取り囲むことでその形を成していた。建築物にはそれぞれ“護衛隊用”だとか“醸造隊用”といった部隊専用の役割があるらしく、入り口を根として枝分かれする石畳の道は、どれもそれら訓練施設へと続いていた。 「ひ、広いですね……」 実に小並感の抜けない台詞が、開口一番にフレイルの口から飛び出す。一面に広がる芝生と所々に設置された東屋を見れば、誰だって言葉を失うものだ。 「もちろんだ。国王陛下直々に、国軍運用地の多くの土地をかけて作られた施設だからな。我ら軍兵への厚い信頼が伺えるだろう」 無駄に整った顔を太陽の元に晒し、誇らしげに口角を上げる。軍兵への信頼に関しては、ダラクタラ国王との対話の中でフレイルも薄々気付いている事だった。 「さて。じゃあ護衛隊の訓練場に行きましょうか」 「はいっ」「了承さMissノアン!」 もはや誰が言ったか記述しなくても、どちらがフレイルでどちらがグラストかは判別出来るだろう。 ややこしくなってしまって申し訳ないが、訓練所で行うのは“護衛隊”や“戦闘隊”としての修練であり、前述したナイフや大剣などの鍛錬は別の場所で行うのだそうだ。 一行の前に物々しく建っているのは「護衛隊」の訓練場である。むくり屋根には威厳を感じさせる漆喰が塗られており、何処となく和の雰囲気を発していた。 「……たああっ!……」[……バキンッ……] 「……おらあっ!……」[……ドンッ………] 木製の引き戸の向こうから、打撃のような衝撃音が何度も響く。先輩隊員たちが訓練を行っているようだ。 戸を開くと玄関と靴箱があり、既に何十人かの軍靴が棚の大凡を占めていた。なんとか空いている所に自分の靴を並べ、訓練場と玄関を仕切っているもう一枚の戸を思い切り横開く。 「ーッ⁉︎」 途端に目に入ったのは、部屋の壁際にて死んだように倒れ込んでいる護衛兵たちの姿だ。どの者も、疲労困憊のあまり体を動かせない様子である。 ザッと確認したところ、コールとビックの姿は見られなかった。 「どうした、早く向かってこんか!」 畳床の中央で竹刀(この世界だとカラナイか)を構える屈強な男が、軍服を翻して怒声をあげている。言葉に応えるように、一人の隊員が自分の竹刀を杖代わりにして立ち上がった。 「良いぞ。いつでも来い!」 「はっ、はいっ」 隊員は井草色の畳を踏み締め、中央に立つ軍人との間合いを一瞬で詰めた。機動力はかなり高いようだが…… 「遅いわァッ!」[ドスッ] 剣の振り下ろしが甘く、軍兵が僅差で放った突きによって隊員はその場に沈んだ。 「あぐっ⁉︎」 「ふんっ……」 男は怒り紛れか鼻を鳴らした。隊員の前まで歩き、腕を引いて立ち上がらせる。 「攻撃中でも受け身の姿勢を意識しろ。不意打ちに弱いのがお前の弱点だと言ったはずだ」 てっきり剣の扱い方についてレクチャーするものだと思っていたが、その屈強な軍人は防御方面の指導だけを行った。護衛兵は突きを受けた胸元を摩りながら、よろよろと壁際に戻っていく。 フレイルは一連の出来事に息を呑んだ。 「(あれって……)」誰となく小声で尋ねてみる。 後方の二人は何れも口を開いたが、アンの方が喋り出しが少し早かった。 「(護衛隊は戦闘隊や射撃隊と違って、隊列での行動が極端に少ない部隊なの。だから護衛隊にとって最も重要なのは、全体の統率力じゃなくて個々の防御力と判断力なんだよね)」 後ろのグラストは同意の意味で点頭した。 (なるほど。ああやって真ん中の軍兵に立ち向かって、ひたすらに攻撃を受ける事で防御力を高める訳か) 要するに、相撲でいうぶつかり稽古のようなイメージだ。 フレイルが感謝を述べるべく口を開くと同時に、竹刀を手にした屈強な軍兵はくるりとこちらを振り返った。 「おおっ、ノアン隊長にグラスト副隊長様!お待ちしておりました」 さっきまでのいきり立った声はどこへやら、軍兵はニコニコしながら二人の元まで歩いてきた。フレイルの方をチラッと見てから続け る。 「そちらの方は、もしや今年の受験者様ですか」 軍兵は特待兵バッジの付いていない軍服を正した。グラストはやるせない表情で浅く頷くと、フレイルに自己紹介のターンを回してくれた。 「あっ。えっと、フレイルです。これからよろしくお願いします」 「よろしく…と言いたいところだが、私は今日限りのグラスト様の代理でね。これから稽古をつける事は難しいかな」 握手を交わしながら、頭蓋の中で(えっ、この人代理だったの?)と心の声を響かせる。その驚愕の表情を、グラストは訓練に対する焦りだと勘違いした。 「……ふむ、せっかくの機会だ。既に他の隊員たちも疲れているようだし、フレイルも一度やってみたらどうだ?」 「はぇっ⁉︎」予想もしていなかった急カーブの豪速球。縋るようにアンの方へ視線を動かすも、あろうことか彼女はその提案に首肯していた。 「いいわね。ぜひやってみたら良いわ、フレイル」 「え、えぇ……」 参ったなあ。明日から本格的な修練が始まるから、今日はあまり激しくは運動したくなかったんだけど。 「どうした、怖気付いたか?」 グラストは小馬鹿にするように尋ねた。安い挑発であることは分かっていたが、それを無視するのまどうかとは思う。 「怖いなら良いんだぞ?僕らも国王に一報するだけだ。フレイルという男はただの訓練からすら逃げてしまうような、とんだ臆病者だったと」 副隊長はニヤリとせせら笑う。フレイルは思わず躍起になって首を振った。 「わ、分かりました。やります!」 壁際に置かれた竹刀用の籠から、使い込まれた一本を半ば乱暴に抜き取る。グラストは少し嬉しそうな目をこちらに向けた。 「一度、君と手合わせてをしてみたかったんだ」 先ほどの軍人から竹刀を受け取る。部屋の真ん中を囲むように休憩していた隊員達は、なんだなんだと皆上体を起こした。 「…僕もです」 正直な話、この人の強さに対する確信はまだ持てていない。それを確かめるためにも、この訓練は必須事項だ。 触れ慣れない竹製の剣柄に握力を込め、フレイルはひとつ覚悟を決めた。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅣ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 お使いを任されていたラノスを玄関で見送り、シノはファームに連れられて例の飼育部屋に向かった。部屋はずっと奥の方にあり、木戸を開くと風変わりな景色が二人を待っていた。 壁際には大きな樽がいくつか積み重なっており、それを台座にする空の植木鉢はすっかり埃をかぶっていた。 天井に目を向けると、黒ずんだつる草が蜘蛛の巣を張るように根を絡めているのが分かる。びっしりと頭上を覆うように生育しているその植物からは、丸っこい赤茶色の果実がいくつか垂れていた。どれも成熟しているらしく、ほんのりと甘いフルーティーなその香りが鼻先をくすぐった。 好奇心に息を弾ませながら、シノは思わず尋ねた。 「ねえファーム!あれは何⁉︎」 開け放たれた窓から射す自然光の当たり具合によって、表面は臙脂色に近くなる。ファームはシノにも分かるよう簡単な言葉で説明した。 「シゴハンテンっていう名前の果物だよ。生きてる間はものすごい刺激臭を発するんだけど、死んだ後はそれが反転してフローラルな香りを纏うようになるんだ」 シノは頷く事で納得を示した。 ハーブはなぜ消臭目的であれを腐らせたのか。その原因は飼育部屋の中央にある。 立派に整備された銀のゲージが四つほど、陽の光をたっぷり浴びて金属の光沢を発している。よく目を凝らすと、その柵の中にはサンゴーと同じヒバナネズミが一匹ずつ視認できた。 「あれって?」 「さっき話したサンゴーの仲間。左から、“イチゴー”,“ニゴー”,“ヨンゴー”,“ゴゴー”だよ」 ファームは赤毛の少女に名前の雑さを言及されることを予知し、すたすたとゲージの前まで歩み出た。後を追うシノの方を一瞥すると、その心配はあっさり杞憂に変わった。 「これ、全部“ヒナナ”ネズミなの?」 「う、うん。正確には“ヒバナ”ネズミね」 シノは部屋をぐるりと見回し、惹かれたものはその場でファームに質問した。もちろん彼女もまだ見習いではあるが、シノよりかはずっと知識が豊富だ。少女の示したものが何であるか答えるぐらいなら造作もない。 [ガチャッ、キィィー] 暫く経つと、錆の目立つ蝶番をきしませ、入り口の扉が開かれた。振り返ってみると、ハーブが得意げな顔をして部屋に入ってくるところだ。 「やあやあやあ」 「なんですかその掛け声」 ファームは微笑みながら指摘した。その腕に抱かれた「サンゴー入りのゲージ」に目をやる。 「もしかして、何か分かりましたか?」 ハーブは待ってましたと言わんばかりにふふんっと鼻を高くした。 「まあね。わたしを誰だと思ってるのさ」 「さっすが師匠!」 シノは羨望の眼差しをきらきらと輝かせた。 リビングで話そうとハーブが提案したので、シノは胸中の私欲をそのままに飼育部屋を後にした。 (ほんとはもっともっと見たかったけど、今はさんごーの体の方が大事だもんね) 居間のテーブルに堂々と置かれたゲージを見つめながら、どうにか踏ん切りを付けることにする。 「さてさてお二方。今回集まっていただいたのは他でもありません」 椅子に座る両者に対し、ハーブは何処か楽しむような笑みで進行する。いつのまにか、彼女は自分が被っていたとんがり帽をポールハンガーに引っ掛けていた。 「師匠、いつもの帽子は?」とキョトン顔のシノ。 ふっふっふ……と意味ありげに微笑してから、ハーブはテーブルの陰に隠していた茶色の帽子を浅めに被った。 どこか探偵を連想させるその帽子は、びっくりするぐらい彼女の風貌に似合っている。 「雰囲気作りだよ。ミステリープレイのためのね!」ハーブは帽子のつばを指先で掴み、まるで返事を期待するようにほくそ笑んだ。 「みす…てりーぷれい?」 「謎解きのことだよシノ。師匠ったら、最近読んだミステリー小説にどっぷりハマっちゃってね」 ファームの口調からは、ここ数日の生活に影響したであろう苦難がいくつか感じ取れた。 「“ミステリープレイ”も、その本に出てくる言葉なんだ」 「へえー……えっと、ってことはどう言う事?」 探偵ごっこに熱が入っている事はどうにか分かったようだが、シノの想像力はあと一歩及ばなかったらしい。 「解明したんですよね。サンゴーがご飯を食べなくなった訳が」 「エクセレンッ!」 パチンッと指を鳴らし、正解したファームにウインクを贈呈する。 「早速説明しようか。今回のミステリーについて」 「チュウッ」ヒバナネズミは少し困惑した様子で一つ鳴いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「まず、私は医学的な面からサンゴーを観察したんだ。結果、疾患などの内的要因では無い事が分かった」 ファームは少しだけ驚いた。浮かれたコスチュームをしている割に、彼女はちゃんと解決するための推理を進めていたらしい。 「ってことは、体外の環境が原因だった訳ですね?」 机上のゲージの角に触れながら、ハーブ探偵は静かに首肯する。 たしかにシノが見たところ、さっき別室で見た他の個体と比べても違いはそう見られなかった。強いて言うなら毛色ぐらいか。 「じゃあ、ここのせいってこと?…あ、ですか?」 シノはぐるっと部屋を見回した。本棚やポーション瓶のラックなど、シノには気になるものばかりだが、彼ら小動物にとっては悪環境になるものがあったのかもしれない。 が、ハーブは誘導するように「うーん」と唸った。 「それはどうかな。これまでもこの環境でずっとご飯を食べてきたんだよ?」 「あ、そっか」 黙り込む少女たちに、ハーブはふふっと揶揄うように笑う。 「ま、正解なんだけどね」 「ええっ⁉︎」」隣同士で考え耽っていたファームは、シノと同時に声をあげた。その大声が起因となったらしく、部屋の隅で寝息を立てていた狼のバースがパチンッと目を覚ます。 「一言で体外環境といっても、色々な種類があるんだ。気温や湿度もそうだし、光や音なんかもその一種。空気やストレス、飲み水やフード、ウイルスなんかもみーんな体外の環境なのさ」 「…………⁇」 シノの6歳の脳媒体ではなかなか理解処理が追いつかなかったため、ファームが横から耳打ちで要約してあげた。 「つまり、身の回りのもの全部のことだよ。今はそう思っておけば大丈夫」 「あ、ありがと…」 いつもなら必ずシノにも分かりやすい説明をしてくれる彼女だが、今はキャラクターになりきっているので加減がおざなりになっているんだろう。 (よっぽどハマったんだな…後で読ませてもらおう)ファームは雑念を咳払いで誤魔化した。 「…で、正解ってどういう事です?」 「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれたね。今挙げた体外環境の例の中に、正解のものがあったって事だよ。ヒントは〜ー」 ハーブは机の周りを五歩歩き、突然サッとしゃがみ込んだ。立ち上がった彼女の腕を見ると、黒猫のチャームがお腹をいっぱいに膨らませてにんまりとしている。 「ーーこの子。チャームだよ」 「え、チャームですか?」 どういう事だろう、とファームはゲージに入っているサンゴーをチラッと確認した。 「チュウ!チュウッ!チュウ‼︎チュウッ‼︎」 「うおっ?」 唐突に阿鼻叫喚の鳴き声をあげだしたネズミに、シノは思わず少しだけ飛び退く。その視線の先には、ハーブが抱き抱えている子猫のチャームがいた。 「あっ、そうか!」 ファームはハッと閃き、ハンガーに掛けてあったハーブの帽子をゲージの側面に押し付けた。正確に言うなれば、チャームがサンゴーの視界に入らないようにしたのだ。 「…」 「鳴き……止んだ?」 シノは帽子の当たっていない方向から中を見た。先程の絶叫はどこへやら、見れば見るほど大人しいただのネズミである。 「すごいよファーム!なんで分かったの⁉︎」 「師匠のさっきの話で、ストレスって単語が出てきたでしょ?。何がサンゴーにストレスを与えられるんだろうって考えたら、チャームかなって」 ファーム助手の初推理を受け、ハーブ探偵は満点の笑顔で答えた。 「大正解!私の推理とまったく同じだよ。ストレスによって絶食したり、ご飯を食べる頻度が少なくなっちゃう動物は結構多いんだ。 サンゴーがご飯を食べなくなった時期と、チャームがウチに来たのは全く同じ時だった。つまり、この子猫に対する恐怖がここ数日の絶食を引き起こしたっていう訳」 「ニャー」知らんぷりをかましながら、チャームは甘い声で鳴いた。食後という事もあって、徐々に眠くなってきたらしい。 「他のネズミたちは大丈夫なの?」とシノの疑問。 「うーん、今のところはね。そもそもチャームとヒバナネズミたちは隔離していたはずだから、知り合ってる事自体がおかしいんだよ」 ハーブは子猫をバースの傍に降ろし、茶色の帽子を脱いだ。ローブの袖を軽く捲し上げ、髪の毛の跳ねを手櫛で整える。 「サンゴーは元々ゲージを脱走する癖がありましたからね」 「えっ、そうなの?」 ファームは力強く頷き、うんざりするような鬼ごっこの記憶を掘り起こした。 「うん。師匠に宿題を課せられた時も……」 段々と言葉が尻すぼんでいく。十中八九初めて出会った時のことだろうが、シノは彼女の羞恥心を汲んであえて言及を避けた。 「と、とにかく!知らないうちにサンゴーがゲージから脱走して、チャームに出会ってしまった可能性はありますよね」 「だね。現に今朝の脱柵騒ぎも、サンゴー自身が企てた事じゃない。着実に脱走癖は治っているんじゃないかな」 ハーブはゲージに被さったとんがり帽と手元の帽子を入れ替えた。 「良い薬になってくれて良かったよ」 「ねえ師匠。さっきのみすてりーぷれい(?)はもうおしまい?」 シノはちらちらと飼育部屋を見ながら尋ねた。はやる気持ちに答えるように、ハーブはにんまり笑って答えた。 「うん。ここからは約束通り、飼育部屋で生物学の授業を行おうか」 「やったあ!」 喜びに思わずぴょんと跳ね、赤毛を上下に揺らす。ファームはくすくす微笑みながら、サンゴーの安堵しているゲージを慎重に持ち上げた。 ーTo be continued
フレイル=サモン(CLⅢ)
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 「えーっと…一旦説明してもらえるか?」 ゲージに放り込まれた実験動物を睨みながら、ラノスは唸るように尋ねた。先ほど彼の額に噛み付いた黒ネズミは、飢えた獣のようにゲージの一部をガリガリと削っている。 ラノスとシノ、ハーブとファームの四人は、大きなテーブルを両側から挟むようにして座っていた。部屋の隅では二度寝中の白狼が静かな寝息を立てており、その背中には黒猫のチャームも丸まっていた。 「はい…」 見習い醸造師のファームは、ラノスの問いかけに少ししょんぼりした表情で口を窄めた。 「この子はヒバナネズミの“サンゴー”。ハーブ師匠が飼育している実験動物の一匹で、ここ最近は私がお世話をしています。餌やりや飲み水の交換程度ですが」 「ちょ、ちょっと待ってくれ。飼育しとる実験動物って言うたか?」 助言獣は眼を丸くして話をぶった斬った。シノの方をチラ見すると、「何に驚いてるんだろう」と言わんばかりの稀有な瞳と目が合った。 その場を代表してハーブが答える。 「あれ、言ってなかった?。まあ最近は投薬実験も殆どしてないし、実験動物とは名ばかりの単なる小動物なんだけどね」 「チュウゥッ」 サンゴーはいたって健康そうに甲高く鳴いた。 (投薬実験用……つまりこいつはモルモットってことか) ヒバナネズミは非常に繁殖力が高く、体内の消化器官にも、人間に近しい部分が多数存在するという。実験動物には相当適しているのだ。長く伸びた前歯が火打石になり得るという一点を除けば。 「ねえファーム。この餌あげてもいい?」 テーブルに上体を伏せていたシノは、手中に握られていた根菜を顔の横まで持ってきた。それはさっき机上で見つけ、チャームに一口だけ食べさせた生野菜だ。 「いいよ。けど気をつけてね」 ファームは肩をすくめ、ハーブと顔を見合わせた。 ゲージには幅三センチほどの小さな隙間があるため、スティック状の赤野菜はすんなりサンゴーの元まで届いた。 「さあ、食べてたべて!」 きらきらした無垢な笑顔で、ヒバナネズミに餌を差し出す。がしかし、サンゴーはそれに一齧りするどころかーー[ガチンッ] 上下の長い前歯を力強く打ち合わせ、火打石のようにして細やかな火種を生み出した。 「うわっ!」 シノは思わず野菜スティックを手放し、条件反射でぴょんと飛び上がった。ラノスがさりげなくその背中を支える。 「い、今のは……?」シノは未だに状況を飲み込めておらず、サンゴーの逆立った毛並みを凝視する事しか出来なかった。 「見てもらった通りだよ。ここ最近、ずっとこのサンゴーだけが朝食を食べないんだ」 大魔導士は嘆息でも吐きそうな口調でとんがり帽の庇をクイッと上げた。 なるほどと頷くラノスの隣で、シノは頭上に大きなハテナを浮かべる。 おそらく彼女の質問は“今の火花は?”という意味の問いかけだったのだろうが、ハーブは“今ご飯を拒絶したのは何故?”という意味合いだと勘違いして答えてしまったようだ。 「失礼な事を聞くが、この野菜は美味いやつなんか?」 「もちろんさ。今日のご飯はラシャクっていう根菜なんだけど、これはサンゴーが特に好きだったフードなんだ。いつものこの子なら、夢中になって喰い貪るほどにね」 ハーブは皿に並べられたラシャクを一本だけ手に取った。試しにネズミの前にまで持っていくが、懲りずに火花を散らして威嚇する。 「ほおん。で、なんでそのネズミを追っかけとったんや?」 ファームはあからさまに体を硬直させ、サッと目を伏せた。垂れたボブカットヘアのせいで見えにくいが、その顔は何かを憎んでいるようにも見える。 「あー…言ってもいい?ファーム」 言い出しにくそうな彼女に、ハーブは助け舟を横流しする。青年は黒髪をかきあげ、声も出さずに小さく頷いた。 彼女の説明をまとめると、大体次の通りだった。 そもそもヒバナネズミのような小動物たちは、こことは別の飼育部屋で育てているらしい(バースやチャームなどのペット用の部屋ではないそうだ)。 生き物の数は数えられるほどしかおらず、代わりに最近は植物だったり茸だったりがメインになっているという。 ファームは今朝、ルーティンである餌やりをしようと飼育部屋に向かった。計五匹のヒバナネズミのうち、相変わらずサンゴーだけは一切ご飯に手をつけない。 ここ連日ともなると流石に心配になり、ファームは“環境が悪いのではないか”と踏んだ。 実際、ヒバナネズミ以外にもそういう環境次第で絶食する動物はいるらしい。 他の子たちに餌をあげ、サンゴーのゲージと残りのラシャクを手にしてリビングに戻ってくる。とその時、ハーブの部屋からトコトコと降りてきたチャームと目が合った。 瞬間。サンゴーの歯はガチンッと弾き音を立て、赤細い火花が一閃になって宙空へ飛んでいった。 『ぴゃあっ⁉︎』 ファームは驚いた結果、野菜とケースをテーブルに投げるように放ってしまったのだ。ラシャクの入ったサラダはバランスを崩してひっくり返り、ケースの鍵は荒々しく開いて………… ハーブは“後は察してくれ”と言わんばかりに肩をすくめた。 「なるほど。それから追いかけっこに発展して、この部屋に獣臭が充満してったんやな」 先住狼のバースや飼い猫のチャームも巻き込んで、朝からその脱柵ネズミを捕らえようとしていたという訳だ。 (にしてもファーム……マチラチの件然り、相当この黒ネズミとは縁があるな)ラノスは彼女の目を見ながらそう思った。 机の対面に座るシノは、ヒバナネズミを物珍しそうに見つめていた。 このぐらいの歳の子なら、火を放つ動物に恐怖を煽られても仕方ないだろうに。好奇心の塊である彼女にとって、実験動物という響きにはどこか滾るものがあったようだ。 「興味ある?」とハーブが聞くと、少女は屈託のない表情で「ある!」と食い気味に答えた。 「ヒバナネズミって、そんなぎょうさんおんのか?」 ラノスが尋ねると、魔導士はふるふるっと首を振った。 「ううん。ぶっちゃけると、醸造の検証に使っていた動物たちは殆ど知人に譲っちゃったんだよね。今は薬草やらきのこやらの栽培しかしてない」 ハーブは椅子からすくっと立ち上がり、サンゴーの入ったままのゲージを体前で持ち上げた。 「じゃあせっかくの機会だ。今日の午前の授業は、趣向を変えて生物学にしよう。先生はファームって事で大丈夫?」 ファームとシノは、まるで姉妹のように「はい!」と返事をシンクロさせた。 三人が部屋を出て行ったのち、ハーブは数冊の学術書を棚から引っ張り出した。分類はどれも動物学関連のものである。 「チュウッ」サンゴーは図鑑と睨めっこしているハーブに向け、何かを訴えかけるように幾度も鳴いた。が、そんなものは彼女の集中を途切れさせる確固たる原因にはならない。 ハーブはヒバナネズミの説明文が終わった事で目を離し、別の本にしようと頭のスイッチを切り替えた。 「チュウ!チュウチュウ!」 「ん……」 やけに騒がしいなと感じたのはその時だ。これまでとは明らかに違う、まるで窮鼠にでもなったかのような声を発しているその姿からは、途方もない焦りをひしひしと感じる。 たまたまサンゴーの小さな黒目と目が合ったため、ハーブは人差し指をそいつの前に差し出しながら話しかける。 「大丈夫、怖がらないで。私がいるよ」 何かに怯えているのか、サンゴーはハーブの指に縋るような手つきで擦り寄った。噛まれる覚悟すらしていたため、逆に衝撃を受ける。 「ははっ、どしたの急に。甘えん坊さんだな」 バースやチャームを直に飼育しているのもあってか、動物が餌を食べなくなる傾向はある程度理解しているつもりだ。フードの変化,環境の変化,体調不良,それからストレスの影響。とかだったかな。あいにく獣医学は専門外だから、あくまで個人としての知識範囲であるが。 「とはいってもフードはいつものだし、生活環境だって今までの通りだった。じゃあ体調不良?」 「チュウッ!」 サンゴーは再度金切り声をあげると、素早く体をその場で丸めた。見たところ、突然の寒さにただ暖をとっているだけではなさそうだ。 「お…?」 「ニャー」 丁度その時、黒猫のチャームがハーブの足首に頬を擦りつけた。彼女がこうやって喉をゴロゴロと鳴らしてくるのは、大抵餌をねだっているというサインだ。 「ありゃそっか。まだ朝ご飯を用意してなかったっけね」 ハーブはポンと手を打った。 (そうだよ。ご飯を食べないネズミさんも大事だけど、それ以上にご飯を食べたい天使たちにも毎日のご褒美をあげなくちゃ) 「ちょっと待っててね、チャーム,バース」 後方で欠伸をする白狼にも、ふふっと猫撫で声で笑いかける。フードを取りに行くためにすくっと立ち上がると、足元の黒猫と机上のヒバナネズミがすっぽり視界に収まった。 そういえばサンゴーが積極的にご飯を食べなくなったのって、チャームが家に来た頃だったっけ。 「…………もしかして」 脳天にピカリと光ったアイディアを元に、ハーブは一つの仮説を立てた。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅡ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ジェノバ王宮前〉 「眩しっ」 照りつける太陽光に思わず目を瞑る。今朝から蝋燭の灯とガラス越しの自然光だけを浴びていたフレイルにとって、この直射日光は些か強烈すぎたようだ。 「まったく、元気な空模様だこと…」 覆うように広がる青空を見上げながら、ぽつりと嫌味事を呟く。その最高の日和とは真逆に、フレイルの心は鼠色の厚い雲に覆われていた。 「どうやら、新入護衛隊員は君だけのようだね」 後方…つまりは宮殿の方から、一人の男が大股で隣までやってくる。フレイルは乾いた同意を返した。 「あはは……ほんと、奇跡ですよね。グラスト副隊長」 彼は長い銀髪を大げさな動きで掻き上げ、わざと朝風の中に靡かせた。どうやら耳元に光る金色のピアスを見せびらかしているらしい。あえて無視する事に決めて目を逸らしていると、彼は機嫌を損ねるどころか眉を八の字にした。 「どうしたんだフレイル。顔色が悪いぞ?いくら僕が美しすぎるからって、そう卑下することはないさ」 グラストは“彼なりに”気遣いの言葉をかけてくる。 何だこいつはと落胆したくもなるが、欠片ほどの悪意も無いためタチが悪い。つまり、彼は自身の美貌のせいでフレイルが落ち込んでいるのだと本気で思っているのである。 特大のため息をなんとか飲み込み、フレイルは適当に「そうですね」と返答した。真正面から反論する気はさらさらないので、代わりに話題を転換する。 「えっと、行くのって国軍運用地でしたよね」 「うむ。護衛隊を含む全軍隊は、基本的にはその一帯にある施設で訓練を行うからな」 グラストは腕を組み、眼下の活気立つ街並みを眺めた。 これから向かうのは、明日以降訓練を行う事になるという軍事施設である。護衛隊の施設以外にも、国軍運用地には部隊別に設置された施設が多くあるそうだ。その中の一角に、護衛隊が使用する場所もある。 グラストはフレイルの特待兵バッジと、自身の金色のバッジを続けて見た。 「寮塔は実に素晴らしいが、ネックなのは訓練の為に一般兵より長い距離を移動しなければならないところだな」 驚いた。この人ってまともな事言えたんだ。口が裂けても本人には言えないが。とー 「お待たせ、二人とも」 開かれた王宮の門を潜り、弾むような声が聞こえてくる。ノアン…いや、今は仕事モードが抜けているらしいので、いつもの「アン」だ。 「おお、Missノアン。先のステージ上での説明、実に素晴らしかった!」 グラストやけにキラキラした瞳で彼女の方を見た。対しアンは特に拒絶もせず、 「これはこれはどうも副隊長さま」などと片手間にあしらう。彼女の水晶のような瞳は、続いてフレイルに向けられた。 「いい?フレイル。グラスト副隊長が虐めてきたら、すぐに報告すること」 「あっ、はい。アン……ノアン隊長」 あぶないあぶない。危うくいつものように短縮系の呼び名を口走るところだった。今は一応仕事中だし、横には容易に地雷となりえる彼(グラスト)がいる。 「?。何を言う、Missノアン。昨日言ったはずだよ。僕はそこまでバイオレンスじゃないってね」 キョトンとした顔で首を傾げるそいつに、心の中でぼそりとツッコミを入れる。 (そっちこそ何言ってんだよ。あんなに恐喝してきたくせに) ムッと眉間に皺を寄せる。グラストはなんとそれに気づいたらしく、さりげない素振りでフレイルの腹部へ肘鉄をお見舞いした。 「おぶえっ⁉︎」 我ながら不恰好な嘔吐きだと評価する余裕もないまま、打撃を受けた部分を条件反射で抑える。尻餅をついたりのたうち回ったりする程では無かったが、数値化したらとんでもない火力だったと思う。 「ん。フレイル、どうかした?」 丁度彼女の位置からは死角になっていたらしく、アンが心配そうにこちらを覗く。正直チクる事も出来るが…… 「なんだいフレイル!お腹でも痛いのか⁉︎」 ついさっきの悪質な攻撃は何処へやら、グラストは本気で心を痛めるような表情をしていた。全身全霊を込めたこの行動は、きっと「ノアンには告げ口をするな」という言葉の暗喩だろう。 (もうこれサイコパスだろ……)と内心拳を震わせつつも、これからの一週間に及ぶ彼との訓練を思い出して抗争心をそっと沈めた。 「いえ何でも。ささ、早いとこ向かいましょう!」 またしても何も知らないアンと、その後ろで頷くグラストの両方に笑って提案する。 「まあ、元気なら良いわ」 アンは肩をすくめた。 「ああ!元気に越した事はないからな!」とグラスト。 フレイルはとうとう耐えきれなくなり、そっと嘆息を漏らした。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 古くなった木製の玄関扉を開けると、ツンと刺すような獣臭がシノの鼻腔をつっ突いた。すぐ真後ろにいるラノスと同様、顔がしわくちゃになるまで眉間を寄せる。 「うっ…!。な、なんやこの臭い……馬小屋か?」 馬車に乗っている時は、確かに干し草や馬の臭いが風に乗って運ばれてくる事はあった。だがここは……かつて国軍にも所属していたという偉大な醸造師が根城にしている場所である。 「ラノス、あれ見て」 片手で必死に鼻を押さえながら、シノはか細い指をテーブルの上に向けた。 卓上には、大きな金属製のゲージがぽつんと放置されていた。中身は見るからに空っぽだ。横開きの蓋は開け放たれており、格子の中に何も入っていない事を強調する。 慎重に近づいてよく観察してみると、傍には短冊切りにされた野菜が皿ごとひっくり返っていた。 「切ったばっかりらしいな。野菜の表面に新鮮な水分が残っとる」 にんじん色の果肉をじっくり見つめながら、ラノスはそう考察する。シノがあからさまに好奇心を抱いている事を、彼は陰ながらきちんと気付いていた。 「だね…………。食べれ」「るやろうけど食うなよ」 念入りに釘を刺す。シノはぷくっと頬を膨らませた。 「…はあ。師匠もファームもバースもチャームも、みんな何処行ったんだろ」 シノはきょろきょろと辺りを見渡した。以前みんなで掃除をしたので、部屋はそこまで汚くもない。窓辺に並んだ色鮮やかなポーション達には朝日が射し、凪を保っている液体を通して虹模様を描いた。 [……ドタドタドタ……] 頭上から慌ただしく駆けるような足音が聞こえた気がして、ラノスはふと天井を見上げた。途端、遠くの音はぴたりと止む。 「気のせいか」 「あっ、チャーム!」 シノは難しい思考を振り払い、視界に入った黒猫の方へと飛んで行った。ラノスは止めようと手を伸ばしかけ、まあ良いかと辺りの観察に戻る。 チャームという名の黒猫は体勢を低くして机の下に隠れており、潜り込んできたシノを狩人のような瞳で睨んだ。その様子がどうもいつもと違うので、一抹の疑問を胸に留める。 「どしたのチャーム。シノだよ、忘れちゃった?」 昨日ユメと来た時には、エサをくれと言わんばかりにシノの膝乗っては愛しの鳴き声を発していたというのに。本当に同じ猫なのか疑いたくなるぐらい、今日はすっかり警戒モードだ。 「うーん。お腹空いてるのかなぁ」 もしかしたらハーブ達は出掛けていて、この子はご飯にありつけず飢えているのかもしれない。だとしたら大変だ。 「そうだ、いいのがあるよ」 シノは四つん這いのまま少し後退し、手首から上だけを机の上に伸ばした。お目当ての野菜は思ったより簡単に指先に届く。 「はい。どうぞ」 「ニャァ」 手に取ったそれを子猫の前に差し出すと、チャームは一瞬だけ頭を引いた。警戒している証だ。 「大丈夫だって。食べれるから」 ラノスが言ってた、とちゃんと付け加える。チャームはスンスンッと念入りに匂いを嗅いでから、やっと一口だけ齧った。 「美味しい?」 「ニャッ」 小さな口を動かして咀嚼するその様子を見て、シノは満足気に微笑んだ。 「おい、シノ!」 何があったか、ラノスは突如として声を荒げて呼びかけた。 「わ⁉︎」[ゴンッ]「あいたっ!」 声量と威圧に思わず驚いてしてしまい、シノは勢い余ってテーブルの下に頭を打ちつけた。朱色の髪越しに頭を抑え、苦しさを紛らわすべく必死に悶える。 なんとかラノスの下へ這い寄ると、彼はシノのいる床ではなく何もいない天井を凝視していた。 「ラノス…?」 「なんかおる。この上って、確かハーブとファームの部屋やったよな?」 シノは首肯し、よろよろと立ち上がった。手元には食べかけの野菜が握られている。 「にしては足音が奇妙なんや。まるで小動物みたい……な…」 とそこまでを推理した、次の瞬間。 [ドタドタドタドタドタドタドタッ]凄まじい勢いで何者かが階段を駆け降りてくる。ここからだと階段は裏側しか見えないため、誰なのかはまだ分からない。 「シノ。下がっとけ」 ラノスはシノの前にサッと手を翳した。両の目を三角にし、とうとう姿を見せた生命体をキッと睨みつける。 「チュウッ!」 「ーーへ?」 こちらへ猪のような速度で猛突進してくるのは、一匹の黒いネズミだ。 「待ちなさいサンゴー‼︎」 階段の方向から、若々しい女性の怒鳴り声が聞こえてくる。あれはファームの声だ。 ネズミは床を後ろ足で蹴り上げ、高々と飛び上がった。そのY軸は常時浮遊しているラノスの高度と一致し………… 彼がふと目を見開いた時には二本の鋭利な前歯が助言獣のずんぐり頭に突き刺さっていた。 「いっっっっだああああああああああああああっ‼︎」 ーTo be continued