クリオネ
190 件の小説クリオネ
来年度まで活動休止中〜♪ リハビリ感覚でたまに短編を投稿するかもです。 ※注釈※ 時折り過去話に手を加える事があります (大きく変えた場合は報告します) 定期的なご確認をお願いします。 novelee様の不具合か、 長い文章の一部が 途切れている場合があります。
荒廃したこの世界は今日も美しい・7
《ダロン視点:ハネネズミの巣・斜面》 砂地に埋まっていた黒いデバグロイドの中には、少女と思われる人間が一人静かに横たわっていた。天秤が警戒心よりも好奇心に傾いていたダロンの前で、人間が入っているカプセルの側面がチラリと光った。とうとうその扉が開くのである。 カプセルの内側と外側が僅かながらに繋がった瞬間、白煙のような気体が隙間からブワッと流れ出した。咄嗟に身を仰反る。 「うわっ。なんだこれ、煙?ってか冷た!」 驚いた事に、気体は足首の方に向かっては塵のように消えた。 「ま、まさか毒じゃねえだろうな⁉︎」 毒には良い思い出がない。かつて猛毒使いのデバグロイドと戦ったが、その時に喰らった毒のせいで討伐後三日は動けなかった。今でもトラウマである。 その時の毒も(もっと嫌な色だったが)、こんなふうに変な挙動をする流体だったのだ。 「ックソ、やっぱ攻撃手段あるじゃねえか!」 俺は砂地を蹴って駆け上り、大穴の淵から人入りのデバグロイドを見下ろした。一帯に煙を溢す様は、昔お婆から聞いた昔話を彷彿とさせる。 […セイ、ジンルイッ!] ずっと遠くに聞こえていた機械声が、砂山の裏側から大きく轟き上がった。けたたましい咆哮に咄嗟に耳を塞ぐ。 「丁度良い。作戦通り、ハネネズミの巣の中で朽ちてもらうぜ!」 俺は砂山に身を屈め、突撃のタイミングを見計らった。あのディフェンスタイプのデバグロイドは、単純な力押しで勝てるような相手じゃない。多少の犠牲は払ってでも、策を練らなければこちらが死んでしまうだけだ。 「ハネネズミの群れには悪いが…それと、あの人間にも」 ふと頭に浮かんだのは、カプセルを軽く小突いた時にあいつが見せた顔だ。恐怖に呑まれそうなほど、彼女はひどく怯えていた。 人………。 『俺たちはデバグロイドとは違う。人を守ることが出来るからな』 遠い昔の、記憶の断片がハッと蘇る。誰から言われたのかも曖昧だが、今思い出したのには何か意味があったような気がしてならない。 ダロンは自分の意思に反し、両拳を握り固めた。わなわなと手が震えるのは、行き場のない憤怒の現れだろうか。 「イガム…オゴッグ?」 今にも消えそうな掠れ声が、巣穴の中から弾けて消えた。聞き覚えは無かったが、声の主は確認する前に気付いた。カプセルの中にいた少女だ。 「お、起きた…のか………?」 眼下のデバグロイドに目をやると、一人の少女がカプセルに上体を起こして座っていた。歳の推定は得意じゃないが、14〜5歳程だろうか。 遠目に分かる特徴としては、茶色の長髪と同色の動きづらそうなの服を着ていることぐらいだ。 他にも色々ごちゃごちゃ身につけているらしいが、座っている事と遠くからの視野だという事が相まってよく見えない。 何の気なしにじっと観察していると、少女はこちらを見上げてからキッと目尻を細くした。 「アッ、アデダッ‼︎」 「……っ」 俺が目に入った途端、少女は食い掛かるような勢いで唸り上がった。発した言葉は何処か震えていて理解は出来ないが、それが全身全霊の威嚇だという事はなんとなく感じ取れる。 「…ったく。ほんとは弱えくせに」 呆れの感情がため息を吐かせ、俺はじろりと鋭い視線を返した。か弱い小動物のような瞳がこちらを睨む。上辺だけの恐喝は、親切にも内に秘めた恐れすら映してくれたようだ。と、その時ー ノシンッ、ノシンッ、ノシンッ デバグロイドが砂地を踏み荒らす足音。テンポの速さからして、どういう訳だが真裏からこちらの存在に気付いたようだ。 「へへっ。やっぱ作戦は一部変更だ!」 俺は彼女が犠牲にならない策を大まかに立て、思いついた瞬間から実行に起こした。悠長に過ごしている時間は無い。 一つ、小さくも重大な問題が発生した。デバグロイドは砂山を回ってきた途端、目の前のダロンではなく眼下の少女をターゲットにしたのだ。より倒しやすい存在に狙いをシフトした、と言えば良いだろうか。 [キセイジンルイ、ハイジョッ!] タイプ:γは防御力特化のため、のしかかったり突進したりと自重を生かした攻撃手段しか持っていない。逆に言えば、重さを用いた攻撃だけならデバグロイド随一だ。 《謎の砂漠:シファ視点》 ハロー、私はシファ。本当に恐ろしい事が起こったわ。丸っこい巨大なロボットが、理解の仕様がない言語を発しながらこちらにのしかかって来たの!。 最初は…ほんの少し目を離していただけ。 [イウルンイジエシク、オジハッ!] 荒れるような機械声。見上げた途端、大玉に手が生えたような巨体が空を覆った。直感的に死を悟る。 (な、や、やっば……) 悲鳴の一つも浮かばない。思考も上手くまとまらない。逃げるべきだと理性が提案したが、それを混乱状態の本能が掻き消した。 (誰かっ…………!) 私は反射的にギュッと瞼を閉じた。全身をぺしゃんこにされるイメージが脳裏を過ぎる。 「オットョ!」 声が耳元に聞こえたかと思うと、私の体は持ち上げられて風を切っていた。虚勢を張る勇気はとうになく、状況整理の為に目を開く事も一瞬憚られた。だがー ドッシイイイイィィィンッ [ハイジョオオオォォォォォォォッ‼︎] 「おうわぁっ⁉︎」 連発して重なる轟音を無視するのは流石に無理がある。私の両眼はぱちくりする余裕もなく、壮観な光景を前に見開かれるだけだった。 ぽっかり空いた陥没穴の中心に、先ほどの巨大な球体が飲み込まれていく。球体の表面には十字の黒い切れ込みがあり、そこに光る赤い眼光が真っ直ぐにこちらを見つめていた。 襲われた時は逆光で見えにくかったが、陽光をたっぷり浴びた状態では鼠色の装甲がよく見える。言葉の通り「鉄人」と言った所か。 私は屈強な人物の腕の中にいて、穴の淵からそれを見ていた。「腕の中」という表現を具体的にするなら、「お姫様抱っこの姿勢」というのが一番表現に容易い。 球体の姿がほとんどが見えなくなった所で、おそるおそる“私を抱えている人”へとしせんを向ける。一応助けてくれたという認識で間違いはなさそうだが、まだ安心しきるのは早い。 まず目に入った右腕と左腕だが、これらは筋肉が膨れ上がっているのか丸太のような太さをしている。シファの体を支えている二つの手指も、比較の必要が無いほど大きい。 それから、私の視界端でずっと存在感を知らしめている硬い筋肉達に目をやる。 無駄のない首筋と鎖骨のラインを目で下ると、はち切れんばかりに鍛え上げられた胸筋に辿り着く。石壁のような感触だ。 浮き出た筋肉とは打って変わり、その顔は実に精悍だと感じた。特別端正な顔立ちという訳でもないが、もみあげまで伸びた長髪も相まって直感的に漢らしさを思わせる。 「あの…助けてくれてありがとう。もう降ろしてもらって結構よ」 男はハッとこちらを向き、黒くも澄んだ瞳でこちらをじっと見た。もしかして、伝わってない?。 「ああ、えっと。下…地面!」 私はジェスチャーで地面を指差し、降ろしてくれと要望を伝達した。その意味に気がついたらしく、彼はその場に跪いてまで私を安全に降ろしてくれた。 「ありがとう」 お礼がてら顔を上げると、男はいかついガタイである以前にかなりの長身だった。私が156センチだから、大きく見積もって二メートルぐらいはありそうだ。 「アキアナワゲク?」 男は片膝を突いたまま心配そうに尋ねた。目線がほぼ並行になる。私はニュアンスから“怪我はないですか?”的な質問だと汲み取り、軽く首を振った。 「その…私は“シファ”。あなたの名前は?」 “シファ”と区切ってまで発音しながら、手を自分の胸元にやる。言葉が通じなくても簡単な会話なら可能だ。 「し…ふぁ?」 男は辿々しくもその名前を繰り返した。ちょっとイントネーションに癖があるけど。 「そう、シファ!。あなたの名前も教えて」 私はぱあっと目を輝かせた。もちろん、彼が私に敵意を向けてきたのを忘れた訳じゃない。言葉が伝わった喜びが警戒心を上回っただけだ。 「アア、アケアマノネロ」 男は私の所作にピンときたらしく、自身の体に手を当てて言った。 「アド“ノラダ”ウェロ」 男も言葉が通じないという事態に気付き、こちらが聞き取りやすいようゆっくりと発音してくれた。 「のらだ?」 彼が強調した部分を同じように復唱する。男ーノラダは少し含んだ笑いをしつつも、妥協したかのように頷いた。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・6
《ハネネズミの巣付近:ダロン視点》 砂漠にぽっかりと陥没した場所を見つけたら、それはハネネズミの巣である可能性が高い。奴らの歯は砂地を掘削しやすい形に進化しており、それを駆使して地面に穴を掘るのだ。 ダロンもまさに今、そんな巣の際々に立って眼下の様子をじっくり観察している。穴の斜面を滑った先には小さな窪みがあり、その更に地下には何十匹ものハネネズミが生息している筈だ。 広大なその地下空間に、背後から追ってきているデバグロイドを落っことす。というのが今回の作戦だ。 だが、今や彼の目線の先にあるのは野ネズミの穴倉などではない。厚い砂の壁からほんの僅かにその姿を見せる、黒の鉄片だ。 「…なんだ、あれ。」 初めはデバグロイドの死骸かとも思ったが、砂肌から隆起した黒鉄色の機体に違和感を覚える。 「あんな黒い表面、見た事無えぞ」 奴ら機械生命体には性能的な個体差はあれど、機体の色は基本白か銀だ。しかしあれは…漆に漬けたように純黒である。 俺は湧き出た生唾を強く飲み込んだ。ただの機械生命体の亡骸だと割り切る事が出来たら、きっと作戦の続行に集中していただろう。だが、俺は胸中をざわめく謎の感覚に抗い切れなかった。 斜面を慎重に駆け降り、露出した鉄板の元へと急ぐ。幸い、後ろにいたデバグロイドの足音は丸切り聞こえなかった。 思った通り、鉄板の表面はほんの少しだけカーブを描いているようだ。次は持ち上げて確認しようと被っている砂を足で払いのけるが、一向に鉄が途切れる気配はしない。その場にしゃがんで確認する。 「デバグロイドだとしたら、タイプ:γか?」 タイプ:γは、防御力に特化したデバグロイドだ。この大穴に突き落とそうと仕掛けている相手も、その内の一体である。 タイプ:γは丸や四角といったシンプルなフォルムをしている事が多い。見たところ、この鉄板は大きな球体の一部のようだ。 「……なんだ、ただのデバグロイドか」 それを否定出来る根拠が今の所無いため、俺はそう思い切る事にした。虚脱感が全身を覆う。最後に一瞥してから終わりにしようと、再度足元に軽く目をやる。とー 「ん?」 砂を被っていた部分に小さな窪みのような物が視界に入った。経年劣化には見えない。窪みの両端から伸びた薄い線は、正四角形を縁取るように彫られている。 「紋様…じゃないな。これは…」 おそらくこの窪みは、何かを開けるために人為的に彫られたものだ。デバグロイドにこんなものは見た事がない。 「こうか!」 窪みに硬い指先を引っ掛け、思い切り一方に引き上げる。長い間封じられてきたのか、開くのは中々苦戦した。 バゴンッという鈍い金属音と共に、表面の一部が陽の元に照らせれる。好奇心に駆られて中を覗いてみて、ダロンは目を見張った。 正方形の形にくり抜かれた浅い空間には、黄緑色に光る液体が六〜七本の細い容器に入って並んでいる。その一本ずつは小さな配線で繋がっており、更に小さな四角の箱へと通じていた。 「……全っ然分かんねえ」 理解が追いつかない。興味はそそられるが、見ていると難しくて眠たくなってくる。俺はこの装置を“俺なりに”考察した。結論として出てきたのは、このデバグロイドを動かすためのエネルギー源だという仮説だ。 デバグロイドの動力源は、爺ちゃん曰くたしか「じかはつでん」とかいういうシステムで賄っているらしい。幼き日の俺にはよく分からなかったが、もしや目の前のこの機械が“それ”なんじゃないだろうか。 「…だとしたら、このままにしとくのはマズイよな」 もしこの黒いデバグロイドが通常個体の強化版で、この装置で体を動かせたとしたら…そんなの脅威どころではない。 「っしゃああ、おらああっ‼︎」 破壊なら容易いものだ。俺は剛腕をブンと振り上げ、“じかはつでん”を粉々に殴り潰した。 透明な容器はどれも見事砕け散り、毒々しい色の液体が拳に飛散する。触れてはいけない薬品だったかと、ダロンはすぐに片手を振り払った。とー [ニヌカコウォンオッセキヌメツシスネヅタフ‼︎] 応答など無いとばかり思っていたデバグロイドが、突如として早口を連ね出す。俺は「うぉああ⁉︎」などと情けなく声を上げ、その場から瞬時に飛び退いた。 [ウマルゴルプクフウィス:ァアレルルゥオ‼︎] 攻撃の予備動作か何かが来るかと思いきや、高い機械声が矢継ぎ早に発するのは理解のできない言葉である。俺はほんの少しだけ緊張を解き、相手の黒い体に眉を顰めた。 「こいつ……“なんて言ってんだ”?」 普段耳にするデバグロイドの言葉は、実際意味こそ理解出来ないが、それはあくまで“何故そんな事を言うのか”が不明だという事だ。 眼前のデバグロイドもどきは、最早そんな次元じゃない。 [ナダィスィキンイコウォンメツシスカィキエルッ…] 抑揚が少し落ち着く。機械声にそれを判別する機能があるかは知らないが。と、その時。 [ハイジョオオオッ!] 黒いデバグロイドではない。俺を排除する事に魂を燃やす、後ろの機械殺し屋の声だ。ダロンは苛立って叫んだ。 「っだあ、うるせぇな!。黙って一人鬼ごっこやってろ!」 標的を追ってくるあの機械生命体は、とうに砂原を抜けてこちらを探している筈だ。こちらに気付いていないなら好都合。 「それより今はコレだ。なんだかやべえ予感がしてならねぇ」 もし戦闘用の機械生命体なら、このまま放置する訳にもいかない。俺は念の為周囲を観察しようと、砂の斜面を軽快に駆け上った。 なだらかな平地を形成する砂の上では、動く者がいればすぐに見つかる。 「敵の所在は不明…と」 追跡中のデバグロイドの姿は一切見えない。しかし足音だけは微かにするから、この場から離れた場所を探しているのだろうと俺は結論付けた。奴らは執念深い。そう易々と獲物を逃すような連中じゃない筈だ。 これで心置きなく黒いデバグロイドの調査が出来る。俺は滑るように斜面を下った。 離れていた時に何があったのかは、今になってはよく分からない。分かるのはこの目で見た範囲だ。 埋もれていた部分に一瞬光が走り、半球が蝶番を起点にして開いた。積み重なった砂を諸共せず、解放された内側にあったのは……謎の細長いカプセルだった。今度は素手で破壊出来るようなサイズじゃない。ダロンはキツいが、お婆なら余裕で大の字に寝れるほど大きな箱だ。 軽く見た感じ、表面は普通のデバグロイドとなんら遜色ない「鋼鉄素材」だ。 明らかに違うのは二つ。一つは、カプセル全体を覆うように白い粒々が付着している点。そして二つ目は、カプセルの一部に透明な板が埋められている点だ。身を屈めてまで中を覗き込むと、板の向こうで何かが小さく口を開いた。 「あぁが………あ…」 「⁉︎」 今の…今のって…… 「ひ、人か⁉︎」 俺はガバッと顔を上げ、早まる心臓を宥める努力をした。 何故ここに人間か?。どうやって砂の中に隠れていた?。いや、そもそもどうして他のデバグロイド共に見つからなかった?など様々な疑念が頭を駆け巡り、結果口に出たのは 「このデバグロイドは一体…」 という総括的な言葉だった。 俺は目の前の機械に驚かされてばかりである事に気付き、段々とそれが癪に感じ始めた。こちらも何かしらやり返さないと、割りに合わないどころじゃない。 「(上等じゃねえか…)」 誰にも聞こえない程の小声を呟き、再びカプセルの一部を覗き込む。中にいるのは一人の少女で、容姿や体格はあまり識別出来ない。表面を軽くコツンと拳で鳴らすと、その顔はほんの一瞬だけ歪んだように見えた。 「…あぁゔ…っ…」 痰が絡んだようなガラガラ声。少女は何を思ったか、口を薄く開いてがくがく震わせた。 俺は、ここで一つ重大な勘違いをしていた事に気付いた。ずっとこの人間は、巨大な黒いデバグロイドの操縦士的なものだとばかりに思っていたのだ。それなら中に人がいるのも納得がいるし、これまでに見たことのない個体であるというのも、操縦可能な新タイプだとすれば説明がつく。 しかし現状はどうだろう?。戦闘の動作どころか、身動きも碌に出来ないらしい。陽光に照らされて微かに浮かんだ眉間の動きから、何故だか敵対的な気配が感じられなかったのだ。 (じゃあ、尚更こいつは…?) 新たな謎の壁にぶつかったその時ー眼下のカプセルからプシュンッと空気の抜けるような音がした。側面に光の線が走る。何が起こるかは、先程このデバグロイド自身がどうなったかを見れば一目瞭然だ。 何かを封じていたのか、はたまた守っていたのかは定かではないが、少なくともダロンの知らない何者かが解放されるのだ。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・5
《???:シファ視点》 ハロー。私の名前はシファ。いきなりで悪いけど、状況を丁寧に説明している暇は無いんだ。端的に言うから、絶対に聞き逃さないでね。 目が覚めた時、私は脳以外へのアクセスを遮断され、何処か分からないただの暗闇に閉じ込められていた。初めは怖かったけど、どうにか状態は回復の道を進み、今では身体のほぼ全ての感覚が私のものになった。 この暗闇に別れを告げるのは後少しだ。瞼さえ開ければ良い。なんて悠長な事を考えていた、その時ー 「イヒ、アコチヒ⁉︎。イアッチアハオヂオルガべドノク…」 私じゃない何者かが、くぐもった声で確かにそう呟く。意味こそ理解できなかったが、それはたしかに「言語」だった。プログラムで発言を制限された機械音声でも、声かどうかも認識出来ないような堕音でもない。きちんと規則に従って発せれた言葉だ。 私は動揺を隠し切れず、荒い息ばかりを繰り返し吐いた。言葉が詰まる。不穏な気配に、手指すら震える始末だ。 不安や恐怖に漠然と駆られていた時より、ほんの少し「鮮明なもの」に対する恐れが、冷静さを欠いてはいけない場面で私をパニックにさせる。 (だ、誰…?。誰かそこにいるの⁉︎) 胸中で投げかけた質問に“いるよ”と答えるかの如く、私の目の前で何かがバシンッと打撃音を響かせた。敵意、と捉えて良いだろう。 私は泣き出しそうになった。命の危機を感じたか弱い生物なら、誰しも外敵からの後退を選ぶ筈だ。けど私には出来ない。床だか地面だかに横たわっている状態なので、これ以上相手と距離を取る事は叶わないのだ。 「…ゔあぁ…っ…」 途絶えかけの理性が働いたのか、はたまた本能がそうさせたのか、シファは短い犬歯を立てて精一杯威嚇した。 突如どこかでプシュンッと空気が抜けるような音がし、私に圧迫感を与えていた顔前の扉が重く開いたー ー目を開かなくても、空気が外へと流れているのを感じる。今や外界との隔ては完全に無くなった。つまり、これから“敵意”と向き合う事になる。 「……⁉︎」 ついさっきはここから解放してほしいと思っていたが、今は逆だ。近くにいる何かが怖くて仕方がない。出来れば扉を閉じてくれるとありがたいな。 「い…ゃ……」 「アウッ。アディンアン、イルメック?ッウマサケット!」 襲ってくるかと思いきや、声の主はどこか恐れるように早口を連ねた。捲し立てるような野太い声は上手く聞き取れないが、声は徐々に遠のいているようだ。 まあ…一旦は前進かな?。 「だ…げぇ…」 “助けて”とテンプレートな言葉を呟くが、声帯からは枯れ潰れたような声しか出て来ない。 (………嘘でしょ…) 逃げ場は無い。何故ここにいるのかも不明。だったらどうする?。このまま安全でもない場所で寝ていたって、さっきの奴に敵意を向けられて即ぽっくりだ。状況を変えるしか手はない。…では、どうすれば状況を変えられるか?。 固く閉じられた瞼に意識を向け、開眼のために力を込める。暗闇に突如三日月型の光の筋が浮かび、やがてそれが外の光景である事に気付いた。光の幾粒かが眼球を刺激する。 通常の二倍以上の時間をかけながら、私はゆっくりと瞳を解放した。どうしてここまで思い切れたのかは正直分からない。目を開いて辺りを観察するなんて、これまでの私にしては良い決断じゃない?。 「……わあ」 視野に飛び込んできた情報を一から説明しよう。まず、白いドライアイスみたいな煙が私の全身を覆っていた。それが私の目に入ってくるなんて事態は無かったが、どこか寒気を感じるほど薄気味悪い。 クリアになった視界に次に映ったのは、僅かに橙に染まる空と、一面を崖のように斜めに位置取る黄色の大地だ。まどろっこしく“黄色の大地”と称したが、おそらくは砂だろうと勘が囁く。 予想の通り。私は鉄板で仕切られた長方形の空間に、ピンと姿勢を正して横たわっていた。見たところ、棺桶なんかに近い。私を囲む鋼色の箱には、所々経年劣化で生じたであろうヒビや傷が見られた。 これ以上の視察は体勢的に不可能だと、私は判断を下す。現状が把握できない以上迂闊に動くのは危険だが、情報収集の重要性と天秤にかけてから探索脳に頭を振り切った。 私は上体だけでも起き上がるべく、固く強張った筋肉にほんの少しの力を入れた。 ピキッ。(痛っ…!) 床にぴたりと張り付いた背中が、雷鳴のように短く悲鳴を上げる。眉が動いたかは不明だが、シファは唐突な痛みに一瞬顔を顰めた。 「ゔぅっ」 (どれだけ動いてなかったんだろう……私) 喉の枯れ具合などを見ても、たった数時間の睡眠でここまで体の器官が衰退するなんて事があり得るだろうか。 私は虚ろな思考を頭中で振り払った。答えを求めるのは後だ。転げ落ちそうなほど深い謎だが、向き合うべき時は必ず来る。その時に考え付けば良いんだ。 (ともかく、今は…頑張らないと……) シファは覚悟を決め、腹直筋の辺りに目一杯の力を込めた。背骨が再び小さく軋む。 姿勢が直角へと近づくにつれ、痛みはじわじわと増していく。私は両手を床に踏ん張る事で、今にも後倒しそうな上体を支えた。 「……え」 私は周囲を取り囲む景色に思わず息を詰まらせた。 先ほど視界の端に見えた“黄色の大地”は、やはり砂岩のようだ。私の棺は、それらが斜面を形成する巨大な窪みの中腹にあった。 夕暮れ時を思わせる空は、雲のカケラもない快晴だ。 「なぎ…ごご?」 ここは何処なのだろう。何故ここにいるのだろう。不可解な思考ばかりが頭を巡り、私は肝心な事実をごっそり見落としていた。 「オ、アチコ…アコン?」 その時、砂壁の上部で野太い声がした!警戒していた筈の「謎の生命体」の声だ。 驚くのも束の間、ガバッと頭上を見上げる。首筋に走る痛みは気にする必要もなかった。 「だ、だでだ‼︎」潰れた喉に再度ダメージを負う。 夕日が逆光になってよく見えないが、その影からどれほど屈強な体つきをしているのかは一目で分かる。私は無意識のうちに後退りした。上体を起こした分、ほんの少しだけ相手から距離を取れる。本当に少しだけだが。 私は緊張を張り詰めつつ、周囲にも警戒した。もしかしたら相手は民族で、仲間と狩猟をしている最中かもしれない。 たとえそうでなくとも、私は現在罠に嵌っているようなものだ。この棺桶や陥没穴にだって、他にどういった仕掛けがあるのか ーと、その時。 ノシンッ、ノシンッ、ノシンッ 耳が遠くの異音を検知した。大地を揺るがすような豪音が、どこかから一定のリズムを鳴らしている。皆目見当もつかなかったが、やがてそれが足音であると気が付いた。それもかなり重圧の。 「う、うがぁっ⁉︎」 私は半狂乱になりかける脳をなんとか落ち着かせた。足音は着実に近付いている。逆光になっていた生命体もそれに気付いたらしく、訳のわからない言語を発しながらどこかへ消えた。 (どうする?。ど、どうすれば…) 獣だかなんだか知らないが、何処からかこちらへ向かっている足音。私が棺に入っていた時、脅してきた(?)謎の生命体。この二つの脅威から、どうすれば生還出来るだろう。 「…ぞうだ、いづぎ!」 いつの間にか“棺”で定着していた箱を、儚く祈るように見下ろす。棺は私の体長よりも長く、足を思い切り伸ばしても端には着かなかった。横幅も同じく、がっしりした男の人でも難なく入れそうなぐらいには広い。 ふと“大人用”という言葉が脳裏を過った。大人用だから、私の体との差があるのだろうか。 たしかに、それならあり得る。何故なら私は“まだ14歳”だから…だ。 「………⁉︎」(き、記憶……!私の記憶!) 瞬間、私は歓喜と困惑を同時に浴び、それを超えるほどの激しい「頭痛」に見舞われた。 自分が歩んできた人生が、まるで湯水のように沸いて蘇る。自分の出生や家族、家、好きな食べ物、楽しかった事に苦しかった事。何故忘れていたのか理解できないほどの、大切な思い出も多くあったが…流石に一度に全部来られると処理が追いつかない。 (ぐおおおっ、これが……これが脳の記憶保管庫かあああぁ…!) 頭を切り付けるような頭痛に耐えながら、数分前に自分で例えた言葉を思い出す。 頭を両手で覆う過程で、耳を塞いでいたのかもしれない。足音の発生者が砂地を踏み締めるまで、私は「それ」がそこまで接近しているとは夢にも思わなかった。さっき思い出した事だが、私は常識の範囲内でも非常に忘れっぽいのである。 [イウルンイジエシク、オジハッ!] 荒れるような機械声が、私のほぼ真上でぴしゃりと割れた。 (な、何。なんなの…?) 声のした方向に顔を上げる。大玉に手が生えたような巨体が、一直線にこちらへ向かってきた。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・4
《残骸の廃棄場:ダロン視点》 タイプγ。攻めよりも守りの能力に長けており、時には他のデバグロイドを他の攻撃から守備する事もある。 眼前に聳える球体も、そんな防御特化のデバグロイドの一種だ。戦闘経験はあるが、記憶にある個体のうち楽々と倒せた物は一匹もいなかった。つまり、短絡的な意気で倒せる相手ではない訳だ。 いつ先制してくるかと待ち構えていたが、その機械生命体は鉄の積み上がった小山の影からじーっとこちらを見つめるだけだった。 (俺がお仲間を二人ともとっちめたから、警戒してんだな) とうに機能を停止しているであろうスピード特化とギミックタイプのデバグロイドをそれぞれ一瞥する。 実際の所、それはあり得なくもない話だった。デバグロイドは、基本的に同胞の死を悔やむような真似はしない。そんな命令は下されていないからだ。 その代わりに行うのが、“同胞の死”を基にした相手の実力の算出である。こちらを見たままぴくりとも動かないという事は、簡単な話、ダロンに臆していると捉えて良い。 俺は腰に手を当て、ふうっと安堵を示した。 「なら良かった。俺も無駄な争いはしたくないんでね」 相手に戦う意志が無いのであれば、こちらがそれを尊重すれば抗争は無くて済む。が…… [ハイジョ…ハイジョォッ!] 「…ま、そうくるよな」 デバグロイドは雄叫びを上げると、独特な丸みを帯びた両腕を大きく振り上げた。人工的に伸びた鋭利な爪と腕そのものの重量が、抉るように頭上から降ってくる。 俺はそれを二発三発と軽々避けながら、己を哀れむように嘆息を吐いた。好戦的ではないデバグロイド…そんな幻想を一瞬でも抱いてしまった自分がひどく悲しい。 奴の攻撃や行動は、その風体が表すようにかなり緩慢だ。一度のダメージ量は相当重いものの、よく観察すれば隙だらけで避ける事は容易い。名は体を表すをはよく言ったもので、こいつの一番の武器は「攻撃力」ではなく、圧倒的な「防御力」だ。 「おおぅるあっ‼︎」ーゴウンッ 握り固めた拳をデバグロイドの体に思い切り打ち付けるが、鋼鉄を前には無力に等しかった。鈍い音と共に掌に鋭い振動をくらう。 「つ〜、んだよその装甲。岩石でも殴ってんのかと思ったわ!」 鬱陶しい虫でも追い払うかの如く、デバグロイドは再度巨腕を振りかざす。俺は痛む手の甲にふうっと息を吹きかけつつ、相手の行動を一発ずつ着実に避け切った。 [ハイジョ…!] デバグロイドは腕による薙ぎ払いが無効果だと気付くと、すぐさまダロンから距離を取った。二体のデバグロイドとの戦闘を見た上で、近接攻撃が届く範囲にいるのは危険だと判断したのだろう。 [イジョ…ジンルイ…] 「……はっ⁉︎」 ディフェンス型のデバグロイドは何を考えたのか、近場の鉄屑の小山をよじよじと登り始めた。側から見れば逃げ出しているかのようだ。 「お、おい待て!どこに行く気だ‼︎」 [キセイ…ジンルイ……!] デバグロイドは頂上より少し下に位置取り、小さな機械声で呟いた。緋色に光る怪しげな眼光がフッと“閉じる”。 機能が停止したデバグロイドは眼光が消える。だが今のは…そういう事じゃ無い。丸みのある十字の瞼が、いきなりカシャンッと閉じてしまったのだ。まるで瞬きでもするように。 「なんだよ。もしかして降参か?」 聳える鉄山を見上げながら、そんな軽口を吹っ掛ける。 閉じ始めたのは目だけではない。自重を支えるには適さない短足と、球体の一部がそのまま使われている手腕が、「身体」と呼ぶべき白い鉄球の中ににするりと仕舞い込まれた。 そこまでの変形を目の当たりにした所で、相手の真の目的に気付く。 「やっべ…‼︎」 咄嗟に横転を選択する。デバグロイドは重心を前に倒すと、あろうことか小山をゴロゴロと転がり落ちてきた。引き潰すつもりらしい。判断が一瞬遅れたせいで、逃げ遅れた肘と腕にかすり傷を負った。 完全に鉛玉と化したデバグロイドは道を挟んだ向かいの小山に激突し、反動でダロンの背後へと旋回した。今度は余裕を持って回避する。 「っち…なんかの大道芸人かよ俺は!」 殺意マシマシで襲いかかる大玉を視界に捉えながら、なんとか反撃のタイミングを窺う。がしかし、小山にぶつかる度に徐々にスピードを増すデバグロイドにそんなものは無いも同然だった。 「はあ、はあ…攻撃が通らねえどころか、近づく事も出来ねえな」 相手がより厄介な敵へと変貌したのは一目瞭然だ。パニックになる思考を抑えつつ、頭の中で冷静に策を練る。 傾き始めた陽光が視界の端で煌めき、俺の胸中に更なる焦りが生じた。 「マズいな…さっさと帰って火を焚かねえと、お婆が凍えちまう」 砂漠と荒野に囲まれているここら一帯は、日の有無で全く異なる景色になる。言わば昼間は遮蔽物の少ない灼熱の大地で、夜間は灯りも熱源も足りない極寒の大地だ。 ただでさえ彼女は病気を患っていると言うのに、気候すら敵になるのだから困ったものだ。 チラッと頭上の太陽を見てから、夕暮れまでの大まかな時間を観測する。 […ハイジョッ] デバグロイドは俺の懸念など露知らず、逸れた軌道を瞬時にダロンへと正した。 「……しゃあねえ。“あいつら”の力を借りるしかねえか」 俺はこの場で奴を倒す事より、もっと効果的に屠る方法にシフトした。 この世界最強の支配者はきっとデバグロイドだ。だが、この世にはもっと獰猛で、最も多くの機械生命体を破壊してきた生物がいる。 俺は首筋に伝う冷や汗を拭い、迫る鉄球の誘導を開始した。 《砂漠地帯・入り口:ダロン視点》 積み上がったデバグロイドの死骸の小山が完全に無くなると、ダロンは陽光を遮るもののいない広大な砂漠に出た。めらめらと燃えるような暑さが原因か、遥か遠方に連なる巨大な砂丘には陽炎じみたものが揺らめいで見える。 光の加減で白っぽく見える砂平線は、晴天の青空と合間ってかなり幻想的だ。時折り風に舞う砂粒を除けば、ここに堕音を奏でる物は何も無かった。 ーノシン、ノシン、ノシン、ノシンッ ああ。えっと、今のは嘘…いや、ジョークと言った方が都合がいい。 これに関しては聞いてほしい。俺だって、遥か遠くからデバグロイドが砂地を踏み締める音がここまで耳障りだとは思わなかったんだ。 「まあいい。まずは“あいつら”の巣を探すぞ」 思考を目先の問題に切り替える。 さっきから繰り返している“あいつら”とは、何もデバグロイドの事ではない。奴らに巣を作るという習性は…たしか無い筈だ。 その生物の名前はハネネズミ。別称と言えばそうだが、俺や婆ちゃんは揃って“野ネズミ”と呼んでいる。 「たしかこの辺だったと思うんだが…」 昼間に狩った二匹のハネネズミは、丁度番で巣から出てきた所を素手で仕留めた。今晩の夕食にしようと考えていたのだ。 ハネネズミの巣からの行動範囲はそこまで広くない。仮に餌を獲るために少し遠征したとしても、せいぜい五十メートルが関の山だ。つまり、あの二匹がいた付近に目当ての巣がある。 [キセイジンルイッ!ハイジョオオッ‼︎] 背後で地鳴りのように響く、デバグロイドの金切り声。今まで以上の激昂具合だが、ダロンは大して焦る様子も無くネズミの洞穴を探している。 現在、奴との距離は大体八十メートル以上ある。肩越しに砂原を一瞥すると、平坦な地を鈍足で駆けるデバグロイドの影が見えた。 「よしっ。とりあえずは予想通りだな」 この砂漠に来た理由は二つある。一つはハネネズミの巣を見つけるため。もう一つは“これ”のためだ。 [イィィィジョオォォッ‼︎] 鋼の声が空っぽの砂漠に響く。それがあまりに無力すぎて、俺は含み笑いをしてしまった。 (お前のローリングの速度はたしかに厄介だが、それは鉄山からの落下と障害物にぶつかった反動でスピードを増しているだけ…つまり“自動回転”じゃねえ) 傾斜の少ない砂道をずっと等速で進む…?。たとえデバグロイドとはいえ、そんな事は不可能だ。 「あの足なら心配いらないと思いたいが」 何が起こるか分からないのがデバグロイドとの戦闘だ。慎重に行動するに越した事は無い。 それより早く……と視界を動かした瞬間。 「チュウッ!」「チャアッ!」 砂山の裏手から、口笛のような甲高い鳴き声が耳を突く。姿勢を低くしてからそちらを覗くと、ずんぐり丸い灰色の毛玉が数匹転がっていた。間違いようがない。ハネネズミの群れだ。 「へへっ。こっちも予想通りだったな!」 俺は小声で歓喜の声を漏らした。 ハネネズミは二本の細い足で砂地を蹴り、餌となる昆虫を求めて辺りを散策しているようだった。 やがて、周囲を警戒していた一匹が俺の存在に気付き、慌てて背を向けてどこかへ逃げ出した。その行く先に目線を走らせる。すると、砂地に広く陥没した大穴を発見した。 「っしゃ来たア!」 今度は喜びを抑えきれず、ガッツポーズでその場に立ち上がる。勿論声量も落ち着いてはおらず、ハネネズミたちは忽ち蜘蛛の子を散らすように散開した。巣が特定出来た今、彼らの動向に意味は無い。彼らに戦ってもらうつもりはないのだから。 「さあて、肝心の巣はどうかなっと…」 若干の高揚を胸中に感じながら、誰もいなくなった巣穴の縁に立つ。 穴の入り口はダロンがすっぽり嵌るぐらいに大きく、陥没した中心に向かって逆三角錐を描いている。 近くの適当な小石をポンと放り入れると、少し転がった末に虚空へ消えていった。 ハネネズミの巣穴は、ある種トラップのような構造をしている。崩れる足場は踏ん張りが効かないうえ、中心に向かって流れる砂のせいで体力も奪われる。おまけに小穴は地下空間へと繋がっており、その先には入り口からだと想像つかない程大きな空洞が空いている。 丁度、デバグロイドが一体すっぽり埋まるぐらいの広さの。 [………ハイジョ…] ただでさえ距離があるというのに、砂積りを一つ挟んで聞く機械の声は半端なく小さい。この砂漠に来た理由のもう一つを詳しく述べると、“デバグロイドをハネネズミの巣に落とすため”だ。 「っし、大きさは問題なしと。後はここに誘い込めば……」 その時、視界の端で黒っぽい影がチラりと光った。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・3
《残骸の廃棄場:ダロン視点》 俺は計三体のデバグロイドを前にし、一切臆する事もなく脳内で策を弄した。筋力にはそこそこ自信があるダロンだが、断じてただの脳筋などではない。狩りの時もデバグロイドと相対する時も、粗方ではあるがきちんと作戦を立てて戦闘に臨む。そういった戦いのノウハウは、幼い頃から父と祖父にがっつり躾けられてきた。 (どっちの顔もほとんど覚えてないけど) [ハイジョオッ!] 均等に並んだ三体のうち、初めに動き出したのは一番端のヒョロい機械生命体だった。体から伸びたメタリックな両手で、長細い槍をぎゅっと握りしめている。 デバグロイドは槍先をダロンから逸らす事なく間合いへ飛び込み、串刺しにしようと細身の身体を活かして高速で突進してきた。 俺は地面を蹴り上げる事で横方向に距離を取りつつ、相手の情報をザッと割り出す。 (この槍野郎はタイプ:Ω。武器やら罠やらを巧みに扱う…言わばギミックタイプか) 使うエモノはデバグロイドによって様々で、その性能は脅威の度合いに大きく関わってくる。今回の相手が使っているのは所謂直槍と呼ばれるシンプルなもので、突き刺し以外の攻撃にはあまり長けていない。 即ち、正面から近づかなければ対処は容易い訳だ。俺は粗方の分析を終え、意識を「観察」から「戦闘」に使うものに切り替えた。 [キセイッ!ジンルイッ!] 「舐めんなよ」 グーに固めた拳を体よりも後ろに引き、しばらく放撃の機会を待つ。 地面と並行に構えた槍を軸に、デバグロイドは前傾姿勢で確実にこちらを刺しに来る。的を外した後はよろめきながらも立ち上がり、再び攻撃しようと地面を踏ん張る。 理屈が分かっていれば、あとはその習性をこちらが利用するだけだ。 俺は相手の武器が顔の際々を通っていくのを優雅に見届け、突進の余韻でガラ空きになった背中を見てニヤついた。槍持ちの機械生命体はそのまま足をもつらせ、倒れ伏すように地に身を投げる。 「見上げろ。お前の“成れの果て”だ」 デバグロイドは槍を杖代わりにして起き上がり、その時に始めて状況を理解した。目の前に積み上がっているのは、廃棄場の小山のたった一部。何十にも重なる同胞の亡骸で構成されたあの鉄山が、ダロンと共闘するようにデバグロイドを挟んでいる。加えてそこは両脇も小山に囲まれているため、相手はこちらの後方へ回り込む事も出来ないときた。奴の攻撃進路は、完全に隔離されている直線上しか無い。 [ハイジョ…!] 俺はその言葉をこう解釈した。“それがなんだ。私の攻撃を避けられないのはお前もだろう?”と。ごもっともな意見だ。 先ほども述べたが、槍使いの間合いは対象との直線範囲である。この状況は、達観して見ても決してダロンに有利には見えない。 だがそれは、槍使いを倒すことが目的だった場合だ。 [キセイジンルイィィィッ‼︎] 「来たな」 俺は声のした方……真後ろに高速で現れた片翼のデバグロイドに、固めていた拳の照準を合わせた。その機械生命体は、先程ダロンが剛腕で突起をへし折った個体だ。 「スピード特化であるタイプ:βの欠点は、急に止まれないことだぜ?」 デバグロイドの中に埋め込まれた知能が、俺の言葉の意味を瞬時に理解する。 とはいえこの速度だ。急ブレーキどころか急旋回すら、きっとベテランのパイロットでも不可能である。慣性は機械だの人間だの関係なく、全て平等に働くからだ。 ドゴンッ 鉄拳は金属の顔面に沈み込み、鈍い音を砂漠に轟かせた。運動エネルギーをモロに喰らった事もあってか、デバグロイドの頭は突進と反対方向に捥げ飛んだ。機械じみた電流がバチィッと眩さを散らす。 「さてと。待たせたな。次はお前の番だぜ」 デバグロイドの機能が停止した事を確認し、背後のタイプ:Ωに睨みを入れる。 「どうするよ、え?」 俺はスクラップと化したスピード特化のデバグロイドに向き直り、そいつの岩石のように太い腕を軽々と持ち上げた。 [キセイ…ジンルイィッ!] デバグロイドは同胞の遺体にすくみ上がる事もなく、猛々しく怒鳴りながら槍の先をこちらに構えた。何度も観察していたので、それが突進の合図である事は充分に分かっている。 「おいおい、まさか強行突破かよ。デバグロイドにしちゃあ、かなり単純な思考回路をしてるじゃねえか」 個体によっては空を飛び回る事も土に身を潜める出来るため、こいつみたいに一矢報いんと一本槍で向かってくる奴はそう多く無い。 細身のデバグロイドは前屈みの姿勢で地面を蹴り上げた。俺は先ほどと同じように横方向に回避しようと目論む。 遠方から“ノシンッノシンッ”という重音が耳に飛び込んだのはその時だ。 「?……今のは…」 [ハイジョオオオッ‼︎] 刺すような機械音声でハッと我に返る。どうやら踏み込みが甘かったらしく、相手は一瞬だけ音に気を取られていたダロンとの間合いにとうに接近していた。 (まずいっ、回避が間に合わー) ーなければ、どうすれば良いのか。コンマ何秒という速度で思考が回る。思い出のフラッシュバックではなかったので、決して走馬灯などでは無いようだ。 どうする?。デバグロイドの鋭利な矛先はすぐそこだ。正確に言うと、腹のちょっと上辺りを底面とした時の垂直線上の一点に当たる。距離は…三十センチ程度といったところか。 右手は空で何も持っていない。丸めた拳は唯一の反撃手段だと言えるが、槍の間合いが広いためにそのまま拳で殴りかかるのは良策とは言えない。もう少し早めに(できればこの思考の時間よりも先に)気付いていれば、カウンターで鉄拳をお見舞いする事も可能だっただろうが。 対して左手は、先ほど地に没したデバグロイドの亡骸を引きずるような形で掴んでいる。挑発のために持ち上げてからそのままだ。 (ーこれだっ!) よく観察したり脳内ですら成功する時間は無かったが、ダロンはふと頭を過った一か八かの勝負に賭けてみる事にした。 「ーっ!」 [ギゼイッ⁉︎] デバグロイドの口(?)から初めて、焦りやパニックによって引き起こる悲鳴が上がった。 俺が弾き出した答えは、左手のデバグロイドを盾にし、その隙から右手で打撃を入れるというものだ。 作戦とは到底呼べない。が、単なる思いつきは奇跡的に功を奏した! ダロンの体と槍との隙間に綺麗に収まったデバグロイドは、俺の代わりに腹部への刺傷ダメージを請け負った。鉄の体を貫く威力をほんの少しだけ警戒したが、全くの杞憂として片が付いた。 (っしゃあ、こっからだぜっ!) 俺は左手のデバグロイドをその場に捨て、姿勢を低くしながらも相手を視界に捉えた。案ずる事もなく拳を振り上げる。 同じタイミングで機械の手は槍を構え直そうと動くが、そんな暇を与えるつもりは毛頭無い。 「はあああアッ‼︎」 枯れ切った地面に足を踏み締め、上体をねじる事で握った左拳を体の後ろ側に引く。障壁すら打ち砕くダロンの打撃は、隙を見せた細身のデバグロイドに命中した。体の一部がベコンッと凹み、背後に積み上がったスクラップ置き場の中腹へと体を突っ込む。 「ほら、起きろよ。俺をハイジョするんだろ?」 [……キセ…ジジジ……] その音声はもはや言葉としては聞き取れないが、相手のデバグロイドにまだ息がある事の証明でもあった。そりゃあそうだ。さっき倒し(挙句盾にまでし)たデバグロイドは、そもそも装甲が一部欠損していたのだ。一撃とはいえ、運動エネルギーによる追加ダメージ……一回のパンチで沈んでも無理はない。 だが、あいつには今の一発が初撃だ。機能停止は到底見込めない。まだあの機械に攻撃を仕掛ける必要があるのだ。 「っと、その前に…」 俺は反対の小山からひっそりとこちらを見ている存在に意識を傾けた。始めに襲ってきた三体のデバグロイドのうち、一番体格が良かった奴である。 「面会は後にしてもらえるか?。こっちにはまだ先客がいるもんでね」 じっとこちらを見つめる目に細かな表情は見えないが、挙動からして少し焦っているような雰囲気を感じた。 俺は槍使いの方は戦闘不能であると判断し、初めよりも正確に相手を分析した。 直径二メートルの巨大な鉄玉に、短い足が生えたような外見。極めて小さい両腕には不相応な程大きな手が溶接されていて、鋼の装甲はこれまでのどれより硬そうだ。 「タイプ:γ。スピードを捨てた代わり、パワーと耐久が他の個体と比較出来ない程に高いのが特徴…」 ディフェンス特化とも言い換えられる、と言葉尻に付け加える。中央の丸っこい十字の切れ目から、赤く鋭い眼光がダロンをじっと睨み上げた。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・2
《冷たく深い暗闇の思念:シファ視点》 初めに何が起きたのか、私は微塵も知らなかった。まあ……たとえ知っていたとしても、何かが変わったとはとても思えないけどー ハロー。私はシファ。以後お見知り置きを、だったかしら?。ちょっと間違ってるかも。 ごめんなさいね。なにぶん堅い言葉遣いは性に合わなくて。 …ま、好きじゃない物言いはこの際いいや。今一番大事なのは、私が「死んでる」のか「生きてる」のか分かんないって事だし。 この暗闇で目が覚めたのはついさっきの事。…いや「目が覚めた」って言うのは誤植かな。「意識がはっきりした」のはついさっきの事。 現状可能な事を挙げていこう。 まず、脳で何かを考えることは出来る。今みたいな自己紹介なら、いとも簡単にね。けど、脳が出した命令で頭や体を動かしたりは出来ない。頭を掻いたりとか、その場でジャンプしてみるとか、考えつく動きはどれもやってみたけど…どれもダメ。まるで全身をカチコチに凍結させられたみたいに、指の一寸も思い通りにいかなかった。 ここで悲報。それは、現状可能な事がその一つだけだって事。 (……はあっ) 私は自分の無力さにため息を吐いた。言うことを聞かない体の方は一旦諦め、唯一の可能性である“頭の方”にシフトする。 (そもそも、なんでこんなトコにいるんだっけ?) というか、私って誰だ…?。自分の名前が「シファ」だってことはかろうじて覚えてるけど。私自身を構成する他のものは?。 再度記憶の海に身を投じる。なんでも良い。何かイメージさえ湧けば良いんだ。がしかし… (うーん……ダメだ。なーんにも思い出せない) 脳の記憶保管庫がまるまる無くなってしまったのか、はたまた何処かに忘れてきたのか。兎にも角も、追憶は甚だ侘しい結果となった。 私は広がる闇にふと噛みつきたくなった。そして同時に、途方もない寂寥感が私の意識を蝕む。遠くなるような時間を、ずっとここで過ごしてきたような気すらしてきた。 (………なんにも無いや) アテにならない記憶にアクセスしなくても、これほどの孤独を感じたのが産まれて初めてだと分かる。 いっそこのまま眠ってしまった方が良いのだろうか。いやそもそも、今の私は“起きている”のか?。それさえも分からない。 その時、凍てつくような静寂が初めて破られた。 […発電システム…欠損を検知。修復…プログラム:オール…エラー。冷却システム…緊急遮断…] (……えっ?) あまりにもくぐもって聞こえたその音は、かろうじて機械の発する“声”だと認識出来た。どこか救難信号を思わせる音声はぷつりと途絶えたが、私はなんとも言えない安堵感の最中にいた。 (良かった…いや何が良かったのかは分かんないけど。 少なくとも、私は死んだ訳じゃないみたいだ) とはいえ、疑念を完璧に解消するには色々と情報が足らなすぎる。 たとえば、体の動かし方をすっかり忘れてしまっている事……いや待てよ。 私は思い出したように全身に感覚を張り巡らせた。とー (………!) 身体中に電流のような衝撃が走る。 手にも足にも、触覚が五体満足で舞い戻ってきたのだ!。可動域は未だ無いに等しいが、これはとてつもない進歩である。少なくとも現状、私は自分の体がどういう形なのか認識する事ができるからだ。 (あとは視覚と味覚と嗅覚、かな) 聴覚が回復している前提の理論を脳内で展開していると、ふと鉄錆のような嫌な臭いが鼻先を刺激した。どうやら嗅覚の項目は問題無いらしい。 (っていうか、なんで急にこんな金属臭が…?) まるで鉄パイプの中に横たわっているような感覚に陥る。実際それに近しい状況にあった事は、もう少し先の未来で明らかになった。 それから三分程度、私は有限には思えない深淵と原因不明の鉄臭さの両方と格闘した。 (せめて、もうちょっとだけ体が動いてくれれば良いのに) ここが何処かとか記憶がどうとか諸々以前に、このままだと退屈と恐怖と不安でどうにかなってしまう。 とはいえ、弱音を吐いた所で何も変わらないのもまた事実だ。記憶も気力も無い今の私に唯一出来ることは、考えることと指先をほんの少しだけ上げることだ。つまり初めの「不動状態」と比べれば、かなり進化しているのである。 ……いや、ちょい待って。今わたし、無意識に指先を“上げる”って思ったよね?じゃあ、両手に対して働いている重力は下に向いている訳だ。 そして私自身、両足で地面に踏ん張っているような感覚は無い。つまり、自立している状態では無いのだ。極め付けは、少し前から体の背面に浮かび始めていた硬い感触。 これらが瞬時に脳内で照らし合い、私は「硬い平地に上向きで寝転がっている」という結論を叩き出した。 (……ははっ。何それ。意味わかんない) あまりにも馬鹿げたまとめに、言葉にしただけでも笑みが溢れてくる。もっと感覚さえ鋭ければ忽ち分かりそうな事を、何を淡々と述べているのか。 とはいえ、その笑いは私という炎に焚べる薪として充分すぎる燃料だった。それに、少なくとも新事実が開拓されたわけだから、進捗としては一歩前進である。 湧き出てきたなけなしの決意を胸に、私はもう一度全身に力を込めた。その時ー [頭上の扉が開きます。蝶番で体を挟まないよう、注意して下さい] 再び何処からか響く、冷たい機械製のボイス。 (今のは聞こえた!たしかに“開く”って言ったよね!?) 聴覚が都合の良い解釈で聞き取っているのでなければ、明らかにそう言っていた筈だ。私は暗闇に負けないぐらいの明るさで歓喜した。 ここまで読んでくれたなら、私の心境に同情してくれる意見もあるかもしれない。必要な記憶も碌にないまま、何処かも分からない場所に寝っ転がっている。体の部位はまだ働きを取り戻さない部分も多く、得られる情報は限りなく小さい。 ただ、その限られた情報を元に現状を推理するのは、極限状態の今だからこそ中々面白くもあった。 (脱出ゲームが流行る訳だよ) 私は苦笑しながら頷いた。頬は強張っていたし、頭も一切動かなかったけど。 [………オジハ…] (……?) 静まり返った空間に耳を澄ませていると、遥か遠くの方で小さな機械音声が聞きとれた。先ほどのアナウンスより、若干だが低音めな気がする。 何がなんだか分からなかったが、その次に起こった身辺の変化には敵わなかった。 ゴウンッと地鳴りのような鈍い音と共に、寝そべった頭付近にある蝶番(?)がやかましく軋む。先程のアナウンスの通り、開くのだ。私の頭上にあるという「扉」が。 まず初めに感じたのは、太陽光の眩さだ。考察通り瞼は閉じたままだったが、それでも外がどれだけ明るいのかは言うまでもなかった。 ちなみにその光源が太陽だと直感した理由は、皮膚に僅かながらに感じた天然の熱さだった。肌を焼くほどでは無いが、長時間浴びていると汗ばんできそうな温度である。 温度を感知する能力に深く感謝したのは、これが始めてだった。 まず一つに、私の体に血が通っている事を証明してくれたから。長時間手足を押さえていると、痺れると同時に感覚が無くなっていくのは身に覚えがあるだろう。あれは血流が滞るために起こる訳だが、今までがそれに近い状態だったという事だろうか。 そして二つめに、熱を全身に感じた事で、眉毛や指の爪,口や鼻なんかの位置が曖昧だったものが鮮明になり出したからだ。これに関しては、詳しい理屈は私じゃとても証明できない。 中でも喜ばしかったのは“口”の出現だ。これで“周辺が静寂すぎる”という問題に終止符が打てる。 私は乾燥気味の唇を慎重に開いた。勢い良く動かせば、あっさり壊れてしまうという悪い想像が働いたからだ。 周辺の金属によって冷えた空気をこれでもかと吸い込み、久方ぶりに己の声帯を震わせた。 「や………がぁ…」 期待していたよりもよっぽど小さく、まるで酒焼けでも起こしたようなしゃがれ声を、私は自信満々に吐き出した。 なんとか記憶から掘り出した自分の声とは程遠い声だったが、私は不思議と落胆しなかった。アナウンス用の機械音声以外に外部からの「音」が鼓膜を刺激したからだろうか。 なんにせよ、これで眼前に聳える障壁はもう数える程度しかない…よね?。頭の中で「頼むからそうであれ」などと願っていると……… 「イヒ、アコチヒ⁉︎。イアッチアハオヂオルガべドノク…」 大声をあげていた訳では無かったが、私は咄嗟に口をつぐんだ。意思を持った冷たい何かが背筋を這うような感覚を覚える。 隙間風のように微かに聞き取れたそれは、初めは奇天烈な文字列のように感じたが、やがて文化として確立された「言語」だと気付いた。 ーTo be continued
荒廃したこの世界は今日も美しい・1
《新西暦8038年。かつて“地球”と呼ばれた星:???視点》 その昔。ここら一帯は今のような砂漠ではなく、草木の豊富に茂る雄大な草原だった。咲き乱れる花々の合間を蝶や羽虫が縫って回り、自然は巡る食物の連鎖によって「発展」と「衰退」を繰り返した。 ……衰退と一言にいっても、ここまで文明が崩壊することは極めて稀である。 窓(硝子は無い。つまりただの節穴)の外に目を向けても、かつてこの星を支配した知的生命体達の姿は一切見受けられない。殺風景に広がる砂地を彷徨くものといえば、その殆どが獰猛な肉食獣ぐらいだ。 あとそれから、もう一種類。この窓の外から見えるモノがいる。いや、“ある”。 [キセイジンルイ、ハイジョ…] 未だに過去の宿命に駆られる、機械生命体「デバグロイド」だ。 彼ら(性別があるかは不明だが今はそう呼称しよう)にはそれぞれ体格の良し悪しや性能などの個体差があり、一律にもどういった存在かとは定義出来ない。しかし敢えて言葉を選ぶとすれば、それは「残虐」の一言に尽きる。 毎日毎日あてもなく歩き回り、見つけた生命体を容赦なく殺す。万が一デバグロイドのどれかと鉢合わせした場合、真っ先に優先すべきは遁走だ。立ち向かう事ではない。彼らの戦闘力を前に、弱き人間は成す術もないのだから。 …何故そんな事が言えるのか。答えはすでに、歴史が説明している。 彼らの一方的な攻撃を受け、崩壊した脆い文明の流れに、君達は生きているのだからー 《ダロンとフーバァの洞穴:ダロン視点》 俺の名前はダロン。砂漠の真ん中にある洞穴に、婆ちゃんと二人で暮らしている。今は丁度、日課の狩りから帰ってきた所だ。両脇に抱えたこの特段でけえネズミがその証拠さ。 「お婆、ただいま。体の具合はどうだ?」 俺はグレーの毛並みを揺らす野ネズミをドスンと傍らに置き、狭い土の入り口をそっと覗いた。 「ああ、ダロンかい。おかえり……ゲホッゴホッ。見ての通り元気だよ」 思わず「嘘つけよ」と言いたくなるが、これが彼女なりの優しさだって事ぐらいは俺でも気付いている。 「今日はご飯食えそうか?」 「うーん…ちょっとはねえ」 ちょっと、か。俺は表情には出さずにため息を吐いた。昨日も同じ返しをされ、こうやって不安な気持ちに苛まれたというのに。一昨日はちゃんと食べてたけど。 ここ数日は特にだが、彼女の容体は見る見る悪くなる一方だ。もともと体が弱いというのに、こんな衛生が劣悪な洞穴で暮らしていれば、症状が悪化するのも当然だ。 「…早いとこ引越し先も探さねえとな。先月見つけた洞窟は大岩で塞がってたし」 俺は休憩がてらその場に膝を突き、切り傷だらけのズボンの上で拳を固めた。婆ちゃんはそれを見て、心底申し訳無さそうに眉を八の字に曲げた。 「ごめんね、ダロン。私のお世話までさせちゃって。本当だったらこんな、砂岩で出来た穴なんかに住まなくて良かったのに」 俺は唐突に胸の奥をギュッと摘まれるような感覚に陥った。頼むからそんな風に…自分を厄介者みたいに言わないでくれよ。 「俺は大丈夫。ここでの生活だって、悪いことばっかじゃないしさ」 砂まみれのシーツに寝転がる祖母に、俺は最大限の微笑みを見せてやる。孫の笑顔……それが、俺の提供出来る唯一の特効薬だ。 「お婆は自分の体調さえ管理してくれれば良い。 そうだ!。俺、もっと良いベッドを拾ってくるよ。今のオンボロよりはよっぽどマシだろ?」 俺は場が和むようにと、婆ちゃんの寝そべっているストライプのシ ーツを指差した。その下にあるのは、乾燥した藁で編まれた簡易ベッドである。 「…ふふっ。そうねえ。じゃあお願いしようか」 婆ちゃんは皺がくっきり浮かぶ程くしゃっと笑った。良かった。とりあえず、笑顔を作る余裕はあるみたいで。 「そんじゃあ行ってくる。帰ったら夕飯にしよう」 俺は二匹のネズミの死骸をその場に置いたまま、砂地に体重を掛けて立ち上がった。 「うん、分かった。気をつけるんだよ」元気が出たらしい婆ちゃんに、俺はビシッとグーサインを返す。 頭上にて瞬く日が、少しずつ傾きを始めた。 《残骸の廃棄場:ダロン視点》 廃棄場……ここは宝探しにはもってこいの場所だ。 周りには錆臭い鉄クズが小山のように積み重なっており、砂漠に突如として生まれたスクラップ施設のようになっている。 小山の合間を垂れ流れるオイル臭が鼻を突くが、時折り役立つモノが見つかることもあるので、俺はそんなに嫌いじゃなかった(実際、昨日は何かに使えそうな硝子造りの瓶が見つかったし)。 […ルイ、ハイジョ……] [キセ…ジジジジ…ハイ…] 「……」 この鉄山の正体は、何もなんらかの部品ばかりという訳ではない。故障したか、もしくは不備があったかで、廃棄されたデバグロイドの残骸。この山々を構成している殆どは、そういった機械生命体の成れの果てだった。たまにまだ稼働しているのもあるけど。 「ま、あれから手に入るものなんてガラクタばっかだけどな」 モーターとかエンジンとかって言ったっけ。とにかく奴らの体ん中にあるのは、俺には理解出来ない類のものだ。食えもしない死肉に興味はない。 と、その時ー [キセイジンルイ、ハッケン!] 重苦しい機械音声が、俺の背中に向けて掛けられる。肩越しに振り返ると、鼠色の光沢を放つ機械がこちらを睨んでいた。細長い胴体から生えた二つの腕は、まるで鉄骨がまるまる入っているかのように太い。 「はあ…今はあんましノリ気じゃねえんだが」 嫌々と目を細める俺の事は華麗に無視し、デバグロイドはサッと戦闘体勢を取った。どうやら任務遂行が第一らしい。 「ったく、真面目だねえ。お前はきっと出世するよ」 俺は自身の拳同士を体の前で勢いよく打ちつけた。ノらないと口では言いつつ、こちらも戦闘準備は万全である。 「…と言っても、あの世でな」 挑発するように舌舐めずりまですると、デバグロイドは自慢の機動力でこちらへ突進してきた。奴の立っていた地点に高い土煙が立つ。 「うおっ!」 あれほど大きなアームを二本も抱えているというのに、機械生命体は重心を狂わす事なく的確に攻撃を仕掛けた。振り下された右腕が、すんでの所で俺の懐を抜けて地面を抉る。きっと咄嗟に後退していなければ、モロに喰らっていた速度だ。 「あの肩の突起……タイプはβ、つまり“スピード特化”だな。ははっ」 俺は冷静に分析をしつつ、三日月型に口角を上げた。 デバグロイドの見分け方は、大昔に婆ちゃんと爺ちゃんからみっちり叩き込まれている。タイプβは機動力を出すためか、羽のようにスタイリッシュな突起が二本も肩甲骨から生えていた。 [キセイジンルイッ!] 「わーったよ。相手してやるって。まずは…」 敵が眼前で片腕を振りかぶる。俺はその一瞬の隙を突き、素早く奴の後方に回った。 「その背中のやつから行くか!」 邪魔そうな二本の突起物のうち、一本をワシッと両手で掴む。 「おおおおぉぉぉぅるあぁっ‼︎」 思い切り腕に力を込めてそれを重力の向きに引っ張ると、すぐに突起の根本がミシミシと奇異な音を奏で始めた。 対するデバグロイドは痛がる様子もなく、背中に腕を回して俺を引っぺがそうと画策している。が、俺は逆に奴の腰(に当たる接続部)に足を組み、機械の体に全体重を掛けた。 「るあああぁぁぁっ、折れろおおぉぉっ!」 [ハナレロ、キセイジンルイ!ハイジョスルッ!] ーバギンッ‼︎ 瞬間。羽のように鋭い突起は案外甲斐なくへし折れた。たった一人の男の、馬鹿みたいな筋力によって。 「っしゃあ取れたァ!」 俺は勝ち誇ったように軽くガッツポーズをし、デバグロイドの背中を蹴り上げる事で敵との距離を取った。手元に残った分厚い鉄板を再度見つめる。 「ま、取れたからなんだって話だけどな」 俺は自分がやった事に苦笑いを送り、その辺の適当な地面に装甲を突き刺した。 「悪りい。テメェの大事な部品、ぶっ壊しちまった」 俺は不恰好になった機械生命体をせせら笑うつもりで言い放った。が……。 [ハイジョ…キセイジンルイ……!] デバグロイドはそんな事歯牙にも掛けず、一辺倒な答えしか示さない。俺は荒々しくため息を吐き、受け皿にした右の掌にもう一方の拳をぶつけた。 「ったく、面倒な奴らだ。……ほら来いよ」 俺は片翼のないデバグロイドではなく、スクラップの山々に向けて手を招いた。青空の下に、再び無音が舞い戻る。 「そんなに排除してぇってんなら、“まとめてかかってこい”」 挑発の直後、鉄屑の小山から二匹の新しいデバグロイドがのそのそと現れた。片方は丸っこいフォルムに平べったい腕、もう一方はヒョロ長い図体から、長い爪を装着した腕を生やしている。 […ルイ、ハイジョ……][ジジ…ハイ…ジョ] 「やっぱり隠れてやがったか」 ……この廃棄場に来た時、小さな二つの声が鼓膜を突いた。スクラップにしてはやけに傷が浅かったのが気になり、ずっと注視していたが…こういうことか。 「不意打ちを狙ったつもりだろうが、残念だったな。まあ良い作戦ではあったぞ」 俺は心にもない賞賛を軽く放り捨てたのち、間合いを囲む計三体のデバグロイドに目を向けた。 「………ッチ」 どの瞳にも生気はない。いや当然か。相手は電子的な命令にのみ指示される、いわば純然たる「機械生命体」だ。生命が何かすら分かっていない。分かっていては困る。 “お前はここに隠れてるんだ。いいね、ダロン” “ああ、私の…愛しのダロン……” “ダロン。少しの間、お爺ちゃんとお婆ちゃんを頼んだよ” 俺は脳裏に浮かんだ泡沫の過去を容易に振り払った。 「来いよ。俺は逃げねえぞォッ‼︎」 [ハイジョオオオォォォ!]]] 三体のデバグロイドは、憤るような俺の怒鳴り声をしっかり挑発だと受け取ってくれた。 荒廃した大地に、始まりを示す猛りの火種が芽吹いた。 ーTo be continued
年内の活動休止のお知らせ
「つぶやき」以外では初めまして。クリオネです。 【フレイル=サモン】をいつもご愛読していただき、 本当にありがとうございます。 こういった形での投稿は未経験なので、拙い部分もあるかとは思いますが、軽くでも目を通していただければ幸いです。 単刀直入に申します。タイトルにもある通り、2025年度の活動を一時休止する運びとなりました。理由は主に二つあります。 一つは、去年から取得したいと思っていた資格の勉強に本腰を入れたかったからです。年内(厳密には九月)の取得を目標にするならば、これまでの「四日に一本投稿」というペースを維持しつつの勉強は中々難しそうだと判断しました。 「いやいや待てよ。なら活動の休止じゃなく、投稿頻度の減少で良いんじゃないのか?」 いいえ。そうするわけにもいかないのです。 その訳は、二つ目の理由に関係しています。 それは「成績の低下」です。 今現在現役で受験生をしている僕の手元に、先日学力調査書なるものが届きました。学力調査書とは、いわゆる自分の成績を可視化した表でございます。 簡潔に内容をまとめると、恥ずかしながら殆どの教科において勉強不足ということでした。 私自身勉学はあまり得意ではありませんが、いざ数値として提示されると流石に焦ってしまいます。 これら二つの理由が重なったこと,それからストーリーの都合上区切りが良かったことなどが重なり、今回の苦渋の決断へと至りました。 ではここからは、活動休止の補足説明に入ります。 Q:活動再開の明確な日時は? A:来年の四月あたりだと予想しています。しかしその時の僕の状態によっては、休止期間を延期したり逆に早めたりするかもしれません。気長にお待ちください。 Q:本当はネタ切れなんじゃないの? A:断じてそんな事はありません!。物語の顛末を一から説明出来るぐらい、この先の大まかな展開などは頭の中で練られています。 但し練りすぎで疲れてしまい、結果的に投稿が遅れることもゼロでは無かったので、そういった意味では良い休憩になるかもしれません。 Q:必ず戻ってくる? A:必ず戻ってきます!前述した通り、【フレイル=サモン】の今後の大筋のストーリーは殆ど僕の頭に入っています。だからこそ、綺麗に完結させてあげるために日々奮闘しているつもりてます。 安心してください、失踪はしません。 Q:休止期間に小説が投稿される可能性は? A:ほぼゼロに近いかと思われます。 ありえるのは ・他の方の小説を拝見すること ・過去話の誤字脱字を訂正すること ・新しくサムネを制作すること ぐらいかと。希望は同じぐらい薄いですが。 Q:最後に、これを読んでくれた方へ一言 A:いつもフレイル=サモンを読んでいただいて本当にありがとうございます!皆様の応援のおかげで、僕は今日現在まで小説を書き続ける事が出来ました。 しかしフレイルたちの旅路は、僕の身勝手な独断で一時休止とさせてもらいます。きっといつか忘れた頃に浮上するので、その時は鼻で笑いながら見に来てください。 これからも心身ともに健康に、フレイルやアンたちの世界をなんとか書き述べたいと思っています。 来年の今頃、笑顔でこのアプリを開けるように 読み専の方、書き専の方、その両方の方。 全ての小説家(novelee)の方々へ、最大のご多幸とご健勝をお祈り致します。 年号/日付:令和七年/四月二十八日 著者:クリオネ 追記 ご無沙汰です、クリオネです! “去年から取得したいと思っていた資格”につきまして、 無事【合格】致しました事をここに報告します! 応援を下さった読者の皆々様、本当にありがとうございます! 記述した通りかなり力を入れていた資格だったので、正直すっかり安堵しています。 また今後の活動につきましては、年内の活動休止は右記通りの理由で継続しつつ、「リハビリ感覚で暇な時に短編小説でもあげられたらな」と考えています(頻度は未定ですが)。 知らない内に新機能が追加されていたり、仕様変更があったりと、進化を繰り返す毎日ですが、どうか体には気をつけてお過ごしください。 以上、とあるクリオネが送る一夏のご報告でした。 年号/日付:令和七年/八月十五日 著者:クリオネ ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅨ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「自室」〉 「ゔぅ。身体中バッキバキだあ…」 フレイルはフローリングに足を伸ばして座り、グッと開脚前屈をしてみた。多分気のせいなんだろうが、筋肉繊維がほぐれていく感覚が脹脛にぴりぴりと走る。 「ったく。まさか護衛隊の副隊長と思っきしバトってくるとはな」 ラノスは背中で苦笑いを浮かべた。商店街で購入してきたものを、一つひとつ収納している最中だからである。 「あれは仕方ないよ。売り言葉に買い言葉だったんだから」 フレイルは唇を尖らせた。 グラスト副隊長があんな風に煽ってこなければ、わざわざ今日訓練を行う事も無かった筈なんだ。…まあ、その挑発にまんまと乗っかったのは自分なんだけど。 「とはいえ、これで今後の課題がはっきりしたよ」 助言獣が肩越しにこちらを一瞥したので、フレイルは勿体ぶらずに続けた。 「防御力さ。これからは敵の攻撃を避けるだけじゃなく、時には正面から受け止める事も必要になってくると思う」 護衛隊が“対象を危険から守る”という仕事である限り、回避能力だけが得策でない時も多いだろう。ラノスは我が子の成長を喜ぶ親のような優しい顔をした。 「じゃ、その為にもこういう疲労とは嫌でも付き合ってかんとな」 「うげぇ…出来れば勘弁して」 フレイルはぽつりと悲痛の言葉を漏らした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「よし、片付け終了っ」 一仕事終えたと同時に、ほぼ反射的に手をはたく。振り返ると、フレイルはソファでぐったり寝そべっていた。 (………静かにしといてやるか) とはいえ、何もしないのは時間が勿体無い。その為に色々と買ってきたのだ。 「(始めるか。掃除の時間を!)」 ラノスは紙袋から幾つかのアイテム達を引っ張り出した。 ・石鹸 ・歯ブラシ(掃除用) ・雑巾 ・小さめの塵取りと箒 ・金属製のバケツ ・スポンジ 歯を磨く用の歯ブラシも人数分…どれもこれも殆どがセール品ではあるものの、素人目に見ても良質そうなものばかりだ。 個人的に特に良かったと思う買い物は、あまりにも実用的な木製の歯ブラシだ。動物の骨であしらわれたものも魅力的だったが、柄が不気味な色をしていたためやめておいた。 掃除道具を買うという名目で歯ブラシを買った事はどうかと思ったが、「口内洗浄も掃除みたいなもんやしな」と自分に言い聞かせることにした。 それに、これまでの口内ケアがせいぜい含漱だけだったことも考えれば、衛生面の進化は可能な限り取り入れるべきだろう。 「んん…?」 ソファにぐったり横たわったまま、フレイルは薄らと目を開いた。ぼやけていた視界だったがやがて焦点が合うようになり、助言獣が持っている棒がなんなのか分かるぐらいになった。 「それ、もしかして歯ブラシ?」 「ん。そうそう。安かったからな」 持ち手に緑の線が入ったものを手渡される。手触りは意外にもつるつるで、元の世界にあったプラスチック製のものよりも少し軽かった。 「へえ、表面が塗料で鞣してあるのか」 ブラシの部分にも軽く触れてみるが、柔軟性はそこまで悪くない。中々な上等品だ。 「ありがとうラノス」フレイルは首を振って感謝を伝えた。 「ええって事よ。掃除用具を探してたらあっただけやから」 再度紙袋に入れ、洗面所まで持っていく。ラノスは熱り立つように掃除を開始した。 「………………………あれっ、今何時や⁉︎」 ふと浴室の小窓に目を向ける。赤々と燃え上がる炎のような空模様が、空気口のような小さな窓から見てとれた。もう夕方だ。 ラノスはパッと手元を確認した。もこもこの泡に包まれた石鹸と、それを染み込ませたスポンジが両手に握られている。 「集中しすぎた…」手に何も持っていなければ、自分に呆れてコツンと頭を叩いていたところだ。 まさかコーナー部分に小さな汚れを見つけて、ずっとそれを落とそうと画策している間にこんな時間になっていようとは。 「シノを迎えに行かんと」 宮殿からハーブの家までの距離は、六歳児がたった一人で帰ってくるにはあまりにも遠すぎる。 ラノスはバケツに汲んだ水で手の泡を落とし、備え付けのタオルでそれを拭った。 洗面所の扉を跳ね開けると、玄関に置かれてあった樽がきれいさっぱり片付いているのに気付いた。 「あ、ラノス。掃除ありがとね」 居間から現れたのはダウンしていた筈のフレイルで、驚く程ピンピンしていた。それどころか、見た事のない真っ白のシャツに身を包んでいる。 「あー…どっか出かけるんか?」 「?。ううん。今帰ってきた所だよ」 フレイルは浴室の反対側に位置する寝室を横目に言った。と同時に、水色のワンピースを揺らすシノが扉の向こうから現れる。 「フレイル〜、準備できたよ」 ラノスは仰天しかけた。まさか自分が目を離している隙に、彼女を迎えに行っていたとは。 「一声かけてくれればワシが行ったのに。疲れとったんやろ?」 問われたフレイルは笑顔でそれを半分否定した。 「まあ、ちょっとだけね。けど少し仮眠をとったから、もういつも通りさ」 仮眠って……あんなにズタボロやったっちゅうに、もうそんなんになるまで回復したんか。それで迎えに買い物まで、ねえ。 「ったく、お疲れ様やな」 「それはおあいこだよ」 フレイルの碧眼は、水と泡で見事に毳立った彼の両腕を視界に捉えている。自分が昼寝をしている合間、ずっと家事をやってくれていたのだろう。 「ラノスこそお疲れ様」 「おつかれさま!」シノはそのまま言葉を繰り返す。 開けっぱの寝室に見えるからくり時計の針は、午後六時半を指していた。 今朝の段階で、夕飯は食事塔で摂るという事に決めていた。何故ならそれが一番手っ取り早かったからだ。 「でねでね!そのスモモスのお茶がすっごく美味しかったんだあ!」 シノは螺旋階段を横並んで下るフレイルに今日あった出来事をとびきりの笑顔で話していた。言いたいことが矢継ぎ早に頭に浮かんでいるようなので、なんとか落ち着けるよう片手で彼女の赤毛をそっと撫でた。 「全部ちゃんと聞くから、一個ずつ言ってみな」 「あっ、うん!」 朱色の瞳が真っ直ぐにこちらを見上げる。彼女の髪を飾る[流銀の加護]は、蝋燭の弱い灯りに反射してチラリと煌めいた。 丁度夕ご飯時という事もあり、食事塔には今朝とは比べ物にならない程の軍人達でごった返していた。その九割九分の人間には特待兵の称号であるバッジが胸元で光っているため、若干の緊張を感じてしまう。 朝食天ぷら事件(事故?)の事もあるので、今度の注文は吟味する事に決めた。 「じゃあ、ワシは鶏卵丼で」 ラノスは真っ先にそう注文した。今朝メニュー表を見た時から、夕食はこれにしようとなんとなしに決めていたそうだ。 「シノ、お肉食べたい!ステーキとか!」 ジャンキーな少女は背丈の関係でメニューが見えていないらしく、ぴょんぴょん跳ねながら声を張った。 「分かった分かった。じゃあ、このヤリウシのステーキでお願いします」 丁度良いメニューがあったので、指で差しながら読み上げる。カウンターの店員はにこやかに頷いた。 「俺はそうだねえ…」 フレイルは目線を滑らせた。さっきは吟味しようとか言ったが、とはいえ冒険したい気もちょっとある。お、これとか面白そうだぞ? 「えっと、ケルルトテル(?)を下さい」 「はい、かしこまりました」店員は手元のメモに走り書きを記し、奥から現れた別のスタッフに手渡した。 「ふふんっ。大勝利」まるでシノのようなセリフだが、その言葉はフレイルの口から飛び出たものだ。 テーブルまで運んだ料理を眼下にすると、思わず笑みが溢れてしまう。ふんわりと香る馴染みの匂いが鼻腔を刺激し、腹の虫を無愛想に鳴らした。 「ソースとマヨネーズが交差した表面。薄い円盤型の生地。側面からはみ出した葉野菜だって、今の俺には宝物に見えるよ」 ケルルトテル…名前からはどんな料理か分からなかったが、その正体は元の世界でいうところの「お好み焼き」だった。しかも(これは完全なフレイルの好みだが)、具材は豚肉&炒り卵である。 ナイフとフォークで切り取って口に入れると、フレイルは密かにガッツポーズを決めた。 「機嫌ええな、フレイル」 ラノスはスプーンで鶏卵丼を掬い、口に運んだ。これは名前からでも想像がつく。元の世界のものよりも色味が濃い気もするが、見覚えがあるのは親子丼だ。淡白な白米の層に金色の卵が染み込んでおり、小さめの鶏肉と合わさって絶品を作り上げている。 「美味っ」「うまああい!」 シノはラノスの言葉に被せて喜叫した。彼女が頬張っているのは、ヤリウシという牛の肉を使用したサイコロ状のステーキだった。見る限り、火加減はウェルダンぐらいのようだ。 「口が、もうなんか、すごくしあわせ」 熱々の肉汁が再度喉を潤す。柔らかなステーキを咀嚼する度、シノの頭にも脳汁が度々溢れ出た。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・特待兵寮塔「自室」〉 一向は着々と就寝準備を進めていた。新たに溜めた風呂に入り、ラノスが買ってきたという寝巻きに着替える。 「おおっ、あったかい!」 シノは自身の新しい寝巻き姿を見下ろした。髪色とよく合った朱色のワンピースパジャマだ。いや、正確に構造をあげると、スカートの下に同色のショートパンツを履いている。 段々と夜も寒くなってきている今、このくらいの保温性は必須だろうという助言獣の意向だ。 「どやワシのセンスは!」 「これでもかってぐらい自慢するじゃん」 フレイルは肩をすくめつつも、自身の着ている寝巻きには中々愛着を持っていた。 全体の配色は深い緑色で、素材でいうと綿がふんだんに使われているらしい。手触りも申し分ないし、上着もズボンも着心地が良かった。 「なあ、どう?フレイル」 「ん?」 突如、シノが振り返りながら小首を傾げる。フレイルは素直に感想を述べた。 「うん。可愛いよ」 微笑むと、少女は満足げに目を細くした。よっぽど褒められて嬉しかったんだろうな。 部屋を明るく照らしていたランプの摘みを、ラノスはフッと右向きに回した。鼻先の景色すら見えなくなるほどの暗闇が広がる。 「さあ寝よっか。明日からはもっと忙しくなるし」 「やな」と同意すると、ラノスは自分からシノとフレイルの間で毛布を被った。昨日は嫌々っぽそうだったのに。フレイルは一瞬目を見開いてから、そっと微笑んだ。 「おやすみなさい」 「ん、おやすみ」 「おやすみぃ」 夜闇の中、三つの声が短く交差した。 ーTo be continued
フレイル=サモン〈CLⅧ〉
サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・ハーブ魔導士の家〉 テーブルの中央に置かれているのは、出来立ての昼食だった。薄らと湯気すら立ち込めるその料理は、正式な名前をアルラーニョという。 「シノ、ちゃんと手は洗ったか?」 「もち!」 シノは小さな掌を開き、ラノスの前に突き出した。無事合格を貰ったため、そのまま机上に向き直る。 小皿に取り分けられた麺料理に狙いを定め、フォークの先端を山盛り麺の中腹辺りに刺す。 シノはママトソースが彩る真紅の麺を顔の高さまで持ち上げた。ソースの甘酸っぱい匂いの奥に、どこかハーブ草のような深い苦味も感じられる。 「お味はどう?」ハーブは特に初食者のシノとラノスに問い尋ねた。調理した本人として、第三者の意見は積極的に取り入れたいらしい。 「うん!おいひい!」 シノは口いっぱいに頬張りつつ、当然のように舌鼓を打った。まあ彼女は基本何にでも「美味しい」とコメントするので、正直味の証明にはあまり向いていない。 とはいえハーブのアルラーニョが絶品だというのは、前述したファームの批評の通りだった。 「ああ美味い。ホンマに店で食うのより良え仕上がりかもな」ラノスは舌の上で転がした。 パスタ麺にはもちもちとした弾力があり、素朴な小麦の味を全体の奥に感じさせた。飲み込んでみて初めて分かるが、こののどごしの良さもきっと麺のお陰なんだろう。 真っ赤なソースに紛れるのは、細かく刻まれたママトの果肉だ。濃厚なソースが麺を包み、一口食べた時のインパクトを演出している。 そして何より…… 「この香草もええな。なんて葉なん?」 おそらく薬草の一種だろう。苦味を感じたのは初めの数口だけで、後味には影響してこない。醸造師であるハーブだからこそ出来るアクセントだ。 ところが、魔導士はローブの袖から出した手をパタパタと横に振った。 「残念。香草じゃないよ」 「わかった、スモモスだ!」シノはガバッと手を挙げてから答えた。 「ん〜〜〜正解!」 ハーブは“正確にはスモクスだけどね”と小声で呟いた。ラノスもファームも、シノの言い間違える癖はちゃんと理解しているらしい。 「へえ、これスモクスの葉なんや」緑がかった葉をフォークで掬い上げる。当然だが、花っぽい香りはしなかった。 「スモクスは茎にも花にも葉にも毒がないから、食用として育てればほとんどの部位が食べられるんだよ」 どうやら彼女の場合、採取したスモクスの葉の殆どをこういったアルラーニョなどの色味役として入れているのだそうだ。流石はハーブといった所か。 その時、台所に置かれていた鉄製の薬缶から[ピイイイイィィィィ]という甲高い笛のようなものが鼓膜を刺激した。 「おわっ⁉︎」シノはあまりに吃驚して、思わずフォークを取り落としかけた。ハーブが優しく微笑む。 「お湯が沸いたみたいね。待ってて、今淹れるから」 「あ、手伝います」 ファームは師匠よりも先に椅子から降り、トコトコと湯の鳴る方へ向かった。 「び、びっくりしたあ…」 シノは少し戸惑いつつ辺りを見回した。景色は何も変わってない。 「大丈夫やって。ただ薬缶の水が沸騰しただけや」ラノスはシノの背中をそっと摩った。 「やかん…ああそっか、スモクスのお茶!」 シノは思い出した興味に関心を唆られ、顔を上げた。 「お待たせぇ」 丁度その時、台所の方からハーブとファームが四つのティーカップを丸い盆にまとめて持ってきた。 どのコップからも白っぽい湯気が立ち昇っていて、あっという間にフローラルな花の香りが部屋に充満した。 「熱いから気を付けてね」 「あいあい!」 魔導士はそれぞれの食器の横にカップを並べた。 上から見た色は意外にも黒っぽく、それでいて花の薫りは絶えず放たれている。実に不思議な見た目だ。 シノは舌なめずりをし、ティーカップの飲み口を口元まで運んだ。4〜5回ほど念入りに息を吹きかけ、表面の温度を出来るだけ冷ます。 「ごくっ」 「んんっ」少女は感じたことのない味に目を見開いた。花特有の控えめな味ではあるものの、その中にも甘みや酸味といった複雑なコクがある。 「うまっ。結構あっさりしとんのな。もっと甘ったるいもんやと思っとったけど」 それに、臭みやえぐみといったマイナスな味も一切しない。ハーブは誇らしげに笑顔を作った。 「そこはほら、天才醸造師さんの奇跡の配合だよ」 鼻高々に顔を上げる。助言獣は苦笑しつつも、心の中では関心していた。 (まあ事実、今日の昼食はハーブのお陰やしな) 机上のお茶とアルラーニョを見下ろしながら、ふとそんな事を思うラノスだった。 サウラ国領土〈ジェノバ中央都市・大通り〉 食事を終え、ラノスはシノやハーブたちに別れを告げた。フレイルから頼まれたものは全て午前中に買っておいたので、後はもう寮に帰るだけだ。 (帰ったら何すっかなあ。無難に掃除とかか?) そうなると道具が必要になるな。とはいえ、一寮室に箒と塵取りが常備してあるとは到底思えない。 [チャリッ]午前中に両替えした小銭を手の中で転がす。ラノスはフッと口角を上げたー ー数十分経ってから、ラノスは宮殿内に聳える特待兵寮塔まで向かった。螺旋階段を浮遊する事で駆け上がり、瞬く間に自室に辿り着く。 「えっと、鍵はたしかここに…」頸のポケットに手を突っ込むと、買い物袋の真横にスペアキーを発見した。 鍵穴に先端をするりと挿れ、時計回りに回転させる。てっきりずっしりした重たい感覚がくるとばかりに思っていたが、実際に手に伝わったのは空回りするような軽い感覚だった。 「んん?」 開いてる?。疑問に思い表面を押してみると、それを裏付けるように扉は奥へと沈んだ。 「まぁたなんとかオークの仕業か?」 ラノスは嫌味ったらしく空気を噛み、ドアノブに手を置いた。いつでも苦無を引き抜けるよう準備する。 「あいにく、ウチから盗ってけるもんなんか何も無いねん!」短い手先を器用に動かし、手にした扉を勢いよく開く。 [バンッ] 「………あれ」 入り口は静まり返っていた。誰もいない。誰かがいた形跡も見当たらない。異様だったのは一つだけだ。玄関の傍らに、明らかに今まではなかったオブジェが置かれていたのだ。しかも三つも。 「これ、樽か」 薄らと上部に埃を被っているが、表面に大きな汚れはない。試しに側面に触れてみると、常温よりかは少し冷たかった。 「誰がこんなん…」 カツンッと爪弾くと、微かに液体の音が中で揺れる。瞬間、ラノスはハッと勘付いた。 後方に位置している螺旋階段から、カツ,カツ,カツと軍靴のような音が響いてくる。音の重なり具合から見て、降りてくるのはおそらく二人組だ。 「そっち大丈夫?」 「うん。平気」 階段の上からこだましたその端的な会話だけで、誰と誰かはすぐに見当が付いた。まさかもう入隊式から帰っているとは。 一階フロアに先に姿を見せたのは、バックで階段を降りてくるアンの背中だった。どうやら二人がかりでさっきの樽を運んできたらしく、こちらを見える位置にいたフレイルとはばっちり目が合った。 「あれ、ラノス?」 「おう。案外早く終わったんやな、フレイル」 ラノスは扉前から横に一歩退いた。彼らが持ってきた樽は、おそらく今朝話していた生活用水だ。 最後の樽を玄関の傍に寄せると、フレイルは欠伸混じりの伸びをした。一日何をしてきたのかは知らないが、その疲労感は手に取るように分かる。 「ありがとう、アン。手伝ってもらっちゃって」 「全然。もっと頼ってもらったって構わないわ」 疲れを滲ませた笑顔を作るフレイルとは反対に、爽やかな顔つきで微笑む護衛隊長は汗ひとつかいてはいなかった。 アンは寮室の入口から無造作な樽の山を覗き込んだ。 「本当に片付けは手伝わなくて良いの?」 「うん。これ以上迷惑をかける訳にはいかないからね。お気遣いありがとう」 フレイルは弱々しく一礼した。痛切な程に心配を纏うアンの眼は、静かにラノスへと向けられた。彼を休ませてやってくれ、という意味だろう。容易い願いだ。 アンは助言獣の力強い頷きを信用した。そっと唇を開く。 「じゃあ、またね」 「うん。またね」 フレイルは口角をニッと引き上げ、笑顔で手を振った。 ーTo be continued