桐谷碧

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桐谷碧

小説家を目指しています(歴3ヶ月) 年間150冊以上は小説を読みます😄 夢は直木賞、ドラマ化、映画化。 自殺、復讐、競艇、がテーマの小説執筆中🖋 好きな作家 東野圭吾(母の影響) 現在 引きこもり

最終話 犯罪者の末路

 蓮はあらかじめ用意しておいた銀の手錠を使って蒲田と椅子を繋いだ、自分によく似た男を目の前にしても何の感情も沸かない。父親を殺したときと同じように淡々と作業を進める。ペットボトルのキャップを外し蒲田の頭に冷水をかけた。 「ぷはっ、ハアハア」 「よう、糞野郎。幸せは堪能できたか?」  驚いた顔で蓮を見上げる蒲田は、まだ自分に起きている緊急事態を把握できずに戸惑っている、蓮は質問を続けた。 「他人を不幸のどん底に落としておいて、自分だけが幸せになれると思ったか?」  しゃがみこんで蒲田の顔を覗き込む、畏怖の眼差しをコチラに向けた後にカッ、と目を見開いた。 「杏奈、杏奈はどうした?」  蓮は薄くため息を吐いた、まるでこちらの質問に答えようとしない。こんな自己中心的な人間だからこそ凶悪な犯罪を犯してもヘラヘラと生きていけるのだろう。興味をなくして立ち上がる。 「敦くん、助けて」  蓮はズボンのベルトを外すと、十字架の前にいる杏奈を後ろ向きにさせて後ろから挿入した、パンパンパンッと音を立てながら蒲田を振り返った。 「やめろーーーーー!」  蒲田は起き上がろうとするが右手の手錠が椅子の下の鉄骨に繋がれているので身動きが取れない。  蓮は蒲田を一瞥するとニヤリと笑みを浮かべた、ウェディングドレスを捲り上げて腰を振るスピードを徐々に上げる。 「アーー、イクイクイクイクッ」 「やめてくれ――――!」  杏奈の中で果てた蓮はズボンを上げると、ゆっくりとした動作で鞄の中からナイフを取り出した、杏奈は力なくその場に倒れ込んだ。 「裏切り者には死んでもらわないとね」  そう言うと躊躇なく杏奈の背中にナイフを突き立てる、うつ伏せに倒れた背中があっという間に赤く染まった。   「杏奈――――――――――――!」 「どうだ? 自分の本当に大切な人が犯され死んでいく様を見るのは。お前がやってきた事だろ」  蒲田を見下ろしながら顔面に唾を吐きかけた。 「殺してやる!」  真っ赤に充血した目で蒲田は睨みつけてきた、蓮は鼻を鳴らしてから蒲田の脇腹に思い切り蹴りを入れる。くぐもった声だけが静かな教会に響き渡たる。 「お前が俺を? やってみろ」  蓮はタバコを取り出し火をつけると一口だけ吸って足元に投げ捨てた。  蒲田は繋がれている右手を手錠から強引に引っこ抜くと、皮の皮膚がめくれて血だらけになった手で蓮に掴みかかり押し倒した。  馬乗りになり拳を振り上げた所で首から上が吹き飛ぶような衝撃を受ける。  気を失う寸前に後ろを振り返ると杏奈が脚を振り上げている、再び強い衝撃を受けて蒲田は完全に気絶した。 「おいおいおい、死んだんじゃないか?」  ピクピクと痙攣しながら倒れている蒲田をみて蓮は呟いた。 「あんたがやられそうになったから助けてあげたんじゃない」  やっぱドンキの手錠じゃダメだなぁ、と、ため息を付いて蒲田の両手を結束バンドで固定すると、引きずりながら教会の外に運び出して停めてある車に放り込んだ。  人が来る前にさっさと退散しなければならない、いつの間にか私服に着替えた杏奈が助手席に滑り込んできた。血糊がついたウェディングドレスをゴミ袋に入れると後ろの席に放り投げる。 「似合ってたよ、ウェディングドレス」  助手席の杏奈に言葉をかけるとエンジンをかけて目的地に向かって車を発進させた。 「ありがと、できれば本物を着たいわね」  助手席から杏奈の視線を感じたが何も答えずに前を見て運転を続けた、これからの自分の運命を考えると軽々しく約束する事は出来ない。  蒲田総一朗の殺害現場には蒲田敦の髪の毛をなるべく不自然にならないようにばら撒いてきた、ナイフにも指紋がたっぷり付いている、杏奈が用意したものだ。 『父親によって人生を滅茶苦茶にされた息子の復讐』  そんな都合よく警察を欺けるとも思わないが蒲田敦が発見されない事でいっそう疑惑が向く事は確かだろう、この男はこれから地中深くに埋める予定だ。   「穴掘れたの?」 「ああ、すごく深く掘ったよ」 「どれくらい?」 「杏奈への愛くらい」  クスッと笑い杏奈が答えた。 「それじゃあ二度と出てこれないわね」  最高の瞬間に地獄に落とす――。   「杏奈の演技力には驚いたよ」 「その人物になりきる事、葵の教えよ」  己の行った悪行は必ず自らに返ってくる――。 「なんで明と母さんは俺を産んだのかな?」 「例え血が繋がってなくても俺の子供だー。って感じじゃない」 「ははっ、明らしいな」  幸せになる資格は誰にでもある訳じゃない――。    「二人も殺したら俺も死刑だな」 「大丈夫よ、蓮が死んだらすぐに追いかけるわ」  大切な人を奪われた人間に残された道は復讐しかない、その果てに何が待っているかはわからないが、杏奈の言葉で蓮は自分がした事が間違いではなかったと確信した。  明、本当の息子のように育ててくれてありがとう――。    エピローグ 「所長、後はやっておくので」  八十歳近くなった今でも現役で探偵を続けている本庄に社員たちはいつも気を使っていたが、本人はいい迷惑だった。まだあと五年はやれる、気力も体力も充実しているが記憶力だけは曖昧だった。 「ああ、明日の準備だけしたら失礼するよ」  パソコンを閉じて席を立とうとした所で事務所のテレビから夕方のニュースが流れてきた。   『今朝未明、東京都北区赤羽の歩道に軽トラックが突っ込んで歩いていた親子を跳ねました、跳ねられたと見られる一之瀬杏奈さんと娘の|花澄《かすみ》ちゃんの二人はすぐに病院に運ばれましたが、一之瀬杏奈さんは先程死亡が確認され花澄ちゃんも一命は取り留めたものの余談を許さない状況が続いています、トラックの運転手は親子を跳ねた後に電柱にぶつかり車は大破、乗っていた伊東陽一郎容疑者はその場で死亡が確認されました、現場は交通量が少ない――』  一之瀬、一之瀬、何処かで聞いた名前だと思うが思い出せない。最近すっかり頭もボケてきたようでうんざりした。  デスクに畳んで置いてある先程読み終わったばかりの夕刊を手に取って思い出した。 「そうだ、そうだ、新聞に載ってたんだ」  まだまだ記憶力だって捨てたもんじゃないと満足しながら社会面を開く、そこには八年前に起きた連続殺人事件の|顛末《てんまつ》が書かれていた。 『法務省は二日、二〇二六年、東京都豊島区池袋のトイレで男性一人、さらに大阪市寝屋川でその息子を殺害したとして死刑が確定していた一之瀬蓮(二六)の刑を執行し発表した、死刑執行は昨年十二月以来で――』  そこまで読んで満足すると、本庄は社員に挨拶をして事務所を後にした。

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最終話 犯罪者の末路

第二十九話 幸福

「本当にこんなので良いの?」  ドン・キホーテのコスプレ売場で杏奈はウェディングドレスを物色している、どうやらタキシードも購入するようだ。 「本物なんて買ったら大変でしょ、それに気分だから。大切なのは気持ちよ」  二つで九千八百円、これからの事を考えると散布する訳にはいかないが、幾らなんでもこれじゃあ杏奈が可哀想だと思った。 「それに見物客がいる訳じゃないんだから」  杏奈は教会で二人だけの結婚式を挙げようと提案してきた、身よりも友達もいない蒲田は問題ないが杏奈はそれで良いのだろうか。 「思い出は東京に置いてきたから」  殺される心配がなくなったと言っても蒲田が殺人犯の息子と言う現実は変わらない、正式に結婚しようと杏奈の親にお願いしても絶対に反対される事は目に見えている、それが分かっているから杏奈は二人だけの結婚式を提案したのだろう。 「ごめんな」  下を向いて謝る蒲田に杏奈は笑顔で答えた。 「これから沢山二人で思い出を作っていこ、これはその第一歩よ」  そう言うと真剣な眼差しでコスプレ衣装を選び出す、そんな彼女の横顔を見てこれからの人生の全てをかけて幸せにしようと心に誓った。 「ちょっと勝手に入ったらまずいだろー」  夜の教会に杏奈はずけずけと入っていく、スマートフォンで大阪にある教会を調べていたが、まさか夜中に忍び込むとは思っていなかった。 「良いのよ、教会は勝手に入っても」 「それは昼間じゃないのか」  夜の教会の方が素敵じゃない、それが彼女の言い分だったが蒲田は誰かに咎められないかキョロキョロと辺りを伺っていた。  入口からまっすぐに伸びた先に十字架のモニュメントが置かれている、左右には参列客が座るのであろう木製の椅子が並ぶ。  明かりが付いていない教会には十字架の後ろにあるステンドグラスから月明かりが差し込んでキラキラと輝いていた。確かに夜の方が雰囲気が良いのかも知れないと納得していると杏奈からタキシードを手渡される。 「じゃあこれに着替えてください」  こっち見たらダメだからねと付け加えると、左右の椅子に別れて着替え始める、静かな教会の中で杏奈が服を脱ぐ衣擦れの音だけが蒲田の聴覚を刺激した。 「せーので向き合いましょ」  杏奈の掛け声で二人は向かい合う、そこにはドン・キホーテで購入したとは思えないほど美しい姿の杏奈がいた。  真っ白なドレスは月明かりで輝いている、照れくさそうに笑う彼女は大袈裟じゃなく女神に見えた。 「どうかな?」 「すごく、きれいだよ」  杏奈は微笑むと十字架の前まで蒲田を誘導した、神父もいない、祝ってくれる友人や親族もいない二人だけの結婚式。しかし蒲田は自分は間違いなく《《世界一幸せだと感じていた》》。   「新郎蒲田敦、あなたは杏奈を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」  いつの間に暗記したのだろうか、杏奈は無理やり外国人のような片言で言うと、手をマイクのようにしてインタビュアーのように蒲田の口元に持ってきた。 「誓います」  笑顔の杏奈が次はあなたの番よと催促してくる。 「えっと、なんだっけ?」  もー、とほっぺを膨らませた杏奈が可愛すぎて抱きしめたくなったが何とか我慢した。 「新婦蒲田杏奈、あなたは敦を夫として、でしょ」 「あー、そうだそうだ」  杏奈に誘導されながら神父の言葉を何とか復唱した。 「誓います」  二人は見つめ合いながら笑った。 「自前感がすごいね」 「逆に思い出になると思うわ」 「あの」  蒲田は遠慮気味に問いかけた。 「誓いのキスは?」  杏奈とはセックスは愚かキスもしたことがなかった、強姦により親友を失った彼女は今までに誰とも性行為をした事がないと言う、トラウマになった訳じゃないと言うが少なくとも結婚するまではキスもお預けなのだ。 「ん……」  それだけ言うと杏奈は目をつぶって首の角度を少しだけ上げた。月明かりに照らされた美しい妻に唇を重ねようとした時だった、後ろからハンカチの様な物を口に当てられた、すぐに抵抗したがあっという間に力が入らなくなり気を失った。

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第二十九話 幸福

第二十八話 蓮の目的

「結婚しよ」  蒲田の胸から顔を上げると杏奈が突拍子もない発言をする。 「嫌なの?」 「いや、嫌なわけないじゃないか」  満面の笑みをコチラに向けると「嬉しい」と行って抱きついてくる、決死の覚悟で別れを切り出したばかりの蒲田だったが、その決意は一瞬にして崩れ去った。  護る、彼女を必ず護る、一之瀬にとってそれは蒲田の身勝手な願いだろう。彼らが護るべきものを蒲田は奪ったのだから。  それでも、例え身勝手な願いでも、腕の中の女性を命に変えても護る決意が蒲田に生きる希望と夢を与えた。   『ピンポーン』  しばらく二人で抱き合ったままでいると玄関のインターホンが鳴った、こんな遅い時間に誰だろうか。 「あっ、頼んでおいたお米が来たのかな」  杏奈はそう言って立ち上がると部屋をでて玄関に向かった、鍵を開けてすぐに叫び声がする。 「敦くん逃げて――――――――んっ!」  蒲田は急いで立ち上がり玄関に向かう、背の高い細身の男が杏奈の口を後ろから左手で塞いでいる、右手にはナイフが握られていて銀色に輝いた切先は杏奈の首筋に当てられていた。 「静かにしろ」  男が恐ろしく冷たい声を発すると杏奈の抵抗は止んだ。 「一之瀬蓮か?」  蒲田は言葉を発しながらこの状況をどうやって切り抜けるか頭をフル回転させていた、杏奈の命だけは何としてでも護らなければならない。 「俺を知っているのか?」  男は蒲田よりも随分若く見えたが纏っている雰囲気のせいで自分よりも年上に感じた。 「お前の狙いは俺だろう、杏奈を離してくれ」  男はその問いかけには答えずにナイフを降ろすと、杏奈に部屋の奥に行くよう促した。 「こいつでお互いを拘束しろ」  ポケットから結束バンドを十本ほど取り出すと二人の目の前に放り投げた。 「腕は後ろでしばれ」  二人は固まったまま動けないでいる、このまま男の言いなりになって良いのだろうか、判断出来ないでいた。 「勘違いするな、話をしに来ただけだ。ただ杏奈に暴れられたらコッチの身が危ないから念の為に拘束させてもらう」  そう言えば杏奈は空手を習っていたと聞いたことがある、こんな大男を倒すほどの実力者なのだろうか。 「私は何もしないわ」 「だったら互いに拘束しろ」  ナイフをコチラに向けて命令してくるので仕方なく二人はお互いの手を結束バンドで後手に拘束した。 「足もだ」 「手だけで充分だろう」  蒲田は反論した、言いなりになる訳にはいかない、足を拘束してしまったら逃げる手段がなくなってしまう。 「馬鹿か、むしろ足のほうが優先だ。杏奈の蹴りは木製バットをへし折るんだぞ」   驚いた顔を杏奈に向けると舌をペロっと出して照れている、些か緊張感にかける態度が気になったが仕方なく男の言う通りに足も拘束しようとするが、既に後手に拘束されているので上手く出来ない。 「チッ」  男は舌打ちすると自ら蒲田と杏奈の足を結束バンドで固定した。二人は壁にもたれて体育座りの様な格好になった。今襲われたら何も抵抗が出来ないが男は持っていたナイフを折りたたんでポケットにしまった。 「お前が蒲田敦で間違いないな?」 「ああ」 「では、なぜ俺がお前を探しているか分かっているな」  蒲田は軽く頷いた後に続けた。 「今更謝っても何の意味もないことは分かっている、君の姉の命を奪ったのは俺だ、馬鹿だった、本当に申し訳ない」  蒲田は座ったままの体勢で出来る限り深く頭を下げた。  「俺を殺してくれ、それで終わりにしてくれ」 「敦くん!」    杏奈が叫んだが構わずに続けた。 「もう終わりにしよう、俺のバカ親父から始まった復讐の連鎖を断ち切りたい、杏奈は関係ないんだ」 「なぜ伊東陽一郎の母子が殺されたか理解できないのか?」  そう言うと持っていたバックパックからサバイバルナイフを取り出した、刃渡りが三十センチ近くあり先程のチャチなナイフより何倍も殺傷能力が高そうだった。 「お前の大切な人間を奪ってやるのが目的なんだよ」  そう言いながらナイフを杏奈の顔にピタピタとあてる。 「蓮、私を殺しなさい、明さんがそうしたように」  男はその言葉を聞くと声を出して笑った。 「杏奈を殺してこの男は生かすって事か、確かに明は伊東陽一郎だけは殺さなかった、そこまでこのクズに惚れたのか」 「答える必要がないわ」  男を睨みつけた杏奈の目は憎悪に満ちていた。  「だめだ杏奈、君は関係ない、頼む、頼む、殺すのは俺だけにしてくれ、頼む、お願いだ」  蒲田は必死に頭を下げ続けた、杏奈だけは殺さないで欲しい、自分の様なクズを愛してくれた唯一の人間だった。お願いします、お願いしますと何十回と頭を下げ続けた。 「もういい、顔上げろ」   男は二人を見下ろしながらため息をついた。 「誰も殺すなんて言ってないじゃん、人を殺人鬼みたいにさあ」  男は人懐っこい顔に変わると蒲田の顔をまじまじ見つめている。 「似てるかなあ」  そう呟くとキッチンの冷蔵庫に向かい「ビール貰うよ」と言って戻ってきた、プルタブを開けて一口飲むと二人の前に座った。 「たった一人の兄貴を殺すわけないじゃん」 「え?」  杏奈と蒲田が同時に声を発した。 「蒲田総一朗と母さんの子が俺、つまり俺たちは腹違いの兄弟」  蒲田は驚きのあまり言葉が出てこない。 「そんな訳で警察に捕まる前に兄貴の顔を拝みに来たのよ、それなのに逃げようとするからさ、ちょっと遊んでみた」 「親父を殺したのは?」 「俺だよ、例え血の繋がった父親でも母さんを殺した男を許すわけにはいかない、それに俺の本当の父親は明だけだ」  そう言いながらビールを飲み干すと缶を潰して立ち上がった。 「じゃあ、俺行くわ、二人はお幸せに」  大股で玄関まで行くと狭い三和土で靴を履いて扉を開けて出ていった、蒲田は杏奈と共に座りながら黙ってその後姿を見送った。  助かったのか――。  蒲田は安心感とナイフ持った男が再び舞い戻ってくる恐怖で感情がめちゃくちゃだった、数分前までは死ぬ覚悟だったのだ。 「これ、はずそう」  そう言って体育座りのまま器用にキッチンまで這って行くとハサミを取りだして杏奈の腕に巻かれた結束バンドを切った。お互いの手足が自由になると蒲田と杏奈は見つめ合った。 「良かったね」  杏奈は目の端に涙を溜めて笑った。  「良いのかな、俺、生きてて良いのかな?」 「うん、幸せになって良いんだよ」  蒲田は声を出して泣いた、やっと普通の幸せを手に入れることが出来る、杏奈と二人で生きていける、それだけで涙が溢れた。 「よしよし」  蒲田を抱きしめて背中を擦る杏奈の手のひらが暖かくて母親のようだと思った、記憶にない母親を彼女に重ねると蒲田は子供のように眠りについた。

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第二十八話 蓮の目的

第二十七話 告白

 配達用の四角いリュックサックを背負うとレンタル自転車にまたがった、スマートフォンが鳴ったのを確認すると画面に表示された飲食店に向かう、注文の品を手早く受け取り、リュックの中に詰め込むと再び背負った。  スマートフォンに表示された目的地に向かって蒲田はひたすらペダルを漕いだ、マンションのエントランスに着くと部屋番号を入力してインターホンを鳴らす。 「ドアの前に置いておいてくださいー」  殆どの注文客が置き配を要求してくる、なるべく人との接点を持ちたくない蒲田に取っては好都合なシステムだ、杏奈と二人で東京から逃げるように大阪までやってきたが莫大な貯蓄がある訳でもないので何かしら仕事をしなくてはならない。  とはいえ命を狙われている身からすれば同じ場所に長時間留まっているような仕事は避けたかった。  最初の一週間ほどは安いビジネスホテルに宿泊していたがこれから先の事を考えると何時までも割高のホテルに泊まり続ける事も出来ない。  杏奈と二人で安アパートを探した、あまりこの辺の地理には詳しくなかったが大阪梅田駅よりほど近い都島駅みやこじまえきで1K5万円の物件を即決した。二人で住むには手狭だが贅沢を言える身分でもない。  朝から晩まで自転車を漕ぎ続けておよそ八千円の収入だ、ヘトヘトになって部屋に戻ると杏奈が夕ご飯を作って待っていてくれる、まるで新婚夫婦のようで気分が高揚した。 「お疲れさま」  カレーをかき混ぜながら杏奈が振り向く、思えば最初に杏奈が作った料理はカレーだった、あまりの衝撃に生死の堺を彷徨ったが、今では少しづつ上達してまともな料理が出てくるようになった。 「ただいま」  狭い玄関からフローリングの細い廊下が伸びている、左側にキッチン、右側には風呂とトイレに続く扉があった、そのまま真っ直ぐ進むと六畳の四角い部屋に続いている。  小さなテレビとテーブルだけのシンプルな部屋だった、寝る時は布団を二つ並べて一緒に眠る、貧乏だが小さな幸せがそこにはあった。 「お腹すいたでしょ、すぐ準備するから待っててね」  エプロンを着けた杏奈は甲斐甲斐しく料理を並べてくれた、蒲田はリモコンを手に取りテレビを付けたが夕方の報道番組では大したニュースはやっていなかった。 「いただきまーす」  両手を合わせて合唱するとスプーンを手に取りカレーを口に運んだ、蒲田の好きなスパイシーなチキンカレーだ、半分ほど平らげた所でテレビ画面から緊張感のあるニュースが流れてきた。 『昨夜未明、池袋駅西口にある公園の公衆トイレから男性の遺体が発見されました、持ち物から男性は蒲田総一朗さん四十九歳と判明、調べによると直前に立ち寄ったスナックで呑んだ後にコチラの公園に立ち寄り用を足している所を後ろから刺された模様で――』 「え、親父?」    カレーを食べ進める手が止まっていた、テレビ画面に映る中年の男は紛れもなく自分の父親だったが殺されたとニュースになってもまるで現実感がなかった。    親父が殺された――。   『事前に立ち寄ったスナック店主の話によると、蒲田さんが来店した際に連絡をくれたら十万円を支払いますと言う若い男性が数日前に訪れて来たと言うことです、警察はこの男が事件になんらかの関与があると見て捜査を続けています』 「蓮だわ」  隣に座っている杏奈が呟きながら画面を食い入るように睨みつけている。   スプーンを持つ手が震えていた、数分前まで感じていた幸福感はあっという間に萎んでしまい、かわりに死の恐怖が蒲田の心を支配している。  結局それ以上カレーに手を伸ばすことが出来なかった、震える蒲田を杏奈はそっと抱きしめてくれた、背中をポンポンと優しく叩かれると少しだけ気が紛れる。 「でもなんで敦くんのお父さんを」  杏奈は向かいに座り直すと疑問を投げかけてきた。 「仲の良い家族なら全員皆殺しにしようと考えるだろうけど、もう何年も合ってないのよね」  もう杏奈に隠し事は出来ない、全てを話す覚悟を決めた、親友を殺したにも等しい自分に付いてきてくれた彼女なら受け止めてくれるかも知れない、例え拒絶されても仕方のない事だった。 「親父なんだ……」 「え?」 「一之瀬葵の母親を殺したのは俺の親父なんだ」   杏奈は目を見開いて驚いているが構わず続けた。 「事情は分からない、けど親父とその女性は不倫関係だった」    蒲田が高校生の時に親父が連れ込んだ多くの女性の中にその人はいた、あまりにも美人だったので記憶に残っていたのだ、ある日、蒲田が学校から帰ると家の中でその女性が死んでいた。  親父の姿はなかったが警察にすぐ通報した、他の女の所に身を隠していたが程なくして逮捕、殺人の容疑で起訴された。  いなくて困るような父親ではなかったが頼れる親族もいなかった蒲田は一人で生きていくことを余儀なくされる、未成年後見人や施設入所などの選択肢もあるが、蒲田はその先で自分がどの様な扱いを受けるか容易に想像できた。  殺人犯の息子――。  これから永遠について回る形容詞は自身の目標だった普通の生活を送る事を困難にした、地元ではあっという間に噂が広がり学校の裏掲示板では蒲田のスレッドが立ち上がり教師は勿論、全校生徒から畏怖の眼差しを向けられるようになった。  登校する意味を失った高校を早々に退学すると日雇いのアルバイトで生計を立てるようになり、伊東陽一郎と出会った。   「ごめん、どういう事かわからない」  杏奈は乾いたカレーをほとんど残したままだ、蒲田に向けられた眼差しは高校の同級生のそれと変わらないように見えた。 「何で殺したのかはわからないんだ」  親父は犯行を認めずに正当防衛を主張していた、結局裁判所は痴情のもつれと判断し懲役一三年を言い渡した。 「敦が葵を……。 偶然じゃなかったの?」    もう駄目かもしれない、また自分は一人になるのだろうか。 「ああ」  あの日、伊東陽一郎とファミレスで食事をしていると隣のボックス席に制服を着た女子高生が座った。こんな遅い時間に珍しいなと顔を見ると一瞬で体が硬直した。  美しい顔をした女子高生は三年前に親父が殺した女にそっくりだった、そして自分がこんな人生を歩む原因を作った女の娘が楽しそうに談笑している姿をみて怒りがこみ上げてきた。  彼女も被害者だろう、しかし殺された側の遺族は世間から同情され母親を失った悲しみさえ乗り越える事が出来れば何不自由無い未来が待っている。  俺は違う、永遠に『殺人犯の息子』というレッテルを貼られて削除される事がないネット情報でどこへ行っても、何年経っても迫害されづつける。    俺は何もしていないのに――。   この女を強姦する事に何の躊躇もなかった、何かしら犯罪を犯していないと自分が置かれている状況とつり合いが取れない、強姦した後にもしかして人違いかも知れないと思い、生徒手帳を確認するとやはり一之瀬と言う名字だった。  それから一ヶ月程してから女の学校を一人で訪れた、待ち伏せしてもう一度ヤラせてもらう算段だったが何時まで経っても校門から女は出てこない、痺れを切らしてちょうど出てきた女子高生に一之瀬葵を呼んで欲しいと頼んだ。 「えっ? 葵さんは先日亡くなりましたけど」  気味が悪い生き物を見るように、女子高生はそれだけ言うと立ち去って行った。     「そんな……」  スプーンを持ったままの杏奈の手は震えていてカチャカチャと音を立てている。 「俺は殺されて当然の人間なんだよ」  親が犯罪者だろうがまっとうに生きている人間は沢山いる、己の弱さを他人の責任にして八つ当たりした挙げ句に自殺に追い込んだのだ、結果無関係の人間まで巻き込んで不幸のどん底に落とした。  杏奈にしたって自分の親友を強姦して、死に追いやった人間と一緒になっても不幸になるだけだが、彼女と離れることは蒲田にとって命を奪われるのと同義だった。  それ程に彼女を深く愛していた、蒲田が生まれて初めて愛した女性、いや人間だった。それでも蒲田は決断しなくてはならない、彼女にだけは不幸になって欲しくない。 「別れよう」  蒲田が言うと、杏奈は奥歯を噛み締めながらコチラを見つめている、その目には涙が溜まっていて今にも零れ落ちそうだった。 「一緒にいたら杏奈まで危険に晒される」  伊東陽一郎の事件を思い出す、奥さんだけでなく幼い子供まで殺害されている、その殺害方法も凄惨な物だった。  それだけ一之瀬一家の恨みは強いのだ、そしてそれだけの事を自分と伊東陽一郎はしてきた、自分の犯した罪の代償を払う時が来たのだと蒲田は考えていた。  今ならわかる、本当に大切な人が出来た、今ならば。  もし杏奈や、杏奈との間に出来た子供が同じ目に合えば自分も一之瀬と同じ行動を取るだろう、そしてその怒りの炎は生涯消えることははない。   「敦くんはもう充分、後悔も反省もしてきたよ、ずっと一緒にいた私が見てきたわ、もう許されてもいいじゃない」 「他人が許しても、俺を殺すまで彼の復讐は続く」  その時に杏奈が蒲田と一緒にいれば必ず一之瀬は杏奈に手をかけるだろう、それだけは避けたかった。  「大丈夫よ、日本の警察は優秀なんでしょ、敦のお父さんを殺したのが蓮ならすぐに捕まるよ、それまで身を隠してれば平気」  それで良いのだろうか、伊東陽一郎は犯した罪の代償を払った、自分だけが何も罰を受けずに逃げ回っている。 「お願い、別れるなんて言わないで」  杏奈は蒲田に抱きつくと胸の中で泣いていた、ずっと一緒にいたい、この女性を幸せにしたい。  ただそれだけなんだ――。     蒲田は自分がどうしたら良いのかわからずに杏奈を抱きしめながら、ただ虚空を見つめ続けていた。

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第二十七話 告白

第二十六話 苦悩

「杏奈だめだイきそっ」 「んっうん、いいよ」  杏奈は罪悪感を覚えながらもどんどん好きになっていく自分の気持を抑えきれずにいた、なぜこんな事になってしまったのか記憶が曖昧だが今の気持ちは素直に彼を愛しているという事だった。  ベットからでると窓を少し開けてタバコを吸っている、最近吸い出したみたいだが杏奈は特に気にならなかった。 「タバコ臭い?」 「ううん、大丈夫」  二口だけタバコをふかすと長いままのフィルターを携帯灰皿に押し付けた、長すぎる吸い殻はそのままでは入らないので二つに折って無理やりケースに収める。   「これからどうなっちゃうのかな……」  そう言うと彼は冷蔵庫から缶ビールを取り出しプルタブを引いて一口だけ飲んだ、最近は眠れないことも多く寝不足が続いているようだ。 「どうしたいの?」  二人でずっと生きていきたい、杏奈の願いはただそれだけだったが今置かれた状況ではそれは難しいのかも知れない。  「わからないんだ、自分が生きていて良い人間なのか、生まれて来なければ良かったんじゃないかって」 「そんなこと……」  そんな事ない、あなたを愛している人間だっている、それだけで生きている意味があるでしょ。杏奈は心の中で思った事を口にはしなかった、彼が抱えている過去はそんな薄っぺらい言葉ではなんの慰めにもならないと思った。 「俺のせいで人が死んだ」  杏奈の目をじっと見つめるその瞳の端から涙がこぼれ落ちた。  「あたしのこと愛してる?」 「うん……」 「ならあたしの為に生きて」  曖昧に頷いた後に再び窓を少しだけ開けるとタバコに火を付けた、今度は一口だけ吸うと長いフィルターを携帯灰皿に押し込んだ。 「バレないように深く掘った穴にでも埋めちゃおうか、どうせ探しにくるような親族もいない。  それは良い考えだと思ってしまった自分はすでにまともな人間ではないのかも知れない、複雑に絡み合った思考はたった一つの願いの為に人間をやめる覚悟を杏奈に与えた。

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第二十六話 苦悩

第二十五話蒲田 総一朗②

「久しぶりのシャバはどう?」  水割りを総一朗の前に置くと笑顔でママが問いかけてきた。 「とりあえず女を抱きたいね」  刑務所の中では自慰もロクに出来ない。 「あたしで良ければいつでも良いわよ」   胸の谷間を強調したポーズをとる気味の悪いババアを見て性欲は一気に急降下した。 「息子はどうしてるのよ?」  結局、息子の敦は一度も面会に来ることはなかった。親戚の家を飛び出してからは行方がわからずじまいだが、さして興味もなかった。どちらかと言えば咲の娘がどのように育っているかの方が総一朗にとっては大事なことだ、彼女に似た美人になっていれば良いのだが――。  咲と一度目の行為をした後、もう一度彼女に逢えることはなかった。迂闊にも連絡先を聞くのを忘れてしまったのだ。  スナック『納言』に行って、咲と連絡を取りたいとママにお願いするも「本人の許可がないとダメよ」と断られてしまう。それでも諦めきれない総一朗は赤羽を自力で捜索した、住んでいる場所が赤羽とは限らないが他に探す場所がなかった。  スーパーや駅前、商店街など時間が許す限り歩き回ったが咲を発見する事は出来なかった。  やがて他の女を作り咲の事も次第に忘れていったがあの時の快楽を超える性交を経験する事もなかった。完全に彼女の事など頭から消えかかっていた頃、再び二人は再開する。  再開と言うには語弊があるだろう、いつものように池袋のサンシャイン通りで昼飯を食べて女の元に向かう途中で偶然発見したのだ、彼女は六年前と変わらず美しい姿で、街を歩く男性の視線を奪っていたが誰も声をかける男はいない。  それもそうだろう、傍らには小さな男の子が咲に手を引かれて歩いているからだ。小さな男の子は咲と楽しそうに話ながらサンシャイン通りを奥に進んでいった、この先には映画館や水族館がある。  総一朗は急激に上がった心拍数を落ち着かせようと深呼吸をすると親子の後を追った、休日のサンシャイン通りは人で溢れかえっている、総一朗の素人丸出しの尾行でもバレる心配はなかった。  二人はやはりサンシャイン60の水族館に入っていった、一人で水族館に入ることを躊躇った総一朗は出口で待つことにした、一つしかない出口なので見逃すこともないだろうと確信するとサングラスを買いに同ビルの下の階に移動する。  一時間は出てこないと踏んだのでその間に変装する道具を揃えておこうと考えたのだ、一番安い真っ黒のサングラスを購入すると同じ階の服屋でキャップを購入して被った。  帽子にサングラスの中年男は傍目にも怪しかったがこれで総一朗とばれる心配はないだろう。  再び水族館の入口に戻ると出口付近を注視した、程なくして咲と男の子が姿を現す、先程と違い正面からみた少年を見て違和感を感じた。  違和感と言うよりは親近感と言ったほうがしっくりくるだろう、その男の子は総一朗が小さな頃にそっくりだった。  男の子の年齢は見た感じ四歳〜六歳くらいだろうか、六年前に性交したから計算は合うが、果たして行きずりの男の子供をわざわざ生む女がいるのか。  混乱する総一朗の横を親子は通り過ぎていった、咲の肌は相変わらず陶器のように透き通っている。甘い匂いに吸い寄せられる虫のように総一朗は後を付いていった。  親子は喫茶店でパフェを食べ終えると池袋駅に入っていった、埼京線のホームで待つと赤羽方面の電車が滑り込んでくる。適度に混雑したその電車に乗り込むとやはり赤羽駅で降りていった。怪しい風情の総一朗を他の乗客は二度見していたが気にせず後を追った。  咲はスーパーで買物を済ませると駐輪場に向かい自転車の後ろに子供を乗せた、咲もサドルに股がるとスムーズにペダルを漕ぎ始める。  しまった――。  そう思った時にはすでに自転車は遥か先を進んでいる、タクシーを拾おうと辺りを見渡したが都合よく通りかかる車両はなかった。総一朗はサングラスを外すと走って親子を追いかけた、中学生の頃に学年で十番になったことがあるマラソン大会を思い出し懸命に後を追った。  自転車は電動なのか信じられないスピードで走行していく、それでも信号待ちで立ち止まる自転車に追いついては離されを繰り返して何とか付いていった。  心臓が限界に達しようとした時にやっと自転車はマンションの敷地内に入っていく、十分以上は走り続けたかも知れない。  その場で座り込んだ総一朗は呼吸を整えるのに必死だった、住んでいるマンションを突き止めた安心感から油断していたのかも知れない。 「おじさん大丈夫?」  顔を上げると総一朗の小さい頃の顔がそこにあった、もはや疑いようがない。この子は自分の子だ。 「どうされましたか?」  続いて咲が自転車置き場から駆け寄ってきた、キャップを取って顔を上げると咲の表情が一瞬で曇った。 「どうして……」  どうしてこんな所にあなたがいるの、と続けたかったに違いない。 「蓮くん、先にお家入っててね」  息子に鍵を渡すと素直にオートロックの玄関に向かって歩いていった。 「久しぶり、随分探したよ」 「……」  咲は沈黙したままだった。 「あの男の子」  肩が小刻みに震えているが構わずに続けた。 「俺の子か?」 「違います!」    歯を食いしばってコチラを睨みつける目つきは明らかな敵意が含まれている、女性にモテる総一朗はこんな風に睨まれた事など今までになかった。  同時にこの女を落とすのは不可能だと諦めた、しかし今だ衰えないこの美しい女をミスミス逃すのも勿体ない、六年前にした咲とのセックスを思い出して興奮してきた。 「家族には秘密って訳か?」  沈黙する咲をみてイエスと受け取った、このネタがあればこの女は一生自分の性奴隷だ。最もババアには興味がないので賞味期限はあと五年といった所だろう。 「取引をしよう、十回だ、十回やらせてくれたらこの事は墓の中まで持っていく」  咲は何も言わずにコチラを睨みつけている。 「俺は子供になんて興味がない、咲とセックスがしたいだけだ」 「嫌です」  蚊の鳴くような声で言葉を発したが決意は揺らいでいるようだ。 「じゃあ息子の事は、蓮って言ったな、然るべき対応を取らせて貰う、俺が本当の父親と証明する手段は幾らでもある筈だ」  先程までの威勢はすでに消えかかっていた、後は罪悪感を取り払う作業だ。 「良く考えてみて、たったの十回だよ、それに知らない相手でもないんだからさ、家庭を護るために犠牲になれないかな」  こういった交渉をする場合、ある程度相手にも選択権を与えた方がスムーズに行く場合が多いが、今回は家族を護るという大義名分を与える事で自分を犠牲にする一択を咲に突きつけた。 「本当ですか……?」 「勿論だよ、俺は咲が大好きなんだ、不幸になって欲しい訳じゃない、それよりこんな場所であんまり長くいると……」   その場で連絡先を交換すると総一朗はマンションの敷地内を後にした、これから咲とするプレイを想像していると腰を屈めずには歩くことが出来なかった。 「どんな女だったのよ?」  ママは自分の分の瓶ビールを冷蔵庫から取り出すと縁の薄いグラスに注ぎだした、まさか俺の金で飲んでるわけじゃあるまいなと思ったが口には出さなかった。 「考えられないくらい良い女だったよ」   やたらと濃い水割りを煽ると若い客が一人で入って来た、笑顔で「一人なんだけど」とママに言うとカウンターの端に腰掛けた、どこかで見た事があるような気がしたが気のせいだろう。 「あらぁいらっしゃい」  質問しておきながらさっさと若い男の元に向かうママを見て腹も立たない、男はジーンズのポケットから取り出した封筒をママに手渡すと親指を立てて礼を言った。  はじめて来た客ではないのだろうか、妙なやり取りだと思ったがたいして気に留める事もなかった。  総一朗は結局、咲との約束を守らなかった。  「これで最後にしてください……」 「だめだ、咲くらいの良い女は中々いないんだから」 「約束がちがうじゃない」 「だったらココに来なければ良い、その代わり蓮の事は分かってるよな?」     総一朗としては十回の性交の間に咲を調伏出来ると予想していたがダメだった、歯を食いしばって行為が終わるのを待ち続けるマグロ女は男としては何の面白みもない。 しかしそれを補って余りある肉体と美貌が咲にはあった。  時間をたっぷりかけて、いずれは自らこの部屋に訪れ腰を振るようにする事が総一朗の今の生きる目標になった。  しかし咲の態度は変わらない、呼べば部屋に訪れるが変わらず何の声も発せずに死んだ魚の様な目で天井を見つめているだけだ。  総一朗は以前付き合いのあったチンピラに覚醒剤を進められた事を思い出して連絡を取った、男はすぐに白い粉を持ってやって来ると「程々にな」と一声かけて去っていった。  こんな物に頼らずともセックスに絶大なる自信があった総一朗だが今回ばかりは強敵だ、ドーピングに頼らざるを得ない、最も使用したことがないのでその効果は眉唾物だったが。  何時ものように咲を呼び出すと何も喋らずに淡々と服を脱いで全裸になる、自ら布団の上に仰向けになると天井をジッと見つめている、美しいだけに余計に不気味なマネキン人形のようだった。  丁寧に愛撫するが反応はない、仕方ないのでローションに溶かした覚醒剤を咲の陰部に塗り込みながら指を入れて動かしたが反応はいつもと変わらなかった。  こんなもんか――。  落胆を隠さずにゴムを装着した、また子供が出来ては敵わないので必ずコンドームを着用するようにしている、マネキン人形に挿入すると「んっ」と声が漏れた。  咲の顔を見ると頬は上気して薄っすらと赤くなり目は潤んでいた、総一朗が腰を動かすと声が漏れる、次第に喘ぎ声が大きくなると膣の中がビクビクッとして総一朗の陰部を締め付けた。  あまりの快楽にあっという間に果てた総一朗の陰部を咲が必死に咥えている、すぐに復活すると再び挿入する。  三時間以上かけて五回も射精した総一朗は布団の上でぐったりとしていた、咲は眠っているのだろうか、裸のまま壁の方を向いて横たわっている。  程なくして咲は立ち上がると素っ裸のまま台所に向かった、スムーズな動きで流しの下から包丁を取り出してコチラに向かって歩いてくる、うつ向いた顔に長い髪がかかり表情が見えない、しかしただならぬ雰囲気が漂っていた。 「おい、どうしたんだ?」  咲は両手で持っている包丁を振り上げると寝ている総一朗めがけて振り下ろした。 「うわっ」  体を捻って間一髪回避すると急いで立ち上がった。 「咲! どうしたんだ、やめろって」  その言葉には何の反応も示さず今度は立っている総一朗の腹に包丁を突き刺そうと咲が突っ込んでくる、咄嗟に咲の手首を両手で掴んで動きを止めた。  しかし細い体のどこにこんな力があるのか物凄い勢いで総一朗を押し返してきた、壁際まで押し込まれて包丁の切先が腹に当たる、目の前に迫る咲の顔があらわになった。  目は充血して食いしばった口からは血が流れている、鬼の形相で総一朗を睨みつけていた。 「うわーーーーーーーーー」  渾身の力を込めて押し返すと少し後退した、後ろ体重になった所で咲に足をかけて布団の上に転ばせると互いに重なるように布団の上に倒れ込んだ。    慌てて起き上がり玄関に向かって走った、急いで鍵を開けて扉を開くと外にでるが追ってくる気配は無かった。  少し時間をおいてから玄関の扉を開いた。 「咲ーー」  呼んだが返事がない、部屋を見渡すが寝室までは見ることが出来なかった。いつでも逃げることが出来るように玄関の扉を開けたまま体重は常に出口に傾けて少しづつ寝室に近づいた。 「咲ーー?」  もう一度名前を呼んで寝室に近づくと咲の足が見えた、まさかあのまま眠ってしまったのだろうか。身の安全を確信するとそのまま寝室に入った。  そこには素っ裸のまま仰向けに横たわる咲がいた、充血した目はカッと見開いて虚空を仰いでいる、乱れたロングヘアーと相まってホラー映画にでも出てきそうな塩梅だ、そして豊満なバストの中央付近には包丁が突き刺さっていて、おびただしい量の真っ赤な鮮血が布団を染めていた。  総一朗は声がでない、人間本当に恐怖を感じると声を出すことも出来ないようだ。開け放たれたドアから逃げるように出ていった、とにかくあの死体から少しでも遠ざかりたかった――。   「お会計」  若い男にべったりになったママにそう告げるとコチラを一瞥して「今日はサービス」と言って笑った、礼を言って店を後にするがこの後の予定もないのでコンビニで酒を買って、公園のベンチで飲み始めた。  若い頃のように女に食わせて貰うのは厳しいかも知れないな、総一朗はこれからの人生を考えると夢も希望も無いように感じたが酒が進んでいくとどうでも良くなった、もともと深く考えて生きてきた訳でもない。  そろそろ帰ろうかと立ち上がり公衆トイレに入った、立って用を済ましていると背中に熱い感触を感じた、それはすぐに激しい痛みに変わり膝から崩れ落ちた。  なんとか後ろを振り返ると先程スナックに居合わせた若い男が立っている。 「お前は……」  背中のあたりを探るとナイフの柄のような物が突き出ていた。   「初めましてお父さん、そしてサヨウナラ」  無表情でそう言い放った男の顔は若い頃の総一朗そのものだったが、自分の息子と認識する前に意識はなくなった。

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第二十五話蒲田 総一朗②

第二十四話 蒲田 総一朗

「正当防衛だって、人聞き悪いなぁ」  池袋駅北口にあるスナック『アミン』で蒲田総一朗はこの日だけで三回目になる話を繰り返し披露していた。 「でも実刑食らったんでしょ?」  スマートフォンを操作しながら興味津々で聞いてくる五十絡みのママは今どき珍しいソバージュヘアをしている、総一朗の行動範囲である池袋のスナック内では突如現れなくなった彼の話題で一時は盛り上がったらしい。 「結局十三年も塀の中だよ」  一之瀬咲と出会ったのは珍しく赤羽まで遠征した時に入ったスナック『納言』だった、友達の手伝いでたまたまその日入っていた咲を見て総一朗は一目惚れした。  スラリと細身の体には似つかわしくない豊満なバストがワンピース越しにもわかる、パッチリと二重の瞳は少しだけ釣っていて猫科の動物を連想させた、白い肌は陶器のように美しく二十七歳という年齢よりも更に若く見えた。 「運命の人に出会えたかも知れない」  総一朗はいつもの様に軽口を叩くと咲は嫌な顔もせずに微笑んだ、近くで聞いていたママは「この男には気を付けなさいよ」と警告していたがいつもの事だ。  インフルエンザで休んでいる女のピンチヒッターで一週間だけ、以前お世話になったママのお願いを聞いて出勤しているのだという咲は、今日を入れてあと三日しか出勤しないらしい。  総一朗はこの日から三日間スナック『納言』に入り浸った、オープンからラストまで咲をマークして自分をアピールしつつ咲の生活状況を探った。  二十歳で結婚したという咲はすでに小学生になる娘がいた、多少がっかりしたが自分にも小学生の息子がいるという事で話は盛り上がった、その女癖の悪さ故にすでにバツイチだった総一朗はなんとかしてこの女を物にしようと、これまで培ってきた能力を総動員して口説きに掛かったが、咲は一向に落ちる様子がなかった。  最終日に土下座寸前までお願いしてやっとアフターに少しだけ付き合ってくれるという話まで漕ぎ着けた、天然ジゴロの総一朗にとってはこれ程までに女性を口説くのに手こずったのは始めての経験だった。   午前三時にお店を上がるとそのまま近くのバーに入る、誰も客がいない店内のカウンターに腰掛けるとカクテルを二つ適当に作るようバーテンにお願いした。  この店には昨日下見で訪れている、もしアフターに誘えた場合に朝まで飲める場所を探していたのだ。こういった細かい努力も総一朗が女を口説ける所以だった。  さらにバーテンにはもし次に女連れで来店した際には飲みやすく、かつ大量のアルコールが入ったカクテルを作るように指示してあった、もちろん自分の分はアルコール抜きだ。  二人の前にブルーに輝く液体が置かれると乾杯をして一口飲んだ、ただ甘いだけの液体が喉を通過する。 「あっすごく美味しいです」  咲はそう言うとほんの二口でそのカクテルを飲み干した。 「同じものを」  バーテンに注文すると「ちょっと失礼します」と行ってトイレに向かった。 「おい、ちゃんとアルコール入ってんだろうな?」  カウンターに身を乗り出して確認する。 「ラムが結構やばいくらい入ってますよ」  咲はかなり酒豪なのかもしれない、中々手こずりそうだと考えているとトイレから咲が戻ってくる。  目の前に置かれたカクテルを再び口にする。 「もしかしてお酒は強いタイプ?」  総一朗は遠慮気味に質問した。 「いえ、人並みですけど、久しぶりに飲んだから美味しくて」   娘が生まれたばかりの頃は家事と育児で忙しくてしばらく酒を飲んでいなかったらしい、小学生になって手も掛からなくなったが飲む機会も友人もこの頃には疎遠になっていたそうだ。  一時間後、咲はこのカクテルを六杯も飲んで潰れてしまった、カウンターに突っ伏した彼女をバーテンは満足そうに眺めている。 「ありがとう、じゃあ会計頼むよ」 「いえいえ、またの機会をお待ちしております」  バーテンに一万円札を渡すと釣りはいらないと言って店を後にした、背中には寝息を立てて眠る咲がいる。  本来なら正攻法で口説いて堂々とホテルに連れ込みたい所だったが今回は失敗は許されない、これ程の女にはこれから先も一生出会えないかもしれない。  咲をおぶったままバーからほど近いラブホテルのチェックインを済ませると部屋の鍵を受け取ってエレベーターに乗り込んだ、三〇三号室の鉄の扉を開くと安物のソファにデカいベットが中央に鎮座している、咲を優しくベットの上に寝かせるとそのままキスをした。 「んっ」  無理やり舌を入れると少しだけ反応したが起きる様子はない、ワンピースを脱がせると予想以上に大きな胸が顕になった、仰向けになっているにも関わらず大きな胸は崩れること無く天空に向かってそびえ立っている、総一朗は夢中になって口に含むとがむしゃらに愛撫した、そのセックステクニックでも天性の技術を持つ総一朗は寝ているにも関わらず咲の陰部を濡らすことに成功した。  濡れた陰部を確認して満足した総一朗は咲に侵入していった、ゆっくりと、しかし確実に。途中「んっ」と色っぽい声が漏れたが目が開くことはなかった。   咲の中は総一朗が想像した以上に素晴らしい場所だった、今まで挿ってきた女達が夢幻であったかのように。  あまりの気持ちよさに我慢できなくなった総一朗は腰を激しく振り始めた、すると流石に咲も目を覚ます。 「ん――――――――――――――!」  総一朗と目が合うと驚きの表情で目をカッと見開いた、それでも構わずに腰を振るスピードを上げると次第に喘ぎ声に変わっていく。  総一朗は夢中になって腰を振り続けた、中で射精しながら一度も離れる事無く四度も果てた、行為が終わるとやっと咲から離れて隣にぐったりと横になる。 「ごめんなさい、あたし……」  そう言って下着と洋服をかき集めると急いで服を着始めた、あっという間に着替え終わると「帰ります」と言ってラブホテルを後にしたがすでに賢者タイムに入っている総一朗は黙って咲の帰りを見送った――。

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第二十四話 蒲田 総一朗

第二十三話 母の死因

 どうして自分の家族は次々と死んでいくのだろうか、前世でよっぽど酷い行いでもしてきたのかも知れない。そうとでも考えなければ納得が出来なかった。  明の葬儀が終わってから二週間経っても何もやる気が起きなかった、明を殺した伊東は警察に捕まってしまいもう手を出すことが出来ない。  蓮は写真立てに写る三人の遺影を見ながら自分が何をするべきか考えていた。結局、明の復讐を止めることはできなかった。なにが突然、明を突き動かしたのかは分からなかったが、これで自分の想い、明には生きて幸せになってほしいという願いは叶えることができない。 「取り敢えず蒲田を殺すか……」  蒲田を殺して刑務所に入ればちょうど伊東と同じくらいの時期に刑期を終えて出所出来るのではないか、そしたら伊東を殺して再び刑務所に戻る。  結局、諸悪の根源であるコイツラを殺さなければ何も解決しないような気がした。  葵と明を殺したコイツラを殺さなければ――。  そう思った所で一つ疑問が湧いた。    母さんはなんで死んだのだろうか――。    蓮が五歳の時に亡くなったので詳しい死因など誰も教えてくれなかったし聞いても分からなかっただろう、ただ年齢を重ねるに連れおそらく病気かなんかで死んだのだろうと勝手に思い込んでいた。  一度気になると母親の死因が何なのか知りたくなってきた、しかし十三年も前の事を調べることなんて出来るのだろうか。  蓮はスマートフォンを取り出すと『死因 調べ方』で検索をかけた。  死亡届(死亡証明書)に記載してあると検索上位のウェブサイトには書かれている、さらに死亡証明書を取得できるのは、死亡届の届出人や死亡者の親族などの利害関係人かつ特別な理由がある人と定められていて死後一年以上経っている場合は管轄の法務局に保存、管理されているらしい。  死亡者の親族である自分ならば問題ないだろうと思ったが、注意書きに簡易生命保険の払い出し、遺族厚生・共済年金の手続きの為など特定の理由がない場合には発行出来ません。と書いてあったので再発行するのは諦めた、それ程手間をかけてまで知りたいとは思わない。  仕方なく明の遺品でも整理することにした、大した荷物ではないが一Kの蓮の部屋に置いておくには少々邪魔だ、ダンボールを開けると洋服の下から書類関係が色々と出てくる。  保険関連の書類が殆どだがその中に『死亡診断書(死体検案書)』と書かれた紙が複数枚出てきた、名前を見ると一之瀬咲と記載されている、再発行しようとして諦めたがどうやら明がコピーを何枚か取っていたようだ。  氏名、生年月日、住所、死亡した時間、死亡した場所など思いのほか細かく記載してある、そして死因の項目で蓮は固まった。 『死因 他殺』  他殺という事は誰かに殺されたのだろう、せめて病死でいて欲しかった、自分の大切な家族が三人とも誰かに殺されていると言う事実に蓮はショックを受けた。  同時に一体誰が、そんな疑問が頭の隅に芽生える。普通に生活していて他人に殺されるというのはそんなに良くある事とは思えない、それとも自分の母親は誰かに恨まれるような人間だったのか。  死亡診断書には死亡した日時と日付が記載してある、この日の新聞を見ればどうして殺されたのか詳細がわかるのではないか。  蓮はさっそくスマートフォンを操作して過去の新聞記事の閲覧方法を検索した、便利な世の中になったものでわざわざ図書館に行かなくても民間の業者に日付を指定すればその日の記事をウェブ上で閲覧できるサービスを展開している会社が幾つかあった、一紙で一九八〇円と多少値段が張るが迷わず会員登録を済ませると母親の死亡日時の朝刊を取り寄せた。  スマートフォンでは見にくいのでパソコンを鞄から取り出してローテーブルに置くと先程のウェブサイトにアクセスして新聞記事を読み始めた。  蓮は目を細めながらパソコンに映る新聞記事を読み進めていくが該当する記事は最後まで見当たらなかった、再び死亡診断書に目を通して自分の間抜けさに気がつく。  死亡時刻は九月五日の十七時二十五分、この日の朝刊に夕方起きた事件が掲載されている訳がない。無駄金を散布してしまった事に後悔しながら翌日の朝刊を再び購入する、すると目当ての記事はすぐに見つかった。 『五日午後四時二十分頃、東京都豊島区東長崎三丁目にあるアパート翡翠荘で一之瀬咲さん(三三) が胸を刺されて死亡しているのが通報により駆けつけた警察官により発見、その場にいて通報したとみられる高校生の供述により自分の父親である蒲田総一朗の犯行であると――』  その名前を見つけた瞬間に蓮の心臓は鼓動を速めた、記事によれば犯人と思われる蒲田総一朗は今だ居場所が特定出来ない状況で警察が行方を追っているという。 「蒲田……」  蓮は静かに呟くと画面に映る蒲田総一朗の文字をじっと見つめていた、これ以上深追いしない方が良い、なぜか心の中で警鐘が鳴っている。   蓮は自分の中で大きくなる警告音を無視すると次の日の朝刊をクリックして購入する、その日の朝刊には当該事件の進捗が掲載されていない、犯人は逃げ続けているのだろうか。  次の日、またその次の日と朝刊を購入していき蒲田総一朗の名前を追った、そして事件から五日後の新聞記事に再びその名前を発見することが出来た。  新聞には容疑者の蒲田総一朗が知り合いの女の家に潜伏している所を捜査員に確保された事、当該事件に置いて自分の容疑を認める発言をほのめかしている事が掲載されていた、新聞記事には文字情報の他にも容疑者の写真が丸く囲われた中に収まっている。  蓮はその写真を見て愕然とした、蒲田総一朗容疑者と書かれた上に掲載されている写真の男は三十六歳という年齢の割に若々しく女性ウケしそうな顔立ちだった。    そして何よりも蓮(じぶん)に似ていた――。

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第二十三話 母の死因

過去の記憶②

 父親の蒲田総一朗(かまたそういちろう)は働きもせずに昼間から酒を飲んでいるような男だった、臨時収入が入ればギャンブルに興じて、勝てば機嫌が良くなり寿司を食わせてくれた。母親はどんな女性だったか覚えていない、蒲田の物心が付く前に家を出たようだ。   そんなクズにも関わらずどういう訳か家には定期的に違う女が入れ替わるように訪れた、一DKのボロアパートの襖越しに女の喘ぎ声が聞こえることに慣れたのは中学生になって隣で行われている行為を理解してからだろう。 「あなたパパに似ていい男になったわねえ」  総一朗が留守の時に訪れた香水臭い女にそう言われて童貞を捨てたのは蒲田が十四歳の時だ。  酒は飲むが酒乱という訳ではないので蒲田にも暴力を振るったりすることは無かった、むしろ優しい父親だったと記憶している、しかし。  こんな人間にはならない――。  そう願っていた蒲田は真面目に勉強をしてまともな社会人になることを人生の目標としていた、実際学校の成績も悪くなかった。  いつもの様に学校から帰ると襖が閉まっていたのでため息を付いた、真っ昼間から良くヤルな、と考えながらダイニングテーブルに参考書を広げて勉強を始める。   「これで最後にしてください……」 「だめだ、咲くらいの良い女は中々いないんだから」 「約束がちがうじゃない」 「だったらココに来なければ良い、その代わり蓮の事は分かってるよな?」     襖が開くと半裸の女はコチラを一瞥してから身なりを整えて逃げるように玄関の扉を開けて出ていった、今までに見た総一朗の女の中でも群を抜いて美しい女だった。 「見つかれば蓮に殺される」  現実に戻されると蒲田はメモ帳に目を落としたが、そこには何も書かれていなかった。 「殺される?」 「なぜ私達があなたに近づいたのかわからない?」  この半年間で蒲田の生活は百八十度変わった、それは目の前の愛美は勿論だが社長の二之宮高貴のおかげだろう。  彼が自分の運命を変えてくれた恩人、生きる希望を与えてくれた人、一生懸命働いて社長に恩返しをして目の前にいる愛美を幸せにすると決意していた。 「殺される……」  蒲田はもう一度つぶやくと愛美の言ったことを少しづつ理解していった、あの時レイプして自殺に追い込んだ娘の父親が、十年経って復讐にやってきたのだと。 「そんな、社長が、じゃあなんの為にこんな」  こんなに自分に優しくしてくれたと言うのだ、殺すならすぐにでも殺すことが出来たはずだ。 「奪うために与えたのよ……」     そう言った愛美の唇が震えていた、愛美との事も偽りだったのだろうか、信じたくない気持ちに現実に起きていることが追いついてこない、しかしよく考えてみればあまりにも自分に都合が良いことが続いていた。 「おじさんは伊東の家族を皆殺しにしたわ、本人だけを生かしたのは自分の味わった気持ちを伊東にも与えるためだと思う、きっとおじさんにとって死ぬより辛い事だったから」  ニュースの詳細では男は心臓にナイフを一突き、絞殺した女性は強姦の痕があり幼児に至っては四肢と頭部がバラバラだったと言う。  それをあの社長が、温厚そうに笑う彼の表情を思い出すと事件の当事者との関連がまったく想像できない。   「あなたを殺しに来るのは一之瀬蓮、おじさんの息子よ」  蓮、蓮、どこかで聞いたことがある名前だが思い出せない。 「自分の状況が理解できた?」  理解出来たのだろうか、まだ分からないことがある様な気がするが、何が分からないかが分からない。 「なんでこのタイミングで?」  疑問に思ったことから聞いていくことにした。 「おじさんが伊東をこのタイミングで殺した理由はわからない、でもおじさんが殺されたなら蓮はあなたを生かしておく理由がないから確実に殺しにくるわ、十代のうちに必ず殺しにくる」     十代のうちは何やっても大した罪にならねえからなーー。  馬鹿笑いしていた伊東の顔を思い出した。 「じゃあ、愛美は、君はなんで俺を逃がすんだ?」  話をまとめるならば愛美は社長側の人間という事になる。   彼女は組んでいた足を解いて蒲田の目を見つめてくる、気のせいだろうか泣いている様に見えた。 「あなたを愛してしまったから――」

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過去の記憶②

第二十一話 過去の記憶

『一昨日未明、群馬県草津町の別荘で殺害された男女の身元が明からになりました。男性は一之瀬明さん、相原勇人さん、女性は伊東雅美さん、娘の春華ちゃん、その場にいて通報した伊東陽一郎容疑者が事件の――』  テレビから流れてくるニュースを見て蒲田敦は固まっていた、自分にはおおよそ縁のない殺人事件の報道に知っている名前と顔が二人も出てきたからだ。 「社長……?」  画面に映し出された男の写真は間違いなく二之宮だったが下に振ってある文字には一之瀬明(四十六)となっている。   伊東陽一郎の写真は出ていないが自分が知っているあの伊東陽一郎だろうか、それとも年齢も同じ同姓同名か、蒲田は頭が混乱していた。 「一之瀬って……」   心臓の鼓動が早くなっていく、蒲田にとって一之瀬という名字は忘れることが出来ない過去の記憶だった。 「ドンドンドンッ!」  突然玄関のドアが激しくノックされた、安っぽい木で出来た扉が軋んで壊れそうな勢いだ。 「敦くん、開けて」    愛美の逼迫した声を聞いて急いで蒲田は扉を開けた。  「どうした――」  蒲田が言い終える前に愛美が玄関に滑り込んでくると後手で鍵を締める、旅行にでも行くのだろうか。大きな鞄を持っていた。 「急いで荷物をまとめて、早く」 「え?」 「いいから早くこの家を出るの、もう戻らないから必要な荷物だけまとめて、理由は後で説明する、今は時間がないの」   愛美はそう言うと蒲田の洋服を旅行用の鞄に詰め始めた、訳が分からずに荷物をまとめ終えると彼女が踏み込んでから十分もたたずに家をでた。 「ちょっ、どこ行くんだよ」 「なるべく遠くよ」  愛美は大通りにでてタクシーを拾うと東京駅までと運転手に告げた、タクシーの中でも何も話そうとしないので蒲田は先程見たニュースの話を切り出した。 「さっきテレビに社長が――」  すると愛美は唇に人差し指を当てて厳しい眼差しでコチラをみた、どうやら何も喋るなと言うことらしい。   東京駅のロータリーでタクシーを降りるとトランクから荷物を取り出して駅構内に足早に入っていく、愛美は新幹線乗り場で切符を購入すると蒲田に一枚渡した。 『東京ー新大阪』  どうやら目的地は大阪のようだが観光って雰囲気ではない、愛美のタダごとでない行動に蒲田はもう何も口を出せずにいた。  新幹線の中でも愛美は何も話そうとしないので蒲田はもう一度、先程のニュースを思い出してスマートフォンをポケットから取り出してネットに繋ぐとヤフーニュースのトップにその事件は取り上げられていた。  記事の概要では一昨日の未明に長野原警察署に入電があった、伊東陽一郎と名乗る男から「人を殺しました」と通報があり地元警察官が駆けつけると、そこにはナイフで刺殺された男性二人と首を絞められて絞殺された女性、それに四肢がバラバラにされた幼児の傍らで呆然とする伊東陽一郎が座り込んでいたという。  その場で伊東は逮捕、長野原警察署に連行されて事情聴取を受けているが「殺したのは一人だけ」と供述しているらしい、女性と幼児は伊東の妻と娘とみられ詳しい事情は調査中とのことだ。  コチラのネット記事には伊東陽一郎の写真が掲載されていたがなぜか中学生の頃の写真だ、汚いニキビ跡に不気味なニヤケ顔は間違いなく蒲田が知っている伊東だった――。 『新大阪〜新大阪〜』    三時間近くかかってやっと新大阪にたどり着いた、蒲田は車中いろいろと考えを巡らせてみたが皆目検討が付かなかった、いったい愛美はどこに連れて行こうとしているのだろうか。  新大阪を降りるとまたすぐにタクシーに乗り込んだ、有名なビジネスホテルの名前を告げると陽気なタクシー運転手はあれこれと質問してきたが愛美は一切答えない、こんなに愛想の悪い彼女は初めてだった。  無人のチェックインを済ませて部屋に入るとベットが二つと小さなデスクに椅子が一脚、狭い部屋の割にやたらと大きなテレビが壁に掛かっていた、二つ並んだベットをみてドキリとする。もしかして同じ部屋に泊まるのだろうか、付き合って三ヶ月になるがいまだにキスもしていない。  やましい心根を見透かしたように愛美が口を開いた。 「ツインしか取れなかったの」    そう言うとベットに腰掛けて足を組んだ、なんだか今日の愛美は態度がでかいというか、良く言えば男らしい振る舞いだった。 「そろそろ話してくれるんだろうね?」    蒲田は椅子に腰掛けると愛美の方を向いて問いかける。 「ええ、話さなければならないわね、全てを……」    何から話そうか悩んでいるのか、愛美は部屋の中空を真っ直ぐ見つめたまま動かなかった。 「まず私の名前は藤堂杏奈、二之宮愛美は偽名よ」 「へ?」  自分でもマヌケな声が出てしまった事に気づいた。 「質問は後にして、混乱するならメモして」    デスクの上にはメモ帳とボールペンが備え付けられていた、それを使えと言うことだろう、蒲田はメモを取る準備をすると愛美に先を促した。 「社長の本名は一之瀬明さん、そして十六歳で自殺した娘の名前が一之瀬葵、私の親友だった人」 「イチノセアオイ……」 「伊東陽一郎とあなたに殺された一之瀬葵よ」  ペンを持つ手が震えて何も書くことが出来ない、忘れようとして心の奥底に閉まっておいた記憶が呼び戻される――。

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第二十一話 過去の記憶