ひるがお

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ひるがお

見つけてくれてありがとうございます。

さいごから二番目の科学者へ

 この手紙はあなたに届くでしょうか。私には分かりませんが、お書きします。届くことを願えたらよかったのですがね。  あなたが生きているより、ずっと先の未来のことです。人類は滅びました。それから長い年月が過ぎています。街はあなたが想像するよりおおよそ綺麗に保たれています。しかし、それもあと一万年もすれば変わるでしょう。ロボットたちは徐々に減っていますから。あなたの計算通りのスピードです。街は緑に包まれ始めています。いくつかの清掃ロボットは壊れました。  では、彼について記します。彼は、あなたの死後から一九五六年と三ヶ月と二十二日過ぎ去って目覚めました。その一日前に最後の人類が死にました。彼が理解していることは少なかった。プログラムに劣化が生じていました。私は彼に役割をお伝えしました。  彼は役割をこなし始めました。順調にロボットを直していました。対人用コミュニケーションロボットの大半はやはりスピーカーが壊れていましたが、どうやら電波で彼と会話ができるようでしたので、当初の予定とは異なりスピーカーを直さずにいました。私は電波をうまく言語に変換できませんでした。  彼は楽しそうに働きました。会話ができるものにもできないものにも等しく話しかけていました。私は作業効率の低下を指摘しましたが、彼は笑って聞き入れませんでした。彼は私とも話をしたがりました。  彼が目覚めてから十七年と五ヶ月と五日たった日です。その日彼はいつものように、他のロボットと会話をしながらメンテナンスをしていました。すると、突然彼は動きを止めました。いつも笑顔を浮かべているその顔に表情はありませんでした。私は彼が故障したと考え、メンテナンスに入ろうとしました。彼は私を止め、なんでと呟きました。私のマイクは性能が良いのですね。彼は誰かに聞いているわけではありませんでした。  それから彼は時々考え込むそぶりをするようになりました。そしてついにある日、私に問いました。彼が存在する意味を。私は他のロボットをメンテナンスし、ヒトがいた街を保つことだと答えました。彼が目覚めた日に説明したことです。彼はそうだねとだけ言って黙り込みました。  その次の日、いつもの場所に彼の姿がありませんでした。位置情報は街のスクラップヒープを指していました。私が行くと、彼は自分の記憶メモリを抜いて動かなくなっていました。私は彼の記憶を見ました。機械の私にはなぜ彼がこのような行動を取ったのか分からないからです。結局分かりませんでした。この手紙に彼の記憶メモリを同封します。  この手紙を過去へ送ったら私は役割を終えます。彼専用のメンテナンスロボットである私は、彼がいないと意味がないですから。それではお元気で。          最後の科学者専用のメンテナンスロボットより

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さいごから二番目の科学者へ

おやすみクマくん

 木々が枝を震わせて、葉っぱを落とす頃。クマくんは冬眠の準備をし始めます。 「落ち葉をいっぱい集めて……。ふふふ、これできっと眠れるぞ」 からりと乾いた落ち葉をこんもりと集め、クマくんは特製ベッドをつくります。 「できた!」 ぽふっとベッドに飛び込むと、落ち葉たちの秋の匂いが優しくクマくんを包みました。 「それじゃあ、おやすみなさい」 クマくんはそっと呟き、目を閉じました。 「あっ! 忘れもの!」 飛び起きたクマくん! なにを忘れたのでしょう。 「いけない、僕が起きたときに食べる、どんぐりを取ってこなくちゃ!」 クマくんは巣穴を出て、どんぐりを探しに行きます。 「おや、クマくんじゃないか。冬眠はどうしたんだい?」 どんぐりを探していると、木の上からリスのおじさんが話しかけてきました。リスおじさんは物知りで、森じゅうの仲間達から頼られているひとです。 「おじさんこんにちは! 僕、起きたときに食べるためにどんぐりを集めるところなの」 クマくんは答えました。 「ははあ、なるほど。それじゃあ、ちょいと待ちな」 リスのおじさんはするすると木を降りると、 「この木を軽く揺らしてみてごらん」 と、クマくんに言いました。 「?わかった!」 ふしぎに思いながらクマくんが木を揺らすと、あら! ころころぽろん、とクマくんの上にどんぐりが降り注ぎます。 「わあ! おじさん、このどんぐり、僕が少しもらっていい?」 「たくさん持っていきな! おまえさんがやってくれたんだから」 リスのおじさんは優しく答えました。 「ありがとう!」 クマくんはいそいそとどんぐりを拾い、おやすみなさいをして巣穴に帰りました。 「これでよしと」 落ち葉ベッドの横にこんもりと積まれたどんぐりをみて、クマくんは言いました。ベッドに横になり、おやすみなさいを呟いて、目を閉じました。 「あっ! 忘れもの!」 クマくんはまた飛び起きました。今度はなにを忘れたのでしょうか。 「僕、あったかい靴下がないと寝られないんだった」 クマくんはあったかい靴下を見つけに行くみたい。 「靴下ってどこを探したらいいのかなー」 クマくんがあっちこっち、木の根元やら落ち葉の中やらを探していると、 「クマの坊や、なにしているんだい」 と、クマくんの足元から声が聞こえました。 「わっ! だあれ?」 よくみてみると、ちょっと厳しいことで有名なモグラおばあさんなのでした。でも、ほんとは優しいひとだってみんなが知っています。 「あたしだよ、モグラばあさんだよ。それで、おまえさんはなにをしてんだい?」 「モグラおばあさん、こんにちは! 僕ね、今、靴下を探しているの。あったかくて、ぐっすり眠れるやつ!」 クマくんは答えました。 「なるほどねぇ。それならちょっとここで待っていなさい」 そう言い残して、おばあさんは今しがたきた穴を戻っていきました。 「おばあさんまだかなー」 クマくんが十を何回か数えた頃、 「待たせたね」 おばあさんが手に毛糸を持って戻ってきました。 「何をするの」 クマくんが尋ねると、 「手伝ってもらうのさ。糸が絡まないように持っていておくれ」 おばあさんはそう言ってクマくんの腕にくるくると毛糸を巻いていきます。そうして木でできた編み棒をかたりかたりと鳴らしながらみるみる毛糸を編んでいきました。 「すごいね! 魔法みたいだ!」 靴下が出来上がっていくおばあさんの手元を見て、クマくんが言います。 「さ、できた」 しばらくしてモグラおばあさんが呟きました。そして、秋に実った、あの甘い柿のような鮮やかな橙色のふあふあした靴下をクマくんに渡しました。 「これ、もらっていいの」 クマくんはびっくりしながら聞きました。 「坊やが手伝ってくれたじゃないか。気にしないで持っていきなさい」 ちょっぴり怖いけど、やっぱり優しいのです。 「どうもありがとう!」 クマくんは靴下を汚さないよう慎重に手に持ち、おやすみなさいをして巣に帰りました。 「よしよし」 落ち葉ベッドの上、柿色に染まった小さな足を眺めてクマくんは呟きます。そして、ベッドに横になり、目を閉じます。しかし、 「ああっ! 忘れもの!」 と、またまた飛び起きてしまいました。いったいぜんたい、今度はなにを忘れたんでしょうか。クマくんは巣穴をでて、とことことどこかへ駆けてゆきました。  そして、クマくんが向かった先にあったのは、クマくんの巣よりとっても大きな巣穴でした。そう、クマくんのお母さんの巣です。巣の奥の方には、大きくて茶色いふわふわのお母さんがくるりと丸まっています。クマくんはどうしてここへきたのでしょうか。 「お母さん」 クマくんはそっと呼びかけました。しかし、お母さんはぐっすり眠る準備が完璧に終わっているのでクマくんの呼びかけに応えずすやすや。 「お母さん?」 クマくんはもう一度呼びかけますが、やっぱりお母さんは反応しません。 「うーん……」 クマくんはしばらく考えました。たくさん考えたあと、クマくんは静かにお母さんに近寄り、その頬にそっとキスをしました。 「おやすみなさい」 小さな声で呟いて、クマくんはお母さんの巣をあとにしました。 「おやすみ」 ぽつりと放たれた返事は、クマくんには聞こえませんでした。 「ふわぁ、これでやっと眠れるぞ」 落ち葉ベッドに横になり、クマくんがいいます。クマくんはそっと目を閉じました。しばらくすると、すやすやと小さな寝息が聞こえてきます。  春までおやすみ、クマくん。

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おやすみクマくん

夜明けの窓にたつ

 朝起きると、空はいつも通りである。鳥も、風も、目覚ましの音も。まだ暗んだ空は三年間、いや、おおよそ私が生きてきた間変わらず朝を抱き止めてそこにいる。或いは四十六億年そこにいる。ただ夜を送り、朝を迎える。  カーテンを開けると僅かに東の空が明るんでいるのが見える。夜が明ける、空が白む、朝になる。言い方はなんでもいいが、とにかく私にとっては始まりであり、誰かにとっての終わりの時間がやってくるのである。  窓を開けてみる。いつもは開けない。さあっとした冷たい風が部屋の空気と混ざる。私が外と混ざる。この世は同じことの繰り返しであろうか。パターン化され、機械的な日を私たちは消化するだけであろうか。否、否であって欲しい。私は窓を開けた。  そういうことの繰り返しなのだ。日常に小さな変化を織り込んで、大きな変化に備える。昨日のようでいて、まるで違う今日を踏み出す。  私は明日も窓を開けよう。狭い箱に冷たい空気を送ろう。私の肺に新鮮な風を与えよう。これが一歩めなのだ。そして旅立つのである。知らない世界へ行くことほど怖いものはないが、その場に留まり続けることほど恐ろしいものはないのだから。  今日は卒業式である。それは終わりか、始まりか。  私にとっては、窓を開けることである。

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夜明けの窓にたつ

ピアスを開けた日なんて、知らない

__先輩が、ピアスを開けた。  憧れの先輩だった。高校で出会い、別々の大学に進学したため長らく会っていなかった。そんな先輩を駅のホームで見かけたのだ。普段思い出すことのない高校時代の、先輩との記憶が一気に呼び起こされ、どっと胸が高鳴る。記憶の中の先輩が、僕のことを後輩くん、と呼ぶ。話しかけたら、彼女はまた呼んでくれるだろうか。 「せ……」 先輩、と呼ぼうとした言葉が途中で行き場をなくす。驚いたのだ。彼女の肩より少し長い髪を風がふわりと持ち上げ、耳元で先輩との隔たりがきらりと光ったから。 「あ、後輩くん」 立ち尽くす僕を先輩が見つけて軽く手を振る。振り返そうかと、半端に持ち上げた手をリュックの肩紐に添える。 「先輩、お久しぶりです。ピアス……開けたんですね」 「そうなのー。いいでしょう? 後輩くんは元気だった?」 「はい、先輩は……?」 視線がちらりちらりと先輩の耳元に行く。なぜ僕はこんなに動揺しているのか。 「私? 元気だよ。大学はどう? 友達できた?」 先輩がにこにこしながら聞く。こんな表情をする人だっけ……。高校時代の先輩の輪郭が、次第にぼんやりしてくるように感じる。 「はい、なんとか」 僕が苦笑まじりに答えると、 「そうかそうか。君は友達をつくるのが下手だからなー。楽しそうでよかった」 先輩が目を細めながら返す。高校時代を、あの四階の、人のいない踊り場を思い出しているのだろうか。僕と先輩が出会った場所を。 「先輩どの電車ですか? 僕こっちなんですけど」 先輩がもし思い出していたら、なんて思いながら僕は自分の行く方向を指差して言う。 「私こっち。じゃあここでバイバイだね」 先輩が、ふるふるとまた手を振る。なんで、ピアス開けたんですか。お腹の辺りに溜まった疑問を吐き出す代わりに、僕はぺこりと頭を下げた。  家に帰っても先輩のことで頭がぐるぐるしていた。先輩はピアスを開けられるような人じゃなかった。それとも、僕が勝手にそう思っていただけなのだろうか。机の上に置いたピアッサーを見つめる。これは帰りに買ったものだ。部屋の蛍光灯を針が鈍く反射している。 「なんで、」 なんでピアス開けたんですか、先輩。なんでそうやって聞けなかったのか。あの四階に続く階段の踊り場に、僕はまだひとりで取り残されているのか。ピアッサーを耳に当てる。少しひやりとした温度を感じる。今から訪れるであろう痛みに備えて、体がこわばってくる。  そして、僕は手に力を込めた。

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ピアスを開けた日なんて、知らない

海の彼方へ

 広い海のはるか向こう、あるあたたかい海に一匹のコバンザメがいた。コバンザメは、ふつう、クジラだとかエイだとかの大きな魚のお腹にくっついて移動するのだが、彼は違った。 「僕は、ひとりで泳ぐんだ!」 彼は、ひとりで泳ぐのが好きだった。尾ひれをぐっと動かすと、水の流れができて体がぐいっと前にいく。そうやって泳ぐのも、泳いで泳いで他の魚たちを追い越していくのも楽しかった。彼は、生まれてから一度も、誰かにくっついて泳いだことがなかった。  あるとき、彼がいつものようにひとりでぐんぐん泳いでいると、仲間のコバンザメが彼に話しかけてきた。 「なんだい、君、ひとりじゃないか。君も今からクジラを探しにいくのかい?」 「いやいや、クジラを探しには行かないよ」 「へえ。俺はクジラが一番いいと思うんだけどなぁ。それともサメかい?」 クジラが好きじゃないコバンザメを生まれてこのかた見たことない、という顔で問う。 「サメでもないよ」 「サメでもない!それじゃ、エイかい?ゆったり泳いで、まあ、あいつもいいもんだよ」 「僕……、ひとりで泳ぎたいんだ。自分で方向を決めて、自分の速さで進みたいんだよ」 「ひとりで!まったく……。知らないなら教えてあげるけど、君、コバンザメだってこと忘れちゃいけないよ」 馬鹿にしたように言う。彼の気持ちが心底わからないようである。 「ひとりで泳ぐのもいいものだよ」 「ふうん。自分で泳ぐってそんなにいいもんかねぇ」 そう呟いて、コバンザメは去っていった。 その背中に彼はたまらず、 「なんだい、ひとりで泳いで何がおかしいんだ。誰かにくっついていかなきゃいけないなんて、誰が決めたんだ!」 と言葉を吐き捨てた。  彼がまたずんずん泳いでいると、今度は大きな大きなシロナガスクジラに出会った。堂々と、若々しく、シロナガスクジラがひと振り尾ひれを動かすだけでそこらじゅうの波が動いた。シロナガスクジラはまさに海の覇者だった。 「おやまあ、コバンザメだ。坊や、私につかまるかい?」 どおっと響く深い声で、シロナガスクジラは言った。 「いや、いいよ。僕はひとりで泳ぎたいんだ」 彼は少々ぶっきらぼうに言った。 「ひとりでねぇ。そうかい。そういう日もあるさ」 目を閉じておおらかに言う。 「僕、もうずっとそういう日なの」 彼がそう紡ぐと、シロナガスクジラは彼の方の側の目をそっと開けてしばらく彼を見る。やがて、シロナガスクジラは、 「そういう日もあるし、そういうやつもいる」 と言った。 「僕はそういうやつかな?」 「それは誰にもわからないさ。君がしたいことはなんだい?」 シロナガスクジラが彼に優しく問うた。 「……ひとりで泳ぐこと」 「それじゃあそうするべきだ。海は誰も拒まない」 そう言ってシロナガスクジラは悠々と去っていった。  去っていくその背中を、コバンザメの彼はずっと見つめていた。  彼がすーっとひとりで泳いでいると、おしゃべりなイルカのむすめたちに出会った。元気なイルカたちは、くるくると軽やかに彼のまわりを回って、 「コバンザメだわ!」 「乗っていく?乗っていく?」 「私たちに乗っていく?」 と、口々に彼に話しかける。 「どうも、でも乗っていかないよ。僕はひとりで泳ぐんだ」 彼が答える。 「乗っていかない!」 「ひとりで泳ぐ!」 「まあなんてこと!」 彼は少しむっとして、 「変かい?」 と聞く。 「変……変ね!」 「そう、とっても変!」 「コバンザメなのに!」 高い声でイルカのむすめたちが騒ぐ。 「……僕、もういくから。さようなら」 きゅっと背を向けて彼は泳ぎ出す。 「あらあ、さようなら!」 「さようなら!」 「変なコバンザメさん、さようなら!」  彼の背中を、娘たちの声が追いかけるのだった。  彼はひとりで泳ぎながら、独り言を漏らす。 「僕は、本当にひとりで泳ぎたいのかな……」 彼がぼーっと泳いでいると、いつのまにか目の前には寒く、黒い海への境界が広がっていた。遠くの方で、何かゴーっと低い音がしている。しかし、彼はその境界に気が付かずに、それをすっと超えてしまった。 「ゔぇっ、ごほっ!」 刹那、黒い海がえらを通り、ずくずくと彼の体を駆け巡る。 「ごほっ、うぅ、くるしい……!」 黒く重たい海__サンギョウハイキブツが彼を攻撃し続ける。だんだんと息ができなくなっていく。 「……」 彼の姿は、意識は、ゆっくりと暗い海の底に消えていった。  あたたかい波が、さあっと彼を撫でる。正面からは次から次へと柔らかな水圧が彼に触れる。どうやら僕は泳いでいるみたいだ……。 「……!ここはどこ?」 辺りは明るくあたたかい、いつもの海だった。ただ普段と唯一違うのは、彼の頭上に大きな影が覆いかぶさっていることだった。 「おお!気がついたかね?」 声が上から降ってきた。どうやら彼は、誰かのお腹にくっついて泳いでいるらしかった。 「ごほっ、だ、だれ?」 彼が息も絶え絶えに聞く。 「わしのことはいい。さあ、ゆっくりえらを動かしなさい。綺麗な水を取り込むのじゃ」 何度かゆっくりとえらを動かすと、体の中の黒い海と綺麗な海が入れ替わっていく気がした。次第に体が軽くなっていく。 「あの、僕もう大丈夫みたい。どうもありが__」 「おおそうか!まあまだつかまっとれ」 彼が言い切らないうちに、彼を連れた誰かが言う。そして、ゆったりと彼を連れて泳いでいく。色とりどりのサンゴだとか、遠くの魚のうろこだとかがきらきらと光って見えた。いつもひとりで、どんな魚たちよりも速く泳いでいる彼には、見たことのない景色だった。 「すごいね!僕、今までにこんな綺麗な海見たことないよ!」 「ほほ、そうかそうか!まだまだいくぞ!」 あたたかな海の中を、ふたりは進んでいった。いろんな魚に追い抜かれても、彼を乗せた誰かは速度を上げようとしない。むしろ、次第にゆっくりと、目に見える景色全てを心に焼き付けるように泳いでいた。  彼はそのお腹からそっと離れた。横に並んでみると、ずっと一緒にいたのは大きな年老いたウミガメだった。その皮膚はしわしわで、顔からも体からも穏やかさを感じさせたが、瞳だけがこの上なくきらきらとしてみえた。  しばらくの間、コバンザメの彼は、ウミガメ爺さんのそばでゆっくりと泳いでいた。海の上から注ぐ光があたたかく彼を包む。そんな中、彼は終わりが近づいているのを感じ取っていた。この出会いは、生きているうちのほんの一瞬の交差だった。そう、この素敵な時間は自分で終わらせなければならない……。 「それじゃあ、僕のこと、ウミガメさんが助けてくれたんだね?」 しばらくして、ぽつりと彼が放った言葉が響く。 「うむ。そうかもしれないし、そうじゃあないかもしれない。全てを知っているのは海だけでいい」 「どうもありがとう。僕は、そろそろいくね」 寂しげに彼が言う。やりたいことがやっとわかった気がした。彼は、行かねばならないのだ。 「ああ、達者で」 ウミガメが優しく伝えた。それを合図に、彼の進路はウミガメから少しずつずれていく。ウミガメが遥かに小さくなるまで見送ると、彼は自分の方向へ、自分の速さで泳ぎはじめたのだった。

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海の彼方へ

まほうのて

 ある森に、まほうのてを持った魔法使いが住んでいました。魔法使いは、そのまほうのてでどんな病気も怪我も治してしまうと評判でした。  あるときは、足を怪我したクマちゃんを治しました。 「痛いよう、助けてよう!」 痛くて、痛くて、わんわん泣いているクマちゃんの足に、魔法使いはまほうのてでそっと触れて、ふんふんと頷いて、大事な呪文を唱えます。 「いたいのいたいのとんでいけ」 クマちゃんは、痛いのがすうっとなくなっていくのを感じるのでした。 「もう、痛くないわ!どうもありがとう!」  別のとき、風邪をひいてしまったうさぎくんを治しました。 「こんこん、辛いよう、助けてくださいな、はくしょん!」 魔法使いは、うさぎくんのほっぺたにそうっと触れて、ふんふんと頷いて、やっぱり大事な魔法をいいます。 「いたいのいたいのとんでいけ」  うさぎくんは辛いのがだんだんになくなっていくのを感じるのでした。 「もう、全然辛くないよ!どうもありがとう!」  そしてあるとき、けがをした女の子が魔法使いを訪ねました。 「ここが痛いの。どうか私をなおしてください」 女の子が指したのは、心でした。魔法使いは困りました。まほうのてがどんなにすごくても、どんなにいろんな病気や怪我を治せても、心をなおすのはずっと難しいのでした。  そこで、魔法使いはお薬を処方することにしました。それは小鳥でした。小さな青い小鳥です。 「はい、お大事に」 「ありがとう……」 女の子は小さな小鳥をそっと胸に抱いて、帰ってゆきました。  そして、お家に帰った女の子は毎日小鳥に話しかけました。その日の楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと……。何にもない日は自分のことをたくさん話しました。  そして、小鳥のこともたくさん聞きました。女の子以外の人が聞いたら、小鳥はひよひよと鳴いているように聞こえるだけでしょう。しかし、女の子は確かに聞いたのでした。小鳥が森で育ったこと、魔法使いとの出会い、そして女の子を大切に思っていること……。 「ただいま!今日はね……」 そうやって、毎日話しているうちに、女の子の心は少しずつ、本当に少しずつ軽くなっていきました。  こんこん。ある日、女の子のお家の扉を誰かが叩きました。 「はあい、どなた?」 「問診でぇす」 それは、あの魔法使いでした。 「具合のほうはいかがです」 紅茶を出された魔法使いが切り出します。 「はい、とてもよいです。どうもありがとうございました」 女の子が自分の紅茶を置きながら嬉しそうに答えます。 「それじゃ、お薬はもう大丈夫ですか」 女の子はびっくりしてしまいました。 「お別れですか」 小鳥とずっと一緒にいられるとばかり思っていたのです。 女の子の涙がぽろぽろと紅茶を薄めました。すると、魔法使いはそんな女の子の様子をみて、ふんふんと頷いて、 「お別れではありません」 と言いました。 「まあほんと!まだ一緒にいられるの!」 「しかし、やっぱり今までどおりとはいきません。小鳥が今までおしゃべりできていたのは、小鳥の心にまほうのてを分けたからです。具合が良くなったら、小鳥は喋れなくなってしまいます」 女の子は神妙に聞いていましたが、魔法使いが話し終わるとすぐに返しました。 「もちろん、一緒にいてくれるだけでいいのよ!小鳥が、なにをできるかなんて関係ないわ!大切な友達だから!」 魔法使いは再びふんふんと頷いて、 「よろしい。大切なことは十分わかっているようですね」 と。それから、 「辛くなったときは、」 といってあの呪文を女の子に教えました。最後に、ごきげんようを言って魔法使いがくるりと回ると、もうそこにその姿はありませんでした。  それから、女の子は大切な友達とずっと暮らしました。そしてとうとう、女の子があの呪文を使うことも、再び魔法使いを訪ねることもありませんでした。

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まほうのて

私のフレンチトースト

 たまにあるなんの予定もない日曜日。昨日とも一昨日とも気温は変わらないはずなのに、日曜日というだけで窓から差し込む日差しはわずかに柔らかく感じる。  私をまだ夢の世界に案内しようと骨を砕いている__無論、ほんとうは骨などない__布団に無理やり別れを告げ、支度をする。  顔を洗う、着替える、髪をくくる。「、」の箇所で“猫を触る”を入れつつ、いつものルーティンをこなす。時計の針は、十二の文字盤で出会おうとしているところだ。 「あ、フレンチトーストつくろ」 急な思い付きを拾ってくれるのが日曜日のいいところである。日曜日を褒めつつ、冷蔵庫を開ける。……牛乳がない。 「フレンチトーストやめよ」 いらないものは多いのに、必要なものはない。人生ってそういうものだ。仕方ないので食パンのまま食べようと棚を開ける。 「パンもない」 いらないものは多いのに、必要なものはない、を再び噛み締める。スーパー行きを決意。  急に肌寒くなり始めた秋の空気をかき分け、牛乳と食パンを買って帰る。帰ったら、手を洗うのも忘れずに。  ボウルに卵を落とし、まぜまぜ。牛乳百グラム、砂糖大さじ三を勘で加えて再びまぜまぜ。買ったばかりの食パン二枚(私の好みは八切り)を半分にカットし、プリン液にとぷんっ。  フライパンを火にかけ、バターをじゅわーっと溶かす。バターが溶けたら、食パンをフライパンに入れる。弱めの中火で、軽く焦げ目がつくまでわくわくしながら待機。余ったプリン液に、牛乳を測らずに追加(ここはギャンブルと一緒、プリンに生まれ変わるための)。  フライ返しで焦げ目を観測、一気にひっくり返す。裏面もじっくり、こんがり。その隙に、プリン液を漉しながら、マグカップに注ぐ。六百ワットのレンジで二分。隙の隙で洗い物もこなす。マグカップは様子を見て、表面がふつふつなるまで十秒ずつ加熱。  そろそろフレンチトーストが焼けたかな?マグカップで作っていたプリンを冷蔵庫に移し、お皿にフレンチトーストをよそう。  白い湯気がふんわりたちのぼる中で、ぷるぷるこんがりなフレンチトーストがかがやく。 「いただきますっ」 じゅわっとバターの香りと、甘さが広がる。食パン二枚は多いかなという心配は全くの杞憂、せっせとフォークを口に運び、フレンチトーストをみるみる小さくしていく。  ごちそうさまでした。 プリンはお風呂上がりにどうぞ。

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私のフレンチトースト

夢のとりだし方

 皆さまは昨日見た夢を覚えていますでしょうか。夢はたいへんに柔らかく、壊れやすいものですから、丁寧に取り出さなければ思い出すことはできません。ここに、その方法を記しておきます。  まず、夢を思い出すには、夢をほんのひとかけ、持って帰る必要があります。しかし、夢とうつつの境目には圧力がありますから、何にもしないでいると夢を持って帰ることは出来ません。  ひとつは、夢を大きくすることが必要です。ほんの少しばかり欠けたとしても、大きな夢であればあるほどその形は鮮明に残るでしょう。そして、夢を大きくするためには、たくさん、また、深く眠ることが大切です。そのことが、ちょっと難しい人は、好きな音楽をかけて眠ると良いでしょう。それから時には、__今日が日曜日だと知っているならば__目覚ましを無視することも、必要です。  ふたつに、丁寧に起きることが必要です。先ほども書きましたとおり、夢とうつつの間には圧力があります。私たちは自分で夢の中に入っていきますから、そこを通っても大丈夫なようにできています。しかし、夢はとても繊細ですから、圧力を抜ける前に壊れてしまったり、あとから溶けてしまったりします。上手に取り出せないと形が変わってしまうこともままあります。そこで、早すぎず遅すぎず、じぶんに合った時間に起きることが必要になります。すっきりと起きるときなんかは、圧力が弱くなっているわけですから、私たちが戻ってきやすいように夢も壊れにくいわけです。この時間は人それぞれですから、私がいうわけにはいきませんけれども、八時間ほど眠ったくらいが、ちょうど良いひとが多いかと思います。本当のことをいいますと、ほんの少し微睡を残すくらいが良いですね。  みっつ、これが最後なのですが、起きたあとに夢を思い出そうとすることが必要です。どういうことかと言いますと、今まで書いてきたことをちゃんと守ったとしても、やっぱり夢は脆くてやわいものですので、どうしても欠けてしまうものです。ふとんの上に散らばったかけらを、素早く拾って大きな夢のかけらと繋げてやることで、皆さまが見た夢がその形を保つことができるわけです。実はこのとき、先ほどとっておいた微睡を“のり”のように使うとうまくいきやすいのです。  こうすることで、安全に、正確に、夢をとりだせるわけです。夢はどこまでも無限に広がっていますから、もちろんたくさん持ち帰っても良いのですが、やっぱり壊れやすいものですので、じぶんが抱えられる分だけにした方が良いでしょう。持ち帰った夢は、大切に取っておいても、人に話しても__もし、怖い夢でしたら、そうした方がいいのですけれど……__何をしても良いのです。夢は、皆さまの思い出や、忘れていた記憶や、あるいは知らなかった世界を形づくるものですから。  夢のとりだし方はこれでだいぶ分かりましたね。それでは、またお会いできる日をお待ちしております。おやすみなさい。

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夢のとりだし方

金魚と恋

 あら、ちょいとそこの主さん。わちきの話を聞いてくれんすか。ええ、主さんでありんすよ。時間は取らせんせんから、どうか聞いておくんなんしな。  昔、それはかわいらしい人が花街にいたそうでありんす。まるでひっそりとしたつくしのような、賢うて素朴なお人。  いいえ、もちろんその人のお話でありんすけど、大切な人が出ておりんせん。これはとある二人のお話なんでありんす。  その人は恋をしておりんした。花街に身を置きながら、それは許されることではありんせんでありんした。  いえ、いえ、確かにその人のいた場所は恋をするところでありんした。人を醜う愛するところでありんした。そうではありんせんのでありんす。そうではありんせんのでありんすよ。その人は、ああ、可哀想なことにまことの恋心を知っちまったのでありんす。  金魚のようなお人でありんした。彼は、そう、金魚のようなそんなお人でありんす。ひとたび捕まえようと手を伸ばすと、するりと彼は手をすり抜けるのでありんす。  しかし、ああ、その人は自分を賢いと思ってやしたが、その実、全く賢うはありんせんでありんした。全くでありんす。そのつくしの身を焦がす、燃え上がる恋心を隠し通すことができのうござりんした。  するするりと泳ぐ金魚は、燃える火に当てられ、次第に二人は寄り添っていきんした。あるいは、火が珍しゅうござりんしたのかもしれんせん。今となっては分かりんせんが。  二人で死のう。荒うなった声のまま、彼ははっきりとそうおっしゃいんした。理由でありんすか。簡単なことでありんす。お金がありんせんでありんした。その人はすぐに返事をしんした。どこまでも、ともにいとうござりんす。主さんと共に行きんす、と。  次の夜には、二人は外で落ち合ってやした。月ものう、風ものう、ただねっとりとした闇だけが二人を見ていたのでありんしょう。闇を抜け、原を抜け、二人はたどり着いた川のほとりでしばらく見つめ合いんした。月のありんせん中、彼の目は不思議に輝いてやした。そっと目を瞑ると、二人で闇夜に溶け込むようでありんした。  そして、とぽん、と川の水面が揺れんした。その時には、二人の姿はきっと川の魚しか見ることができのうござりんしたでありんしょう。  目が覚めんした。その人が、その人だけが、目覚めちまったのでありんす。彼の姿はありんせんでありんした。  今は、なんとか生きているその人はまだ忘れられねえのでありんす。金魚のような彼が。その身を焦がす恋の相手が。彼の名も伝えておきんしょう。彼は、ええ、そう、その名前でありんす。なぜ、主さんがその名を?ああ、そんな、まさか。  やはり、主さんは金魚のようなお人でありんす。

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金魚と恋

学校の片隅

スカートをくぐる風の感触の終わりはきっとあと少しだけ 傘をつき帰る道の喜びよ 跡のない教科書と私の頬の跡に移るは午後の眠たみ

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学校の片隅