創作をしましょうというはなし

創作をしましょうというはなし
 私が何かを創り出せるとき、決まって気分が決まっている。それは大まかに分けると、プラスの気分のときとマイナスの気分のときだ。他には何もないときがある。何もないときは何も創り出せないということである。  プラスのときに創り出すと、世界が広がる感覚がある。私という体積がほんの少しだけこの世に増える。増えた分が世界の枠を押し出し、元からの物質とぶつかり融合し、あるいは離れていって徐々に新しい空間に落ち着いてゆく。  マイナスのとき、これはエネルギーがないのではなく、負のエネルギーが溜まっているときである。このときに創り出すと、私が減っていく感じがする。魂や気力がどんどんどんどんすり減って、目の前のものに注ぎ込まれてゆく。捩れて絡まってくっついて離れて、形が落ち着く。  何にもないときは二種類ある。それぞれ緊張的平たんと緩和的平たんとしよう。  緊張的平たんな気分のとき、これはゴム膜がピンと張っているイメージである。周りへの感受が素早くできる状態。とんっと何かがぶつかったとき、すぐにプラスかマイナスに振れる状態、それが緊張的平たんな気分だ。しかしこのときは何もかけないのである。むしろ一番つらいのである。  緩和的平たんな気分のときは、もうお分かりだと思うがさっきと逆で感受性が緩んでいるということだ。しかし、ぼーっとする時間は人生に非常に大切であるのでこれは焦ることはない。私は焦らない。  この分類は、“あくまでも私の場合は”という前提があるわけだが、おそらく大体の人に当てはまるのではないかと考えている。  さて、綺麗な結論を言ってしまうと、別にどの状態がいいというわけではない。どれも人生に大切な時間であり、何かしら得られるものがある。  では、ここまで長々と説明しておいて私は何が伝えたいのかというと、何かをつくりだすことを時間の使い方の選択肢に入れて欲しいということだ。  特にマイナスのときである。マイナスのときに創作することは私が減ることだと上記で説明したが、この減るもの、つまり創作のエネルギーにうまく負の感情だけ使うのだ。こう書かれると或いは難しく感じられるかも知れないが、何のことはない。気分が悪いときに筆をとって、絵でも文字でも、何でもかけば良いのである。
ひるがお
ひるがお
見つけてくれてありがとうございます。 【投稿予定】 桃に見る彼方