じゃらねっこ
14 件の小説崇め讃えよ神竜を
私はこの世界で唯一の神竜という存在だ。私自身そう称したことは無いが、人間は私を神竜と呼ぶ。とはいえ、神竜とは名ばかりで、私は他の竜と比べ何かが特別であった訳では無い。唯一他の竜と違うのは、私がこの世界で最も長寿の竜であるということだ。故に、人は私を神竜と呼び、私は人を見守り続けている。少なくとも、人の間ではそうなっている。 一体、何人の同胞を見送ったのだろうか。私が竜として生まれ落ちたのは、もう今から数百を越えるほど前になる。我々竜は生まれ落ちたその日に自らの足で動き、身体の成長がある程度まで進むまでは、生みの親と生活を共にする。私がこの生で初めに見送った同胞は、生みの親だった。 我々竜は強靭で巨大な肉体を持つ生物で、その威厳ある姿と力の大きさは、竜の象徴とも呼ぶべきものである。そのような竜の生き方は、他の生物を狩ることで成り立っている。故に、その日も私は親と共に狩りをしていた。そんな時だった。物陰に隠れた複数の人間達が一斉に姿を現し、私達を取り囲んだ。人間は脆弱な生物であり、我々竜の敵では無い。だが、その者達は違った。よく見れば、それぞれが武装をし、臨戦態勢へと入っている。私達を目の前にして、腰を抜かす者は一人として居ない。それどころか、鋭く私達を見つめ、剣先を向けている。しかし、そのような些細な問題は、あの時の私達には目にも入らなかった。 巨躯を最大限に生かし前足で人間を凪ぎ払う。その一振を当たり前のように軽やかに躱すと、即座に踏み込み突進してくる。立て直す隙もなく剣を振るうと、その刃は私達の鱗を貫き傷を与えた。そこでようやく気が付いたのだ。何かが違う。我々竜の身体は硬い鱗で覆われ、並大抵の攻撃では傷の一つさえつくことは無い。しかし、奴らの剣はいとも簡単に私達の鱗を貫いて見せた。瞬時に響く咆哮、それは今しがた私の隣で剣を刺され、首を落とされんとする同胞。私の親であった。私は即座にその意味を理解した。そして、翼を広げ飛び去った。私は親の姿をそれ以来見ていない。きっと、もう見ることは叶わないだろう。 それ以来も、私は何度も何度も同胞を見送った。見事に首を一刀両断された同胞。一晩中身体に傷を与えられ、血を失い倒れた同胞。罠にかけられ、子と共に集団で叩きのめされた同胞。弓に目を潰され、何も見えぬまま意識を失った同胞。人の少女を庇い、自ら命を絶った同胞。質屋に竜の身体が切り分けられ、売られている姿や、人間の装備に我々竜の鱗が使われている。そんな同胞達を、私は見送り続け、生き続けた。そうしているうちに、私以外の同胞は殆どが滅び、私は数百という歳月を重ねていた。ただ人は私達を恐れ、憎み、時には快楽の為に、滅ぼし尽くした。私もいずれはそうなるのであろうと、半ば諦めていた。いや、そうなることを、同胞の元へと行けることを心のどこかで望んでいたのかもしれない。だが、数百を生きる私を、人は神竜と呼び、崇め、讃えた。何故だ。何故私は今、人から崇められ、讃えられ、敬われている。お互いの種の存続をかけ争い続けたというのに、何故だ。ただ、私は運が良かった。偶然にも生きながらえて、もうこの世界にも諦めがついたというのに、何を今更崇めると言うのだ。私は神竜などでは無い。ただ偶然にも生きながらえ、終わりを迎えられない憐れな竜だ。 私はこの世界で唯一の神竜という存在だ。私自身そう称したことは無いが、人間は私を神竜と呼ぶ。そんな私の前に、ある女が現れた。話を聞くに、過去に竜に助けられた家系の者らしい。その女曰く、神竜である私に恩を返したいとのことだ。私の望むことは出来る限り叶えると、そう言った。私の視界は酷くぼやけ、乱雑に弾けた光の中、重い口を開いた。 では一つ、頼みたいことがある。私が望むことはただ一つ、私を皆の元へ連れて行って欲しい。どうか、頼む。 それを聞き届けた女は、首を縦には振らなかった。ただ、それから女は私の元へと通い続け、この場所に花を植えた。献身的な世話を経て、見事な花を咲かせた。その間、彼女は一度たり、私を神竜とは呼ばなかった。 彼女はもう居ないが、私の周りには美しいトリカブトが咲いている。 数百を生きた神竜は、そっとそれらを飲み込んで、ゆっくりと目を閉じた。 後に人々は、その地に大きな墓を立て、聖地として信仰し続けていると言う。その地に埋まった竜の身体は、その地を潤し緑を与え、色とりどりの花を咲かせた。偶然にもその地から根を伸ばした大木は、御神木として人を見守り続けている。 少なくとも、人の間ではそうなっている。
ここは道路の真ん中だから
何故そんな所に居るんだって、よく聞かれたっけ。その度、私は曖昧な笑顔を作って、当たり障りのない事を言っていたと思う。時にはクラクションを鳴らされたり、大声で怒鳴られたりもしたな。 行き交う車達、進む車と戻る車。いや、どちらが進んでいて、どちらが戻っているかなんて、分からない。どちらも戻っているかもしれないし、進んでいるかもしれない。前も後ろも分からない。少なくとも、私が向いた方向に進む車は、私から見て進んでいて、逆の車は戻っている。逆側に振り向くと、進んでいた車は戻っていて、戻っていた車は進んでいる。長い間それを眺め続けてきたけれど、同じ車を見かけることはほとんど無い。一見して同じ車でも、乗っている人、ナンバープレート、汚れ、傷、色、ほんの少しずつ違っていて、それぞれにとっての先を目指している。その中で私だけが、何にも乗っていない。そして、私だけが止まっている。 そこは危ないんじゃないかって、よく聞かれたっけ。その度、私は苦笑いをしながら、目線をS字カーブさせる。最終的には道を外れて、戻らないまま有耶無耶にしていた。いつも最後にこう思う。残念なことに、ここは安全で、だからこそ私は進めないんだって。でもそれを認めたくなくて、それを否定されるのが怖くて、私は何も言えないんだ。私は生まれながらに免許を取る資格が無かったんだと思う。 免許を取るのは難しくて、でもみんな当たり前に出来ていて、なんで出来ないんだって目線が痛くて、辛かった。その度に私は服をぎゅっと握って、目を瞑っていた。つい辛い時にそうしちゃうから、運転中も事故を起こしてしまうんだ。私だって、上手くやりたい。でも無理だった。私には、この道路は広すぎる。そんな道路の中を、みんなは当たり前に進んでいるのに、私だけが止まっている。 私は車には乗れない、だから歩いて進むしかない。走るしかない。でも、そんなんじゃ追いつけない。必死に、必死に走っても、信号が変わる頃にはみんなは遠くにいるの。だから、もう走るのも疲れちゃった。塞ぎ込んだら迷惑になるかなって、思ってたけど。いい場所を見つけたの。ここなら、誰にも迷惑かけないでしょ? だって、ここは道路の真ん中だから。
薄っぺらい好きだけど
カサカサカサ ペタッ スー ペラペラ 「紙は薄っぺらくて、すぐ破れてしまうし、とても弱い。こんなぺらぺらの存在は無意味だ。そうだろ?」 作り途中の折り紙を、袖の中にそっと隠した。 薄っぺらいって、何を基準に決めているんだろう。紙の中でもその紙は特段薄く作られているんだろうか?それとも、石版とでも比べているのか。紙なんて、元々他の物と比べれば薄いのが当たり前で、それだから紙なんだ。その薄さや、扱いやすさが素晴らしくて、簡単に壊れてしまうけれど、だからこそ生かせるところも多いじゃないか。そんな紙が、僕は─ 「うん、そうだね」 好きなん、だけどな。 「やっぱりお前もそう思うだろ?あんなものに心酔する奴の気が知れないよ。本当に、薄っぺらい連中だ。あんなもの、全くもって無意味だと思うね」 くしゃっ。袖の中で、嫌な音がした。 「本当、そうだよね」 精一杯の作り笑い。折り紙より脆い仮面で取り繕った僕の笑顔は、吹けば飛ぶ程に危うくて、それでも、僕はその仮面を必死に抑えるしかない。だって、そうしなきゃ、嫌われるんだから。 「やっぱりお前は話が分かるな。そうだよな、皆そう言ってる。それが普通なんだよ」 そう言い終えて、彼は笑顔で去っていった。 見えなくなるまで見送って、さっと袖から取り出すと、一部が折れて潰れてしまっている。落ち着かない呼吸にため息が混じって、誰にも届かず息を潜めた。そのつもりだったけれど、いつの間にかどこかの風車を回してしまったようで、カラカラと音が聞こえてきた。 「ねぇ、何してるの?」 「ひゃあっ!」 いつの間に傍に来ていたんだ、全く気が付かなかった。というか、不味い。これは完全に見られてしまった。どう言い訳をしようか。 「あっ、えと、これは」 薄っぺらな仮面は、突然の出来事に簡単に飛ばされてしまった。必死に手で紙を隠す僕の姿は、多分、紙よりもずっと弱々しくて、滑稽だ。 「それ、もしかして折り紙?」 あぁ、最悪だ。きっと、おかしいと思われたんだろうな。 「う、うん。そうだよ」 僕の折り紙を素早く手に取って、目を輝かせる。 「凄いね!折るの上手いんだー!折り紙、好きなの?」 予想外の言葉に、目を見開いた。でも、 「いや、違うよ。ただの暇つぶしだから。もう捨てようと思ってたんだ」 これでいい。だって、こんなものが好きだなんておかしいんだから。 「そっか、あっ、突然ごめんね!それじゃあね!」 そう言うと、振り向いて素早く駆け出した。ほっと、胸を撫で下ろした瞬間 「でも、私は好きだよ!」 ドキリと心臓が跳ねた。 なんだよ、その薄っぺらな感想。 ふぅ、と一息ついて、頬杖をつく。 カサカサカサ ペタッ スー ペラペラ 校門を出る前に、教室の窓を見上げると、ひとつの紙飛行機が飛んでいて、それを見た私は、薄っぺらい感想だけど、でもやっぱり、こう思った。 やっぱり、好きだ。
この飴が腐るまで
すっかり埃を被った飴玉を、口に入れて転がした。広がる不快感に、顔を歪める。喉が異物感を訴えて、思わず吐き出しそうになる。口中に砂のような埃がへばりついて、水分が失われていく。それでも必死に転がし続けて、そのうち目には涙が浮かんでいて、時も忘れてただ舐め続けていた。いつの間にか、口の中には唾液がたまっていて、あるはずも無い喉仏をごくりと上下させると、口中の唾液を飲み込んだ。そうすると、気が付いた。甘い味。埃の先の飴玉は、まだ甘くて、美味しくて、そうするうちに涙は引っ込んで、いつの間にか、夢中になって舐めていた。舌が、喜びに打ち震えている。惜しみなく流れ出る唾液が、ぽとりと地面に落下して、じんわりと広がっていく。口から伸びる透明な筋が、飴を味わう彼女の表情が、息を飲むほどに、色っぽい。 大丈夫、この飴はまだ、腐っていない。 ─ 青い飴 ─ 雲ひとつ無い大空を、飴玉越しに眺めてみる。微かに色が変わっただけで、何も起きない。そんな馬鹿なことをしている私の手をそっと掴んだ彼は、私の手を口へと近付ける。もう、届く。その瞬間、一筋の陽光に照らされた飴玉が、どうしようも無く綺麗に光っていて、そしてその光は、彼の口の中へと沈んでいった。飴を転がしながら、にたりと笑う彼は、そんな陽光を忘れさせるほどに、綺麗だった。私も同じ飴を舐めてみる。この飴は、こんなにも甘かっただろうか。 ─ 白い飴 ─ 初めてだった、甘くない飴を食べたのは。初対面の私達。彼の手には飴入りの袋があって、その中身を渡された。受け取って食べた飴は全然甘くなくて、驚いた私の顔を見て、彼はくしゃりと笑っていた。それで私はムッとして、そんなに笑うことはないじゃないかって、心の中で少し怒ったけど、そのうち馬鹿みたいに思えてきて、気が付いたら笑ってた。彼も一緒に笑ってて、冷めた味の飴とは裏腹に、顔はいつの間にか熱くなっていた。この日、私は初めての味を経験した。 ─ 黄色い飴 ─ 涙を流す私を見守って、彼はずっと傍に居てくれた。遠くの橋を並んで見つめる私達は、日が暮れるまで動かずに居た。その時の私は気が付かなかったけれど、橋の上を通る電車を見た彼の横顔は、驚くくらいに寂しげで、涙を堪えているように見えた気がした。しばらく話して、いつの間にか泣き止んだ私に、彼は袋を取り出して中の飴を渡してくれた。笑って頬張る彼を横目に、私も飴玉を口に入れた。それは、胸を締め付けられるほどに、酸っぱかった。 ─ 赤い飴 ─ 夕暮れの中、私は電車を見送った。多分、また泣いていたのかもしれない。泣き腫らした私の目は、多分すごく赤くて、彼はなんでもなさそうに笑っていたけれど、彼の目も赤かった。電車を待つ間、彼に飴の袋を渡した。中には一通の手紙を入れた。彼は嬉しそうに受け取ると、もう食べようとしたので、止めた。残念がる彼は、すぐに立ち直ると袋を取り出して、中の飴を私にくれた。二人して転がして、笑いながら話して、後半は泣いていて、それでも、最後は笑っていた。 ─ 桃色の飴 ─ 離れて行く彼女を窓から見て、どうしようも無く切なくなったのを覚えている。新しい土地で、心細くなった俺は、あの日貰った袋を開けた。中には手紙が入っていて、しばらく読むか悩んだけれど、意を決して読んだ。 その飴玉と手紙は、大切に、大切に保管した。少し埃は被ってしまったけれど、それでもこの飴は腐っていない。あの日以来、この笑顔を彼女に向けたのは初めてだ。上手く笑えているか分からない。もしかしたら涙が出ているかもしれない。それでも全力で笑って、飴玉を渡した。彼女は嬉しそうに受け取って、口に入れて転がした。 『この飴玉が腐るまで、私はあなたを忘れない。もしこの飴が腐ってしまったら。私を忘れて捨てて欲しい。もしまた会えたなら、あの頃のように、二人でこの飴を分け合いたい。』
ことわざ成敗
石橋を叩いたら崩れ落ちた。 腹が立ったので、石の上の人間を蹴り飛ばした。三年も待って何になる。そんなのは焼け石に水だろう。ぶつくさ言いながら歩いていると、雨が降ってきた。試しに石を観察してみたが、雨垂れが石を割る気配は全くない。そんな途方も無い時間を待っていられるか。鶴は千年亀は万年と言うが、そんなにあいつらは生きないし、人間の寿命はせいぜい百が限界だろう。干天の慈雨なんて嘘っぱちだ。お陰様で俺はずぶ濡れ、余計に腹が立ってきた。急がば回れなどと言っている場合では無い、このままでは風邪をひく。さっさと近道をして帰ろう。あの石橋さえ渡れていれば、こうはならなかったのに。犬も歩けば棒に当たるとはこのことか、だけど俺は犬なんかじゃない。考えているうちに、雨も晴れてしまった。これだけ濡れて、今更晴れたってどうにもならない。替え着なしの晴れ着なし。これは晴れ着でも無いが、他に変えだって無いんだぞ。雨降って地固まるだとか馬鹿げている。地面が固まったって俺は濡れたままだ。全く、こんな日に出歩いた俺が馬鹿だった。いや、違う。どれもこれも不運のせいだ。 舌の根も乾かぬうちにまた文句を言い始めると、後ろから声をかけられた。 「そんなにずぶ濡れで、何をしているんだい?」 突然の言葉に泡を食ったが、すぐに言葉を返した。 「先人達の間違いを探していたのさ」 老婆はぱちくりと目を瞬きさせて、心底分からないという表情で言った。 「そりゃ、寝耳に水なお話だね」 全く、どいつもこいつも馬鹿だな。 「おいおい婆さん、あんたの耳は濡れちゃいないぜ?」 すると老婆は笑って言った。 「そりゃ当たり前だろう。それがことわざってもんさ」 あっけらかんとした様子で言われて、とても癪に触った。だから言ってやった。 「それはつまらない話だ。なんだか水を刺された気分だよ」 完璧だ。やはり俺は正しいのだと思うと、少しは気も晴れたような気がする。 「それはそうとね、あんたさっき地蔵を蹴っただろう。そういうことはするもんじゃないよ」 藪から棒に、しかもあまりにもくだらない説教に、開いた口が塞がらない。普通なら二の句が継げない所をこう言ってやった。 「そりゃ、石地蔵に蜂ってところだな。そんなもん、俺には関係ねぇよ」 あぁ、いい気分だ。先人の教えなんぞくだらない。快感に打ち震えていると、突然寒気が来た。 「へっくしゅん!」 風邪でも引いたのか、くしゃみが止まらない。見かねて老婆はこう言った。 「触らぬ神に祟りなし。自業自得だよ。罰当たりの小僧め」 あーもう!ことわざなんてクソ喰らえだ!
頭洗えば髪生える
シャワーを浴びながら考える。やはり、何度考えても理解出来ない。浴びている内に、自然と考えるのも辞め、流れ落ちる水の中に身を任せていた。排水溝に、白い泡が流れて行く。その光景は、自分にとっては当たり前で、それに対して特に何を思うことも無かった。つい最近までは… カラカラと、小気味良い音を立てて小皿が埋まっていく。毎日必ず、忘れずにそうする。そうした日課の最中に、家のチャイムが押された。誰だろうかと、右手で頭を掻きながら玄関に向かい、ドアを開けた。出迎えたのは、見覚えの無い顔で、思わず怪訝な表情を浮かべる。第一声は、その男からだった。 「初めまして。先日隣の部屋に越してきました」 なるほど、引越しか。心の中で安心していると、シャンプーを差し出された。 「ささやかなものですが。私、結構シャンプーにはこだわっていまして」 見た事は無いが、どうやら良い品のようだ。しかし、今私が引っかかっているのはそこでは無い。意識しない内に、どうやら視線が動いてしまっていたようで、何かを察した男は、笑いながら語り始める。 「貴方が何を思っているのかは、分かります。この通り、僕には髪がありませんから。なのにどうしてシャンプーにこだわるのか、疑問に思うでしょう。勿論、この頭は自分で刈った訳ではありま せんよ。僕には元々髪が生えていませんので、自然と髪が生えることはありません。では、何故シャンプーにこだわるのかと言いますと。まず、髪を洗うという行為は、髪がある人がすることでしょう。ですから、『髪を洗う人には、髪の毛がある』ということです。つまり、髪を洗えば髪の毛があることになるということではないでしょうか。それに 気が付いた僕は、その日からシャンプーにこだわり、毎日頭を洗っています」 一通り聞いた私が、まず思ったのは、こいつは一体何を言っているのか。という事だ。いくら頭を洗おうが、髪が無いものは無い。だが、初対面の相手に、ここまで語られてしまうと、私は何も言えず、満足した男は挨拶をして去ってしまった。 椅子に腰をかけ、もう一度冷静に考えても理解できない。掃除の行き届いた部屋の中、しばらく時間を忘れて考えていた。何故そこまで考えてしまうのか、大したことでも無いだろう。ふと時計を見れば、もう昼になる。小皿の中身を捨て、空にした後、また私はそれを満杯にした。またその日の夕方も、明日も、明後日も、また空にして、満杯にした。 あの日受け取ったシャンプーボトルを眺めながら、また考える。どれだけ頭を洗おうが、髪が生えていることにはならないし、それはどう足掻いたって無駄なことだ。全くもって理解に苦しむ。本当に、理解出来ない。言い聞かせるように、何度も否定を繰り返し、窓の外に視線を投げ出すと、シャンプーボトルを机に置いた。 何度洗っても消えない思い出は、何度満杯にしたって戻っては来ないようで、部屋の隅には、よく見覚えのある抜け毛が、まだ残っている。
反転望遠鏡
ある男が突然壇上に立ち上ると、演説を始めた。この男の言うことは、あまりにも衝撃的で、突然現れた男を民衆は不審に思っていたが、次第に人は増え、耳を傾け始めた。そうして間もないうちに、ゴミ袋が沢山必要になっちまった。一体、この男は何を言ったと思う? 多分、世界は間違っている。だから、皆一様にその間違いから目を逸らして、それでいて、この世界に生きているんだ。 『反転望遠鏡』これが、この世界で生きる為の必需品だ。この望遠鏡は生まれた時に与えられて、全ての人は一生これと暮らして行く。一生を共にするこの望遠鏡は必ず、レンズの大きい方を覗き込むように使用する。これが世間一般の皆様が、信じて疑わないこの望遠鏡の正⃝し⃝い⃝使⃝い⃝方⃝だ。私だって疑わなかった。この望遠鏡はそのためにあると思っていた。まさか、そうじゃないなんて思いもしなかった。 ある時、とある私の友人が、一言言ったんだ。「最初からこの使い方で作られた代物なら、この望遠鏡の名前は何故『反転望遠鏡』なんだ」ってね。その時は、そんなこと大した事だなんて思いもしなかった。でも、その友人は違った。そう、私も突然のことに心底驚いた。何をしたかって、覗き込んだのさ。それも、小さい方の穴をね。でも、私が一番驚いたのはそれじゃない。正直言って、そんなことよりもっと驚くことは他にあった。だって、突然雨が降ったんだ。彼女がそのレンズを震わせて。察しが悪いようだから言ってやる。そいつはさ、泣いていたんだよ。それはもう、心の底から、感動した様子でね。そんなもんを見せられちゃあ、私だって覗きたくなる。多分その場に居たら、誰だってそうしただろうさ。手っ取り早く結論から言ってしまえば、私は覗いて、そして見た。この世界の正しい姿をね。だからさ、あんたもまず、疑いなよ。この世界の当たり前をさ。 そうして女は、俺の望遠鏡に手をかけた。 俺の望遠鏡が動き出して、レンズが移り変わって、そして起きた。これは夢だ。自然と握られた手には、自分でも意外な程に力がこもっていた。手をゆっくりと開くと、中にあった望遠鏡に汗がべっとりと付着している。俺の世界を変えたあの日から、俺の手の中には望遠鏡がある。 『反転望遠鏡』なんてものは始めから存在していなかった。これはただの望遠鏡で、ただのレンズに過ぎないってことだ。世間一般の皆様と、少し世界を疑った二人の女が勘違いして疑い切れなかった。それがその望遠鏡の正⃝し⃝い⃝使⃝い⃝方⃝だ⃝。だから、全て取っ払って見た俺はこう思う。 多分、この世界は間違ってなんていなかった。間違っているのは、この世界に生きる奴らの解釈だ。だから、皆一様にこの世界をまともに見られない。その癖に、この世界の中に生きている。所詮、井の中の蛙で、望遠鏡の中で逆立ちしちまってる連中なんだ。だから俺が見せてやることにした。この世界の正しい姿をな。 俺は壇上に登ると、演説を始めた。何を言ったかといえば、こうだ。 「お前ら、そのくだらないレンズを外せ」
星屑のなる畑
あまり手入れの行き届かず、周囲に大した光源も見当たらない。荷台の星屑達は揺れに揺れ、天地が逆さになる様に、一回転してまた荷台に収まった。まだ星でないこの子らは、手を借りずして宙に浮くことは出来ない。これから採星場へと運ばれて、選別の後に星になる。大抵、ひとつの星は星屑二から三個程で生まれるが、時には非常に大きく、十を超える星もある。未だ宙を知らないこの子らは、一体どんな星になるのか。実に楽しみでしょうがない。 黒い岩を砕いてならし、そこに星の砂を混ぜ込めば、星屑畑の下地は完成だ。この星の砂は余った星屑を砕いて作る。そして、輝く礫をここに撒けば、後は星屑達を待つだけだ。大体、前に生まれた星が寝て起きる頃には、新しい星屑が顔を出す。そうすると、畑全体が緋色に輝き、とても温かくなる。そうして、新しい星屑達が生まれるのだ。 生まれてからは、しばらく熱が収まるまでその場に置かれ、光も収まる頃にやっと採集される。採集された時、必要な量から溢れると、その子らは砕かれて砂になる。それはとても悲しいけれど、新しい命になるのだから、私は畑を耕し続ける。今回も、また新しい子たちを見送った。 やっとして周囲が確認出来る程度の光源が現れた。揺れも収まり、心地の良いノイズだけが、しばらくその場を支配する。その静寂は、急激な停止に伴う慣性と、停止音に遮られた。道を遮断する停止看板に、夜行用の光が当たってキラキラと輝いている。今回も相変わず星採場前は通行止め。手馴れた手つきで向きを変え、荷台を解放した。星屑が摩れる乾いた音と、塵となって燃える光だけが、悲鳴のようにその場に残り続けた。 最近、畑作業をしていると、綺麗な朱色の流れ星が流れていく。畑作業の合間にそれを眺めて、また頑張る。そんなルーティンだ。きっと、星達が励ましてくれているんだろうと思うと、より頑張れる。最近は星達も代わり映えが無かったので、そのサプライズにはとても心を救われた。私ももう歳だ、畑は耕せても運ぶのには他の人の手を借りざるを得なくなった。本当は、育てた子達は自分の手で最後までしてあげたい。でも、こうやって育てた子達を眺めるだけでも、私は十分だ。 ─ あぁ、次はどんな子達が生まれるのかなぁ。
全世界に称賛されるSNSサービス
〔あなたは晴れてこのサービス利用者の一員となりました。おめでとうございます!〕 「おめでとう!」「ようこそ!」「歓迎するよ!」「これからよろしく!」 次々と飛んで来る称賛や歓迎のコメント ページを更新する度に違ったアカウント名へと変わって行く。それだけの人達が、今私を祝ってくれている。あぁ、なんて充足感だろうか。特に何かを成した訳でも無いけれど、こうやって称えられるなんて、最高に気持ちがいい。 その日以来、あの快感が忘れられないでいる。このSNSサービスは最近立ち上げられたばかりだが、その異様な特性に多くの人がすぐに興味を持ち、僅かな期間で利用者数を獲得した。その特別な特性とは、『新規登録者は無条件に全世界から称賛を受ける』というものだ。このSNSサービスには、それ以外の機能が備わっていない。例えば、日々の出来事や、愚痴の呟きは出来ないし、誰かの発言に反応を付けることも出来ない。それに、アカウントに対するフォロー機能すら備わっていない。本当に、新しい利用者が現れた時に称賛を送るという機能のみのサービスなのだ。そして、一定期間登録者に対する称賛を行わないとアカウントは抹消され、二度と同一人物がアカウントを作ることが出来ない。これがこの画期的なサービスの全容である。このサービスは、とても手軽に忘れられない快感を味わうことが出来るし、全世界と喜びを共有出来る。故に、皆が幸せになれるシステムだとして、世界的注目を浴びているのだ。 しかし、なんて最高の気分なんだろうか。恍惚の表情を浮かべつつ、新しい登録者に称賛を送る。きっと、今送られた人も快感を感じているに違いない。あぁ、本当に最高だ。でも、初めて登録して以来、自分自身はなんの反応も貰えていない。そう考えると、心のどこかが、自意識を訴えかけてくるような、そんな感覚がする。足りない、もっと欲しい。とにかく、誰かに認められたい。気付けば、新しい端末を取り寄せて、サブアカウントを作っていた。高鳴る胸の鼓動。しかし、新規登録を済ませようとした瞬間、システムによってその期待は打ち砕かれた。 〔利用規約に違反する行動を確認致しました。このアカウントの登録は認められません。〕 どうして、端末は違っているはずだ。何故分かった。額に流れる汗を感じつつ、アカウントを確認する。 〔アカウントは抹消されました。〕 あまりにも無情な表示に、思わず端末を落としてしまった。自らの欲望の為に、私は幸せの輪への参加権を失ったのだ。正直、終わりだと思った。 しばらくの間、喪失感に苛まれ、仕事にも身が入らないでいた。寝転び、生気を失ったような目でネットニュースを眺めていると、とある記事が目に入った。【速報!話題のSNSサービス突然の暴落か!?】どうやら、全世界で携帯電話等の売れ行きが劇的に上昇したこと。そして、あのSNSサービスの登録者アカウントが、急速に抹消されていることが取り上げられているようだった。それを見て、無駄に増えた端末を眺めながら、私は呆然としていた。 「なにやってんだろ、私」
カーテン
─ ふわり ふわふわ ふわふわり 美しく、透き通った白い裾。透かして見える青空が、今日も今日とて輝かしい。 その眩しさに、目を細めた。 教室の、窓際席に腰掛ける。隣を見遣れば彼がいて、今日も今日とて笑顔になる。 その横顔で、つい火照る。 雨凌ぎ、二人並んで晴れを待つ。雨が遮り途切れる声、今日も今日とて揺らされる。 その心から、漏れてしまう。 水遊び、二人揃って身を揺らす。水気混じりに漏れ出る声。今日も今日とて日が昇る。 その湿度から、乾いてしまう。 控え室、鏡の前に腰掛ける。扉を見遣れば開いていて、今日も今日とて彼が居る。 その笑顔で、また火照る。 美しく、透き通った白い裾。透かして見える彼の顔、今日はなんだかより嬉しい。 その嬉しさに、目を細めた。 ─ ふわり ふわふわ ふわふわり 揺れるカーテン模様替え。甘く優しい口付けを。