じゃらねっこ

49 件の小説
Profile picture

じゃらねっこ

ねこじゃらしが好きなので、じゃらねっこです。 毎日投稿始めます。

生きるも死ぬも

今この瞬間から最も古い過去の自分までに対して、 全ての時間にこの手紙を贈ります。 私はいつしか生まれたそうで、いつの間にやら生きていたようで、いつまでそれを続けるのかは、全く分からないそうです。ですが、特にそれを疑問に思う訳でも無く、当たり前に生きるという選択をしていました。崇高な夢や考えがある訳ではありません。言うなれば、惰性というものでしょうか。ただ人々は皆、生きていることが当然であるという目をしていた為、私もそうなのだと思っていたのでしょう。ですから、今より過去の私に言います。 考え続けてください。 「あなたに選択の権利を与えます」 −生きる −死ぬ 「どちらを選びますか」 「そうですか、であればそうすると良いでしょう」 私は、また選択をした。選択の権利があったからだ。いや、違う。選択をしたのでは無い。この瞬間も選択をし続けている。一分一秒それより短いほんの一瞬の連続した選択が今に繋がっている。その上、この選択にはなんの保証もない。どちらを選択しても、何も確定しない。例えば、 “生きる”を選択した人が死んでしまうことも、 “死ぬ”を選択した人が生きていることも、 またその逆も、あるいは選択の通りになることもある。 無意味だと思うだろうか。 この選択にはなんの意味も無いのだろうか。 『否』では無いだろうか。 少なくとも、選択の権利は自らにあるのだ。だから、絶えずそれを放棄せず考え、選択を行うことが無意味では無いだろう。例え理不尽にも結果が伴わなかったとして、決して無意味になる訳ではない。重要なのは考え決定したという事実だ。自ら考え決定したのであれば、それは自分の意志だということで、つまりその決定には過程がある筈だ。 故に、その過程を生むことに意味がある。 “生きる”を選択した私には、今それを選択する理由が少なからずあるだろう。例えば、何かを守らなければならないだとか、何かを手に入れたいだとか、何らかしらの望みがあり、それの為に日々を費やす覚悟があっての事だ。 “死ぬ”を選択した私にも、今それを選択する理由が少なからずあるだろう。例えば、前述した何もかもが無いだとか、あるいは後天的に全て失ったのかもしれない。 無論、この選択で結果は確定しない。しかし、自ら考え選択することこそ大切なのだ。 どうでしょうか、思考を覗いて少しは何かを掴めたでしょうか。そろそろ文字にも飽きてきた頃合いでしょう。ですので最後に一言だけ書き残します。 いかなる時も、思考は放棄しないでください。

2
2

やっほー

「やっほー」 毎朝、そうやって挨拶する。 「って、聞こえてないよね」 毎朝、そうやって落胆する。 「じゃあ、行ってくるね」 『やっほー』 何度その声に励まされただろうか。 『今日門限何時よ』 当たり前に二人で過ごす日々。 「五時〜」 ただその日その日が楽しくて 『え何もできんじゃん』 「大丈夫、また明日があるじゃん」 「え、今日メイク崩れてんじゃんダイジョブそ?」 ずっと続くと思ってた。 『まじだ終わったー』 ずっとずっと、 「あははっ、そんなんじゃ終わんないって」 終わらないと思ってた。 『むー、乙女にとっては鎧そのものなんだぞー』 「大丈夫だって、また上手くやればいいじゃん」 「事故って」 嘘だと言って欲しかった。 「意識不明…」 また、声が聞きたい。 「メイク、崩れてるよ…」 また綺麗なメイクが見たい。 明日を過ごしたい。 「私が、助けるから」 「じゃあまた約束の場所で」 今日もこの部屋で、このベットの前で、 「やっほー」 毎朝、そうやって挨拶する。 「って、聞こえてないよね」 毎朝、そうやって落胆する。 「じゃあ、行ってくるね」 『ほーい』

3
2

生命の樹

「噂には聞いていたが、傍から眺めると壮観だな」 「ええ、そうでしょうとも旅人様。こちらの大木は我々の村の自慢ですから」 「本当に素晴らしい樹だ。それに、なんだか身体の調子も良いな」 「ええ、なんと言ってもこちらは、生命の樹ですから」 雲をも突き抜けるその大木は、大空の中に伸び上がる広大な枝葉を携え、その巨大さ故に天空の樹や巨人族の樹、聖樹などと人々に呼ばれ、旅人の間では安全を願う幸運の樹として親しまれている。 しかし何故…。 「旅人の間では幸運の樹と呼ぶが、何故幸運なんだろうか」 それは、この樹木の生態に起因する。 「私は今年で百十六になります。私だけではありません。この村の住民は皆長寿なのです」 「それは驚いたな、全くそうは見えない」 「我々がこの土地に住まい続けるのもそれが理由です」 「というと」 「生命の樹、もとい幸運の樹はその名前のように、周囲に恩恵をもたらすのです」 「なるほど、それで身体の調子が良い訳だ」 「旅人様方がいらっしゃられた時、恩恵を受けられたのでしょう。それで、幸運の樹と」 「合点がいった。礼を言うぞ村長」 時折人の中に特別生命力に溢れる子が生まれるように、木もまたそれの例外では無かった。その木の持つ生命力はあまりにも大きく、成長すら上回った。余りある生命力は周囲を癒し、成長させる。そこに人が住み着き、守り、恩恵を受け、また手入れをし、それぞれが互いを守り合って生きている。偶然にもその生命力は生存戦略として成功を収めたのであった。 「もう行かれるのですか。でしたら旅人様、お気を付けてくださいませ」 「ああ、ではまた」 その日も、また新たな背中を見送った。長き時を生きる村の民は、互いに守り合って生きている。故に、互いは二つで一つであった。旅人は、村人ほど長生きはしないだろう。危険もまた多い。だが、沢山の景色を見る。いや、見ることが出来るのだ。いくら長い時を生きようとも、村人が眺められるのはこの大きな樹だけ。素晴らしく、残酷な生命の樹だ。 旅人か村人か、今日も風に葉が揺れる。 またひとひらが飛び立った。

3
0

ヤイバ

「ヤイバって言うのはな、そう使うもんじゃあねぇ」 眼前に鋭く光る銀色が、挑発的な表情を突き付けている。 男はにたりと口角を僅かに上げ、言った。 「俺が手本を見せてやる」 ポケットにあったはずの両手は、瞬く間に手元へと迫ると、刃を掠め取る。左手に刃を携帯し、空いた右手を強く握りしめると直立姿勢から右足を踏み出し、全体重を拳へと収束させ、突き出す。 それは、ごく単純な打撃である。 相手の揺らぐ瞳に映るのは、既に奪われた刃よりもその、拳であった。高速で放たれた打撃はみぞおちへと吸い込まれ、全身が一メートル程後退する。追撃は無い。呼吸は困難であり、室内に響くのはただ、絶望と苦痛の入り交じった咳の音だけである。 「ヤイバってのは、こう使うんだ」 ただ、そこに佇む男は何もしない。地に項垂れへたり込む相手には、いくらでもやりようはある。だが、何もしない。 左手の刃など、視界にすら映らない。それ程までに大きな刃が、目の前に立っている。ひと時も揺らがない黒い瞳が、貫くような威圧とともに、相手を震え上がらせる。 「伝えろ、次は大きなヤイバを送れとな」

2
0

処刑

「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 拘束された大柄の男と、白髪混じりの髪を携えた、ロングコートの男。その内、白髪の男が懐に手を伸ばすと箱を取り出す。中から一本の棒を抜き取り、咥えた。 「死を、恐れているかね」 白い筋が、二人の間を真っ直ぐと上っている。 「いいや」 大柄な男は、いい加減にしろと言わんばかりの表情をしている。 「では、次だ」 部屋の中に、薄白のフィルターがかかり始めていた。 ─「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」─ 立ち上る煙は、依然真っ直ぐと上っている。 「では、次だ」 「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 立ち上る煙が、はたと揺らいだ。 「まずは、これを見たまえ」 壁面の内一つが軽快な音駆動音を立てると、その中央部がひとつのモニターへと変化した。 「なんだ」 黒色の画面が光を発し、それは複雑な色をを絶え間無く操り続けていく。 「君は、この人を知っている。そうだな」 灰の塊が、崩れて落ちた。 −まさか…。 「では、執行を開始する」 淡々と、画面は変化を開始した。 「おい、やめろ」 「やめろやめろやめろやめろやめろ」 灰皿に、また一本が潰された。 「あ、あぁ…」 煙はもう、上っていない。 「刑は執行された」

4
0

ほころぶたまご

穏やかな陽射しの温かさは、これから訪れんとする芽吹の逞しい大地を彷彿とさせ、その包まれるかのような心地の良さに、思わず口元が緩んでしまう。 「ちょっとぉ、手が止まってるぞぉ」 注意をする彼女の顔もまた、穏やかだ。 「あぁ、ごめんごめん」 「でも、この太陽光には私も抗えないなぁ」 二人して半熟卵のようなとろけ具合の顔を見せ合い、ふと目が合うと笑い合う。そんな時間がまた心地が良くて、どうやら口元はそれを隠す許しはくれないようで、なんというか…。 「幸せ、だなぁ」 先に答えを教えられた驚きと、納得の心が体を突き抜けて、何処かから湧き出る気恥ずかしさに、ろくに言葉も言い出せないまま笑顔を返す。なんだかぎこちなくなってしまった。 「照れてるなぁ」 にんまりとした彼女に見つめられ、顔が火照る。どうやらお見通しのようだ。 「そういえばさ、どうして卵なんだろうね」 先程から何も言えていなかったが、どうやら手番が回ってきたようだ。 「あぁ、そうだな。まずイースターが何のお祭りかは知ってるかな」 「えっと、イエス様の復活を祝う祭りだったっけ」 「そう、それで死んだイエス様が生き返るのと、卵から生命が生まれる様子が似ているから、イースターには卵が重要なんだ」 「そっかぁ、そういう理由だったんだ」 「それと、生まれるっていう繋がりで、多産なうさぎも象徴なんだよ」 「へぇ、そっか。多産かぁ」 なんだか、一瞬彼女が怪しい表情になった気がするが、見なかったことにしよう。 「でも、それなら私達あんまり関係ないんだねぇ」 「確かに、イエス様にはあまり馴染みがある訳じゃないから、不思議かもね」 「まぁ、それはクリスマスとか、バレンタイも同じだもんねぇ」 正直、お祭りの起源だとかそんなのは、どうだって良い。だって、こんなに楽しい時間を迎えられているのは、お祭りのおかげなんだから。 「出来たぁ」 「こっちも出来たよ」 そうやって見せ合うと、また互いを褒めあって、笑い合う。こんな時間がいつまでも、いつまでも続けばいい。そう思った。 「ね、ここ絵の具が擦れてほつれみたいになってるよぉ」 「本当だ、気が付かなかった」 「というか、手が絵の具だらけだねぇ」 「お互い様でしょ」 まるで鏡合わせのような笑顔のふたりが、そこに居た。 光に当てられたふたつの卵は、彩り豊かに身を輝かせている。 そよ風に揺られる草花が、小気味の良い音を立てている。 美しい水色の空が、どこまでも広がっている。 はるか昔、どこかの神が生き返った。本当なのかは分からないが、神が好きなわけでは無いが、でも確かに、ほころびの卵はそこにある。だから、割られることのないように、大切にされ続けるのかもしれない。 「あ、うさぎさんだぁ」

6
2

メモリ不足

コストパフォーマンスと原価。この関係性は現代社会において非常に重視される傾向にある。人はより安く、多くをモットーに商品を吟味するのが当たり前となりつつあるのだ。無論、人生において使える金額の容量は決まっている。故に、それは間違いではないだろう。だが、では何故そんな社会の中で、そのコストパフォーマンスを欠いた商品は消え去らないのだろうか。 −またこんな時間になってしまった。 時間帯はとうに夜の区分に突入し、街灯が自らの役目を生き生きと全うしている。その光に照らされた男の顔は青白く、どこか寂れたような印象を与える容貌である。 −腹、減ったな。 決して素早い動きでは無いものの、その男の最大限を足に乗せ、歩みを進めていく。向かう先は、いつも決まっている。多くの窓から明かりが消える中、いつも夜闇を照らしてくれる小さな星。都市という銀河に住まう光。そう、コンビニだ。 自動ドアが道を開け、聞き慣れたファンファーレを耳にすると、赤の絨毯に導かれるかのように、毎日同じコーナーへと進んで行く。開放的な冷蔵システムは何よりも魅力的な展示台であり、宝石のように輝くポリプロピレンの梱包達に挨拶を交わすと、一つ一つに目を配る。 −今日は、これだな。 短くも長いショーを楽しみ、決めた一つを手に取ると、手早く会計をする。五百いくらかの弁当を手に下げ、街灯の中へと進んで行く。歩む男の姿から、やけに彩が抜け落ちて見えるのは、街灯の明かりがそのように錯覚させるのだろうか。 オートロックのマンションの中を手早く駆け上がり、部屋番号を確認し、与えられた空間の中へと戻る。無造作に上着を投げ、腰を下ろす。部屋の中は整然としていた。片付いているというより、大して何も無いと言った方が正しいだろう。あるのは小さな机と、寝具、空のキッチン、電子レンジ、冷蔵庫。そんなところだろうか。 ネクタイを緩め、袋から弁当を取り出すと、ピッと音を立てて温める。それを待つ数分間、特に何をする訳でもなく携帯端末に目を落とし、また音を聞いてそれを取り出すと、割り箸を開封した。そうして、この男の今日はエンドロールを迎える。 −本当に、つまらない味だな。 値段に見合った内容量でも、味でも、栄養でも無い。でも男は買っている。何を買っている。量でも、味でも、健康でも無い。ただ、手間を買っているのだ。食材を選定し、包丁を通し、熱を与える。そんな手間を買っている。原価なんてどうだっていい。男にとって最大のコストは、そこにかかる手間であった。そうして、少し得た手間分の時間を何に使う訳でも、使える訳でも無く。また、他の人々が必死に貯めている“コスト”は持て余し、何に使う訳でもなく働き続ける。 −寝るか。 今日もどこかで、メモリが崩れる音がした。

3
0

無味無臭無価値駄文【恋】

本当につまらない片思い。 別に、それが成就するということもなく、また成就させようという気概もない。物語的になんの発展性も無く、なんの盛り上がりもない、語ることすら憚られるような、ただの平凡な片恋なのだ。 いや、“だった”のだ。 恋をする。憧れる。目を向ける。思い描く…。そういったことは、人生において経験をせず終わるものだと思っていた。 季節は覚えていない。けれど、皆長く厚い袖を携えていたのだから、きっと寒い時期だったのだろう。そして天気は、晴れていた。時間は放課後で、適度に傾く穏やかな光にぼんやりと包まれ、その滲んだ絵の具のような印象を今でも覚えている。私は帰り支度をしていた。特に何を思う訳でもなく、ぼんやりとした視界の中で、日常という量産の連続をまた終える。そういう日々。 だが、その日は少し違っていた。 本当に、小さな違いだ。 私はその日、何気無く辺りを見回した。何かを期待していた訳ではない。けれどもそれは、予想とは違った結果を私にもたらした。 僅かな人々が残された一室の中、一つだけ目に付く存在が居た。 ただ一人、静かに箒をはく不思議な存在だった。 当時、私は考えられる人間であった。 当然、当番も把握していた。 だがしかし、その当番はどこにも姿が無い。 そして、そこにあるのは全く別の存在だった。 私には到底理解が出来なかった。 自身の当番でも無い上に、なんの対価も得られないのにも関わらず、何故そのように箒を持つことが出来るのだろうか。 そして私は気が付いた。 自分とは全く違う世界の存在なのだと。 それに気が付いてしまったから、私は恋をした。 けれども、だからこそ私はその恋に、そっと蓋をしたのだ。 発露など無い。ただ不毛でつまらない恋物語は、そこで始まりと共に終幕を告げたのだ。

4
2

渡り鳥

思いのほか、呆気なく終わるものだ。 我々は遥か先を目指し空を駆ける。そのように言えば幾分か壮大に聞こえるかもしれないが、存外に大したことでは無い。ただ、生き残る為の手段に過ぎないのだ。皆同じ様に、それでいてそれぞれが違った手段を用い行っていること。 だから、我々はまた駆けて行く。 この翼に受ける大気は、命と同義だ。 何故ならば、我々は飛ばなければ果てるだけの存在で、時にはその大気でさえ我々を殺す。包まずに言ってしまえば、矮小だ。だが、それでも我々は生きている。 何故ならば、矮小さは死では無いからだ。 我々は矮小であるからこそ、飛ぶのだ。そして生き残る。それこそが、我々に許された足掻きであり、誇りだ。 故に我々は飛ぶのだ。 多くの景色を見ただろうか。 少なくとも私は、そうは思わない。 何故ならば、我々は生きる為に飛ぶからだ。生きる為に飛ぶが故に景色を目にし、そして生きる為以上の景色は、決してこの目には映らなかった。 では何も見なかっただろうか。 少なくとも私は、そうは思わない。 この世界の僅か断片ですら、私には大き過ぎる。そして、生きるには満ち足り過ぎていたのだ。 故に我々は飛べるのだ。 私はどれだけ渡れただろうか。 一歩踏み違えば戻っては来られず、一歩を踏み出さなければ置いて行かれ、一歩進み過ぎれば誰も居ない。 私は上手く渡れただろうか。 我々は上手く飛べているだろうか。 少なくとも私は、そうは思えない。 思いのほか、呆気なく終わるものだ。 我々は遥か先を目指し空を駆ける。そのように言えば幾分か壮大に聞こえるかもしれないが、存外に大したことでは無い。ただ、生き残る為の手段に過ぎないのだ。皆同じ様に、それでいてそれぞれが違った手段を用い行っていること。 だが、それが難しい。 ただ駆けるだけ、それが難しいのだ。 それでも、 それでも我々はまた駆けて行く。 拍子抜けするような、最後の為に。

4
2

突然、一本の木が生えたんですよ。 大して大きくもない町ですから、お互いにそれなりに顔も知れていましてね。特にご近所さんなんかとはよく話します。ですから、小さな変化にもすぐに気が付いて、一日をそれで明かしたりするものなのですが、これからお話するのは、そんな町で生まれ育ってきた人生の中でも、一等忘れられないお話です。 その日私は珍しいことに朝早く起きましてね、折角なので散歩でもしようかと外へ出ました。やはり早朝の時間には人も少なく、捨てられた町の独り歩きなんてちょっとした想像に浸りながら歩いていると、どうやらあまり見かけない装いの方が道を歩いていましてね。それが、ローブ姿にフードを深く被っていて、一体どんな容貌なのかも何歳なのかも皆目検討がつかないのです。ですが、特に私は何をする訳でもなく、また向こうも私に見向きもせず、ただすれ違うだけでした。そういった奇妙な邂逅をきっかけに、その日は始まったのです。 先程のローブを脳の端に残したまま、私はふらふらと歩みを進めていました。するといつの間にか町を一周し、一番見慣れた風景がそこにあったのです。しかしどうでしょうか。何やら少しばかりの違和感があるのです。その突っかかりが何なのかを探すため、私は立ち止まってよくよく辺りを眺めました。するとあったのです。 一本の木が。 私はそこらの風景なら見紛うことはありません。ずっと暮らしていましたから。ですから気が付いたのです。私の家からすぐ近く、一組の夫婦が住まう一軒家、そこには塀が設けられ、それなりの広さの庭があります。そして、その庭に全く見覚えのない木が生えていたのです。昨日までは無かった木でした。つまるところ、 突然、一本の木が生えたんですよ。 私は呆気に取られました。木は一日二日では育ちませんから、そんなことはありえないのです。ですが、確かにそこには塀越しの木が、こちらを見下ろしていたのです。少なくともその塀は、人の背より幾分か高いものですから、やはりその木は苗ではなく木なのです。私は間もなく家へと戻りましたが、どうしてもその木が頭から離れません。一刻、二刻と時が過ぎ、とうとう堪えられなくなった私は、日が丁度頭の位置へ昇る頃にその家を尋ねました。 戸を叩くと間もなく、夫婦のうち妻の方が出てきました。ですから、挨拶をかわそうと口を開いたものの、言葉に詰まります。決して私が人見知りだからではありません。驚いたのは、その相手の深く沈んだ顔でした。目元は赤く晴れ、顔は蒼白、そんな相手に誰が景気良く挨拶などできるでしょうか。私は完全に言葉を失い、少しの間、気まずい空間が訪れました。ですが、私には目的がありましたから、気を持ち直して挨拶を交わしました。しかし返ってくる声も虚ろで、気分よく話せる調子ではありませんから、かえって長引かせても悪いと考えた私は、手早く聞きたいことを聞いたのです。「あちらの木はいつ植えられたのですか」と。 聞いた途端、雰囲気が変わるのを肌で感じました。蒼白の顔をそれはもう凄まじい勢いで上げると、恐ろしい程に見開かれた瞳は、はっきりと何かを見据えているのにも関わらず、何にも焦点が合っていないように見えるのです。私は後ずさりました。この異様な調子が、私を後ろへと突き飛ばしたのでしょう。そんな私には目もくれず、彼女は口を開きます。 「旦那です。私の旦那なのです」 私には訳が分かりませんでした。しかし彼女が言うには、あの木は彼女の旦那なのだそうで、どうやら今日の朝方に旦那があの木に変わるのをその目で見たとのことなのです。私には全くもって理解し難い話でした。それだけでも受け入れ難いのにも関わらず、目の前の異様な空気にも耐えられそうになく、その日私はすぐに退散しました。そうして、家に戻り安寧の息をつくと、人とは不思議なものではたりとその嫌な記憶に蓋をして、数日後には全く普段通りに暮らしていたのです。 幾年が過ぎた頃でした。その日私は珍しいことに朝早く起きましてね、折角なので散歩でもしようかと外へ出ました。やはり早朝の時間には人も少なく、捨てられた町の独り歩きなんてちょっとした想像に浸りながら歩いていると、どうやら見覚えのある顔が姿を表したのです。それはいつしかの日、木になったと話を聞いたあの夫婦の旦那でした。私は驚いて駆け寄ると、話を聞きます。今まで何処へ消えていたのかと。するとなんと言ったか、さも何事もないかのように、少し散歩にと言ったのです。何度も年を跨ぐような散歩があるでしょうか、私の首筋には嫌な汗が走りました。あの日の空気を思い出してしまったのです。その場に立ち尽くした私は、旦那が当たり前のように自宅に戻って行く姿を見送ることしか出来ませんでした。 翌日の朝、やはり私は様子が気がかりになり、それを確かめるべくあの家を訪れました。しかしその日は戸を叩くまでもなく、庭先に目的が転がっていました。旦那と妻が木の傍で何やら揉めているのです。既に敷地へと入っている私にすら気が付かず、話を続けているようで、私はその話を聞くことにしました。話の内容はこうでした。 「この木が私の旦那です。もう何年も戻りません。私の旦那はこの木なのです」 「だから、俺はここに居るだろう。俺は散歩に出ていただけだ、なんてことはない。俺がお前の旦那だ」 訳が分かりませんでした。ですが確かにそこにあったのは、必死に旦那を守り続ける妻と、認められない旦那の姿でした。私はもう、会話をしに行く気にすらなりませんでした。ただ、家へと戻り考えたのです。 妻は、旦那が木に変わる姿をその目で見た。しかし、私は当たり前のように変わらない風貌で話し、家へと戻る旦那を見ました。あの妻以外、木が旦那であると見た人は居ません。近所中、妻がおかしくなったのだと持ち切りでしたから、確かでしょう。そして私は見ました、そこに存在する旦那を。 旦那はその日のうちに人目に入らぬまま、町を出ていきました。この町に残されたのは、永遠の謎と木を守る妻だけでした。 私には、何が正しいだとか、何が間違いだとかは分かりません。今後分かることも無いでしょう。ですが私は、この目で見たことしか信じられないのです。ですから私は到底、あの木が本当の旦那だとは思えません。あなたはどうですか。 あなたは、何も見ていないですから。

8
2