じゃらねっこ
113 件の小説気狂いパペット【中】
「…怖っ!酷い話だぜ…俺は処刑してもいいかと思うけど、皆はどうだ?」 また、意見が飛び交う。 ♡ 人殺しは流石に… ♧ まだ情報が足りないかも ♤ 処刑!処刑! ♢ 処刑してから考えますか? © まだ保留 「うーん、みんな色々な意見があるみたいだな。俺は多分処刑したらゲームが終わっちゃいそうだから、ここは保留することにするぜ!」 「聞いた意味ねーじゃん」 呟いている内に、場面の転換が始まる。 次の舞台は白を基調とした空間であり、また画面に一人の人間が立っている。 その人間は黒の衣装を身にまとい、片手で本を抱えている。本は分厚い革表紙の一冊であり、首には金属製の装飾品をかけていた。 「あの村ですか…」 皺付きの肌を更に深め、考える素振りを見せる。 「私はあの村に一度、訪れたことがあります。悪魔憑きの子供が居ると教会まで訪ねられまして、ですから私が確かめに行ったのです。そこで私が見たのは、村人に石を投げつけられる少年の姿でした。私は皆を窘め、少年と話をしました。私が話したのは至って普通の少年でしたので、私は忌み子などではないと告げたのです。しかし、翌日の出来事でした。念の為に様子を確かめるべく村へ訪れると、黒煙が立ち上っているのが見えました。私に出来ることはありませんでしたが、後に皆様から聞いたのは、あの少年が火をつけたということでした」 セリフの終了と共に、画面がフェードアウトする。そして、また表示される。 【貴方に問います。貴方はこの少年をどうしますか】
欠癖症
鼻腔を掠める仄かな胞子の渋苦い匂いが、そよ風に混じり部屋中を駆け巡る。合わせて揺らぐ引物は搭乗口の役割を果たし、清澄かつ純白の朝に客という香りを与えていた。 鼻を微かに働かせ、その事実を如実に確認すると、薄膜を貼ったように曖昧であった私の意識は、次第に晴れたものへと変化した。 目覚めを理解した私は、ゆったりと立ち上がる。すると何やら足を擽るような、それでいて冷ややかな感触を感じ、更にくしゃくしゃと悲鳴のような音が鳴る。私は大した力を入れた訳ではないが、やはりそれは大きな音を立てている。 足を地から持ち上げると、それはヒトデのように足裏に張り付いたまま持ち上がった。それを剥がしつまみ上げると、先日酒のアテにしていたスナック菓子の残骸であることを捉えた。また足を下ろし少しずらすと、カラカラと転がる音が鳴り、また一歩踏み出すと何かを蹴飛ばした。 僅かな間に幾許かの感触を足に与えた私は、クローゼットへと手を伸ばす。洒落た格好には疎く、またそれに対し何か思うところがある訳でも無い。ただ、世俗という無数の刃が私をそうさせるのである。 仕事というしがらみのない今日は、空の下を歩くつもりであった。無造作な格好を人様が見られるであろう程度に整えた後、私は荷物を持って扉を開く。まず見える風景はフィルムのように横に長く遮られている。それはここが集合住宅の一室に過ぎないことを私に教える目印である。人はハニカムを食らうが、人もまたそのハニーに過ぎない。そして私もまた、ハニカムの一部である。 青と白のコントラストが、私にはどうも眩しく思えた。人々の往来は騒々しく、大抵の大衆にとってそれは無音なのだ。近頃の人々は耳栓をつけて世を渡るが、結局の所その耳栓もまた聞くに絶えない音を立てている。それでは全くもって喧騒と相違ないであろう。なのにやはり、それに嫌な顔一つ見せないのだから大したものである。これだけの世界が目の前にありながら、手に取った板から目を離さないのは何故であろうか。私にはそれが分からないが、しかしそうしていなければ私とぶつかることも無かったであろうに。 何を言う訳でも無く、ただ嫌そうな顔をしたまま通り過ぎた彼は、何を考えているのだろうか。ただやはり、彼らは皆耳栓を付けているのだろう。 疑問に疑問を重ね、その解決を成す前に目的の場所へと到着する。何も特別では無い、ただの大型ショッピングモールというものである。 透明なスライドドアは、私を従順に通す。時に私はそれに胸を撫で下ろすが、やはり不安になる。いつしかそのドアは私を通さなくなるのでは無いかというささやかな杞憂が、どうしても拭えないのである。ドアは人に従順だが、やはり私は不安であった。 焦燥に近い心を胸に携え、足を踏み入れる。 眼前に広がるのは、様々な様相を持つ店の数々である。しかしそのどれもが、私にとってピントの合わないショットに映った。それは私が、何も目的を持ち合わせないが故であった。 大抵このような場所は、目的を持ち得る人々の場である。ただ私はそうではない。自身ですら何故ここを訪れたのか、皆目見当もつかない有様であった。 そもそも私は、こういった施設を好まない傾向にあった。好まないというのは、ショッピングモールに限った話ではなく、大抵の施設に於いてそうである。無数の足跡はそれを残さず、塵を許さない空間に身を置く時、私はどうも落ち着かない感覚に陥る。 胸ポケットから顔を覗かせる小箱を覗くも、やはりそれに手を伸ばすことは無く目を逸らす。私が産声を上げた時、既にそれを持っていたのでは無いかと錯覚する程に、いつの間にか日常に潜んでいた小箱。しかしそれを無闇に用いることは、世俗が許さないのであった。 施設という施設で、私が居心地の悪さを感じない場所と言えば、地下に造られた電車の路線程度である。過剰に照明に照らされず、また地は美しく無く、時に虫が走り抜け、水の滴りが耳を通るあの空間が、私にはすり切り一杯の米のような納まりを感じるのだ。 そのどれもが魅力を感じることのない道を流れ、生活用品や生理用品、薬品を取り扱う店。所謂薬局で足を止めた。オープンに切り開かれ、道に面したその面持ちに私はやはり些かの居心地悪さを感じるも、中へと進む。 棚に次ぐ棚には様々な商品が取り置かれているが、私は殆どを素通りし、ぐるりと中を一周する。一角に鎮座する小さな薬局である為に、それには大した時間を要さなかった。 私は一番初めに見た棚の前へと戻り、商品群に目をやる。その並びを注視すると、商品と商品の中間に検討をつけた。そして、隣合わせの商品を二つ手に取ると、左右を入れ替えた。 モールを抜け、入りと別のドアを背にすると、そこは緑を散りばめた、所謂憩いの空間が広がっていた。私は昔から木々や草花と気が合うなどと一方的な好意を抱いていたが、この空間にはどうも胸が痛む。ただ、やはりそのあるがままを受け入れる姿勢は変わらず、私にとってそれが天にも登る救いであった。 足早にその空間を抜け、往来を横目に脇道へと逸れると、進行方向を回るように変え、あの集合住宅があるであろう向きへと歩みを進めた。この僅かな転換ですら、私は恐ろしいと感じる。ブロック状に整えられた脇道を回るには、幾度もの直角を渡るのである。それは整然なのだろうが、私はどうも受け入れ難い。 私はただ歩いた。様々な事柄を思案しては、やはり歩いた。 風景は流れるも、そのどれもが私には同じように映る。 似たり寄ったりの家々を眺めるうち、実家というあの家を想起した。 それはなんの変哲も無い一軒家であり、やはり均整であった。清潔に整えられ、塵一つ見当たらず。そんな家庭で私は育った。いつしか私が自室で暮らす中、母がその扉を開き言ったことがある。「清潔にしなさい」と。 母は胞子を嫌うようなきらいがあり、私に対し幾度もそれを指摘した。当時から今の今まで、私には理解及ばない話であった。 私はただ暮らしたいだけなのである。 いつしかかのハニカムへと私は辿り着き、半ば吸い込まれるように扉を開いた。 部屋に戻った私は無造作に清潔を脱ぎ捨てると、また様々な者共を足蹴にする。 鼻腔を掠める仄かな胞子の渋苦い匂いが、そよ風に混じり部屋中を駆け巡る。合わせて揺らぐ引物は搭乗口の役割を果たし、清澄かつ純白の虚に客という香りを与えていた。 鼻を微かに働かせ、その事実を如実に確認すると、やけに疲れた瞼は心地良さの中に目を閉じるのであった。
気狂いパペット【上中】
「みんな、唐突過ぎて俺は戸惑ってるぜ…選択肢は処刑か保留の二つ。とりあえず俺は保留を押そうと思うぜ」 ♤ 処刑!処刑! ♡ いきなり処刑は無いわ笑 ♢ ちょっと処刑気になりますね… ♧ 流石に保留かなぁ 加速する流れの中に、様々な意見が渦を巻いている。 ©『保留【1200¥】』 「んん?投げ銭ありがとうございます!保留ですね?私と同じだ!ということで、保留でいくぜ~」 カーソルが保留をクリックすると、場面が転換する。 打って変わって背景は、重苦しい雰囲気を待とう村の一角。その画面には、立ち塞がるように並ぶ村人と、それよりも手前に一人の女性が立っている。 「その子供は処刑すべきです」 淡々と、それでいて感情を牙のように張り出したフルボイスが、耳を貫いた。 「その子供は忌み子です。畑を壊し、物を盗み、様々な悪事を働きました。そして…」 「私の子供が殺されました」 「どうして、その子はまだ生きているのですか?私の子供は命を奪われ、姿はもう見ることが出来ないのですよ。話すことも、遊ぶことも、触れることも。ああ、どうして私の子供が殺されなければならないので…」 とめどなく溢れ出す絶叫は、言葉を重ねる毎に狂気を増し、淡々としていた声色は涙を含み始め、狂乱の姿と共にフェードアウトする。 【貴方に問います。貴方はこの少年をどうしますか】
主人公【上】
主人公だから生き残るのか。 それとも 生き残ったから主人公なのか。 私は今、奇妙な事態に遭遇しています。 −ああ、神様。私は何か悪いことをしてしまったのでしょうか。でなければ何故、このようなことになっているのでしょうか。 どうやら、神様に聞いても答えは頂けないようです。 −神様のあほんだら。役立たず。鬼。悪魔。 行き場の無い焦燥は、神様にぶつけるしかありません。 この国には不思議な都市伝説が存在する。それは、“主人公と敵”という漠然としたものだ。具体的に何が起こるだとか、どのような存在だとかは何も情報が無い。ただそれだけの伝説。というより一文と呼称した方が良い程度のもので、小さい子供なんかが考えた幼稚な設定が少しばかり広まったんじゃないか。そういうふうに思っていた。 退屈な授業も終わり、やっと家に帰ることが出来る。なんだかんだと言ってもこの小さな開放感が心地良い。今日は何をして帰ろうか。買い物でもして帰ろうか。それとも何か食べて帰ろうか。これから生まれるであろう楽しい出来事に思いを馳せると、足は羽のように軽くなって、晴れやかな大空を羽ばたいているかのような気分になった。けれど、そうやって飛ぶ鳥を落とさんとする魔の手が、すぐ近くに潜んでいたのだ。 いつしか有料化された袋を下げて、自動の扉が私を丁重にもてなすと、先程まで晴れていた空には少しばかり雲がかかっている。湿っぽい風に揺られた私は、透明扉の向こうにあるビニール傘をチラリと見て、頭を振った。そして、急いで帰ることにした。 見慣れた景色が流れる度に、辺りはどんどんと暗くなる。先程までは無かった厚い雲が、まるで私を捕まえようとしているかのように空を包む。私は必死に走るものの、雲はそれよりもずっと早い速度で私に手を伸ばす。いつの間にかそれはぽたぽたと音を立て、慌ててアーケードへと駆け込んだ私を、とうとう閉じ込めてしまった。
銀振り
私はその頭の隅から隅まで、巨大なるランドマークから路地裏のささやかな立て看板までを空とし、一点の陰すらも打ち晴らすよう努める。明鏡止水に対する宛のない渇望は止むことを知らず、悠久の彼方までへと終わりのない地平線を望んでいるのだ。 適切な脱力をし、かつ頑強な土台を持ち、全身の筋からなる動作には一片の残骸さえ許さず、最も流麗であり感涙の所作を夢とする。それが私の日常という連続の中の、ある種周期的な行動であった。 銀を手に携え、その重みを肩より脳へと受ける。ただグラムを感じているのでは無い。過去人間が歩んだ大乱の歴史を、幾多もの生者を屠ったであろう重みを手にするのである。 吹き抜ける夜風は憂愁を孕み、私の思考の隅をアリクイのように突く。それを振り払うべく思考を白紙に均し、確かな重量をついに動かさんとする。 突き、払い、受け、回し、多数の動作を順に確認しこなす中、私がその響に紙揺れる一時が必ず存在した。 私はその銀を胸へと引き、全身の運動を一点へと集中させ、適切な脱力かつ頽れることない櫓を打ち立て、そして放つ。 一突きである。 私はこの瞬間に響き渡る銀の明瞭なる木霊に、必ず空の揺らぎを感じるのである。 この銀の空への呼び声は、紙を拳で撃ち抜く音によく似る。 銀振りのこの音を脳に感じた時、私は広大な世界に思い馳せ、如何に自らが矮小であるかを知るのである。 世界は広い。それはもう、思わず銀が木霊してしまうほどに。
気狂いパペット【上】
「さぁさぁ今宵もやって参りました!皆様どうもこんばんは。若しくはこんにちは?或いはおはようございます!津々浦々終日どこでも私の顔が届く限りの皆々様へ!本日もこの手操傀儡がお送りしますパペットショーへようこそ!」 調子の良いハスキーボイスが捲し立て、踊るように幕を開けた箱庭は、今日も今日とて大盛況を飾っている。 ♤ キタァァァァァ!! ♧ 今日も待ってました! ♡ 相変わらずテンション高ぇ笑 ♢ こんばんはー! 流れ行く群像は瞬く間に姿を変え、また次へ次へと押し消える。 「今日は話題沸騰の最新作ゲーム『誰を見て』をプレイしていくぜ~!」 ♡ 知ってるぞこれ笑 ♤ 神ゲーキター! 「おっと!どうやら見た事のある人が多そうだが…きっと二回目以降も楽しめる!いや、楽しませてみせる!ってことで、見てってくれよな!ああ、ネタバレは厳禁だぜ?」 ♢『今日も頑張ってください!【900¥】』 ♧ ナイス投げ銭! 画面がやかましい程に発光を始め、早数分の時間が経った。 観衆の数は大体千人程度で、それだけの目があのパペットに向けられている。 今回プレイしているのは、昨今話題になったRPG『誰を見て』だ。微ホラー要素を交えたストーリー形式のゲームで、選択肢によってその結末を変化させる周回型の作品となっている。 「ジャンルは…」 #RPG #シュミレーション #微ホラー #哲学 傀儡のタブは縮小され、相も変わらず高いトーンで喚いている。 それを横目に商品ページを眺め、並べられたタグを読んでいた。 「ふーん、今日はこれかぁ」 下方向に画面を流すと、あらすじを紹介した文章が見切れた。それを確認し素早くサイトを閉じると、縮小タブを拡大した。 あらすじを確認しても良かったのだが、今回は配信と共にストーリーを見たい気持ちがあった。人気の作品なんて大抵情報が入ってきて、フラットで楽しめることはそうは無い。 「あなたは人?それとも人形?当然俺はパペット!人形さ!最初から選択肢を選べるなんて、ワクワクしてきたぜ!」 選択と共に画面は変化し、人ひとりの影が浮かび上がる。 徐々に影は薄く、やがて色を持ち始めた。 そこには一人の少年が立っている。 巨大な断頭台が背景の中心にそびえ立ち、その様はこのゲームが如何なる世界であるかを描き起こしたかのようだ。 【貴方に問います。貴方はこの少年をどうしますか】
パーをグーで表すならば
「じゃーんけーんぽん!」 握り拳がご対面。 恐らく、この世界において大抵の人間がこのゲームのルールを知っている。そして、そのルールに則り審判をすれば、これは間違いなくあいこだ。それを判断した僕の脳は、このゲームを当たり前に続ける気でいた。だが、相手は違った。 「やったー!俺の勝ち!」 いきなりみぞおちにグーを食らった様な、突然の衝撃に脳みそが完全にフリーズしている。僕はゲームを間違えていただろうか。少なくとも僕の知っている、というか大抵の人が知っているルールではこれはあいこだ。うん、そうだ僕は間違っていない。冷静になれたことだし、とりあえず彼を止めよう。 「いや、あいこだよね?」 え?なんで?みたいな顔をしているのは何故だ。どう考えてもそっちがおかしいだろう。そんなきょとんとした顔をされても困るんだが。もしかして僕が間違っていたのか? はっと、何かに気が付いた様子で表情を変えた彼は、真剣な様子で向き直ると話し始めた。 「君は、僕が何を出したと思った?」 どう考えてもグーだと頭は告げているが、妙に真剣な雰囲気を纏った彼を前に、僕は考えた。けれども、どう考えても彼の手はグーだ。 「何をって、グーだよね」 彼はそれを聞き取って、高らかに天へと拳を向ける。暖かな日差しが彼を照らして、伸びる影の先に僕が居た。 「パーをグーで表すならば、君はどうする」 またしても僕は考える。自らの手に目線を落とし、よく観察する。一本、また一本と指を開き、そのひらが顔を出す。紛れもなく、パーだ。しかし、そのパーの中に、グーは無い。パーをグーで表すだなんて、それは矛盾している。開いた手と、閉じた手。グーパーと繰り返し見つめる僕の顔は、一体どんな顔だろうか。 「矛盾している。そう言いたげな顔だね」 どうやら見透かされているようだ。彼は続けて言う。 「パーとグー、その二つは相反するようで、その実とても近しい存在なんだ」 彼はゆっくりと手を開くと、僕の方に手を差し伸ばす。 「グーとは、その中に想いを内包するひと握りだ。そしてパーとは、そんな想いを尊重する意思だ。故に、パーはグーを内包する。この二つは相反する様に見えて、肩を並べる存在なんだ」 何かを想い、望む者が居るのならば、それを尊重する存在が居なければならない。そして彼には、まだパーが足りないんだろう。だから僕は、彼の想いを尊重しよう。 僕は彼の手を取って、固く手を結ぶ。満足気な表情を浮かべる僕を見て、彼は微笑んだ。僕達の手の中には、確かにグーがあるように思う。 僕は言った。 「どうやらこの勝負、僕達の勝ちみたいだ」
頭洗えば髪生える
シャワーを浴びながら考えるが、やはり何理解出来ない。浴びている内に自然と考えるのも辞め、流れ落ちる水の中に身を任せていた。排水溝に、白い泡が流れて行く。その光景は自分にとって当たり前で、それに対して特に何を思うことも無かった。つい最近までは… カラカラと、小気味良い音を立てて小皿が埋まっていく。 毎日必ず忘れずにそうする。そうした日課の最中に、家のチャイムが押された。誰だろうかと右手で頭を掻きながら玄関に向かい、ドアを開けた。出迎えたのは見覚えの無い顔で、思わず怪訝な表情を浮かべる。第一声は、その男からだった。 「初めまして。先日隣の部屋に越してきました」 なるほど、引越しか。心の中で安心していると、シャンプーを差し出された。 「ささやかなものですが。私、結構シャンプーにはこだわっていまして」 見た事は無いメーカーだが、見たところは良いもののようだ。しかし、今私が引っかかっているのはそこでは無い。意識しない内に、どうやら視線が動いてしまっていたようで、何かを察した男は、笑いながら語り始める。 「貴方が何を思っているのかは、分かります。この通り、僕には髪がありませんから。なのにどうしてシャンプーにこだわるのか、疑問に思うでしょう。勿論、この頭は自分で刈った訳ではありま せんよ。僕には元々髪が生えていませんので、自然と髪が生えることはありません。では、何故シャンプーにこだわるのかと言いますと。まず髪を洗うという行為は、髪がある人がすることでしょう。ですから、『髪を洗う人には、髪の毛がある』ということです。つまり、髪を洗えば髪の毛があることになるということではないでしょうか。それに 気が付いた僕は、その日からシャンプーにこだわり、毎日頭を洗っています」 一通り聞いた私がまず思ったのは、こいつは一体何を言っているのか。という事だ。いくら頭を洗おうが、髪が無いものは無い。だが、初対面の相手にここまで語られてしまうと、私は何も言えなかった。それを見て満足した男は、挨拶をして去ってしまった。 椅子に腰をかけ、もう一度冷静に考えても理解できない。掃除の行き届いた部屋の中、しばらく時間を忘れて考えていた。何故そこまで考えてしまうのか、大したことでも無いだろう。ふと時計を見れば、もう昼になる。小皿の中身を捨て空にした後、また私はそれを満杯にした。またその日の夕方も、明日も、明後日も、また空にして、満杯にした。 あの日受け取ったシャンプーボトルを眺めながら、また考える。どれだけ頭を洗おうが、髪が生えていることにはならないし、それはどう足掻いたって無駄なことだ。全くもって理解に苦しむ。本当に理解出来ない。言い聞かせるように何度も否定を繰り返し、窓の外に視線を投げ出すと、シャンプーボトルを机に置いた。 何度洗っても消えない思い出は、何度満杯にしたって戻っては来ないようで、部屋の隅には、よく見覚えのある抜け毛が残っている。
隣で
多分、この世界は不平等なんだ。 だって、こんなに頑張っている彼女は泣いていて、ただの惰性で毎日を過ごす僕は、なんだかんだで楽しく生きている。 この後ろめたさを少しでも忘れたい僕は、彼女に寄り添う。そうすれば、最低限僕は優しい人間ってことになるだろうから。 少なくとも、彼女から見れば。 僕と彼女は幼馴染で、小さい頃からよく遊んでいた。とはいえ、歳月を重ねるごとに少しずつ会うことも減っていった。もちろん仲が悪いわけでは無いけれど、高校生になる頃にはお互いに別々の関係を築いていたし、廊下ですれ違う僕達は、お互いに認知していても会釈さえ無くなっていた。 連絡アプリを覗いてみれば、最後の会話ログはもう一年近く前になる。今一度それを確認すると、僕の心の隙間にからっ風が吹き流れていったみたいで、その寒さで上着の前裾を少しだけ握りしめた。駅のホームにただ一人だけ、僕は座って風に揺られていた。 風に少しばかり暖かさが混じってきた。季節も変わり目かと思ったけど、その暖かさは少し違う。風煽られた枯葉が一枚、宙を舞う姿がある。それを自然と目で追って、ゆらりゆらりと近づいて、僕の隣まで流れて来て、そこで僕は目を見開いた。 驚きに気を取られ、何を言って良いのか分からない。そんな折、彼女の瞳から涙が零れた。 本当は何度も目にしていた。でも随分久しぶりに見たような彼女の姿に、空気も読めない心臓は鼓動を早めた。 急に泣き出した彼女に僕は焦って慌てふためく。自分のことながら情けない。 しばらくすると、彼女がぽつりぽつりと話し出す。 色々なことで失敗が重なって、辛さを抱えて帰っていたら、たまたま僕を見つけたらしい。そうして気が付かない僕の隣に座って、そのうち感情が抑えられなくなったらしい。 僕は言葉で彼女を慰めながら、考える。 きっと彼女は真剣に悩んで、努力して、失敗して、必死に毎日を生きていて…それに比べて僕は、一体何をしているんだろう。僕には、やりたいことも無ければ、何かに向かって必死になるなんて、想像も出来ない。多分、そんな少しばかりの劣等感が、彼女との壁になっているんだと思う。本当は自然と離れていったわけじゃないってことを、僕は分かっている。そして、僕は彼女の気持ちをそれとなく察していた。 だから僕は、今日も携帯をいじってる。 多分、この世界は不平等なんだ。 だって彼女の隣に居る存在は、何にも本気になれないちっぽけな存在で、そんな奴が想う彼女は、今を必死に生きている。そんな僕達は、お互いにお互いを想ってしまっている。だけれど、頑張っている彼女の想いは、きっと報われないんだ。僕みたいな存在が、彼女を想うなんて許されない。だから、彼女は報われない。なんて不平等な世界なんだろう。報われないのは、僕だけで十分なのに。 涙を流す君のとなりで、僕は携帯をいじってる。きっと、涙を流す君を見てしまったら、僕は本気になってしまうから。 ピロン─。 聞き覚えのある通知音。だけれどこれを聞くのは随分久しぶりだ。 通知の一番上には、とある人の名前がある。それをタップしてトーク画面を開くと、メッセージを確認する。 ─僕は卑怯者だ。 ここにまで君が居たら、僕は本気になってしまうだなんて、そんな責任転嫁をしていた。世界が不平等だなんて言って、自分が顔を背ける理由を作っていただけ。そんな卑怯者ももう、卒業しなければいけない。 涙を流す君のとなりで、僕は覚悟をする。 定まらない瞳孔を君の方に向け、それでもはっきりと見つめて、口を開いた。 あの日涙を流した君と僕は、幸せそうに笑っている。
梅雨ノ花町
晴れやかな青空。 「今日も絶景だなぁ」 雨の一粒も降っていない。 「あぁ、何度見たって現実か疑うよ」 暖かな日差しに照らされて、今日も口々に感想を述べる人々。 その視線の先にあるのは… 雨だ。 この梅雨ノ花町は四方八方を山に囲まれた環状の町で、東西南北にそれぞれトンネルが通っている。そこから伸びる四本の道路。それぞれ、北大道・南大道・西大道・東大道と呼ばれている。その四本の伸びた先、丁度町の中心に位置する場所に、皆の視線は注がれているのだ。 〈梅雨〉と言えば雨だろう。 それはこの町の名前の由縁にもなっている。この町は、毎日雨が降っていることで有名だ。だが、傘を指している人は全くもって見当たらない。 何を言っているのかと思うだろう。無理もない、私も最初は意味が分からなかった。 そろそろちゃんと説明をしようか。 町の丁度中央。 そのはるか上空に、太陽を遮る厚い雲がある。直径にして2キロメートルに渡る円形の雲。その影の深さは他の雲との比ではない。 そして… 巨大な水の花弁が、歪んだレンズを通した様に、空を歪ませている。 この町は常に雨だ。 正確に言えば、この町の中央に、いや、中央だけに雨が降り続けている。その姿が巨大な花に見えることで、梅雨ノ花町と名付けられたのだ。最初は、人為的に造られた滝だと思った。だがそれは自然に生まれた物だった。驚くべきことにだ。 ただ、一つ気になっている。 この町の電力は、あの雨に依存している。 直径二キロメートルの中には、巨大な水力発電所が建設されていて、その広大な発電をもって して、この町の電力を賄っているのだ。そんな重要な雨が、最近は減っているように感じる。だが、町の人々はそれに気付かない。私はこの町の住人ではないが、この美しい町を気に入って、 度々訪れる。だからこそ、この些細な変化に気付くのかもしれない。今日も町の人々は呑気に雨を眺め、絶景だと零すばかりだ。しかし、私には何も出来ない。環境の保護だとか言って、調査にも乗り出せなければ、その雨の仕組みでさえ、未だ解明されていない。呑気なものだと、雨を眺めながらそう思う。 町の中央が良く見える、景色の良い店。その中でも指折りの特等席に座っている。平日の真昼間だ。大して人も居ない。 ワイングラスを片手に、雨を眺める。 いやまぁ、一人で黄昏ている訳では無いのだが。 「それでですね…ちょっと、聞いてます?さっきからボーッとして、考え事ですか?」 「あぁ、すまないな。何の話だったか」 「しっかりしてくださいよ。今度うちの町の雨の水を売り出すって話ですよ。それだけではなく、公共事業として…」 プツン─。 「あれ、電球が切れてしまいましたかね?」 「いや、どうやら違うようだ」 「それはどういう…」 「悪いが、話は終わりだ。今回の話、断らせてもらうよ」 「えぇ!?ちょ、ちょっと!」 何やら喚く声が聞こえるが、無視して背を向ける。 ─しかし、残念だ。美しい町だったのだが。 ─そろそろ、人々も気付き始める頃だろうか。 ─今頃気付いたってもう遅いが… 停電した町に、車を走らせていた。 もうこの町に用は無いが、名残惜しさもまだ拭いきれない。 美しい町だった。 だが、手入れの無い花は長くは生きられない。 さようなら、梅雨ノ花町