ばぶちゃん

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ばぶちゃん

基本連載 時々短編 文章虚偽祭り ナポリ湾 少なめ健三郎 自然薯

無味

僕は無気力にネカフェのシートにへたり込む。射精を終えた後特有の確かな疲労感と寒気さに僕は正直になって、ボーッとしている。なんてことはない。ただ、何もかもがどうでもよくなり、先程の発情が滑稽に感じるだけだ。 僕の性液が彼女の腹であえかな暖色ライトに照らされ反射し、ウニョウニョと動いているように見える。まるで、数匹のナメクジが腹を張っているようだ。 彼女はそのナメクジを塩でも舐めるように人差し指で掬い口に運ぶ。 小さくぷっくりした唇が開き、女の子にしては少しゴツい指をいじらしく咥える。 僕は笑みを作ってその行為を眺める。 彼女もそれに答え、仰向けのまま微笑する。 僕は視線を彼女から腹のナメクジに逸らす。 腹ではなく、脇の方に外れた性液は重力に負けて脇腹を滑るように落ちていく。 僕はそっとそれを掬い、彼女と同じように舐めてみた。 なんの味もしなかった。 苦いだの、臭いだの、言われているはずの性液。だが、僕の性液はなんの味も匂いもしない。ただのドロっとした白濁の液体。 その瞬間冷たい寂寥感か少しずつ僕の体を侵食しはじめる。 味のしない性液の後味を探ろうとする自分。 それでも味のしない性液は腹の奥底の方へ落ちると、口の中にも、胃の中にさえいないように感じる。 僕は大きくため息をついた。そして、その失望感の中彼女の頭の上にあるティッシュペーパーを3回引いて、彼女の腹の性液を拭いてやった。 緩く重い沈黙。気のせいなのか、事前より重力が重くなった気さえする。 僕はシートに寝転がった。 なにも考えられず、空っぽの自分を思う。 無気力感に簡単に制圧され、僕は一滴も出ない乾いた眠気に嘘をついて、眠そうにあくびをし、眠ろうとした。 眠れるわけもないのに。開くことさえ億劫な口から乾いて臭い息を吐いて。寝息にする。

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無味

朝の風

246号線を朝日の方へ向かって走っていく人たちの顔には茜色の朝日が塗られていた。 みんな一様にその紅潮した顔に、鬱屈した、どこか、悄然とした色がうかんでいる。 そんな彼らのことを僕はコンビニの前で、うんこ座りでタバコを吸いたがら見るともなくぼーっと眺めていた。 タンクトップでは少し肌寒い戸外の空気。6月らしくない爽やかな天気と気温に戸外は満たされていて、僕はその空気を汚すかの如く、ジリジリとタバコ短くした。 正直タバコはあまり美味しくなかった。 タールが重いからなのか、それともIQOSを吸う機会が増えたからなのか、とにかく紙タバコことが減ってからといもの、紙タバコの味は吸うたびにどんどん不味くなっていっていた。 僕は仕方なくまだ半分残っているタバコを地面に擦り付け、立ち上がりコンビニの駐車所から出た。階段を降り歩道に出ると、朝焼けして黄金色に輝く東の空が現れ、僕の目の奥をジンとさせた。僕は思わず、目を細め、眩んだ空がにぼんやりと視界映った。少し冷えた戸外に体が少し震え、僕は自分の腕を摩った。 もう、朝で、もうすぐこの街は太陽に支配されようとしてた。 マンションの外壁に塗られた朝日、白く焼けた雲、透き通るような綺麗な水色の空。誰もが疎み、誰もが待つ明日と未来が今日もやってくる。僕にとって今日は待っていた未来なのか、少し考えてみたがわからなかった。渇望した未来は、現在が作る。僕はそんな名言のような当たり前の言葉を脳内で音読してみて、なんだか恥ずかしいような気分になった。 極論、どうでも良かった。 明日とか未来とか。歳を重ねるにつれて、それらは不安に侵食され、小さい頃に見ていた明日や未来とはまるで違う、虫の大群のような醜悪な、いや、目を背けたくなるようなものに変わった。 明日や未来など来ないで、平坦な今日がずっと続けばいいと思う。だけど、時間、いや、もっと究極的な概念はそんなことを許すことはなく、無情にもまた、明日を連れてくる。 拒むことなんて誰もにもできず、できることといえば準備をするか、希望を持つか。はたまた絶望するか。どれかしかない。少なくとも小さい頃の僕は絶望なんてしてなかった。毎日毎日明日を待ち侘びるかのように早く寝て、起きれば、元気いっぱいに、おはようと、家族に対して挨拶をし、これでもかというくらい気持ち良い光合成をしてた。だが、時間が経った今の僕は、挨拶をするどころか、黄金色の朝日を睨んですらいた。忌々しいとすらおもっていた。 横断歩道を渡り終えた頃には黄金色の空はマンションの影に隠れ、くたびれた煉瓦の茶色に変わった。 冷たい風が吹いた。 その風はタンクトップの隙間を縫って、脇からはみ出る脇毛を軽くくすぐると、颯爽と通り過ぎていった。 冷たい風ははるか上空に舞い上がる。 焼けた薄い雲とその上にある青空に吸い込まれていく。 青空はその風に撫でられると、甘い波紋を立てる。揺れて、そして、静かな大海原へと帰る。 風は、また、何かを揺らさに旅に出る。揺らしてまた、誰かは不安になる。

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朝の風

わからない言葉に美しさを

知らない。  何を言ってるのかも、何を語っているのかも。  けど、それが素晴らしいことを歌ってることだけはなんとなくわかる。  少し嗄れていて、けれど、どこか透き通っていて。  彼の声は、訴えていて、嘆いていて、鼓舞していて、慰労している。  言葉は知らない。  英語だもの。僕は英語が苦手だ。中学2年の夏くらいに挫折にしてそこで英語の知識止まっている。だから、僕には動詞や形容詞や主語そんな初歩中の初歩のことしかわからない。  だから彼の声はまるで耳のそばで鳴ってるようにしか感じない。  それでも彼の言葉は素晴らしいのだろう。  涙を流して、ヒクヒクと体を震わす物なのだろう。  ショーシャンクの空に  あの映画のワンシーンをふと思い出した。  冤罪で刑務所に収監された主人公のアンディーが放送室でレコードを流し、受刑者たちはその音楽に酔いしれ、皆ぼんやりと空を見上げる。  わからない方がいいこともある。  ナレーションがそんなことを言った。  そうなのかもしれない。  いや、きっとそうだ。  何を言っているかわかっても、内容を理解しようとして、それこそ浅い解釈にとどまるだけだ。  知らなくていいのだ。  知らない方が素晴らしいまま保存してられる。  知らなければそのジップロックの中に余計な空気も菌も入らないから腐ることはない。  永遠に漠然とした美しさを保ってくれる。  知らない。  知らない方がいい。 美しさを与えるのは自分でいい。 享受していると思っている美しさは、認識という感覚から委託された、一つの名前にすぎない。

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わからない言葉に美しさを

物が落ちたような音

物が落ちたような音  テレビから漏れるアナウンスサーのそんな言葉を僕の左耳が捉え、もう片方の耳では母の毎朝恒例の急かす言葉を聞く。 「また、遅刻ギリギリじゃないの、机の上にお弁当置いてるからね。今日も忘れたらあんたの夜ご飯つくらないからね」  僕は適当にに返事をし、バックを肩にかけた。  女子高校生2人の死体が駐車場付近で発見され、1人は即死、もう1人は発見直後までは息はありましたが搬送先で死亡が確認されました。  縷々と語られる女子高校生2人の自殺の報道、僕の耳は自然と母の煩わしい声を遮断し、そのニュース内容に吸い取られていた。 「優!聞いてるの!」 「あ、え、ごめん」  僕はまの抜けた返事をした。 「もー、シャキッとしなさいよ。もう小学生じゃないんだから」  母の甲高い声が部屋にこだます。もう自殺の報道はすでに終わっており、次のトピックにニュースは移っていた。  今全国セブンイレブンでは春の桜フェアが開催されており、桜をモチーフにしたさまざまな商品が展開されています。その中から何品かスタジオにお持ち致しましたので、是非みなさん食べてみてください。1人のキャスター明るい口調でそう言い、画面がスタジオに切り替わると、もうすでに説明していたキャスター以外はみな桜のスイーツを口にしていた。 「ええ、もう食べてるんですかー」わざとらしくメインキャスターの女性が声を上げる。 「美味しそうだったのでつい」  と男性キャスターが幾分こもった声で答える。  なんてことはない。普段通りのクソ退屈な報道番組。そして、こちらも負けず劣らずクソつまらない毎朝の母とのやりとり。僕は大きくため息をつく。  母はまだ何か言っている。  まーいいや。 「行ってくるよ」僕は母の怒涛のぼやきを聞き流し玄関に向かう。 「ちょっと優!お弁当!」  あ、 「もーほんと勘弁してよ。あんたにボーッとしてない日はないの?」 「ごめんなさい」  僕はつぶやくようにしかし、しっかり母には聞こえるように言った。 「いってらっしゃい。気をつけてね」  母は打って変わって優しい口調で言った。 「うん。行ってきます。」  住宅地の平凡なアスファルト道に春の麗らかな陽光が敷かれている。僕はその道をぼんやり歩く、物が落ちるような音 先ほどの女性キャスターの言葉がバネのように伸縮性を持って頭の中を跳ね回る。  そんな音がするのか。  僕と同じくらいの歳の人間がどこか遠くで物が落ちるような音を立てて死んだらしい。僕には何の変化はないが、死んだらしい。僕にも母にもこの道にもなんの変化はない。  変化はないのだ。  だが、明らかに僕の中に異質な物が生まれていた。それは何か僕にはわからない。僕と彼女たちの死に接点なんて一つとしてない。はずだ。なのに、モヤモヤとする。にわかに煙が心中に立ち上る。  ぷーー!!!  突然クラクションの音が耳をつんざく。  うわ!!  僕は情けない声を出して素早く一歩引いた。信号を見てみる。赤だった。  あ、僕は死にたくないんだ。  なんとなく今僕はそう思った。そして彼女たちの死が僕にもたらしたものが何かがなんとなくわかってしまった。

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物が落ちたような音

逃避行14

新大阪の繁華街を僕らはなんとなく歩いた。平日だというのに人は巣の周りを這う蟻のようにうじゃうじゃ歩いており、四方八方から革靴の乾いた音が僕の耳を刺す。鬱陶しく感じ、息苦しさえ僕は覚える。そして僕は今初めて人混みが苦手なことに気づいた。まー、人混みが好きなやつもそうはいないが。  辻は何かを探しているようだった。  ここに行きたいと僕にスマホの画面を見せてきたが僕がわかるわけもなく、先ほどから同じ道を行ったり来たりしている。 「だからGoogleマップは嫌いなんよなー」  辻はそんなことをぼやきながら、またタバコに火をつけた。 「辻さんよくタバコ吸いますね。そんな美味しんですか?」  特に興味というものはなかったが僕はなんとなく聞いてみた。 「え?」  辻はスマホから僕に視線を外した。 「あー、タバコね」  辻は笑いながら人差し指と中指で挟まれているタバコを空にかざし眺めた。 「別に好きなことないよ。癖や癖。」  そう言うと辻はかざしたタバコを口元に持っていき、深く吸い、機関車からでる煙のような濃い煙をゆっくりを吐き出した。  おいしそう。不覚にもそう思わされる。 「一口くださいよ」僕はそんなことを言ってみた。 「アホか、百年早いちゃーねん」  辻は僕の頭を優しく叩いた。

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逃避行14

逃避行13

暫くしてから妹が起きた。 「兄にぃ、ここどこ?」妹はまだ眠気から完全に目覚めないまま僕に聞いた。 「新大阪や、とっくについたんやで。」 「え?そうなん?じゃあ、もう新幹線のるん?」  僕は黙った。まだ答えは出していなかった。  すると辻が僕を察して口を挟んだ。 「まー、とりあえず食おや、俺腹減ったわ」  と明るく言った。 「雫ちゃんはお腹減ったか?」  続けて辻がいう。  妹は、んー、と声を漏らしながら考え「へった!」」と閃いたように言った。 「そうか」と辻は笑い、今度は僕の方に向きなおり「辰巳はどうや」と聞いてきた。 「もう嘘はええぞ」  僕は気圧されることなく素直に「へりました」照れるように言った。  すると辻は意外そうな顔をして「初めて笑った顔みたわ」と言った。  確かに僕はここまで来るのにほとんど笑うことはなかった。笑うと言って妹に対する微笑みくらいで、それは自分を鼓舞するような自己暗示的なものばかり、無意識に出るような笑みは久しぶりであったかもしれない。 「なんかすみません」 「ええよ別に、けどな、笑うことは大切や、嘘笑いでもええ、笑い。わかったな」 「はい」  辻はニコッと笑った。辻は笑った顔がよく似合う。三日月のように綺麗に湾曲する目、その間から濁りのない目が、川底を滑らかに泳ぐ魚の鱗のようにきらっと光って見えた。  僕は初めてこの男を信用しようと思えた。そして、辻という男に対して、やはり、好意的なものを芽生えせる自分がいた。  

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逃避行13

味はしない

僕は無気力にネカフェのシートにへたり込む。射精を終えた後特有の確かな疲労感と寒気さに僕は正直になって、ボーッとしている。なんてことはない。ただ、何もかもがどうでもよくなり、先程の発情が滑稽に感じるだけだ。 僕の性液が彼女の腹であえかな暖色ライトに照らされ反射し、ウニョウニョと動いているように見える。まるで、数匹のナメクジが腹を張っているようだ。 彼女はそのナメクジを塩でも舐めるように人差し指で掬い口に運ぶ。 小さくぷっくりした唇が開き、女の子にしては少しゴツい指をいじらしく咥える。 僕は笑みを作ってその行為を眺める。 彼女もそれに答え、仰向けのまま微笑する。 僕は視線を彼女から腹のナメクジに逸らす。 腹ではなく、脇の方に外れた性液は重力に負けて脇腹を滑るように落ちていく。 僕はそっとそれを掬い、彼女と同じように舐めてみた。 なんの味もしなかった。 苦いだの、臭いだの、言われているはずの性液。だが、僕の性液はなんの味も匂いもしない。ただのドロっとした白濁の液体。 その瞬間冷たい寂寥感か少しずつ僕の体を侵食しはじめる。 味のしない性液の後味を探ろうとする自分。 それでも味のしない性液は腹の奥底の方へ落ちると、口の中にも、胃の中にさえいないように感じる。 僕は大きくため息をついた。そして、その失望感の中彼女の頭の上にあるティッシュペーパーを3回引いて、彼女の腹の性液を拭いてやった。 緩く重い沈黙。気のせいなのか、事前より重力が重くなった気さえする。 僕はシートに寝転がった。 なにも考えられず、空っぽの自分を思う。 無気力感に簡単に制圧され、僕は一滴も出ない乾いた眠気に嘘をついて、眠そうにあくびをし、眠ろうとした。 眠れるわけもないのに。開くことさえ億劫な口から乾いて臭い息を吐いて。寝息にする。

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味はしない

穏やかな

特に変わったこともなく、電車が停車音を立てながらホームに入ってくる。 ノロノロと減速し、ガスが漏れるような音を立てて完全に停車する。それと共にアナウンスがなり、ホーム側と電車側の二重の扉が開く。 日曜日ということもあってか、日中にも関わらず車内は人が混み合っていた。 僕は座席前の吊り革に捕まる。 そしてベルがなり、電車が発進する。 薄曇りの戸外。 白い景色に落ち混むように家々が穏やかな乱立を見せ、その見栄えのない景色が退屈に流れて行く。 僕の頭も曇っている。 とは言っても落ち込んでいるわけではない。ただ、眠いだけだ。 いや、もっと正確に言えば、寝不足により脳が疲れているだけかもしれない。 だが、穏やかではあった。 イヤホンから流れるピアノ伴奏がそうさせているだけなのかもしれないが、それでも穏やかな気持ちに変わりはなかった。 ただ、ここにある穏やかさが恋しい。そう思える今。 どうせ時間が経てばこんな安寧の気持ちは簡単に崩れ去る。 砂でできた塔のように、ちょっとした波でバラバラになり、無かったものになる。 わかってはいるが、それでもこの穏やかな気持ちは、触れているだけで、安心する。 優しくなれる。 まるで赤ん坊の頬に触れているような静かな優しさで、浮世を眺められる。  流れる電車の中。 川底を滑るように泳ぐ魚になった気分で僕は外の景色をただ呆然と眺めている。 陽光が末広がりに満遍なく地上に降り注ぎ、白く光る。 なにも考えてないだけかもしれない。 考える脳味噌を持ち合わせていないからかもしれない。たが、いつもと違うことだけはわかる。いつもより僕は、僕の外にいて、 僕はここにいない実感をする。

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穏やかな

逃避行12

僕は大阪の西成区にある団地の子として生を受けた。家族は母だけで、父は僕が生まれる前に他界し、女手一つで僕は育てられてきた。と言っても育てられたというのは便宜上そういうしかないだけで、実際育てられた覚えなどない。  父の死因は知らない。そして父と母がどういった経緯で出会い、結婚したのかは聞いたことはない。だが、父は母と反対で落ち着いる、優しい人間だったことだけは知っていた。それは、酔った勢いで母が時々漏らしていた。「優しかった」「何でもしてくれた」「愛してる」などと、泣きながら嘆いたりした。  母は自分の感情がコントロールできない人間だった。それは俗にいう何かの精神疾患であったりするのかもしれないが、それは今でもわからない。病院に連れて行っておけば良かったと思う時もあるが今になってはもうどうでもいい。  そんな情緒不安定な母は僕の小さい頃にはよく手を上げてきた。  僕が腹を減ったとごねると、寝小便をすると、とにかく母の機嫌をそこねるような事があれば、母は僕を殴り飛ばし、逃げるように丸まった僕の体を何度も何度も踏みつけ、その場にあるいろんなものを投げつけてきた。 虫になったようだった。 そこら中を這う、蟻の一匹になったかのように彼女は一匹のひ弱な蟻を打って、蹴って、痛めつけた。  その頃の僕には何が何だかわからなかった。ただ、母を怒らせてしまった、悪いことをしてしまったのだ、と解釈をしてひたすらに謝った。 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 「もう、うるさんだよ!」  母は金切り声を上げ地団太を踏み、頭を掻きむしる。手入れのされていない時の母の髪はまるで使い古された箒のようにしゅわくちゃで、魔女のようだった。 「こっちこい!」  と母は僕Tシャツの後ろ襟部分を乱暴につかんでベランダの方へ引きづる。 「ママ!ごめんなさい!ごめんなさい!」  僕は涙を流しながらいつも必死懇願する。 「だからうるさいんだよ!」  母がベランダの窓を開ける、すると一気に冷たい空気が室内になだれ込む。  そしてそのまま僕は冷たく小さな箱に投げ入れられる。 「ここでじっとしてろ」 「ねえ!ごめんなさい!ママ!ごめんなさい」  母は僕を睨みつけながら鍵を閉め、素早くカーテンを閉める。  僕はここに行くまでの記憶は鮮明に覚えている。怒らせ、ベランダに放り込まれる。そこまでの記憶はしっかりあるのに、ベランダでの一人の時間の記憶はほとんどない。何をしていたのか、何を見ていたのか、何度も経験したはずのその時の記憶、それだけが僕の中からすっぽりと抜け落ちていた。 まるで、なにもなかったかのように、記憶は色と音を失い、ただ、恐怖と不安、そういった不快な感覚だけが、記憶としてではなく、トラウマのように、今の僕に刷り込まれている。

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逃避行12

逃避行11

「腹たったか。」  僕はなおも辻を睨んだ。 「おれはあくまでも客観的な意見を言うたんや。お前ら兄妹に対しての私情は挟んどらん」  辻は判然と言った。  その言葉は一見辛辣そうに聞こえた。だが、それは確かな現実だった。  ぼくは辻の真っ直ぐな視線から逃げて、項垂れた。  確かにそうだ。僕は逃げれたらなんでもいいと思っていた。その後の暮らしのことは何も考えてなどいなかった。いや、考えてはいた。いたのだが、甘すぎた。適当な田舎のアパートを借り、仕事をして、ご飯を食べて、寝る。そして、また仕事に出る。僕は妹の側にいることだけを考えすぎて、妹の幸せを蔑ろにしていた。この子の学校生活は僕の開けたくない引き出しの奥にしまってあって、心地温風だけが息吹く、戯言の世界をずっと想像していた。あの地獄から脱出際できればなんの支障もなく、慎ましく2人で暮らしていけるとどこがで思っていたのだ。 「甘すぎるで」  と辻が呟いた。  それはまるで僕の思念を読み取っているかのような言葉だった。  僕は苦虫を噛み潰す思いで 「はい」と苦し紛れに言った。 「ちょい、待っとれ」  辻はそう言いまた外に出た。  辻は誰かに電話をかけているようだった。空いた左手で、タバコを取り出し、咥え、火をつける。  辻の非常にスムーズなその動作に僕は不覚にも、かっこいい、と思ってしまう。  電話対応する辻は最初厳しい表情で要件を喋っているようだった。そして、時間が経つにつれ、それは懇願するような、情けない表情に変わっていった。  一体誰に電話しているのだろうか。僕はまじまじと辻の電話する姿を観察した。  辻がタバコを地面に捨てた。それが合図だったかのように辻は電話を切り、車に戻ってくる。  運転席に座った辻は次はバックミラーではなく、直接僕を見た。 「お前ら、俺の実家に行け。送ったる。」  は?この男いったい何を言っているのか。いくらなんでもそんなの信用できるわけがない。というか、見ず知らずの人間にここまでするなんて普通考えられない。  なにかあるに決まってる。だか、家にあげてくれたり、送ってくれたりと、ここまでやってくれた人間に、信用できない なんて言えるわけもない。 「い、いや、それは流石に」  吃りつつ言った。  すると辻はまたもや、僕の心を見透かしたように「信用できへんか」と言った。 「正直」  僕は辻の目を見ないで言った。見れるわけがなかった。 「まー、そりゃそうやろうな」  辻の反応は案外あっけらかんとしていた。だが、辻はしばらく考えた様子で、ハンドルに置いた手の上に顎を乗せ前方を凝視した。  冷たい空気が外から入ってきてるかのように、車内は冷たい空気に満たされた。言葉が出ない僕。 今日はやけに天気が良い。冬らしい鋭い陽光に街は光り輝き、薄く曇ってさえ見えた。 どうしたら良いか、どうするべきか 僕の答えは不安の壁に滞り、行き場をなくしていた。  不安な静寂、辻はそこに切れ込みを入れるように、僕に助け舟を出した。 「どうするかは自分たちで考え、今すぐ答え出せとは言わん。ただ、おれはお前らみたいのほっとける育ちはしとらん」  「はい。」僕はそう答えるしかなかった。

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逃避行11