ユー

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第四章 ~古の魔人~ 10

 アレイスの活動拠点となった廃ホテルの一室。負傷したメンバーの手当をしていたのは、ステラだった。手当を受けるセルフィーは、その手際の良さに一人驚いていた。これまでも負傷したメンバーの手当は彼女が請け負ってきたらしい。射撃の腕の良さといい、治療の腕の良さといい、どうやらステラはかなり器用な人間のようである。 「さ、これで終わりよ。しばらくは安静にしておいてもらわないといけないけど、あんたにはラグナやリィーガーの整備もしてもらわないといけないからね。せめて二人が帰ってくるまでは部屋で休んでいるのよ」  幸いなことにセルフィーが受けた傷は、他のメンバーと比べると比較的軽いものだった。全身に複数箇所の打撲を負い、亀裂に捕らわれた足の傷は縫合が必要だったが、骨折のように長期間活動が制限されるような傷はなかったようだ。それよりも体力的な疲弊の方が激しく、体は十分な療養を求めていた。 「はい。どうもありがとうございました。あの……ステラさんこそ、無理はしないで下さいね」  気遣いを見せるセルフィーの言葉を聞いて、ステラはキョトンとした表情を浮かべる。呆けたようなその顔は、これまで見せ続けていた険しい表情からは想像出来ないもので、笑みこそ浮かべないものの、常に氷山の一角のように尖っていた目尻が僅かばかりに緩んだような気がした。 「まさか、あんたに心配されるなんて思ってもみなかったわ。人のことはいいから、早く部屋に帰りなさい」 「は……はい。すみません。それじゃあ、失礼します」  口調こそ今までどおり尖っているものの、ステラが見せるこれまでとの表情の違い、そして久しく向けられることがなかった親しみが滲む言葉に僅かに胸を弾ませながらセルフィーは立ち上がる。と同時に、ゴンゴンと不躾に部屋の扉をノックする音が響いた。 「ステラ、私だ」  扉の向こう側から聞こえたのは、聞き馴染みのある嗄れた低い声。デュオルが封鎖地区を去り、ラグナとリィーガーがフリーデ号内で見張りを行っている今、拠点にいる人物は残り一人しかいない。 「ガロンね。ええ、もう入って来てもいいわ。セルフィーの手当も終ったところよ」 「セルフィー……。そうか……。セルフィーも一緒か」  招かれたガロンは、何故か少しだけに躊躇いがちに声のトーンを更に低くする。女性が二人でいる部屋を訪ねて来たのが気まずかったのかとセルフィーは思ったが、姿の見えない扉の向こう側で生じた気配は動揺というよりも迷いのような印象だった。 「うむ……、これが好機かも知れぬな。セルフィー、今から部屋の中に入るが……あまり驚かないでくれ」  言葉の意図をセルフィーが推し量るよりも早く、扉が開かれた。そこに佇んでいたのは、馴染みのある声の持ち主に間違いはずなのだが、想像とはまるで違うシルエット。一瞬、セルフィーは壁に黒い影が映っているのかとも錯覚した。全身を被う黒い体毛に、ピンと尖った耳。鋭い目は金色に光り、口からは獰猛そうな牙が覗いている。  夢から目が覚めたかのようにセルフィーの両の瞳は大きく開目し、自然と腰から力が抜けその場にぺたんとへたり込む。封鎖地区の支配が始まってから八年もの長き時を掛けて刷り込まれた潜在的な恐怖が、思考と体の自由を奪い、全身を小刻みに震わせ始めた。 「隠していてすまなかった……。見てのとおり、私は……亜人だ」  黒い獣の出で立ちをした亜人を名乗るその者が発した嗄れた声は、間違いなくガロンのものだった。    ラグナは|改造人間(サイボーグ)、リィーガーは|人造人間(アンドロイド)、ステラは|混血(ハーフ)。ガロンもほかのメンバーと同様、普通の人間ではないということはマスクの下にあるシルエットの形から何となく察していた。アレイスが人間と亜人、両種族の真なる平等を目指す組織であり、人間のデュオルがいるのならば、当然亜人のメンバーがいたとしても不思議なことではない。しかし、それを受け入れる心の準備はセルフィーにはまだ出来ていなかった。初めてデュオルと顔を合わせたときに感じた嫌悪にも似た感情とはまるで違う、単純なるも明確な恐怖がセルフィーの胸の内を支配していた。 「君たちドゴラ地区の住民が亜人たちから受けた数々の仕打ちを考えれば、私という存在は受け入れがたい存在であることは当然理解している。だが、これからこの封鎖地区は間違いなく激動を迎える。アレイスのメンバーとして、多くの覚悟が必要になると思う。本当は徐々に慣れてくれたらと思っていたんだが、おそらくそんな悠長な時間もないだろう。だから、敢えて今このタイミングで姿を晒させてもらった。理解してくれ」  聞き馴染みのある声でなければ、言葉の内容は耳の外で跳ね返っていただろう。セルフィー自身もアレイスのメンバーとして活動していく以上、いつかは亜人という存在を受け入れなければならないことは理解していた。しかし、八年間で受けた心の傷は容易にそれを実現可能なものにならしめない。 「ステラ、立て続けで悪いが傷の手当てを頼む。ラグナとリィーガーの交代に行かねばなるまい」  ガロンは自身の存在をセルフィーに強要しようとはしなかった。恐怖に心を惑わせるセルフィーの脇を通り抜け、ステラの側で腰を下ろす。ステラはセルフィーに対して何も声を掛けようとはせず、ガロンの治療の準備に掛かった。 「少しだけ……話をさせてもらって構わないか」  未だ部屋の中で震えるセルフィーに対して、ガロンが静かに口を開く。 「無理にこちらの方を見なくても構わない。耳だけ傾けていてもらえばそれでいい。……私と、リィーガー。それから亜人国の国王、リズ=フランドール=ラーナガルド陛下のことだ」  セルフィーの反応も待たずに、ガロンはまるで請け負った義務を果たすかのように淡々とした口調で語り始めた。 「私は以前、ラーナガルド王国軍の密偵役を務めていてな……。信じられないかも知れないが、リィーガーも元々はラーナガルドで製造されたものなんだ。彼は陛下の側近だった。敢えて人間タイプのアンドロイドを造ったのは、陛下の御意向によるものだ。亜人たちに、少しでも人間に親近感を持ってもらえるようにと……な」  セルフィーの心の準備も待たずに語られ始め、そして唐突に明らかになった意外な真実。受け入れる準備はまだ何も出来ていなかったが、矢庭に耳から入ってきた真実がセルフィーの心の中に進入し、恐怖でいっぱいになっていた胸の内に無理矢理隙間をつくり割って入ってきた。 「亜人から支配を受け続けてきたセルフィーには想像の余地もなかったかもしれないが、ラーナガルドの国王陛下は、長きに渡る人間と亜人の対立に終止符を打ち、真なる平等の世界を築こうとしておられた。……我々アレイスが掲げる目的と同じように、な。  アレイスが結成されたのは、国王陛下がいたからこそなのだ。私やリィーガーは当然のこと、人間世界と亜人世界との境界であるフロンティア地区での抗争が切っ掛けで陛下と知り合ったデュオルも、陛下のお考えに感化され、空兵でありながら平等思想を掲げるようになったのだ」  話が進むにつれ、次第に恐怖で高鳴っていた鼓動が沈静し始め、セルフィーは落ち着いた心持ちでガロンの話を受け入れられるようになってくる。予想外の事実に単純に興味が生じ始めていた。 「私とリィーガーが人間世界を訪れた理由は、陛下の言い付けによるものだった。我々二人に、人間の世界を見て来いと。そして、一通の親書を人間世界の政府に届けるようにと……。  その親書の内容というのが、人間世界に対して協定を呼び掛けるものだった。今こそ、互いに少しずつ歩み寄る努力を始めようと。人間型のリィーガーであれば人間世界を歩いていても何ら不自然ではないし、密偵役の私は隠密に行動する能力に長けている。そして、陛下と面識のあるデュオルならば、我々と人間政府との架け橋役になってくれる。和平協定が結ばれる日はそう遠くないと、誰もが信じていた……」 「そ……それじゃあ、一体どうして……」  恐々としながらも、セルフィーは初めて自ら亜人の姿をしたガロンに話し掛けた。まだかなりの抵抗はあったが、彼の話を聞いていて、恐怖を押しのけ問い掛けずにはいられなかった。 「うむ、当然腑に落ちんだろう。  ドゴラ戦争……。平等思想が広がり始めようかという状況下で、一体何故戦争が勃発したのか……。  火蓋が切られたのは我々が人間世界を訪れて、まだ間もない頃のことだった。事実は皆が知ってのとおり、ラーナガルド軍が突如として人間世界のドゴラ地区を急襲したことに端を発する。  理由については……未だはっきりとしたことは分からぬ……。戦火の混乱に紛れて、ラーナガルドとの通信手段は完全に途絶えてしまった。  多くの人間の予想は、ラーナガルド軍が軍備拡張を目的として、人間世界のドゴラ地区を欲して攻撃を仕掛けたとされているが……、当然陛下がそのような命令を下すわけがない」 「ラーナガルド王国内部で、何か異変が生じた……ということですか?」 「陛下の側近である我々がそのお側を離れた直後に戦争が勃発した。何者かが陛下の御身辺の警備が薄くなる機を窺っていたと考えるよりほかない。王国内部には陛下の御意向に同調する者も多くいたが、当然反対する者たちも少なからず存在していた。王国内部の反対派と、反人間思想を抱く過激派が手を組みクーデターを起こし、無理矢理軍事指揮権を奪い取った……と推察するのが最も妥当なところだろう」 「じゃあ……亜人国王は……」 「……陛下は誰からも慕われる名君だった。御意向に賛同することが出来ない者たちが存在すれど、そのお命を奪えば戦争に勝ったところで内部から反乱が起こることは必至だ。事実を確認することは未だ出来ぬが……王国から逃げどこかに身を隠しておられるか、それとも拘束され軟禁されているか……そのどちらかではないだろうか」 「え……でも、そうなると……。ち……ちょっと待って下さい……」  明るみに出た情報の多さにセルフィーの頭は完全にこんがらがってしまっていたが、全くついて行けないわけではなかった。しかし、だからこそ、脳裏に何かが引っ掛かった。  戦争の引き金を引いたのは、亜人国ラーナガルドの国王リズ=フランドール=ラーナガルドの思想に背く過激派の者たち。  その過激派グループが戦争終結後、封鎖地区を支配し始めた者たちであるということは必然だろう。  そして、過激派グループの一員として、この封鎖地区内で指揮権を握っていたのが、ヒューゴとリオの二人。ラーナガルド本国にもまだ過激派の者たちが存在し、二人よりも上位の者がいるのかもしれないが、二人がグループの中でも相当の地位を持っていることは間違いないだろう。  そして、そんな二人が人間世界に存在していた組織であるザッハークとの繋がりを示唆している。 「混乱するのも無理はない。我々とて真実を知りかねている。はっきりとさせなければならぬのは、過激派グループとザッハークという組織の繋がりと、その目的についてだ」  まるで混乱するセルフィーの脳裏を覗いたかのようにガロンが呟いた。ガロンの言う通りなのである。話を聞いて引っ掛かったのは、ザッハークという組織の存在があったからなのだ。確たる証拠こそないものの、人間世界で弾圧を受けたザッハークと、亜人内部の過激派がどこかで繋がり、戦争の糸を引いていた可能性は十分に考えられる。両者が繋がったのが戦争の前か、後かは分からないが、それをはっきりさせない内に武装蜂起を仕掛けることは、根本的に間違っているのではないか。それでは結局新たな戦争に勝利し、例え封鎖地区が解放されたとしても、両種族の平等というのは到底実現し得ない。リズ=フランドール=ラーナガルドの所在をはっきりとさせ、戦争の引き金を引いた者たちを排除し、真実を明るみにするのが先ではないのか。  セルフィーの胸の内に沸々と焦燥感が沸き上がってくる。ガロンの言う通り、時間があまりにもなさ過ぎる。ヒューゴとリオの二人は、おそらくザッハークのことについては死んでも口を割らないだろう。そうなれば、二人が潜伏していたフリーデ号内部をより詳しく調査し、ザッハークという組織の証跡を探る必要があるが、そのためには早急に負傷したメンバーの治療や修理を行わなければならない。しかし、デュオルは既に武装蜂起の是非を決める幕僚会議に向かっているのだ。 「我々が今慌てたところで事態は何も変わらない。我々がすべきことは、まずフリーデ号の内部を可能な限り探り、ザッハークの手掛かりを探し出すこと、そして明らかになった事実を逐一デュオルに報告することだ。幕僚会議の開催までに間に合わぬことは仕方ないが……デュオルも状況は理解している。武装蜂起にも待ったを掛けてくれるはずだ。だから……信じよう」  そう言いながら、一人そわそわとするセルフィーとは対照的に、ガロンは静かに瞳を閉じた。

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第四章 ~古の魔人~ 10

第四章 ~古の魔人~ 9

 結局、フリーデ号にはラグナとリィーガーの二人が一時的に残り、ヒューゴとリオの監視を続けることになった。生身の体の手当の方が優先ということである。二人も激しい損傷を受けていたが、どちらにせよセルフィーが手当を受けないことには、二人の体をまともに整備することも出来ない。  ヒューゴとリオが所持していたゲートの開閉装置を操作し、セルフィー、ステラ、ガロンの三人は一先ず渓谷内から脱出した。  調査活動中、拠点に待機していたデュオルはなかなか入ってこない通信にかなりやきもきしていたようだが、全員の無事を知り、まずはひどく安堵の表情を浮かべていた。特に、加入したばかりで危険な活動をさせるつもりはなかったにも関わらず、かなりの怪我を負ってしまったセルフィーに対しては、彼女が恐縮するくらい心配をしていた。  封鎖地区の実効的支配者である二人を落としたことで、八年もの間保ち続けられてきた厳固な沈黙は、ついに打ち破られることになった。解放に向けた確かな足掛かりは間違いなく築くことが出来たはずなのだが、拠点で再び目を覚ましたセルフィーの胸の内には、何故だか言い知れぬ強い違和感が蟠っていた。  夜明け前、巡視員のほとんどが街から消え失せたことを踏まえ、デュオルはセルフィーたちと入れ替わるように拠点を抜け出し、フリーデ号へと足を運んだ。  船内の一室に軟禁したヒューゴとリオの見張りをラグナに任せ、とりあえずまずはリィーガーの案内の元、ザッハークという組織が存在を顕わにした貨物室へと向かった。そこで初めてギガースの姿を目の当たりにする。 「なんと……」  百を超える死線を潜り抜けてきた名将も、目の前に君臨した魔人の名を持つ生物を目の当たりにして流石に驚愕を禁じ得なかった。 「どうやら尋常ではない速度で成長を続けているようだな」  その再生能力の早さにリィーガーも肝を冷やしていた。一体どこまで成長すれば完全体となるのかは皆目見当も付かなかったが、不気味に蠢き続けるその肉界を見れば、少しずつ復活へと近付いていることは明白だった。 「……いっそのこと水槽をぶち破って、培養液を抜いてやるかな」 「いや……それは待て。何が刺激となり復活するかは分からん。まだ完全体でないにしても、不完全状態で動き出さないという保証はどこにもないのだ。こんなものが今、この場で目を覚ましたら、おそらく人間世界は為す術もなく滅ぼされる……。まさか、魔人ギガースまで所持していたとは……」  デュオルは戦々恐々としながらも慎重な判断を下した。かつて旧世界を滅ぼしたとされる古の魔人は、産業文明が発達し兵力が著しく向上した現代世界においても人々を震撼させる脅威的な存在であることは、空軍将校であるデュオルの反応を見れば明らかであった。 「……想像以上の成果を得ることが出来た。リィーガー、少し早いが私は一旦封鎖地区を出る。取り急ぎこのギガースのことやザッハークのことを報告せねばなるまい。……こんなものが完全復活し、亜人たちの手に渡れば、いくらダイダロスでも到底太刀打ち出来ないだろう」 「ああ……それがいい。司令官の二人が落ちたことがラーナガルド王国に知られる前に、上層部で情報共有して対策を打っておいた方がいい」 「うむ。お前たちは……申し訳ないが今しばらくこの地に残り、ギガースと……それからザッハークと結び付いていると思われる司令官の二人の監視を続けてくれ。ザッハークの目的や亜人たちとの関係性を明らかにしないうちは武装蜂起は避けたいところだが……もはや時間的な余裕はない。おそらく空軍上層部は司令官の二人が落ちたことに乗じて武装蜂起を推し進めようとするはずだ。会議は難航するだろうが、少なくともギガースが亜人たちの手に渡ることだけは絶対に阻止しなければなるまい。ラーナガルド軍も近々必ず何かしらのアクションを起こしてくるはずだ。  ……封鎖地区は、激動を迎えるぞ」  ギガースや人体実験の産物たちに対して刮目を続けていたデュオルは、険しい口調で呟くと、やおら視線を落とし、静かに目を閉じる。物思いに耽るかのように一頻り口を閉ざした後、リィーガーに対して真っ直ぐに視線を向けた。そして、細かな皺と、数々の戦傷が刻まれた大きな右手を彼の前に差し出す。 「お前たちとは……おそらく、しばらく会えなくなるだろう。……今までたくさんの苦労を掛けた。本当に感謝している」 「おいおい、何だよ。よせよ、急に」  デュオルから徐に差し出された右手を、戸惑うリィーガーは素直に握り返すことが出来なかった。 「封鎖地区を解放するという目的を達成するまでは、無論死ぬつもりなどない。だが、その目的を達成することが出来るならこの命さえ惜しくはないと思っている……。私は再び戦火に身を投じることになるやも知れぬが……そのときは、アレイスのことをよろしく頼む」 「……辛気くせえなあ。言われるまでもないよ」  言いながらリィーガーはデュオルの手を力強く握り返した。 「死ぬんじゃないぞ、戦友」 「ああ、次に会うときは、きっと祝杯を交わし合おう」  日が沈むのを待って、デュオルは封鎖地区を脱出した。デュオルとは再び離れ離れになるが、例えどこへいても封鎖地区を解放するという思いだけは同じである。  アレイスの活動は、いよいよ一つの結論を導き出そうとしていた。八年間、閉塞を固持し続けてきた封鎖地区の扉が、今まさにこじ開けられようとしている。それはアレイスの、何よりも住民たちにとってこの上ない悲願である。今、ここで解放へ向けて着実に歩み始めた足取りを踏み外すわけにはいかない。今後の行動は特に慎重を要してくる。  これから激動を迎えるであろう封鎖地区の中にその身を残し、五人は静かにその時を待つこととなった。

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第四章 ~古の魔人~ 9

第四章 ~古の魔人~ 8

 静寂の中に響くのは、セルフィーの息遣いと非常灯の振動音、再び二つになった。  朦朧とする意識の中で必死にパネル操作をしていたセルフィーは、力尽きたようにぐったりと床にずり落ちる。  ゆっくりと回転を続けていたクリスタル様の装置は、暗闇の中で不気味に反芻していた不協和音が止むのに合わせてその動きを停止させ、鈍く放たれていた光も完全に消え去った。  一体何が、どうなったのか。音さえ響かぬここからでは、戦況の変化を窺い知ることなど出来ない。停止させたのが電波発生の制御装置であるという確証など何もないが、確認に戻ろうにも、必死で動かし続け、負傷した足はまるで言うことを聞かない。呼吸は未だに高く、荒い吐息が流れ出る度に残り僅かな体力がすり減っていく。今のセルフィーには、暗転しそうになる意識を必死で繋ぎ止めることしか出来なかった。  不意に、部屋の外、暗闇の奥の方から再び何か第三の音が混じり始めたことに気付いた。響く音は二つ。奏でるリズムは一緒だが、音質が微妙に異なる。それが次第に大きく、はっきりと響いてくる。どうやらそれは徐々に近付いて来る二つの足音のようだった。セルフィーの心音が再び高まり始める。二つということは、近付いてくるのは二人の人物。戦いに決着を付けたナノ・プラントの二人が、セルフィーのことを追い掛けて来たのかも知れないのだ。 「セルフィー!」  しかし、緊張感が頂点に達する前に響いたのは、聞き覚えのある女性の声だった。  動力室の扉の前に佇んでいたのは、ラグナとステラ。二人とも満身創痍と言っていいくらい全身傷だらけだったが、どうやら無事だったらしい。二人がここにやって来たということは、おそらくあのナノ・プラントの二人は敗れたのだ。制御装置の停止という重大な任務は、どうにか成功したようだ。ようやくセルフィーの中で高まり続けていた緊張感が解放される。  意識が途切れる寸前のセルフィーの体を、ステラがしっかりと抱き止めた。 「大丈夫、みんな無事よ。……よくやってくれたわ。全部あんたのおかげよ」  向けられる傷だらけの笑み。安堵しきったセルフィーは、ステラの腕の中で静かに意識を暗転させた。 「さて……それじゃあ何から聞かせてもらおうかな」  ラグナたちがセルフィーを連れて貨物室に帰るのを待って、リィーガーは尋問を開始した。戦闘は終焉を迎えたが、依然としてその口調は険しいものだった。ヒューゴとリオを捕縛した状態で、仁王立ちに二人を見下ろす。本来感情表現の乏しいはずのアンドロイドとはいえ、気持ちの高ぶりを押さえきれない様子が如実に伝わってきた。聴取すべき事項は山ほどあったが、貴重な情報源である二人を前にして、その順序の整理がうまく出来ないようだ。  ただし、悠長にしている時間的余裕は皆無。アレイスは封鎖地区の実効的支配者である二人を討ち取ったのである。事態が明らかになれば封鎖地区の状況が激変しかねない。ラーナガルド王国は必ず次の統率者を人選し送り込んでくる。そして、絶対服従が課せられた封鎖地区内で起こった反乱の意思を絶無に帰するため、住民たちは今まで以上に厳しい迫害を受けることになるだろう。二人の処遇も含め、今後の方針は慎重に検討しなければならない。  更に、空軍幕僚会議の開催までもう二日を切っている。亜人たちが魔人ギガースを保持している事実や、ザッハークとの関連性が曖昧なままで武装蜂起させれば、封鎖地区を解放させるという本質を見失いかねない。 「こんなところで尋問する気? 聞き出さなければいけないことはたくさんあるはずよ。場所を変えたらどう? デュオルも交えた方がいいだろうし……第一ここじゃあ気味が悪くて仕方がないわ」  ステラもリィーガーの気持ちが逸っているのは理解しているようだ。正確に真相を追及するには、彼女の言うとおり一度冷静になる必要がある。不気味な人体実験の産物たちが詰められた試験管が乱立し、ナノ・プラントの二人がギガースと呼称する巨大な肉塊が重厚な存在感を示すこんな場所では、ステラの言うとおり落ち着いて尋問などできないだろう。  ガロンもステラに賛同した。 「うむ。それに、傷の手当てもしなければなるまい」 「あはははははははは!」  アレイスの会話を聞いていたリオが突然、気が触れたかのように笑い出した。  続けてヒューゴも笑い出す。 「おめでたい奴らだ! 本当に俺たち素直に話すと思っていたのか?」  ヒューゴの口調にはまだ余裕が残っていた。老いたりし二人の表情には、何故か戦闘前に見せたような自信が戻っている。  リィーガーは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべるが、すぐに鋭い視線で二人を見据え直した。 「最初からお前たちのような連中が約束通り素直に話すとは思っていないよ。  だが、方法はいくらでもある。言っておくが、俺たちも善人というわけではないからな。ザッハークのことを聞き出すためならば、手段は選ばないぜ」  拷問する。言葉の裏には推考せずとも察せられる真意が含まれていた。そこまでしてでもザッハークの情報は引き出しておかなければならないのである。しかし、ナノ・プラントの二人はこの状況下でさえ、未だ自分たちが優位に立っていると信じて疑わないような余裕の表情を崩さない。 「ふふふ……。まぁいいさ。好きにするといい。下手に口を割れば、俺たちは殺される。だが、喋らなければ生かされる。お前たちは勝ったつもりでいるかもしれないが、必ずより大きな力がお前たちを潰しにくる」 「確かに、私とヒューゴは負けたわ。……だけど、【私たち】はまだ負けていない」  個人としては敗れたが、組織としては敗れていない。つまり、アレイスはナノ・プラントのバックにいるラーナガルド軍或いはザッハークという組織に、決して敗れることはない。二人はそう言っているのだろう。  戦闘前に口にしていた【あの方】という人物が果たしてラーナガルド軍の者か、ザッハークの者かは判然としないが、どちらにせよやはりまだ二人よりも上の立場に君臨する者が存在するということは疑念の余地を挟むまでもない事実のようである。 「リィーガー、やはり一度脱出しよう。此奴らはおそらく口を割らん。それに……」  ガロンは、チラリと巨大な肉塊が詰め込まれた水槽の方を見遣る。 「報告は早い方がいい。ザッハークの情報は未だ判然とせぬが、デュオルは間もなく封鎖地区を脱出し、幕僚会議に参加しなければならないのだ。封鎖地区の実効的支配者を落としたこと……そして此奴らが魔人ギガースを発掘していたこと。今回の調査結果は、間違いなく空軍の武装蜂起の決議に影響を与えるはずだ」 「……そうだな。その方が良さそうだ。怪我人の手当もしなけりゃならないし……見張り役を残して一度脱出しよう」  釈然とせぬ表情でリィーガーはガロンの提案を受け入れた。

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第四章 ~古の魔人~ 8

第四章 ~古の魔人~ 7

「ぐあっ……!」  足を斬り裂かれたガロンが、地に倒れ伏す。 「ガロン!」  駆け付けようとしたステラの前に、ガロンの両足を斬り裂いた張本人、リオが立ち塞がった。 「あはははっ! あれじゃあもう動けないわねっ。それじゃあ、彼はもうゲームオーバーなんで、手を出さないで下さ~い」 「何ですって……!」  ヒューゴが両手に爆弾を手にして、ゆくりとガロンの方へと歩み寄る。 「とりあえず、まず一匹だな」 「させないわっ!」  ステラはヒューゴの手にした爆弾を撃ち落とそうとする。しかし、リオの放った回し蹴りが、彼女が手にした銃を弾き飛ばした。 「ぐっ……!」 「私を無視して、ヒューゴを狙うことなんてできないわよ」 「ラグナ!」  リィーガーの呼び掛けに、無言の行動で応答するラグナ。ガロンの方へと走り出す。  一方のリィーガーはステラの方へ。丸腰になったステラに追い打ちを掛けようとするリオに対して、銃弾を連射する。 「うっとうしいわね」  銃弾の嵐をリオはあっさりとかわし続けるが、ステラへと迫る足が僅かに鈍った。  一方、ラグナはヒューゴを止めようと、機銃剣をライフル・モードへと変形させる。走っていたのではもうヒューゴには追い付かないし、接近すればラグナ自身にも危険が及ぶ。  残された手段は、一つ。ラグナは走りながら機銃剣を左手に持ち替え、銃弾を装填した。  バースト・ショット。本日二発目になるが、もはや使うほか手はない。ラグナの銃の腕ではヒューゴの持つ二つの爆弾を瞬時に撃ち落とすことは出来ない。バースト・ショットの衝撃でヒューゴの体ごと吹き飛ばすしかなかった。  しかし、大穴が穿たれ、一度バースト・ショットの反動を受けたラグナの左手も、そして機銃剣自体も限界に近付いている。一発放てば、両方が壊れかねない。しかもこの一発は、ガロンの危機を救うためだけのただの一時凌ぎにしか過ぎない。  腕も壊れ、機銃銃も壊れた後の戦略は、無い。しかし、実行しなければ身動きの取れないガロンは、確実に死ぬ。 「いい加減諦めちゃいなさいよ。もう無駄なんだから」  リオはリィーガーの放つ銃弾をかわしながらも、丸腰のステラに迫る。  ステラはリィーガーが援護してくれている間にも、弾き飛ばされた銃の方へ飛ぶが、リオの方が圧倒的に速い。 「私もそろそろ仕留めちゃおうかしら?」  ステラの背後まで迫るリオ。銃まではまだ遠い。もはやかわすことも、反撃することもできない。 「……くっ!」  ステラは固く目を閉じた。リオはステラの背中目掛けてナイフを振りかぶる。  しかしそのとき、肌に感じる空気の流れに微妙な変化が生じた。 「っ!!!?」  一番動揺したのは、誰よりも余裕の態度を保持し続けていたリオ自身だったろう。目にも止まらぬスピードで動き回っていた彼女の動きが突然、ガクンッと極端に遅くなった。 「なっ……!」  動揺を隠し切れず、目を丸くするリオ。  何が起こったのか。状況は理解出来なかったようだが、チャンスと見たステラは咄嗟に反転し、すぐ背後まで迫っていたリオに対して回し蹴りを放つ。  これまで空を切り続けていたステラの攻撃は、鈍い感触とともにリオの腹部にめり込んだ。 「がはっ……!」  大きく後ろに弾き飛ばされるリオ。 「ぐっ……うぁあああ……!」  衝撃を受けることに慣れていないのか、その華奢な体はたったの一発で弾き飛ばされ、立ち上がることも出来ずに床の上でのたうち回る。 「リオ!」  異変に気付いたヒューゴが声を上げた。  状況の変化にはガロンも気付いていたようだ。腕の力だけで体を持ち上げ、身を捻りながら動かなくなった足をヒューゴに叩き付ける。 「ぐぁっ……!」  変異はヒューゴの体にも生じていた。絶対的強固を誇っていたヒューゴの体は、ガロンの蹴りのダメージをまともに受け付ける。体をくの字に曲げ、その場に蹲った。 「ま……ま……さか……」  床の上で苦悶の呻きを漏らすヒューゴ。 「残念だが、お前たちの体に埋め込まれたナノ・マシンは稼動を停止したようだ。……もはや何の変哲もないただの亜人に戻ったようだな」  地に伏せる二人の体内をアイ・センサーで解析したラグナは冷酷な口調で言い放った。 「どうやらセルフィーがやってくれたようだな」 「う……うそ……! あ……あんな小娘が……」  リィーガーの一言を聞いて、床の上で驚愕の声を漏らすリオ。  形成は完全に逆転した。ナノ・マシンの力に依存し切っていた二人に、もはや成す術はない。まさか二人も、その存在を完全に嘲り蔑ろにしていた無力な小娘が、本当に制御装置を停止させることが出来るなどとは夢にも思っていなかっただろう、  そうしている間にも、二人の容貌は見る見るうちに変化していく。皺が刻まれ、皮膚の張り艶は失せ、潤いのあった髪は見窄らしくボサボサに衰える。少年少女といってもいいほど幼かった二人の顔は、青年期を過ぎ去った中年の容貌に変わっていった。ナノ・マシン移植の反動か、二人が一体いつ実験に身を捧げたのかは定かではないが、単純に見て二十年近くの年月が一気にのし掛かってきたように見えた。  肉体にも明確な変化を生じさせている二人を見下ろしながら、銃を拾い上げたステラは銃口を突き付ける。 「小娘でも……アレイスなのよ」  リィーガーとガロンは顔を見合わせ会心の笑みを浮かべた。 「随分手こずっちまったが……俺達の絆の勝利ってわけだ」

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第四章 ~古の魔人~ 7

第四章 ~古の魔人~ 6

 戦いの音は、もはやセルフィーの耳には届いてこなかった。貨物室からは既にかなり離れている。船内に木霊するのは、激しく乱れる自身の呼吸音と、痛んだ非常灯の振動音のみ。しかし、いくら走れど、探れど、制御装置らしきものは一向に見当たらない。もはや走るだけの体力は残されておらず、壁に手を付きながら、セルフィーはそれでもどうにか震える足を前に運び続ける。僅かに見えていたはずの光明が、時間の経過とともに徐々に小さくなっていく。こうしている間にも、残された四人は圧倒的に不利な状況下で、命の灯火を削りながら戦い続けているのだ。もたもたしているわけにはいかない。焦燥だけが募り、時間が無駄に奪われていく。 「あっ……!」  不意に、たどたどしく運び続けていた足が何かに噛み付かれたかのように捕らわれた。次の一歩を運ぶことが許されず、バランスを崩しその場に転倒する。捕らわれた左足に、じわじわと込み上げてくる痛み。焦りと暗がりに閉ざされていたせいで全く気付かなかったが、床に生じていた亀裂に足を取られてしまったようだ。立ち上がろうにも、底を尽きかけた体力は徐々に増してくる痛みの侵攻を堪え切ることが出来ず、激しい痛覚に侵蝕された足は、込めようとする力の伝達を妨害し、もやは立ち上がることさえままならなくなった。 「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」  呼吸が更に乱れ、心臓が体の外に飛び出しそうな勢いで高く鼓動する。それらを無理矢理体の奥に押し込めるように、セルフィーは必死で歯を食い縛るが、僅かな光明は既に風前の灯火。例え立ち上がることが出来たとしても、船内で探していない場所はまだまだたくさんある。弱った体で行う十分な探索を、戦況が許してくれるはずがない。このままでは、残された四人は殺される。命運を託されたにも関わらず、結局自分には何をすることも出来ないのである。己の無力さと不甲斐なさを呪うかのように、セルフィーは地に着いた小さな両拳を握り締めた。  荒い息遣いと、無力な自分を嘲るように笑う非常灯の振動音だけが、暗闇の中に無慈悲に響き渡る。 「…………?」  朦朧とし始める意識が闇と静寂にの中に取り込まれようとする寸前、セルフィーは妙な違和感に気付いた。  空間に存在する音は、自身の呼吸音と非常灯の振動音の二つのみであったはず。しかし、その中に僅かばかりにノイズのようなものが入り混じっているような気がしたのだ。  例えるなら、それは不快な虫の羽音。  疲労と痛みを必死で意識の外に追い遣り、耳に全神経を集中してそばだてる。意識すればするほど、ノイズは不協和音のように不気味に、不自然に響き渡って聞こえてくる。はっきりとそれを認識したことで、どの方向からノイズが発生しているのか気付くことが出来た。視線だけその方向へ向けると、すぐ側に《動力室》のプレートを掲げた扉が。羽音のようなノイズは確実にその中から聞こえてくる。  宛ても希望もないが、かけるしかない。セルフィーは最後の力を振り絞り、這いずりながら動力室の中へと進入した。  室内に入るや、音の正体はすぐに判別することが出来た。  天井近くに設置されたそれは、青く鈍い輝きを放ち、ゆっくりと回り続けるクリスタル様の装置。回りながら、微細な羽音を振りまくかのように空間の中にノイズを入り混じらせる。その下には、まるでパラボラのような形をした四つの傘が東西南北の方向を向くよう設置されている。  あれしかない。確証など何もないが、考えている暇などなかった。四つのパラボラの下に設置された操作パネルの機械系統は、まだ生きている。 「(お願い……間に合って!)」  切なる祈りを込めるようにして、セルフィーは操作パネルに縋り付いた。

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第四章 ~古の魔人~ 6

第四章 ~古の魔人~ 5

 攻撃は一方的に続いていた。  ヒューゴとリオの、まるで踊っているかのような動きで繰り出される鋭い連続攻撃が四人をじわじわと嬲り続ける。  ラグナの斬撃、ガロンの拳、リィーガーとステラが放つ銃弾も、ヒューゴには有効なダメージを与えられず、リオにはかすりさえしない。  二人が繰り出す猛攻を、四人は必死で堪え続けるしかなかった。 「全く、お前たちは無駄に頑丈だな」  自分の拳を真正面から受けつつも、倒れないリィーガーを目にして、ヒューゴはうんざりしたように呟いた。 「お前ほどじゃないぜ」  リィーガーがニッと不敵な笑みを浮かべる。不利な状況下でも笑っていられるのは、制御装置を止めに行ったセルフィーのことを信じているからだろう。  そんなリィーガーの笑みを見て、ヒューゴの表情が僅かに変わった。 「へらず口を叩くな。出来損ないどもが」  眉間にうっすらと皺を浮かべ、イライラした様子で吐き捨てる。 「ねぇ、ヒューゴ。ちょっと手緩いんじゃないの? 折角だから、この前支給された新しい武器を使ってみましょうよ」  イラつくヒューゴを宥めるようにして、リオが懐から何かを取り出した。一見すればただの刃のない柄のみのナイフのように見えたが、リオが手元で操作したことにより、赤い熱を帯びた電磁刃が生み出される。近年白兵戦用に開発された、鉄さえバターのように溶かし切ってしまう極めて殺傷能力の高い武器である。 「さすがにこれで心臓でも一突きすれば、ゴキブリみたいにしぶといこいつらだって死んじゃうわよ」 「そうだな。お遊びにも少し飽きてきた。そろそろ終わりにするか」  言いながらヒューゴの方が懐から取り出したのは、拳に収まる程度の大きさのボール状の何か。こちらも近年開発されたばかりの、狭範囲高火力を誇る小型爆弾である。  ラグナ以外の三人の顔色が変わった。普通の相手が持つのならば、例えそれが最新の兵器であろうが恐るるような武器ではないが、ナノ・プラントである二人ともなれば話は別である。  リオの猛スピードで繰り出されるナイフをかわすのは至難の業であるし、おそらくヒューゴはその耐久力を盾にして多少自身が巻き込まれることも構わず近接で起爆を仕掛けてくる。どちらにせよ一撃でもまともに食らえば命の保証はない。 「信じるんだ! セルフィーはきっとやってくれる!」  不利な戦況を跳ね返すようにリィーガーが叫ぶ。 「ほざけ! 友情ごっこなんぞ虫酸が走るんだよ!」  吠えながら、四人に迫るヒューゴ。リオの姿もかき消えた。  リオの攻撃は、四方のどこから来るか分からない。四人は互いに背中を合わせ、互いをフォローし合うかのように死角をなくす。  衝撃は突然やって来た。熱い衝撃とともにステラの左腕が斬り裂かれる。 「くっ!」  苦痛に顔を歪めながらも、ステラは歯を食いしばり反撃を試みる。しかし、ステラの放った銃弾はリオの姿を捉えることすらできずに、空を切った。 「あはははははっ! どこ狙ってんの?」  姿は見えないが、その声だけが不気味に周囲に響き渡る。  リオの繰り出す電熱の刃は、命を刮げ取っていくかのように次々に四人を傷付けていく。  ラグナたちも、過去の実戦から得て来た読みと反射神経を駆使して、致命傷を免れるようにリオの攻撃に反応していくが、とても完全にはかわしきれない。  その間にも、ヒューゴは四人に接近して来ている。リオの攻撃に完全に気を取られてしまっていたリィーガーの間合いに入った。 「まずはお前からだ」  言いながら、ヒューゴは手元で起爆装置を稼動させる。目の前で解き放たれた爆弾を避ける暇などない。 「くっ!」  リィーガーの口から焦りの声が漏れる。ヒューゴの手から放たれた爆弾が、リィーガーの体に接触しようとするまさにその寸前、ラグナとガロンは、リィーガーに対して渾身の体当たりを喰らわせた。  三人の体がもつれ合いながら地を転がる。  次の瞬間、室内に鳴り響く凄まじい轟音と、立ち上る火柱。空間が焼けつくされ、床は木端微塵に吹き飛んでいた。ラグナたちがフォローに入るのがあと一瞬遅れていたら、リィーガーの体は粉々になっていただろう。 「すまない、助かった!」  リィーガーは体勢を整えながらその場から飛び退き、ヒューゴと距離を取る。 「ふんっ。余計なことを……」  吐き捨てながら三人に向き直るヒューゴ。多少爆炎に巻き込まれたようだが、その体皮は火傷一つ負っていない。両手には既に新しい爆弾が握られている。 「はーい、今度はこっちよ」  息を吐く間もなく、リオの声がラグナのすぐ背後から響く。  振り向きもせずにラグナは咄嗟にその場から飛び退く。しかし、一瞬遅かった。  背中がリオのナイフによって浅く斬り裂かれる。異形生物の酸によって焼かれた背中にダメージが上塗りされ、苦痛に顔を歪ませるラグナ。  振り返ったときには、既にリオの姿はない。アイ・センサーを稼動させても、リオの素早い動きを捕捉することが出来ない。  ラグナの剣は空を斬り続け、リオはまるでダンスを踊るかのような動きでラグナの体を斬り裂き続ける。  このままでは不利な戦況は到底打開出来ない。闇雲に剣を振っても、リオの動きを捉えることは不可能。高速で動き続けるリオ相手では、アイ・センサーによる視覚的追跡はほぼ無意味であるとラグナは判断した。やおらその攻撃の手を止め、機銃剣を正面に構えつつ、静かに両眼の瞼を下ろす。  静寂の中に身を投じ、空気の流れに意識を同調させ、周囲の気配に全神経を集中させる。 「あれ、諦めちゃったの? じゃあ終わりにしましょうか!」  その行動を観念したものと捉えたのか。姿なき声が響くとともに殺気が今までよりも大きく漲る。  空気を焼く刃の音と、風を切る音が耳殻の内側に響く。  刹那、ラグナは開目する。  目前まで迫ったナイフの姿を捉え、左掌が貫かれることも厭わずに受け止めた。セルフィーに修復してもらったばかりの左手に大穴が穿たれ、圧倒的な熱量が鉄を焼き溶かし、激しく電流が迸る。  ラグナの捨て身の行動に、初めてリオの表情に動揺の色が浮かんだ。 「捕らえたぞ」  鋭い視線でリオを見据えるラグナ。機銃剣を素早く振りかぶる。  しかし、リオの表情には既に余裕が戻っていた。 「残念でした~!」  空いた方の手には、もう一本別の電熱ナイフ。振り下ろす機銃剣よりも速くラグナの顔面に迫る。  攻撃を中止し手を離さざるを得なかった。ラグナはリオから離れると同時に、首を捻って辛うじてその一撃をかわす。リオの手を離すのが少しでも遅れていたら、顔面が柘榴のようになってしまっていただろう。 「一筋縄ではいかんな……」  距離を取りつつラグナは再び機銃剣を構えながら、浅く斬り裂かれた頬の血を人差し指で拭い去る。 「当ったり前じゃ~ん……!」  両手にナイフを握り締めたリオの表情には、ギリギリのゲームを楽しむかのような狂喜が浮かんでいた。

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第四章 ~古の魔人~ 5

第四章 ~古の魔人~ 4

 ナノ・プラントの二人はセルフィーを執拗に追い掛けようとする様子もなく、あっさりと追尾を中止した。 「……追わなくていいの?」  二人の足止めをするつもりで立ち塞がるも、積極的に追う様子のないヒューゴとリオを見て訝しげに問い掛けるステラ。  リオはひょいと肩を竦める。 「もういいわ。よ~く考えたら急いで追い掛ける必要なんてないんだもの」 「ああ。この分だと、お前たちを殺したあとにゆっくり追っても十分間に合うだろうからな」  同じ意思を有しているかのように、リオの言葉をヒューゴが続ける。二人の口調はまるで初心者相手にゲームを楽しんでいるかのように嘲りに満ちたものだった。 「ちっ……。舐められたもんだぜ」  リィーガーが小さく舌打ちするのがラグナの耳に届く。本来であれば、電波制御装置の停止任務についてはアイ・センサーを搭載しているラグナかリィーガーが遂行する方が効率的である。解析次第で、電波がどこから発生しているのか判明させることが出来る。しかし、一般人である上怪我までしているセルフィーよりも圧倒的に機動力の高い二人が行動を起こせば、ヒューゴとリオのどちらかは間違いなく妨害を仕掛けてくる。  追尾された者は、ナノ・プラントと一対一で対峙することとなり、任務遂行前に殺される。そして貨物室に残った者たちも、為す術なく死ぬ。  苦虫を噛み潰したかのように歯噛みするリィーガーも、セルフィーに無理をさせるつもりは皆無だったようだが、この状況下で任務を遂行することが出来る可能性が一番高いのは、ヒューゴとリオに戦力外として認識されているセルフィーだけである。  自分たちがナノ・プラントの二人を止めている間に、この広い船内で制御装置を見付け出し、無力化させる。成功率は決して高くないかもしれないが、僅かでも可能性があるのならば、そこに掛けるしかない。 「……俺たちは、仲間を信じるだけだ」  ラグナは機銃剣の切っ先を二人に突き付けた。 「はぁ……はぁ……」  セルフィーは、激しく込み上げてくる動悸を堪えながら必死で走った。  ヒューゴとリオの二人が後を迫って来る様子はなかった。ラグナたちが必死で足止めをしてくれているのだろう。その間に、何としてでも電波発生の制御装置を停止させなければならない。ナノ・プラントの実験体を見るのは初めてだったが、強化された身体能力は聞きしに勝るものだった。いくらラグナたちが手練れであるとはいえ、まともに戦っては到底勝ち目がない。  しかし、制御装置を止めようにも、手掛かりなど何もない。電波は目に見えないし、音も聞こえない。ナノ・マシンの原理は知っていても、セルフィーは制御装置を見たことがない。宛てなどまるでなく、この広い船内を虱潰しに探すしかないのである。状況は絶望的であるが、ナノ・プラントの二人に勝つ方法はそれしかない。  とにかく、ほとんどの電気系統が壊れているこの船内で、まだ生きている機械を探していけばいいのだ。絶望の暗がりに覆い尽くされた状況下で、たった一筋の僅かな光明に希望を託し、暗闇の中を突っ切るようにセルフィーは走った。

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第四章 ~古の魔人~ 4

第四章 ~古の魔人~ 3

「ギ……ギガ―スですって!」  一頻り続いた静寂を打ち破るかのようにステラが高い声で叫ぶ。あまりに突拍子もない発言に、セルフィーも思わず息を呑んだ。  おそらく、世界中の誰もが一度はその名前を聞いたことがあるはずだろう。ザッハークのことなど知らなかったセルフィーも、当然のようにその名を知っていた。  【魔人ギガ―ス】。  人間と亜人が争いを始めるよりも昔、世界が暦を数え始めるよりも遙か以前に存在した旧世界を焼き尽くしたとされる、忌まわしき破滅の象徴である。もはやその名は口にすることさえ憚られるような禁忌として現世に伝えられている。  ただし、あくまでそれは神話の世界の中での話。ギガースなどという生物は数多ある神話の世界にのみ存在する架空の創造物であり、それが実在するなんて信じている者は、おそらく誰一人いないだろう。 「馬鹿なこと言わないで。そんな迷信、信じるつもり?」  ステラも俄かにはその存在を信じられないようだった。セルフィーも同じことを思った。例えこの水槽の中のものが生物であるとしても、いくらなんでもこの産業文明の発達した科学の時代に、魔人だなんて馬鹿げていると思った。  しかし、否定する根拠などありはしない。実際これだけ巨大な生物の正体を知っている者など誰もいなかった。  矢庭に姿を現した想像の余地を遙かに超越した異色の存在を前にして、ただ強い戸惑いだけが五人の間に渦を巻き混濁する。 「迷信なんかじゃないわ」  戸惑いの渦を打ち払うかのように、突如として周囲に聞き覚えのない女の声が響いた。薄れつつあった五人の警戒心が一気に引き戻される。 「誰だ!」  叫ぶリィーガーの声に呼応するかのように、巨大な水槽の左右から二つの影が姿を現す。一体いつからそこにいたのか、あるいは最初からそこにいたのかもしれないが、全員が巨大な肉塊に気を取られてしまっていたせいで全くその存在を気取ることが出来なかった。  一見すれば二人とも同一人物かと思うほどそっくりな外見をしているが、体のラインでかろうじて一人は男、一人は女であると判別することが出来た。  二人とも年齢はセルフィーと同じか、少し下くらい。肩ほどまで伸ばした緩やかにウェーブ掛かった髪に、ピンと尖った耳、病弱と形容していいほど色白な顔は端正な作りをしており、吊り上がった双眸の睫毛はステラと比べても遜色のない長さである。二人とも体にフィットするようなタイトな黒のボディスーツを身に纏っており、その身なり容貌は、荒廃したこの封鎖地区の中では場違いともいえるくらいに美しい。 「ようこそ、侵入者諸君。まずは自己紹介をしよう。ここの司令官を仰せつかっているヒューゴと……」 「リオよ、よろしくね」  男はヒューゴ、女はリオ。名乗った後で二人は小馬鹿にしたようにゆっくりと会釈を送った。その表情には場違いな薄ら笑いが浮かんでいる。先程まで緊張感で充満していた空気の中にはまるで馴染まない、二人が醸し出す異様な存在感が浮き彫りになっていた。 「ヒューゴと……リオ……。成る程な、お前たちがそうか。名前だけは把握していたが、まさかお前たちがこのフリーデ号に身を潜めていたとは思わなかったぜ」  突然現れ、戯けるような態度を見せる二人を睨み付けるリィーガー。その言葉から察するに、どうやら二人の名には心当たりがあるらしい。 「へぇ……。俺たちのことを知っているのか。お前たち、あれだろ。確かアレイスとかっていう馴れ合い集団だろ。さすがに八年間もこそこそと封鎖地区の中を嗅ぎ回っているだけのことはあって鼻がきくな」 「うふふっ、八年間もそんなネズミみたいにドブ臭いことばっかりやってたなんて、信じらんない。人生もっと楽しく生きなくちゃ、もったいないわよ。人間どもの命なんて短いんだから。あ、あんたは機械人形だから関係ないか。あははははっ!」  挑発を意図しているわけではないようだが、どこか人を小馬鹿にしたかのように二人は言葉を返す。 「リ……リィーガーさん、あの二人は……?」 「……封鎖地区内の調査活動の中で俺たちが知り得た情報の一つだ。この封鎖地区には、巡視員たちを統率する二人の実効的支配者が存在する……。その名が、ヒューゴという男と、リオという女……。どうやらこの二人のことらしい」  セルフィーの問いに、二人を見据えながら答えるリィーガー。実効的支配者ということはつまり、この二人が封鎖地区を支配する巡視員たちの頂点に君臨する者であるということである。思わず息を呑むセルフィー。まだ自分と年齢がそれほど変わらない少年少女といってもいいような者たちが、この封鎖地区を支配していただなんて夢にも思わなかった。 「……その水槽の中身は一体なんだ?」  リィーガーに代わり、今度はガロンが警戒心を滲ませながら問い掛ける。長年追い続け、ようやく遭遇した二人に対して聞きたいことは山ほどあるはずだが、それを押しのけてでも、まずこの不気味な水槽の中身の正体を明らかにしたいようだった。 「ああ……こいつか。説明するまでもないだろ? お前自身がさっき言っていたじゃないか」 「ま……まさか……本当に魔人ギガ―スだというのか?」 「その通り」  神話の中から無理矢理手繰り寄せたようなガロンの推測を、ヒューゴはあっさりと肯定した。 「ほとんどの人間、亜人はその存在を迷信だと思っているようだが……御覧の通り、実在する。俺たちだってこいつをヴァングレイド火山地帯の火口の中で発見するまではその存在を疑っていたがな。  見つけたときは、体のほとんどが焼け崩れ、ほんの一欠片程度の大きさの物が残っているに過ぎなかったが……まだ死んでいなかったのさ。  引き上げて生体培養液に浸したら、急速な勢いで再生を始めやがった。驚異的な生命力だと思うだろ? 完全復活までは時間の問題だろうな。  ……もっとも、予想を遥かに超えて急成長するこいつの重みに耐え切れずにフリーデ号は墜落してしまったわけだが」 「街の警備を疎かにしてまで守りたかった秘密は、船内で人知れず人体実験を行っていたからではなく、船に魔人ギガースが積まれていたからというわけか……。厄介なものを持ち出しおって……! 一体こんなものを持ち出してどうする気だ?」 「やだぁ~、お馬鹿さんね。そんなことも分からないの? この子はかつて世界を破滅に追いやったとされる魔人なのよ。旧世界がどれだけ高度な文明だったかは分からないけど、世界を滅ぼしうる力を持っているということだけは間違いないわ。復活すれば驚異的な兵器になるに決まってるじゃない。利用しない手はないわ」  まるで新しい玩具を手に入れた子どものように、声の中に高揚感を含ませながら答えるリオ。  二人の答えを聞いて、ガロンはフードの奥でギリリと強く歯噛みした。 「馬鹿者が……! そやつが神話通りの力を有しているのだとすれば、到底人間や亜人に御せるものではないのだぞ! 人間も……亜人も滅ぶやもしれぬ……! それを分かってやろうとしているのか?」 「そんなこと、実際にやってみなければ分からないわ」 「これはギャンブルみたいなもんさ。どっちに転ぶか分からないスリルがあるからこそ面白いんだ」  二人の態度はあくまでも飄々としており、自分たちにも危害が及ぶかもしれない諸刃の剣を手にしていてさえなお、まるで危機感など感じていない。年端はセルフィーとは大して変わらないが、街を直接支配している情のない残酷な巡視員たちよりも、ずっと異常な思考の持ち主たちである。セルフィーは額に冷や汗が滲んでくるのを感じながらそう思った。 「あの怪物……渓谷内の巡視員を死に追いやった異形生物も、ここで生み出されたものだな?」 「ああ、そうさ。……ふっふっふっふ、全く笑わせてもらったぜ。  発掘した当初から、ギガースには圧倒的な肉体再生能力があるだけでなく、交わったものを取り込む驚異的な細胞侵蝕能力を有していることが分かったんだ。試しにそれを人体に移植したら、あっという間にギガースの細胞に取り込まれて、次々に見る影もない化け物に変貌しちまうんだからな。ま、ほとんどの実験体が強烈な細胞侵食に耐え切ることが出来ずに死んじまったがな……。もっとも、街の人間たちを適当に拉致して使わせてもらったから、材料に困ることなく有意義な実験をさせてもらったぜ」 「思い付きのようなくだらない実験をしやがって……! 人間の命はおもちゃではないんだぞ!」  やはり、あの異形生物がここで行われた人体実験の末生み出された元は人間だったという事実を認識し憤るリィーガー。ゲート周辺の失踪事件は、フリーデ号内で行われていた悍ましい人体実験に繋がっていたのだ。しかし、そんなリィーガーの怒気も二人が浮かべる嘲笑に軽く受け流される。 「ふふふ、やだぁ~熱くなっちゃって。これだから単細胞どもの相手は疲れるのよね。でも、思い付きで細胞移植実験を行ったわけじゃないわ。  たった一人だけだけど……ギガ―スを引き上げた直後に、より強靱な力を得るために自ら実験にその身を捧げて、成功した方がおられるの。  その方と同じように実験が成功すれば、最強の生物軍団が作れるんじゃないかと思って色んな人間たちに試してみたんだけど……結局全部失敗して死んじゃったわ。一体何が条件で成功するのか分からず終いだったけど……成功すれば強大な力を手に入れることができるのは確かよ。  あ、もちろん谷で暴れてたあの化け物も失敗作よ。実験に成功されたあの方は、姿はもちろん理性だって元の正常な状態を保ってるんだから」  憤るリィーガーの怒気が僅かばかりに沈静する気配が伝わってくる。実験がどうのという話は一先ず置いておいて、セルフィーもリオが口にしたその言葉が引っ掛かった。  【あの方】。  ヒューゴとリオの二人が封鎖地区の実効的支配者であるということは、この二人が巡視員たちの頂点に君臨していると思っていた。しかし、今のリオの言い方だと、まるで二人よりも更に上位に存在する者がいるような口振りである。 「そうか……。ご丁寧に質問に答えてくれてありがとよ。おかげで色々分かったぜ。ついでに最後にもう一つだけ聞かせてくれ」  リィーガーは深く追及しようとはしなかった。代わりに、口調の中に冷静さを取り戻し二人に対して改めて問い掛ける。 「お前ら、【ザッハーク】という組織を知っているな?」  確信を突く質問。ヒューゴとリオの目が、すいっと細くなった。 「封鎖地区内での調査を始めて程なくして、お前たちの存在を掴むことが出来た。拠点を転々として所在までは掴み切ることが出来なかったが……調査を続けていく中で、妙な噂を耳にしていた。今日、お前たちと出会ったことでそれが確信に変わったよ」  リィーガーはそこで一端言葉を切り、顕わにした二人の姿を確認するかのように見据え直す。 「支配が始まってから八年間という歳月が経っているにも関わらず、お前たちの容貌が全く変わらず、年を重ねている様子がないということだ。  お前たちの人体構造は普通の人間や亜人たちとは違う。既にザッハークが行っている人体実験に、その身を捧げていた……違うか?」  過去の調査結果と今直面して明らかになった事実から導いたリィーガーの推理。確かにこの二人が封鎖地区が生まれて以来支配を続けてきたというのなら、確かにその年齢はあまりにも幼すぎる。 「へぇ~……。驚いたわね、アレイスの連中って人間からも亜人からも見放された【出来損ない】たちの集団って聞いてたけど、思っていたよりも馬鹿じゃないみたいね」  リオの答えが、暗にリィーガーの推理を肯定した。二人の体にも、何らかの実験が施されている。そして、やはり巡視員たちと人間が組織したザッハークは何らかの形で繋がっていたということである。 「教えてもらおうか。ザッハークとは、一体……」 「その質問には答えられない」  さらに詰め寄ろうとするリィーガーを、ヒューゴが今までにない強い口調で牽制した。 「どこでどうやってお前たちがその存在を知ったかは知らないが、下手なことを口走れば、俺たちまで殺されちまう。俺たちには何も語ることは出来ないし、語ることも許されていない……。だが……」  そこでヒューゴは言葉を切り、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべる。 「もし俺たちに勝つことが出来たら、知っていることを教えてやってもいいぜ」  負ければ殺されるということは本人たちも承知の上。それでも勝負を挑んでくるということは、余程の……いや、絶対の自信があるのだろう。 「勝てたら……だと? 戦闘に向いているような身体つきには見えんがな」  早々に臨戦態勢に構えるガロン。ガロンだけでなく、ラグナも、リィーガーも、ステラも、各々武器を二人に向けて構えている。四人からは今にも爆発してしまいそうなピリピリとした緊張感が漂っていた。  しかし、ヒューゴとリオの二人は余裕の態度を崩さない。 「やってみれば分かるわよ」  リオが言い終わるのと合図に、戦闘の口火が切られた。先手必勝とばかりにステラは真っ先に銃弾を放つ。不意打ちに近い一発は、まだ体制の整っていないリオの体を確実に捉えるはずだった。  しかし、リオの姿が一瞬ぶれる。と同時にその場から掻き消えた。 「なっ……!」 「反応鈍いなぁ。見えてなかったの?」  声は五人の真後ろから聞こえた。リオの姿は既に五人の後ろに。  背後からリオが放った蹴りを、咄嗟に反応したステラは辛うじて受け止める。蹴りの威力自体はそれほどのものではなかったが、まるで本当に消えたかのような尋常ではないスピードである。  ステラは再びリオに銃口を向けようとするが、既にその姿は正面にない。スピードはステラやガロンよりもリオの方が圧倒的に上だ。 「余所見してる暇はないぜ」  その間にもヒューゴは真正面から五人に迫っていた。リオほど速くはないが、その接近速度も十分に常人離れしている。  迫る来るヒューゴに牽制の銃弾を放つリィーガーだが、ヒューゴは余裕の動きで銃弾をかわしながら、着実に五人との距離を縮めてくる。  間合いを詰めたヒューゴを迎え撃つかのように、正面に相対したガロンがその腹部目掛けて渾身の蹴りを放った。直線上で迫り合った両者は真っ向からぶつかり合い、ヒューゴは鈍い音とともにガロンの蹴りをまともに鳩尾に受ける。動きが一瞬止まる。が、ヒューゴは身じろぐどころか、うめき声一つ上げない。まるでそよ風を受けたかのように、ニヤリと余裕の笑みをガロンに向ける。異常を感じたガロンが咄嗟にその場を飛び退くと同時に、背後から迫っていたラグナは機銃剣の刃を横薙ぎに一閃した。  しかしラグナの斬撃を、ヒューゴはあろうことか華奢ともいえるその腕の指先のみで受け止めた。反動に耐える様子もなく、いともあっさりと。  僅かに動揺を浮かべるラグナの顔面を、ヒューゴの放った蹴りが捉える。  倒れこそしなかったものの体勢を崩し後退するラグナ。口の中を切ったのか、口元からは一筋の血が流れ出す。 「……やはり普通の体ではないな」  咄嗟に後ろに跳んだことにより大きなダメージは回避したようだ。ラグナは口元を拭い、二人の姿を注視しながら呟いた。 「ああ、お前らと同じさ」  常人の身体能力とはおよそかけ離れたリオのスピード、そしてヒューゴの耐久力。狐につままれたような五人をよそに、ヒューゴとリオは涼しげな表情を浮かべている。  ラグナはそんな二人の姿を静かな眼差しで捉え続ける。 「【ナノ・プラント】……か」  そして、アイ・センサーでの解析を終え、その正体を口にした。 「ご明答。もっと早く気付くかと思っていたが……少し冷静さを欠いているんじゃないのか? サイボーグさんよ」  ヒューゴは涼しげな笑みを浮かべながら、あっさりと自らの正体を告げた。 「ナノ・プラント……!」  その名を聞いてハッとするセルフィー。聞いたことがある技術だった。  機械技師として実際に製造に携わったことはないが、近年新たな兵器として開発されつつあるもので、確か、体内に特殊なナノ・マシンを植え込つけることで、身体能力を格段に強化した実験体のことだ。その技術は開発中で明らかになっていない部分が多いが、単純な原理としては、特殊な電波を体内に移植されたナノ・マシンが受け取り、体内で増幅させエネルギーに変え、全身隅々の細胞にまで反映させることで、先程二人が垣間見せたような常人離れした能力を発揮させる、というものであったはずだ。  リィーガーは二人が支配を初めて八年もの間歳をとっていないと言っていたが、おそらくそれもナノ・マシン移植の影響によるものだろう。 「ネタが分かってても、対応する術がなければ無力に同じよ」  正体が明らかになっても、二人の態度からは余裕が消えなかった。先頭に立つラグナに迫るヒューゴとリオ。咄嗟にリィーガー、ステラ、ガロンの三人がフォローに入る。  二人の常人離れした体術から繰り出される拳、あるいは蹴りを四人は何とか凌いでいくが、反撃しようにも目にも止まらぬ早さで動くリオの体にはかすりさえせず、ヒューゴの体にはまともにダメージを与えられない。一撃一撃の威力は低くとも、このままではじわじわと嬲り殺しにされてしまう。  その光景を、戦いに加わることが出来ないセルフィーは、黙って見ていることしか出来ない。  しかし、咄嗟にその脳裏に、ある考えが思い付く。この船の中のどこかから発せられる電波の発生を止めることさえ出来れば、二人の体内に存在するナノ・マシンは無力化するはず。制御装置を見たことはないが、今この状況でそれを止めることが出来るのは二人の攻撃の手が及ばず、機械操作に一番詳しいセルフィーだけである。セルフィーにも出来る戦いがある。  使命感がセルフィーの心を奮い立たせた。弱った体に鞭を打ち、戦う四人に背を向けてたどたどしく走り始める。 「目的は電波の無力化ね……。いいところに目を付けたけど、そんな暇あると思ってるの?」  瞬時にセルフィーの意図に気付いたリオが、行かせまいとセルフィーの後を追おうとする。しかし、その前にステラとガロンが立ち塞がった。 「作るのよ。私たちはチームなんだから……!」  リオがセルフィーの行動を妨害しようとしたということは、制御装置が貨物室以外の別の部屋に存在するということは間違いないのだろう。仲間たちはセルフィーの意図を察して一心にフォローをしてくれる。戦いの命運はセルフィーに掛かっているといっても過言ではない。強い決意を胸にセルフィーは貨物室を飛び出した。

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第四章 ~古の魔人~ 3

第四章 ~古の魔人~ 2

 外から眺めて思っていたよりも内部はかなり広かった。  電気系統は墜落の衝撃で破損しているようで、備え付けられた非常灯の頼りない明かりに照らされた薄暗く長い通路がずっと続いている。  歩を進める自分たちの靴音が、高く、長く響き渡り、遠く消えていく。  船内はひっそりと静まり返り、人影が見えないのは当然のこと、僅かな電灯の振動音のほか物音はもまるで聞こえない。  船内にもやはり巡視員はおらず、無人であることが明確に窺える。であれば、調査は何の障害もなく順調に進むはずであった。  しかし、足を踏み入れた瞬間から、誰も、何も言葉を発する者はいなかった。  セルフィーだけでなく、きっとほか四人各々も鋭く感じ取っているようだ。  船内に蟠る、得も言われぬような強烈な違和感に。  誰もいないはずなのに、ずっと何者かの気配を感じる。まるですぐ近くから、全身を隅々まで眺め回されているかのような不快感がずっと尾を引き、始終纏わり付いている。その正体が一体何なのかはセルフィーには分からなかったが、無人の船内は外とは全く別の異質な世界のような気がして、惨劇が起きた谷底よりもずっと気味が悪かった。  アイ・センサーを搭載したラグナとリィーガーを先頭に五人は探索を続ける。二人のセンサーであれば、暗闇に阻害されることなく、周囲に存在する物体の形状を認識して進むことが出来る。非常灯の儚い明かりを頼りに探索するより、よっぽど信頼が出来た。  そして、違和感を引きずりながらも五人は船内の目的地までさして苦労することなく辿り着く。フリーデ号は輸送船であるが故、機体の巨大さに反して内部の形状は至極単純だった。  機体の下部付近に設置された、内部構造の大半を占める大型の【貨物室】。  巡視員たちは、このフリーデ号に一体何を積み、何を守っていたのか。この中に、外部には知られてはならない【何か】があるのは間違いないはずである。  しかし、目的地を前にしてさえ、五人の口は強烈な違和感に噤まれたままだった。  数々の疑問の答えはこの先に用意されている。後は、目の前を塞ぐ大きな両開きの扉を開け放って中を確認するのみ。にもかかわらず、誰もがそれを躊躇している。  沈黙の中に混じる痛んだ非常灯の振動音が、次の行動を躊躇う五人を嘲るように周囲にねっとりと響き渡る。  しかし、そんな漠然とした不安を振り払うように前に歩み出た人物がいた。  ラグナである。  扉の前に立つ背中には、不安の色は些かも塗られていない。その背中を見てセルフィーは僅かに安堵感を覚える。どうやら言い知れぬ不安に口を閉ざされていたのではなく、ここに至るまでいつも通り無駄に口を開かなかっただけのことらしい。  たった一歩を踏み出しただけのことであるが、この状況では大胆ともいえるその行動に、他のメンバーも奮い立たされた。互いに顔を見合わせ、頷き合う。  ラグナは臆することもなく扉を開け放った。  五人全員がほぼ同時に絶句した。  扉を開けると同時に一気に迫り出し、強烈に鼻腔の奥を突く腐臭。そして、終始感じ続けてきた違和感が一気にその姿を現し、巨大なうねりと化し、五人の体を丸ごと飲み込むかのような勢いで襲い来る。  そこは、貨物室の用に供せられた空間ではなかった。広大過ぎるスペースを持つ室内の大半に立ち並べられたのは、一杯の培養液で満たされた巨大な試験管の数々。試験管の中には、それぞれ何かが詰められていた。セルフィーの体より大きなものもあり、小さなものもある。一体それが何なのか、セルフィーにはすぐに理解出来なかった。あるいは、理解することを脳が拒んでいたのかもしれない。停止した思考は『試験管から目を反らせ』と指令を下すことを忘れ去り、目の前に広がる現実を痛烈に眼球の奥へと送り込む。両目に映ったそれらには、それぞれ手があり、足があり、そして頭部がある。しかし、どれも一貫した形状をしておらず、形容しがたいほど醜い姿をしている。  誰もが気付いてはいただろうが、誰もその正体を口にする者はいなかった。  おそらく、ではなく間違いなく、それらは【人】であったろう者たちの成れの果ての姿。  会話を交わさずとも、理解していた。先程の異形生物は、おそらくここで生み出されたもの。そして、ゲート付近で失踪した住民たちは、ここへ連れて来られ、この筆舌に尽くしがたい人体実験の母体として利用されていたのだろう。つまりあの異形生物は、一体何をどういう風にいじったのかは知れないが、元は人間だったということだ。  それだけでも信じがたい事実であったが、調査を確信付けるそれらの光景を尻目にしてしまうほど、更に際立つ異色の物が室内には存在していた。  部屋の一番奥。天井ギリギリまで聳え立った、ほかの試験管などとは比べものにならぬほど巨大な水槽が一つ。  中には巨大で醜く、強烈な腐臭を放つ肉塊が窮屈そうに詰め込まれている。  その圧倒的な存在感に完全に威圧されるセルフィー。  セルフィーだけでなく、リィーガーも、ガロンも、ステラも、そしてラグナまでもがひどく驚愕しているようだった。 「な……な……なんだってんだよ、これは……」  ようやく、かすれるような声でリィーガーが呟きを漏らした。彼のアイ・センサーですら肉塊の正体が一体何なのか判別出来ないようだ。しかし、彼の問いに答えられる者などいるはずもない。理解しがたい驚愕に飲み込まれ、皆が思考を奪われていた。 「生きている……」  感情はないが、険しい口調でラグナが呟く。その言葉に、誰もが耳を疑った。確かに言われてよくよく見れば、肉塊の至る所が僅かにではあるがドクン、ドクンとゆっくり脈打っている。 「生き物……だってのか? こんな馬鹿でかい生物なんて見たことないぞ。いくらここで人体実験が行われ、奴らがどれほどの科学力を有していたかは分からないが、こんな物が生み出せるはずがない」  リィーガーはまだ半信半疑のようだった。亜人国ラーナガルドには人間より何倍も大きな種族がいるということはセルフィーも聞いたことがあったが、それにしても目の前のこの肉塊は巨大すぎる。これが生物などと推察する余地などなかった。  しかし、徐々に思考回路が動き始めたことで、ようやくセルフィーは気付いた。フリーデ号の中に足を踏み入れた瞬間から感じていた不気味な気配の主と違和感の正体は、まさしく目の前に君臨するこの肉塊だったのだ。 「生……物……。生物……だと?」  皆と同じように沈黙を貫いていたガロンの、僅かに覗かせた目の色が矢庭に豹変する。 「ま……ま……まさか……。いや、しかし……そんな馬鹿な……」  俄には信じがたい物を見ているかのようであった。  その存在を確かめるかのように、ゆっくりと肉塊の前に歩み寄り、細部までじっくりと眺め回す。疑問に戦慄いていた瞳は確信を得たのか、見る見るうちに血走り始め、全身がわなわなと震え出し、まるで何かに気圧されたかのように水槽から後ずさる。血走っていた両目には徐々に絶望の色が漂い始め、そして擦れた声でその名を呟いた。 「古の魔人【ギガ―ス】……か?」  時の概念が忘れ去られたかのように、周囲の空気が凍り付いた。

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第四章 ~古の魔人~ 2

第四章 ~古の魔人~ 1

 輸送用エア・シップ【フリーデ号】。  その船体は、決して小さなものではない。セルフィーたちがサンタマリーまでやって来るときに搭乗したセント・アリエス号よりも全長は倍近く大きかったし、ボリュームならば優に三倍はある。  空飛ぶ要塞。そう比喩してもいいのではないかと、目の前に鎮座した大型エア・シップを見上げてセルフィーはそう思った。 「予想以上にでかいな……」 「うむ。内部構造までは把握出来なかったが、機体が大破していないのが不幸中の幸いだ。瓦礫を押しのけながら手探りの調査をする手間が省ける」  リィーガーの呟きに、ガロンが答える。  ゲート内からフリーデ号までの経路は、闇に紛れてステラが上空から調べ、ガロンが詳細に地図に書き起こしたらしい。そのおかげで、フリーデ号までは順調に辿り着くことが出来たが、ここから先は完全に未知の世界。入ってみなければ何も分からない。  ゲートからフリーデ号に至るまで、生きた巡視員たちの姿は見当たらなかった。おそらく、全てが先程遭遇したあの異形生物の餌食になってしまったのだろう。  一体、あの生物は何者だったのか。何故、あんなものがゲート内に存在したのか。不時着したフリーデ号や、ゲート付近で発生した住民の失踪事件との関係性は。疑問は数多くあったが、その答えが、目の前のフリーデ号の中に用意されている可能性は高い。 「あ……あの……。一つお聞きしておいてもいいですか?」  潜入を目前にしてセルフィーは遠慮がちに口を開いた。フリーデ号に至るまでに尋ねておけばよかったのであるが、怪我人に合わせたスローペースで進んで来たとはいえ、歩くだけで乱れる呼吸と高鳴る動悸に阻まれ、まともに会話を交わす余裕などなかった。話の腰を折るようで気が引けたのだが、いよいよ本番を迎える前だからこそ、あらかじめ疑問は解消しておかなければならないと思った。  しかし、セルフィーが問いを口にする前に、リィーガーとガロンは顔を見合わる。そして、そんな二人の間にステラが入って小さく頷いた。一言たりとも会話を交わすことはなかったが、三者はお互いの意を確認したかのように、頷き合った。 「ああ、俺たちからもセルフィーに話しておかなければならないことがある。多分、セルフィーが聞きたがっているのと同じ内容だ」  思いもよらぬ言葉だった。となれば、これから聞く内容は、これから始まる調査の核となる重要な話なのだろう。 「それじゃあ、お聞きしますけど……さっき言っていた【例の組織】って、一体……?」  互いの意思は疎通していたはずだが、その問いを発した瞬間、先程から肌を刺激し続けていた緊張感の針がより鋭利なものとなって皮膚に食い込んできたような気がした。 「……【ザッハーク】。俺たちがアレイスを結成し、封鎖地区の調査を開始してその存在を知り得た組織……。封鎖地区に蔓延る害悪だ」  吐き捨てるようにその名を口にするリィーガー。その口調の中には、物静かながらも明らかな憎悪の念が漲っている。セルフィーの耳には聞き馴染みのない組織の名前だった。 「事の発端は、俺たちがとある街で大規模な実験施設を発見したことだった。  表向きにはディンガルの街と同じように数多くの兵器製造を行っていたようだが、実験施設はまるで住民たちの目から隠すようにひっそりと街の地下に設置されていた。  そこで行われていたのは……」  そこでリィーガーは一旦言葉を切り、その脳裏に思い浮かんでいるであろう情景に如実な嫌悪感を入り混じらせた。 「反吐が出るような人体実験の数々だった……。  施設には放棄された実験の産物があるばかりで、研究員は誰一人としていなかったし、研究目的も何も分からなかったが……発見した状況の詳細をデュオルに報告したときに明らかになったんだ。かつて人間世界の中で、同じように人体に対する度を超えた狂科学実験を行い続けたがために政府によって壊滅させられた組織があったと……。その組織の名が……」 「【ザッハーク】……ですか」  眉間に深い皺を彫り込んで、リィーガーは頷いた。 「封鎖地区の中に存在していたのが全く同じ組織だという確証は何もないが、人体に対する実験を行いうるほどの科学力と、おぞましい実験の産物とを勘案すると、同一の組織である可能性は極めて高い。  人間世界で弾圧を受けた組織が、一体何故封鎖地区の中で秘密裏に活動を行っていたのかは分からないし、巡視員と一体どのような関係があるのかも不明だ……。だが、巡視員の目から隠して、あれほど大規模な施設を設置出来るはずがないし、活動も続けられるはずがない……。  ザッハークが政府による弾圧を受けたのは、ドゴラ戦争が勃発するより遙か昔の出来事だと聞いている。だが、施設の真新しさを考えれば、亜人による支配を受ける前からドゴラ地区内に存在していたとは考えづらい」 「弾圧された科学者たちが、亜人と手を組んで実験を続けていた……?」 「その可能性も当然あるが、はっきりとした手掛かりを得られたわけではない。しかし、先程の怪物がザッハークによる人体実験の産物だとしたら……」  このフリーデ号の中に、ザッハークに関する手掛かりがある。言葉の続きは聞かずとも察することが出来た。  長きに渡り支配を受け続けてきたセルフィーにとっては俄には信じがたい情報だった。封鎖地区には、まだセルフィーたち住民が知らない秘密がある。まだ何か、住民たちが知り得ない事実が隠されているのかもしれない。  アレイスに加入してからは、聞いたこともなかったような情報ばかりが問答無用で押し寄せてくる。狭い世界の中で塞がれていたセルフィーの耳には刺激の強いものばかりで、一気に溢れ返る情報量を整理し切れずに頭が混乱してしまいそうだった。 「出発前にも話したが、このフリーデ号は輸送用のエア・シップで、サンタマリー西のヴァングレイド火山帯の方から移動してくる途中で、謎の墜落事故を起こしている。まだ何かが持ち出されたような様子はない。優先して調べるのであれば……」 「ああ……当然、【貨物室】だな」  ガロンの言葉をリィーガーが続ける。 「うむ。まだ巡視員が残っているかどうか分からない。慎重に行こう」  機体への入口は、まるで獲物を待ち伏せる獣の口のように不気味に開け放たれている。五人は意を決して、中へと歩を進めた。

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第四章 ~古の魔人~ 1