ヨーイチ
17 件の小説黄色い新聞
素晴らしき哉 NPB その狭き門に入るは地方と学校の英雄達 熱狂な信者達の期待と讃歌は止まるところを知らない 醜悪なるかなスポーツ新聞 そは信者達の福音にして有り難き糧なれど 俗臭漂う言の葉を低俗に弄び 敬虔な信者の群れを扇動し無知の闇に導こうとせん 嘗て 風を孕み 鮮やかだった「黄色い旗」は今や 薄汚れ 擦り切れ 歴史の使命を終えて朽ち果てんとす
最後の角川春樹、読後コメント
信用している読み友氏のコメントを読んで購入、面白くって一気加勢(年取って、仕事もあり速いとは行かないけど)で読了。刑務所生活の経験者、新興宗教?紛いの言動とか兎角、盛名と共に毀誉褒貶が激しい人物で「強いけど怖い」って「文化人」らしからぬイメージを持っていた。 中身は仕事、功績だけでは無く、人物像も現れて来る描写、構成は見事。随所に引用される俳句も効果的だし、「印象が鮮やかで、好き」(上手いと小生が言うわけにはいかないでしょ)全編聞き書きって形式を取っているのだが、合間に伊藤が入れる合いの手?が絶妙で読者に対する要約になっていて、角川に対する下調べの広さ、深さになっている。勉強の賜物とは言え、こんなに鮮やかな対談はちょっと類を見ない(小生の貧弱な読書体験にせよ)出来。角川春樹も嬉しかったのではないか。つまり信頼関係が窺えると言うこと。 角川春樹が角川書店・文庫を率いて流行の先端にいた頃の70年台(ざっくりした印象ね)は小生の学生時代はガッツリとリンクしていて、「俺たちは角川春樹の影響下で大人になった」と言っても良いくらい。多分この人に足を向けて寝られない人が山程いるのではないか。巷間言われるメディアミックスの実践が後のサブカルに及ぼした影響は計り知れない。まぁこの歳になって振り返って分かったことなのだが、刺激的な読書体験だった。若い人には簡単に勧められないが、「オジサン」には大威張りで勧められる。書きたいことは多いが、キリがない。読後コメントはこのくらいにしよう。
半世紀前の宿題と邂逅。
邂逅とは高校時代のサークル仲間(ハンドボールって球技)が久しぶりに新宿に集って呑み会をしたこと。当時は創部したばかりで(まぁ学校自体が創立したばかりだったのだが)下手くそで弱小チームだったクセに話が途切れることなく、爆笑とか消息とか真相とかシンミリとかで、楽しくも有意義な一時を過ごせた。時の隔たりが消え去ったかのような一時。 宿題に移ろう。ハンドボールを追いかけて、ロードワークに明け暮れていた頃、国語の先生の勧めで歌舞伎にも興味を抱き始めていた。観劇と共に、取り敢えず歌舞伎雑誌「演劇界」を定期購読して、いつの間にか「舐めるように」読み耽るようになっていた。それと共に演劇博物館の存在を知った。誌上の劇評、評論の執筆者は気のせいか早稲田の先生が多いし、なんといっても日本の演劇研究の中心であるらしい演劇博物館は、行きたい所、行くべき所から行かなくてはならない所にランクアップしていったのは自然な流れだった気がする。 時は移り二〇二五年四月某日、首都圏地方都市から東京に向かう車中、老人はスマートフォンと格闘していた。得物は地図アプリと乗換えアプリと早稲田のホームページ、目指すは早稲田大学・演劇博物館である。夜の会合場所が新宿であったので、コレを機会に宿願を果たそうと思い立ったのであった。 「少年老いやすく学なりがたし」を実体験してしまった愚かな老人だとしても、期待感が非日常感覚に誘ってくれているのがわかった。若干の興奮状態。 早稲田の街並みは大きなビルが少なく、学生街っぽくて親しみを覚えた。ここの探検部出身の高野秀行の著作を思い出した。 目指す演劇博物館を確認するとしばし黙考して喫煙所を探して、最高の一服を喫する(まさか、学内には有りませんとか馬鹿なことはあるまいとは思っていたが、若干の不安はあった、自分の出た大学で言われた時は悲しかった、喫煙所アプリは正確であった)。 坪内センセの銅像に心の中で挨拶しながら(本当にすると、如何にもで、変な人と思われるから)中に入る。 図書室に入ると、すぐに「キネマ旬報」のバックナンバー(全部だろう)、演芸画報、あと題名だけ知ってる辞書、名著の数々。写真は禁止なのでコインロッカーに預ける。一通り眺めて、記念品が欲しかったので、「初めて買った演劇界」の表紙だけでもコピーしようと探し出してコピーを取る。 別の部屋では映画を上映していて、「人間の条件」をしばらく眺める。 別の部屋では生まれる前の名優、名舞台写真、資料にため息をつきながら見入ること数刻。一番年下は多分緒形拳・シラノかな。沢田正二郎・新国劇絡みで早稲田だと納得。 越路吹雪・東宝・モルガンお雪(一応国産ミュージカルの祖と云うことになっている)の舞台写真を見て、スマートフォンに越路様の歌を常備している自分を褒めてあげた。 宝の山を散策した至福の一時。 演劇博物館はイギリス・シェイクスピア時代の劇場を模しており、改築、補修はあったとしてもおそらく木造。その所為か歩いていると、時折「ギィッ」と軋む箇所が有る。コレも新鮮であった。流石に演劇博物館で有る。 名残は尽きないが、キリがないのも事実。博物館を後にして、近くのカフェで記念品を買い求め(岩波文庫・大隈重信自伝もあったけど、流石に自重、結構厚いし)、正門からバスで高田馬場に向かう。東京に行ったら必ず立ち寄る紀伊國屋書店・本店で本を買う時間を逆算した早めの行動。何せ階段登ったり、早歩きとかすると息が切れる。情けないけど仕方ない。 山手線で新宿に向かう途中の大久保、百人町界隈は自分の劇団があったり、小劇場があったりでお馴染みというか「濃すぎる思い出の地」。 この後の「新宿の邂逅」と合わせると、この日は「半世紀前の世界」を心が浮遊しっ放しだった事になる。 電車に乗って、バスに乗って、トボトボ歩いて家に帰った。記念品の袋をブラブラさせて。 おしまい。
新水滸伝コメント
現在チャイナ史にドップリ。陳舜臣・小説十八史略と並行して吉川三国志を摘み食いして、次は新水滸伝に移行。面白くって、巻分けが無いので、長いけど一気通貫してしまった。 ついでに昔懐かしい(大昔ね)テレビドラマを見ている。 更に駒田信二の翻訳も準備中。 一応再読だけど(爺いには懐かしの赤茶、箱入り、枕にもなりそうな全集)殆ど覚えちゃいない。 翻訳と吉川水滸伝の違いって多分あるのだろうけれど、明代に執筆された白話の雰囲気は素人なりに感得できたと思う。彼の地の歴史、風俗、人情などなど。 予想以上に近代的?で心理もさることながら、娯楽を意識した構成とかで面白く読めた。横山版で読んだつもりになっている人は結構違うので読んでみた方が良い(コレは予想外だった)
偉大なるボクサーの死
1974「キンシャサの奇跡」降臨 高校生だった頃を回想 「仲間と連れ立って生物の先生に頼み込んで見ていた。試合が始まるとアリを応援しているのだが相手が強すぎて、ドキドキの連続だった。残念なことに3ラウンドくらいで無念の昼休み終了で授業に戻ることに。次の授業は上の空で、結果だけは知りたくて休み時間にテレビ部屋に戻ると試合がまだ続いていて次の瞬間あのKOシーンが。 つまり試合終了後のビデオ再生を知らずに見ていたってわけで、コレはコレで儲け物の体験だった。 兎に角、血圧上がりまくり、吠えた、幸せを噛み締めた。」 数十年後ジョージ・フォアマン死去。 「ジョージ・フォアマン様、過日は貴方様の命日にも関わらず、ライバルのアリの思い出ばかりを吐露してしまいました。もっとも「キンシャサの奇跡」に敗者として参加してしまった貴方にとっては慣れっ子だったのかも知れませんね。そう思うことにします。 その後のニュースで貴方が引退後、見事なカムバックを果たし、45歳!でヘビー級王座に就いていたと知り、感慨と崇敬を新たに致しました。 思えば当時は衛星中継とやらでスポーツイベントがテレビ放送によって世界中で楽しまれるようになっていく先駆けでありました。サッカー、オリンピックが先陣を切っていたように思います。 ボクシングも例外ではなく、お陰で極東の男の子もその恩恵に預かり、歴史に残る試合を目にすることができた訳です。 奇しくも貴方の訃報が知らされた日本では大谷選手とドジャースが日本のスポーツファンの耳目を独占しておりました。🇺🇸のプロ野球団(それこそ地域と都市の象徴でありましょう)が不世出とも言うべきニッポンアスリートの活躍に便乗して、更なる版図拡大を目論んで大掛かりな興行を、遥か離れたニッポンで行うとは「思えば遠くに来たものだ」と驚きを禁じ得ません。 聞いたこともないコンゴ・キンシャサでボクシングの試合が行われて、入場料収入なんて、最初から期待せずに放映料とやらを当てにした興行で歴史に残る名勝負が行われたのはある意味、その後のスポーツ興行の行方を予見する出来事だったとも言えそうです。 所謂「飯が食える」アスリートの数は飛躍的に増え、世界大会も各競技毎に毎年行われている状況は素直に喜ぶべきでありましょう。スポーツ競技の隆盛はとどまるところを知らないようにも見えます。 しかしながらもう一つの側面を私たちは忘れてはならないと思います。 それは栄光の地・「キンシャサ」とコンゴ共和国が今や「失敗国家」として悪評が止むことがない、という現実ではないでしょうか。 ボクシングの素晴らしさを世界中に発信した聖地が数十年の年を経ても貧困と腐敗から脱却出来ていないという現実をどう考えれば良いのか。 勿論、彼の地の人々の自助努力に帰する話なのでしょうが、やるせなさの様な気持ちは否定出来ません。 取り敢えず、全ての人が世界中のスポーツを楽しめると云う状況が彼の地の人々にも「生きる糧、力」を与えていると信じるしか無さそうです、今のところは」
尾籠な話し
尾籠な話し さっき大きな方の個室で「ヒリダサレタ作品」が細めの奴が数本だった。 流さずに見つめて「俺って尻の穴が小さい奴だなぁ」と自嘲と苦笑。 まぁ粗末な食生活に相応しい成果ではある。 安部譲二の小説でケンカの強いオカマが相手に向かって「この糸○んこ野郎」って啖呵を切っていた。 コレは秀逸だった。
楽屋と薬屋
少し前からスマートフォンなどで「薬屋のひとりごと」って文字を眼にするようになった。ラノベ?ってのは得意な分野ではない。 今日は日テレマークの付いた電車広告を発見。いよいよアニメ化で楽しみにしている人達も多いのだろう。小生の目に触れるほどなのでヒットしているらしい。 問題はこの字面を目にする度に、おそらく100%の確率で小生の脳が「楽屋」って誤読をしている事で「楽屋のひとりごと」だと俳優、役者のエッセイとして如何にも有りそうで落ち着かない気分になる。 「目で見ていると思っている物は実は脳が認知している事である」ってな真理(だと思う)を立証している事になる。 演劇の方では「楽屋」という題名の作品が2本(思い出すまま、安直に)あり作者は清水邦夫と井上ひさしでどちらも名作、人気作と言っていい。書いている途中で思い出したのだが、もう一つの「ひとりごと」は大昔偏愛した市川染五郎(現松本白鸚)のエッセイの題名が正に「ひとりごと」であった。これによって薬屋から楽屋への置換作用が更に強化されたのかもしれない。 長々と書き連ねているけど、こういった錯誤は割と普通のことで、珍しくもない事なのかもしれないが、原因を探ると意外と自己発見に繋がるのではないか?って気もしている。
イーストウッド監督の「陪審員2」を速攻で見たぞ。
ハリーキャラハンことクリント・イーストウッドが映画監督に転身して、いつしか「巨匠」になっていた、と言うと自身の「映画に関する興味の空白期間の長さ」を告白しているようで少しキマリが悪い。 配信で映画のおさらいが出来るようになったのが60過ぎからで、まぁ別にしなくても良いのだけど、想いを文章にすると達成感のような物ができて、丁寧な安否確認のようで具合がいい。知り合いに勧められて「陪審員2」の評判がいいようなので視聴してみた。イーストウッド監督の映画はチャンと見たのは初めてで、例えば名高い「硫黄島」二部作辺りは見ようと思っていたが未見。「手紙」の方はアメリカ人が日本側の視点で戦争映画を作ったって事実だけで監督のスタンスが推測出来て「えらい物だなぁ」と勝手な好印象を持ってはいた。 さて驚愕の92才監督の作った「陪審員2」はどうだったか? ネタバレはしたくないので全体の雰囲気と印象評を述べようと思う。 まず「面白かった、飽きずに一気見」だった。陪審員物って登場人物の表現と役割分担が見せ場になることが多いと思うが本作もそうで、キャスティングもよく、皆んな魅力的(まぁ当たり前だけど)。日本人にとっては色々と興味深い。 陪審員制度を支えている「普通の人達、中立の立場」が厳しい選別を受けていることが示されるシーンが随所にあって、コレは結構後で効いてくる隠し味になっていた。脚本が上手いのだろう。 アメリカの田舎町ってのがミソで、とにかく淡々と、感情的な目立った対立もなく、ありがちな口角泡を飛ばすようなシーンも無い。退屈かも知れないが、それでいて主要キャストの心の変化が自然に感得されて行く。誠にアメリカ映画らしく無い(コレは小生の主観だけど)。ここだけ読むと小津安二郎かぁって気もしてくる(あそこまで様式美に入り込んでいないけど) 昔、ドラマ「逃亡者」のナレに「正しかるべき正義も時として盲いる(めしいる)ことがある」って奴があったけど、纏めるとしたらこの物言いかと。検事のオバサン(この人が実にハマっていた)が職務を離れて事件の真相に近づこうとするが、それとても裁判が終わって、人々は日常の生活に戻って行く(罪の意識、冤罪の恐ろしさとかも含めて)。 それでも監督が執拗に司法の建物と象徴の天秤をシーンに組み込んでいるのは、イーストウッド監督の人間としての想いが込められていると言って良い。地味で小作品だけど、良心的で良作。噛み締める箇所が結構あった。
風太郎と曽利文彦の曲亭馬琴
前節 一応、曽利監督製作の「八犬伝」の評である。大変感銘を受けた作品なので、まとまった物を残して置きたいと思う。 喜んで観ている内にあっという間の二時間超え。脈絡のない、「個人的な思い入れ」って書いてる時は楽しいけど、他人様には余り益にならないこともあるので、ミーハー的感想と思索を重ねた論考(の様な物)を原作に倣って二部構成でまとめてみよう。 まずはミーハーの部。気に入って拍手しそうになった箇所をランダムにお送りします。 ミーハーの部 ⭐︎ 特撮とCGはこの監督の特徴と得意分野なので期待感が高まる。最初の大犬(八房)が出てきて、ある程度この映画の成果が予測できた。予算があったらもっとイキイキとした画像になったと思うのだが、方向性としてはコレで合格。 何せ、人語を解し、怪物的な強さで、伏姫に惚れちゃうトンデモない犬。 昭和時代の子供向け東映映画では普通の犬で張りぼての蛇相手でお茶を濁していた。昔の技術だと、まぁこんなもんって所だろう。薬師丸・真田版では見事にスルー。 この犬にウッカリと「敵将の首を取ってきたら、姫を遣る」って言っちゃって、犬がその約束を果たして、その挙句云々ってのが八犬伝の始まり(つまり馬琴のテーマ)なので、つまりそう言う設定に耐えられる画像になっていたと言う意味で小生は嬉しかった。 聖なる人は人間以外から生まれたって話は昔からあるわけで、陰陽師安倍晴明は狐の母親から生まれたって話もある。 通称「信田妻」。浄瑠璃、歌舞伎にもなる。 信田、狐、油揚、きつねうどんと今に続くのはご存知の通り。 こう言う話で所謂「獣○」って連想は昔の人にはなかったらしい。 ⭐︎ 例の信乃と現八の立ち回り・芳流閣・大屋根のシーンで瓦が崩れてきて二人が飲み込まれる場面はびっくりしたし、CGの面目躍如か。 八犬士のチャンバラ・擬闘シーンは立ち回りというよりゲーム寄りで興味深い。今は過度期なのだと思う。最後もラスボスっぽいし。風太郎版ではここまで書いていないと思う。小生は好き。 ⭐︎ 寺島しのぶのこと 本編で楽しかったのは、役所と内野が悪かった訳じゃないけど、馬琴の悪妻が出てきた所は「ウオー」となって、身を乗り出し、終わると次の登場が待ち遠しくなった。 ゴツゴツした生活感と「ブス」感が満載。更に元の容姿がすっかり消えていて(単なる演技以上に)少しビックリ。小生に、ここまで言わせちゃうのは当然理由がある。 遥か昔、70年代初頭。高校生だった小生が歌舞伎を知り、夢中で演劇界を読んでいた頃のこと。若手歌舞伎俳優だった尾上菊之助は大河ドラマの義経役で人気を得て(この時の弁慶で売り出したのが緒形拳)更に静役の藤純子との婚約を発表した。 更に名優の誉高い六代目の跡を継ぎ七代目菊五郎襲名が発表される。 襲名披露興行は歌舞伎座で十月と十一月と決まり、歌舞伎界が盛り上がっていた頃。 勉強机の前に助六のポスターを貼っていた、小生の元に演劇界増刊号・尾上菊五郎特集号が届く。チケットも手に入れてワクワクしながら読み耽る小生は「新婚家庭で娘と寛ぐ新菊五郎」風のスナップ写真に産まれたばかり「忍」ちゃんを発見した。何故かその写真は名前と共に長く小生の脳裏に刻まれることになる。 文章にするとあっけないが、色々な記憶の美化作用が働いたのだと思う。忍がしのぶになってからは(ファンと言えるほど追っかけてないけど)気になる存在で自伝エッセイを買ったりもした。 自伝エッセイは「体内時計+」といい読書メーターにコメントがあったので再録したい。 以下コメント 「いい女優なのだろう。実はマトモに彼女の芝居を見たことがないので、これ以上は言えない。著者には申し訳ないが、音羽屋と藤純子がどうしても先に来る。 若い頃の文章なので、結構言いにくい事も生で書いてあるのだが、幼い頃から内省を続けて来たであろう著者らしい的確な観察が伺える。 有り余る感情の多さは正に女優そのものではないか。 女優で学校時代の体育会体験を肯定的に語る人って初めて見た気がする。何せハンドボール関東選抜に選ばれたそうで文学座の面接で「倒れこみ」を披露したらしい。 小生もハンドボール部だったので、同じ言葉を使っていたのでビックリ。 少しでもゴールに近付き、マークを外す為に、シュートした後に転がる事をそういうのだが、まあ、コレは「やった者じやなきゃわからん」と親近感がグッと増した。 小生はコレを「マイナースポーツの連帯感」と名付けている。 あと、映画での彫物談議を母親とする件が堪らなく可笑しい。よく考えれば、この家族は全員「彫物」経験があるわけだ。 現菊五郎の「お竜さん」の感想を聞いてみたいものだ。」 (コメント終了) なおハンドボール経験者として他に知っているのは、そのまんま東、蓮舫とか。親近感は勿論ある。 寺島しのぶも結婚して男子を授かり最近はステージママ振りを発揮しているらしい。 弟の菊之助の活躍(贔屓目なしにいい修行を積んでいると思う。ファイナルファンタジーXもあった)をどう思っているのであろう。 「八犬伝」の悪妻役は家族の誰にも真似できない境地だと思う。 音羽屋傍系とはいえ息子がどんな芸名を名乗るかって予想も面白いが、残念ながらコチラの寿命的に無理らしい。
喋り屋を名乗る男について
この人フリーになって色々挑戦しているようで「喋り屋」って自称が面白い。 明らかに「芸の人」と認識すべきで、本文中でバナナの叩き売り(懐かしい)芸を引用しているが、コレは彼の姿勢を示す物だと思う。 語り芸を活字にするって講談社の発祥を思い出すが(厳密に言うと講談は語りとは言わない)あの独特の話法は「異能の人」と言うべきだろう。 こうなって来ると「アナウンサー」って出自が邪魔になって芸人になりきれないって問題も出てくるわけで、「新しいことを始めた人」は色々それなりの苦労、無理解に遭遇するわけで当然と言えば当然。 別な視点で言うと、恐らくラジオ以降に生まれた「アナウンサー」って職業もヌエの様で胡散臭い存在であることに気がつく。 新書風の題名を付けると「アナウンサーと芸能の間」とか。 この人、何でも「実況」できるみたいで抽象的な美術品とかで、その異能を発揮したら芸術家にもなっちゃうとか想像しちゃう。まぁこちらの妄想だけど根拠はある。ストリート芸(ダンスとかラップとか?)のラップって奴が近いことをやっている気がする。 向いている題材を考えてみよう。 不謹慎で実現不可能だけど、選挙番組を古舘節全開で(後のことは知ったこっちや無い!)やったら楽しいだろうなぁ、とか夢想する。 喋り屋の実況の抜粋 メキシコシティの夜空に、佐山が舞った! そして、この闘牛場、トレオ・デ・クワトロ・カミーノスの上空 漆黒の空にコンコルドが飛んでいる。 音速を越えた衝撃波に、会場が揺れている! 鑑賞 初代タイガーマスク・佐山聡がメキシコで行ったプロレス試合の実況の一部。作者は試合の光景に感動し、言葉を選び、リズムに乗って、詠じている。三行目のコンコルドはコンドルの掛け言葉とも読める。(コンドルは飛んでゆく・サイモンとガーファンクル) コレって、どう考えても「詩」だよなぁ。