「開幕ベルは華やかに」のこと
読書メーターによると、この本最近も結構読まれて居るみたいで、久しぶりにナイスを貰ったりしてありがたい限り。
最近有吉佐和子のエッセイ集(コレ珍しい、盲点)を読んだりして有吉作品の再評価をしたばかり。当時芝居の側にいたこともあり、若い衆(笑)にお役に立てばって感じで少々(老害にならない様に)追加しようと思う。
発表当時80年代の有吉佐和子は演出家としても売れっ子で主に東宝系の劇場で活動していたと思う。
コレは彼女の活動の始まりが演劇界・演劇出版社のライター、編集だったことと大いに関係があった筈。「古老に可愛がられた」って記述もあったと記憶する。その縁から吾妻徳穂(舞踊家・五代中村富十郎の母)の海外公演に参加とかの記録もある。
つまり新人の作家でも「歌舞伎界」の人だったと言うこと。
作中の光子と勘十郎のモデルは当時の演劇ファンには常識で(あの人ねって奴)、「身内」だから書いても良いけど、大丈夫なの?って感じだったと思う。
出世作「華岡青洲の妻」が劇化・上演された時の配役が中村勘三郎・水谷八重子・杉村春子って豪華版で(面倒いので当時の芸名)、大物俳優達から可愛がられていたと窺われる。俳優陣からも話題作を提供してくれる、「芸事」も勉強している若い作家って関係だったようだ。つまり当時の有吉佐和子は演劇界の人でもあったわけで小生的には「芸道物」としての印象が強くて「推理物」は付け足し感があったと記憶している。
光子と勘十郎の存在感は、正にこの人でなければ書けない世界で大いに感銘を受けた。
作中の演出を引き受けた演劇ファンの作家が有吉佐和子の戯画化であることは明白で演劇製作に関わったことのない人には「描けない密度と面白さ」に満ちている。元夫が後始末に翻弄される様は「あるある感」満載で大変楽しかった。舞台上に馬を出すって、まぁ出来ないことはないけど、恐ろしい限り。(昔菊田一夫が出したらしい)
もう一点関心したのは作中・架空の舞台で光子が川島芳子を演じたことで、ファンにとっては「コレ観たいなぁ」って期待が掻き立てられる構成で、流石としか言いようがない。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2025/5/22 3:33
ヨーイチ