「いただきます」考
家族とかグループで会食をする場合、多くの日本人は「いただきます」と言って、箸を取るのでは無いだろうか。大人になるとこの縛りは大分緩やかになるにしても「食事に於ける礼法」としての重さは変わらない気がする。
勿論小生も箸を取る前に発語するとしたら「いただきます」と言う、他の言葉を考えてみても、ちょっと思いつかない。
随分昔に「いただきます」の挨拶?許可?の「相手」について考えたことがあった。つまり「誰」に対してこの言葉を発しているのだろう?てな疑問を感じたワケだ。昭和五年生まれの母親は「お米を作ってくれたお百姓さんよ」と教えてくれた。多分この論理は母親も教え込まれていたのだろう。理由付けは兎も角、昭和前期の子供も「いただきます」は言っていたと推測できる。
後年「いただきます」は「兵隊に対してだった」と言う証言を目にするようになった。所謂「軍国主義教育」って文脈でコレも「さもありなん」って気がする。
そもそも日本人の殆どが同じ言葉で食事を始めるって、とても奇妙な事ではないか、と思う。
さて、この「刷り込み」はいつ頃為されたのか。
分かりやすい推論は矢張り、江戸以降、明治から昭和にかけて醸成されたのではないか、と思われる。原動力は公教育の普及では無かったか。明治の公教育は近代軍隊の設置と関係があった筈で、気分としては「いただきます」の対象が明治天皇であったとしても違和感が無い。近代国家として、国家神道と天皇を中心に据えようとした新興国としてはあり得た話の様な気がする。もっとも、雰囲気と生活習慣の伝播の話なので確かな証拠があるわけでは無い。前出の母親は戦後の「民主主義」を無邪気に信じていたので、兵隊さんに「いただきます」と言わされていた記憶を隠蔽して我が子に教えたって想像も成り立つ。当時、よく聞いた「お百姓さんへ」って言い換え(推測だけど)も戦後の軍国主義忌避の風潮が影響していたのかも知れない。
こういう習俗の流行り廃り、礼儀の問題は深入りしてみると、一筋縄では行かないもので、筆者が大人になってから目に付くようになった「合掌付き いただきます」も中々厄介で出所が中々難しい。テレビ、ドラマの影響が大きいのは予想が付く。恐らく、テレビに登場する人々は例外なく全て合掌して食事をしているのではないか。つまりスタンダードで真っ当な市民は「合掌して食事をしなければならない」という、結構強めの強制力が働いているかのようだ。
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カテゴリー: お題
投稿日時: 2025/6/13 13:50
ヨーイチ