Nの逝去
気怠い休日。朝のテレビニュースで「米問題」「人口減少」とかの解説を見ていると「長嶋茂雄逝去」の報がテロップで流れた、当然番組は中断、キクマもタマガワもハトリも訃報についてのコメントを述べ始める。恐らく個人の訃報では最大限の中断時間だったのではないか。日テレだったらもっと凄かったかも知れないし、特別番組に動き出しているかも知れない。
いかんせん全盛期が昔すぎる。1956生まれの小生くらいが「ファン」だったと言える下限の様な気がする。
物心ついての「世の中にはプロ野球なる物があるらしい」と知った時には「ナガシマくん」と言うマンガがあって、3番は特別製だった。後つけ知識だが「立教大学・ホームラン記録8本」「砂押監督」「佐倉市」とかが刷り込まれたのだから、大した物だったと言うしかない。
と言うわけで、長嶋ファンだったとはとても言えないわけだが、不思議に記憶に刻まれている事象がある。
90年代だと思う。長嶋が引退した後、出ていたコマーシャルがあった。確か日立のパソコン(コレ自体が微妙な製品ではある)で、あの明るさと自己肯定感丸出しで、締めのキャッチフレーズ
「カム ト ゲザー」で締め括る。当時は「またまた、おバカなことを」と思った。
ビートルズと中学英語のお陰で「together」が「一緒」にって意味くらい知っていた。考えようによってはビートルズファンを挑発しているとも思った。それくらい圧倒的な確信を持った「カム ト ゲザー」であった。
時は移る、今は故人の圧倒的な明るさと存在感が懐かしく思い出される。あの屈託のなさは今や真似手がいないとも思える。
話を変える。SNSの普及なのだろうか、作家の名前を「さん付け」する傾向が見え隠れする。その伝でプロスポーツ選手が引退すると「さん」「氏」が付けられるようになっている。夏目漱石、森鴎外とかに「さん」を付けられると、なんか落ち着かない。更に基準が甚だ曖昧で更に気持ちが悪い。相撲は「元」四股名で通せるのでまだ被害は少ない。氏名が固有名詞化するってことは「唯の人」じゃ無くなるってことなので、断然英雄のような人は呼び捨てたい、ってのが小生の立場。「長嶋さん」より断然「長嶋」で通したい。スポーツ新聞、テレビの都合、風潮に合わせる必要がない事もあるのだ。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2025/6/3 2:37
ヨーイチ