あいびぃ

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あいびぃ

自己紹介カード 発動!!! 【レベル】15 【属性】ちゅー学生 【習性】投稿頻度不安定、定期的に更新不可になる、フォローもフォロバも気分次第、❤︎とコメントくれる人を好む、困ったら募集に参加 【特性】どんな作品にもファンタジーが香る 【メッセージ】 初めまして、あいびぃです! 見つけてくれてありがとう♪ 私自身、生粋のアニオタ・漫画オタなのでファンタジーが多めになってます…多分。 詳しいことは「自己紹介」にて! まだまだ若輩者なので、応援よろしくお願いします!

【あらすじ】星の話はやめようか。

「やり直したい…全部。」 ふいに口をついて出た希望は、吐息と共に闇に溶けたーー筈だった。 凍てつく真冬の星月夜。 フリルドレスは雪と共に舞い降りる。 『願いが確認されました。コード“星に願いを”が発動します。』 「は?」 その瞬間、世界は白に染まり、そして逆行した。 瞼を開くと、そこは可能性の“分岐点” 俺が、選ばなかった未来への“分岐点”が広がる異空間。 『代償を検出…失敗しました。ルーレットを開始します。』 西洋人形の、機械的で何処か小気味良いドラムロールが告げたのは、“希望”という余りにも重すぎる代償だった。 本来なら失われるはずだった日常。 あるいは、救えなかった未来。 知っている“結末”を変えるため、過去をなぞり直していく。 これは、 星に願った一人の人生と、 その裏側で叶えられなかった“もう一つの願い”の物語。 ——それでも人は、願わずにはいられないんだよ、きっと。 ※ 募集期限は過ぎてしまいましたが、この物語は最後まで必ず書き切ります。お待たせしますが、後悔はさせません。安心してお待ちください。

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【あらすじ】星の話はやめようか。

開く側

「ようこそ。」 意地が悪いと思った。この男は、人心掌握の術をよく理解している。ワザと幅の広い鉄格子を用意し、その先に鍵を置いたのだ。どうせ送り帰すどころか、逃すつもりなど微塵もないというのに。彼女の「なんとかなる」という心に漬け込んで、あれよあれよと引き摺り込む様子は、もはや賞賛に値する。 藍良さんは、唇を固く結び、返事の代わりにゆっくりと頷いた。藍はそれを確認すると、話し始める。 「古くから日本の秩序を裏から支えてきた三つの家がある。そのうちの二つが、倉木家と御影家だ。俺は遠い昔から、御影に仕えてきた存在。そして、オマエらはその倉木と御影の末裔なわけだが…それは、まあ良い。」 藍は、僕や藍良さんを指差した両腕を、太ももにポトっと落とした。 「オマエら以外の、残る一つの家は、裂け目を開く事で生計を立てている。」 「それが…“開ける側”なんですね。」 「ああ、そうだ。」 僕の急くような問いに、藍は大きく頷いた。大木のようにどっしりと構え、話はまだ続く。 「具体的に、御三家を分類するなら…御影家は“鎮”、倉木家は“護”、そんで“用”だ。」 「用…?」 藍良さんは、僅かに首を傾げた。 「用。利用するんだ、堕ち神をな。」 「堕ち神を利用するなんて、そんなことできるんですか?」 「できる。オマエらも“安倍”っていうと聞いたことくらいあるんじゃねえか?」 安倍晴明…静かにはっきりとした字体で、僕の脳裏に浮かび上がった。しかしそれが口から出るより先に、藍良さんが口を開いた。 「安倍…安倍晴明ってこと?」 「そう言うことだ。安倍家といえば、式神が有名だろう。あれ実は、特別な専用紙に堕ち神を封じ、屈服させて利用しているわけだ。そういう固有の力が安倍家にはある。」 藍は藍良さんの言葉に頷き、淡々と答える。僕は固唾を飲んで、聞き入った。安倍晴明が代表的な安倍家。界隈人でなくても、多くの人が一度は目にする名前だろう。なんせビッグネームだ。現代になった今も、そのブランド力が客を集める。 「その、堕ち神を封じる為に“開ける”んですね?」 「そういうことになるな。奴等の場合、定期的にそうしないとやっていけねぇ。」 「やっていけない?」 「ああ。だが、能力が有限ってわけでもねぇ。堕ち神側の問題なんだ。考えてもみろ。長時間居座ってる不純物を、浮世が放っておくと思うか?」 その言葉に、二人して考え込むと当然長い沈黙が広がる。やけに鮮明な鳥の声を聞き、藍は再び話し始めた。 「…こう考えることもできる。浮世に行って帰ってこない仲間を放置して情報を垂れ流すようなマネを、彼方さんのボスが許すと思うか?」 「消す…」 自分で言っていて、何かゾワっとするものが背中を走るのを感じた。 「そうだ。一度封じた堕ち神は、浮世か異界か、どちらのせいかは分からんが、多くの場合は長く浮世にいると自然消滅する。専門紙ごとな。だから定期的に開いて出てきたのを封じるって作業をしないと、仕事ができない。」 「そんなの、リスク高すぎでしょ。」 「確かに、藍良さんの言う通りです。そんな作業繰り返して、一つも被害を出さないなんて不可能ですよ。」 「それが、ここ千年ほど実害はないんだ。不思議なことにな。」 藍は人差し指を突き立てて、不敵に笑った。 「安倍晴明って知ってるだろ。さっきも出てたが。」 「もちろん。有名人だよね。」 「おおよそ、奴が残した術式が原因だろうな。アイツは、ああ見えて抜け目がなかった。持ち前の神気に加えて、人の心を一撃で掴むような話術にも長けてた。あんまりにも商売が上手くいきすぎるもんで、実は化け狐なんじゃないかってずっと疑ってんだ、俺は。」 これまでと打って変わって、冗談めかした口調だったが、僕にはそうは聞こえなかった。そう言えば、安倍晴明には化け狐の子であるという伝説があった。その狐は“葛の葉”と名乗って、ある男に近づき結ばれて、晴明を産んだ。最終的にその正体が露見し、去ったか、或いは消されたか。確かこんな感じだったろう。 「狐、か。可愛いよね〜。この前ユキチと動画で見たんだけど、コンって鳴かないんだよ。知ってた?」 藍良さんの的外れな言葉や声色が、張り詰めた空気の糸を切った。藍は嫌な顔をしながら反論する。 「知ってるわ、年配舐めんな。てかアレのどこが可愛いんだよ。アイツらすぐ噛むだろ。」 「えー、噛まないよ。だってあんなに可愛いんだもん」 「いいや、噛む。知ってたか? 狐は噛むぞ。基本は雑食だろうが、狩りだってする。俺だって噛まれた事あるんだからな。」 要は、狩りをしてきた歴史があるから狩猟本能で噛むのだ、と。そういうことだろうか。おそらく過去に噛まれたのであろう箇所をぷらぷらと振り、藍良さんに痛そうな顔して見せていた。しかし、さっきの話の後だからか深読みしてしまうのだ。そのため、その討論が終わるまで僕に首を突っ込む余地は無かった。 藍と藍良さんが和気藹々と話す中、突然ガラリと音がした。保健室の扉が開いたのだ。 「あら。まだ誰かいらっしゃったんですか。」 「あ、須崎先生。」 「御影さんじゃないの。さっき山本先生が言ってた生徒って貴方だったのね。大丈夫?」 入ってきたのは保健の先生である須崎薫子だった。藍良さんが運び込まれた時は居なかったので、後から生徒が保健室で休んでいると聞いたのだろう。担任である山本慎二から。彼の心配性ぶりとマメさは、本校随一と名高く、向かいの校舎に位置する我がクラスでも聞き及ぶところだ。今回も念の為にと伝えたのだろう。 「はい。ちょっとした立ち眩みです。ご心配をおかけしてすみません。」 「いいのよ、ここはそういう為の場所なんだから。あ、倉木くんと…保護者の方?」 「叔父です。近くに住んでいるんです。」 藍は軽く会釈をすると、そう言って誤魔化した。流石に、お世話になった教師に向かって堂々、ただの居候ですとは言えまい。僕も軽く頭を下げた。 「まあ。わざわざ来てくださるなんて素敵なご家族ね、御影さん。」 「ええ、ほんとうに。」 藍良さんは少し俯き、答えた。 「ですが、閉校時間が迫っておりますので、本日は帰っていただいて。気になるようでしたら、また明日、藍良さんの様子を連絡させていただきますので。」 「ああいえ、結構です。すみません、長居してしまって。」 「いえいえ。では、さようなら。倉木くんも。」 「はい。また明日。」 学校からの帰り道、藍良さんと僕と、もちろん藍も一緒に茜色の通学路を遡る。僕らは先程までの緊張を脱ぎ捨てて、和気藹々と話していた。途中、公園の前を通りかかる。そこに、見覚えのある顔があった。 上下するボールは、ダン、ダンと小気味よくリズムを刻む。サッカーの練習だろうか。慣れた足捌きで太腿の上にボールを弾ませている。 「お、ケイゴじゃん。」 「あー! 藍良と倉木ー!あと叔父さん」 大きくて快活な声が響く。ボールを手に持って走ってくる彼を見ながら、名前を呼ばれたので一応軽く頭を下げた。 「藍良、倒れたんだろ。大丈夫だったん?」 「うん。心配かけてごめんね。立ち眩み。」 「なんだー立ち眩みかぁ…。良かった良かった。あ、そうだ。」 頭を傾げる藍良さんを他所に、ケイゴ君は目を見開いて、興奮気味に話し出した。 「良かったと言えば、コレ。なんか急に小さくなりだしたんだよ!」 ケイゴ君は、一瞬下唇をめくって見せた。最初に見た時より、それは明らかに縮小していた。理由は言わずもがな明確である。 「ほんとだ! 不思議〜」 「いやオマエは知って−ゴフッ」 危なかった。話せばややこしくなる事が目に見えていたのに、藍がこちらの話を言おうとするものだから、焦ってつい鳩尾に肘を食い込ませてしまった。幸い、彼の声は二人には届いていないようだ。 「だよなっ!いやあ俺もついに、大将や母ちゃんのビタミン攻撃とお別れするのか…」 「なにしみじみしてんのよっ、もう…!」 そう言って感情に浸るケイゴ君を、藍良さんは軽く小突いた。一見戯れあっているように見えるが、その瞳には涙が浮かんでいた。 「あ、えっあれ? なんで泣いてんの?」 「泣いてないよ〜」 あたふたするケイゴ君に、また彼女の拳が突き出される。その何の殺傷力も持たない拳は、何度も何度も繰り出される。喜びに緩む彼女の表情と涙に揺れる声に、僕の心が何故かキュッと締まるのを感じた。 「いや泣いてるって。そんなに喜んでくれるの?口内炎ごときで」 「うぅ…もうー、ケイゴのバカァ…」 僕は、こんなにも美しい涙を、優しい笑顔を見た事がなかった。ケイゴ君は困惑の表情を浮かべ、自身の服を掴みながら崩れ落ちた藍良さんと僕らとを交互に見やる。 「いや、こっち見んなって。」 明らかに助けを求めるケイゴ君に、藍は小さくそう言い放った。 “守りたいこの笑顔”とはよく言ったものだ。もし僕に、守りたい笑顔があるとすれば、それは間違いなくこの光景だろう。僕はこの時、初めて本当の意味で己の使命を理解した。 【あとがき】 今話も“藍々傘”を読んでいただき、ありがとうございました。新作のため、読者が付くか不安でしたが、連載間も無くたくさんの方に読んでいただけたようで、嬉しい限りでございます。 さて、今現在受験生である私は受験に力を入れる為、投稿を少し控えているので、ご存知の通り、近ごろ投稿頻度は格段に落ちています。お待ち頂いた読者の皆様には、ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。ですので、これからは受験シーズンの終わりに掛けて少しずつ投稿頻度を上げていき、最終的に週刊にしたいなと考えております。なるべく早く、お待ちくださっている読者の方々にお届けできるように。また、より多くの方が(書店ではないのですが)手に取りやすいように、週刊という形を取らせていただく方針です。 きっかけは、週刊を推奨する企画を目にしたことでした。多くの読者が、迷う事なく最新話にありつけるというメリットにまんまと惹かれたわけですね。まあ、そういうわけですので、今後とも本連載と著者共々、暖かく見守っていただけると幸いです。 あいびぃ

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開く側

暗がりの先、ユートピア

暗い暗い洞窟の中、ゆっくりと足を繰り出す。地面を踏み締めるたびに、砂粒の擦り合わされる音が木霊する。天井から降りる石の氷柱を這って雫が滴り落ちる。既に溜まった水の中に一滴一滴と落ちる音もまた、まるで風鈴のように凛と澄んでいて美しい。疲労困憊で実際には鉛のように重い足も、この先に待つと言う景色のためなら羽が生えたように軽かった。 ずっと遠くに見えていた光もいよいよ近づいて来て、洞窟の闇も明るく塗り替えられ始めていた。いつしか完全に闇が消え失せ、突然周囲が光に包まれる。その不慣れな明るさに目が眩んだ。次に開くまでには、少々の時間を要した。 眼球が押し込まれたかのように重たい。原因ははっきりしている。突如として浴びた光のせいだ。その瞼がやっと開く事を良しとした時、目にした光景は期待以上だった。言葉は出ない。なんと言えばいいか分からない、なんて次元では無く、ただ何度も何度も溜め息が往来するのみであった。抜けた腰のことなど、疲労でもはや使い物にならぬこの足のことなど、一瞬たりとも浮かばなかった。地面は太陽の温もりを感じる緑の草原。陽光が透け、風に柔らかくしなる様は、まるで生命の喜びをこれでもかと体現したような美しさだった。ズボンの繊維越しに“生命”の温かさを感じさせる。手のひらがその葉に触れ、柔らかさと生命の活力を知り、その雄大さに打ち震えている。その感覚に浸るや否や、鼻腔をくすぐるのは清々しい風である。それは今まで吸い込んだどんな空気より澄んでいて、どんな風より優しく柔らかい。この風を浴びた我が身が、全身の細胞が歓喜している。もっと、もっと吸わねばと欲している。これほど吸い続けても頭痛に襲われぬことがあろうか。私がどれほど大量の二酸化炭素を吐き出しても、嫌な顔ひとつせずただ悠々と運び、また緑に沈んでいく。風は、まるで母のような慈愛に満ちたハグをくれる。平穏とは、正にこの事である。彼らは、実に数ヶ月ぶりの安眠へと私を誘いつつある。まだ見足りないと言うのに、微睡む瞳に瞼が降りてゆくのだ。これほど安心して眠れる時が来るとは思わなかった。小鳥の囀り、蝶の羽ばたき。彼らの歌には、何故か実家にいるような安心感がある。他の場所の鳥や蝶には、どうしても落ち着きがないと感じてしまうが、彼らは日々の喧騒を忘れさせてくれるのだ。 寝転がって大の字になると、見えてくるのはやはり空である。吸い込まれそうなほど、深く壮大な青空。どこまでもどこまでも深く広がり続ける。圧巻。その言葉に尽きる。息をするのを忘れ、まるで海に飲み込まれたような錯覚さえ起きる圧倒的な存在感。そして、いつまでも私の目を惹いて離さない不思議な魅力。いつしか心に空洞が現れ、空っぽになった私に何が残るだろう。それは密度も意義もない“空虚”なんてものではなく、むしろその器を満たす透明の“満足感”だった。ただ見つめているだけで、これほど私を満たしてくれた物は無かった。手を伸ばしても届かない。それなのに一切腹も立たず、むしろ笑いが溢れ、三秒後にはその理由や手を伸ばした過去すら記憶にない。しかし何故か、とても満たされている自分がいるのだ。そんな空を隠すように通過する雲の雄大さたるや、言葉にならない。あの雲になりたい。自由に浮かび、優雅に漂いたい。切実にそう思った。空を隠しているのに、一切不快に思えない。寧ろ目で追ってしまうくらいだ。きっとあの雲から神が私を覗いている。このだらけきった姿を見ているのだと思うと、多少の羞恥心に駆られるが、この心地良さには歯向かえなかった。許しを乞おうとすら思い立たず、この考えもすぐに消え失せるのだった。 そこに花はない。華やかな香りがするでもない。だが、青々とした自然の活力がお香となって、私の鼻腔をくすぐり、睡眠を催促する。花に心奪われリラックスするよりも、深く青い空に浮かぶ雲や飛び交う蝶に想いを馳せていたい。花に寄りつく虫に趣を感じるより、多種多様な鳥の囀りを聞く方が言わずもがな趣深く、そして心の奥深くに染み込んでいく。風は花の香りをもたないが、優しく私を包み込んでくれる。まるで我が子を寝かしつける母のように、優しい手付きで。 私の瞼は、気づけば降りていた。眠った記憶はない。そんなつもりもない。また瞼を開いた時、景色は幾分か変化を遂げ、また違った趣を感じさせた。瞼が開くまでの間、きっと私はこの大地や自然と一体化していたのだと思う。自然に五感の全てを預け、人である事を忘れて。ただ、自然の中に私と言う不純物を僅かだけ溶かす許可を得たに過ぎないのだ。

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暗がりの先、ユートピア

ようこそ

「そこに誰かいるの?」 「ああ。オマエだよな…倉木」 「え…?」 その瞬間、扉がガラリと開いた。 入ってきたのは、ケイゴより少し低い背丈に、明らかにサイズの合っていないメガネをかけた男子生徒。紛れもなく、倉木君だった。 「やだなあ……何言ってるんですか。」 彼は肩をすくめ、どこか困ったように笑う。 「ろくに動けもしない僕に、あの化け物を倒せるわけがないでしょう。」 “僕なんて”と笑う彼の額には、うっすらと汗が滲んでいた。藍はそんな倉木君をじっと見据えたまま、まるで全てを分かっているかのような調子で言う。 「……ここに来たのも、藍良の様子を確認する為だろ。自分がかけた結界が、ちゃんと藍良を守れてたのかってな。」 「結界……?」 私が呟くと、倉木君は一瞬だけ目を伏せた。 「さあ、一体何のことでしょう。」 とぼけたように笑う彼に、藍はため息をつく。 「……そういうのはいらん。安心しろ。藍良も俺も、そう易々と人様の秘密をバラすほど薄情じゃねぇよ。」 その言葉を聞いて、観念したのか、あるいはこれ以上誤魔化すのが面倒になったのか。ともかく倉木君は大きく息を吐き、そして、ゆっくりと微笑んだ。 「流石は“御影のワンコ”ですね。鼻が利く。」 「……喧嘩売ってんのか。」 「まさか。」 倉木君は軽く首を振った。 「三年の先輩たちの後始末をしたのも、今回、藍良さんに結界を張ったのも…」 彼は、私をまっすぐに見て言った。 「仰る通り、全部僕です。」 保健室の空気が、一気に重くなった。 「……え?」 思わず声が漏れる。理解が追いつかない。 「え、え、ちょっと待って。倉木君何言って……」 「何って、言った通りですよ。倉木家は、憑神という脅威から民を守ることを生業としていますからね。」 「倉木…ああ、へっぽこ稲作の子孫か。」 「へっぽこ…?」 藍は、そういえばそんなのいたな、とでも言うような口ぶりで、手のひらに握り拳を打ち付けた。どうやら何か腑に落ちたようである。 「それ、ウチのご先祖様ですよね。倉木暁作ですよね。全然違いますよね。」 すると今度は、倉木君が藍の言葉に食い入るように責め立てた。圧がとんでもない。近いから離れろとか言って、手で防御するも藍が少し押されている。 「倉木暁作は、聖人君主で誠実で向上心の高い人だったと伝え聞いておりますし、実際に残された手記の内容からもそれは読み取れます。彼のどこがへっぽこなんです?」 「…まあ確かに性格は良かった。が、他に比べれば力は劣ってるし、不器用過ぎてそれを補うための工夫もできねぇ。」 藍の口から飛び出る言葉の羅列に、倉木君は僅かに眉を顰めた。 「だから“へっぽこ”だ。」 「それは…結果論でしょう。」 低く抑えた声で、倉木君は言った。さっきまでの柔らかな調子は消えている。 「確かに、倉木暁作は安倍家や御影家ほどの才はなかった。派手な功績も残していない。でも」 彼は一歩、藍に詰め寄る。 「…それでも裂け目を塞ぎ、堕ち神を祓い、民を守り続けた。その“積み重ね”がなければ、今の秩序はありません。力が弱いからこそ、誰よりも慎重で、誰よりも責任を負おうとした人です。」 「……」 藍は、しばし黙り込んだまま倉木君を見つめていたが、やがて小さく鼻で笑った。 「血筋ってのは侮れねぇな。アイツと同じで面倒くせぇ…。アイツも頭が硬いのなんのって」 「ふふっ、誉め言葉として受け取っておきます。」 即答だった。そのやり取りを、私はただ呆然と見ていた。“倉木家”という言葉が、急に現実味を帯びてくる。これからは、知らない世界じゃダメなんだ。 「……じゃあ、倉木君も」 恐る恐る口を開く。震えが止まらない。逃げたい。踏み込んでしまったら、もう戻れないような気がして、恐怖で声が掠れた。 「危ないものと、ずっと戦ってきた家の人ってこと?」 倉木君は、私の方を向いて少しだけ困ったように笑った。しかし、倉木君の言葉には誇りが滲んで見える。 「ええ。代々、裂け目の後始末を。結局、記録にさえ残りませんでしたがね。ですがこれでも…御影家や阿部家と並んで、御三家に数えられてきた家なんですよ」 その言葉に、藍がぼそりと付け足す。 「だから鼻だけは異様に利くんだ。昔っからな。」 「余計な一言です。」 「褒めてんだよ。」 そう言って藍は、背もたれに体重を預けた。椅子の前半分が浮く。 「……まあいい。へっぽこだろうが何だろうが、倉木は三年の裂け目を塞いで、今回も結界張った。それが事実だ。」 ゆらゆらと揺らしていたのをやめて、椅子が両足着地してから、藍は話し始めた。 「ただ…」 低い声だった。さっきまでの軽口は、どこにもない。 「今回の件は、今までと同じ“後始末”で済む話じゃねぇ。」 その一言で、保健室の空気が変わる。倉木君の表情から、僅かな余裕が消えた。 「裂け目が開いた時間、場所、引き金。全部、出来過ぎてる。」 藍は視線を私から外し、窓の外を見る。 「偶然じゃねぇ。誰かが、意図的に開いた。そうとしか考えられねぇ。」 「……“誰か”?」 私が聞き返すと、藍はちらりとこちらを見た。倉木君も真剣に耳を傾ける。喉が鳴る音が、したような気がした。 「それを今から話す。」 一拍置いて、藍は倉木君に目を向ける。 「倉木。オマエの家、昔から“塞ぐ側”だな。」 「ええ。」 「じゃあ逆に聞く。“開ける側”について、どこまで知ってる?」 倉木君は、答えなかった。否、答えられなかったのだと思う。その沈黙が、答えだった。 「……そうか。」 藍は小さく息を吐いた。 「藍良。」 突然名前を呼ばれて、肩が跳ねる。 「今から話すことは、聞いたら最後だ。知らなかった頃には、もう戻れねぇ。」 胸の奥が、きゅっと縮む。それでも、私は目を逸らさなかった。時計の秒針がカチカチと音を立てる。それが嫌にはっきりと響くので空気はより張り詰めたものに感じてしまう。 「……聞く。」 自分の声が、思ったよりもはっきりしていて、少し驚いた。言ってしまったという後悔より、聞き遂げようという覚悟が、私の中に確かに芽生えていた。藍はそれを確認すると、短く頷いた。 「じゃあ改めて、ようこそ。」 その言葉は、新たな同胞への歓迎ではなく、逃げ道はもう無いと忠告するように聞こえた。

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ようこそ

起きたか

目覚めると同時に、消毒液の匂いがツンと鼻を刺した。白い天井に、硬いベッドをぐるりと囲うカーテン。多分、保健室だろう。 「…起きたか。」 気怠げな低い声が降ってきた。 「藍…なんで」 ゆっくり顔を向けると、そこには見覚えのありすぎる男が椅子に座っていた。脚を組み、肘を膝に乗せ、頬杖をついたままこちらを見下ろしている。 「お前のせいだろうが。なんであんな事した」 「…やっぱり居たんだ、あの時。あれは友達に無理やり参加させられて…あっ、そうだ友達!ユキチ達は」 「心配すんな。俺が全員無事に送った。倒れたのはお前だけだ。他は軽傷で済んでる。」 良かった…。ほっと胸を撫で下ろす。 「ありがと。それと、ごめん」 「いや、許さん。いつも言ってるだろーが。五時以降に面倒ごとを起こすな、心霊系は良い事ないぞって。」 「何かあるの?」 「大アリだ。オマエも知ってんだろ? 毎日午後五時からは連続テレビ小説“あけぼの”の時間なんだよ。」 「は?」 「だーかーらっ! 見逃したんだよオマエのせいで。どうしてくれんだよマジで。前回お清が修羅場って終わったのに! 続き楽しみにしてたのに!」 人が倒れてるのに呑気な奴だ。戦隊モノを見逃した時の小学生よろしく地団駄踏んで拗ねている。今回の事件を引き起こした一人というところに引け目を感じて、なんなら初めてコイツに有難いという感情をもっていたのに、一瞬で吹き飛んだ。唖然として、物理的に空いた口が塞がらない。 「それだけじゃねぇ。“逢魔時”って知ってるか。丁度五時以降、夕暮れ時は昼と夜が入れ替わる。こういう瞬間は悪い物が現れやすい。そんな時間に儀式とか、俺に言わせれば死にたいのかって話だ。」 今度は真剣な眼差しでそう言った。彼の瞳が私を捉えて離さない。私も顔を背けられず、体に緊張が走った。 「でも、なんで私達が儀式したって分かるの?ていうか死ぬの?」 「ああ、死ぬ。オマエらがしたことは、治安がクソ悪い国に来て、わざわざ夜に出歩くみたいなもんだ。いつどこで掴まったり撃たれても、おかしくない。」 「…確かに死ぬかと思った」 「だろ。もうこの際だから全部ゲロっちまうが、なんでそんな事が分かるかっていうと、俺はそういう側の人間だ。オマエが見たアレ、黒いの。アレを倒すのが俺の仕事。だから、感知しちまって行かざるを得なかったんだよ。」 あの黒いのを倒すのが藍の仕事…いつもの私なら笑い飛ばすのだろうが、実際にアレを見たら何も言えない。あの影が幻ではなかったと、信じざるを得ないのだ。 「ねえ、あの黒いの。アレ何?妖怪?」 「…アレは妖怪なんて生易しいもんじゃねぇ。アイツらは、気まぐれに裂け目から這い出ては人の魂を弄ぶ。気に入ればマーキングしたり、飽きたら捨てたり、な。要はタチが悪りぃんだ。」 「そんな…」 「それで言うと、あの背が高い方の男。チャラそうな…」 「ケイゴ…?」 「確かそう呼ばれてたな。」 藍の肯定する言葉を聞いて、頭が真っ白になった。ケイゴに何かあったのかもしれない。そう思うと息が詰まる。居ても立っても居られず、まだ重いはずの体が瞬発的に起き上がった。 「ケイゴが! ケイゴがどうかしたの⁉︎」 「落ち着け、藍良。言っただろ。俺が全員“無事に”帰したって。」 「じゃ、じゃあ何があったの?」 「マーキングだよ。そのケイゴとか言う奴、身体中からアイツらの匂いをプンプンさせてた。で、俺が祓った。アレは随分と前からされてたんだろうな。濃度が一、二ヶ月のそれじゃねえ。」 藍は鼻を摘み、眉を顰めて大袈裟に手で仰いだ。すると私の僅かに寄った眉間の皺に気付いたのか、手を下ろしてすぐに目を逸らす。 「…まあ今回のは、ケイゴをマーキングした奴が出てきたんだろうよ。」 「何しに」 「そりゃあ、裂け目の中に引き摺り込もうって魂胆だろ。ペットにでもしようとか思ってたんじゃねーの。奴のお気に入りだからな。」 「お気に入り…」 それじゃあ、あの時藍が来るのが少しでも遅れていれば、ケイゴは引き摺り込まれ、私も無事ではなかったと言うことか。なんて悍ましい。思わず手が震えた。 「ああ、奴らは“堕ち神”っつー異界の化け物だ。裂け目を自在に開いては、人の魂を獲る。マーキングすんのは、その予約みたいなもんだ。他の奴らに盗られないように、な。オマエもなんか心当たりあんだろ。ケイゴの体で普通じゃないなって違和感、あったりしねーか。」 その全てを見透かすような瞳、言葉にハッとした。 「口内炎…。ケイゴは下唇にずっと治らない口内炎がっ、小学校の時から!」 「それだ。それがマーキング。しかしよく気づかなかったな。もしや阿呆の子か?」 藍が、少しふざけた調子で言った。確かにケイゴは非常に馬鹿だが、それを補って余りある程の良いやつだ。まだ返せていない借りはたくさんある。藍のようなダメ男に笑われて良い男ではない。私の顔が少しムッとしているのが、自分でなんとなく分かる。 「…アホではある。あと小学校の時、意地悪な奴に転かせられても自分で転けたと思い込むくらいには鈍感で、頑丈だった。」 懐かしい。膝から血を流していても気付かずに走ろうとするもんだから、恐怖で半泣きのユキチと指摘して無理やりに保健室へ連行した。なんてこともあった。 「それは…アホの領域を超えてると思うが。まあ、そのお陰で向こうも今まで手出しできなかったんだ。その上、マーキングしてきたのが低級の堕ち神だった事が不幸中の幸いだな。」 「良かった…ほんと良かった。」 安心して思わず涙が溢れ出る。布団に滲む雫を見て、藍が私の背中を撫でた。びっくりしたが、藍の方を見る元気などなかった。 「好きなだけ泣け。反省は後からでも出来る。」 藍は、今まで見せた事のないような優しい目で私を見つめて言う。しかし、廊下に響く小さな足跡に、一瞬で表情を変えた。 「…オマエに伝えておくべき事は山ほどあるんだが、今からいう事はそのうちの一つだ。“裂け目”ってのは開いたら開きっぱなしが通常運転。綾子が言っていた先輩の事件だが、そのとき俺は用事があって出勤できなかった。だが、先輩達には何の怪我もなく、裂け目も塞がっている。」 先ほどとは打って変わって、暗く重い口調。何か言いたげな様子だったが、私にはサッパリ分からない。 「…つまり何が言いたいの?」 「俺じゃない誰か、それも校内に塞いだ奴がいるって話だ。」 「そんなの誰が…」 すると藍は扉を一瞥し、鼻で笑うとこう言った。 「例えば、今扉の向こうにいる奴…とかな。」 「誰か…いるの?」 重く緊張が走る保健室に、秋の終わりを告げる北風が吹いたが、誰も寒さに震えることなど無かった。 「ああ。」

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起きたか

藍と藍

私の家にはヒモがいる。鬼咲藍(きざき あい)。男、年齢不詳。コイツがいつから我が家にいるのかは分からない。だが、父の話によれば父が子供の時既に曽祖父母の家にいたらしい。その頃の写真を見せてもらうと、今と一つも変わらない若々しい姿があった。なんでも、何百年と前からずっと我が家のヒモをしているそうで、その理由は我が家の先祖に大きな“貸し”があるから。我が家の人々はその大恩を返す為に、代々住まわせ、養っているのだ。馬鹿馬鹿しい話だ。うちの家族ときたら、その恩が何なのか分からずに彼に尽くしているのだから。だが、両親が言うには彼ら自身も恩があるのだそう。「お前が居るのは、藍さんが僕らの恋のキューピッドになってくれたからだよ。」そう言われた時、我が親ながらその愚かさに笑いを堪えるのが大変だった。二人をくっつけてくれたと言う功績にはとても見合わないほど、こちらは尽くしていると言うのに、その理由ときたら余りにも馬鹿馬鹿しい。 そう思うのも無理はない。我が家のヒモ 鬼咲藍は、ヒモと言う肩書きに恥じぬ駄目男である。 「どけよおっさん!」 私は足元に転がる男の背を蹴った。血縁でも何でもない男が、日常的に転がっているなんて、とても一般的な高二女子の家とは思えない。少し気の早い進路希望調査より、よほど頭の痛い問題である。 「…」 「おいおっさん、起きてんの?」 「…思春期って面倒くせーのな。」 背中を摩りながら発した藍の低い声が、私の脳内のゴングを激しく鳴らす。 「…別にわざわざ呼び方変えんでも、昔と同じように“藍にぃ”って呼べばいいんじゃねーか。つか、俺何も悪い事してねーし蹴るな。」 「誰が呼ぶかっ!そこ邪魔なんだよ!」 この顔だけ良い男の名前から、代々“藍”を取って名付けられる風習のせいで、私の名前にも当然のように“藍”が入っている。呼ばれるたびに襲う激しい嫌悪感と、私は日々戦っているのだ。ちなみに父は“藍之介”である。 「えー…俺の定位置なんだが。」 この男、テコでも動かぬ。私は、これでもかとわざとらしく大きな溜息を吐くと、足早に玄関へと向かった。 「お父さんお母さん、行ってきます!」 「いってらっしゃーい!」 家族に送り出され、今日もまた登校する。 玄関の扉を閉めた瞬間、背後から「いってらっしゃい」と藍の気怠げな声が飛んできた気がして、思わず足を止めた。だが、振り返った時にはもう何もない。多分気のせいだ。そういうことにしておく。 *** 「藍良ー! おはよー!」 昇降口で声を掛けてきたのは、クラスメイトの“ユキチ”こと羽山結城だった。朝からやたらテンションが高い。 「……おはよ。朝からうるさい。」 「ひど。てか聞いた? 昨日から流れてるやつ」 嫌な予感がする。こういう前置きをする時は大抵ロクな話じゃない事を、私は知っている。 「なに」 「理科室の都市伝説」 やっぱりそれか。 「放課後、理科準備室でさ。黒板に円を描くんだけど、完成させないの。途中で止めると…」 「はいはい、どうせ幽霊が出るとかでしょ」 「違うって! “円の隙間から、何かが覗く”んだって!」 ユキチは両手を広げて、わざとらしく身震いしてみせた。 「昨日、三年の先輩がやったらしいんだけどさ。なんか、床がひび割れたって噂」 「……理科室の床、元から古いだけでしょ」 そう言いながらも、胸の奥がざわついた。 理由は分からない。ただ、胸の奥が、いやに冷たい。 「ねえねえ、今日やろうよ。放課後」 「は?」 「どうせ暇でしょ。進路決まってないし」 「それは余計なお世話」 ユキチはケラケラ笑いながら、私の肩を何度も叩いた。コイツはこれで力が強いから、痛くて困る。 「決まりね。藍良も来るから人数足りるし!」 「勝手に決めんな!」 その時、廊下の奥からチャイムが鳴り響いた。 私は文句を言いかけて、言葉を飲み込む。走って自分の席に着いた。 放課後のチャイムが鳴り、カバンに課題などを詰め込んでいると元気な声が私を呼ぶ。 「藍良ー! 来たよー!」 「はぁ、来ちゃった」 「しょんぼりすんなし!喜べ」 いつものように軽口を叩きながらも、私はユキチの後ろをついて行く。理科室に近づくと、すでに誰か集まっているようだった。 「よーっす」 右手をポケットに突っ込みながら左手を軽く挙げる、そんな気の抜けた挨拶するのは“ケイゴ”こと山田圭吾だ。私とユキチとケイゴは、襁褓が取れる以前からの幼馴染で、腐れ縁。そのため、何かする時は必ず彼を巻き込むのが私達のいつもスタイルと化した。 「お、ケイゴじゃん。」 「ケイゴさっきぶり〜! 今日も元気に口内炎やってるかい?」 「おうよ、下唇の大将は今日も立派に生きてるぜ」 ケイゴは、ユキチのノリに合わせてそう言うと、下唇を軽くめくってみせた。直径二ミリくらいの立派な突起が、堂々と居座っている。 「えっ、それまだ残ってんの?」 「え、うん。いつものようにオレンジがめちゃくちゃ沁みたけど。」 「ケイゴママ、嫌がらせのように毎日弁当にフルーツ入れるかんね」 「ビタミンが足りてないのよ〜、だろ? マジ勘弁」 「可哀想だけど実際そうだからね。諦めたまえ、ケイゴ君」 そう言ったのは年中お団子ヘアに黒縁メガネのいつメン“綾ぽん”こと乙宮綾子。みんなのお姉様担当で、この中で最も変人でありながら、実は最もモテる女なのだ。 「イエスマム!」 「…盛り上がってるところ悪いんだけどさ、あの人誰?」 そう、ずっと気になっていた人。全く知らない奴が、ケイゴの背後にいるのだ。 「あー、数合わせで綾ぽんが呼んでくれた人。これ五人いるんよね、五芒星的な。」 「呼びましたー、いえいっ!」 綾ぽんは、ウィンクした目元にピースを翳す。そしてそのまま説明し始めた。 「この人はウチのクラスの男子でーす。名前は、えーっと…」 「倉木…です。」 「だそうです!」 「よろしくな倉木!」 「よろぴくー」 「よろしくね」 「えっと、はい。」 俯き気味の男子・倉木君は、居心地が悪そうにしていた。そりゃあそうだ。いきなり知らないグループの悪ノリに付き合わされるだなんて、一体何の罰ゲームだろう。彼が何か酷い事でもしたんですか? 綾ぽん。私には彼の武運を願うしかできないけど。 「じゃあ…そゆことで、これからこの五人で理科室の都市伝説を検証していきます!」 「れっつごー!」 「「おーー!!」」 「お、おぉー…!」 拳を上に掲げたと同時に、蛍光灯の光が一斉に瞬いた。 ケイゴが勢いよく開けた扉の中へ、恐る恐る足を踏み入れる。先頭はケイゴ。私は最後尾だ。例の先輩のせいなのかヒビ割れた床が、足の裏にザラザラとした感触を伝える。風に揺れるカーテンが恐怖心を煽り、なぜか誰も電気を付けようとしないので私がスイッチを押した。まばらに瞬き光出す蛍光灯が、今日は少し不気味に感じた。すると静寂が包み込む理科室に、鋭く風情ある音が木霊した。チリンッ。 「うわっ、びっくりした〜」 「風鈴かよぉ〜、もう秋終わんのになんであんだよ」 「原センだよ。夏休み前にウキウキで飾ってた。それで多分そのまま取り忘れてんだろうね。」 「雰囲気ありますな。心霊っぽい」 「もう、綾ぽんってば〜」 そんな軽口を叩きながら、どんどん儀式は進んでいく。黒板の前に立ったユキチが、白いチョークを手に取った。 「それじゃ、円、描きまーす」 ギィ、と嫌な音を立てながら、チョークが黒板を走る。円は歪で、少しずつ、でも確実に形になっていく。 「ねえ、たしか最後まで描かないんだよね?」 「そうそう。途中で止めるのがミソらしい」 「なんか気味悪いですね」 円は八割ほど描かれたところで、ユキチの手が止まった。 その瞬間だった。ピシッ。乾いた音が、床の奥から響いた。 「え、今の何?」 「気のせいじゃね?」 そう言いながらも、誰も笑わなかった。理科室の床に、細い亀裂が走っている。まるで、何かが内側から押し割ろうとしているみたいに。 「これ……昨日の噂のやつじゃん」 ケイゴの声が、少しだけ震えた。ピシ、ピシッ。 亀裂はゆっくりと広がり、中心に黒い“隙間”が生まれる。風が、吹いた。窓は閉まっているのに、冷たい空気が足元を撫でる。 「……ねえ、これヤバいんじゃ」 私の声は、思ったより小さかった。 「だ、大丈夫っしょ……」 そう言いながらも、ユキチは一歩下がった。 その時。床の裂け目から、“何か”が覗いた。 黒く、歪で、形が定まらない。目のようなものがギョロギョロと、いくつもこちらを見ている。 「……なに、あれ」 綾ぽんの声が、掠れた。倉木君は立ち尽くし、私とケイゴの喉が鳴る。空気が、重い。息を吸うだけで、胸が苦しい。 「おい、これマジでやばいやつじゃね?」 ケイゴが後ずさる。だが、遅かった。裂け目は一気に広がった。床が砕け、何より深い闇から黒い影が這い出してくる。触れた場所から、光が消えていくような感覚が指先から走る。 「逃げろッ!」 誰かがそう叫んだ。私は走ろうと脚に力を入れた。でも、動かなかった。身体が、鉛みたいに重い。視界の端で、倉木くんが私を見ているのが分かった。何か言おうとしている。声は聞こえない。口の動きを追ってみても、虚ろな視界は言葉を捉えない。影が、私の足元に迫る。 冷たい。指先からサーっと血の気が引いていく。 息が詰まる。怖い。 意識が、遠のいていく。 その時…裂け目の向こうに、見慣れた姿があった。気怠げな目。 だるそうな立ち姿。なのに、足元には角のような突起が付いた影が伸びる。ここにいるはずのない存在。 「……ったく」 低い声が、確かに聞こえた。 「だから言ったろ。五時以降に面倒ごとを起こすなって」 私の視界は、そこで真っ暗になった。

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藍と藍

恋バナ

「わぁ、ルイ君だぁ!」 今俺の目の前に居るのは…誰だ。本当に彼女なのか。それとも、彼女の皮を被った“化け物”なのか。それとも別の何かだとでも言うのか。これまで見て来た全てを一瞬で否定しようとする、これまでの何よりも強い“瞬間”が押し寄せる。これが彼女な訳がない。きっと“化け物”だ。 無機質なこの空間は、彼女の裸足の足跡以外の物音が一切遮断された静寂に包まれている。彼女の声が俺の鼓膜の中で木霊し、頭の中を引っ掻き回した。 初めて彼女に会ったのは、秋晴れの夕焼け空がどこか寂しく感じる日だった。放課後、席替えがハズれた事に機嫌を悪くし、下校中に見かけた公園でなんとなくブランコに座ってみたのを覚えている。そこで漕ぎながら、ボーッとしていると彼女が隣のブランコに座ったのだ。 「やあ、初めまして! ボクはルル!」 ルルと名乗る彼女の笑顔は、俺とは対照的でとても眩しかった。その笑顔で、席替えの不満も吹き飛んだ。 「…初めまして。」 「君はなんていうの?」 「俺は、ルイ。」 「じゃあ“ル”仲間だ!」 そう言って笑う姿に少しドキッとしたのも束の間、ルルから恋バナを持ちかけられた。 「ねえ、ルイ君。ボク、君のことがもっと知りたくなっちゃった。ルイ君は好きな人、いる?」 「…いる。」 「わぁ! ほんと? どんな人?」 「クラスメイトの…菊原楓さん。優しくて、頭が良くて、とっても綺麗な人だ。」 「そっか…。ねえ、ルイ君。」 「何?」 「ボクは、ルイ君の事大好き! 一目惚れしちゃったの。」 そう言って、頬を赤くしてニンマリ笑うルルの瞳は一切笑っていなかった。俺は怖くなって本気にしなかった。 「そうか。ありがと。」 「うんっ! ルイ君、菊原って子よりボクの方が絶対良いよ。絶対ボクの方が可愛いし、優しいし、家事だってできるし、君のためなら命だって賭けられる。」 ニンマリ笑って、どう?と聞かれると、俺は怖くて肯定しか出来なかった。 「そう…だね。」 だけどそれからも、何度かルルは俺の前に現れては、話しかけてきた。彼女には不思議な魅力があったのだ。だから俺も何となく会話を続け、仲良くなった。かけがえのない友人だと紹介できるくらいには。そんな彼女は、相変わらず恋バナばかりする人だった。 そんなある日、俺の家に一通の手紙が届いた。俺宛で、ルルからだった。『ここに来て』と住所が書かれていた。住所を教えた記憶はなかったが、当時の俺は何も考えず、休みの日、俺はそこに向かって自転車を走らせた。いつもの公園に着いて、ブランコまで歩く。その途中に聳える無駄に背が高い時計は、午後一時半を指していた。ブランコに座り、ボーッと桜の木を見ながら、ルルを待つ。暫くしてふと、右腕を見る。父親の安物のアナログ時計だ。とは言え、高校生には不相応な小洒落たデザインをしている。時刻は午後二時。三十分経った…そろそろか。俺は、ゆっくりと顔を上げた。 すると、目の前に何もない空間が広がっていた。桜の木は愚か、公園の面影すらも一切無い。まるで、研究所の様な無機質な場所だ。そんな俺の前には、消えた桜の代わりにルルが立っていた。 俺は自分の目を疑った。ルルの姿、この状況…その全てを。 「何…してるんだ。」 「わぁ、ルイ君だぁ! こんなところで会うなんて奇遇だねー! なんちゃって。」 笑ってる。振り返ってこちらに微笑むルルが、今はどうしようもなく恐ろしい。荒い呼吸、滴り落ちる汗に、緊張が滲む。手は震えが止まらず、それなのに僕の瞳は彼女を捉えて離さない。 「何してるって聞いてんだ!」 「ふふっ、怖〜い。 ねえ、見てわかんない?」 ルルは、笑いながら僕に近寄り、口元に人差し指をやると、コテンと首を傾げた。今の僕に“分かる”ことは、彼女の足元に倒れてるのが同じクラス菊原さんで、さっきからずっと動かないってことぐらいだ。 「…分かんねぇよ。なんで、菊原さんが倒れてるんだ。なんで…なんでお前は、そんな鎌を持ってるんだよ!黒い服も着て…まるで死神みたいじゃねえか!」 「んーっご名答!」 ルルは、口元にあった人差し指を顔の横に持っていって微笑むと、くるりと身を翻して菊原さんのところに向かって歩き出す。 「は…?」 「ボクの姿見て分かんないかな?」 そう言われて、ルルの姿を見回した。黒い服を着て大きな鎌を持っている。 「何言って…」 「だーかーらーっ! 殺したんだよ、ボクが。」 ちょっと待ってくれ。てことは、死んだのか。菊原さんは、死んだってことなのか。でも血なんかは出てない。いったいなぜ、どうやって…何のために。溢れんばかりの疑問が、頭の中をグルグルと回る。回り続ける。 「どうして…」 「この女がボクの邪魔をするからだよ!」 その言葉は、さっきまでと違って語気が強く、殺気を含んでいた。 「ルルは菊原さんに会った事ねぇだろ!」 「無いよ! でも見てた。この女ってば、ボクのルイ君を誑かしたんだ! ルイ君がボクを見ないって事はそう言う事でしょ。じゃないとおかしいもん。だって、だってルイ君はボクのこと好きでしょ? ボク達両想いだもんね?」 え? 何言ってんだコイツ。ルルの言葉を聞くたびに、俺の体が本能で逃げがっているのが分かる。でも、ルルからは逃げられない。それだけはハッキリと脳が理解してしまっている。 「君が菊原楓を好きな人だって言ってから、ずっと観察してたんだ。でも、君がこの女を見る目とボクを見る目って全然違う。ボク、その目が欲しいの。だから、この女さえいなくなれば、ルイ君はあの目でボクを見てくれるんでしょ?」 「あ…」 上手く酸素が吸えない。手が震える。心臓が煩い。なんだよ、俺のせいって言いたいのかよチクショウ。俺のせいかよ。あの時俺が安易に頷かなければ、菊原さんは…。 「あ…? ふふっ、お口が開いてるよルイ君。あの時、ボクが好きかって質問に君は否定しなかったんだよ。覚えてる? これってつまり、両想いでしょ。それなのに浮気したルイ君が悪いんだよ。」 ルルは、俺の真似をして言った。 「お、俺にどうして欲しいんだよお前は!」 「んーとね…あはっ、忘れちゃった! どうして欲しかったんだっけ」 頬を紅潮させ、狂ったように笑うルル。俺は未だ彼女から目が離れないでいる。緊張が身体中を湿らせ、込め髪から顎へと滴り落ちる。震える手を握り込めて、唾を飲んだ。 こんな状況なのに、何故か口角が上がって仕方がない。足の震えを抑えるかのように、一歩ずつ体重をかけながら、ゆっくりとルルの元へ歩く。 「 」 今、俺は何を言ったんだろう。完全に意識の外にある言葉。得体の知れない“何か”が、俺の口からふいに零れ落ちた。身体中の熱がサーっと引いていくのが分かる。だが、それでも俺の表情筋は固まったまま。もう、戻れない。俺の直感がそう叫んだ。事実、戻れていないのだから。 以上が、観察保護対象 被験体“笑う男”の手記と口述を纏めた報告書の内容である。

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恋バナ

バレッタ婆さんの薬(後編)

あれから、殆ど毎日、喫茶店で待ち合わせては、読み書きを教えている。ハナムラさんはいつも一足先にやって来て、初めて相席したのと同じ席に座り、慌てん坊ブレンドを飲みながら待ってくれていた。どうやら、一度気に入ったらずっと頼み続けるタイプらしい。それなのに、今日は一向に姿を現さない。いくら待っても中々来ないのだ。 俺は、ふとあの時貰った名刺を見る。 「…行ってみるか。」 コーヒーを飲み終えた俺は、席を立って店を出た。それから十分ほどで、到着する。ハナムラさんの工房は、意外と近いのだ。 ハナムラさんの工房は、古いコンクリートのレンガを岩のような粗い質感にした外壁に囲われていた。その中には、丁寧に整備された雑草ひとつない庭が広がる。しかし、そんなところに感動している暇など、俺にはなかった。ここに来た時、この“花村”と書かれた表札の前に立った瞬間、俺は目を疑った。工房の外壁には、はっきりとした色のスプレーで書かれた文字や、無数の貼り紙がされていた。「消えろ」「死ね」「ガラクタ屋」「ここの商品は買わない方がいい」「ガラクタ作ってる」「ブス」「休業中でーす♪」などなど。とても信じられないような暴言の数々が、彼女の家の壁を埋め尽くしていた。誰が一体こんな事を…。ハナムラさんはこの壁を見てどう思ったのだろうか。俺なら気が狂いそうになる。そりゃあ、来れないよ。そう思った。空いた口から零れ落ちそうな、表現しようのない言葉は、行き場をなくして泡のように消えた。 「こんにちはー。ハナムラさーん?いますか?」 俺は工房内を見回した。奥の方で、影が動いた。机に突っ伏していたようだった。 「…ミネタさん。」 泣いていた。顔を上げた彼女の目は赤く腫れ、声は小さく嗄れていた。震えた手が、強く袖を握り締めた。 「…えっと、ハナムラさん今日は来なかったので、気になって来ちゃいました。」 「…そ、外の。見ましたか?」 「ええ…。ほんと酷いですね、あれは。」 「…せっかく、せっかく読めるようになったのに、こんなのあんまりです!」 ハナムラさんの大きな瞳から、涙が溢れ出した。 「…ずっと、読みたかったのに。私、楽しみにしてたんです…なんて書いてるのかなって。でも…ぜんぶ酷いことだった!」 その悲痛な声に俺は押し黙った。肩を抱こうとした手は、行き場を失い、ポトリと落ちた。 「なんでですか…なんで、せっかく字を書けるのにこんな酷い言葉を…!」 俺は、どんな言葉を掛けるべきかわからなかった。ただ、持っていたハンカチでその涙を拭ってやることしかできなかった。今俺が言って良い言葉は、どこにもないと思った。何も言えなかった。 「…一生懸命勉強して身に付けた文字。ミネタさんに教えてもらった文字を、傷つけるために使うなんて…。大切な言葉なのに文字なのに。私もう、怒りと悔しさと悲しさと、いろいろぐちゃぐちゃになっちゃって。それで、涙が溢れて……こんな顔、ミネタさんに見せられないって思って、行かなかったんです。ごめんなさい。」 ハナムラさんは息を荒くし、再度ぐちゃぐちゃになった顔を、子供のように手で拭ってから言った。相変わらず声は小さく嗄れ、震えていた。 「…すみません、気が利かなくて。でも…俺は好きですよ。ハナムラさんの作った陶器。だって、この前くれたマグカップ、凄くオシャレで保温性高くて俺のお気に入りなんです。それで…あの、名刺に電話番号がありますから、また勉強やる気になったら連絡してください。好きなだけいっぱい泣いて、それでもやっぱり辛かったら、その時は頼ってくださいね。」 「…ありがとうございます。」 その言葉を聞いてから、俺は彼女の肩を摩るのをやめて立ち去った。 日が沈みかける十八時。銀杏の絨毯が広がる夕暮れ時の公園で、俺はベンチに座っている。ハナムラさんと会い始めてからは、暫く訪れもしなかった公園のベンチに。あの時の彼女の顔が忘れられず、帰る気になれなかったのだ。 そして、ふと思う。考えたくないと拒絶する自分がどこかにいるが、考え始めると自責の念が絶えない。もし、俺がもう少し教えるのが遅かったら。あの日、ハナムラさんがカタカナを覚えた事が嬉しくて、調子に乗って漢字まで教えたんだよな。俺が、漢字を教えなければ、少なくとも漢字が使われたのは読めなかったんじゃなかろうか。そしたら、あんなふうに泣いてしまうこともなかったのかもしれない。俺のせいだ。俺が教えたから。タラレバが溢れ出る。考えても仕方がないのに。 そんなことを考え、俯いていると、いきなり脛に衝撃が走った。 「正義、薬の瓶適当に捨てただろっ!契約書も読まず適当して…って、一言文句言ってやろうと思って来たら、なんだいその顔は!」 「…なんでここに。」 そこにいたのはバレッタ婆さんだった。 「だから文句言いに来たって言ってんだろ?」 「…すみません。契約書の内容忘れてました。」 「ふんっ、まあいいだろう。しっかし、今日のアンタは嫌に萎らしくて気持ち悪いねぇ…辛気臭くて敵わないよ。」 つくづく失礼なお婆さんだ。人が落ち込んで、悩んでいるというのに、老婆の見た目に不相応な言葉の切れ味である。 「なんだい…何かお困りかい? 目の色が変わっているね。前は“無”今は“迷い”だ。あまり良い変化じゃない。」 バレッタ婆さんは、先程とは打って変わって優しく、しかし真っ直ぐとした口調で語り掛けてきた。 「…俺、読み書きが出来ない女性に出逢って、読み書きを教えてたんです。でも、今日はいつもの場所に来なくて…。見に行ったら、彼女の家の壁に悪口が書かれてて、彼女はそれを読んで泣いていました。せっかく読み書きができるのに、なんで悪口に使うのかって。」 「それで、自分を責めてたのかい?」 「だって!……俺が教えたから…。」 「そうさね…でも、教えなければ良かったなんて事はないよ。だってね、その子がアンタに教えを乞うたんだから。」 その言葉を聞いて、俺の中で何かが音を立てて切れた。いくら先人の言葉で正しいとしても、まるで彼女の責任だとでも言うような今の発言は、許せなかった。彼女は純粋に文字を楽しんでいたのに、それを汚したのは“俺たち”なんだ。それを、彼女の責任と言うのは間違っている。 「違うっ!彼女は悪くない。純粋に文字を楽しんでいただけなんだよ!俺は、それを台無しにした…。」 「いいや、台無しにしたのは悪口を書いた奴らだ。その子の家は奥の方にあって、パトロールでは見逃しがちだから対応されてこなかった。でも、あたしが今お巡りさんをそっちに行くように誘導したから、安心しな。」 「…誘導?」 「ああ、あたしの魔法でね。」 バレッタ婆さんは、ニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべた。 「魔法使いなんですか?」 「ああ。おかしいとは思わなかったのかい?異空間からいきなり現れる婆さんなんて。」 そういえばそうだ。薬の効果もファンタジーだし。前回も今回も、自分のことにいっぱいいっぱいで考える暇がなかった。 「あたしゃ、別世界でそれとなーく地球を監視しては助け舟を出すって言う、所謂お助けサービスってのをやってるのさ。」 「お助けサービス…。」 「そう、お助けサービス。ああ、そうだ忘れてたよ。アンタが気にしてるあの子…唯花ちゃんだったかね。その子から手紙を預かったんだ。」 バレッタ婆さんは、そういやこっちが本題だったと、笑いながら上着の中を漁った。 「なんでそんな大事なことをっ!」 「まあまあ、落ち着きな。今出すから…おっ、あったあった… ホレ、これだよ。」 俺は、バレッタ婆さんの手の中にある小さく折られた紙を受け取った。血管の浮き出たしわくちゃな手の温かさが、紙に染み込んでいた。一方で俺の手は震えていた。不安だった。ハナムラさんの優しさを、俺は知っている。だからこそあり得ないと分かっているが、それでももしかしたら…。この手紙を開いた時、俺の目の前に現れるのはきっと、自分の世界を壊した俺への罵倒と決別の宣言に違いない。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ミネタさんえ さっきは泣いてしまってすみませんでした。 せっかく来てくださったのに、きをつかわせてしまってもうしわけないです。 この手がみをかいたのわ、伝えたいことがあるからです。 私わ、ミネタさんに教えてもらってから、まえよりもっと学ぶのがたのしくなりました。 だからまいにちたのしみで、いつも早くきっさてんにいってまっていました。これが、ミネタさんに早く来すぎだとちゅういされても、こりずに早く来ていたりゆうです。 そのくらい、わたしはあなたのおかげでたのしくすごせていたんです。こんなながい文章も、まだぎこちなくてつたないものだけど、あなたのおかげでここまでせいちょうできたんだよって伝えたくて、手がみをえらびました。 わたしわ、学んだことお、ミネタさんにおそわったことおくやんでなんかいません。わたしが泣いてしまったのは、りそうとちがったからです。 でも、考えてみれば、人の家にかきこむことはわるいことなのに、そのないようがいいことなわけがないんです。だから、わたしがわるいんです。 かってにおもいえがいて、きたいしたわたしがばかだったという、ほんとうにそれだけのはなしなんです。 だから、いまもし、ご自しんをせめていたならやめてください。あなたはわるくないです。 わたしはあなたからたくさんのものおもらいました。自分がどれほどずうずうしいか、それはしょうちの上で、おねがいさせてください。 どうかまた、わたしにもじをおしえていただけませんか? 花むら ゆい花 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ その手紙に書かれた文字は、漢字だけが便箋の列からはみ出ている。漢字は苦手だったから、練習の時も大きくなっていた。濃くはっきりと書かれていても、そのぎこちない文字の下には、何度も書き直したような跡が残っている。 どれもこれも、練習のときに難しいと嘆いていた字だった。 「もちろんっ…もちろんだよ、ハナムラさん」 自然と言葉が溢れ出た。零れ落ちた雫が文字に染み込んだ。こんなんじゃダメだと無理に口角を上げても、またすぐに下がってしまう。 きっと、何も知らない奴にこの手紙を見せても、小学生が書いたと思われるのだろう。そればかりか、読むことすら出来ないかもしれない。ハナムラさんの字は、そのくらい拙い。でも、俺には読める。だってずっと見てきた字だ。ずっとずっと、見続けて来た字。俺が教えて来た、見守って来た字なんだ。ハナムラの“村”って漢字も、形がややこしいって文句言いながら苦戦してたっけ。それなのにいつも、書けないって分かっていても何故かトライして、それで最終的に諦めて平仮名にするのがいつものお約束だった。漢字を書く時、平仮名を書く時、カタカナを書くとき。それぞれの大きさも、必ず突き出る“タ”の三画目も、何故か跳ね上がる“ん”の先端も、消しゴムが下手くそなところも、全部。俺の知るハナムラさんそのものだった。この手紙は側から見れば、きっとただの汚い字の配列にすぎないのだろう。だけど、俺ははっきりと読み取れる。文面から、ハナムラさんの不器用な優しさが伝わってくる。 「あぁ…ふふっ、“は”と“へ”と“を”…また間違えてる」 「おや、何か吹っ切れたようだね。瞳から“迷い”が消えたよ。寧ろ、輝いているくらいだ。」 「…婆さん、手紙ありがとう。」 「なんだい嫌に素直だね。気色悪い。それにあたしゃ何もしてないよ。単に、薬の効果が早かっただけさね。」 バレッタ婆さんは、相変わらず悪態を吐きながらそう言った。 「薬の効果…」 「ああ…多分、唯花ちゃんとの出逢いがアンタに必要な経験だったってことだろうねぇ。気づいてるかい正義。アンタの瞳は、もう既に“生きる意義”に満ちている。あの子との出逢いを通じて見つけたんじゃないかい? アンタだけの“生きる意義”って奴をさ。」 生きる意義と聞いて、俺はその言葉にハッとした。そして顔を上げると、意外な光景が広がっていた。俺を見つめるバレッタ婆さんの顔に、穏やかな笑みが浮かんでいたのだ。まるで孫を見るような優しくて愛おしそうな瞳に、俺は困惑した。どうしてそんな目で俺を見つめるのだろう。そう思った。それと同時に、俺の生きる意義を感じた。全ては、この手紙に現れている。この手紙こそが、俺の生きる意義と言っても過言ではない。 「…そう、ですね。バレッタ婆さん、いろいろとありがとうございました。」 俺は勢い良く頭を下げる。今までこんなにも不快感を感じないお辞儀があったろうか。これまで俺は、自分が少しでもマイナスの印象を抱いた者には、何が何でも頭を下げようとは思わなかった。しかしそれでも必要な時がやってくる。その時はプライド故の不快感が必ず俺にストレスを与えていたものだ。 「カカッ、アンタにしては気持ちの良いお辞儀だね。こういう瞬間があるから、この仕事は中々辞められないのさ。ある意味、それがアタシの“生きる意義”って奴なのかもしれないね。」 そう言うと、バレッタ婆さんは異空間に消えた。その曲がった背中を見送ると、俺はベンチから立ち上がって帰路についた。 鍵穴に鍵を差し込んで回す。カチャリと、虚しく音が響いた。 「ただいま。」 妻と娘が交通事故で亡くなってから、久しく言ってこなかったこの言葉も、近頃は言うようになった。俺の中の小さな変化である。帰っても誰もいない一人には広すぎる一軒家。まだ妻や娘の私物は片付いていないが、年末の大掃除で空っぽになったままだった本棚は、ハナムラさんに文字を教えるために買った本で埋め尽くされていた。俺はソファに一直線に向かって、どかっと座り、テレビをつける。特に見たいものもないので、そのままドキュメントを見る。学者が、識字率の歴史について話していた。思わず見入り、時間が流れ、ようやく気が付いて帰りにセブンで買った袋に手をかける。冷凍餃子とパック米の調理方法を確認して、パック米をレンジに入れ、そのままの足でコンロに火を付けた。ソファに戻るのも怠いから、キッチンからテレビの続きを見る。ふと、字を教わっている時のハナムラさんの笑顔を思い出した。 ビールのプルタブ開けて、グビッと飲んだ。流石、一部の物好きにしか買われないと有名なビールだ。このホップの苦味が悉く俺に合わない。己を戒める意味で買ってみたが、背伸びするんじゃなかった。 「うえっ…マズっ」 顔を顰めながら、缶を置いた。確か明日が、カン・ビンのゴミ捨ての日だった筈だ。俺はその袋を忘れないように玄関に置いた。ご飯食べて、風呂入って、そのまま布団に入るとすぐに眠った。俺は昔から寝付きだけは良かった。 翌朝は、特に夢も見ず、それでいて特段スッキリもしない寝起きだった。いつものことだ。歯を磨きながら、なんとなく歯磨き粉の裏の説明を読む。この文字をハナムラさんは読めるのだろうか。読めればきっと、毎日わくわくしながら、新鮮な気持ちで読んでいるのだろう。ハナムラさんの興奮した様子が目に浮かぶ。 「ふふっ…読めるって幸せなんだな。」 それから顔を洗って、髪をセットして、スーツを着てパンを食べる。ほったらかしてた昨夜のビール缶は、玄関の袋に入れて、手に持って出勤がてらゴミ出しをした。 昼休み、行きつけの喫茶店に入った。ハナムラさんと最初に相席した手前の席には、彼女の姿があった。慌てん坊ブレンドを美味しそうに飲み、俺に気づくと手を振って笑った。この時間が、俺の生き甲斐だ。“生きる意義”だと、改めて実感する。 「ミネタさんっ! おはようございます!」 「はい、おはようございます」 彼女の瞳には、初めから“迷い”など無かった。俺は、彼女の勤勉さと前向きさを少々見くびっていたのかもしれない。 「私、今日こそは“村”を克服しますよ!」 彼女の無邪気な笑顔に、俺の中で何かが崩れた音がした。

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バレッタ婆さんの薬(後編)

キャッチコピーからつくれ!

【注意点】 題名はお好きにどうぞ! キャッチコピーを思わせるような内容を心がけてください。 詩ではなく、物語をお願いします。 長さは千五百字を超えてくだされば結構です。あとは問いません。 参加者の方には、遅くなっても必ずコメントさせていただきます。 このアプリの良さを活かし、参加者同士の交流も大切にしたいので、是非コメントし合ってください! 仮題が存在しますが、そのまま使って頂いても構いません。 思う存分楽しんでくださいね! 【お題】 ①仮題 【僕が愛した殺人犯】 『僕が恋をしたのは、殺人犯でした。』 『これは、最も純粋な僕の初恋(ハツコイ)の物語…』 (ハツコイ)←これ好きにしてね ②仮題【届かぬ星】 『手を伸ばす。その先に、キミがいる。』 『君は、近くて遠い一等星』 ③仮題【見えない僕ら】 『これは、目に見えない君と、目が見えない僕の話。』 『見えない。だからこそ、見えるものがある。』 ④仮題【踊るピエロ】 『このピエロ、史上最狂。』 『踊らされているのは一体誰なのか。今、世界を巻き込む最恐で最狂の舞踏会が、ここに開幕!』 ⑤仮題【鏡のムコウ】 『朝、目覚めたら…そこは鏡の中の世界。』 『「鏡よ鏡、“私”をコロシテ…」「了解致しました。」』 ⑥仮題【この湖で会いましょう。】 『湖のほとり、人ならざる貴方と秘密の約束。』 『私の涙を舐めた貴方。その無邪気な笑顔に恋をした。』

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大罪人

王城の地下深く、錆とカビの匂いが漂う牢の中。古くからの友人で、裁きの対象となった謀反人“紅蓮のアテネ”と“蛮獣のレトー”は二人、刻一刻と迫り来る死を待っていた。 「おぉ…神よ、私はどうすべきだったのでしょう。」 「アンタいつから神なんぞに縋る男になったよ。」 天に祈りを捧げるレトーを横目に、アテネは気だるそうに言った。 「いつからというと…ふむ。いつからでしょうね。」 「へっ…知るかよ。」 「…そういう貴方も、裁きの神の存在は信じているのでしょう?」 「まあな。あれは、居ないと言い切るにはちと証拠が揃いすぎているし。」 王都クレマトの中心部にある、シネマチュア大聖堂。その奥深くには、最終的な審判を下す役割を担う神がいると言われている。これから彼らを裁くのも、その神アトラス・メイデンだ。この神にまつわる伝承や、それらを裏付ける証拠は山ほどあり、これを否定する方が難しい。 「しかし、私達は何故裁かれ、こうして命を奪われんとしているのでしょうね。」 「…アタシらはやるべきをやったんだ。そんなの知るか。それこそ神に聞けよ。得意だろ?そういうの。」 「神への祈りは常に一方通行…。叶うことなど無きに等しい。神は、ただ縋るためにあるに過ぎませんよ。」 「それ、信徒が言うことか?」 アテネは戯けて言った。 「貴方は、神への忠義に狂い、血を分けた家族さえ蔑ろにし、贄に出すような…そんな信仰をお望みですか?」 「いいや。知り合った信徒が、アンタみたいなので良かったさ。」 「そうでしょう。…なにしろ私は、何かに縋らねば生きられない性分でしてね。神は、偶然その対象に打って付けだっただけなのです。」 「そうだな、そうだろうな。アンタは一生救いを求め続け、祈って生きてきた。それなのに、中毒者にはなっていない。何処か一線を引いている。祈る時とはまるで別人のようだった。」 アテネはゆっくりと俯いた。死を前にし、物思いに更けているのではない。ただ、懐かしいのである。 「まあ、それが私の生き方ですからね。」 レトーは小さく笑った。すると、足音が地下に冷たく響き、だんだんと近づいてくる。二人は廊下に顔を向けた。足音は二人の前で止まった。仏頂面の兵士が上から見下ろしている。 「時間だ。これより、シネマチュア大聖堂へ連行を開始する。“紅蓮のアテネ”“蛮獣のレトー”来い。」 「「…」」 二人は兵士の言葉に従い、連行された。 ステンドグラスからの幾日ぶりの陽光に目をくらませ、二人は大聖堂の中へと入った。 「大罪人“紅蓮のアテネ”“蛮獣のレトー”両人揃いました。では、これにて断罪の義を開始します。」 顔をヴェールで隠した女が、無機質な声で開始を宣言した。それを聞き、一際立派な服を着たふくよかな男が口を開く。 「私は異端審問官クイオス。汝らの罪を述べよう。汝らは先ず、布教活動と嘘をついて国境を違法に渡り歩き、また根拠のない噂を流したり、実際にその根拠を自ら作り出すなど、我らトウカ教の立場を危ぶませた。違うかね?」 男はまるで舐め回すような笑みを向け、その贅肉を揺らした。 「「…違いません。」」 「そして次に、汝らは王都クレマトの治安を守る騎士団“グリズ”を襲撃し、多大なる損失を与えた。その以前より、“グリズ”に対し、些細な妨害を続けていた。そうであろう?」 「「…はい。」」 「そして、盗み出した魔導書を使用し、罪なき民間人をも手にかけた。」 「…間違いでは、ありません。」 その言葉を聞いたクイオスは、再び下賎な笑みを浮かべ、腕を大きく開き、高らかに言った。 「グヒヒッ…皆様、聞きましたか! この大罪人共は、我々の信頼を計画的に落とすだけでなく、我々直轄の騎士団グリズ三十余名を死に追い込みました。あまりに残虐ではありませんか!更にさらに!罪のない民間人を、わざわざ魔導書で殺した。これは、残虐卑劣極まりない行為です。よってこの者共に情状酌量の余地は無いとし、ここに死の断罪を求めます!」 すると教会内は拍手に包まれた。アテネの舌打ちと、レトーの歯軋りはその音に掻き消され、幸い審問官たちには届かなかった。 「形式上の宣言に、どんな意味があると言うのか。彼らの生死を決めるのは、アトラス・メイデン様ただお一人のみ。法に反してはいないが、あまり無駄なことに時間を割くなクイオス。」 そう言ったのは、クイオスらが座るところより、もっと高いところに座る人物。その毅然とした態度と声色は、独特の風格を持つ。その悠然たる姿勢は、カーテン越しでも存在感を損なわない。男はわずかに顔を歪め、小さく舌打ちをした後、擦り寄るような声で言った。 「し、失礼致しましたアンクイーネ様。一審問官である私如きが、出過ぎた真似を致しました。」 「…アンクイーネ・エヴァーガーデン。教皇猊下…か。」 クイオスの言葉を聞いたアテネは、小さく呟き、そして己を嘲笑した。 「もう良いクイオス。さっさと終わらせようぞ。さあ、魔導書を盗み出した稀代の殺人鬼に制裁を下さん。」 アンクイーネはそう言って、開始宣言をしたヴェールの女に目配せした。 「正義と断罪の神アトラス・メイデンよ、その公平な天秤を以て、その真実の眼を以て、この者たちに正義の鉄槌を降し給え。」 女の無機質な声が、大聖堂に空虚に響く。すると同時に轟々と呻き声を上げて、白い光がアテネとレトーを覆った。 アテネとレトーが瞼を開くと、目の前には人ならざる巨大な存在が鎮座していた。その巨体に見合った大きな玉座に、僅かに浮いて胡座を描き、悠然と佇む。筋骨隆々の体、胸までしかない服に、ゆったりとしたズボンを履く頭が三つの生き物。白とグレーの泣き顔のマスクを付けた顔、鼻までをアヌビスの仮面で覆った顔、“罰”と大きく書かれたヴェールに覆われた顔。そのそれぞれから独特の存在感と異様な雰囲気を感じる。 「おぉ、貴方が断罪の神アトラス・メイデンか。」 レトーは頬をほんのり赤らめ、その存在に近寄りながら言った。 『如何ニモ。ワレは断罪ヲ司リし神なリ。人なラざる者ヨ、汝二罪はアるカ?』 「…流石は神、と言ったところか。レトーの正体に気がつくなんてな。」 アテネは戯けて言った。 「…ええ、本当に。アトラス様、私は“狂人”です。主人の皮を被った、ね。」 そう言うと、レトーは己の顔に手を翳した。その瞬間、彼の瞳は奇妙な模様になり、瞳孔は大きく開いた。そして髪は伸び、額にも奇妙な模様が浮かび上がる。彼の周りには、喜怒哀楽それぞれの表情を持つ四つの首の像が回転している。 『…すると汝ハは邪神カ?』 「人を…山ほど殺しましたからね。狂人化は免れませんでしたよ。それまでは、ただの守護霊でしたが。」 「コイツ、アタシと再会した時、魔導書を持って血だらけだったんだ。聞けば、落下死した主人の肉体に入ったんだと。だから最初は、その主人の姿だった。私の親友の姿。でも力が馴染むうちに男になって、ここに来始めの頃のような見た目になったのさ。」 『…何故、殺しタ?』 「主人と主人の愛する友人を追い詰めた元凶が、グリズでした。神である貴方なら、すでに気づいているでしょう? この国の民は、生きながらに死んでいる。」 『アあ、中にハ生まれナがらニシて死んデいる者モあッタ。』 アトラスの前方の顔が俯いた。 『ニンゲンは、三千年前ワレを生ミ出しタのヲ皮切リニ暴走し、果てニこの生キ地獄のよウナ社会を創造シタ。思えバ、あの日魔導書を攫ッた女ハこの世で唯一“生キテ”いた。』 それを聞いたアテネは嘲笑して言う。 「そりゃあ、こんな社会じゃ死ぬ時が一番イキイキするもんさ。」 『…アノ女、死ンだのカ。』 「ああ。死んだよ。レトーの主人と一緒にな。」 「彼女は自らあの女と心中を選びました。幸せそうに亡くなった。でも、私は彼女の望みを知っている。彼女が死後も大罪人にならない事、彼女と共に旅をする事。その他にも“やりたい事ノート”に事細かに綴っていたのを知っていたのです。だから、この姿になって、証拠となる魔導書を隠し持ち、彼女のやりたいことを叶えた。彼女に汚名は着せられない。」 アトラスは、息の荒いレトーを見下ろし、優しく言葉をかける。 『その心意気やヨシ。ワレもアノ女ハ気に入ッていタ。だが復讐ハ、汝の欲スル所。そノ裁きニ、一切ノ情ハ無いぞ。』 「…わかっています。感謝、申し上げます。」 「なあ、アトラス・メイデンさん。アタシらは、アンタにこの世界を罰して欲しくてここに来たんだ。人々が感情を無くし、法令に服従し、権力や重い税金にも服従し、皆んな俯いて暗い顔して、ただ生きてるだけ。こんなクソみたいな世界では、誰も“生きて”なんかいられない。だから、レトーがカフナの罪を被ることで、二人で復讐を果たすことで、こうしてアンタに会いに来たのさ。」 アテネはそう言って、アトラスに近寄る。アトラスはゆっくりと見下ろし、そして単調な声で言った。 『…そうカ。でハ約束しよウ。ワレが、ニンゲンを真の意味デ生返ラセるト。』 「へへっ、ありがとな。これでアタシの三人の親友達は報われるよ。」 『つくヅく変ワッた罪人ダ。汝ら、罪ハ窃盗と殺人。断罪ノ神、アトラス・メイデンの名におイテ、輪廻の刑ニ処す。』 アトラスは手を振り下ろした。二人は死して魂となり、冥界に送られる。意識が消えゆく間で、仮面の中から小さな笑い声が聞こえた気がした。 『汝らが転生出来ル頃にハ、この世ハ楽園ダ。早く帰ッて来るガ良い。』 断罪の神はドンと玉座に座り、前を向いている。彼の顔は“罰”になっていた。 【辞書】 《アトラス・メイデン》 三千年前、狂人化に成功し、神となった。狂人化は人間だった頃に政府に連行されて行われた、過去四百年にも及ぶ実験によるもの。彼は一万人の被験者のうち、初めての成功例だった。その後、シネマチュア大聖堂の地下に幽閉され、徐々に蝕まれて別人格となった。一応記憶と意識は変わらない。 《狂人化》 人類の感情や精神が一定より爆発的なもの、超過したものとなった時、その資格が芽生える。強大な神より膨大な力を受けることで起きるものだが、その知識は一般的ではない。この力に耐えきれず飲まれてしまうと、身体能力が飛躍的に上昇し、狂人と呼ばれる人の姿をした化け物と化す。狂人化に成功すると、力に適応し神となれる。アトラスの例がそれを裏付けた。

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