真夜中毒
21 件の小説真夜中毒
貴方は夜が好き? 私は好き。 でも人間は夜行性じゃないから、必ず母さんに叱られなきゃいけない。 こう見えて中受をする6年生で、まだまだ色々な意味で未熟。 私が未熟だろうと、そうではなかろうと、 どちらにせよ、結末的には夜を好きにならなければいけない道を歩むんだろう。
第一〇話 結果発表
気付けば病床の上に寝っ転がっていた。左っ側には、俺の母ちゃんと、誰かわからないが二五くらいの女性がナース服で座っていた。 「んで、あの試合はどうなった?」 ふと思い出して聞いてみると、あの後うちの監督がキレて、殴った選手に退場を求めたらしい。後はフリースローが特例として三本与えられたとか。その時に残り時間は三秒で、フリースローを三本中二本入れ、一点リードの状況から相手は三秒の間に点を入れることは出来ず、うちが勝って地方大会へ行けたらしい。 だが、やはり何か腑に落ちない。俺がその場に居なかった、立ち会えなかったからなのか。それともただただ相手選手に対して不満を募らせているのか。それはいいとして、俺は耳より上の頭に包帯がぐるぐると巻かれていた。 「あのぉ、これは?」 包帯を指さして母ちゃんに聞いた。したら、横にいるナース服のお姉さんが、頭部から出血している、と伝えてくれた。どうやらこの人は看護師のようだ。 そして一番気になるのが俺が地方大会に行けるのかだった。 次回 第一一話 力はあるのに
行き過ぎた正義 第一話:正義感
俺(龍己)が高校二年だった時、よくよく人から「正義感のある子だね」と言われていた。俺は、その時の言葉をよく理解していなくて、ちょっとした褒め言葉程度に思っていた。 なんで「正義感がある」なんて言われるかなら、少し心当たりがある。それは、いつも傷つけられてそうな人に寄り添ってきたからな気がする。曖昧ではあるものの、それ以外に理由が思いつかない。だから、自分の中では「弱い人に寄り添ってきたから」と決めつけていた。 俺は、意外とクラスメートから信頼が厚くて、学年の中でも信頼度はトップスリーには入るだろう。まぁ人によるのが現実ではあるが。 人から褒めて貰えるし、信頼もされている。俺自身はこの生活を良く思っていた。少なくとも、悪い生活ではないと感じていた。彼女もできて、もっといい生活は加速していく“はず”だったんだ。
第九話 怪我
もう少しでホイッスルという所で、ここぞと言うタイミングで、一点ビハインドで残り一二秒と言うところで、俺にボールが回ってきた。こちら側から見ると決めれば勝ちだが、相手目線で見た場合、まぁ止めれば勝ちということになる。 「走れ!大輝!いっちまえ!」 声を出しているのは誰かとコンマ一秒考えて、大野先輩だと分かった。 (そうだ、監督も俺を出したんだから…) 心の中でうんと頷き、あのゴールに手をかけるため、走り出した。股にボールを通し、後ろからもってくる。相手もやはり必死なようで、その基礎的なこともまともにブロックできていなかった。俺は、それらを躱しながらゴールの真下付近へたどり着いた。そのまま勢いに乗ってジャンプしようかと思ったその時だった。 抜かれたひとりの選手が俺に突っ込んできていた。 「俺らも、負ける訳には、いかねぇんだよぉ!」 「ゔっ…」 つい声が出てしまった。ジャンプ中である俺の背中目掛けて拳を飛ばしてきやがった。幸い腹は逃れたが、俺のふくらはぎに直撃したのだ。そのまま俺は“頭から”倒れて、ちょっと痛いとだけ感じた後の記憶はさっぱりない。 次回 第一〇話 おしまい
第2回NNSコンテスト 天気雷
天気雨という現象は、晴れているのに雨が降るということだ。でも、今日は何かおかしくて、天気雷だった。晴れているのに、何故か空から紫色の閃光のような光の後に、ゴロゴロと雷らしき音が聞こえた。 この辺りはマンションがない故に避雷針が少なく、その結果雷が落ちた直後にテレビや蛍光灯、レトルト食品を温めていたレンジの電源などが消え、使えなくなった。今は大体十二時半くらいだ。丁度昼食の時間帯で、アイエイチコンロが使えず、困っている家庭もあるみたいだ。 雷のイメージは黄色い稲妻のような感じだったのだが、実際にこの目に焼き付いた紫色の閃光は少し想像以外すぎたのか、三歩ほど足を退けていた。天気はいいのに、落ちた雷に対して、私はきっと少し怖気付いたのであろう。 雨は降っておらず、太陽の光がアスファルトを照らしていた。 不思議な天気雷を吹き飛ばすほどに私の体を照らしつけていたのは、明るみに満ちた八月の太陽光だった。
死神くん
僕、ごく普通の中学一年生の家に何故か死神が住み着いたみたいだ。色々すごいのだが、そらは連載になった時に紹介するとしよう(メタい)。 いいねが十個を超えたら連載にします。
ただの自己紹介
大した人間でもなく、経験も少ないやつの自己紹介ですが、読んでいただければ幸いです。 時に虐められ、時には罵られ、時には弄ばれる。 俺は糞野郎共のおもちゃじゃない。 でも、でもそいつらは先生を味方につけている。 ちょいと想像して欲しいのだが、小学校の担任だ。 中高と違い、時を過ごす時間が長い。 だから、基本的に拠り所はなかった。 そこで見つけた。やっと見つけた逃げ場所が「夜」だった。 静かで、喧騒もなく、罵倒の声もない。 とても過ごしていて気持ちのいい場所だった。 冗談抜きで、そこを一人で体感している時が一番生を実感した。 俺はキレ性とよく言われていた。 これだけはハッキリ言わせてもらおう。それはお前らが悪い。 そんなことを夜に吐いて、何か誰かが聞いてくれている気がした。 俺にはあだ名が何個かあって、その三分の二はマイナス表現に取れるものだ。 ひとつはさっき言ったキレ性だ。 あとは、ボカロオタク。 実は、自殺を考えていた時期があったのだ。 そこで、命の支えになってくれたのが、ボカロだった。 まぁ今はボカロ語りはいい。 そうやって、色々と変なあだ名(ボカロオタクは内心嬉しい)を付けられた。 そして、たっくさん弄られた。 でも、ボカロとアニメ(映画)のお陰で、 今私はキーボードをカタカタしているし、できている。 夜というのもそれらと同じだった。 何か遮りがあって、コミュニティも無くて。 好きなことが出来る時間だった。 今も、夜は好きだし昼は嫌い。 ただ、それだけだ。
臓器移植
人が死亡後に臓器を提供するという話を聞いたことはあるか? これは、まだ彼女が生きていた時のお話だ。 俺は母のことが大好きだった。だから、臓器提供のことについては反対であった。母はすごく心が優しくて、話しているだけでも勇気や元気を貰えるような人だ。でも、もう九二歳で最期の時も近い。相続や遺産の件はもう決まっているが、この話だけは譲れない。そういう覚悟を俺はしていた。 また医師との話し合いがある。いつもと違うところは、本人も一緒である点だ。 「臓器提供の件ですが…」 「無理です。」 即答で俺は断った。取り合う気もない。 「では、お引き取りください。」 帰らせようとした。というか帰って頂きたかった。 「ちょっと待ってくれませんかねぇ。」 母が引き留めた。相手の心を撫でるような声は医者の足を止めた。 「息子はこう言ってますがね、私は賛成ですよ。この命が尽きたあとも誰かに貢献できるならばねぇ。」 そう言って【本人の意思】として臓器の提供をすることが決定した。 「なんで、お母さん。」 「お前も、人の役に立てるような人間になるんだよぉ。」 思わず涙が出るかと思いきや、出ることは決して無かった。 きっと誰もに、人を助け、人に助けられる権利があるんだろう。
第八話 速攻
ボールがネットを揺らした後、ノーバウンドで俺はボールを取りに行った。何か腕が伸びたような気がして、手首からボールを絡め取った。地にバウンドしたボールは、俺の手が軌道に乗せた。グラウンドを駆け、二秒でゴールしたまで来た。ここまでの借りと大野先輩の期待に応えるように気分が高まり、ノってしまった。勢いのまま高くジャンプして、リングに手をかけた。ボールはそれと同じくリングに叩き込まれた。 ダンクを決めた俺は、思わずのガッツポーズを飛ばしてその後のディフェンス。あと残り時間は三分で、スコアは一〇二ー一〇一で一点リード中。緊張が走り、ふくらはぎがなにか震える。本当の緊張というものを味わっていた。相手も相手で、こちらのディフェンダーを二人、既に抜いてきた。ちょっと疲れが来た。はぁはぁと息切れする中で走らなければいけない。相手のスリーポイントシュートをする選手の前まで漕ぎ着けた。浮いたボールに手が触れた。でも、ボールは通常通りの起動を描いてリングまで吸い込まれた。もう、二分しかない。 次回 第九話 二種の汗
社会の羽音
窓の外では工事で重低音の振動が。金属の軋む音が。これが無ければ日本は進化できないのだろうか、進歩できないのだろうか。大人の一部は「犠牲を払わずに守れるものは無い」とでも言うが、本当にそうだろうか。日本という国は「国民の快さ」を犠牲にしなければ進歩し続けるということを守れないのだろうか。そうだとすれば、小学生六年生で学ぶ「国民主義」というのはどこに行ってしまったのか。国民が騒音を出すことを快く思っているのだろうか。騒音という熟語から見てみよう。きっと作りし人目線では「騒がしい音」ということだろう。「騒がしい」という言葉にいいイメージを持っているだろうか。少なくとも中々持ちにくい。騒音など聞きたいものでも無いし、聞きたくない。 初めに述べたように、もし日本が「国民の快さを犠牲にしなければ進歩できない国」なのならば、そういう面だとかなり可哀想な国だと思える。現代だと工事の施行に市民や国民はどうこう文句を言えない。この状況に私は危機感を覚えている。最悪の場合は憲法改正により憲法から「国民主権」が消え去るかもしれない。確かに政治家や内閣に首相も国民の一部だ。だが、それらの人は特殊で、権力を持っている。 少し大きな話だが、日本の人は基本的に「相手の立場に立って考える」ことが苦手だ。例を挙げるとすれば、時々ニュースにも出るポケモンカード。ポケモンカードはものによっては五〇〇〇〇〇円やら一〇〇〇〇〇〇円を超えるらしい。だが、それはレア性や希少性による付加価値だ。だから、その事を知らずにそのカードを他人が破ってしまったら。もしそのカードが一〇〇〇〇〇円分と仮定すれば、渋沢栄一を十枚粉々にしたと同義だ。紙幣は角の破れ程ならば交換して頂けるが、付加価値によって価格が上がっているものは違う。角のほんの少しが切れただけで値段がどん底に落ちて、普通のカードと変わらない価値となる。値段などが関係ないとしてもそれがその人の宝物だったら。相手の宝物を破壊してしまったら。これ宝物なんだけど、と怒鳴られたら。あなたならどうするだろうか。そこで多いのが、「そんなの知らねぇよ。お前の宝物だとか言われてないし」と反抗する人だ。そいつの方が立場は下であるのに。それはもう既に決まっていることなのに。やはり、相手を自分に置き換えて考える、ということがどうも嫌いらしい。 そうでは無い人もいる。それが所謂“優しい人”や“模範的な人”なのだろう。だから、そういう人を増やさなければ日本の精神的な未来は薄れていくと私は考える。人の宝物を壊したらどうするかを考える前に、言い訳を考える前に、まず「どうしたら壊さずに済んだか」を考えるべきだ。どうしたら、騒がしい音を出さずに、人の耳を壊さずに済んだか。 今の現代社会に必要なのはそういう心だろう。
社会の回る音
ハンディファンの羽が回転する音はうるさい。ぶおーと言った音だ。最近は充電式のものも増えているらしい。まぁ相変わらず私は使わないが。あのようなものうちわと何が違うのだろう。うちわの方が私的には爽快感や清涼感があるのだが。 つい最近、弟が誕生日プレゼントにハンディファンを貰い、現在まさかの室内で使っている。価値はあるのだろうか。しかも屋外には持ち出していない。室内で使う理由はなんだろう。普通の扇風機で良いでは無いか。ハンディファンなど半分扇風機だ。手で持てる扇風機みたいなものなのだから。だから、はっきり言って無価値なものだ。屋外の暑い場所で使用するならばともかく、屋外はさすがに論外だ。 しかも家の中は外に比べ静かだ。その中でハンディファンの回転音が鳴っているとすごく虫唾が走るし、イラつく。静寂の中に鳴る風音。現代語で言うと、ウザいというやつだ。聞くこと自体が不快だ。でも、俺たちはそんな小さな「社会の騒音」に悩まされながらも生きなければならない。