ハートフィールド
8 件の小説パウルクレー、象と戦争
この前僕がゴールデン・タイムにテレビを見ていた時の話から始めようと思う。その日は仕事が休みで僕も夕方以降家を出る予定が無かったので、久々に夕飯を家族三人で囲って食べていた。三人で夕飯をいただくと言っても、こう二十七年も同じ屋根の下で暮らしていればいざ何かについて語り合うことも特段無くて、点いているテレビには目もくれず、それはもうあたかもラジオ代わりのようになっており、耳に入る情報をそのまま受け流し、互いに問わず語らず黙食をするごく卑近なものであった。そんな中である種の退屈さを感じてきたので僕は何の気なしに点いたままのテレビに意識を傾けて、その内容を食卓に並んだ夕飯とともに咀嚼してみようと考えた。 テレビの内容は児童文学である「かわいそうなぞう」をドラマとして映像化されたものだった。ここで「かわいそうなぞう」について知らない人も多くいると思うため、僭越だがあらすじを書こうと思う。 それは第二次世界大戦が激化した頃の話だ。 空襲などによる敵国からの襲撃によって動物園の檻が破壊されて猛獣達が逃亡する危険を視野に、当時東京都長官の内務官僚である大達茂雄は上野動物園、天王寺動物園、東山動物園に対して飼育している全猛獣の殺処分命令を出した。当然、各動物園の飼育員や関係者達はその殺処分命令に憤慨したが、当時の日本の情勢と言えば食糧難が悪化しており、人間自体が栄養失調などで多くの命を落としていた。猛獣を飼育するには莫大な食料が必要で、中でも象は草木や果物を一日に200kg近く食べる必要がある。飛行機には片道分のみの燃料を積み、人の命を使い切りの爆弾のように行使し、それが美徳だと謳われていた暗黒の時代である。人間は生かせば国の武器になるが動物達はそうはいかない。そのような背景もあり、象をはじめとした猛獣達を殺処分することは動物園に属する人々の痛切な感情を切り裂くように、止めようのないまま実行されていった。その当時の上野動物園での飼育員と象の姿がありありと描かれているのが「かわいそうなぞう」だ。 上野動物園には当時、三頭の象が飼育されていた。ジョン、トンキー、ワンリー、それぞれに立派な名前があった。最初に殺処分が決まったのはジョンであった。ジョンはトンキーとワンリー同様に飼育員やお客さんから愛されていたが三頭の象の中で特に気性が荒く、身体も一番大きかったため、危険性が高いと判断されたため最初に殺処分が決定されたらしい。ジョンはジャガイモが大好物で、飼育員たちは忸怩たる思いでジョンの好物であるジャガイモに毒を混ぜた。しかしジョンは頭がよく聡明で、毒の混じったジャガイモを嗅ぎ分けて、毒の入っていないジャガイモだけを選んで食べた。その後飼育員はジョンに毒を注射しようと試みたが、象の皮膚は硬く、針が刺さらなかった。最終的にジョンは食事を与えられないまま17日間を過ごし、餓死という形でその生涯を閉じた。 ジョンの殺処分が終了すると、トンキーとワンリーの殺処分が始まった。トンキーとワンリーは可愛らしい目をした優しい象で、トンキーは三頭のなかで一番小さな象だった。 ジョンの命を自らの手で奪ってしまった飼育員達はなんとかこの二頭だけでも助けられないかと考えて、仙台の動物園に送ることを考えた。しかし仙台にも象を二頭受け入れる余裕はなかった。そのため、トンキーとワンリーもジョンと同様に餓死によって殺処分されることとなる。日が経つに連れて痩せ細っていく二頭の姿を、飼育員達は何もできないまま檻の外から見ることしかできなかった。トンキーとワンリーは見回りにくる飼育員を見かけると衰弱した体をひょろひょろと細くなった脚で持ち上げて、まだ戦争が激化していなかった頃に動物園に来たお客さんに披露していた芸を精一杯披露して見せた。何故餌を貰えないのか。何故お客さんがいなくなったのか。自分たちが一体何をしたのか。トンキーとワンリーは訴えるように飼育員を見つめ、体を寄せ合ってできる限りの芸を披露した。それを見た飼育員は胸が張り裂けるような思いで餌のある部屋へ駆け込み、トンキーとワンリーに餌と水を与えた。しかしそれでも二頭の飢えが満たされることはなく、飼育員の葛藤は報われなかった。ワンリーが餓死した後、上野動物園では慰霊祭が行われた。この時一番体が小さかったトンキーは白黒の幕で覆われた象舎の中で衰弱した状態で読経を聞いていたという。その後間も無くトンキーも仲間の後を追った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 僕はテレビを見ていて涙が止まらなかった。それは餓死した三頭の象をかわいそうに思ったからなのか、それとも家族のように愛していた三頭の象の命を自分たちの手で奪うことしか出来なかった飼育員に感情移入したのか。戦争の残酷さ。あるいはもっと別の遠い場所に理由があるのかも知れない。僕がそれらについて涙を流すことは物凄く僭越だし、僕が泣いたからといって三頭の象達の魂が報われるわけではないのは分かっている。それでも、ただ、兎に角、僕は、涙が止まらなかったのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「新しい天使」というパウル・クレーの絵がある。クレーは20世紀のスイスの画家であり、彼もまた、第一次世界大戦の渦中に身を置き、ナチスが台頭した時代を生きた戦争の被害者の一人だった。 ヴァルター・ベンヤミンというドイツの哲学者はこの絵について以下のような詩を書いて言及している。 「新しい天使」という絵がある。そこには一人の天使が描かれていて、その姿はじっと見つめている何かから今にも遠ざかろうとしているかのようだ。その眼はかっと開き、口は開いていて、翼は広げられている。歴史の天使はこのような姿をしているに違いない。彼は顔を過去に向けている。私たちには出来事の連鎖に見えるところに、彼はひたすら破局だけを見るのだ。その破局は、煉瓦の上に煉瓦をひっきりなしに積み重ね、それを彼の足元に投げつけている。彼はきっと、なろうことならそこに留まり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。だが、楽園からは嵐が吹きつけていて、その風が彼の翼に孕まれている。しかも、嵐のあまりの激しさに、天使はもう翼を閉じることができない。この嵐が彼を、彼が背を向けている未来へと抗いがたく追い立てていき、そのあいだにも彼の眼の前では、煉瓦が積み上がって天にも届かんばかりだ。私たちが進歩と呼んでいるのは、この嵐である。 「かわいそうなぞう」の話を知った時、僕はこの詩を思い出した。1943年に起きたこの凄惨な出来事はいつまでも破局の煉瓦の内に在り続ける。僕はその時代に生きてはいないけれども、三頭の象たちが人間の都合によって最も残酷な手段によって殺された世界に、それと同じ種として紛れもなく生まれてきたのだ。僕たちはある種の資料や先人達の言葉から歴史を知ることが出来るが、その歴史を煉瓦だとすれば僕たちは知ることが出来てもこの手で拾い上げて繋ぎ合わせることは決して叶わない。 一方通行しか許されない歴史の中で僕たちは必然的な嵐に背中を押されるようにして前に進むことを強いられている。パウル・クレーの描いた「新しい天使」とは我々人間のことを指しているのではないだろうか。 僕たちは故人の犯した罪を背負いながら生まれてきたように思える。人間が長い歴史の中で知能と理性を持って生態系の頂点に立って統治してきたのだからこそ、大義名分を掲げた人間同士の凄惨な殺し合いの為に尊い命を奪うなんて没義道なことは到底あってはならないのだ。 その罪を背負いながら僕たちは生きていく。けれども、この世に生まれて嵐に吹かれるからには、僕たちは前に進むしかない。 やり直しも取り返しもつかないであろう球体は自転し続け、嵐は今も止まない。
幼い頃のある風景
僕がまだ小さく、それこそ九九だのを学んだばかりで台所を行ったり来たりしながらそれを得意げに口ずさんでいたような頃の話だ。 僕は夜が堪らなく苦手な少年だった。カーテンに隙間などがあると、そこから巨大な獣が眼を光らせてこちらをじっとみつめているような恐怖を感じたし、眠る時はいつも酷く孤独な気がした。僕が眠る寝室と母がいるリビングは1枚の扉で隔てられていて、僕が気を失えば母はその扉の向こうからいなくなってしまうような気がしたのだ。だから僕はしきりに母に「ねえ、1人にしないでね。」と懇願して、母を困らせたものだ。 母から愛されている実感が無かったわけではない。ただ、夜という黒く覆われた時間がしきりに僕を不安にさせたのだ。 そんな僕のために母はいくつかのぬいぐるみを買ってくれた。「この子達はあなたの友達ですよ。きっとあなたを守ってくれますからね。」そう母は話した。 手鞠のような小さなうさぎ2匹とカンガルー、それとペンギンに鯨。彼らが僕の友達だった。枕元で行儀良く座って待っている彼らは僕が布団に潜ると魔法が掛かったように動き出し、僕は彼らとその日の出来事や晩御飯のこと、読んだばかりの本の感想などを眠くなるまで語り明かした。「もう寝たほうがいいだろうね。」とうさぎが2匹揃って言った。その隣でペンギンは難しい顔をして絵本を読み、カンガルーと鯨は目をキラキラと光らせて僕が話すのを待っていた。 「そうだね。続きは明日話すよ。」 僕は5匹の素敵な友達におやすみと言って、瞼を静かに閉じた。 これまで感じてきた不安や恐怖は何かに拭い去られたように僕のもとを離れ、そこには砂金のような淡く小さい輝きだけが残り、僕を見守っているような気がした。
頭の無い虫
20代後半を迎えてから、僕は随分と老け込んだみたいだ。顔色は少し浅黒くなり、ほうれい線の皺が以前よりもずっと深くなった。学生時代に陸上で鍛えていた肉体の恩恵も少しずつ損なわれ、ビルの階段を3階まで上がるだけで息が切れるようになったし、腹囲も気になるようになった。樹海のように生えていた頭髪も頭上を公衆便所の光で照らされるとうっすらと地肌が見えるぐらいには薄くなり、幼い頃から通っている床屋の店長に「仲間入り」の認定をされるようになった。 生きていれば誰もが通過するであろう「老い」がいよいよ言葉ではなく実体を持って僕に襲いかかる。その事実は僕を幾分かナイーブにさせた。 僕は今年で27歳になる。同じアラサーでも、26歳と27歳の間には何か大きな虚があるように感じている。27歳にもなれば誰もが地に足を着き、自分と社会の距離感、いわゆる付き合い方を正しいものさしを持って測りながら生きているに違いない。きっとそういう人間は、心も肉体もいつまでも若々しくあり続けられるのだろう。 僕はどうだ。まるで頭の無い昆虫のように本能のまま地を這い回っているみたいだ。 あるいは僕の頭上にはいつも巨大な蚊の形をした異形が飛んでいて、その針のような触手で脳を吸われ続けているのかも知れない。 安く済ませるために入る定食屋には虫が飛んでいて、食事中の僕の周りをこれでもかという羽音を立てて飛び回る。更に飛び回るだけには止まらず、僕の手に持った茶碗の中に着地し始めるではないか。 そんな虫に対して心底嫌気が差すが、家に帰り身体を洗っている最中に物思いに耽ってみれば、自分が属する社会の上では自分もまた忌み嫌われ続ける定食屋の蝿一匹と変わりないことに気付く。 人間には本来理性がある。理性によって人々には自制心があり、自制心の有無こそが動物と人間の分水嶺だろう。 つまり理性を持ち合わせているが自制心の無いものが動物だとすれば、両方を持ち合わせないものはすなわち昆虫同然だろう。 僕は大事な人の約束一つだって守れやしない。理性や自制心が無く、本能のまま動き続け、頭が無くなっても気がつくことなく残った手足で気持ち悪く蠢き続けるのだろう。もちろんそれらに理由や動機などない。考えるための頭がとっくに無いのだから。
猫とセーターについて
これは僕が数年前に友人から頂いたお題である。このお題をいただいた当時、僕の周りでは様々なことが起きていて、僕は自分のことだけで精一杯になってしまった。そのせいでかけがえの無い友人を半ば裏切る形となり、このお題に沿った小説も未完になってしまったのだ。「様々なこと」について話そうとすると収集が付かなくなりそうなのでここでは割愛させていただく。 初めにお題をくれた本人に謝ろうと考えた。だけど連絡先を開いて悩んでいるうちに時間はあっという間に過ぎ去り、その刻まれた時の堆積に圧迫されるようにして僕は何も言えなくなった。だけどその繋がりを失いたくなくて、僕は仮面を付けて友人の元へ何も無かったかのようにして現れた。友人からしてみれば、それは白昼に歩きまわる幽霊と出会うくらい酷く奇怪な出来事だったと思う。 何故今になって書こうと思ったかと言うと、それは僕自身このことについてずっと考えていて、どうしても約束が果たせていないことにもやもやしていたからだ。そして何より今の僕にはそれらの過去について向き合う時間が充分にある。 前置きが随分長くなってしまったけど、本当にまず謝りたい。「ごめんなさい。」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私は冷たいコンクリートの隙間から陽の光を確認すると、次に自分に尻尾が付いていることを確認した。その行いは私を現実と繋ぐ唯一の手段だと思う。そして私はいつものように住宅地の路地裏を歩いて集会に向かった。そこには既に同じ縄張りの仲間が何匹か集まっていた。集会というのは食べ物の確保できる場所とか、そこが他の集団の縄張りに含まれていないかとか、危害を加えるものの出没とか、そういう類の話を共有することが本来の趣旨ではあるのだけれど、その多くは他愛もない世間話が占めていた。そのせいもあって集まりに出ないものも大勢いる。元来私たちは自由なのだ。 自然で生きる猫の世界(私たちに限らず他の種族にもあるはずだが)には縄張りというものがある。私も例外なくその縄張りに属しながら生活している。それは私たちの生活を保障し、均衡を保つ為に創られた古くからの習わしだ。多くの場合は人間の住む街を基盤として私たちの縄張りも形成されている。縄張り同士で争うところもあると聞くが、少なくとも私の周囲ではそういった荒っぽい事はなく、困ったことがあれば支え合うというのが世の常とされている。 ひとしきり集会を終えると私は町の公園に向かった。公園には小さな川があるし、運がよければそれなりの食料があるかも知れない。しかし人間には見つからないようにしなくては。誰もが良心と、そして良識を持ち合わせているわけではないのだ。 陽が西に傾き始めるまで私は公園でのどかな時間を過ごした。川に行って綺麗な水を飲んでから顔を洗うと髭を整えて、人間に見つかりそうにない草むらを見つけてそこに寝転んだ。それからベンチの下に潜って遊んでいると人間の置き忘れていったであろうパンを見つけて、袋を破いてからそれを食べた。 陽が沈んで冷えてきたので人間の子供と同じく私も寝床を探しに公園を去ろうとした。しかし帰る直前、私はベンチの上に置かれたまま(脱ぎ捨てられたような)のセーターを見つけた。森の奥地に沸く澄んだ泉のような色をしていて、その泉の上には太陽らしきものと魚の刺繍がされていた。きっと人間の子供の着ていたものだろう。元気に走り回って熱くなったから脱いだとか、おそらくそういう具合。寒空の下での季節外れな柄をしたセーターとの出会いに、私は猫ながら温かな気持ちになった。 私の友達の中には人間に飼われている猫もいる。奴らはほしいままに水と食べ物を与えられ、夏にはエア・コンだとか扇風機だとかいうもので涼しく暮らしているし、冬には炬燵だとかストーブというもので暖を取るらしい。寝床だっていつもふかふかだとか。奴らには決まって帰る時間があるが、それは同時に戻るべき場所があって愛されていることを意味していた。それに対して私はどうだろう。決まって帰る場所は無いし、寝床とする場所はいつもひんやりと冷たい。食べ物が見つからないときはごみだって漁る。私にも遠い昔、家族というものがあったのかも知れない。それは縄張りより余程小さな共同体。しかし私は自分の生まれや遠い過去についての記憶が無いのだ。私の記憶は烏との出会いから始まる。真っ黒な燃え滓みたいに体が小さく、一匹で生きる術を持ち合わせていなかった私を、烏は導き育ててくれた。彼らは博学であり、私たちの生きる世界の仕組み、人間の文化や技術、翼で見た遠い世界のことについて教えてくれた。私が烏の元を去る時に彼は最後にこう言ってくれた。「いつか君も、全て上手くいく日が来るよ。全ての事象とそこに棲む命には必ず幸福が訪れるべきなのだ。少なくとも俺はそう思うね。」 それでも今日の私は冷えたコンクリートの下で寝たくは無かったし、ごみを漁る気にもなれなかった。私の心はそのセーターに魅了されていたからだ。あたりは公園の街灯のみが輝き、草木も静まり、空気は氷のように冷え切っていた。それで私は寒さと闇に耐えきれず脱ぎっぱなしのセーターの中に潜ってみた。すると私の体はすっぽりと収まり、中でもぞもぞと動いているととても温かかった。袖の部分に顔をぐいと押し込んで戻すのが冷えた耳に心地良い。それから私はセーターの中で丸くなり、腹の下に尻尾を仕舞うと、このセーターの持ち主について考えた。持ち主は今頃家に帰って母親に叱られているかも知れない。あるいは無くしたと思って悲しんでいるだろうか。それにこのセーターは母親が編んだものかも知れない。猫らしくない気持ちが私の中に次々と浮かんでくる。しかし今晩だけ私の寝床にさせて欲しい。そして持ち主が取りに来るまで私がこのセーターを守ろう。一匹の黒猫として。 やがて遠くから小さな足音が一つ聞こえてきた。セーターを取りに子供が戻ってきたのだろうか。しかし私は足音に気付くのが遅かった。小さな足音は私の潜むセーターが置かれたベンチの前で鳴り止み、安心したような女の子の声が私の頭上で聞こえた。それで私はどうするべきかと考えた。セーターを守り抜いた英雄気取りで彼女に姿を見せるか、あるいは今すぐ暗闇に紛れて逃げ出すか。私は尻尾を振りながら悩んでいた。その時女の子も私に気付いたらしくきゃあと驚いていて、私は慌ててセーターから外に出てしまった。女の子はおそるおそるしゃがんで、公園の街灯で照らされた真っ黒な私をじいと見つめていた。黒くて真っ直ぐな長い髪をしていて、ラムネ瓶の中に潜むびー玉のようにきらきらした目の女の子だった。 やがて女の子は私に手を伸ばしてきた。何も抵抗する気にならなくて、私はその女の子のなすがままに抱き寄せられた。私を掴む彼女の手は長い時間冬の大気に触れて赤らんでいたが、私は彼女の手をとても温かいと思った。そこには私の遠い記憶と何かしらの繋がりがあるようにも感じた。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 冬になると私はいつもあのセーターについて思い出す。まるで真夏に描いた絵日記みたいな風変わりなセーターを。かなちゃんは私と出会ったあの頃よりそれなりに大きくなって、今ではもうあのセーターを着ることはできなくなってしまったらしい。それでも彼女はそのセーターを捨てることなく今でも引き出しの中に大事そうに閉まっていることを私は知っている。それはかなちゃんと私だけのささやかな秘密なのだ。
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1996年はなかなか悪くない年だった。フレディ・マーキュリーがこの世を去って約5年が過ぎた時代だ。70年代から80年代に猛威を振るった洋楽ブームは日本では当時影を潜めつつあった。 ライヴ・エイドのあった1985年の夏。僕はまだ小学生の低学年で、明確な記憶こそないが、それでも当時の熱気は10年以上経った今でも僕の動力の根源を成していた。ビーチ・ボーイズはブルース・ジョンストン、マイク・ラヴ、カール・ウィルソン、ブライアン・ウィルソン、それにアル・ジャーディンの5人(ドラムのデニス・ウィルソンは既に亡くなっていた)が集結し「素敵じゃないか」を歌った。それにマドンナ、ミックジャガー、デヴィッド・ボウイ、ボブ・ディラン。そしてクイーンの 「ボヘミアン・ラプソディ」だ。 彼らは時折、よう調子はどうだい?と僕たちを気にかけるようにして声をかけてくれた。もちろん、それらの声に立ち止まり、再会を喜ぶものたちもいた。しかしほとんどのものは古代の深海生物みたいにねじれたイヤホンを身に付け、不格好な具合で両手をポケットに突っ込み、ただ一点の虚空を見つめたまま尊大に歩き去って行った。 その年、スパイス・ガールズの「ワナビー」は37カ国で首位を獲得した。その事実は僕をとても嬉しくさせた。そして女子学生はスカートを短くし、ルーズソックスを履くようになった。そのことも僕を少し嬉しくさせた。 僕がハートフィールドと出会ったのも1996年だった。僕は高校生で、ハートフィールドは草原を駆ける一匹のうさぎに過ぎなかった。僕は陸上部に所属していて、その日は丁度アクティブ・レストの日だった為、僕は河原に沿った公園のジョギングコースを軽く流していた。公園の横を流れる川の上には小さな橋が掛かっていて、高校生ぐらいのルーズソックスを履いた女の子たちが楽しそうに話をしながら歩いていた。それは悪くない光景に思えた。平日の夕方ということもあり、ジョギングコースに人影らしきものは僕以外になかった。ジョギングコースを囲むように茂った金木犀とその横を穏やかに流れる川は夕陽に染まり、僕自身もその黄金色の光に取り込まれた。それからジョギングコースを5周してから入念にストレッチをして、ポケットから100円玉を取り出し、自動販売機で缶のミロを買うと僕は公園のベンチに座った。空には望月が浮かび、完璧な夜が訪れようとしていた。 「悪くない夜だよね。」と隣で声がした。振り向くと一匹のうさぎが行儀良く座っていた。 「うさぎの君もそう思うんだ?」と僕は言った。人の言葉を話すうさぎとの突然の会合について僕は不思議と驚きはしなかった。寧ろ馴染みの旧友と話すような親密さが、僕たちの中で既に生まれていた。 人がそうするようにうさぎもベンチの背もたれに腰掛け、当然地面に着くはずのない脚は伸ばしたまま座面に綺麗に収まっていた。立ち耳で体も小さく小麦色の短毛で、お腹の毛だけ真っ白だった。月明かりに負けないほど艶々とした毛並みでそのうさぎが若いことは明白だったし、声の調子でそのうさぎがオスだということもすぐに伝わった。もちろん、それも不思議なことではあるが。 「もちろんうさぎにも素敵に感じる夜ぐらいあるさ。腹が減ったら家に帰るのと同じくらい当たり前にね。」と彼は答えた。 彼は両手に金木犀の花を持っていた。そして鼻をぷうぷうと鳴らしながらその匂いを嗅ぐと、とても満足そうにしていた。そして、あんたにも分けてあげるよと言ってうさぎは金木犀の花びらを一弁ちぎって僕に渡してくれた。その金木犀の香りは失われた遠い記憶と繋がっているような懐かしさを感じたが、何も思い出すことは出来なかった。 それで僕は彼に何かお返しをしたくなって「僕も君に何かお裾分けたいんだけど、ミロは飲める?」と尋ねた。 彼は面白そうにぷう、と鳴いて「あんたはさっきからあたしを何だと思ってるんだい?うさぎだってミロぐらい飲めるし、寧ろあたしにとっちゃ好物なぐらいさ。」 そう言って彼は近くの葉っぱを一枚むしり取って、それを丁寧に折って皿らしき物を作り、そこにミロを注ぐよう促してきた。うさぎとは思えない手際の良さだ。「あたしの名前はハートフィールド。金木犀を摘みに行く途中であんたが走ってるのをたまたま見つけたもんでね。少し頼りないがあんたとは上手くやっていけそうな気がするよ。」 「ありがとう。僕も君とはいい友達になれそうな気がするよ。」そう言って僕たちは望月の明かりの下で乾杯した。 ハートフィールド。それは草原のような心だ。黄金の空の下で鳥たちはさえずり、あらゆる種の動物が草原を駆け抜けていく。そして僕はそこに転がる小さな石ころに過ぎないだろう。しかしそれで構わないと思った。石ころにも役目があり、そして帰る場所があるのだから。
1
ハートフィールドはその生涯において一度も酒を飲まなかった。いや、正確に言おうとすれば、飲む必要が無かったと言うべきなのかも知れない。彼にとって生きることの困難さとは夏のアスファルトに記された雨の軌跡のようなもので、それらは虹の掛かる空の下で緩やかに分解され、やがて時の彼方へ消えていくこととなった。 彼は酒で心を洗うことをとても嫌がっていた。それは僕たちが思いがけずバー・タイムの営業時間に喫茶店に入ってしまった時の話になる。僕たちは近所の河原で一日中水切りをしていて、そのせいでお互い随分腹を空かせていたのだ。それで僕たちは河原から一番距離の近い喫茶店に入ったのだが、案内されたのはカウンター席、しかも入口から一番遠く離れていてトイレの脇に面した二席だった。黒を基調とした店内は電球色の温かな光と窓から見える黒い静寂によってありきたりなムードを醸し出していた。僕たち以外の客はテーブル席で各々の共同体の中で、各々に酒を飲み、その時間を各々に楽しんでいた。それで僕は「これはなかなかヘビーだ。」と心の中で呟いてみた。僕自身がアルコールを受け付けない体質だったし、何よりもハートフィールドが僕の隣で小さく震えていたからだ。旧世界の目覚まし時計みたいに無言で震えている僕たちに痺れを切らしたのか、カウンターで調理をする店員に飲み物を聞かれ、僕たちは虚しき抵抗でアイス・ミルクを注文した。それからサービスのリッツ・クラッカーをアイス・ミルクで胃にぐいと流し込み、半ば投げやりに千円札をニ枚カウンターに置いて店を出た。 「悪かったね。でも、あたしはどうも酒の場が苦手なんだ。」店から出てハートフィールドはそう言った。「別に酒を飲むことを悪いとは言わないよ。でもね、酒に頼らないと出来ない話や、それによって生まれる軋轢、差別、暴力。そういうのがあたしは酷く駄目なんだ。」分かるよ、と僕はそうハートフィールドに向けて小さく相槌した。「この世界は美しいものたちで溢れているのにね。」 それから僕たちは光を求めるようにして歩き、僕の住む家に向かった。そして母さんが作り置きしていたシチューをハートフィールドと二人で食べて、空腹の埋め合わせをした。ハートフィールドの要望で人参を切って新しく一緒に煮込み、それからトーストを二枚焼いて、僕たちはそれをちぎってシチューに浸しながら食べた。食後にハートフィールドはリビングのソファーで少し眠り、それで満足したのか自分の家へ帰っていった。 ハートフィールドが帰った後、僕は熱い湯船に浸かりながら“この世界の美しいものたち“について考えていた。しかしその思考は長く続くことはなく、立ち込める湯気の中で有耶無耶になってしまった。 いいさ。また明日がある。また明日…。
プロローグ
僕が小説を書きたいと思い筆をとるきっかけになった小説をあげるとするならば、それは間違いなく村上春樹の「風の歌を聴け」だろう。しかしいざ何かを書こうとしてみればそれはもう仰々しいパッチワークみたいなもので、僕は記憶の継ぎ接ぎを、ただ思考の糸で繋ぎ合わせることで精一杯だった。僕の手から語られる事象は既に誰かによって語られており、僕はただ僕自身が見聞きしたものをそれらから拝借(酷く一方的に)してテーブルに並べ、あたかも自分風ですと言わんばかりのテコ入れ作業をしているに過ぎなかった。蛇口をいくら捻っても、僕に語れることは何も出てこない。 そのことに気付いたとき、僕は小説を書くことを諦めた。そして現実に戻ってみると、時間は想像以上に進んでおり、あらゆる季節が死に、そしてあらゆる命と光が人々の心に根を下ろし始める頃、僕は本当に孤独になった。 僕がここに書き記すものは決して小説ではないということを予め告白させていただく。全てが終わった今、僕には物事をひとつひとつ整理する時間が必要だったし、何しろ生きることの困難さに比べれば文章を書き進めていくことのほうがずっと楽なのだ。 十七世紀フランスの啓蒙学者がこのような言葉を残している。 「独創力とは、思慮深き模倣に過ぎない。」
ライク・ア・ローリング・ストーン
どんな気分だい? 帰る場所が無いというのは? 誰からも見向きもされなくなったというのは? どんな気分だい? 君は振り向こうともしなかった 君のためにショーを披露した、しかめっ面のジャグラーやピエロに 君はそれがよくないことだって分からなかった どんな気分だい? 一人で生きるのは? 帰る場所すらないことは? 誰からも見向きもされなくなったというのは? まるで石ころみたいになっちまったというのは? どんな気分だい?