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1996年はなかなか悪くない年だった。フレディ・マーキュリーがこの世を去って約5年が過ぎた時代だ。70年代から80年代に猛威を振るった洋楽ブームは日本では当時影を潜めつつあった。
ライヴ・エイドのあった1985年の夏。僕はまだ小学生の低学年で、明確な記憶こそないが、それでも当時の熱気は10年以上経った今でも僕の動力の根源を成していた。ビーチ・ボーイズはブルース・ジョンストン、マイク・ラヴ、カール・ウィルソン、ブライアン・ウィルソン、それにアル・ジャーディンの5人(ドラムのデニス・ウィルソンは既に亡くなっていた)が集結し「素敵じゃないか」を歌った。それにマドンナ、ミックジャガー、デヴィッド・ボウイ、ボブ・ディラン。そしてクイーンの
「ボヘミアン・ラプソディ」だ。
彼らは時折、よう調子はどうだい?と僕たちを気にかけるようにして声をかけてくれた。もちろん、それらの声に立ち止まり、再会を喜ぶものたちもいた。しかしほとんどのものは古代の深海生物みたいにねじれたイヤホンを身に付け、不格好な具合で両手をポケットに突っ込み、ただ一点の虚空を見つめたまま尊大に歩き去って行った。
その年、スパイス・ガールズの「ワナビー」は37カ国で首位を獲得した。その事実は僕をとても嬉しくさせた。そして女子学生はスカートを短くし、ルーズソックスを履くようになった。そのことも僕を少し嬉しくさせた。
僕がハートフィールドと出会ったのも1996年だった。僕は高校生で、ハートフィールドは草原を駆ける一匹のうさぎに過ぎなかった。僕は陸上部に所属していて、その日は丁度アクティブ・レストの日だった為、僕は河原に沿った公園のジョギングコースを軽く流していた。公園の横を流れる川の上には小さな橋が掛かっていて、高校生ぐらいのルーズソックスを履いた女の子たちが楽しそうに話をしながら歩いていた。それは悪くない光景に思えた。平日の夕方ということもあり、ジョギングコースに人影らしきものは僕以外になかった。ジョギングコースを囲むように茂った金木犀とその横を穏やかに流れる川は夕陽に染まり、僕自身もその黄金色の光に取り込まれた。それからジョギングコースを5周してから入念にストレッチをして、ポケットから100円玉を取り出し、自動販売機で缶のミロを買うと僕は公園のベンチに座った。空には望月が浮かび、完璧な夜が訪れようとしていた。
「悪くない夜だよね。」と隣で声がした。振り向くと一匹のうさぎが行儀良く座っていた。
「うさぎの君もそう思うんだ?」と僕は言った。人の言葉を話すうさぎとの突然の会合について僕は不思議と驚きはしなかった。寧ろ馴染みの旧友と話すような親密さが、僕たちの中で既に生まれていた。
人がそうするようにうさぎもベンチの背もたれに腰掛け、当然地面に着くはずのない脚は伸ばしたまま座面に綺麗に収まっていた。立ち耳で体も小さく小麦色の短毛で、お腹の毛だけ真っ白だった。月明かりに負けないほど艶々とした毛並みでそのうさぎが若いことは明白だったし、声の調子でそのうさぎがオスだということもすぐに伝わった。もちろん、それも不思議なことではあるが。
「もちろんうさぎにも素敵に感じる夜ぐらいあるさ。腹が減ったら家に帰るのと同じくらい当たり前にね。」と彼は答えた。
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文字数: 2005
カテゴリー: 恋愛・青春
投稿日時: 2022/4/3 18:38
最終編集日時: 2022/4/6 10:40
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