パウルクレー、象と戦争
この前僕がゴールデン・タイムにテレビを見ていた時の話から始めようと思う。その日は仕事が休みで僕も夕方以降家を出る予定が無かったので、久々に夕飯を家族三人で囲って食べていた。三人で夕飯をいただくと言っても、こう二十七年も同じ屋根の下で暮らしていればいざ何かについて語り合うことも特段無くて、点いているテレビには目もくれず、それはもうあたかもラジオ代わりのようになっており、耳に入る情報をそのまま受け流し、互いに問わず語らず黙食をするごく卑近なものであった。そんな中である種の退屈さを感じてきたので僕は何の気なしに点いたままのテレビに意識を傾けて、その内容を食卓に並んだ夕飯とともに咀嚼してみようと考えた。
テレビの内容は児童文学である「かわいそうなぞう」をドラマとして映像化されたものだった。ここで「かわいそうなぞう」について知らない人も多くいると思うため、僭越だがあらすじを書こうと思う。
それは第二次世界大戦が激化した頃の話だ。
空襲などによる敵国からの襲撃によって動物園の檻が破壊されて猛獣達が逃亡する危険を視野に、当時東京都長官の内務官僚である大達茂雄は上野動物園、天王寺動物園、東山動物園に対して飼育している全猛獣の殺処分命令を出した。当然、各動物園の飼育員や関係者達はその殺処分命令に憤慨したが、当時の日本の情勢と言えば食糧難が悪化しており、人間自体が栄養失調などで多くの命を落としていた。猛獣を飼育するには莫大な食料が必要で、中でも象は草木や果物を一日に200kg近く食べる必要がある。飛行機には片道分のみの燃料を積み、人の命を使い切りの爆弾のように行使し、それが美徳だと謳われていた暗黒の時代である。人間は生かせば国の武器になるが動物達はそうはいかない。そのような背景もあり、象をはじめとした猛獣達を殺処分することは動物園に属する人々の痛切な感情を切り裂くように、止めようのないまま実行されていった。その当時の上野動物園での飼育員と象の姿がありありと描かれているのが「かわいそうなぞう」だ。
上野動物園には当時、三頭の象が飼育されていた。ジョン、トンキー、ワンリー、それぞれに立派な名前があった。最初に殺処分が決まったのはジョンであった。ジョンはトンキーとワンリー同様に飼育員やお客さんから愛されていたが三頭の象の中で特に気性が荒く、身体も一番大きかったため、危険性が高いと判断されたため最初に殺処分が決定されたらしい。ジョンはジャガイモが大好物で、飼育員たちは忸怩たる思いでジョンの好物であるジャガイモに毒を混ぜた。しかしジョンは頭がよく聡明で、毒の混じったジャガイモを嗅ぎ分けて、毒の入っていないジャガイモだけを選んで食べた。その後飼育員はジョンに毒を注射しようと試みたが、象の皮膚は硬く、針が刺さらなかった。最終的にジョンは食事を与えられないまま17日間を過ごし、餓死という形でその生涯を閉じた。
ジョンの殺処分が終了すると、トンキーとワンリーの殺処分が始まった。トンキーとワンリーは可愛らしい目をした優しい象で、トンキーは三頭のなかで一番小さな象だった。
ジョンの命を自らの手で奪ってしまった飼育員達はなんとかこの二頭だけでも助けられないかと考えて、仙台の動物園に送ることを考えた。しかし仙台にも象を二頭受け入れる余裕はなかった。そのため、トンキーとワンリーもジョンと同様に餓死によって殺処分されることとなる。日が経つに連れて痩せ細っていく二頭の姿を、飼育員達は何もできないまま檻の外から見ることしかできなかった。トンキーとワンリーは見回りにくる飼育員を見かけると衰弱した体をひょろひょろと細くなった脚で持ち上げて、まだ戦争が激化していなかった頃に動物園に来たお客さんに披露していた芸を精一杯披露して見せた。何故餌を貰えないのか。何故お客さんがいなくなったのか。自分たちが一体何をしたのか。トンキーとワンリーは訴えるように飼育員を見つめ、体を寄せ合ってできる限りの芸を披露した。それを見た飼育員は胸が張り裂けるような思いで餌のある部屋へ駆け込み、トンキーとワンリーに餌と水を与えた。しかしそれでも二頭の飢えが満たされることはなく、飼育員の葛藤は報われなかった。ワンリーが餓死した後、上野動物園では慰霊祭が行われた。この時一番体が小さかったトンキーは白黒の幕で覆われた象舎の中で衰弱した状態で読経を聞いていたという。その後間も無くトンキーも仲間の後を追った。
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カテゴリー: 日記・エッセー
投稿日時: 2024/8/17 16:00
最終編集日時: 2024/8/17 23:49
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