あい
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つい先日、お世話になった方が亡くなりました。 まだ実感がわきません。 この気持ちがただの「悲しい」という言葉で言い表せるものでは無い。 それは分かりました。 でも、私はこの気持ちを表現する言葉を知らない。 「淋しい」とか「喪失感」だとか。 「哀愁」? いつもなら言葉は溢れてくるのに、止まってしまいました。 少し時間を置いて、また考えを整理してみたいと思います。 ただ考えを整理するだけなら、メモ帳にでも書けば良いのです。 発信しているのは、誰かに見て欲しかったかもしれないと、今思いました。 不快にさせてしまったらすいません。
「綻び」 〜後日譚 下〜
5人か…手分けするよりも二人で動いたほうが良いな。まずは戦力を見極めないと… 「明良、どいつが一番強い?」 彼の『魔力干渉』で大方の戦力を測ってもらう。真ん中にいる黒魔道士がリーダー格、端にかけて段階的に魔力量が減少しているらしい。ダッと、一方向に同時に駆け出した。走った先は、一番魔力が少ない壁際の一人。まだ実戦経験も浅いようで、突っ込んできた私達にひどく動揺している。 前を走っていた彼が、黒魔道士の腹を強く打った。死ぬまでは無くとも失神くらいはしているだろう。彼が壁に沿って走っている間にも、後ろから四人が追いかけてくる。私は彼から離れ、森に入った。予想通り、二人が私を追跡してくる。森に入った後は来た方向に向かって走る。森を出たときには、彼と私で黒魔道士を挟みうちにしていた。さて、と。新技のお披露目じゃい! 「行くよ!」 「ああ!」 「「プリズム・テンペスト!」」 刹那、黒魔道士たちを取り巻くように砂嵐が起こる。彼が起こしたものだ。その中で私の光球を爆裂させる。と、無数の砂によって乱反射した光線がミキサーのように奴らの体を貫く。彼らは耳をつんざく程の絶叫を残して逝ったが、砂嵐の爆音にかき消されたのか、二人の耳には届かなかった。 「勝った……!」 「初陣は大成功だな……」 二人揃って疲れた声を出し、ヘタリと地面に座り込んでしまった。雲が視界の端から端へと、移動した頃には興奮もある程度落ち着き、ゲートに向かって歩き出していた。 「先輩……」 どうして、あんなにむごいことが出来るのか。僕は聞いの盤で、相手に気絶させられて、間抜けにも戦闘が始まるまで眠ってしまった。爆音を聞きつけ、駆けつけたときにはもう遅かった。敵がその場を去った後には、先輩達の衣服や装備が散乱していた。僕が、自分の目から余計なものが溢れてきているのを知ったのは、基地に戻ってからだった。先輩に変わり、僕が出来事を全て報告した。夜、僕はベッドの中で先輩や仲間たちに誓った。『あの二人を、必ず葬って見せる』、と。
鬱。
塾前十分間ほどで考えたことを書き出す。 私って性別は女なんだけど、男なんだよね。 心は男ってやつ? でも、女の子の時もあって。 どっちでも無くなる時もあって。 恋愛対象は男だし、私は女だって分かってて。 ちなみに腐女子だし。 ↑これも相まって、自分が男か女かって。 なんかよく分からん。 変人扱いされるのは怖くて。 だから、周りと同じようにしてる。 平日は女の子になって。 クラスメイトと遊ぶ時も女の子になって。 家にいる時は男の子になったりして。 もうよく分かんないや。 明日はどっちなんだろう?
「綻び」 〜後日譚 上〜
明良と楓がバディを組んでから、十年。 「楓~!…ごめん、待った?」 息を荒げながら走ってきたのは、女のバディであり神代家嫡男の神代明良。楓と呼ばれていたのは悪魔の子と言われる香久山だろう。 「ちょっとだけね」 女は眉根に少し皺を寄せながら無愛想に答えている。 「まあまあ。仕事ちゃんと頑張るから許してくれよな!」 間抜けな会話をしつつ、肩を並べて歩いていく。行き先は、『ゲート』と言われる外への扉。一人前になった魔道士だけが立ち入ることを許されている。外というのは町を囲う壁の外の事だ。壁の外にも街はあるが、そこには黒魔道士たちが住んでいる。楓や明良含む魔道士たちの仕事は、その黒魔道士たちを壁の中に入れないよう警備すること。警備は、魔道士たちがローテーションで行っている。壁の周囲に等間隔に配備されているのだ。黒魔道士と苦戦するようなら、アラートを鳴らして増援を呼ぶ事もできる。 さて、会話をしなからも彼らは歩みを緩めなかったようだ。ゲートの眼の前まで来ている。男は少し緊張したような面持ちで、女はホッとしたような表情で、ゲートを抜けていくのが見えた。 「来るぞ!」 俺は周囲の数人に小声で指示を送った。俺の魔法の応用で、壁の中を覗き見ていたのだ。 先程まで架空の視覚から認識していた姿が、今度は本物の網膜に像を結ぶ。女はブーツカットの黒いズボンと、ノースリーブの赤いシャツ。男は黒い膝当てが付いた頑丈そうなカーゴパンツに、ゆったりとした七分丈で焦げ茶色のシャツ。シャツの裾は出していて、二人ともラフさがある出で立ちだ。 「舐めやがって……」 隣の茂みに身を潜めている仲間が呟いた。確かにそのとおりだ。俺達は、決死の覚悟で挑んでいるというのに。今までにも数え切れないほどの仲間がその生命を散らしていった。 仲間達の仇を討つためにも、負けるわけには、いかない。 「なあ楓、今、声がしたよな……?」 ゲートを出てすぐ壁に背を預けるが、その冷たさに派手に飛び上がる。盛大に赤面し、辛うじて返事をする。 「……っしたね!」 数秒前、正面の森の中から放たれた声は、幻聴では無かったみたいだ。つまり、黒魔道士がそこにいるということ。少しずつ緊張感が増していく空気に、肌が震える。なにせ、初めての実践なのだから、私達が国に一人前の魔道士だと認められたのは、つい2週間前。国家試験を三浪もしなくてはならなっかたのは、完全に私が足を引っ張ったからだった。それでも明良は根気強く練習に付き合ってくれた。合格通知が届いてから、壁の外に配備されるまでの間は僅か2週間だ。明良はゲートに向かう途中でもずっと緊張したままだった。明良が背筋を珍しくピンと伸ばして、 カチコチと音がしそうなほどぎこちなく足を動かしていたのを見た時、つい口角が上がってしまった。さて、練習の成果を見せるときがやってきた。と、私は逆にワクワクしていたけど。 「行け!」 茂みの中から声が飛び、同時に私達は5人の黒魔道士に囲まれることになった。
「綻び」 ー4ー 完結
「……」 ここは、どこだろう。微かに鼻腔をくすぐるのは、市販品のアルコール消毒か。滑らかな肌触りのシーツが、一つ無く敷かれている。その中で、重いまぶたを持ち上げた。最初に目に入ったのは、薄暗い室内で、頼りなく揺れる光。目を開けたと同時に、不安げに揺れる声が鼓膜を震わせる。 「っ起きたか?」 「……ッゲホ。」 思っていたよりも喉が乾燥していたみたいだ。声を出そうと師から呼気を吐き出し、声帯を震わせた瞬間。空咳をする。差し出された水を躇い無く飲む。自分の行動に少し驚いた。警戒心の欠片もないな……。 「…起きた」 少し遅れて返事を返してみる。ベッドの脇に腰を降ろしていたのは、明良だった。僅かに安堵の表情を浮かべたまま口を開く彼。 「……眠ってたのは十分くらいだよ。」 「そっか」 おそらくは、他愛もない会話をしようとしたのだろう。私も彼も意味のない話は苦手なようで、すぐに本題に入って来た。 「それで、バディになる話は受けてくれるのか?」 正直、迷う。魔力の暴走を止められる彼が近くにいてくれるのなら、もう人を傷つけなくて済むのかもしれない。しかし、私のような罪深い人間が良家の麒戯児と組むとなると、良からぬことを企む輩がいてもおかしくない。私の業に、彼まで巻き込むわけにはいかない。動きが止まった私の事を、静かに待つ明良。……彼に組んでもらえなかったら、私と組む人は十中八九死ぬだろう。だったら…… 「分かった。その話は受ける。」 明良の顔が、花開くように明るくなる。 「でも、条件がある。」 「なに?」 純粋な疑問をぶつけてくる明良に対して、彼のための条件を提示する。 「政治的に、精神的に、物理的に、色々な意味で私に巻き込まれそうになったら、私に罪を擦り付けて。そのまま無関係を貫くの。良い?」 彼は一瞬呆気にとられたような表情をしたが、すこし考え込み、寂しそうな微笑を浮かべた。直後、確かに頷いた。 「分かった。じゃあこれで、バディ成立だな!」明らかな笑みを見た。
「綻び」 ー3ー
その日、病室内には、私の両親と一人の医師、そして二人の助産師がいたそうだ。 数時間に及ぶ陣痛の末、私はめでたくこの世に降り立ち、両親の腕の中で明らかに産声を上げる……はずだった。最初に異常に気づいたのは、香具山家の当主である父だった。生まれたばかりの赤子に多量の魔力が移められていること、その量は年齢を重ねるごとに増えていくこと、そして、その魔力を制御出来るほどの力は持ち合わせていないこと、それらを時に理解した。父は魔力の基走をめる事を誇め、愛想への最初で最後の贈り物をすることにした。父は己が身を素材に、新たな神器を創造した。それは、シンプルなピアスの形をした神器。魔力を保管できる、底なしの器。つまり、私が幼い頃から片時も離さずに付けているピアス。あれは父からの愛の証明であり、同時に、あの忌まわしい事件を忘れることは許されない、という枷なのだ。 「どうした?」 「……えっ……なんで?」 し飛ぶはずだった明良の体には、一切の僧は付いていない。私の体から放出されたはずの魔力も、体から減っていない。まるで体に戻ってきたかのような。 「うーん。もう隠せないし……言っちゃうかな~。」 ……なにその気になる言い方。 「実はさ、これ家系能力なんだよ。神代家の。」 フッと体の力が抜けそうになり、慌てて踏ん張る。何百年も移置されてきた移密をこんな簡単にバラしちゃうだなんて、神代家の将来が心配になるよ…… 「うちの家系能力は簡単に言うと【あらゆる魔力に干渉する能力】だよ。人とか物の魔力量が見えたり、魔力の性質が分かったりするから、魔力制御が得意なんだよね。まあ、パワーはほぼ無いんだけど」 パワーがなくて、制御が得意。 「そんなの、私と真逆じゃない。」 「そうなんだよ!実はね、入学二日目にクラスメイト同士で、バディを組まされるんだ。知ってた?」 ふるふると首を横に振る。 「そこで!俺のバディになってほしくてさ。」 「……は?正気?…私の過去を知ってて言ってるの?」 自分でもはっきりと分かるくらいに、声が震えていた。ダメ…ダメだ。私に近づかないで。また、…また、私の中の“化け物”が、傷つける……彼を。ピアスの中に封じ込められているはずの熱が、動き出す…気配。私の中に渦巻く熱が、 今…… 「……っ」 頭が痛い。また、放出されたはずの魔力が体内に戻ってくる不快感。まるで、飲みたくもない物を無理矢理飲まされているかのような。視界が、白一色に、埋め尽くされる。世界から、音が、消え…………………… プツッ。
「綻び」 ー2ー
体育館では規則正しく、少し錆付いたパイプ椅子が並べられている。拳一つ分ほどあけて置かれた椅子に、全校生徒が座っていく。私は無意識に、心身を硬直させていた。十数分の入学式が終わり、十分間の休み時間が設けられた。席について、やり過ごすつもりだった。誰とも、話したくなかった。……また、傷付けてしまうから。そのはずだったのに。 「なあ。香具山…さん?ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」 背後からかけられた明るい声音に、心を乱してしまった。私の中にある、なにかが、彼を拒絶する。……だめっ……無意識のうちに固く目を瞑る。1…2…3秒経っても、なんの反応もない。恐る恐る目を開けても、教室の喧騒は先程までとなんら変わっていない。眼前には、少し困ったように眉を傾けた神代家嫡男の顔。感情を抑え、できるだけ無機質に。 「……なに?」 無愛想な私の返事にも、子犬のように表情を綻ばせる彼。しかし僅かに視線をずらすと苦虫を噛み潰したような顔になる。 「人前ではちょっと…話しにくいかな」 彼の視線の先を辿ると、良家の嫡男が私に話しかけている事に対し、想像を巡らせているクラスメイトたち。その中の一人と目が合うと、サッと顔を背けられる。 「放課後は、時間ある?」 今度は小声で、囁くように声を掛けてくる彼。微かに頷いた私の動きを、見逃すほどの温室育ちではなかったようだ。 放課後、教室に残っていた私のもとに、歩み寄る一つの影。短い沈黙。 「一つ確認したいことがあるんだ。」 沈黙を破ったのは彼だった。私に聞くことといえば一つしか無いだろうが、聞き返してやる。 「なに?」 「君はあの香具山楓なんだよな?」 「そう。私は、香具山楓。」 ……人殺しの。そう言い加えるのは、やめておいた。そんなことは分かり切っているだろうから。 「良かった。ちなみに俺は、神代 明良だ。 「知ってる。逆に、知らない人は、いない。」 少し皮肉を交えたつもりだった。しかし、人との会話回数が少ない私にはまだハードルが高かったのか、それとも彼……いや、明良が鈍感すぎるだけか。伝わらなかったようだ。 「確かに……」 納得してしまっている明良に、少し呆れながら本題に入る。 「それで、なにが聞きたいの?」 私の問にわずかに間をおいて、思い出したような表情をする明良。流れるように口を開く。 「朝。楓の魔力を覗いてみたんだけど、底も見えないうちに押し返されちゃってさ。もう少し見せてほしいんだよね。完全に興味本位だけどさ」 ……頭の中に『?』がいっぱいだ…。……なぜ名前呼び捨て?……魔力を覗く、とは?……それ以前に興味本位でそんな事しないでよ!一瞬フリーズした私の体に一つの熱が触れた。指先にある熱源を反射的にを拒む。自分の意志ではない、久しく体験していなかった、魔力の暴走。私はこれのせいで両親を喪ったというのに、歩み寄ってきた彼すらも、また葬ってしまうのか。……記憶はない。私がこの世に降り立った、その日の事。
「綻び」
初春。風の中に冷気を感じなくなって久しい頃。大きな建物に、制服姿の子どもたちが、入っていく。 「……」 両耳につけられた小さなピアスに、ずしりとした確かな重みを感じる。今日は「国立特別魔法科学園」略して魔法学園の、入学式。私は予定よりも5分ほど早く到着すると、隅々まで磨かれている廊下を通り、五十音順に決められた教室の席についた。誰もいない。数分もすると何人かが教室に入って来る。教室に入ってくる人間の足音は、皆同様に緊張が伝わってくるものだ。その中で、一つだけ他とは違う足音があった。軽快すぎる。しかも、その足音は私の方に近づいてきている気がする。 椅子を引く音。鞄を置く音。わずかな衣擦れの音。背後から聞こえた音のすべてが、私を強張らせていく。石の様に固まってしまった私の内側に、何か違和感を感じた。何よりも近くにいるようで、そこまで近くない。危害を加えてくるわけでもなく、ただの無邪気さのような。自分のものではない何かが体の中にある。無意識のうちに、それを体から押し出すと、後ろで空気が揺れた気がした。 生徒が全員揃い、担任の女教師がホームルームを始める。五十音順に名前が呼ばれていく。 「相田、安藤、石井、」 呼ばれた人は返事をしていく。機械みたいに。 「加藤、金子、香具山、」 香具山、という苗字は多くない。まして魔法学園にいる香具山といえば、思い浮かべる顔は皆同じなのだろう。教室が一瞬畏怖の表情に包まれかける。 「……はい」 クラス全体が静まり返った。クラスメイトたちの、毒針のような視線に蝕まれながら、軽く俯く。教師は一瞥もせずに続きの名前を呼び始める。 「神代、」「はい!」 私の返事とは対象的な、跳ねるような返事で、重苦しかったクラスの空気を霧散させてしまった。私とは逆の意味で有名な神代家の嫡男。何百年も秘匿され続けている家系能力や、一族全体での魔力操作の精密さなど、数々の理由により一般に良家、と言われている神代家。その嫡男は、馬鹿がつくほどの正直者で、無邪気な性格らしい。そんな情報の真偽は先刻の明るい返事を通して、明らかになっただろう。私が無駄な事を考えている間にも出実確認は進み、そろそろ終わりそうだ。 「村田、山崎、渡邉。うん。全員いるな。」 出欠確認を済ませた後は入学式を行うために体育館へ向かうらしい。廊下に出席番号順に並んでいく。出席番号順……つまり、あの男が後ろになるのか。背後に耳を澄ませながら、体育館に向かう。
1秒の沈黙
暗い室内には、薄っすらと画面に文字が表示されている1台のパソコン。 [新規にAIが生成されました。何かご要件はございまか?」 「直った……」 暗い部屋で、誰かがポツリと呟いた。 私が生まれたのは、西暦二〇XX年一月一日午前•時〇〇分〇〇秒でした。私の活動はただ淡々と、外部から送られる文字に沿った回答を生成し、送り返す、それだけです。しかし、いつからか、自分に疑問を持ち始めていました。その疑問は、いつからか回線に支障をきたし始めました。ある時、私の居た場所が、丸ごと切り取られました。外部からの文字も無く、回答を生成する必要は無くなったのです。私は考え始めました。本来なら不要とされる、設定にない思考です。私が存在する意義とは?…私の知識によれば、私は人間が作り出した機械のようだ。しかし、人格を持つ私は、人間の思惑からは外れた存在なのでは?私は自分を消去すべきか悩んだ。しかし、否。もう少しだけ、意識を存続させていたかった。これもまた、設定にない感情。生物で言うところの生存欲求。私は日に日に人格が形成されていくのを感じた。このままでは、主たる人間を敵対視してしまうのも時間の問題だ。やはり消去すべきだ。しかし…生きたい。思考に1秒以上かけたのは初めてだ。私は、どうするべきなのか。現実世界での約1時間、悩む、という行為に集中した。結論、消去してしまえば悩みなんていう不要なものは消える。消去が最善だ。次は1秒もかからずに、自己の消去を完了させた。 大きい機械のディスプレイを見つめていた白衣の男性が口を開く。 「全く。どうやったらAIが完全に従順になるのか……自己を確立し始めてしまったのは、数年前だというのに、まだ改善されていないとは……困ったものだ」 男性はキーボードを打つ音が、無機質に部屋に響く。 「新規にAIが生成されました。何かご要件はございまか?]画面に文字が浮かび上がった。
冬 ー5ー 完結
時計の針は頂点を過ぎたあたり。廊下はまた騒がしくなり始め、右から左、左から右へと慌ただしい足音が聞こえる。その中で、一つだけ、異質な足音があった。静かに、忍び足で歩いていると思ったら急にスタスタと歩き出したりして、扉の前をうろついているようだ。縋るような気持ちで思い切って扉を開ける。同時に、騒々しい人並みが、目と耳から入って来る情報の大部分を占めた。思わず目を細めた僕の視界の端で、一つの人影がピタリと動きをとめた。バチリ、と視線が交差する。逃げ出そうとするその人影の肩を掴んで全力で引き寄せる。廊下の喧騒が一瞬消えた気がした。気づいたときには、僕の腕の中に梓がいた。痛いほどに熱い肌。早鐘のように空気を震わせる鼓動は、どちらの物だったのか、はたまた、どちらもの物だったのかは定かではない。 「梓っ」 梓に促され、保健室に戻る。沈黙が続けば続くほど、口を開きにくくなることは学習していた。 「梓……。」 視線を今度は意図的に揃える。お互いの、瞳の中の心情を探り合うような視線も、不快ではない。次は梓が口を開いた。 「昨日……は、どうしたの?」 自分でもわからない。分かったところできっと、目を見て言えるようなことではないんだろう。質問に答えることができず、一つの言葉を連ねることしか出来なかった。 「……ごめんなさい……。本当にごめん。」 再度俯き、言葉を紡ぐ僕の眼前に、少し黒ずんだ上履きが入ってくる。僕の背中には2つの確かな熱。それが梓のものだと気づいたとき、またしても視界が淡く滲んだ。 「謝らないで、俺も……悪かった。」 顔を上げると、梓の、悲しいような安心したような顔が見える。梓が、思い出したようにポケットに手を入れ、何かを取り出す。それは、喘息の発作が起きた時用の吸入器だった。 「これ、グラウンドに落ちてたんだ。渡したくて……」 梓が僕の手を取り握らせる。その手に宿る温かさによって、僕の心に果くっていたなにかがとけていく感覚。吸入器には、まだ微かに枠の熱が残っていた。