Gmy
13 件の小説Gmy
ストーリー考えるのが好きでTRPGとかでも自作シナリオを作っていましたが、唐突に小説も書いてみるか。と思って書きました。 ※なろう小説での更新内容をそのままこちらに投稿しています
幕間 消えた饅頭
静けさの落ちた室内に、カリカリという規則正しい音が流れる。 たまにトントンという机を叩く音も混じっており、その小さな合奏は築四十年の一室に心地良いリズムを刻んでいた。 ふと、窓際から差し込むオレンジ色の伸びた光が、机の末端を染め上げる。 それを視界の隅に捉えた部屋の主はようやく、それまで無心に走らせていたペンの手を止めた。 窓越しの風景には茜色の空。防災無線の流す『夕焼け小焼け』を唄うメロディーが、斜陽の風情に懐かしい情景を重ね映す。 その馴染み深い音を聞いてようやく、どれほどの時間が経っていたのかを思い出した。 「もう17時か。そろそろ夕飯の準備しないと」 部屋の主は「んっ!」という声を漏らしながら思いっきり伸びをする。重い腰が椅子に癒着しかかっていたが、なんとか持ち上げることに成功した。 しばらく、そのまま凝り固まっていた身体を解す。 そうしてようやく、部屋の主 真衣は、書きかけの任務報告書へと視線を落とした。 「結局、何があったんだか…」 報告書の末尾には数行分の空白が残っている。 依頼対象の経過観察だけは丁寧に埋められている反面 心象内での行動や切除詳細については、虚しく空いていた。 「アキラも覚えてなかったもんなぁ…」 先日の依頼任務中、気が付いた時には車の助手席に座っていた。 隣には何故か焦った様子で、ハンドルをキツく握りしめた能木。 『何してんだコイツ』と思った真衣は、そのままの気持ちで能木へと声をかける すると何故か驚いた能木がハンドル操作を誤って、危うく大事故になりかけた。 『公務員がなんてスピード出してやがんだ』と愚痴も飛び出そうになったのだが、続く能木の言葉には目を白黒させるしかなった。 いわく、二人は依頼任務中に気を失っていたらしい。 そう言われて初めて、真衣は自分達が依頼任務の途中だったことを思い出した。 (あの巨人に殴られたところまでは覚えてるんだけど…) 真衣はいまだ痺れる左腕を少しだけ摩る。 真衣の記憶は心象生物に思いっきり殴られた辺りから、ぼやけたように無くなっていた。 同じ頃に目を覚ましたらしいアキラも、聞いてみたところ同様に記憶が欠落していた。 「能木さん、何か知ってたっぽいんだけどなぁ」 何があったのかを聞くと、路肩に車を止めた能木は少しばかり考え込んでいた。 だが、すぐに頭を掻きながら情けない顔になると「ちゃんと説明できる自信がない」と、はぐらかされてしまった。 そんな頼りない上司の態度に、真衣は思わず『お前ほんとにエリートかよ』と口に出てしまいそうなほどだった。 寸でのところでそれは阻止できたのだがおそらく、とんでもない表情にはなっていたことだろう。 (まったく、これ以上書けることがないんだけど) 仕事に対して誠実な真衣にとって、その書きかけな報告書はムズ痒い思いをさせるものだった。 だが、心象内での記憶はない。故にそれ以上書けることもない。 真衣は深い吐息と共に天井を見上げた。 (こんな粗末な報告書を堂島さんにあげるのかぁ) 能木に渡すものなら兎も角。仕事人として尊敬できる堂島に、この報告書をあげるのは非常に恥ずかしい。 その原因の一端となった“仮初の上司”が脳内にチラつきだし、真衣は心の中で呪詛を吐き捨てた。 (まぁ仕方がないか…いくら考えたって思い出せないんだし) 真衣は少し首を振りながらそう考え、無駄な思考を追い出す。 どうやってあの巨人を討伐し、任務完了になったのかは少し気になるが 能木があの様子では詳しい事情を知ることもできない。 諦めた真衣は書きかけの報告書をトントンと軽くまとめ、暗くなり始めた自室をあとにした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ リビングへ降りていくと、早くも騒がしい二人の声が飛び込んできた。 「かかったなじいちゃん!くらえボリショイストームバスター!!」 「ぬぁんじゃあこの威力!バグじゃ!儂の方が有利だったはずじゃろ!」 「ぬあっはっは~!焦ったなぁじいちゃん!そのパナし択は見抜いていたのだぁ!」 ドアを開けると そこには頭を抱えた博士と、気持ちよさそうにコントローラーを投げるアキラ。 画面には何やらとんでもない巨漢の男が、鼻息荒くポーズをとっている場面が映し出されていた。 状況から見て博士がゲームに負け、アキラが勝ったのだろう。 そんないつもの光景に、真衣は呆れた目つきで二人を見やる。歳の差六十以上とは思えぬ、まるで悪友かのようなさまだ。 「二人とも…ちゃんと今日やるべきことが終わってから、遊んでるんでしょうね?」 真衣はキッチン方面へと歩を進めながらも、少し険の滲ませた声をこぼしていく。 すると、視界の端では二人が共にビクッと肩を震わせ まるで時間が止まったかのように、数秒前と同じ格好のまま固まっていた。 そのあまりにも分かりやすい反応を前に、真衣の足はピタッと止まる。 そして目元には、これまた分かりやすい程の影が落ちていくようだった。 「と、当然?今日中にはちゃんと終わる予定だし~」 「そ、そうじゃぞ。ジミィ君が心配することもない。儂らぁちゃんと計算して遊んどるわけじゃからなぁ」 冷や汗を滝のように流した二人は、口々に屁理屈を並べ立てる。 だが、その顔はいまだ画面に向けられたままであり、まるで真衣に見せられない顔でもあるかのようである。 (ほぅ?つまり、まだ終わってないのに遊んでたと) 言外に含まれた真意。それを正しく見抜いた一家の母に、もはや一片の慈悲すらも残されていなかった。 ゆっくりと真衣は歩の向きを変え、遊び場へと足を踏み出す。 すると、その一歩が踏み込まれた瞬間…蜘蛛の子を散らすが如く、一斉に逃げ出した。 老いは自室へ、若はリビングドアへ。まるで示し合わせたかのように、二人は真逆の方向へと逃げ出す。 一瞬その動きに翻弄された真衣は見事、二兎ともに逃してしまい 後の空間には強烈な舌打ちだけが残されていった。 (ッチ。逃げ足だけは一級品ね!) どちらへ向かおうか迷った末…真衣の目に留まったのは、いまだ鼻息荒いポーズを取り続けた画面上の巨漢。 まるでそれが親の仇かのように目標と見定め、その憤まん冷めやらぬ気持ちのままに思いっきり電源コードを引っこ抜いてやった。 それによって少しばかり発散された真衣は、続けて家中に響き渡るような大きな声を張り上げる。 「二人とも!!今日の仕事が終わるまでは晩飯抜きだからね!!!」 怒号が家の隅々に駆け巡ったのを確認し、真衣は“先ほどの巨漢”のような荒い鼻息を吹かす。 そうしてようやく怒気を収めると、当初の目的だったキッチンへと向かうのだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 時間にして一時間程経過したころ。 室内灯が明るく照らし出したリビングテーブルの上には、美味しそうな料理が並べられていた。 湯気を放つ青椒肉絲。食欲をそそる馥郁とした香り。 そして、凍り付いたかのような沈黙を主とした部屋の空気。 罪人のような二人が姿勢を正したまま座る中 料理を準備し終えた真衣が、最後に席へと着いた。 「仕事は終わったの?」 真衣の凪いだ声が、罪人二人の間を横断してゆく。 二人はそれに対し、ほとんど同じような勢いで頭をブンブンと上下に振っていた。 「そ」 真衣はそんな罪人に、短い寛恕の言葉を言い渡す。そうしてようやく、安堵の息をついた二人が食事を始めるのだった。 (何を恐れてんだか) 少しばかり、そんなバカらしい二人の姿に内心で笑いをこぼす。 真衣にしてみれば、ちゃんとやることをやったのであれば文句などあるはずもない。 この席に着いている時点で、“母の怒り”は既に解消されているのである。 とはいえ、もし後で『終わってない』なんてことが発覚するものならば それはもう、恐ろしきこの世の地獄と成り果てるであろうが。 少しばかり思案に耽っていた真衣が現実に戻ると、二人は既にいつも通りの調子を取り戻していた。 「じいちゃん。今日の俺のやつ、結構うまかったでしょ」 「フンッ!あれはキャラクター性能が高いだけじゃろ。アキラはもっと自力を鍛えにゃならんぞ」 「うわ、でたでた~。でもあのゲーム、バランス良いって評判なんだけどな~」 「それは巷の評判じゃろ!儂が長年培った感覚の方が正しいに決まっとるわい」 「博士。唐揚げ掴んだまま箸を人に向けないでください。アキラも変顔やめなさい」 注意をしてもなかなか収まらぬ場に、真衣はため息をこぼす。 男という生き物は、何故こうも無駄な争いをしたがるのだろうか。 逆により熱気が加速したような気もする。 もはや聞く気にもなれない罵詈雑言の嵐を横に、真衣はさっさと食事を終わらせ、この場を離脱することにした。 食器を片付けにキッチンへと向かった後も、二人の争いは続いていた。 真衣はその様相にもう一度大きなため息をつき、食後のデザートとして楽しみにしていた饅頭を冷暗所から取り出そうとする。 「…あれ?」 真衣がいつもの収納扉を開くと、そこはもぬけの殻。 駄菓子やスナックといったものは見当たるのだが…肝心の饅頭が見当たらない。 『別の場所に置いたっけか』と考え始めたところで、ふと、違和感。 その原因にアンテナを伸ばしてみると 先ほどまで騒がしかったリビングが、随分と静かになったようだった。 真衣は視線をリビングへと戻す。すると、あれほどまでうるさかった二人が静かに食事をはじめていた。 真衣は勘の告げるままに遊び場へと視線を移す。 先ほど注意した時には気づかなかったのだが…何やら見慣れたパッケージの残骸が、散らかっているような気がする。 「……スゥ」 真衣は影の差したニコやかな表情のまま、息を吸い上げた。 すると急にガチャガチャと大きな食器の音をたてはじめ、二人が一気にご飯を掻き込んでゆき… 「「ごちほうはま!!」」 …口の中パンパンに詰め込んだ二人は、まるで先ほどのリプレイかのように、脱兎の如く逃げ出していった。 そんな清々しい程の逃げ足を前に、真衣はシンクに置かれた手をぷるぷる震わせ、顔を少しばかり伏せていた。 「…てめぇら…」 もはや、その憤りに蓋できるもの無し。 開門された地獄は大きく空気を取り込み、激昂した感情のままに灼熱を乗せてゆく。 「…せめて食器片づけて行けやァ!!!」 本日二度目の怒号が家中を駆け巡った。 この日の出来事は後に、罪人共によって『饅頭事変』と名付けられ 以降、真衣がキレ散らかす前兆のことを「饅頭だ」と呼ぶようになるのであった。
第六話 天と凡
二人の奮起する声が、静かな部屋に響き渡っていく。 能木が立ち直るまでの間に、戦闘の火蓋は切って落とされていた。 <さて、お喋りはここまでにしましょ。アキラ、準備はいい?> 「おっけー。サポートは任せてよ!」 <それじゃ…任務開始よ!> アキラはデータを高速で読み解き、真衣への座標指示を出しながらも、手と脳でプログラムコードを同時に書き上げてゆく。 まさに完成された最上位オペレーターのマルチタスク。 だが、それにもはや能木が驚くことはない。 ただ教えを乞う一介の学生として、スポンジのような目で全ての動きを焼き付けていた。 身体の動き、目線、取得したデータの活用、キーボードの打ち方 そして、それらとは別に高速で処理されていく“領域封印”を含めたプログラムコード。 一部、今の能木には理解できない技術もあった。それでも、現状解読できる動きの流れを頭に叩き込んでいく。 (腕…顔は不動。手はやっ…あ、そこで環境データを確認。ホロ操作は最小限…データと戦闘だけは一瞬目視でも確認してる。UIは大きめか?…コードはもはやバグ考慮してないな) 一瞬にして行われる超人のスピードを、可能な限りの言語化に落とし込み、理解に努めようとしていた。 能木の脳は既に沸騰済みであり、あまりにも膨大な情報量に瞬きすらも忘れていた。 そんな思考の中、真衣の劈くような声が能木にも届く。 <アキラ!マシンガンに換装!それと徹甲弾も追加、最優先で!> アキラはまるで用意したプログラムがどこに配置されているのか、全て把握しているかのようだった。 真衣の「マシン…」ぐらいの発声時点で既に用意されたマシンガンプログラムは呼び出され、換装を開始していた。 そしてそれに合わせて、高速で書き上げられていた“領域封印”のプログラムがピタッと止まり、新たなコードが書き上げられていく。 …と同時に、真衣視点の画面では急速に接近する巨人。近くの座標データを見れば、真衣の視界外で“巨大な何か”を振り上げられているのが能木にも分かる。 (速い!) その光景に、能木はヒヤッとした嫌な汗を背中に流す。自分では対処できない速度だと、理解してしまったからだ。 だが何もできなかった凡人とは違い、天才は答えを出す。 「ねえちゃん!」 大きく叫んだアキラの声と同時に、真衣視点の画面では青いノイズが走り出す。 真衣はそれを迷わず掴むと、画面一杯に鮮烈な血飛沫を巨人から咲かせていた。 (マジで!?さっき始めたばかりじゃ…) 先ほど高速で書き上げられていたプログラムを見れば、そこは既に“領域封印”のプログラムへと戻っている。 確かに徹甲弾カートリッジはサイズも小さく、複雑な構造もなくて簡単な武具の類だ。 それでも… (三秒程度なんて…ははっ……これは僕が逆立ちしても勝てないわけだ…) 乾いた笑いが漏れた能木は、一瞬呆ける。だが、すぐに思考を切り替えた。 先ほどの心象生物の動き。明らかに睡眠時間を元にした評価レベルから逸脱している。 レベルⅡ程度であれば、まだ成長段階での“影”か成りたての心象生物程度のはずだ。 心象浸食の拡がり具合や自我有といい、睡眠時間に比べてこの心象生物は異常性が際立ちすぎている。 上司としての能木は即時評価レベルを二段階引き上げ『レベルⅣの自我有』相当として判断する。 それは、堂島のワンランク下の脳裏清掃員が対応するような…局員で言うところの二級清掃員が対応する案件だ。 「アキラ君!心象生物が想定より強力すぎる!真衣ちゃんに即時“強制遮断”を…」 能木は声を張り上げ、アキラに作戦の中止を伝える。 それも当然だ。今回は比較的簡単な依頼として堂島が博士を説得した挙句、二人が抜擢されたのだ。 その身を預かった側として、想定以上の危険な行為はさせられない。 それに敬愛する堂島からも「お前なら間違いもおきんだろう」という信頼の元、能木が監督を任せられたのだ。 多くは語らない堂島だが、その言外には検診結果から思うところもあったのかもしれない。 そんな憧れの上司からの信頼を、裏切るわけにはいかない。 だが… 「……」 …そんな切羽詰まった能木の指示を、アキラは軽く、一度だけ首を振る。 集中しているのか、それ以上の意思をこちらには向けてこない。ただ『真衣を守りきる』という強い意志だけが、その反射した目に刻まれているように見えた。 (できるっていうのか?…君たち二人なら?) 予想だにしなかったアキラの反応に、能木の思考には困惑と疑問が巻き起こる。 たしかに、アキラのオペレーターとしての実力は、この心象生物とも十分以上に渡り合える。 それは堂島という一級清掃員を長年サポートしてこれた能木が言うのだから間違いない。 アキラのオペレーターとしての実力は、能木のそれよりも大きく上回っているのだから。 (たしかに君なら…いや、でも…) しかし…それでは真衣はどうか? 実際に脳裏清掃員として行動する側の真衣。 確かにその資質は目を見張るものがあり、今後脳裏清掃員として堂島と同じ一級とも成れるものは持っているのかもしれない。 だが、先ほどの攻防一つ見ても、現時点では遠く及ばない。 体勢も崩していない状態で『レベルⅣ自我有』程度の初撃すらも自力で捌けないようでは、せいぜい四級。甘く見積もっても三級に手が届くかどうかと言ったところだ。 それは、多くの局員と仕事を共にしたことがある オペレーター能木としての審美眼がいうのだから、間違いないだろう。 また堂島のような、脳裏清掃員として特別な“自我真核”を持っているようにも見えない。 (アキラ君…僕たちは結局、サポーターでしかないんだよ……) そう。それが事実だ。 どれだけオペレーターが優秀であろうと、行動するのは脳裏清掃員であり…危険を背負うのも、また脳裏清掃員だ。 だからこそ、オペレーターは判断を誤れない。 データと状況を正しく読み取り、出来る事と出来ないことを脳裏清掃員に伝えなければならない。 それはオペレーター養成校では一番初めに習う、一番重要な心構え。 それができないようなオペレーターは…二流以下だ。 (だけど…それすらも……君のような天才なら、覆せるっていうのか?) 能木は上司としての顔以上に、“憧れ”に対する期待で胸が熱くなる思いだった。 ここまでの状況判断は凡人たる能木の判断でしかない。天才には、これとは違う視界が開けているとでもいうのか… 能木は知らず内に握りこぶしを作り、万感の思いを寄せてその仕事を見守る。 もはや能木に作戦中止を知らせる、などという野暮な考えはなかった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ (…すごい) 能木は純粋な感想を心に抱く。 “櫛磐窓”には砂嵐によって視界を塞がれた、真衣の視点が目に入る。 だが、アキラはその状況すらもたった数秒で“情報拠点”という最適解を導き出し、敵の攻撃が来る前に創造してみせる。 その後も“領域封印”や予備弾丸といったプログラムと並行しながら、敵の座標特定と攻撃予測という戦闘のサポートまでこなす。 能木には絶対に真似出来ない芸当。 プログラミングとサポートの同時進行を、これ程高水準で叩き出すことなどできるはずもない。片方だけでも、追いつくのでやっとだろう。 (くそっ…ちくしょう。すげぇなぁ…) 下唇を噛み、悔しさを滲ませたその顔には、同時にキラキラとした少年のような心が見えていた。 幾度となく、養成校でも見せつけられた天才の所業。 悔しさのあまり、直視することもできなかったオペレーターとしての完成形。 もはや分析などもしていない。ただただ、能木は初めて直で見るその頂きに、魂を揺さぶられる思いだった。 …だが、そんな夢見心地な時間も、強烈なシーンによって現実へと引き戻される。 真衣が地面ごとめくり上げられ、そのまま鈍器による痛烈な横薙ぎをその身体に受けていたのだ。 (あっ!) 能木は驚きと焦りが含まれた声が上がるのを、ぐっと堪える。“櫛磐窓”に反射して見えるアキラの顔にも、初めて焦燥の色が見えたからだ。 “領域封印”などの余計のプログラムも、既に一時停止されている。 その甲斐あってか、攻撃をうけるコンマ数秒単位の間にも いつの間にかプログラムされた障害物が、真衣と鈍器の間に差し込まれていた。 だが、それでも鈍器の勢いを殺すことはできない。 急激に移動する視点と共に何かへと叩きつけられ、血を吐き出す瞬間が映し出された。 「“強制遮断”を…」 萎みゆくような能木の声が、静かな部屋に反響する。 だがそれは無意味だと、能木もすぐに悟る。 今の真衣にそう伝えたところで、敵の次なる攻撃が来る前に“強制遮断”する力がない。 それを既に理解していたアキラは、反響した能木の声をかき消すかのようにタイピングを再開する。 凡人にはもはや、見守ることしかできない。 ぼやけた視点には急速に迫りくる巨体。そして落ちる影。 …ドガンッという鉄柱すらも貫く轟音。 その音が来る前に、能木は思わず目を背けてしまった。 自分であればどうしようも出来ない状況に、局員の仲間が貫かれるさまを幻視したのだ。 目を開けられずにいた能木は、直後響いたアキラの声でハッと目を開けた。 「ごめんねえちゃん!俺のアラートミスだ!」 その言葉はつまり、真衣がまだ生きている証拠だった。 驚きから“櫛磐窓”を見ると、そこには真衣自身の動きによるものではない視点の揺れ。 揺れる視点の端には機械仕掛けの犬が真衣を括りつけ、走っていた。 (え?……は!?犬!?) 段々とその意味が沁み込んできた能木は、驚愕から目が飛び出さんばかりだった。 犬が走る…それはつまり、アキラが三次元的な動きを常時プログラムコード化してるということだ。 静止した、あるいはあらかじめ決められた動きをプログラムして作るのとは訳が違う。 右前足を出す、左後足をあげる、身体全体の重心を取る、左前足を蹴りだす… それら複雑な身体構造の動き一つ一つを、リアルタイムで、正確にプログラム化している。といえば伝わるだろうか。 ただでさえ、難解な世界にプログラムとして落とし込んでいるのだ。 剣や銃といった静止した形、決められた動きを作るだけでも大変なのに、三次元的な動きをリアルタイムで作ることなど… もはや、能木の理解範疇には収まらない出来事だった。オペレーターとしての固定概念が崩れ去る思いである。 オペレーターが本当の意味で、脳裏清掃員と一緒に戦えないのはこのためだ。 そんな三次元的な動きができてしまうのなら… 極論、今いる脳裏清掃員の仕事もオペレーターで事が済んでしまう。 流石の天才にもその演算負荷が大きすぎるのか、危険からの脱出という役目を終えた機械仕掛けの犬はすぐに消えていった。 だが、その衝撃はいつまでも能木の胸中を支配し続けていた。 「ねえちゃん…ヤバかったらちゃんと“強制遮断”してよ?」 心配そうなアキラの声に、能木はハッと我に返る。 (ヤバかったらじゃない…今がヤバいんだから、すぐ“強制遮断”させないと!) 千切れた思考をかき集め、わずかに残っていた理性が合理的な判断を下す。 思考は即座に言葉となり、空気を貫くような怒声となって響き渡った。 「アキラ君!今すぐ“強制遮断”させ……て…?」 だがその怒声も、続く摩訶不思議な状況に困惑へと切り替わる。 能木の目の前。“櫛磐窓”に座るアキラが、まるで気絶したように身体を椅子へと預けていたのだ。 「アキラ君!?どうしたんだ!?」 困惑しながらも、アキラの安否を憂いて能木は駆け寄った。 そこには目を閉じ、まるで抜け殻となったかのようなアキラ。脱力しきっており、更には息までもしていない。 焦りと困惑に支配されていく能木。 ふと、気持ちを落ち着かせようとしたのか、もはや生活の一部とまでなった”櫛磐窓”を見やる。 するとそこには… 「なん…だ?これ…」 …あり得ない速度で書き上げられていくプログラムコードが目に入った。 目の前のアキラは死んだように気絶し、動く気配すら感じられない。だが、“櫛磐窓”では先ほどまでの天才すらも霞む速度で“全て”が作られていく。 その速度は初めて挫折を味わされた宿敵、“一位”すらも軽く凌駕しているかのように思えた。 “櫛磐窓”に映された神懸かった光景を前に、思わずそっと、アキラの身体を座席へと戻す。 なんとなく、アキラがまだ戦っていると感じたのだ。 そのままゆっくりと、後ろ歩きで数歩ずつ能木は下がる。 その足取りはまるで、寝静まった赤子を相手にしているかのように慎重で、心を置いていくかのようだった。 元の位置より数歩近くに、自分の居場所を決めた能木は…その理解不能な状況にようやく混乱し始めた。 (…いったい、何が起きてるんだ…?) 混沌と化した思考は、まったく現状の理解に役立たない。 ただ茫然と、高速で流れていく“櫛磐窓”の知らない表情を眺めることしかできなかった。 そんな中、とても澄んだ…静寂に凪いだ声が透き通っていく。 <アキラ> …綺麗な声だった。一瞬、真衣が発した言葉だとは気づけない程に。 その声につられ、“櫛磐窓”の視点画面を見れば青いノイズがちらつき出していた。 “何を作れ”という指示すらもない。ただ、名前を呼んだだけ。 呼ばれた本人は先ほどから死んだように気絶したままなのに、“櫛磐窓”の画面上では天才以上のレスポンスを返していく。 もはやその状況に、能木は口を半開きにさせながら放心し続けることしかできなかった。 …そこからの出来事は、まさに一瞬だった。 真衣が指示を出すこともなく、青いノイズが走り続ける。 真衣自体の身体能力も、判断力も まるで才能が二段飛ばしで開花したかのように加速している。 先ほどまで猛威を振るっていた巨人は、まるで棒きれを振り回す子供の如く、軽くあしらわれてゆく。 <任務、完了> 通信ノイズ越しにそう呟く真衣を最後に、気付けば視点画面には黒いノイズが入り始める。 それはつまり、あの二級清掃員相当の化け物を、文字通り瞬殺したということだ。 能木は頬が引き攣る思いだった。 『何が何だか分からない』と、目の前の現象には匙を投げるしかなかった。 そんな“神懸かり”を、ただ茫然とディスプレイ越しに眺めることしかできない。 しばらく、そんな余韻が続いていた… だが、視点画面が急に地面へと倒れ込む。 そしてそのまま、微動だにしなくなってしまった。 「真衣ちゃん?……真衣ちゃん!?」 能木は咄嗟に“櫛磐窓”の通信機へと接続し、名前を呼びかける。 だが、視点にもデータにも、変化が起きない。 (意識を失ってる…?急にどうして…いや、それよりも!) 能木はどうすべきか焦り、悩む。 所詮サポーターでしかない自分は、向こう側の現状を正確に計り知ることはできない。 オペレーターとして今、彼女にしてやれることは何か… 深呼吸を挟み、一度気持ちを落ち着かせる。 そうして冷静な思考を回してみた結果…自分が脳裏世界に侵入して、助け出せばいいことに気付いた。 既に、真衣が心象生物を倒したことは確認済みだ。 脳裏清掃員としての戦闘力は皆無な能木でも、肉体を動かす“イメージ力”の訓練を怠ったことはなかった。 …いつか、必要になる瞬間が来ることを信じて。 能木は即座に準備を開始する。 既に唯一の脳波同期ギアは真衣と依頼対象で繋がれている。これを現状切断することは危険すぎる。最悪、真衣の精神が戻る方法を失ってしまう。 ローカルネットワーク《個人心象》に侵入する、もう一つの方法は… 「…“櫛磐窓”の“窓”から脳波を写し取り、精神だけを依頼対象に送る」 言葉に出しながら確認し、その荒療治なやり方に能木自身が苦笑してしまう。 あり得ない程危険だ。正規の手段ではない。 精神が帰れなくなる可能性だけではない。 最悪の場合…依頼対象の心象と自分の精神が混ざり合ってしまうかもしれない。 そうなってしまえばもはや、どうやってもお互いに取り返しのつかない影響が残ってしまう。 …だが、動ける人員が自分だけな以上、やらなければならない。 「それに、堂島さんからも任せられてるもんなぁ」 いつものような軽口を叩くことで、能木は少しだけでも緊張を紛らわそうと肩の力を抜く。 既に動きがなくなったアキラの“櫛磐窓”を前に、能木は立ちながら操作を開始する。 すると、そこには更にあり得ないものが残されていた。 「…ハハッ……この“天才くん”は一体どこまで見通してたんだか」 そこには片手間に作られていたはずの“領域封印”。 一つは圧縮式の見慣れたもの。そしてもう一つ、能木には全く見たことも無い形式のもの。 少し時間をかけて解読してみれば、それはおそらく、任意の空間を保護するかのような形式だった。 いわば心象の中に、もう一つの心象を分離して共存させるかのようなもの つまり、心を二重構造にして守る“防御式”と言えるだろう。 これを、現在の状況に当てはめるとすれば…依頼人の心象内でも、能木の精神を安全に共存させることができそうだった。 「名前をつけるなら…“心隔式”といったところかな?」 能木はそんな見たこともないコードを前にしても、何故だか信頼に値するかのように安心していた。 それは“憧れ”に対する信頼なのか、それとも先ほど見せつけられた“神懸かり”に信憑されたのか。 どちらにせよ…今の能木に、これを使わない手はなかった。 能木の後ろには、未だ座席で死んだように眠るアキラ。 先ほどまでは天才の背中しか見えてなかったが、今度は逆の構図で、能木が背中越しに小さな少年を見やる。 天才の用意した“心隔式”を起動し、精神を乗せるプログラムは自らが書き上げていく。 天才と凡人、共同での救出作戦。負荷の度合いは全く違うであろうが、その事実に…少しばかり能木の心は湧き立っていた。 …しばらくの作業後。 「それじゃ、行ってくるよ」 そう呟く能木の目は、とても優しげだった。 “天と凡”の二つを、能木は同時に立ち上げる。 背中越しにはいまだ眠りこける少年。その姿に屈託のない微笑みを一度向けると 能木の意識は、緩やかに落ちていった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●自我真核《じがしんかく》 極度のストレス状態が長期に渡って持続的に続いたり、耐えきれない程の心理的圧迫を短い期間で受けた時、それでも折れなかった信念を持ち続けた者のみが獲得できる心の力。その能力は信念に基づく力となることが多く、発現以降能力が変わることはない。自我真核とは心そのものが発露した形であり、唯一脳裏心象体が持つ管理者権限に対抗し得る力とされている。自我真核と自我崩壊は同じ条件から生まれる対極的な結果ではあるが、自我の断片である記憶が心象生物やその他の要因によって浸食され、正常な自我を保てなくなってしまった状態から自我真核が発現することはない。
第五話 憧れ
能木光昭《あたぎみつあき》は凡人だった。 いや、正確にはほんの数分前まで 能木は自分のことを天才の端くれだとすら思っていた。 だが、そんなものは都合の良い幻想に過ぎなかった。 “本物”を前にして、能木は理解してしまったのだ。 天才とは、斯くあるものなのだと。 結局自分は、ただの凡夫にすぎなかったのだと… (いったい、何が起きてるんだ…?) エリートであったはずの自分が、理屈を練り上げることすら許されない。 血の滲む思いで積み上げた理論も、経験も…この場では無意味だった。 ただただ、凡人として天才の所業を見せつけられるのみ。 彼が如何にして、凡人へと堕ちてしまったのか。 ここからは少し、時間を遡るとしよう。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 通信端末から手を離した能木は、緩む口元を抑えきれずにいた。 (ふっ…ふふっ。さっきのは中々に決まってたな) 先ほどの“上司ムーブ”を思い出し、能木はその平均的顔面偏差値の鼻下をこれでもかと伸ばす。 堂島が現場に行かず、指示を出す側に回る時のやり方を真似したのだが…よく隣で見ている影響か、割と堂に入った雰囲気が出せてしまった。 脳裏対策局としてはまだまだ下っ端である能木は、そんな初めての経験に唇を噛みしめながら余韻に浸っていた。 (真衣ちゃんもいい返事返してくれてたし。っくぅ~こりゃ堂島部長にもすぐ追いつけそうですなぁ!) なんてことを考えている内は、堂島に追いつくことなど夢のまた夢… だとは気づきもしない辺り、能木は能木だった。 (さてさて、二人の監督をちゃんとしなくちゃね。なんてったって、上司ですから) 能木はそんな心の声に従って腰へと手をかけ、仰け反るように胸を張った。 もし真衣がこの場にいたとすれば、そんな姿をウジ虫でも見るような目で見下すことだろう。 だが、残念ながらこの場に能木を見ている者はいない。アキラも真衣の注文に応えるべく、忙しそうにカタカタと手を動かしていた。 (アキラ君は本当に、あの真衣ちゃんに対応できるのかな?) 能木が真衣と仕事を共にした時、とんでもない指示を出されたのは記憶に新しい。 心の内では『こんなん誰ができんねん!』と唾を吐いたほどだ。あの非常識さには、真衣の印象がガラッと変わってしまった。 今回も三つも要求を一気に出してきたようだが…時間的余裕がある状況なので、法外という程ではない。 (真衣ちゃん。戦闘中でも急にでっかいオーダーしてくるんだもんなぁ…) 能木は“前回”を思い出し、肩をガックシと落としながら重いため息を落とす。 普通、脳裏清掃員は重大な場面に備えて、ある程度汎用性の高いモノを事前に要求してくれる。 それは長年、経験豊富な堂島を支えてきた能木にとっての常識だったし、おそらく局員の大半もそうしていることだろう。 ある意味、それは脳裏清掃員が持つべき オペレーターに対するリスペクトでもあるのだ。 だが、真衣は違う。 その場その場で“一番適したモノ”を即座に要求してくる。 (確かに、それが脳裏清掃員にとっては一番効率がいいんだろうけどさぁ) 『こっちの身にもなってくれよ…』と、能木は目を閉じ、下唇を噛みしめながら握りこぶしを作る。 真衣に対する怒りで彩られているようにも見えるが、その内奥には悔しさが滲んでいた。 常人では対応できないであろう真衣の指示に対してでも、悔しさが先に来る辺りは立派なプロであった。 …が、それと人間的な感情などは完全に別物。 能木は心の内でしっかりと、真衣のことを“無茶ぶりの女王”《キリングパッサー》とあだ名をつけていた。 (アキラ君はようやく、保護メガネとイヤーマフが出来た所か) 能木の目の前には椅子に座るアキラ。アキラは半球状に展開したホログラムを操作していた。 空気に直接浮かび上がるような透明なデータ群が、指先の動きに合わせて自在に形を変えていく。 これこそ、脳裏清掃員オペレーターの専用ツール “櫛磐窓”《カムイ・プヤラ》だ。 (確かに年齢を考えれば恐ろしい程の才能だ…けど) 普段であれば座っている側の立場である能木は、少しばかり気持ちがうずきだす。 アキラは最後の防塵マスクを作るため、再度ホログラム上のデータを整えると、膝上に乗せた外部機器のキーボードを叩いていく。 だが、それら一連の流れはエリートたる能木よりも若干遅い程度。 (いや、僕に迫る勢いってのも、十分とんでもないやばさなんだけどさ……この年齢で一体、どれだけの勉学を詰め込んだんだ?) 脳裏清掃員とオペレーターでは、必要とされるものが全く異なる。 真衣や堂島のような脳裏清掃員へとなるには、センスと才能が必要だ。 まずは精神が主体の世界でも、肉体を正常に動かすための“イメージ力”。 それを基盤にして、さらに物質世界の限界すら超えて力を引き出す“奇想力”。 そして何より…他者の心象に汚染されず、精神が壊れないほどの“精神力”。 イメージ力は鍛えることである程度身に着けられるのだが、奇想力と精神力についてはなかなか鍛えられるものでもない。 そんな、ある種の壊れた才能がなければなれない脳裏清掃員とは 精神的にイカれた人間だとも言えることだろう。 一方で、オペレーターとは才能ではなく、努力と経験によって成り立つ職業だ。 プログラムコード、脳裏世界のデータ解読、解読データから導き出す状況判断。 才能によってそれらがある程度備わっていたとしても、血の滲む努力と経験によっては才能に追いつき、追い越すことだって可能だ。 能木は家族が脳裏世界での犠牲者となってから今まで 十五年間もの歳月を、オペレーターとしての勉学と実践に費やしてきた。 その成果は五年前まで通っていた、政府直属のオペレーター養成校で証明されている。 在籍した六年もの間、一度たりとも二位の座から転落したことはなかったのだ。 (まぁそれでも、化け物ってのはどこにでもいるんだけどね…) 能木は養成校時代を思い出し、天を仰ぐ。 そう『二位の座から転落していない』ということは、逆を言えば『一位になったこともない』のだ。 在籍した六年間…能木と“一位”との差は、努力や経験では埋められない程の隔絶した差が開いていた。 一点だけ、オペレーターにも才能にしかできないことがあった。 (僕にも、“あれ”ができてればなぁ…) “櫛磐窓”は基本的に、キーボードなどの外部機器を接続してプログラミングしていく。 また脳裏世界のデータも、一度機器が読み取ってからディスプレイに表示されるため、数ms程度の若干な遅延が発生している。 オペレーターとは普通、そうした遅延や入力スピードを極限まで効率化し、最速の仕事成果を出すプロフェッショナルなのだ。 だが、“櫛磐窓”には“窓”が接続されている。 そのため外部機器を接続操作するだけではなく、直に“窓”と接続し、脳を使って操作することもできる 自分のイメージをプログラム化するのだ。 しかし実際のところ、この機能を完全に活用できているオペレーターはほとんどいない。 能木も脳裏世界のデータ読み取りには“窓”を活用しているが、入力操作に“窓”を活用することなどできない。 イメージを脳波に乗せ、正しくコード化するなど常人にはほぼ不可能だ。 それこそ脳裏世界を熟知し、プログラムコードが言葉よりも先に浮かぶような…そんな狂人でもない限りは。 能木の知る限り、そんな芸当ができる人物など幾度も辛酸をなめさせられた“一人”しか知らない。 (てっきり、アキラ君もそういう類《たぐい》かと思ったんだけどな) 以前真衣と仕事をした時、『こんなのアイツにしか対応できないだろ!』と何度思わされたことか。 だからこそ、真衣に本当のバディがいると知った時には『まだあんな化け物がこの世にいんのかよ…』と心底絶望したものだ。これ以上努力の見せ場を潰さないでくれと。 …が、実際にアキラのオペレーターとしての手腕を見れば、キーボードという外部機器を用いての入力操作。 たしかにその操作スピードは能木とも引けを取らず、年齢を鑑みればとんでもない逸材だ。 しかし、それだけでは逸材止まりだ。養成校でいえば、上位には入るが“頂点”には届かない。そんなレベルだろう。 能木はその“頂点”の仕事ぶりを、六年もの長い間見せつけられた。 それによって初めはあった才能への闘争心も、今では諦めに変わってしまった。あれはもう別の次元だと。 (“窓”の接続は一切してないようだし…これは本格的にどういうことだ?) アキラが真衣の無茶ぶりに対応できるイメージが湧かず、能木は首を傾げる。 アキラが隠そうとしている線も少し考えたが…その考えは既にない。 何故ならそもそも隠す理由がない。それに今まで接してきたアキラの性格を考えると、そんな超ド級の才能を持っていたら能木に見せつけたがることだろう。 もはやそうなる未来すら予測し、心の準備だけは万端にしていただけに 肩透かしを食らった能木は逆に面食らった。 そんな答えの出ない思考の迷路へ誘われていると、通信ノイズ越しには真衣の声が聞こえてきた。 <アキラ。手が空いてる時で構わないから、“領域封印”《エリアシール》を作っておいて。とりあえず圧縮式で> その指示に能木は苦笑する。『でたな無茶ぶり《キラーパス》』と。 “領域封印”とは本来、片手間に作るような代物ではない。障害を全て取り除いた後、集中できる状態で三十分は掛けて作るようなものだ。 大規模なものや複雑な式のものであれば、よりいっそう時間は掛かる。それはエリートたる能木にとっても同じだ。 だが、それも容易に想像できるはずだ。 新しい武具の作成ですら、戦闘が命取りになるほどの時間をかけるのだ。空間全部を丸ごと封印するような大規模なプログラミング、時間がかかって当然である。 それをこの無茶ぶりの女王は、あろうことか、戦闘前に『片手間でやれ』と要求してくるのだ。 緊急を要するわけでもなく、戦闘終了後に必要となるものをあらかじめ要求してくる もしこれが局員相手なら『コイツ、残業したくないんだな』と、冷えた目で軽蔑しているところだ。 もちろん、これを受けたのが能木だったら断固拒否しているところだ。それに加えて少々説教も入るかもしれない。 …だが、続く二人の会話には驚愕を隠せなかった。 「え〜?起爆式じゃだめ?」 <あんたねぇ…さっきの話ちゃんと聞いてたの?もちろん爆縮式もダメだからね> 能木は耳を疑う。『いやいや、論点そこじゃないでしょ』と。 しかもわざわざ自分から、より大変な“起爆式”など提案している。 たしかに新人オペレーターなら、世間知らずからそんな反応をすることもあるかもしれない。 もしそうであれば、能木も『ははっ。お前勉強不足だな~』か『アホやな~今のは行動班の冗談やで?』なんて、茶々を入れる余裕すらあったことだろう。 …だが、この小さな少年が真衣とバディーを組んだのは、真衣が脳裏清掃員となった時からだと聞いている。 それはつまり、オペレーターとして少なくとも三年ほどの経験を積んできているはずなのだ。 その間、一度も“領域封印”を作ったことがないとは考えにくい。 よって、この少年は『できる』と思って提案しているのだ。 (正気か!?いや…ということはやっぱり…) 能木の心中に、消えかかっていた予想が首をもたげ始める。 そしてホログラムに反射したアキラの瞳が見えた時、能木は目元を手で抑えながらもう一度天を仰いだ。目の輪郭が、青く象られていたのだ。 それは、“櫛磐窓”においては、“窓”に接続したことを意味する。 …いや、確かに能木も“櫛磐窓”を使う時は目の輪郭が青くなる。だがその目的は『データの取得』であり『データの入力』ではない。 それだけでも、限られた上位のオペレーターにしかできない芸当なのだが…“領域封印”を了解したオペレーターが、それだけに留まるとは思えない。 僅かな好奇心に負け、能木はチラッと手元を浮かせ、空いた隙間から“櫛磐窓”を見る。 するとそこには、先ほどと変わらずキーボードを操作する手と…爆速で一つのプログラムコードが、手とは次元が違う速度で出来上がっていく様子。 能木はもう一度、手の蓋を閉じた。そして、心の中で涙した。 一度準備していた心構えを解いてしまっていた分、ショックは大きい。足元から崩れ落ちてしまいそうなほどだった。 (どうして…どうして!僕にはなかったんだ…) 能木は悔しさを抑えることもなく、その輝かしい才能に嫉妬する。 努力と経験は、他の全てを差し置いてでも十五年間積み上げてきた。だが、たった一つの“才能”には恵まれなかった。 その事実に、能木は悔しさを滲ませる。 才能以外であれば、誰よりも時間と実践をかけてきた自負があったからこそだ。 それが、自分よりも一回り以上小さい背中に追い抜かされる。 才能とは“残酷”であり、“憧れ”だった。 …しばらくの間、傷心した能木は天を仰いだままだった。 だが、目元を抑えていた手が降ろされた時。そこに嫉妬の心は既に無くなっていた。 そこにあるのは探求者の目。 何度も見せつけられた才能の独壇場を、『今度は解析してやる』という決意の目。 秀才でしかなかった能木が初めて天才を直視し、理解しようともがき始めた瞬間だった。 (こんな自分にだって、何か学べることがあるはずだ…!) 先ほどまでの浮ついた上司も、傷心した学生も、ここにはもういない。 小さな背中を一人の天才オペレーターとして認めた能木は、秀才の代表としてその技術を盗み見ようとしていた。 そう、まだ養成校に入りたての向上心溢れた学生だった頃のように… 能木は今までにない真剣な顔で、二人の依頼を見守り始めたのだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●“櫛磐窓《カムイ・プヤラ》” 『神の窓』を意味するオペレーターの仕事道具。見た目は少し近未来的な座椅子であり、オペレーター用に最適化された“窓”が内蔵されている。座椅子近くの人間が発する『使う』という意思を読み取ると起動される。操作はホログラム上をタッチパネルのように使うことができ、座椅子に外部機器を接続することでPCのように扱うことも可能。オペレーターによっては内臓された本体を取り出し、自分のやりやすい椅子に作り変える者も多い。
第四話後編 払暁の兆し
砂埃を舞い上げながら、真衣は心象世界を走り抜ける。 既にアキラから装備の用意はされており、マークされた座標へと移動を開始したのだ。 隙間のない防護メガネに、密閉されたイヤーマフ。 そして、防塵機能なんてありそうもないドクロ柄の布マスク。 真衣は息を吸うたび、鼻を抜ける鉄と油の匂いに辟易としていた。 いや、確かに『防塵』としか言ってはないのだが… (なんでこん……はぁ…) 心の中ですらツッコミを諦める。段々と客観視しそうになる自身の思考を頭から振り払い、無心となることにした。 アキラの座標を元に暑苦しい心象を駆け抜けていると、次第に穴だらけの心象が見え始めた。 穴の空いた心象には薄く工事現場の心象が上塗りされかけており、侵食は思ったよりも広そうだ。 (これは…依頼人の思い出?ずいぶんと荒らされてるわね) 浸食の広さから見て、既に心象の全切除は諦めかけている。 とはいえ、多少なりとも依頼人の意向には答えたいのだが…頭を捻ってはみたものの、結局は無難な方法しか思い浮かぶことはなかった。 「アキラ。手が空いてる時で構わないから、“領域封印”《エリアシール》を作っておいて。とりあえず圧縮式で」 <え〜?起爆式じゃだめ?> 「あんたねぇ…さっきの話ちゃんと聞いてたの?もちろん爆縮式もダメだからね」 ブーブーと豚のように文句を言う愚弟を他所《よそ》に、真衣は思考を回す。 穴だらけの心象を見る限り、執拗に狙われているのは学生時代の心象らしい。 学校、部活、近場の商店街など…それらの思い出が虫食いのように荒らされている。 (この心象を狙う理由が見えてこない…本能による執念…では、無さそうよね) 冷静な分析をする頭の片隅で、真衣は大きなため息をつく。今回も肩が凝りそうな依頼だ。 そうしているうち、徐々に浸食が大きい区画へと入っていった。 「…見えた、人型心象生物を確認した。あれは…何してるのかしら」 数十メートル先には、汚らしい黄色いつなぎを着た作業員のような“モノ”がいた。 ヘルメットを深々と被っており、目元は見えない…が、まるでオークのような牙が口元から突き出し、ねばつく涎を垂れ流している。 体躯は三メートルを優に超えているだろうか。およそ人間とは思えぬ粗野な風貌は、依頼人がそのくらい大きく、トラウマの対象を見ていたということなのだろう。 巨人は体躯に見合った巨大な削岩機を手にしており、その不快な騒音がイヤーマフ越しにも響いていた。 <ん~。見た感じ、心象を浸食してんじゃね?> 「…まさか、あんな物理的な方法で心象を壊してるっていうの?なんだかあんたを見てるようね」 <んな!俺はあんなチマい方法とらねーっての!> 破壊してる自覚はあったのか。と、真衣は呆れかえる。 毎度それに付き合わされ、破壊兵器を持たされる身にもなって欲しい。今度からがつんと言うことにしよう。 軽口を叩きながらも、真衣は先ほど用意されたハンドガンを準備する。銃身、セーフティ、カートリッジを順に確認し、グリップの握りも入念に確かめていく。 距離は既に十メートルほど、ハンドガンでも十分に届く間合いだ。 「さて、お喋りはここまでにしましょ。アキラ、準備はいい?」 <おっけー。サポートは任せてよ!> 「それじゃ…任務開始よ!」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 削岩機の不快な唸りを裂くように銃声が短く爆ぜ、戦闘の幕が上がった。 推進力を得た弾丸は綺麗な風切り音を残し、先駆けの一発として目標へと迫っていく。 それはブレることなく対象の手甲へと吸い込まれていき、甲高い衝突音が心象空間を震わせた。 「ヴォオオオォォォ!」 世界が揺れ動いたかと錯覚される程の怒号。 振り上げられた削岩機はもう一度地面へと叩きつけられ、大きな地震となって足元が揺らされる。 巨人は口元から汚らしい涎を巻き散らし、舐めつくような赤い眼光で“侵入者”を捉えた。 「嘘でしょ!?外殻が硬すぎる!」 巨人の手甲を確認すると、そこには摩擦熱による煙が少し立ち昇るのみ。 傷は見受けられず、損傷を与えられたようには思えない。 まるで、堅牢な鎧を纏っているかのようだった。続く二発、三発目の弾丸も弾かれた音を響かせるのみで、損傷にはまったく繋がらない。 「アキラ!マシンガンに換装!それと徹甲弾も追加、最優先で!」 指示と同時に、ハンドガンは事前に用意されたマシンガンへと変わっていく。 真衣は後方に飛びのきながら、猛進し始めた巨人へと弾幕を展開する。 しかし、通常弾のままでは先ほどまでとさして変わらない。巨人は防御する素振りすらも見せず、熊のように四つ足で疾走する。 時間にしてたったの数秒。だが、その恵まれた体格の巨人は瞬き一つで距離を詰め、十メートルあった真衣の射程をゼロにした。 (思ったより素早い!) 巨人はその場で立ち上がり、野蛮な凶器を振り上げる。 ちっぽけな真衣の身体はその影にすっぽりと覆われてしまう。赤い眼光は直後の愉悦を浸るかのように、不気味に揺らめいていた。 <ねえちゃん!> アキラの短い言葉と共に、目の前で青い電子ノイズが走る。 真衣はそれを迷わず掴み取り、流れるような手つきでカートリッジへと差し込んでいった。 「っんの!離れろ!」 銃火器が再び唸りをあげ、キンッと澄んだ金属音に変わって響き渡る。 その弾丸は巨人の肉を抉るように食い込んでいき それらは一発一発が鮮烈な血飛沫となって、虚ろな世界に赤い花を咲かせた。 「グオオォァァァ!」 強烈な連撃を受けた巨人は、野蛮な咆哮をあげながら大きく仰け反り 顔を庇うように振り上げた凶器を防御へとまわす。 開けた距離はようやく真衣に心の余裕を取り戻させ、流れる冷や汗を拭うことができた。 「早かったわね!助かった!」 <へへっ!こんなもん三秒あれば十分だぜ!> 本当に三秒程度だったことに、真衣は苦笑する。 言葉通りがこれほど心強いとは。 先ほどの掃射には確かな手応えがあった。焦りから一気に徹甲弾を使い切ってしまったが、一連の合間に新しく、予備の徹甲弾が用意されていた。 時間的猶予が貰えた真衣は手早くリロードを行う。 すると仰け反っていた巨人は削岩機を地面へと突きたて、一気に砂塵を起こし始めた。 「何!?煙幕のつもり!?」 砂塵は一気に砂嵐へと変貌し、保護メガネで守られた向こう側は一寸先すらも見えなくなってしまう。 砂塵自体からは、優秀な防具のおかげで影響を感じられないが…結局視界が塞がれてしまった今の状況では、攻めるにも守るにも危険が付き纏う。 真衣は焦りから、小さな舌打ちが出そうになる。 だが、その一瞬の合間にも青いノイズが再び走り始め それはすぐに一本の槍のようなものへと形作られていった。 <ねえちゃん!“情報拠点”《データスタンド》をその場に突き刺して!メガネに情報を接続する!> 「クソッ!ほんっと、自我有は面倒ねっ!」 真衣はその憤まんを発散するかのように、深々と与えられた槍を突き差す。 すると瞬時に槍は機械の駆動音を伴いながら二本のアンテナが開き、クルクルとそれが回りだした。 と同時に、メガネのレンズがサングラスのように薄い黒へと変わっていき…その端で赤い輪郭が動くのを確認した。 <十時の方角!> アキラの言葉に少し遅れ、身体を大きく屈ませながら転がっていく。 すると頭上を巨大な何かが重い風切り音を伴いながら通りすぎ、その風圧に髪の数本が引きちぎられるように舞い上がった。 心胆を凍えさせながらも真衣は転がった勢いを殺さず、地面を二度、三度と滑るように転がり そのまま匍匐で体勢を立て直す。 舞い上がる砂塵の向こう側をレンズ越しに捉え、反動を殺した最小限の動きでその引き金を引いた。 銃火器は唸り、赤い輪郭は咆哮をあげる。先ほどと同じように頭部を庇っており、数歩ずつ下がり始める。 赤い輪郭との距離が開き、小さくなったのを確認してようやく 真衣は止め続けた息を吐き出し、砂に塗れた顔を拭った。 <“情報拠点”が壊されるとまずいよ!少し距離をとって!> アキラの指示を受け、休む間もなく低い姿勢のまま砂嵐を駆ける。 途中何度も無骨な凶器が砂塵から現れるが、アキラの座標指示とメガネの輪郭を頼りに避け続ける。 ふと地面に目をみやれば、点々と大きな血溜まりがあった。それを糧に真衣は気持ちを奮い立たせ、更なる弾幕を砂嵐に浴びせていった。 幾度かの応酬。ダメージを蓄積できている確かな手応えのさなか、唐突に世界を揺らすような巨大な地震が起きる。 「!?今度は何!」 真衣はその場に立っていることすらできず、逸る気持ちを抑えながら地面に手をつく。 ここで乱射したところで、弾を作るアキラの負担が増えるだけだ。冷静な考えを脳の片隅に捉え、揺れが収まるのをじっと耐える。 <あいつが心象に穴を空けてるっぽい!別の心象に逃げようとしてるのかも!> 真衣は舌打ちを抑えることもせず、ぐるっと辺りを見回す。 すると赤い輪郭が削岩機を引き抜き、消えていくように輪郭がなくなるのを目にした。同時に世界を揺らしていた地震も収まっていく。 その方向へ脱兎のごとく駆け出していくと、次第に砂嵐も嘘であったかのように消えてゆく。 まるで術者が消え、その影響を無くしたかのように。 最後に赤い輪郭がいた場所には、大きく罅割れた漆黒の穴が顔を覗かせていた。 「あーんもう!面倒くさい!」 目標が一時いなくなったことによる緊張の緩和。 真衣は緩んだイライラを抑えることもなく、大股で裂け目へ向かおうとする。 すると突如、緊迫したアキラの声が鼓膜を切り裂くように走った。 <ねえちゃん!足元!!> 真衣は反射的に足を止め、顔を庇うように手を交差させる。 次の瞬間 何の変哲もない大地が削岩機の先端によって打ち壊され、地面の中から大地をめくり上げる。 寸でのところで足を止めた真衣は運よく、振り回された削岩機には当たらずに済んだ。 だが捲りあがった大地に巻き込まれ、空中へとその小さな身体は投げ出されてしまう。 這い出た巨人は、空中で回る獲物をその赤い眼光に容赦なく捉える。 そして三倍はあろう巨大な鈍器で、小さな的《まと》を横殴りに叩きつけていった。 「……ッ!」 音の出ない痛音を滲ませた真衣は、辛うじて身体と凶器の間に細い腕を滑りこませる。 その外側には不格好ながらも、急造のスクラップが固まりとして現れ、真衣への衝撃を和らげようとしていた。 …だが、それだけでは足りない。 圧倒的質量を伴った暴力は脆いスクラップを簡単に砕き、細い腕越しに強烈な震波を波及させる。 横薙ぎにされた真衣の身体はそのまま大きく吹き飛び、太い鉄柱へと身体ごと叩きつけられていった。 「ゲホッ!ガホッ!……ヒュゥ」 真衣は天地の方角すらも掴めず、崩れた体勢のまま痛みに支配されていく。 胸に貯めていた空気は一気に失われ、身体が新鮮な空気を求めて浅く鋭い呼吸を促す。 しかし、その程度で失ったものは戻らない。 乱された思考は混沌から抜け出せず、ぼやけた視界はより深淵へと落ちていくかのようだった。 そんな状況でも、敵は待ってくれなどしない。 二呼吸しか猶予を与えなかった巨人は削岩機を掲げ 制御不能な力が真衣目掛けて、慈悲もなく振り下ろされた。 ドガンッという鉄柱すらも貫く轟音。そして続く静寂… 砂塵と静寂で埋もれたその場所に、もはや生命など一切生きる余地はないように見えた。 だが、その砂塵の空気は一匹の動物らしき影によって、機械音と共に切り裂かれた。 <ごめんねえちゃん!俺のアラートミスだ!> それは機械仕掛けの犬だった。背中にはボロボロの真衣を括り付けており、なんとか滅命の跡地から生還していた。 イヤーマフは無惨に壊れ、保護メガネは砕け散り、マスクも既に破けていたが…それでも真衣は生き残っていた。 「ック…あ、アキラのせいじゃない。私が油断した」 血を吐き出しながらも真衣は鋭い眼光を宿す。 全身が焼けるように軋み、呼吸の度に肋骨の奥が悲鳴を上げていたが それは未だ、戦う者の目をしていた。 痛みが全身を貫きながらも、意志だけは折れなかった。 真衣は鉛のように重い腕を無理やりに持ち上げ、ポンポンと優しく犬の頭を叩く。 その意図を理解したアキラは、器用にドリフトを掛けながら機械仕掛けの犬を停止させ、真衣をゆっくりと背中から降ろした。 <ねえちゃん…ヤバかったらちゃんと“強制遮断”してよ?> 犬は青いノイズに包まれて消えていった。 聞いたこともない心配そうなアキラの声に、自分がどれだけ窮地だったのかを思い知らされる。 (アキラに心配、かけちゃったか) まったく、恥さらしもいいところだな。と、真衣はそれを自嘲気味に笑い捨てる。 (アキラのあんな声、初めて聴いたかもな…) 先ほどのアキラの声が脳裏によぎる。締め付けられるような胸の痛み。それを紛らわせるように真衣は浅く空気を拾い、一度深く瞬きをする。 すると突然、世界が今までとは違って見え始めた。 頭に昇った血が抜けたのか、真衣の思考はあり得ない程冴え渡る。 敵の動き、データ、座標…そして、“感情” それらの情報がまるで手にとるかのように、今の真衣には理解できた。 (…アキラ) アキラの感情が流れ込んでくる。 それは年齢に相応しいほど仄かで、小さく、魂に刻まれた素朴な願い。 知っていた。いや、知らなかったはずだった。 だが、今それは真衣の魂にも届き、感情が同化してゆく。 いいように心象生物から弄ばれ、余裕をなくし 挙句、アキラにまた“あの時”と同じ寂しさを背負わせかけてしまった。 頭から流れる血をそのままに、真衣は中空を見つめていた。その胸中を埋め尽くすのは怒りか、それとも後悔か。 (いや、違う…そんなんじゃないだろ) …心臓が一拍、大きな脈動を打つ。 真衣の内懐《ないかい》で、感情と共に何かが噛み合いをみせた。 「アキラ」 静かな、澄んだ音色だった。 その声と共に、空間には一つの青いノイズが走りだす。 姿を現したのは可変式の大鎌。まるでこれから真衣が何をしようとしているのか、理解したかのようなタイミングで顕現する。 だが、真衣はそれに対して疑問を抱くことはない。余計な思考が浮かばない程、今の真衣は凪いでいた。 「グォオオオォォ!!」 巨人は離れた位置に現れた敵を視認し、咆哮を上げながらドタバタと走り出す。 真衣は急速に迫りくる巨人に一切臆することなく、ゆっくりとした動きで鎌を手にし、大きく振り回した。 空気を切り裂く音は騒音の中にあっても美しく、綺麗だった。 そのまま低い姿勢へと腰を落とし、足元から一気に爆発させる。 これまでとは比べ物にならない程の疾走。地面が砕け散る音を置き去りにしながら、一気に巨人との距離を詰め寄せていく。 巨人は近づいた敵に向け、粗野な鈍器を先ほどのように振り降ろす。しかし、それを極限の動作で小さく避けると、手にした鎌をその体重が乗った軸足へと掛ける。 「ッシ!」 浅く息を裂き、眼光を跡に残す勢いで一気に引き倒す。するとその巨体は簡単にバランスを失い、大きな音を立てながらものの見事に転倒した。 転びながらも巨人は駄々をこねるように削岩機を振り回し、最低限の抵抗をする。 だがその時には既に、真衣は巨人の頭上へと跳躍しており 青いノイズが手の中で形を変えていた。 それはグレネードマシンガン。爆発性の榴弾が連装された銃の引き金を引き、上空から絨毯爆撃の如く榴弾の雨を降らせた。 「グォ…ガアァァァァ!!」 苦痛に塗れただみ声と爆音が空間を埋め尽くしていく。転ぶことで面積の広がった身体は絨毯爆撃を効率よく受け止めてしまい、立て直す暇すらも与えられない。 だが、巨人は身をよじり、転倒した体勢のまま削岩機を地面に突きたてる。それは奇跡的に砂塵を引き起こし、身を隠すことに成功した。 「グガッガガァ」 巨人はこれで反撃が出来ると考え、下卑た笑い声をあげる。その認識は、間違っていないはずだった。 保護メガネを失った今の真衣に、砂塵に埋もれたその姿を捉える術はない…確かに、そのはずだったのだ。 だが、真衣の瞳にはまるでくっきりと赤い輪郭を映しているかのように、砂塵の目標を捉え続けていた。 射撃を止めた真衣は空中で一度、舞踊のようにふわりと身を翻す。 そして重力に従って落ち始めた身体のままに、右腕を砂塵へと一閃した。 その手に、グレネードマシンガンは既になかった。 青い残光を宿した一振りの刀が、砂塵の中で幻想的な揺らめきを見せていた。 「…任務、完了」 砂塵が風に舞い、両者の間を駆け抜けてゆく。 戦闘が再開されて、わずか数十秒の出来事だった。立ち上がった真衣の隣では、心象生物が消滅した時に出来る黒いノイズが走っていた。 真衣は手にした刀を振り、血糊を払う。 黒いノイズは砂塵に埋もれ、青いノイズと共にあっけなく、空中へと溶けていった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●“|領域封印《エリアシール》” 脳裏世界における、ある特定範囲を封印する大規模なプログラミング。やり方によって圧縮式・起爆式・爆縮式などがある。封印を行う範囲によって作業強度は異なるが、対象の心象ごとに毎度オーダーメイドで作る必要があるため、膨大な演算量が必要となる。とはいえ“領域封印”は心象に潜る際必要となることが多いため、オペレーターにとっては特別でもない必修事項の一つ。“領域封印”された記憶野は心象本人にとって靄がかかったような状態となり、トラウマを大きく軽減させることができる反面、悪意を持って使えば人格を崩壊させる危険性も兼ね備えている。 ●心象切除 心象切除は“領域封印”と同じような効果が期待でき、オペレーターの複雑な演算も必要とせず脳裏清掃員が主導で進めることができる処置方法。心象切除は完全にトラウマを切り離して再発を防止することができる反面、関連する記憶野に齟齬が生じる場合も多く、人格形成に多大なダメージを落とす可能性も大きい。オペレーターがいる場合は緊急でもない限り、この手段をとることは極めて少ない。心象生物の切除・排除はこれと異なり、心の自衛として切り離された存在を切除するだけなので人格に及ぼす影響は皆無。 ●“|情報拠点《データスタンド》” 脳裏世界の情報をより正確に、素早く取得するための装置。“情報拠点”が無くともオペレーターが座標や各種情報を取得することは可能だが、意図的に隠された情報を取得したり、ノイズを取捨選択する場合は“情報拠点”が必要となる。脳裏清掃員に情報の同期を行う場合も“情報拠点”が必要となり、同期遅延が起きることもない。事前調査や偵察任務、危険度策定を行う際によく使われる。
第四話前編 任務と責務
雑多に散らばった工事道具と、鉄サビや油の匂いが充満する世界。 混濁した意識はぼんやりと視界を霞ませ 覚めきらぬ頭のまま軽く息を吐くことで、気持ちを入れ直す。 <ねえちゃん、聞こえる?> 「うん。接続は良好」 真衣は返答しながら少し身体を動かし、準備運動を行う。 真夏のような熱気と鉄サビの匂いが肌に貼りつき、少しだけ不快感を覚えるが身体に異常はなさそうだ。 そのまま身体を動かしているとアキラに代わり、能木が通信へと入ってきた。 <真衣ちゃん。一応確認だけど、今回の依頼内容は前職PTSD関連の心象切除だからね> 「了解です。前職は工事現場作業員でしたっけ?」 <そうだね。職場が結構なブラックでさ、上司からのいびりもエグかったみたい> ということは恐らく、出てくる心象生物は“人型”の確率が一番高いだろうか。 他の可能性としては道具型、官能型、フィールド型もあり得そうだ。厄介な概念具象型だけは勘弁願いたい。 <検診の結果はうつ病中等症で、睡眠時間も伸びてる。現状は五段階評価中のレベルⅡだね> 精神負荷が長く続くと、心は防衛のため、それを形にして吐き出そうとする。 吐き出された最初の“影”は、生まれたばかりで小さくおとなしい。 だが怒りや憎しみを喰らっていくうちに、“影”は次第に自分の輪郭を覚え、心を象りはじめる。 <それと、依頼人の記憶野には軽微な欠落が見られたらしいよ> 力を得た心象生物は、他の心象を浸食しながら増殖し始める。 その過程で記憶は食われていき、人格の断片に空白を置いていく。 そうして脳は修復を求めるようになり、より深い眠りへと沈んでいってしまう。 まるで、永久の眠りを唯一の安息とするかのように… 「典型的な脳裏症の初期症状ですね」 <うん。ただ記憶野の欠落がまばらじゃなくてね。ある特定の部分に集中してるみたいなんだ> 「それは…ちょっと厄介ですね」 嫌な予感がする。 普通、心象生物によって食われた記憶の欠落は、点々と散らばるように現れる。 そこに意志はない。ただ本能のまま、目に映る心象を無差別に喰らっていく。 だが、今回は違うようだ。 特定の記憶野だけを執拗に蝕む。それはつまり、本能的な執念がそこにあるか、自由意志…自我を獲得した可能性がある。 <その場所は既にマークしてあるよ。ねえちゃんの準備がよければ、すぐ案内できる> アキラの言葉に、真衣はしばらく思い悩む。自由意志があるとないとでは、天と地ほども対処難易度が変わってしまう。 安心を求めるかのように、“強制遮断”のポートへと、指が自然と動いていた。 真衣はその軟弱な気持ちを握りこぶしで押しとどめ、呼吸をひとつ整える。 「能木さん。私は工事現場の仕事には疎いんですが、どんなことが予想できますか?」 <う~ん…僕もそれ程詳しいってわけじゃないんだけど…まぁ月並みで考えると砂埃や騒音とか?ブラックな職場を考慮すると、劣悪な環境なのは間違いないと思うんだよね> 「なるほど…アキラ、防塵マスクと保護メガネを出しといてもらえる?それと防音用のイヤーマフも」 アキラは「りょ〜かい」という間延びした言葉を返す。少しはこの緊張を押し付けたいものだ。 何もせず待っているのも癪なので、真衣は先ほど少し気になったことを再確認する。 「能木さん。依頼は心象生物の切除でいいんですよね?」 <いや、真衣ちゃん。さっきの言葉は間違いじゃないよ。依頼は前職PTSD関連の全切除になる> 真衣の表情が一気に曇る。 残業が追加されたような億劫さのせいでもあるが、それ以上に… 「能木さん。お言葉ですが、心象侵食の影響がどれだけ広がってるか不明なまま、それは許容出来ません。人格への影響が未知数です」 押し殺した感情が、硬質な声となって響く。 そう、下手な切除は人を廃人にしかねない。 脳裏清掃員は合意のもとで、相手の記憶と人格を握っているようなものだ。 そこには重い責任が伴い、軽率な判断は許されない。 真衣は強張った感情のまま、返答を待つ。 すると、通信ノイズの向こう側から小さく、安堵の息が漏れた気がした。 <うん。さすがだね、真衣ちゃん。だからこそ、僕から追加のオーダーをさせて貰うよ。行動班は作戦中、継続して心象を調査。適宜目標を修正し、心象を可能な限り切除、あるいは封印に移行せよ> 真衣の胸が、じわりと熱を帯びていく。 今までに聞いたことがなかったであろう、脳裏対策局エリートとしての能木の声。 まだ堂島のような厚みには達していない。だがそれでも、十分にその声は真衣の心を奮い立たせた。 「了解!」 気迫へと応えるように、真衣も短く、気を乗せた声を返す。 続く言葉に少しばかりの期待を寄せていた真衣 だが次の瞬間、期待してしまったことを後悔した。 <それじゃ、僕は後ろから見てるだけにするから。後は二人とも、頼んだよぉ〜> 先ほどまでの出来る上司はどこへやら…そこにはいつも通りの能木がいた。 あまりの落差に、真衣は小さな笑いと共に肩から脱力してしまう。 だが、その笑いは張り詰めた心をちょうどいい温度へと戻していった。 まるで、戦闘前の呼吸を合わせ直すかのように。 (まったく、ちょっとかっこいいとか思ったのに) それに気付かぬ真衣は、『今の気持ち返せよ』と、心愚痴るのだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●|心象侵食《しんしょうしんしょく》 心象生物によって他の正常な心象が壊され、上塗りされていく現象。本人の心理的負担を糧として加速度的に浸食は強まり、同時に異常を検知した脳は自己免疫機能として深い睡眠を求めるようになる。そのため、睡眠評価レベルと心象浸食の度合いには強い関連性がある。
第三話 ローカルネットワーク ~個人心象~
「ったくよぉ〜。ねえちゃんもなんでわざわざ受けちゃったんだよ〜」 真衣の前には頭の後ろで手を組み、不満げにぼやくアキラが歩いていた。 その隣には悪い意味で、年齢差をまったく感じさせないお兄様。 腕組みしながら頭をブンブンとヘドバンさせ続ける能木の姿があった。 「せっかく堂島さんが頼ってくれたんじゃない。日頃のお礼くらい、こういう時にしないと」 実際、真衣たちの事務所は脳裏対策局の依頼で成り立っているといっても過言ではない。 その事実に反論の余地も、また無い。アキラはツンッと口を尖らせ、せめてもの言葉なき反論を態度に示していた。 だが、次第に不満冷めやらぬ気持ちが湧き出してきたのだろう。ぐちぐちと言葉に表れ始めた。 「はぁ〜ぁ。せっかく今日はオフで買い物の予定だったのにさ」 「あら、それならわたしはオペレーターが能木さんでも構わないけど?」 何故かアキラに睨まれる。そしてそのままフンッと言いながら前に向き直ってしまった。 「あっははぁ…せっかくのお誘いで申し訳ないんだけど、僕の方は勘弁してほしいかな?また堂島さんにどやされたくないし」 「あ、それは!その…すみませんでした…」 真衣は以前の失態を思い出し、顔を赤らめながら謝罪する。 アキラが定期健診でいない間、能木がオペレーターとして真衣のサポートに入っていた時期があった。 その時も、真衣はいつも通りの仕事をしていたのだが…能木は真衣の指示スピードに付いていけなかったのだ。 結果、依頼中に割と危ない場面が多々起きてしまい、能木は堂島に折檻される。という悲しい過去が作られてしまったのである。 「それで謝られるのも、なんか悲しいんだよね…いやほんと…」 肩をガクッと落とした能木はどんよりとした負のオーラを纏い始め、まるでそこだけが雨に降られているかのようだった。 そんなやり取りをどう見たのか、アキラは不貞腐れたように会話へと割り込んできた。 「フンッ!こんななよなよしたにいちゃんに任せられっかよ。しょうがねーから、俺がやるし」 口をへの字に曲げたアキラは、さも不本意極まるとでも言いたげに捨て台詞を吐いていく。 それを受けた能木はより一層しょんぼりしてしまい、もはや豪雨に浚われた枝木でしかなかった。 (まったく、面倒な弟なんだから) 真衣は心の内ではやれやれと思いながらも、少しだけ、口元に弧を描くのだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 脳裏対策局の社用車に乗り込んだ真衣は、そのまま依頼のすり合わせをすることにした。もちろん、運転は能木である。 「今回の依頼はどんなものになるんですか?」 「あぁそうだね。分かってるとは思うけど、今回の依頼は“個人心象”。つまり、ローカルネットワークだ。」 脳裏清掃員の仕事は大きく分けて、パブリックネットワーク《世界心象》とローカルネットワーク《個人心象》に分けられる。 「君たちに改めて説明するのもなんだけど…ローカルは個人の部屋。パブリックはその部屋が集まったマンションみたいなもんだね」 パブリックネットワークでの仕事は政府が全て管理しており、その複雑な世界構成ゆえに、危険度もイレギュラー率も高い。 更には専用の“窓枠”を通して肉体ごと脳裏世界に投影されるため、脱出にも時間と手間がかかってしまう。 対してローカルネットワークは個人依頼なので、政府や各脳裏事務所などが広く受け持っている。 侵入は精神のみで行える。“窓”が接続された脳波同期ギアを、依頼対象と自分が同時に装着するだけで投影可能だ。 「ま、今回の依頼対象は“休眠”にも入っていないし、精神診断上も割と安定してるから安心しなよ」 ローカルネットワークは依頼対象固有の脳裏世界。いわば、本人の精神そのものだ。 心象が本人の意識だけで形づくられ、危険度の予測もある程度できるためイレギュラーは起きづらい。 また脱出には“強制遮断”も使えるため、最低限の安全も保障されている。 「とはいえ、“休眠”かつ“蒸発”間近のローカルだったら、パブリックにも負けず劣らずな危険性にはなっちゃうけどねぇ…そうなったら怖いもんさ」 能木の言葉に、真衣はわずかに表情を曇らせる。以前失敗した依頼が、ふと脳裏をよぎったのだ。 「依頼の詳細は…アキラ君。悪いけど依頼リストを真衣ちゃんに渡してもらえる?青いバインダーのやつ」 能木が後部座席に座っていたアキラへと声を掛ける。 アキラは隣に散らかっていた書類の山から一つを抜き出し、手渡してくれた。 「ほい」 「ありがと」 「えーっと、今回の依頼内容は…たしか結構下の方だったかな?」 能木の言葉に従い、ページをペラペラと捲っていくと目的の人物を探し当てる。 「睡眠評価レベルⅡ、前職PTSD有、うつ病中等症、心象切除依頼…へぇ?これ自己依頼なんですね」 「そ、珍しいでしょ?精神病は大抵、周りが気づいてようやく自覚するようなものだからね」 とはいえ、『平均睡眠時間の増加』によって、以前より精神病の自己発見率は向上しているらしい。 ただ、それを“自覚”していても、“自認”しないことは往々にしてあるものだ。 そうして知らず内、“蒸発”する人々は絶えない。 「しかし、自己申告で心象切除依頼ですか…依頼人は記憶が封印されることも承知の上なんですか?」 「そうみたいだね。うちで何度か検診してるし、そこに問題はないはずだよ」 と、いうことは…本人が自認するレベルで取り除きたい記憶。 依頼人の逆鱗ともいえる心象を刺激することになるわけで…苛烈な反撃がいとも容易く、想像できてしまう。 真衣は、これから待ち受ける厄介事に思いを馳せ 仕事終わりの中年のような疲れたため息を、深々とこぼした。 「っはは。真衣ちゃんでもそんな風になること、あるんだねぇ」 「能木さん…私のこと、戦闘狂かなんかだと思ってます?」 冗談のつもりで言った真衣だったが、どうも焦る能木を見る限り、図星だったらしい。 何故そんな印象がついてしまったのだろうか。 全く思い当たる節のない真衣は、その無礼な男に蟲を見るような視線を送るしかなかった。 「にいちゃんとねえちゃんって、一緒に仕事したことあったんだ?」 間が良いのか、悪いのか。自由奔放な我が家の幼獣は、少しばかり険悪になりそうだった空気を霧散させていく。 その変化を機微に察知した能木は、磨き抜かれた逃げの手腕でもって、話題に相乗りしていった。 「そ~なんだよ!アキラ君が定期健診でいなかった時期に一度だけ、一緒したことがあったんだ」 「ふ~ん。にいちゃんがオペレーターやってんの、なんかイメージつかないなぁ」 「うぐっ…あっははアキラ君?これでも僕はね。全国の超エリートが集まるオペレーター養成校で、二番目の成績優秀者だったんだからね?」 「えぇ~?うっそだぁ~」 アキラと能木の会話がはずむ中、真衣は次第に思考の海へと潜っていった。 今回の依頼、必要な情報、意外な能木の成績、博士と堂島は今何をしているのか。 様々な思考が雑多に流れていく中。一つだけ、引っかかりを覚えたものがあった。 (そういえば…アキラの“定期健診”って何してんだろ?) アキラと博士は、大体二ヵ月に一度のペースで三日間に渡る定期健診をしている。それは、アキラが事務所に来た五年前から続いていることだ。 初めからそうであったため、今まで特に気にしたことはなかったのだが…改めて考えると、何か身体が悪いといったことでは無さそうだ。 (持病?博士は孤児院で拾ったって言ってたっけ) 五年前。政府の依頼でパブリックネットワークに潜っていたはずの博士は、帰ってくると一人の男の子を連れていた。 「孤児院から引き取った」という博士の声が無機質に響いていたことを、真衣は今でも印象に残っている。 (アキラも、最初は話さなかったなぁ) アキラが事務所に来てしばらくは、全く喋らない子だった。 それはまるで自我が薄いかのようで、年齢に対して精神が発達していないかのように思えた。 それが今では、このうるささに生意気さだ。まったく、少しは昔を習って節度を学んで欲しいものだ。 (あれ、そういえばアキラって今何歳だっけ?それに…) 「さて、到着っと~。まずは依頼人兼依頼対象に挨拶しにいこうか。一応二人だけだと年齢で不安がられるかもしれないし、僕が上司で立ち会うっていう形にするね」 「え~。にいちゃんなんもしねーのに威張んのかよ~」 「アキラ君~?大人になると、こういう体裁ってのは大事なんだよ?決して、僕が良い顔したいとか。そんなことは一切、無いからね!」 鼻の下を伸ばしきった能木の姿に、先ほどまでの思考もどこかへと吹き飛ぶ。 代わりにジトッと、その緩み切った顔に視線を送る。 すると能木は手で顔を洗い始め、無駄にシャキッとした“仕事出来るマン”な顔を作り上げた。中身を知っているこちらからすれば、正直とてもウザい。 その勇み足は我先と車を降り、胸を張ったズンズン足で依頼人宅へと向かう。あれの後ろに付いていくのはすごく…そう、すごく躊躇われる。 真衣が思い悩んでいると、そんな能木へ付いていくように、アキラは車を降りた。こういった時、あの愚弟も頼りになるものだ。 アキラの姿を車窓越しに眺めていると、ふと、先ほどの思考がふわふわと舞い降り始める。 だが、その思考は明確な形となる前に、アキラから声がかかった。 「なぁ~ねえちゃん何してんの?はやくいこうぜ~」 車越しに聞こえるそんないつもの声に、思考はまたも散り散りになる。 焦れたアキラは段々と身振り手振りでこちらを呼びかけ始め、今ではもう全身を使うかの勢いになっていた。 (…ま、どうでもいっか) そんなバカらしいいつもの日常を前に、真衣の思考も次第に放棄されていく。 真衣は車から降り、外の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。 これから始まる厄介な仕事を前に、真衣は緩んだ気持ちを引き締め直すのであった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●オペレーター 脳裏清掃員に脳裏世界の情報や指示を送る外部のサポーター。脳裏世界には入らず、脳裏清掃員とは違って危険なことが滅多に起こらない。“|櫛磐窓《カムイプヤラ》”と呼ばれる機械を用いて脳裏世界に干渉している。脳裏清掃員の中にはオペレーターを伴わず脳裏世界に潜る者もいるが、その危険度は各段に増してしまうため、オペレーターの重要性は広く認知されている。 ●“|強制遮断《シャットアウト》” 脳裏清掃員が危険と判断した時に利用する緊急脱出ポート。精神だけで潜る個人心象においてのみ使用できる。 ●|ローカルネットワーク《個人心象》 個人に“窓”を通して覗き込むと見る事のできる心象の総称。脳裏清掃員はこれに干渉するため、“窓”が接続された脳波同期ギアを用いる。個人の心象なため、その世界構成全てが対象の認識に依存している。あらゆる事象が起き得る半面、その影響範囲は心象本人の認識が限界なため、事前診断や半生から事象の予測をすることが可能。ローカルネットワークにおける心象生物は『睡眠評価レベル』と『自我の有無』によって危険度を策定する。 ●|パブリックネットワーク《世界心象》 個人心象が寄り集まり、世界を象るに至った概念的心象。個人心象とは異なり、“窓枠”を用いて肉体ごと世界へ投影を行う。個人心象が寄り集まってできた概念的心象なため、その世界構成は現実世界とほぼ遜色がなく、個人心象のような天変地異が起きることはほとんどない。安定した世界である反面、事前診断を行うことは不可能なため、あらゆる事象に対応できる実力が求められる。パブリックネットワークにおける心象生物・脳裏心象体の危険度には個人心象とは別の評価基準が用いられる ●“窓枠” 3m程の高さと二人分程の幅を持つ、大きな窓枠のようなオブジェ。枠の内部にはガラスが割れたような空間の裂け目があり、安定した世界心象への入口として使われている。”窓枠”は国によって管理されてはいるが、十五年前より”窓枠”と似た性能を持つ不安定な空間の裂け目も世界各地で確認されており、期間も場所も把握できないそれらは脳裏世界における犯罪が横行する現場ともなってしまっている。 ●睡眠評価レベル 休眠へと至る原因が脳裏世界による影響と解明され、脳裏症として症例が認められたことで導入された診査基準。現在はⅠ~Ⅴの五段階で評価されている。睡眠評価レベルは心象内での危険度にも直結するため、脳裏清掃員にとってはとても重要な指標の一つ。 ●オペレーター養成校 脳裏対策局が運営する養成校の内、オペレーターの養成を目的とした学校。15歳以上であれば入学試験を受けることができ、最大で六年間通うことができる。卒業後は脳裏対策局職員として勤めるか、個人としての独立を選ぶことができる。学年などは無いが入学試験自体が極めて難関である上、在学中の試験でも規定点以上を取ることが困難であり、在学中に卒業できない者も多い。自分磨きのため、あえて卒業資格を得た後も在学し続ける者もいるが非常に稀。その難関さ故、20歳以上まで下積みしてようやく入学となる者が多い。
第二話 脳裏対策局
夜露が小鳥のさえずりに消入る曙光の朝。 事務所での朝食は、少しの喧騒と共に始まる。 「ねえちゃん今日ってなんか仕事あったっけ?」 「ん、今日はフリーね。久しぶりに買い物にでも行こっか?」 「お、いいじゃん!へへっ。今日はちょうど週刊の発売日だし、ちょっと本屋にもよっていい?あ、じいちゃん醤油とって~」 「いいのぉ二人とも…儂も今日くらい気分転換に……」 「博士は書類整理があるからダメです。というか、それ。昨日までの処理案件じゃなかったです?」 「あははっ。じいちゃん、昨日夕方にうたた寝してて遅れてやんの~。ってじいちゃん!これ塩じゃん。醤油取ってって言ったのに」 「なぬ。ベーコンエッグには塩一択じゃろ!アキラ貴様邪道に走りおったな!?」 「いや醤油が一番だし~!じいちゃんの方こそ塩なんておかしいじゃん」 「はぁ…博士、午前中にはその書類。済ませておいてくださいよね。それと、ベーコンエッグにはウスターソースですから」 真衣が目覚めてから数週間。 何気ない日常を取り戻した三名は、それそれが意味のない主張を掲げ、いがみ合う。 うち若干二名は行儀悪く、身を乗り出しながら言い争いを繰り広げていた。 それを冷めた目で「我関せず」と面《おもて》には表しながらも、“不毛な主張”だけはしっかりと置いて行く真衣。 自分では気づいていないようだが…彼女にもまた、夏炉冬扇を是とする気は引き継がれているのであった。 そんなもたつく喧騒が染み渡った空間に、珍しく来客を知らせる鐘が鳴り響く。 「おや。この時間に来客とは珍しいね」 「そうですね…私が見に行ってみます」 「頼んだよ~」という博士の言葉を背に、真衣は少し身なりを整えながら玄関へと向かうことにした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 玄関には築四十年を誇る、遮光版が入った手押し式の木製ドア。 朝の光が漏れ込むドアに手をかけ、真衣は『面倒ごとだったらやだな』と小さく思いながら開け放った。 朝の晴れやかな日差しに、真衣は少しばかり目を細める。 そこに立っていたのは、グレーのワイシャツを腕まくりし、同系色のスラックスを穿いた中年の男。 黒髪には白が混じり始め、無精ひげと精悍な眼差しも相まって、どこかくたびれたような強さを纏わせていた。 そんな苦労を感じさせる苦笑いに、真衣はぱっと目を見開く。 「堂島さん!」 「おう、嬢ちゃん。朝早くからすまんな」 玄関から流れる朝の風は心地よく、まるでその男が纏う包容力を体現するかのようだった。 精悍な中年の名は堂島幸雄《どうじまゆきお》。政府直轄の脳裏対策局行動部職員で、真衣や博士とは付き合いの長い取引相手の一人だ。 「いえいえ、お気になさらず。それより今日はお一人ですか?」 「いや、能木《あたぎ》のヤツも一緒に来てんだが…書類を車から持ってくるのに手間取ってるみたいでな。あいつの鈍くささには困ったもんだ」 「まぁそれも能木さんらしいっちゃらしいですけどね」 真衣は眦を弧の形に歪め、少しばかり苦笑する。 すると、堂島も片眉と口角をわずかに上げ『どうしようもねぇよな』とでも言いたげなため息を乗せていった。 「そういえば…老師《せんせい》はいらっしゃるか?」 「えぇ、朝食中でしたから。…やっぱり面倒ごとですか?」 「あぁ。少し、な…」 堂島は目元に少し皺を寄せると、疲労が滲んだ表情を浮かべた。 その事情を、真衣は知ることができない。ただ堂島を見つめることしかできず、両者の間には静かな帳が落ちる。 …数瞬にも満たない会話の途切れ。 しかし、着実な重苦しさを纏いつつあった空気は、予定していなかった闖入者によって破られることになる。 「おや、堂島君じゃないか」 振り返ると、ベーコンエッグの皿と箸を両手にした博士が、リビングのドアから顔を覗かせていた。 重苦しい空気など察することもせず 場違いなキョトンとした間の抜けた表情によって、沈殿した空気は流れを取り戻す。 「老師。ご無沙汰しております」 堂島はそんな威厳の欠片もないような博士に向かい、礼儀正しい一礼と丁寧すぎるほどの言葉を送る。 見た目仕事人な堂島が、見た目ダメ人間な博士に拝謁する。 いつも通りの一幕ではあるのだが…いつまで経っても慣れることのない、そのちぐはぐな関係を前に 真衣は少しばかり、幻想に泥を塗ってやりたい気持ちへと駆られた。 「博士、せめて食器は置いてから来てください。行儀悪いですよ」 それを聞いた張り子の虎は「おっと…」と言いながら、皿を後ろ手に隠し、アホを丸出しにする。 真衣はそんないつも通りの博士に、呆れたため息によって自分の意見を添えてみせる。堂島に“共感”という名の免罪符をちらつかせるかのように。 だが、その努力も虚しく終わる。隣では、表情に微塵の陰りも見せぬまま、変わらぬ礼儀を弁えた堂島がいた。 (やっぱりか。堂島さんはなんでこんな人を慕ってるんだろ…) 何度目ともなる疑問を浮かべた真衣 だが、結局その答えは見出せず、またも首を傾げることになるのであった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「お、堂島さんじゃん。今日はどったの?」 「おう坊主。生意気な口調は直ってねぇようだな。ちゃんと老師の言うことは聞いてんのかぁ?」 堂島はそう言いながら、アキラの頭をガシガシと乱暴に撫で始めた。 アキラは「ちょ、やめろよぉ!」と嫌がり、その太い腕を両手でなんとか抑えようとしていたが…失敗していた。 ひとしきり可愛がり、満足した堂島は屈託のない笑みを一瞬浮かべ…すぐに真面目な顔を博士に向け直す。 「のちほど能木が詳細な資料を持ってきますが…先に少し現状を整理しておきましょう」 「うむ、分かった。書斎で話しは聞くとしよう。真衣、能木君が来たら書斎に案内してやってくれ」 「にいちゃんも来てんのか!?」 アキラが少しばかり嬉しそうに、声を張り上げた。 堂島が昇進した五年前より、能木と堂島はバディを組み始めている。 丁度その時期は、アキラがこの事務所に来た少し後だったこともあり。能木は「にいちゃん」と呼ばれるくらいに深く慕われていた。 …まぁ、その半分以上が世間話《機密漏洩》の良い相手だから。という理由であることはさておき… その関係性を少々勘違いしている堂島は、アキラの頭を先ほどとは違って優しくポンポンと叩き、リビング奥にある博士の書斎へと入っていった。 「なんか、面倒ごと?」 「みたいね。今日は能木さんも、仕事にかかり切りかもよ?」 「えぇ~!マジかよぉ…やだやだにいちゃんと遊びたい~!」 明らかに不満げな顔をしながらブー垂れるアキラは、堂島を説得する口実を考え始めたようだった。 今回の依頼内容を知る唯一の方法でもあるので、真衣はあえて、そのことに関して何も口出しをしない。 ただ都合よく、策士の駄々が通ることを願うばかりである。 そんな捕食者どもに狙われているとは露知らず 獲物が虎穴にエントリーした扉の音はまもなく、玄関の方から聞こえてきた。 「はぁ…はぁ…あれ?堂島さんがいない?真衣ちゃんにアキラ君。堂島さん来なかった?」 リビングには、息も絶え絶えとさせながら分厚いバインダーを持ち、膝に片手をついた青年が姿を現した。 肉付きの少ない線の細い身体と、少しのくせ毛。 幸薄そうで平凡な顔に、白ワイシャツと紺のジャケット姿がある意味でフィットしている彼こそ 堂島のバディ、能木光昭《あたぎみつあき》である。 「にいちゃん。今日も無駄にバタバタしてんなー」 「あっはは。社用車の中に書類ぶちまけちゃってね…ってそうじゃなかった!堂島さんは来なかった?」 「今、博士の書斎で情報交換されてますよ。能木さんを待てなかったみたいで」 真衣がそうつつくと、能木は「ヤッベ!」という若者らしい焦り声と共に、ドタバタと書斎へ駆け込んだ。 「すみません堂島さん!遅れました!」 「能木、遅かったな。資料はそこんテーブルにでも置いてくれ」 扉越しには、二人が向かい合ったソファーに座っていた。 何やら、難しそうな文字が羅列された資料を広げており それらは所々、記号や単語によるメモもされているようだ。 そんな堅苦しそうだった空気に『能木』という清涼剤が混じる。それを機だと見抜いたのか、待ち構えていた我が家の幼獣はひょっこり顔を出しに行った。 「なぁなぁ〜堂島さん。にいちゃん借りてってもいい?」 「あはは…アキラ君、流石に今日は僕も仕事だからね?」 「えー!んだよせっかく遊べると思ったのに〜。なぁなぁ堂島さんいいだろ〜?どうせにいちゃん居たってあんま変わんねーんだしさぁ」 「むぅ…」 アキラがそこそこひどいことを口にしても、堂島はうなり声と共に考え込むだけだった。 その肯定でも、否定でもない態度に他意はない しかしその沈黙は雄弁に、堂島の能木に対する“扱い”として現れてしまっていた。 『失礼は上司が戒めてくれるだろう』と信じていた能木は、その非常に残念な結果を受け、人知れず涙を呑むのであった。 「いや、そうだな…能木、今日は坊主達と外回りでもして来い」 「え?よろしいのですか?」 言葉とは裏腹に、能木の顔には隠しきれない喜色が見えだす。 現金なもので、面倒な仕事から一時解放されると思ったのだろう。先ほど涙を呑んだ感情などさっぱり忘れる能木であった。 「あぁ。社用車ん中に、まだ未処理の個人依頼リストがあっただろ。お前であれば間違いも起きん。今日は坊主達とあれの処理でもしてこい」 能木は一気に萎れた。 「堂島君…真衣への依頼は私を通してもらわないと。事前調査もせずに任せることなんてできない」 能木は博士の反論に追従し、ライブ観客の如く猛烈なヘドバンでもって、その小さな意見を主張する。 「老師…前にもご相談したではありませんか。この業界は万年人材不足。彼女らのような有望な人材を遊ばせておくわけにはいきません」 「しかしだね…」 二人が意見をぶつかり合わせている間、能木はまるで百面相な芸人かのように、表情がころころと切り替わってゆく。 それを少し面白がって眺めていた真衣も、『流石に結論を出させるか』と考え その終わりなき争いへと口を挟むことにした。 「堂島さん。その依頼、やらせてください」 その言葉に、全員の視線が真衣へと集中する。 二人ほど『信じられない』といった様子でオーバーな表情で固まったヤツらがいるが、気にする必要もないだろう。 真衣の主張を後押しするかのように、堂島も許容できる落としどころに着手する。 「老師。任せるリストは、まだ“休眠”にも入っていないものに限らせます。ですから少し、信じてやってはいかがですか?」 博士は複雑そうな表情をしながら瞼を閉じ、少しばかりの間考え込んでいた。 やがて細く瞳を開くと、絞り出すように「分かった」と小さく呟く。 それを受けてようやく、真衣と堂島は揃って肩を降ろすのだった。 若干二名、決まってしまった現実に崩れ落ちていったようだが…真衣にとってはもはや、どうでもいい些事に思えた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●|脳裏対策局《のうりたいさくきょく》 脳裏清掃員を始め、数多くのオペレーターや研究員、訓練生を抱えた国の機関。現在は世界心象の担当区域ごと北部・東部・南部・西部と中央本部に分かれており、更に各支部で一課から六課まで細分化されている。
第一話後編 愛弟と邪老
ひとしきり笑いきると、冷静な脳の部分では今回の件を整理し始めていた。 「そういえば博士。今回の依頼対象はやっぱり、自我崩壊を起こしてしまったんでしょうか?」 その言葉に先ほどまでの飄々としたジジィの雰囲気は也を潜め、少しだけ真面目な科学者としての博士が顔を覗かせた。 「うむ…儂もアキラの連絡を受けてから十分程で駆け付けたが、その時既に心象は崩れ去って依頼対象は蒸発。脳裏心象体のみが居座っておったの。まだ生まれたてで管理者権限も支配されきっておらんかったから助かったわい」 博士から突き付けられる“蒸発”という現実。 それはつまり、依頼に失敗し、男の子を助けられなかったことに他ならない。 少しの沈黙が重苦しい空気を作り、まるで真衣を攻め立てるかのように重圧としてのしかかる。 罪悪感に胸が支配されかけたところで、ふと、小さな疑問が沸いてきた。 「ん?十分で来れたんですか?事務所からはどう頑張っても三十分はかかると思ってましたけど」 「え、あ~うん。お、おほん。あ~ほら、真衣に任せたとはいえちょっとばかし心配でな?まぁ儂も手が空いたところだったし近場に散歩しておったわけよ」 …珍しい 真衣に任せられる仕事は博士が事前調査を行い、危険度の低かったものを見繕ってもらっている。 だからこそ、今まで『任せた仕事が心配になった』なんて聞いたこともなかった。 確かに今回、イレギュラー的な重度の統合失調症と心象生物が現れたことで、多少危険度はいつもより高かったかもしれない。 だがそれでも、今までの業務範疇内から漏れる程のものではない。 ただ一点、心象切除後に自我崩壊が起きてしまった、最大のイレギュラーを除けば… いくら博士と言えど、自我崩壊の時期を完全に予見できるわけではないはず。 そもそも事前調査の段階でその僅かな可能性でもあったのならば、真衣に任せてくるはずもない。 「でもほんと、じいちゃん近くに居なかったら割とマジで危なかったよな~。ねえちゃんの精神が完全に沈んじゃった後じゃ、引き上げることなんてできないし」 「いや~ほんまそれな?じいちゃんの冴え渡る勘ってやつよなぁ。まぁ日頃から徳積んどるおかげか、ばあさんからの啓示があったってぇわけよ…」 またもやおちゃらけ始めた博士が南無のポーズをしながら、居もしない架空のばあさんに向かって感謝を告げ始めた。 その姿はなんともいい角度で、鏡に反射した室内灯が後光のように差し込み、なんだか言いようのない“イラッ”を感じさせてくる。 …怪しい この事件には何か隠された真実があると、家政婦仕込みの血が騒ぎだす。 こんなズボラな男の徳なんかより、余程女の勘の方が宛になる。 丁度その時、南無ポーズのままブツクサ喋っていたジジィの姿に飽きてきたのか、アキラが口火を切ることとなった。 「でもさ~。じいちゃんが診断ミスるなんて初めて見たよな~」 その言葉に、博士は南無ポーズのままビクッと肩をはねさせ、動きが止まる。 アキラが言葉を繋ぐ一瞬しかない合間にも、博士の額からは滝のような汗が滴り始める。 (ん?これは図星か?) 「ほら、じいちゃん今回軽度な統合失調症って話だったじゃん?ねえちゃんも心象の中で言ってたけど、結構重度っぽかったんだぜ?大変だったんだからなぁ?…ってあれ。じいちゃん、聞いてる?」 少しの間《ま》をおいても返答がなかったことで、「聞いてなかった」という最後の堤防すらもアキラによって取り壊された。 そうしてようやく観念したのか、そのウザったらしい南無ポーズをやめるとそのまま揉み手ポーズへと移行したジジィ。 そいつは情けない声を出しながらも、聞き捨てならない言い訳をこぼし始めた。 「あ、いやぁ~ね?ほら儂、最近政府の依頼入っちゃって~手が離せなかったじゃぁないの。ね?それで~その依頼日程が重なっちゃって。現地調査する前に依頼日程になっちゃってたんだよねぇうん。あ、だから実はそれ、依頼主からの聴き取りだけで作った調査ほ・・・」 「「それを先に言わんかい!!!」」 二人の声が重なり、次の瞬間には鈍い衝撃音が部屋に響いた。 もはや言い訳の余地すらも必要なかろう。 判決は有罪。執行も即日。 姉弟のダブルキックがジジィの華奢な身体を同時に打ち抜き、吹っ飛んだ老体は空を舞っていた。 その威力は申し分なく、まるでギャグマンガのような吹っ飛び方をした博士は「面目ない~」という声の尾を吹き飛んだ軌跡に乗せ 開け放たれたままだったドアの外へと見事な身体ンクシュートを決めることとなった。 それを見送ったアキラは「フンッ!」という荒々しい鼻息を吐き、ドアを乱暴に閉め出す。 これにて、元凶となった“罪人ジジィ”は島流しの刑執行完了である。 直後、情けない「あぁあぁぁ…」というか細い声と共に、非常に控えめなノック音が響いた。 だがアキラはプイッとそこから顔を背け、仁王立ちで罪人の帰還を許さずにいた。 そんな弟の姿に、真衣の溜飲はほんの少しだけ、下がることとなったのだった。 「アキラ」 「ん?どうしたの?」 未だ仁王立ちを続けるアキラが少し身体を傾け、首だけでこちらを見やる。 博士は兎も角…今回はこんな小さな身体が必死になってくれたおかげで助かったのだ。 少しばかり、日頃からも伝えられていない感謝を告げたって、バチは当たらないだろう。 「ありがとね。私を助けてくれて。これからも頼りにしてる」 しばらくの間、アキラはポカンとした顔のままこちらを眺めていた。 だが、その意味が次第に溶け込んできたのだろう。 先ほど博士と取っ組み合いをしていた時にも負けず劣らずな赤面沸騰を見せ、わなわなと口は言葉を探し、小さな瞳孔を泳がせ始める。 「わ、ば…んな!ば、ばばバッカじゃねーの!!こんなの大したことしてねーし!!いやぜんっぜん!そうぜんっぜんねえちゃんの事心配してたとか!そんなことねぇし!!」 こちらに向き直りながら差した指をぷるぷると震えさせ、可愛らしいほど茹った深紅で少年はその頬を染め上げる。 「へ、へーんだ!その様子ならもう元気そうじゃん。ったく人騒がせなねーちゃんだなぁ!あー、マジで。マジで!時間無駄にした~!」 少年はそのまま捨て台詞を吐きながら乱暴にドアをあけ、後ろ向きに舌をベーッと突き出しながらこちらを威嚇してきた。 …あぁ、本当に。本当に素直じゃなく、生意気たらしい愚弟《愛する家族》だ。 同じ血は通っておらずとも、この不器用で不完全な弟に 棣鄂《ていがく》の情を捧げ続けると、ここに誓おう。 ……そう。 唐突に開いたドアの隙間から顔だけを覗かせ、こちらの様子を伺うような邪気の塊とは違って… ドア枠の端には、まるでムンクの叫びから抜け出したかのような妖怪が、こちらをガン見していた。 愛弟《あいてい》と入れ替わるように、その邪老《シェラオ》は入室の機会を虎視眈々と狙っている。 そして幸運にも、タイミングを見つけ出してしまい…ヌルリと、その軟体に堕ちた身体を滑り込ませようとしてきた。 だが、その望みは儚くも潰える。 義父の存在など露ほども気づかなかった息子の手によって、開かれたドアが「バシンッ」と叩き閉じられたのだ。 静かになった部屋の外では、扉に張り付いたままの“気配”が残り続けている。 (……うん。あいつはもう少し。反省させることにしようか) 心に確固たる決意をした真衣は、未だ気配残る扉の向こうを意識の外へと追いやり、久方ぶりの惰眠へと身を沈めるのだった。
第一話前編 脳裏世界/物質世界
今から十五年前。 一人の天才的科学者によって、この秩序立った物質世界の裏側にもう一つの世界が開かれる。 “脳裏世界《のうりせかい》” 特異点とも呼ばれた技術“窓”の開発により、人類は精神だけが存在する世界の観測に成功。 “窓”を通して人を見ることにより、その人が持つ考えや思想を理解することが可能となった。 その成果は精神・心理学を数世代先にまで推し進めると言われ、事実として、多くの人々が抱えた問題を解決していくことになる。 精神疾患や精神哲学、そして犯罪心理を始めとした普遍的行動論理。 数々の精神学的難問と、混沌たる人間の思考に一つの解をもたらした“窓”は、『神の目』とすら呼称されるに至った。 …だが、そんな躍進も長く続くことはなかった。 栄光の軌跡は一転し、その名を惨慄の記憶として、人々の心に刻みつけていく。 きっかけは一つの研究テーマ『脳裏インターネット融合論』 SNSを代表とした人々の精神が表面化するインターネットと、精神のみが存在する脳裏世界。 その二つを題材とした研究テーマは当時、実現不可能と目されながらも密かな関心を集めていた。 インターネット上に脳裏世界を反映させることができれば、“窓”を通さずとも観測が可能となる。 それはつまり、これまで個人への観測を限界としていたものが、不特定多数を対象に観測できるようになるということなのだ。 これまで以上に膨大な情報量が得られることは、想像に難くない。 少なくない研究支援を受けたこのテーマはその期待に答え…いや答えてしまい、インターネットと脳裏世界はついに邂逅することとなる。 問題はすぐに浮き彫りとなった。 人々の悪意と感情がぶち撒かれるインターネットと、精神のみで完結する脳裏世界。 両者の親和性は、皮肉にも“理想的”すぎた。 脳裏世界は急速に影響力を拡大し、人々がその危険性を指摘する頃には既に、物質世界へと影響を出し始めていた。 始めは平均睡眠時間の増加という形で現れた。 しかしそれは留まるところを知らずに伸びていき、ストレス指数との相関関係を示すようになって、初めて脳裏世界の影響であることが分かった。 それと同時に行方不明者も増加。 その大多数が睡眠時間の極大化した休眠となった人々であることの調べがつくまで、そう多くの時間はかからなかった。 文字通りの『蒸発』 痕跡すら残さず物質世界での生が終わり、脳裏世界へと引き摺りこまれる現象に人々は恐れ、慄いた。 物質世界と表裏一体とまで成った脳裏世界は、インターネットという枠組みすらも超え、人間のストレスを糧に肥大化していってしまう。 脳裏世界の際限ない肥大化を抑止するため、人々の蒸発を防ぐため。 物質世界と脳裏世界の境界に立ち、失われた精神秩序を守る者たち。 人々は彼らのことを『脳裏清掃員』と呼ぶ。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 懐かしい香りが鼻をくすぐり、私はゆっくりと目を開ける。 伝統的日本家屋を思わせる水墨画の描かれた襖に、繊細な木細工を飾る虹梁。 そして、開け放された床柱の先には見事な日本庭園。 田舎の屋敷を思わせる少し広い間取りの部屋と庭先が、ぼんやりと霞がかったように広がっていた。 畳敷きが放つ干し草と染土の香りを鼻腔一杯に拾い上げ、ゆっくりと肩を降ろしながら深呼吸をする。 知らない家財道具、記憶にない部屋、懐かしい香り。 ちぐはぐな感覚に少し戸惑いながらも、無条件の安心感に心は落ち着いていった。 しばらくぼーっと部屋を眺めていると襖が静かに開かれ、一人の女性が入ってきた。 顔全体は白い靄が揺らめいて見えないが、それは見事な着物を着こなしている。 背丈は驚くほどの長身…いや、これは自分の目線が低いだけのようだ。 誰なのかは全く分からない。しかし、不思議とその姿には親しみを感じられた。 「■■?■■■■■■、■■■■■■■?■■■■■■■■■■■■■」 女性の声は深海から届くかのように、分厚いフィルターがかかっており、何を話しているのか聞き取ることができない。 でも、その聞き覚えの無い声色からは暖かさばかりが心を絆し、感情が溢れかえりそうになってしまう。 女性はそのままゆっくりと、下に向けていた右手を挙げ、人差し指を向ける。 それは私の後ろを指さしているようだった。 その先を目で追うと、背後に部屋の続きは無く、漆黒の世界が広がっていた。 漆黒の世界にはこれまた不思議なことに、一本の年季が入った右手が差し出されていた。 漆黒の世界に生えた、肘先からしかない手。 違和感しかない光景だった。 しかし、見慣れたその年季が入った右手を…私は迷いなく、がっしりと握りしめる。 細身な右手はその見た目に反してがっしりと右手を握り返し、力強く引っ張り上げてゆく。 その瞬間、私の内懐《ないかい》に堅く結ばれていた後帯からは何かが抜け落ち、置いて行かれるかのような欠落を覚えた。 それと共に低かった目線は急速な成長を始める。 一瞬の成長はすぐに終わりを迎え、欠落した感覚も嘘だったかのように、消えてなくなっていった。 年季が入った右手は水面に浮かび上がるような、ゆっくりとした速度で私を引っ張り上げる。 それは決して手離さない力強さがあり、同時に包まれるような抱擁力をも兼ね備えていた。 その安心感に、私の意識は次第にまどろんでいく。 “大切だった何か”はもう遠い過去となり、あらがえない流れに意識と共に霧散してゆく。 それでも、私は…… ―――――――――― カチッ……カチッ……カチッ……カチッ…… 今時珍しい、聞きなれた丸時計が刻む秒針の音と共に、真衣は目を覚ます。 築四十年は超えるであろう木造一軒家の天井に、涙ぐましい近代的シーリングライトとカーテンレースの装飾。 未だ目覚めない思考のまま、少ない脳のリソースが、ここを『自分の部屋だ』と認識する。 身体を起こしながら、ふとベッドの隣に目を向ける。 そこにはいつもなら無い簡素なゲーミングチェアと、座る少年。 少年はマンガ本をだらしなく膝上に脱力し、眠っているようだった。 はねた癖毛。光に晒されるとほのかにグラデーションが入る程度の赤栗毛。 そして、少し吊り上がった生意気な目元。 「…アキラ」 小さな声に反応した少年は「フガッ」という情けない返事漏らす。 そして起き上がった真衣を見て、驚いたように目をこすった。 「ね、ねえちゃん!起きたのか!体調はどうだ!?待ってろ今じいちゃん呼んでくる!」 少年は一方的にそうまくし立てると、椅子を押し倒さんばかりの勢いで立ち上がる。 その小さな瞳孔で、真衣の顔をサッと一瞬だけ確かめると 次の瞬間には「ドカンッバタンッ」という派手な音を立てながら部屋を飛び出していく。 そのままあまり厚くない壁の向こう側からは、文字通りの軽いドタドタ音が遠のいていった。 あとに残されたのは、無惨にも地面に“犬神家”することになってしまったマンガ本と…クルクル減速しながらも回り続けるゲーミングチェア。 真衣はその様子をただぼんやりと、意味もなく目で追っていた。 視線を追っているうちに、段々と霞んでいた意識は焦点を取り戻してゆく。 「私…そういえば脳裏世界で…」 記憶がフラッシュバックのように、一瞬にして恐怖と絶望を伴って蘇る。 身体は震え、嫌な汗が滴り落ち とめどない戦慄の記憶から無意識の内に、抱え込むような形で自分を抱きしめていた。 「フーッ……フーッ……」 恐怖によって荒くなった息が、正常な空気の循環を妨げる。 過呼吸となった身体は危機を察知して感覚が鋭敏となり、抱きしめられた腕の中から湿った温いものを見つけ出す。 それをきっかけとして、真衣は徐々に力を緩めていく。 そこには、体温によって人肌まで暖められてしまった温いおしぼりがあった。 おそらく、アキラが定期的に額へと置き、看病してくれていたのだろう。 今はもう温くなってしまったおしぼりを手に、緩い力でぎゅっと握りしめる。すると、じわっとした心地良い湿り気が、手先から全身へと駆け巡っていった。 真衣はその感覚にただ任せていると、次第に心は平静さを取り戻していった。 「私、帰ってきたんだ…」 その言葉は実感を持って自分の耳へと届いた。 ピンッと張り続けていた緊張の糸は一気に緩み始め、移り変わった安心が涙腺を刺激する。 とめどない安堵の感情に小さな嗚咽を堪えることができず…真衣はただ、その場で静かにうなだれるばかりだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ そうこうしていると、それほど厚くない壁の向こう側から今度は重厚なドタドタ音が近づきだす。 その音を聞いて素早く涙を拭い去ると同時に「ドガンッ」というまたも大きな音と共にドアが開け放たれた。 「ン無事かねぃ!!??ジミィっくぅ~~~~~ん!!」 そこにはタコがいた。 涙痕が少し残ったヘナヘナな目元と、恐らく「くぅ~ん」のまま限界まで突き出されたであろうカサカサの唇。 白髪のショートポニーテールを後ろに纏め、白髭すらも携えた老年のジジィが、ルパン三世もビックリする程の見事な空中平泳ぎ姿勢のまま突進してくる。 その姿と不愉快なあだ名を聞かされた真衣は、先ほどまであった涙腺すらもどこへやら… 怒りの鬼神が目覚めようとしていた。 「だぁれがジミィじゃ!クソジジイィ!」 真衣はその鬼神が趣くままに右足を振り上げ、その不愉快な顔面の進行方向へと突き出す。 既に方向修正不可能となっていた平泳ぎ艦隊は、目の前の“足裏”という岩礁に為す術はなく、見事脆弱な船首部位から座礁。 代償として真っ赤な足裏マークを顔面に刻み込み そのまま垂直落下する形で海底へと撃沈した。 「ぶぉっふぁ……げ、元気そうで何より…だぁ。真衣ぃ……」 最後の力を振り絞った沈没船はそう言葉を言い残しながら、痛々しい赤いマークを半分見せて右親指をサムズアップ。 全てを出し切ったタイタニック号はその言葉を最後に、ガクッという擬音が付きそうなほど見事な脱力を見せ、以降浮上することはないのであった… その一連が終わってようやく、顔を見せるアキラ。 先ほど出て行く時の様子とは打って変わり、冷静な小走りで部屋へと入ってきた。 …たぶん、慌てる人間が他にいるとなんか冷静になる。とかいうやつだろう。 「あ~ぁあ。だ~から言ったのに。ねえちゃんもねえちゃんだぜ?ねえちゃんを助けたのはじいちゃんだってのによ~」 「あ!ごめん。つい…」 アキラに指摘され、ようやくそのことへと思い至る。 確かに、あの状況から助け出せるような人は、真衣の知る限り“博士”しかいない。 (…でもさ?それを差し引いてもさっきのは許せないじゃんね?普通にセクハラだし) 真衣が自分との協議を進めている間にも、アキラは「お~い。じいちゃ~ん。無事かぁ」とやる気なさげな掛け声と共に肩を揺さぶっている。 それでやっと活力を戻したのか、老年はハッと目を覚ますと年齢を感じさせぬ軽やかさで立ち上がった。 そのまま家柄の良い紳士かのように、軽く品の良い所作で身なりを整えていく。 …だが、残念ながら鼻血が出ていては締まりがない。 一歩及ばずパントマイム役者に成り下がったジジィは、噴き出た鼻血を人差し指で擦り、わざとらしい吐息をつきながら言った。 「ふぃ~。危ない危ない。もう少しで三途の向こうにいるばあさんから、手を取られるところじゃった」 「「いやあんた生涯独身だろ」」 面白くもない、分かりきったボケには姉弟揃ってのツッコミが炸裂。 すると暫定認知症気味のジジィはわざとらしく「タハァ」という吐息を漏らし、自分のおでこをはたいてみせた。 コッテコテの茶番に付き合わされた真衣達は揃って特大の溜息をつき、諦観の意を共有することになってしまうのだった。 (これはほっといたら夜までやりかねんぞ…コイツ) 真衣はさっさと話題を変えるべく、次のボケが入る前に話しを始めることにした。 「博士。ありがとうございました。脳裏世界から助けて頂いたみたいで」 「うん?あ~まぁ確かに?儂も今回ちょ~っと頑張っちゃってはみたけどさ~?まぁ~でも今回はアキラの功績の方が大きいと思うよ~?」 「アキラが?」 疑問を感じた表情そのままにアキラを見やると、そこには少し斜め上に視線をズラす少年。 なんだか顔が赤いような気もするが気のせいだろうか? 「いや、それがね?儂もびっくりしたのよ。電話口から急にアキラが出たかと思ったら、べ~っしょべしょな声で『ねえちゃんが~』って・・・」 「ちょぉい!じいちゃん!ねえちゃんには言わないって約束したじゃん!てかそんな情けない声出してねぇっての!」 少々誇張も入っているのであろう、博士の演技がかった言葉。 それを真っ赤な顔にしたアキラが取っ組み合いを挑み、否定する。 アキラの必死な様子を見た博士は、ここぞとばかりにより演技がかった声と共に“続き”で煽り、同時に取っ組み合いをも器用にいなしていた。 打つ手なしのアキラは更に沸騰した顔を突き付けながら、無謀にも弱小なパンチを振りかざしていた。 いつもからあった、何気ない日常の一コマ。 そんな二人の様子を眺めていた真衣は、段々と笑いが込み上げ、堪えきれず小さな笑い声をあげてしまった。 真衣の珍しい姿に二人は争いの手を止め、キョトンとした顔を見合わせる。 一人の笑い声だけが響くようになった部屋の中で、二人は柔らかい、安堵した表情を浮かべるのだった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●|脳裏世界《のうりせかい》 精神が主体となった世界。物質が主体の現実世界とは対であり、その存在は十五年前に|公《おおやけ》となった。脳裏世界には大きく分けて個人心象と世界心象の二つがある。 ●“窓” 一般的な窓とは異なり、特異点とすら呼ばれる精神を覗き見る“窓”を指す。その技術解釈は未だ一般的には不明であり、原理は分かっていない。物体としてはガラス片のような形をしており、“窓”を通して人を覗き込むことで人の精神を見ることができる。応用技術がいくつも開発されている。世界的にも類を見ない程有名な発明のはずだが、開発者である天才的科学者が誰なのか、文献すらも残っていない。 ●脳裏インターネット融合論 十五年前に発案された、数多くある“窓”に関する論文の一つ。多くが解釈困難な技術を前に頓挫する中、多くの研究支援を受けることで実現させてしまった災厄の研究テーマ。問題が浮き彫りになり始めると共に世間の目も厳しくなり、戦犯扱いすら受けることとなった。研究チームは既に解体され、消息を絶っている。 ●休眠 過剰なストレスによって心が歪み、極限状態となった者が陥る身体的異常。心理的負担によって睡眠時間が徐々に伸び、最終的には目を覚まさなくなってしまう。現在では睡眠評価レベルとして五段階の評価基準が設けられている。 ●蒸発 人が忽然といなくなってしまう現象。現在ではそのほとんどが休眠へと陥った人々に起きるため、脳裏世界と関連性の強いことが分かっている。蒸発した者が元に戻ることはなく、故に早期の対応が脳裏清掃員に求められる。 ●脳裏清掃員 脳裏世界における様々な事象に対応すべく、正式な職業として認められた者達。国直轄の脳裏対策局を除いて大抵の者は個人事務所を構えているか所属しており、一般の人々から依頼を受けて個人心象に潜る。世界心象での仕事は国によって一元管理されており、政府から個人事務所に依頼されることもある。とても危険かつ“適正”が必要なため、その数は極めて少ない。
序章Ⅳ 脳裏心象体
爆炎がこの世界を支配する中、頭の中では別の爆音が響き渡った。 <うっひょぉ~!すげぇ!すっげぇ!やっぱシュワちゃんすげぇ!> 「誰がシュワちゃんじゃ。〆《シメ》るぞ」 つい漏れ出て行った軽口も虚しく、燃え残った爆煙へと溶けていく。 追加で怒る気力すらも沸き上がらず、仕方なく発射体勢を解除しながら立ち上がることにした。 「これで心象の切除は完了ね。ちょっと荒々しかったから周辺心象への影響が心配だけど…まぁとりあえず、問題の心象は間違いなく切除できたでしょ」 <ねえちゃん、シュワちゃんの名言知ってたんだなぁ!Hasta la vista, baby.って。っくぅ~~痺れるぅ!> 少し演技がかったその言い方に、先ほどの自分をバカにされたかのような気持ちがフツフツと沸き上がる。 だが、言葉にする気力までは沸き上がってこない。 それほどまでに、一連の流れは私の心をズタズタにしてしまったのであった。 「…はぁ。バカやってないでバイタルはどう?覚醒に向かってそうなら“強制遮断《シャットアウト》”するけど」 <っへへ。え~おほん。えーっとどれどれ。バイタルはっと> 余韻に浸ったままだらしない返事をする弟に、私は特大のため息をもう一度こぼす。 そのまま浮ついた通信ノイズには『処置なし』という諦めのレッテルを貼り付けてやった。 “あれ”はもう少し時間がかかるだろう。仕方がないので、霧散し始めた噴煙の方を先に確認することとする。 流石にあの火力だ。 並の心象…それも自我すら持っていなかった心象であれば、問題なく切除できたことだろう。 事実、圧倒的暴力の跡地となってしまったその場には、もう一つの漆黒の穴が出来上がってしまっており、心象生物を思わせる物品は欠片も残ってはいなかった。 その様子にひとまず、私は安堵の吐息をこぼす。 緊張が抜け始めると段々アキラの態度が気に喰わなくなり、トゲのある口調で確認を急がせた。 「こっちは心象の切除が確認できたわよ。後はバイタルだけなんだけど」 <へいへいちょっと待ってよねっと。えーっと。まずはセロトニン《精神安定物質》がっと…ん?あれ、ちょっと待って> …少し緊迫したかのような、アキラの声が頭に響き渡る。 思考は一気に仕事へと巻き戻り、先ほどまでの緩くなった気持ちが引き締め直された。 「アキラ?どうしたの?状況を報告して」 <なんで覚醒レベルが下がって…それにオキシトシンも低下…いや、これって反応が消滅してない?なんだこれ…まさか!情報が改ざんされてる!?> アキラの考え込むような独り言に、私の心臓は跳ねあがる。 <まずいねえちゃん!“管理者権限”が急速に支配され始めてる!はやく“強制遮断”・・・> アキラの言葉はそこまでしか続かなかった。 ブチッと無理やり切られたかのような焼ける痛みと共に、うるさかった気配が跡形もなく消え失せる。 遅れて焦燥を抱えながらも“強制遮断”を始めようとするが脱出用ポートがどこにも見当たらない。 “強制遮断”用のポートは即時出せるよう、いつも準備しているのに… 「いったい何が…」 焦りからか、小さく言葉が漏れる。 焦燥で思考は霧散していき、何をすべきかすら掴めない。 混乱は自失を深め、時計の針すら凍えたように無意味な時間だけが過ぎてゆく。 しばらく、茫然と立ち尽くすことしかできなかった。 すると突如として、周りを覆っていた間延びした部屋が音もなく変化し始めた。 壁の輪郭は水面のように揺らめき、瞬きする間もなく、渦のように漆黒へと吸い込まれていく。 「…え?」 それはまるで、予兆を感じさせなかった。 何もない漆黒と無音の中に、ただ私だけが取り残されていった。 自分の発した疑問の声が、漆黒の世界に反響し続ける。 今までに見たことがない現象。経験したことのない状況に、私は寄る辺なく立ち尽くす。 分からない。 こんなこと経験したことがない。 でも、だからこそ…一つの答えに辿りついてしまう。 「これって…自我崩壊《じがほうかい》…?」 その言葉を合図とするかのように、漆黒と無音だけの世界には泣き声が響き渡った。 “それ”は世界をまだ知らない赤子の、純粋無垢なわめき声だった。 “それ”は世界の不条理を学び始めた幼子の、窮鳥入懐な泣きじゃくる声だった。 世界に響き渡る不快な泣き声と共に、“それ”はゆっくりと姿を現す。 石像のような体色。石の布で覆われた目元。蹲るように抱き寄せられた足。ぴったりと耳元に合わせられた肩。 そして、その全体を包むように覆いかぶさった石の翼。 どことなく少年の面影を残した裸の石像は微動だにせず、口元も動いてはいない。 しかし、泣きじゃくる声は確かに、目の前の石像から発し続けられている。 「脳裏心象体《のうりしんしょうたい》…」 目の前の存在に対し、畏怖を含んだ声が零れる。 その存在は決して、今の私では手が出せない。 今までの経験がまるで意味を成さない。 人智を超越した、超常の存在。 絶望に彩られた私に向けて、その存在は微動だにしなかった右手をゆっくりと向ける。 その行為から反射的に身体が反応し、私は先ほど圧倒的火力を見せつけた四連装のロケットランチャーを向け返す。 一瞬の迷いもなく引き金を引こうとしたその瞬間…しかしそれは叶わず、指が空を切るばかりだった。 手元を見やれば、そこには何もない。 先ほどまであった鉄の重みと共に、耳当てもサングラスも嘘だったかのように消え失せてしまっている。 だが、それも当然なのだ。 何故ならば、そう… この世界では、彼が管理者《ルール》なのだから。 泣き声が止み、彼は私に向けた石像のような人差し指を下に向ける。 すると私は唐突な浮遊感と共に、漆黒の世界を落ち始めた。 その速度は留まるところを知らず。どこまでも、どこまでも加速を続ける。 彼が小さな豆粒のような大きさになっても尚、私は落ち続ける。 私は声を発することができない。 ただ、最後の恐怖を象った表情のまま…石像のように固まった身体の落ち続ける感覚と、意識だけが続いていた。 そうして幾ばくかの時間が過ぎ、豆粒のような大きさの彼すらも見えなくなりかけた時。 私の意識はそこで途切れた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 世界観用語 ●“強制遮断”《シャットアウト》 脳裏清掃員が危険と判断した時に利用する緊急脱出ポート。精神だけで潜る個人心象においてのみ使用できる。 ●管理者権限 脳裏世界における絶対的権限。個人心象においてはその本人が持ち、行使することができる。だが肉体を持つ人間にはその全てを理解することはできず、精神体である脳裏世界の住人となって初めて自覚し、行使できるようになる。 ●自我崩壊《じがほうかい》 自我の断片である記憶が心象生物やその他の要因によって浸食され、正常な自我を保てなくなってしまった者が陥る現象。また極度のストレス状態が長期に渡って持続的に続いたり、耐えきれない程の心理的圧迫を短い期間で受けた時にも起きることが多い。ほとんどの場合、自我崩壊してしまうと脳裏心象体へと堕ちる。 ●脳裏心象体《のうりしんしょうたい》 トラウマやストレスによって心理的圧迫が極限まで強まり、肉体を捨て去ることで楽になろうとした者の末路。物質世界での存在は蒸発し、脳裏世界の住人となる。個人心象においては管理者権限を行使し、外部からの侵入者を排除して自分を守ろうとする。心象生物と比べて桁外れに危険であり、成長度合いによって黎明期・成熟期・末期の三種類に分けられる。世界心象では別の基準が用いられる。