判虹彩

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忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」  

第3話「月夜の攻防」 「では、諸君!今宵は大変に良き日である。 遠路はるばるクァン・トゥー王国から、このサーバスへやってきた尊き使者たちを讃えようではないか!… 宴の大広間では、ギーザ王が上機嫌にあいさつをしている。彼の両脇には、クァン・トゥーから連れてこられたという上級の妾の女性が二人立っている。 テイラー妃と、シルヴィ、ジョナは大広間の様子を窓越しから見つめている。扉の前からちょうど良い角度で中の様子が見えるのである。 「では、妃殿下ひでんかそろそろ準備はよろしいかしら?」 シルヴィがそういうと、テイラー妃は周りにいる武装兵と、盆に毒の入った盃を持っている従者の女に合図した。 扉がバンと開き、従者たちが盃を列席した皆に配っていく。 「これは、めでたいのう」 「おお、うまそうな酒じゃ」 列席者は王国の貴族たちや、王の親戚などであった。彼らは何の疑いもなくテイラー妃が配った盃を手に持った。 「…では、乾杯といこう!」 王が言うと、盃を持った者たちは上機嫌にそれを飲み干したのである。 「ぐっ!…苦しい!」 「ぐああっ!」 列席者たちは、たちまち真っ青な顔になったり、口から泡を吹いて倒れ出した。ギーザ王もである。 「…あはは!良い光景だよ!」 シルヴィは、パチパチと手を叩きながらそう言うと、テイラー妃の方に向いた。 「では妃殿下ひでんかパーティーの続きとしましょうか♡」 テイラー妃は、不敵な笑みを浮かべて頷くと、宴の間に入って言った。 「愚かな宴はこれまでだ!兵士たちよ!生き残っている者を捕らえよ!」 テイラー妃の姿を見て、シルヴィはニヤリと笑うとジョナを連れて城の最上階へと出た。 パラノ城の最上階は、円柱型の屋上があり、シルヴィは、夜空を見上げて叫んだ。 夜空には不気味なほどに大きな満月が出ていた。 「さあ、ようやくあたしたちの時代が来たよ!!ド派手に決めよう!!」 そう言うと、シルヴィは両手を天に掲げ、何やら詠唱を始めた。すると、彼女の両手が白く光り出したのである。 「ライオン野郎の軍をこちらにおびき寄せるよ〜!!」 彼女は手をゆらゆらと動かしている。 そして、シルヴィは城から西の方角を指差した。 すると、松明が一つ、二つと灯り、次第に無数の松明が列を成した。そして沢山の掛け声のようなものも聞こえてきたのである。 ジョナは、その光景を見てクククと笑いながらシルヴィに言った。 「なあ、シルヴィ!ランディーのじじいが居なくなったのなら、俺たちがこの国を乗っ取っちまってもいいんじゃないか?」 シルヴィはカラカラと笑いながらジョナに言った。 「奇遇だねぇジョナ!あたしもおんなじことを思ってたよ!!」 その時である。 満月の明かりを一瞬何かが遮ったのである。 「うん?何だ?」 ジョナは空を見上げた。 するとシルヴィが空飛ぶ何かを指差して言った。 「ワオ!ドラゴンだよジョナ!金ピカのドラゴンだ!!」 「あれは砂漠のドラゴンか!?」 「たしか、アディームって名前だったね!何故ここにドラゴンが!?」 金色のドラゴンは、月明かりに照らされキラキラと輝いていた。そして、大きな翼をバサバサと羽ばたかせ、城の近くに降下し、咆哮した。 「グオオオーン!!」 ドラゴンの咆哮に恐れ慄いたのか、城の中からたくさんの兵士たちがわらわらと出て来て、散っていったのである。すると、中から数名の人間がドラゴンの方へと歩み寄った。その瞬間、その中の一人がドラゴンに変身したのである。 「な、なんだいあれは!?あの格好は、さっきの妾の一人じゃなかったのかい!?」 シルヴィは、その様子を最上階から見ていた。 そして、下にいる一人が口笛を鳴らすと、何かがジョナの上を掠めて行った。 「うおっ!な、何だ!?」 それは、翼の生えた馬であった。 「ペガサス!?どうしてここに?」 彼らは、妾が変身したドラゴンとペガサスに乗ると、金色のドラゴンが再び飛び立った。もう一匹のドラゴンとペガサスも、それについて行ったのである。 「一体どうなってるんだ?」 「あっちの方向は確か…アディームの神殿がある場所だね…ククク、神殿には財宝がたくさん眠ってるらしいね…ジョナよ…これは面白くなってきたんじゃないのかい?」 ジョナは頷くと、ゆっくりと覆面を取った。 「ではシルヴィ、ここは俺のネクロマンサー部隊を連れて向かうとするぜ!」 「大丈夫なのかい?相手はドラゴン2体だよ?」 シルヴィがジョナにそう言うと、ジョナが手を上げた。 「おいおい、俺の部隊をみくびってもらっちゃあ困るぜシルヴィ…久々の腕の見せどころってやつさ…野郎ども集まれ!!」 すると、何処からともなく黒い靄もやが無数にジョナのもとに集まってきたかと思うと、それらが次第に黒いローブを身に纏ったネクロマンサーに姿を変えた。 【ネクロマンサー】 魔法を使う魔物。人の姿形をしているが、かつて魔法使いだった人間が蘇ったものである。本体はアンデッドやグールに近い。強力な魔力でスケルトンやアンデッドを操る。 (『危険な魔物図鑑』より) およそ十数体のネクロマンサーは、ジョナを中心に空を浮かびながら円を描くように並んだ。 すると、ジョナは手を横に広げた。 月明かりに照らされた彼の顔は白く、火傷の痕のように全体がひどくただれているようであった。そして、その肌とは対照的な真っ赤な瞳が怪しく光り出した。すると彼の体は黒い靄に包まれ、宙に浮いた。 そしてネクロマンサーと共に、先程のドラゴンが飛び立った方向へとしゅるしゅると向かっていったのである。 * エズィールたちは、サーバスの首都アイウォミの門の近くあたりに差し掛かった。そこでは既に戦闘が繰り広げられていた。 エズィールはその光景を見て驚いた。 「な、何だと!?帝国の軍はまだ国境付近にいるはず…サーバスの軍と戦っているのはどこだ?」 シイルはサーバス軍と戦っている兵士の格好がやはり神聖ナナウィア帝国の軍隊のものだと確認した。 「やはり帝国の軍隊だ…!何故ここにもいるんだ?」 「とにかく、やめさせなければ!エズィール!サーバス軍の中心を探すんだ!」 エズィールは、野営地全体を見渡した。すると、サーバス王国の紋章が描かれている1番大きなテントを見つけた。 「おそらくあそこだろう!行くぞ!」 エズィールはそのテントの近くに降り立った。 「誰か!誰かいるのか!俺は神聖ナナウィア帝国の使者だ!話がしたい!」 シイルはテントに向かって叫んだ。 すると、中から一人の男性が出てきた。 「何者だ!」 その男性は、ターバンとマント、その下に黄金の鎧を身に纏い、褐色の肌に艶のある髭を蓄えていた。 シイルは落ち着いた声でその男性に話しかけた。 「突然すまない、俺はシイル。神聖ナナウィア帝国の使者だ」 その男性は驚いた様子で話した。 「シイル…あの“漆黒のシイル”か!?お、俺はサーバス王国の勇者ロブだ。一体今回のは…」 ロブがそう言うと、シイルは少し言葉を挟むようにして言った。 「…今の騒動はデマだ。何者かが裏で俺たちをハメようとしている。どうか、すぐに軍を撤退してくれないか?」 「な、何だって!?」 周りではサーバス王国の兵士たちがわーわーと騒いでいる。ロブは困惑した顔でシイルとエズィール、フリンに目をやった。 「き、君たちは…帝国の勇者なのか?先程の夜襲の報告はデマだと、そう言いたいのか?」 その時であった。テントの中から数人の人間たちの声がした。 「ロブ?大丈夫か?誰かそこにいるのか?」 シイルは、おそらく彼らはサーバス王国の勇者英雄隊だと思った。彼らに真摯に話をして、何とかこの場を鎮めて状況を打開しなくてはと思った。 そして、ロブがテントの方へ振り向いた時である。 「…」 ロブは、シイルたちを背にしたままピクリとも動かなくなったのである。 「…?ロブ殿?どうした?」 シイルは不自然に静止しているロブに話しかけた。 その時である。ロブはその場で力無く倒れてしまったのである。 「お、おい!」 「どうしたのだ!?」 シイルがロブに駆け寄り、ロブを抱き起こした。すると、何とロブの喉元に鋭い短剣が深く突き刺さっていたのである。 「な、何だと!?」 シイルは思わずバッとその場を離れた。 「ロブ!いつのまに…!?」 シイルは突然の出来事に、その場で固まってしまった。フリンは、あたりをキョロキョロ見回した。 「だ…誰だ!?」 一斉に緊張感が走る。 エズィールも同様に、神経を研ぎ澄ましてあたりを見回した。 その時、ロブに刺さった短剣がひとりでに引き抜かれ、ゆらゆらと宙に浮いたのである。ロブの首からは血が吹き出した。 「…!?」 シイルは一体何が起きているのか分からなかった。 するとその短剣はゆらゆらと揺れながら、シイルの手の中にシュッと入っていったのである。 「ロブ!?一体誰と…」 その時、テントから数人の人間が出て来た。 「し、しまった…!!」 シイルは短剣を握りしめた自分の手を見つめながら叫んだ。 テントから出て来たのは、サーバス王国の勇者英雄隊の面々であった。フィーンド系獣人の戦士と、人間種の女性魔法使い、そしてハーフエルフの女性弓使いであった。 彼らは、突然目の前に飛び込んできた光景に息を呑んだ。サーバス王国の勇者が首から血を流して倒れ、そのすぐ近くに謎の男性が血まみれの短剣を握っているのである。 彼らは瞬間的に武器を引き抜き、攻撃体制に入った。 「貴様!!よくも!!」 「ま、待て!これは違う!!」 フィーンド系獣人戦士は、槍をシイルに振り抜いた。シイルはすぐさま後ろに飛び、それを避けた。それと同時にハーフエルフの弓使いは矢を放つが、フリンが素早く双剣で矢を払い落とした。魔法使いの女性は杖を掲げてエズィールに火の玉を放つが、エズィールは後ろに避けながら氷の息を吐き、炎をかき消した。 「違うんだ!待ってくれ!これは誤解だ!!」 シイルが叫んだが、彼らの攻撃は止まらなかった。シイルは剣を抜き、獣人戦士の槍を受ける。弓矢が連続で放たれるが、フリンは後方に回転しながらかわした。エズィールが叫んだ。 「シイル!ここは一旦引こう!このままでは共倒れだ!」 そう言うと、エズィールはドラゴンの姿になってフリンとシイルを乗せて飛びあがろうとした。 「ド、ドラゴン!?彼らは一体何者なの!?」 魔法使いの女性が叫んだ。 その時である。 なんとエズィールがバランスを崩してその場に倒れ込んでしまったのである。 ズズーンと地面が揺れた。 「…!?エズィール!!どうしたんだ!?」 すると、エズィールの喉と腹の中心部あたりに剣が突き刺さっていたのである。 「グハッ!」 エズィールは、苦しみながら立ち上がり、その剣を引き抜いた。そして血を吐いた。 「エズィール!大丈夫か!?」 フリンが叫んだが、ハーフエルフの弓使いがさらに矢を放ってきた。フリンは矢を払いながら叫んだ。 「ちくしょう!一体何が起きてるんだ!」 * 一方その頃、アントニーはフルシアンと共にペガサスで城へと向かっていた。 「…うん?」 「どうしたフルシアン?」 フルシアンは、空を飛ぶコウモリたちの様子がおかしいことに気が付いた。古来よりコウモリは、魔女やヴァンパイアの使いとして利用されがちな動物である。夜に活動する生態や身体能力に親近性があるとの説があるが、真実は謎である。 しかし、コウモリがいつもより騒がしく興奮しているようにフルシアンには見えた。 「…来る?」 「来る?何がだ?」 「いや、コウモリたちが騒いでるんだ…何かが来ると言っている…」 アントニーはあたりを見回した。 すると、南の方に何かが飛んでいるのが見えた。しかし、満月が出ているとはいえ、暗くてよく分からなかった。 「あれは何だ?ペガサスのように見えるが…」 アントニーが指差した方向をフルシアンは見た。 「ペガサス?ガラか?」 フルシアンは、手綱を引いてペガサスの方向を転換しようとした。 その時である。ペガサスがバランスを崩して、よろけてしまい、二人は落馬してしまったのである。実は二人を乗せていたペガサスは、神聖ナナウィア帝国からかなりの距離を走り続けていた為、疲労が重なってしまっていたのであった。 「あっ!しまった!!」 「わー!!」 二人はみるみるうちに落下していく。このままでは地面に叩きつけられてしまう。 フルシアンは、神経を集中させて鳥たちを呼び寄せようとした。彼らの下には森が広がっていた。森の木々からギャアギャアと鳥たちが騒ぎだし、落下している彼らの方に飛んできた。 無数の鳥たちがフルシアンとアントニーの体を足で持ち上げようと捕まえようとしているが、やはりあまりにも重すぎる為、持ち上げられそうにない。落下のスピードは落ちることなくどんどん地面が近付いてくる。 その時アントニーが叫んだ。 「フルシアン!ストームブリンガーを撃つぞ!身を守れよ!!」 【ストームブリンガー】 風の魔法の最上級クラス。物凄い勢いの旋風つむじかぜを引き起こし、あらゆる物を吹き飛ばす魔法である。 フルシアンは咄嗟に体を小さくして身構えた。 「ストームブリンガー!!」 アントニーは、フルシアンと共に落下する位置に向けてその魔法を放った。すると、物凄い勢いの旋風が巻き起こり、二人は地面に落下する寸前で、真横に吹き飛ばされたのである。 「ぐっ!」 アントニーは少し魔力を抑えて放ったが、ストームブリンガーの威力は凄まじく、二人どころかあたり周辺の木々を吹き飛ばしながら上空に巻き上げていった。かつてフリンたちが神聖ナナウィア帝国に入った時、大量のストリゴイを吹き飛ばしたのもこの魔法であった。 「アントニー!」 フルシアンとアントニーは、吹き飛ばされながら森の横の小さな池に落ちた。 そしてストームブリンガーの旋風が徐々に小さくなっていった。 「ぶはっ!アントニー!大丈夫か!?」 フルシアンは、池から這い上がりアントニーを探した。アントニーは、池の端に倒れていた。 フルシアンは泳いでアントニーに近付いた。すると彼は起き上がって合図した。 「く、くそったれ!何とか無事だな…」 そして、上空からふらふらとペガサスが降りてきた。かなりの疲労で息が荒く、地面に着地した途端、力無く倒れてしまったのである。 フルシアンは、ペガサスをさすりながら言った。 「こいつ…俺が動物と話せると分かってて、あえて黙ってたみたいだ。なんて根性のある馬だ…本当にすまない。ゆっくり休んでくれ…」 アントニーは、フルシアンに言った。 「大の大人を二人も乗せて国境を越えてきたんだ。俺たちももっと早く気付いてやるべきだった…」 その時である。バサバサと大きな羽の音と共に、黄金のドラゴンが彼らの上を通過したのである。 「あっ!あれは!」 「アディームか!!」 すると、今度は銀の鱗のドラゴンと、ペガサスが彼らの上を通過したのである。 「あっ!あれはガラだ!!」 「神殿に向かっているぞ!」 するとフルシアンが言った。 「アントニー!どこか野生の馬を探すんだ!我々も向かわなくては!」 その時である、フルシアンは背筋が凍るような気配を感じた。何事かと思い、再び空を見上げると、真っ暗な靄や煙のようなものが十数体、先程ドラゴンやペガサスが向かっていった方向へと飛んで行ったのである。 フルシアンは、その黒い靄に見覚えがあった。それは神聖ナナウィア帝国でランディー伯爵が変身した靄に似ていたのである。 「まさか!ランディー伯爵か!?だが、何体もいるな…あれは何だ?」 アントニーはその靄を見て言った。 「あれは上級魔法使いの連中が使う、いわゆる変異魔法さ。自分の体をああやって煙みたいなものに変異させて自由に移動が出来るんだ。だがあれは禁忌に近い術式で、やり過ぎると戻れなくなる。下手したらそのまま黄泉の国に引き摺り込まれちまうのさ…」 「上級魔法使いか…あれはガラたちを追っていったぞ?…何だか嫌な予感がするぜ。よし、急いで俺たちも向かおう!」 フルシアンは、アントニーと野生の馬を探し、神殿へと向かった。 * ザッザッと大量の足音が近付いてくる。松明を掲げた軍隊がサーバス王国へ入っていく。神聖ナナウィア帝国の軍隊の旗を持っている。先頭を行くのは獅子の獣人型戦士、ナヴァロ将軍その人であった。しかし、彼の目に輝きはなく、どこか不自然な様子であった。 「武器を取れ!全軍前進!」 その軍はサーバス王国の野営地へと向かっていった。すると野営地から沢山の騎馬隊が出現し、叫び声と共にこちらに向かってきた。両軍激突である。凄まじい怒号と武器のぶつかる音がする。 とうとう本格的な戦闘が始まってしまったのである。しかし、それとは別に、既に王国内に侵入していた帝国軍は、首都アイウォミの建物を破壊し、火をつけた。サーバスの軍は挟み撃ちのような状況になっていたのである。 パラノ城では、テイラー妃が窓からその状況を見ていた。 「何かおかしいわ…すぐそこまで軍が来ているわね。街も燃え出したわ…」 テイラー妃の横にいる側近の女性が言った。 「王妃、予定では軍は国境付近でぶつかるはず。城下まで来るのは想定外です。これは…」 その時である。彼らの背後から声がした。 「王妃どうです?パーティーはフィナーレに近付いてますわ」 王妃と側近はその声の方へ振り向いた。そこにいたのはダークエルフの魔女、シルヴィであった。 彼女は、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて近付いてきた。 「どういうことなの?これではまるで我が国が攻められているようではないか?」 シルヴィは立ち止まり、手を腰にやった。 「そうですとも妃殿下!これはまさしく戦争ですわ」 「な、何ですって!?話が違うじゃないの!」 側近は剣を手に取り、シルヴィに向けて叫んだ。 「今すぐやめさせるのです!軍を撤退させなさい!!」 シルヴィは、手をひらひらとあおいで言った。 「そうはいかないわ。パーティーを続けなきゃ♡」 すると、側近は剣を落とし、呆然と立ち尽くすと、くるっと振り向いて窓へ走り出した。 テイラー妃は驚いて声を上げた。 「ちょ、ちょっとどうしたの?」 その側近の女性は、なんと窓を突き破り外へ身を投げてしまったのである。 「キャーッ!!あ、あなた!一体何をしたの!?」 「パーティーの邪魔はさせないわ。テイラー妃殿下、あんたには私の役に立ってもらう」 シルヴィは、テイラー妃の顔に手を近付けて目をじっと見つめた。すると、テイラー妃の目は生気を失い、目を開けたまま動かなくなってしまったのである。 * 「この野郎!よくもロブを!」 野営地の奥、勇者英雄隊テントの前では、エズィールたちと、サーバス勇者英雄隊が衝突していた。フィーンドの獣人戦士は怒りに身を任せ、持っている槍を頭上でぶんぶんと振り回している。 エズィールは、喉と腹の中心あたりに傷を負い、出血を抑えながらうずくまった。 その目の前にはフリンが立ちはだかり、弓矢による攻撃を防いでいる。 その時、サーバス勇者隊の女性ハーフエルフの弓矢使いが叫んだ。 「グレン待って!何か様子がおかしい!」 女性魔法使いと、グレンという獣人戦士は、その声を聞いてピタっと動きを止めた。 「な、どうした!イアン!何故止める!?」 イアンと呼ばれている女性弓矢使いは、人差し指を立て、口元に付けた。 「しっ…」 数秒間の沈黙が続く。 「そこだっ!!」 イアンは弓を引き絞り、エズィールとシイルの間の空間に矢を放った。 「グエッ!!」 皆がその方向を向いた時、何もないはずの空間に歪みが現れ、そこからウェアモンキーの小柄な男が現れた。肩に矢が刺さっている。 「貴様っ!さっきの!!」 フリンが叫んだ。そのウェアモンキーは、たしかに神聖ナナウィア帝国の将軍のテントで出会った者であった。 「チイッ!バレちまったようだなっ!」 ウェアモンキーは矢が刺さった肩を抑え、しゃがみ込んだ。 「この野郎!」 シイルがそのウェアモンキーに斬りかかろうとしたその時である。 ガチン!! シイルの剣が何者かに防がれた。そこには、黒いウェアパンサーの男が現れた。 鉤爪の小手が月明かりに照らされ不気味に光った。 「マンク!大丈夫か?」 「フィル!面目ねぇ!バレちまったぜ」 ウェアモンキーのマンクはささっとウェアパンサーのフィルの後ろに下がった。 そして、フィルが低い声で言った。 「お前らは俺が相手してやる!!」

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忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」  

忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」

第2話「混乱」 「将軍閣下…例の軍隊が到着したとのことです…」 伝令の兵士は、額に汗を滲ませながらナヴァロ将軍にそう報告した。 ナヴァロ将軍は、それを聞いた瞬間、ピクッと目が動いた。 シイルはナヴァロ将軍に言った。 「例の軍隊だと?何のことだ?」 ナヴァロ将軍は、シイルの肩を掴み、少し強張った顔付きで言った。 「シイルよ…俺は、帝国の命令とは言え、あんな胸糞悪い連中と行動を共にするのは最大の屈辱だ。奴等に伯爵が倒されたことを即刻伝えよう…!」 シイルはナヴァロ将軍が何のことを言っているのかさっぱり分からなかった。それは、後ろにいたフリンも同じである。そして、エズィールは何やら不穏な気配を薄々と感じ取っていたのである。 その時、テントの外から甲高い女性の声がした。 「将軍ー!?将軍さまぁ〜!?ここにいるんだろう!?」 すると、テントの中にぞろぞろと数人の人間が入ってきたのである。テントの入り口の番をしていた兵士は慌てて彼らを制止しようとしたが、構わずに入ってきたようだ。 「何と無礼な…場を弁わきまえろ!貴様ら!」 ナヴァロ将軍は声を荒げた。 目の前に現れたのは、奇抜な格好をしたダークエルフの魔女であった。髪型は銀髪で、アシンメトリーにサイドを刈り上げており、耳には大きなピアスをしている。体格は非常に豊満で、全身の至る所に禁忌の呪文や怪物の形のタトゥーを入れている。服装は、肌の露出が極端に多い黒と真紅のボンテージ風のドレスに身を包んでいる。 そして魔女は、鈍く赤い瞳をギラギラさせながらテントの中を見回している。 さらに彼女の右隣には、背丈の大きい黒いウェアパンサーの男、左隣には、謎の覆面に包まれた魔法使い風の男、そして、ウェアパンサーの男の肩には、小さなウェアモンキーの男が乗っかっていた。 「いやん、そんな怒らないでよ将軍様♡」 ダークエルフの魔女は、ニヤニヤしながらナヴァロ将軍に言った。 「なぜここに暗殺部隊のお前らがよこされたかは知らんが…残念だったな。たった今、伯爵が失脚したとの報告が入った。よって、今回の作戦は中止になった…」 ナヴァロ将軍がそう言うと、魔女は少し目をパチパチとさせて、横にいる者たちに話しかけた。 「マジで!みんな聞いたかい?あのじーさん倒されちまったってよ!ハハっ!凄いな!あんな奴倒すのがいるんだ!」 すると、ウェアパンサーの肩に乗っかっているウェアモンキーの男が言った。 「ウキキ!どうせデマだ!俺たちを早く帰しちまいたいだけなのさ!」 すると、ウェアパンサーの男が低い声で話し出した。 「ナヴァロ将軍よ、我々“コーン”の手に掛かればこんな国などあっという間に滅ぼすことが出来るぞ。何を逡巡している?」 ナヴァロ将軍は、呆気に取られた。 「しゅ、逡巡?お、お前たちさっきの話を聞いてなかったのか?そ、それに…我々の作戦は、サーバス軍への威嚇のみであったはず。いいか!余計なことはするなよ!」 ナヴァロ将軍は彼らに向けて語気を荒げて忠告した。 その時、エズィールが声を上げた。 「よろしいかな将軍、我々はハンネ皇后の命を受けてここへ参った。ランディー伯爵がいなくなった今、皇后がこの国の最高権力者である。そなたたちよ、わしは何者かは存ぜぬが、ここは大人しく引き上げてくれんかのう」 すると、魔女が鼻をくんくんさせて言った。 「やれやれ、どうもエルフ臭いなと思ったらあんただったのかい?」 そして、覆面の男が話し出した。 「何と!皇后はまだ生きていたのか!あのあばずれはとっくに処刑されたかと思ったぞ」 その言葉を聞いた瞬間、シイルは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、覆面男の喉元に突き付けた。しかし、それと同じくらいのスピードで、ウェアパンサーの男は腕に付いている鉤爪かぎづめをシイルの喉元に突き付け、また同等のスピードで、フリンがウェアパンサーとその上にいるウェアモンキーの喉元に双剣を突き付けた。 まさに一瞬の出来事であった。 シイルは凄まじい形相で覆面男を睨み付けて言った。 「貴様、皇后陛下に向けて何と言った!」 その時、魔女が甲高い声で笑った。 「キャッハッハーッ!!いいねぇ!!何ならここでおっ始めたっていいよ!」 魔女はギラギラと目を輝かせながらパチパチと手を叩いた。 ナヴァロ将軍が声を荒げた。 「やめないか貴様ら!とんだ無礼者どもめ!大人しく引かなければ全軍で貴様らを潰しても構わんのだぞ?」 魔女は凄まじい迫力のナヴァロ将軍をニヤニヤと見つめながら言った。 「おお、怖い怖い…分かったよ。ここは引くとしよう。よし、お前ら行くよっ!」 魔女はくるっと振り向いて立ち去ろうとした。すると彼女の背中に向けてナヴァロ将軍が言った。 「貴様、いいか、何か騒動を起こしてみろ。ただじゃあおかないぞ…」 魔女はゆっくりと振り向き、にたーっと不気味な笑みを浮かべながら言った。 「キサマなんてよしてよ♡あたしゃシルヴィって可愛い名前があんだからさ、将軍様♡」 その名前を聞いた時、エズィールは何やら遠い過去の記憶が蘇ってきた。まだエルフの国トトが建国される前、一人の魔法使いのエルフの女性がいた。強欲な彼女は禁忌の魔法を使い、エルフたちをそそのかして国を乗っ取ろうとしたが、追放されたのであった。 「確か、あの時のダークエルフがシルヴィとかいう名前だったはず…だがしかし、まさかな…」 すると、フリンは何やらぶつぶつと言っているエズィールに言った。 「ん?どうしたんだエズィール」 「いや、何でもない…」 そして、“コーン”という名前の彼らは、テントから出て近くに繋いである真っ暗な馬に跨った。 するとウェアパンサーの男が言った。 「シルヴィ、まさか本当に帰るのか?」 「くっははは!フィル!何あんなやつのこと鵜呑みにしてんだい!そんな訳ないよっ!」 シルヴィはケタケタと笑った。 「そうだ、ジョナ、マンク、あのライオン野郎、さっきサーバス王国の城に伝令を送るとか言ってたろう?」 するとジョナという覆面男が言った。 「分かってるさシルヴィ、そんな伝令は届かなかった。そう言いたいんだろう?」 すると、マンクという小さなウェアモンキーの男が言った。 「既に使いを出したぜシルヴィ、きっと数分で追いつくはずだ!」 シルヴィはマンクの方を向いて言った。 「やるじゃないの!つまり、まだまだ作戦は続行中ってことさ!それに、あんたたち!あのランディーのじじいは何処に行っちまったか分からないが、わざわざ特命札を渡してまであたしたちに何を命令したか覚えてるかい?」 彼らはニヤリと笑った。 シルヴィは、両手を上げて叫んだ。 「混乱させろだ!!!」 その直後だった。野営地にいる兵士たちが何やら騒ぎ出した。頭を抱えて暴れ出す者や、笑いながら武器を振り回したりしだしたのである。しかもそれは野営地全体から聞こえてくるのであった。 フィルの肩に乗っているマンクは、懐から一つの瓶を取り出した。 「キキキ!だんだんと効いてきたぞ!この野営地中の樽に仕込んだからな!」 すると、フィルは叫んだ。 「よし、では俺は相手の軍にけしかけてくる!」 そう言うと彼は、馬を颯爽と飛ばした。 シルヴィが言った。 「じゃあジョナとあたしは、城に向かうとするかねぇ…」 そう言うと、シルヴィとジョナはサーバス王国のパラノ城目指して馬を飛ばした。 エズィールたちは、外が何やら騒がしいと思った。すると、ナヴァロ将軍が突然笑い出したのである。 「ガッハッハ!う…ん?何だ…何か…おかしいぞ…ゲハハ!!」 シイルはナヴァロ将軍の様子がおかしいと思い、肩に手を当てた。 「おい!ナヴァロ!大丈夫か?一体どうしたんだ!?」 ナヴァロ将軍は、笑いながら体をブルブルと震わせた。 「ハハハ!シイル!キヒヒヒ!!」 すると、ナヴァロ将軍は、立てかけてある大剣をおもむろに掴んだかと思うと、シイル目掛けて斬りかかってきた。 「危ない!」 フリンは咄嗟にシイルを抱えて床へ飛び込み、大剣の太刀筋を間一髪で躱かわしたのである。 その時、大剣はテントの天井を突き破ってしまった。フリンはシイルを抱えてテントから飛び出した。 エズィールも一緒に飛び出し、辺りを見回した。すると、野営地中の兵士たちが騒がしく暴れ回っていたのである。お互いに斬りかかったり、発狂したりしている。血が吹き出し、笑い声が飛んだ。まさに混乱の極致であった。 「こ、これは…一体何があったんだ!?」 シイルがそう言った時、彼に気付いた兵士が剣を振り回して飛びかかってきた。 シュバッ! フリンはすぐさまその兵士を斬り捨てた。 エズィールはドラゴンの姿になり、二人に言った。 「乗れ!」 エズィールは二人を乗せて野営地の上へと飛び上がった。 3人は、野営地全体が見渡せる程の高さに上がり、辺りをもう一度見渡してみた。 「な、何だこの光景は!?兵士たちが錯乱している!」 シイルはゾッとした。 「さっきのあいつらの仕業じゃないのか!?」 フリンは、辺りを見回した。 「既にあいつらはいないぞ!」 エズィールが鼻をクンクンさせながら言った。 「うむ…これはどうやら薬を盛られたようだのう」 するとフリンもエズィールと同様に嗅覚を研ぎ澄ませた。 「確かに…何だか嫌な臭いだ!」 シイルは倒れている樽を指差した。 あそこ…エズィール!あそこに降りてくれ! エズィールは二人を乗せて、樽が積まれている物資置き場に向かい、降り立った。 シイルはすぐに倒れている樽からこぼれ出している不思議な液体を取ってみた。 「これは…水に何か混じっているな…この臭いは…“アディドゥスの実”だ!」 フリンはシイルに言った。 「アディドゥスって、あの強力な麻薬のことか?」 「ああ、あの実を煎じて希釈させたのを麻薬として闇売買されたりするが、これはかなり濃度が高いな…」 【アディドゥスの実】 鮮やかな黄色の果実。生食すると強い興奮、幻覚、全身の麻痺などを引き起こす危険な毒果。果実を煎じて希釈した抽出液は強い陶酔作用を持つ麻薬となり、高い依存性から各地で厳しく規制されている。 (『南方植物誌』より) エズィールが言った。 「あんな空高く上がっても臭ってくるんだからのう、どうやらこの野営地全ての樽や給水桶に混入させられてるようじゃの」 フリンが言った。 「まずいよ…これじゃあ撤退なんて出来ないよ」 すると、錯乱した兵士たちがフリンたちに気付いたようで、一斉に襲いかかってきたのである。 「シイル!フリン!ここは一旦離れるぞ!」 エズィールは、すぐさまドラゴンになり、二人を乗せて再び飛び上がった。 * 日が沈み、砂漠の王国サーバスの首都アイウォミにある絢爛豪華なパラノ城。城中の松明が灯り、城の窓からも灯が見えた。どうやら今夜も城の中では、宴が行われているようである。 アイウォミの城下町は、路地裏を入ると絢爛豪華な城とは打って変わって、みすぼらしい身なりの人々が徘徊する貧困街の顔が現れる。餓死者の亡骸にはハエが群がり、そのすぐ横では、骨と皮だけの母親から、出ない乳を吸う痩せ細った赤子がいる。商店のゴミを漁る老人や、泣き叫ぶ子供、それに対して見て見ぬフリをしてゴミを拾う男性。 サーバス王国の貧富の差は激しく、民は王の課す重税に悲鳴を上げていた。商店街では、店じまいをする店主たちがパラノ城の灯を見ながらため息混じりでぼやいている。 「ケッ!今夜も宴か…贅沢三昧の豚王め…」 「しーっ!…お前、声がデカいぞ!」 「やってられっかよ!ったく、俺たちは生きていくのがやっとだってのに…もうとうとう原料を仕入れるだけですっからかんだぜ!」 「だな…何でも今日は遥々クァン・トゥーから使者が来たらしいぜ…特別に大きな宴が開かれるだろうよ…」 「はぁ…クァン・トゥーでも何でもいいや、早くこの国の王を殺っちまってくれよ…」 「…そしたらお前も殺られるぞ?」 「…くそっ」 その時、どこからともなく馬の走る音がした。 黒い馬が2頭、それに二人の人間が乗っている様である。それは、物凄い勢いで商店街をすり抜けていった。 「なんだ?あの不気味な連中は…」 「魔女みたいな奴と、変な覆面を付けてたな…」 「王宮でサーカスでもやるのか?」 2頭の黒馬は、パラノ城に向けて駆けて行った。 城の門の前に着くと、二人はさっと馬を降りた。 「神聖ナナウィア帝国より参った。テイラー妃に面会されたし」 ジョナがそう言うと、門番は怪訝な顔つきになった。 「うん?使者が来るのは聞いているが、本当にお前らなのか?」 すると、シルヴィはニヤリと不気味な笑みを浮かべた。 「あら失礼しちゃうわね、こう見えてもアラヤ王の勅令特士なのよ♡」 そう言うとシルヴィは、帝国の紋章が描かれた札を見せた。 「うん?何だそれは?この国にはそんな札など通用せんぞ」 門番がしっしっと手を振りながら彼らを追い返そうとすると、シルヴィは両手を開き、掌を合わせ、何やらぶつぶつと唱え始めた。 「しゃらくさいわね、そんなんじゃあレディーに好かれないわよ〜…」 するとシルヴィの目が赤く光りだした。門番の男は彼女の目を見た瞬間、動きが止まった。 「さあ、あたしたちを中に入れるんだよ…特級のお客として迎えるんだ」 「…わ、わかった…これは特士殿…ようこそ我が城へ…」 門番の男は、虚な目をしながらふらふらと動き出し、城の門を開いた。 そして、城の中へ入ると、王宮の奥へと向かった。 「ここが、テイラー妃の後宮か」 「まったく…バカ広い王宮だわねっ!足が疲れるっての!」 シルヴィは、テイラー妃のドアを叩こうとした瞬間、ドアが開いた。すると、大きくゆったりとした椅子に腰掛けたテイラー妃の姿があった。傍には、美女が大きな扇でゆっくり彼女をあおいでいる。 「来たわね、ようやく…」 テイラー妃は、少し不機嫌そうな顔付きで二人に目線を注いだ。髪の毛は上で束ねられ、金の首輪と腕輪、指輪に耳飾りを身に付けている。 すると、テイラー妃は部屋にいる従者たちに声をかけた。 「皆の者、わらわはこの者たちと話があるの、外してちょうだい」 腰を曲げてうなずいた従者たちは、さっと席を外し、部屋の中はテイラー妃とシルヴィ、ジョナだけになった。 「では、王妃よ。始めるとしましょう…」 シルヴィが両手を広げると、テイラー妃は、少し困った様な顔をした。 「実は…少し予定外のことが起きたのよ…」 「?それは何です?」 テイラー妃は、二人の顔を順に見ながら言った。 「ついさっきのことよ、クァン・トゥー王国から使者が来たのよ…案の定、王様は急遽宴を開くと決めたわ。何でも特別に美しい妾を連れてきたとか…あの男!今日は珍しく宴のない夜だったのに…」 「すると…王は、突然の夜襲に対応出来んな…」 ジョナがそう言うと、テイラー妃は頷いた。 「困ったわね…そうなると突然の夜襲で王が殺されるというシナリオは難しくなるわ…」 シルヴィは、ニタリと笑った。 「では王妃、今殺してしまいましょう」 テイラー妃は驚いた。 「な、何ですって!?この王宮を血の海にするのはごめんよ!」 シルヴィは人差し指を王妃の目の前に立ててゆっくりと横に振った。 「チッチッチッ…だぁ〜いじょぶよ王妃様♡血は流しませんわ…この宴…かえって好都合よ…」 そう言うとシルヴィは胸元の谷間から小さな瓶を取り出した。その瓶には紫色に光る不思議な液体が入っていたのである。 「この毒はね、とってもステキな植物とあたしのとっておきの魔法で精製したの。一滴でも口にすれば、たちまちあっという間に地獄に真っ逆さまってわけ♡」 ジョナが言った。 「宴をしている馬鹿な王と、その取り巻きごと一掃できると言うわけだ。あとは、ゆっくりと新しい王座を準備すれば良い…」 テイラー妃は、少し驚いた表情をしたが、だんだんと笑い出した。 「ほ…ほっほっほ…これは愉快じゃ…これで、わらわの天下が目の前に…」 * 一方その頃…サーバス王国の南東に位置する不思議な三角錐の建物。そこは砂漠のドラゴン、アディームの神殿であり、古いにしえの勇者の墳墓でもある。 そこに一頭のペガサスが舞い降りた。 「ここか!勇者の墓ってのは…」 「ああ、カラスたちに案内してもらった。やはり彼らは頭が良い。ここが何なのか何となく理解してるらしいぜ」 それは、クァン・トゥー王国の勇者英雄隊、アントニーとフルシアンであった。 「エズィールによれば、ガラたちもペガサスに乗ってこの国まで来たそうだな。あともう一人ドラゴンがいるらしい」 彼らはガラがセレナと出会う前からクァン・トゥー王国の使者として神聖ナナウィア帝国へと向かっていた為、セレナやドロレス、ヴェダーと面識がなかった。 「だが、ここには誰もいないようだな…ペガサスもいない…中に入ってみるか?」 二人は神殿の中に入ってみた。中には広い空間が広がっており、壁面にはドラゴンと不思議な球体が描かれた絵が飾られていた。しかし、人の気配はまったくしなかったのである。 ふと、アントニーは、神殿の奥にある大きな扉に気が付いた。 「何だ?この扉は…」 押してみたが、開きそうになかった。どうやら鍵がかかっているようである。 「ダメだ。開かない…本当にここにドラゴンがいるのか?」 フルシアンは大声をあげてみた。 「おーい!アディーム!俺たちはエズィールに言われてここに来たんだ!いるなら返事をしてくれ!」 しかし、何の返事もなかった。その時、神殿の隅でささっと何かが通った。 フルシアンは、それを見つけると、さっと駆け寄ってそれを捕まえた。 「…っと!良いとこに来たなネズミくん。ここの主人のドラゴンは何処にいる?」 フルシアンは獣心眼フェイシング・ジ・アニマルを使いネズミに聞いてみることにした。 「…で、何て言ってる?」 アントニーが聞くと、フルシアンは答えた。 「やはり、今は留守だそうだ。何でも王宮に彼らが来たと…迎えに行ったらしい…」 「彼らとは?」 「ネズミは分からないそうだ…」 アントニーは頭をポリポリとかいた。 「仕方ない。その彼らってのはおそらくガラたちだろうぜ、だとしたらここにいるより、俺たちも城に向かうべきじゃないかな?」 そう言うと彼らは再びペガサスに乗り、城へと向かうのであった。 * エズィールたちは、神聖ナナウィア帝国の野営地からサーバスの首都アイウォミへと向かっていた。 「何としても戦争を起こしてはならんぞ!もし起きてしまえば、おそらく魔物の出現は早まってしまう!そうなればこの苦労は水の泡だ!」 「エズィール!それならばアディームに会って、早いところ勇者の秘密を教えてもらった方が良いんじゃないか?」 「それは今、アントニーとフルシアンが会いに行っている。彼らが状況を伝えてくれれば、アディームもこちらに来るはずだ。ともかく、今はこの戦争を食い止める方が最優先だ!」 エズィールは、そう言うとさらにスピードを上げた。 サーバス王国の首都アイウォミ。その街の入り口付近には、サーバスの兵士たちの宿舎がある。停戦状態とはいえ、サーバス王国は隣国である神聖ナナウィア帝国の襲撃に備えて、常に兵力を温存していたのである。そして、門より少し離れたところに、小規模の野営地があった。今夜の作戦の為に、密かにテイラー妃が配置していたものであった。 そして、そこに一頭の黒馬が入ってきた。馬にはウェアパンサーの男と、さらにその肩には小さなウェアモンキーの男が乗っていた。フィルとマンクである。 彼らは、野営地に向かって突然大声を張り上げた。 「奇襲〜!!奇襲だぞ〜!!神聖ナナウィア帝国から奇襲が来たぞ〜!!皆の者迎え撃て〜!!」 すると、野営地がバタバタと騒ぎだった。 「な、何事だ!?」 野営地のテントから一人の兵士が飛び出してきた。 「奇襲だと!?今夜は威嚇のみの訓練と聞いているが!?」 その時、遠くの方からワーワーと人の掛け声と、無数の馬の足跡が聞こえてきたのである。 「なっ!ま、まさか…本当に夜襲なのか!?帝国の奴等め!何と卑怯な手を!!」 なんと野営地は、エズィールの恐れていたように、そのまま戦闘体制に入ってしまったのである。

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忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」

忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」

第1話「黒き夢」 神聖ナナウィア帝国の上空に広がった虹は、帝国の民の心を象徴するかのような「希望」の証であった。爽やかな青空と涼風は、民の心の靄もやを吹き飛ばし、輝ける明日へ向けて歩み出す追い風となった。 エルフのドラゴン、エズィールは、ハンネ皇后の命を受け、元神聖ナナウィア帝国の勇者“漆黒のシイル”を引き連れて、隣国のサーバス王国へと向かった。 吸血鬼と化したランディー伯爵の命によって、サーバス王国へと向かった帝国軍を説得する為である。 もし、まかり間違えて戦争になってしまったとしたら、魔物の出現を早めてしまう危険性があると考えていたからである。 実はエズィールは、魔王の復活により出現した、クァン・トゥー王国の首都サーティマにある大きな穴のことについて思索を巡らせていた。 エズィールはエルフのドラゴンとして生まれる前、その母親となったドラゴンから聞かされていた伝承を思い出した。 それは、深淵に眠ると言われている魔王の謎である。魔王の棲家である“深淵”とは、もう一つの世界であり、この世界と共鳴し合う関係である。 この世界が「陽」であれば、深淵は「陰」である。そして、この世界の陰、すなわち「悪」の念が深まっていった時、深淵との間の境界線が壊され、こちらの世界と通じてしまうというのである。 その入り口となっているのが、あの「穴」であろう。 古代魔導王朝は、ドラゴンという限りなく純粋な生命体に宿る「陽」の念を用い、オーブでその力を増幅させ、深淵との境界を守ってきた。 しかし、次第にその力は弱まり、この世界の人々の心も徐々に荒んでいった。差別、戦争などが頻繁に生じることにより、この世界の中に「陰」の念が溜まっていった。そして、とうとうそれはドラゴンの死やオーブへの干渉により引き起こされてしまった。境界線は破壊され、深淵とこの世界が繋がってしまったのである。 エズィールが危惧しているのは、これ以上この世界で「陰」の念を大きくしてはならないということであった。ましてや戦争などという、一気に大量の陰の念が生み出される行為は、おそらく、さらに深淵との繋がりを増大しかねない最悪の行為であると考えた。 エズィールは空を飛びながら、肩に乗せているシイルとフリンに話しかけた。 「ランディー伯爵は、一体何を考えておったのかのう?こんなことをすれば、逆に互いの国が危険な状況に陥ることも考え得るはず」 シイルが答えた。 「俺も皇后陛下も、伯爵の一連の行動に気付かなかった。一体なぜ奴は帝国のみならず、隣国まで操ろうと思ってたのか…」 シイルの前に座っているフリンが言った。 「ケリー公爵の妹って、サーバスのお妃さまなんだろう?サーバスのお妃がそんな手に乗っかるのかなぁ?」 シイルは少し眉をしかめた。 「…これは俺の気のせいかもしれんが、この動きは、ランディー伯爵の力だけではない気がするんだ…」 フリンが後ろを振り向き、シイルを見た。 「ど、どういうことにゃ?」 「内政的にはケリー公爵を操りながら、民を縛り上げて、そして外政…隣国の情報も掴みながら、さらに操ろうとしている。しかもその情報もかなり正確なんだ。例えヴァンパイアだとしても、たった一人でやるにはかなりの労力と統率力がいるだろう…」 エズィールが言った。 「ランディー伯爵は元々人間だったのであろう?彼を吸血鬼にした者は今どこにおるのだ?」 「まったく分からない…昔、帝国に起きた吸血鬼騒動とも関係している気がするが…」 「“吸血鬼騒動”とは、あのストリゴイを放ったエニグマとかいう謎の集団のことか?」 フリンが頭をポリポリかきながら言った。 「“エニグマ”って、魔王の過去の名前だって、エズィールが前に言ってたにゃ。そいつらは今どうしてんのか?」 「俺は正直、ランディー伯爵のことでいっぱいだった。だが、エニグマが潜んでいたとされる場所はもう既に破壊されて跡形も無いはずだぜ」 「うーん…でもなんだか嫌な予感がするにゃ…」 その時、前方を飛んでいるペガサスがエズィールの横に並んだ。ペガサスにはアントニーとフルシアンが乗っている。 「エズィール!ガラたちはもうサーバスに着いているのか分かるか?」 エズィールは思念を巡らせた。 「うむ…彼らの気配はまだ分からんが、アディーム…砂漠のドラゴンに我々のことを知らせねばならない。国境付近に着いたら二手に分かれよう!」 * -神聖ナナウィア帝国の南西部。 そこにはなだらかな丘陵地帯が広がっており、ワイン畑が数多くある。地域特産のワインは、世界中にファンがおり、旅人の間でも愛好家が少なくない。 中でもアイリーン地方のワイナリーやぶどう農家の間には「良いワインは良い畑で決まる」と言い伝えられているほど、伝統的に土の耕し方、作り方に拘りがある。おそらくかつて土の民が数多く居住していた地方であった為であろう。 同地方のワイン農家は莫大な富を蓄え、貴族とほぼ同等の扱いを受けるまでになった者までいた。 ランディー家の長「ローザ・ランディー・シニア」もその一人である。 博学だった彼は、ワイン農家としての経済力に物を言わせ、世界中の書物を買い漁っていた。 その知識で得た技術で彼は、ワイン農家の枠を超え、造船業や不動産業にも手を広げ、名を馳せていった。そして帝国への発展に多大な寄与をしたとして、民間では異例の「伯爵」の称号を得たのである。トゥームーヤ皇帝の先代クゥーイーチ帝の時であった。 彼には四人の子供が居た。しかし先の50年戦争で妻と一人の息子(ローザ・ランディー・ジュニア)は既にこの世を去っており、歳の離れた後妻メアリーとの間に娘のリー、弟のザックとジェイクが生まれた。3人とも父親に似て博学であり、学校では優秀な成績を収め、将来有望と期待を寄せていた。 クゥーイーチ帝はランディー伯爵をとても高く評価していた。彼はその富と地位を鼻にかけることなく、平穏な精神と先見の明に優れていた。その才を我が子トゥームーヤと腹違いの弟ケリーに継がせようと、彼らの幼少の頃から「教育係」として王宮に招き入れていた。 その甲斐あってか、トゥームーヤは次第にその才能を開花させ、「賢帝けんてい」と仰がれるまでになった。クゥーイーチ帝の代で既に衰退していた帝国であったが、彼の代で再び栄光を取り戻して欲しいと彼に期待してこの世を去ったのである。 神聖ナナウィア帝国が今日まで存続しているのは、トゥームーヤ帝の功績との見方があるが、その陰にはランディー伯爵の支えがあったことは知られざる真実であった。 しかし今、アイリーン地方最大の果樹園は見るも無惨に荒れ果て、ほぼ中央に位置するランディー家の屋敷も廃墟と化していたのである。 夜な夜な目撃される化け物の噂が広がり、今では人どころか、ネズミ1匹見当たらない不気味な土地に成り果ててしまった。 フリンやフルシアンたちがランディー伯爵を撃退し、明け方、首都クァン・シーは霧が晴れるような爽やかな青空が広がった。しかし、午後になるとアイリーン地方には雨雲が立ち込め、しとしとと雨が降り始めたのである。 そして、果樹園の奥では、木々の間をすり抜けるように何やら怪しげな黒い煙のような靄もやのような物がゆらゆらと揺れながら移動していた。 〈うぅ…〉 〈ザック…ジェイク…リー…〉 〈メアリー…〉 その黒い靄から何やら悲しげなしゃがれた男性の声がする。その靄はスルスルと果樹園を抜け、ランディー家の屋敷に辿り着いた。屋敷には人影はなく、壁は崩れ、屋根は剥がれ落ちていた。 窓ガラスは割れ、辺り一面に小動物などの骨が転がっていた。 屋敷のドアが一人でにギギィと開き、先程の黒い靄がひゅるひゅると隙間から屋敷の中へと入っていった。 そして、屋敷のロビーに入った途端、その黒い靄はゆらゆらと集まり、次第に人の形を成していった。背の高い男性のような姿になると、靄の中から青白い肌が見えてきた。ボロボロになった貴族の服も見え、頭には白髪が現れた。それはまさしく、ランディー伯爵の変わり果てた姿であった。 彼は昨夜からの戦闘で、身体全体に陽光を浴び、全身火傷だらけであった。そして、ところどころに銀による傷が無数にあり、その箇所の皮膚は一部腐敗していた。まさに瀕死状態である。 黒い靄は次第になくなり、完全に彼の肉体がハッキリ目視できるようになった途端、伯爵はガクンと膝から力無く崩れ落ち、そのまま床に倒れ込んだ。口からはヒューヒューとか細く呼吸をし、瞳孔は淀み、焦点も合っていない。意識も朦朧としているようである。 数分経ったであろうか、彼の意識が次第にハッキリしてくると、ゆっくりと、そして、よろよろと腕を床に踏ん張らせて何とか上体を起こそうとした。そして、彼の視界には荒れ果てた自宅が映った。 「い、一体…これは…どうしたのだ…」 「い、痛い…苦しい…」 「メアリー…皆…どこに行った…」 彼はハァハァと肩で息をしながら必死で床を這いつくばっている。 「お、おぉい…屋敷の皆も…」 「戦争でも始まったのか…」 その時である。屋敷の暖炉から突然風が吹き込んだかと思うと、屋敷全体の燭台の火が一斉に灯った。 「…?何だ…?」 伯爵は、辺りをキョロキョロと見回した。 その時、何やら若い女性のような声が聞こえてきたのである。 〈あらあら、伯爵。一体どうしたの?満身創痍じゃない…〉 その声は若い女性のようでも、年老いた老婆のようでもあった。どことなく人間味に欠ける不気味な響きがあった。 〈うふふ…こっちにいらっしゃい…〉 伯爵は、その声が妻メアリーのものにしては、どこか様子が違うと思った。 「メアリー?…ではない…リーか?」 〈こっちよ…〉 その声は地下室から聞こえてくるようだ。 伯爵は、足を引き摺りながら立ち上がり、ヨロヨロと地下室に向かった。 暖炉の脇にある小さな扉を開けると、長い階段が現れ、そこから地下に通じるのである。 これはかつて、ランディー伯爵がお気に入りのワインの貯蔵と、誰にも邪魔されずその味を堪能したり、思索にふける時などに使っていた秘密の地下室であった。 壁に寄りかかりながら、伯爵はずるずるとその階段を降りていった。 地下室にはいくつかのワインラックに、本棚、机に椅子、壁には家族の肖像画も掛けられていた。 そして部屋の中央にある小さなテーブルの上の燭台に火が灯った。 ゆらゆらと揺れる火の灯りは、奥にいる人物を僅かに照らし出した。女性のようである。しかし、顔や年齢などは分からない。 伯爵は、再び床に膝をつき、しゃがみ込んだ。 「だ、誰だ…お前は…リーではないな」 「あらあら、どうしたの?相当弱ってるわね…人間の頃の記憶が蘇ってるじゃない…」 どうやら声はその女性のようである。 女性が指をパチッと鳴らすと、壁一面の燭台が灯され、地下室全体が明るくなった。 伯爵は驚いて部屋全体を見回した。すると、その女性は、机の前にある椅子を引いてドカッと座り込んだ。そして椅子を伯爵の方へ向けて、足を組み、微笑んだ。女性は、全身漆黒のドレスを身に纏い、同じく漆黒の長い髪を揺らし、肌は恐ろしいほどに白く、そして不気味なほどに濃い真紅の口紅をさしていた。 目は人の心を突き刺すように鋭く、その瞳の色は、伯爵同様に赤く、微笑んではいるが、それはまるで獲物を狙う肉食獣のように狂気に満ちていた。 「私が誰だかも忘れてしまったの?…ふぅやれやれ、仕方ないわね…」 そういうと、女はどこからともなくワインボトルを取り出し、机の上にグラスを置き、それに注いだ。 「あなたを若返らせ、力を与えた。そして、あなたから昼を奪った者よ…」 そういうと女はグラスを口につけ、ワインを一口流し込んだ。 「か、家族はどこだ…どうして誰もいないのだ…!」 女はグラスをゆらゆらと揺らしながら伯爵に言った。 「あらやだ、そんなことも忘れちゃったの?あなたがぜ〜んぶ食べちゃったんじゃない。…我々ヴァンパイアは、血さえあれば生きていけるということを教えたのに…ふふっ、あなたったら…まるでストリゴイみたいに、何から何までこの屋敷の者たち全員をね」 伯爵は声を震わせた。 「そ、そんな…嘘だ!お、お前…わ、わしに…何をしたんだ…!?」 女はグラスを机に置いた。 「ふう、やれやれ…本当に記憶が戻ってるわね…一体誰がこんな目にあわせたのかしら…」 女はゆっくりと伯爵の目の前に歩み寄った。 そして、伯爵に目線を合わせるようにして座り込んだ。 女は恐ろしいほどに美しく、そして恐ろしいほどに白い肌であった。 「記憶が戻って来てるってことは、ヴァンパイアの魔力がかなり無くなってきてるってこと…もう、ダメね…こうなっては…あなたも使い物にならないわね…」 女は伯爵の顔をまじまじと見つめた。 「ふふ…でもね、あなたがしてくれたこと…とても良い線までいったのよ。あなたは、国を動かし、帝国とそして隣の砂漠の国までも手中におさめようとしたのね。うん、とても良い働きだったわ。あと少しで邪魔が入ったのね…」 伯爵は、次第に体から力が無くなりつつあるのを感じた。 「我々ヴァンパイアは…太古から蔑まされてきたわ。私はこの日が来るのを待ち侘びていたの。何百年も…もう、諦めかけていたのに…あなたのような人物が仲間になってくれてね、とても嬉しかったのよ。本当にね。よく頑張ったわ…」 伯爵は、次第に己の無力を感じ、両手を床について項垂れた。 「た…頼む…私を殺してくれ…」 女は伯爵の頬を優しく撫でて語りかけた。 「殺すのは私には無理なことなのよ…あなたは、もう既に夜の世界の住人…どうやっても生き残ってしまうの…元気になるには、もう一度たくさんの人間の血が必要だけれど…もう、そんな面倒なことしたくないわ。それに…あなたはどうやら沢山の人間に正体がバレてしまったもの…」 女性の声は恐ろしく美しく、透き通るようであった。しかし、あまりにも美しすぎる。心の中が見えない手で鷲掴みにされるような感覚であった。 女性は、伯爵の顔を覗き込むと、ニコリと笑顔になった。 「ふふっ、私はね…もうあなたの力もどうやら借りなくても良いのかも…とも思っているのよ。何故ならね…」 そう言うと女性はゆっくりと立ち上がり、くるっと振り向いた。 「どうやら彼が蘇った…そう感じるのよ」 伯爵は朦朧とする意識の中で、女性の声を聴いていた。 「私が…私をヴァンパイアにした彼女…たしかリリスとか言ったわね…ヴィルトがまだあった頃ね…」 女性は机に置いてあるワイングラスをもう一度持つと再びワインを注ぎ、それを口に入れた。 そして、先程よりも少し紅潮した様子で語り出した。 「…なぜヴィルト王朝が生み出されたのか、という話から、王朝が出来る以前の話…この世に突然現れた最悪の存在…」 ワイングラスを持ったまま、女は少し笑顔で伯爵の方へ向いた。 「最悪なのは、人間にとってのという意味ね…彼よりも人間が最悪なのよ」 「彼なら…彼の力なら…私たちの“夢”が叶うかもしれないわ…」 そういうと彼女は、ワイングラスを逆さにし、残りのワインを床に捨てて言った。 「やっぱりダメね、ワインよりも血の方がいいわ…」 * エズィールたちは、隣国サーバス王国の国境付近に辿り着いた。予定通り、フルシアンとアントニーは先に勇者の墳墓へと向かった。 しかし、あたりはすっかり日が暮れて来ていた。 「あ!あった…!野営地だ!」 フリンが目の前を指差した。 神聖ナナウィア帝国とサーバス王国の国境は、一本の川で隔てられていた。東西に流れているオズボン川を支流とし、南に流れていくメイデン川である。 そこにはおよそ数千の軍隊が野営地を張っていた。テントの屋根には神聖ナナウィア帝国の象徴である大鷲の紋章が描かれている。 「…大将のテントは…あれだ、おそらくあの奥にある1番大きいテントだ」 シイルはエズィールの肩の上からテントの方を指差した。 「ドラゴンが現れてはパニックになるだろう、少し離れたところに降りるぞ」 エズィールがそう言うと、シイルは言った。 「いや、大丈夫だ。今この軍を率いているのは、おそらくあいつだ。俺の顔を見ればすぐ分かる」 「ホントに大丈夫なのか?」 エズィールとフリンは少し不安であったが、一刻を争う状況である。ここはシイルの言っていることを信じるしかなかった。 そして、エズィールは野営地の中心部に降り立った。案の定、野営地にいる兵士たちが騒ぎ出した。 「な、なんだ!?奇襲か!?」 「ドラゴンだ!これは大変だ!!」 シイルは、エズィールの肩からさっと飛び降りた。 「シイルだ!ナヴァロ将軍はいるか!」 兵士たちは、シイルの顔を見て何か分かったようだ。 「ああっ!シイル様!」 「シイル様だぞ!!」 すると、兵士たちの中から一人の男が歩み寄って来た。 「シイル!お前か!久しいな!」 「ファレル!ナヴァロはいるか?」 シイルはファレルという男と堅い握手を交わした。どうやら、旧知の仲のようである。 ファレルは、兵士長であった。背丈はシイルと同じくらいで長身であり、精悍な顔付きの人間種の男性であった。兵士たちと同じ鎧を身に付けているが、彼の胸元には勲章が付けられていた。 「ああ、いるとも。彼らは?」 ファレルはエズィールとフリンに目をやった。 エズィールは、さっとエルフの姿に戻った。 「彼はエズィール、エルフのドラゴンだ。そして、そっちのウェアキャットは…」 シイルはフリンを紹介しようとした時、ファレルはどうやら様子がおかしくなった。体は細かく震え出し、腰に差している剣を抜こうとしたのである。 「ファレル!何やってんだ!?」 ファレルは物凄い形相で剣を抜き、フリン目掛けて斬りかかろうとした。シイルは、咄嗟にファレルを抑えた。 「シイル!何故止める!奴はクァン・トゥーの双剣士だろう!?あいつに沢山の仲間をやられたんだ!」 ファレルは顔を真っ赤にして興奮している。フリンは平然とした顔付きで双剣に手をかけた。しかし、エズィールがフリンの肩に手を置き、首を横に振った。 「ファレル!頼む、話を聞いてくれ!彼女はもう俺たちの敵ではない!あの伯爵を倒してくれたんだ」 「な、何だと!?」 ファレルは、その言葉を聞いた途端、驚いてシイルの顔を見た。 「な、何を言ってる?伯爵…の?」 「ああ、頼む。今起きていることを順を追って話すから、今は何も言わずナヴァロのところへ案内してくれ…」 シイルがそう言うと、ファレルは次第に落ち着き、剣を鞘にしまった。 「分かった…ここは、元勇者のお前に免じて引こう。だが、貴様のことは決して忘れていないぞ!」 ファレルはフリンを指差して言った。 「…ふん」 フリンは強張った顔付きでファレルを睨み付けた。 「フリンよ…仕方あるまい。戦争とはこういうものじゃ」 エズィールはフリンの肩に手を乗せて言った。 「分かってるさ。こんなことは慣れっこだよあたいは…」 シイルたちはファレルに案内されて野営地の奥、ナヴァロ将軍がいるテントに案内された。 ナヴァロ将軍は獅子型の獣人族ウェアライオンの男性である。2メートルを超える大きな体に、シイルと同じ漆黒の鎧を身に付けている。 年齢は30代半ばで、シイルよりも少し歳上である。かつて、シイルと共に勇者隊を率いていた。 テントの奥には、椅子に座るナヴァロ将軍、その傍らには彼の背丈ほどする大剣が立て掛けられていた。 「将軍閣下!シイル様…元勇者のシイル様が来られました!」 シイルという名前を聞いたナヴァロ将軍は、目を見開いた。 「な、何だと!?シイル!?何故ここに!?」 ナヴァロ将軍は立ち上がった。 そして、シイルたちがテントの中へと案内された。 「…おお、シイル!我が戦友!!」 シイルの顔を見ると、ナヴァロ将軍は、その大きな体を広げてシイルに抱き付いた。 シイルも長身であったが、その身を隠すほどの巨躯は、彼の体をすっぽりと包んでしまうようであった。 かつてクァン・トゥー王国の勇者隊が現れる前は、世界最強とされていた神聖ナナウィア帝国の勇者隊であった。 エズィールは彼らを見て、勇者隊を離れたとはいえ、シイルに対する絶大な信頼があることを感じた。なるほどハンネ皇后がシイルに託した訳である。 「まだ“将軍”を名乗っているのか?勇者ではなく…」 シイルはナヴァロ将軍に言った。 「ははは!俺は勇者って柄がらじゃない。俺にとっての勇者はお前しかいないんだシイル。お前が隊を離れてからずっと空席にしてある」 シイルはナヴァロ将軍の言葉を聞くと、少し俯いてナヴァロ将軍の肩を抱き返した。 「すまない…我儘を許してくれて…お前には散々迷惑をかけたよ」 ナヴァロ将軍は言った。 「良いんだ。戦場では何度もお前に命を救ってもらった。お前が勇者隊を離れることは悲しいが、お前の考えを尊重したんだ」 そういうとナヴァロ将軍はエズィールとフリンを見た。 「シイルよ…彼らは…」 シイルは、ナヴァロ将軍の目を見て頷くと、エズィールたちを紹介し、ハンネ皇后から預かった手紙を渡し、経緯を話した。 「なんてことだ…俺たちの知らないところで、色々と手を打っていたんだな。確かに…こんなことはお前にしか言えんが、あのランディーのクソ野郎をやっつけてくれたのは感謝しかない」 ナヴァロ将軍は、シイルのハンネ皇后に対する忠信を重々に分かっていた。そして、軍の中枢の人間たちは、ランディー伯爵の実態に薄々気付いていたようである。しかしながら、帝国は既に伯爵の魔の手に侵されていた。誰も国家に対する抵抗など出来ないようになっていたのである。 「シイル…先程、サーバスにいるテイラー妃に到着の知らせを送ったところだ。だが、計画変更の使者をすぐに出そう。それと…もう一つ気掛かりなことがあるんだが…」 ナヴァロがそう言うと、テントの外から兵士の声がした。 「将軍閣下!」 「…どうした?」 ナヴァロ将軍がそう言うと、兵士が恐る恐る中に入ってきた。 「“例の軍隊”が到着したとのことです」

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忘れがたき炎の物語 第五章「水龍編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第9話「旭日」 神聖ナナウィア帝国から東の方角は、だだっ広い平野や農地が広がっている。まっすぐに伸びた地平線から朝日が昇ると、スレイヤ城の城壁を金色に照らし、その姿を運河の水面が映し出す。 からっと晴れた青空には虹が現れ、人々は今まで帝国を覆っていた陰鬱な空気が明らかに変わったのを肌で感じ取っていた。 自由の天地ランドオブザフリーが街中にビラをまき、お手製の楽器を鳴らし、騒ぎ立てた。そのビラにはこう書かれていた。 【悪しき権力の亡者、ランディー伯爵は吸血鬼であった!そしてそれは我々“自由の天地”が正義の鉄槌を下し、とうとう追いやった。我が帝国は自由になった!皆の者よ高らかに叫ぼう!喜びを分かち合おう!】 スレイヤ城の上階の窓から燦々と朝日が降り注いでいる。 アラヤ王は召使いに保護され、ケリー公爵はその場でしゃがみ込み、ただ茫然としていた。 そこへ近衛兵やら召使いたちがやってきて、ケリー公爵に何があったのか尋ねた。 「公爵…こ、これは一体…何があったのです?」 公爵は項垂れたまま茫然と、聴こえるのか聴こえないのか分からないくらいの声で呟いた。 「私は…長い間、夢を見ていた…まるでトゥームーヤの亡霊に取り憑かれていたようであった。ああ…それはたしかに…私が勝手に作り出していたものだった…」 床に座り込んだケリー公爵の手の上にネズミがたたっと通過した。反射的に公爵は手を払うようにして少し起き上がった。 そしてふと部屋を見回した。クァン・トゥー王国から来た使者たち、そして召使いの女性に抱きついて堪えていた涙を流しているアラヤ王。 この使者たちは、既にこの国がどういう状況であるか知っていたのだ。地下に抵抗勢力があるのは把握していたが、彼らはクァン・トゥーの使者と共にアラヤ王を救い出し、また黒幕であるランディー伯爵にも果敢に挑み、それを排除してのけたのである。それも彼ら自身の命をも投げ打ってである。 公爵は、次第に状況が分かってくると奥から熱いものが込み上げて来た。 スレイヤ城の上空は、ケリー公爵の心のようであった。長い間、陰鬱な霞が彼を覆い尽くし、権力と嫉妬、恐怖の曇り空であった彼の心に、今まさに旭日が赫々と昇り、くっきりと虹が弧を描き始めたのである。それはランディー伯爵による邪気が確実に消し払われた証と言えるであろう。 城の中庭にはたくさんの兵士や城の者たちが集まって来ていた。上階で爆発があった為である。 ハンネ妃は、一旦城の外へ出たが、自由の天地ランドオブザフリーの皆と共に、再び城の中へと戻って来たのである。 城のエントランスには、ランディー伯爵の変わり果てた姿が横たわっていた。 「これは…一体何だ?」 「魔物か?…にしては服装が王宮の者であるな…」 兵士たちが近寄って行こうとすると、ハンネ妃が叫んだ。 「近付いてはなりません!それはランディー伯爵の真の姿なのです!彼は…吸血鬼の王でした」 兵士たちは驚愕した。 「何ですと!?では…我々はこの吸血鬼に騙されていたというのか…!」 その時、上階からケリー公爵たちが降りて来た。フリンはフルシアンの肩を抱え、兵士の一人がサンボラの亡骸を抱えていた。 「妃殿下!」 ケリー公爵は、ハンネ妃の姿を見るとしばらく黙っていたが、涙を浮かべ彼女に跪いた。 言葉はなくとも城の者たちは、これがどういうことか理解した。その光景がすべてを物語っていたのである。そしてハンネ妃は優しくケリー公爵の肩に手を置いた。 「公爵殿。今、わが帝国は魔を打ち破り、正義の旗を高らかに掲げたのです。これから私と共に、再びこの帝国を立て直す為、尽力していただけますか?」 ケリー公爵は驚いて顔を上げた。妃は自分を牢獄へと追いやった張本人を許すどころか、再び共に手を携えて帝国のために力を尽くしてくれと言うのである。なんと慈悲広大な心であろうか。 彼は見つめるハンネ妃の瞳の中に、賢帝トゥームーヤが確かに生きていると感じた。 そして自分が情けなくなった。改めて王の器の何たるかを思い知らされたのである。 ハンネ妃は、フリンたちに目をやった。 「いけない、彼らは重傷を負っているわ!誰か!宮廷魔術師をここへ!」 確かにフリンたちは、かなりの深傷を負っていた。フリンは腹に負った傷から血を流して今にも倒れそうで、フルシアンは左腕を失っていた。しかし彼ら自身は、自らの負傷以上に、サンボラという仲間であり、古くからの友人を亡くしてしまったことに意気消沈していたのである。 ハンネ妃は、彼らに近寄って話しかけた。 「クァン・トゥーの使者たちよ…よくやってくれました。本当に…感謝しても仕切れないわ…そのお方…その顔付きは、わが帝国の出身者かしら?」 彼女は、サンボラの亡骸を見てそう言った。彼はたしかに神聖ナナウィア帝国の出身であった。ハンネ妃は、彼の功績を讃え、手厚く埋葬するとフリンたちに約束をした。 程なくして宮廷の白魔法使いたちが駆け付けた。 「これは深い傷ですわ。完治するまでしばらくかかりそうね」 フリンは、ほっとしてそのまましゃがみ込んだ。 もう一人の白魔法使いは、フルシアンの失った左腕を見て言った。 「戦士様、まだ傷口が塞がっていないようですわ。…その、取れてしまった腕の方がもしあれば…何とか元通りに出来そうなのですが…」 白魔法使いの若い女性は、おどおどとフルシアンの腕を支えて言った。 「それは本当か!ならばすぐに持って来させよう!」 フルシアンは、もう二度と弓矢が引けないと思っていたが、その言葉を聞いて希望が湧いたのである。 しかし、白魔法使いの女性は、一体どうやって持って来るのか少し疑問に思った。 フルシアンは、城の方を見ると言った。 「おお!もう持って来てくれたのか!気が利く連中だなぁ!」 白魔法使いの女性は、既に兵士が彼の腕を持って来たのかと思い、フルシアンの後ろを見た。しかし、誰も立っていない。彼女は目線を落としてみた。すると、何と彼の腕が勝手にこちらに移動してきていたのである。彼女は思わず腰を抜かした。 「きゃぁぁあっ!!」 よく見ると、たくさんのネズミたちが彼の腕を担いでいたのである。 「今回の功績は彼らだよ。ぞんざいに扱わないでおくれ」 フルシアンはしゃがんで腕を受け取り、白魔法使いの女性に見せた。 そして見事に腕が元に戻ったのである。フルシアンはこの時、「白魔法使い」という存在の重要さを改めて感じた。今後は必ず彼らの存在が大きくなってくる筈である。勇者英雄隊にも優れた白魔法使いが必要だと思わざるを得なかった。 そしてハンネ妃は、アラヤ王を抱きしめた。 「アラヤ!よくここまで頑張ったわね!さすが王様よ!」 アラヤ王はハンネ妃の胸の中で涙を流し、心の底から安堵した。彼なりに母親であるハンネ妃を救おうと、何度も召使いに手紙を渡していたのである。 「母上!あの…一つ聞きたいことが…」 「どうしたの?急に」 「フランク…あ、いや、ピクシーを知ってますか?」 「ピクシー?あの小さい妖精のようなものかしら?」 「そう、父上はピクシーを知っていたの?」 ハンネ妃は、アラヤ王が何を言ってるか一瞬分からなかった。しかし、次第に彼女の記憶の奥底に眠っていた、亡きトゥームーヤの言葉が蘇ってきたのである。 〈ハンネ、僕にはね、この城に秘密のお友達がいるのさ。誰も見たことがない。でも確かにそれはいてね、お菓子とか果物をこっそり食べているんだ。名前はフランキー。僕だけの秘密を君だけに伝えるよ〉 彼女は、トゥームーヤがふざけていたのかと思っていた。しかし、アラヤ王が目を輝かせてその言葉を言った時、懐かしさと共に、アラヤ王の中に確かにトゥームーヤの魂があることを実感したのである。 「…フランキー?」 「そう!父上はフランキーって呼んでたんだ!僕にも見えたんだ!」 ハンネ妃は、何故だか涙がほろほろと止まらなかった。そして優しくアラヤ王の頭を撫でた。 その肝心のフランクは、既にアラヤ王の肩の上に乗っていたのである。 「ま、さっきからずっとここにいるんだけどな〜俺は…」 そして、シイルがハンネ妃の元へ駆け寄った。 「皇后様!」 シイルは兵士たちを引き連れ、地下墓地へと向かい、状況を確認してきたというのである。もし、あの手強いスケルトンたちが城内に現れては大変に危険な状況になることが予想されたからである。しかし、ランディー伯爵が倒されたと同時に彼の魔力が失われ、地下墓地のスケルトンたちも姿を消していたそうである。 「まさに伏魔殿だったのね。恐ろしいことだわ…」 フリンは白魔法使いに手当てを施されながら言った。 「エズィールが言ってた通りだ。あの伯爵は魔王と同等の魔力を放っていたそうだからにゃ。だから奴が居なくなれば、他の小さい魔物たちも消えるんだよ」 「…魔王?」 シイルは、深刻な表情になりハンネ妃に伝えた。クァン・トゥー王国の使者の本当の目的、そしてクァン・トゥー王国ではあのいにしえの魔王が復活してしまったということ、そしてわが帝国の土の民を救出し、魔王を封印する為に互いに協力関係にあったことである。 「な、何ということ…それはもはやこの世界全体の危機だわ!伯爵はひょっとして、その魔王の手下なのかしら…」 フルシアンが言った。 「それはまだ分かりません。しかしエズィール…エルフのドラゴンは、恐らくその可能性は高いと見ています」 シイルは続けた。 「我々はそこで二手に分かれて今回の作戦を決行したのです。うまくいけばシャーデが、彼らを引き連れてそろそろここに戻る頃かと思います」 するとケリー公爵が慌てたように話し出した。 「ああっ!た、大変だ!」 皆がその声に驚いて公爵を見つめた。 「ランディーは、既にサーバスに軍を向かわせておる!秘密裏にサーバスのテイラー妃、つまり私の妹をそそのかし、クーデターを引き起こすつもりなのだ!」 「何ですって!」 ハンネ妃は青ざめた。 ケリー公爵は、昨晩ランディー伯爵から初めてその話を聞いたのであった。伯爵は水面下で隣国サーバス王国の現状をつぶさに把握しており、テイラー妃を利用し、王権を乗っ取ろうと画策していたのであった。しかもそれは実に巧妙に仕組まれた作戦であった。 作戦の内容は、突然神聖ナナウィア帝国の軍隊が夜襲を仕掛ける。サーバスの軍隊がそれを退けるが、そのどさくさで王を戦死に見せかけて殺し、テイラー妃が王権を奪取するというのである。ランディー伯爵は、テイラー妃を傀儡政権として操り、強大な2国を手中に収めたかったのであった。 しかしケリー公爵は、その突拍子もない計画に疑念を抱いていた。それは伯爵としては小心者として映ったのである。 「この…化け物め…この私を意のままに操りおって…!」 公爵は兵士から剣を奪うと、ランディー伯爵の元へとずかずかと歩み寄った。 そしてその剣で横たわる伯爵を斬りつけたのである。 「公爵!いけません!」 ハンネ妃が叫んだ。 「ああ、まだ奴が死んだとは限らない。今のうちに手足を丈夫な鎖で縛り上げてから様子を見た方がいいだろう…出来れば銀の鎖が良い」 フルシアンがそう言ったが、公爵は聞く耳を持っていないようである。 彼は笑いながらハンネ妃の方に振り返った。 「ふん、もう死んでおるわ!あの高さから落ちたのだぞ?この化け物のせいで私は…くそっ」 公爵は剣を持ってランディー伯爵の足を何度も斬りつけた。 実は彼にはまだ昨夜の酒が残っていたようである。 フリンはその時何かを感じ取った。 「公爵!ダメだ!そこにいたら…」 ガバァッ!! その瞬間、なんとランディー伯爵が起き上がりケリー公爵の喉元に噛み付いたのである。 「きゃぁーっ!」 「うわぁぁーっ!」 兵士や召使いたちが一斉に叫んだ。 ハンネ妃は、さっとアラヤ王を背後にまわし、剣を取った。 「しまった!」 フルシアンは、すぐに弓矢を放とうと背中に手を回したが、手応えがなかった。すでに伯爵との戦いで矢を打ち尽くしていたのである。 そして、近くの兵士が背負っていた弓矢を取った。 「ぐわぁぁあっ!」 ケリー公爵の喉元に噛み付いたランディー伯爵は、彼の血を啜っている。ケリー公爵の顔は蒼白になった。 ピュッ! フルシアンの放った矢が、ランディー伯爵の肩に突き刺さった。 「ギャァォオオッ!」 ランディー伯爵は、ケリー公爵の喉元からパッと離れ肩を抑えて悶絶した。 そして、フルシアンはさらに矢を放った。 凄まじいスピードである。 しかし、その矢が伯爵に刺さる直前、彼の体が黒い煙に覆われた。矢はその煙を通過して地面に突き刺さった。 その黒い煙の塊ははゆらゆらと宙に浮いている。 「な、何だこれは!?」 シイルがそう言った途端、その煙は城の排水溝の中へと入っていった。 「太陽の光と銀をまともに喰らったんだ。奴もかなり弱ってるだろうぜ。すぐには襲ってこれないだろう…」 その時、ハンネ妃が叫んだ。 「公爵!いけないわ!」 ケリー公爵は、顔面蒼白になり兵士に抱えられたまま倒れ込んでいた。 「いかん!かなり血を吸われている!」 「白魔法使いよ!」 すぐに白魔法使いの女性が駆け付け、ケリー公爵の治療にあたった。 「…妃殿下、ダメですわ!魔法が効きません!どんどん弱っていってます…!」 ケリー公爵は震えた手をあげてハンネ妃に何やら喋りかけた。ハンネ妃は、彼の手を取った。 「公爵!しっかり!」 「…いや、も、もう…私は…無理だ…これで…これで良かったのだ…」 「何を言うの!これからあなたの力が必要なのです!」 ケリー公爵は、ハンネ妃の頬に手を当てた。 「…これが報いだ…ハンネ…本当に…すまなかった…本当に…王を…よろしく頼む…」 そう言うと、ケリー公爵の手がパタっと力無く地面に落ちた。白魔法使いの女性は、首を横に振った。 「白魔法が…受け付けません…せ、生命の綱が…絶たれました…」 ハンネ妃は、公爵の手を握り涙を浮かべた。 「ああ!なんてことなの!…こんなことって!」 その時、城下町の朝の鐘が聞こえてきた。 白い鳩がバサバサ羽音を立てて城の周りを飛び回った。 ランディー伯爵の魔の手は、サンボラどころかケリー公爵の命までをも奪ってしまった。 ハンネ妃は、公爵のことを最後まで信じ抜いていた。自らを牢に入れたにも関わらずである。 何故ならば、彼女はすべて分かっていたからである。 ケリー公爵という男は、元来優しくて穏やかで繊細な性格であった。トゥームーヤというあまりにも偉大な兄の影に常に隠れていた彼は、周りからは比較され、馬鹿にされ、嘲笑されていた。しかし、彼はそれを知っていた。 だが、彼は「兄は兄。俺は俺だ。兄のようなことは出来ないかもしれぬが、兄とて一人では何事も成し得ない。俺は彼のような偉大な男を支え抜く有能な家臣になろう。陰ながら自らのやれることに全力で取り組めば良いのだ」 これが彼の身につけた哲学であり、生き方であった。ハンネ妃は若い頃から兄の一歩後ろに目立とうとせずにいる弟を見てきたのである。トゥームーヤが気が付かないような細かいところまで弟のケリーは頑張って奔走していることを彼女は知っていた。世間がどう見ようと、美しい兄弟の一つの姿を彼女は感じ取っていたのである。 事実トゥームーヤ自身も弟の気持ちを充分に分かっていたし、彼のことを彼のいないところで買っていたのであった。 〈ハンネ。私がいなくなった後は、弟が支えてくれる。何も心配要らないよ〉 しかし、そのバランスは音を立てて崩れてしまったのである。 ランディー伯爵がスレイヤ城にやってきた時、彼はケリー公爵の心の奥底にしまってあった兄への嫉妬、憎悪、それらを言葉巧みに増幅させた。そして公爵こそが次の帝国の皇帝に相応しいと言ってまわったのである。 当初公爵は、そんな伯爵の言葉を冗談に捉えていたが、それが次第に彼を本気にさせてしまった。そしていつしか「俺は兄を超えてみせる。兄以上の偉大な帝国を築き上げてみせる」と思うようになっていったのであった。 ランディー伯爵は、まさに公爵と皇后を分断させたのである。 ハンネ妃が“妃殿下”と呼ばれているのはその為であった。彼女は本来ならば“皇后”である。皇帝の次の位の持ち主であるはずである。 彼女のことを“皇后”と呼ぶ人間をランディー伯爵は嫌い、陥れていった。 「何を言う!あやつはただの妃ぞ!次代の皇帝はもう決まっておるのだ!」 アラヤを“王”と呼ばせていたのも伯爵であった。神聖ナナウィア帝国は、内部からじわじわと崩れていったのである。 シイルは、ハンネ妃の肩に手を置いた。 「皇后様。どうかお気を確かに。悲しいことですが、これからは我々が陛下を命をかけてお守り致します…」 ハンネ妃は涙を拭ってシイルに言った。 「サーバスへ進軍した軍はどの程度かしら…今すぐに止めなくてはいけません。この事態を救えるのはシイル、あなたしかいません。我が帝国の“勇者”であったそなたしか!」 シイルは力強く頷いた。 そして、ハンネ妃はシイルに皇后の印を押した書簡を持たせ、彼に託そうとした。 その時である。 兵士の一人が空を見上げて叫んだ。 「うわぁ!な、何だあれは!?」 「ド、ドラゴンだ!!」 兵士たちの指差す方向から、朝日に照らされた純白のドラゴンが飛んできたのである。 その後ろには翼の生えたペガサスも続いて飛んでいる。 「あっ!エズィールだ!おーい!!」 フリンの並外れた視力は、他の誰よりもその姿を正確に捉えていた。それはまさしくエルフのドラゴン・エズィールとペガサスに乗ったアントニーの姿であった。よく見るとエズィールにはシャーデと二人の女性らしき人物も乗っているようである。 シイルは、ハンネ妃に伝えた。 「彼らです。エルフのドラゴンとクァン・トゥーの勇敢なる“勇者たち”です」 エズィールとペガサスは、ゆっくりと旋回しながら城の中へと舞い降りた。 エズィールはハンネ妃を見ると、こくりと会釈した。彼に乗っていたのはシャーデと土の民であるアリアナとアイリスの二人であった。 そしてエルフの姿に戻ると、エズィールはハンネ妃の前に跪いた。 「神聖ナナウィア帝国のハンネ皇后陛下。私はエルフの国トトからやってきたドラゴン、エズィールと申します」 そして、あたりを見回すと横たわるサンボラが目に飛び込んできた。 「うむ。やはり一筋縄ではいかなかったようじゃな…サンボラよ…無念極まりないのう…」 シャーデが口を開いた。 「我々の方も辛うじて助けられたのは半数の土の民よ。本来なら彼らをアジトで静養させたかったのだけれど、エズィールがサンボラの危機を感じ取ったの。そしてランディー伯爵の本性の邪気もね」 そしてアントニーが言った。 「すぐさま応援に駆け付けようとしたら、彼女たちが私たちも連れて行けとね」 するとアリアナとアイリスはハンネ妃に歩み寄って跪いた。 「麗しの皇后陛下。どうか身勝手をお許しください。私たち双子を土の民として皇后陛下の下で働かせてください!この命、わが民の誇りを!わが民の力を、誰よりもご理解してくださっている皇后陛下に捧げます!どうか!」 ハンネ妃は優しく頷いて彼女たちに言った。 「いいえ、こちらこそあなた方に謝らなくてはいけないわ。帝国が帝国足り得る力の根源は、何よりも土の民であると、私は予々申しておりました。あなた方を失えば、それこそ帝国の未来は永劫に失われてしまいます。エズィール、そしてシャーデ、クァン・トゥーの使者たちよ。本当によくやってくれました。心より御礼申し上げます」 その言葉を聞いたアリアナとアイリスの二人はほろほろと大粒の涙を流した。 そしてアントニーが口を開いた。 「北の牢獄の近くで野営を見かけた。一体あれは何だ?帝国は戦争でもおっ始めるつもりかい?」 シイルはそれを聞いてアントニーにランディー伯爵の策略を伝えた。そしてハンネ妃が言った。 「恐らくそれは、北方から集めた兵士たちでしょう。こちらからサーバスへ進軍すれば帝国自体が手薄になってしまう。ともかくそこへも使者を送らなければいけないわね」 そしてエズィールが言った。 「事態は一刻を争うことに変わりはないようだ。皇后陛下。どうか私とペガサスを使ってくだされ」 ハンネ妃は言った。 「シイルから聞きました。いにしえの魔王が復活したと。サーバスには勇者の墳墓があります。あなた方の力をお借りすれば、魔王の封印が遠のいてしまわれませぬか?」 エズィールは首を振った。 「いや、伯爵の本性、あれは魔王と酷似しております。そして邪なものは争いを好みます。もしサーバスと帝国が争えば、彼らの思う壺ですぞ。戦争の邪気は彼らの格好の餌食なのです」 ハンネ妃は頷いた。 「ではエズィール殿。わが帝国の勇者をお使いください。シイルとシャーデよ。彼らに付いていくのです。どうか共に世界をお救いください」 ハンネ妃がそう言うと、シイルとシャーデは胸に手を当てて深く敬礼した。 フリンは彼らを見て言った。 「やっぱりそうだったのか!シイル!あんた帝国の勇者だった!通りで腕が良いわけだ!あたいたちが帝国を攻め入った時はあんたらが居なかったんだな!」 シイルは頷いた。そして笑いながら言った。 「ああ、君たちが来た時は既に我々は勇者隊を退いていた。何故ならば我々はトゥームーヤ、そして皇后陛下に命を捧げた身だからね!」 シャーデが続けた。 「真紅のシャーデ、そして漆黒のシイル。クァン・トゥー王国の勇者隊にも引けを取らないつもりよ」 アントニーは笑顔で彼らを見つめた。そしてフルシアンが言った。 「よし、ともかく北の野営地とサーバスへ向かおう!彼らの進軍を防ぎ、戦争を回避しなくては!」 「ガラたちは無事かなぁ…」 フリンが呟いた。 「よかろうフリン、わしに乗るがいい。そしてシイル殿も一緒にサーバスへと向かうのだ!」 ペガサスにはアントニーとフルシアンが乗った。 シャーデは早馬を飛ばして野営地へと向かうことになった。 そんな時、アラヤ王は彼らの姿を目に焼けていた。彼は後に皇帝として、フランクと共に神聖ナナウィア帝国最強の勇者隊を結成し、再び大陸を統べることになるのだが、それはまた別の話である。 クァン・トゥー王国の勇者隊と、エルフのドラゴンは、かつての帝国の勇者たちと共に、再び次なる戦いへと向かっていったのである。 第四章完。

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第8話「鷹」 アラヤ王は、小さな肩を震わせ、フルシアンのそばで泣いている。フルシアンは、王を早く安全な場所へ避難させなければと思った。 目の前にいるランディー伯爵はケリー公爵に背後から斬りつけられ、憤怒の表情へと変わった。 「…おのれ、愚かな者どもよ!良いだろう!わしの真の姿を見て後悔するがいい!」 そう言うと、伯爵の目がさらに赤く光り、髪の毛は逆立ち、口からは鋭い牙が生え、耳の先が尖り出した。 そして体はみるみるうちに大きくなり、ボタンが吹っ飛び、服が裂け、筋肉が盛り上がり、身長は2メートルを悠に超えた。爪は伸びて鋭さを増していった。 靴から爪が飛び出し、靴も裂けてしまうほど伯爵の足は巨大化していった。 カラン! ケリー公爵は、その姿を見て恐怖のあまり、剣を落として腰を抜かしてしまった。 「あ、あわわ!な、何と言うことだ…何なのだこいつは!?」 しかし、フリンは違っていた。 「ふん!大したことないじゃないか…!」 フリンは、先程アラヤ王に化けた怪物の女性がつけた短刀の傷跡がすっかり塞がったのを確認し、双剣を構えて再び立ち上がった。 「フリンよ…油断するな!これはストリゴイとは比べ物にならないほどの力を… サンボラがそう言った瞬間、ドン!という衝撃波が起き、彼を吹き飛ばした。 「…!!」 ドーン!という音と共に、サンボラはドアに衝突し、ドアごと壁を突き破ったのである。 「サンボラ!!」 伯爵は肉眼では追えないほど素早いスピードで、サンボラに体当たりし、吹き飛ばしたのである。 「な、何…!?まったく見えなかった!」 「ぐはっ…!」 サンボラはドアと壁の瓦礫の下敷きになったが、生きてはいるようである。 「サンボラ!大丈夫か!」 フルシアンはサンボラに声をかけた。 サンボラはヨロヨロと立ち上がった。 「ほう!…意外とタフではないか…」 伯爵の声は、明らかに人間の声帯ではなかった。その声はとても低く、耳から入り、背筋全体を振動するような声であった。 サンボラは言った。 「危なかった…これ程までのスピードとパワーだとは…あらかじめ補助魔法をかけていなければ確実にやられていたな…」 それを聞いてフリンは少しホッとした。 「サンボラ…ここはあたいがやる…さっきは油断したが、このままじゃ、あたいの腹の虫が収まらないんだ…!」 フリンは全身の毛が逆立ち、怒りに体を震わせ双剣をカチンと合わせて火花を散らした。 フルシアンは、フリンに向けて言った。 「だめだフリン!無茶するな!ここは一旦退くんだ!」 フリンはフルシアンをキッと見つめて言った。 「退く?…一体どうやってさ!あんたはアラヤ王を抱えながら、この吸血鬼野郎から逃げられるとでも思ってんのか?……大丈夫、心配すんな!あたいはスピードだけなら誰にも負けない!アマンにだって負けたことはないんだ。補助魔法なんか使わなくったってな!…あたいの本気を見せてやる!」 伯爵は、不気味な笑みを浮かべてフリンに言った。 「キキキキ…この子猫風情が!本気を出すだと?ふざけたことをぬかしおって!このワシに貴様如き敵うはずがなかろう…」 そう言った瞬間、伯爵は、フリンの懐に飛び込み、両手の爪をフリンの喉元目掛けて振り抜いた。 咄嗟にアラヤ王は目を瞑った。 ブンッ! しかし、その両手は大きな弧を描いて空を切ったのである。 「…!?」 伯爵は、一瞬フリンが消えたかと思った。しかし、その瞬間、フリンはくるくると伯爵の頭上で回転しており、そのまま双剣で彼の肩の後ろあたりを斬りつけた。 シュバッ! 伯爵の肩の後ろから血がバッと吹き出した。 「くっ!小癪なぁっ!」 伯爵は、振り向き様に再び爪をフリン目掛けて振り抜いた。 ブンッ!!! 再び爪は大きく空を切り、その音だけが部屋の中に響き渡った。 すると、今度はフリンは地面スレスレにしゃがみ込んでおり、ランディー伯爵の足元を斬りつけた。 シバッ!! 次は伯爵の左足首から血が吹き出たのである。 「…すごい!これは戦えるぞ!!」 フルシアンは、フリンの実力の進化に驚いた。 —彼は彼女としばらく会わない期間があった。 それはガラがドラゴンを退治する前のことである。彼はアントニーと共に神聖ナナウィア帝国へと交渉に向かい、フリンはチドと北方の遊牧民征伐へと向かったのであった。 遊牧民たちが次第に力をつけていることは前から分かっていたが、クァン・トゥー王国宰相のアングラは、それの対処よりも、「オーブ奪取計画」を優先させていた。 しかしながら、遊牧民もかなりの強敵である。そこでアングラはフリンとチド中心とした征伐隊を結成し、そこへ向かわせたのである。 アングラは征伐隊とはいえ、遊牧民たちを完全に制圧するに足る兵力ではないことは分かっていた。そこで彼らには「こちらに攻め込むには一筋縄ではいかないぞ」と思わせるくらいの抵抗を見せよと伝えたのである。 具体的には、サーティ川を挟んだ地点を前線を設定し、それ以上踏み込ませることがないようにと指令を下したのである。 フリンとチドは、前線へと向かい、野営を張った。しかし、そこで彼らが見たのは、想定以上の数の遊牧民部隊だったのである。それはおよそ想定の5倍程の戦力であった。 彼らは死に物狂いで戦った。 征伐隊もおよそ三分の一がやられてしまったが、まさに命からがら何とか前線を守りきったのであった。そういったギリギリの死地に身を置いたフリンとチドの実力は、彼ら自身が思っている以上に洗練され、圧倒的な戦闘力の向上を達成したのである。兵士たちは、彼らはまさに“鬼神”の如き姿であったと後に回想している。 —ストリゴイでさえ彼女の真のスピードには及ばずであった。フルシアンはこのフリンの真の実力に希望の一条を見た。 しかしながらサンボラとフルシアンは、フリンと伯爵の攻防があまりにも速過ぎるゆえに、ただただ見守っているしかなかった。そこで、フルシアンは徐々にアラヤ王を出入り口(ドアがあったが破壊され大きく開いた)付近に移動させていくことにした。 すると、ドンという音と共に伯爵の手元からフリンが吹っ飛んだ。 フリンはすかさず受け身を取り、再び攻撃を繰り出す。 フルシアンは、圧倒的なスピードを誇るフリンであっても、伯爵に僅かながら押されていると感じた。しかも、先程まで血が垂れていた伯爵の傷口は、しばらくすると塞がっていたのである。ヴァンパイアの特長である「不死性」というものであろうか。そしてまたさらに伯爵の一撃をまともにくらえば、あっという間に形勢は不利になると思った。 「一撃が重い…!フリンよ…もう少し持ち堪えてくれ!」 そして、何とか出入り口に差し掛かった時であった。 ズンッ! という音と共に、フリンが再び吹き飛ばされたのである。しかし、今度は受け身を取るのが上手くいかずフリンはザッと床に転がった。 そして、すたっと立ち上がった時、タタッと床に何かが垂れ落ちた。喀血したのである。 「かはっ!」 そして彼女は腹部を押さえていた。しかもその手からもじわっと血が滲んでいたのである。 「フリン!」 「いかん!」 伯爵の一撃がフリンの腹部にクリーンヒットしたようである。やはりフルシアンが懸念していた通りになってしまったのであった。 伯爵は、ニヤリと笑いながら自分の爪から滴り落ちるフリンの血をペロっと舐めた。 「ん〜…猫風情にしては中々であったぞ…しかしやはりわしの敵ではないな…」 その時サンボラが杖を掲げた。 「フリン!よくやった!おかげで時間が作れた!“ディストゾーン”!!」 その瞬間、サンボラの杖から無数の紫色の小さな光球が飛び出し、バッと伯爵の周りを囲んだのである。 そして、サンボラは杖を持っていない手を挙げ、グッと拳を握るような動作をした。 すると、無数の紫色の光球が一斉に中心にいる伯爵にぶつかっていったのである。一つの光球が衝突するとドンという音と共に爆発をして、ダメージを与える。それが無数に連続にぶつかっていった。ドドドン!という衝撃波が細かく断続的に起こった。 フリンとフルシアンは顔を覆った。 「グフアッ!!」 伯爵は思わずよろけた。 「いいぞサンボラ!効いてるようだ!」 しかしフルシアンがそう言った瞬間、伯爵は、その光球の隙間から脱出し、サンボラの目の前に急接近した。 「サンボラよけ…!」 ズブッ!! フリンは瞬間的に叫んだが、遅かった。 「いやぁぁぁーっ!!」 フルシアンは、すぐ横にいたはずのサンボラがあっという間に天井近くまで移動したと思った。しかし目線をそちらに向けた瞬間、悲しみと悔しさ、そして絶望感でいっぱいになった。 なぜならば、サンボラの体は伯爵の腕に貫かれたまま宙に浮いていたからである。 サンボラの手から杖が落ちた。 「…不思議な魔法を使う男よ…なかなか惜しかったぞ…」 そして伯爵はサンボラに突き刺さった腕を抜いた。 サンボラは力無く床に倒れた。 「ちきしょおおおお!!!」 フルシアンは、弓を素早く構え矢を放った。 —伯爵が変身するその少し前、シイルはハンネ妃を城の外まで誘導していた。 「さすが皇后陛下、このルートにほとんど兵はおりませんね!」 「あなた方の情報のおかげですわ。コツコツと兵士の交代場所や時間を調節し、最短ルートを見出したのよ」 ハンネ妃は、兵士の中でも彼女のことを慕っている者がおり、水面下で彼らの協力を得ていたのである。 そして二人は城を出て、城壁付近のある地点に辿り着いた。 「…お待ちを。確かここに…あった!」 シイルは、地面の芝生で微妙に色が違う場所を探すと、少し不自然に色が変わっている箇所を見つけ出した。そして芝生をべりっと剥がすと、そこには50センチ角程の木製の正四角形のフタが現れた。 そのフタには縦に数センチの穴があり、そこに手をかけて引っ張るとフタが開いて小さな階段が現れたのである。 その時、城の中央上階付近からドドドンと音がしたのである。シイルはふと城の方を見上げた。それを見たハンネ妃は、シイルに言った。 「シイルよ、ありがとう。ここからは私が一人で行くわ。あなたは彼らを助けに行くのです。」 「…ですが…!」 秘密の通路の出口には、おそらくランドオブザフリーのメンバーがハンネ妃を待っているであろう。しかし、一人で通路を通るのは危険だと思った。 しかし、ハンネ妃はどこからか途中で拾ったであろう剣を手にしていた。 「私の腕もまだまだ現役ですのよ。さあ、行きなさい!」 ハンネ妃は剣術の達人でもあった。シイルは頷き、城の中へ引き返したのであった。 —そして城の上階、アラヤ王の寝室では、フルシアンたちが絶対絶命のピンチを迎えていた。 普段は冷静沈着なフルシアンであったが、怒りに任せ、伯爵に矢を放ち続けていた。 「うおおおおお!!」 しかし伯爵は、なんの造作もなくすべて手で矢を払い落としていく。 「無駄じゃ無駄じゃあ!そんな矢などわしには通用せんぞ!」 そして、とうとう矢筒が空になってしまったのである。 「くそっ!くそっ!くそぉぉーっ!!」 フルシアンは弓を捨て、ナイフを取り出した。 フリンは普段の姿とは違うフルシアンを見て涙を浮かべた。そして腹の傷を押さえながら剣を握り締め、ヨロヨロと伯爵の方へ歩き出した。 「サンボラをよくも!」 叫び声と共にフルシアンは、伯爵に向かって走り出し、斬りつけようとした。 アラヤ王は、廊下の隅に体を寄せ、しゃがみ込んで目と耳を塞いでいる。 「…残念!これで終わりだっ!!」 伯爵はそう言うと、フルシアンの攻撃を難なく交わし、鋭い爪を振り抜き、彼の腕を切断したのである。 切断した衝撃で、腕は宙をくるくると回転し、床にどさっと落ちた。 「ぐぁぁあっ!!」 フルシアンは、腕を押さえて悶絶した。 「フルシアーーーン!!」 フリンは泣き叫んだ。 ケリー公爵は、あまりの恐ろしさに身動き一つ取れなかったが、勇気を振り絞り、再び剣を取った。 「お、おのれ…化け物め…!」 その時であった。 公爵は背後から何かが来る気配がしたのである。彼は何事だと思い振り返った。それは彼の背後よりも足元に近いことが分かった。なんとそこには床いっぱいに広がる黒い物体があったのである。 「うわわわ!な、何だこれは!?」 ケリー公爵は足がすくんで固まった。しかし、その黒い物体は、するするとケリー公爵の足元をすり抜けていっているようである。彼は目を凝らしてその物体をよく見た。そして再び声を上げた。 「うわわっ!ね、ネズミだ!!」 それは数え切れないほどのネズミの群れであった。びっしりと床一面ネズミだらけである。それが一斉に伯爵目掛けて走り抜けていったのである。 「いやっほーっ!!」 アラヤ王はその時、何やら聞き慣れた声がしたと思った。よく見ると、なんとその先頭のネズミにピクシーのフランクが乗っていたのである。 「仲間たちを連れてきたぜ!」 アラヤ王は目を見開いた。 フランクはネズミに乗ったまま伯爵を指差して叫んだ。 「よーしお前たち!あの怪物に噛みついてやれ!」 ネズミの大群は、伯爵の体によじ登っていった。 フリンは驚き、フルシアンに言った。 「な、何だこれは!?一体誰が!?フルシアンが呼んだのか!?」 フルシアンは腕を押さえながら、首を振った。 「い、いや俺じゃない…そんな余裕はなかった…」 伯爵はネズミの大群を振り払おうとするが、払っても払っても次から次へとネズミが伯爵の体を覆い尽くしていくのである。 それはまるで城中どころか、帝国中のネズミがここに集まっているかのようであった。 圧倒的なネズミの数で、伯爵の体は真っ黒になっているように見えた。 「ぐああっ!おのれ!こ、こいつら!何なのだ!」 フリンはこの隙にフルシアンに駆け寄り、ベッドのシーツを破り、彼の腕をぎゅっと縛り止血した。 そして、フランクはネズミに乗ったままアラヤ王の元へ駆け寄った。 「フランク!一体どこに行ったのかと思ったよ!」 アラヤ王がネズミに向けて話しているのを見たフルシアンは、(殿下も獣心眼(フェイシングジアニマル)を使えるのか?)と思った。 しかしアラヤ王はネズミに話しかけているのではなく、ネズミの上に乗ったピクシーに話しかけているのであった。ピクシーはアラヤ王にしか見えないのである。 そしてフランクは何やらアラヤ王に一つのアイデアを伝えた。そしてアラヤ王はうんうんと頷き、咄嗟に立ち上がると突然寝室の奥に駆け出した。 「なっ!ちょっと王さま!そっちは危ないって!」 フリンは驚いた。突然アラヤ王が伯爵の方に向かって走り出したように見えたのである。 しかし、彼はネズミだらけの伯爵の横をすり抜け、窓際に到達したのであった。 「よし今だ!」 アラヤ王が窓際に到達したのを見届けたフランクはパンパンと手を叩いた。 その瞬間、伯爵にまとわりついていたネズミたちがパッと離れたのである。 「今だぜ!王さま!!」 アラヤ王は頷くと、王の寝室の大きなカーテンを掴みながら走り出した。 すると、窓から一気にまばゆい陽の光が差し込んだのである。窓は東に向いており、東の空から朝日が昇っていた。夜が明けたのである。 フリンとフルシアンは、一瞬目が眩みそうになり、目を覆った。 すると、伯爵が叫び出した。 「ギャアァァァァーッ!!!」 伯爵の体はみるみるうちに焼け爛れ、真っ赤に腫れ出した。 「夜が明けたのか!」 フルシアンはヴァンパイアの伝説「ヴァンパイアは太陽の光に極端に弱い」ことを思い出した。 伯爵は顔を押さえて悶絶している。 そして、フランクはネズミに乗っかったまま、何やら長い棒のような物を持っていた。それはキラリと光るナイフであった。フランクはナイフをまるで騎士のスピアのように脇に抱えていたのである。 「突撃ぃぃ〜っ!!」 アラヤ王は、ネズミに乗ったピクシーが、まるで戦場を駆け巡る騎兵のように見えた。 その小さな騎兵は、勢いよく伯爵の体をよじ登っていき、頭のてっぺんに辿り着いた。 そして、伯爵の目玉にナイフを突き刺したのである。 「討ち取ったぞ〜っ!!」 伯爵は目を押さえてさらに悶絶した。 フルシアンは、実に不思議な光景だと思った。確かにネズミだけではなく、何かがネズミを指揮しているようにも見えたのである。 そして、フリンがその時叫んだ。 「ああっ!そうか!銀!銀だよ!フルシアン!!」 反射的にフルシアンもフリンと同時に何かが閃いたようである。 古き伝説によれば、ヴァンパイアの弱点は「太陽の光」と、「銀」であった。伝説ではヴァンパイアを退治した剣士が銀の剣を用いたとされていたのである。 確かに銀のナイフが突き刺さった目からは、煙のようなものが出ており、黒ずんでいるように見えた。通常の武器で斬りつけた傷跡は、すぐに復活してしまうのに対して、明らかに違う現象が起きていたのである。 すぐさまフルシアンは寝室奥の食器棚に駆け寄り、引き出しを開けた。そこにはたくさんの銀の食器が並んでいたのである。フォークにナイフ、スプーンにフルーツ用の串などであった。 フルシアンはそれらを持ち、投げナイフのように伯爵に目掛けて投げつけた。 「くらえ!」 グサグサと伯爵の体に銀の食器が次々と突き刺さっていく。そして、やはり伯爵に確実にダメージを与えているようであった。 伯爵は、あまりもの痛みで膝をついた。 「ぐおお!おのれ〜ッ!!」 その時である。 倒れていたサンボラがバッと起き上がり、叫んだ。 「皆!そこをどいてろ!ディストーン!!」 するとサンボラの手から紫色の光球が放たれ、伯爵めがけて飛んでいったのである。 フルシアンとフリンは、咄嗟にアラヤ王とケリー公爵を庇いながら床に伏せた。 光球は、伯爵にぶつかり大きく爆発した。 「のわっ!」 ドーン!という衝撃と共に、窓際へ吹っ飛んだ伯爵は、そのまま窓を突き破り、下へと落ちていった。 伯爵はそのままエントランスへ激突した。 階下では度重なる爆発音に、城中の者たちが集わらわらと集結していた。そこにシイルの姿もあった。 そして、ドタドタと大勢の人間たちがアラヤ王の寝室へと向かってきたのである。 「殿下!どうなされたのです!ケリー公爵!!」 「うわぁ!なんだこのネズミの大群は!?」 フリンは、アラヤ王を兵士に預け、サンボラの元へと駆け寄り、抱き起こした。 「サンボラ!大丈夫なのか!?」 しかしサンボラは既に虚な表情を浮かべて、血を吐いていた。 「フリン…いや、もうダメだ。魔法の効果で俺はまだ生きているが、効果が…なくなればすぐに死ぬだろう…」 「そんな!ダメだ!今、白魔法使いをよんでくるから!」 「いいんだ。フリンよ…これでやっと仲間たちに会える…良い死に場所だ…」 サンボラは、そう言うとフリンに一つのペンダントを渡した。 「…これを、パンテラにいるルーシー…ルーシー・ブラウンという女性に渡してくれないか…」 フリンはそれを受け取ると、泣きじゃくった。 「俺は…たくさんの過ちをおかしてきた…これでいいのだ…罪は償えると思わないが…みなを助けて死ねる…幸せだ…」 そう言うと、サンボラは静かに動かなくなった。 「サンボラ!サンボラ…!」 フリンはサンボラに抱きついて大声で泣き叫んだ。フルシアンもフリンの肩を抱きながら大粒の涙を流した。 その時、東の空を一羽の鷹が飛び立った。朝日に向かって、悠々と、そして雄々しく。

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第7話「不屈」 「しまった!フラ…」 ピクシーのフランクは、ナリンチェ(白ワイン)に目がなかった。トゥームーヤと一緒にいた頃は、二人で明け方まで飲み明かしていたほどであった。 「も、もう我慢出来ない…何年も待ったんだ…この匂い…」 フランクはベッドの下に隠れているアラヤ王の手の届かない位置までフラフラと歩いて行き、ランディー伯爵の足元に転がるワインボトルへと近付いていってしまった。 ランディー伯爵は、床に寝転んでいるケリー公爵の体を持ち上げた。 「まったく世話のかかる男だ。子供の頃から何も変わっとらん。お前はこれから新たな皇帝になる男なんだぞ…少しは威厳を持ってもらわねば困る…」 アラヤ王はランディー伯爵が軽々とケリー公爵の体を持ち上げていることに驚いた。ケリー公爵は、それなりに体格が大きく、180センチ以上はある。 90歳を超えた老人がその体をひょいと持ち上げているのである。 (やっぱりおかしい…あのケリーおじさんを軽々と持ち上げてる…) アラヤ王はランディー伯爵の足元を見つめていたが、フランクのことをすっかり忘れていた。 フランクは自分の体以上に大きなワインボトルを持ち上げ、残りのワインを口に流し込むようにしていた。 「フガフガ…あともうちょい…」 その時、フランクはワインボトルを持ち上げている手が滑り、自分の体の上に倒れてしまったのである。 「ぐえっ!」 そして、ワインボトルがコトンと転がる音が響いてしまった。 「ん?」 ランディー伯爵は、その音に気付いた。 「…なんだ?」 ランディー伯爵は、床に転がるワインボトルに手を伸ばそうとした。 その時である。 アラヤ王の後ろからネズミが1匹現れ、ランディー伯爵の足元を走り抜けて行ったのである。 「なんだ…ネズミか…」 ランディー伯爵は、くるっと振り向きケリー公爵の寝室を出て行った。 アラヤ王は、ふうと息を漏らし、肩の力を抜いた。 「はぁ〜、危なかった…」 彼はそっとベッドの下から出て、ワインボトルにつぶされているフランクを助け出した。 「おいフランク!危なかったじゃないか!」 フランクは起き上がり、もう一度ワインボトルを担ぎ上げ、残りのワインを飲み干した。しばらくぶりにワインの味を堪能して上機嫌である。 「ぷはーっ!こいつはうまい!…なぁに、俺の姿はお前さんにしか見えないんだ。何も心配することなんてないさ」 フランクは、まだ飲み足りない様子で、ケリー公爵のワインラックの中に入っていこうとした。 しかし、アラヤ王は、彼の首根っこを掴んで言った。 「おいおい、僕は君が出してやるって言ったから寝室から出て来たんだぞ!酒を飲むなら後にしろよ」 フランクは不貞腐れた顔でアラヤ王に言った。 「ああ、確かに、俺はそう言った。お前さんは間違っちゃいねえぜ…ちきしょう…。よし、じゃあ城から出たら、たらふくワインをご馳走してくれよな!約束だぜ!」 アラヤ王はやれやれといった表情で頷いた。 「よし、じゃあここから出るぜ!待ってな」 フランクは再び廊下へと出て辺りを確認した。 「よし、ランディー伯爵も行ったようだ。出るぞ」 アラヤ王はそっとケリー公爵の寝室から出た。そして、フランクについて歩き出したのである。 しかしその時であった。 「これはこれは陛下。こんな夜更けにお散歩ですかな?」 背後から突然低くしゃがれた声がした。アラヤ王とフランクはぞっとし、背筋が凍りつくような気がした。恐る恐る振り向くと、そこにはニヤリと不気味な笑みを浮かべたランディー伯爵の姿があった。 「まさか…さっきは誰もいなかったはず…」 フランクは小さな声で言った。 アラヤ王は体が震えて声が出なかった。 彼はゆっくりと振り向き、ランディー伯爵の顔を見た… 一方その頃、地下牢では… ハンネ妃は、しばらく床に伏して絶望の淵にいた。涙が止まらなかった。しかし、その時にふと今は亡きトゥームーヤ皇帝の顔が浮かんだのである。 彼女は、トゥームーヤ皇帝と初めて会った時の頃を思い出した。彼女はサーバス王国との政略結婚によってトゥームーヤ皇帝の側室となったのである。まだ若干13歳であった。トゥームーヤは既に前皇后との間に子を授かっていたが、病の為、妻と子をほぼ同時期に亡くしてしまっていたのであった。 悲しみの淵にいた“賢帝”は公の場では、まったくその悲しみを晒すことなく、淡々と皇帝としての責務を果たしていた。 彼の中には、かつての帝国の栄華が赤々と燃え上がっていた。 一度落ちぶれた帝国を建て直そうと、必死に働いていたのである。まわりは彼がいつ起きていつ寝てるのかさえ分からなかった。“皇帝”という位ではあるが、今となっては、各国の王と権力の差はなく、主に外交的な手腕で各国をまとめ上げていたのである。 ハンネ妃にとってトゥームーヤ皇帝の姿は、思っていた姿とは全く違う姿であった。彼女は生まれながらにして、ナナウィア帝国に嫁ぐことが決められており、物心ついた時からトゥームーヤ皇帝のことを聞かされて育った。彼の好きな食べ物や趣味、また得意な狩りや、武芸などである。 しかしながら、彼女の中で“皇帝”というものがいかに雲の上の存在か知らされる度に、嫌気がさしていた。「どうせ、人を人と思わず、好き勝手に権力を振るっているに違いないわ」とさえ思っていた。 彼女は元来とても勝気の強い性格であった。剣の腕は師範も舌を巻くほどの実力を身に付け、学問においても興味があり、暇が空いては書斎に籠り、本を読み漁ったりしていた。自信たっぷりの彼女は、いつしか皇帝と対等になってやろうとさえ密かに思っていたのである。 しかし、13歳を迎え、ナナウィア帝国の庭園で彼の姿を見た瞬間、彼女の中の何かが大きく崩れた。トゥームーヤ皇帝の格好は、非常に軽装で素朴であり、膝や肘は布がほつれていた。また常に何かを考え、閃いたことを側近の人間に口述し、記録させていた。側近の一人が、遥々サーバス王国からハンネ妃(この時はまだであるが)が到着したと耳打ちした。 トゥームーヤは彼女を見てこう言った。 「これはようこそ、ハンネ。ここは君の自由に使っていい。どうか楽にしていてくれたまえ」 そう言うとまたふいとどこかへ行ってしまったのである。 ハンネ妃は呆気に取られた。偉ぶる素振りなど彼には微塵もなく、彼の顔は常に情熱に満ち溢れていた。彼女は、次第に彼のことが心の底から好きになっていった。 とは言うものの、トゥームーヤとハンネは親子程の年齢が離れていた。彼にとってハンネは妻というよりも、娘に近い感覚であった。彼はサーバス王国のギーザ王程ではないが、妾もたくさんもっていた。当初彼にとっては、ハンネ妃はあまり興味の対象ではなかったのである。 そしてハンネ妃が17歳になり、正式に側室となった。彼女は、トゥームーヤと行動を共にすることが多くなっていった。トゥームーヤの行っている外交や政策、時に出兵など様々な業務を身近で経験することが出来たのである。 ある日、まったく眼中になかった西方の地方国家が力を付け、“三国同盟”なるものを結び、ナナウィア帝国へ独立を認めるようにと使いを送ってきた。「ガニータ」「ヤーマン」「シズー・クァン」の三国である。 トゥームーヤは頭を悩ませた。拒否すればおそらく三国は力を合わせて攻め入ってくるに違いない。だが認めたとしても、将来的に同じ結末を迎えてしまう可能性がある。そして東方には宿敵サーバス王国があるのである。 ハンネ妃は、執務室で頭を悩ませるトゥームーヤ皇帝に対し、意を決して話しかけた。 「皇帝陛下。僭越ながら、このハンネめに一言お許しを。陛下のお力となるべく、申し上げたきことがございます」 その時、皇帝のまわりにいた側近たちがざわめいた。 「これは妃殿下。ここは政(まつりごと)の場。あなた様のようなお方には相応しくありませんな。いかがですかな、庭園などお散歩なされては…」 側近の一人がそう言うと、トゥームーヤ皇帝は側近の言葉を遮り、こう言った。 「ハンネ。君にはこの難局を乗り越える何か良いアイデアがあるのかい?どうか聞かせてもらえるかな?」 皇帝からの言葉にハンネは一礼した。そして彼女は、皇帝にこう進言した。 彼女曰く、過去の世界の歴史における同様なケースは数多くあったが、いずれも強硬的に解決しようとした国は、必ず結果的に滅んでいるというのである。 また現状のナナウィア帝国には、三国同盟を押さえつけるだけの軍事力もない。 しかしながら、資源にはまだ余力がある。ここで彼女は段階的に三国同盟の独立を認めるという案を出したのである。実質的には四国間の同盟という形ではあるが、結果的にナナウィア帝国を中心とした連邦のような関係を築いていくというのである。具体的には、各国間の貿易の自由化、貨幣の統一、軍事同盟などである。 彼女の案は実に現実的であり、何よりも帝国の現状把握が実に的確であった。 周りにいた側近たちは、言葉を失った。つい最近まで少女であったこの若き妃が、どの側近たちよりも的確な進言をしたのである。 しかし、トゥームーヤ皇帝だけは、ニコニコしながら彼女を見つめていた。 「なるほど、素晴らしい考えだ。そしてここにいる誰よりも我が帝国の現実を捉えておる。」 皇帝は拍手しながら彼女に言った。そして、全般的に彼女の案を採用したのである。現実を直視せずに、皇帝の機嫌ばかりを伺っている側近に、皇帝は辟易していたのである。 それから皇帝は、帝国の運営に関する会議に必ずハンネ妃を同席させたのである。 皇帝にとって、ハンネ妃の存在は次第に大きくなっていった。そして彼は、ハンネ妃を一人の女性としても見るようになっていった。 ハンネ妃は、トゥームーヤ皇帝を公私に渡り支え抜いた。そして、アラヤを身籠ったのである。 しかし、トゥームーヤ皇帝は、その時既に60歳を越え、病に冒されていた。 病の床で、彼はハンネ妃にこう伝えた。 「愛するハンネ…おそらく私の代では、この帝国を復活させることは出来ない…どうか、私に代わってアラヤを支え、私たちの帝国を…再び栄光に…」 ハンネ妃は大粒の涙を流しながらトゥームーヤ皇帝の手を取って言った。 「愛しの我が君…このハンネ、あなた様の理想郷を必ずや築いてみせますわ…」 —そして、彼女は今薄暗い地下牢でトゥームーヤ皇帝の言葉を何度も繰り返し呟いた。 「私たちの帝国を再び栄光に…」 「私たちの帝国を再び栄光に…」 彼女は涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。 その時である。 廊下の奥で何やら音がした。 ギギィーという音と共に、倉庫の重い扉が開いた。すると、中からシイルたち自由の天地(ランドオブザフリー)の面々が出てきたのである。 「シイル!来たのね!」 ハンネ妃は心から安堵した。涙が再び出てきたが、それはもう絶望の涙ではなかった。 シイルはハンネ妃を見つけると、すぐさま牢の前まで駆け寄った。 「皇后様!よかった!よくぞご無事で…!」 シイルは、あらかじめ隠し持っていた牢の鍵を使い、牢を開け、ハンネ妃を外に出した。 ハンネ妃は、シイルら全員と抱擁を交わした。 「何ということ!あなた方は本当にやってのけたのね!」 シイルはすぐにハンネ妃を外に連れ出そうとした。しかし、ハンネ妃は言った。 「シイルよ、どうか王を!我が息子アラヤ王をお救いくださいませ!私たちの計画は知られてしまいました…!」 シイルは愕然とした。 「な、何ですって!?」 「王の命が危ないわ!このまま私たちを殺して、ケリーを皇帝にする気だわ!」 するとサンボラが言った。 「よし、ではここで二手に分かれよう。シイルはハンネ妃を外へ連れ出すのだ。我々はアラヤ王の元へ向かう!」 シイルは頷いた。 「そうだな!ではあとは頼む!」 サンボラ、フルシアン、フリンは、アラヤ王の元へ向かうことにした。 「よし、予定ではアラヤ王の寝室は、玉座の間の上階に位置する。」 フルシアンは、ネズミに言った。 「君たち。とりあえずここで一旦お別れだ。また助けが必要な時に知らせる」 ネズミは名残惜しそうな顔をし、壁の隅の穴に入っていった。 フリン、フルシアンは数々の隠密作戦や、諜報作戦をこなしてきたスペシャリストである。物音一つ立てずに城を見渡し、最適なルートで城の上階へと向かった。 なるべく城の人間には見つからずにとうとう彼らはアラヤ王の寝室まで辿り着いたのである。 フルシアンは、懐から何やら“針金”のようなものを取り出し、アラヤ王の寝室の鍵を開けた。 「よし、これで開くぞ…」 三人は、ゆっくりとアラヤ王の寝室に入った。 寝室の中央には丸くて大きなテーブルがあり、たくさんの果物やお菓子が並べられていた。 そして、ベッドには綺麗にシーツが敷かれ、アラヤ王は、スヤスヤと眠りについていたのである。 フリンは、ゆっくりと近付いた。 「殿下…殿下…起きてください…」 フリンはアラヤ王の肩を優しく揺さぶって起こそうとした。 サンボラは寝室全体を見守り、フルシアンは寝室の外を見張った。 「う…ん…だぁれ?僕のことを起こすのは…」 アラヤ王は、眠い目を擦りながら目を覚ました。 「殿下、私のこと覚えるかにゃ?あの時、ダークグリフォンの首を持ってきたウェアキャットです」 フリンは王を刺激しないようにゆっくりと優しく話しかけた。 「え?あ、ああ、うん…覚えてるよ…す、すごかったね…」 「殿下、我々はハンネ妃…お母様の使いです。これから城の外へ連れ出します。我々と一緒に来ていただけますでしょうか?」 アラヤ王は、キョトンとした顔をした。 その時である。フルシアンの足元に、再びネズミが近付いてきたのである。 ネズミは何やらフルシアンに伝えたいことがあるようであった。 「うん?君はさっきの…どうしたんだい?」 サンボラは、何やらフルシアンがぶつぶつと言っていることに気が付いた。 「フルシアン…どうかしたのか?」 フルシアンは、血相を変えた。 「…な、何だと!?そんな…」 突然フルシアンは、寝室に飛び込み、フリンに叫んだのである。 「フリン!離れろ!そいつは王じゃない!」 すると、フリンの背中に負われていたアラヤ王の手には短刀が握られており、それをフリンの胸に突き刺したのである。 「グフッ!」 フリンは血を吐いて倒れ込んだ。 「クソッ!」 フルシアンはすぐさま弓を取り出し、矢を放った。 アラヤ王は、その瞬間、信じられないスピードで飛び上がり、矢を避けたのである。 「…何ッ!?」 サンボラは、杖を取り出し、念じた。 「貴様…正体を明かせ!アクセプト!」 サンボラの杖から紫色の波動が迸り、アラヤ王の体を包んだ。 「ぐああっ!」 アラヤ王は叫び、もがいた。 すると、たちまち王の体は不気味に変形し、召使いの格好をした女性に変わったのである。しかし、彼女の顔つきはうつろで目の色は白く、血の気のない真っ青な顔であった。 「貴様!何者だ!」 「キキキキ…」 その女性は不気味な笑い声を浮かべながら、短刀を持ち替えてサンボラに襲いかかった。 シュバッという音と共に、あっという間にサンボラの胸元までたどり着いた。しかし、寸前でフルシアンの弓矢が刃を防いだのである。 「このスピード!パワー!こいつ普通の人間じゃない!」 フルシアンは弓で防ぎながら、ナイフを取り出し、その女性を斬りつけた。 しかし、さっとそのナイフを交わし、女性は後ろに飛んだのである。 フルシアンは、ナイフを構えながら、フリンに目をやった。フリンは胸元を押さえながら苦しんでいる。 「サンボラ!フリンを!」 サンボラはフリンの元へ駆け寄り、傷口を見た。 「大丈夫だ!心臓には達してない!止血せねば!」 サンボラは、マントを破り、フリンの胸にギュッと縛り付けた。 そして、詠唱を始めた。 「白魔法ほどではないが、古代の回復魔法を…ナオロイン!」 すると、サンボラの手から青白い光が浮かび、フリンの傷を照らし出した。 フルシアンは弓矢を構え、ジリジリと召使いの女性と対峙している。 ヒュッと矢を放つと女性はすぐさまその矢を短刀で払い落とした。 そして、素早く矢を装填し、再び放った。 すると再び女性は払い落とした。至近距離であるのにも関わらず、常人離れしたスピードである。 フルシアンは、咄嗟に考えを巡らせた。すると彼の視線の中に、ランプが入ったのである。 フルシアンはおもむろにランプを掴むと、女性めがけて投げた。ランプが女性のちょうど頭上付近に達すると同時に、フルシアンは再び矢を放ち、ランプを破壊したのである。 すると、ランプのガラスが飛び散り、中からオイルが漏れ、女性の体にかかったのである。 「キキッ!」 女性は何事か分からずに、払い除けようとした。 すると、フルシアンは懐から何やら石を取り出したのである。そして、その石を再び女性に向けて投げつけた。 そして、また再び矢を放った。 「燃えろ!」 矢は石に当たり火花が散った。するとその火が女性の体にかかったオイルに引火したのである。 「ギャアァァァァァァーッ!!」 火は、女性の体を包み込んだ。火だるまになり、女性は必死にもがき苦しんでいる。 そして、フルシアンはもう一度弓を力いっぱい引き、女性の眉間目掛けて放った。 シュバッ!! 矢は女性の眉間に見事名中した。 「ギャウァァァァァァ〜ッ!!」 人間とは思えない断末魔の叫び声をあげ、女性は力尽きて倒れた。 「よし!やったか…」 フルシアンは、ふうと息を吐き、弓を下ろした。 その時である。 「…そこまでだ!」 寝室の窓際から声がした。全員その方向へ向くと、そこにはランディー伯爵が立っており、彼の目の前には、アラヤ王が立っていたのである。 ランディー伯爵は、アラヤ王の首元にナイフを突き付けていた。 「ランディー伯爵!アラヤ王!!貴様!!」 サンボラはフリンを抱えながら叫んだ。 「よくぞこの城に入ってきたな…貴様らは反政府組織の連中か?…うん?よく見るとどこかで見た覚えのある連中だな…」 ランディー伯爵は、鋭い眼差しと低くしゃがれた声で彼らに話しかけた。 「貴様らはクァン・トゥー王国の使者どもではないか…なんだ?我が城に侵入し、王を誘拐しようとするとは…これは我が帝国を敵に回すということになるぞ?」 ランディー伯爵の目が赤く光り出した。 「黙れ化け物め!貴様ランディー伯爵に化けてこの国をどうするつもりだ!」 フルシアンは叫んだ。そして弓を構えた。 「キキキキ…わしは紛れもなくランディー伯爵だ。何を言うか…おそらくハンネ妃の使いだろう。あの女め…わが計画を邪魔しおって…」 アラヤ王は、涙を流しながら耐えている。 「矢を放っても無駄だ。王に当たるぞ。貴様ら…王の命を守りたくば武器を捨てるのだ…」 サンボラ、フリン、フルシアンは悔しさを滲ませながら武器を捨てようとした。 その時である。 ランディー伯爵の背後から何者かが近付き、ランディー伯爵を剣で斬りつけたのである。 「グアアッ!」 その瞬間、アラヤ王を掴んでいた手が緩み、アラヤ王はすぐにフルシアンの元へ駆け寄った。 「よし!」 ランディー伯爵が物凄い形相で振り向くと、そこには剣を持ったケリー公爵が立っていたのである。 「この化け物め!」 「ケリー公爵!!」 サンボラは、驚いた。 「よくも私を…皆を騙しおったな…!許せん!」 ケリー公爵は、剣を持ちわなわなと震えている。 ランディー伯爵は、ケリー公爵を睨み付けた。 そして、不気味な笑みを浮かべた。 「よかろう…どうやら本気でわしを怒らせたいようだな…」

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第6話「小さなおともだち」 「…!」 「…!」 アラヤ王は、寝室のベッドの中で震えていた。壁越しでは何を言っているか分からないが、廊下を挟んだ向かいのケリー公爵の寝室では、何やらケリー公爵が、召使いの女性を怒鳴りつけているようである。 彼は(ケリーおじさんがまたお酒を飲んで暴れてるんだ。)と思った。ここ最近は毎晩のように酒を飲み、召使いを叱りつけている。 そして、そろそろ女性が泣いて部屋から出てくるぞ、と思った。 「…」 バーン!バタム! タッタッタッ… アラヤ王は、今年で10歳になる。幼い王は、母親のハンネ妃が幽閉されてから毎晩寂しい夜を過ごしていた。 叔父であるケリー公爵は、ランディー伯爵の意のままに操られこの国を統治している。その統治の仕方は、民にとっては極めて厳しい圧政となり、さらに戒厳令のような法律が施行され、国内はしんと静まり返ったように閑散としていた。 それは城の中でも同じであった。召使いや従者、兵士や門番は、反国家思想を持っていると思われないように、互いに目を光らせていた。過去にケリー公爵やランディー伯爵のいないところで愚痴や文句を言った人間は、密告により処罰された。牢獄に入れられ、厳しい拷問を受け、ほとんどは生きたまま帰ってこなかった。 ハンネ妃は、地下の牢獄に幽閉され、かれこれ半月になる。彼女は過去の不貞行為が告発され失脚したとされているが、真相は誰にも分からなかった。ちなみに、今は亡き先代皇帝トゥームーヤは、ハンネ妃以外にもたくさんの妾をもっていたし、ハンネ妃と彼との年齢差も親子ほど離れていたのである。 彼女は、牢屋の格子越しに、城の様々な人間たちと密かに連絡を取り合っていた。ケリー公爵やランディー伯爵らに反感を持ちながら、ハンネ妃を慕う者たちが多くいたのである。反政府組織(ランドオブザフリー)のシイルやシャーデら城の外の人間たちとも内通し、情報を共有していた。 アラヤ王はまだ幼い。彼の為にも、この国を正常な国にしなくてはいけない。とハンネ妃はあらゆる策を練っていたのである。 勿論、シイルたちの“救出作戦”も彼女は知っていた。 「とうとうこの日が来たわね…大丈夫。準備は出来てる。」 ハンネ妃は、シイルたちがこの牢から救出してくれるのを心待ちにしていた。あとは、アラヤ王の寝室から彼を連れ出し、城壁近くの“秘密の出入り口”までの経路も確保してある。すべては作戦通りである。手紙によれば、彼らは城の周りの運河から地下へ侵入し、地下墓地からここへと来るはずである。 「コツン、コツン…」 地下牢の奥から足音が聞こえてきた。どうやら一人のようだ。彼女は予定よりも早いなと思った。 地下牢には、壁にかけられた燭台の灯りがぼんやりと灯っているだけで、とても薄暗く、気味が悪かった。通路の奥には階段があり、やってくる人影を通路の壁に映し出していた。 だがハンネ妃は、その人影を見ると少し嫌な予感がした。何故ならば、今彼女が最も会いたいとは思わない人物の姿かたちによく似ていたからである。 しかし、その予感は残酷にも的中してしまった。まさにその人影とは、ランディー伯爵のものだったのである。 ランディー伯爵は、片手にランプを持ちながら、階段を降り、彼女がいる地下牢まで一人でやってきたのである。 ハンネ妃は咄嗟に寝たふりをした。 「コツン…コツン…」 その足音は、彼女の牢の前で止まった。 「寝たふりをしても無駄ですぞ。儂には分かる。」 その低くてしゃがれた声を聞くと、彼女は鳥肌が立った。 「…何の用ですの?こんな夜更けに。」 彼女は、何事もないかのように振る舞った。 ランディー伯爵の顔を見ると、彼女はさらに血の気が引くほどの恐怖感に襲われた。ランプの灯りが彼の顔を下から照らし、化け物のように彼の顔を浮かび上がらせていたからである。 「妃殿下(ひでんか)こそこんな夜更けに起きていらっしゃるとは、健康にもよくありませんぞ…」 「何をおっしゃるの?あなたがこんな所に私を閉じ込めたんじゃない!」 彼女は、必死で恐怖心を押し殺し、彼に言い返した。 すると、ランディー伯爵は、物凄い形相で格子をガシッと掴み、強い口調で彼女に言った。 「黙るのだ!この薄汚い女め!貴様、一体何を企んでいる?」 「な、何のことかしら?」 「ククク…今朝、お前のことを慕う侍女が“そそう”をしてな。少しばかり拷問をしたらすぐに吐きよったわ。愚か者め!貴様ここから出ようとしているな!」 彼女は目の前が真っ白になった。計画がすべてバレてしまったと思った。彼女は力無く膝から崩れ落ちた。 「ククク…この儂に楯突くとどうなるか思い知らせてやるわ。して奴らはどこから来るのかのう?」 彼女は、涙を浮かべて叫んだ。 「必ず!必ずあなたには天罰が下るわ!」 ランディー伯爵はニヤリと笑いながら言った。 「地下墓地から来るとすれば…誠に残念だが、彼らはここに来ることはないであろう。」 「な、何ですって!?」 「地下墓地には沢山の英霊たちが眠っておる。そこを通るには、彼らが行手を阻むであろうからな。だが、そうそう…彼らとて腕に覚えのある連中ばかり。そんじょそこらの騎士とは実力が違うのでな。瞬く間に返り討ちにされるであろうなぁ…」 ハンネ妃は何を言ってるのか分からなかった。 「え、英霊?英霊が蘇るとでも言うの?あなた…何を言って………ハッ!」 その時、彼女はランディーの目が赤く光っているのが分かった。彼女は思わず口に手を覆って後退りしたのである。 「あ、あなた…何者なの!?ランディー伯爵じゃないわね!」 「何を仰る妃殿下。儂は紛れもなくランディー伯爵ですぞ。先代トゥームーヤ帝から代々支えてきたではありませぬか…」 「やはり、おかしいと思ったわ…あなた90をとうに越えているというのに、まるで老を感じないもの!あなた…悪魔にでも魂を売ったの!?」 ランディー伯爵はニヤリと笑いながら言った。 「いずれにせよ貴様も、アラヤも長くは生きられまい…ケリー公爵が即位すれば、この国は儂のものになる。」 ハンネ妃は愕然とした。まさに万事休すであった。自分の身どころか、息子のアラヤ王までも守ることが出来なかったと彼女は、地面に手をついて涙を流した。 「さてと…幼き王の様子でも見てくるかのう…」 彼女はワナワナと震えた。悪魔によって操られたこの国は、一体どうなってしまうのであろうか。彼女は、ただ涙するしかなかった。 「うぅっ…何てこと…神様…!」 一方その頃、アラヤ王の寝室では… アラヤ王はぐっと目を瞑りながらベッドの布団の中に潜り、早くケリー公爵のイライラが収まるようにと祈っていた。とてつもなく寂しく、悲しく孤独な夜であった。彼は涙を流した。ここのところ毎晩である。日中は謁見など公務の最中は、自らを殺すように、虚無な表情でただただ時が過ぎるのを待っていた。だが、夜になると堪えていた感情が爆発するのである。彼は今夜も絶望の夜を過ごさなければならなかった。 しかし、その時である。 「…」 何やら小さな声がしたのである。それはケリー公爵の寝室からでもなく、それを隔てる廊下からでもなく、紛れもなく自分の寝室の中から聞こえるような声であった。布団の中に潜ったままの彼は「おや?誰かが僕の寝室に入ってきたのかな?」と思った。そして、じっと耳を傾けてみた。 「…ザクロ、りんごにくるみ…か…どれもこれもシケたものしかないな…ああ、これなんか腐ってやがる!けっ! “バクラヴァ”や“ハルヴァ”はないのかぁ〜?湿気った謎のナッツしかねぇなぁ〜仕方ねぇ…これ食ってみるか…」 アラヤ王は、次第にその小さな声がハッキリと聞き取れるようになっていった。 「何だ?絶対にこの寝室の中に居るぞ!?…何者なのだ?入ってくる時のノックやドアの開ける音さえ聞こえなかったのに…!」 アラヤ王は、ゆっくりと布団を開けて覗いてみることにした。 寝室の中央に置かれたテーブル、その上には果物やお菓子などがたくさん並んでいた。それらは召使いたちが“王のお夜食用に”と、気を利かせて置いておいたものである。だが、同じテーブルの上で“何か”が動いているのが分かった。 “それ”はまるで小さな小人のようであった。暗がりでよく分からないが、アラヤ王は次第に目が慣れてきた。 この小人は体長5〜8センチくらいで、赤く小さな三角の帽子を被っており、布の小さなチョッキを着て、しっかりとズボンを履いている。それがテーブルの上の食べ物を漁っていたのである。 「(な、な、何だあれは?)」 アラヤ王は、目を丸くしてその小人を見つめた。いつの間にか彼は夢を見ているのかと思った。 「…うっ!オエッ!オエェェ〜ッ!マズっ!ゲロまずだなこれ!ぺっ!」 小人は先程食べた何かを吐き出している。 「…ったく、王宮もしょぼくれたもんだぜ!トゥームーヤの頃はもっとたくさん、色んなもんがあったのになぁ…」 小人はパタっとその場で仰向けになった。しかし口に何かを入れながらモグモグとしたままである。そして、ガバッと起き上がり、アラヤ王の方を向いたのである。 「んっ!?」 アラヤ王は咄嗟に布団を被った。 「(ば、バレた!)」 アラヤ王は、小人と目が合った気がした。でも夢かもしれない。彼は恐る恐るもう一度 布団をゆっくり開けて見ることにした。 その時— アラヤ王の開けた布団のすぐ目の前にその小人が立っていたのである。 「よっ!」 小人は笑顔でアラヤ王に手をあげて声をかけてきた。 「うっ!うわぁあああ〜っ!!」 アラヤ王は驚いて飛び起きた。 すると、寝室の警備をしていた兵士がドアをノックした。 「殿下!どうされましたか!?」 そして、兵士はドアをガチャっと開けたのである。 その瞬間アラヤ王は、反射的に枕を小人の上に被せて隠した。 「(うっぷ!フガフガ…!)」 兵士はアラヤ王に声をかけた。 「殿下!いかがなされましたか?」 「ああ、うん、何でもないよ。ちょっとうなされただけ!」 兵士はアラヤ王の顔を見てホッとしたようである。 「そうですか。何かあればすぐにお申し付けください…では」 兵士は部屋から出てドアを閉めた。 アラヤ王はゆっくり枕をどけた。 「ぷはぁっ!…おい!王とはいえ、このフランク様を枕で潰すとは!」 やはり夢ではなかった。アラヤ王は、まだ驚いている。この小人は一体何なのか、アラヤ王はかつてハンネ妃に妖精(フェアリー)が出てくる絵本を読んでもらったことがあるのを思い出した。 「…き、君は、フェアリー?」 小人は首を振った。 「はぁ?俺をあんな“おちゃらけた”連中と一緒にすんなよな!俺は“ピクシー”だ!ピクシーのフランクだ。よく覚えておけよ!…言っておくが、お前よりずっと歳上なんだぞ!」 小人はバタバタと動きながらアラヤ王を見上げて喚いている。 アラヤ王は、ふとフランクのほっぺを人差し指と親指で挟んでみた。 「うっぷ!おい!フガフガ!」 そして、手をさっと離した。 「…おい!お前!俺が小さいからってな、やっていいことと悪い事が…」 次にアラヤ王はフランクの首根っこを掴んで持ち上げた。 「おお、降ろせ!!」 そしてパッと降ろした。フランクは尻餅をついた。 「ぐあっ!…おい!くぉら!このガキがぁ!」 「あはっ…」 アラヤ王は、何だか面白くなってつい笑ってしまった。 「ごめん、ごめん、君は何者?何でここにいるの?」 ピクシーのフランクは、先代トゥームーヤ皇帝が少年の頃からこの王宮に棲みついたそうである。最初は誰も自分のことが見えなかったが、ある日トゥームーヤ皇帝が10歳の頃、彼の存在に気付いて親しくなったのだという。それから、彼の“秘密のお友達”として親しくなり、話し相手やチェスの相手、またはちょっとした悪戯などに手を貸していたというのである。 「まぁ、いつしか奴は“皇帝”とかいう偉いもんにになってよ、色んなことに目を向けなきゃいけなくなっちまったんだよな。だから次第に俺が見えなくなっていったんだよ。お前さんが生まれる頃には、もはや俺の存在すら忘れちまってたかもしれねえぜ…悲しいよな!」 そして、フランクはすくっと立ってアラヤ王をまじまじと見つめた。 「よお、お前さんはいくつだ?」 アラヤ王は答えた。 「え、僕?…あっ!明日で10歳になるよ!」 フランクは、にやりと笑った。 「やっぱり!お前さんのオヤジも、ちょうど10歳の頃、俺が見えるようになったんだぜ!不思議な力だな!」 そういうと、フランクは手を口に当てて少し声を抑えて言った。 「よぉ、お前さんよ。ちょいとお願いがあるんだよ」 アラヤ王は耳を傾けた。 「俺はよぉ、酒が大好物なんだ!頼むから向かいのケリー公爵の部屋にいって、酒をもらってきてくれないか?」 アラヤ王は首を横に振った。 「ダメだよ!そんなこと僕が言えるわけない!」 「ちっ!だってお前さんは王だろ?王は公爵よりも上なんだぜ?」 アラヤ王はまだ首を横に振っている。 「ダメだったらダメだ!僕が怒られる!」 その時である。何やら廊下の方から声がした。部屋の警備をしている兵士に誰かが話しかけているようである。 アラヤ王はさっと布団に被り寝たふりをした。 布団の中でフランクはこっそりとアラヤ王に話しかけた。 「誰だ?ちょっと見てくるぜ、待ってろ!」 すると、フランクはふわっと宙に浮いてドアをすり抜け、廊下へと出た。しばらくすると、またふっとドアをすり抜けてアラヤ王の布団の中に潜り込んだ。 「あいつ!あのジジイだ!お前さんよ、俺はピクシーとして忠告するぜ!あいつは“普通”じゃねえ。注意した方がいい。」 アラヤ王は言った。 「あいつ?あいつって誰のこと?」 「ランディー伯爵だよ!あれはランディー伯爵だが、もう“別もん”だぜ!俺の知ってるランディー爺さんは、もっとこうとぼけてて、穏やかでよ、優しかったんだ」 「…うん。僕もそう思うよ。あの人が来てからケリーおじさんはどんどん変わっていったんだ。」 ピクシーのフランクは頭をポリポリとかいて少し考えた。 「なぁ、良いこと思いついたぜ!俺がお前さんをここから出してやる!その代わりに… フランクはアラヤ王の耳元でヒソヒソと話した。そして、アラヤ王は言った。 「ええっ!?」 —スレイヤ城の地下墓地は、とても広くたくさんの棺桶が並んでいた。それはこの城が出来てから数百年間に渡る歴史の産物であった。神聖ナナウィア帝国のずっと前の王朝から存在していたのである。帝国の兵士たちや城の人間は、はなるべくここに立ち入りたくなかった。薄気味悪く、不気味な空気が立ち込めているし、何より夜な夜な変な音や人の声がすると言った噂が絶えなかったからである。 「…おい、今の聞いたか?」 「あ、ああ…お前も聞いたのか…」 「何かが爆発するような音だったな…ボンて」 「お前、見に行ってこいよ」 「俺が?お前が見に行けよ」 地下墓地への長い階段に通じる格子状の門のところで、見回りの兵士が二人話し合っていた。 二人は、恐る恐るその門を開け、下に降りてみることにした。 カツーン、カツーンと足音が階下に響き渡る。 すると、やはり何か物音がするのである。 「カチカチって…今の聞いたよな?」 「お、おう…何かが動いてる音だ…」 階段は長く下に続いている。兵士の一人が手に持っているランプを下の方にやってみた。 「あっ!しまった!」 その時、兵士はランプを誤って落としてしまったのである。 ランプは、ひゅーと落ちていって、地下墓地の地面にぶつかった。すると、ランプのオイルが飛び散り、辺りに火があがった。 「ああ!な、何だありゃ!?」 何とその火が照らし出していたのは、夥しい数の何かが立っている姿であった。 それは、鎧や兜、盾や剣などを持っているようである。だが、少し様子がおかしい。 「うおおっ!ありゃ人間じゃねえ!」 それはまさしく、肉体の朽ちた骨のみで動いている“スケルトン”であった。スケルトンとは、骨のみで動いている魔物であるが、意志は無いとされている。彼らを操る“ネクロマンサー”という闇の魔法使いがいるとされているが、スレイヤ城のスケルトンは、それらとはまた違ったタイプのスケルトンである。彼らは、生前に戦争で命を落とした英雄であった為、「英霊」として祀られていた。しかし、彼らが葬った人の数が圧倒的であり、それらが長い年月をかけて邪念となって彼らをさらに強力なものに変えていたのである。中には当時の記憶のまま動いている者もいる。 そして最悪なことに、その数体が兵士に気付いたようであった。 「やばいぞ!上がってくる!逃げろ!」 ガシャン、ガシャンと鎧がすれて歩いているような音が下から聞こえてきた。どんどん近くなっているようである。 兵士たちは、血相を変えて階段を駆け上がり、慌てて門を閉めた。 「ひゅーっ、一体何だありゃ?バケモンか?」 兵士は門に鍵をかけて、汗を拭き取りながら、もう一人の兵士の方に振り向いた。 「すげぇもんを見ちまったな」 その時、門の奥から伸びた剣の先が、門の前にいた兵士の腹をグサッと貫いたのである。 「ぐはっ!」 もう一人の兵士は腰を抜かし、叫んだ。 「わぁあああ!で、出たぁーっ!!」 兵士は慌てて上階に逃げていった。 スケルトンは、地下墓地中に溢れかえっていた。 彼らは何かに向かって歩いているようであった。 それは、まさしくハンネ妃とアラヤ王を救出する為に地下から城へ侵入してきた、フルシアンらの方向であった。 〈誰ぞ…我が領地を穢す者は…〉 〈我が剣で葬ってくれる…〉 スケルトンは、何やら怨念のようにぶつぶつと呟きながら歩いてくるのである。 「来たぞ!スケルトンだ!」 「うおっ!何という数!」 フルシアンは、獅子の紋章が刻まれた弓矢を手に取り、矢を放った。 スパン! 何と、スケルトンは飛んできたその矢を剣で払ったのである。 「こいつら、ただのスケルトンじゃないぞ…!」 フルシアンは言った。 「“生前”にかなり名の売れた戦士たちだろう!」 シイルも剣を構えた。 「ふん!あたいの腕がなるってもんだ!」 フリンは双剣をくるくると回しながら、とんとんと小さく飛んでいる。 カチカチという音が無数に重なり、ザッザッという足音も聞こえてきた。 サンボラは杖を構え、静かに詠唱を始めた。 「古代魔導の真髄を見せてやろう…」 フルシアンは、咄嗟にサンボラを制止して言った。 「ダメだ!魔法で一気にドカンとやる気か?そんなことしたら城中にバレちまう!」 「だが、この数を相手にするのは厳しいぞ?」 シイルが口を挟んだ。 フルシアンは、前にいるネズミがこちらを見ていることに気が付いた。 「…ん、待て。…そうか、なるほど…いい子だ」 「フルシアン?何してるのさ!奴らが来るよ!」 フリンは双剣を構えながらフルシアンに言った。 「こっちに別の道があるそうだ!彼が言ってる!」 サンボラは言った。 「“彼”とはそのネズミか?大丈夫なのか?」 フルシアンは言った。 「信じるしかないだろう?彼はここに住んでるんだぜ?」 フルシアンたちは、そのネズミについて行くことにした。幸いスケルトンたちは足が遅く、彼らのスピードには追いつけないようであった。 「…スケルトンが居るとしたら、どこかにネクロマンサーが居るはずなんだが…」 シイルがそう言うと、サンボラが答えた。 「…これは推測に過ぎないが、おそらくランディー伯爵の魔力によるものだと思う。あの数のストリゴイを操れる程の魔力の持ち主だ。スケルトンを操ることなど容易いだろう」 「なるほど…だが城の人間たちは大丈夫なのだろうな?周り中魔物だらけの城で…」 フルシアンは言った。 「ランディー伯爵が本当にヴァンパイアだとすれば、彼は昼間は活動出来ない。太陽の光に極端に弱いんだ。伝説では太陽の光に当たると焦げてなくなるそうだが、実際は分からない。だが、もしそうでないのなら、わざわざ普通の人間を操る必要なんかないはずだ。ケリーをヴァンパイアにすれば良い。」 フリンは確かにと思った。 「なるほど〜…みんなヴァンパイアになっちゃったら、昼間に動ける人が居なくなっちゃうし、それは一理あるかもにゃ…」 フルシアンの推測は的を得ていた。ランディー伯爵自身、昼間は真っ暗な部屋で静かにしているか、棺桶の中で眠っているしかないのであった。 フリンがエズィールたちと初めて会った時、既に日が沈み、暗くなり始めた頃であった。 ランディー伯爵は、実に狡猾にひっそりと城の中で動き、徐々に周りの人間を利用していたのである。 「帰りはここは通らない。城壁付近に秘密の出入り口がある。ハンネ妃とアラヤ王を救出したら、そこへ向かう!」 シイルが言った。 そして、彼らはネズミの案内通り、地下墓地から上階の地下牢へ向かった。 「よし、ここらに棺桶は無いな。すんなり行けたぜ!」 スレイヤ城は、最下層に地下墓地、さらにその上に地下牢や倉庫。そして地上へと繋がる構造になっていた。ちなみに、アラヤ王やケリー公爵がいる寝室は、城のかなり上部に位置している。 アラヤ王は、ピクシーのフランクの言う通り、ここから出られるものなら出たいと思った。 「君の言う通り、本当に出してくれるの?怒られたりしないかな…」 フランクは言った。 「あのランディー伯爵は化け物だ。お前いつか殺されちまうぜ!ここで俺と会ったことを幸運に思え!」 フランクはそ〜っとドアをすり抜け、アラヤ王の寝室の前にいる兵士を見た。フランクの姿はアラヤ王以外には見えないようである。 兵士は首をコクリコクリとしながらやっと立っているようである。 フランクは彼の耳元で声色を変えて話した。 「よし、交替の時間だ。」 「ふがっ?もうそんな時間か…?分かった…」 兵士は眠い目を擦りながらフラフラとその場を立ち去った。 そして、フランクは寝室の鍵を開けて、アラヤ王に言った。 「よし、今なら出れるぜ!」 アラヤ王は、部屋を出て辺りをキョロキョロと見渡し、恐る恐る部屋を出た。 すると、向かいのケリー公爵の寝室のドアが少し開いていて、彼の寝室の明かりが漏れていたのである。 ピクシーのフランクは、その部屋から漏れ出ている酒の匂いに反応した。 「うっ!…こ、これは…俺の大好物のナリンチェ(白ワイン)の匂い!」 フランクはフラフラとその部屋の方に飛んでいってしまった。アラヤ王は、慌ててフランクを捕まえようとしたが、部屋の中に入ってしまったのである。 「(フランク!待て!待てってば!)」 アラヤ王は、仕方なくそっとケリー公爵の寝室の部屋を覗いてみた。 するとそこには、酔い潰れて床に寝転ぶケリー公爵の姿があり、飲みかけたワインボトルやグラスが散乱していた。そして、それを立ったまま眺めているランディー伯爵の姿があった。 「やばい!」 しかし、ランディー伯爵はこちらに気付いていないようである。 アラヤ王は、フランクがフラフラと飛んでいるところをガシッと捕まえて、咄嗟に部屋を回り込み、ベッドの下に潜り込んだのである。 「おい!何をする!離せよ!」 フランクはアラヤ王の手の中でもがいている。 「(ダメだよ!じっとしてなきゃ!バレたら殺されちゃうよ!」 アラヤ王とフランクはベッドの下でじっと様子を見ることにした。 するとランディー伯爵が寝ているケリー公爵に話しかけた。 「ふん、夕方の報告がかなり堪えたようだな。小心者め!お前の妹の方がまだ勇敢だぞ…ふん、まあよいわ。お前も妹も、わが手駒に過ぎんのだからな…なぁに、明日の夜には我が軍がサーバスを手中におさめるだろうて…」 「(我が軍だって!?何を言ってるの?)」 アラヤ王は驚いた。だがその瞬間、フランクがアラヤ王の手をすり抜けて、床に転がっているワインのボトルの方へ歩いて行ってしまったのである。 「しまった!」

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第5話「潜入」 「助けて!」 アイリスは、ストリゴイの手に蹴りを喰らわしたが、びくともしなかった。ストリゴイは、鼻息荒くアリアナを馬車から引き摺り下ろそうとしている。 その時、エズィールが馬車から飛び出した。 土の民たちは何が起きてるのか分からなかった。ただただ目の前の出来事に恐怖で怯え切っているのである。 エズィールがなぜ馬車から降りたのかも分からないが、土の民たちはアリアナの手を掴んで、何とか馬車の中へ引き戻そうとするが、物凄い力でじわじわと外に引き摺り出されそうである。アリアナは声をあげて泣き叫んでいる。 「痛い!痛い!助けて!」 その時、馬車の外から何やら大きな何かが羽ばたいているような音がした。 土の民の男性は何だと思い外を見ると、驚き叫んだ。 「わぁーっ!ド、ドラゴンが出たぞ!!」 馬車の外には巨大で真っ白なドラゴンが現れ、馬車の真上を飛んでいる。エズィールがドラゴンに変身したのである。馬車の中はパニックに陥った。 バクン! その時エズィールは、頭上からアリアナにしがみついているストリゴイの頭をがぶりと噛み、そのまま頭を引きちぎってポイと吐き出した。 アリアナの足を掴んでいたストリゴイの腕は、そのままばたっと力無く解け、体ごと地面に倒れてしまったのである。 そして、シャーデはさらに収容所の中から出てくるストリゴイやヘルハウンドをレイピア(細身の剣)と短刀の二刀流で切り刻んでいく。 「キリがないわ!いきましょう!」 シャーデは、くるっと馬車の方へ振り返り、走って馬車へ飛び乗った。 アントニーは、ある程度馬車を収容所から遠ざけ、馬車の屋根の上に上がった。 「よし!結界の外に出たぞ!これでとどめだ!」 アントニーは精神を集中させ、両手を収容所の方に向けてかざした。 「ファイヤウォール!!」 アントニーが叫んだ次の瞬間、収容所全体が炎に包まれた。ゴォーという轟音と共に、中からギャーギャーと断末魔が聞こえてくる。ストリゴイの声であろうか。 【ファイヤウォール】とは、火の魔法の最上級である。灼熱の炎を巻き起こし、まさに「火の壁」を作り出す。あまりにも大規模な炎を発生させる為、あらかじめ魔法制限の結界を張っておかなくては、辺り一面を焼き尽くしてしまうのである。戦場で使う場合は、戦場ごと焼き尽くしてしまう為、魔法使いは予(あらかじ)め燃やす範囲に結界を張っておくのがルールとなっている。 (『戦争における魔法使い指南書』より) 炎は、アントニーが張った収容所の周りの結界から外へは出てこなかった。 まるで、“釜“のように結界の中が灼熱の炎に包まれている。 「す、凄い…」 その光景を見ていた土の民たちは、あまりのも凄まじさに絶句していた。 アリアナは、アントニーが放った魔法“ファイヤウォール“を見て震えながら呟いた。 「ファイヤウォールですって?この世の中に数人しか使えないとされている火の最上級魔法よ!?一体この者たちは何者なの?」 「レジスタンスじゃよ。我々は神聖ナナウィア帝国の圧政に牙を向く地下組織なのだ」 アリアナは、目を見上げると白髪のエルフが立っていた。 「はじめまして、わしはエルフのドラゴン、エズィールじゃ。」 そして、その隣には先程収容所でストリゴイたちをやっつけていた赤い髪の女性が立っていた。 「私はシャーデよ。もう少し早ければもっとたくさん助けられたかもしれないわ。本当にごめんなさい。」 彼女は手を差し出しアリアナたちと握手をした。 「あ、いや、そんな…こちらこそありがとう…」 アイリスはまだ手が震えている。アリアナもそうであった。シャーデは腰を下ろし、土の民たちの様子を見て話しかけた。 その時、先程馬車の上から魔法を放ったアントニーが降りてきた。 「ま、ざっとこんなもんさ。お前さん魔法に詳しいのか?」 アリアナは半ば放心状態で答えた。 「え、ええ。私は魔法の研究をしていたの…」 アントニーはニヤリと笑いながら話を続けた。 「ごく稀に同じくらいの火を使える魔法剣士がいるがな。奴等には打てても一発や二発が限界だろう。俺はあのくらいならあと20発は打てるな!」 「す、凄い…」 アリアナとアイリスは目を丸くして彼を見つめた。 「さすがね。予想以上だわ」 シャーデはアントニーに言った。 「俺が大魔法使いアントニーだ!よろしくなお嬢ちゃん!カッカッカ!」 アントニーはからからと笑うと、さっと馬車の先頭に座り、手綱を持ち馬車を走らせた。 馬車は収容所を出て小高い丘の道を下っていった。 アリアナは馬車の横から顔を出し、収容所の方を見た。炎は次第に消え、巨大な煙がもくもくと上がっていた。そして、前方に目をやった。 丘の上から朝日がキラキラと山々を照らし、爽やかな風が彼女の頬を撫でた。 その時、ガバッと誰かが彼女に抱き付いた。 「アイリス?」 アイリスは目に涙をいっぱい浮かべながらアリアナに抱き付いた。 「姉さん!姉さん!助かった!私たち助かったのよ!」 アリアナは、馬車の中にいる土の民たちの顔を見た。彼らは痩せ細り、やつれていたが、皆涙を流して抱き合い、喜びを分かち合っていた。エズィールとシャーデは温かな眼差しを彼女たちに送った。そしてゆっくりと頷いた。 その時、アリアナの目からぶわっと涙が溢れ出てきたのである。 「あ、あ、あああ!」 言葉にならない程の感情の波が彼女を襲った。彼女は大声で泣き、妹を抱きしめた。 この中にキスクやハンセンたちはもういない。彼らは収容所に着いた時、真っ先に尋問され、拷問された挙句、化け物たちの餌にされてしまったのであった。彼女の心の中には喜びや悲しみが渦巻いていた。だが、私たちは生き残った!最後まで希望を捨てずにお互いを鼓舞し合い、生き残ったのだ! 次第に彼女の中には、土の民としての誇りが一層燃え上がっていったのである。 しばらく馬車を走らせると、アントニーは丘の下に何かを見つけた。 「うん?あれは何だ?」 エズィールはアントニーの声を聞き、前方に目をやった。 丘の下には広い野原が広がっており、そこには無数のテントが張られていたのである。 「野営地かの?」 その声を聞き、シャーデも前方に目をやった。 テントの模様は神聖ナナウィア帝国の紋章が描かれていた。 「いつの間にこんなところに…一体どこに向かうのかしら?」 それは神聖ナナウィア帝国の野営地であった。ざっと五千人くらいの兵士がそこに集結していたのである。 「なかなかの数だな…戦争でもおっ始める気か?」 シャーデは、シイルたちと共に城内のハンネ妃と内通していたが、戦争を始めるなどという情報は一切聞いていなかった。 「おかしいわね、戻ったらシイルに確認してみましょう…」 アントニーたちが収容所に向けて出発したと同時に、もう一つの別働隊(フリン、フルシアン、シイル、サンボラ)らは、スレイヤ城に向けて出発した。彼らの任務は、幽閉されているハンネ妃の救出、またアラヤ王の救出、そしてバンパイアとなってケリー公爵を操っているランディ伯爵の暗殺である。彼らは夜の闇に紛れて静かに馬を走らせた。 城からある程度離れた場所に馬から降り、彼らは黒いフードを被り城への侵入を開始した。 —彼らは事前にランドオブザフリー(自由の天地)のアジトにて、城への侵入経路を入念に確認していた。 神聖ナナウィア帝国のスレイヤ城は、世界屈指の難攻不落の城として有名であった。かつてクァン・トゥー王国勇者隊が現れるまで、過去数百年間に渡って決して落ちることのない城だったのである。城壁は100メートル以上あり、四方は広い運河に囲まれている。その運河には決められた船しか侵入出来ない仕掛けが設置されており、桟橋がある陸地も高い山々に囲まれているのである。 「で、君らクァン・トゥー王国勇者隊は、一体どうやってこの城を落としたんだ?」 ランドオブザフリーのリーダー、シイルはフリンたちに尋ねた。 「どうって…まずチドがあたしを城壁の上まで放り投げて〜…」 その時アントニーは、手を上げてフリンの言葉を遮った。 「待て待て、まず運河を俺の氷魔法で渡れるようにしたんだろ?」 「ああそうだった…」 フリンは頭をポリポリ掻いて言った。すると、フルシアンが口を挟んだ。 「それを言うなら、事前に俺の“獣心眼(フェイシング・ジ・アニマル)“で城内を偵察してからだろ?」 フルシアンの言う"獣心眼"とは、彼の特別な能力のことである。彼は弓矢の名手でもあるが、もう一つ特殊な能力を持っていた。それは動物や虫たちと意思疎通が出来、自由自在に操れることも出来る能力であった。彼は鳥や虫たちを使役し、事前に城の隅々まで調べ尽くしていたのであった。 彼らの常軌を逸した会話にシイルやシャーデとその仲間たちは絶句した。 「お、驚いた…まるで次元が違う。どおりでクァン・トゥー王国がここまで勢力を伸ばしてきたわけだ。」 シイルは改めて彼らクァン・トゥー王国勇者隊の恐ろしさを知ったのであった。 シャーデも驚きを隠せないようであったが、少し心を落ち着けて彼らに言った。 「ええ、あなた達の実力がとんでもないことが分かったわ。でも今回の作戦に派手さは要らないわ。むしろ隠密に進ませないと、王妃や王の命が危ない。下手に刺激しない方がいいわね。」 アントニーはふふんと鼻を鳴らした。 「その気になりゃ城ごと吹っ飛ばせるがな。確かにあんたの言うとおり、それをやっちまえば今までの苦労が水の泡ってやつだな」 フルシアンは穏やかな言い方でアントニーに言った。 「アントニー。今回は戦争しに来たんじゃない。俺たちは元々国交を深めに来たんだ。彼らを滅ぼしてしまえば、我が国の貿易にだって影響が出るぜ」 「分かってるさフルシアン。俺だってそのつもりだよ。隠密ならお前とフリンが適任だな」 アントニーとフルシアンは実に絶妙なコンビである。お互いの能力や性格を知り尽くしており、アントニーの行き過ぎたところをフルシアンは冷静に対処し、コントロールすることが出来る。しかもアントニーの尊厳を損なわずにである。 そしてアントニー自身も、フルシアンの冷静さを買っていた。自分が気が付かないところを彼なら察知出来るし、彼となら判断を誤ることはないと思っていた。 フルシアンはアントニーの意見を聞いてこくりと頷いた。 「確かにそうだな。そしてハンネ妃と繋がりがあるシイルは確定だ。北の収容所にはエズィールの変身能力が役立つだろう。」 こうして、二つの隊のメンバーが決まっていったのである。 —作戦決行の日。 フルシアンら隠密隊は、スレイヤ城の目の前まで辿り着いた。 「なぁ、本当にこの下に入り口があるのか?」 シイルは、怪訝な顔でフルシアンに聞いた。 「ああ、魚たちが言ってる。何百年もの間に段々と広がっていった大きな穴が空いてるそうだ。それが城の地下墓地に繋がってる。」 フルシアンは、“獣心眼“で魚たちを操り、城を囲んでいる運河から城の中に侵入出来そうな経路を探させていた。すると魚たちは、桟橋の下辺りにちょうど大きな穴がポッカリと空いてるとフルシアンに伝えたそうだ。それは数百年間にも渡る年月により、少しずつ城の下部が侵食され、雨水が通る道が大きくなっていった穴が空いていたのである。それが城の地下墓地へと繋がっているというのだ。しかし、そこを通るにはかなりの時間を水中にいなくてはいけない。 そしてフリンは少し機嫌が悪いようだ。 「はぁ〜水か…」 サンボラは彼女の様子に気付いた。 「どうした?フリン。水の中に入るのが嫌なのか?」 「うう〜、そうだよ。こないだみたいに城壁にあげてくれりゃよかったのにな…」 フルシアンは、フリンに言った。 「それはチドがいたから出来た芸当だよフリン。今日は隠密作戦なんだ。我慢しろ。」 そう言うとフルシアンはおもむろに袋を取り出した。袋は何やら少し動いている。 それを見るとフリンは頭を抱えたのである。 「あたいは水の中よりも、それを口の中に入れんのが嫌なんだ!」 サンボラとシイルは何のことだろうと怪訝に思った。そしてシイルはフルシアンに聞いた。 「なぁ、その地下水路を通っていく為の秘策ってのはそれのことかい?」 フルシアンはニヤリと不適な笑みを浮かべながら頷いた。 「そうだよ。こいつを口の中に入れるのさ。」 フルシアンは袋の中から何かを取り出した。 「んをっ!」 サンボラはそれを見て思わず大きな声を出しそうになり、慌てて自らの口を塞いだ。 シイルも目を丸くしてそれを見つめた。 「な、何だそりゃ!?カエル?」 フルシアンが掴んでいるのは、体長10センチ程のカエルである。それが袋の中に数匹入っているのであった。カエルは薄い水色に綺麗な黄色の縞模様があった。 「ああ“月光蛙“さ。こいつを口の中に入れておけば、水中でも呼吸が出来る。間違っても飲み込むなよ。」 この不思議な蛙は、夜になると植物の光合成のように二酸化炭素を取り込んで、酸素を吐き出すという習性がある。それを利用して口の中に入れておくと、自分が吐いた息を酸素にして吐き出してくれるのである。慣れてくると一日中水の中に入っていることが出来るのである。 (『ナナウィアの生き物図鑑』より) フリンは過去にそれを一度経験したことがあった。彼女自身、水の中に入ることでさえも好ましくない行動であったのにも関わらず、あまり好きではない蛙を口に入れるという行為がどうしても耐えられなかったのである。 「そいつ口の中で暴れるんだもん。一回水の中で口から逃げ出して死にかけたことがあるんだ。」 フリンはとても憂鬱な表情を浮かべた。彼女の顔をニヤニヤしながらフルシアンは、大きな口を開けて蛙を口の中に入れたのである。 「ほあほあ、まよっへうひはああいお!(ほらほら、迷ってる暇はないぞ)」 と、口の中に蛙を入れたままフルシアンは袋の中から蛙を取り出し、一人一人に渡していく。 シイルはごくりと唾を飲み込み、恐る恐る蛙を口の中に入れた。 「ううっ!」 とシイルは口を手で塞いだ。しばらくすると目を見開いて言った。 「おお!ふおい!ふひをああえいいあえいう!(おお!凄い!口を閉じていても息が出来る!)」 シイルは感動しているようだ。 そして、フリンも目を閉じて蛙を口の中に放り込んだ。 「おえっ」 少しえずいたが、彼女は経験していた為か何とか行けそうな感じであった。そして、フリンは蛙を持ちながらずっと固まっているサンボラを見た。 「ん?はんほあ?おおひは?(ん?サンボラ?どうした?)」 実はサンボラは蛙が大嫌いであった。蛙を持ちながらじっと見つめて(いや、見ているようで焦点は合ってないようである)サンボラはピクリとも動かなくなっていた。 「おい!おえ!ああく、ういいいえお!(おい!これ!早く口に入れろ!)」 フリンは蛙を指差し、それをサンボラの口に入れるように指を動かして指示した。 サンボラの額からじわりと汗が滲んでいる。 ふとサンボラは、フリンの口から蛙の足が出ているのを目にした。それを見てサンボラは自分の口を抑えた。 「おええっ!」 シイルとフルシアンは、二人の方を見た。 「どうした?何かしたか?」 サンボラは、目をピクピクとさせながら言った。 「な、なあ、俺はここで皆の帰りを見張ってる…ってのはどうだろう?」 普段冷静で勤勉な男が言うセリフとはあまりにもかけ離れていた言葉であった。フリンは腰に手をやってやれやれという仕草をした。そして、徐にさっとサンボラの背後に回り込み、腕を歯がいじめにしたのである。 「お、おい!フリン!何をする!やめろ!」 「うるさいな、静かに蛙を口の中に入れるんだよ!お前それでも魔導士のリーダーか?」 フリンは蛙をもう一度取り出してサンボラに言った。 サンボラは涙目になって抵抗している。 「い、いや、待て、それとこれとは…」 「違わねーよ!フルシアン!」 フリンはフルシアンに向けて顎をくいっとあげて合図を送った。シイルはサンボラの口をがっと抑え、無理矢理口を開けようとした。しかし、ガッ!とサンボラはシイルの手に噛み付いた。 「痛え!くそッ!噛みやがったこのおっさん!」 シイルは手をぶんぶんと振って静かに叫んだ。 そして、シイルはすぐさまサンボラの鼻を摘んだ。 サンボラはきつく口を結んでいる為、唯一の呼吸口が塞がれてしまった。みるみるうちにサンボラの顔が赤くなっていく。 フルシアンは、蛙を持ちながらほくそ笑んでいる。サンボラという男の意外な一面を見て面白くて仕方なかったのである。 そして、サンボラは耐えられなくなって口を開けてしまった。 「プハッ!」 「今だ!」 シイルが言うと、フルシアンはサンボラの口に蛙を押し込んで口を強く抑えた。 「よし!」 サンボラは体をバタバタとしている。目から涙を流している。フリンはニヤリと笑いながらサンボラを抑えている。 「よーし、いいぞ!ゆっくりだ。ゆっくりそのまま呼吸してみろ」 フルシアンはサンボラの口を抑えながら、彼に言った。 サンボラは体をガタガタと震わせながら次第に落ち着いていった。 「どうだ?息できるか?」 サンボラはこくりと頷いた。彼の目から涙が流れている。しかし、5秒に一度くらいおえっとえずいている。 フルシアンは再び蛙を口の中に入れ、手をあげて「ここに飛び込め」と皆に合図を送った。 ドボーン! 辺りは真っ暗な水の中である。外は月明かりに照らされていたが、水中まではさすがに光が届いていなかった。 フルシアンは、再び袋の中から一つの瓶を取り出した。それをぶんぶんと振ると、ぼんやりと光り始めたのである。瓶の中には光苔(ひかりごけ)が入っていた。光苔は酸素に触れると光りを放つという習性がある。しかし、まだ光は弱く、かろうじてフルシアンの手の先が光る程度であった。 そこでサンボラは杖を取り出し手を動かした。すると、杖の先端がぼんやりと光り始めたのである。古代魔法の一つであろうか。 杖をかざすと、水中でも彼らの顔や壁の様子がよく見えるようになった。 フルシアンは、サンボラに親指を立てて合図した。どうやらサンボラは先程の汚名を挽回したようである。 そして、彼らは壁の横に大きく空いた穴を発見した。 壁の穴は直径3〜5メートル程の穴が空いており、一人ずつであれば余裕で通れるくらいの広さであった。フルシアン、シイル、フリン、サンボラの順に穴に入り、進んで行った。 穴は次第に上の方に向いていき、大きな洞窟のような出口に辿り着いた。 そこには天井まで数メートルの空間が広がっていたのである。 ザバッと彼らは水面から顔を出した。 サンボラは、水面から出ると走り出し、地面に向かって大きく口を開け蛙を吐き出した。 「おえええっ!」 サンボラは手を地面に付き大きく咳き込んだ。 フリンは笑いながらサンボラの肩をポンポンと叩いた。 「あっはっは!あんたの意外な一面だにゃ!よく頑張ったよ!」 サンボラは口を拭いながらゆっくりと立ち上がった。 「め、面目ない…どうも蛙だけは子供の頃から苦手なのだよ」 シイルは辺りをキョロキョロと見渡した。 「本当だ。君の言った通りだなフルシアン。こんなところに通じているとはね。」 フルシアンは、その先の壁が崩れているのを発見した。 「ここだ、この先が地下墓地のようだな。」 しかし、壁には隙間が僅かしか空いておらず、そこからピューピューと風が出入りしていたのみであった。 「何とかこの壁を越えられればな…」 フリンはその壁に体当たりしてみた。しかし、壁はびくともしなかった。 「くそっ!ここで足止めなんて訳にはいかないな!」 シイルはどこか他に入り口がないか探してみることにした。フルシアンもそれに従って壁を触ってみたり、押してみたりした。 その時サンボラは杖を持ち、皆に声をかけた。 「その壁を破壊するしかないようだな。よし、皆下がっていろ」 するとサンボラの杖の先が紫色に輝き、杖から紫色の光球が放たれた。 ボーン! という爆発と共に、壁が吹き飛び、直径1〜2メートル程の穴が空いたのである。 「このくらいの小さなディストーンであればあまり大きな音も出ないだろう」 シイルはサンボラの肩にポンと手を置き、笑顔を向けた。 「さすがだな!さっき俺の指を噛んだことは水に流してやるよ」 そして彼らは穴を通り、地下墓地へと侵入することが出来たのである。 すると、フルシアンは何やら地面に動いてるものを見つけ、さっとそれを捕まえた。 「それは何だ?フルシアン」 シイルは、フルシアンに聞いた。 フルシアンは1匹のネズミを手に持っていた。 「“彼“にここを案内してもらおう」 するとネズミがフルシアンの前に出て歩き出したのである。 「凄い能力だな…」 サンボラは改めて彼の能力に感心したのである。 そしてその時、フリンは何やら気配を感じ足を止めた。 「ちょっと待て…やっぱりだな。すんなり通らせてはくれないようだよ」 シイルは、フリンの顔を見ると前方に目をやった。 すると薄暗い墓地の奥から何やらカチカチと音を立ててこちらに向かってきたのである。 地下墓地の蝋燭の僅かな灯りが、それの姿をゆっくりと照らし出した。それは、人間のように二本の足で立ち、鎧を身につけ、手には剣と盾を持っているようであった。しかし、それは明らかに人間とは違っていることが分かった。何故ならば、彼らの身体には、兵士のような筋肉や頭髪は無く、むしろ剥き出しになった骨のみで動いていたからである。 フルシアンは、背負っていた弓矢を取り出して構えた。 「来たぞ!スケルトンだ!!」

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第4話「救出」 神聖ナナウィア帝国の首都アイウォミから北へおよそ30キロ。丘の上にどんと構える要塞のような建物があった。 かつては帝国の農産物を保管する巨大な倉庫であったが、帝国の方針の変換により改築された。 壁は漆黒に塗られ、まわりを鉄の頑丈な格子で囲まれている。空には常に無数のカラスが飛び交い、時々深い霧に包まれる。見るからに不気味なその建物には、帝国の厳しい法律により罰せられた者達が次々と運び込まれていく。 「エクソダス収容所」 周辺住民からは、「北の牢獄」という呼び名で呼ばれていた。一度そこに入った人間は、二度と戻ってこれないからである。 また時折、人の声なのか動物の鳴き声なのか分からない断末魔のような叫び声が聞こえてくるというのである。 土の民は、かつて帝国の農業を支える重要な人材として登用されていた。その不思議な力と技術は、土を肥沃にし、農作物の育成を促し、農業大国と呼ばれる帝国を支える柱の一つであった。 だが、トゥームーヤが崩御したあと、皇室が不安定になり、地方国家が国境を越えてくることが多くなっていった。帝国はその対処に追われ、必然的に財政を国防に割かずを得なくなり、農業は次第に衰退していったのである。 そして帝国は農業の重要ポストを担う土の民を疎んでいくようになっていった。 エズィールたちが空から見た広大な農地は、実は帝国の持つ農地の最後の砦であったのである。 土の民は、縮小していく農業政策に抗えず、役職はおろか、住む場所なども追われるという扱いであった。 そこでさらにケリー公爵の法律が牙を向いたのである。土の民たちは、帝国の郊外の土地に掘立て小屋のような建物を建て、互いを助け合うように暮らしていた。ある日そこから密告があり、土の民のすべてが捕えられてしまったのである。 土の民は元々少数であったが、既に20人程までになっていた。彼らは互いの顔や名前も知り尽くしている。そこから密告があがるなど、誰しもが思ってもみなかったのである。 土の民の中で最も年長で、まとめ役である男性がいた。名前を「キスク」といった。 キスクは、捕えられる前日の夜、土の民を召集した。 「わが同胞よ。ついに恐れていた事態が起こってしまった。とうとう、ここにも密告があったのだ」 土の民たちはざわめいた。 キスクの隣には、土の民でかつて帝国の農業の最高責任者まで勤めた「ハンセン」という男がいた。 「昨日の朝、私がかつて勤めていた農務官の部下の人間から知らせがあってな…」 ハンセンが掴んだ情報によると、明日の朝、密告によって土の民が北の牢獄へ収監されることが決まったというのである。しかもその密告者の名は明かされず、それに対する裏付けの調査なども省かれてしまったというのである。 「何ということだ!我々はかつてナナウィアに栄光をもたらした栄誉ある民だぞ!?」 「何という扱いだ!まったく理不尽過ぎる!」 「もう、うちの子たちの食べ物さえ手に入らないというのに!まだ我々を追いやるというの?」 土の民たちは憤慨した。しかし、疲弊しきっている彼らには、もう反旗を翻す力など持ち合わせていなかったのである。 「致し方ないか…国の外へ行くにも、もう我々には何も残されておらん。何せ他国へ渡れば、我々の能力が他国へ流れることになるのだからのう。この地で死ねというわけじゃ…」 土の民は、国外への渡航を許可されていなかった。国境にあるすべての関所では、土の民一人一人の名前や性別、その他すべてが記された名簿が配布され、彼らの亡命を厳しく取り締まっていた。それでも無理矢理に国境を越えたものは、捕らえられ、即刻処刑されてしまっていたのである。 土の民たちは涙を流し、歯を食いしばり、拳を震わせながら輸送用の大きな馬車に乗ったのである。 その中に、二人の姉妹がいた。 彼女たちはキスクの孫であり、名前を「アリアナ」と「アイリス」といった。彼女たちは、土の民の中でも群を抜いて能力が高く、土の神殿の巫女でもあった。 姉のアリアナは、土の民の歴史の研究をしつつ、新たな能力の開発に没頭していたのである。土の民の力と魔法との融合や、農作物に魔法の力を付与する研究なども行っていた。 妹のアイリスは、姉とは違い、武芸に秀でており、弓矢や姉の開発した土の魔法を使い、農作物を荒らす魔物や害獣退治を得意としていたのである。 彼女たちの眼差しは、他の土の民に比べ、まだ光を失ってはいなかった。 「みんな!諦めないで!私たちの能力を知れば、皆分かってくれる!」 「そうよ!いずれ帝国はこのままでは衰退するわ!その時まで耐えるのよ!」 彼女たちは、周りの民を鼓舞し続けた。だが、他の土の民たちは彼女たちの情熱を持ってしても、その目に希望の光を灯すことはなかった。虚ろな目をして天を仰ぐ者や、涙を流したままうつむいている者などがほとんどであった。 勿論、彼女たち自身も怖くて仕方なかった。だが、誰よりも土の民の素晴らしさを知っている彼女たちは、この民がただ滅ぼされるのを黙って見ている訳にはいかなかったのである。 そして、彼らが収容所に収監されて2日目のことであった。 収容所の広い部屋の中には、10名ほどの土の民たちがうずくまっていた。窓は無く、壁は薄汚れ、カビのような異臭が立ち込めている。 「姉さん…もうここに来て二日が経ったわ。カルシェやネジルは、まだ戻って来ない。私… アイリスの言葉を遮るようにアリアナが言った。 「ダメよ!今はまだここで耐えなくては…今騒ぎを起こしたら元も子もないわ!」 「姉さん!分かってるんでしょ?彼らはもう殺されたの!何が尋問よ!一人一人なぶり殺しにして、吸血鬼の餌にしてるんだわ!夜な夜な聴こえるあの叫び声にはもう耐えられないのよ!」 アリアナは涙を浮かべながら、じっとしている。 その時であった。 ガチャンという音と共に、収容所の扉が開いたのである。ギギギという重苦しい音が部屋中に響き、冷酷な顔つきの看守が現れた。看守は、真っ黒なローブに身を包み、腰にサーベルを下げている。 彼女たちをはじめ、土の民たちはぞっとした。ここに来てから、看守が度々この部屋の扉を開け、名前を呼んでいくと、その名を呼ばれたものは、手枷を付けて連行され、尋問を受ける決まりになっているのである。そしてアイリスの言っていた通り、名前を呼ばれたものは、2度とこの部屋には戻って来なかったのである。 当初、彼女たちは、尋問を受けて罪を償えば釈放されるものと思っていた。しかし、看守に聞いても答えが返ってくることはなかった。次第に彼女たちは、看守がもう来ないことを祈るしかなかったのであった。来たとしても、名前を呼ばれることのないようにと。無駄だと思える行為だとしても、彼女たちは既に極限状態だったのである。 看守は、必ず名前が書かれている帳面を持っていた。そこから名前を読み上げられた者を尋問するのである。 だが、今し方来たその看守は、帳面を持っていなかった。 「ふむ…」 その看守は、顎を撫でながら一人一人の顔をマジマジと見つめていった。 看守が部屋に入ってからは、皆俯き、目線を合わせないように壁の側でうずくまっていたが、なかなか名前が呼ばれないことに不思議に思えてきたのである。アイリスはふと見上げ、看守の顔を見た。看守は、少し笑みを浮かべながら何かを考えているようである。 アイリスは震えながら看守に叫んだ。 「ねえ、さっき連れていった二人はどうなったの?あたしたちは何もしていない。今まで帝国の為だけにずっと勤めてきた!なのに何故なの!?」 アイリスの感情が爆発している。堰を切ったように彼女は看守に訴えた。目には涙が滲んでいる。 アイリスを押さえるように、アリアナは彼女を引き寄せた。 「やめてアイリス!彼らを刺激しないで!」 アリアナは体を震わせながらアイリスを必死で守ろうとしている。 看守は、二人の顔をじっと見つめると言った。 「よかろう。その二人、来なさい」 アリアナとアイリスは、目の前が真っ白になった。とうとう私たちが呼ばれてしまった。一体どうされるんだろう?アイリスは、先程の感情の爆発を悔やんだ。何故姉の言う通りにしなかったのか、自らを悔いたのである。 彼女たちは、涙を流して抱き合った。そして、力無く看守の元へと歩いて行った。 部屋を出ると薄暗い廊下が続いていた。蝋燭の火が不気味にゆらゆらと揺れながら通路を照らしている。 アイリスは肩を震わせながら涙を流している。 だがアリアナは、ふと目の前の看守が、他の看守とは様子が違うなと思った。何故なら、いつも持ち歩いている帳面も持っていなければ、この看守の服装は、どこか他の看守とは微妙に違う気がしたのである。だがしかし、すぐに彼女は俯いた。もしそうだとしても、もう私たちは助からないことには変わりないという絶望が、彼女の心を蝕んでいくのであった。 看守は、ある部屋の前に立ち止まり、扉を開けた。 「さあ、中に入るんだ」 部屋に入ると、一つの机に、四つの椅子、そしてもう一人の看守がその椅子の一つに座りながら眠りこけていたのである。 看守は、眠っている看守の肩をポンポンと叩いた。 「んあ、もうそんな時間か?早いな」 「ああ、予定が少し変わってな」 目を覚ました看守は部屋を出て行った。 看守は、彼女たちを見ながら椅子に座るように促した。そして自分も椅子に腰掛けると、ゆっくりと話し出した。 「さて、まずはそなたらは“土の民“で間違いないか?」 アイリスはきょとんとしながら、看守の顔を見た。 アリアナもそうである。涙を拭きながら答えた。 「そうよ」 看守は、表情が少し穏やかになった。 「では今、土の民は君たちを含めると10名ということか…」 アリアナはみるみるうちに悲しい表情になった。 「ああ!何てこと!みんな死んでしまったのね!」 アイリスもアリアナの肩に寄り添い泣き出した。 看守は、彼女たちの顔を見ると、人差し指を立てて言った。 「いいか、よく聞くんだ。これから君たちを別の場所に移動させる。大人しく指示に従うんだ」 「別の場所?」 そういうと、看守は立ち上がり、再び手枷を取り出し彼女たちの手にかけた。 「よいか、何も口にするな。ただ指示に従うんだぞ」 そう言うと、看守は彼女たちを引き連れて部屋を出た。部屋を出ると、再び長い通路があった。看守は彼女たちが来た場所と逆方向に向けて歩き出した。 彼女たちは、何故なのか、どこに行くのか、まったく分からなかったが、看守の言う通り静かにしなければいけないと思い、黙って看守について行ったのである。 そして、渡り廊下のような場所に出ると、収容所の中庭が見渡せるようになっていた。アイリスはふと中庭に目をやると、すぐに目を閉じてうずくまった。 「アイリス!どうしたの?何かあったの?」 「姉さん…見てはダメよ!」 アリアナは反射的に中庭に目をやってしまった。そこに映ったのは、夥(おびただ)しい数の屍の山と、恐ろしいストリゴイやヘルハウンド(魔犬)たちがその屍に食らいついている様子であった。 まさに地獄絵図である。そして、強烈な悪臭が彼女たちの鼻をついた。 彼女たちは鼻と口を押さえ、涙を浮かべながら足早に看守について行った。 そして、看守は収容所の出入り口に辿り着いた。 門番の男に話しかけている。 「特命があった。今より土の民を別の場所に移送せよとの指令が下りたのだ」 門番の男は怪訝な顔つきをした。 「ん?何も聞いてないぞ。それは本当か?」 看守は頷き、懐から不思議な紋章の札を取り出した。 「こ、これはこれは!特務官殿でしたか!どうぞお通りください!」 門番の男はさっと道を開けると、門を開けるレバーを引いた。ガチャンという音と共に、堅牢な扉がギギギと開いたのである。 そこに置いてあったのは、輸送用の大きな馬車であった。馬車には、二人の従者が乗っていた。 「さあ、こちらへ」 従者は一人は人間種の男で、もう一人は赤い髪の人間種の女性であった。 アリアナとアイリスは、馬車に乗り込んだ。すると看守は、彼女たちに言った。 「いいか、ここで大人しく待ってるんだ」 彼女たちは怪訝な顔をした。 すると従者の男が看守に話しかけた。 「残りも連れてくるんだろ?」 看守は答えた。 「ああ、結界はまだか?」 「あと少し。急いでくれ」 看守は頷き、再び収容所の中へ向かった。 しばらくすると看守は、さらに二人の土の民を連れて来たのである。 「これであと6人か…」 すると赤い髪の従者が看守に言った。 「一気に連れて来れないの?」 「ダメだ。二人までの尋問と決まっている。それ以上連れ出すには、もう一人の看守が必要なのだ」 赤い髪の従者は少し苛立っているようである。 そして再び看守は収容所の中へと入っていった。 しかし、今度はなかなか出て来ない。 明らかに従者たちの顔に焦りが見えて来た。 アリアナとアイリスは、従者たちのやり取りを見ていたが、何か様子がおかしいことに気がついた。 その時、男性の従者が言った。 「遅い…もう既に結界は完成している…」 アリアナは呟くように言った。 「結界…?」 そして、赤い髪の女性の従者が言った。 「ダメよ。きっと何かあったのね、私行くわ!」 男性の従者が頷くと、女性はさっと馬車を降り、収容所に向けて走り出した。 髪の毛の赤い女性は、素早く門に近付くと、門番に呼び止められた。 「おい!お前、輸送馬車の従者か?そこで何をしている?」 「お願いです!どうかこちらに来てください!」 門番の男が女に近付いた時、女性はさっと身を翻し、男性の背後へ回り込んだ。その瞬間、短刀を抜き、男性の首を掻っ切ったのである。 「あっ!」 アリアナは声を上げた。そして男性の従者へ向けて言った。 「あなたたちは…一体何者なの!?」 一方、収容所内では、先程の看守が、通路でたくさんの看守たちに囲まれている。看守の後ろには二人の土の民がいた。 「貴様!何者だ!怪しいやつめ!」 「そいつらをどこへ連れて行く!?」 囲まれている看守は、無表情で話し始めた。 「特務官の任務であるぞ?貴様たち、私を止めるということは、王の勅命に反するということと同意になるが」 しかし、周りの看守たちはたじろぐ様子はなかった。 「騙されんぞ!特務官ならば、例の紋章を見せろ!」 “例の紋章“とは、王が緊急に直接命令を下す場合のみに持たされる札で、それはここ、エクソダス収容所のみならず、帝国内ありとあらゆる場所において通用する札であった。それを持つ者は、王からの勅命で動いているという証であり、それに従わない者は、王に歯向かう者とみなされるのである。 看守は懐に手を入れ、紋章の刻まれた札を取り出した。周りの看守はさっとそれを奪い取り、まじまじと見つめた。 「ふはは!これは何だ!?こんなもので俺たちを騙せると思っているのか!?」 すると、看守は表情が変わり、何やら笑い出したのである。 「はっはっは!思ったより利口な奴らだわい!」 その瞬間、看守の口から物凄い勢いの風が吹いた。その風は光り輝いており、囲んでいる看守たちにぶつかった。 息を吐く看守の後ろにいる民は、それが一瞬何なのか分からなかったが、その光輝いている息から物凄い冷気を感じ取ったのである。 「ううっ!さ、寒い!」 その時、周りにいる看守が動かないことに気がついた。動かないというより、凍りついているのである。すると息を吐いた看守は、土の民の方に向いた。 「なにぶんこの姿なものでな。この息ではすぐに溶けてしまう。早く出口へ向かうのだ!」 看守は土の民を引き連れ、出口へと走った。 出入り口前の通路では、何やら騒がしい音がする。 すると、先程の赤い髪の女性従者が、看守たちと格闘していたのである。 「エズィール!心配したわ!」 その女性は、レジスタンス“自由の天地(ランドオブザフリー)“のリーダーの一人、シャーデであった。シャーデは、短刀で看守を数人相手に戦っている。シャーデが言うように、氷の息を吐いたのは看守に変身したエズィールであった。 「シャーデ!とうとうバレてしまったぞ!急ぐのだ!」 「土の民はあと何人いるの?」 「この者たちの他にあと4人だ!」 「とにかく、まず彼らを外へ!」 その時である。 収容所の中から鐘のような大きな音がけたたましく鳴り響いたのである。 アリアナとアイリスは、驚いて収容所の方を見た。 「一体何が起きてるの?」 「分からないわ。看守たちが慌ただしく動いてる」 外から見える僅かな窓からは、何者かが走っているような影が見えた。 「チッ、とうとうバレちまったらしいな!」 男の従者はそういうと立ち上がり、黒い従者のローブを脱ぎ捨てた。そして、手をかざして詠唱しだした。 「あなた…魔法使いなの?」 アリアナはその男に向けて言った。 その男は、アリアナにウインクをし答えた。 「ちっちっち…お嬢さん。俺は“大魔法使い“様だ!」 彼はクァン・トゥー王国が誇る勇者英雄隊の魔法使い、アントニーであった。 すると、収容所の出入り口から、シャーデと看守の姿をしたエズィールが出て来た。後ろには土の民が二人付いている。 「アントニー!まだ中に4人いるわ!」 「チッ!まだそんなにいたのか!早くしてくれ!俺は出て来たやつを倒す!」 すると、収容所の出入り口からワラワラとストリゴイが現れた。 「きゃあぁぁぁ!吸血鬼よ!」 アリアナは恐れおののいた。 すると、アントニーは手刀のような型を作り、ストリゴイに向けて叫んだ。 「スラッシュガンズ!」 すると、アントニーの手からブーメランのような光が無数に現れ、ストリゴイに向けて放たれた。 シュババババという音と共に数匹のストリゴイたちは、一瞬のうちに細切れに切り刻まれたのである。 「す、凄い!」 アイリスは思わず叫んだ。 「行け!今のうちだ!」 アントニーが叫ぶと、シャーデとエズィールは、再び収容所の中に向かった。 エズィールたちは、一目散に土の民が囚われている部屋に向けて走り出した。しかし、行手にはかなりの数の看守たちやストリゴイ、そしてヘルハウンドが待ち受けていたのである。 エズィールは、口から氷の息を吐いた。ストリゴイや看守はみるみるうちに固まり、動けなくなった。しかし、氷の息を逃れたヘルハウンドが襲いかかってきた。そこへシャーデがすぐに身を交わしつつ、短刀をヘルハウンドの首元に突き刺して倒していく。見事な連携である。 そして、彼らは土の民が囚われている部屋へと辿り着いた。 扉を開けると四人の土の民が、体を震わせながら身を寄せていた。 「きゃあーっ!」 「な、何だお前たちは!?」 「一体何が起きてるんだ!?」 シャーデは彼らに出入り口に迎えと叫んだ。 「安心して!私たちは味方よ!あなた方を助けに来たの!」 そして、何とかエズィールたちは、残り4名の土の民を収容所の外へと連れ出すことが出来たのである。 「さあ馬車に乗って!」 「1.2.3…10人!これで全員だな?よし!向かうぞ!」 アントニーがそう言って馬の手綱に手をかけようとした時である。アリアナが突然叫んだ。 「きゃああーっ!」 なんとストリゴイがアリアナを足を掴んでいたのである。

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」

第3話「吸血鬼」 その男は、つばのおおきな羽付き帽子を被り、青のローブを身につけ、足の先が尖って上に向いた靴を履いていた。目付きは自信に満ち溢れ、帽子の下は艶のある黒髪である。年齢は20代後半くらいの人間種である。 彼の名は「アントニー・キールズ」 クァン・トゥー王国の勇者英雄隊であり、世界屈指の魔法使いである。 「ああ…フリン!フリン!お前は一体ここで何をしてるんだ?こんな危険なところに、俺のような“大魔法使い“でもいなきゃ、命が幾つあったって…」 そこまで言うとアントニーは、フリンの顎を持ちクイっと上げた。 「足りないぞっ」 フリンは、ふうとため息をつき、アントニーのとんがった靴の上、即ち足の甲あたりを力強く踏ん付けた。 「まったく!相変わらずだなお前は!心配したこっちが損した!」 アントニーは、足を押さえて悶絶している。 「ぐおおおああ!相変わらず冗談の聞かん奴だ!」 サンボラがアントニーに歩み寄り言った。 「久しいなアントニー、無事で良かった。フルシアンはどこだ?」 アントニーは、サンボラを見上げて言った。 「ん?ブラインド・ガーディアンの長が何でフリンと一緒にいるんだ?」 エズィールも歩み寄ってきた。エズィールは、自己紹介しようとしたが、アントニーが制止した。 「待て!ここは危険だ!俺について来い!」 アントニーは、くるっと振り返ると走り出した。 フリンたちはアントニーの後を追った。 神聖ナナウィア帝国の首都クァン・シーの都市は、路地が入り組んでおり、かなり複雑な構造であった。灌漑設備や排水設備も整備されており、至る所に水路も通っている。 アントニーは、いくつかの路地を曲がり、水路を飛び越え、地下通路に通じる川沿いの薄暗い小屋の中へ入っていった。 「ここは何の小屋だ?アントニーが寝泊まりしてるのか?」 フリンはアントニーに尋ねたが、アントニーは人差し指を口に当て、床に敷いてあった薄汚れたカーペットを剥がした。 ぶわっと埃が舞い、床が剥きだにしなった。しかし、その床にはよく見ると、鉄で出来た取手のようなものが付いていた。 アントニーは取手を持ち、「よっと」と声を出して床を開けた。床には四角い穴が空いており、そこから梯子がかけられ、地下に通じていたのである。 アントニーは、さっと梯子を伝い下に降りていった。 「足元気を付けろよ」 アントニーはただ一言を発し降りていった。 フリンたちも彼に続いて梯子を降りていった。 梯子を降りると、地下通路があり、そこを通ると少し開けた空間に出た。そこまで来るとアントニーは振り返ってようやく口を開いた。 「大丈夫か?誰かにつけられてないか?」 サンボラは答えた。 「ああ大丈夫だ。後ろを見ていたが、誰も来る気配はない」 「それはよかった。何せこの国は今や“戒厳令“の様な状態なんでね。誰かに見られちゃあっという間にお縄になっちまう」 アントニーは、エズィールを見て話しかけた。 「俺の見間違えかもしれんが、あんたさっきドラゴンになってなかったか?」 エズィールはニコリと笑って答えた。 「さよう、わしはエルフのドラゴン。エズィールだ」 アントニーは、エズィールを見て言った。 「ドラゴンか、凄いな!本当に居るんだな!変身能力があると聞いたが本当だったとは」 アントニーは、エズィールの肩をパンパンと軽く叩くと、さらに奥の通路へと歩き出した。フリンたちも後を続いた。歩きながらアントニーは話し出した。 「で?なぜここにフリンとサンボラ隊長とドラゴンがいるんだ?」 エズィールは事の顛末を語り出した。 「なるほど…通りでサーティマから何の音沙汰も無かったわけだ。とはいえこちらも色々と“ゴタゴタ“があってな」 アントニーは、スレイヤ城にいた従者の言っていた通り、貿易協定が暗礁に乗り上げ、途方に暮れていたところに、ある人物から手紙を受け取ったのだという。 「手紙?あたいらと同じじゃないか」 フリンは、城の外で謎の女性から手紙を受け取ったことを話した。 「ああ、“ぼっちゃま“からの手紙だろ?それは俺も受け取ったさ。外国からの使者に手当たり次第に渡してんのさ。まったく…バレたら自分の身が危ういってのにな」 アラヤ王は、使いを通して手紙をすべての国の使者に渡していた。ケリー公爵の言っていた例の法律が制定されてからは、アントニーがその手紙を回収し、事なきを得ていたというのである。 「なぜ回収を?アントニーは王様の言う通り王妃を助けないのか?」 フリンは首を傾げたが、アントニーは話を続けた。 「ああ、勿論そのつもりだぜ。だが今すぐって訳じゃない。今騒がれちゃせっかくの“計画“がパーてことになるからな」 サンボラが言った。 「“計画“とは?」 その時、通路の先に頑丈な扉が現れた。 コンコンとアントニーが扉をノックすると、扉の小窓が開き、ギョロっとした目が覗いた。すると低い声がした。 「合言葉を…」 アントニーは、静かにゆっくりと話した。 「自由の天地」 すると、扉の奥からガチャリと音が聞こえ、ギギギと軋む音を立てて扉が開いた。 扉の奥から黒装束を見に纏った男が現れた。 「アントニーか。してそちらの方々は?」 アントニーは男に言った。 「彼らはクァン・トゥーからやってきた使者だ。シャーデはいるか?もしくはシイルでもいい」 男は低い声で答えた。 「シイルが奥にいる」 扉を通り、奥へと進むと、洞窟のような大きな空間が目の前に広がった。壁は木枠で補強され、整然と灯りが灯されていた。 十数名の男女が黒い装束に身を包み、何やら地図を広げて話し合ったり、剣や弓矢を整備したりしていた。 するとその中の一人がアントニーたちに気付き、近寄ってきた。 「アントニー!さっきまた魔法を使ったのか?ストリゴイたちが大慌てで逃げてったぞ!…おや?そちらの人たちは?」 アントニーは、軽く咳払いするとフリンに言った。 「フリン、俺は彼からもう一通の手紙を受け取ったんだ。その“おかげで“今ここにいるのさ…」 「へ?」 フリンはその声の主を見た。 その男は爽やかな笑みをたたえ、茶色の髪を後ろで束ねており、黒いレザーアーマーを身に付けていた。腰には剣を差している。年齢は30歳くらいであろうか、長身だが細身でしなやかな体つきである。 アントニーは、その男にフリンたちを紹介した。そして、その男はフリンに手を差し伸べ、握手をした。 「ようこそ!“ランドオブザフリー(自由の天地)“へ!俺の名はシイル。よろしく!」 エズィールとサンボラも彼と握手をした。 「“ランドオブザフリー“?」 シイルは爽やかな笑顔で答えた。 「アハハ!そう!我らこそ神聖ナナウィア帝国を憂い、救おうとしている自由の戦士たちだ!ハハハ!」 アントニーは、吹き出しそうな顔をしてフリンに言った。 「こいつ、ひたすら爽やかだろ?笑っちまうよな!まぁ、いわゆる“レジスタンス(抵抗運動)“ってやつだ」 アントニーの話によると、シイル率いるレジスタンスは、ケリー公爵の圧政が活発化した時に結成されたそうだ。 彼はハンネ王妃と内通し、皇室の内部事情を詳しく把握していた。 当初ケリー公爵は、ハンネ妃とアラヤ王を陰ながら支える立場で皇室に居たそうだが、突如隠居していたはずのランディー伯爵が現れ、ケリー公爵こそ真の皇位継承者だと主張した。ケリー公爵は、次第にその主張に踊らされ、アラヤ王とハンネ妃を失脚させようと画策し始めたそうである。シイルは続けた。 「おかしいのは、ランディー伯爵がなぜ今ここに現れたのかなんだ。彼は既に90歳を過ぎた老人だ。トゥームーヤ皇帝が亡くなったと同時に皇室の教育係を引退したはずなのにな…」 シイルは、そこで一枚の肖像画を取り出し、フリンたちに見せた。その肖像画に描かれているのは、白髪で顔に皺をたくさん刻んだ老人であった。目も虚ろで、白い髭も垂れ下がっている。 「これは誰だ?」 サンボラが尋ね、シイルは答えた。 「これは引退する日の記念に描かれたランディーの肖像画だ。ハンネ妃から譲り受けたんだ」 フリンたちは驚いた。先程城で会ったランディー伯爵は、背筋がすらっと伸び、白髪だが髭は凛々しく、話し方もしっかりしていた気品ある初老の男性といった印象であった。とてもその肖像画に描かれているのが同一人物とは思えなかったのである。 シイルはさらに続けた。 「不審に思った妃が、我々に調査を依頼したんだ。そこで偶然出会ったのが、アントニーたちだった」 アントニーが話し出した。 「俺とフルシアンは、確かにそのランディーとかいうやつが裏でケリーを操っているのではないかと直感していたんだ。俺たちの協定が突然破談にされたんだからな。そして、城の外でシイルに手紙を渡された俺たちは、ここへ案内された。そこでその肖像画を見てさらに疑念が湧いた。フルシアンは、レジスタンスのもう一人『シャーデ』と共にランディーの家を尋ねた…」 すると、フリンたちの後ろから声がした。 「…すると家には何も無かった。いや、それどころか使用人すら一人も居なかった。娘や息子たち、家族さえもな…」 フリンは振り返った。そこには、ハーフエルフの男性が立っていた。その後ろには、赤い髪の女性が立っている。 「フルシアン!」 フリンは、そのハーフエルフに抱きついた。 彼は、勇者英雄隊の弓の名手「フルシアン・スロヴィアク」であった。 フルシアンは、比較的若いハーフエルフであり、アントニーと同じくらいの年齢であった。身長はさほど高くなく、フリンと同じくらいである。長く濃い緑色の髪の毛を後ろで束ね、背中には獅子の頭の飾りが付いた弓矢を背負っていた。 その後ろの女性は、シイルと共にレジスタンスを率いているリーダーの一人「シャーデ」である。 彼女は、人間種の女性で年齢は20代後半くらい、赤い髪だが男性のように短く切られており、シイルと同じ黒のレザーアーマーを着用している。腰にはレイピア(細身の剣)を差している。 フルシアンは、フリンたちに話を続けた。 「久しぶりだな。で、さっきの続きだけど…」 フルシアンは、ランディー伯爵の家の様子を語った。 元々ランディー伯爵の家は、広大な農地を所有しており、小麦や、葡萄、オリーブなど沢山の農作物を栽培していた。使用人も数多く、家族は妻、娘が一人、息子が二人いたという。 フルシアンは、まず荒れ果てた果樹園や畑を目にした。使用人は一人も居らず、それどころか、まるで突然どこかに連れ去られたかのような状況であったという。何故ならば、家のテーブルには食事が並べられ、使用人が干したであろう洗濯物も掛けられたままだったというのである。 「おかしいのは、腐敗した食事があるのにも関わらず、ネズミ一匹居ないってことなんだ。不気味だろ?そこで、ある地下室の出入り口を見つけたんだが、そこで何者かの気配を感じたんだ」 シャーデが話を続けた。 「家での調査はそこで終わり。その後私たちは近くの集落へ行き、聞き取り調査をしてみたの」 シャーデの話によれば、ある日突然ランディーの家から灯りが消え、昼間は誰も外に出なくなったという。しかも、夜中にその家の近くを通った多くの人が「ある者」を目撃しているのだというのだ。 「それは、何だ?」 エズィールは尋ねた。シャーデは、胸元から一つの紙を取り出した。そこには、真っ黒な人影と、赤く光る二つの目が描かれていた。 「これは、目撃者に描いてもらったその者の姿よ」 エズィールは、それを聞いて顎を触って考えた。 そして、口を開いた。 「うーむ、ランディー伯爵の邪気の強さ。そしてその不可解な自宅の様子。どうもこれはおそらく吸血鬼の仕業ではないかのう。しかも上位の吸血鬼だな」 フルシアンは、エズィールを見て言った。 「上位の吸血鬼…」 「たしか、古い伝記には“ヴァンパイア“とかいう名前であったかのう。だとすると合点がいくが…」 シイルは頷いてエズィールに言った。 「やはりな。我々もそうだと思っている。ランディー伯爵はヴァンパイアになって、家族や使用人たち、また家畜やネズミでさえも食い尽くした。 しかもあのストリゴイたちを手懐け、高い知能を持ってケリー公爵を操れる魔物といえば、ヴァンパイアくらいしか思いつかないんだ」 シャーデが続けた。 「だが、何故なの?ランディーがヴァンパイアならば何故今なの?トゥームーヤがいる時に出て来てもおかしくはなかったはず…」 サンボラが話し出した。 「やはり魔王の影響なのか、しかしトゥームーヤ皇帝が亡くなったのは、魔王が復活するだいぶ前だな…」 エズィールが言った。 「おそらくランディー伯爵は、その肖像画が描かれたあとにヴァンパイアになったと思う。何者かによってランディー伯爵は、ヴァンパイアにされてしまったと考えた方が自然だな」 ヴァンパイアは、高い知能を兼ね備えた上位吸血鬼の一種であり、“不死性“があると言われている。即ち人類史が始まってから生きている伝説の存在であり、人間や動物の生き血を吸って生きている。また、自らの血清を人間の体内に注入すれば、ヴァンパイアとして生まれ変わらせることもあるという。 フリンが言った。 「じゃあ一体なぜこの国にヴァンパイアが現れて、ランディー伯爵を操ってるんだ?」 「うーむ…」 エズィールは、顎を撫でながら考えている。 その時、シイルはエズィールに尋ねた。 「さっき言っていた魔王って何だ?詳しく話を聞かせてくれないか?」 エズィールは、魔王の復活と、なぜ今ここにいるのかを彼らに伝えたのである。 シャーデがその時語り出した。 「これはこの国に伝わる伝説…いや、噂の一つなのだけれど、過去にストリゴイを放ってこの国を混乱に陥れた謎の組織があったの…」 シャーデはストリゴイが大量に現れ、神聖ナナウィアの存亡の危機を招いた事件があったことを伝えた。それはかつてサンボラが神聖ナナウィア帝国にいた時代の話であった。シャーデは、その時まだ子供であったそうだが、親やまわりの人たちの噂を耳にしたのだという。 その謎の組織は、古来からの邪神を信仰の対象とし、時折り不気味な儀式などをして住民から忌み嫌われていたが、ストリゴイの集団が現れた時に、その出所がそこであったのが発覚したのだという。 「たしか、その組織の名前は“エニグマ“…」 エズィールは、その名前を聞いて目を開いた。 「エニグマだと!?」 フリンはエズィールを見た。 「何なのさ?そのエニなんとかって…」 エズィールはゆっくりと口を開いた。 「それはかつて魔王が名乗っていた名前の一つだ…」 「な、何だと!?ではその組織は魔王と深く関係しているのでは…」 「ランディー伯爵がヴァンパイアにされたことにも繋がってくるかもしれんの…」 シイルは、改めてフリンたちに話した。 「いずれにせよ、この国はヴァンパイアの手によってこんな有様になってしまった。クァン・トゥーの英雄隊の皆よ。そしてエルフのドラゴン、エズィール殿。どうか我々に力を貸して欲しい!」 シイルはそう言うと、フリンたちの前で跪(ひざまず)いた。シャーデやまわりのレジスタンスの人間たちもその場で跪き、胸に手を当てたのである。 「にゃにゃっ!?」 フリンは困惑している。その時、エズィールがゆっくりと話し出した。 「実は先程の話だが…我々もどうかそなたらに力を貸して欲しいのだ」 シイルは顔を上げた。 「どうか、そなたらと共に土の民を救い出したい。北の収容所に入れられておるそうだ。魔王封印するには彼らの力が必要なのだ」 シイルはゆっくりと立ち上がって言った。 「なるほど、確かにエズィール殿の言う通り、これはもはや我が国だけの問題ではないな。魔王の影響が深く関わっているかもしれん!いいだろう!我々もそなたらに手を貸そう!」 シャーデは立ち上がり、フリンたちに話しかけた。 「では、双方協力体制を取りましょう!二手に分かれるのよ!」 シャーデの提案により、レジスタンスとフリンたちを二手に分けての作戦が練られた。 一つは、ランディー伯爵の暗殺及び、アラヤ王とハンネ妃の救出。この部隊にはフリン、フルシアン、シイル、サンボラを中心に構成された。 そしてもう一つ、北の収容所にて土の民の救出である。そこには、アントニー、シャーデ、エズィールを中心に部隊が構成されたのである。 事態は一刻を争う。幽閉されているハンネ妃も、北の収容所に収監されている土の民たちも、いつ殺されるか分からないからである。 シイルは、この作戦名を、神聖ナナウィア帝国の言葉で“希望の砦“という意味の「ガンマ・レイ」と名付け、入念な作戦が練られたのである。 ーそして、作戦決行の日を迎えたのであった。 魔王の群勢が再び襲来するであろう残りの期間は、およそ残り14日間である。 この日は、サーバス王国にガラたちが到着する前の日であった。

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忘れがたき炎の物語 第四章「破滅の帝国編」