維千 / ichi
12 件の小説第三話 義務
[2日目] 朝早くに目が覚めた。廊下に出てみると、調理場の方から良い香りが漂ってきた。自然と足が進む。扉を開けてみると、そこには昨日煙草を吸っていた男がいた。 「お、起きたか」 「おはようございます。朝ごはんですか」 「円卓の上を見てくるといい。今日の指示が書かれているから」 「ありがとうございます。見てきたら手伝いに戻りに来ますね」 「そうしてくれると助かるよ」 円卓の上には、紙切れが置かれていた。 「おはようございます。当館の執事を務めております、三瀬でございます。昨日はよく眠れたでしょうか。皆様にはご自身の役割を把握して議論を行い、本日も1名処刑して頂きます。議論が行えるのは夕方6時までとなっておりますので、ご注意下さい」 達筆の書き置きを見て、案外環境には困らなさそうだと感じた。昨日逃げ出そうとした人を撃ち殺したあの執事は三瀬さんというのか。ふと狂気に満ちたあの瞬間を思い出して鳥肌が立つ。そういえばと辺りを見渡してみたが、死体は消え去っていた。血溜まりも無い。俺はキッチンへと踵を返した。 「お兄さん、戻りました」 「よせ、お兄さんなんて呼ばれる歳でも無いんだ。大和だ。」 「大和さん」 「……」 「あの、昨日三瀬さんが撃ち殺したあの男性ってどこに行ったのでしょうか」 「さあな、俺も知りたいくらいだよ。今朝俺が起きて一番に大広間へ向かったが、その時には無かったよ」 「そうですか」 「なぁ、えぇと......」 「政翔馬です」 「政、そこの卵取ってくれ」 「了解です」 大和さんは手際良く朝食を作り上げた。俺は皿を並べるくらいしか出来なかったが、彼は笑顔で俺に感謝の言葉を掛けてくれた。大広間に料理を運びに行くと、そこには昨日の男の子が座っていた。 「わぁ美味しそう!お腹ぺこぺこだよぉ」 「はいどうぞ。大和さんが作ってくれました」 「お兄ちゃんありがと!」 「どういたしまして、でもお礼は後で来る大和さんにね」 男の子の隣に座り、朝食に手を付ける。男の子はカノアという名前らしい。なるほど、青い瞳に金色の髪、どこかヨーロッパの顔立ち。彼にこの屋敷に住んでいると言われても違和感がない愛らしさがある。色々と話すうちに他の人たちも続々と起きてきた。久我さんが現れた頃には俺はすでに食事をし終わってしまっていたが、皆と団らんをする時間は気休めになった気がする。
第二話 あなたの役職は
執事が居なくなってから、死んだ男の血溜まりは徐々に広がっていった。俺の足元へ流れてきた血を見て、反射的に足をどかしてしまった。 「政くん……」 久我さんが俺の手を強く握り直したが、その手はとても冷たい。 「久我さん、とりあえず部屋に行こう。この部屋にいると、その、ね?」 例の死体から視線を逸らして声を発したが、その声はとても上ずって震えていた。目前で人が1人殺されたのだ。今日は眠れる気がしない。 「坊主の言う通りだ。お前ら、この部屋からとっとと出るぞ」 さっきまで煙草を吸っていた男が火を消して立ち上がる。その瞬間凍てついた空気が解けたかのように全員が動き出した。 「お姉ちゃん、怖い」 くまのぬいぐるみを抱いた男の子が久我さんに抱きついた。それを見た久我さんが俺の手を離して男の子を抱き上げる。 「大丈夫よ、きっと大丈夫」 そう言って男の子の背中を撫でる彼女の手は小さく震えていた。 全員が割り振られた部屋へと入っていく様子を見ながら、俺と、男の子を抱いた久我さんは1番最後に円卓の大広間を出た。毛並みの良い赤赤としたカーペットの縁には金の刺繍が施されており、どこか中世の洋館を感じる。ここが隔離施設だなんて、全くもって思えない。 3番目の扉の前に辿り着いたとき、くまのぬいぐるみをぎゅっと握り締め、男の子がひょいと飛び降りた。 「僕のお部屋!ここだって!お姉ちゃんありがとう〜」 「うん、どういたしまして」 緊張感が抜けていない表情のまま笑顔を浮かべて手を振る彼女はどこか遠い目をしていた。 「……」 俺は1人部屋に戻り小さくため息をついた。小ぶりな窓に鉄格子、寒々しい外の冷気がひたひたと部屋に入り込んでくる。昨日男が逃げ出そうとしたことが原因で、全ての窓に鉄格子が取り付けられた。灯されていない蝋燭に火をつけて見る。この狭い部屋を照らすには十分であった。机に目を向けると一通の封筒が置かれていた。これが例の役職、とやらが分かるものであろう。中にある紙切れに触れると、湿気を吸って柔らかくなっていた。 目を閉じる。辺りの空気を感じる。外の風が吹き込んでいる音。隣の部屋のベッドが軋む音。時計の針が進む音。 少し時間がたってみると、心が落ち着き、今までの震えが嘘のように止まった。そうして俺は取り出した紙切れを見るためにゆっくりと目を開いた。 「あなたは“霊媒師”です。」
第一話 隔離施設
ここはどこなのだろうか。気がついたらこの場に居たのだ。 「政くん、政翔馬くん」 自分の名前を呼ばれてどきっとした。久我美玲。俺の名前を呼んだ彼女はクラスメイトだ。 「どうして久我さんがここに」 「ここ、殺風景な場所だと思わない?生きる気力が無くなりそう」 彼女が言った通りだった。殺風景に10人の人間が放り込まれる。全くもって恐ろしい状況だ。 「ようこそお越しくださいました、皆様」 ガチャリという音とともに、扉から1人の執事のような人が現れた。歳は70を過ぎたくらいで、彼の銀髪はしっかりとセットされている。 「ここはどこだ」 室内で煙草を吸っていた男が声を上げた。執事はその言葉を待っていたかのように淡々とした口調で説明を始めた。 「ここはとある隔離施設です。この中から毎日1名を処刑し、毎晩1名が人狼によって襲撃されます。皆様は人狼を全滅させ、生存を目指して下さいませ」 執事は紙切れを1枚取り出し、円卓の上に差し出す。それを俺たちは覗き込んだ。 −−役職一覧−− 市民陣営(勝利条件……人狼の全滅) “市民”何の能力も持たない。 “占い師”毎晩1名を人狼か人狼でないか占う事が可能。 “霊媒師”毎晩その日に処刑した人物が人狼か人狼でないかを霊視する事が可能。 “狩人”毎晩1名を人狼の襲撃から守る事が可能。 人狼陣営(勝利条件……市民陣営の全滅) “人狼”毎晩1名を襲撃する事が可能。 “狂人”人狼陣営の勝利に力添えする。占い結果は人狼でないと判断される。 「じいや、自分の役職はどこでわかるの?」 愛らしいくまのぬいぐるみを抱いた小さな男の子が声を上げた。全員の視線は円卓からその幼い子供へと注がれる。こんな子までもが隔離されるとは……。 「皆様にはそれぞれ割り振られた個室も御用意しております。そこでご自身の役職をご確認頂けますよ」 「へぇ、ありがとう」 「どういたしまして、お坊ちゃま」 「もう嫌だ」 少しの静寂が過ぎ去ったあと、一人の男が叫んだ。男はそのまま外に繋がっている窓へと駆け出した。 「ここから逃げ出してやる!ここから外に……」 その時、大きな銃声が鳴り響いた。男は血を垂れ流して死んでいた。 「さて、今夜1名が処刑されました。少し予定とは違いましたが。人狼ゲームの始まりです」 執事は満足そうな笑みを浮かべ、懐に銃をしまい直すと、そのまま立ち去って行った。
激情
「君が殺したのか?」 「おっしゃる通りです。私が主様を殺しました」 その言葉を聞いた瞬間、全てを支えていた一欠片のピースが外れた。今までの全てがまるで幻想のように崩れ去っていった。 12月。寒さが身に染みる冬。俺はこの屋敷に捜査官として乗り込んだ。かじかむ手でバリケードテープを潜り抜け白い手袋をはめた。なんでも、この屋敷に住む主人が殺害されたということ。そしてついに俺は犯人を見つけた。まだ報告はして居ないが、本事件の全てを報告しようと用意をしていた。 しかし事態は急変した。俺が今現場に足を踏み入れているのもそれが理由である。 「私がご主人様を殺害しました」 ブロンドの髪をなびかせた若い執事はそう言ったのだ。彼はこの事件の第1発見者であった。そして今自白をした。これほどの証拠となるものは無いだろう。 「君が殺したのか?」 「おっしゃる通りです。私が主様を殺しました」 「どうやって殺したのだ」 「……」 結局、何度聞いても若い執事から返って来る言葉は自分が殺したというものであった。何を聞かれてもそれしか答えない。 「君に1つ話しておくことがある。俺はもう物的証拠を入手した。これを見ろ。長い銀髪だ。思い当たるだろう。私がこれを提出するだけで全て解決する。君は何故庇うような真似をするのだ」 「私は庇ってなどいません。私が殺したのです」 「じゃあこれは何なんだ。何故これが現場に落ちている」 「知りません。でも殺したのは私です」 結局、俺にはこの事件を解決することは出来なかった。若い執事の目には涙が浮かんでいた。問い詰めて問い詰めて、諦めた彼は最後にこう告げたのだった。 「あの日殺したのは私です。私が発見したとき、主様は息をしていました。主様は私を抱き寄せて、温かい手で包み込んで下さった。私は救急車を呼ぼうとしなかった。呼べなかった。この時間を独占したいと思ってしまった」 結局、俺にはこの事件を解決することは不可能だった。この物的証拠を差し出すことで、かの若い執事は精神的に苦しめられ、長い銀髪の執事はこの屋敷から居なくなる。この殺害を実行した執事は屋敷を統括しており、彼が居なくなればこの屋敷はもう駄目なのだと言われた。俺はこの事件の捜査から降りた。関わることが出来なかった。 後日現場から別の長い銀髪が見つかり、殺した張本人であった執事は捕まったとの事であった。
追悼
何をやっても上手くいかない。人生はどうしてこれほどまでに試練を与えるのだろうか。 と、まぁこんなことを言ってみた。君は手紙の書き出しを見て僕が人生に絶望したとでも思っただろうか。答えは“否”。当然僕はまだまだ生きるし、君のように死にたいと思うことも無いよ。 僕はね、君の手紙を読んで今返事を書いている。だから指が疲れたよ。ほら、手も見てくれ。こんなに鉛で黒く染まってる。たったこれだけの文字数で?と思うかもしれない。僕は筆圧が強いんだ。君ならそれくらい知ってるだろう。 話を戻そうか。君は僕に教えてくれたよね。死なない理由を作ってあげろって。でもな、残念ながら僕はそんな大層なことは出来ないんだ。並大抵の人間は皆そうさ。死にたいと思うやつに死なない理由を作れるほど自分に自信がない、余裕がない、そして時間がない。当然の事だ。死にたいと思うやつは死ぬことしか考えてない。そこに無理矢理介入していく人間なんて、ただの邪魔としか思えないんだから。 どういうことか簡単に説明してやるよ。 “自信がない”のは自分に価値があると思ってないからだ。死にたい気持ちを止められるほど価値のある人間じゃないからな。 “余裕がない”のは自殺を止める当人も心に負担がかかるからだ。止めなければならないことを最終的には義務的と捉えて、その後で自殺されたら自分にも責任を感じることに、心のどこかで気付いてるんだよ。だから関わらないんだ。 “時間がない”のはただそのままの意味だ。自殺志願するやつはもう残された時間が少ない。大体周りが気付くのは死のうと決意した後なんだからさ。その短い時間で助けるなんて9割無謀なんだよ。 分かったか。これが現実だ。お前は死んだけど、お前が望むそれが実現することも無いだろう。世界の自殺志願者も相変わらずだ。結局は世渡り上手なやつが最後まで生き残る。人生ってのはサバゲーと同じさ。上達したきゃ練習だ。 まぁ、最後まで気付いてやれなかった僕に親友を語る筋合いは無いさ。だが、お前の語るその“理想論”を叶えてやることは出来ないが、努力はしてみることにするよ。虫唾が走るこの状況でそんなことは出来ないから、まずはお前が死んだ元凶を潰してからだな。お前は天国で僕は地獄だから死後で会うことは無いけれど、最後の挨拶って事で次は幸せになれよ。 それと手紙読むの遅くなった。悪かったよ。
眠り姫
愛してる。その一言を僕はいつも待っている。 君が目覚めなくなってから10年。君は僕の幼なじみで、誰よりも僕が愛している大切な人。可愛い可愛いお姫様。君はいつも僕に付いてきて、本当に僕が居なければ何も出来やしない。だから僕がいつも一緒に居てやった。傍に居続けた。そんなとき君は僕にとある言葉を伝えてくれたんだ。こんな風に。 「大きくなっても一緒にいようね」 僕は嬉しかったよ。いつも受け身な君からそんな言葉が出てくるだなんて。僕もちゃんと返事をしたんだ。 「君のそばに入れるのが嬉しい。ありがとう」 あの夏の日。君はどうして僕を庇ったんだろう。いつも僕の後ろを歩くことしかない。そう思っていたのに。あの日君は初めて僕の1歩前に出た。僕は君の背中を見たその瞬間、感情がぐちゃぐちゃになったんだ。驚き、嬉しさ、悲しさ、寂しさ、焦り。そして危険だと思ったそのとき、君は既に車に轢かれていたんだ。そして僕は後ろに押されていた。灼熱に照りつけられたアスファルトの上に手をついていた。火傷なんてどうだっていい。擦り傷の痛さなど微塵も感じていない。君が死んでしまう。それだけが許せなかった。 死ぬな。死ぬな。死ぬな。 感情とは裏腹に、僕は運転手が慌てながら逃げていく車の後方ナンバープレートの写真を撮った。そして救急車を呼び付け、僕は救急搬送に付き添い、君を待ち続けた。 本当は僕は知っていた。あの日君がわざわざ僕の前に出て車に轢かれた理由を。分かりきっていた。君からの愛は僕に届いていた。言葉という方法では無かったとしても。 今、目の前で彼氏さんが指輪を片手に緊張しながら彼女さんを連れて来ている。とても緊張しているのが表情から伝わる。彼女さんも笑みが隠し切れていない。僕たちが取り置きしていた赤い薔薇を彼氏さんに渡して、今、彼氏さんは彼女さんに告白するんだ。 もしも君が今生きているならば。僕はこんな風に君に告白して貰えたのかな。それとも目の前の幸せそうな2人みたいに、僕だって純白のドレスを着れるのかな。君との結婚式で着たかったドレスのデザインが沢山思い浮かぶよ。 今、君にこの思いが届いているのだろうか。僕は君のことを忘れられない。君以外を愛せることも一生無いだろう。あの日見た君の後ろ姿は、誰よりも儚くて、誰よりもかっこ良かったよ。 愛してる。君とまた来世で逢えますように。
人生の演劇
きみは音の無い世界に足を踏み入れたことはあるだろうか。そこには無音の空間が広がっている。そして耳の聞こえる人間は、聞こえない人間になるまで絶対にその世界へ足を踏み入れることは出来ない。何故ならば、私たちは無音という音ですら聞いているのだから。何も音が鳴っていないとき、“シーン”と表現するのをご存知だろう。これは無音の時、耳の音を聞いているのだ。自分で音を作り出す人間とはやはり恐ろしいものだ。 さて、無音の話はここまでにして、今日は僕の両親について聞いてもらうことにしよう。僕の家族との生き方について。 僕の家族は両親と僕と弟の4人。僕は高校生で、まさに受験真っ只中である。そして両親は毒親と言えるほどのものでは無いが、少し頭の固い人間だ。 母は専業主婦。社会の厳しさや常識は母が教えてくれた。いつも迷惑を掛けているのに、最終的には色々と遠回しに心配してくれている。母は不平不満をつらつらと述べる割に、僕の意見を全く聞かない理不尽さを兼ね備え、何かあれば手を上げたりお玉や菜箸、時に教科書で頭を叩く。あまりに酷いと言い返せば例のディベーターの如く10倍になって返ってくる。 父は毎日夜遅くまで職場で働き、他人の分まで働くのに自分の成果にならないという可哀想な人だ。これは僕の意見だが、父はきっと職場で誰よりも有能な人間だろう。そんな父もやはりストレスは溜まるようで、職場でのストレス、母からの不平不満を聞いて解決させなければならないストレス、親戚の墓問題に巻き込まれるストレスなど、種類は様々だ。そんな父は僕や弟を絶対服従させられる唯一の存在たちだと見ている為、大声で怒鳴りつけ、自分の考えこそが正しい、それ以外は偽だと決めつけている。 生き抜くのは厳しい。僕だって家族という狭い世界ですら苦労をしている。両親もそれぞれ生き方や考え方、性格はそれぞれだ。それでも2人は愛し合って、結婚にまで至った。人生は何が起こるのか全くわかったものでは無い。 僕は友人にとって面白い、優しい心の持ち主で、友達でいたいと思える人間を演じ、両親にとってストレスを与えない理想の子供、そしてストレスの掃き溜めとなる存在を演じる。人生とはそんなものだ。世界の音を意識的に消して塞ぎ込むのではなく、ただ演じ続け、理想の自分で居ること。それこそが大事なのだ。 「君たちは“どんな自分”を演じる?」
結婚詐欺師
「ただいまぁ」 戸が開く音がする。母が帰ってきた。 「お帰りなさい。それで、また知らない男でも連れ込んだの」 「違うわよ、この方は今日バーであった大和さん」 紹介された大和さんと呼ばれた男性は、自分の方を見て気まずそうに苦笑いをする。その仕草にまた苛立ちを覚える。 「母さん、また結婚詐欺師に狙われてる……」 小声で呟いたのが聞こえてしまったのか、母はボソボソと文句を言いながら男性を連れて2階へと上がっていった。 自分と母がまともに会話をしなくなったのは3年前の夏、再婚相手の男性を自分に紹介してきたときからだった。母はそのとき真実の愛がどうとか言い放って、幸せそうな表情をしていた。はじめの頃は自分も目が節穴だった。その男性はとある商社で働いていると言っており、誠実そうに見え、まるで嘘などついていないようであった。母を幸せにしてくれる良い再婚相手だと思った。そう信じていた。 歯車が狂い出したのはその半年後。母はその日、次のデートで着る服を見に行っていた。自分も母について行き、一緒に服を選ぶ予定だった。しかしそこで見たものは、服ではなく再婚予定のはずの男性なのであった。若い女と腕を組んで、楽しそうに一つのジュースを飲んでいた。向こうが母の存在に気付いたとき、もうすでに母は涙を浮かべ、怒りをあらわにしていた。男は母に向かって、貰った金は返さない、もう俺に関わるなと言い放ち、姿を消した。本当に、結婚式のために用意していたお金は跡形もなく消えていた。母は叫び狂った。毎日涙を流していた。 「母さん、ご飯出来てるよ」 「いらないわ。大和さんと食べてきたの」 「そう、なら良いんだけど」 しばらくしてご飯を食べるように声を掛けたが、母は相変わらずいらないと答えた。なんだか自分のまで連れ込んだ結婚詐欺男に負けた気分だ。 なぜ自分が訪れた男性を結婚詐欺師だと見抜けたのか。 答えは簡単だ。目利きの力を手に入れるために、俺も結婚詐欺師になったから。 結婚詐欺師は女に貢がせる裏側で、自分自身も貢いでいることが多い。俺の場合は、男に回収された金を循環させて手元に戻しているだけだが、まぁそれで母が疑似恋愛を楽しめるのなら良いだろう。今回の男には女がいるだろうか。彼の内情が特定されるまでそんなに時間はかからないだろうな。 さて、どう処理しようか。仕事の始まりだ。
長旅
忘れたい言葉はたくさんある。 「おはよう」 「おやすみ」 「元気?」 「おかえり」 おはようと声をかけても返事は無い。 おやすみと声をかけても返事はやっぱり無い。 元気か聞いても答えてくれない。 おかえりと言っても帰ってこない。 ご主人様は死んだんだ。もう家には帰ってこない。 だから僕の役目は終わった。 鳥かごから飛び出そう。 どこか遠い地に行こう。 そうだオランダまで飛んでいこう。 そこで沢山のお花を見よう。 1輪の赤いお花を摘んでみよう。 たしか名前はチューリップ。 ご主人様が1番好きだったお花。 花言葉は何だっけ。忘れちゃったよ。 そこで赤いお花を摘んだらまた長い旅に出よう。 今度は雨上がりのイギリスに行こう。 きっと綺麗なんだろうな。 そしたら次は大きな遺跡を見てみよう。 マチュチュ?マチュピ?何だっけ。まぁいいや。 その後は綺麗な洞窟に行くんだ。 きっと僕の体みたいに青くて綺麗だよ。 ご主人様はいつも僕の羽を見てそう言ってたもん。 そしたらモアイ像を見るんだ。 大きくて、すっごく大きくて、それから大きいの! きっとご主人様より何倍も何十倍も大きいんだろうな! この目でたくさんの景色を見てこよう。 ご主人様はたくさんお話してくれたから。 僕はたくさん覚えてるよ! すっごく賢いでしょ! そしたらもう一度帰ろう! ご主人様の眠る土に行こう! 目覚めることは無いけれど それでもいい。 僕の摘んだ赤いお花をお供えしよう。 僕の見た旅の景色を話してあげよう。 ご主人様の好きなお花。 ご主人様が行きたかった国。 もっともっとたくさんあるけれどそれだけ。 多分僕の寿命もそこまで長くないから。 さ、旅の準備をしよう。 きっと長旅になるぞ。たくさん疲れるかもしれない。 でもご主人様の代わりに僕が行くんだ。 ん?どうしてって? 「役目はもう終わったんでしょ」って? そりゃあ決まってるじゃないか。 僕はご主人様が大好きだからだよ。 ただそれだけ。 「ただそれだけなのに」って? うん。そうだよ。 ただそれだけ。 僕の最初で最後のご主人様だもん。 だから僕の最期まで命を捧げるよ。 愛してるよ。僕のご主人様。 さあ、ここで待っててね。 今だけちょっとお出かけしてくるね。
台風
台風のようになりたかった。 「誰かの前でたくさん泣きたい」 「みんなに新しい風を吹かせたい」 「安定した将来の進路を手に入れたい」 僕はそんな主人公のような姿に憧れた。しかし、人生はそんなに甘くない。現在時刻は6時を迎えた。今、僕は外の風に吹かれている。少し肌寒い感覚が手足を麻痺させる。冷ややかな風と共に僕の手は赤くなっていた。目をゆっくり閉じて深呼吸。怖いくらいに僕の心臓は落ち着いている。 「お前いつからそんな奴になったんだよ」 僕とこいつは大学からの仲間で、何度も苦楽を共にしてきた。ただ、そんな毎日は続くことがなかった。こいつの家族が死んだあの日。それが境目だった。 こいつはあの日から大学に来なくなった。毎日働いていた。僕に出来ることはただこいつが辛い、耐えられないと感じた時に励ましてやる事だけだった。それでも状況が変わることは無かった。こいつは自分自身がずっと苦しみ続けるのだと悟ったその時、僕にこう言った。 「殺してくれ」 僕はあまりの突然さに言葉を失った。いや、かける言葉が見つからなかった。僕にこいつの状況を変えてやれる力は何一つ持ち合わせていなかったからだ。こうなる事は分かっていたのにも関わらず、僕は何も出来なかった。そう、何も出来なかった。僕がこいつにかけてやる言葉はこれしか無かった。 「断る。僕を巻き込むな」 僕は最低な人間だった。こいつの人生において僕は最初から最期までずっと非協力的だった。ただ流され意志を見せることも無く終わった。 僕はこんな人生を望んでなんかいなかった。こんな不安定な人生を歩みたくなかった。こいつの人生へ宛てて、助けを出してやりたかった。こいつが死んだ今だからこそ後悔する。こいつが僕の目の前でたくさん泣いて貰えたら良かったのに。そしたらまた未来は変わっていたのだろうか。 現在時刻は7時を迎えた。ニュースが一周して、電車に向かって1人の男性が飛び降り自殺をした事件がまた流れ出す。ふと顔を上げると、台風がようやく来て雨が降り出し始めた。 僕はお先真っ暗だ。どこも僕を雇ってくれないのだ。ただ、そんな僕を雇ってくれる会社が現れた。僕は今面接会場に向かっている。どうやら1人の会社員が不慮の事故で亡くなり、代わりの人間を探しているらしい。さてと、どうやら次は僕の番だよ。働いてる姿、天国からしっかり見とけよ。