雪月真冬

11 件の小説
Profile picture

雪月真冬

雪月真冬と申します。実を言いますと昔pixivによくお邪魔させていただいていた者です。年齢不詳でお願いします。男子です。フォローしてくれたら嬉しいです。是非フォローしてください! (腐男子です。地雷な方は避けてください)

拝啓、妹へ。

あなたが家に来た日のことを、僕は思い出せません。ただ、小さい命に触れて、これが何故動いて、呼吸しているのだろうと不思議に思っただけでした。 あなたはおとなしく、あまり泣くことのない赤ん坊でした。むしろ僕は泣かなすぎて心配になったぐらいですが、あなたは元気に大きく育ちましたね。 僕とあなたは10近く歳が離れていたので、僕があなたの遊び相手をしてやっているつもりでしたが、実は僕が遊んでもらっていたのかもしれません。 あなたが小学生の時に、僕はいじめられていました。だけどあなたの兄がそんなに情けない人だと教えたくなくて、ひた隠しにしていましたね。 だけどあなたは気づいていた。そして僕のプライドを考慮してなにも知らないふりをしてくれていました。 僕の妹はこんなに優しいんだぞ、と、今胸を張っていうことができます。 昔から父はあなたに厳しかった。そして僕にも厳しかった。その厳しさは僕らにとってまったくありがたいものではなかったが、あなたはいつも笑っていました。 あなたが笑えていないことに気づいたのは、ずっと昔からです。僕はあなたになにもしてやれませんでした。夜中に机で泣いていたことを知っています。友達がいないのを心配されないように、一人で待ち合わせをするふりをしていたのを知っています。 ごめんなさい。あなたにとって、僕の背中は頼りなかったでしょう。それでも僕は、あなたが大切だった。あなたを助けられなかった。ごめんなさい。 あなたはこれから、母がいない道を歩むかもしれません。母はいい人です。優しくて強い母でした。それはあなたが一番よく知っていますね。そんなに大切だった母が、失われるかもしれない恐怖にあなたはきっと脅かされている。 あなたは誰よりも他人を思いやるいい子です。きっとそこは、母さんからもらったのでしょう。母の意思を尊重して、離婚してもいいと思ってるのでしょう。そう、振る舞っているように僕には見えました。 ごめんなさい。あなたより大きいのに、あなたのお兄ちゃんなのに、僕はあなたと家族を結ぶことすらできなかった。ごめんなさい。あなたに重いものを背負わせて。何度謝っても足りません。あなたはきっと怒るでしょう。お兄ちゃんが謝る必要はない、縁がなかったのだ、といって僕を庇うのでしょう。 僕はずるくて汚かった。ごめんなさい。 僕はなにがあってもあなたの味方です。なにも出来ない愚図ですが、あなたのそばにいます。あなたを必ず、置いていかないと約束します。 拝啓、妹へ。 どうか、元気に過ごしてください。僕の母や僕と、同じ道を歩みませんように。 あなたの頼りないお兄ちゃんより。

14
0

鏡面

雨が降っている。天気予報で伝えられた通りに雨が降っている。 ぱたぱたと屋根を叩く雨音は、煩わしくも子守唄のような旋律を奏でた。 黒い踵がアスファルトの窪みに溜まった水溜りを踏んでいく。夜が更けてもまだまだ雨足は衰えることを知らず、歩いている彼の肩を黒々と濡らしていた。 手に白い骨壷を抱えた彼の横顔は、黒髪が顔に張り付いていて伺いきれない。 傘もささずゆっくりと歩いている。 こいつは生きている。 生きてしまっている。 晴中陽。骨壷の「中身」の名前である。彼を救った唯一無二の人間であり、地獄に落とした張本人でもあった。 いつもにこにこと微笑んでいて、笑みを絶やすことのなかった陽。手を差し伸べて救ったかと思いきや地獄に引きずり落とした陽。 彼は歩いている。 彼は歩いている。 ふと、雨足が弱くなった。降るのもやむのも急で、一度衰えたかと思うとすぐにやんでしまい、後には三日月と雲が残る。 彼は蹲ってしまった。足を、止めてしまった。すぐに安物のスーツに水が染みていき、膝がぼとぼとになる。 彼はずぶ濡れだった。 骨壷には、晴中陽には、雨が滴っていた。つるりとした生地に刺繍をたくさん施した布には、水は決して染みない。 「ごめんなさい」 と彼が言った。掠れた声。まるで無理やり喉から絞り出したような。首を絞められたような。乾燥したような。 彼は一度だけ骨壷をそっと撫で、側溝に投げ捨てた。 がたん、と音がして、地面に落ちる。そのまま雨に濡れている骨壷を眺め、晴中を眺め、彼は仰向けに寝ころんだ。 雨で額に張り付いた前髪を手で掻き退ける。乾いた笑いを口からこぼす彼の目尻から流れているのは、涙か雨か。 水溜りに月が浮かんでいた。

1
0

藍、愛、哀

だれもいない。誰も、いない。黄昏時の夕陽に染め上げられた屋上には、だれもいない。なにも、いない。 ただ、人間でも妖怪でも幽霊でもない、中途半端な搾りかすが立っているだけ。実体はない、さりとて触れないわけでもない。矛盾点でしか構成されないような、そんな存在。 その「存在」は虚空に向かって語りかけた。逆光で表情は伺えず、ただ声にならない透明な声がぽつりぽつりと床に落ちるだけ。 もうその「存在」は消えている。死んでいる。消失、したのである。だが揺れる影が足元に見えたのは陽炎か?見てはいけないものを見てしまっている僕は罪人か? 「雨宮…………」 といてはいけない存在に、語りかける。そっと、手を伸ばす。尚も「存在」は語り続ける。 「…………お前は、ずっとここにいたのか?」 僕はまた語りかける。風がふき、皺だらけで「存在」とは歳の離れた中年の姿から、中学生の見た目になる。 「存在」と似た見た目になる。尚も「存在」は語り続けている。僕に、話しかけ続けている。 頭の中を閃光が何度も駆け抜ける。粗悪な雑音が邪魔をするが、僕は忘れない。フラッシュバックが、繰り返す。 息を止める。ただこの空間で一人。独り。孤り。独りよがり。 「存在」と別離して、もう何年が経つのだろうか。何度も何度も独りで繰り返して暮れてしまった夜を飲み込む。胃酸のように苦いものを何度も何度も飲み込んで嘔吐きながら一歩づつじりじりと「存在」に近づいていく。 やめて、と「存在」の口が動いた。 「確かに、ここにいたんだ」 口の端から意図せず言葉が漏れてしまった。もう「存在」の輪郭は大分曖昧になってきている。空気の透明さに、飲み込まれていってしまっている。 「僕らは確かに、ここにいたんだ」 もう言葉さえ出てこない。 「存在」、君の心の昏い底は知っていたんだ。君がなにを願ったかも、君が捨てたものも、君に降り積もったものも。僕はそれを知っていて、背負わなければなかったのだ。 逆光で見えない頬を透明な滴が何度も伝っていくのが見える。君は微笑んでくれるのかな。まだ、ここにいてくれるの? 「雨宮。声は、確かに聞こえてたんだ。確かに、ここに響いていた。お前が僕のことを嫌っていたのも知っていた」 それでも僕にしか縋れない彼の脆さを、僕はよく知っていたはずなのに。僕は目を逸らしてしまっていたのだ。 「でもな、雨宮。僕はお前が嫌いって言ったのだって、近すぎて聞こえなかったよ。お前が僕に近すぎて、聞こえなかったんだ」 あの時僕たちは近すぎた。だから互いを傷つけあって。えぐりあって。舐め合って。惨めな愚か者達の成れの果て。 「お前は、寂しかっただけだろう?」 なあ雨宮、と語りかける。やっと僕は彼の肩に触れ、しっかりと制服を掴む。肩にはきっちりと皺が寄っていて、僕がまだここにいることを証明してくれていた。「中学生」の僕はまだ残っていたみたいだ。 「僕と一緒に帰ろう。一緒に、還ろう。もうここにはいなくていいんだ。もうお前は、待たなくていい。僕が、道連れになってやる」 その瞬間、風がぶわりと舞った。白濁色の立方体が沢山体の周りに浮かび、気づいたら包み込まれている。そうっとそのうちの一つに手を伸ばし、手に取る。 青い香り。 −−−−もう僕たち、待たなくていいよ。 そっと柔らかな体を抱いて屋上から飛び立った。

1
0
藍、愛、哀

雑談ルーム(腐りもオッケー)

どうも、雪月真冬です。 この度僕は腐男子であることを公表させていただきまして。温かい言葉、アドバイスありがとうございました。 ここのコメ欄で雑談していただいて大丈夫です! 他人を傷つける言動以外であればオールオッケーごった煮の雑談ルームです。 宜しくお願いします〜!!!!

2
12
雑談ルーム(腐りもオッケー)

要−−−−2日目

怒号と悲鳴と湿っぽい音が響き渡る。幼い子供の声も聞こえているのは「そういうこと」だろう。 少し考えて、背中を向けた。引っ越してきて土地が安いこの田舎でさえあんな廃屋しか買えない家なのだ、しかも両親は浪費家ときた。マフラーや上着さえ買えない家の子を、こんな俺がどうやって救えるというのだろうか。 またきた道を引き返していると、 「父さんやめて!父さん!」 「うるさい、うるさいうるさいうるさい!お前が駄目なんだ、お前が駄目だから!」 と悲鳴と怒号がはっきりと聞こえた。その瞬間、足がピタリと止まり、竦んだ。膝が崩れ落ちてしまい、落ち葉に埋もれる。 奥野。父さん。置いていかないで。奥野翼。奥野元道。駄目なんだ。僕はきっと。 頭の中でさまざまな言葉と記憶が飛び交い、泣きたくなった。 「ッくそっ!!お前のせいだぞ、神原要……!!」 口の中で申し訳程度の悪態を転がし、神原家へ引き返す。心の中で焦燥感と吐き気が頭を擡げ、足がもつれそうになる。 あの家には縁側があるはずだ。枯れ草を踏みながら家の裏手に回ると、縁側はまだあった。相変わらず悲鳴は響き渡り、激しくなってきている。 木が湿っている縁側に片膝をつき、ガタガタになっている障子を少し手で揺らして施錠の有無を確認する。幸運なことに今回鍵はしまっていなかった。 一呼吸、そっと休憩する。僕なんかができるのか。僕が、どうにかできるのか。わからないけれど、見殺しにはしたくなかった。 意を決して。障子を思いっきり開けた。思ったよりも滑らかに動いてくれたおかげで、すぐに部屋の全貌が確認できる。蹲って頭を守っている幼子と、明らかに酔っ払っている赤い顔をした中年男性。歳の差はあるはずなのに、全くもって手加減などない。床には血が滴っているので、鼻血も出ているのではなかろうか。 男性は突如乱入してきた高校生を凝視し、全ての動きが止まっている。急に止まった攻撃にそろそろと頭を上げた幼子は、やはり要だった。僕と目が合い、一瞬僕の名前を呼びそうになって口籠る。 そして我に帰ったように男性が俺に怒鳴った。 「お前、ここは人の家だぞ!不法侵入で訴えてやるからな、このクソガキが!」 「よそもんが覚えどげ、縁側の鍵もついでねばここの住人はどごがらでも入ってくるだ」 と敢えて大嫌いな田舎弁で喋ってみる。一応生まれてこの方ここから出たことがない僕だ、方言くらいはいつでも喋るこちができる。 しかし引っ越してきたばかりの神原たちは全くわからなかったみたいで、異形を見るような視線で僕を見つめた。 「ッ気狂いか何かか………!意味わかんねえ事言いやがって、警察呼んでやるからな!お前みたいなガキすぐ連行される!」 「おっさん、こごがら駐在所までどんきあるど思ってらの?駐在所は電話もねはんで電話もでぎねじゃ」 作戦は成功し、一旦黙らせることに成功した。相手が怯んでいる間に家の中に入り込んで要を抱き上げる。昨日やったマフラーとコーチはまだ着ていて、服は同じものだった。混乱しつつも救われたと安心している視線に少し目線を返す。 あんしんしろ、と無声音で呟いた言葉は、ちゃんと届いたらしい。安心したように涙が溢れ始めた。 「こったちっちぇわらす殴るどはどったごどだ。こった田舎さ来やがって、よそもんが」 顔の傷口を撫でると、要の身がすくんだことから察するに、殴られた打撲跡もあるが、切り傷もあるのだろう。 「おおぇおばさん、おずさん!こごさわらす殴ってらふとがいるじゃ!きぢがいがいるじゃ!だぃかだすけで、おべねふとだ!よそもんがわらす殴ってらぞ!」 田舎の年寄りは「よそもん」「子供」という言葉に鋭い。知らない人がいてそいつが気狂いで子供を殴ってるとなるとすぐ集まってきた。 「なんだなんだ」「どすたどすた」と老人共が寄ってきて、惨状に驚き、突っ立っている神原父に奇異の視線を向けた。引っ越してきた新参者のくせに挨拶もなく、虐待しているとなると田舎者からの印象はとても悪い。おじさんおばさんが詰め寄っている間に人の合間を縫って外に出た。 いつのまにかうとうとし始めた要をもう一度落とさないように抱きかかえ、駐在所に向かう。三十分ほど歩くとすぐ駐在所に着いた。 「村本さん、新すく引っ越すてぎだふとが自分のわらす殴っちゃーはんで連れでぎだよ。もう村のふとたぢが行ってらはんで安心すてね。わっきゃこの子どわんつか散歩すてくる」 と一方的に言うと、始末書を書けと引き止められた。渋々古い軋んだパイプ椅子に座り、インクの出にくいボールペンで名前と住所を書く。 村本さんには 「おめがそったごどするってめんずらすな。やっと村さ関わるべどしゃべる気になったが」 と勝手に感心されたので適当に肯定して駐在所を出た。そのまますぐ横にある公園に行き、ブランコに座った。 安心し切った顔で眠りこけている要を可哀想だが揺り起こした。 「かなめ」 とゆっくり呼びながら揺らしていると、瞬きをしてやっと起きてきた。何度か景色を確認するように瞬きを繰り返し、僕の姿を捉えて目を見開いた。 「すが、さん…………?」 「須賀って呼ぶな、俺はその苗字が嫌いだ」 翼、でいい、と耳元に囁くと、ほにゃあっと笑って 「翼」 と呼んできた。かなりダボダボのコートを着ていてもわかるくらい痩せすぎの体と痣。顔には打撲跡とほんの少し切り傷と擦り傷がある。 「神原………。いつもお父さんは、あんな感じか?」 「お父さん………いつもは、優し、い」 「神原、僕には本当のこと言っていいんだぞ。誰もお前を殴らない」 「………ほんと?」 「ああ、俺もお前を殴らない。何もしない」 「お父さんもお母さんもいっつも怒ってて………殴ったり、蹴ったりとかは、される………でも!今日はまだマシだったよ」 無理をする笑顔とはこんなに歪だったのだろうか。僕は差し伸べられた手を振り払ったとき、こんな笑顔を顔に貼り付けていたのだろうか。 こんなに僕と同じような子供が田舎に二人もいるなんて。軽く絶望したと共に、僕は汚い安心感を抱いてしまった。 「今日は僕と一緒にいろ。せめて今日ぐらいは一緒にいてやる。田舎が不安なら「翼!」 話している途中に僕の名前を呼ばれた。声が聞こえた方を振り返ると、息を切らしてそこに彼女はいた。 「…………鈴谷?」

4
1
要−−−−2日目

要−−1日目

枕元に陽光が射し、目が覚める。遮光カーテンの間を縫って目元を照らす陽光が少し煩わしく感じ、上体を起こした。 携帯を確認すると、朝の7時。今日の朝ごはんは何にしようかなぁと考えながらのそのそと布団から這い出て、身支度を整えた。 乱雑に物が置かれた床の隙間をどうにか潜り抜けて廊下を渡り、リビングのドアを開ける。 「おはよ」 破壊音で挨拶がかき消された。どうやら顔のすぐ真横の壁に花瓶が当たって割れたようだ。びしゃりと床を濡らす水を見つめていると、怒声と悲鳴が響き渡った。母親のヒステリックな悲鳴と、父親がものを投げる音。 しまいには母親の胸倉を父親が掴んで殴り始めた。 お前のせいで、お前のせいでと喚き散らしながら母親を殴り続ける父親は本当の父親ではない。私のせいじゃないと叫ぶ母親の顔に増えた痣を見つめて、仲裁に入った。 「父さん、そんなに殴らないでください。母さんだって」 言い切ることはできなかった。父親に横っ面をはたかれて、顔が横を向いた。行き場をなくした感情と言葉が宙を彷徨う。 「翼は黙っていなさい!」 父親に怒鳴られる。幼い頃のことを思うと胸が竦みそうになる。逃げ出しそうになる。だけど、僕は逃げられない。幼い頃の僕を護るために。見たくないものを見せないように。 「…………ごめんなさい、父さん。僕が間違っていました。母さんには言って聞かせるので、どうか勘弁してください」 と腰を折って謝罪する。僕の父親は頭さえ下げればなんでも許してくれるタイプの親なのだ。 「そんな…………俺も感情的になりすぎたな、すまなかった、翼」 「ごめんなさい父さん」 ほら母さんも、と言って母親の頭を持って下げさせる。母親は渋々といった体でか細くごめんなさいと謝罪した。 「そんなに萎縮しなくていいんだよ、美代の可愛い顔が台無しだ」 さっきまでその女を殴っていた人間の言動とは信じ難い。態度をころっと一転させて猫撫で声で母親に慈しみ深い目を向ける父親に軽く吐き気がした。 「そうね、私もごめんなさい明照さん」 と母親も打って変わって可愛らしい鈴のような声で父親に擦り寄った。 あきてる、みよ、と口の中で両親の名前を転がしながら、飲み込んだ。 結局花瓶やその他父親が投げたものを片付けていると食欲は消失していて、何も食べずに散歩に出た。 どこに行くの、と縋り付くような声を出してくる母親を受け流しながら 「ちょっと明暮小学校の近所に」 と言い残して出ていった。 もう木々も枯れている落ち葉が多い道を踏みしめながら明暮小学校に向かう。己が通ったことがあるというだけでこんなに体が勝手に動くのか、と感心しながら歩いていると、近所のおばさんに引き止められた。 「おはよう翼くん、最近学校はどう?ちゃんとお友達はいる?」 「おはようございます、岩田さん。僕最近学校やめたんで、学校ないんですよ」 こんな朝っぱらから歩いてる時点でわかるだろボケババア、と心の中で毒吐く。 「あらまあ辞めたの!!まあ翼くんは前から浮いていたしねえ…………あ、これは悪口じゃないのよ、天才肌ってこと」 今更のように付け足した岩田のババアはにやにやと粘っこい笑みを浮かべている。 「−−そろそろ僕行かないと。じゃあまた」 「またねえ、翼くん」 また歩き出す。この時間に外を歩いているのは犬の散歩などをしている爺婆共だ。好奇の視線すら向けられず、ただただ粘っこくいやらしい目がこちらを向く。にこやかに会釈をしながら人の合間を縫っていくと、海が見えた。 −−−−−もうそろそろ小学校か。 やっぱりコートがないと寒いなぁと思いながら新しい家を探す。字はわからないがかんばると読めそうな表札を探せばすぐ見つからはずだ。そう思い探していると、十分程したころに新しい表札が見つかった。 僕はその家を見上げて溜息を吐く。 「察してたけどやっぱりか…………」 その家はぼろぼろで、廃屋のような見た目で、中からは人を殴っている音と悲鳴が響いていた。 神原要。彼がどんな人間なのか、どのような人生を送ってきたのかまだ僕は知らない。

3
0
要−−1日目

海月

「僕…………?」 久しぶりに他人の目を覗き込んだ。以前のことを思い出して、人と見つめあったことなんて林田としかないと思い出す。 ただ純粋無垢な好奇心のみで構成された瞳を、僕は未だかつて見たことがなかった。少し色素が薄い髪はとても指通りがよさそうで。幸せそうで苛立った。 「なんで初対面の人間に言わなきゃならないんだ」 「僕神原要!引っ越してきたんだ!お兄ちゃんの名前は?」 まるで会話が成り立たない。己が小学生くらいの頃はどうだっただろうか。ちゃんと成り立たせていただろうか。ちゃんと、人間を装えたか? 「…………須賀翼。本名は違う」 「本名?本名って何?」 「あー…………つまり僕はだな…………偽物なんだ」 嗤える。僕も会話を成り立たせていないではないか。こんな見知らぬ一回り以上下の子供に何を言っているのだろうか。己が偽物だなんて。なぜ僕はこんなに胸が痛いのだろうか。 「かんばる…………?だったっけ、もう遅いだろ、お母さんのところに帰んな」 「要のお母さんは今日いない」 「?どこ行ったんだ」 「お父さんはパチンコに行って、お母さんは鈴谷さん?とホテルに行った!」 「…………そっか」 きっと母親は不倫をしていて、父親はパチカスなのだろう。そんな家はどこにでもある。 しっかし、鈴谷…………?こんな田舎に鈴谷なんて人鈴谷華以外にいたかな……? へっくしゅ、へっくしゅというくしゃみの音で意識が帰ってきた。 秋も終わりかけの夜の海は寒い。そりゃあ上着も無しにマフラーも巻かず薄着のままではさぞ寒かろう。 −−−−−こんなガキに気を遣ってやる日が来るなんてな。 そう心の中で嘯きながらコートを脱いで渡した。しかし神原は受け取ろうとせず、差し出された手と僕を交互に見た。人から差し出された手に気づかなきゃなにもかわんねえぞ。 そう言おうとして、やめた。こんな僕に教えられても、何も得はしないだろう。僕の行為は酷く背徳的で美しが、正しくはないのだから。 そっと肩にコートをかけてやって、マフラーも巻いてやった。戸惑った様子で首を振っている神原の頭を撫でた。 「…………ほら、この村は寒いから。さっさと帰んな」 「…………あったかい!!」 「わかったって。風邪引くなよ」 「あのね!須賀さん!僕、明暮小学校のすぐ近所だから!また会おうね!」 「…………あのな」 「まったねー!!また明日!!」 そう言い残して走っていってしまった。だんだんと遠ざかる小さな背中を見て、ほうっと息を吐く。 −−また明日、か。 死ぬのももう少しあとでいいと思った。

3
0
海月

田舎の片隅の高校生

僕は親と仲がいいわけではなかった。決して愛されていなかったわけではなかっただろうが、彼らから享受する愛は子供に対するものではなく、“”愛玩動物“”に対するような愛であったと僕は覚えている。僕の人格や性格や人間性や、要するに僕のことなんかちっとも見ていない両親だった。 僕が生まれる少し前、僕の両親はデキ婚して田舎の街に駆け落ちしてきた東京の者だったらしい。よそ者。まだ若く東京でしか生活したことのない彼らは、田舎のコミュニティにうまく溶け込めなかった。 「須賀さんの家の翼くんは本当に可愛くない」 と裏で陰口を叩く近所の大人は、 「翼くんは本当にいいこねえ」 と表では僕を持て囃し、ただひたすらにお世辞を並べたてた。幼い頃から妙に捻くれていた僕は周りの大人の態度に気がついていたのだ。 親と接することのなかった僕は、人付き合いが途轍もなく下手くそだった。それでもなんとか独学で人付き合いをした。ふと気づいていたら僕の周りの人は居なくなっていた。 −−−田舎なんて。大したことないくせに。 最初は田舎を呪った。 −−−親のくせして、僕を愛さなかったくせに。 次は両親を呪った。僕は僕自身を呪うのを忌避していた。自分を呪わないように必死でいたら、僕は独りになっていた。それでいいと思っていた。僕は好んで孤独なのだ。そう思ってバランスを保っていた心が、高校二年生の時に崩れた。 ある日、クラスの女の子の靴がゴミ箱に捨てられているのを担任が発見し、大きな問題となった。クラスのリーダー的男子が 「鈴谷の靴捨てたやつ最低だなおい!」 と教壇にたって囃し立てていた。すずやんかわいそーと泣いている鈴谷梨花を慰めている女子どもは、誰でもいいから吊し上げたいと言う本心が見え見えだ。 騒然となっているクラスを僕はどんな目で見つめたのだろう。きっと僕は無関心だったのだ。孤独を好んでいるという設定を遵守して、きっと上から眺めていたに違いない。 そして、事件は起きる。 ぼうっとしていたところに先程教壇で囃し立てていた林田拓也が急に僕を指名した。 「なあ須賀、お前じゃねえの?鈴谷の靴捨てたのってさぁ………」 林田は本気で俺だと思っていたわけではなく、冗談のつもりだったのかもしれない。それなのに僕は、愚かにも自分が疑われていると勘違いして焦って、 「はぁ!?なんで僕なんだよ、お前じゃねえのか林田!!」 と口走った。あろうことか僕は言ってはいけないことを、避けなければならないことを言ってしまった。 その瞬間クラスは静まりかえった。僕を苛む多くの視線に余計に焦った僕は、 「だって鈴谷さんの靴が捨てられてたのは放課後だろ!僕は部活にも入っていないから、僕は疑いの余地がない!それに比べて林田は」 「黙れ!!!!!」 最後まで言い切ることはできなかった。僕に浴びせられた怒声は、鈴谷のものだった。泣き喚きながらの鈴谷の叫びにより、煽られたクラスメイトが次々と僕を罵った。肝心の林田は全くの無表情で僕を見つめていた。僕も見つめていた。林田は口だけを動かして僕に語りかけた。やはりか。僕の読みは当たっていた。 しかし推理ができても発言権がないのでは仕方ない。 その日から僕は学校に行かなくなった。そして数日後に自主退学をした。僕だからと言う理由で、発言権がない現実から立ち直れなかった。 家に引きこもっていた僕は日中、皆んなが学校に行っている間に買い物をしたり、散歩をしたり。 僕は自由だ、僕は自由だ。と言い聞かせて呼吸をし、食事をし、人間として生活していた。ぎりぎりのラインで生活していた。 そしてある秋の終わりかけの日、夜に僕は海に出かけた。もうこの田舎ではマフラーがいるような気温だ。夜の海はとても寒かった。頬を撫でる冷風に身震いしながら岩の上に座っていると、ふと背中を叩かれた。僕に用事があるなんて、人間はいないから無視すると、今度は引っ張られた。 あぁ?と思いながら後ろを見ると、小さな子供がいた。小学生くらいだろうか?そのぐらい小さな子供がいた。 大きくて真っ黒な瞳で僕を見つめる子供は、僕の人生の終着点となった。 「僕要!!神原要!引っ越ししてきたんだ。お兄ちゃんはなんていうの?」 「僕は……」 これが僕と要が初めて見た海だった。

4
0
田舎の片隅の高校生

プロローグ:

元々は君が言い出したことだった。どこか遠くへ逃げたいと、現実から逃げたいと言ってくれたのは君だった。 要を必要としたのは、僕だった。 今でも要が好きだ。心の中に、君はいる。そして僕は今君を手放した。 僕らの恋はきっと、美しくて繊細で、ひどく背徳的なものだったのだ。その繊細な美しさを愛でている内に、僕は要が必要なんじゃなくて、恋をしている自分が好きで、大切なのだろうと思った。 誰の手も届かないように、要を囲った。背徳感を食い散らかす為に、要を連れて行った。僕と違って恵まれて愛されていた、帰る場所があった要を、道連れにした。 もう終わってしまったであろう恋に、ただ僕が望むのなら。 “君の心に、僕はいませんように“ 僕は君に愛されたかったのではなく、君を愛したかっただけなのだ。ひどく独善的な愛に溺れて絡まれながら、僕は雪国に行く為に車を発進させた。

3
0
プロローグ:

現実逃避と逃避行

連載始めさせていただきます! ゆっくり更新するので、読んでくだされば幸いです。ご意見等ありましたらコメントなどでお願いします。

2
0
現実逃避と逃避行