くろねこ

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くろねこ

主に百合小説を書きます 甘酸っぱいひと時の青春

墨と猫

第3章 針の先の棘 数日後、彩花はまたスタジオにいた。放課後の常連になりつつある自分に、内心ドキドキしながら。凛さんは今日も作業台で新しいデザインを彫っていた。黒のタンクトップが汗で少し張り付き、首筋のラインが妖しく光る。彩花は視線を逸らそうとするのに、つい盗み見てしまう。 「お花ちゃん、今日もスケッチ持ってきた? それとも、私の顔見に来ただけ?」 凛さんが針を置いて振り向き、唇を湿らせるように舌をチラリと出す。彩花の頬が熱くなった。彼女は慌ててスケッチブックを差し出し、声を上ずらせる。 「ち、違うよ! これ、クロの新しいデザイン…凛さんに似せたやつ、もっと大人っぽくしてみたんだけど…」 凛さんがスケッチを受け取り、目を細めて見る。そこには、クロのシルエットに絡まる薔薇の棘が描かれていた。凛さんの過去の傷を思わせるような、痛みを帯びた美しさ。 「ふーん…棘、ね。私みたいに刺々しいってこと?」 凛さんの声に、いつものからかい以上の棘が混じる。彼女が彩花の前に立ち、ゆっくりと顔を近づける。息が触れそうな距離。彩花の心臓が激しく鳴った。 「凛さん…?」 「高校生のくせに、人の心を覗き見るようなデザイン描くなんて、生意気だと思わない?」 突然の言葉に、彩花は傷ついた。凛さんの瞳が少し冷たく、でもどこか熱を帯びている。彩花はスケッチブックを握りしめ、声を震わせた。 「そんなつもりじゃ…! ただ、凛さんがかっこいいから、自由だから…憧れてるだけなのに!」 「憧れ? それとも、ただの好奇心? 私みたいな大人に、甘い夢見てんの?」 凛さんが彩花の顎を軽く指で持ち上げる。肌の温もりと、インクの匂いが混じり、彩花はたじたじで後ずさる。クロが二人の間に割り込み、「にゃあ!」と鳴いて凛さんの足を軽く噛んだ。 「…クロまで味方かよ。」 凛さんがため息をつき、指を離す。彼女の表情が少し柔らかくなるが、彩花の目には涙が浮かんでいた。 「ごめん…私、凛さんのこと、ちゃんと知りたかっただけなの。でも、邪魔だったら、もう来ないよ…」 彩花がドアに向かうと、凛さんが素早く腕を掴んだ。引き寄せられるように、彩花の背中が壁に触れる。凛さんの体温が近く、息が絡まる。 「...ごめん。ついカッとなっちゃった...。棘は、痛いけど美しいだろ? お花ちゃんのデザイン、気に入ったよ。」 凛さんの声が低く囁き、彩花の耳朶をくすぐる。彩花は赤面し、ドキドキが止まらない。クロが満足げに尾を振り、二人の足元で丸くなった。 「…ほんとに?」 「本気だよ。次は、私がお花ちゃんに棘を教えてあげる。肌に直接、ね。」 凛さんの唇がわずかに微笑み、色気が部屋を満たす。喧嘩の余熱が、甘い緊張に変わっていく。

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墨と猫

海月の骨

第四章 夏の終わり 夏休みが終わると、瑠璃はまたどこか遠くへ行ってしまった。彼女の父親の仕事の都合で、転校が決まったのだ。別れの日、彼女は私に小さな包みを渡した。中には、あの「クラゲの骨」が入っていた。 「これ、凪夜にあげる。私の心の一部だよ。忘れないで」 私は泣きながら頷いた。瑠璃が去った後、教室の窓から見える海は、どこか色褪せて見えた。

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海月の骨

墨と猫

第2章 インクの匂いと心の揺れ スタジオの中は、彩花の想像以上に静かだった。壁にはモノクロのタトゥーのデザイン画がずらりと並び、棚にはインクの瓶と彫り針が整然と置かれている。凛さんの仕事道具は、まるで彼女自身のように無駄がなく、どこかミステリアスだった。 「座りなよ。クロ、邪魔しないようにね。」 凛さんがそう言うと、黒猫のクロはしなやかに床に降り、彩花の足元でくるりと尾を巻いた。彩花は小さなソファに腰掛け、制服の裾をぎゅっと握った。凛さんの存在感に圧倒され、言葉が出てこない。 凛さんは作業台の椅子に腰を下ろし、長い脚を組んだ。黒のタンクトップから覗く肩には、繊細な桜のタトゥーが咲いている。彼女が首を傾げると、ピアスのついた耳が夕陽にきらりと光った。彩花は目を逸らしたかったのに、なぜか視線が釘付けになる。 「で、どんなタトゥーを彫りたいの? ほんとに彫る気なら、18歳になるまで待つしかないけど...イメージは大事でしょ?」 凛さんの声は低く、どこか誘うような響きがあった。彩花の頬が熱くなる。彼女は慌ててカバンからスケッチブックを取り出し、震える手でページを開いた。 「えっと…これ、なんちゃってデザインなんですけど…」 そこには、彩花が夜な夜な描いた猫のシルエットが。クロをモデルにした、シンプルだけど愛らしい線画だった。凛さんがスケッチブックを受け取り、じっと見つめる。彼女の指先が紙をなぞるたび、彩花はなぜかドキッとした。 「へえ、悪くないじゃん。うちのクロ、こんな風に見られてたんだ?」 凛さんがクスッと笑うと、目尻が少し下がり、大人の色気がふわりと漂った。彩花は心臓が跳ねるのを感じながら、必死で言葉を絞り出した。 「だ、だって、クロって…すっごく綺麗で、凛さんに似てるなって…」 言った瞬間、彩花は顔を真っ赤にして口を押さえた。なんてことを口走ったんだ! 恥ずかしさでソファに沈み込みたい気分だった。だが、凛さんは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐに口元に妖しい笑みを浮かべた。 「ふーん。私に似てる、ね。お花ちゃん、なかなか大胆なこと言うじゃん。」 「ち、違うんです! その、えっと、猫っぽいっていうか、かっこいいっていうか…!」 彩花の慌てふためく様子に、凛さんは小さく笑いながら立ち上がった。彼女が近づいてくると、インクとほのかな香水の匂いが彩花を包んだ。凛さんは彩花の前にしゃがみ、目線を合わせてくる。黒猫のような鋭くて柔らかい瞳が、彩花を捕らえて離さない。 「焦らなくていいよ。ゆっくり話そう。…なんなら、クロみたいに私にも懐いてみる?」 その言葉に、彩花の頭は真っ白になった。凛さんの指が軽く彩花の髪に触れ、耳元で囁くように続ける。 「冗談だよ。…でも、毎日ここに来る理由、ちょっとだけ教えてくれると嬉しいな。」 クロが「にゃー」と鳴き、まるで二人の会話を邪魔しないようタイミングを計ったかのように彩花の膝に飛び乗った。彩花はクロの柔らかい毛を撫でながら、勇気を振り絞った。 「凛さんの…彫ってる姿がかっこよくて。なんか、自由で、強くて…私、そういう人に憧れてるんです。」 凛さんは少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかい笑顔を見せた。それは、いつものクールな彼女とは違う、どこか温かい表情だった。 「そっか。…なら、お花ちゃんも少しずつ自由になればいい。タトゥーじゃなくても、自分の色を見つけるんだよ。」 その夜、彩花は家に帰っても凛さんの声とクロの温もりを思い出して眠れなかった。商店街の小さなスタジオが、彼女の心に大きな波を立て始めていた。

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墨と猫

海月の骨

第三章 波の間で 夏休みが始まり、私たちは毎日一緒に過ごした。海辺でスケッチをしたり、アイスを食べながら他愛もない話をしたり。瑠璃の笑顔は、まるで夏そのものだった。でも、彼女の瞳の奥には、いつも何か隠れている気がした。 ある夜、町で花火大会があった。私たちは浴衣を着た。瑠璃の浴衣は黒地に白い椿の花が咲いていてその上を朱色の金魚が泳いでいるのが優雅でとても彼女に合っていた。それに比べ私は母が幼い頃に着ていたお古で、少し古くさく感じてしまう柄だった。海岸で花火を見た。夜空に広がる火の花が、海に映って揺れる。瑠璃の横顔が、花火の光で照らされていた。 「凪夜、好きだよ」 突然の言葉に、私は息を呑んだ。彼女の手が私の手を握る。冷たくて、でも温かいその感触に、心臓が跳ねた。 「私も……瑠璃のことが好き」 言葉が震えた。自分でも驚くほど、素直に気持ちが溢れていた。彼女は微笑んで、私の額にそっとキスをした。花火の音が遠くで響き、波が私たちの足元を濡らした。

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海月の骨

海月の骨

第二章 海月の骨 美術部での日々は、まるで夢のようだった。月食は絵が上手だった。彼女の描く絵は、いつも海がモチーフだった。青や水色の絵の具を巧みに使って、波の動きや光の反射を表現する。ある日、彼女がスケッチブックに描いていたのは、クラゲだった。透明で、ふわふわと漂う姿が、まるで生きているように見えた。 「なんでいつも海の絵なの?」私は思わず尋ねた。 月食は少し考えて、静かに答えた。「海はね、全部を受け入れてくれる。どんな形でも、どんな色でも。私の心も、そうやって漂えたらいいなって」 その言葉に、胸がざわついた。彼女の声には、どこか寂しさが混じっていた。私はその理由を知りたかったけど、踏み込む勇気はなかった。 ある日、部活の後に二人で海岸を歩いた。夕陽が海を赤く染め、波が小さな貝殻を運んできた。海月はしゃがみ込んで、何かを拾い上げた。それは小さな、白い、骨のようなものだった。 「これ、クラゲの骨だよ」と彼女が言った。 「クラゲに骨なんてないでしょ?」私は笑いながら答えた。 「ううん、あるんだよ。ほら、こうやって残るの。海が残してくれた記憶みたいなもの」 彼女の手の中で、その「クラゲの骨」は夕陽に透けて、まるで光の欠片のようだった。私はその瞬間、彼女に触れたいと思った。彼女の手、彼女の髪、彼女の心に。

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海月の骨

墨と猫

第1章 初めての針 放課後の商店街は、夕陽のオレンジ色に染まっていた。女子高生の彩花は、制服のスカートを揺らしながら、いつものように路地裏の小さなタトゥースタジオ「墨猫」の前で立ち止まった。ガラス窓越しに、黒猫のシルエットが描かれた看板と、店内で彫り物をしている女性の姿が見える。 彼女の名前は凛さん。28歳の彫り師で、この街ではちょっとした噂の人だ。烏羽玉色のウルフカットヘアーに、鋭い目つき。左腕には自分で彫ったらしい蛇のタトゥーがうっすら覗いている。彩花は、凛さんが彫刻刀のような細い針を手に持つ姿に、いつも心を奪われていた。 「また見てるだけ? 入るなら入っちゃいなよ、お花ちゃん。」 突然、凛さんの声がガラス越しに響いた。彩花はびくっと肩を震わせ、顔を赤らめた。いつの間にか凛さんが窓の近くに来ていて、ニヤリと笑っている。膝の上には、店に住む黒猫のクロが気持ちよさそうに丸まっていた。 「え、うそ、気づいてたの?! や、別に、ただ通りかかっただけで…」 「ふーん。通りかかっただけで、毎日ここで5分立ち止まる子、初めて見たけどね。」 凛さんのからかうような口調に、彩花の心臓はさらにドキドキした。クロが「にゃあ」と小さく鳴き、まるで彩花を応援しているみたいだった。 「…あのさ、凛さん。私、タトゥー彫ってみたくて。」 彩花は思い切って言った。自分でも驚くほど大胆な言葉だった。タトゥーなんて、親にも友達にも内緒の憧れだった。でも、凛さんの前だと、なぜか本音がぽろっと出てしまう。 凛さんは一瞬目を細め、彩花をじっと見た。クロが膝から飛び降り、彩花の足元にすり寄ってくる。 「へえ、いい度胸してるじゃん。高校生じゃまだ彫れないけど…カウンセリングならいいよ。入んな。」 そう言って凛さんがドアを開けると、インクと消毒液の匂いがふわりと漂ってきた。彩花は一歩踏み出し、未知の世界への扉をくぐった。

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海月の骨

第一章 夏の光と彼女の影 蝉の声が空気を震わせ、陽炎がアスファルトの上で揺らめく葉月の昼下がり。私は教室の窓際で、汗ばむ首筋を扇子で仰ぎながら、ぼんやりと海を眺めていた。誰も知らないような田舎のこの高校は、海岸線からほんの数メートルしか離れていない。波の音が授業の合間を縫って聞こえてくるから、つい心がそっちに持っていかれる。 私の名前は佐藤凪夜、十七歳、平凡な女子高生だ。成績は中の上、部活は美術部に入ってるけど別に絵を描いたりするのは好きじゃない。友達は人並みにはいるけど親友と呼べる人はいない。そんな私が、この夏、人生で初めて「恋」を知ることになるなんて、想像すらしていなかった。 あれは文月のまだ湿った風と共に突如現れた転校生の月食瑠璃。彼女は背が高く、色白で、長い黒髪が海風に揺れる姿は、まるで水族館のクラゲのようだった。彼女の瞳は深くて、どこか吸い込まれてしまうような不思議な感覚を覚えた。狭い世界で生きてきた私たちには十分過ぎるほど眩しく見えた。 「佐藤さんって、美術部なんだね」 放課後、美術室で絵の具を片付けていると、彼女がふいに現れた。声は低めで、波の音のように落ち着いている。私は驚いて、思わず絵筆を落とした。 「う、うん、そうだけどなんで...?月食さんならどこでも引っ張りだこだと思うけど…」 「う〜ん別にどこでも良かったんだけど美術部には佐藤さんがいるから」 「...え?」 彼女の笑顔は、夏の陽射しみたいに眩しかった。私はただただ他の子からの痛い視線を浴びるしか無かった。

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