結城 渚
9 件の小説結城 渚
ゆうき なぎさ 小説家志望、学生です。 小学館ライトノベル大賞受賞する。 そしてアニメ映画化。 夢は日本中を巡りながら小説を書くこと。 小説は空想ではなく経験だ。
きっかけ
僕、小説家志望なのですが今回はなぜ小説家になりたいと思ったか書きたいと思います。 物語を書きたいのですが、ネタがなくて……いや、ネタはある、面白い発想は浮かぶのですがなかなか書き出せないです……誰かモチベください。 ということでここからは小説志望になった経緯です。 僕は今中三で部活引退済みです。 まず小説に出会ったのは中一の頃でめっちゃたまたまです。笑 五歳からずっっとサッカーをやっていて中学でもサッカー部に入りました。休みの日も外で友達とサッカーをしてちょーーアウトドアで小説なんて全部きらーいみたいなクソガキでした。笑 でもサッカー部の友達が小説を買いに本屋に行くといい、一番仲が良かったので着いていきました。(人生初本屋) そこで出会ったのがライトノベル(八目迷:夏へのトンネルさようならの出口)です。これまじで人生変わります。みなさん買いましょう。 ライトノベルの新人賞作品はだいたい金の帯が付いていて単純な僕はそのかっこよさに引かれて買っただけなんです。笑 で、小説苦手な僕なりにゆっくりでも着実に読み進めていき、読みきる頃にはもう沼にハマっていました。 そこからちょっとずつ読むようになり中三の夏忘れていた頃になんと夏へのトンネルさようならの出口がアニメ映画化です! それがすっごくて、僕が想像してたのと全く違う部分があり、また小説が好きになりました。 で、中三なんで将来を考えます。これはもう小説家(ライトノベル作家)になるしかないと思い、今に至ります。 ライトノベルは小説にハマるにはうってつけだと思いますね。イラストがところどころあり、想像がしやすい!表紙がかっこよかったり可愛かったりする!だからライトノベルで始まって派生していくパターンが結構あると思うんです。 自分自身、三年前だったら絶対に小説に関わるなんて、小説家になりたいなんて思うはずもないと思っていました。今思っても不思議です。小説にハマってから色んなところで成長したと思います。 まずサッカーです、今まではなんで俺のパスに合わせられねーんだよ、的な感じだったのですが、小説を読んでからは相手の顔を見てどこにパスが欲しいのか考えられるようになりました。そりゃ小説で主人公やヒロイン、その他諸々のことを常に考えてるのでね。 次に人を否定から入らなくなりました。小説にはほんっっとうに色んな考え方、価値観があるのであ、この人あの小説の主人公と同じ考え方かとかなる時もあって全てが学びに変わりましたね。 ここまで読んでくれた人ほんっっとうにありがとう、最後まで読んだ人は最後まで読んだよーってコメントしてね。 僕が中学三年間で学んだ一番大きなことは学校は五教科、九教科だけを学ぶところじゃないと言うことですね。 僕は友達から小説に出会うきっかけになりました。そこら中になにかのきっかけが落ちています。そしてそれは不意にきます。なので常にアンテナを張って全てのことから学びましょう。 ウザイ教師いますよね?僕の学校にもいます。でもウザイから絶対に関わらないのではなく、逆に関わってみてなぜその考え方になるのかなど考えてみると面白いかも知れません。それは自分にとって学びとなります。 最後までほんっとうにありがとうございました。またこんな自分に関することを聞きたい人もコメントしてね。
名前
今回は「結城 渚」の由来について語ります。良ければ目を通して見てください。 超ー軽いです笑 まず、苗字となる「結城」ですが、とある小説の主人公の苗字です。ハッキリ言います、パクリです笑 でもちゃんと理由があるんです。 僕、下の名前が「ゆうき」なんですけど(もちろん漢字は全く違います) 「ゆうき」という名前は学年に2人はいるんですよ。実際、僕の学年にも僕ともう1人いました。下の名前が被るとどうなるかというと、もちろん苗字で呼ばれます。なので今まで学校生活で「ゆうき」と呼んでくれる人は本当に仲のいい数人でした。 漢字はかっこよく、苗字とも合っていたので親を恨むとかそんなことは一切ありませんでした。そこで、ある小説を読み、苗字が「結城」で今まで「ゆうき」は名前だけ、という固定概念があったので、かっこいいと思い、この苗字です。 名前の「渚」ですが特に深い理由はありません。単純にかっこよかったのと、結城渚で語呂が良かったのでこれだ、と思い「渚」にしました。 結構気に入っているので小説家デビューする時は、この名前でデビューしたいです笑 なのでこれを読んでくれている、ちょー優しいお方は、未来の小説家「結城渚」の古参です。どうぞよろしくお願いします。
神とは
強く願いながら鳥井をくぐった。 高校受験当日の朝。こんなに早く起きている受験生は僕だけだろう。 朝五時、誰よりも早起きして近所の神社に来ていた。そして合格することを強く願いながら鳥井をくぐった。 神様なんて本当にいるのだろうか。 そもそもいつから人類は神様に祈ることを始めたのか。 十五年、生きてきて思うことがある。神様なんていない。これが真実だ。神様というものは人間が想像したものに過ぎない。でもたかがそれだけのものが心が弱った人、心の寄り所が欲しい人を支えているのも事実だ。 結果が全て、という言葉はこのことだと思ったことがある。誰も姿を見ていない、普通は信じるはずがないのに神様に願ったからだ、という人が多数いる。だから信じざるを得ない。でもただ祈るだけだと意味がないんだ。これが祈って成功する人と祈っても成功しない人の違いだ。祈って成功する人は、自分は神様に祈ったから絶対に成功する、あの神がついてるんだ、自分は最強、などと思っている人。成功しない人は、神様助けてください、どうかお願いします。など神様任せの人。結論、気持ちの問題、ということになる。 行ってきます あとがき これは小説か?小説なのか?もちろん小説だ。書いた人が小説と言えば小説になる。以上! ちなみにまだ受験は終わっていません笑 この話は担任が言っていたことです。一時期、小説家を目指していたらしいです。なのですごい背中を押してくれます。ちょっとお節介と思うくらいに笑 最高の担任です。
人生初めて01
優しいってなんだろう。 周りに気を使ってたら優しい? 前から来た人を避けたら優しい? 友達が怒ってるとき冷静に「ごめん」って言ったら優しい? 怒らなければ優しい? 人が失敗しても笑わなければ優しい? 僕はよく「優しいね」と言われる。これは自慢でもなんでもない、誇りに思えない。 「なんで?」って聞くと常に周りに気を使っているからとかってちょっかいかけられても怒らないからとか言われる。 僕は「そう。」と返すことしかできない。 違うんだ優しいなんかじゃないただめんどくさいんだ。周りに気を使ってるのも面倒事に巻き込まれないようにだし、人を自分から避けるのもぶつかって絡まれたらめんどくさいさいし、友達が怒ってるのに冷静なのも感情的になるのがめんどくさいから。怒らないのもそう、疲れるし、声を荒らげる怒り方なんかしたら周りからの視線が痛い。 全部全部自分のためなんだ。だから僕が優しいなんか言われる資格はない。 友達が怒ってたら喧嘩になってでも感情的にぶつかって、怒るべきところでは声を枯れるまで荒らげて、人に嫌われる覚悟で人と接することが出来る。そんな人の事を優しいと言ってあげて欲しい。 そうだ。僕はただのビビりなんだ。人に嫌われることが怖いビビり。 でもそんな僕にも好きな人の一人くらいはできる。仕方ないまだ学生なのだから。意味の無い期待をしてしまう事くらいある。 その子とは話したことがない。多分。別のクラスだし、接点もない。一目惚れかって言われると違う気がした。 なんか見ている内に気になったのだ。仕方がない男子高校生なのだから。 最初に気になったきっかけは自主練だ。 その子はテニス部でいつも一人で自主練してから帰る。言うのを忘れたが僕は陰キャではないぞ。ちゃんとサッカー部レギュラーだ。 弱小校の 僕は自主練なんかしたことない一年生の頃早くも遅くもこのチームで上を目指すのは無理だと見限った。だからサッカーは楽しくやれればよかった。 ある日僕も自主練してみようかと思いグラウンドに向かった。いつも通りあの子が先に自主練してた。僕も慌てて靴を履き、ボールを抱えていざゴール前に立った。 …立ったのだが、自主練って何をするんだ?
実話です2
すいません遅くなりました続きです 最初はまじかとか思い、驚いてましたがまあいいかなみたいな感じでした。 でも親友はそうじゃ無かったみたいで怒ってました。今までみたことないくらいキレて監督に話して一週間くらいは毎日放課後監督と話してました。 結局、半分納得みたいな感じで復活したんですがキャプテンと親友はずっと喧嘩しててチームメイトも確かに親友上手いしキャプテンサッカー初心者だしみたいな感じでした。 僕も確かに上手いけどそこまで言う必要ないかなって思ってて(親友に)案の定試合に出して貰えなくて(上手いのに試合に出してもらえないなんて主人公みたいですね笑)キャプテンもほんと初心者で頑張ってるんですけど、どうしても10年とかやってる僕らには劣るんですよ。 結局チームのキャプテンは初心者の子だけど試合で指示とか出したりするのは僕にやれって言われて(監督に)そうなるとどうしても初心者の子キャプテンやる意味ないんじゃないかと思っちゃうんです。 そんなある日親友が試合に出れるようになって、僕は久しぶりに親友と一緒に出れる試合でワクワクしてました。キャプテンもその試合には出てて、(親友とキャプテンは喧嘩中)思ってた通り親友とキャプテンがギクシャクし始めました。僕は喧嘩くらいすればいいくらいのスタンスだったので口出ししなかったんですが途中休憩中についに親友が口に出しました。
実話です
僕は幼稚園からずっとサッカーをしてて小学校はクラブチームでガチってました。 僕にはよくあるライバルで良き友みたいな親友がいました。 その子とは小学校は違うけどクラブチームが同じのと親が仲良く妹同士も仲良かったので僕達も自ずと仲良くなりました。 中学校に進学する時、親友と同じ中学でまたクラブチームに入るか部活でやるか迷ってました。(中学の部活は強豪じゃありません) 僕はプロになる気はなかったし、他に夢があったので部活にしました。 親友もプロになる気はなかったみたいで同じサッカー部になりました。 部活だったこともあり、僕と親友は1年生の時からレギュラーで出ることができました。同じ1年生は6人いて僕と親友そして同じクラブチームだった人が2人中学校からサッカーを始めたのが2人でした。(今思うとなんかバランスいいですね笑) そして2年生になった時同じ2年生の初心者が入部してきました。(新しいスポーツを途中からするのはすごいなーっと思ってました笑) 3年生が引退した後もちろんキャプテン決めがありますね。僕は自分で練習メニューとか決められるので立候補しました。親友はほんとに自分がやりたいと思い立候補したらしくじゃあ親友でいいなと思ってました。 でも立候補したのは2人だけでなく途中から入部してきた初心者の子も立候補していました。(めっちゃ勇気あるなと思ってました笑) そしたらまさかの初心者の子がキャプテン、僕と親友が2人副キャプテンとなりました。…続く
「やればできる」
やればできる。この言葉は僕が一番相応しいと思ってた。学校の勉強は一日本気でやれば上位に入れるし、サッカー部も本気でやれば僕が一番強くて上手い。でも僕は本気でやる気力が無い。なんだって適当にやっていつも平凡な生活。でもそれでいいと思ってた。「やればできる」のだから。 全然そんなこと無かった。「やればできる」は「やってできない」よりも駄目だった。 やってできない人間は才能が無い、凡人以下の人間だと思ってた。でもそんなこと無かった。やってできない人間はできないことが当たり前だからいちいち凹んだりせず、修正して修正してできるようになる。できるようになったらまた違うことをやる。その繰り返し。 それに比べて僕はどうだ。「やればできる」を繰り返し、やってもないのにどうせと結果を決めつける。いざやろうと思った時も気力が無く、できない。もし、運良くできたとしても、勉強を「やればできる」と言ってやってなかったのだから効率のいい勉強の仕方なんか知らない。一時間すら勉強できないかも知れない。 今までずっとやってきたサッカーも、もし本気を出して誰にも勝てなかったら、それが当たり前じゃない僕はきっと絶望するだろう。 そこでやっと気づくんだ。自分は平凡にすらなれはしない、最下層の人間だと。そしてそこから這い上がる術を知らない僕はそこに縛られる。 でも幸い、僕はそれを早く気づけた。本当に良かった。大事なのは言葉ではなく行動だ。筋トレも最初は計画をたてるよりとりあえずやって継続することが大事だ。今日からやって、失敗しまくって這い上がる術を身につければ「やればできる」と言っている他の人よりはマシになれるだろう。 いや、そもそも他人と比べることが間違っていたのかも知れない。他人と比べて自分を平凡と決めつけ、勝手に絶望していた。 偉人の格言にも「自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ」とある。でも「やってできない」人と自分を比べて僕はこのままでは駄目だと気づけた。どっちなんだろう。 僕は思う。比べていい存在はただ一人、未来の自分だけだ。未来のなりたいものになってる理想の自分を想像し、そいつとだけ比べて生きる。そうしてなりたい自分を追ってる内になってるんだ。 そもそも他人と自分とじゃ目指してるところが違うんだ他人と比べて生きてたら他人が目指してるものになってしまう。だから 他人と比べるのはやめて未来の自分と比べよう。
とある日常
いつも通りの朝、いつも通りの道、今日もいつもの一日のはず、そう思って自分の席に着いたがなんか教室が寂しい気がした。いや、気がしたのではない、確かに寂しい。ああそうだ、あいつがいない。あいつの席にはもう誰も座っていない。脳裏に浮かぶたった一人の親友に言われた言葉。わかっている。お前がいなくなっただけで何も変わりはしない。けど、お前がいない世界は時間が止まっているようだ。お前と俺はいつも二人で、誰にも干渉されず、お互いだけを見て過ごしてきた。周りはただの動く背景のようだった。その動く背景に無理やり引きずり込まれたような感覚だ。お前は俺に夢中になることの楽しさを教えてくれた。お前と話してる間に俺はお前の好きな物を好きになっていた。灰色だった世界に光を与えてくれた。忘れないとわかっているのに、毎日生活する度にお前との記憶が薄れていくのが怖い。でもお前を忘れるのが怖くてここから前に進まなければ置いてきぼりにされる。だから前に進まなければならない。それが嫌で嫌で仕方ない。学校の帰り道、気がついたら二人で毎日、泥のように話した砂浜に来ていた。砂浜に落書きをしてみる。波が跡形もなく消し去っていく。もう落書きをしても笑ってくれるお前はいない。何度書いてもお前の声が聞こえることは無い。まだ書き途中とか、こっちの都合は一切気にせず波は跡形もなく消し去っていく。俺は、海から一番遠い砂浜に自分の名前を書く。その隣にお前の名前。俺の記憶からお前と過ごした日々が消えて無くならないように二人でいた証を確かに残した。
とある日常
コンタクトを人生で初めてつけた。つけたときは目に違和感しかなかった。建物の外に出た。そこにはいつも見ている、いつも通りの景色が広がっているはずだった、しかし、そこにあったのは見たことが無い未知の世界が広がっていた。 空はもう真っ暗で建物や文字、街灯がライトアップされている。いつもは光ばっかで確かに夜なのに明るい街を鬱陶しいと思っていた。でもコンタクトをつけた今は違う。一つ一つの光が輝いて、まるで星を見ているかのような気持ちになった。コンタクトをつける前はコンタクトに対して、朝めんどくさいとかお金がかかるとかマイナスなイメージしか無かった。それは今でも変わらない。でも、こんなに美しい、いつも鬱陶しいと思っていた街が、歩くだけで星を見ているかのような気持ちになれるのだったら、めんどくさくてもなんでもいいと思ってしまった。 学校にももちろんつけて行った。無事、朝コンタクトをつけて登校した。夜と違う朝も美しかった。太陽の光をこんなに感じたことはないだろう。コンタクトによって視力がよくなっただけなのに太陽はこんなにも輝いていたんだと実感させられる。学校では友達や周りの人もみんな僕がコンタクトをつけてるなんて気づかない。なんだか僕だけが別世界を見ているかのようで嬉しくなった。「なんだか、嬉しそうだね。」そういう君の顔はいつもよりはっきり見えた。確かにいつも通りの声だった。でも顔が少し曇っているように見えた。だから僕は聞いてみた。「何かあった?」僕の声を聞いて君は驚くように目を見開いた。「何も無いよ」君は優しい声で言った。でもこれが嘘なことはすぐにわかった、だって君の顔が曇ったままだったから。「いつもは気づかないくせに」君は泣きだす。 ああ、ここで実感する、コンタクトは美しいものばかり映してくれるものじゃないと、なんでもはっきりと映すものだ。いつもは気づかずにいた君の思い。人には言えないような感情。そして世界の醜さ。僕は目の前の美しいものだけ見えてればいいと思っていた。だけどその考えは甘すぎたらしい。 見えることの楽しさを知った。でも、それと同時に君の心の中も少し見えるようになった。泣いている君の頭を撫でながらそう思った。 コンタクトをつけてみえるものは何も景色だけでは無い。人の感情も案外簡単に読み取れてしまう。君のその赤く染まった耳もはっきり見える。耳が赤くなるということは照れているのかな。ふと愛おしくなって抱きしめたくなった。その気持ちが思わず顔に出てしまう。見なくてもわかる。今僕はだらしない顔になっている。君の目が悪いことを願うと同時に思った。君はコンタクトをしていないはずなのになぜ、僕が嬉しそうにしているのに気が付いたんだろう。