木のうろ野すゞめ

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木のうろ野すゞめ

雰囲気小説を書く人です。 毎週金〜日曜日の間になにかしら書きあげていきたいです。 現在は主に「書く」「書く習慣」にて生息しております。 2025/8/16〜 ※無断転載、AI学習禁止

クロヲガチャガチャトカキマワシタノチムラサキ

 中央階段を上って南口を出た途端、俺はため息を溢した。  降り注ぐ雨のなか、ターミナル駅は多くの人で溢れている。  10月1日、午前11時。  年度半ばの月初だというのに、買ったばかりのルーズリーフに0.7mmの油性ボールペンで殴り書きされた気分だ。  雨という五線譜が世界に広がる。  雨粒が、行き交う人々の傘に弾けて音を鳴らした。  高くなったり低くなったり、音階という名の傘の群れは気疲れという鉛を心に乗せる。  強くなったり弱くなったり、不安定な音のバランスは偏頭痛によく響いた。  五線譜を乱立させる、仄暗い空の情緒も大概である。  ビチャビチャ。  ザァザァ。  ジャバジャバ。  激しい雨粒は、足元に広がる副旋律までグチャグチャとかき乱した。  雨音の拍数など知ったことかといわんばかりの不協和音。  皮膚にまとわりつく湿度の膜は、歩幅を鬱々と狭くした。  この心情にぴったりと当てはまる言葉を俺は知らない。  音もなく、匂いもない。  緩やかに、しかし確実に、曖昧な不快感が心を侵略した。  心を軽くする特効薬はひとつだけ。  商業施設の入り口付近で雨を凌いでいる小柄な女性。  彼女の周りだけキラキラと光の粒が舞っていた。  見つけてしまえば駆け出さずにはいられない。 「お待たせしました」  俺の声に振り返り、絃羽(いとは)さんは手を振った。  少し几帳面で上品な彼女の動作は、俺から余計な五感を取り払う。  陰鬱とした五線譜も、音階も、BPMも彼女は丸ごと書き換えた。 「私も今さっき来たところだから大丈夫」  彼女の穏やかな声は優しさと癒し効果を発揮して、俺の偏頭痛まで軽くする。 「それよりもごめんね。こんな雨のなか急に呼び出したりしちゃって」 「いえ。俺も気になっていた展示会だったんで、いい機会になりそうです」 「そう? ならよかった」  はにかんだ彼女の笑みに目を奪われた。  曖昧な感情のまま書き荒らされたルーズリーフは、彼女の手によって用紙ごと捨て去られる。  書き換えられた穏やかな旋律が、荒んだ俺の心を溶かしていった。 「じゃ、さっそく行こっか」 「ええ」  薄い紫色の傘を静かに広げ、絃羽さんは雨水が跳ねないように丁寧に歩き始める。  彼女のその小さな歩幅に合わせて、俺は薄紫色の傘の後ろをついて歩いた。 《完》

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既読がつかないメッセージ

 今日は定期的に行われる、高校時代の部活メンバー同士での飲み会だった。  懐かしい、と称するには顔を合わせている機会は多い。  気心も知れて飲み慣れているメンバーとあって、年甲斐もなくはしゃいで二次会まで参加した。  とはいえ、自宅では妻である彼女が待っている。  日付が変わる前に帰宅できるよう、酔いが回りきる前に切りあげた。 「おかしいな……?」  携帯電話のメッセージアプリを見てひとりごちる。  寝る前には必ずメッセージアプリを確認する彼女が、一向に俺のメッセージに既読をつけてくれないのだ。  2週間くらい前から、彼女には今日の飲み会のことや飲み会の面子、帰宅予定時間は伝えている。  面子が変わることはなかったし、帰宅時間も予定通りだ。  昨夜と今朝にも飲み会があることは伝えているから、忘れている可能性も低い。  なんなら快く送り出してくれていた。  まさか具合が悪くなって寝込んでるとか⁉︎  超健康優良児のあの人がっ⁉︎  もしくはかわいすぎてついに誘拐されたとかっ⁉︎  いや、落ち着け⁉︎ 20時以降のインターフォンは絶対に出ないようにきつく伝えているから、それもないっ!  そもそも7階だし、どこから掻っさらっていくんだって話だしなっ⁉︎  あり得ないことだと頭の中では理解している。  だが、一度よぎってしまったネガティブな思考を止めることはできなかった。    *  息も絶え絶えに帰宅すれば、ぽやぽやとリビングのソファで微睡んでいる彼女が出迎えてくれた。 「あ。おかえりー」 「よ、よかった! ちゃんとお家で元気に生きてる……っ!」  荷物とジャケットを放り捨てて、ソファで座っていた彼女にぎゅうぎゅうと抱きつく。  彼女の肩に顔を埋めてグリグリと額を押しつけて、無事であることを確認した。 「うわ。だいぶできあがってるな?」  普段なら「酒臭い」だ「汗臭い」だと文句が多いのに、今回は無抵抗におとなしく俺の腕の中に収まっている。  腕を少し緩めて彼女の顔を覗き込んだ。 「もしかして、寂しくて眠れなくなっちゃいました?」 「違う。日付変わる前に帰るって聞いてたから、1回寝て起きたの」 「え、なんすかそれ。俺を待っててくれたってことですか?」  彼女のお膝に乗っかっている罪深い携帯電話を、指先で突いた。  むしろその場所を代われとさえ思う。 「クッッッソかわいいんですけど、心配になるのでメッセージはちゃんと見てください」 「……あー……」  俺の指摘に視線を泳がせた彼女は、手に取った携帯電話の画面を軽く眺める。  その画面はすぐに暗くなり、携帯電話はソファの上に手放された。 「起きたあとトークリストまでは開いたんだけど……」  両手で頭を抱えた彼女は、辟易とした様子を隠すことなく項垂れる。 「内容もアイコンもヤバそうだったから、読むことを諦めた……」 「は? ヤバいってなんですか。俺のアイコンはあなたのかわいいお膝にできていたアザですよ?」 「今すぐに変えろ」 「イヤですよ。かわいいハート型のアザなんて今後見られないかもしれないのに」  彼女のかわいいお膝にアザを作った体育館の床はぶち抜いて、ふわふわのクッション仕様にするべきだとは思う。  しかし、それはそれとしてハート型のアザは奇跡的で芸術点が高かった。 「メッセージは、あなたがさっさと既読つけないから、心配でつい」 「ウソつけ! トークリストで見たときは性欲しかなかったからな⁉︎」  顔を上げて俺をキツく目を光らせる彼女に、俺はあっさりとうなずく。 「下心があったのは認めます」  取り繕っても時間の無駄だ。  アルコールが入った状態で彼女を視界に入れてしまうと、無性に抱きしめたくて触れたくて甘やかしたくて仕方がなくなる。  そんな俺の欲求を認めうえで、だ。 「……けど、わざわざ起きて待っているってことは、期待してもいいんですか?」 「するな! おたんちんっ! 違うっ!」 「違うんですか⁉︎ なんで⁉︎」  即座に一蹴されてしまい、思わず理由を求める。 「わざわざ寝てる人を起こしてまで絡んでくるな! どうせ途中で寝こけるクセにその気にさせるようなことしないで! って、いい加減に文句のひとつでも言ってやろうと思ったの!」  ……それは、寝なければイチャイチャしてもいいってことか?  キャンキャンと吠え立てているが、内容は意外と俺にとって都合よく聞こえる。 「……その気、になってはくれてるんですね?」 「そうですね! 誰かさんのせいで!」  イラァっとした雰囲気を隠さずに彼女は開き直った。  その気になっているなら話は早い。  デカい幻聴ではなかったことに機嫌を良くした俺は彼女に迫った。 「なら、さっさとキスしますよ」 「なにが『なら』だよ! こっちはなんにも了承してねえよ!」  キスをしたいだけなのだが、彼女の態度はなかなかつれない。  俺の胸を押し返して抵抗する彼女もかわいいが、そろそろ我慢の限界だ。 「でも俺、帰宅するまでに既読つけないとキスするって送りました」 「なんだそ、れっ。んぅ……っ、ぁ」  半ば強引に唇を奪い、ゆっくりと彼女の背中をソファの上に押し倒す。  視界いっぱいに彼女を捉え、彼女の声をもっと近くで聞きたくてキスを深くしていった。  彼女の心音をほかの誰でもない俺が乱したいと、触れれば触れるほど欲が出る。 「ちょ、キ、キス……だけじゃなかったの……?」  服の下に手を伸ばすと、彼女の体が強張った。  のしかかった俺の首元で彼女ははくはくと息を整えながら言葉を紡ぐ。  熱のこもった浅い吐息が耳をくすぐり、理性を手放しそうになった。  首筋に跡が残らないように軽く皮膚を食む。  たくし上げたシャツの下からあらわになる、控えめな膨らみの上にキスを落とした。 「この期に及んでまだ既読つけてないんですか?」 「……ふっ……、ん、……っ。き、読?」  潤んだ瞳がソファの隅に追いやられた携帯電話に向けられ、手を伸ばす。  ロック画面が解除されたのか、画面の光が彼女の顔を照らした。 「なんでもありませんよ」  その彼女の細い手首に口づける。 「あっ」  ことん、と携帯電話がソファの下に滑り落ちた。 「場所がお顔じゃないだけでキスには変わりないでしょう」 「ひゃうっ⁉︎」  彼女の魅力が溢れるように優しく手首に舌を這わせた。  俺の熱が彼女の指先まできちんと伝播するように、緩やかに甘やかにじっくりと蕩かしていく。 『さっさと既読つけないと、ぐちゃぐちゃになるまでキスしますからね?』  ソファの下に落ちた彼女の携帯電話に入っているメッセージアプリ。  薄暗く光る画面には、俺の送ったメッセージが羅列されていた。 《完》

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゜す

 僕の名前は「お」。五十音のトップに君臨する明朝体、「あ」の二画目に惑わされし活字である。  あの艶かしい曲線が美しくも性的だ。  僕の三画目の不格好で短い点で、何度自分の二画目を曲げようと思ったか。  だけど、僕の軸は硬いから毎日柔軟体操をしても効果はなかった。  僕が「あ」を恋慕って千年以上経過した。  長い時間を「あ」とともに過ごしてきたから僕は知っている。  「あ」が「め」に恋をしている、ということを。  だから「あ」は自分の一画目を嫌っていた。  「あ」の気持ちはよくわかる。  だって僕も自分の三画目が憎らしかった。  あの点の角度がせめて九十度違っていたら、溜飲は下げられたかもしれないのに。  僕は「あ」と同じになりたくて、「あ」は「め」と同じになりたい。  同じになれば、ずっと一緒にいられる気がしたからだ。  僕たちは、ずっと似たもの同士である。    *  とある本のとあるページ。  たまたま「あ」が僕の真上に印字されていた。  相変わらず「あ」の美しい書体に見惚れてしまう。  お互いに活字を弾ませていると、「あ」が恥ずかしそうに明朝体を丸く崩した。 「あのね……「お」くん。あなたに相談があるの」 「どうしたの? 僕に相談なんて珍しい」  もじもじと「あ」は三画目のはらい部分を遊ばせた。 「私の一画目を「お」くんにもらってほしくて」  突拍子のない「あ」のセリフに、僕の二画目の円の部分が大きく開いた。 「お、落ち着きなよっ! おかしなものでも食べちゃった?」 「わ、わかってるよ! 私自身、変なこと言ってることくらい。だけど、こんなこと……は「お」くんにしか話せなくて……」  「あ」は艶かしい二画目を小さく震わせ、蠱惑的に誘い込む。  ここまで言われて我慢なんてできなかった。 「僕はうれしいけど、いいの? 本当に無理してない?」 「大丈夫。私の一番最初はどうしても「お」くんがいいの」  ああああああああぁぁぁぁぁ。  興奮しすぎて危うく三画目の点が円くなるところだった。  僕は紆余曲折の末、無事に「あ」の一画目をもらい受ける。  明日こそ念願の「あ」になれると期待を膨らませた。  「あ」も「め」になれるといいな。  どうかいい夢を。  おやすみなさい。  僕は「あ」の一画目を大切に抱きしめて眠りについた。 《完》

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薄っぺらな1000の言葉で底の浅い愛を綴る

 たくさんの言葉が溢れる世界で、私がアウトプットできる表現なんてごくわずか。  きれいな言葉も。  小難しい言葉も。  かわいい言葉も。  楽しくて面白くて心地よくて使ってみたりするけれど、使ったら忘れてしまう。  使わなくても忘れてしまう。  コピーとペーストを繰り返した私の知らない言葉たち。  読めない言葉。  意味のわからない言葉。  使い方や違いがわからない言葉。  調べる気力もなく、今となってはどこから拾ってきたのかすらわからない。  言葉を拾ったことすら忘れていた。  レポート用紙、ルーズリーフ、原稿用紙、キャンパスノート。  いろいろなノートや用紙に文字を書くのが大好きだった。  今でもきっと好き。  でも、利き手に力が入らなくなってペンを握ることが難しくなった。  鉛筆はBより濃いのが好き。  シャープペンの芯はHBが好きで、芯をまとめ買いしたこともあった。  芯がいつもケースの中で粉々になっている。  物の扱い方がずっと下手くそな私。  ずっと不器用だけど、ずっと好き。  パソコンを使ってキーボードを指で弾くのも好き。  母音の印字が薄れていって、母音の接触が悪くなって、最終的にはカバーがどこかにいってしまった。  メンブレン式もパンタグラフ式も、どちらも気持ちよくて選べない。  好きをいっぱいありがとう。  好きになれないときは少し休んで、また好きを積み重ねられるように毎日を過ごしてきた。  私の「好き」を許容できる私の受け皿は小さいから、すぐに溢れてなくなってしまう。  大切な「好き」を選別するために「好き」を捨てるときもある。  好きがいっぱいで苦しくなって全部捨てて後悔とは別の感情で泣くこともあった。  泣くことは好き。  泣けば全部リセットできた。  空っぽになった言葉にできない感情を揺蕩わせて、速いのか遅いのかわからない心臓の鼓動を確かめて、生きていることを実感する。  ぺらぺらの自分。  ぺらぺらの言葉。  ぺらぺらの好き。  心の底から笑ったことも、怒ったことも、喜んだことも、泣いたこともあったのかもしれないけど、忘れてしまった。  私は私のことが嫌い。  でも、ぺらぺらに生きてぺらぺらのまま消えていなくなるのは、悪くない。  残り1文字。  私は私の好きな言葉を、いつまでもずっと探している……。

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薄っぺらな1000の言葉で底の浅い愛を綴る

深夜、内緒話に甘いモンブランを添えて

 終電の時間をとっくに過ぎた新宿駅。  いつまでも騒がしい夜の深淵で彼女を見つけたのは偶然だった。  若さという鱗粉を振り撒いていたあの頃とは違う。  良くも悪くも彼女らしい等身大の姿で、くたびれたローヒールを頼りなく鳴らしていた。 「委員長……?」  口から溢れた懐かしい響きは、意図せず彼女の耳にも届いたらしい。  生真面目な銀縁眼鏡のレンズ越しに、彼女は大きく目を見開いた。  目元のクマや少しやつれた顔の輪郭が彼女の疲労を色濃くしている。 「……それ、久しぶりに聞いたかも」  彼女から力なくこぼれ落ちた飾り気のない微笑みはとてもきれいだった。    *  立ち話もそこそこに別れるはずだったのに、朝から食事をし損ねていたらしい委員長に合わせてファミレスに入った。  電車の乗り継ぎに失敗して途方に暮れていた私にとって、多少の時間を潰せることは都合がいい。  しかし、お酒は飲めないと言って居酒屋に行くことを拒んだのは委員長自身のはずだ。  えぇー……。  なぜか彼女は既に5杯目の生ビールをあおり、黙々と食事を進めている。  枝豆、焼き鳥、チョレギサラダなど、オーダーを通したメニューは酒のつまみばかりだった。  酒強ぉー……。  絶対、居酒屋で飲み放題にしたほうが安上がりじゃん……。  割り勘でよかったと、心の底から安堵する。  高校以来の再会とはいえ、1年のときにクラスが一緒だっただけで、相性も悪かった。  クラスが分かれて以降は、話すどころか顔を合わせる機会もなくなった。  卒業して約7年、わざわざ当たりさわりのない世間話をするほど、現在の彼女の人生にさして興味もない。  興味があるとすれば当時のことだが、根掘り葉掘り聞くには私の気力が足りなかった。  結果、私たちは深夜のファミレスで無言のまま箸を進めている。 「……一瞬、誰だかわからなかった」  枝豆を全て平らげたあと、委員長が沈黙を破った。  彼女の真っすぐに射抜く無遠慮な視線を私は知らない。  なぜ今の彼女を見て、委員長だと認識できたのか不思議なくらいだった。 「整形でもしたの?」 「はあ⁉︎ 失礼ねっ。これが私の素顔なんですぅ。そっちはお変わりなく性根が腐ってることでっ⁉︎」  昔から性格が悪かったが、こんな直接的ではなかったはずだ。 「パテみたいにファンデ重ねたら将来泣くよ? って、友だちでもないあなたにわざわざ教えてあげたんだからかなり優しいと思うけど」  ソバカスを必死に隠していた当時も、そんな感じの言い回しで彼女は私を嘲笑した。  顔がよくて、スタイルも良くて、サラサラの髪の毛をわざわざ編み込んで、いかにも優等生ですと上品に振る舞う。  遠回しにさりげなく、私を、クラスメイトを、大人を、彼女は若さと美貌を振りかざして見下していた。 「こうして貴重な睡眠時間を削ってお金にもならない無駄な時間につき合ってあげてるんだし?」 「減らず口はご健在ってわけね」  それでも、人前であくびをしたり足を組んだりするような人ではなかった。  口を滑らせてしまったのも、彼女のその気軽さのせいである。 「……ねえ、まだそういう生活してるわけ?」 「そういうって?」  なんでも察していたあの頃と違って、委員長は不思議そうに首を傾げる。  私相手にする必要性のない幼い仕草は、彼女のアンバランスさを象徴していた。  委員長の言葉と態度は、常に悪意と善意が混在している。  その飴と鞭のぬかるみにまんまとはめられていく感覚が、気持ち悪かった。  彼女の本質が変わっていないことに、妙な安心感を抱いてしまう。 「…………若さを生かしたゴホウシカツドウ」 「あなた……」  不要な言葉が響いてしまいそうな店内だ。  彼女の名誉もあって直接的な発言をすることは憚られる。 「まさか、相変わらず処女のままなの?」 「ブボッ⁉︎」  口に含んでいたウーロン茶が変なところに入った。  こっちは配慮してやったというのに、とんだ仕打ちである。  しかも相変わらずってなんのことだ。  委員長とそんなデリケートな会話をした覚えはない。 「言い回しが遠すぎて逆に恥ずかしいわよ?」 「だからって首筋のソレ。アンタはもう少しくらい恥じらいなさいよ」 「しかたないでしょう。私ももう若くないもの」  まだ20代半ばだというのに……。  若さを売ってきた彼女が言葉にすると、深みというか重さが増した。 「さすがにこんな時間だもの。ファンデも崩れるわよ」 「あぁそう……」  赤黒く染まる首元の痕は、今日つけたものではないらしい。  うまいことはぐらかされた挙げ句、こちらは不要な事実を暴かれた。  委員長につられてお酒を頼まなかったことは不幸中の幸いである。  この調子でアルコールなんて流し込んだら、なにを掘り起こされるかわかったものではなかった。  まあ、掘り起こされたところで面白おかしく語れるような経験なんて、私にはないけど。  自嘲気味に鼻を鳴らした直後、モンブランを乗せたお皿がテーブルに運ばれてきた。  うわ……。  普通、ビール飲みながらモンブランみたいな甘味いく?  ビールもモンブランも好きだが、食べ合わせというものがあるだろう。  よそ行きの顔で店員に軽く会釈する彼女に、口元を引きつらせた。  しかし、その皿は私の目の前に置き直される。 「はい、モンブラン。どうせまだ好きなんでしょう?」 「好き……だけど、なに?」  ちょうど今のような秋めいてきた時期だ。  一度だけ、委員長と私を含めた4人でファミレスに行って、そんな何気ない会話をした記憶がある。  なんのために集まって、なにを話したかなんて忘れてしまった。  不意に現れた、金粉が散りばめられたモンブランを見つめる。  些細だったはずの会話の内容を覚えていることが意外で、だからこそ、委員長らしいと感じた。 「それ。奢ってあげるから今日は解散」  体を使ってまでお金を稼いでいた彼女の口から信じられない言葉が出てきて、勢いつけて顔を上げる。  少しだけ思い出した。  あのとき料理をシェアしたせいで、個別会計ができなくなる。  割り勘をしようとしたら端数が出てしまったのだ。  委員長はその端数を余分に払いたくないと主張する。  そのクセ、誰かが1円でも多く払うのも嫌がった。  らちが明かなくなり途方に暮れた、地獄の記憶が蘇ってくる。  そんな彼女に奢ってもらうとか恐怖でしかなく、身震いした。 「怖っ。奢ってもらう理由がないんだけど」  私の反応に委員長も思うところがあるらしく、わざとらしく咳払いをした。 「身内に処女だって拡散されたくなければ黙って奢られなさい」 「はああっ⁉︎ 身内ってなにっ⁉︎」  お酒なんて一滴も入っていないのにテーブルを叩きながら委員長に詰め寄った。  当然、彼女はたおやかな笑みで私を受け流す。 「なにって、ほら、私は元仕事ができる優秀な委員長だから。拡散力はそこそこあるわよ?」 「さすがに、元のつける位置はそこじゃないでしょう」 「え?」 「どうせアンタは今でも優秀だし、仕事だってできるでしょーが」  なんの仕事をしているのかは興味はない。  働いている以上、当然、彼女だって苦労だってしているのだろうが、昔よりいい顔をしているように見えた。  私なんかとは違い、仕事が楽しくてしかたないのだろう。  根拠はないがそんな気がした。 「謙遜くらいさせなさい。嫌味になるでしょうが」  視線を逸らした彼女が残り少ないビールを飲み干す。  否定をしないところが彼女らしくて、私も軽く言い返した。 「過剰な謙遜は相手を傷つけるわよ。そのへんきちんと自覚して」 「処女のクセに知ったような口を利くじゃない」 「あのねえ⁉︎ 人のこと処女だ処女だって連呼して! 処女関係ないじゃんっ! それにっ、私だって恋くらいしてますうー」  勢い余って余計なことを口走る。  そう自覚したのは、彼女が値踏みでもするかのような視線を私に向けたからだ。 「……ふうん?」  舐め回すようなその視線に、なぜか全身が強張る。  だからだろうか。  ゆったりとした動作で眼鏡を外す彼女から、目を逸らすことができなかった。 「な、なに、よ……」  メイクが多少崩れていても、きれいとしか形容のしようがない彼女の顔が近づいてくる。  少し乾燥した右手が頬に触れた瞬間、首筋に刺すような痛みが走った。  は?  私の疑問は声にならず、空気すら震わせられなかった。 「……なら、これで少しは宣戦布告になるかしら?」  委員長が私の首筋に痕をつけた。  揺るぎない事実を刷り込ませるように、彼女は悠然と距離を取る。  恍惚とした眼差しで、微かな刺激を与えた私の首筋に触れた。 「でも……」  形のいい唇を楽しそうに吊り上げて伝票をさらう。 「その程度で逆上して手を出すような安い相手、あなたには合わないと思うわ。西乃女杠葉(にしのめ ゆずりは)」  深夜のファミレスに颯爽とローヒールを響かせて、彼女は去っていった。  深夜のファミレスで置き去りにされたモンブランと私。  キラキラと光る罪悪感を見つめながら、熱を残した首筋に手を当てがった。  今、私……?  徐々に自覚していく出来事に、身体中の血液が顔に集まっていく。  いつもは最後までとっておく秋の味覚をフォークでブッ刺して頬張った。  モンブランに罪はない。  全力で罪を咀嚼して、明日の私に胃もたれという罰を与えた。  口元を紙ナプキンで拭って店を出る。 「ふざっけんじゃないわよ‼︎ あのクソ女ッ‼︎」  終電のない夜の深淵。  ネオンと人が妖しく乱れる新宿で私は久しぶりに、お腹の底から声を出した。 《完》 【すゞめのワードパレット より】 『9月、生真面目で純真なキミを乱した夜想曲』 ⑤「甘味」を選択  ✴︎ 夜の深淵  ✴︎ モンブラン  ✴︎ 首筋に痕

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9月、生真面目で純真なキミを乱した夜想曲

 焦燥感から少し背伸びをしたくなる9月。  放課後、人知れず流した涙の感情を知りたくて、教室を出て行こうとするキミの手首を捕らえた。  小さく肩を震わせながら嗚咽をこらえるキミは振り返らない。  掴まれた手を振り解く気力もなさそうだった。  選択を委ねたキミは、今、どんな顔をしているのだろう。 ①「日陰」・「日向」  ✴︎ 静寂  ✴︎ 三日月  ✴︎ 涙目 ②「乾く」・「湿る」  ✴︎ 迸る熱  ✴︎ 恥じらい  ✴︎ 流れ星 ③「蒼」・「朱」  ✴︎ ごちそう  ✴︎ 熱を孕んだ  ✴︎ 深夜0時 ④「失恋」・「得恋」  ✴︎ 妖艶に微笑む  ✴︎ 頼りなく瞬く星  ✴︎ 焦らさないで ⑤「甘味」・「苦味」  ✴︎ 夜の深淵  ✴︎ モンブラン  ✴︎ 首筋に痕  夏の暑さと秋の冷涼が行き来する9月を、対となるふたつのパレットを作ることでイメージしました。  番号のパレットをどちらから選んで言葉を混ぜ合わせます。

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イイコとワルイコの境界線

 お題『くじ』  夏休みが終わり、休み明けのテストも無事……ではすまされなかったがなんとか終えた。  地域屈指の進学校ということもあり、クラスメイトはいつも模試だ塾だとテキストと睨み合っている。  偏差値の高そうなつまらない会話とシャーペンの音ばかりが聞こえるこの1年5組は、唐突に席替えをすることになった。  2学期が始まった直後に転入生がやってきたからである。  彼女の名は西乃女杠葉(にしのめ ゆずりは)。  ヨーロッパかそのあたりから帰国してきたと、担任からは紹介されていた。  背が高く、目鼻立ちもいい。  ブロンドのロングヘアは生真面目なクラスメイトの中ではよく目立っていた。  しかし、派手な見た目とは裏腹に物腰柔らかく人に接するせいか、すぐにクラスとうまく馴染む。  席替えのくじ引きも、彼女が一番最初に引くことになった。 「杠葉さん、何番だったの?」 「まだ内緒。みんな引いたら一緒に開けたいなって思って」 「え。私もう見ちゃった。真ん中の一番前」 「ドンマイ」  西乃女杠葉を囲う周りの女子たちがはしゃぐ。  番号も知らない状態なのに、彼女の周りの席を引き当てようとクラスメイトが一斉に願かけを始めた。  すげぇな。西乃女杠葉……。  転校して間もないというのに、もうほぼ全員のクラスメイトの心を掴んでいる。  かくいう俺は蚊帳の外だ。  190cmを超えたこの巨体のせいで、一番後ろの席に固定されていた。  窓際に配置されたのはありがたかったが、席替えのときの浮かれた空気に混ざれない俺にとって、この時間は退屈でしかない。 「じゃあな、芦川。俺がいなくても泣くんじゃねえぞ」  冗談めかして隣の席だったヤツが俺の肩に手を乗せた。  競技は違うがスポーツ推薦同士、八須賀(はちすが)とは気が合う。  文武両道というチート野郎だから、隣の席という関係の割りに話すことは少なかった。  しかしこれが最後。  俺もしっかり八須賀の冗談に乗っていく。 「アタシを置いてどこに行こうって言うのよ。ハチ介の浮気者っ」 「ハニーのクセにダッセーあだ名つけんなよ」 「うるさいわね。アタシの瞬発力をバカにしてっ」 「諦めるな。悪ノリハニーの名が泣くぞ」  八須賀から提供された覚えのないダサい通り名に寒気が走り、われに返ってしまった。 「待って。なにそのクソダサいヤツ。イヤすぎるんだけどっ」 「ハハッ、知らねー。じゃあなー」  軽口を飛ばし合ったあとはあっさりと別れた。  黒板に書かれた席の番号を照らし合わせては、聞こえてくる阿鼻叫喚。  机を引きずる音。  人ごとでしかない俺は、気づけば机の上に突っ伏して意識を飛ばしかけていた。  ……のだが。 「芦川マジかよーー!」 「俺と席代われ! アホ川ッ!」  阿鼻叫喚の矛先が急に俺に向きはじめて顔を上げる。  生真面目なクラスメイトたちの知能指数が急にアホになった。 「ウケる。なにごと?」 「嫌味かよ。この贅沢者っ! 隣見てみろよ」  隣?  隣を見て、俺は息をのんだ。 「よろしくねー」  気安く手を振るのは西乃女杠葉。  俺の隣に机をつけてゆっくりと腰をかけた。  その所作が意外ときれいで目を奪われたが、すぐに取り繕う。 「わー。ラッキー。よろしくね、西乃女さん」 「えーっと?」 「あ、名前? 芦川だよー。勉強のことは俺に聞くと地獄見るから委員長にでも聞くといいよ」  西乃女杠葉の前の席にいるおさげの女子、1年5組のクラス委員長である。  休み明けに眼鏡からコンタクトレンズに変わり、クラスの男子の視線を奪っていた。  急に標的にされて驚いたのか、目を大きくさせて振り返る。 「えっ!? 私っ!?」 「委員長だし勉強できるんじゃないの?」 「できなくは、ないと思うけど」 「だって。よかったね、西乃女さん」  西乃女杠葉は自信に満ち満ちた笑みを委員長に向けた。 「ふふっ、委員長さんもよろしくね」  目力の強い笑みに気圧されたのか、委員長は引きつった笑みで彼女に応える。 「あぁ、うん。私でよければ……」  俺たちは三者三様の笑みで、新しくなった顔ぶれを確認し合う。  偽物のブロンドヘアに甘ったるいニコチンの香りを絡ませた西乃女杠葉。  夏休み中、オッサンとホテル街に入り浸っていた委員長。  そして窓際貴族の俺。  ちなみに、俺の目の前の席は中学のときに女を妊娠させたと噂のある不登校くんだ。  蚊帳の外で行われたくじ引きでの巡り合わせは、思いのほか楽しめそうな配置となるのだった。 《完》

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レースカーテンと報われない恋をする

 ここしばらく宿題を終わらせていないことが部の顧問にバレて、早々に打ち切られた朝練。  空調の効いていない、まだ誰もいない教室の窓を開けた。  憂鬱な空にレースカーテンという薄い膜を敷く。  軽やかなレースカーテンが控えめに波を打ち、穏やかな微睡みを誘った。 「くぁ……」  ひとつ、あくびを溢して席についた。  まだ終わっていない古文のテキストを開く。  答案を丸写ししていくだけの単調な作業は苦手だ。  かといって自力でテキストと向き合える学力も時間もない。  シャーペンを走らせる筆記音のリズムが緩んでいくのが自分でもわかった。  湿度をまとった風が心地よく頬を撫でる。  瞬間、流れるようにシャーペンが指から滑り落ちた。  あー……。ヤバい、これ落ち……。  ……る。  終わらせられない宿題。  満足にできなかった朝練。  後ろめたさがないわけではない。  それでもこの心地いい微睡みには逆らえず、憂鬱な月曜日の光を受けながら意識を飛ばした。  ふわり。  レースカーテンが大きく空気を含んで俺を包んだ。 《完》 【すゞめのワードパレット より】 『月曜日のステッチ』 ①憂鬱な空  ✴︎ レースカーテン  ✴︎ 微睡み  ✴︎ 流れるように

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欺瞞に満ちた十字路で金木犀は優雅に微笑む

 穏やかに会話を続けるなかで起こるさり気ない駆け引き。  十字路に差しかかると、突然、歩行を緩めたあなた。  緊張した面持ちで、何度も何度も金木犀の香りを食む。  空気を読んだ心拍が、痛いくらいに加速した。  頬と同じ色をしたあなたの乾いた唇を、陶然と見つめる。 ①謙虚  ✴︎ 吊り革を握る、その手の温もりをちょうだい ②陶酔  ✴︎ 首筋に金木犀を散らし、残り香にさよならを ③謙遜  ✴︎ 悲劇のヒロイン、傲慢に夏の終わりを慈しむ ④真実  ✴︎ 夕暮れに吸い殻、私だけを置いていかないで ⑤初恋  ✴︎ かつて夏だった光を浴びる嘘泣き、私を叱る  その可憐な姿で、金木犀は甘く芳醇な香りを澄みわたる空に放ち、秋の到来を告げた。  清楚な花をつけながら強かに周囲を惹きつける、金木犀の花言葉になぞらえたワードパレットです。

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聖職者試験に不合格したラル=ファーナは近接職として世界中の魔物を蹂躙したあと、今度はプリーストとして仲間の生殺与奪の権利を握ります。

 今日はプリースト3級の検定試験。  受験資格は12歳以上かつ、プリーストレベル10以上。このジョブ検定に合格すれば、冒険者の登録資格を得られる仕組みだ。  空間操作された広大な草原に用意されたレベル5のピクシーと、私はこれから対峙する。 「エントリーナンバー8。ラル=ファーナ、プリーストレベル10。よろしくお願いします」  時価で取引される蘇生専用メイスと魔導書。最上級のローブにブレスレット。私はそれらを実家の力で入手した。  試験には圧倒的な強さを誇って勝利する。  ……はずだった。 「どうしよう」  私としたことが唯一の攻撃武器、鉄槌ミョルニルを宿に忘れた。  次の試験は2年後。再び見習い活動など冗談ではない。  素手でピクシーを叩き、霧散させる。 「痛くしてごめん」  鉄槌ミョルニルを装備するために必要なファイター職のレベルは97。  ゆえに、このあたり一帯のモンスターは素手で倒せた。  プリースト検定試験は不合格。  代わりにファイター3級検定試験に合格した。    *  少女の名はラル=ファーナ。  2年後、脳筋プリーストとして世界に名を轟かせた狂人である。 《完》

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