渡邊三月。
25 件の小説私はガムと同化した。
パチンと、私の頬に当たって風船ガムが割れた。 「あ、お前のせいで風船割れちゃったじゃん」 品のない笑い声が私を囲んでいる。 眼鏡が割られていまいち相手の顔が認識できない。 目を凝らしてやっと茶色とか金色の髪の毛だけは把握できた。 「何睨んでんだよー!」 視界が大きくぶれて地面に伏せる。 左の顔が痛い。 でもこの痛さには慣れさえ感じる。 「生意気なんだよなー」 力加減の分からない子供みたいに容赦なく髪を引っ張る。 いやそもそも加減が分かってればこんなことしないか。 「さくらちゃんガムあげるー!」 悪意のない笑顔。 「ありがと、」 パチン。 親指に痛みが走って思わず手を振り払った。 地面にコロコロとガムと蜘蛛のおもちゃが転がる。 流行りの悪戯グッズ。 「やーい、引っかかったー!」 ギャハギャハと近隣住民の迷惑を考えずに笑い転げる同級生たち。 何が面白いのか私にはちっとも理解が出来なかった。 挟まれた部分がジンジンと指の奥深くまで根付くように痛かった。 私の口元から笑いは微塵も溢れなかった。 悪戯と思っているのだ。 背中を蹴られて髪が何本か抜けて、また地面に倒れる。 白いはずのセーラー服の上は土まみれでもう元の色には戻らないかもしれない。 私のすぐ横にガムが吐き捨てられて踏みつけられた。 ガムに罪はないのに。 「なんでいじめるの」 「いじめじゃないよ、悪戯だよ〜」 そうだ、あいつらにとってこれらの行為は悪戯の範囲内。 「違う、彼にとってはいじめなんだよ」 正論はそんなに癪に障るのだろうか。 彼は確実にいじめられてた。 私に視線が集まる。 悪戯と宣う彼らのいじめの矛先は私に方向転換をした。 「正論はさ、自分を殺すんだぜ」 地面にへばりついた味のなくなったガム。 色んな人間に踏まれて真っ黒になっている。 そこら中の地面に踏み潰されたガム。 私も、あのガムと一緒なのかなぁ。 「私はガムなんだ」 そう言葉にして、言霊にして。 私の口端の切れた唇が弧を描いて笑った。 笑えた。 馬鹿馬鹿しくて。 「なんか言った、」 私は立ち上がって、その辺に転がってた小石を拾って。 校舎の窓ガラスを思い切り叩き割った。 バリィンッと派手な音を上げて割れた窓ガラス。 手から血が出てるけど不思議と痛くない。 あの時の悪戯グッズの痛さは今でも鮮明に覚えてるのに不思議だ。 一番鋭利だなって思った窓ガラスを引っ掴んで振り返る。 表情はぼやけてて見えないが、3人が動かず立ち尽くしている。 逃げないんだ。 私は面白くなって笑ってしまった。 「私にも悪戯させてよ」 響く叫び声。 いや興奮した動物の声みたいなものと言った方が正しいだろうか。 学校敷地内から異様な声が恐らく校外にも漏れ伝わって、パトカーのサイレンが幾重にも重なって近づいている。 救急車のサイレンも後からついてきた。 それでも振り下ろす手は止めない。 ぐちょぐちょと肉を塩で揉む時みたいな音が耳に届く。 眼鏡が無いからちゃんとは見えないが、新鮮な赤は辺り一面に広がっていることは窺えた。 鉄分の香りしかしない。 あぁ、悪戯なんてこんなもんか。 私はもう笑ってない。 皆ゲラゲラ笑ってたけど、やっぱりつまらないじゃないか。 だいぶ小さくなった窓ガラスの残骸を跨っている彼の喉元に捨てるように突き刺した。 そして自分のか相手のか分からない血を存分にかき集めて体にぶっかける。 何度も何度も。 頭から胸から。 全身が塗れるように。 恐らく結構年寄りみたいな警察官の男性が怒るでもなく止めるでもなく、私の近くに来て一言言った。 「何をしてるんだい?」 普通に尋ねるみたいな声。 だから私も普通に言う。 「私ガムだから。地面で黒くなってるガムと一緒だから、もっと汚れないといけないの」 それで。 「汚いガムは掃除されて捨てられるから、そうしないと地面が綺麗にならないから、だからもっと汚れないと掃除してもらえない」 言い終わって、自分が何を言ってるか、ちょっと分かんなくなった。 「そうか」 警察官は、私に手を差し出した。 「じゃあもういいね。私が掃除してあげる」 私は、何でか、嬉しかった。 「ありがとう警察官のおじさん」 地面を綺麗にしてくれて。 「ありがとう」 やっと、涙が出た。
ちょっとしたご報告
ちょっと体調崩してしまったので、 あんまり感想やら投稿など出来なるかもしれんです。 ネタはいっぱい浮かびますが、体調が追っ付かん。 すぐ更新するかもしれんし、しないやもしれんのです。 そこのところよろしゅう頼んます。 不定期マンなります。
扉は悪くない。①
カッカッカッと白いチョークに負けず劣らず白く、きめ細かい肌の長い指が石畳の上に容赦なく何かを描いていく。 素敵な庭が台無しだと弓月は子どものように地面にしゃがみ込む青年を見つめたまま、ココアをストローでちゅーと吸い上げる。 迷いなく動く白いチョークが描き出したのは、簡易的な扉の絵。 長方形と、中央左側に小さな丸。 それを囲うようにラテン語の筆記体が円を描く。 魔法陣にしては中央に座す扉の絵があんまりにも幼稚な絵に見えて、魔法陣というには些か違和感があると弓月は思った。 「よし、描けたよ」 勢いよく青年が立ち上がると、肩まで伸びた艶のある黒髪がフワリとスカートが舞うように広がって、すぐに重力で真っ直ぐに戻った。 クセのない綺麗な黒髪だなーとパラソル付き木製のガーデンテーブルに頬杖をついて一連の流れを見ていた弓月に、青年が間髪入れずに駆け寄る。 キラキラと子どもみたいに笑顔を向けてくる青年に対して、弓月は顔が近いと言ってぐいーっと遠慮なしに押し退ける。 「ご尊顔に容赦なし!」 ナハハと神秘的な顔に似合わず盛大に笑いながら、青年はでもまたそれも良し!と構わず近寄ると、先程の美肌の大きな手で弓月の小さめの手を引っ掴んで魔法陣らしき物の側に連れてきた。 特に抵抗もなく、扉の魔法陣の前に立つ弓月。 飲んでいたココアが底をついてズゴッと音を立てた。 「ねえ君ちょっと僕に付き合ってくれない?」 十数分前、弓月は唐突に高身長のハーフらしき青年に上から見られる感じで声をかけられた。 はぁ、と肯定ではない発声をしたつもりであったのに、それを肯定と捉えて青年はじゃあこっち来て、と弓月を引っ張って行った。 これは誘拐では?と内心で思いながら抵抗することなく青年の目的地である大きな洋風の庭に到着する。 ずかずかと入っていくので、恐らく誘拐犯の自宅だろうと察した弓月だったが、ちょっとした豪邸の庭が目に入り、私の住む世界じゃないと思考が停止した。 「おーい、聞こえてるかーい???」 ハッとして地面を見ると、扉の魔法陣、かもしれない物が描かれた場所に未だに立っていた。 動こうとしたが、両肩をガッチリと青年に掴まれていた為、弓月は諦めたように直立した。 青年の顔が無遠慮に真横に来る。 次の瞬間香ったのはお日様のような匂いでもなく、草花の素敵な匂いでもなく。 高級シャンプーのフレグランスが鼻を掠める。 絶対金持ちだと思って余計に弓月の体が強張った。 青年に気にした様子はなく、あくまで子どものように無邪気に振る舞う。 精神だけ置いて身体だけ大人になっちゃったとかそんな系か?みたいな思考をして、弓月はもうココアはないのにズゾゾとストローを吸った。 うるさっ!と言って飲み物のカップまで取り上げられ、弓月はいよいよ逃げ場が無くなった。 「目的は何ですか」 金持ちの考えることなんかこれっぽっちも分からん、と投げ槍に尋ねてみる。 んー?と真横から声が響いて髪が弓月の頬を擽る。 近いなぁと遠くの飛行機を見つめながら現状から逃げるように思考を飛行機に託そうとして、飛行機が見えなくなってしまったのでまた諦めた。 「この扉で僕とお出かけして!」 は、と普段出ないような大きめの声が出そうになった瞬間、魔法陣の線が輝き始めた。 そちらに視線が向くと、魔法陣の周りに風が吹き始めた。 庭に生えた木から葉っぱが引っ張られ、風と一緒にくるくると回り出した。 ハリポタ、と言葉が出る前に、青年が声を上げた。 「aperi ianuam!」 青年の明るい声からすぐ、チョークの線から人が通れる程の大きさの扉が飛び出した。 弓月が思考を手放すより先に、扉が一人でに開き、二人はそのまま中へと吸い込まれた。 扉は暫くするとパタリと静かに閉じ、光の粒を辺りに撒き散らしながら姿を消した。 まるで魔法のように−−。 「う、わああぁぁぁぁぁっ!?!?」 弓月はもう訳が分からない。 扉に吸い込まれた瞬間、青年に肩を突き放され、ぐるぐると無重力空間のように体が回転する。 弓月は必死で体勢を立て直そうとしているのに、青年はそんな弓月を見てゲラゲラと笑い転けている。 そんな青年もくるくると回ってはいるのだが。 今日スカートじゃなくて良かったと心の底から思う弓月。 「さ、着くよ!僕のお気に入りの場所!」 突然辺りが真っ白に輝いた。 弓月は眩しくて、ぎゅうっと目を瞑った。 衝撃はない。 「ほらぁ、寝てないで見てよ!」 急に背中をまあまあな力で叩かれ、否が応でも弓月は目を開けた。 瞬間弓月の黒眼は数多の光の粒で輝きを放った。
それは私たちの使命です。①
「お姉ちゃん“扉”」 「はぁ、またぁ?」 お姉ちゃんは、私が指差したブロック塀に向かって中指と人差し指を突き出して鍵を掛けるみたいに回す。 すると、扉は姿を消す。 「無くなったよ」 「はぁ、これで今月何個目よ」 「……分かんない」 お姉ちゃんはまた深ーくため息を吐く。 私は扉が見える。 他の人には見えない扉が。 何で現れるのか、それが何を意味するのか、何一つ分からない。 でも何でか閉めないといけないって思う。 お姉ちゃんはその扉の鍵を掛けられる。 私が扉が扉がと言っていた頃に、お姉ちゃんがいい加減にしてと扉にキレ、鍵を掛けるみたいな動作をした所、扉の鍵が閉まり、扉はそこから姿を消した。 何で私に見えて、お姉ちゃんが鍵を閉められるのか、全く見当もつかない。 先祖が何か特殊な力でも持っているのかと思って親に聞いてみても、そんなものはないと即答された。 扉は何処にでも現れた。 家の中、通学路、学校内、旅行先。 天井だったり床だったりにもあった。 その度お姉ちゃんに言って鍵を閉めてもらった。 学校ではよく一緒にいる為、随分仲が良いんだと思われていたが、実際はそんなことなかった。 「お姉ちゃんあそこ……」 「またぁ!?」 見えないのに鍵を閉めろと言われ、お姉ちゃんはイライラが募る。 私に鍵を閉める力があれば、お姉ちゃんに迷惑かけないのに。 お姉ちゃんの眉間の皺が濃くなり、私は怖くなって目を逸らした。 お姉ちゃんに彼氏が出来た。 お姉ちゃんはとっても嬉しそうだった。 行きも帰りもその彼氏と行動するようになる。 私も最初の内は一緒にいさせてもらえてたけど、次第にお姉ちゃんの態度がよそよそしくなる。 そりゃあそうだよね。 大好きな彼氏と二人っきりでいたいよね。 そんなある日、また扉が現れた。 私はお姉ちゃんに近付く。 「お姉ちゃん、扉−−」 「あーもーいい加減にしてっ!!」 怒った声に驚いて、後ろへ下がる。 私に向けられる敵意。 今まで扉に向けられていたもの。 私は口が開けなくなった。 「閉めなくてもいいでしょ!何の根拠があって閉めるのよ!閉めないと何か起こるの!?」 私は怖くて怖くて、首を横に振ることしか出来ない。 お姉ちゃんはそれでも言葉を止めない。 「じゃあもう放っておいていいでしょ!あんたの相手ばっかしてらんないのよ!!」 持っていたタオルを投げつけられ、いよいよ私はしゃがみ込んでしまった。 耳を塞いで、ごめんなさいごめんなさいと只管謝る。 気付くとお姉ちゃんはいなくなっていて、保健室の先生に声を掛けられてやっと謝るのをやめた。 扉はそのまま、姿を残していた。 その日お姉ちゃんとは一言も喋ることなく、翌朝もお姉ちゃんは彼氏と二人で登校してしまった。 私が悪いんだ。 扉が見えるだけで、鍵を閉めることができない私が。 お姉ちゃんは何にも悪くない。 前日の扉の前に立つ。 お姉ちゃんと同じように中指と人差し指を突き出して、回してみる。 反応がない。 その後も何度かやってみたけれど、その扉の姿は消えることはなかった。 扉は静かにそこに佇む。 私は怖くなって、扉の側から走って離れた。 放っておいたら、どうなってしまうんだろう。 お姉ちゃんが死んじゃった。 帰り道、横断歩道で信号無視の車に轢かれて。 お姉ちゃんの側にはコージーコーナーのプリン。 私が好きなプリン。 潰れてぐしゃぐしゃになった箱の中からタイヤ痕のついたメッセージカード。 ごめんね。 ただ、それだけ。 私は泣いた。 お姉ちゃんお姉ちゃんって。 葬式中も。 火葬中も。 ずっと泣き続けた。 大好きなお姉ちゃん。 私の為に鍵を閉め続けてくれたお姉ちゃん。 何で死んじゃったの。 ふらふらとしながら登校する。 皆が心配してくれるけど、私は愛想笑いしか返せない。 風の噂で聞いた。 彼氏も相当落ち込んでいるらしい。 風の音が聞こえた気がした。 ふと廊下の先を見ると、鍵を閉めなかった扉が開いていた。 ギィギィと音を鳴らして、風で揺れている。 肌が粟立った。 あれは、開けたままではいけない。 脳内で警鐘が鳴り響く。 あそこには、何かがいる。 扉から黒い何かが這いずり出た。 目だけが、光っている。 確かに言える。 あれはこの世界のものではないって。 黒い何かは、真っ直ぐこちらを見る。 恐ろしくなって、腰が抜ける。 中指と人差し指を突き出して、鍵を掛けるように回す。 黒い何かは変わらずそこにある。 扉も同様に。 私は何度も何度もその場で鍵を回す。 しかし、状況は変わらない。 様子を見ていた黒い何かが突然四足歩行で廊下を走り出した。 こちらに向かってきている。 私は怖くなって構わず大声で言う。 「閉まれ……閉まれ閉まれ閉まれっ!!」 扉は無情にも揺れるだけ。 黒い何かは自分のすぐ側にまで迫っていた。 死にたくない。 「お願い閉まって、お姉ちゃん!!」 ガッ、と鈍い音が響いた。 目の前の黒い何かが誰かに蹴り飛ばされていた。 男子生徒の制服。 黒い何かは廊下を転がる。 それを飛び越えて、男子生徒が扉の前に立った。 手には小さな鍵。 「ここじゃないよ」 ガチャリと、鍵が閉まる音。 その瞬間廊下にいたはずの黒い何かは姿を消し、扉も見えなくなった。 静寂。 遠くで生徒たちの声が聞こえる。 恐らく日常だ。 「大丈夫か?」 いつの間にか男子生徒が私に手を差し出していた。 自分とは違うクラスで見たことがあるような気がした。 恐る恐る手を掴むと、そのまま引き起こしてくれた。 「君、扉が見えるんだね」 私より少し背が低くて、長い前髪に右目が隠れた状態のまま、私に聞いてくる。 まだ少し状況を理解しきれていないけれど、私は彼に向かって確かに頷く。 「でも、貴方やお姉ちゃんみたいに鍵は閉められない」 私は目を伏せて、俯く。 どうして見えるだけで、鍵は閉められないんだろう。 放っておいたら、またさっきの黒い何かが出て来てしまうんだろうか。 そうやって考え込んでいたら、突然ぐいっと肩を押し上げられた。 びっくりして彼を見ると、強い眼差しで私を見たまま、口を開いた。 「俺の名前は宮川秋耶(みやがわしゅうや)。1年C組にいる。俺は扉や何かの気配を感じられるだけで、元々俺にも鍵を閉める力はない」 目をパチクリとさせていると、掌に先程の鍵が落とされた。 持ち手が輪っかになった古いの鉄の鍵。 おじいちゃんとおばあちゃん家の蔵とかで使われてるイメージの。 マジマジ見ていると、宮川くんがまた口を開いた。 「その鍵があれば、誰でも鍵を閉められる。あ、でもお姉さんがいるから必要ないか?」 宮川くんは、クラスも違うし、関わりがなかったから、どうやら知らないらしい。 目の前が少し暗くなった気がした。 「お姉ちゃん、この前交通事故で死んじゃったから、もういないんだ」 宮川くんはびっくりした様子で、数秒黙った後にごめん、と謝られた。 私はブンブンと首を横に振る。 「大丈夫だよ!違うクラスで知らなかっただろうし……」 沈黙。 私はその場から逃げ出したくなった。 でも動き出す直前で、宮川くんが口を開いた。 「名前とクラス、聞いといていい?」 私はハッとして、慌てて質問に答える。 「私は門前千雪(もんぜんちせつ)。1年A組だよ。さっきは助けてくれてありがとう」 深くお辞儀をする。 それからすぐまた肩を押し上げられた。 やっぱり男子だから少し力が強い。 「お礼もらいたくてやってる訳じゃないからそういうのはいい。それより、放課後空いてるか」 私は扉が見えるのもあって、帰宅部であり、特に予定はなかった。 お姉ちゃんも私が扉扉いう為、部活に入ることはなかった。 「空いてるよ」 「じゃあ帰りに一緒に寄ってほしい所がある。その間はその鍵持ってて良いから」 私は、一瞬戸惑ったけど、頷いた。 日常じゃない気配を、少し感じたから。 「何処行くの?」 「鍵屋」 へ?と変な声が飛び出す。 「学校裏の川沿いに鍵屋がある。そこが内緒であの扉の鍵を作ってるから、また改めて作ってもらう。それから、」 チャイムが鳴った。 「お姉さんが本当に交通事故だったのか気になる」
金色の貴方。【余談】③
花火が終わった頃。 僕たちの足元、山頂辺りで赤い光の粒がゆらゆらといくつも揺れている。 よくよく見るとそれは、赤い提灯を持った妖怪たちだった。 暫くして、その妖怪たちが行列になったまま空に向かって歩き出した。 「百鬼夜行だよ」 お兄さんが言う。 諦めたみたいなそんな声。 「ああやって無意味に彷徨って、彼岸に行けなくなっちゃった人たちの行列」 お兄さんの顔を見る。 少しだけ、悲しそうだった。 僕はお面の横から出ていたほっぺを両手で引っ張った。 お餅みたいにもちもちしてた。 お兄さんはぎょっ、と言う感じで僕を見た。 うふふ、と声が漏れる。 「その中から僕を助けてくれたんでしょ?ありがとう」 ふにふにと摘む。 お兄さんは暫くして、はぁーと長いため息を吐いて急にお面を外して僕の顔に押し付けた。 僕はびっくりして手をお兄さんのほっぺから離して、自分の顔にあるお面を触る。 お面の穴からお兄さんの綺麗な顔が見えた。 目の横に赤いお化粧みたいな物が描かれてた。 おでこにも目みたいな絵が赤で描かれてる。 不思議なお化粧。 何処かのお祭りで見たことがあるような。 「決めたのは自分だよ、颯太。それを忘れないでね」 ツン、とお面の上からおでこを押される。 僕はよく分からないけど、うん、と頷いた。 「あ、そうだお兄さん」 狐のお面を顔から外して、手で持ったままお兄さんに尋ねる。 百鬼夜行はいつの間にか黒龍の姿になって、何処かへと飛んでいった。 また何処かで歩いてはまた飛んでいくんだって。 教えてくれたお兄さんがゆっくり地面に下りながら僕を見る。 お顔がとても綺麗。 「お名前、教えてくれる?」 お兄さんの足が地面に着く。 お兄さんの服がいつの間にか浴衣から、神社で働いている人が着てる巫女さんみたいな服に変わっていた。 お兄さんは優しく笑って答えてくれた。 「小金(こがね)。それじゃあまたね、颯太。お迎えが来るよ」 僕はうん、と頷いてお兄さんから下ろしてもらった。 急にうんと眠くなった。 「またね。小金お兄ちゃん」
金色の貴方。【後編】②
僕の見上げる先にお父さんとお母さんの笑った写真。 写真の周りには沢山の白いお花。 その下に棺桶が二つ。 棺桶の前にお線香が刺さって煙が揺れてる。 振り返ると色んな人たちの視線。 可哀想だって思ってる目。 別に僕は可哀想じゃない。 棺桶の蓋から見える目を閉じたお父さんとお母さん。 ピクリとも動かないで、まるで人形のようになっちゃったお父さんとお母さん。 可哀想なのはお父さんとお母さん。 僕はお葬式の仕事をしているお姉さんに連れられて、棺桶の前から離れた。 リン、と鈴の音が聞こえた。 そして誰かが僕の目を手で隠した。 暗い。 祭囃子が消えた。 「帰ろう」 お兄さんの声が、耳元で聞こえた。 優しい声が、まるで僕のこと可哀想だって言ってるみたいに聞こえた。 お兄さんの手を力一杯掴んだ。 爪の跡が残っちゃいそうなほどぎゅーっとした。 「嫌だ。お父さんとお母さんと、一緒にいたい」 無理矢理お兄さんの手を退ける。 もう目の前には、お面の人たちはいなかった。 鬼や河童、一つ目小僧、からかさ小僧、ろくろ首など、妖怪たちが境内に集まっていた。 僕は怖くなくて、そっちに行こうとして、ぎゅうっとまた手を握られた。 「行ったらだめだ」 僕はその手を振り払おうと手をブンブン振るけど、中々取れない。 何だか手を縄で結ばれてるみたいに全然動けない。 「“あれら”になったら、君はもう二度とお父さんとお母さんに会えない」 僕は思わずお兄さんを見た。 狐のお面の、目元の穴から、金色だけど優しい色の、お兄さんの目が見えた。 僕は動くのをやめた。 お兄さんは、僕と同じ高さに屈んだ。 僕の口が勝手に動いた。 「お父さんとお母さんに会いたい」 鼻が痛くなる。 目も熱くなってきた。 「花火を見に行こうとして、車に乗ってたら。トラックが突っ込んで来て。それで、お父さんとお母さんだけいなくなっちゃった」 涙で目の前がゆらゆら揺れる。 声が上手く出せなくなって、喋りにくくなってくる。 「なんで、僕だけ残ったの?僕もお父さんとお母さんと一緒に行きたかったのに」 顔が熱くなって、涙も僕のほっぺを流れる。 片手で目元をごしごし擦っても、涙が止まらない。 「僕はお父さんとお母さんにもう会えないの?」 お兄さんをじっと見つめる。 辺りはしん、と音が聞こえない。 僕とお兄さんしかいないみたい。 「会えるよ」 お兄さんが優しく僕の手を握ってくれる。 お兄さんの手が、とても温かい。 陽の光を触ってる時みたいにポカポカしてる。 「でも今じゃない」 お兄さんが僕を抱っこした。 狐のお面が近くなった。 このお面、木で出来てるみたい。 この前テレビでやってた“のう”のお面みたい。 「俺と約束してほしい」 お兄さんが小指を僕の前に出す。 ピン、と白くて細長くて、何だかロウソクみたい。 僕はお兄さんの方を見る。 「命尽きるまで、精一杯生きるって。俺と約束して。辛いこともあるかもしれない。でも絶対に、楽しいことの方がずっと多いから」 お兄さんの周りだけ、何だか明るい。 光に包まれてるみたい。 「どうしても辛い時は?」 もう涙は出なくなってた。 「俺に会いに来ればいい」 僕の頭にお兄さんの手が乗る。 わしわしと撫でてくれて、お父さんとお母さんを思い出した。 「俺が話を聞いてあげるし、なんなら何とかしてあげる。出来る範囲で、だけど」 最後は困ったように声が小さくなった。 あははって、声が出た。 今はもう、悲しくなくなった。 「じゃあ、僕もお兄さんに約束してほしいことがあるんだ」 「約束してほしいこと?」 お兄さんは僕を抱き直して、話を聞こうとしてくれる。 僕を誰が預かるかで揉めてた親戚の人たちとは大違い。 僕はまたふふっと笑ってあのね、とこしょこしょ話をするみたいに顔を近づける。 「僕と友達になって」 お兄さんが驚いたように僕を見る。 にひひって、思わず口元を両手で隠す。 「お兄さんと友達になりたいな」 お兄さんはちょっと間を空けて、ハハハッて声を上げた。 すごく面白そう。 「いいよ、約束する!君と俺は今日から友達だ!だから君も、俺と約束してくれ。生きる、って。そしたらお父さんにもお母さんにもまた会えるから」 僕は力強く頷いた。 そしてお兄さんと指切りする。 そしたら突然、お兄さんが夜空に飛び上がった。 フワッと浮かんで、空を飛んでいた。 僕がびっくりしていると、お兄さんが夜空を指差した。 僕がそっちを見た瞬間、光が広がった。 赤、青、黄、兎に角色んな色の光が花みたいに咲いた。 花火だった。 僕は口を開けたまま花火に釘付けになってた。 お兄さんが横で笑って言う。 「友達になったしるしに、特等席の贈り物」 僕は嬉しくて嬉しくて、花火を見たままお兄さんにぎゅうっと抱きついた。 花火はまだ咲き続けてる。 「素敵なプレゼントありがとう、お兄さん!」 「おい、あれ」 「なんだあれ、火か?」 「人魂……鬼火……狐火!?」 「おいおいいつの時代の話だ。どうせお祭りに乗じて花火やってる若者たちだろ。全く世話の焼ける」 「兎に角行ってみよう」 「……あ、人が、人が倒れてる!男の子、怪我は!ないな……寝てるのか。あれ、この子……捜索願いが出てた子じゃないか?」 「何?……もしかすると、颯太(そうた)くんじゃないか?」 「本部へ通達、本部へ通達。稲村山麓の茂みで行方不明の柏原颯太(かしはらそうた)くんらしき子どもを発見。呼吸あり。外傷なし。どうぞ」 「どうやってこんな所に……ってうわ!?なんだ!?」 「どうした!?不審人物か!?」 「何か飛び出して、……狐?」 「おいおいしっかりしろよ、警察官」 「す、すみません……」
金色の貴方。【前編】①
花火を見に行こうと思った。 よく見たいと思って、高台を探してた。 ガサガサと背の高い草をかき分けて歩いていたら、突然目の前が開けた。 祭囃子の中、浴衣を着た大勢の人が階段を上がりながら行列を作ってた。 階段の左右には赤い提灯が揺れていて、おとぎ話みたいな景色だった。 階段の上を見ると、赤い鳥居の奥にお社みたいな建物があった。 皆そこへ行こうとしているみたい。 不思議で見つめていると、狐のお面をした背の高いお兄さんが行列の中から手でこっちにおいでと僕を呼んだ。 金色の髪と黄緑っぽい色の浴衣がとてもよく似合ってた。 僕は人の間を通って、お兄さんの横まで移動した。 思っていたより身長が高い。 180cm以上ありそうで、肌は白くて体が細めだった。 「やぁ、君も上へ用事?」 優しくて、とても聞きとりやすい声。 僕はこくりと頷く。 「花火を、よく見たくて」 「花火か、そりゃあいい!」 お兄さんは楽しそうに笑った。 列が階段を一段上がる度に波打って、何だか波のプールみたいだった。 僕も行列が動くのに合わせて、階段を一段上がる。 石の階段は思ったより凸凹している。 古い神社なのかなと思っていると、急に手を握られた。 お兄さんの方を見ると、僕の手を取って見せて来た。 「ここの階段は昔に造った時のまんまだから、余所見すると危ないぞ」 心配してくれたみたい。 お兄さんの手を離さないようにぎゅっと握った。 身長も高いからか、手も僕なんかよりずっと大きくて、僕の手はすっぽり隠れてた。 混んでいるからすぐに上に着くことはないけれど、ちょっとずつ進んでいく。 足を上げる度に、お兄さんが手助けしてくれる。 おかげでふわふわ飛んでるみたいに階段を上れる。 「お父さんと歩いてるみたい」 お兄さんににこーって笑いかける。 お父さんはよく僕がジャンプした瞬間に片手で引っ張って持ち上げてくれる。 それが僕は好き。 「そっか」 狐のお面が下を向いた。 「その靴、かっこいいね」 そう言われて、僕は自分の靴を見る。 戦隊ヒーローの靴。 マジックテープをバリバリするのが好き。 僕はお兄さんに向かってまたにこーっとする。 「ありがとう、お母さんが買ってくれたの」 誕生日に買ってくれた靴。 僕の一番のお気に入り。 「そっか」 そう言って今度は前を向いた。 いつの間にか、赤い提灯がなくなって、代わりに赤い鳥居が並んでた。 明かりがないのに、赤い鳥居が光ってるみたいで、全然暗くない。 ふと、お兄さんとは反対の人を見ると、その人も浴衣を着て、ひょっとこのお面をしていた。 あれ、と思って前の人をよくよく見ると、天狗だったり兎だったり狸だったり、皆が皆お面をしていた。 後ろを振り返ろうとして、お兄さんに手を強く引かれた。 「振り返ったら危ないよ」 こっちを見ないで言うからちょっと怖かったけど、うん、と言ってお兄さんの言う通りに振り返らなかった。 祭囃子の音だけで、行列の中の人たちは誰も喋らない。 前に家族で行ったお祭りは、祭囃子と一緒に色んな人の話し声でガヤガヤしていたと思ったけど。 よく、分からないや。 やっと階段を上り終えて境内に入る。 皆お社に向かって賽銭をして、お参りしている。 僕もやった方がいいのかと思ったのだけど、お兄さんが突然行列から外れた。 え、と思ったけれど、お兄さんに手を引かれて僕もそのまま抜ける。 ザクザクと砂利を踏みながらお社から離れる。 祭囃子が少し遠くに聞こえる気がする。 お兄さんが全然こっちを向かない。 僕の手を引いたまま境内をうろうろと歩き回る。 お兄さんはどうしたんだろう。 「お兄さんどうしたの?何か探してるの?」 ピタリとお兄さんの足が止まった。 境内にびゅうっと強い風が吹き抜けた。 夏なのに一瞬だけ寒く感じた。 「いやなに、花火がよく見える所はないかなと思ってね」 お兄さんはもうあんまり笑ってる感じがしない。 僕はお兄さんの手を離して、ちょっとだけ離れた。 急に祭囃子が大きくなった。 びっくりして振り返った。 色んなお面の人たちが、僕を見ていた。 皆が皆、僕のことを。
何でもない日。9
「メリクリ!」 「いや気が早い」 くるみが勢いよく私の部屋の扉をぶち破って入って来たかと思えば、頭にサンタ帽を乗っけており、身体中にカラフルな電飾を巻き付けていた。 浮かれとる。 持っているスマホからシャンシャンシャン音が鳴る。 言ってもまだ11月なんだよなぁ。 「いちかはトナカイね!」 そう言うと、何処からかトナカイのカチューシャを取り出し、私の頭へトライした。 一緒に真っ赤なお鼻も付けられた。 「いや角に角な上に赤鼻って、情報過多」 「角取ればいいじゃん」 気軽に一本角をへし折られた。 何してくれとんじゃい。 「ほら、取ったらただのトナカイ」 「言い方」 くるみは一本角を掴んだまま私の部屋の中を電飾ぺかぺかのまま踊り回る。 ホッホッホーッとサンタの声真似をしながらぐるぐるぐるぐる。 言っとくけどここは私の部屋だ。 「おいサンタ」 「はい!サンタです!!」 ウィンクから星が飛ぶ幻覚を見つつ、自分の表情筋が動かないまま浮かれサンタに手を差し出した。 サンタははにゃ?という感じで首を傾げる。 「プレゼントフォーミー」 「ワタシエイゴワカリマセェン」 「流れるように嘘つくな英検2級」 「まだクリスマス当日じゃないし!」 そう言って部屋から逃げ出したので、寄越せ寄越せと追いかける。 一階へ下りる階段で見事に電飾のコードに足を取られてあわてんぼうのサンタクロース(くるみ)が転げ落ちた。 急な階段ではない為、子どもの頃に足を滑らした時も大したことにはならなかった。 ただし、痛いもんは痛い。 階段下でくるみが痛い痛いと転げ回っている。 自業自得、と思いつつ手当はしようと階段を下りる。 と、くるみから剥がれ落ちたサンタ帽を盛大に踏み、同様に階段を滑り落ち、サンタくるみの上に落下した。 「重っ、痛いっ!」 「おまっ、今重いっつったな!?」 一番ナイーブなとこを!! そこへうちのお母さんが帰ってきた。 現状を確認し、お母さんの動きが止まる。 「あわてんぼうのサンタクロース…クリスマス前にやって来たのね…」 さらに空気が凍った。
首無し行列は彷徨う。【後日談】③
「あ〜マジ最近自殺する人多過ぎ。雑務を増やすな雑務を!」 「どうどう落ち着いて碧依。仕方ないでしょ。今の時代誰にも相談出来ないし、誰も助けてくれないんだからそりゃあぽんぽん死ぬわよ」 「不謹慎」 「雑務雑務言ってたのは何処のどいつよ」 「あ〜聞こえない〜」 「全く。それよりもさ、あんたまた男振ったでしょ」 「振ってねーわ。仕方ないだろ、悪い縁は絶っておかないとあいつら引き摺り込みやがる。これ以上の対処法があんのかよ」 「簡単よ。あんたが付きっきりで助けてやんのよ。そうすれば振らずに済んで、ラブラブでゴールイン!どう、どう!?」 「仕事どうすんだよ」 「それくらい私が何とかしてあげるわよ!」 「現実的じゃない」 「あんたロマンなさ過ぎぃ」 「この仕事にロマンもクソもない」 「とりあえずあんたは口の悪さどうにかしなさい」 「うるせ〜〜〜」 「……はー本当何で男は皆碧依に惚れるんだか」 「お兄ちゃん」 病室で退院の準備をしている時に、声を掛けられた。 パッと振り返ると、茶髪のツインテールの女の子がカーテン越しに立っていた。 緑色の瞳が宝石のように潤んでいる。 ピンク色のパジャマを着ている所を見るに、小児科関係で入院している子どもだろうか。 俺と視線が合った途端にトタトタとすぐ側にやって来た。 俺が視線を合わせようとしゃがむ前に、女の子がぐっと掌を握った状態で両手を持ち上げた。 「これあげる」 パッと両手が開かれ、掌で青色の二つのビー玉がきらりと輝いた。 俺は無意識にそのビー玉を摘み上げ、自身の掌に乗せていた。 太陽の光を浴びているのに、まるで中に夜を詰め込んだみたいに深い青に、俺は目が離せなくなった。 目に焼き付いたような、何だか鮮烈な青だった。 「このビー玉、」 女の子を見るつもりが、そこに居た筈の女の子は既におらず、視線を動かすとカーテンの外へ消えていく茶髪のツインテールが一瞬だけ見えた。 ガラガラと扉が開いた音の後、ピシャンと扉が閉まった。 呆然とした後、もう一度だけ、青いビー玉を窓から差し込む太陽光に翳す。 飲み込まれそうなほど深い青。 何故か一生大切にしようと思い、俺はその青いビー玉二つを、ポケットに仕舞い込んだ。 「あたしってば気の利く女〜♪」 「おいコラ仕事サボって何処行ってたんだよ」 「ちょっと野暮用で♪ところで、本当にもう彼には未練なし?これっぽっちも?」 「未練なんて露程もないけど。そもそも死神と縁なんて結んだら碌な死に方しない」 「そんなことないでしょ!じゃあもし天寿全うした彼が碧依ちゃんのこと思い出したら?そしたら!?」 「その時はその時だろ。ほらいいから溜まった分の仕事片付けろ!」 「えぇっ!?やってくれなかったの!?茜(あかね)ちゃんめっちゃ頑張ったのに!?」 「てめ、やっぱり何かしてきやがったな?やんなくて正解だったわ!」 「人でなし〜!!」 「どうとでも言え。つか私は死神だ」
首無し行列は彷徨う。【後編】②
「あっ!!目、目開けた!!先生ーーーっ!!」 誰かが目の前から消えていった。 横を見ると心電図が一定間隔で音を立てている。 頭上には知らない天井。 両隣がカーテンで仕切られており、正面以外はどうなっているか分からないが、どうやら病院らしい。 先程消えたのは同級生の慎吾(しんご)だったらしく、医者や看護師、両親を引き連れて戻って来た。 両親がえらく泣いていて、俺に抱きつく程だった。 話を聞くと、頭を打って三日程目を覚さなかったらしい。 何でそうなったのか聞いてみると、人身事故に巻き込まれたのだと言う。 あまり記憶ははっきりしないが、その場ではそう納得した。 色々な手続きがあると言って、医者と両親が病室を出て行った。 慎吾は残ったのだが、何だか浮かない表情をしている。 その様子を見て首を傾げると、慎吾は重そうに口を開いた。 「実は……」 俺はどうやらホームに飛び降りようとした人を助けようとして、巻き込まれたらしい。 起き上がってすぐ話すことじゃないけど、と前置きされてからさらに続ける。 助けようとした人は助からず、電車に撥ねられた反動で頭がもげたらしい。 それで、その頭が勢いよく俺の顔に当たり、その勢いのままホームに頭を打ち付けたのだと。 俺は肩に触れた冷たい手を思い出した。 あれはもしかすると、ホームで自殺した人で、道連れにしようとしていたのかもしれないと。 直感でそう悟った。 その後は警察が来て、事情聴取を受けたが、あまりホームでの出来事を思い出すことが出来ず、そこまで拘束されることはなかった。 代わりに側から状況を見ていた慎吾が拘束されてしまったのだが。 その夜のこと。 深夜にパチリと目が開いた。 目の前には首無しが立っていた。 反射でナースコールを押そうとするが、体が金縛りで動かない。 首無しがじぃっと俺を見ているようで息が詰まる。 突如首無しの手が俺の目の前に迫った。 動けない。 どうしたら。 『お前の首、頂戴』 脳内に低い声が響いた。 掌が俺の頭を掴む。 嫌だ嫌だ嫌だ、俺は。 生きたいんだ。 ザシュッと音がして、掌が消える。 視界が開けると、首無しの片腕が吹っ飛んでいた。 ボトリと腕が落ちた後、首無しの絶叫が響く。 この世のものとは思えない不協和音。 俺は思わず耳を塞いだ。 あ、動ける。 「しつこいんだよお前、私の仕事増やすな」 首無しが、真っ二つに斬られた。 大鎌が月明かりに反射して鈍く光る。 大鎌を辿っていけば、見覚えのある青い目と、黒いパンツスーツの女性。 目を見開いている間に、首無しは形を保てなくなり、はらはらと姿を散らした。 大鎌が女性の肩に乗る。 女性はやれやれと言った風に俺の横に近付く。 「あ、あの」 また助けられた。 深くお辞儀をしようとした所で、首後ろに大鎌の刃を突き付けられた。 今度こそ息が止まった。 「やっぱり彼方の記憶があるのはまずい。あいつらは繋がりを辿って何度でもお前の体を乗っ取ろうとして来る。悪いけど、記憶。消させてもらう」 淡々と青目の女性が言う。 でも、と口を開きかけて、大鎌の刃がさらに近付く。 冷たい感触が、触れていないのに肌に伝わる。 「でもじゃねぇ。お前は生きたいと願った。なら、覚えてたらダメなんだよ。忘れるんだよ、生きる為に」 女性の表情は変わらない。 俺は、俺に向けられる青い目を見つめたまま。 やっぱり口を開いた。 「でも貴女のこと、忘れたくない」 嘘のない言葉。 本心。 暫くすると、女性は青い目を逸らしてガリガリと頭を掻いた。 「死神のことなんて忘れた方が良いに決まってる」 女性は大鎌の柄を持ち直した。 記憶を消すという選択は変わらないらしい。 じゃあ、と女性を真っ直ぐ見たまま言う。 「名前だけでも教えてください」 女性の青い目が此方を向き、「は?」と聞こえそうな程口が大きく広がった。 眉間の皺が深くなっている。 「今から何もかんも忘れるのに、私の名前なんか知ってどうすんの?」 首が傾げられて、一緒に眼鏡も傾いた。 黒縁眼鏡がズレてより青々とした瞳が俺を見つめ返す。 真夜中みたいな青い目。 俺は迷わず告げる。 「それを知れたら、もう思い残すことはないから」 それを聞いた女性は、心底面倒臭そうにため息を吐き出すと、大鎌を持ったままニヤリと笑い、八重歯を見せた。 「碧依(あおい)。そんじゃな、遥生(はるき)くん」 女性の青い目が瞬くように煌めいた瞬間、俺は後ろから首を刈り取られた。 痛みはない。 頭が落ちる様子もない。 ただ、大鎌だけが首を通過した。 ギュルギュルと記憶が廻る。 忘れたくない。 だけど。 止める術なんて、残念ながら持ち合わせてない。 意識が無くなる直前、碧依さんの青い瞳だけが、俺の目に焼き付いた。 眩しい。 カーテンは開かれ、朝日が燦々と俺に降り注がれていた。 何だか夜中に目が覚めたような気がしたが、その記憶がないのでもしかすると夢か、寝ぼけていたのかもしれない。 ぐーっと背中を伸ばす。 何だか首の辺りが軽い気がする。 随分ぐっすり眠っていたのかも。 「おはよう。調子はどう、遥生くん?」 カーテン後ろから看護師さんが現れ、優しくにっこりと微笑む。 俺ははい、と頷く。 「調子いいです、とても」 笑顔で、答えた。