夜傍 宵夢

20 件の小説
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夜傍 宵夢

夜は何時でもすぐ傍に ただの高校生

穢れた私の幸せ

あの時は全てが楽しかった。全てが夢に満ちていた。話しかけてくれる人がいて、話を聞いてくれる人がいて、意味ない事でもとても楽しく感じてた。夢なんじゃないかと思うくらい。でも次第に、みんな来なくなった…嫌われちゃったのかな、新しい友達できたのかな、また、来てくれるかな…もう、来ないのかなって徐々に居なくなって行った私のともだちは、どこに行ったのかな…そして誰も来なくなった。私と話すことが楽しくないらしい。本人たちが言ってた。心から嬉しかったんだ、ネットで友だち出来て話を聞いてくれたり、一緒に話して笑ったりして今までの日常と全く別の日常が過ごせていたことに毎日幸せだったのに、みんなに嫌われたもう私にはいる意味が無いと思った、、今更何言われようがもう遅いよ

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私は1人

…今日も私は1人で夜を過ごす。変わらない日常、変わらない風景、それだけが私を包み込んでくれる、なんの刺激もない、なんの面白みもない、ただ空虚な生活だけが私を包み込んでくれる。刺激が欲しいわけじゃない、ただ私は、変わりたかった。みんなか言う幸せを見てみたかった。1人か嫌という訳でもない、だけど、独りは嫌なんだ、独りが怖くて怖くて、逃げたくても、独りだから逃げる場所も人も居ない、だから私は、何をしても独りのまま、だんだんと、その毒が身体中に回って怖くなくなった。孤独に侵された私は、何も欲せず、何も感じず、ただ息をして、泣くことしか出来なかった声を潜めて、涙を隠して、幸せを探しながら、、 1人になんて、なりたくないのに。 ただ生きていれば、それでいい、それでいいからどうなんだ、?このままでいいのかな、 分からない、、

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哲学って楽しいね

古代ギリシアのを代表とするアテネの哲学者ソクラテスを知っていますか?彼は哲学の父と呼ばれ有名なものでは「無知の知」というものがあります。これは私たち人間は無知であることを知らなければならないということです。知らないことを知らないと何が知らないのか分からないだから何を問えばいいのか分からない、よって根本的な解決には至らない、根本的な解決をするために自分は無知であることを知る。と私は受け止めることが出来ました。そしてもうひとつ彼の残した言葉にはこのようなものもあります。それは人間の徳、アレテーです、アレテーとはその生き物の魂(プシュケー)の本来の働きをよく発揮する卓越性を意味するものであり馬であれば「よく走る」などといったものがあります。そんな中で人間のアレテーとは一体何なのでしょうか?彼は、魂をできるだけよいものにする事。所謂、魂への配慮です。本人が幸福感を味わうのではなく本人の内にある魂が幸福感を味わうという受け止め方が出来ました。また善の行いをするにしてもそれはアレテーとなります。 ここで善と悪について私なりの考えを述べさせてもらいます。一言でまとめますと、善と悪とは紙一重であると誰かに対して善出会った行動が他の誰かに対しては、悪であることは絶対あるからです。善は悪を成り立たせるためのものであり、悪は善を成り立たせるためにあるものであると言えると思います。しかし、悪と善がいかに紙一重と言えど、あくの領域内に踏み込んだものは決して善の領域内に戻ってくることは出来ないと思います。利己的な思想の元善の行動をしていたらどうなるでしょうか、やがて善から離れていき悪という至福の味を覚えてしまったら取り返しのつかないことになります。 最後に、拙い文章になりましたが私たち人間の本質は私達自信で見出すことはできません。それは私たちの内側のものだからです。だから他者との会話を大事にし、会話の中で内なる自分を知ることができると私はそう思います。最後までありがとうございました。

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さよならのかわりに最後のキスを

私たちは、独りだったずっとずっと独りだった。あなたと私は「愛されてない」という共通点でお互いを認識しあってお互いを愛していた、私もそれがいいと思った、だってその方が寂しくないし、ずっと泣いてるってことも無いし、一生隣に居て欲しい、いつしかそう思うようになってしまった。 彼の素性も知らず、私はただ寂しさを埋めたかった。彼が愛されなかった理由、それは体にできた傷と、治ることの無い病、私はそれでもあなたを愛したかった、彼は、私に「キスをすると病が移ってしまうかもしれない」そう言ってきた、そんなことどうでもよかった、彼を感じたい、温もりを、鼓動を、呼吸を、匂いを全て感じたかった。私は彼に「あなたは私と一緒、周りからはぶられ、貶され、叩かれてきた、だけど、私があなたを愛してみせる、最後の最後まで愛してみせる」と、約束した。次第に彼の症状は悪化の一途を辿って行った、彼の口から「もう少しで、さよならだね」さよならの一言が私を苦しくさせた。 私は彼の柔らかい乾いた唇にそっと私の唇を合わせ、「大好きだよ」と一言返した。彼は満足そうな顔で私を見て涙を流し息を引き取った。私は、私のした行動はこれで正解だったのだろうか、いや正解も不正解もない。彼の涙が証明してくれたのだから、、、、、

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さよならのかわりに最後のキスを

匿名

匿名の幸せの裏には、匿名の不幸があり 匿名の死の裏には、匿名の生がある。 匿名という曖昧な表現をすることにより個人を特定している訳では無いため様々な人間が当てはまることが出来るだろう、私はこの考え方を他者と自分との堺と呼んでいる、死と生はいつでもすぐそばにいてとてもと奥にある存在だということを自覚してもらいたい。では、

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夜傍 宵夢の昔話

これを読んでくださってる皆様、こんにちは、あるいはこんばんは夜傍 宵夢です。今日は私の過去についてと、どうして夜が好きなのかをここに記して行きたいと思います。長くはなりますが最後までどうぞよろしくお願いいたします。 2006(平成18)年6月1日の夜11時頃に生まれた私は、母親の羊水を飲んでしまい、生死の縁を歩んでいました。 それを見て、母は、酷く悲しみ、私に会いたくないと言うほど病んでしまったのです。それからお医者様の適切な処理により事なきを得た私は、様々な方に愛されていました。何事もなく私が小学一年生の時、私に弟ができたのです。 今となっては弟は大好きですが当時は顔も合わせたくないほど嫌いでした。 下手したら弟を殺していたかもしれません、それくらい嫌いでした。親を取られたという嫉妬故の行動、言動それを繰り返してしまい小学校にいる時でも、みんなを追いかけ回したり叩いたりしていました、それを知らされた母は泣いていました。後悔しかありませんでした。全部俺のせいだ、俺がお母さんを泣かしたんだと、私は自殺しようとしました。ですが止められ、みんなが泣いてしまいました、家族を泣かせて、すごい迷惑かけて、私も泣きたかったです、でも泣けなかった、全然涙か出てこなかったんです。それからはクラスメートに嫌われ孤立した日々が続きました。このとき私は当たり前だよな、と思いつつ本を読んだり寝たりしていました。それでも、優しく接してくれる人達が居て、私を助けてくれました。その人たちのおかげでその人たちの優しさで、その人たちの言葉で、救われた、そんな気がしました。感謝を伝えきれないほど、優しくしてくれた先生、先輩同級生たちは、私の話を最初から最後まで聞いてくれました。 嬉しかったです。 私もこうゆう人達になりたい、そう思ったきっかけでした。 小学三年生になった頃、私には、親友と呼べる友達が出来ました。 小4、5の前期までずっと楽しくて仕方なかったです。 ですが小5の後期から彼は不登校になりました。 悲しかった、寂しかった、助けたいと思いました。 それから私は彼の家に行ったりして彼はまた学校に通うようになりました。 小6になり彼はまた不登校になりました。 卒業式くらい一緒にいたかった私は、彼の家に父親と赴き説得し、遅刻という形になりましたが、卒業式に参加することが出来ました。 中学に上がり、私は彼と同じ部活に入り、共に切磋琢磨して行こうと決めた時でした。彼はまた不登校になり、今回は一筋縄では行かなくなり、私も手をつけられないくらい大変で、結局中学3年生の最後まで、彼は来ませんでした。 彼に言われた一言が未だに忘れられません、「友達じゃない」この言葉で私はずっと泣いていました。 助けたかった、助けられなかった、非力だと、ずっと頭の中で友達じゃないと流れていて、何が人を助けるだ、なんも助けられてないじゃん、俺って無駄なことしてきたのかな、そう私は思うようになりました。 現在高校2年生です。去年は女子いじめられ、殴られ蹴られ、バカにされ、 私にも非があるからやられているのだと思うようにしました。 私は逃げることさえ出来なくなってしまい、たまたま居合わせた先生により助けてもらいました。部活の先輩にも優しくしてもらって、こんな私でも誘ってくれました。 忘れることは出来なくても諦めることを覚えた私は、今もこうして有意義な高校生活を楽しんでいます。 明日は地区の総合文化祭があり、とても緊張しています。 最後までお付き合いありがとうございました。

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生きている

なんの刺激もない、ただ過ぎる日々に、私はうんざりしていた。今まで培ってきたものを全て壊すその快感が私を襲った。気持ちよかった、自分を信じてくれた人、期待してくれた人その人たちの信頼を無視した時のなんとも言えない快楽感、1回ぽっきりだったけど、楽しかった

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梅雨入りの花火

窓ガラスに、叩きつける雨、今日は花火大会があったけど、この雨のせいで無くなった。(だいたいこんな季節に花火大会しようだなんて、誰が考えるものですか、、)と私はため息混じりに愚痴をこぼしていた。内心とても楽しみにしていたのだろう、私は花火が好きだから。 でも、この梅雨入りしたばっかりの季節に花火大会だなんて、と、楽しみの反面、運営に対する呆れもあった。 こんな日は何をするか少し迷った私は、ちょうどいいところにあった、小説を手に取った。その小説の内容は、とある女の子が楽しみにしていたお祭りが台風が直撃し、中止になり女の子は酷く悲しんだ話、なのだが私にはなぜこの女の子が悲しむのかが分からなかった。どこにでもあるような平凡なお祭り、その子は毎年必ずお祭りに参加しては終わり際悲しい顔をする。確かに私も楽しいことが終わりに差し掛かった時は、まだ、終わって欲しくないなとか思うけど、そこまでこの女の子のように悲しんだりはしなかった。私は“花火”という言葉に釣られるように文を読んでいた。この女の子も花火が好きなのだろう、私はそう思っていた。だけど、私の好きと彼女の好きが全く別のものに見えてきた。私が花火を好きなのは音とか形とかそういうのが好き、でも彼女の好きは花火の形とか音とかじゃなくて花火の全てを愛してるかのような、そのようにも捉えれた。まるで自分が仕上げたものを見据えるような、祭りの終わりは花火の打ち上げ、、、だから彼女は悲しい顔をしていたのかもしれない、一つ一つ打ち上がっていく花火たちが彼女にとっては愛しているけど、見るのは心苦しい物になってしまっている。と、だから彼女は台風の直撃でお祭りが中止になったと報告を受けた時、泣いてしまったんだと私は思う。私も心から愛せる物を見つけ出しこの彼女みたいに愛を注ぎ込むことが出来たら、 そう私は思った。

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楽にさせて

どうしても、1人の夜が嫌だった、誰かと一緒に寝たい、毎晩毎晩寂しくて、苦しくて、寝られない日々が続いた。一緒と言っても添い寝とかじゃない、ただ電話でもいい近くにいられる存在が僕には欲しかった。狭くて暗い部屋で独り、カーテンもなく窓からは星が見える夜は、さらに苦しくなってしまう、どこにも打ち明けることの出来ない寂しさ、誰に打ち明ければいいのか分からないこの気持ち、僕はもううんざりなんだ、かと言って一緒に寝る相手も居ない、たった1人の僕は、また、寝れない夜を過ごすだけ日に日に削がれる生きてる感覚、ただ息をしてるだけの中身は空っぽの人形みたいな感じ、これを直したい、今は何に対してもやる気が出てこない。僕は好きなことすらも手放してしまいそうで怖いんだ、自分が悪いことをした訳でもなく、いいことをした訳でもない、でも、何故か寂しいんだ、どうして僕なの、どうして眠れないの、お薬も飲んでるのに眠れない、もう、いい加減眠らさせてよ、例え眠ったとて1時間後には起きる、もういい加減楽にさせてくれ

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楽にさせて

魂(こころ)

人の最期は美しい、声も出せず体も動かせず、ただ涙を流す姿に僕は美しいと思ってしまった、教えてくれたこと、全てが込み上げて僕は前が滲んで見えなくなっていた、貴方の魂から出る綺麗な涙が僕を苦しめるただごめんとしか言えなかった、もっと近くに居てあげたかった、もっと、話したかった、もっと君の笑顔を見ていたかった、こんなに僕と仲良くしてくれたのは世界でただ1人君だけなんだ、1人だけの君がいなくなってしまったら、僕は独りだけになってしまう。 君は最期、僕に向かって最後の笑顔を見せてくれた、柔らかかった、君は震えた声で、“泣いてくれてありがとう”とだけ言って去っていった 《僕はその時人の美しさを知った》

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魂(こころ)