梅雨入りの花火

窓ガラスに、叩きつける雨、今日は花火大会があったけど、この雨のせいで無くなった。(だいたいこんな季節に花火大会しようだなんて、誰が考えるものですか、、)と私はため息混じりに愚痴をこぼしていた。内心とても楽しみにしていたのだろう、私は花火が好きだから。 でも、この梅雨入りしたばっかりの季節に花火大会だなんて、と、楽しみの反面、運営に対する呆れもあった。 こんな日は何をするか少し迷った私は、ちょうどいいところにあった、小説を手に取った。その小説の内容は、とある女の子が楽しみにしていたお祭りが台風が直撃し、中止になり女の子は酷く悲しんだ話、なのだが私にはなぜこの女の子が悲しむのかが分からなかった。どこにでもあるような平凡なお祭り、その子は毎年必ずお祭りに参加しては終わり際悲しい顔をする。確かに私も楽しいことが終わりに差し掛かった時は、まだ、終わって欲しくないなとか思うけど、そこまでこの女の子のように悲しんだりはしなかった。私は“花火”という言葉に釣られるように文を読んでいた。この女の子も花火が好きなのだろう、私はそう思っていた。だけど、私の好きと彼女の好きが全く別のものに見えてきた。私が花火を好きなのは音とか形とかそういうのが好き、でも彼女の好きは花火の形とか音とかじゃなくて花火の全てを愛してるかのような、そのようにも捉えれた。まるで自分が仕上げたものを見据えるような、祭りの終わりは花火の打ち上げ、、、だから彼女は悲しい顔をしていたのかもしれない、一つ一つ打ち上がっていく花火たちが彼女にとっては愛しているけど、見るのは心苦しい物になってしまっている。と、だから彼女は台風の直撃でお祭りが中止になったと報告を受けた時、泣いてしまったんだと私は思う。私も心から愛せる物を見つけ出しこの彼女みたいに愛を注ぎ込むことが出来たら、 そう私は思った。
夜傍 宵夢
夜傍 宵夢
夜は何時でもすぐ傍に ただの高校生