一ノ瀬奏
13 件の小説一ノ瀬奏
いちのせ かなで(Ichinose Kanade)と申します。 創作の源泉は教室に響く乾いたチョークの音とどこか遠くから聞こえる先生の声。 そんな贅沢なBGMを拵えて、本来「有意義」と言われるべきだった時間に「無意味」をつらりと重ねること、それが私にとって何よりの至福でございます。 私の奏でる不協和音が退屈極まりない日常に、「ふっ」と鼻を鳴らして笑ってしまう、どこか間の抜けていて、でも確かにそこにある「ズレ」をお届けできれば幸いです。 もっとも、私の旋律が顔も名前も知らない貴方のお耳に馴染むかどうかは保証致しかねますが。
桜色の嘘
エイプリールフールに告白するのが夢だった。 なんだか、ロマンチックな気がするから。 理由は単純なものだけど、ずっとずっと大事に抱えてきたんだ。 この切り札は、絶対に初恋の君に使うって。 仕返しなんだから。 公園のベンチに腰掛けて舞い散る桜と、そよ風に身を任せる。 僕の初恋は、高校生の頃。 新学期のそわそわした教室で、前の席に座ったのが彼女だった。 椅子に貼られたネームプレートには、四月一日 薫、と書かれていて、友達に奢らせたサイダーを吹き出しそうになったのを覚えてる。 しがつついたち?それが苗字なんて、何かの間違いだと思った。 「よろしくね」 ネームプレートを凝視していた僕にふわっとした笑顔が降り注ぐ。 「あ、え、あ」 名前を呼びたかったけど、なんて読むかわからない。 多分僕、今すごい間抜けだ。 「どうしたの?」 口をぽかん、と開けてなにも言えない僕に、彼女は困り眉。 「エイプリールフール、、」 絞り出してようやく出てきたのは突拍子のない単語だけ。 「わたぬき、っていうの!四月一日って書いて」 すごく、可愛らしい響きだと思った。 「あ、そうなんだ、よろしくね、わたぬき、さん!」 言い慣れない苗字に変なむず痒さが走る。 「よろしくね!かなたくん!」 その後、僕たちは少しずつ距離を縮めた。 テスト前には通話で勉強したり、テストが終わればスタバで乾杯したり。 2人で帰ることもよくあった。 クラスでは噂が絶えなくて、その雰囲気に僕は満更でもなかった。 彼女は全く気にしてないみたいでいつも隣にいた。 春休みのある日、携帯に通知が入る。 いつもは突然電話がかかってくることが多いから、テキストだと胸が忙しい。 もしかして、、なんて、ありえないんだけど。 「ねぇ、今日午前中に会える?」 なんだろう、そういえば昨日、スタバの新作が出てたっけ。 桜か何かの味だった気がする。 「うん、会えるよ」 すぐに返信して、春っぽい服を引っ張り出した。 袖を通しながら、携帯の画面を気にした。 「じゃあ、いつもの公園ね」 それと一緒に送られてきたうさぎのスタンプに思わず頬が緩む。 急いで家を飛び出した。 公園に着いたのは十一時半。 満開の桜の下でベンチに腰掛ける。 風が吹くたび、ピンク色の欠片が舞って綺麗だった。 この綺麗さを共有したくてたまらなくなって、写真を薫に送ろうとしたけど、上手く撮れなくて諦める。 着いたよ、とだけ送って、返信を待った。 しばらく返信は来なかった。薫も。 十一時五十九分。 ピコン 携帯が震える。 「ねぇ、今日、何日?」 何日、って、なんでそんなこと聞くの、そう打ちかけてハッとする。 四月一日、だ。エイプリールフール。 思考が追いつく前に通話の画面が表示される。 緑の方にスライドして、携帯を耳へ。 「もしかして、本気だと思った〜?ドッキリ大成功!!」 底抜けに明るい声が耳を通り抜ける。 「でもね、言いたいことがあってさ」 彼女の声が少しだけ揺れる。 「私、引っ越しちゃうんだー!」 声なんか震わせて、演技が上手だな。薫は。 「また、僕を騙すつもりでしょ!今日はエイプリールフールだよ?」 少しがっかりした気持ちを誤魔化すみたいに笑う。 「あはは、ごめんね」 薫はそれだけ言って通話を切ってしまった。 通話を終えた画面に表示されたのは十二時三分。 呆れたため息を吐き出して、家に踵を返した。 新学期、クラス表の前に立って、名前を探す。 自分よりも先に、薫の。 だって仕方ない。僕よりも、名前の順番が早いから。 僕の名前を見つけて、視線を止める。 薫とは違うクラスなのか。 自分の名前を見つけても、しばらくクラス表を目で追う。 薫、苗字がわかりやすいからすぐ見つかるはずなのにな。 なんで、見つからないんだろう。 「なぁ、奏多、なに探してんの?お前一組だよ」 近くにいた友達が僕を気にかけて教えてくれる。 「あ、いや、違う、薫の、」 僕の言葉を遮って、 「え、お前、知らねぇの?引っ越したよ」 そう言った友達の言葉に思わず唖然とする。 「え、でも、エイプリールフールに引っ越すって嘘、つかれたんだよ」 僕は教室へ無理やり連れて行かれた。 「薫の嘘つき」 自分の席で、呟いたんだ。 それから、あの嘘が、僕の呪いだった。 あの嘘のせいで、薫のころころした明るい声も、笑顔も、サラサラな髪も、いつまでも頭から離れてくれない。 あの嘘が恋なんかさせてくれなかった。 だから、僕は今日、精一杯の仕返しをする。 「久しぶり、突然どうしたの?奏多くん」 薫が春色のカーディガンを羽織って現れる。 舞い散る桜と、揺れるスカート。 僕は息を吸って、 「好きだよ。僕、薫のこと。ずっと忘れられなかった。」 薫は、目を見開いて、携帯の画面見せてくる。 「ねぇ、それ、ほんとでしょ?」 いたずらに笑いながら。 表示された時間は十二時ぴったり。 「はは、バレちゃったか、仕返し、失敗だね」 僕は赤く染まった君の手を優しく取って笑った。
金木犀さん
僕は金木犀の香りが好きだ。 秋を彷彿とさせるその香りは、僕の『初恋』だった。 小さい頃から、僕は身体が弱かった。 何度も入退院を繰り返し、学校も休みがちだった。 中学生の夏、体調を崩して入院することになった時のこと。 その頃は昔よりは身体も丈夫になってきていて、突然のことだったから酷く落ち込んだ。 また昔みたいに苦しくて孤独な生活をしなきゃいけなくなる気がして。 ベッドの上でため息をこぼす。 肩を落として、真っ白なシーツを見つめた。 見上げても、青空は見えない。そこにあるのはきつい消毒の匂いと、あとは無機質な天井だけ。 ため息をつくためだけに鼻から息を吸った。 ふわっと、優しい香りが鼻を撫でる。 甘いお花の香りの元は、隣のベッドみたいだ。 なんの香りか、俺にはわからなかった。 だけど、とても可愛らしい香り。 たぶん、ハンドクリームかなんかの。 なんだか一瞬だけ心が浮き上がって、胸がどぎまぎする。 思わず、ため息をついた。 それは、悲しみでも寂しさでもなくて、『陶酔』に近いものだった。 あの香りが金木犀の香りだって知ったのは、隣のベッドから人の温もりがなくなってすぐのこと。 金木犀が秋に咲くものだって知ったのは、その年の九月末。 あの夏の、隣のベッドの金木犀さん。 夏に咲くはずのない、幻の小さなオレンジ。 たぶん、運命だった。 金木犀みたいに小さくて、僕にはつかみ取れなかったけど。 それから、毎年秋になるとあの夏を思い出す。 胸はズキ、って痛むけど、それと同時に胸に残った恋が『謙虚』に染み込む。 もう、あれは思い出なんだ。 今年で忘れようと金木犀の名所へ足を運ぶ。 オレンジ色のカーペットの上をゆっくり歩いた。 一つ一つは小さい花なのに、重なるとふわふわしていて優しさを感じる。 あの人は、きっとすごく優しい人なんだろうな。 この、小さな金木犀みたいに。 ふわっ あの病室の香りが鼻を劈いた。 思わず、振り返る。 絶対あの人だ。 根拠は何もないけど、そんなの必要なかった。 目の前を歩く、その後ろ姿に追いついて手を取る。 「僕、貴女のことがずっと好きです。ずっと、ずっと。」 _______________ 金木犀の花言葉には、 初恋、陶酔、謙虚、真実の愛、気高い人 などがあるそうですよ。 金木犀さんは、『気高い』女性なのかもしれませんね。 _______________
道化師(ぴえろ)
わたくしは、何処の誰か。 そう問われましても、白で塗り固められた面にかしこまったスーツ。 不自然に釣り上がる真紅の口角。無造作に整えられた髪。 これらを見れば十分でございましょう。 貴女の目に反射するわたくしは、何処からどう見ても、道化師そのものではございませんか。 嗚呼、名前。名前でしたか。 ええと、わたくしの名前は。 はて、わたくしに名など存在していたのでしょうか。 さっきの路地裏に落としてきてしまったのかしら。 交番まで走らないといけないですね。 、、、おや、風の音すらしない。 あはは。冗談冗談、此処は笑うところですよ。 あれ、不愉快でしたか。 どうしたのです?頬を引き攣らせたりして。 恐い?わたくしがですか? あはは。面白いご冗談を。 ただの道化師でございましょう? 風船でも膨らませば納得していただけますか。 ええ、納得できない。 そうですか、わたくしはなんと不憫なピエロ。 ぐす、ぐす。 駄目ですか。ほほぉ、それなら。 少し唇を拝借。 あは、そんなに抵抗しないでください。 あはは、ちょっと、膨らませられないじゃないですか。 っと、あぁ失敬失敬。 口を滑らせてしまった。 このことはお忘れになって。 そうそう、風船に空気を入れすぎると割れてしまいますよね。 わたくし、それを何度やったことか、破片が飛び散って片付けが大変なのです。 スーツに破片がこびりついてなかなか取れないのが悩みです。 何処がおかしいのです? あはは。貴女は変なところに目をつけるのですね。 こびりつく、なんて普段の生活でも使うでしょう? 肩が震えていますね。 ブランケットをお持ちしますから、そこに座ってお待ちください。 あらら?何をお探しです? 出口?あぁ〜、出口、ですか。 すみませんねぇ、出口はないのですよ。 少なくとも、此処には。 あはは、どうしたのです?部屋の隅っこに身体を押し付けて。 わたくしの部屋のシミとでも仲良くなりたいのですか? そんなものと仲良くなるくらいなら、わたくしと仲良くなりましょう?
真夜中、私に向かひて
そういえば、自己紹介がまだでした。 私、一ノ瀬奏(いちのせかなで)と申します。 もちろん、本名ではありません。 ですが、本日は私の気持ちを、心ばかり晒け出そうと考えたのです。 あまりに突然の思いつきでございまして、言葉もまとまらず拙いわけではございますが、少々お付き合いを。 私、とても気にしいなのです。 他人の目、他人の期待、他人の言葉、他人の顔色。 私は、それらにぐらりと揺らされてしまう。 私の悪い癖は、褒め言葉を素直に受け取れないこと。 この原因は自覚済みです。 自己肯定感が低いこと。 どうしてそうなったのか、それは深く深く、それでいて浅い理由が存在するのですが、詳しいことはまたいつか話すこととします。 簡単にまとめると、自分を隠すようになり、自分を愛せなくなった。ただそれだけ。 これは私にとって苦悩であり、呪いであり、日常。 私は、誰よりも低い位置にいると本気で思っています。 顔も、勉強も、性格も、それから、才でさえも。 だから、誤魔化すのです。 無理に声のトーンを上げ、ボリュームを上げ、明るい自分を演出する。 嫌われることを極端に嫌って、人に気を遣って。 それは、思っていた以上に苦しいことでした。 傷つかないための努力で、自分をどんどん傷つけました。 自分を愛せないせいで、褒め言葉は全てお世辞に聞こえます。 当然です。だって、真の私じゃないから。 私は真の私を愛せるわけがない、と本気で信じていたのです。 ただ突然、ふと、思った。 『隠さないで生きたい。』と。 真夜中、ひらひらと降り落ちてきたのは、小さな、でも確実な変化。 しなっていた竹がパンッと割れるような衝撃が脳を貫通しました。 言葉に表しきれない粘度の高い心を持っている私。 言い換えると、非常に性格が悪い私。 プライドと承認欲求と完璧主義の塊。 しかし、それが私なのです。 もちろん、倫理や道徳を侵す気持ちは全くございません。その予定もございません。 私が私を愛せないくせに、他人からの愛を乞うなんてひどい我儘なのですね。 真の私を知っているのは、私のみ。 それゆえに、私を愛せるのは私のみ。 なら、なぜ隠す必要があるのでしょうか、隠すから愛せなくなるのに。 隠さないことは自分を愛する最大の近道なんだ、と気づくのに、遠回りをしすぎました。 これから私は、私を愛す。 決意や覚悟という言葉で表すには臆病で、新年の抱負にしては遅すぎる。 ですがそれさえもきっと、私という存在そのもの、なのですよね。
からくれなひの答案
テストや重要な仕事の期間、突然掃除をしたくなることはございませんか? どうしてあの衝動に耐えられないのか、私なりに考えてみたのです。 きっと、整理したいのかもしれません。 やらなければいけないこと、ストレス、ごちゃごちゃする心を落ち着かせるため。 現実逃避の一環なのでしょうか。 現在私のお部屋は、汚部屋。 テスト前になるとめっきり、掃除という概念を忘れてしまいます。 その代わり、と言ってはなんですが、テスト前になると決まって小説のネタが降ってくるのです。 そんなの無視して勉強しよう、小説なんかいつでも書ける。 そういう冷静さが血液と一緒に脳を巡ります。 ですが、その血液が身体を一周する間にあれよあれよと思考は濁ってしまう。 愚か、という言葉は私のためにあるのでしょう。 私はそのネタに乗せられて、テスト勉強なんか放って創作に没頭してしまうんですもの。 私の答案が紅く染まるのはいつか、とヒヤヒヤします。 そうなったら、それはそれでいいネタになりそうですね。
パッシブスキル:諸行無常
鎌倉仏教はとても興味深いこと、ご存知ですか? 浄土宗、浄土真宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗。 一休さんは臨済宗のお坊さんだそうですよ。 臨済宗では、坐禅を組んで公案と呼ばれる無理難題を考えるそうです。 一休さんの考えるとんちなんて、答えがあるから簡単な方だそうで。 例えば、突然、師から紙切れ一枚を渡される。 正解はそれを窓の外へ投げ捨てる。 どこからその理論がきているか全然わからなくて面白いですね。 鎌倉仏教の中でもとりわけ私が惹かれるのが、浄土真宗なのです。 浄土真宗の特色に『悪人正機』というのがございます。 まぁ言葉の意味だけで言うと、悪い奴ほど救われるぜ、という、なんとも飛躍した考え。 掘り下げてみると、納得できるような道理があるのですが、これだけ聞くと、何を言ってんの、と思ってしまいますね。 願ったもん勝ち。 それが浄土真宗な訳ですが、もしそうだとしたら私はとっくに世界を牛耳る支配者になっているか、石油王と結婚しているような気がします。 もし私が世界の支配者になったら、私の誕生月は一ヶ月間祝月にしたいです。 みんなで休もうマンスということで。 まぁ、そうなっていないということは私は所詮、中途半端な善人なのでしょう。 善人ならそれで良い気すらしてきます。 デフォルトではうまくいかないのが人生。 苦労というパッシブスキルを抱えながら、幸せへいばら道を通って向かう。 大きな幸せを受け取ったと思えば足元の棘に足を突かれる。 諸行無常ですね。
刺青の刻まれた肌でココアを
こんな私でも、好きな作家はいます。 「青山美智子」と「谷崎潤一郎」 異色すぎると思われますが、ここには深い事情があるのです。 と言ってはみるものの理屈は簡単。 小説を書こうと思わせてくれた人。 それが谷崎潤一郎。 小説を書き始めて文体が決まってきたあたりで、感動をくれた人。 それが、青山美智子。 小説を書き始める前と後でガラリと好みが変わったのでしょうか。 それはというと、また違う気がするのです。 谷崎潤一郎の作品を読めば痺れるような耽美に心を震わせ、青山美智子の作品を読めばゆったりとした日常に心を震わせる。 美しい女性に心の全てを注ぎ込んで刺青を彫ったと思えば、マーブルカフェでココアを啜っている。 女物の着物に惹かれて女装をしたと思えば、カバヒコを撫でてリカバリーを願っている。 劇薬と飴玉をどちらも愛しているような、そんな気がしてくるわけです。 そう考えてみると、私の趣味は対極にあることが多いのです。 ラップとバラード。黒とピンク。オクラとハンバーガー。 二つの人格があるわけでもなく、表裏があるわけでもない。 常にどちらも心にあって、愛している。 人間ってそういうものなのでしょうか。 皆様のお好きな作家は、どなたですか? おすすめの作品などございましたら是非お教え願います。
春を忘るな
春眠、暁を覚えず。 そんな言葉がございますが、私は近ごろ夢うつつの日々を過ごしております。 この前なんかはけたゝましく鳴り響くアラームに苛立ってスマホの時間を見たところ、「六時半」。 「何故土曜日なのにこんな朝早く起きなきゃいけないんだ」 と二度目の深淵へ向かった矢先。 そこでハッと火曜日だと気づく。 なんてことがございました。 その時の肝の冷え様は最強寒波さながらでしたね。 まだまだ寒い日が続いているのにも関わらず、ひと足先に私の心は春へ連れ去られてしまっているようです。 季節といえば、毎年思うことがございます。 夏になると、 「冬が恋しい」 冬になると、 「夏が恋しい」 人というのは本当にないものねだり。 その中でどれだけ満足を見つけられるか。 それこそが人生の価値なのでしょうね。 まぁ、私が一番好きなのは秋な訳ですが。
月と太陽
三日月って、コスパいいよな。 満月みたいに気を張らなくていいし、だからと言って新月みたいに暗くない。 しかも、半月よりも注目してもらえる。 三日月がモチーフのアクセサリーは定番だもんな。 彼氏との買い物の最中、女物のアクセサリーケースの前でそんなことを考える。 「深月、決まった?」 おっとりとした、あったかい声が上から降ってくる。 「これにしようかな」 そう言いながら、私が指さしたのは三日月のかわいらしいネックレス。 普段より半音高い猫撫で声。 彼氏の前でしか出ない私。 本当は、その隣にあった、丸いリングのついたやつが欲しかった。 新月みたいで私っぽかったから。 「ほんとにこれでいいの?」 太陽は、私の目をまっすぐ見て聞いてきた。 彼はいつも、私に物を買ってくれるとき、そう質問してくる。 私は決まって頬をかきながら頷くのだ。 そうすると彼は、 「ふふ、深月っぽい」 一拍おいてそう言ったあと、微笑んで私の選んだネックレスを優しくレジに持っていく。 ああ。また、言えなかった。 太陽と付き合って三ヶ月。 私はずっと、可愛い彼女を演じてきた。 アクセサリーも、メイクも、食べ物も。 かわいさを重視して選んだ。 本当は、アクセサリーだって、ボーイッシュな方が好きだ。 メイクだって肌が荒れるし、時間もかかるからしたくない。 甘いものなんか、全然好きじゃない。 「お店の外で待ってて」 そう言われたから、すぐそこにあったベンチに座る。 太陽が戻ってきた。 「はい、どうぞ」 太陽はそう言いながら可愛くラッピングされた小包みを優しく手の上に置いてくれた。 「ありがとう、家で開けようかな」 そう上目遣いで笑いかけると、彼は嬉しそうに片手を差し出してくる。 手つなご、の合図だ。 私は素直に彼の手に触れる。 彼の大きな手が私の手を包んだ。 そして、二人で歩き出す。 二人の部屋に向かって。 部屋に着いた。 二人でソファに腰かける。 彼が、 「ねぇ、プレゼント、開けてみてよ」 柔らかくて、甘い声でそう言う。 「さっき、一緒に買ったじゃん」 私はそう笑いかける。 「いいから!」 彼に促されるまま、小包みを開いた。 呼吸が止まる。 そこに入っていたのは、私が本当に欲しかった、丸いリングのついたネックレスだった。 「なんで」 思わず、いつもの猫撫で声を忘れてしまう。 「これの方が深月っぽくて素敵だったから」 彼は申し訳なさそうにこう続ける。 「いつも、無理させてたよね」 私は、何も言えなかった。 「気付いてる?深月、嘘つく時、必ず頬かくの」 私、そんな癖、あったのか。 酷いこと、したな。 ずっと騙してたのと一緒だ。 そう思って、謝ろうとする。 でも、遮るみたいに太陽は、 「俺、そんな深月も大好きだよ」 そう言って抱きしめてくれた。 そのまま耳元で、呟く。 「だけど、俺の前で、無理しないでほしいな」 私はそこでやっと口を開く。 「太陽、大好き。」
荒廃した世界で貴方と 弐
キッチン、といってもIHコンロが一つあって、小さめな水道があって、小さい冷蔵庫があるだけ。 この世界の面白いところといえば、こんなに腐敗してるっていうのに水道や電気は問題なく使えるところだ。 そのくせ携帯やパソコンは繋がらないから、金属の塊と化してて、それでバランス取ってるんだろう。 私だってここはゲームの世界なんじゃないかって何度も考えたよ。 まず、生き返るってことが自然の摂理に背いてる。 日付が変わらないのもゲームでよくある設定だし、異性と出会うってのもそう。 ネット通信以外のインフラが妙に整ってるのも、ご都合設定みたいに感じる。 でもね、それにしてはおかしいんだ。 意識は夢みたいにもやもやふわふわしていない。 もしこれが夢だったら、起きている現実を疑いもしないで当たり前みたいに生活するはずだ。この超常世界の中でも。 そのうえ、薪ストーブの熱はしっかり分かる。カビを吸い込んだ時の肺の痛みも、それから食べ物の味も。 そういえば、もうだいぶ前になってしまった昨日、買い物に行ったのは記憶に確かだから食糧がいっぱいあったはずだ。 冷蔵庫を開ける。 そこにはウインナーに、ピーマンに玉ねぎ、あとは調味料と、牛乳、それ以外にもパンとか、色々ある。 牛乳はやめとこう。たぶん、やばい。 そう直感で分かっていながら怖いもの見たさで牛乳に手を伸ばす。 恐る恐る消費期限を見た。 8/1 未だ来る気もしない日付が刻印されていて、鼻で笑ってしまう。 そうだ、別に日付関係ないんだった。 「ねぇ、もしかしてそれ、飲む気?」 いつのまにか彼はキッチンまで来ていて、やめとけ、と言わんばかりに声をひそめる。 「やめといた方がいいよ、飲んだらまた今日の朝に戻ることになるから」 彼は少しオーバーに脅してきた。 「えぇ?でも日付、大丈夫だよ?」 日付が変わらないなら食べ物だって大丈夫なはずじゃん。 「コップに出してみなよ」 彼はキッチンの縁に腕をついて眉を上げる。 彼の茶髪がふわりと揺れた。 透明なガラスコップを置いて、牛乳を注ぐ。 「うぇ、何これ」 牛乳はビビッドピンクで、カビと同じかそれ以上のきつい臭いを放っていた。 「俺もよくわかんないんだよ、他の食べ物は大丈夫だけど牛乳だけはダメみたいでさ」 じゃあなんで飲んだのよ。 「俺牛乳大好きで、牛乳パックから直接飲むのが普通だと思ってたから、気づかなくって」 彼は頭をかきながら、苦く笑う。 「あの時が一番辛かったなぁ、痛みにずっと悶えて飯食えなくて餓死だぜ?酷いよなー」 もうあれは無理無理、と顔の前で手をひらひらとさせる彼。 その姿に緊張の糸が切れた。 「ふっ、あはは!!!」 こんなに笑ったの、いつぶりだろう。 少なくとも今日になってからは初めてだ。 「もー、そんなに笑わないでよ!まじで辛いんだぞ、あれ」 彼はぷくっと頬を膨らませて訴えてくる。 「あ、そういえば、名前、聞いてなかった」 私が息を整えるのを待たず、彼から質問が飛んできた。 ふぅ、と息を整えて口を開く。 「名前、あれ?私の名前、だよね?」 自分の名前もわからないなんて。 そんなに今日を繰り返したんだろうか。突然、怖くなってくる。 「やっぱり、君もわからない、か」 彼は、困ったように笑った。 「あ、でも、中学の時のジャージ!名札ついてたはず!」 私はクローゼットに駆け込んで勢いよく開ける。 いつもパジャマにしているクタクタになったそれを引っ張り出した。 「ない、洗濯した時に取れちゃったとか?」 慌てて中学の頃のノートをしまってある引き出しを開ける。 その光景を見て、私は絶句した。 全てから名前が消えていたから。 私の名前、どんなのだったっけ?かわいい名前だった気がする。 でも、だとしたらなんでわからないのだろう。思い出そうと思考を高速で回転させても、摩擦がないみたいにすっと空を切って消えてしまう。 どうしよう。どうしよう。なんで。 頭は「どうしよう」ばっかりで埋め尽くされて、同じ言葉が反芻した。 どうしても。どうしても。思い出さなきゃいけない。 頭の中の「どうしよう」は行き場を失って次第に形を変える。 焦りが脳を侵食して、気づけばクローゼットから何から私の部屋にある全ての引き出しをひっくり返していた。 額に汗が滲んで、床に跪く。 外、外でなら見つかるかも。 私は急いで立ち上がって、シェルターの鉄蓋に伸びる頼りない梯子に手をかけた。 「いいよ、そんなに必死にならなくて」 凛として、でも確かに優しい声が耳に刺さる。 彼は私の背中に優しく手を当てて、私を梯子からおろした。 「ほら、深呼吸しよ?」 彼は私の目をまっすぐ見つめてくる。 私は何もできなくて、ただ促されるまま深呼吸をした。 だんだん、脳の回転が正常に戻っていくのが分かる。 私、なんであんなに錯乱してたんだろう。 「飯、作ったから一緒に食おう、な?」 彼は私に手を差し伸べて、ぎゅっと握った。 そして、私と梯子の間に立つ。 ぐい、ぐい、とキッチンの方へ引っ張られた。 キッチンに入ると、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。 焼けたパンの香りだ。 「勝手にキッチン使ってごめんな」 そう言いながら私を椅子に座らせたあと、彼は目を瞑るように言ってきた。 しっかり両手で目を覆って、従順に待つ。 「目、開けていいよ」 目の前から声が聞こえて、ゆっくりと目から手を放す。 すごい、美味しそう。 「じゃーん!料理名はしゅうまつのピザトースト!」 あぁ、そういえば、今日は土曜日か。 「終わりの世界だから、終末!」 彼は、ニカッと白い歯を見せて笑う。 「週の終わりだから週末なのかと思った」 私が言うと彼は呆気に取られたみたいに口をぽっかり開けた。 「あー!!ウィークエンドの方ね!」 それは思いつかなかったなー、と彼は頬をかいて微笑む。 「じゃ!食べよっか!」 彼の合図に目を合わせ、 「「いただきます」」 二人の声が重なって、優しく空気を波打った。