やみ

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やみ

はじめましてやみです。空いている時間に作成してます。沢山の人が読んでくれると嬉しいです😊まだまだ初心者なので宜しくお願いします

禰󠄀豆子が鬼にならない世界

第三章 狭霧山へ 夜が、ゆっくりと更けていった。 囲炉裏の火は弱まり、外では雪が、音もなく降り続けている。 雛子は炭治郎の胸元で、小さな寝息を立てていた。 白湯の温もりが残っているのか、 先ほどまでの不安げな顔は、すっかり消えている。 炭治郎は、そっと布団へ雛子を下ろし その寝顔をしばらく見つめた。 炭治郎 「……一緒に、行こうな」 返事はない。 だが、その小さな胸は、確かに動いている。 炭治郎は立ち上がり、医者と短く言葉を交わしたあと、借りた一角で、準備を始めた。 持って行けるものは、少ない。 着替えは一組。 乾かした包帯。 母が使っていた、古い手拭い。 そして―― 家から持ち出した、炭の匂いが残る包丁。 炭治郎は、その刃を見つめる。 (……俺一人じゃない。三人で、生きるために……) 包丁を布で包み、丁寧に背負い袋へ収めた。 その時、かすかな布擦れの音がした。 振り向くと、禰󠄀豆子が、ゆっくりと体を起こしていた。 禰豆子 「……お兄ちゃん……どこ……行く……?」 声はまだ弱い。 だが、はっきりと、不安が滲んでいる。 炭治郎は、すぐに傍へ行き、膝をついた。 炭治郎 「……狭霧山へ行く」 禰󠄀豆子は、目を見開く。 禰豆子 「……山……?」 炭治郎 「強くなるための場所だ。鬼を……討てるようになるための」 言葉を選びながら、それでも、逃げずに伝える。 炭治郎 「俺一人じゃない。雛子も……禰󠄀豆子も……一緒に、行く」 禰󠄀豆子の瞳が、揺れた。 禰豆子 「……一緒……?」 炭治郎 「ああ。離れない」 そう言って、炭治郎は雛子を抱き上げる。 眠ったままの小さな体が、無意識に、炭治郎の衣を掴んだ。 その様子を見て、禰󠄀豆子は、ゆっくりと頷いた。 禰豆子 「……雛子……守る……一緒……」 炭治郎 「ありがとう」 炭治郎は、深く息をつく。 胸の奥に、恐怖と同時に、確かな覚悟が灯っていた。 医者が、静かに言う。 医者 「三人で行くなら、夜明けを待ちなさい。 山は厳しいが……それでも、道はある」 炭治郎 「……はい」 炭治郎は深く頭を下げた。 その夜、三人は同じ部屋で、同じ囲炉裏の火を囲んで眠った。 炭治郎は、妹たちの寝息を聞きながら、何度も、心の中で誓う。 離れない。 必ず、生き抜く。 囲炉裏の火は、すでに灰色へと変わり、 窓の外の雪は、淡い蒼色に染まり始めていた。 炭治郎は、そっと目を開く。 深い眠りではなかった。 けれど、胸の奥に沈んでいた迷いは、もうない。 静かに起き上がり、雛子を胸に抱く。 小さな体は、まだ眠ったまま。 温もりが、確かにそこにあった。 炭治郎 「……行こう」 小さく呟き、炭治郎は禰󠄀豆子の方を見る。 禰󠄀豆子も、すでに目を覚ましていた。 包帯に覆われた体をゆっくり起こし、 黙って頷く。 禰豆子 「……大丈夫……」 声は小さいが、 その目には、強い光が宿っていた。 炭治郎は、雛子を布でしっかりと背負い、 背負い袋を肩にかける。 扉の前で、医者が待っていた。 医者 「無理はするな。山は、人の命を選ぶ」 炭治郎は、深く頭を下げる。 炭治郎 「……はい!ありがとうございます」 医者は何も言わず、ただ、三人を見送るように視線を向けた。 戸を開けると、冷たい空気が、一気に流れ込む。 きゅ、と雛子が小さく身じろぎし、かすかな声を漏らす。 雛子 「……ふぇ……」 炭治郎 「大丈夫だよ」 炭治郎は、優しく背中をあやす。 外は、白い世界だった。 踏みしめるたび、雪が、きしりと音を立てる。 禰󠄀豆子は、炭治郎の後ろを、一歩ずつ、確かめるように歩く。 その足取りは、まだ頼りない。 それでも、止まらない。 振り返ると、医者の家の灯りが、遠ざかっていく。 炭治郎は、一度だけ立ち止まり、振り返った。 (……ありがとう) 心の中で、そう告げ、前を向く。 狭霧山は、朝靄の向こうに、静かにそびえていた。 そこが、三人の運命が、交わる場所。 炭治郎は、雛子の温もりを確かめ、 力強く、雪道を踏み出した。 夜明けの空の下、竈門家の三人は、 同じ方向を見つめ、歩き始めた。 雪道を進むにつれ、空はゆっくりと白み、 吐く息が淡く朝の光に溶けていった。 雛子は背中で、時折小さく身じろぎする。 慣れない寒さに、むずがるように声を漏らした。 雛子 「……ん、あ……」 炭治郎 「大丈夫だよ、雛子」 炭治郎は歩調を緩め、背中を軽く叩いてあやす。 その声に反応するように、雛子はきゅっと布を掴み、再び静かな寝息へ戻っていった。 その様子を見て、禰󠄀豆子が小さく息をつく。 禰豆子 「……泣かないんだね」 炭治郎 「うん。強い子だ」 炭治郎は前を向いたまま答える。 炭治郎 「……でも、強くならなくちゃいけないのは、俺だ」 禰󠄀豆子は一瞬だけ、歩みを止めた。 そして、包帯に巻かれた腕を胸に寄せ、はっきりと言う。 禰豆子 「……一人で、背負わなくていい」 炭治郎は驚いて振り返る。 禰豆子 「……私も、生きてる。雛子も、生きてる」 禰󠄀豆子は、少しだけ視線を伏せながら続けた。 禰豆子 「……だから、三人で……行こう」 炭治郎の胸に、じんと熱いものが広がる。 炭治郎 「……ああ」 短く、だが力強く答え、再び歩き出す。 やがて、山道は次第に険しくなり、 木々の間に、深い霧が立ち込め始めた。 禰豆子 「……ここが……」 禰󠄀豆子が呟く。 狭霧山。 冷たい空気とともに、言葉にしがたい緊張が、肌を刺す。 その時―― ??? 「止まれ」 低く、張りのある声が、霧の奥から響いた。 炭治郎は反射的に足を止め、 雛子を背中から抱き寄せるように構える。 霧の中から、一人の男が現れた。 天狗の面。 背に背負った日輪刀。 ――鱗滝左近次。 男は、三人を一瞥し、特に雛子へと、長い視線を落とした。 鱗滝 「……子を連れてくるとはな」 炭治郎は、深く頭を下げる。 炭治郎 「富岡義勇さんに、ここへ来るよう言われました。俺は……強くなりたい。妹たちを、守るために」 鱗滝は、しばし沈黙したまま、霧の中で佇んでいた。 やがて、低く言う。 鱗滝 「……お前が竈門炭治郎か?」 炭治郎 「はい!そうです。妹の禰󠄀豆子と雛子です」 鱗滝の視線が、再び雛子へ向く。 小さな胸の上下。 微かな寝息。 鱗滝 「……ふむ」 その一言に、試されている、という感覚が、炭治郎の背を走った。 霧が、ゆっくりと流れる。 狭霧山は、まだ―― 三人を、迎えるとも拒むとも、決めていなかった。 鱗滝は、しばらく黙ったまま三人を見つめていた。 霧の中、天狗の面の奥から向けられる視線は鋭く、 だがどこか、人の温度を残している。 鱗滝 「……竈門炭治郎」 低く名を呼ばれ、炭治郎は背筋を正す。 鱗滝 「この山は、修行の場だ。生半可な覚悟で入れば、命を落とす」 その言葉に、禰󠄀豆子が一歩前へ出た。 禰豆子 「……覚悟は、あります」 まだ怪我の残る体で、しっかりと立つ。 禰豆子 「お兄ちゃんだけじゃない。 私も……この子も……生きるために、ここへ来ました」 雛子が、ちょうどその時、目を覚ました。 雛子 「……あ……」 小さな声。 冷たい空気に触れ、眉をひそめ、ふぇ、と泣き出しそうになる。 炭治郎はすぐに背中を揺らし、優しく声をかける。 炭治郎 「大丈夫だよ。ここにいる人は、敵じゃない」 その様子を、鱗滝はじっと見ていた。 赤子を守る手つき。 妹を気遣う視線。 それは、剣を持つ前の人間の在り方だった。 鱗滝 「……炭治郎」 炭治郎 「はい」 鱗滝 「お前は、この子を連れたまま、修行をするつもりか」 一瞬の沈黙。 炭治郎は、迷わず答えた。 炭治郎 「はい。この子を守れないなら、鬼を斬る意味がありません」 鱗滝は、ふう、と小さく息を吐いた。 鱗滝 「……全く。富岡が、厄介なものを押し付けてきたものだ」 そう言いながらも、その声には、拒絶はなかった。 やがて、くるりと背を向ける。 鱗滝 「……ついて来い」 炭治郎の目が、大きく見開かれる。 炭治郎 「よ、よろしいのですか……?」 鱗滝 「条件付きだ」 鱗滝は歩きながら、淡々と続ける。 鱗滝 「この山での修行は、厳しい。 妹の面倒を見ながら、耐えきれるかどうか それも含めて、試す」 禰󠄀豆子は、ほっと息をつき、深く頭を下げた。 禰豆子 「……ありがとうございます」 雛子は、まだ少しぐずりながらも、 炭治郎の背中で、指を握りしめている。 鱗滝は、ちらりと振り返り、言った。 鱗滝 「……その子は、山の空気に慣れさせろ。 泣くなら、泣かせろ。 生きるというのは、そういうことだ」 炭治郎は、強く頷いた。 炭治郎 「はい!」 霧の中、三人と一人は歩き出す。 狭霧山は、相変わらず静かだった。 だが、その静けさの中で、 新しい修行の日々が、確かに始まろうとしていた。 竈門家の物語は、ここから、また一歩、前へ進む。 ー続くー

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光を知らない彼女は、世界を知っていた

母の物語 それでも、この子を手放さない 第一章 抱いた瞬間の重さ この子を初めて抱いたとき、私は「軽い」と思った。 小さくて、壊れそうで。 それなのに、指を握られた瞬間、 信じられないほどの力で返されて、息が詰まった。 生きる気だ。 理由もなく、そう思った。 私はそのとき、この子がどんな人生を生きるかなんて、 考えもしなかった。 ただ、生きてほしかった。 第二章 気づいてしまった違和感 母親の勘、なんて言葉があるけれど、 あれはたぶん、願いを疑う力だ。 音には反応する。 私の声にも、夫の足音にも。 でも、カーテンを開けても、ライトを近づけても この子の目は、追わなかった。 検査の日、私は未来を抱いたまま、ずっと天井の音を数えていた。 先生 「先天性の視覚障害です」 その瞬間、頭の中で何かが崩れる音がした。 泣かなかった。 叫ばなかった。 ただ、「私のせいだ」と思った。 第三章 謝ることしかできなかった夜 夜中、未来が眠るまで、私は抱き続けた。 母 「ごめんね」 何に対する謝罪なのか、自分でもわからなかった。 見えない世界に産んでしまったこと。 何もしてやれない自分。 謝るたび、未来は小さく息を吐いて、眠る。 この子は、私を責めていない。 それが、一番つらかった。 第四章 “育て方”がわからない 育児書は、役に立たなかった。 「見せる」 「見守る」 「視線を合わせる」 全部、できない。 私は、触ることと、話すことだけを信じることにした。 母 「今、おむつ替えるね。ここにお母さんがいるよ」 声が枯れるまで、話した。 それでも、不安は消えなかった。 間違えていないだろうか。 第五章 転ぶたびに、手を出したくなる 未来は、よく転んだ。 何もないところで、突然、前につんのめる。 泣く。 泣いて、それでも、立ち上がろうとする。 私は、何度も手を伸ばしかけた。 でも、療育の先生の言葉が、頭に残っていた。 療育の先生 「転ばせないことが、この子の未来を奪うこともあります」 私は、歯を食いしばった。 泣く未来を、すぐには抱き上げなかった。 母親失格だと思った。 それでも、未来は立った。 第六章 白い杖を持たせた日 白杖を初めて渡した日、未来は泣いた。 未来 「いや」 その一言が、胸に刺さった。 白杖は、安全のための道具。 でも私には、“できない”を突きつける棒に見えた。 それでも、持たせた。 未来の泣き声を聞きながら、私はトイレで声を殺して泣いた。 ごめん。 それでも、必要なの。 母親とは、残酷な役目だ。 第七章 「普通」という言葉が刺さる 先生 「普通の学校は、難しいですね」 何度、その言葉を聞いただろう。 そのたびに、私は笑って頷いた。 でも、帰り道では、胸が裂けそうになった。 普通って、なんだろう。 家に帰ると、未来は楽しそうに音の出るおもちゃで遊んでいる。 その姿を見て、私は思った。 この子の世界は、誰かの基準に合わせなくていい。 そう思わなければ、立っていられなかった。 第八章 離れていく背中 成長するにつれて、未来は頼らなくなった。 未来 「一人でできる」 その言葉を聞くたび、誇らしくて、少し、寂しかった。 私の役目は、終わりつつある。 それでも、何も言わなかった。 母親は、子どもに追いすがってはいけない。 そう、自分に言い聞かせた。 第九章 外に出る娘を見送る日 就職の話を聞いたとき、正直、怖かった。 世界は、この子に優しくない。 それでも、止めなかった。 玄関で靴を履く未来の背中。 白杖を持つ手は、もう迷っていなかった。 未来 「いってきます」 母 「……いってらっしゃい」 その声が震えないように、私は笑った。 第十章 それでも、母はここにいる 今も、未来の世界は見えない。 でも、私にはわかる。 この子は、自分の足で立っている。 転んでも、また立つ。 それを信じて、私は少し後ろに下がる。 母親は、光を当てる存在じゃない。 影になって、子どもがまぶしくなるのを支える存在だ。 母 (未来。 あなたがどこへ行っても、私は、ここにいる) 【完】

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光を知らない彼女は、世界を知っていた

光を知らない彼女は、世界を知っていた

第十章 未来が灯したもの 数か月後。 未来は、視覚障害のある子どもたちの 読み聞かせボランティアを始めていた。 子ども 「ねぇ、未来さん」 小さな声が、袖を引く。 子ども 「私ね、見えないの、こわい」 未来は、その子の手をそっと包む。 未来 「うん。わかるよ。でもね」 未来は微笑んだ。 未来 「見えなくても、世界はちゃんと触れる」 その言葉に、子どもの手の力が、少しだけ強くなった。 その瞬間、未来は気づいた。 自分は、誰かの足元を照らしている。 光を知らなくても、光になれる。 第十一章 世界の中で立つ 夕暮れ。 海の音が、遠くで呼吸している。 悠真が、未来の隣に立つ。 悠馬 「……守らなくてもいい?」 未来は、少し考えてから答えた。 未来 「一緒に立ってくれるなら」 白杖は、今日も地面を確かめる。 けれど未来は、もう知っている。 見えない世界の中で、自分が、確かに“前を向いている”ことを。 第十二章 肩書きの重さ 未来が働き始めて、半年が過ぎた。 事務補助。 音声読み上げソフトと点字ディスプレイを使い、データ整理や文章チェックを任されている。 同僚 「助かってるよ」 同僚のその一言は、嬉しい。 けれど同時に、未来の胸に小さな影を落とす。 “配慮されているから”じゃないよね。 誰にも聞けない疑問が、日々、少しずつ積もっていく。 ミスをすれば、「見えないから仕方ない」と言われる。 成功すれば、「すごいね」と、少し驚いた声で言われる。 どちらも、未来が望んだ評価ではなかった。 帰り道、白杖の先が縁石に触れる。 未来 「……私は、何者なんだろう」 仕事ができる“視覚障害者”なのか。 それとも、ただの“未来”なのか。 第十三章 すれ違う距離 悠真とは、以前ほど頻繁に会えなくなっていた。 お互いに忙しい。 それは事実だった。 それでも、未来は気づいていた。 悠真が、無意識に距離を測っていることを。 悠馬 「無理してない?」 電話口での、その問い。 未来 「……大丈夫」 未来は、少しだけ嘘をついた。 弱音を吐けば、また“守る側”に戻ってしまう気がしたから。 未来 「そっちは?」 悠馬 「まあ、ぼちぼち」 声が、遠い。 未来は、通話を切ったあと、しばらく動けなかった。 自立したくて。 でも、独りになりたかったわけじゃない。 その矛盾が、未来の胸を静かに締めつけていた。 第十四 結衣の選択 久しぶりに会った結衣は、以前よりも少し、大人びていた。 結衣 「私ね、進学する」 その声は、迷いがなかった。 未来 「外、怖くない?」 未来がかつて聞かれた問いを、今度は未来が返す。 結衣 「怖いよ」 結衣は笑った。 結衣 「でもさ。未来さんが働いてるって知って、 “行けるかも”って思えた」 その言葉に、未来は息を呑んだ。 自分が誰かの選択の理由になっている。 未来 「……ありがとう」 それしか、言えなかった。 その夜、未来は久しぶりに悠真に連絡した。 未来 「会いたい」 短いメッセージだった。 第十五章 対等という言葉 夜の公園。 風の音が、木々を揺らしている。 悠馬 「未来」 悠真の声は、少し緊張していた。 悠馬 「俺さ……」 言葉を探す間。 悠馬 「未来が遠くなった気がしてた」 未来は、頷く。 未来 「私も」 沈黙。 悠馬 「守らなくていいって言われて、 でも、何もしないのも違う気がして」 悠真は、正直だった。 未来は、白杖を地面に立てる。 未来 「ね、悠真」 悠馬 「うん」 未来 「私が転びそうなとき、手を出してほしい」 悠馬 「……うん」 未来 「でも、歩く方向は、私に決めさせて」 しばらくして、悠真が小さく笑った。 悠馬 「それ、対等ってやつ?」 未来 「たぶん」 未来も、笑った。 第十六章 光は、渡される 仕事で、大きなミスがあった。 データの読み違い。 澪の責任だった。 上司は言った。 上司 「今回は、君の判断ミスだ」 “見えないから”とは言わなかった。 上司 「次はどうする?」 未来は、深く息を吸う。 未来 「確認工程を増やします。私自身の、です」 帰り道、胸が少しだけ軽かった。 失敗した。 でも、それは“仕事”としての失敗だった。 家に帰ると、ポストに一通の手紙があった。 結衣からだった。 結衣 (進学、決まりました。怖いけど、行きます 未来さんが、先に歩いてくれたから) 未来は、手紙を胸に抱いた。 光は、奪うものじゃない。 渡されて、次の誰かへつながっていくもの。 第十七章 同じ速度で 朝。 空気が、少しだけ変わっていた。 未来は、白杖を持って玄関を出る。 隣に、悠真がいる。 悠馬 「行こうか」 未来 「うん」 歩幅は、揃っていない。 でも、立っている地面は同じ。 見えなくても、未来はもう、迷っていなかった。 自分の足で選び、誰かと並んで生きる。 それが、未来の見つけた“世界の見方”だった。 【完】

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光を知らない彼女は、世界を知っていた

光を知らない彼女は、世界を知っていた

第一章 闇ではない世界 彼女は、生まれたときから光を知らなかった。 だから「闇」という言葉も、正確には知らない。 暗い、黒い、見えない——そう言われても、それは彼女にとって当たり前の世界だった。 少女の名前は 未来(みく)。 十七歳。 朝は、窓から差し込む光ではなく、 カーテン越しに伝わる空気の温度で目を覚ます。 今日の朝は、少しひんやりしている。 湿り気を含んだ風が、かすかに頬を撫でた。 未来 「……雨、降るかも」 独り言のようにつぶやくと、ベッド脇の白杖に手を伸ばす。 木製の床に足を下ろすと、家の中の音が一斉に未来を迎えた。 台所で湯が沸く音。 新聞をめくる父の指先。 母が歩くときの、わずかに遅れる右足のリズム。 未来はそれらを風景のように受け取る。 見えなくても、未来の世界はいつも、うるさいほどに満ちていた。 第二章 触れるということ 母はよく言う。 母 「未来はね、目の代わりに心で見てるのよ」 その言葉を、未来は好きでも嫌いでもなかった。 心で見る、という表現は綺麗すぎる。 実際はもっと、生々しい。 指先で世界をなぞり、音の距離を測り、 人の息づかいから感情を読む。 未来は、誰かが嘘をついていると、 声の奥にある小さな躊躇でわかる。 優しさも、苛立ちも、触れれば伝わってくる。 だからこそ、人混みは苦手だった。 情報が多すぎて、頭が痛くなる。 放課後、盲学校からの帰り道。 未来はいつものように、白杖で地面を確かめながら歩いていた。 そのとき—— ?? 「ごめん!」 ぶつかる直前に、強く腕を掴まれた。 身体がふらつき、知らない匂いが一気に近づく。 洗剤と、少しだけ鉄の匂い。 ?? 「大丈夫? 怪我してない?」 低く、少し慌てた声。 未来は一瞬、言葉を失った。 掴まれた腕が、熱を持っている。 未来 「……はい。大丈夫です」 そう答えると、相手はほっと息を吐いた。 ?? 「よかった。俺、前見てなくて」 未来は、自然とその声を記憶に刻んでいた。 第三章 見えない彼と、見えない距離 彼の名前は 悠真(ゆうま) だった。 それから、よく会うようになった。 同じバス停、同じ時間。 悠真は、未来に対して過剰に優しくしない。 それが、未来には心地よかった。 「段差あるよ」と言う前に、未来が白杖で確認するのを待つ。 勝手に手を引かない。 必要なときだけ、声をかける。 未来 「……なんで、そんなに慣れてるんですか」 ある日、未来がそう聞くと、悠真は少し間を置いて答えた。 悠真 「妹がさ、視覚障害で」 その声は、ほんの少しだけ低くなった。 未来は、それ以上聞かなかった。 聞かなくても、大事にしていることはわかったから。 二人の距離は、近づきすぎず、離れすぎず。 それでも、確実に何かが積み重なっていった。 第四章 初めての「見たい」 ある日、未来は悠真に言った。 未来 「ねぇ……海って、どんな音ですか」 悠真は、驚いたように息を呑んだ。 悠真 「音、か」 未来 「はい。見えないから、音で教えてほしくて」 しばらく考えたあと、悠真は言った。 悠真 「……ずっと、呼吸してるみたいな音。 近づくと大きくなって、離れると小さくなる」 未来は、その言葉を胸の中で反芻する。 未来 「……行ってみたいな」 それは、未来が初めて口にした “見たい”という気持ちだった。 見えなくてもいい。 ただ、その場所に立ちたい。 悠真 「一緒に行こう」 悠真は、迷いなくそう言った。 第五章 世界は、触れられる 海の日。 潮の匂い。 足元の冷たい砂。 遠くで砕ける波の音。 未来は、波打ち際に立ち、裸足のまま、水に触れた。 未来 「……生きてる」 ぽつりとこぼす。 世界は、見えなくても、確かにここにある。 悠真 「未来」 悠真の声が、すぐ隣にあった。 悠真 「俺さ……君と会ってから、 “見る”ってなんだろうって考えるようになった」 未来は、そっと微笑む。 未来 「私もです」 白い杖を握りしめながら、未来は思った。 光を知らなくても、自分は、ちゃんと世界の中に立っている。 そして これからも、歩いていける。 第六章 名前のない不安 春が近づくにつれて、未来の胸の奥には、 言葉にできない重さが溜まっていった。 盲学校の進路指導室。 机の上に置かれた紙の感触が、やけに冷たい。 先生 「未来さんは、就労移行支援を利用する選択肢もありますし——」 先生の声は穏やかだ。 配慮してくれているのも、心配してくれているのも、わかる。 でも。 先生 「“普通の会社”は、まだ難しいかもしれませんね」 その一言が、胸に引っかかった。 難しい。 未来は俯いたまま、自分の手のひらを強く握る。 できないと言われたわけじゃない。 ただ、選択肢を狭められただけ。 それなのに、心がひどく痛んだ。 帰り道、白杖がアスファルトを叩く音が、 いつもより大きく感じられた。 未来 「……私、外に出られるのかな」 誰にも聞こえない声で、つぶやく。 見えないことは、未来のすべてじゃないはずなのに。 第七章 妹という存在 その日、悠真は未来を家に招いた。 悠真 「妹が会ってほしいって言ってて」 玄関を入ると、柔らかい香りと、軽やかな足音が近づいてくる。 結衣 「はじめまして! 悠真の妹の 結衣(ゆい) です!」 明るい声。 けれど、どこか未来と似た、音の捉え方。 未来 「……結衣さんも」 未来がそう言うと、結衣は少し照れたように笑った。 結衣 「うん。私も、生まれつき」 二人は、自然と向かい合って座った。 結衣 「ね、未来さん。外、怖くない?」 結衣の問いは、あまりにも率直だった。 未来 「……怖いよ」 未来は、正直に答えた。 未来 「毎日、できないことを数えられる感じがして」 結衣は、少し黙ってから言った。 結衣 「でもさ、怖いって思えるのって、 外に行きたいって気持ちがあるからじゃない?」 その言葉が、未来の胸にすっと落ちた。 第八章 守られることの檻 悠真は、いつも未来を気にかけていた。 段差、時間、体調。 その優しさは、疑いようがない。 それなのに 未来 「私、一人で帰れるよ」 ある日、未来がそう言うと、悠真は少しだけ言葉に詰まった。 悠真 「……無理しなくていい」 その一言が、未来の心を締めつけた。 無理。 それは、未来が一番言われたくない言葉だった。 未来 「悠真は、私が弱いから一緒にいるの?」 沈黙。 悠真 「違う」 即答だった。 悠馬 「でも……守らなきゃって思ってる」 未来は、静かに頷いた。 未来 「ありがとう。でもね」 白杖を、しっかりと握りしめる。 未来 「私は、守られるだけの場所にいたら、きっと動けなくなる」 優しさが、檻になることもある。 未来はそれを、初めて言葉にした。 第九章 光を知らない者の選択 未来は、就労支援の説明会に一人で向かった。 知らない場所。 知らない匂い。 知らない音。 心臓は、うるさいほど鳴っていた。 それでも、受付で名前を告げ、席に座る。 説明会の人 「見えなくても、できる仕事はあります」 担当者の声を、未来は真剣に聞いた。 “配慮”ではなく、“役割”。 それが、未来には何より嬉しかった。 帰り道、電話が鳴る。 悠馬 「……終わった?」 悠真の声。 未来 「うん。一人で行けた」 少し誇らしげに言うと、向こうで小さく笑う気配がした。 悠馬 「すごいな」 その言葉は、“守る側”ではない目線だった。 ー続くー

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光を知らない彼女は、世界を知っていた

光を知らない彼女は、世界を知っていた

外伝 未来(みく)が生まれた日 第一章 泣き声だけの世界 未来が生まれた日のことを、彼女自身は知らない。 けれど、その日の空気は、 家族の記憶の中に今も残っている。 春の終わり。 雨上がりで、湿った風が窓を揺らしていた。 産声は、少し小さかった。 助産師 「……女の子ですね」 助産師の声に、母は泣き、父は笑った。 小さな、小さな命。 指を握ると、驚くほど強く返してくる。 ——この子は、生きる。 誰も、その未来を疑わなかった。 第二章 告げられた静寂 異変に気づいたのは、生後数か月後だった。 音には反応する。 抱けば安心する。 けれど、光にだけ、反応しない。 検査室は、静かだった。 医師 「先天性の視覚障害です」 医師の言葉は、淡々としていた。 医師 「視力が回復する可能性は、極めて低い」 母は、その場で声を失った。 父は、拳を握りしめた。 父 「……この子は、幸せになれますか」 絞り出すような問い。 医師は、少し考えてから答えた。 医師 「それは……周り次第です」 その日、母は未来を抱きしめながら、 何度も謝った。 母 「ごめんね、ごめんね」 未来は、何も知らず、ただ母の胸で眠っていた。 第三章 見えないまま、育つ 未来は、よく泣く子だった。 見えない不安を、声で確かめるように。 母は、未来に触れながら、何度も言葉をかけた。 母 「ここにいるよ。大丈夫だよ」 未来は、声と匂いで人を覚えた。 父の低い声。 母の柔らかな手。 見えなくても、世界はちゃんと“そこにある”と、 身体で知っていった。 初めて歩いた日。 何もない空間に、未来は一歩を踏み出した。 転んだ。 泣いた。 でも、立ち上がった。 父 「……強い子だね」 父のその言葉は、願いだったのかもしれない。 第四章 「できない」を覚える 幼稚園。 未来は、みんなと同じ列に並べなかった。 絵は描けない。 かけっこでは、遅れる。 友達 「どうして未来ちゃんは見えないの?」 悪意のない質問が、一番、鋭かった。 家に帰ると、未来は言った。 未来 「……わたし、へん?」 母は、言葉に詰まったあと、未来の頬に触れた。 母 「違うよ。未来は、少し世界の触り方が違うだけ」 未来は、その意味を完全には理解しなかった。 でも、自分は他の子と違うということだけは、 はっきりと残った。 第五章 白い杖との出会い 初めて白杖を持った日。 未来は、それを「冷たい」と思った。 地面を叩く音が、やけに大きく聞こえる。 未来 「これ、いや」 未来は泣いた。 未来 「みんな、見る」 母は、未来の手を包んだ。 母 「でもね、未来にはこれがある」 白杖を持つことは、“できない”を認めることだった。 それでも、白杖は未来に自由をくれた。 壁の位置。 段差の高さ。 世界が、少しずつ形を持ちはじめる。 未来は、歩けるようになった。 第六章 孤独と、誇り 小学生。 澪は、盲学校に通い始めた。 同じ世界の子たち。 安心と同時に、外から切り離された感覚もあった。 先生 「普通の学校、行ってみたかった?」 ある日、先生に聞かれた。 未来は、少し考えて答えた。 未来 「……わからない」 本当は、行きたかった。 でも、行けない自分を否定したくなかった。 未来は、賢い子だった。 だからこそ、自分を守る術も早く覚えた。 第七章 思春期という壁 中学生になるころ、未来は強くなった。 弱音を吐かない。 助けを求めない。 未来 「一人でできる」 それは、誇りであり、同時に、壁だった。 母は気づいていた。 この子は、一人になろうとしている。 けれど、止めることはできなかった。 自分で歩くことを覚えた子は、戻らない。 第八章 未来の入口で 高校生になるころ。 未来は、初めて思った。 外に出たい。 怖い。 でも、ずっと守られるままでは、 自分が消えてしまう気がした。 その頃、あのバス停で、悠真と出会う。 そして物語は、第一部へとつながっていく。

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光を知らない彼女は、世界を知っていた

禰󠄀豆子が鬼にならない世界

第二章 雪夜に繋がれた命 雪道を進む三人――いや、炭治郎が抱える二つの命と、 その先を歩く剣士の背中。 富岡義勇は、振り返らない。 だが、足取りは意識的に遅くなっていた。 炭治郎の息は荒い。 雛子を抱く腕は凍え、 もう一方の肩には、気を失った禰󠄀豆子の重みがのしかかっている。 それでも、立ち止まらない。 (……強いな) 義勇は心の中で、そう思った。 力ではない。 剣の腕でもない。 ただ――守ると決めた命を、決して離さない強さ。 背後から、か細い泣き声が聞こえる。 雛子 「……あ……あぅ……」 雛子が目を覚まし、再び泣き出していた。 冷えと空腹、恐怖が、遅れて押し寄せてきたのだろう。 炭治郎は歩きながら、必死に雛子をあやす。 炭治郎 「大丈夫だ……もう少しだ……」 声は震えている。 だが、その声音には、はっきりとした温度があった。 義勇は、ふいに足を止めた。 炭治郎が驚いて立ち止まる。 炭治郎 「……?」 義勇は無言で外套(がいとう)を脱ぎ、 それを炭治郎の腕の中へ差し出した。 義勇 「……これで包め」 炭治郎 「……え……?」 義勇 「赤子は、体温が奪われやすい」 それだけ言うと、義勇は再び歩き出した。 炭治郎は一瞬きょとんとした後、 深く頭を下げ、急いで雛子を包み直す。 炭治郎 「……ありがとうございます……!」 雛子は、温もりを感じ取ったのか、 泣き声を次第に弱めていった。 やがて、一軒の小さな家が見えてくる。 義勇 「ここだ」 義勇が戸を叩くと、中から年配の男が顔を出した。 医者 「……富岡さん?」 義勇 「治療が必要だ」 それ以上の説明はない。 だが、その一言で十分だった。 囲炉裏のある部屋に通され、禰󠄀豆子はすぐに寝かされる。 着物を解かれると、 肩から腕にかけて走る、生々しい爪痕が露わになった。 炭治郎は思わず目を伏せる。 炭治郎 「……ひどい……」 医者 「……よく、生きていたな」 医者はそう呟き、手当を始める。 血を拭い、傷を洗い、薬草をすり潰し、包帯を巻く。 その間も、禰󠄀豆子は目を覚まさない。 炭治郎 「……妹は……助かりますか……?」 炭治郎の声は、祈りそのものだった。 医者は一度、義勇を見た後、炭治郎へ向き直る。 医者 「命に別状はない。が……しばらくは目を覚まさないだろう」 炭治郎の膝から、力が抜けた。 炭治郎 「……よかった……」 一方、雛子は囲炉裏のそばで、ようやく眠りに落ちていた。 小さな胸が、規則正しく上下している。 義勇は、その様子を静かに見つめていた。 (……鬼に襲われ、家族を失い、それでも、人を失っていない) 炭治郎に視線を移す。 義勇 「……少年」 炭治郎 「は、はい!」 義勇 「お前は、これからどうする」 突然の問い。 炭治郎は、迷わず答えた。 炭治郎 「……妹たちを守ります。そして……鬼を……討ちます」 義勇は、しばらく黙っていた。 そして――静かに、言った。 義勇 「……ならば、行く先は一つだ」 義勇は囲炉裏の火を見つめたまま、低く続けた。 義勇 「狭霧山に鱗滝左近次という男がいる」 その名を聞いた瞬間、炭治郎は息を呑んだ。 義勇 「元・鬼殺隊の剣士だ。今は、弟子を取っている」 義勇はようやく炭治郎へ視線を向ける。 義勇 「……強くなりたいのなら、あの男のもとへ行け。富岡義勇に言われてきたと言え」 短い言葉。 だが、そこには確かな導きがあった。 炭治郎は深く頭を下げる。 炭治郎 「……必ず、行きます」 義勇はそれ以上何も言わず、立ち上がり 戸を開け、冷たい夜気の中へと歩み出す。 炭治郎 「……ありがとうございました!」 炭治郎の声が背中に届く。 だが、義勇は振り返らない。 雪の中に、その姿はやがて溶けていった。 囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てる。 家の中には、眠る赤子の規則正しい息と、 時折、薬の匂いに混じる血の気配が残っていた。 炭治郎は禰󠄀豆子の傍に膝をつき、包帯に巻かれた肩を、そっと見つめる。 炭治郎 「……禰󠄀豆子……」 応えはない。 けれど、胸は静かに上下している。 炭治郎は、ほっと息をついた――その時。 雛子 「……あ……」 囲炉裏のそばから、小さく、か細い声が漏れた。 雛子 「……あぁ……う……」 雛子だった。 眠りの中で口をもぞもぞと動かし、やがて、我慢しきれなくなったように、 ふえっと泣き声を上げる。 雛子 「……うぇ……え……」 弱く、必死な泣き方。 空腹を訴える、赤子の声。 炭治郎 「雛子……」 炭治郎は慌てて抱き上げる。 小さな体は軽く、 腹のあたりが、きゅっと引きつるように震えていた。 炭治郎 「……そうか……お腹、空いたんだな……」 胸が、締めつけられる。 あの夜から、雛子は何も口にしていない。 炭治郎は、ぎこちなく背を撫で、小さく声をかけ続ける。 炭治郎 「大丈夫だ……すぐ、何とかする……」 雛子は、炭治郎の着物を握りしめ、必死に泣き続ける。 その姿に、炭治郎は苦く笑った。 雛子は、あの雪の夜を、生き延びた。 泣いて、震えて、 空腹にも耐えて、 それでも、生きている。 炭治郎は拳を握る。 (……強くならなきゃいけない) 守るために。 奪われないために。 この小さな命を、二度と飢えさせないために。 囲炉裏の火を見つめながら、 義勇の言葉を、もう一度胸の中でなぞる。 狭霧山。 鱗滝左近次。 炭治郎 「……必ず、行く」 小さく、だが確かな声で、炭治郎は呟いた。 その時。 禰豆子 「……ん……」 かすかな声が、部屋に落ちる。 炭治郎は、はっと顔を上げる。 禰󠄀豆子のまぶたが、微かに震え、ゆっくりと、開く。 禰豆子 「……お……お兄ちゃん……?」 弱々しい声。 炭治郎 「禰󠄀豆子……!」 炭治郎は駆け寄り、その手を、両手で包み込む。 禰豆子 「……ここ……は……?」 炭治郎 「大丈夫だ。医者の家だ。雛子も……生きてる」 腕の中で泣く雛子の声が、その言葉を裏打ちするように響く。 その声を聞いた瞬間、禰󠄀豆子の瞳に、涙が滲んだ。 禰豆子 「……よかっ……た……」 それだけ言って、再び、ゆっくりと目を閉じる。 炭治郎は、その額に手を当てた。 炭治郎 「……もう、大丈夫だ」 誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように。 囲炉裏の火は、静かに揺れていた。 雛子は炭治郎の腕の中で、 まだ小さく、くぐもった声で泣いている。 喉が渇き、腹が空き、 それでも力いっぱい、生きようと声を上げていた。 炭治郎は、医者に視線を向ける。 炭治郎 「雛子が口にできるものありますか……?」 年配の医者は、雛子の顔色を確かめ、そっと頷いた。 医者 「母乳はないが……白湯を薄くして、米を少しだけ溶かそうか」 炭治郎は深く頭を下げた。 炭治郎 「……お願いします」 しばらくして、小さな器に入った、温かい白い汁が用意された。 医者 「熱すぎると危ない。必ず、人肌にしてからな」 炭治郎 「はい……!ありがとうございます」 炭治郎は器を両手で受け取り、 息を吹きかけて、何度も温度を確かめる。 (……母さんなら、こうしてた……) 記憶が、胸を刺す。 炭治郎は布を裂いて、即席の口当てを作り、 そこへ、ほんの少しずつ汁を含ませた。 炭治郎 「……雛子……少しだけだ……」 雛子の唇に、そっと触れた。 次の瞬間、本能的に、ちゅ、と吸い付いた。 炭治郎 「……!」 炭治郎の喉が鳴る。 雛子は、少しずつ、それでも確かに、温かい汁を飲み込んでいく。 泣き声は、次第に小さくなり、代わりに、かすかな啜る音だけが残った。 炭治郎 「……よかった……」 炭治郎の目に、涙が滲む。 生きている。 生かせている。 それだけで、胸がいっぱいだった。 雛子は数口飲むと、 満足したのか、ふう、と小さく息を吐いた。 炭治郎 「……もう、いいのか……?」 炭治郎はそっと、雛子の口元を拭く。 囲炉裏のそばで、禰󠄀豆子が、いつの間にか目を覚ましていた。 弱々しいが、確かな視線で、二人を見つめている。 禰豆子 「……お兄ちゃん……雛子……飲ん……た……?」 炭治郎 「ああ……少しだけ」 その答えに、禰󠄀豆子は、ほっとしたように目を細めた。 禰豆子 「……よかっ……た……」 その声は、ほとんど息だった。 雛子は、姉と兄の声に包まれながら、静かに、眠りへ落ちていく。 炭治郎は、その小さな体を胸に抱き、心の中で誓った。 この手で、この子に、何度でも食事を与える。 飢えさせない。 奪わせない。 囲炉裏の火は、その誓いを聞くように、 静かに、赤く燃えていた。 ー続くー

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禰󠄀豆子が鬼にならない世界

第一章 鬼に襲撃された竈門家 雪の降り始めた夕暮れ。 竈門家の囲炉裏には、いつもと変わらぬ温もりがあった。 葵枝 「炭治郎、気をつけて行ってきてね」 母・葵枝(きえ)が微笑み、背負い籠を直す炭治郎に声をかける。 その腕の中では、生まれてまだ数か月の赤子が、すやすやと眠っていた。 炭治郎 「雛子は今日もよく寝てる」 炭治郎が覗き込むと、禰豆子がそっと雛子の小さな手を握る。 禰󠄀豆子 「お兄ちゃんが帰ってくるまで、私がちゃんと見てるから」 禰豆子はもう十二歳。 家族思いで、弟妹の面倒を見るのが何よりも好きだった。 雛子が生まれてからは、特にその優しさが深くなったように見えた。 炭治郎 「ありがとう、禰豆子。……みんな、行ってきます」 炭治郎はそう言って、雪道を町へと下っていった。 その夜―― 竈門家を、静寂が覆った。 深夜。 囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てる。 禰豆子はふと、胸騒ぎを覚えて目を覚ました。 理由は分からない。ただ、寒気が背筋を走った。 禰豆子 「……?」 隣で眠る雛子が、むずりと身じろぎする。 禰豆子は反射的に赤子を抱き寄せた。 その瞬間だった。 ――ぐしゃり。 家の外から、聞いてはならない音がした。 次いで、血の匂い。 禰豆子 「……っ!」 禰豆子は歯を食いしばり、雛子の口を塞ぐように胸に抱きしめる。 襖の向こうで、低く、獣のような息遣いが響いた。 鬼。 理解した瞬間、全身が凍りついた。 次々と倒れていく家族。 叫び声は雪に吸われ、すぐに途切れた。 禰豆子は必死に雛子を守るように、押し入れの奥へ身を潜めた。 雛子は、奇跡のように声を上げない。 禰豆子 「お願い……気づかないで……」 心の中で、何度も祈った。 しかし―― 鬼は、すぐそこまで来ていた。 ――ガラリ。 襖が、乱暴に開かれた。 血走った目が、暗闇を切り裂く。 生臭い息が、禰󠄀豆子の頬をかすめた。 禰󠄀豆子は瞬時に雛子を背へとかばい、震える足で立ち上がる。 心臓が、壊れそうなほど鳴り響いていた。 禰豆子 「……この子には……手を出さないで……!」 声は掠れていたが、確かに意志が宿っていた。 鬼は低く嗤い、禰󠄀豆子へと手を伸ばす。 次の瞬間―― ――ズシャッ。 鋭い爪が、禰󠄀豆子の肩口を深く裂いた。 禰豆子 「……っ!!」 血が、温かく溢れ出す。 だが禰󠄀豆子は倒れなかった。 歯を食いしばり、雛子を抱く腕に、さらに力を込める。 禰豆子 「……雛子……大丈夫……」 雛子は、禰󠄀豆子の胸の中で、かすかに息を立てている。 泣き声はない。ただ、小さな手が、姉の着物を掴んでいた。 鬼は次の一撃を振り下ろそうとし―― ふと、その視線が、雛子に止まった。 雛子は鬼を見上げ、ただ、じっと見つめ返していた。 恐怖も、怯えもない、澄んだ瞳。 その瞬間。 鬼の動きが、ぴたりと止まる。 鬼 「……赤子……」 呻くような声。 鬼は頭を抱え、苦しげに唸り始めた。 禰󠄀豆子は、その隙を逃さなかった。 痛む体を引きずるようにして、家を飛び出す。 雪が、裸足の足裏を刺す。 禰豆子 「……お願い……追ってこないで……!」 血を流しながらも、禰󠄀豆子は雛子を抱いたまま、森へと走った。 背後で、鬼の怒号が轟く。 だが、それ以上、追ってくることはなかった。 翌朝。 炭治郎が家へ戻った時―― そこにあったのは、血に染まった竈門家と、冷たくなった家族たちだった。 炭治郎 「……母さん……みんな……」 膝が崩れ落ちる。 しかし、家の外。 雪の上に、小さな足跡と血が残っていた。 炭治郎 「……誰の血……?」 その跡を辿った先で、炭治郎は二人を見つけた。 雪の中で、雛子を抱いたまま意識を失っていた禰豆子だった。 肩から腕にかけて、深い傷。 炭治郎 「……禰󠄀豆子……!雛子……!」 炭治郎が駆け寄ると、禰󠄀豆子はかすかに目を開いた。 禰豆子 「……お兄ちゃん……?」 炭治郎 「禰豆子!大丈夫か!!よく頑張ったな……」 炭治郎は震える手で、二人を抱き寄せた。 冷え切った指先に、わずかな温もりが戻ってくるのを感じる。 そのときだった。 ――すう、と。 空気が、変わった。 雪の匂いに混じって、炭治郎の鼻を刺す、鋭く冷たい気配。 炭治郎は、はっと顔を上げる。 数歩先の木立の影に、いつの間にか、一人の男が立っていた。 半分ずつ色の違う羽織。 腰に差した刀。 感情の読めない瞳。 炭治郎の背中に、ぞくりと寒気が走る。 (……人、だけど……違う……) ただ者ではない。 そう本能が告げていた。 男は静かに口を開く。 義勇 「……鬼の仕業だな」 低く、短い声。 炭治郎は思わず雛子を抱き直し、 禰󠄀豆子をかばうように前へ出る。 炭治郎 「……はい。家族が……鬼に……」 言葉が、喉につかえる。 男の視線は、炭治郎ではなく、 雪の上の禰󠄀豆子へと向けられた。 義勇 「……その娘は」 男は一歩、距離を詰める。 その動きに、炭治郎の心臓が跳ねた。 義勇 「……もう一人の妹は、気を失っているのか?」 炭治郎の目が見開かれる。 炭治郎 「……はい……!鬼に襲われて……深い傷を……」 男はしゃがみ込み、禰󠄀豆子の呼吸と傷を、無言で確かめる。 刀に手をかけることは、なかった。 義勇 「……鬼の兆しはない」 その一言に、 炭治郎の胸から、張りつめていたものが崩れ落ちる。 炭治郎 「……ありがとうございます……」 男は立ち上がり、 次に、炭治郎の腕の中の雛子へ視線を移した。 赤子は、かすかに身を震わせながら、 小さな声で、泣いている。 義勇 「……赤子までいるのか」 驚きとも、呆れともつかない声。 炭治郎 「……はい……妹の……雛子です」 しばしの沈黙。 雪が、静かに降り続ける。 やがて男は、踵を返した。 振り返らずに、言う。 義勇 「……ついて来い。治療できる場所がある」 炭治郎は、迷わなかった。 炭治郎 「……ありがとうございます……!」 男は答えない。 ただ、雪を踏みしめ、前を歩き出す。 その背中を見つめながら、 炭治郎は胸の奥で確信していた。 ――この出会いが、 自分と妹たちの運命を、変える。 雪の森の中、 炭治郎は二つの命を抱え、 剣士――富岡義勇の後を追った。 ー続くー

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突然の報告

おはようございます こんにちは こんばんは やみちです。 これまで投稿・執筆してきた小説「禰豆子が鬼にならない世界」つきまして、諸事情によりすべて削除いたしました。 楽しみに読んでくださっていた方には、突然のお知らせとなってしまい申し訳ありません。 たくさんの感想や応援の言葉を、本当にありがとうございました。 現在、内容を見直し、最新版として書いております。 今後ともよろしくお願いいたします。

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一つ歳をとりました

おはようございます こんにちは こんばんは やみちです。 一月十一日で誕生日を迎えました。 年明けてから十一日経つのが早くてびっくりしてます。 誕生日前から喉が不調で、ひたすらのど飴食べてました。 誕生日の夜に謎の発熱があり三十八度の熱を出しました。 年明けてそんなに日は経ってないのに、 風邪をひくとは思ってなかった。 みなさんも体調気をつけてくださいね。 たくさん小説を書いているんですが出すタイミングがなく みなさまにご迷惑をおかけしてます。 本当に申し訳ないです。 一番最初に書いた小説もなかなか進んでないです。 今年こそは頑張って書きあげます! 気長に待ってくれると嬉しいです。

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再び繋がる手

第十八章 約束の春 風に乗って、花びらが舞っていた。 校庭の桜並木の下で、紬は制服のリボンを直しながら空を見上げた。 紬 (もう、卒業か……) 長かったようで、あっという間だった三年間。 笑った日も、泣いた日も――すべてがこの校舎の中に詰まっている。 そしてそのどの日にも、いつも“橘直人”がいた。 紬 (出会って、変わったな、あたし) 初めての友達。 初めての想い。 初めての涙。 それを全部くれたのが、直人だった。 直人 「紬」 声のするほうを振り向くと、少し背が伸びた直人が立っていた。 卒業証書を片手に、少し照れたように笑っている。 直人 「似合ってるよ、そのリボン」 紬 「もう……またそれ?」 直人 「だって最初に会ったときと同じリボンでしょ。なんか、あの頃の紬を思い出すんだ」 紬は小さく笑った。 紬 「じゃあ、ずっとこのリボンにしようかな」 直人 「うん、いいと思う」 沈丁花の香りが風に混じる。 校庭のあちこちで、友達たちが写真を撮ったり笑い合ったりしていた。 けれど、紬と直人のまわりだけは、不思議と静かだった。 紬 「直人くん、進学するんだよね」 直人 「うん。警察官になりたくて、勉強頑張るつもり」 紬 「そっか。あたしは……」 紬は少しだけ視線を落とした。 紬 「まだ決められない。でも、誰かを守れる人になりたい」 直人 「紬なら、きっとなれるよ」 その言葉に、胸の奥があたたかくなった。 紬 「ねぇ、直人くん」 直人 「ん?」 紬 「覚えてる? あの日の“お互い守り合おう”って約束」 直人 「もちろん」 二人は見つめ合い、同時に笑った。 紬は制服のポケットから、小さな封筒を取り出した。 紬 「これ、受け取って」 直人が受け取って封を開けると、中には水色と白の二羽の折り鶴のキーホルダーが入っていた。 紬 「これ、あたしと直人くんの分。……これからも、同じ空の下で頑張ろうって意味」 直人 「……ありがとう。俺、ずっと大事にする」 風が吹き、桜の花びらが二人の間を舞った。 直人 「じゃあ、また春に会おう」 紬 「うん。次の春も、きっと笑って会おうね」 直人が右手を差し出し、紬がその手を握り返した。 その瞬間、風がふっと止まり、世界が静まったように感じた。 紬 (離れても、きっと大丈夫。だって、あたしたちは――) 桜の花びらが二人の肩に落ち、淡い光のようにきらめいた。 ――それは、“再会の約束”を告げる春の風。 白と水色、二羽の鶴のキーホルダーが並んで、未来へと羽ばたいていった。 最終章 未来へ 春の風が、街の通りをやさしく撫でていく。 白と桃色が入り混じる桜並木の下を、ひとりの女性が歩いていた。 ――花垣紬。 制服姿だった少女の面影は、もうどこにもない。 それでも、笑うと少し口の端が上がるところは、昔のままだった。 手には、小さな包み。 中には、あの日の“白と水色の折り鶴”。 ほんの少し色あせているけれど、それが年月の証のように見えた。 紬 (……あれから何年経ったんだろう) 中学を卒業して、それぞれの道を歩き始めてから、もう数年。 連絡はたまにしか取っていない。 けれど、心のどこかで、ずっと彼を想っていた。 橘直人。 彼は夢を叶え、警察官として働いていると聞いた。 ――強くて、まっすぐで、優しい。 昔と変わらないその姿が、紬の胸の中にずっとあった。 今日は、桜坂公園で会う約束をしていた。 あの頃、放課後によく歩いた道。 あの頃と同じように、春の空はどこまでも青かった。 直人 「紬」 呼ばれて振り向くと、そこに直人が立っていた。 背が伸び、制服ではなくスーツ姿。 でも、その笑顔は――あのころのまま。 直人 「久しぶりだね」 紬 「……うん。すっごく、久しぶり」 二人の間に、春の風が吹き抜ける。 懐かしさと嬉しさが混じって、胸の奥がじんとした。 直人 「変わらないね、紬」 紬 「直人くんこそ。なんか、“大人”って感じ」 直人 「はは、まぁ仕事柄ね」 少し笑い合ったあと、紬は手にしていた包みを差し出した。 紬 「……これ、また持っててほしくて」  直人は受け取り、ゆっくりと包みを開く。 中には、少し折り目のついた“白と水色の鶴”。 紬 「覚えてる?」 直人 「もちろん。……ずっと大事にしてた」 直人は胸ポケットから、小さなビニール袋を取り出した。 中には、まったく同じ折り鶴が二羽。 直人 「俺も、ずっと持ってた。ボロボロになっても捨てられなくて」 紬の目に、涙がにじんだ。 紬 「……嬉しい」 直人 「俺、あのとき言えなかったけどさ」 直人は少し息を吸い込んで、まっすぐに彼女を見た。 直人 「俺、ずっと紬のこと守りたいって思ってた」 その言葉に、風がやさしく吹いた。 桜の花びらが舞い上がり、二人の間に降りそそぐ。 紬は涙を拭き、笑顔で答えた。 紬 「……あたしも、そう思ってた。ずっと。 兄ちゃんがいなくても、直人くんがそばにいるだけで、心が強くなれた」 しばらくの沈黙。 でもそれは、悲しい沈黙ではなく、あたたかなものだった。 直人がポケットから、小さな箱を取り出した。 直人 「これ……受け取ってくれる?」 箱の中には、淡い桜色のリボンの髪飾り。 紬 「え……これ、まさか……」 直人 「昔のあのリボン、もう古くなってたでしょ? だから、新しい“約束の印”を」 紬は涙をこらえながら微笑んだ。 紬 「……ありがとう」 直人 「ううん。こっちこそ、ありがとう」 二人は見つめ合い、笑った。 それは、子どもの頃と同じ笑顔。 でもそこには、確かに“未来”があった。 風が止まり、桜の花びらが静かに落ちる。 その中で、二人の影がゆっくりと重なった。 ――あの日の約束は、今、叶った。 そしてまた、新しい約束が始まる。 花垣紬と橘直人。 幼い出会いから始まった二人の物語は、 やさしい春風とともに、未来へと続いていった。 【完】

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