愛染明王
45 件の小説下弦の月のように 上
陽射しの強い夏の昼下がり。彼らは希臘風の白い街を徘徊していた。明確な目的もなく、ただ、何かを求めて歩いていた。蒼穹を駆け抜けてゆく猛禽の影、その尾羽がさらりと垂れて視界から遠ざかってゆく。彼らはそれを見て「涼しそうだ」と思った。そうしてまた袖を捲って息を吐く。漆喰の塗られた洋風な家が光を反射して、彼らの黒襯衣に光を封じ込めていた。嗚呼、もう汗が垂れる。街では黄色い、爽やかな色合いをした檸檬が売られている。急な坂を登った。隣を歩いているクルルは平然と、ただ蹄を鳴らしている。渦の巻いた毛を背に長して鼻をひくひくとさせていた。 「君は『故郷』と言われて何が思い浮かぶ?」と、不意を突くようにエヴァンが訊いた。クルルは少し、ぎょっとしたように顔を向けてくる。眉間に小さな皺を寄せて、眼を剥いた顔だ。猫科に近い上唇溝が見えて、その間から牙が覗いた。 「故郷、と言われると先ず秋を思い浮かべますね。我が家では暮れ方に蟋蟀の鳴き声が聴こえるので窓を開けます。すると、隙間から秋の冷えた風が一気に入り込んで来て涼しくなるのです。その秋風に乗って近所に咲いている金木犀の香りが乗ってきますから、香りをツマミに酒を呑んでいました。而も、屋敷から外へ歩くと茜に染まった椛が一面に広がっていて、崖の下を流れている川を落ち葉で彩っていました。その景色をもう一度見たい、と時々思うのです」 クルルは哀しげに遠くを眺めた。その先に何があるのか、彼には分からない。郷愁に溢れた若い眼が空の青を吸収して、スッカリ鏡のようになっている。彼はその眼を見て、頭を悩ませた。何処迄も真っ直ぐに伸び続ける竹のような麒麟が、悪意のある動物からの乱暴で此の西欧に居る。本来居るべき場所は、此処ではない。そう思うと何だか胸が苦しくなってしまう。息を吸っても、身体に酸素が行き渡らないような気持になった。 「椛か。東国の何処だろうか」 彼が襟元の釦を外して、爪を掛けた。坂の上へ行くと塔が見えて跳開橋が掛かっているのが窺える。その下には濁った川が流れていた。いつもは雨が降っていてもっと濁っているが、数日の晴れのおかげで底が見える。川沿いを歩いているのに涼しくないな、と襟を揺らしていると、クルルがうーんと唸り声を上げた。 「英語で何と言うかは知りませんが、京洛都の西水郷という所です。標高の高い山脈が国を分けて連なっていて、その斜面の所から下らへんです。桃の樹がある所に広い湖があることから西水郷、桃水郷と呼ばれています」 「ふむ、私もそこに行ってみたいと思う。君はその都で細菌や菌類の研究をしたのだろう? 興味がある」 そう言って、面白そうにした。言葉を聞くなりクルルはまた吃驚して、それから頬をちょっとだけ染めた。 「本当ですか。ならば、秋頃に行きましょう……」 橋を過ぎてから、雨の予感がしたので家へと向かっていった。交差点にある珈琲屋を歩いて、古い教会を通り、博物館の裏側を歩いて海沿いまで行くと家がある。門の前に辿り着く頃には小雨が降っていた。遠くから蛙の笑い声が聞こえてくる。辺りからは熱っぽい土の臭いがした。室内では菓子を食べながら紅茶を飲んで、医学誌を捲っては細胞の写真を見比べていた。その隣でも、クルルは恍惚とした表情で鼻を押さえている。手元には、一切読み進めていない小説が置かれていた。 銀杏が質素な街を彩る日、エヴァンとクルルは荷物を纏めて空港に居た。彼の門下生らも二頭を見送ろうと近くへ来ている。その言葉を浴びて、彼らは照れ臭そうにしつつ飛行機へと乗り込んだ。 「門下生の皆が先生のことを信頼しています」クルルが悔しそうに言った。 「私も貴方にとっては、大勢の中の一頭なのでしょう」と続ける。エヴァンはすうっと眼を細めて、唇を歪ませる。その頬を鱗の艶が美しく撫でていた。彼は顎下に人差し指を添えて考えるような素振りをする。クルルの眼から遁げ星のような涙が去ったのは言うまでもない。 「いいや。君は彼らの中では最も悪趣味だから、同じだとは思わない。それに、私は君以外の門下生にメスを入れた記憶がないんだ。その点において、君は私の記憶に色濃く残っている」 「そうですか」 飛行機が離陸した。分厚い雲を突き抜けると、そこはまるで太平洋の真ん中のような蒼穹の世界だった。何処までも雲が覆って、もう大陸は見えない。彼らは到着するまで瞼を閉じて、深い瞑想に陥った。眠らず、ただ一つのことに集中して考える。クルルはそんな彼を只管凝視していたが、数時間もすると飽きてしまって水を飲んだ。喉が潤うだけで、幸福感はない。飽きてしまっても彼の顔を見たくなった。「先生ッ」と呼び掛けたくなる。そうしてまた隣を見た。彼はふと眼を開けて、夢から覚めたようにぼんやりと此方を窺っている。クルルが「お早う御座います。彼方の国は夜明けの時刻でしょう」と微笑んだ。飛行機は着陸すべく、段々と下へ向かっている。視界を覆う緑の大陸がそこにあった。西欧、北欧では見られない珊瑚の屋根。そして派手とも言える彩りのある彫刻が門に施されている。彼らは飛行機から出て行くと、通貨を替えた。 「先生、此処から遠いのですが、かの山に飛ばねばなりません。霧が邪魔かもしれませんが、その時はどうぞ私の肩に掴まってください」 クルルはそういうと、脚の蹄で地面を蹴り上げて、空の雲を掴み乗った。エヴァンもそれを横眼に翼を皮膜が裂けるほどに広げてはためく。雪に覆われた山の下には湖があった。言われてみれば、囲うように桃の樹が生えている。その中心には寺院があり、狸が修行を積んでいた。上へ、と滑空しながら向かうと緑が減ってくる。殆ど火山岩のような塊が浮き出ているのだ。彼らは峠を越えて蒼い山脈の果てまで行くと鯱鉾の乗った建物を見つけた。クルルは嬉しそうに尻尾を振って「私の家です」と言う。彼も少し嬉しくなった。空から落ちるようにして草叢に足をつけると、蔓の巻いた門を通って建物の前へ立つ。左右対称かつ斗栱の家だ。牌楼式の屋根は開放的で、自由らしさが感じられる。その家が一軒かと思えば、家以外にも建物が分かれていた。家の中には池の庭園もある。肥った紅鯉が鱗を煌めかせて優雅に泳いでいた。 「私は其処の建物で熱帯医療の研究をしていました。まだ研究結果の残骸が残っている筈です。覗いてみましょうか」 クルルの背を追っていった。先刻見えていた薄汚れた建物が研究所らしかった。外観の印象は清潔感すらないが、中は誇り一つなかった。まるで潔癖症が掃除した後のようである。そこは広々としていて、棚には瓶が置かれていた。ホルマリン漬けになった奇形の胎児や、寄生虫が居る。また、アニサキスに寄生された海豚の脳やら鯨の腎臓が置かれている。採取した場所や日時まで書かれていた。その棚の下には解剖図やカルテがある。エヴァンはそれを一冊手に取って文字を辿った。顕微鏡で観察した細菌の写真が貼られて、特徴などが細かく纏められていた。そして幾つか化学式がある。 「ふうん。抗酸菌から赤痢菌まであるのか。水系感染のレプトスピラ症……熱帯や亜熱帯諸国では流行しているらしいな。輸入感染の事例が此方でも報告されている。君は抗菌薬を自作していたのか。此は自分なりに工夫して研究した賜物らしい」 また一枚と捲る。他にも名のない奇病が数々綴られている。皮膚を突き破るほどに肝臓が腫れ上がったり、嚢胞で腎臓が圧迫されていた事例がある。その中でも内臓が海綿のように穴だらけになった写真は彼を驚かせた。 「ええ、流行によって薬の輸入が困難になったのでね。黄疸が起きた後に腎不全に陥ってしまい、死亡した患者も多く居ましたから。早急に治療しなければ不味かった。そのこともあって、西洋の医療技術も多く取り入れて、効率よく抗菌薬を作っていました。それこそ先生の書いたものですよ」 「私の書いた論文?」とエヴァンが首を傾げる。 「はい。薬を作る際に部品をある程度作っておいて、それらを組み合わせることで抗菌薬を作ることが出来ます。そして別の抗菌薬を作る際も、その部品を入れ替えたり差し込むことで短い期間で大量生産が可能になったわけです」 「あの単純な内容を抗菌薬に応用したのか。凄いな。此は何だろうか、珍しく英語で書いている」 ふと洋卓に置かれた紙を摘んで、冒頭を読んだ。I would like to present the findings of our research, albeit in a condensed form. We endeavoured to conduct a thorough investigation whilst prioritising the patient’s well-being, with the aim of achieving results as close as possible to those of Evan Hellesenと。その英語が上手とはいえなかった故に、彼は何が書いてあるのか一瞬よく分からなかった。理解しようと冒頭のIに戻った時、クルルが顔を真っ赤にして紙を奪ってくる。 「見てはいけません」 「何だ。文の一部に私の名が見えたぞ。成果が……何だと?」 彼も紙の端を掴む。クルルが外方を向いて恥ずかしそうに「見ようが見まいが変わらぬことです」と言い放ったので彼はつまらなそうに「ふうん」と返事した。クルルは廻転椅子に腰掛けて、久々に顕微鏡を覗いた。紛争があった後でも壊れていない。そのことに安堵して背凭れに体重を乗せたまま天を仰いだ。それを横眼に、エヴァンは標本やらを物色している。 「私の知り得ないことを君が知っている。これほどまでに愉快なことはない。私は寄生虫や熱帯病の理解が薄いから、此を機会に学ぼうと思う」と言って、彼はホルマリン漬けの瓶を持ち上げた。 「じゃあ、私に外科手術を教えてください。先生のように神の手を持っていないけれども、隣に立てるように努力をしたいのです」 彼は瓶を置いて体を向けた。 「隣に立つだけで良いのか」 二秒ほど返事を待つ。それでもクルルは唖然としたような様子だったので、彼は近寄って呟くように言った。 「前へ行くつもりはないのか。私を越えないのか、君は。そのような心意気で並べると思っているのかね。君は勘違いしているようだ」 「そんな"手"は……」 クルルが淋しそうに俯く。到頭、彼は苛立った。椅子を廻して此方を向かせると顎を左手で押し上げて眼を見るようにと動かす。 「"手"? 必要なのは状況の判断と知識だ。君の持つ知識は何処迄も役立てられる。手術は出来る限りすべきではない。薬もそうだ。出来るだけ負担を負わせずに綺麗に治したい。手術が全てだと思っている奴は医者に向いていない」 「あゝ、すみません。先生」 泣きそうな顔に、多少の喜びの色がある。能力を認めてもらえたようで、感激に震えていた。また、その興奮で軽く眩暈がする。その妙な表情を見てエヴァンはゾワと背筋が冷たくなった。数時間、互いに調べ事をしてスッカリ黙ってしまった。彼は竹の間に和紙を張った行燈隣の置かれた部屋へと向かうと、囲うようにある本棚から論文を取り出した。表紙は自分で描いたらしく、論文の一節ずつにメモのようなものが書かれている。その内容は全て彼が書いたものだった。読んでいるうちに疑問符が浮かぶ。何故こんなに私の書いたものを掻き集めているのだろうか、と。そう悩んでいるとクルルのいる所から煙草の煙が風に乗って流されてきた。窓を開けたからだろうか。 「君、私と出会う前から私の論文を破いて纏めていたのか。最初に書いたものから数年前のものまで全てある。それは、何故……」 「さあ、ね。何故でしょう?」 クルルは煙草を咥えながら空嘯いた。彼はぎょっとした風だったが、呆れたように瞼を閉じて隣に立つ。地平線に夕陽が沈んでゆく。宵の空に明星が煌めいて、軈て窓の外は帷が掛かったように暗闇へ染まっていった。夕飯は餅と野菜の汁物らしい。その晩、彼はクルルの作った料理を馳走になった。奇妙なねっとりとした食感に野菜の味覚がして困惑したらしいが、噛んで飲み込み「美味い」と言う。全てを食べ終わると彼が食器を海綿で洗っておいた。また、交代に浴槽に入って全身を擦って洗う。広々として、而も露天風呂は初めてである。月夜の下で裸体を晒すのは一興かなと思った。織物のようなタオルで濡れた身を拭いて乾かすと、風呂上がりのクルルに声を掛けられる。 「散歩に行きませんか。今宵は下弦の月が出ています」 窓から片足出して涼みながら言う。彼は神経質そうな手を擦り合わせて、椅子の上から動かずに居た。 「夜の山道は恐い。得体の知れない虫に咬まれたら厭だ」 「私と手を繋げばよろしいでしょう」と、頬を膨らませた。そして手を差し出すとエヴァンは軽く片手を添えるようにする。二頭は気恥ずかしそうな雰囲気になったが、直ぐに慣れてしまった。硝子に覆われた角灯の持ち手を握り、山道へと駆けて行く。角灯の灯りに蚋が寄ってきては留まった。泥濘んだ地に足が持っていかれる。クルルはそれに慣れているらしく、蹄の先端で跳ねるように歩いた。道の奥には紅葉した椛の樹が揃っている。川に葉が落ちて紅に染まっていた。 「あゝ、綺麗ですね、先生。細胞内のpHが低いとアントシアニンはより綺麗に紅く染まりますよ。だから、あすこはpHが低いんでしょう」 エヴァンは興味なさそうに相槌を打った。彼らは暫く何も話さず、其処に留まった。時の流れを気にせずに景色を見下ろした。
失恋
頬が冷たくなっていた。外は雲一つない青空で、遠くの景色を陽炎が揺らしている。私の眼の前に鳶の影が落ちた。私の足下だけ歪んでいるように見えた。近くに、腐敗したブランコがある。何もかもが錆びて色褪せてしまったようだ。昨日までの日常が、先刻の言葉で全て濁ってしまうのならば、私は此処で首を絞めて死んでしまおう。橙色の雛罌粟を前にそう思った。心臓に鬱悶の漲る蔓を巻いたように、締め付けられて朦朧としてくる。走馬灯のように、彼女の体が瞼に映し出された。 私の記憶上の彼女は、いつも太陽の方を向く向日葵のようだった。彼女は香水など吹き掛けるような性格ではないが、私の鼻には百合のような芳香が漂ってきて肌を潤わすようなみずみずしさを感じたのだ。薄紅色の柔らかい唇が肌に溶けるような色合いで、笑うと隙間から白い前歯が覗いた。悩めば、下唇が少し食い込んでしまうし、眠るときは涎が垂れる。そして弧を描くような輪郭が綺麗だった。艶のある黒髪を後ろで一つに纏めている。汗ばんだ頸のテカリと、ポトンと砂に染み込んだ粒。艶かしい細々とした指先と眼差し。その長い睫毛に包まれた眸は色素が薄く、瞳孔が明瞭に見えた。彼女の豊満な胸は柔らかな脂肪に包まれて、薄白い。きっと、彼女に似合う桃色の乳首なんだろうな、と毎日考えていた。容姿を見ても、触れても淫らだった。本能が疼くような堪能的な美女だ。彼女の生温かい息さえも蜜のようで、私は自然と翅を伸ばして引き寄せられてしまう。なんて罪な女なのだろう。いつかは彼女の漿液を洋盃で受け止めて、冷めないうちに舌で転がしてみたい。考えているだけで血管の浮かぶ陰茎《ペニス》が硬くなり、彼女の家へと反り上がるほどに愛していた。 そんな彼女に、私以外の恋人が出来るなんて考えたこともなかった。私はその報告をされた時、唖然として、時が止まったように感じられた。時計の音すらも耳に入らなかった。風も感じなかった。心臓の脈拍すら、意識する暇がなかった。「あ」とだけ漏らしたのが断末魔のように鼓膜の中で連続して、次第に鼻腔らへんが酸っぱくなった。 「卒業後くらいかな。凛君が『もし、俺が付き合いたいって言ったらどうする?』って訊いてきたんだ〜。私、その頃には好きな人が居たから迷ったけど、『大好きだよ』とか言われると好きになっちゃって。一眼惚れしちゃった」と彼女の文章が送られてくる。私は「本当か?」程度しか反応が出来ずに当惑した。そして、やり場のない怒りに駆られた。顔が紅潮して、唇を噛み締める。そうして眉間に皺を寄せると愛染明王のような面になる。疑問符など出てこなかった。一文で状況は理解出来た。それでも、理解したくなかった。末端まで張り巡らされた私の神経がそれを拒絶していた。 「デートしたのかい」私は蹌踉めいて、思わず壁に凭れた。膝が痙攣している。恐怖と嫉妬に塗れた粘り気のある感情が、何処となく溢れ出してくる。私は正常心を保とうと息を吸った。酸素が針のように尖って肺に穴を開ける。ピューと酸素が漏れて肋骨の下ら辺に溜まった気がした。返答は「うん」だった。明らかに喜んでいる。そんなところも可愛らしい、きっと彼の前では御粧しているのだろう。 「凛君が他の女の子に笑顔で接したりすると悲しくなって、自分が嫉妬していることに嫌悪感を感じるんだよね」 私は嬉しくなった。もっと嫌いになってくれ、そうして別れたよと報告して欲しいと思った。同時に、彼女が悲しむのは厭だ。笑って幸せに生きてくれとも思う。私はその話題を適当に、薄く処理した。そして倒れ込んだ。それが今だ。此の素晴らしい景色、涙で歪んだ青空だ。もう彼女の顔を見ることは出来ぬ、と思った。 そうして私は、雛罌粟を片足で踏み潰した。
大和撫子
数ある中で、私の知る女はどれも妖艶であった。皆が薄化粧をしている故に月光の射したような白肌で、腰ほどまで垂らした艶やかな髪を束ねて、蜻蛉玉の飾りをつけた簪を挿している。私の知る限りでは、簪というものは高級品で、和服と合わせて挿すものだと思い込んでいた。然し、今では洋服にも合わせられるように職人達が工夫して造っているらしい。蜻蛉玉の模様は物によって様々である。偶には珊瑚やらに花の彫刻を施していたりした。過去に福岡の太宰府で簪の売られている店を物色していた時も、そのように彫刻の施されたものが売られていた。そんな簪を、彼女らは大切そうに集めて木箱に詰める。銀製のものから、二股に分かれたものまで様々だった。彼女達は簪を抜くと、椿油を染み込ませた木の櫛で髪を梳かす。そうすると、畝っていた髪が真っ直ぐになって、艶やかになるのである。そうして化粧を落としたり、上着を一枚脱いだりする。此の夏の季節は汗ばんで肌の色が布越しに透けて見える。白い下着だと胸元の隆起からその先端までもが、柔らかな桃色になって滲み、濡れた下着が密着することにより、輪郭が整って強調されるのである。肉肉しい太腿から垂れる大粒の汗。そして濡れた頸を見ていると疼く。服の密着により、体全体の微かな膨らみや括れが眼で分かる。彼女達から流れてゆく水は、突如として砂漠に現れたオアシスのように輝かしく映った。もしもランプの魔人が煙のように現れて、願いを叶えようと言うのならば私は、汗を纏った女の爪先から脳天までを舌で舐め尽くしたいと叫ぶことであろう。
IN JAPAN 5
根津は特に困り事もなく、仕事を進めていた。取り敢えず、信頼出来て使えそうな組織を見つけると印をつけた。 黑麒麟《ダークウェブ》という脈々と広がるサイトは特に使える。何故なら求人募集なんかも大規模に行い、而も報酬として貰える金額は一般的な企業と比べて三倍近くはあるのだ。黑麒麟本社はラスベガスかもしれないが、元々は中華系のサイトであった故に華人や日本系が多く働いている。また、黑麒麟社の拠点は米国、露西亜、西班牙、中国などの地域だ。それらの地域は日本との関わりも濃い。 彼は届いた卵を手に取る。殻は白く、ざらりとして硬い。箱には経由した道を長々と書いており、その下には一言綴られていた。 Why do the Japanese drive on the left side of the road? Because it’s the right side. 卵を砕くことも、焼くこともせずに冷蔵室に詰めた。それから何食わぬ顔をしてパソコンを開くと、最新のニュースが載っている。【GAKUTO TENSA Believed to Have Fled to Japa】ふむ、と彼は思った。そうして疑問が過ぎる。博戸を生かす理由が何処にあるのだろう? 指名手配されている猫が日本に居るのならば始末した方が早いのではないか。然し、その案件を此方が承るのは面倒な話だ。むしろ被害を被る可能性がある。ならば関わらない方が良かろう。 一方でBTとサムエルは中華料理店で回鍋肉を食べていた。中国風の回鍋肉は皮付きの豚肉の薄切りに蒜苗を加えて豆板醤で味付けをした、舌の痛むものだ。味覚の鈍いBTはむさむさと咀嚼していた。英国の素朴な料理で育ってきたサムエルにとって、中華料理というものは食べる毒である。彼は敢えて手をつけずに、作業に没頭していた。油の調合である。 「サムヱル、キミ、変ナ顔シテドウシタ? 血ヲ抜カレタ鰻ミタヰナ顔デ面白ヰ」BTが顎に手を添えて、がこんと首の骨を折る。そうすると頭が外れたように傾き、ひっくり返った。サムエルは一瞬心臓が震えたが、後にふうと息を吐いて「辛いものが嫌いでしてな」と冷然と答えた。するとつまらないそうにBTは頭を元の位置に繋ぎ合わせて、爛れた眼を向ける。皮膚の破片が黄緑に発光してはらはら落ちていった。 「ソレハ何ダ」 彼の手には赤い艶のある、唇のようなものがある。彼は笑いもせずに顔を向けた。義眼を外しているからか、右眼が垂れている。 「熱帯植物って知っていますか。熱帯に分布する植物全般を指します。その中に、食虫習性を持つ食虫植物という種があります。その中でも有名な靫葛という食虫植物に似せたものを作っているのです」 「靭葛? 壺ミタイナ奴カ!」膝を叩いた。 「ええ、左様。大きな靭葛を作るのです。足元が滑るように油を塗って、薬品を中に詰める」 「ヘェ!」 面白そうである。サムエルは適当な裏紙に万年筆で絵を描いた。靭葛の葉を擬態させるような形にして引っ掛ける仕掛けである。非常に単純かつ、危険で、一種の地雷のようにも思えた。 「そいつを落とし穴のような形式にして、人を落とすという策です」 「ソンナ馬鹿ナ作戦ニ引ッカカルカ!」真っ赤になって激怒する。 「足を『滑らせる』んですから。無論ですな」サムエルは眼を覆って高笑いする。そして厚着をして、化粧をし、手袋を着けてある場所へと向かう。道端の道化師を路地裏に引き摺り込んで、風船を奪い、巻き毛までを剥がし取ると、自ら道化師になりすました。そうすると、一人の、頬の赤い少女が走ってやってきた。サムエルは屈んで風船を突き出す。一部を避けるように屈んでいた。 「お嬢さん。風船がありますよ」貼り付けたような笑顔を向ける。少女は両手を前に出して「風船!」と叫び、数歩をたったと進む。すると足元が崩れて薬品の海へと溶けていった。特有の刺激臭は鼻腔を刺激し、脳までツウーンと痛む。そして断末魔と共にジュワアと肉が灼けてゆく音が鳴り、嫌な匂いが漂ってくる。軈て音が消えると、葉の底には、赤子のように膝を抱いた赤黒い塊と微かな骨が浮かび上がってきた。まるで轢かれた蛙のように臓器が抉れ飛び出し、それが薬品によって溶かされているからか屑のようになっている。我が子の消えた現場を見た母親らしき女性は「ジョニー!」と少女の名を叫んだ。そうして、悲鳴のようなものを上げて向かう。大きな葉を捲って中を覗こうとすると、唇のような縁が油で滑って、中へと落ちてしまった。 「匂いよりも強いものは情でしょう?」サムエルが化粧を流しながら笑う。「呆レタ」とBTは退屈そうにした。 「おや、また左眼が潰れていますよ」 先の尖った鉤爪で支える。BTは眼を見開くと、指で摘み上げて中へと押し戻した。 「チェッ、上手クヰカナヰモンダネ」 一人と一羽はまた中華料理を食べに向かった。その日の宵は、星が磨き上げられた硝子のように煌々と煌めいていた。その星の下でマーライオンが一頭、水を吐いている。 その日、日本で仕事の忙しさを経験した博戸は、あまりの焦燥感に吐き気を覚えていた。徹底した詐欺。もしも勘付かれたり、情報が漏洩したら速攻で殺されかねない。そして根津と交渉が出来なかったら、きっとサムエルから猫の刺身にされてしまう。刺身どころか、砂の粒にさせられて三途の川の底に沈むかもしれない。そして砂は運搬されて、角が擦れて、軈て形も残らず消え失せてしまったらとんでもない。考えるだけでも血管の内側がヒヤリとした。先刻からサムエルと電話がつながらない。何遍繰り返しても、応答はない。褐色の肌に冷や汗が染み出してきた。 「ピスキス君、ピスキス君。サムエル君と電話が繋がらないよ。まさか死んでしまったのかもしれない。どうしようか? 一生の此の姿だなんて嫌だ」 指名手配だということも撤回せねばならない。ピスキスはそれでも落ち着いて、腹の底から大声を出した。 「気にするでない。奴が死んだらどうせ我々も死ぬのだからな!」 「はあ、そんなこと言われてもね。君、何飲んでるんだい」 「パイナップルジュースだ!!」と瓶を見せる。瓶には英語でパイナップルと綴られていた。 「変わってるねえ」 「そういえば黑麒麟から電話をもらったぞ。彼曰く『信頼は獲得したように見えます。まア、調子が良いでしょう。彼らの会社とは一年近く掛けて信頼を得た方が宜しいと思いますな。我々からしても興味が湧くのでね』とのことだ。全く! 私にそんなことをしている暇はないのに!」 声真似を交えてみる。博戸は終始苦笑していたが、ふと何かを思い出したように、眸にスペードを浮かべた。 「働いても無駄だよ。君も私もそうじゃあないか。どうせ死ぬのならば賭博をしよう。取り敢えず、ラスベガスの賭博場に行こう?」 「嫌だね! 私はそんな不埒な事せんのだ」と突起の揃った舌を出す。彼は少し苛立ったような態度を取って、身をすうーっと寄せてきた。 「不埒だって? そりゃあないよ、ピスキス君。賭博は浪漫であり人生さ。人々の欲に塗れて、その中で大切なものを賭けるあの緊張感こそが快感そのものなのだよ」 「人じゃないくせに人生論を語るな!」 ピスキスが瓶で彼の頬を軽く叩いた。痛い、鈍い痛みが走る。もしも死んでいるのならばこんな痛みを感じる必要がないのではないか、それとも、まだ生きていた頃の感覚を覚えているのか? という単純な疑問が浮かんでは消えた。
腹立つ
私の親は世間的にいうと馬鹿である。双方、全体的な理解能力が著しく低く、想像力に欠けているのだ。私は彼らと同じように馬鹿であろうが、学問を楽しむ程度には能がある。学問に対し、努力を怠ってきた彼らと私では雲泥の差が生じていることは明々白々であろう。今、私は私を「馬鹿であろう」と書いた。実際はそう思っていない。ただ、客観的に書いた方が印象が良いのでそう綴っただけである。怒りに任せて文章を書く時、きっと相手を下げて自分を上げるのが定番だ。その定番に抗うためには此が必須である。まず、自分を彼らと同等まで言葉上下げておくのだ。そうすることで「私は彼らに気遣いの出来る有能な人なのだ」と優越感に浸ることが出来る。そうして、満足した時に飲む緑茶ほど美味いものはない。 そういえば、彼らと私の交わした会話について少し公言しておこう。まあ、馬鹿馬鹿しいといえばそうなるが、兎に角書いておかねば気が済まんのだ。その前に一つ前提を置いておく。 今日の昼下がり、私は学校内である研究授業で分野を分けることになった。選べるものは人間科学、教育分野、医療、自然科学、社会科学だ。そして、進学クラスの一、二組(私は二組である)と非進学クラスの三、四組合同で選ばれる。私は医学部を志していることもあり、医療に行ってはどうだと勧誘された。だが「大学で研究したいので、今は遠慮しておきます」と断ったのである。実際はそのような理由ではない。単純に、そこにいた人々の顔が厭だったのだ。蛇と狐を合わせて揉み合わせたような意地の悪い眼を見ると腹が立つ。仲の良い友人には「私が彼女達に喧嘩を売らないためにも入れないから」と言っておいた。事実、もしも喧嘩になってしまったら退学になるのだ。そして人間科学は人が多すぎて入る隙間がない。社会科学には興味がない故に何も出来ぬ。教育には興味があっても、数人が孤立しているのを見てしまったので不愉快になった。消去法で自然科学となる。然し、非進学クラス以外の生徒は私以外に居ない。此は困った、と私は思った。そんなことでは論理的な議論など出来ない!だが、頭は柔らかいだろうから多種多様な意見は出るはずである。私は不安を抱えつつもその列に並んでみた。列の人々は頗る残念そうな顔をして此方を覗いてくる。自然科学とは生物に、物理や化学なども含む。「自然」というからには此の私達の生きる世界で起こる現象である。そして日々解いている数式や関数など、それらの数学が現象となって視覚的に表すことができる分野も自然科学だ。私はそのように、現象と結ばれた数学といった印象を抱えて自然科学に入ったのである。また、受験でも人生でも用いる思考は論理や根拠のある研究だと考えた故の選択であった。 そして両親に此の事を伝えると、泥酔した父親が舌打ちをして机を叩き、涎を撒き散らして怒鳴っていた。諦めたような口調である。 「馬鹿しか居らんところに入ったのか。医者になりたいって言ったのも嘘なんだな」と。 現代語訳するとこうなる。私には意味がわからない。医療で論理的な思考を使うのは当然だ。そして、興味を持った分野を好きなだけやるのが青春なのではないだろうか、と思う。彼らの頭蓋骨に詰まっている脳が正常か否か気になるところだが、認知症でもあるまいし機能が弱いだけだろう。こうして親を侮辱する言葉を綴るのも申し訳ない。それでも周囲から笑い物にされて、冷ややかな眼を向けられている彼らのためにも私は言わなければならない。「馬鹿だ」と。そう言われて人は初めて気づき、そして恥じるものだ。自ら選び歩いてきた人生を恥じるなんて、と思うかもしれない。それでも人の迷惑になるよりかは良いだろう。将来のことを碌に考えずに生きて、浮気をしたり他の女のヴァギナを追って過ごしていたであろう男よりか遥かに利口であることを認めていただきたい。そして、流れに沿って適当に生きた結果、常に現状に満足していない哀れな女よりかはマシな人生を歩んでいることも承知願いたい。 「はあ。呆れた」私は確かそう言った。そして彼らの幸せな死を祈ってその場から去った。後、此を書いた後に彼らの頭蓋骨を木刀で叩いて致命傷を負わせてやろうと計画していた私であるが、こうして文字を綴っているとその気は失せた。何処か遠くを歩きたい。もうすぐ雨が降る。
終わり
サーフィーが死亡したのは一瞬の出来事であった。彼はそもそも死ぬようにと命令を受けていたので、そういう運命だと歯を食いしばって死んだことだろう。また、藍玉らを庇おうとしたからか、彼が一番傷ついているのである。 ボニファーツは自殺する時何を思ったのだろう。エヴァンから批判的かつ軽蔑的な言葉を投げ掛けられてから、気が変わったのだろうか。ふと政治を掻き廻したくなったのだろうか。それには考える余地がある。後々PLAが最高幹部を暗殺したところを考えると、もしかすると自分が暗殺されて情報を知られることが嫌だったのかもしれない。一般市民は彼の死を知っているのだろうか? どうでも良いのだろうか? 馬鹿だねえと嗤って死んだのだろうか。遺言は残されていたのだろうか。 エヴァンは最期、何を見たのだろうか。表情から察するに抵抗していないことは明らかである。何を思って死んだのだろう? エキドナやパロマ達はどうなったのだろうか。修正する際に、それを書くかもしれない。 疑問点を残しておくと面白いし、答える余白が足りないから此方ではこうしておく。2026/05/17
IN JAPAN 4
地下鉄で左京まで行き、下鴨神社前にある加茂みたらし茶屋で御手洗団子を食べた。焦がし醤油のような甘い味が団子に絡み付いて美味い。 「私はサムエル君に随分振り廻された側だと思うよ。ピスキス君とサムエル君はどんな関係なの?」 「知人に過ぎん! 何も知らないし知りたくもないのだ! ただ失明させてしまったのは申し訳ないと思う」彼はしょんぼりとした。 「何故失明させたの?」 博戸が問い詰めるように身を乗り出すと、ピスキスは魚眉を垂らして「私もそれが思い出せない。潰したことは覚えているのだが!」と残念そうにした。 「変だねえ」と、博戸は気の毒そうにする。それから彼らは茶屋を出て歩いた。店に寄ったり、殆ど衣の豚カツを食べたり、資料を見つつ和歌山の蜜柑を食った。そうして日暮れ頃には小さな社に手を合わせて川沿いを歩いた。 下鴨神社の辺りには高級住宅街の雅な風景がある。東京のような派手な摩天楼や塔はないが、夜になると琥珀色の温かい光が障子越しに溢れて美しいのだ。彼らは一応、情報を纏めつつ考えようとぶらぶら街を歩いた。青い雑木林の底から螽斯の声が聞こえる。磨いたばかりの鏡のような月が道を照らしていた。 「うーん。サムエルの目的が分からん限り無理だな!」 串を牙に挟んだままもごもごと言う。隣で博戸は八橋をぼりぼり食べつつ肯定の相槌を打った。土産屋でここまで食べ物を買ったのは初めてかもしれない。京都の、香ばしく素朴な味がむしろ舌に沁みた。 「まあ飯を食わないとお前も駄目だろう! 京都は味が薄いからな、居酒屋はどうだ? 今の風貌には似合うが元の姿には似合わんな! うーん、バーに行くか。その後、コンビニでお握りを買おう! 外でサムエルに電話しておくから先に入っていてくれたまえ!」 「親切だね。そうさせてもらうよ」 そういう会話を交わしてから、バーを探した。都市部に行くとウヰスキーのある老舗があったのでそちらに寄る。博戸は礼を言って先に入ると、一番前に座って「ファジーネーブルを」と指を立てて頼んだ。ファジーネーブルはオレンジ果肉に、果汁を加えて桃のリキュールをステアしたものである。酒の度数が低いので彼にとってはぴったりだった。酒の味よりもオレンジや桃の芳醇な香りと酸味が舌を刺激する。暫くするとピスキスが青筋を浮かべて、明らかに紅潮した顔をして来た。そして隣に座り込むと「ヴュー・カレ!」と頼む。ヴュー・カレは見ての通り旧市街を意味する。それはライ・ウヰスキー、仏蘭西のコニャック地方で作られる蒸留酒のコニャック、そこにスイート・ベルモットをベースとしたものに、蜂蜜香る薬草系リキュールのベネディクティンと苦味の強いビターズを加えたものだ。ミシシッピ川河口にあるニューオーリンズ発祥である。薬草的な刺激と苦味をベルモットの甘みが調和して、コニャックがまろやかに仕立て上げるという味覚である。此もステアだ。飾りに檸檬の皮を挟んでいる。 「ネット通販のような会社が好ましかろうと! ドブネズミ《お偉いさん》と対等な交渉をすることを目的としているらしい! 架空だとしても実在していたことにするためには少しの準備が必要だ。それで! 主に販売するものはアイス《クスリ》やレンコン《銃》。その為には一時的にー、黑麒麟と協力して本当に売ったほうがいい! らしい! 金額は$と€で」 ずっと酒を呑んで舌で味わった。博戸は眉を上げてしょんとする。 「会社名とかどうするんだい、そんな、ダークウェブのような……」 「うーん。キャッツロードで良かろう! 我々は猫だ!」 「可愛らしい名前……でも本当に販売したら架空じゃなくない?」 「いいや。買わせるけど物は届けん……つまり詐欺だな! 私がこの世で一番嫌いな物だ!」 「私は比較的、得意かもしれない」眼を煌めかせた。 「だからドブネズミと交渉する時は、あくまで詐欺社としてだ! あいつはそう言いたかったのだろう! 知らんがな!」 そう言ってノートパソコンを開いた。黑麒麟に紹介されたアプリケーションに会社の概要を入力すると、すぐに作られる。料金は無料だが、利益の一部が黑麒麟に入ることになっている。そういう仕組みだ。そこに身元偽造のウェブサイトに入る資格を得るという内容で10,000$だったり、学位やパスポートの偽造で50,000$、また拳銃は比較的安い値段で売りまくった。ウイルスから覚醒剤まで。暫くすると数人が購入し、入金する。何もせずともがっぽがっぽ金が入るので、ピスキスは喜びの舞を披露していた。向こうからパスポート関連のメールが来たら博戸は恐ろしいほど丁寧に対応する。向こうからメールが来たり、接続されたら個人情報やパスワードが丸見えになる黑麒麟方式だ。またそれをとんでもない金額で売り捌く。そうして対応をしている間に朝が来た。 「凄いねえ、信じてるらしいよ!」博戸が感心して言う。隣でピスキスは「馬鹿しか居ないのだ! はっは!」と笑い転げ廻った。そうしている間に別人が接続する。接続されている場所はJAPAN、つまり日本にいる。そしてOSAKAだ。まさか! と思い名前を見るが根津ではない。Nedumi Shikiとある。向こうもある程度の情報を見えないようにする技術があるのか、正確な住所が特定不可能だった。 「こいつは不味いよピスキス君。多分根津君だ。どうしよう?」 「じっとしてたらよい! 別に観察してるだけなら此方から触れない方が良いし、それが最適解なのだ!」腕組みをする調子である。 「そうだね。あれ、メールだ。私達の現在地がラスベガスになっているせいで英語で来たよ。どう返事すれば良いだろう」 「貸せ! 私は五ヶ国語を覚えさせられているから英語くらい楽勝だ!」 和訳して省略するとこうなる。機関銃を買いたいが、本当に貴社が信頼出来るかを確かめる必要があるので、指定したものを此の住所に届けるように、ということだ。それは大阪府ではなく東京都の渋谷区であった。ピスキスは少し考えて喜んでお受けしようといった趣旨の返信をして、黑麒麟経由でそれを送り届けようと計画した。つまりはこういったメールに対応するのはラスベガス本拠地の黑麒麟であり(黑麒麟から届いたことも隠蔽をするため、墨西哥や別の都市を通ったり会社名を当然に変えるのである! 完全な特定は難しい)利益の大半を得るのは此方という都合の良い構図だ。本当はもう少し深く関与しているが伏せておこう。 その指定されたものは産地の限られた卵であった。輸送方法なども詳しく書かれており、加えて直筆でサインを書くようにという指示もある。「これで信頼を失ったら終わりだからね?」と博戸が言うと、ピスキスは「信頼を失うわけがあるか!」と激怒した。
書簡集一
―令和十六年書簡 三月八日〜 一 英国・倫敦《ロンドン》 W1U 3PP マンチェスター・スクエアN番地 エヴァン・ヘレッセン 拜啓 紋白蝶が花に留まっていた。先月に、グラヴィナ大公から王室で使われるような高級茶葉が送られてきたので、君にも分けてやろうと思う。そう思いつつも紅茶を淹れる気力もなく、まだ冷えるから炬燵に引き篭もっている。近日、大学で解剖の授業があった。学生達は吐いたり、どこかに行ってしまったので最後に残ったのは私だけだった。多少は気持ちが悪いだろうが、患者の腹を裂いてでも助けようとする心意気は持つべきだと思う。あと、ディアーノと偶然会って家に行かせてもらった。その際に経済学の書があって興味をそそられたので手にして、一通り読んでみた。あれは面白い。物理学もそうだが、豪傑で大雑把な彼に理解出来るとは到底思えない。表面で動物を判断することは最も愚かなのだと再確認させられた。それにしても、ロンドンは冬頃に雨が多かったが、やっと春を感じられるようになった。付近には水仙の蕾がある。暖かいし、ケンブリッジにも行ってみようかと思っても忙しい。近年、少子化の対策として医師免許を早期に取得出来るとの話だった。私はその対象で、言葉の通り医師免許を取得して医者となる。また、オックスフォードの方へ向かって研究を進めるので寄り道感覚で家に向かうかもしれないので承知願いたい。君の顔が一日でも早く見られることを願っている。 ボニファーツ・コリネリウスへ 英国・剣橋CB2 1JE ブルックサイドX番地 英国・剣橋CB2 1JE ブルックサイドX番地 ボニファーツ・コリネリウス 君からの手紙は嬉しいものだよ。此方は最近、曇天で薄暗い。図書館に寄って偶に小説や図鑑を借りて見るよ。独逸文学に触れたのは初めてだけど、中々に整ってていいね。でも僕は英国文学や伊太利あたりが好ましいかな。君はどうだろう? フランツ・カフカの変身やヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの若きウォルテルの悩みなんかどうだろう? きっと好きになるよ。彼の言うNothing is worth more than this dayとかね。君もよく言うことだ。最近は君のことを考えていた。元気だろうか、腹を壊していないだろうかと不安になったよ。でも君は溌剌として電話を掛けてきた。一安心だ。そういえば四日前、あの図太いディアーノが家にノコノコと入ってきて葉巻を吸っていたよ。何の葉巻だと訊いたら大麻だって! 僕はそんな臭い煙に巻かれていたんだ。悪い気分ではなかったけどね。そんな彼を好き勝手やらせて帰らせるわけにもいかないから数学について話させたさ。量子確率論だとか。でも物理の方が好きなのだろうね、必死に物理と結びつけようとする。まあ、似たような分野だろうが全然違うよ。 陸軍の方はだいぶ良い。仲の悪い犬猫が居たがなんとかなった。南欧との共同訓練では言語が通じないので少しだけ苦労した。だが、知ってる単語で何とか返事したよ。奴らはトマトに取り憑かれているからね、偶にトマトを紐に吊るして下げて、罠を仕掛けてやった。拳銃の扱いには僕の方が慣れているね。彼らは口説きが上手いよ。君も南欧の軍獣達を見つけたら身構えるべきだ。 君が彼らから接吻なんてされてしまったら僕はどんな顔をすれば良いのだろう? エヴァン・ヘレッセンへ 英国・倫敦《ロンドン》 W1U 3PP マンチェスター・スクエアN番地 本の栞にて落書き集 牙刺せば滲み出てくるや鰯の血 DD (犬の絵を添えて)弱虫め OL マゾヒズムの経済論的問題って知っとる? DD (その返事で)自分の性質を知ろうとする勇気を讃える EH 僕は君が好き RM 課題って何ページだったっけな? OL (その返事に)三十一から四十五だよ RM ニュース【春】 イエローオルカ銀行、大幅に増収増益。 陸軍兵、ヴェンリーから帰還する。 クルーズ船で集団感染か。壁蝨の死骸が原因かと思われる。 大西洋の島々で感染拡大。病院にワクチン届かず。 サーフィー・ヘレッセンが原子力潜水艦から陸へ帰還。 エヴァン・ヘレッセンの書いた再生芽についての論文、細胞再生理論が掲載される。 新種の深海魚、島に漂流か。 ─五月一日から 一 英国・倫敦《ロンドン》 W1U 3PP マンチェスター・スクエアN番地 エヴァン・ヘレッセン 拜啓 君からの書簡を読ませてもらった。私は元々、独逸文学に興味があるので有名な作品は大抵読んでいる。独特な作品が多い反面で、政治から哲学的なことまでを描いているのが好きだ。 さて、もう日暮れが遠くなってしまった。私が此の書簡を書いている時間は六時頃である。面白いことに、まだまだ陽は沈まないらしい。幸い、私の書斎は北側にあるので眩しくない。むしろ少し暗いと思う。君の住宅地は西寄りだったか。夕陽が眩しいことだろう。だから白い日除けを贈ってやった。どうぞ役立てて欲しい。 ボニファーツ・コリネリウスへ 英国・剣橋CB2 1JE ブルックサイドX番地 英国・剣橋CB2 1JE ブルックサイドX番地 ボニファーツ・コリネリウス 君ほどに優しい男を見たことがない。君に貰った日除けは効果抜群だった。そういえば、棚を整理していると幼い君の写真が出てきたんだ。懐かしいね。 昨夜、話を聞いたのだが、知り合いの彫刻家が聖堂の修正をしているらしい。君の先祖の筋を彫り出しているのだ、と。二頭で見に行こうか。 英国・倫敦《ロンドン》 W1U 3PP マンチェスター・スクエアN番地 エヴァン・ヘレッセンへ 電話での会話 エヴァン(受話器を手に取り)「Hello.調子はどうだ」 ボニファーツ(嬉しそうに)「絶好調だよ。晴れが続いているからね」 エヴァン「へえ、此方は雨だ」(悲しげに)「洗濯もできない」 ボニファーツ「室内に干せば良かろう。推理小説の最新刊が出たと聞いたよ。読んでみるかい?」 エヴァン「まだ三冊しか読んでいないから、早すぎる」 ボニファーツ「海蜘蛛探偵団出てきたかい?」 エヴァン「まあ」 ボニファーツ「ふーん! 僕ねえ、探偵団の蝶鮫が好きなんだ」 エヴァン「双子の蝶鮫か。何方?」 ボニファーツ「釣り針が鰭に刺さってる方の」 エヴァン「兄のファブリスじゃないか」 ボニファーツ「そうそう! 乱暴だけど自分の意見がハッキリしてて憧れるよ」 エヴァン「へえ。私は海蜘蛛の方が好きだ」 ボニファーツ「海蜘蛛? 気持ち悪いだろうに」 エヴァン「海綿の上に乗ったり、描写からして可愛いだろう。友達が海星と海鼠なのだから」 ボニファーツ「軟体動物は可愛いけど鋏角類は好ましくないね」 エヴァン「と言いつつ蝶鮫が好きなのだろう?」 ボニファーツ「性格だよ、性格!」 エヴァン「海蜘蛛だって温厚だろう?」 ボニファーツ「かっこよさが足りないんだよねえ」 エヴァン「はあ」(呆れる) ボニファーツ「そういえば君、愛情不足かい?」 エヴァン「だとしたら?」 ボニファーツ「僕が癒してあげようか」 エヴァン「気色が悪い。何をするんだ」 ボニファーツ「抱擁するよ」 エヴァン「ふーん、はあ、そう。ならよろしく頼む」 ボニファーツ「素直だね、何かあったの?」 エヴァン「世間から批判を浴びている。研究のせいだ」 ボニファーツ「僕は素晴らしいと思う」 エヴァン「……そうだろうか?」 ボニファーツ「ああ、そうだよ」 エヴァン「君はたしかに友達だな」 ボニファーツ「……会うかい?」 エヴァン「ああ、そうしよう」
IN JAPAN 3
ピスキスは数日してから大阪へやって来た。そして彼は小さな背広を纏って、片手にアイス・クリームを持っていた。 「けっけ! 酷い目に遭った! 其処の負け猫? 真似猫? まぁいい、猫太郎めが……こっちに来い!」 手招きしてくる。魚眉毛がぴくぴくと動いていた。博戸は疲れ果てた様子で駆け寄ると「博戸だって」と声を上げる。彼は言葉を聞き流して、神経質そうな視線を向けた。 「架空の企業を作れという話は聞いたか? あのデブ鳥曰くそれが役に立つそうだぞ! 内容を決めようじゃないか」 「はあ、内容ね。賭博関係がいいな」と腕組みして考えを巡らせる。もしも正式な賭博ならばもっと嬉しいものだ。私は管理する側よりも遊ぶ側が良いが、他企業よりももっとマシだろう。ピスキスは眉を吊り上げてにこにこと笑った。そして、丸っこい指を出す。 「私はICT関連企業が良い! 理由は稼げるからだ。まぁ、参考としてだな! あの企業は此方でも良い意味で有名なのだ。JAPANの企業は六菱などの大手会社や完成度の高い自動車会社が有名だろう! きめ細かな接客対応や高度な技術は欧米諸国も参考にしている。MADE IN JAPANと言われるようにな。いわゆる職人気質が多いわけだ! その中でも接客対応や責任感などの点であの企業は高い評価を得ている! ま、一般人どもは一部、ほんの一部しか知らないがな! その反面、私がワシントンD.C.のとあるK企業にいた頃の話だが、あの会社が税務署と悪い仲だと聞いたのだ。何故だろう! 犯罪者気質な奴らや社会不適合者、いわゆる社会のゴミ、犯罪者予備軍どもを裏の世界に溜めて導くような存在だそうだ。一般人のいる表社会、その逆が混ざらないように管理するのも其処だろう! だが突然、双方の社会には税金というものが関わる。当然だな! 猫野郎のお前や私だって国から金を根こそぎ取られる! 故に税金関連のことで対立しているのだろう! 知らんがな!」 腰に両手を当ててどやっとした。博戸は話を聞きながら購入した蜜柑茶を流し込んでうんうんと頷く。分かり易いようで、かなり分かり難い。あまりこういう話は得意ではない。 「悪人にとっては最高の企業だろうね。日本最高峰?」 「日本? いいや、亜細亜最高峰だな! 我が故郷である星加坡ですらもあのように丁寧なところはない! 向こうの国に居る、社会主義共に管理されてる野郎共はそもそも行動が出来ないだろ。思想もあんまり強くない日本は、反社からすると非常《ヒジョー》に都合が良い!」 「なるほどねえ。……もしかして、根津君の企業と契約出来るように……架空の企業を創れってこと? 同じ、裏の企業のような?」 悪魔は社会の敵側に廻れと申すのである。世の中は少しつらい。 「そのとおーり! だがな、二匹じゃあ無理だぞ。正真正銘の犯罪者に協力を願うべきだ。そして奴らの知っている麻薬企業だったりをあさって考える!」 彼は資料を広げて、ページの数を確認しつつ捲った。そこには裏社会の企業一覧があり、大雑把だが内容が綴られている。それはサムエルではなく彼自身が身を粉にして調べた賜物であった。ピスキスは拉丁英語の文字列を真剣そうに読み進めて、ふと指を止める。 「墨西哥の……」そう言いかけたとき、博戸が眼を剥いて両手を突き出した。 「いや! ちょっと待った! 辞めた方が良いんじゃないかな? またあの時と似たようなことが……」 もしも死んだら、何者でもなくなるだろう。 「へっ! 臆病な猫め、そこで怯えてな! 私が電話を掛けてやるぞ」 ピスキスは笑って、携帯に電話番号を入れた。ぴ、ぴ、と電子音が鳴り響く。プルルル。振動したかと思えば、人工知能のように淡々とした声がした。要件を答えるように、と他人行儀で訛った英語が返ってくるのでピスキスは舌打ちする。 "Oigan, putas drogadictas de mierda. Respondan ya. ¿Quieren que les corte los huevos? Si no me mandan la información interna de su empresa, voy a difundir datos falsos a la competencia. Date prisa, mocoso de mierda" "¡Oye, cuida lo que dices, mocoso! Puedo verte la cara desde aquí. ¡No te creas tan importante, gato azul! Ni se me ocurriría contarte información confidencial. Te voy a matar"と、苛ついた相手が返事を返した。博戸は急いで止めて、携帯を奪い取ると‘Sorry’と謝罪する。ピスキスが激怒した。 「上司の頼みで墨西哥に行った時、私の同僚は身包み剥がされた挙句、毛皮もなくなって裸にされた! そして、救急車がチルパンシンゴに訪れたときには死んでいたのだ! そんなことをするような組織なのだぞ」 紅潮して赤林檎のようになっている。これじゃあ青魚じゃなくて鯛みたいじゃないかと博戸が困ったように笑った。電話からは肺の底からの溜息が聞こえる。 「尚更そんな態度取ったら猫身売買されるよ。すみませんねえ、彼、まだ若輩なんですよう」赤ん坊をあやすように機嫌を取ろうとした。 「ええい、うっさいねん! こいつらに丁寧な対応する筋合いはない! 敬意がないのだ。仕事内容を吐け!」 訛った中国語で言う。向こうからはアッという不味そうな声がする。博戸は全身から汗が滲んでぐしょぐしょだった。同族が挽肉にされて、練り上げられたら堪ったもんじゃない。 「その中国語、フェーレースかな?」 電話の主が中国語で言う。一言でわかるほど、明らかに上海訛りだった。そして若い声だ。そう認識した途端に、ファーレースという名を脳が処理する。あれ、名乗っていないのに何故わかったのだろう? 「身元がバレたじゃないか。どうしたもんかねえ」 「は? 何故中国語が分かる? おかしいぞ。御社は華人が多いのか?」 「私が華人というだけです。貴方からの連絡ということは新加坡Y企業が我々に興味を持ったということですか?」 彼が興味を示した。ピスキスは勢いに乗れば良いものを、唾を吐き散らして呆れ顔をする。双方から翻弄されている博戸は疲労と威圧感に胃を痛めていた。毛玉を吐きそうである。 「掌返しも良いところだ。新加坡の企業なら利点があるのか? 私の愛しい新加坡を汚したら叩き潰してやるぞ!」 「あの企業の製品を主に輸入しているから、嫌われたら困りますなあ。何故こちらが話さなければならないんです。こんなに乱暴な口調で電話を寄越して?」 「協力をね、私はやる気が起きないんですけれどもね、友達が……まぁ、友人の頼みなのだ。仕方なかろう。架空の企業、それも裏社会関係の企業を作らねばならんので信憑性を持たせる為には麻薬関係の企業と関係を持つのが一番だと思ったわけだ! 協力してくれたら10,000,000$は報酬として与えるぞ。私じゃなくて友人がな!」 「はあ。架空ね。拠点は?」 「JAPAN!」勢い良く答える。相手は飛び上がった。 「いやいや、流石に無理ですよ。現実味が欠けている」 「マダガスカルとかの別国の化学企業で製造された麻薬を密輸するための集配送や資金管理の拠点ってことにしておけば良いぞ!」 こいつ、頭がキレている。そう博戸は眼を張った。此の一瞬で具体例が出せるなんて、と。きっと詐欺師としての才能も持ち合わせているのだろう。此れ迄、上司の我儘を聞いて、無茶振りを解決してきたその努力は力として体についていた。サムエルの頼みだからという適当さもあるが、決して彼は博戸の名を出していなかった。 「本当にそうして欲しいですけどね。日本は場所が良いから」 「企業名とか考えたいからまた電話するぞ。内容が固まってきたら送るからメールと名前教えろ」 「崑崙です。メールは以下の通りで」 少し気取った言い方だ。ピスキスは真っ赤だった顔を真っ青にして、ぺたんと地面に座り込んだ。 「崑崙! あ、黑麒麟社の最高技術責任者《GTO》!? お前は詳しくないだろうが世界的な最高のテクノロジー企業だ。ダークウェブ最大のな! 何で墨西哥に?」 「親密な仲ですよ。最近、麻薬の購入が増えていますから企画会議を。そして社長が緊急の用事で居ないので、私が代理として電話に出ております」 「Mamma mia! 都合が良い」 両腕を上げて小躍りする。博戸は可笑しそうな顔をした。 「じゃあ黑麒麟社と協力すれば良いんじゃない? その会社の拠点って?」 「ラスベガス」 「ラスベガスだって! 此は運命だよピスキス君。私達はラスベガスに行かなければならない。そして賭博をしよう! サムエル君だって分りゃしないよ」 「サムエル? 指名手配の?」 崑崙の態度が豹変した。疑惑の眼差しを向けるような、そんな鋭い空気が画面越しに伝わる。 「いや、あの」 彼はそこから眼を背けた。言い訳を考えている間に、ピスキスが大声を上げる。 「違う! サムエル・ピーター・ウィルソンというY社の友人だ! 私の隣にいるやつの」 「はあ、良かった。もしも指名手配の彼だったら交渉は不成立でした」 「指名手配と関わるほど落ちぶれてない! 金は先に半額払うからな! じゃあ詳しく設定するから協力しろ! 元気でな!」 そう言ってさっさと電話を切ると、携帯を鞄の中に詰める。博戸は彼と同じくらいに青褪めていた。そして安堵に力が抜けていた。ピスキスは背を向けて、ふうと小さく息を吐くと「誤魔化してやったぞ。御手洗団子を食わせろ」と手を差し出す。彼は申し訳なさそうに眉を寄せて笑った。 「すまないね。有難う。……それじゃ、京都に行くかい……近いし」
高嶺の虫媒花の解説、批評
批評しておこうと心に留めておきましたが、何だか納得もいかないし胸の奥に蝿が集っているので何か言っておこうと思います。君達が此を読むのは初めてでしょうが、私が私自身の作品を酷評することは度々あるのです。きっと此を書き留めたら、見返しもせずに置いておくので詩を置いておこうと思います。 春都《はるみやこ》 盃交《さかずきか》わす 空《そら》の下《した》 春都と書きましたが、八重桜も散って、私の家の周りにも緑の隧道が出来ています。牡丹や紅い椿、山吹は今でも山道を彩りますが、軈て花も落ちて散ることでしょう。 さて、そこそこにしておき批評に入ります。先ずは粗筋を置いて、中盤の引用を挟んでおきます。 【一話の粗筋】新西蘭都市部に訪れた人の姿を真似る猫、博戸は賭博場で賭博をしていた。そこで見事、金を勝ち取るが規則を破っていた相手客に掴まれて喧嘩になってしまう。 だが豚男は何も言葉が耳に入ってこない。「煩い煩い! 金を返せ!」と挙げ句の果てに頭突きをしてくる。豚から猪になってしまったかと彼は失望の念を隠せずにいた。涙と鼻水に汚れた豚に頬を殴られて倒されると咆哮と共に椅子を投げられる。咄嗟に横に転がると椅子を避けて、やむを得ず賭博場から出ていった。 冷涼な新西蘭の夜は肌寒い。強い風が殴られて痣になった頬を削っていった。思わず痛みに舌打ちして人気の少ない路地裏を通る。(省略)どうせ暇だからと突き当たりを歩いていくとその天幕は赤と白で曲馬団のものだと分かる。まだ光が溢れていてその空間だけ真昼のようだった。 真昼という描写は死を表しています。死の世界は永遠に夜だ、と主張する人も居ますが(宗教的な問題とも言えましょう)私は敢えて昼間だと描写したくて堪らなかったのです。つまりは我々の生きる世界での十三時では、博戸らが居る世界での深夜一時となるわけです。其処で逆転していることが分かります。そういっても、私は幾つか書き方を誤っていますね。これじゃあ博戸さんが避けられずに亡くなったかのようじゃありませんか。早く物語を進めようと焦り、描写を疎かにしたことが私の罪だと言えます。此処で謝罪をしても許されませんから、最後に此処を捻っておく必要がある。本当に死んでいるのかという疑問を置いておきましょう。もしも博戸が死んでおらず、サムエルが彼の寿命を盗んで生き返ろうと試みているのならば? とかね。 無駄に丁寧な風景の描写が癪に障ります。風刺小説や風景だけを描くような小説ではないのだから、物語に関係のない部分は削るべきだと思っています。厭な所がこうして浮き出ると不愉快になりますが、此処はまだ序盤なので許せるのです。「その天幕は赤と白で曲馬団のものだと分かる。まだ光が溢れていてその空間だけ真昼のようだった」という描写は分かり易いし、情報が簡潔にしっかりと書かれているので偉いなあと感じます。 【二話の粗筋】後日、曲馬団で出会った奇妙な深山鸚鵡と昆虫標本屋で再会を果たす。 引用は敢えてありません。青豹と分けて書いていた故に、私は此処に欠点を残した覚えはないのです。ですが一つ挙げるとすると、長すぎましたね。凝ってしまったから寧ろいけません。 【三話の粗筋】麻雀で負けてしまった博戸の元に異形の人が現れる。 「丫〜ヰッキニ訊カレテモ解ラナヰヨ。ナマヱモ解ラナイ。狭ヰ部屋カラデテミタンダ。話シタクテ道端デマッテタンダ」 「ならBody Transformationから頭文字を取ってBTにしましょうか。さて……濡れますから部屋にどうぞ。あっ、博戸さんは『サムエル君が先刻の怪物に捕まったよ』とでも言いふらして来てください」 「アノ臆病ナ鳥ヲ騙スノカ! オヌシモ惡ヨノウ」 「私にやらせるのか、困った方だねえ」彼は困ったように笑った。そうして縮こまってしまったザカリアを脅かして言うと、恐怖の天辺まで上り詰めたザカリアが表門から出てきて鳥であることを忘れたように走っていった。その様子を見るなりサムエルは滑稽、滑稽と笑う。 此の場面はもはや、最高傑作でありましょう。それからBTは悪者のような扱いを受けてしまうが、それは彼(彼女)が計画的に、少しは性格という見えない形を整える為にも少しは考えていたわけです。此処で補足しておくと、私の考えるBTの姿は数秒毎に変わっていて、どこか不自然で、姿や声を思い出そうと試みても忘れてしまうのです。人の記憶にも残れず、形すらも確定しない哀れさがあります。そして、言葉も片仮名と漢字の合わせですが、一つ一つが不自然に崩れて、同じ音がないように感じます。人になろうとしている、というよりも人として生まれる予定だった人外のように見えますね。 面倒なので引用を省略して説明すると、彼彼女らは澳門という中国の場所に行ってカジノを楽しみます。然し、BTが新嘉坡に拉致されてしまう。その犯人を追うべく博戸が猫の姿に戻り、偵察するが犯人にバレて爆竹で傷つけられます。サムエルはそれを少し応急処置して、博戸が死んだ時の為に適当な男の皮を剥いで身に纏い、博戸を連れて新嘉坡に入国。そこで誘拐された場所に行きます。此処からは難しいので引用を増やします。 【八話より引用】 「教ヱテクレタ! アノネ、引キ金? 此ヲ引クト死ヌッテ」 眼も溶けているが純粋無垢な声をしている。更に震え上がると銃口が頭蓋骨を突き破るくらい押し付けて来た。サムエルが庇うように拳銃を向ける。 「博戸さん殺したら帰国出来なくなるので貴方を殺します」 「君って本当に……私を何だと思ってる?」 博戸が苦く笑った。特に賭け事で暴力を振られることは日常茶飯事だがこんなにも唐突に、そして純粋に銃口を向けられるのは猫生で初である。悪意のない、殺意のない好奇心で向けられた銃口ほど怖いものはない。いつ弾が発射されるか見当もつかぬのだ。サムエルは飄々として応えた。 「友猫です。友猫なのに、猫肉は脂身が多いって事しか今頭に浮かんでいません」 「死ぬ前に千円くれるかい? あの時賭けたよね。君の負けだ」 博戸が手を向ける。サムエルは皺だらけの紙幣を掌に置いて笑う。 「差しあげますよ。たった千円くらい」 「ボク仲間外レ? ジャ引ケバ良ヰ?」ガチャと金属音が鳴る。 BTは死んでもなお、形が残る人々を恨んでいるのだろうかという疑問が残るが置いておきます。さて、此の引用した文章、彼らの性格が濃いですよね。すれ違いを感じます。友猫だが肉のことだけを考えるのは肉食の本能とも言えましょう。そして生きることに対して執着心を持たず、まるで架空の空間にでも居るかのような楽観さを持つBT、死ぬことよりも賭け事に興味が向く博戸(だが死ぬのは怖いだろう)。私としても、腕捲りして書きまくった面白い文章であります。 【続いて、八話より引用】 死体を避けながら爪先で歩いているらしい。高級そうな革靴のカツカツという歯切れの良い音が響いた。(省略)縦に細く柄の悪い鼠紳士が立っていた。薄めた墨みたいな毛で、皺があり皮が垂れて口が広く長い。牙が生え揃っており鼻が突き出て、眼こそ真ん丸で真紅である。丸く大きな瞳孔は動かず、表情が一切読めない。そして額にも眼玉がついており、それも此方を捉えている。長く立った耳の内毛は瑠璃にも近い青。分厚く質の良い外套は右が青、左が赤という奇妙なもので下に着ている襯衣は白色で黒い縦縞模様が波打っている。洋袴は竜胆色で靴下は革靴を際立たせるような質素だが似合う色合いである。そんな恐ろしい鼠紳士は青く長い尻尾を揺らして此方を見ていた。 竜胆色と表現した愚かな私を許してくれたまえ。私は色彩の表し方を漢字以外でしたくない、そのような傾向にあるので、中でも近い竜胆色と表現したのです。ただ、失態としては彼を死んでいることにしてしまったということです。ですが言い訳をすると……可能性を考えるとこうなるでしょう。 彼は一度細胞が消えようが再生されます。ですが、既に喪失した細胞達が再生すること(元に戻ること)はないと予想されます。再生された時点でそれは新たな細胞であり、人ですら細胞が新たに形成されて古いものと入れ替わるのだから(劣化とも呼べよう)急に亡くなった細胞の寄せ集めで彼が作られているのではないかという予想です。これが確実ではありますが、もう一つ無理を言うのならば臨死体験です。これは仮説であり、教師が仰っていた理論でもありますが、宇宙での時間と地球での時間には違いが生じている。違いというのも烏滸がましいが、まぁ此の説明で許してください。時間の概念だとか語るのは此の場ではなく授業なのです。取り敢えず、似たような感じで浦島太郎も竜宮城から帰ってくると未来へ来ていました。たった一日が数十年になるわけです。故に、彼も浦島太郎のような現象に遭っているか(つまりは竜宮城が我が世界なのか)たった一秒の細胞破壊が我が世界においての数十年、数百年に変換されているか。と、此のようになるのであります。雑で根拠の薄い仮説を立ててしまったが、許して欲しいのです。 【九話より引用】 「俺も。あ、待て。お前ら近寄るんじゃねぇぞぉ? 薄汚え体してんだからな」根津が厭そうに数歩下がる。脆い床がぎしぎしと音を立てた。忽ち天井から細かい石や砂が落ちて来て被る。脊髄反射で眼を瞑ったが、砕かれた破片が入ったらしくジリジリと痛み悶えた。サムエルは掌からペットボトルを出して根津の眼に注ぐ。 「鼠とかいう衛生害獣の象徴が私のような鳥や猫を不潔呼ばわりするのは前代未聞ですよ。ほら博戸さんなんて……血まみれですね」 布で下半身を隠しても傷だらけの上半身は露出したまま仁王立ちしている。朱殷に濡れる肌は糊みたいに乾いている。革を鞣したような筋肉も打撲に黒ずんで膨らみ、凸凹している。 突然ですが、私は溝鼠が大好きです。理由は好きな歌の歌詞に出てくるからです。それ以外では、実験用鼠か食用鼠しか好きではない。つまりは生きているただの溝鼠は嫌いです。病原体を持っている獣に近づこうと思うほど馬鹿ではありません。溝鼠という概念と言葉は好きなのです。実験用鼠は実験台にされて人々に貢献しているので好きだし、触れます。食用鼠は主に蛇などが食らいます。蛇に貢献しているので好ましいです。私は鼠(きっと溝鼠も同じだろう)が清潔症でいつも毛繕いしていることをある実験でよく知っています。楽園実験《UNIVERSE25》です。私はあの動物実験が大好きで、よく調べていました。変な語りは置いて、此処は厭な描写が多いですね。省いても良さそうな物が多いし、会話自体ももう少し短くして良いと感じます。別に博戸の裸体をそこまで表現しなくても良いのに、文章の量を増やそうと一生懸命になった挙句、物語構成が疎かになってしまったのですね。私は愚かです。熊から喉笛を噛みつかれて死にゃあいいのです。 【九話から引用】 「身近で見てきた主人に似たのさ。似せるものが彼しか居なかったし、彼になりたいと思っていたのかもしれないね」 「主人? まさか愛玩動物ぅ?」と驚きの声が白っぽく上がる。サムエルが羽毛を撒き散らして嘴を鳴らした。 「彼、元々一般的な猫ですよ。それより風呂場とかないんですか(省略)一歩でも動いたら拳銃で撃ちますよ。職業は?」 ある時、豹変して持ち手が木製銃把の拳銃を突きつける。根津は慣れた様子で拳銃を睨むと、体調の悪そうな博戸を一瞥した。壁際にある黒黴、硝子の割れた豆電球の吊り下がった古い天井、床に落ちたコンドームと風船に瓦礫の山……。窓から差し込む茜色の夕陽に染まる。もう街は宵闇に染まる頃である。そういえばあそこの店の列……左から順に風俗店の順番があって……外観はこうで……記憶を辿るとキリがない。だからといって忘れられるわけでもないがね。 「──んな一気に質問されてもなあ。先ず風呂は下だ。俺の立ち上げた企業がお前らで言う求人企業みたいなやつで、社会不適合者をそこら辺に転がってるゴミ共……主に裏社会の企業に繋げてやって利益を得てんだ。交渉の案件で来たら眼の前でぶっ倒れててよお。代理探したらそいつも死んでて、よく見たら一同頭を揃えて鏖殺ってかぁ?」 (省略) 「お前には俺がどう見えてんだ」 「柄の悪い高級な服を着た溝鼠です。社長にしては細い体してますがね。少食に見えます。肉の食えない完全菜食主義者《ヴィーガン》みたいですよ」 「流石に偏見じゃない?」博戸が思わず声を出した。 「昆虫くらい食う」と根津。サムエルは重たい腰を渋々上げて博戸の入った鞄を肩に掛けると軽く関節を鳴らした。 「ふーん。仕方ない。私が行ってきますから」 「あ? 何て言うんだ?」 「事故でみんな死んだので麻薬は私が代理で全て貰います……と」 絹帽から爆竹と煙玉を出す。博戸は鞄の中で暴れ廻った。それすらにも眼を向けず、淡々と階段を下った。軈て死体を見て唖然としている男達の前に颯爽と現れる。男達は猿のような顔をして── 描写を読むのが面倒です。美しくありません。蛇足です。早急にやり直せ。馬鹿じゃないのか。解説は読んでの通りです。以上。 【十話から引用】 「男二人ニ叩キ潰サレテ、詰メラレテ冷却サレタ! 拳銃ヲ使ッテ人ヲ撃ッテタカラ何カ訊ヰタラ教エテクレテ、待ツヨウニ頼マレテタ。アナタタチノ事ヲ訊イテミルト男ガ『殺スカラ安心シロ』ッテ云ウ。ダカラ私ガ拳銃デ殺シタ」 「それって不味いんじゃないかい? もしもバレたら私達が共犯になるだろう」 「今更だろぉ? あの鳥、何人殺してんだ。指名手配されてるしな」 「多分、五十人は殺してるよ」 訳します。理由はありませんが、BTさんが片仮名、旧字体多めなので英語の方が伝わりやすいかと思います。それに、会話文が海外寄りな気がしたのです。 ‘I was beaten to a pulp by two men, cornered and left to cool off! Since I’d used a gun to shoot someone, they asked me to tell them anything they wanted to know, and told me to wait. When I asked about you lot, one of the men said, “I’ll kill him, so don’t worry.” So I killed him with the gun.” ① “Isn’t that a bit dodgy? If it comes out, we’ll be considered accomplices.” ② “It’s too late for that, isn’t it? How many people has that bird killed? He’s wanted by the police, after all.” ③ “He’s probably killed fifty people.” ② ①……BT、②……博戸、③……根津 ええ、十分かと思われます。英語は日本語よりも読み易くて良いですね。日本語で書くよりももっと美しく感じるのは私だけでしょうか? そりゃあ、此の物語字体が中国系であったり新西蘭のサムエルが出てくるわけですから日本語は適さないでしょう。……いや、適するはずですがね。中国語で書く予定でしたが、私には読めないので諦めました。鬱憤晴らしにとある場面を中国語に訳してTwitterに置いておきます。当ててくれたら何かします。 (図 一) 根津はすぐに日本という国(アジアにある原爆を落とされた小さな島国で、戦後に経済成長を遂げたすごいところ)にある大阪府(蛸焼きやその他料理の多い天下の台所)に建てられた自分の会社へ帰って行きました。そこで博戸は困り果てます。此処で引用です。 【十一話より引用】 「BTさんを此処に輸送した組織は先刻私が襲った組織ではないわけです。此の小説を推理小説にするのは私も厭なので、簡単に説明しましょう。BTさんの殺害した二人組は亜細亜人男性で、博戸さんや私を殺そうとしたあの厳つい人々と協力関係にあるとする。此の地区担当というわけではなく、各地を転々としているわけです。と言ってもまぁ、つまり渡り鳥のようなものだ。そんで、その渡り鳥に覚醒剤を安く売って大量に買ってもらう墨西哥の暴力組織であり麻薬輸入組織。それらと鉢合わせたわけです。まぁ二人組を殺している時点で混乱を招いたでしょうけど、私がその組織を潰したから暴力組織の利益は〇どころかマイナスですねえ。指名手配になった利点としては基本的に犯罪でも何でもやり放題、ということですかな」 どうやら難しいようですね。では、情報を整理しましょう。 ①BTを拉致した組織は、サムエルが殺害したチンピラではない。 ②BTの殺害した二人組は亜細亜人男性であり、博戸やサムエルを殺そうとした人々と協力関係にある。 ③終盤で鉢合わせたのは覚醒剤を安く売って大量に買ってもらう墨西哥の暴力組織。 そこらが分かれば、特に問題はありません。仮説を立てるのならば(実はあまり決めてないというか設定書いた紙をなくしてド忘れしたんですよ。敢えて申し上げます、助けてください)亜細亜人二人が吉木と崑崙であった可能性、また私であった可能性があります。多分、前者だったと思うので安心してください。どちらにせよ吉木あたりは物語に触れるか触れないかの間くらいの距離感で出す予定でしたから、きっとそうだと思います。「青豹」でもそうでしたが私自身も仮説を立てて小説を書いているので曖昧です。後々に後付けをしまくって書き直して違和感をもみ消すのです。犯罪の隠蔽が得意そうですね。 【続いて飲用】 「屁理屈言われても困るね。君はそう受け継がれるほどに偉大な、大胆なことをしたかい」 少し苛立った博戸が割り込む。すると彼は懊悩し間も無く「羊飼いの美男にとぷとぷ油を注いでやりましたな」と言って高笑いした。 皆さんはサムエル記を知っていますか。知らなくても大丈夫です。元々、サムエルという名は「彼の名は神」「神は聞いてくださった」という意味があります。サムエルは旧約聖書の預言者であり、宗教的指導者でもありました。そして主から王を決める権利(みたいなもの)を授かっておりサウルを選ぶ。然し戦いが激しくなると同時にサウルは、サムエルが来るのを待ちきれずに燔祭した。主の言うことを守れなかったので主はお怒りになりました。ですので、別の王を探さなければなりません。詳しく言うのは厭なのでサムエル記を読んでください。それからは美しい男ダビデ(ミケランジェロ氏の彫刻が有名ですね)の頭に油を掛けて彼を王にしました。続きとしては、彼は部下の妻を寝とって彼を殺し、妻を孕ませました。彼が王に選んだであろうダビデも善人ではありません。恥じるべきですね。 【十三話より引用】 「ウーム、此処にいる人は自分が亡くなったと気づいていません。思い返してくださいな。皆、何処かに傷がありますでしょ。例外に傷のない人は毒殺か土左衛門です」 遂には膝から崩れそうになる。そこである一つのことが脳裏に浮かんだ。暗闇を照らす街灯より明るい光だ。もしも此が叶えば何を失おうと叶わぬと思う。 「……待て、主人に会えるのか? 君は会ったことがある?」 「燃えたら……黒焦げになりますよ。そうなるでしょう?」 「どうして、彼に罪はないのに」 鼻の奥がツーンと酸っぱい。何でこう不幸なのだろう。 「それに、死んでいることに気づいているから、きっと此処には居ませんよ。列車にでも乗って星団の彼方に居ることでしょう。貴方だって虹の橋の下で待つべきだったのですよ。然し、貴方は下手なことをしたから良い所には行けません」 「会えないのか? 私も体を灼いて死んでしまった方がマシだ」 「逢えません。此処で死んだら、体が砕け散って砂利になってしまうのです。意思も持たずに波に沈んだまま、消えるのを待つだけです。貴方と主人は何度生まれ変わっても、死のうとも逢えません。貴方は主人を守れませんでしたから、貴方の罪です。自分を責めようが何も変わりませんのでね」 ふと近くの川を見た。水晶のように綺麗な砂利が川の水に洗われている。その砂利の上を小さな沢蟹が歩いていた。本当に我々は死んでいるのだろうか。その沢蟹にも命はないのだろうか。 「……じゃあ、じゃあ私達が指名手配されるのもおかしな話だろう?」 「繰り返しますが、私が殺した人々は砂利になっています。そうなるのを恐れるのは自然な感情でしょう? 誰だって地獄に落とされたくないし、罪を償いたくないですよ」 「此処に善人は?」 「居ますが、誰だって罪は抱えるものです。産まれたことが罪かもしれない」 「ピスキス君は? 君は? 何者なんだ?」 「可哀想に、ピスキスは過労死したんですよ。それでも死んだことに気づかず仕事をしている。また過労死したら砂になってしまうのです。およしなさいと言いたいが、頑固者ですから」 面倒臭そうな彼とは裏腹に、博戸は喰らいつくように話を聞く。そして浮き上がる疑問符を全て消してしまおうと質問を全て投げかけていた。話を聞けば聞くほどわけがわからない。 「国によって時代が違うように感じるのは? あそこではピスキス君が受け入れられていたけれど新西蘭はそうならない。日本でも不思議そうにしている人は少なかった。でも私が生きていたとき、それはあり得ない話だ」 「時間旅行《タイムトラベル》をご存知ですか。あの原理です。色んな時代に亡くなった人を寄せ集めていった結果です。我々も飛行機に乗っている間、一種の時間旅行をしていた。二千十年の新西蘭から、二千二十年の澳門。そして二千二十六年の新加坡。こうやって転々としていると時間が混ざったんでしょうかね。日本は少しおかしくなっていました。正確には、日本は過労死や自殺が多いので各時代から死んだことに気づいていない人が集まってしまったのでしょう」 「韓国や中国もそれが多いのかな……」 想像してみると恐ろしい。学歴社会であればあるほど、悪質な会社が多い気がした。 「ええ。韓国と中国は特に地獄絵図です。仕事はどうですか」 落ち着いたのを見て話をすり替える。博戸は極まり悪そうに答えた。 「イカサマと普通の勝負を混ぜて騙して儲けてるよ」 「私ならピスキスと遊んでますよ」 裏からピスキスの怒鳴り声が聞こえてくる。何かを放つ音からして洋弓だろう。賭博場にでも居るのだろうか。羨ましい限りである。 「じゃあ早く帰って来てくれないか。あの金はほぼ借金なんだよ」 「傑作が出来上がりそうなんです。根津さんにも見せてあげたくてね、持ってこようと思うんですよ」 「君って奴はどこか可笑しいねえ」 くすくす笑う。彼は不服そうにした。 「別に良かろう。それより貴方、今は居酒屋にでも居ますか」 「似たようなところさ」 急すぎましたね。私も読んでてよくわからないところが多いが、何故こう書いたんでしょうか。酒に酔っていたのかもしれません。メモ書きのようにも見えますし。まあ投稿したので此の儘進めるしかありませんね。せめて、解説はしてあげましょう。砂になって死ぬというのは私の描いた浪漫です。それと、残酷な死に方です。砂時計をイメージしましたが……。さあああっと落ちていきますね。皆さんは虫眼鏡で蟻を焼き殺したことがありますか? 蟻も遠目から見ると砂のように見えますね。私はそういった行為が大嫌いですが、好きな人もいることでしょう(私はそんな殺生主義者の恐ろしい彼らを尊敬(笑)しています)さて、時間旅行の設定を考えたのは私と青林檎と別人です。彼女達で考えて小学校時代に遊びました。物語を私が考え、台本通りに台詞を言って劇をするのです。私に二人の女の子(青林檎ら)が乗ると時を巡ってゆくのです。然し我々は死んでいるのです。二千十九年から二千二十六年に行く遊びをしていましたが、到頭二千二十六年になってしまった。Dio mio! まあ、良かろう。此処で彼らが死んでいることが明かされました。 ①彼らは死んでいる(根拠がないため嘘か真か分からない) ②此処で死ぬと砂になる、つまりは天国にも地獄にも行けなくなる。 ③ピスキスは過労死。 ④死んだことに気づかない世代は戦時中が多い筈だが、日本は過労死や自殺が多いので混沌としている。 こうなりますね。適当に纏めましたがその通りでしょう? 変なタイミングで変なことを抜かしたのが批判を買いました。そいつはごめんなさい。でも物事は急に来る方が奇妙で面白くないですか。どうせ修正するんだからこっちが面白い方が良いですって。もしも死んでいるという仮説が嘘だとしたらサムエル側は何か魂胆があるのだから、それを探すべきです。まぁ、仮説が本当だという場合もありますからね。執筆している私がそれを言っちゃあおしまいです。ならばこれを見るなり妄想するなりして考えてください。推理を教えてくれても良いし、教えなくても良いです。私の頭の中は常にころころ変わるので、私にもわかりません。ただ解説するとこうなる、それだけです。