白椿

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白椿

主に小説を書いてます。 気まぐれ投稿です。

アカイロ

 いつの日か見た光景。  焼き付いて離れない、呪いのような光景。  何気なく歩いていた。高い高いマンションの前。  ふと影が落ちた。なんだろうと足を止めて、上を見た。  まだ日が落ちるには早い、未熟な夕方だった。  サクッと音が鳴って口に運んだ菓子が割れる。  あの時もおやつを買いに行った帰りだった。十五の表示はもうなくなっていたが。  白と黒が入り交じる視界からやっと解放されて、鼻歌交じりに休みを堪能していた。ホームページや掲示板を見て息を吐いたばかりの友人もいたが、少なくともこの身は楽々と息を吸っていた。  しかし、誰もが安心出来ることなどはあるはずがなかった。たとえ自分の周りが安堵に包まれていたとしても。  その時買った赤いグミは食べる気にはなれなかった。捨てるには勿体ないから、家にいた妹に押し付けた。  あれ以来、赤色の食べ物を避けるようになった。  食べられなくはない。その後の気分が悪くなるだけ。他のことに気を取られて全くの抵抗もなく口に運んだことだってある。  ただ、あのグミはどうしても食欲が逃げてしまう。  ここまで苦しめられるのなら、大好きな味だからといってじっくり噛み締めるのは間違いだった。  今ではもう大嫌いだ。  それこそ、目に入っただけで機嫌が底にめり込んでしまうぐらいには。 「どうしたの?」  絶賛開催中のお菓子会の主催者が心底不思議そうにこちらを覗き込む。 「すっごい険しい顔だけど……。」  そう言いながら、自らの眉間に山を作り上げる。おそらくはその目に映る顔も同じようになっているのだろう。  でこぼことした表面を撫でて平らに戻す。まだ少しだけ不機嫌が滲み出ているかもしれないが、これ以上はどうしようもない。 「何かあった?」  唯一の参加者がそんなに大切なのだろうか。なんでもないと返したはずだというのに、まるで聞こえていないかのような振る舞いだ。 「君があんな顔する時なんて、すごく嫌なことがあった時ぐらいだから。」  そう言うそちらこそ、ひどく落ち込んだ時ぐらいしかしない顔じゃないか。  そこまで気にするなら、そのグミをこちらから見えない場所に置いてくれさえすればいい。……など、たとえ仲のいい友人だとしても素っ気なさすぎるだろうか。 「あ、もしかしてお菓子気に入らなかった?!」  気のいい友人はこちらの様子から察してくれたようだ。今テーブルの上にあるお菓子をひとつ退けてくれるだけで十分……  いやこれはいいんだ。とても気に入っている。だから取らないでくれ。そのグミが嫌なんだ。代わりの物としてこちらに差し出さないでくれ。 「えっ!このグミがイヤなの?」  美味しいのに、という意見には賛成だ。実際、似たような味の菓子は好んで口に運んでいる。それも相まって驚いているのだろうが。 「嫌な思い出?」  必要以上の情報の付いていない、むしろ短すぎる言葉を反芻させる。自分の中で強く結びついてしまった情報たちは、相手の中では全く関係のないものたちだ。無理に手を繋がせる理由はないだろう。 「とりあえずこれは仕舞うけど……。」  瞳に好奇心が光る。それを追いかけてそっと遠慮の色が添えられる。隠しきれない本心を誤魔化しているように見えた。 「知ったら私も嫌な気持ちになるかもって?」  大丈夫でしょ、と根拠もない言葉にため息が出る。確信の揺るぎなさが表れた顔も、ここまで来ると憎たらしい。 「誰かに話せば案外楽になるかもしれないよ。」  あのグミをあれほど嫌う理由に目が眩んでいるのだろう。滅多に嫌いが出ないから。  ……もう隠すのは諦めてしまおうか。  新生活に踏み出してからできた友人は、どうやら一度痛い目を見ないと分からないようだから。 「全部キミのせいだ。」  私の大好きな赤いグミを嫌う親友がその重い口から吐き出した言葉は、お喋りな私の口を塞ぐには十分だった。 「あの時、キミが落ちてさえ来なければこうはならなかった。」  お腹の奥底から引っ張り出したのだろうその過去は、もうすっかり忘れた気になっていたものだった。  まさかアレを見られていただなんて。 「……ほら、言った通りじゃないか。」  その表情は、どちらを嗤っているのだろうか。君の忠告を簡単に流してしまった私?それとも、これを墓場まで持っていけなかった君自身? 「キミの赤色が、このグミの赤色を上書きしたんだ。」  時々紡がれる君の文才が溢れ出るような言い回しも、こんな状況じゃ泥に溺れるみたいだ。 「……キミが、呪いをかけたんだ。」

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アカイロ

箱を積む

 昔から、外側を取り繕うことだけは得意だった。  生まれつきの才能にタダ乗りして、与えられたものを受け入れるだけで自ら努力はせず、ただ、それでも進めてしまった。進んできてしまった。  どうすればいいのかも分からないというのに口だけは達者で、吐き出される言葉だけが大きくなった。  まだ、それを実現出来る程の能力がなければ戯言で済んだ。だと言うのに、案外近いところまで出来てしまった。可能性が見える程にはできてしまった。それが良くなかった。  気付けば周りからの評価は大きなものになっていた。誰も真偽を確かめられないような言葉を吐いているうちに、努力してここまで来たと思われていた。全くそんなことはないというのに。  虚構から生み出された期待が、評価が、いつしか虚栄心を丸々と太らせてしまった。いや、他者のせいでは無い。自分で餌を与えたのだ。裏切ってはいけない、失望されたくないという不安と見栄を。  もう随分空箱を積んでいた。自らの重ささえ支えきれないような脆弱な土台だった。だから、一番上の本来私がいるべき場所にはハリボテを飾った。きっとみんなが見ているだろう、私がそう見せていたい「私」を飾った。  いつまで持つだろうかと、ずっと考えていた。中学?高校入試?高校?どれも違った。際立って優れることはなかったが、それでも上の下ぐらいでウロウロしていた。堕ちぶれられなかった。  そうしてやってきた、失敗出来ない瞬間。見栄を張れる勉学を取ために、絶対に落とせないもの。未だに空箱ばかりを積み上げていた。誰も見ていないのに。今更中身のあるものを作ることが怖かった。きっとすぐにわかってしまう。今まではなんだったのかと言われてしまう。失望させてしまう。  嫌だった。その時の自分の心を守ることに必死だった。今を捨ててこれからを守る余裕がなかった。それがダメだった。  わかっている。わかっていた。もっと頑張らないと、もっと必死にならないといけないことぐらい。自分を守っている暇などないことぐらい。今まで諦めてきた高い壁だって、ちゃんとわかっていたんだ。  もう後がなくなった。これがダメだったら、本当に終わりだ。やらないといけない。少しだけ中身を詰めた。まだ明らかに違いがわかるほど入れる勇気はなかった。きっと直前になって、積み上げてきたものを知らない人ばかりになれば、慌てて大量に詰め始めるのだろう。まるでこれまでも詰め込んで来たかのように見せるのだろう。今までそうしてきたように。  まだどうなるかは分からない。きっとこれからも、崩れかかった箱の山を見ないふりし続けるのだと思う。それでも、ここをくぐり抜けられれば、誰も私が積み上げていくところは見えないから。これまで積み上げたものを知らない人ばかりになるから。  頑張らせてほしい。今はほとんどが空箱だけれど、これからは中身を詰めていくから。一人で積み上げていくから。

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箱を積む

論より証拠

「もう!ろんよりしょうこを出してよ!」 可愛らしい少女が頬を膨らませて甲高く叫ぶのを見かけた。舌っ足らずながらも難しい言葉を使うものだ。言われた二人も困ってるじゃないか。 「で、でもこいつが……!」 おっと、もう1人に押し付ける気か少年。それは感心しないなあ。 「もういい!わたしが直接聞いてくるもん!」 あちゃー、これはもう取り繕えないぞ。うん?……おお、今の子はこの歳でケータイも持ってるのか。目の前で宣告をするだなんて大胆だな。 「もしもし、しょうこ?」 おいおいそっちかよ。 ショートショート 『ロンが可哀想だろ』

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論より証拠

▒を乞う

「今年の舞はーーくんか!」  隣に住んでいるおじさんが、僕の友達に向かって言った。 「いやあ、楽しみだ。ーーくんは〜〜~~だから、きっと舞も綺麗なんだろうなぁ!」  村長の家の近くの人が、おじさんに便乗して言っていた。 「ああ、本当に!この目で見られないのが残念だ。」  おじさんとその人が、僕達の事を放って話し込んでいた。あの二人の中には、きっと僕達は人として存在していなかったのだろう。  あの二人だけじゃなくて、多分、他の大人たちの中でもそうだったろう。 「ごめんね。舞を踊ることになった子は、舞の日まであのお家にいる決まりなの。」  次の日あの子のお家に行ったら、あの子のお母さんにそう言われた。 「誰かと会うのもいけないから、今日は他の子と遊んでちょうだい。」  その家に行こうとしたら、引き止められてそう言われた。  僕には、理解できなかった。でも、誰もあのお家に入れてくれないから、その日はあの子抜きで遊んだ。 「今日も他の子と遊んでね。」  またあの子のお家に行ったら、お母さんにそう言われた。 「残念だけど、本当のことだから。舞の日まで我慢してね。」  昨日言ってたことを聞いたら、残念とも思ってないみたいに言われた。 「そりゃあ、舞を踊るのは栄誉あることだからなあ。」  いつも枯れた川の傍に座ってるおじいさんに聞いたら、唾を飛ばしながら言われた。 「自分の子供が選ばれりゃ、誰だって喜ぶさね。」  水も流れていない川を見ながら、おじいさんが小さい声で言っていた。その背中は、少し寂しそうというか、辛そうに思えた。 「コラァ!ここには近付くンじゃネェ!」  こっそりあのお家に行ったら、お家の前にいたお兄さんに訛りの効いた口調で怒られた。 「なンでって、なんでもダワ!親に言われんかったンか?!」  一瞬目を泳がせたお兄さんは、勢いに任せて怒鳴っているみたいだった。 「もうあの子と遊ぶのは諦めなさい。」  僕をお家に連れ戻したお母さんに言われた。 「一年。一年よ。一年もすれば、あの子とまた遊べるから。」  僕の両肩を掴んだお母さんは、何かに取り憑かれたみたいに言っていた。 「全然違うじゃないか?!どうして言う通りにできないんだ!!」  あのお兄さんが居ないときに、あのお家の裏から聞き耳を立てたら、よく知らない人の声が聞こえた。 「ほら、もう一度だ。これができないなら、今日のメシは抜きだからな!」  何かを鞭で打つような音と何かが倒れる音が聞こえた後、その人の怒号が再び飛んできた。続いて、軽い足音が不規則に聞こえてきた。 「おい、そこで何してルンだ!」  上手く息が吸えなくなった僕の元にあのお兄さんがやってきて、そう言われた。 「これ以上は見逃せン!他の連中にも言って、ここには近付けナイようにするからな!」  少し離れた場所に僕を投げ捨て、お兄さんが言っていた。  それ以来、本当にあのお家には近付けなくなった。 「おお、雨が!雨が来るぞ!」  舞の日の夕方、雲が集まってきたのを見ておじさんが目を輝かせて言っていた。 「ああ、畑の準備をしないと。誰か、水を貯めるものを持ってきてくれ!」  おじさんの声を聞いた近所のおばさんが、忙しなく動きながらそう叫んでいた。 「おい、邪魔だぞ!ガキは家の中にいやがれ!」  僕にぶつかってきたおっさんが、イライラした様子で言ってきた。  いつもは手伝えって言うくせに。やっぱり僕たちはみんなの中には居ないみたいだ。 「あら、また来てくれたの?ーーなら中にいるわよ。」  雨の中やってきた僕に、あの子のお母さんはニコニコしながら答えていた。 「ほらーー、〜〜くんが来てくれたわよ。」  ずぶ濡れの僕を中に入れると、その人はガイコツが服を着たみたいな背中に向かって言っていた。 「ああ、大丈夫よ。これも██様の御加護を受けた証拠だから。」  震える指であの子を指差すと、笑顔を崩さないその人に当たり前みたいに言われた。  あの時の震えた声が、どうしても忘れられない。 「〜〜くん。僕、もうダメかもしれない。」  小さくなった身体を抱きしめたあの子が、僕と目を合わせないまま言った。 「絶対、絶対失敗しちゃダメって言われてたのに。」  コケちゃった。  すぐ傍に居ないと聞こえないような声で、あの子がそう言った。 「全く雨が止まないじゃないか、どうなってるんだ?」  近くを通った畑にいたおっさんが、そうボヤいていた。 「このままだと育つものも育たないね。」  一緒に作業をしていたおばさんが、薄い眉を八の字にして言っていた。 「まさか、失敗したんじゃないだろうね。」  この前みたいにあの子と遊んでいたら、突然やってきた偉いおばさんに睨まれた。あの子は僕の影の中にいた。 「なんで外に出てるんだ。早くどっか行け!」  僕と山に遊びに行く途中で、あの子はまるで害獣のように怒鳴られた。  あの日、あの子は僕に隠れながらあのことを白状した。言わなくても良かっただろうに、正直なやつだったから言ってしまった。 「なんてーーーーーなやつなんだい。早くーーーけばいいのに。」  怒鳴る人の横で、おばさん達が堂々とコソコソ話をしていた。雨音の隙間から嫌悪の目が見えていた。 「〜〜くん、やっぱり僕はもうダメだ。」  正しくガイコツと違わない背格好になったあの子が、暗い雨の中で僕を引き止めた。 「僕はもうここを出ていこうと思う。きっと、みんなにとってはそれが一番なんだ。」  雨に濡れた顔を隠して、あの子がそう言った。あの子の言う「みんな」は、多分僕達が居ない人達のことだ。 「ねぇ、〜〜くんは、一緒に来てくれる……?」  雨水を拭って、あの子が言った。 「……あ、」  暗い山の中、突如目の前に現れた人物を見て、あの子が声を漏らした。  対してその人物は、微笑みを浮かべているだけで何をするでもなかった。  ふと、あの子から力が抜け出た。倒れる音がする前に、その人物があの子を受け止めた。  その人物は、再び僕を見た。僕を見て、そして僕は、知りはしなかったけれども知っていた。  この人が、みんなの言う██様だ。  その方は、どうやら僕に話があるらしかった。 「……おーい、どうしたのさ、〜〜?」  雨音の中からあの子の声が聞こえる。 「〜〜って、雨になるといつもそうだよね。」  僕のすぐ傍までやってきたあの子は、いつもの通り雨の中で立ち止まる僕を見上げる。 「昔のこと?うーん、僕と〜〜は同じ出身なんだったよね?僕、なんにも覚えてないんだよね……。」  なんでだろう、と首を傾げるあの子を見て、僕は再び雨の中に目を向ける。  きっとあの子にとっては、思い出さなくてもいいことだろう。僕にとっては、忘れてはいけないことだろう。  僕達がまだ幼かった時の、ここから遠く離れた場所で起きた大洪水のニュースを思い出しながら、僕はあの子の手を引いた。

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▒を乞う

雨乞い

 これは、今は無きとある集落の話。  山の最中、川により開かれた土地であった。その成り立ちに反して、水に恵まれぬ土地であった。  そこでは、毎年ある時期になると雨乞いの儀式が開かれた。かつて川が流れ出た源にて、選ばれた栄誉ある者が舞を踊るものだった。  年ごとに異なる者が披露した舞は、どれも見事であった。何処にいるかも分からぬ神でさえも、喜びて雨をもたらす程であった。  人々はその喜びを有難く頂戴し、乾いた日々の潤いとした。その日々は、いつしか必ず訪れるものと思われた。  ある年、舞にて失態を犯した者がいた。しかし、雨は当然のように与えられた。  暫し、その失態は誰とも知られずに日々が過ぎた。だが、ある時誰もが感じ取った。  雨が、止まぬ。  舞を踊った者は、あらゆる人々から問い詰められた。その親でさえ、舞を踊った者を罵った。  とうとう、その者は己の失態を吐露した。しかし、外の者からすればそれはほんの些細なものであった。  されども、そこの人々は酷くその者を責め立てた。止まぬ雨は全てはその者のせいだと、誰もが口を揃えた。  雨が降り続ける間、その者には居場所がなくなった。誰かと遊ぶことも、人々の手伝いをすることも、家族と団欒することもなくなった。  ある日、その者は何処かへ姿を消した。誰もがそれを喜び、日照りを願った。  しかし、それは叶わぬ夢であった。その日以来、雨はだんだんと強くなるのみであった。  大雨が雷雨となった時、それは起きた。今の今まで降り溜められた雨水が、川の源から駆け下りてきたのだ。  空が光り、轟音とともに濁流が川を、その場全てを流し去る。雷鳴の間で、誰かも分からぬ悲鳴が聞こえた。  雨が、止んだ。  まるで祝福の様な晴天の下には、何もなかった。全ては、自然へと帰化された。  嗚呼、恐ろしき話であることよ。

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雨乞い

「月が綺麗ですね」

 夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したのは有名な話で、小説だとか詩だとか、そういう文学的なものに全く興味のない僕でも知っているくらいだ。  頭の良さそうな言い回しっていうのはとても魅力的で、告白だとかプロポーズだとかの時には言ってみたいと思うのも不思議ではないだろう。多分、僕は恥ずかしくて言えないと思うが。  まあ、ただ、そういった言い回しが広まると純粋な気持ちでは気軽に使えなくなる訳で。月を見て正直な感想が言えなくなるのは少し、僕には息苦しく感じる。 「……ねぇ、聞いてるの?」  ふと耳に入った呼びかけにびくりと飛び上がる。隣を見れば、むすくれた少女と目が合った。  そういえば、今僕は友達と塾から帰っているところだった。 「あー、うん。聞いてるよ。」  僕の気持ちを見透かそうとする目から逃れるために暗い道の先を見る。それでも居心地が悪くて、気付かれないように項を引っ掻いた。 「嘘だ。」 「本当だって。」  ぶらんと腕を下ろして軽く笑う僕に彼女が鋭い視線を向ける。上手いこと誤魔化せたと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。  このままだと視線だけで刺し殺されそうだ。  そう思い、どうやってこの状況から抜け出そうかと考え始めると、フッと向けられていた利器が下ろされた。 「はあ、もういいや。」  ため息に続いた言葉にバッと横を見る。だが、そこには僕が予想していた表情はなかった。  ほっと息をついたような彼女は、僕と目が合うとすいっと目線を空へ投げかけた。 「今日は三日月かあ。」  ふと零れたかのような呟きを鼓膜が拾う。つられて月を見上げれば、確かに線のような月が浮かんでいた。 「……満月もいいけど、三日月も綺麗だよね。」  誰に言うともなく放った言葉に、彼女が息を止める。しかし、それは一瞬で、すぐにふぅと息の音がした後に、カチャカチャとファスナーを弄る音が続いた。 「私は、半月とかも好きだよ。」  着ていた上着の首元を引っ張り上げながら、彼女が言った。 「満月と半月の間のやつもいいよね。なんて言うのかわかんないけど。」  ポッケに手を突っ込みながら、その頃合いの月を思い浮かべる。  三日月も、半月も、確かに好きだけれど、僕としては、よく見える方が好きだった。満月は、まだちょっと慣れないけれど。 「もう月ならなんでもいいよね。」  ジッとファスナーを上げ、彼女が灯りのないアスファルトに視線を落とす。そのまま、何を考えているのか、つま先にぶつかった小石を蹴って端に追いやった。 「確かに。……でも、新月はちょっと、耐えられないかも。」  雲の中に逃げていく月を見ながら、僕は詰まる息を無理やり言葉にした。でも、やっぱり落ち着かなくて、テキトウな家の屋根に目を向けた。  彼女はそんな僕を見ていくつか息を吸ったが、結局それらは飲み込んでしまった。  さっき、夏目漱石がどうたらだとか月がどうたらだとか色々考えてはいたが、その言い換えを使うのも十分恥ずかしいのかもしれない。  僕が連れてきてしまった静寂を見て見ぬふりしながら、少し冷えた空気から耳を守るために、彼女がいる方だけを手で覆った。

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「月が綺麗ですね」

自己紹介

 白椿 と申します。お名前被っている方がいらっしゃいましたらお教えください。  プロフィールにも書きました通り、主に小説を嗜んでおります。好きなジャンルはファンタジー。非日常なストーリーを好む傾向。  ただ、もしかしたら詩などを投稿する可能性も無きにしも非ずにございます。悪しからず。  このような新参者を温かく見守っていただけたら幸いです。

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