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8 件の小説第6回N 1『愚性』
エントリーナンバー2 「ランデヴー」 スウプをひとくち、口に運ぶ。匙の丸みが唇に吸いついた。喉に流し込まれたスウプが、喉仏を動かす。また一口、ゆっくりと匙を口元へ持っていく。もう匙では掬えないほどの量しか残っていないことを知り、静かに目を伏せた。 飴色のちゃぶ台と変色した畳が、終身刑を待つ罪人のように、春の日差しを静かに受けていた。 鶯の姿が葉桜の隙間から見えた。とうに散るものも散らし人々の関心から外れた葉桜は鳥を休ませることのみに価値を担っていた。 男は荒屋に住んでいた。一人の従姉妹を除いて、血の繋がりのある親戚はみな死に絶えた。その従姉妹も随分と前に嫁いで、行方を知らない。その日暮らしで生きていた身である。遺産を残すのに、相談しようとて連絡を取りたくなったわけではない。しかし、唐突に、従姉妹をこの目で見たくなった。裕福な商家に嫁いだと記憶している。どうにか探せぬものか……。 今やどのような顔つきをしているのだろうか。子供のころのように映えた藍色を好んでいたりするのだろうか。それとも、もう桃色のような服ばかりを着るようになったのであろうか。子はいるのだろうか。彼女の夫はどのような人なのか。叔父のように彼女に手をあげはしないだろうか。 ふつふつと懐かしさと心配が胸から込み上げてくる。それを語る兄弟も父も母もいない。そのことがやけに悲しく思えた。 さて実家の近所にでも訊いてみようか、と感傷から抜け出した頃である。ふと、鍵の壊れた箪笥に積み上げられた郵便物に見慣れぬ葉書があることを目に留めた。ただの保険会社からのものであった。 近所にききこんで分かった住所に、男は保険会社からの勧誘の葉書を送った。自分がいつ死ぬかは分からないものなので、入っておくのは如何かなどの文を添えて。男の覚えている従姉妹は未来に対して何の対処もしないような女であったので、それを送っても大した違和感は抱かせないだろうと考えていた。しかし、男が臆病であるが故の理由付けであったことは明白である。 男は返信をいたく気にしていたが、ポストなどを毎日のように覗くという無様な真似はしたくないという矜持があった。 その葉書を送って、一週間と半分は経たぬころである。数日に一回覗いていたポストにすこし可愛らしい葉書が届いていた。姓が変われど、差出人が従姉妹であると分かると、いそいそと階段を上がり(普段は、威厳を保つためにゆっくりと革靴の音を響かせて上っていた)、手など洗い、神妙な面差しでちゃぶ台の上にのる葉書を見つめた。その裏をめくるのに、ほんの半刻ほどかかった。 その内容は簡素なもので、ただ「自分は最近、夫をなくし、自身の老後を思うと不安になってきた頃だったので、兄様がおっしゃってくれたように保険に入ろうと思う」というものだった。しかし、この保険会社では契約しない、と書いてあった。どうにも怪しげなので、兄様も騙されないようと追記してあった。 男たるもの、めったに微笑わないと古い考えを持っていたが、その時は思わず笑みを溢してしまった。そして何度か文通をした後、何日の何時に待ち合わせして、顔を合わせることが決まった。 そうと決まると彼はやく七年ぶりに理容室に行き(決して美容室には行かないと決めていた)、革靴を磨き、コゥトの埃を入念に取り除いた。 その日になると、約束の時間は午後からだというのに、早朝の四時に起き、八時には用意を終わらせた。十時まではちゃぶ台にのせた湯呑みで手を温めて(緊張すると手が冷えるため)、家から十五分で着くところに向かった。到着したのは、約束の時間の三時間きっかり前だった。約束の時間までの三時間は精神安定に努めた。やく四十年ぶりの再会である。従兄弟としての威厳を最大限に保たねばならないと考えていた。 しかし、約束の時間になっても彼女は来なかった。女性は何かと用意というものに時間がかかると生前の母に教わっていたので約束の時間より二時間ほど経っても特に思うことはなかった。彼女との思い出に浸っていた。 従姉妹と男には三つの差があった。男の方が年上である。従姉妹の家と男の家との距離は大して近くはなかったが、年に数回は会っていた。従姉妹が産まれ、歳が近いからと何度か彼女の家に預けられた。男は物静かな子供だったので、一度たりとも叔父夫婦に迷惑をかけたことはなかった。叔父たちがふと横を見ると、いつも従姉妹は男の小指を掴んでいたという。男が覚えた慈愛も従姉妹が初めてだった。 男は待つのが好きな性質であった。これが世に言うランデヴゥというものかとさえ、考えていた。しかし、その意味を詳らかに思い出し、決して私たちは恋人などはない。デェトなどでもない、と己の浮き足だった心を落ち着かせていた。四時間ほど経ってみると、さすがにおかしいと思い、一度家に戻った。葉書に書かれた待ち合わせ時間に間違いはないか確認した後、もう一度戻ろうとしたときである。先程は心配になって、周りを見ていなかったが、自分のポストに何か挟まっている。手に取ってみると、従姉妹からのものであった。 突然、申し訳ない。いつも兄様は約束よりも早く出発なさったので、約束の時刻の二時間前にはこの葉書が届くようにきつく配達員に言っておいた。まず、謝りたい。貴方との約束には行けない。夫に先立たれ、持病が悪化し、このまま後を追おうと思う。彼なしの世界は少し苦しい。こんな「妹」をどうか許して、といった内容が書かれていた。 彼は恐ろしい後悔と自責の念にとらわれた。自分との約束という足枷があって、彼女はすぐに夫の後を追えなかったのだ。これだけ夫を愛している彼女との顔合わせに対して、ランデブゥなどと恋人とのデェトのような捉え方をした自分が恥ずかしくて仕方がなかった。 なんたることだ。「妹」の望みを邪魔などする兄など、兄とは呼べぬ。これほどに愚かな「私」の妹だとあやつは言ってくれるのかと何度も涙した。 そして「妹」の墓参りに行くまで、死なぬと決意した。たった一人の肉親に手向けすらできずして、「私」と呼べようか。 この男は実に愚かだった。 約束の三時間も前に着いていなければ、その葉書を受け取り、ランデヴゥなどと恥じた考えをしなくてもよかったのである。そして、この異様に早く到着する行動を生ませたのは、彼の見栄を張りたいという性であった。 しかし、愚かであれど間違ってはいなかったのだ。見栄を張りたくて、送った保険会社の葉書であれど、彼の従姉妹はまだ「兄」の人生で「私」は心配されている、と彼からの愛情をしかと受け取っていたのである。従姉妹との繋がりをもう一度持ちたいという気持ちは、何一つとして愚かではない。 墓参りは約束の日から三ヶ月後に果たされた。 男には矜持があった。 男たるもの、悲しむべき時にて涙を流し、 家族は最後まで愛すること。
野ざらし姫
春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは、 少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 「枕草子」冒頭より 貴族様の侍女をお務めなさった叔母様は、昨年、享年三十八で儚くなられた。ご子息が二人いらっしゃった。私の従兄弟にあたる彼らもまた、侍従としてそのお家がお入りになった。 私が商家へ奉公に出ている間、次男様の行方が分からなくなった。三日ほど経った早朝に東山の荒野で亡くなられた状態で見つかったという。 涙が溢れることはなかった。二度か、三度しか会ったことのない人だったからだ。叔母様に似て、上品な振る舞いをなさる方、以外の印象はなかった。従兄弟だとしても生きる場所が違った。生まれた身分と品格は異なるのだ。 次男様が見つかったのは東山の荒野。野に骸を置かれた。死体というのは実に汚らわしく、触れてはいけないモノなのだ。野ざらしと呼ばれそのまま放置される。高貴なお方は美しき炎の中で躰ごと永眠なさるが、どこで生きようと所詮平民ではその野に置かれたこと自体が光栄の極まりである。しかし、そちらへ赴こうと思い立ったのは全くの偶然であった。自らが進んでいく場ではない。 「御兄様…」 鼻の中を抉るような匂いの中、麗人がそこにお立ちになられていた。まるでその場所だけ柔らかな春の風が吹いているようだった。けれどその足元には、まだ白骨になりきれていない骸があった。 「そちらのお方はもしや……」 凪いだ目がこちらをじっと見つめる。 「我が最愛の弟よ」 ヒュッと息を呑んだ。あまりにも、惨たらしい有様。 一歩、足を進めた。 それは私の中で最も醜い行動だった。 「御兄様」 その人は穏やかな笑みを絶やさない。 また一歩と足を進める。 「御兄様」 香が焚きしめられた袖が少し動くだけでも、その香りが辺りを包む。私の足元にも、もうその骸はあった。 ーー御兄様の胸はとても温かかった。 顔をそっと埋める。 御兄様も穏やかに微笑んだまま、私を抱きしめた。 「なぜ、この方は……」 顔を御兄様の胸にうずめながら問うた。 「我が弟があまりにも美しかったのだ」 見上げた先にもまたこの世のものとは思えぬ美しいお顔があった。 「お前は間男というものを知っているかい?」 私は知っていたけれど、そのお声をもっと聞いていたくて「いいえ、いいえ御兄様。わたくしには分かりませぬ」とそう答えた。 御兄様はわたくしが知っていることを悟っていた。当たり前のことだ。仏のような御兄様に分からぬことがあるはずがない。 「我が主は女を愛さない。奥方様もそれを知っていらっしゃる。奥方様は母上を信用なさっていた。だから我が弟を奥方様の侍従頭に、私を旦那様の側仕えとして雇うてくださったのだ。その意味が分かるか。母上を信用して、『浮気をしても目を瞑れる愛人』をお作りになられたのだ。私たちはね。彼らが初めて互いに贈りあった、贈り物なのだよ。けれど、弟はあまりにも美しくて純粋だった。旦那様には内緒で、奥方様は弟と何度も夜を重ね、身籠られた。弟の子よ。弟は純粋だったのだ。“奥方様を身籠らせたのは私の責任。この御子は私が全てを尽くしてお育て致します”奥方様にそう言ったのだよ。旦那様にもその旨を伝えていた。人の醜い心を知らぬのだ。子は宝。当然に奥方様は喜ぶのだろうと。彼女は泣いたよ。“私にはもう尽くさぬのだな”旦那様は弟の頬を張り飛ばした。“私たちから逃げるためにあやつの子を育てるだのと申したのだな” そのようなお方たちなのに、我が弟は彼らを共に愛したのだ。可哀想な人たちだ、と。あろうことか、貴族を憐れんだのだ。無償の愛と共に」 御兄様は私を抱いたまま、静かに野に腰を下ろした。私は彼の上にのっていた。私の頭を彼は話しながら、撫でていた。 「弟はね。自ら命を絶ったよ。私に赤子の預け先だけ伝えて。あとはお願いします。その子の名は兄上にお任せ致すと」 彼は野に横になった。私の唇は彼の首元にあった。 「ねぇそうだろう。赤子はどうだい?美琴」 私の顎にしなやかな指先がかかった。 「もぅっ!御兄様ったら意地の悪いこと」 「それはすまないね」 「元気に過ごしておりますわ。乳が出るように、わたくしも男を雇って身籠り、あの子にあげているのですわよ」 「ありがとう。弟に代わって礼を言うよ。でも、お前。愛した男以外の子は生まぬと言っていたのではないか?」 「えぇ。愛した男の子がこの腹の中にいますわ」 「私の驕りだったようだね」 「いいえ?わたくしは貴方をお慕しゅう想っております」 「では……?」 「わたくしの幼馴染よ。父様が雇ってくださったの。私は平民でも、父は貴族だから」 「愛するひとを決められなくて、誰が女と言えますか」 「さぁ、御兄様。お眠りのお時間ですわよ」 麗しき唇に接吻をした。 「あぁ、そうだね」 「心配事はありませんわ。今頃、わたくしの幼馴染にお貴族様は熱を上げられているようですから」 「君の計らいだね」 「まぁ、面白いことをおっしゃること。彼が行きたいと言っておりましたのに」 「そういうことにしておこう」 「御兄様」 「なんだい?」 「あの女狐に接吻されたところはどこですの?」 「心の臓の上のあたりだよ」 「あらぁ!誓いでも交わすつもりかしら。あの女」 「かもしれないな。なにしろ、弟をずっと探していのだから。似ているからね、私は」 彼の胸元から少しずつ着物を崩した。 「こちらでよろしくて?」 「あぁ」 いやらしく、接吻をした。 「そろそろ、あの子が泣く時間だから行くわ。御兄様」 「うん。ありがとうね」 「……愛していますわ。わたくし、貴方だけは決められませんでしたの」 「なんともまぁ、情熱的な告白だね」 「それくらいしないと、貴方は目を逸らしますもの」 「その通りだ。俺をよく分かっている」 「俺だなんて」 「最後は、ね」 「そうですわね。では」 「あぁ。頼んだよ」 目を瞑り、野の上で眠った。 美琴という女には、二人の子がいた。 一人は見目麗しい男で、 もう一人は、愛らしい女だった。 美琴とはとても狡猾な女だったが、加えて思慮深く、慈愛深い女でもあった。 彼女は子を慈しみ、夫を愛した。 とある貴族の愛人として生きる夫は、 朝は彼女を酷く罵り、夜明け前に帰ってきた頃には、眠る彼女の頬に愛おしげに接吻を落とした。 彼女は自分がいかほどに罪深いかをよく理解していたし、夫も彼女に騙されていることを了承した上で、愛人として通っていた。毎日、家に帰れているのも、彼女が貴族に丸一日、土下座をして頼み込んだからだ。 けれど、彼女の夫の心は疲弊していた。 子供が成人して、夫婦で一息ついていたころ、夫は、二人のとある貴族を殺した。 そのときに、彼女の夫は兵に首を飛ばされた。 夜明け前に彼女の元に帰ってきたのは、夫の首だった。 「わたくしの罪よ」 そう言って、彼女が自ら衛兵に自分の首を切るように言った。 彼らは躊躇った。美琴は殺された貴族の異母妹だったからだ。しかし、庶子だった。 そこで、彼らは問うた。「どのように死にたいか」 彼女はこう答えたと、記録に残っている。 「東山の野で、夫の首を抱いて死にたい」 しかし、首を切って死ぬとか、毒で死ぬとか具体的な死に方を言わなかった。 そして衛兵たちはもう一度、問うた。 「どのように死にたいか」 彼女はこう答えた。 「睡眠薬で眠ったまま、狼に喉笛を噛みちぎられたい」 記録に彼らは残さなかった。 そしてそれは実行された。 彼女は狡猾だった。 愛する男二人の横で死んだのである。 加えて、彼女は愛することのできる女だった。 かつての幼馴染を抱いて、盗賊に高貴な衣を剥ぎ取られて全て骨の見える従兄弟に背を向けて眠った。 もう別れを告げた。愛したことも伝えた。 だから、彼女は最後まで夫を愛して死んだのだ。 ただ、予想外だったのは睡眠薬が切れるまで狼が彼女を見つめるだけだったことだ。 卯月。 夜が明けたとき、彼女は目を覚ました。 もう一度、瞬きしたとき。 彼女の視界は血で覆われて、そのままこと切れた。 享年三十二。 ある女は死んだ。
ぽちゃ。ぽちゃ。
あの子はぶったの。 私をぶったの。 あの子はぶったの。 私はぶたれたの。 あの子は泣いたの。 心を殺して泣いたの。 その震えた声を私はまだ覚えている。 痛い、痛いと悲しんだのはあの子。 何が痛かったのと私は聞いた。 あの子は何も答えなかった。 手が痛かったのと私は聞いた。 あの子は首を横に振った。 私は痛いよとあの子に言った。 あの子は首を縦に振った。 ぽちゃ、ぽちゃ。 バケツにひとてき、ふたてき。 ぽちゃ、ぽちゃ。 お腹に入れた水がふるふる。 ぽちゃ、ぽちゃ。 赤ちゃん、赤ちゃん。あなたのほっぺ。 ぽちゃ、ぽちゃ。 涙がぽろり。涙がはらり。 知ってるの。その震え。 怖いの。そのまっくろなところ。 光があまりにも淡い、そんなところ。 淡くて、淡くて。 ほんの少しの風にも耐えられないその弱さを。 私はとても愛おしいと思う。 あぁ、こうするしかないのよ。 あの子の諦めた表情と飼い慣らされた心。 まるでパソコンの「白紙の文書」の、 文字の大きさを変えるAの印のように。 あの子が自在に変えてしまうあの子の心の大きさを。 誰かがずっと引っ張っていてくれればと願った。 縮小すればいつか点になってしまうその心が。 もう何とも繋ぐことができずに。 ひとりぼっちになってしまうのではないかと怖かった。 パソコンのデスクについたゴマさえ。 あの子は友人と信じて。 デスク越しにしか話しかけられないのではないかと不安だった。 あの子が。 いつかのあの子みたいに。 もう一度、外を見るとき。 涙越しにしか世界を知らないような表情をするのではないかと。 あの子が。 自分の世界は家とその周りだけだと、 コンパスで範囲を決めてしまわないかと。 ぶたれた痛みより。 ぶった痛みの方が苦しいあの子だから。 ぶたれた私が。 あの子より痛い顔をして。 ぶたれた私が。 あの子よりうんと泣いて。 ぶたれた私が。 あの子の部屋に電気を点けて。 ぶたれた私が。 あの子を抱きしめて。 痛みを縮小して、点にして、孤独にさせても。 じぐじくじくじく、癒えないまま。 線にしても。 また痛みを引き延ばすだけ。 だからね。 だから。 白紙の文書にででーん!と一文字大きく打ち込んで。 それで終わり。 線に終わりはないけれど。 文字は。文は。文章は。いつか終わるから。 あの日があの子に優しくなくて。 昨日があの子に優しくなくて。 今日もあの子に優しくなくて。 私もあの子に優しくなくて。 世界はあの子に優しくなくて。 ぶって、ぶって、ぶって、ぶって。 ぶたれて、ぶたれて、ぶたれて、ぶたれて。 終わりを目指すあの子が。 ぽちゃ。ぽちゃ。 ずっとあの子の隣で雨にぶたれている未来に。 傘を差し出す過去の足音が聞こえればいいのに。
regret
目を以て叩き、 智を以て制す。 愚かな優越よ。 その正義と驕慢で、 殺してしまえ。 掌の上で俯く人々を嗤うといい。 悦びよ。 人たらしめるものよ。 余剰作物と生み出された、 権力者の礎よ。 その甘さを以て、 怒り狂う嵐と共に去ね。 此処にお主らのような怪物は要らぬ。 糾弾した先に在るその目を。 お前らが塞ぐことはできない。 私は。 私は予期した。 この愚か者の望みはついぞ叶えられぬ。 それほどに社会は世界に干渉し、 紛争地帯の誰かの心臓を撃ち抜いた弾が、 木の幹に埋め込まれた。 応酬で人は死に、 無意識の忌避感がインド人経営のカレー屋を廃らせる。 世界の美しさを連呼する人々の前には、 世界とは何かが唱えられる。 教室にいる半分の人数で笑い合い、 楽しい一年だったと涙を流す中途半端な統計。 その甘さと、皮肉にしかならない微笑の理由で。 生きてきた私は。 人を傷つける詩しか書けぬのだ。 もしくは誰かの図星をつくために作られた、 鋭利な針。 私は愚かだと哀しむ賢者に対して。 私はなんと哀れな奴だろうとしか思えぬのだ。 智は正統か。 法とは盾か。 自分は許す側なのか。 目と智を以て粛清された糾弾に。 吊し上げられる私の首を捧げる。 その被害を以て。 貴方たちが正義と狭隘な世界から。 貴方たちを救うことを願う。
落ちた星を拾うために。
凍てつく寒さは砂漠の夜に来る。 チェオムは毎晩、砂漠を徘徊した。 確かに、その目で見たのだ。 空から溢れたものが落ちていくところを。 けれど、それは光っていなかった。 光のない夜なのに、影をともなっていた。 チェオムは探した。毎晩、毎晩。 病で倒れた少女が触れたいと言ったのだ。 いつか私はあれになるのだから、と。 少女に向かってチェオムは言えなかった。 「君が死んでも」。その一言が。 君が空から溢れても、僕が見つけるから。 チェオムは声を絞り出して言った。 じゃあ。 少女は口元を震わせながら、微笑む。 じゃあ、あの星のかけらを見つけて。 貴方が見つけてくれると、証明して。 それは少女からの別れの言葉だった。 死期をチェオムに知られないための理由だった。 見つからないと知っていた。 少女は砂漠の広大さと冷たさを知っていた。 孤児である二人はずっと一緒に過ごしてきたのだ。 ただの子供に寝床のある場所は手に入らない。 チェオムは少女に療養させるために、 彼を置いていった母からの最後の情けを売ったのだ。 それはシルバーのペンダントで、宝石が散りばめられていた。 孤独感に苛まれて、一年に一度彼が落ち込む日、 ソレはずっと彼の手の中にあった。 彼には母から愛された記憶があった。 捨てられた記憶があった。 その苦しみの中で、チェオムは売ったのだ。 少女はそのことがずっと心苦しかった、 私が早く死んでおけば。 何度そう思ったことだろう。 いつ死ぬかわからない私と共にいるより、 チェオムが捨てない限り在り続けるペンダントの方が、 よっぽど、チェオムを孤独から救うだろうに。 チェオムは旅に出た。 行商の下働きとして、旅に付いていった。 昼間は仕事をし、 夜は星のかけらを探した。 旅に出てから2年ほど経ったとき。 チェオムはあるラクダ商の少年に会った。 その少年はチェオムのことを知っていた。 「あの日の流星は綺麗だったな」と、話しかけてきたのだ。 チェオムは人違いだと伝えた。 「僕は貴方を知らない」 少年は笑った。 「星が落ちてきただろ?」 その手は少し変わった形の石を握り込んでいた。 チェオムは息をするのを忘れた。 「ねぇ、君……、君が持っているのは星のかけらなのか?」 少年は頷く。 「あぁ……!!良かった。良かった!」 チェオムは声を震わせた。 僕の全てをあげるから、それをくれないか。 チェオムはそう言おうと思っていた。 しかし、その前にラクダ商の少年はチェオムの手に、 星のかけらをのせた。 「あげるよ、僕には必要のないものだから」 よく焼けた小麦色の肌が日に当たって、輝いて見えた。 「いいのかい……?」 チェオムは初めて、神というものを信じた。 「勿論さ!お嬢さんと何やらソレについて話し込んでいたようだから」 チェオムは何度もありがとう、ありがとうと呟いた。 こけた頬は涙で濡れていた。 「そんなに泣くなよ。体の水分を無くしたら、死んじゃうよ」 ラクダ商の少年は独り言のように言った。 「ありがとう」 チェオムはもう一度そう言って、行商のテントに戻って行った。 次の日の朝。 チェオムはラクダ商の少年の元へ訪れた。 「君は、僕を知っていると言ったね」 チェオムがとても静かにそう問うた。 「あぁ。僕の家があの辺りだから」 その言葉にチェオムは頷いた。 「昨日、少し聞いたんだけど、君帰るんだってね」 「そうだよ」 「頼み事をしたいんだ」 「水をくれ、以外なら」 「あぁ。もちろんそんなことじゃない」 「じゃあ、いいよ」 「この石を、ある少女に届けてほしいんだ」 「君と話していたあの子かい?」 「うん」 「分かったよ」 「……名前を聞かないのか?」 「いいんだ。僕の主義だからね」 「そうか」 チェオムは少年の手の中に星のかけらを戻し、その手を握った。 「迷惑かけてごめんよ。彼女によろしくな」 チェオムはテントの片付けに呼ばれてすぐに戻っていった。 その少年はとても寂しそうに手元とチェオムの後ろ姿を見た。 「君、チェオムって知ってるかい?」 衰弱しきった少女に、ある少年は尋ねた。 「えぇ。でも、どうして……?」 不思議そうに首を傾げる。 「君にって」 骨の見える手にその石を落とした。 少女は怪訝そうな顔のまま、少年を見た。 「落ちた星のかけららしい」 少年は知らないふりで通した。 少女はチェオムのように、大粒の涙を頬の上に流した。 「そう。そう。本当に、星は落ちたのね」 彼は本当にそれを拾ってきたのね。 少女の嗚咽は少年の心を揺さぶった。 ソレは真実じゃない。 何度も心の中で反芻した言葉だ。 何度も言いかけて、踏みとどまった。 チェオムの目がとても、澄んでいたから。 少女があまりにも嬉しそうに口元を綻ばすから。 ーー見ていられなかったのだ、 「じゃあね」 急ぎ足でその場を去った。 チェオムのいる場所を伝え忘れたことに気づいたのは、 次の日の夕方だった。 少年は少女の元へ急いだ。 「ねぇ、起きてる?」 枕元にその石を置いたまま、寝ている少女に問うた。 少女は寝息を立てていなかった。 「ねぇ!ねぇ!!」 躊躇いながら、胸の上に耳を押し当てた。 心臓は既に死に、彼女は腐臭を纏っていた。 安らかな表情で、彼女は永眠した。 あの石は星のかけらなんかじゃない。 そのことを少年は一番知っていた。 あの流星が美しかった日。 彼は石を投げたのだ。 母が盗賊に殺された日だった。 少年は世の不条理を呪った。 夜空を泳ぐように頭上を通る流星に唾を吐きかけたかった。 けれど、唾は下にしか吐けなかった。 俯いて、ずっと涙を流していたから。 嫌になって嫌になって。 父のいない自分は天涯孤独になった。 少し遠く見える人々の明かりが恨めしかった。 その両方の憎しみであったのだろう。 流星に届くように、 あわよくば、あの明かりのところまで届くように、 精一杯、足元に転がっていた石を投げた。 その明かりの下にいたのが、チェオムたちで、 遠くから見た落下する石を星のかけらだと勘違いしたのだ。 「うわっ!!」 そう声を上げて驚いていた。 少年はてっきり、彼らたちに当ててしまったのかと思った。 そして忍び足で様子を見に行き、 彼らが自分の投げた石を落ちた星だと勘違いしたのだと理解した。 けれど、ラクダ商の少年はそのことをついぞ言わなかった。 惨めな彼らを救うためだ。 星が落ちれば、地面はいとも容易く抉れてしまうことすら、 そのことすら予想できない、今の生活に手一杯な彼らを。 母の代わりにでも救いたかった。 自己満足だったのかもしれない。 それでも。 あの澄んだ目をするチェオムという友人が、 とても愛おしそうに話す彼女を。 歪んだ顔で送り出したくはなかったのだ。 友人に希望を与えたかった。 砂漠に隠された古来の王が眠る墓へ、財宝を取りに行く行商が王の祟りを恐れて贄として差し出して死んだ友人のために。 お前からの親愛をちゃんと、彼女に渡せたさ。 灼熱の砂漠を一人ラクダと共に少年だった青年は歩いていく。 確かにただの砂漠の石だけれど、 確かにその石は孤児たちを救ったのだ。 「某国、砂漠の上」より。
アガフォン
ひをほおにふくむ。 「アガフォン」 鳶色をした目が少しだけ瞼から覗く。 まだ夢うつつなその人の髪に触れ、 肩からずれた寝衣を直してやった。 ヴーと唸り、 起きあがろうとしては脱力するというのを繰り返していた。 「まだ寝てていいぞ」 昇り始めた朝日を遮断するカーテンは此処にはなかった。 そっと眠りにつくその人の目を手で覆う。 「朝に弱いな」 男はふと寂しげな笑みを溢して、寝室から出ていった。 アガフォン。 小さな劇団には似合わないような、ひどく華のある、 とびきりに美しい男がいた。 昼は役者、夜は男娼と人々は口を揃えて言い、 当の本人はその言葉を聞くたびに艶やかに微笑むだけだった。 アガフォンには母がいた。 母は娼婦をしていた。 子がいることを客に気づかせないよう、 夜になるとアガフォンを屋根裏部屋で寝かせた。 多少物音を立てても、小さな動物が入り込んだのでしょうと、 なんとでも言えるからだ。 母としての矜持でもあった。 息子に女の自分を見てほしくなかった。 アガフォンは聡明だった。 十もいかぬ年のころから母の思いを察していたのである。 夜になるとアガフォンは布団の中にくるまり、 もしもの時のために耳を塞いだ。 母が客を呼ぶ部屋はその屋根裏部屋の真下に位置し、 嫌でも聞こえてしまうからだ。 アガフォンは母の客のようになることを何よりも恐れた。 彼が十になる四月前のことだ。 仕事を終え湯浴みをしてアガフォンのところへ来る母が、 いつまでたっても来なかったのだ。 その夜の母はとても静かで、母の客も静かだった。 話し声はほんの少ししか聞こえない。 客が出ていく音がしてから、もう二刻は経っていた。 それは幼い彼の勇気だった。 アガフォンは起き上がり、屋根裏部屋から降りた。 屋根裏部屋繋がる階段は廊下と繋がっており、 母の部屋まで少し距離があったため忍び足で歩く。 母の部屋の前に辿り着き、ノックをした。 いくら待てども返事はなく、扉を開けた。 まず目に飛び込んだのは項垂れている女だった。 「かぁさん」 アガフォンの声は掠れた。 未だかつてそんな母の表情を見たことがなかったから。 アガフォンは聡明だった。 部屋を出て、水が貯められている桶まで行き、手拭いを濡らした。 それをしぼって、また母の部屋に戻り、 動かない母の裸体を優しく拭いた。 ぼろぼろと母が泣いていることに気づかないふりをした。 「もう寝るね、かあさん」 その日から二度と「母親」が帰ってくることはなくなった。 彼女はある劇団の役者の客に入れ込んだ。 その客は、とても穏やかなひとでアガフォンは憎めなかった。 「母」を奪うな、と決して言えなかったのだ。 その客は母を娼婦としてではなく、一人の人として愛していた。 母もまた、彼を愛していた。 彼女は母としてではなくとも、幸せになれたのだ。 アガフォンはそのことを心から喜んだ。 息子が母を幸せにできなかったことを憎まず、 息子が母を幸せにする義務から解放されたことを喜んだ。 アガフォンはそんな自分を一番、憎んだ。 けれど、他の客は彼女を以前よりもっと痛ぶるようになった。 その客達よりも、母が幸せそうだったからだ。 アガフォンはずっと、母がこらえる声を聞いていた。 アガフォンを気遣ってのことだった。 昔の母は、母の女の姿を見せないことだけで精一杯だったのに。 しかし、母が我慢するたび客たちは母をもっと痛ぶった。 もうどこまで母が耐えられるかの実験のようだった。 アガフォンは恐怖した。 自分が「男」になれば、このように母を傷つけるのではないかと。 けれど、アガフォンは男として成長した。 それがアガフォンにとっての、何よりの苦しみだった。 まだ寒い冬だった。 近くの池で母は身投げした。 母が愛した男は梅毒で死に絶え、 愛した男に感染させてしまった罪悪感で母は死んだ。 三十になったばかりだった。 残された十二歳のアガフォンは、楼主に買われた。 まだ少年と呼べる彼の歳は、好色家には堪らなかったのだ。 母譲りの美貌は、彼を夜の蝶にした。 しかし、生涯アガフォンは女性を抱かなかった。 それは母への贖罪と、 男としての恐怖であった。 某国一の役者と言われた彼が月に一度、 夜に抜け出すという謎が後世に残っている。 理由は誰も知らず、 どれだけ高い金を出されようが、 親しい人との約束であろうが、その夜だけは彼は断った。 彼は母が身を投げた池に来ていた。 そして服を脱ぎ、下着だけの状態で池を泳ぐのだ。 その池には等身大の女神像が建てられている。 ある大貴族が、別荘地としてその池周辺を使っていた頃に、 その貴族の贈り物として、建てられたものであった。 別荘地といっても、花街が近くにあるので予想はできると思うが。 アガフォンはその女神像に向かって泳いでいた。 そして女神像の台座に手をかけ、ゆっくりと上がった。 濡れて透けた下着から見える彼の身体は、えも言われぬほど、 美しいのだ。 何よりもその瞳。 無邪気な輝きと、うす昏いナニカを抱えた目。 彼はしなやかな腕を女神像の首元にまきつけ、 女神像の唇にキスをした。 それは親愛のものではなく、貪欲なキスである。 アガフォンは、女性を抱かない。 しかし、「女神像だけ抱くのだ」 これは一種の偶像崇拝でもある。 信仰の形が異なるが、 「幸せに生きたい」という思いは皆、同じある。 そして、生身の女性へ情欲を向けないための、 彼なりの足掻きであったのだ。 「アガフォン」 そして彼にも恋人ができた。 彼はもう母と変わらぬ大人になっていた。 あと一年で彼は母の歳を越すだろう。 「アガフォン」 その人はアガフォンの名前を舌で飴玉を転がすように、 とても愛おしそうに呼ぶ。 アガフォンの恋人たちはみな男性で、 恋人は彫刻家だった。 彫刻家というのは、職業柄、カタチを掴むのが上手い。 それ故に、アガフォンの心も見透かされ、抱きしめられ、 いつの間にか恋人になっていたのだ。 アガフォンは彼を愛した。 心の底から愛した。 そのひとは朝日が昇る前にいつも起き、 静かに彫っていた。 それは宙であったり、像であったりもした。 梅毒を抱えたもの同士の、 束の間に求めた幸せだった。 「アガフォン」 彫刻家は男娼の目を覆った手を外した。 音が聞こえないほど、静寂は保たれた。 彼の顎にまめのある指先が添えられる。 アガフォンの口に向けて、小瓶を傾けた。 彼もその半分を自身の口に含んだ。 ほおにふくんだのは、まだ猶予がほしかったのだ。 アガフォンは、少しだけ鳶色の目を開き、 綻ぶように微笑った。 優しく穏やかな微笑みだった。 彫刻家はアガフォンを腕に抱えて、 含んだ毒を喉に流し込んだ。 「アガフォン」 それは溶けない飴玉。 ずっと男のほおに残り続けたもの。
でっけぇ人間
貴方がでっかい人間になるために。 泣けばいいの。 泣きゃいい。 苦しいサインは欲しいけど、 苦しんだ報告は、任意さ。 溜め込んだら身体にわるいから。 そんな理由はこじつけにしか聞こえない。 ごめんなさい、大人よ。 涙は皮膚の上の川だ。 流れて流れて、澱んで、また流れて。 最後は、まぁ海に行く。 それが地球の地形だ。 でも川の水量が少なけりゃ、海はデカくならねぇ。 川の数が少なけりゃ、海はデカくならねぇ。 太平洋を見ろ。 大西洋、インド洋。 あんたの一生分の涙で水位は変わるか? 何のために陸より海がデカくなってると思っている。 受け入れるためだ。 萬の生物を。その死と生を。 私も泣いたさ。 うんと泣いた。 そうすれば海ができる。 海ができりゃ、誰かの涙を受けいれることもできる。 みんながみんな、海を最初から持ってるわけじゃないんだ。 赤ん坊が泣くのだって、海という受け入れられる、 そんな場所が必要だからだ。 「心無い」大人が言うだろう。 泣くのはもうみっともない。 もしくは身体のためにも泣くのは我慢してはいけない。 きっとそれは君の心には合っていなくて、 傷つけ合うんだろう。 でも、大人が海を持っているとは限らない。 その大きさも分からない。 家族を受け入れるので精一杯の人もいれば、 自分を受け入れるだけの大きさを持てなかった人もいる。 だから、君は泣いてくれ。 いつかの君が受け入れられたかったと願ったように、 君が大切にしたい誰かはそうさせないんだ。 でっけぇ海を持て。 そんで、でっけぇ人間になれ。 誰かの涙を受け入れても。 溢れない海を持て。 貴方の。 悲しみも幸せも溢させない海を。 私に見せて。
滂沱の美
刺し給え。 艶やかな赤を見たいのだ。 美しい彫像の白さを。 私は知りたいのだ。 夜を統べる王の存在を。 否定したい。 常識に囚われぬことに囚われた、 いたいけな少年少女共を救いたい。 特別でないと自分の価値を知れぬ、 その全ての人を救いたいのだ。 故に私を刺し給え。 その赤の凄惨な微笑みを伝えねばならぬ。 ただ願い給え。 世の平和と飽和を。 戦を生めば、 神たちは慈しんで育てるだろう。 お前にしか分からぬ、 お前の世界の存在を私は壊したい。 それはお前を孤独にし、 私の介入を悪とするからだ。 私を弾く結界は、 いつも悲鳴のような音を出した。 それが世界の叫びなのか、お前の叫びなのか、 私は検討がつかぬ。 お前は世界に吸い出され、 外界に伝える媒体と化しているからだ。 今を生きよ。 その世界に時はない。 だがお前の世界が吸い出す行為は、 恋人との接吻よりも恍惚的なのである。 いつの間にかお前の中でそれは正解となり、 世界を持たぬ人を見下すようになった。 凡庸。 その言葉をさも宿敵のように怨む。 私はお前の目が嫌いだ。 特別さ、しか見ておらぬ。 故にこの赤を見よ。 全ての人が持つこの凡庸な赤を。 これは醜いか。 これは普遍か。 特別さごときで、美しさが変わるものではあるまいに。 お前が求めておるのは、希少性だ。 付加価値である。 おのれそれに振り回されるか、顧みよ。 では凡庸なものよ。 主は凡庸である。 その美しさを知っておらぬ。 ただ、特別を批判する風を読み、 さも凡庸が素晴らしいものだと理解したように、 己を語るな、恥ずかしい。 凡庸を援護するのと、凡庸を評価するのは、 全くもって違うのである。 人の真髄など見えぬ。 触れぬ。 理解などできるはずもない。 魂を震わす付加価値の効力があれど、 滂沱の涙を流す価値があれど。 私はどうでもいいのだ。 ソレに小さな子が泣いたのだ。 ソレに少年は傷つけられのだ。 ソレは少女の自傷を勧めたのだ。 希少をもって人を奮い立たせよというならば。 私は凡庸をもって、救おう。 故に刺し給え。 言葉は出さぬ。 とくと見よ。 この美しさと、平凡を。 世界はお前を色盲にするだろう。