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活動を停止いたします。 今まで、本当にありがとうございました。 Us「うず」です。よろしく。 「よよ」だったものです。 高一 アイコンは「ゴリラの素材屋さん」様の、フリー画像にございます。

一変の詩

みずうみを。 水海と書いたあの頃。 歓びに満ちた笑みを。 臆すことなく。 海にはさまれていると。 あの時、私は知っていた。 魚も鳥も。 泳ぐ場所が違うだけなのだと。 陸に上がった一方は死に、 陸に降りた片方は死なない。 その海の差を、私は知っていた。 まるで引き合わない磁石。 その狭間に確かにある空間で、私たちは生きている。 決して押しつぶされないユートピアを。 終わりのない並行の世界。 手を広げても、手のひらには何も映らないというのに。 私の目には、その青さが映っていた。 手を合わせるたび。 私はきっと、その青を擦り減らしていた。 涙をぬぐおうと目をこするたび。 私はきっと、その青を塗りつけていた。 私たちは青色のパンダ。 大人になろうとするたび。 「しちゃいけない」が増えていった。 大人になろうとするたび。 私たちは決まりを知るから。 できることを数えるより。 できないことを数えるほうが簡単だから。 つい、できないことばかり自分に言い聞かせてしまうけれど。 できることのほうが多いんだよ。 そうじゃなきゃ、 「しなくちゃいけない」なんて思えないんだ。 ねぇ、青色パンダ。 焦って、筆を持たないで。 目元を肌の色に合わせようとしないで。 大丈夫だから。 青色パンダ。 生きているだけで、君は愛らしいんだから。

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一変の詩

ありがとうございました。

私には覚悟がなかった。 ザンという男がいたとしよう。 ザンには友人がいた。 二人には何か少しシリアスな過去があり、 最終的に死んだとしよう。 私はあらゆる表現を使って、ザンとその友人の死を伝える。 結局は、「ザンとその友人が死んだ」という要約になるだろう。 その中で死は、生命が尽きたことを示すのではなく、 物語全体の価値を左右するものとなる。 最近、ふと考えるようになった。 本当にそれでよいのか、と。 私は今まで書いてきた作品の中で どれほど、殺していたのだろう。 美しい結末、物語、 もしくは優しさを演出するための死。 そこに実感などなかった。 そこに覚悟などなかった。 だから、私の話はすべて。 ペラペラで、 ヨーグルトを長時間放置した後の 上澄み液のようなものにしかならないのだ。 散々、物語を書くことをアイデンティティとしてきたのに。 そのペラペラさを受け入れる覚悟がなかった。 中途半端にその死たちに。 憐れみを抱いているから。 私は、せめてケジメをつけようと考えた。 物語は書くけれど。 もう人には見せないでおこう。 覚悟のない話など。 見せるだけ、後に戻れないと感じているから。 演出の死がどうやらこうたらと、 まだ受け入れられないから、 「私」はノベリーをログアウトします。 きっと、もう他のアカウントで戻ってきたりもしない。 仲良くしていただいた皆様。 急な話で、我儘ではありますが、ログアウトすることを決意しました。 今まで、本当にありがとうございました。

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ありがとうございました。

第一回ノベリ川賞  抄

 初夏の昼下がりのことである。男は忌々しい階段を下駄で踏みつけるように一段一段と上がっていく。数段上がれば、さきの雨で張りをなくした木製の手すりにもたれかかり、その手すりに爪をたて、跡を残すことのみに躍起になった。男は蚊が足にまとわりつくことすら気にもとめず、五の指、四の指、三の指、二の指、一の指と丁寧に爪を立てていく。爪というものは、存外に上から力を込めるよりも、少し傾けて力を込めた方が食い込むというのだ。男は、早くこの階段を上らねばならなかった。上で坊を待たしているのである。この階段を上り始めたのは一刻半前。上ったのはたったの、十と七段だけである。男が階段を上るそもそもの理由というのは、友人の墓参りであった。歳を重ねるとともに死は刻々と近づく足音が幻聴のように纏わりついてくるのである。男の友人は職人であった。ひどく目つきの悪い、いい男だった。滅多に口を開かず、沈黙の中で息をしているようだった。男はよく喋る性質であったので、言葉をずっと腹に落とし込む忍耐力というものに欠けていた。この職人にとって、話すという行為自体が肥料を撒き終えた畑にまたもう一度肥料を撒き直すような、過ぎたものだったのである。それでは、いい人すらおらぬのかという話になるが彼には弟子が1人おりそれが実の娘であるというのだから、下品な話にはなるが夜を重ねた女が少なくともいたということである。この職人というのは、極めて慎重な性格をしており、少し酒が回ったからと、誤って女と体を重ねるようなことは決してしないような男だった。  その娘というのも、なかなかに無愛想なやつで父親によく似ていた。だが父親に似て、人の人生そのものを脅かすような美貌をもち、唯一違うところと言えば、八重歯であった。男の友人___抄(ショウと呼ばせていたただく)は、美しいと言ってはいけないような男だった。美しいとはその独自性と、一般性と圧倒的な存在感の上で成り立つものであり、抄はそれがなかった。  まるで、誰かが丁寧に道具などを使って、美しい比を描き出し、その下書きにそって、決められた高さの鼻、唇、頬を付け足したに違いないと思うほどだった。人というのは、極限までその独自性に基づく顔のパァツが美しい比に整えられると、それが絶対的な美しさになり、さも人々の「独自性」がなくなった最終的なカオになると錯覚してしまう。  それに対して抄の娘は、なんとも言いがたい平凡さを持っていた。もちろん、顔の造形はひとつの芸術作品のように美しいのである。  男は抄の娘の顔を思い出しながら、休むことなく湿る手すりに爪を食い込ませていた。そうだ、あの娘の肌はこの手すりほど滑らかで柔らかいのだ。そのことを想像しながら、より力を込めて爪を突き刺す。手すりの木の表面に深い跡を残すことより、その木が声を上げられたならばどのような悲鳴を出すのかをずっと考えていた。それが抄の娘であればなお良かったのにとすら思っていた。  髪が顔にかかり、おどおどと周りを見渡す男は、ふと自分が手すりに爪を食い込ませ、友人の娘の肌に同じことをしたいと考えるその全てにひどく憎しみと失望を感じた。そして何より、自分の欲望の醜さに吐き気を催した。手すりとそれを支える棒のの隙間から顔をひょこっと出して、男は思いきり吐いた。そこに威厳や虚栄の欠片はとうに散っていたのである。  すると、誰かに背を撫でられた。赤子をあやすように四十を超えた男を撫でるのである。その誰かが自分を撫でるたびに、何かが擦り合うような音がした。  じゃり。じゃり。じゃり。じゃり。じゃり。    じゃ、り。じゃり。じゃり。    永遠に続く絶望を嫌がらせのように集め、怒りも短慮も存在しないように波ひとつ立てない穏やかな音が男を襲う。 いやじゃ。いやじゃ。私はこのように削ぎ落としたりなどせぬ。人である喜びなど残っておらなんだ。 貧しい身の男は胃の中の全てを吐き終えるまでに大した時間は要さなかった。何度か、口元に残るよだれなどを頭を振って、飛ばし男の背を撫でる人の 方へ振り向いた。袈裟を身に纏った僧がいらっしゃった。  「もし、あなた。大丈夫でありますか」 なんとも胡散臭い言い回しをする奴である。男の目からは崇拝の心持ちいうのが失われた。「いえ、なんのことでかござりましょう」と」口をついた。男というのは貧しい身であったので、人にへりくだるということは息を吸うようにできるが、このお僧様に対しては、どうしてか男の目線を僧の足袋まで下げたくなかったのである。  「いやはや、お死なり致さなかったか。はてはて、あなたさまの分までお心遣いを頂こうと思っていましたのに」 なんとも無茶苦茶な言葉遣いであったので、こやつは人の下で惨めな思いをしたことがないのだろうと男はますますこの僧のことが憎くなった。男は内心を隠してころりと笑った。心の中では跪いてはやらぬ。先ほどの私はいかにも短慮であった。  「申し訳ござりませぬ。お坊様。私めは卑賤の身でありやして、良い言葉遣いなど知らないのであります」 さも知っている「高貴」な言葉を並べ尽くした愚か者のように振る舞った。  次は僧がにちゃりと笑って、 「わたくしめも、下賤の身。あなたさまと同じであります」というのであった。   男は怒りで、目の前の全てがこのお坊様とやらの弧を描く口元のように歪んで見えた。早々とその景色を見つめることを諦め、目を伏せて僧に問うた。  諦めることには慣れているのである。 「なぜ、お坊様はこちらに降りてきていらっしゃるのですか」 僧はにちゃりと笑ったまま答えた。 「あなたさまがいつになっても来られないので、もうこの長い階段を登られる途中に力尽きてしまわれたのかと思ったのです」依頼主が亡くなればどこのお墓にお経をあげれば良いのかわからないではありませんかと気持ち悪い笑みのまま言い放った。 「では、今から参ろう。吐き出して、体調をずいぶんと良くなった。今ならばすぐにでもこの階段を登って見せることができようぞ」 男は独り言のように呟いて、すたすたと階段を登っていく。自分が、手すりに爪を食い込ませて時間を浪費していたことなどとっくのとうに忘れているのである。その後について、僧もすたすたと階段を登っていった。  階段を登った先は少し開けた場所であった。薄紫色の美しい着物を着た女が独り、そこに立っていた。 「お前……」 男は忘れていた憎しみを思い出した。僧とのやりとりで燃え上がった怒りなど、朝方の打ち水の頼らずとも鎮火された。女が抄の娘であることは明白である。  男が抄とその娘を憎むのは同じ貧しい身でありながら、美しい容姿をもつ彼らへの劣等感だけが理由ではない。えも言われぬ気持ち悪さが彼らの周りに蔓延っていた。理性の下にある情緒が、男は嫌いで仕方がなかったのである。飼い慣らされた情緒が、風に吹かれて消されてしまうことなどありはしない。  男の目が自己的で短絡的な色を映した途端、僧は前を向いたまま後ろ足で階段を降りていった。それはまるで僧が地下に引き摺り込まれていくような滑らかな動きであった。  男は着物の女の髪を掴み上げた。結われた髪は跡形もなく崩れ、女の頭皮に簪が突き刺さった。女のまるで平凡のような悲鳴に男は苛つき、髪を容赦なく抜いていった。雑草を苛立たしげに抜く農家と同じ気分であった。      男は女の傍にあった桶に柄杓を粗雑に入れて、ほとんどと言っていいほど水を溢しながら、女の頭皮に水をかけていった。  時には女が叫び開いた口に柄杓を突っ込み、それを抜いては入れてを繰り返したりなどもした。  男は女の頭を叩き、撫で、髪を束で抜き、柄杓から女に水を飲ませてやるなど、ひととおりのことをしたあと、まるで友人の墓参りをして、その思い出に回帰した参拝者のような晴れやかな顔をして、階段を降りていった。

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第一回ノベリ川賞  抄

ねが、い

わからないから、綿でくるんだ。 お願い壊れないで、と。 千切れた蝉の羽を、陽に透かしたときのように。 終わらないしあわせがほしかったの。 今日を終わらせない停止ボタンを探しいていた。 また明日ねと手を振るあなたを切り取って。 画面越しにでも、あなたの手と私の手が重ねられるように。 諦めが心を侵食したとき。 ふと目を逸らした窓の先の、小さな笑い声に。 どうしようもなく、打ちのめされて。 その愛おしさと。 妬みと。 ほんのすこしだけ諦めを「いやだ」と言った、 私のちいさなちいさな声を。 聞いたのでした。 ゆるやかに、喜びは積もり、 私は、その重さだけを感じるようになった。 どんな手触りだったのだろうか。 落としたら、どんな音がしたのだったのだろうか。 私の耳は。 私の顔の横について。 私の手は。 私の肩についているから。 私の。 心に。 触れることはできないの。 だから。 あなたに任せよう。 私の心はどんな音を立てるのか。 あなたが教えてね。 私もあなたのを教えるから。 つぎは。 綿にくるまずとも。 あなたを抱きしめられたらいいな。

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ねが、い

exist

私は。   存在する。 お前は。   存在する。  美しい横顔が在った。 わたくしの隣に。  悲しい悲しみが在った。 わたくしの膝の上に。  はじけた痛みがあった。 お前の目の横の傷に。  瞼にも溜められぬ涙が在った。 お前の言葉の中に。  存在した。 そのすべて。  わたくしの感情。  お前の血。  延々たるその地。 色もなく、音もなく、人もなく、 何もなく。  立ち尽くす存在をお前は知っているつもりだ。 存在とは。  隙間である。 何かと何かのあいだに、 あるもの。 存在とは。  確固たるものにならぬ。  それは水の如し。 はばまれるもの。 抱えられるもの。 色移りし、変容して、存在たらしめる。 故に案ずるなかれ。  お前は存在し、  私は存在する。 此れ、肉体そして精神に関わらず。 我ら、常に存在す。

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第一回ノベリ川賞『チシカ』

山々、深き霧に覆われて。 これ一切の貌を見ず。 我よ目凝らせども。 見えぬて額、打ちにけり。 やうやう、白き裾は広がりていたり。  女、息を吸うこと十数えたころのことである。この徒労に終わる呼吸とやらについて深く考えこんだ。当然のことながら、考える間も、また数というのは数えているのである。十と一つ、二つ。三つのときに一度、意識ひとつで止められる生命活動をやめ、ほんの少し経てば、また四つを数え始めた。  「息を止めては苦しいか。なるほど、あの人はわざと息を止め、咳をしたのではなかろう」  ひとつ頷いたと思えば、数を数えるのをやめた。  女がこう言ったのも無理はない。女の言うあの人とは彼女の夫のことであり、彼女の夫は物書きだった。何かしら咳を患う病であるのは間違いはないが、医者にかかれるほど裕福ではなく、医者に行こうとも歩いて丸二日かかるほど遠いのだ。その間に、血を吐いて動けなくなるだろう。その夫というのが何とも畜生で、物書きだというのだから頭の作りが歪み、妻に咳をし、二日飲まず食わずでもわざと何か小説のためにしているのではないか、と疑われるほどまともな奴ではなかった。次の年で、三十になる男だった。  こやつは苦しいその全てを、親の仇のように憎み、畳のささくれが痛いからと家の中で草履を履こうとする軟弱者だった。妻という女はそれを微笑んで許し、「やはり、とても賢くいらっしゃる」などと、褒め称えるのだ。  物書きは村で生きることを嫌がり、先祖代々、細々と受け継がれてきた小さな山に家を建てた。もともと、物書きは物書きではなく、小さな小屋のような家などすぐに作ってしまった。それから何年か経って、女を娶り、今に至るのである。  女もまた少し変なやつで、物書きは小さい頃からその様子を横目で見ていた。幼馴染というには、交流が少なく、顔見知りというには少し親しかった。物書きの膝の上に座るくらいには女は物書きに懐き、けれど物書きの前で声を立てて笑ったり、泣きじゃくったりなどは一度もしなかった。涙を目元に堪えてなお、「悲しくないわ」と言い張るような子供だった。  薄闇のころである。夜にすることもなく、ただただ厚さの欠片もない布団の上で寝転んでいた。気味が悪いほど虫の音など一切聞こえず、見上げる天井はいたるところで虫に食われていた。  男が寝ようと目を瞑ったときである。  「喉が渇きました」、「喉が渇きました」と隣で女は繰り返し呟いた。男が水を飲ませてやっても、「喉が渇きました」、「喉が渇きました」と言う。  「なんだという、お前。それほどに渇いているのか」男が問うても、掠れた声で「喉が渇きました」と繰り返す。  女の背中をさすってみたり、水が飲みやすいよう髪を結ったりなどもしたが、顔を顰め、涙を流し続け、「喉が渇きました」と言う。  一つの布団を分け合って眠っているのである。女が苦しめば、こちらもずっと、苦しむ声を聞かなければならぬ。それは、苦しいことであり、男は女が苦しまぬように努力を尽くした。それが、男の苦しみをなくす唯一の方法だったのである。  しかし、男の努力も虚しく、まだ一刻も経ってはいないというのに、女の顔はどんどんとやつれていった。男は女の白い寝着に血を吐いた。妻が貧しいと思われることを苦に思い、男は心の安寧のためにへそくりをかき集めて、買ってやった服である。女がもう動かなくなった表情を少しだけ緩ませ嬉しそうに夜のたびにその服を纏うのを見ていたのである。  しかし、女は吐いた血を見ることなくうわごとを繰り返す。ヒューヒューと掠れた音が言葉の隙間に入る。唇は乾燥して、ひび割れていた。  私は苛つきにまかせて、髪を掻いた。所詮、男の私が書いたものよ。女の独り言など、欠片も分からぬ。どうして、これほどに分からぬのか。物書き故に無駄に言葉を飾るのに長け、この無知を隠してしまうことが恥ずかしくてならぬ。日記にもならず、話にもならず、この中途半端な集合体を赤裸々と明かしてしまっている。妻が私をどう思っていたのかなど、知らない。この恥のかたまりである私が夫であることを忌々しく思っていたに違いない。そうさ。私は生粋の物書きではない。文豪のやうに線が細く、鋭い目つきで社会を見ておらぬ。たまに見せる柔らかな家族への眼差しなど、私が持っているはずがないのだ。物書き気取りの哀れな木こり。病にかかり、斧を持つことができなくなったゆえの逃避。かつて、子供のころの妻に聞かせてやった作り話を忘れられずに。死に際に仕事を持てぬ恥を忘れるために名乗った物書き。膝の上で無垢な眼差しを私に向けて、手を叩いて喜ぶあやつの、その顔が目に焼きついて離れぬ。 美しい娘だったのだ。 醜い私に嫁ぐような女ではなかった。 前の夫に虐げられ、精神を壊したあの娘は。 死にかけの私の面倒くらい見れるだろうと追いやられてきた。 お前は私のような畜生ではない。 変な奴ではないのだ。  妻の息は、吸っても肺に入らないような音を立てていた。まるで、妻の身体が空洞になったようだ。吸っても吸っても抜けていく。 息すら吸えないというのに、水など飲めるものか。  水差しで飲ましてやった水は、口元が溢れて青白い妻の肌の上を流れていく。胸元がはだけ、乳房の間を一筋、水は去っていた。  肌を見せることを恥じていた女の姿はない。ただ、喉の渇きを満たそうと何度も水差しに手を伸ばしてくる。焦点は定まらず、伸ばした手も宙を切り、何度も私の頬はその爪に掻かれた。吐いた血なのか、頬の血なのかなど考える暇もなく、 かつて見たことのない力の強さで、私は妻に求められていた。その先にあるものが生であり、私でなくとも。女の腕はもうしゃがんだ男の顔の高さすら上がらなくなった。何も話さず、肌からは艶がなくなり、水分という水分が身体から抜けていった。 霧は夜も明けぬ中、満ちていく。  うぅ、と呻きながら突然に妻は立ち上がった。ズズ、ズズと畳の上で足を引きずる音をさせていた。涼しいようにと開けていた襖にぶつかり、穴を開け、ボロボロになった和紙を寝着につけながら、縁側から裸足で外へ出ていく。  やめなさい、と言う代わりに血を吐き出した。この血が恨めしくてならなかった。 妻に。 妻に私は血しか吐けぬのか。 もう少しましな。 穏やかな言葉ひとつ……。  枯れた庭を踏みしめて、妻は歩き回っていた。死んだ燕の墓、油もとれぬ椿、老いた桜、山椒……。 彩るものなど、なかった。 気を滅入らせる、捨てられなかったがらくたども。 なんども滑りながら、妻は小さな岩を登った。 転んで、頭を打つかもしれぬと妻の元に駆けようとした。 己の吐いた血で、私は足を滑らせた。 「……この畜生め」 畜生め、畜生め。 立ちあがろうとしては、滑り、 その振動で吐き、 滑り、 吐き、 滑る。 妻を見上げた。 霧が返らぬ波のように、ゆっくりと庭に寄せてくる。 妻が息を吐いた。 私はその先にはいない。 波を吸い込むように、彼女は息を吸った。 苦しみに満ちた顔をゆるめ、 少しだけ口元を綻ばせて。  倒れ込んだ妻を。  私は拾えなかった。  共に死ねないのだろう。  私はここで朽ちるからだ。  山の波は、静かに妻を連れて引いていった。    お前の顔を見てやれぬ。  見てみて、と振り返ったお前の顔すら。    思い出せぬほど、私は。

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第一回ノベリ川賞『チシカ』

さすった背中が。 ほんのすこしでも。 温かくなりますように。 伸びた背筋が少し丸くなって。 俯いていた今日のあなた。 その背中には、迷いと自分を許そうとする、 柔らかさがあった。 ひらべったい私の手のひらは。 あなたの優しい曲線に。 ぴったり吸いついた。 あなたの鼓動と、私の脈が。 どくどく、どくどく、と。 ずっと、どこかで反響している。 弱くてごめんなさい。と呟くあなた。 ちっぽけなことで潰れてごめんなさい。 あなたはあなたを責めて責めて、壊そうとする。 大丈夫だよとその言葉しか。 言えないわたし。 大丈夫以外に。 あなたを受け止められる言葉を探している。 それでもまた。 明日にはあなたは背筋を伸ばして。 ほんのすこしの筋肉痛と、 心の痛みを。 あなたの芯にそっと押しこめて。 曲がらない明日を瞳に映す。 しゃがみ込んで、すこしつぶれた感情を。 丁寧に丁寧に、 ドミノピザの崩れた箱に入れて。 私の分まで、受け入れようとする。 ちがうわ。 ちがうの。 私のこの心の痛みは。 あなたがそうやって。 そうやって、静かに前を向くから。 痛んで、痛んで、止まらないの。

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よまやまばなし

それは名も知らぬ鳥の声。 風は隣の席の女の子の、 甘い髪の香りを孕んで流れてくる。 とりとめのないUsの話をする。 高校一年生。 これといって物語を書こうと思ったきっかけはない。 色々なアカウントで自分を紹介してしまっているので、 私が好きなもの、嫌いものは割愛する。 部活は引き続き、陸上部。 鼻水と汗を垂らしてます。 私はよくものを書くが、別に書くことが特別とは思っていない。 書かされてしまっている、と言った方がいいのだろうか。 一つの映像が鮮明に私の脳に浮かび上がる。 それは湖に立つ像に抱きつく少年であり、    四肢のない男の上で泣く女であり、    粗末な墓の前で「すいとーよ」と呟く人の声だった。 私は消えてしまうのが怖い。 この物語が何にも残らずに消滅してしまうことが、 途方もなく怖いのだ。 残せるのなら、どんな方法だっていい。 幸いなことに、私は言葉をもち、 鉛筆をもち、紙を持っていた。 絵も描いた。 この映像を決定してしまいたかった。 お前はこういう風に流れて終わるの、と。 書いてしまえば、定まってくれるから。 勉強になんて集中できなかった。 授業だって、聞けなかった。  必死にこの映像を残そうとして、書き留めれば。 ぜんぶ、もう終わってしまっている。 それは私がコントロールできないせい。 ありがたいことに、私には理解者がいた。 その人は私に言ってくれた。 書いて決定して、それで物語は残ったといえるのか、と。 塾の講師で、私の国語を伸ばしてくれた。 本来、受からないような進学校に私は受かった。 国語がなければ、落ちていたそうだ。 馬鹿なわけじゃない。 「知識は誰にも奪えない」と祖母が塾の費用を出してくれた。 私は祖母の少なくなるだけの財産から、 「知識」という途方もなく価値のあるものを受け取った。 キツイ言い方しかできない祖母の、 最大の愛情だと私は知っている。 私はきっと、恵まれている。 故にペラい話しか書けぬ。 人生を奥深く考えるところまで、 苦労も挫折も何一つしたことがない。 学校に提出した作文を見た教師は、まるで文豪のようだと言うが、 それは徒労なしに掬い取った彼らの血の文であり、 そこに現実もクソもない。 私は形だけをコピーペーストしているのだ。 ときどき、ふと頭の中に流れてくる。 それは私の作品で、無音で映画館に上映されている。 あるときは拍手喝采を受け、 私は最年少で、文学賞をとっていた。 その時に決まって違和感が胸を突くのだ。 年が若ければ、作品の価値は高くなるのか、と。 芥川は「地獄変」を二十六の時に書いた。 芸術家はみな、生き急ぎすぎている。 つまり、最年少で私が賞をとるということは、 人生の密度を前借りして、 私は自分の生きる年数を削っていることになる。 まずもって、私に賞に足る技術などこれっぽっちもないが。 最後になぜUsという名前にしたのかだけ語りたい。 私はUというアルファベットが好きだ。 これは「受容」のかたちであり、かのくぼみの中で、 受け入れてくれる優しさを持っている。 それはあなただ。 Uはyouの最後の文字であり、 あなたの存在を受け止める。 youの後にrをつけたら、yourになり、 yをとったらourになる。 ourをuだけ残した形にすると、 u orになり、 you or になる 「あなたを」または何か。 それは「わたしたちを」usであり、 「あなたたちを」Uの複数形Usになる。 私はこの名で、人々を受け入れる作品を創りたいのだ。

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よまやまばなし

翠雨

 少し、過激な内容及び表現がございます。   苦手な方はお気をつけくださませ。  桜の前で泣くといい、と彼に言われた。二つ歳下の児だった。口元をほのかに和らげて、持っていた箒を取られた。なぜ、と問うても穏やかに微笑うだけ。まだ九つとは思えぬほど、大人びた目をしていた。早く、とせかされ桜の元へと送られた。桜を見るのはいいが、何に泣けというのだろう。花が散ることだろうか。その儚さに泣けばいいというのだろうか。  私はほとほと困り果てた。自分には風情というものがなく、何が哀しいのか分からぬのだ。不運なことに、その日は風がよく吹き、桜は止まることなく散り果てていく。その風に吹かれて、ふと思い出した。父が、風が強く吹くとき、悲しげな表情を見せたこと。丹精をこめて育てたとしても、簡単に生活ごと飛ばされしまう大黒柱の抱える苦しみ。  父の口が閉じれば、母の笑みが消え、妹の無邪気が殺されていく。自分を寺へ出した父の決意。母がその背中に隠れて泣いていた。あぁ、もう戻れぬのだと知った。  思い出したときには、涙は勝手に溢れおちてくれていた。濡れた頬に花弁が、張りつく。しばらく、そうして泣いていると草履を擦る音が聞こえた。  「なぜお前は泣いておる」 高僧の衣を見に纏っていた。 なぜか意地を張った。  「桜が散ることが、哀しゅうございます」 自分の愚かさに涙が止まらない。    濃密な気配を感じさせるその僧は、そうかと呟いて来た道を戻って行った。父を侮辱してしまったこと、それを悔やみに悔やんで石畳の上でうずくまった。  何刻経ったころだろう。また、その僧は草履を擦らせて、桜の元に来た。  「こち、来い」 乱暴に腕を掴まれ、奥の主屋へと引っ張られていった。  次は犯されるのだろうかとぼんやりと考えていた。寺など、結局はそういう場所だと人から聞いた。    「名は」 つと形のよい唇からこぼれた。  「明春と」 その僧は片眉をあげて、こちらをじっと見つめ静かに頷いた。  「あい。では明春」 そう呼ばれたときには、その僧の体へ引き寄せられていた。  「はい」  彼はひとつも自分の体に触れなかった。 しかし、その目の中で私は何度も犯されていた。私の隙間へ、入り込んでくる。主屋には、私の声だけ響く。その背徳感に体が震えた。  坊に帰ったのは、日が沈んでからだった。 「おかえり」  ひとつも揺れを感じさせないその微笑みが、 こちらを迎えていた。 「あぁ、戻ったよ」  幽明は簡単に私に触れた。 頬。首元。腹。  そうすれば艶かしく微笑って、声をしぼりだすように謝った。 「すまない。私のとき、あの人は桜の前で泣くことを嫌がったから」  ずっと考え続けてきたことはすぐに否定された。 「いいんだ。受け入れた私が悪い」 しかし、かれの指は私に触れ続けたままだった。 「私は怖いよ」 ふと呟いて、私の目を見た。 「早く寝るといい」 その声の震えに私は目を伏せた。 それからというもの、私は何度もあの僧に呼ばれ続けた。 幽明は何度もやめてくれと僧に懇願していた。 私でいいだろう、と。 二つも歳下の幽明に庇われるのがなんとも情けなかった。 ましてや、悦びを感じているなど。 そう思えば思うほど自分からあの人を求めてしまう。  喘ぐその姿を、幽明に見られてから私はもう戻れなかった。 幽明の歪んだ表情に、なんとも言われぬ胸の痛みと、 安堵が広がっていった。  その夜、私は幽明を抱いた。 幽明はずっとこちらを見ていた。  朝、起きてみれば幽明の姿はなく、あの人に聞けば還俗したと言っていた。  私のせいなのだろう。 俗世に彼は染まり、汚されてしまう。 涙が流れた。 「お前は何に泣いている」 「いいえ」 彼はまた片眉をあげ、私の顎に指先をそえた。 「私はなぜ、と訊いておる」 結局のところ、私はその指先に支配されていた。  「幽明があまりにも哀れで」 そう言えば、彼は喉を鳴らして笑った。  「どうされた」 首に手を回して聞けば、接吻の応えが返ってくる。  嗚呼、なんと幸せなことか。  私はあの人の側仕えになった。高僧ゆえに必要となるその仕事だった。  貴族を回ってあのひとが説法をとく、その傍にいた。貴族を前にすると、彼はとても柔らかく微笑み、けっして声を荒げなかった。  夜にだけ、自分のために彼が声を荒げるその優越がたまらなかったのだ。 貴族の間をまわっているとき、 ひとつだけある貴族の屋敷は、異様な雰囲気を持っていた。女の着物ははだけ、すべてのひとが欲情しているように見えた。貴族の品位など欠片もありはしない。  説法という名であのひとが女を抱いているとき、 私はなぜこのようなのかを調べてみようと思い立った。  男が女を喰っていた。貪るように抱いていた。女が泣いて、悦び、鳴く。その一部始終を私は呆然と見ていた。  そこには恥もなく、美しい欲の形があった。  滑らかな肌の男はこちらをふと振り返って見た。 私はその顔に見覚えがあった。  「久しぶりだね。明春」 その穏やかな声色を私が忘れるはずもない。  「幽明……」  「ねぇ、誰なの。わたくし、知らないわ」 泣いていた貴族の女は幽明の胸元を指先でなぞっていた。  幽明はその頬と胸に接吻をした。 その女の目の潤みと惚けた表情が、私を誘った。幽明はまた微笑った。  女を鳴かせた。執拗に、愛おしく、私たちのこと以外、何も目に入れさせない。 欲で支配する快感が何度も私の中を突き抜けた。    気を失った女を腕に抱え、着物をただす幽明を見ていた。  「何を見ているのさ」 灯台の明かりなどなく、ぼんやりとしか彼の輪郭は見えないというのに、懐かしさが喉から込み上げる。  「御師さまはどうだい?」 その気配は酷薄だった。  「今は……、説法をしておられる」 嘲るように微笑っていた。  「この夜半にか?あわれなことよ」  「私のように還俗すればよかったろうに」 冷たい風が心の臓の隙間を走った。  「幽明……、お前…」  色に狂うて、僧を辞したのか……?  「まさか」と彼は微笑った。  「お前のためだよ。明春」 頬に爪を立てられた。    何を言っているのか、私には分からなかった。  「お前の名は明春ではなかろう。柔和な雰囲気をさせておきながら、はじめて顔を合わせたときに源氏名を使うとは驚いたものよ」  まぁ、それが源氏名とお前が知っていたかは分からぬが。  鈍い痛みが胸を刺した。  「男のための夜の蝶など、そう見つからぬ」  噂は籠の中まで届いてきよったわと幽明が昏く言い放つ。  あのころの私はお前を哀れに思ったのだ。ずっと薄暗い中で生きていたのだから、ひとつ助けなどしてみようと、微笑う練習もした。しかし、いざお前に逢ってみると崩れ落ちたのだ。幼いその歳だいうのに、男に飼われてそれでもなお、純朴なその笑み。  憎くて、愛らしくて仕方がなかった。  私は、お前より二つ下だが、お前よりこの命と生活は保障され、飼われようとも何知らぬ赤子のような欲たちよ。  私はお前を助けることなどできはしなかったのだ。お前が私の坊に来る前にあの僧の欲を決壊させた。流れにまかせれば、お前は簡単に堕ちてくれた。胸が震えたよ。罪悪感を孕んだ目で私を抱き、その快楽に貪られる姿に。  桜の前で泣かせたのも、私がお前を愛おしく思っているからだよ。決壊させた獣に盗られるかと心配するよりも、先に食わせておいた方が確実に私のものになる。   ーー今だって、ほら。私に触れられただけで震える欲の獣になっているのだから。  美しいよ、明春。 首元を噛まれて、唾液を流し込まれた。  純粋な欲情の獣をね。 私はつくりたかった、それだけのことよ。

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翠雨

第一回NSS 桜は永遠に知らず

 黙祷した。疲れて座り込んだ道路に一匹、小鳥は死んでいた。名もなく、その小鳥の種さえ私には分からぬが、ひどく胸が痛んだ。自身にその悲しみがまだ残っていた。泣いてはやれないが。  ふと思い立った。私は何も知らぬ。だから、小鳥に名をつけてやろうと。私の記憶だけでもこの子を存在を遺しておきたい。だが名付けの経験もなく雪だるまをせいぜい「しろ」と呼んだ程度。  思った以上に苦戦した。面影は女の子だ。花?ピーちゃん?しかし、どれもこの小鳥に合わない。もっと淡くて凛とした名がいい。何時間も考えた。終電など、とうの昔に駅舎へと眠りに向かった。  「さくら。さくらにしよう」 幼馴染の妹の名前だ。男子校に揉まれてきた自分にとって、唯一身近にいた異性。それはもう、うんと可愛がった。何一つとして知らないくせに流行りのコスメなども買ってやった。愛おしいひとの名前なら、きっと。きっと、俺は覚えていられる。 ーーそれが愛おしさを感じるものにつく名前なのだから。 さくら。 お前はどんな声で鳴いたんだ? 恋人はいたのか? 俺が最後でごめんよ。 愛してるなんて宛先不明のものを、 お前の幻想に押しつけたんだ。

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第一回NSS  桜は永遠に知らず