歩道橋
21 件の小説夜の幕
夜の幕をおろした。 どこかでオルゴールが鳴り始める。 ぽろんぽろろんと子守歌の代わりに歌うもの。 ほんものの夜の空に一番似ている天井が廻る。 月は毎日欠けて、満ちる。 ほんものの月のようにかたちは変わる。 少年はお手伝いさんに聞いた。 「これはほんもののお空?」 目を伏せて、彼女は答える。 「そうですとも。世界で一番優しい空でございますれば」 少年は目を瞬いた。 「お前はおかしなことを言うね」 彼女が首を傾げる。 「空に区画はないというのに。みな同じ空を見ているのだから、世界で一番なんて測れないじゃないか」 「確かにそうでございますね。ご聡明でいらっしゃる」 「そうしたら、この空はほんもののではないことになる」 「なぜでございましょう」 「この部屋の天井限りで、空が完結しているもの」 「それはとても不思議でございますね」 「ねぇ、お前」 はい、お坊ちゃまと彼女は頷く。 「ほんものの空というのは、優しくないのかい?」 彼女はゆっくりと首を横に振る。 「いいえ、いいえ。決してその様なことではございません」 「では、なぜ僕はほんものの空を見せてもらえない?」 「それは空が美しすぎるからにございますれば」 「うつくしい、というのはとても怖いことなのか?」 「はい、はい。お坊ちゃま。それはとても恐ろしいのです」 少年は絵本を開いて、怪物を指さす。 「これよりも?」 「えぇ、その怪物よりもです」 「ではなぜ、母上は月を見ると顔をほころばせるの?」 月はとても、美しいのでしょうと少年が不思議がる。 「大人にとっては、月はもう美しいだけなのです」 「なぜ」 「大人もみな、子供のころにほんものに近い月を絵本などで見て、月の美しさに慣れていますれば」 「僕にとってのその月が天井の月なんだね」 「はい、はい。お坊ちゃま。その通りにございます」 「では、絵本を持てない貧しい子供はどうやって慣れるの?」 みな、月を見ているのだろう?と少年が問うた。 「そのために、物語が溢れるのです。お坊ちゃま」 「ものがたり?」 「えぇ。物語で美しさに慣れるのです」 「あぁ、語り聞かせるのだね」 「その通りにございます」 「ありがとう、よくわかったよ」 「とんでもございません。それがわたくしの仕事ですから」 「お前の仕事は素晴らしいね」 「はい、とても」 「時間をとって、すまない。眠るとしよう」 「ごゆっくりお休みくださいませ」 「あぁ、お前も」 「おやすみ」 その言葉がオルゴールを止めた。 少年はほんものの夜空に憧れた。 彼女の職業が素晴らしいものだと知った。 美しいものは母を喜ばせ、まだ自分にとって恐ろしいものだった。 おろされた夜の幕にそっと目を伏せる。 星が湖に漂う。 掴めないけれど、両手では掬えるもの。 母がその先で腕を広げて、父は微かに笑っている。 少年が夜に願った小さな物語。 語り聞かせるのは、きっと少年だけ。
のみこめない
歩道橋のはなしです。 うまくのみこめないことがあったので、 書き連ねております。 わたしの家はお寺です。父がお坊さんで、祖父もそうでした。朝と夜の6時に鐘がなり、お寺の中にある大きなイチョウの木に住むカラスの声で目が覚めます。むかしはそのイチョウの木でアオダイショウを見かけたそうです。今は、もうめっきり見えなくなりましたが。 記憶にある母は、いつとお線香の匂いをさせていました。私を昼寝に寝かせにきて、頭を撫でる手の香りがとても好きでした。 父が動くとすぐにわかります。袈裟を着ていると擦れる音がするからです。小さい頃、お経をあげる父の、喉仏が動く様子が不思議でたまらなかったのをよく覚えています。 祖父母と共に住んでおり、兄弟が二人いるので、私の家は七人家族です。 祖母からは礼儀を教わりました。ふすまの開け方、座布団の並べ方、お辞儀の仕方、その他諸々。 祖父からは、書道と、ものづくりを教えてもらいました。また、祖父は私の読み聞かせ担当でした。 一人目の姉からは、文字を習いました。この人はとても想像力が豊かで、膝の上に乗らしてもらって、彼女が絵本を描いているのをよく眺めていました。 二人目の姉からは、処世術を学びました。この人は生きるのがとてもうまいのです。 父や母からは数えられないことを学びました。 「お寺」に来る方からは、遊んでもらったり、ときに大切なことを教えていただけました。 いつも学校から帰ったら食卓に座っているお客さんが、電話で亡くなられたことを知ることも何度もありました。その電話のあと、母は泣き崩れます。不思議なことに、その電話がくるのは夕食の時でした。 必ずまた今度ねの約束が果たせるとは限らないといつも痛感するのです。 私の家はお寺です。代々、繋いでまいりました。父で第二十世ほどです。四百年も、脈々と受け継がれてきました。しかし、両親には私たち娘三人しかおらず、後継がいません。尼さんにはならなくてよいと言われました。好きに生きなさいと。 祖父は養子でした。曽祖父母たちに後継がいなかったからです。両親たちは大きな決断をしたのだと思います。 高校の家庭科の授業のことです。先生はあまりご両親とうまくいっていないようだったので、縁をきり、結婚の挨拶も行かなかったというような内容の話をされました。(婚姻や家族についての授業だったのです。)先生は、とても自由であることにこだわっていました。それが先生の考え方だと言うのは分かっています。しかし、先生はこうおっしゃられたのです。 「長男だから、とか「後継」みたいにみんな、重荷を背負わされていない?」 「私だったら絶対むりです」、と。 先生の、個人の未来を選択する権利についての話はよく理解できます。ただ、脈々と受け継いできた伝統を、「重荷」と、可哀想と言われるのがどうしても納得できなかったのです。 そんなに簡単に言葉にしてしまわないでと言いたかった。 自由、権利うるさいんだよ、と。 お寺を継ぐ気はかけらもありません。だから、父や祖父からなにもお寺の内容については教わってはいませんし、わたしは怒るような資格をもっていません。ただ、悲しかったのです。たぶん、大切に先祖が守ってきたものがそう言われるのを勝手にわたしが悲しんでいるだけなのです。 だらだらとなんの終着点もない話をすみませんでした。言葉にしたおかげで、すこし心の整理ができたように思います。
ジコショウカイ
まるいち ノベリーを始めてどれくらい? 色々なアカウントを渡り歩いたので、3年ほどです。 まるに ノベリーを始めたきっかけは? たまたま授業で詩を書くというものがあって、書くということに魅了されたからです。いろいろ調べていると、ノベリーに辿り着き試してみたら、居心地がよくて居座りました。 コタツムリならぬノベツムリですね。 まるさん 読むジャンルは? 特にないですね。ただ、読む本を選ぶとき、まず作者さんを見ます。どんな人が何を書いたのかがとても気になるんです。 最近、本を読んでいなくて、そろそろ活字中毒の発作が出そう。一ヶ月ほど前に読んでとても好きだったのは「雲を紡ぐ」です。 ひとことでいいます。好きすぎる。 まるよん 書くジャンルは? ほんとうにこれ、いつも自分でもわからない。書きながら、全くお前は何を書いてるんだよと自分にツッコんでいます。なので、私の作品にメッセージ性はかけらもありません。深い意図もありませんので、読む時に頭を使わなくても大丈夫です。影響されやすい性格なので、きっと幼少期に観たアニメや映画に引っ張られているのでしょう。 ただ、古文が好きで結構引用させていただいたりしています。ありがとう、平安のひとよ。著作権は切れている。なにしろ千年経ったからね。 あと恋愛でそんなに死なないで。感動で袖を濡らしすぎじゃないかな。 ときどき、現実とは違う世界線のものを書いたりしますが、それはわたくしめの発作です。お気になさらず。 まるご 名前の由来 「歩道橋」→ 「あゆむみちのはし」 私の上は、トンカチで叩いて渡ってくださいね。 活動について 投稿は不定期です。毎日、みなさまの作品を読ませていただいています。どちらかというと、読む専のひとかもしれません。大量通知は本当にすみません。これからもよろしくお願いします。
みかいしゅうのさき
こちらは、はじまりを書きました。 さきはあります。 ただ、いまのわたしには書けませんでしたので、 いま書けるだけを書きました。 しんと静かな、落ち着いた香りがした。鉛筆を削ったあとの少し酸っぱくて、香ばしい匂いが後から鼻をかすめる。ペン先はインク壺にゆっくりとひたされ、紙の上へすとりと下りる柔らかな音は、耳のなかで色鮮やかに響いた。 父さんに連れられたのは、日の光しかないような、散らかった薄暗い工房だった。一歩、歩くたび、かかとからつま先までが小さなゆりかごになったような気分で、古い床の音を転がす。その音がとても好きで、手を繋いだままの父をぐるりと一周歩いて巻いた。動くたびに、さらさらと舞う埃が日の光に透けてとても綺麗だったから、口酸っぱく掃除しろなんて言わなくていいのにとぽつりと思った。 しばらく飛び跳ねたり、はんたいにじっとしてみたりしていると、父さんが「帰るぞ」と僕の手をぐっと握り込んだ。てっきり父さんは自慢の革の手袋を買いに来たんだと思っていたから、少し拍子抜けをしたような気分だった。何も買ってはいないのに、用を済ましたように帰ると言うのだから、やっぱり大人はよく分からない。そうとは思いつつ、素直に父さんに手を引かれて扉のほうへ歩き、ぐるりと工房を見渡した。 誰もいない、静かな工房だ。飛び跳ねていた時に、なにか物音がしたのはきっと建物のきしみだったのだろう。 工房を後にして、父さんと手を繋ぎながら、何も話さず石畳の道を歩いた。父さんの靴の先を目で追いながら、すぐにすり抜けてしまいそうなほど大きな父さんの手を、ぐっと握っていた。 あと少しで家に着くというところで、父さんが口を開いた。 「トロォウ。三年後だ。三年後の今日に、また受け取りに行ってくれるか」 三年後というのは、ずっと先のことで、どうしてそれを僕に頼むのかも、そもそもあそこで何も注文なんてしていないのに何を受け取るのかも検討もつかなかったけれど、うんと頷いた。 それを聞き返すには、お腹がとても空いていたのだ。 「じゃあ、飯にするか」 それにもまた、うんと頷いて家に入った。やっぱり父さんの野菜スープはおいしかった。 「ごめんくださぁい」 小さくつぶやきながら、工房の中へと入った。三年という時間は思っていたよりもずっと長かった。後ろ手で扉を閉めながら見たのは、吹き抜けの天井で飛びまわる小鳥だ。青い羽も美しい尾もないけれど、とてもきれいな鳥だった。 「おまえ、外へお行きよ。空のしたを飛んでおいで」 くるくると自分を回って飛ぶ小鳥へ、話しかけた。ほら、と扉を開けてみせる。それでもその鳥は外へ出ようとはせず、くるり、くるりと癖のついた紙が積まれた机に降りた。 「そこはだめだよ。大切なものが置いてあるかもしれないんだから」 少し焦って、小鳥のいる机へ近づく。一段上がった床は、弦のような音を出した。 「気にするな。こいつはうちで飼っているからな」 少ししわがれて掠れた声が聞こえた。体がびくんと跳ねる。声が聞こえた紙の山の隙間をのぞいてみると、大きな岩のような男がいた。 「あぁ、あの時来ていた坊か。これはまた、でかくなったな」 少し待て、と紙の山をごそごそとあさり、その紙を無造作に四つ折りにして僕に渡した。 「これ、なんですか」 あの日、父さんから渡された代金を手渡して、聞いた。 「人によって何のかは変わるからな、なんとも言えねぇが。……そうだな。音のスケッチとかデッサンとでも思っておいてくれ」 よくわからなかった。 「音って、紙には描けないとおもいます。できなかったもの」 むかし学校の帰り道に聴いた、楽器の音を父さんに聴いてほしくて、線を引いたり、丸を描いたり、楽器そのものを描いたりして見せたことがあったけれど、父さんは困ったように眉を下げて、わからないと言った。 「そうか。そうだな。とくべつに見せてやろう」 大きな男の人がそう言うと、心得たというように小鳥が鳴きだした。きれいとか、うつくしいとかだけでは言い表せないような声だった。男の人は薄いさらさらとした紙を取り出して、何かの毛を煙突の形にしたようなものを黒い液につけた。 「おめぇさん、この声をどう言ったってもいいから、表現してみろ」 じっくりと、耳を澄ませた。どう言葉にすればいいのかを迷いながら、答えた。 「舌を巻いた時の空洞に、少しだけ水を入れて、そのままルルルって声を出すと同じじゃないけれど、似た音は出ると思います」 そう言うと、少しその男の人は笑った。 「いい耳をしてやがる。お前、今いくつだ」 「十歳です」 「んじゃあ、理科だっけか。そういうのはやったな」 「はい」 「植物とか、虫のスケッチは習ったか」 「はい」 「スケッチの大事なことはなんだ」 「目的のものだけを描く、一本の線で描く、色やかげをつけたりしない、言葉を使って表現する、です」 「よく覚えてるな」 「今日、その試験があったんです」 じゃあ、目的のものだけを描くってのだ。よくみとけよ。このふさふさした先のものが筆で、この紙は和紙だ。まず、目的のものを描くところから始める。植物とか、虫っていうものは大体形があるものだが、音っていうものは、形がねぇからな。目的のものだけを描かずに、周りのものを描くんだよ。詳しいことを言い過ぎるといけねぇからこれぐらいしか話してやれねぇが。 説明をしながら、彼が見せてくれた魔法のような作業を食い入るように見つめていた。筆というものが、紙の上でさらさらと流れたり、別の紙に鉛筆で書き、それを和紙に貼り付けたりする音が何度も頭の中で弾け、あまりにも魅力的なのでくらくらと目眩がしそうだった。 「ありがとうございます。家に帰って大切に聴きます」 「おうよ。そんで、お前の父ちゃんはどうした」 「二年前から、出稼ぎに行きました。いつ帰ってくるかはわからないけれど」 「そうか。困ったらまた来い。茶くらいなら出してやれる」 もう一度、お礼を言ってから工房を後にした。急ぎ足で家に帰り、おそるおそる紙を開いてみる。 聴こえたのは、飛び跳ねる子供の足音と、床が軋む音と、小さな子供の笑い声だ。 ぽたり、と涙が落ちる。父さんからの想いに胸がきゅっと詰まった。 その日の夜、涙も尽きたころ、僕はあの人に弟子入りすることを決めた。あの魔法に心が食われてしまったのだ。
みみめめふさぎのこわがりへ。
あのインコは、死んでしまったよ。 綺麗なレモンの色をした羽で、 寒いさむいと言うように。 からだを縮こめて、死んでしまったよ。 あなたはきらいなものが、多かった。 泥沼で泡がぷくぷく、ぱちぱちと弾けるように、 きらいなものがこんこんと湧いていた。 あなたにとって、小学校は。 きらいなものを詰めこんだジャム瓶のようだろう。 光があたらない、一階の廊下の肌寒さ。 白く濁った目の金魚。 水槽に酸素を入れる機械の、こぽこぽという音。 用具員さんのたばこを吸いにいく背中。 インコの、におい。 きらいだ。こわい。 きらい、きらい、きらい。 そこしれない不安や恐怖が。 腹の底から喉までを行き来した。 そのかいぶつたちは、あなたを簡単にむさぼっていた。 父や母に泣いていることが気づかれないように、 小さなクッションに顔を埋めて、泣き声を押し殺していた。 なんで濡れてるの?と聞かれたときには、 枕にして寝たらよだれが垂れた、なんてヘラヘラと言い訳をして。 あのころから、八年経ったいまでも。 思いだすと足元に何もないような怖さが胸を掠める。 どうしようもないのさ。 こわがりなんだ。 かくべつに臆病なんだよ。 今だってたいして強くもなっていないしね。 ただ、あなたは。 こわさで目を閉じてはいけなかった。 感情が追いつくまえに、おしころしてはいけなかった。 あのインコのことが、きになるのなら。 一回でもいい。 まいにち、まいにち、あの子の名前を呼ぶべきだった。 さびしい、さびしいと。 廊下の隅に追いやられたあの子を。 ひとりにさせてはいけなかった。 あの子は触れられると、ストレスが溜まるのに。 小さな子たちにされるがままなのを、 横目に通りすぎるべきではなかった。 なんでもいい。 こわさで震えていようが、 踏み出しなさい。 ずっとこわいままなんだよ。 そのままにしたら、きっと。 あなたに残るのは、きらいでたまらないものだらけだ。 はじめて、心に残った言葉を。 わたしのように、「後悔」になんて、してやるなよ。
うつろふ
いちまいのこころたちを、ここにあつめて。 あなたが宝石みたいとわらった石で、 留めておきましょう。 花が散るように、 おまえの心はわたしを離れ、 またひとつ、年が回るたびに。 綻ぶように微笑う姿を見るのは、なんとも。 なんとも、胸がしめつけられしまもうものだな。 あ、ゆきんこ。 このむし、ゆきんこっていうの。 ふれたらだめだよ。 どうして。 わたしたちのたいおんは、あたたかすぎるの。 なんでゆきんこっていうのかな。 ゆきのいるところによくいるからだとおもうよ。 おかしいの。ここはゆきなんてふらないのに。 このこたちがとびまわれば、きっとゆきにみえるよ。 ジョー。 音のならない時計があったよ。 ジョー。 割れた指さきを包む軟膏があった。 ジョー。 わたしの背をおした、きみのてのぬくもりが残っているんだ。 ことりよ。 ことり。 おまえはなにを。 うたっているのか。 おぅい、こぞう。 やくしてはくれまいか。 しらぬよ。しらぬ。しらぬといっておる。 なにさ。なにをしらぬという。 ひとのやわらかさをしらぬというのだ。 去ね。 わたしのあずかり知らぬところへ。 行くのだ。 おまえの足に蔦がからみつくまえに。 座り込むな。 その尻につく土を、わたしはもうはらってやれぬ。 いつか、わたしにせがんでのばした両の腕を。 だれか、おまえの大切なものをだきしめるのに使え。 きんぎょ。 絵本の中で、あなたはせかいを旅したのに。 ほんとうは。 せまい水槽から飛び出せば、しんでしまうのか。 掬ったわたしのたいおんで。 あなたはしんでしまうのか。 わたしの涙であっても。 あなたを水の中へとは返せないのだ。 きんぎょ。 あなたのひらめかせた尾ひれが、脳裏にやきついてる。 ささぶねを、ながそう。 ひっくりかえって、 きっと、川の中へと潜りこんでしまうけれど。 木の枝を探しに走り、 鳥の巣で詰まったささぶねを取ろう。 きっと、あれはわたしのものではないだろうが。 小さな橋の下を覗きこんで、 顔にでも蜘蛛の巣がひっかかるだろうか。
はつこい
あうなんて、おもわなかった。 自転車をおして、 話しながら帰ってくれるなんておもわなかった。 のばした髪に気づいてくれるなんておもわなかった。 話しかけてくれるなんて、おもわなかったの。 わたしは、六年も初恋を引きずって、 なのに、恋をしていたことに気づいたのは、 たったの十日まえなの。 ばかよ。ばかなの。 だから、どうか。 このくゆる恋を消してください。 誕生日ケーキの蝋燭を、消すように。 インスタをはじめたばかりで、 わたしをすぐにフォローするのはやめてください。 あなたの親しいひとの中に入れることは嬉しかったけれど、 それは、別にとくべつな意味じゃないとわかっているから。 きっと、学校が別れて会わなくなったから、 だから、思い出が美化されて、 あなたを好きなきもちが残るのだろうと思わせてください。 わたしだと気づいても、そのまま自転車で通り過ぎてください。 あなたはとても賢いので、 わたしの拙い言い訳を見抜いてしまうかもしれないけれど。 ほんとうに、すきなんです。 あなたと別れた帰り道に頬が熱くなる。 ほんとうに、すきなんです。 すこしだけ、夏目友人帳の夏目貴志に似た雰囲気で。 くちが、わるくて。 すこし、おこりっぽくて。 ごめんと、ありがとうがすぐに言えて。 しぐさが、とてもきれいで。 なにか、とくべつ優しくされたわけでもないけれど、 ずっと、あなたは優しかったようにおもう。 ありがとう。 とても、くるしいけれど。 あなたがいなければ、この想いは知れなかった。
もしもし、おつきさま
きみが、わたしに触れたとき。 それが寒い冬でほんとうによかった。 きみの、体温がよくわかりますから。 わたしが、錆びた金具の身であってよかった。 夏、灼熱の太陽に溶けようとも。 きみの温度が、この身によく伝わるのですから。 それは、両手の指と腕を合わせた数よりもっとずっと前のことでした。長身の男と、柔らかな栗色をした髪の女性が、その部屋に住むようになりました。その女性は身重らしく、すこし大きな椅子に座って、よく何かを書きつけていました。夜の幕が被さるころ、男はその部屋に帰り、穏やかな表情で何か彼女に話しかけていました。わたくしがなぜ、そのようなことを詳しく知っているのかというと、わたくしからよく見える部屋だったからなのです。わたくしの立つ建物と隣の建物はともに、少し大きな集合住宅で、それはそれは賑やかな優しい場所でした。 しばらく経ったころです。長身の男がまだ出かけているころ、彼女が産気づきました。ひどく、苦しそうに唸っており、わたくしの耳にも届くほどの声の大きさでした。その声を聞きつけ、他の住人たちが彼女のもとに駆けつけ、かつて産婆をしていたという老婆が、赤子を無事にとりあげました。 しかし、彼女の様子が思わしくなく、男が帰ってきて喜んだのも束の間、彼女の母親のような人が、彼女を無理に引っ張ってどこかへ行ってしまいました。そして、そのまま彼女は帰ってこなくなりました。 長身の男は、男一人で赤子を育てるようになりました。幸いなことに、となりのとなりの部屋の夫婦にも赤子が生まれたばかりで、乳をもらうことができました。しかし、それだけではもちろん足りませんから、最近作られた粉ミルクというものに手を出して、なんとか子育てをしていました。そして、子供の首が座り、ハイハイができるようになったころ、男はまた仕事に出かけるようになりました。その間、子どもの面倒を隣人たちが見てくれるとのことでした。 彼らはよく、窓を開け、外の様子を子どもに見せていました。 「ヨンネルや、あれが鳥だよ」 「ヨンネル坊や、あれが蝶だ」 「ヨンネルくん、あれは塔と言うんだ」 子どもの名前は、ヨンネルと言うそうでした。ヨンネルくんは、少し青みがかった目を眩しそうに外へと向け、瑞々しい目は輝きに満ちていました。 そして、あるとき、彼はわたくしの方を指さして、とりぃさんと言いました。とりぃさん、とりぃさんと無邪気な顔で私のほうへ笑いかけてくるのです。 「そうだよ、ヨンネルや」 「そうだよ、そうだよヨンネル坊や」 あれは、かざみどりと言うんだよ。 それを聞いたヨンネルくんは、かじゃみどりと舌足らずな声でわたくしを呼びました。そんなヨンネルくんがわたくしは愛おしくて愛おしくてたまりませんでした。 そして、年月が過ぎ、彼は小さな学校へ通うようになりました。それでも、彼はまだ幼く、彼の寝る時間には、男も帰ってきません。ヨンネルくんは時折、窓を開けて月を眺めるようになりました。隣のおじいちゃんや、おばあちゃんには話さないような、とても小さくて細かな心のかけらがまだ残っていたのです。 あるとき、ヨンネルくんは思い立ったように、ベットの隣においてあった電話を手に取りました。ダイヤルを回すことなく、受話器を握りしめて、月に向かって話しはじめます。ヨンネルくんの声では、あんなに遠い月には届かないと思ったのでしょう。窓を開けて、十分ほど話したあと、満足したように受話器を置き、ベットに潜りこむ毎日を過ごしていました。わたくしは、ヨンネルくんが話しているのをずっと、聞いていました。 しばらく経ったころ、ヨンネルくんは新月の日にだけ、電話をするようになりました。相手が見えるところにいるのに、電話をするのはおかしな話だと考えたようです。そのときには、ヨンネルくんはもともと電話をはじめた理由を忘れていました。 毎日から、一ヶ月に一回の電話に代わり、もう電話などをやめて、ただ返事を待たない月へと語りかける日々に変わっていきました。 わたくしは、ヨンネルくんの悲しみや喜び、傷ついたこと、嬉しかったことを話す姿をただずっと見つめていました。 そして、彼が父と同じほどに背が伸び、声が風では拾いきれないほど、低くなったころです。彼は、とても可愛らしい女性とよく出かけるようになりました。穏やかに笑う姿は、彼の父とよく似ていました。 おなじころ、わたくしたちの住む国で大きな戦争をするようになりました。ヨンネルくんはまだ学生でしたから、兵として呼ばれることもなく、ただ、新聞で悲惨な様子を知る、平穏な日常を送っていました。 彼が卒業する前に戦争が終わり、ヨンネルくんは卒業したあと、あの女性と一緒に住むようになりました。ふたりはよく笑い、よく話し、幸せに暮らしていました。子どももひとり、生まれました。 しかし、またこの国で戦争が起こるようになり、今度は兵隊へとヨンネルくんが行くことになります。ヨンネルくんの妻は、二人目を身ごもっていました。 ヨンネルくんは、それまでにも増して、妻と子どもと、戦争へ行くまでの間を大切に大切に過ごしました。そして、招集よりも早く、軍へと向かうことへ決めました。ぎりぎりまで、幸せな場所にいてしまうと、辛くなると分かっていたからです。 そして、旅立つ日に、なりました。何かを話しかけるようなこともなく、ただ妻と子どもをぐっと抱きしめ、妻のお腹にキスを落としました。 「いってきます」 いつもと同じ声、表情、仕草のまま、彼は部屋を出ていきます。集合住宅の入り口で立ち止まり、振り返ることなく歩き出しました。その様子を、ヨンネルくんの妻は窓から見つめ、そして、倒れこみました。 いま、産気づいたのです。一人目の子はおろおろとし、窓からヨンネルくんを呼びます。しかし、彼は昨日まで風邪を引いていて、声が上手く出ませんでした。 かつて、ヨンネルくんを育てた隣人たちはもう、ここにはいません。戦争で、みんなどこかへ行ってしまったのです。 それでは、誰が、ヨンネルくんの大切なひととその宝を守ると言うのでしょう。 わたくしは重い、錆びた体に鞭を打ち、精一杯に回りました。できるだけ、キーキーと、かの体の錆びを鳴らせるように。 ただただ、回り続けました。他の残り少ない住民たちは、そんなに強い風が吹いているのかと、窓から顔を出します。そんな様子に気づいたのでしょうか。ヨンネルくんは彼らの見つめる先を見て、目を大きく広げました。 わたくしは渾身の力で、ヨンネルくんの住む部屋に嘴を向け、止まりました。それを見た途端、ヨンネルくんは分かったように、走り出し、家へと戻っていきます。 わたくしは止まった反動で、体が曲がるほどの衝撃を感じました。もう、これ以上は働けないのでしょう。ヨンネルくんの大切な赤子が生まれたのを見て、そして、少し強いような風に足を折られ、地面へと落ちていきました。 その翌日、ヨンネルくんは家族たちと言葉をたくさん交わし、また家を出ていきます。コツコツと、ヨンネルくんが歩いて、わたくしに近づく音が聞こえます。わたくしはそれが嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。決して、近づけなかったあの子との距離が、どんどんと縮まっていくのです。 そして、ぴたりと歩く音が止み、呆然とした顔をするヨンネルくんの顔が見えました。 どうして、と、掠れた声が聞こえます。わたくしのおいぼれた体を宝もののように拾い上げ、目に涙を溜めています。 どうして、ヨンネルくん。きみが泣くのでしょう。 わたくしは、ヨンネルくんに抱えられ、その顔を見つめていました。そしてまた、ヨンネルくんが歩きはじめ、軍へと向かう乗り合いバスに乗りこみます。 そのとき、軍の長官のようなひとがわたくしを見つけました。 「おい、そこのお前。これはどうした」 ヨンネルくんは震えた声で答えます。 「道に落ちておりました」 「よくやった。金属が不足しておって、これは上へと献上する」 そして、わたくしはその長官に取り上げられ、乱暴に軍の貨物の中へと突っ込まれました。ヨンネルくんは悲鳴のような声を出しました。 「おやめくださいませ。風見鶏は魔除けにございます。罰が当たりまする」 「えぇい、何を言うか。大砲に魔除けなど、なんと縁起のいいことか。お前ごときが口答えするでない」 ヨンネルくん。そんな顔をしないでください。 大丈夫です。大丈夫ですから。 あなたが、わたくしを見て無邪気に笑ったその日から、 わたくしはあなたのことを愛してやまないのです。 幸せにお生きなさい。 愛する妻も、子どももいるでしょう。 死んではなりません。 彼らを、寂しい目のまま生かしてはなりません。 ヨンネルくんが貨物の箱から少しだけ顔を出すわたくしに言いました。 「おつきさまなんて、ほんとはどうでもよかったんだ。あなたが聞いてくれていたから、それで、ほんとうによかったんだ」 そう言って、ヨンネルくんはバスへともう一度乗りこみ、貨物として運ばれるわたくしは、ついぞ、彼の姿を見ることがありませんでした。 わたくしはただ、幸せでした。 「おとうちゃん」 「なんだ」 「なんで、このしゃしんをかざってるの?」 それは、家族写真とともに並べられていました。 「とうちゃんの、家族だからだ」
し
な はーーーし お 花のつぼみがぐうんと伸びをしました あの大きな海から出てきた太陽は水をこぼし、 その光をうけた花びらたちが、いっとう綺麗に色づきます ちいさなてんとう虫のわたしは、その花びらの背にかくれ、 ひとあめと、鳥たちをやりすごすことがあります にんげんたちはその花の茎に、し、を取りつけ、 風にひっくりかえされた傘にするのです。 つぼみのとき にんげたんたちは、貴婦人の日傘のようにして、 その傘をもちます 花びらがひらいたとき にんげんたちは、雨を溜めるように傘を開きます 花びらがしおれたとき ただ、雨やどりのために使います。 花びらが散ったとき にんげんたちは、風に吹かれ、雨に濡らされ、凍えるのです そのとき、 にんげんたちは目は光を探すことをやめ、 膝の力が抜けて、 冷たい地面に腰を下ろします 頬に張りついた、枯れた花びらをとることすら億劫になります 冷えた体に、なにも価値を見出せなくなるのです おぉ、空よ。なぜこうも雨を降らすのか。 雨など降らなければ、 わたしは傘がなくとも、生きていけたのに。 そうつぶやいたとき にんげんよ あなたは、し、を強く握りしめていなければなりません 細く、ほそくなった茎から滑りおちた、し、を 雑踏の中でも、見つけねばなりません その茎には、ひどくするどい棘があります 花の裏には、あなたを噛むような虫が潜んでいるかもしれません もしかすると、すぐに折れる茎なのかもしれません その花は何なのか、あなたたちに知る術はないのです 一日の、しあわせで育ったものかもしれません あなたが、大切なひとといる時間が育てたものかもしれません うつくしい、景色にこぼした涙を取りこんだものかもしれません たしかなのは、 その花を、あなたは誰かに贈れるということです あなたが、誰かに贈られるということです その花は、決して独りよがりにはならないのです にんげんよ、愛おしいあなたよ。 し、はその花をさす花瓶なのです。 とうてい、なりきらない傘の持ち手なのです。 あなたの、こころをうたった大切なかけらなのです。 だから、どうか。 にんげんよ。不器用な隣人よ。 し、を握る力が残らない誰かがいたのなら、その人のし、をともに握って、 どうか、 いきてください。
はるのうた
はじまりも知らず、 とけだした、たまごのような太陽。 目などは細めず、 もうまくのうら、わたしの溶岩。 砂にもなれず、 鉱石にもなれない。 わたしたちはどうやって、とどまるのでしょう。 あのおしろになりたい。 小さな手が固めた。 あのひとに見つけてほしい。 ほうせきのたまご。 もしくは、あのゼラチンかしらね。 あなたが、たとえば。 あさ、屋根にとけだした太陽を、 あなたとおなじ、柔らかさのパンにつけてくれるのなら。 ひるは、私が熱にうかされた屋根で じうじうともう一度焼いてみせましょう。 そして、まぶしくて、こぼれた涙たちは。 きっと、溶けすぎたバターなのね。 るるるーる、るるるるる。 口ずさむよりも低く、 らららーら。ららららら。 とおる喉に、詰まる。 お泣きなさい。 お泣きなさい。 何よりも不器用で、愛おしいハミング。 るるるーる。らららーら。 うたいだせ、その鳥よりはやく。