白本竜也
7 件の小説星の名前
「なあ、ヨウ。人は死んだら星になるそうだ。君はどう思う?私もいつかあの星々のうちのひとつになると思うか」 夜空を眺めながらハルノは言った。五つ歳上の彼女はよく哲学めいたことを言い出すが、中学生だった僕には理解できないことが大概だった。 「…分からないよ。でも」 「なんだ?」 「ハルが星になったら、僕が必ず見つけるよ。将来は天文学者になるから」 「ははっ…そうか。嬉しいね。じゃあ見つけたら、私の名前をつけてくれよ」 ハルノはひどく愉快そうに笑った。その笑顔が、ずっと僕の目に焼き付いている。 「ヨウ先生!起きてください!観測始めますよ!」 「…ああ、悪い。今行くよ」 随分と懐かしい夢を見た。あの頃のハルノは風邪もひかないほど元気だった。僕が大学を卒業してからはほとんど会っていなかった。そんな中、彼女が死んだと聞かされたのが一昨日のこと。二年前に病に倒れ、それからずっと闘病していたのを、僕は知らなかった。ハルノが知らせるなと口止めしていたらしい。 「まったく、勝手な奴だな」 目元から滴った透明な液体を拭って、天体の観測地点へ向かう。今僕は最近見つかった銀河の研究を主に行っている。毎晩定刻に記録をつける。さっき起こしに来てくれたのは、助手の草野だ。二つ下の若い研究員。明るくて良い子だ。 「ヨウ先生!見てください!早く!」 寝起きには少し辛い明るさだ。何やら興奮した様子でこちらにぶんぶんと手招きしている。 「なんだなんだ、どうした」 「これです!新しい星が!」 「おお、やっと生まれたか」 「気付いてたんですか?」 草野は驚いた様子だった。大きな星ならまだしも、小さな星がいつ生まれるかまでは予測できないことが多いから当たり前だ。 「ただ、ちょっとな」 そろそろ生まれる気がしていたんだ、と僕は答えた。 前回の記録には無かった位置に新たな星を確認する。小さいが薄青に燃えている美しい星だ。 「名前つけなきゃですね!」 「君がつけなくていいのか?」 彼女は少し考えた後、こちらを見て満面の笑みで言った。 「いいえ、先生がつけてください。それがきっといいです!」 「…そうか?じゃあ、そうだな…」 記録用紙にさらさらと名前を書く。 「『Haruno』ですか。いいですね!でもどうしてこの名前に?」 「僕の大事な友人の名前なんだ。ハルノ。人は死んだら星になるらしいからな。きっとあの星は、彼女なんだ」 「…そうでしたか。それは素敵ですね」 草野は悲しそうに笑った。暗い話はこれくらいにして登録を済ませようか、と声をかけると、またいつもの明るい調子で「はい!すぐに!」と言って研究室の方へ走っていった。 ひとりになった観測点で望遠鏡にうつる小さな星を眺めながら、僕はハルに向けて呟いた。 「なあ、ハル。見つけたよ。あれは、君の星だ。美しい星。そうだろう?…なんで何も言ってくれなかったんだ。死ぬなんて聞いてなかったぞ。星になりたかったのかまでは僕は知らないが…約束は守ったからな。僕も死んだら星になって、また君に逢いに行くからな。そしたらまた、名前を呼ぶよ。君の名前を。だからどうか、あの頃のようにまた愉快そうに笑ってくれ」 ふっと、背後でハルノが笑ったような気がした。振り返るが案の定そこには誰もいない。 代わりに遠くから「先生ぇ〜!登録申請できましたぁ!」と言いながら草野が走って来る姿が見えた。それがなんだかおかしくて、僕は愉快そうに笑ったのだった。
拾う者の正体
『よお、生きてるか』 頭に直接響くような奇妙な声に重いまぶたを上げると、真っ黒なスーツ姿の男がしゃがんでいた。身体中がひどく痛む。 「ああ…死んじゃいないさ…」 『ひどい姿だな。神に見放された聖職者よ。俺で良けりゃあ話を聞くぜ』 「遠慮しておくよ…。私は…聖職者だからな」 『はっ。まだ神を信じてんのか?腐った他の神父共にボコボコにされて、こんなところに転がされてんのに助けてもくれない神サマを?』 黒スーツの男は呆れたように笑った。ああ、そうだ。彼が言うように、私は同じ教会の神父の汚職を目撃してしまったがために殴られ蹴られ、今は町外れに放置されている。このままでは死ぬのも時間の問題だろう。それでも私の神への信仰が無くなるはずもない。 「そうだな…。だが神は助けて下さるさ。君が現れたようにな」 『俺は神サマじゃねえし、あいつの思う通りに動いてやる気もねえ。死にかけのお前を助ける義理もねえが、お前だって気付いてるだろう?』 気付いていた。彼は人ではない。薄暗い中でもギラギラと光っている赤い瞳を見れば一目瞭然だった。朦朧としてきた意識をぎりぎりで保ちながら私は答えた。 「…私の魂は、美味くないだろうよ」 男はきょとんとした顔をした後、大声で笑い出した。 「何か面白かったか?」 『はっはっは!お前面白すぎるよ。…良いぜ、助けてやる。天使共に渡すのは惜しい。お前は俺の獲物だ』 「そうか…。ついてないな」 『…能天気な奴だな。ますます気に入った。良いね』 「私は…良く…ない…」 そう答えるので精一杯だった。私は必死に掴んでいた意識を手放した。遠くで男が何かを言っていたが、その言葉を私が認識することはなかった。 『お前は神サマのお気に入りだからな。あいつへの嫌がらせには丁度いいよ。散々甘やかして堕としてやるから、せいぜい足掻けよ、聖職者』 男は気を失ったぼろぼろの神父を軽々と肩に担いで、鼻歌を歌いながら夜闇に溶けていった。
かくれんぼ
あの日、あの時からずっと探している。ねえ、私の負けでいいから、早く出てきてよ。お願いだからさ。 「もーいーかい」 「まーだだよ」 「もーいーかい」 返事はない。どうして、と思ったところで目が覚めた。 「…どうして、じゃないよ」 ベッドの上で独りごちる。カレンダーを見て気付く。あれから今日でちょうど十年。こんな夢を見るわけだ。壁掛けのコルクボードに貼り付けた写真に目を向ける。小学生の私と、親友の笑顔が並んで写っている。 「ハルちゃん…どこにいるのさ」 あの日。かくれんぼの途中だったあの時。二人で手を繋いで逃げた私達を、呑み込んだ波。私は公園のポールと、ハルの手を掴んでいた。波に揉まれる中で、ハルはぱっと私の手を離した。彼女の方を振り返った。彼女は笑顔だった。わざと手を離したのだ。そのまま、ハルは波に呑まれて見えなくなった。私もその後ポールを離してしまった。目覚めたときに彼女の姿はなく、私だけが助かった。それからずっと、ハルは見つかっていない。私は地元にいるのが苦しくて、大学進学と共に東京に来て、そのまましばらく帰っていない。 ピピピ、と携帯電話が鳴った。非通知。普段なら絶対に出ないが、私は無意識に通話ボタンを押していた。 「…もしもし」 『ユウちゃん!久しぶり!ハルだよ!』 明るい少女の声。イタズラだと思った。でも、この少し掠れた高い声。あの頃のままの、これは、あの子の声だ。 「…ハルちゃん?」 『うん!ねえ、ユウちゃん。かくれんぼの続き、してほしいの。一緒に遊んだあの浜で待ってるから!』 「えっちょハルちゃん待って、ねえ!」 ツーツーツー、と電話の切れた音。 信じられなかった。だけど、私は行かなければならないと思った。かくれんぼが途中だったのを知っているのは私とハルだけだった。もしもまだ、ハルがかくれんぼを続けているなら、私が見つけなきゃいけない。私はすぐに携帯電話と財布だけを小さなカバンに放り込んで家を出た。 電車と新幹線を乗り継いで、北へ向かい、地元の無人駅まで辿り着いた。私は駆け出した。『一緒に遊んだあの浜』とは、私とハルの家のちょうど中間にあった小さな浜辺のことだ。もう家々はなくなってしまったから、正確な場所までは分からない。けれど、行けば分かる、という確信が私の中にあった。着いた場所には【護岸工事予定のため立ち入り禁止】という旗とポールがあった。そんなの知ったことか、と私はそれを飛び越えた。 あの頃と変わらない海。浜辺。波に反射した光が眩しくて手をかざす。煌めきの中に、小学生のままのハルの姿が見えた。 「ハルちゃん!!」 駆け寄ろうとした私に向かってハルが言う。 「ユウちゃん!かけ声!」 そう、これはかくれんぼだ。私が鬼で、ハルが隠れる側の。私は叫んだ。 「…ハルちゃん!もーいーかい!」 ハルはにっこり笑って叫んだ。 「ありがとう!もーいーよ!」 ふっとハルの姿が消えた。私は走った。砂に足を取られて無様に転けながら。彼女の立っていた場所には、白くて小さな骨があった。 「ハルちゃん。ごめんね、遅くなって。かくれんぼは、ハルちゃんの勝ちだよ…。だって十年も、隠れてたんだから。ねえ、やっと見つけたよ。やっと…」 私は涙が止まらなかった。ハルはずっと待っていたんだ。私が見つけるのを、ずっと待ってくれていたんだ。 鑑定の結果、やはり私が見つけた小さな骨は、ハルのものだった。引き取りに来たハルの御両親には随分驚かれた。東京にいるはずの私が突然帰ってきて、娘の遺骨を見つけたのだから当たり前だ。私はハルとのかくれんぼの話をした。御両親は泣いていた。 「ありがとうね、ユウちゃん。遊んでくれて。帰って来て、見つけてくれてありがとう。あの子は…笑ってた?」 「はい。…あの頃のままのハルちゃんでした」 「そっかあ。ハルはユウちゃんに見つけてほしかったのね。ハル、おかえり。かえってきてくれて…ありがとうねぇ」 十年経ってもまだ、かえってこられていない人が大勢いる。街並も随分変わってしまったから、帰り道が分からない人もいるんだと思う。きっとハルは帰り道を知っていた。だけど帰れなかった。かくれんぼが終わっていなかったから。私が、ずっと探していたから。私の手を離したのも、かくれんぼの続きも、私の為だった。優しい私のたった一人の親友。どうか、ゆっくり休んでね。それでまた、次の未来でも一緒に遊んでね。 大好きよ、ハルちゃん。
日曜の夜
久々にテレビをつけた。ヒットソング特集がやっていて、新宝島のPVが流れていた。不思議な魅力のある曲だな、と思いながら、缶チューハイのプルタブを立てる。 「今日は....っと」 コンビニで買った焼き鮭を電子レンジに放り込んで四十秒。今どきは電子レンジさえあれば美味しいおかずが食べられるのだからすごいものだ。 鮭が温まるのを待っている間に、耐熱容器に卵を落とす。軽くかき混ぜて、ハーブソルトを二振り。焼き鮭と入れ替わりでまたもや電子レンジにイン。様子を見ながら加熱すれば、ふわふわ卵焼きもどきの出来上がり。炊いておいた白米を器によそって、晩御飯の完成だ。 「いただきます」 テレビからは知らない曲が流れていた。最近の流行りは分からないから仕方ない。でもいい曲だ。明日からまた始まる一週間に少しばかり希望が見えるような曲だ。後でプレイリストに入れておこう。 腹を満たして、風呂に入ったらあとは眠るだけだ。眠れるかはさておき、今夜はここまでにしておこう。
遺書について
これを読んでいるということは、きっともう私は死んでしまったのでしょう。万が一の為にと、この手紙を書いています。 私が遺すものといっても、ひとりが生活するのに必要な家具家電一式と、少しの貯金ばかりでしょう。遺産なんて大仰なものを遺すほど長く生きている訳でもないので、残念ながら貴方の財産にはならないでしょうね。 ならば何故私がこんなものを書いているのか。実は貴方に、いくつかお願いがあるのです。難しいことではありません。できたらで構わないから、お願いしたいのです。 ひとつめ。私の葬儀について。 私の死は、まず親戚にのみ伝えてください。葬儀は手短に。骨は海に撒いてくれると嬉しいです。そのくらいの貯金は残していくと思います。 ふたつめ。私の友人について。 友人達の多くは、私の死を乗り越えることなど容易いことだろうと思うのですが、唯一特別な友人がいます。彼女は私の友であり、好敵手であり、恋人であった人です。彼女に、同封したもう一通の手紙を渡してほしいのです。彼女への思いと、秘密と、願いが書いてあります。彼女が受け取らない時は、燃やしてしまってください。ただし、中は見ないこと。 みっつめ。これが最後。 私は、本当に幸せだったと、私を愛してくれた人達に伝えてほしい。彼らに会えて幸せだったと。もちろんその中には貴方も含まれています。本当はもっと、たくさんのことをする予定だったけれど、それも叶いそうにないので、私の代わりに皆がやりたいことを、好きなようにやってほしいと願っていると伝えてください。 本当はこんなことをお願いしたくはない。貴方に重荷を背負わせてしまうことを許してください。 本当は、もっと生きていたい。 今世はこれでおしまいのようだから、仕方ないのだけれど。もし来世があるならどうか、また出会えることを祈って。 ありがとう。じゃあ、さようなら。
あやかし
俺は元々、おかしなものが見える体質だった。小さい頃から、人ではないものが。それらは人に紛れていたり、全く違う姿をしていたりと様々だが、人に害なすものは少ない。まあだから特に困ったこともなかった。社会人になってから随分経った今でもそれは変わらず、大概のことでは驚かなくなっていた。 「うおっ....」 前言撤回。今回は驚いた。会社の同僚に連れられて行った居酒屋、その横の狭い路地から、くず餅のような半透明でふよふよとした大きなものがはみ出ていた。しかも丸いふたつの目がついている。その視線は、こちらに向けられていた。 「どうした?」 「いや....なんでもない」 じっとこちらを追ってくる目を無視して、店に入った。帰り際もそれは変わらずこちらを見ていた。 別日。仕事帰りに件の居酒屋の前を通ると、相変わらず巨大なくず餅が俺を見ていた。気まぐれに近付いて、訊く。 「なあ、お前、酒は飲めるか」 すると半透明の巨体がするすると小さくなり、着物姿の人型をとった。その顔は何故か俺の顔だが。 「飲め、る」 口で話すのに慣れていないのだろう。おぼつかない口調でくず餅だったものはそう言った。 「ならいい。そこの居酒屋で飲もうじゃないか。ちょうど一緒に飲んでくれるやつを探してたんだ。....というかなんで俺の顔なんだ?」 「人の子に、誘われる、は、はじめてだ。うれしや、うれしや。おれは、顔を持たない。だから、化けるのに、借りた。だめか?」 「そうか。まあ大丈夫だろ。ほら行くぞ」 酒を飲みながら、くず餅だったものが『わらび』という名前であることや、今度来るという百鬼夜行を待っていることを知った。百鬼夜行は何度か見た事がある。着飾った人でないもの達が列を成してどんちゃん騒ぎしながら通り過ぎていくだけで、その列に巻き込まれさえしなければ、特に恐ろしいことはない。 「この街を通るのか。珍しいな」 「そう。おれの主様が、とおるから、一緒にいくんだ。おまえも、見るといい。主様がたの百鬼夜行は、うつくしいぞ」 「そうだなあ。見物させてもらおう」 わらびは嬉しそうに笑った。自分の顔を見ながら酒を飲むというのは随分不思議な感覚だったが、まあそれなりに楽しかった。 百鬼夜行の日。わらびにいつもの居酒屋のところにいれば見られると教えられたので、深夜に家を出た。周囲の店はシャッターが下りているし、ちょうどその日、居酒屋は休みで電灯が消えて通りはいつもより暗くなっていた。わらびの姿はない。もう夜行に参加しているのだろう。 しばらく経った頃、遠くからしゃんしゃんと鈴の鳴る音が聞こえた。音の方へ目を向けると、大きな明かりが近付いてくるのが見えた。先頭にいるのは三人の鬼。それぞれが、赤青緑の絢爛な着物を身にまとい、眷属を侍らせて歩いている。その後ろにはどれも人とは似つかぬ異形のもの達がわらわらと。酒を飲み、歌い、笑いながら進んでいく。 青い着物の鬼の傍から、こちらへ駆けてくる小さな影があった。小学生くらいの背丈で着物姿の子供。顔は塗りつぶしたように真っ黒な穴があいている。 「人の子よ、どうだ、主様の百鬼夜行は。すごいだろう」 「....お前、わらびか!姿が違うもんだから分からなかったよ。ああ、凄いな。皆楽しそうで、うつくしい」 俺の答えに満足したのか、あるはずのない顔が笑ったような気がした。 「これが本来の姿だ。主様の近くでないとこの姿ではいられないがな。人の子よ、手をだせ」 俺は言われるまま手を差し出した。 「酒の礼だ。人の子が食うても問題ないものを選んである。大事に食えよ。おれは楽しかった!」 わらびはそう言うと、俺の手にばらばらと駄菓子のようなものを山ほどのせた。 「ではな、人の子。達者に暮らせ。また機会があれば、酒を飲もうぞ」 「ああ、俺も楽しかったよ。またな」 わらびは鬼の元へと走り去った。やがて百鬼夜行の列も遠くへ消えていった。 貰った駄菓子だが、目玉飴やら山姥印のシュガーシガレットやら見た事のないものばかりだった。少し不思議な味がした。食べたものもあるが、いくつかは大事にとっておくことにした。またあいつに会った時に、酒の肴にするために。
指きり
「どうでもいいの。嫌悪感も、抵抗感も、もう気にならない。だって私はどうでもいいんだもの。」 誤魔化すようにグラスに残った酒をあおって、彼女は曖昧に笑った。 「僕が君を大事に思ってるのも、どうでもいいのかい」 僕の問に、彼女は少し黙った後に言った。 「....それは、どうでもよくないけれど、貴方は本当に大事に思ってるのかしら。それを証明できる?もう私は、貴方であっても信じられないの」 僕は何も言えなくなった。悲しい恋として終わったものがトリガーだったとしても、それよりも前に、彼女を最初に裏切ったのは誰あろう僕だったのだから。 「愛って何かしらね。私には分からない。知りたいから、教えてくれる人を探してるの。教えてくれるならこの身体なんてどうでもいいのよ」 席を立とうとする彼女の手を掴む。思わぬことだったようで彼女はこちらを振り向く。その瞳には猜疑の色が浮かんでいた。 「....誰でもいいなら、僕でもいいんじゃないか。まだ君を愛してるよ。あれから今までずっと」 本当のことだ。僕には彼女が唯一の愛だった。それを彼女が信じるかは別だが、他の奴に取られるくらいなら、他の奴に彼女が傷付けられるくらいなら、僕は全部を捨ててもいいと思った。 「それは、本心?また、私を裏切るんじゃないの」 「どうでもいい、んだろ?なら相手が僕だってどうでもいいはずだ」 彼女はしばらく考えた後に、席にまた腰を下ろした。掴んだままだった手を離すと、その手がすっと小指を立てて前に差しだされる。 「そうね。どうでもいいわ。だから、今度は、私を裏切らないでね」 「ああ、約束だ」 僕はその小指に自分の小指を絡めて、破ったら針千本を呑む約束をした。 この小指に、赤い糸は見えないが、もしもそんな糸があるなら、彼女の細い小指と繋がっていたらいいと思った。