Tentomushi

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Tentomushi

初めまして。Tentomushiと申します。 学生です。よろしく。

居た。

 リスを見た。  茶色の細い身体を、しなやかに曲げて伸ばして、  走っていた。  犬を見た。  古いサッカーボールを口いっぱいにくわえて、  はしゃいで走っていた。  蝶々を見た。  二匹、白い羽をひらひらと、  追いかけっこをするように飛んでいた。  影を見た。  自分の影、  木の影、   飛ぶ玉虫色の虫の、小さな影。  太陽の光の加減で、  淡くなったり濃くなったりしていた。  靴下を見た。  ピンク色の靴下が、  膝の上にくしゃっとなって乗っていた。      虫を見た。  手の上を這ってくるのを。  触角の先が三つに分かれていて、  世にも変な虫がいるものだな、と思った。  光を感じた。  熱く照って、  首筋をじりじりと焼いていた。  たんぽぽを見た。  もう白いふわふわの綿毛をつけて、  風に吹かれて揺れていた。  野花を見た。  緑の草の間に、  白や黄色、紫に咲いていた。  アリたちが働いていた。  アスファルトの地面をせっせこせっせこ、  草っ原でせっせこせっせこ、  ちょこまかと働いていた。  ちらちらと木漏れ日が踊った。  明るい陽の光に照らされ、涼やかな風に吹かれ、  木の葉が緑につやつや、きらきらしている。  夏みたいな空気をはらんだ春が、いるのを見た。

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居た。

はじまりは、きゅうり

 はじまりは、きゅうり。  お腹すいた〜、と言ったら、「じゃ、きゅうりでも食べるか」と言って、恋人のこうくんが出してくれたきゅうりを眺めながら思う。  クーラーが壊れて扇風機しか回っていない、このむしむしと暑い真夏の部屋の中、お皿の上の二本のきゅうりは元気に濃い緑につやつやとして、水に洗われていくぶん丸くなっているつぶつぶの棘は、まだつんつんと威勢良い。一口かじったら、ぼりっ、といい音がしそうだ。青い二本の線がぐるりと描かれたお皿の縁には、味噌が乗っている。きゅうりと、味噌。美味しい組み合わせだ。  そう、私たちのはじまりは、きゅうりだった。……私の中でだけだけど。  お待たせ、さ、食べよう食べよう。と、塩の小壷を持っていそいそと台所から出てきたこうくんに、おう、食べよう、と笑う。いただきまーす、と軽く手をあわせて、夏の香りをぷんぷんさせている、みごとに曲がったきゅうりを手に取りながら、私はそのことを思い出してふふ、と微笑んだ。  あれは、小五の夏。  小三からの付き合いのこうくんのおばあちゃん家の畳でごろごろしていた。こうくんは、冷蔵庫から冷やした麦茶をとりに台所に行っていていない。 「あー、あっつぅー。」  二間続く六畳の畳の部屋の間の襖も、縁側との境の障子も全て開け放されて、露わになったガラス戸からさんさんと光が降りそそいでいた。網戸から時たま吹き抜ける風はぬるくて、あまり、あ〜、涼しい〜、と言う気分にはならない。汗ばんだ体をぬるりと撫でていくだけだ。  あまりに暑いので、私はむくりと起き上がり、のそのそとはって、部屋の片隅で首を振っている扇風機が本当に動いているのか、と確認しにいった。  うん、強だ。  私はまた畳に寝転がった。  よく日にあたったイグサのいい香りが、鼻にたちのぼる。 「おばあちゃん、クーラーつけたらいいのに。」  ごろんと寝返りを打って、ふと視線を仏壇に向けると、四本の足をつけたきゅうりとなすが目に入った。  あ、今日からお盆か。うちも作んないとなぁ。  また、むくりと起き上がって、のそのそと膝立ちで仏壇に近づく。  なすじゃなくてれんこんの牛がいてもいいのにねぇ。そんなことを思いながら、なんとなくじぃっと眺めていると、 「あ、それ、きゅうりの馬と牛、今日、朝作ったんだよ、母さんとばあちゃんと。」 と、こうくんが戻って来た。  びろびろに伸びた白いタンクトップから伸びる、よく日に焼けた両手には、麦茶の入ったピッチャーとガラスのコップを二つ持っている。  それらをちゃぶ台の上に置いて、隣にやって来たこうくんに、 「ずいぶん元気のいい馬だね、めっちゃそりかえってるじゃん。」 と私はきゅうりの馬を指差した。  つやつやした濃い緑のきゅうりの馬は、今にも全速力で走り出しそうに勢いよくそっている。 「だろ、めっちゃ速く走りそうだろ。」  そう嬉しそうにこうくんが笑う。 「速すぎて振り落とされそう。」  はは、と私も笑みを漏らす。 「……それにしてもさ。」  しばらく、その二頭の馬と牛を眺めて、二人であーだこーだ言いあっていると、ふと浮かんできたことがあった。 「馬と牛たちさ、お腹空かないかなー、なんて。ほら、馬とか牛ってずっとなんか食べてない?」 「あ、そうだね、そうかもね。」  こうくんが頷く。 「……じゃ、なんか食べ物置いてやるか……あ、そうだ、いいものがある。ちょっと待ってて!」  そう叫び置いて、こうくんは、そのまま飛び上がりそうな勢いで立ち上がり、縁側をばたばたと走っていった。  いいものってなんだろう、カラスノエンドウとか? うーん、と首を傾げ、いろんな草を思い浮かべながらこうくんを見送って、私はまた目を仏壇の二頭に戻した。  陽の光に照らされて、つやつやとなすの牛の濃い紫色の体が輝いている。それにしても、丸々とよく太ったナスだ。でも、なんだかせっかちそう。きゅうりはやっぱり……元気いっぱいだなぁ。  そんなことを色々思っていると、やがて、 「お待たせ、お待たせ。」 とこうくんが戻ってきた。 「はい、どうぞ。召し上がれ。」  そう、ことん、とこうくんがきゅうりの馬の前に置いたのは、味噌だった。赤と青で絵付けがされた小皿に、茶色い味噌がちょこん、と乗っている。  味噌の香ばしいような、いい香りが鼻にふわり、と広がった。 「え、味噌?」  拍子抜けしてしまった。てっきり庭から雑草か何かをとって来るのかと思っていたのだ。 「なんで?」  そう問うた私にこうくんは、 「きゅうりには味噌だろ。」 と当然のことのように言い、そして、 「あ、牛の塩忘れた!」 とまたばたばたと台所へ駆けていった。 「きゅうりには味噌だろ。」  その言葉と表情が、妙に私の中でうけてしまったらしい。  この時、こうくんへの特別な感情が、私の胸内に小さな小さな芽を出した。      * * *      こうくんにはまだなんとなく秘密にしている、このはじまりを思い返して、私はまた、ふふ、と笑いながら、きゅうりに歯を立てた。  ぼりっ。  実にいい音が鳴った。

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はじまりは、きゅうり

ひをつかまえるものと、はねをもつもの

 君は、止まることはないのだろうか。  いつもゆらゆら、ゆらゆら揺れて。  光を捕まえ、また離して、    その身をふらふらと揺らすごとに、なげかけた虹色の光を、  壁にたゆたわせて。  風に吹かれているわけでもなく、  何かに当たったということもなく……  ……いや、当たったか、日が空の中ほどまできた頃に。  窓辺を横切った猫の茶色いぶちの頭に。  いや、興奮して飛び上がった犬の鼻先だったか。  それとも、窓から外を覗いた人間の頭だったろうか。  ………君は、その時からずっと、  ゆらゆら揺れているのか。  それともあの時の、地震の揺れがまだ残っているのか、  君の中に。  君の体の芯に。  そういえばそもそも、芯なんてあったろうか、君に。  空洞なのに。    ゆらゆら、ゆらゆら、  ふらふら、ふらふら、  空気の流れに流されて揺れているだけなのか。  止まらないのかい、君は。  いつか止まったり、  するのかい?  なぁーんて。思ってたら、止まったようだね、ははは。

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『第3回NSS決勝』 月夜のあしあとに

 積もりたての雪に最初の一歩を置く時、まっさらな白銀の世界に凹みが生まれる。  一歩、二歩、三歩。雪道の上に足を踏み出す毎に、生命の形跡がそこにくっきりと刻印されるのだ。  そうしてぽっかりと空いた穴の中に私は、ある凍てつく満月の夜、不思議なものを見てしまった。  星空の下、庭の柿の木の上で分厚い外套にくるまり、ぼーっとしていると。眼下の雪道に点々と残された足跡の一つに、小さな影が四つ、わらわらと現れ、酒盛を始めたのだ。  笠を被り、縞の着物に綿入れを着た虫けらほどに小さな男達が、敷いた茣蓙の上にだらしなくあぐらを描き、炭が赤々と燃える小さな小さな火鉢を囲んで、賑やかにわぁわぁと騒いでいる。  一人の小男がチンチチン、と火箸で火鉢の縁を叩きだし、一人の小男が唄いながらふらふらと陽気に踊り出した。賑やかな囃し声と共に一歩、二歩、と足を運び、頭をふりふり、手をひらひらと泳がせている。  その奇妙さに目が釘付けになっていると、不意に踊る小男がこちらを見上げ、赤ら顔に明るい笑みを浮かべた。 「やぁいい月夜ですなぁ。旦那もお月見ですかい?」  そして気付くと、彼らはふっ、と消えていたのである。

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『第3回NSS決勝』 月夜のあしあとに

第3回NSS P i a

「おじいさん、あれは何です?」  空が真っ青に澄み渡った、気持ちのいい春の日。  山を登っていると、頂上の方から風に乗って、ピアノの様々な音が折り重なったような透んだ音色が漂ってきた。  あたりを見回しても、見えるのは緩やかにうねり広がる若草色の山肌と、点在する黒い岩や林だけで、ピアノや人の姿はない。 「ああ、あれはピアという音奏草ですよ」  私の問いに、案内の老人はそう答えた。こんなふうに開けた日当たりのいい所に時たま現れる草です。風に吹かれるとああやって、楽器のような音を出すんです。  へぇ、何とも美しい音色ですねぇ。  音奏草達のハーモニーに耳を澄ませて、ゆっくり歩みを進めているとふと、足元からの可愛らしい跳ねるような音に気づいた。見ると、葉の先端が丸く膨らんだモーブ色の花が、そよ風の中楽しげに揺れている。 「それがピアです。音奏草は通常群れているんですが…それははぐれ草なのかなぁ」    帰宅し、あの音をもっと聴いていたかった、と名残惜しく思いながらふぅ、と息をつき窓を開ける。 「えっ?」 “ポン、ポロ、ロン…”  窓の下で、珍しい葉のモーブ色の花が、楽しげに風に揺れていた。

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第3回NSS         P i a

蛇男と馬男

「う〜、さびーねぇ。」  温めたばかりの酒を入れた、あったかい一升の徳利を抱えて、あったかい店の中から出る。外の空気は冷たく、ひんやりと冷えて、思わずぶるっと身を縮めてしまう。 「うーん、冬だなぁ。…さむっ。」  吹きつけて来た北風を受けて、隣に立つ連れが言った。 「いや、君は寒そうに全く見えないが、馬男くん。」 「いや、寒いんだよ、これでも。」  北風を受けてまた、さらにきゅっと身を縮めた俺と違って、大きな身体の背筋を堂々と伸ばし、真っ向から冷たい風を受ける連れを見る。……まぁ、確かに、僅かに肩を縮めているように見えないこともない。 「君は……体が硬いのかい、馬男くん。だから体を丸められないとか?それとも筋トレのしすぎ?」 「筋トレは関係ないし、体も柔らかいよ、蛇男。ただ昔っからこうなんだよ。」 「ふーーん、ますます馬みたいだね、君は。」  冷たい夜気を切って歩きながら、俺は低く薄い鼻から息を吐き出した。  なんだよ、と言う風に馬男がこちらを見てくる。横を向くと、長いまつ毛でふちどられた大きな目と目が合った。  馬男−−。  これはもちろん、彼の本名ではない。もちろん、あだ名だ。俺がつけたあだ名だ。もちろん。本名は、別にある。  筋肉質な、丈高く大きな体、すらっとした綺麗な脚に、日に焼けたなめらかな肌。ほっそりとした面長の顔と、心なしか長い首。髪は艶やかな漆黒の直毛。そして何より、長いまつ毛の下の、大きな黒目がちな目が馬を思わせるので、“うまお”−−馬男、とあだ名をつけた。  一方、俺の方はと言うと、彼に“蛇男(へびお)”と呼ばれている。  大学で出会ってすぐにそんなあだ名をつけられた。まぁ、俺が彼を、“馬男”とすぐに呼び始めたのもあるんだろうがね。  だが、“蛇男”とは、なかなか俺に合った名だろう。  全くガリガリじゃぁないが細っこい体つき、のっぺりと平らかな顔に小さい鼻の穴、薄い一重の瞼の下の、まん丸い目。細く鋭い舌。頭も逆三角形だし。自分でも蛇のようだと思う。  我が親愛なる友、馬男くんは、俺の動き方や喋り方なんかもするするとなめらかで、蛇っぽいと言う。  ふん、あまり嬉しいかは分からないが。 「今年ももう終わるな、蛇男。」  はぁ、と白い息を吐いて、馬男が言った。 「うん、あんたの年が来るよ、あと一時間ぐらいで。」  にやりと笑ってみせる。 「年男じゃないか、馬男よ。」 「君の年はもう終わるね、蛇男どん。」 「“どん”ってなんだよ。」  軽く笑いながら、隣りを歩く馬男のがっしりとした肩に腕を乗せると、馬男はにやっ、と歯を少し見せて笑った。鼻梁に少しばかり皺が寄った。  それからしばらく、二人で鼻歌を歌いながら歩いた。出鱈目な、即興で作った歌だったり、童謡だったり、洋楽、邦楽、色々と。 「というか僕たちはなかなかの馬鹿どもだな、たぶん。」 「何故だい、馬男くん。」 「わざわざあったかい店から出て、寒い外で熱燗呑みながら年を越そうってんだから。しかも、こんな大きな徳利に酒入れて貰ってさ。」  そう言って馬男は、俺の腕にしっかりと抱えられた徳利を見た。徳利は熱くないよう、何枚もの手拭いでぐるぐる巻きにされている。 「まぁ、今夜で一度っきりの今年が終わるんだし、良いじゃないか。こういう年の越し方も、なかなか楽しくないかい?」 「まぁな、そりゃあ。……僕たち社会人だけど。」  ふはっ、と馬男が笑い出す。つられて俺も笑い出した。  夜遅く、街中で徳利を抱えて、歩きながら笑う大小の男二人組を見て、通り過ぎていく人々は多種多様な顔をした。  楽しそうだなぁ、と温かく視線をやったり、なんだあの人達、と眉根を寄せたり、あるいは特に気にしていなかったり。まぁ、特に気にせず通り過ぎていくのが大多数だが、世の中にゃぁ、いろんな人間がいる。  道を右に曲がり、青や赤、黄色の、滑り台やらブランコやらの遊具を左手に過ぎて、木々の中の坂を登る。  最初は緩やかだがだんだん急になっていく。ここ数ヶ月の運動不足のせいか、はたまた酔っ払っているせいか、足がすぐ疲れてきたが、同時に、冷え切った身体が温まって汗が微かに、じんわりと染み出してきた。 「いやぁ、やっぱし運動不足はいけないね。」  俺と違って、疲れた様子も見せず坂を登る馬男に話しかける。 「すぐ足が疲れる。」 「そうは見えないけどね。相変わらずの蛇みたいな滑らかさだよ。」 「そうかい?」 「うん。」  夏であれば、蚊がプンプン飛び交い、木々の葉っぱがわさわさと茂って、辺りを深緑に染めるこの小山も、冬の今は葉もほとんど地面に落ちて、木々の間から周りの様子がよく見えた。  群青色の空に浮かぶ淡い黄色の月。星。よく乾いた茶色い落ち葉。新しいコンクリで舗装された道の両脇に点々と立つ街灯。街の光。丈高い裸の木々。  そんなものを眺めながら、連れ立って、ぶーらぶーらとのんびり歩く。  頂上につくと、綺麗な夜景が目の前に広がった。  赤、青、白、黄色、緑、となんとも賑やかなばちばちの明かりと共に、車やバイクの騒音、そして除夜の鐘の静かで深い音が上がってくる。いつ来ても良いものだが、個人的に寒い時期に来るのが一番好きだ。  清々しい空気が気持ちいい。 「あれ、先客がいたようだね。」  あまり広くはない空き地の、二つあるベンチの一つに、人が一人、顔を夜景の方に向けて横たわっていた。 「寝てるねぇ。」 「寝てるな。」 「…まぁ、行こうじゃないか。」 「うん。ここまで来たしな。」  束の間ためらったが、もう一つのベンチに足を向ける。  二つのベンチの間の間隔は、だいたい六十センチほどしかないが、まぁ、良いだろう。あまり騒げないだろうが。  ……いや、正確には、寝ている人の突き出た足、二十センチ程のせいで、その間隔はもっと狭いが……まぁ、別に良い。あまり五月蝿くはできないが。  ベンチに座り、徳利の栓をぽんっと抜いて、 「ちゃんとお猪口は持ってるかい、馬男くん?」 と問いかけると、 「もちろん、大事に持ってる。」 と馬男は、コートのポケットから、包みを一つ取り出し、巻かれてある手拭いを解いて、お猪口を二つ取り出してみせた。白地に青い染料で古典的な模様が描かれている。 「居酒屋の親父に感謝だねぇ。」 「酒飲み道具一式、貸してくれたもんなぁ。」 「ささ、馬男くん、つぎましょう。」 「ああ、これはどうも。蛇男くん。」  馬男が宴会の席のおっちゃんになりきって、後頭部を軽く掻きながらお猪口を差し出した時だった。 「あんた達、こんなとこで飲み会やってんの?」  随分とハスキーな声が割り込んできた。  二人してぱっ、とその方向を向くと、所々黒く色が残ったまだらの金髪頭の若い男−−おそらく十代後半に入ったばかり−−がこちらを見ていた。なかなかの男前だが、見た目や醸し出す雰囲気が、かなりヤンキーっぽい。  ぴったりとした黒いタンクトップの上に、牙を向いた虎の刺繍がされたスカジャンをだるん、と着ている。目がとてつもなく透明で、眼光が研ぎ澄まされた薄いナイフの刃のようだ。  静かめにしていたつもりだったが、どうやら、寝ていたのを起こしてしまったらしい。  馬男をちらりとみると、ぴたり、と固まっていた。 「そうだけど?」  答えると男は、 「ふーん、面白いね。」 と笑った。 「君、そんな薄着で寒くないの?」  馬男が聞いた。また動き出したらしい。 「あ?寒……くはねぇよ。別に。」  男はまた笑って、足を持ち上げてズボンを捲り上げてみせた。 「靴下三重ばきしてるし。ほら、綿のとカシミアのとウールの。」  なるほど、黒、白、クリーム色と、それぞれ丈の長さが違う靴下を履いている。 「いや、そういう問題か?」  馬男が突っ込むと、男はまた笑った。 「つーか、何飲んでんの?」 「熱燗だけど。」 「熱いの?」 「いや、おそらくもうぬるくなりかけてるだろうな。」 「“ぬるくなりかけ”って。何それ。」  男はまた笑った。そして、右手を持ち上げた。 「……俺は焼酎。飲んでる。」  手には900ml紙パックの焼酎が握られていた。 「え、君、何歳?若く見えるけど。」  思わず聞くと男は、 「え?十六だけど?ま、もうすぐ十七になるけど。」 と飄々と言って焼酎を一口、ごくりと直飲みした。 「おいおい、まだ未成年じゃないか。」 「それが何か?」  男の、いや、少年の透きとおった目を見て、何も言えなくなる。  俺たちもこのぐらいの歳で酒を飲んでいたし、彼の鋭い眼光を受けて、あ、こいつは何を言っても聞かねぇな、と悟ったのもある。  それを裏付けるように少年は、更に言った。 「あんた達に、俺は止められようとなんか思わねぇよ。」  俺も馬男も無言で頷いた。 「僕たちも君ぐらいの歳で飲んだことがあるし。まぁそれでも、大人としては止めなきゃいけないんだろうけど。」  少年はにやっと笑った。 「しょうがねぇよ、俺は飲むから。あんた達も飲みなよ。熱燗がぬる燗になるぜ。」  少年に言われて、あ、そうだそうだ、と熱燗の存在を思い出し、お互いのお猪口に熱燗をいそいそと注ぎ合う。幸いなことに、冬の夜の冷気の中で、お猪口からは微かにまだ、白い湯気が立っていた。 「巳年に乾杯。」 「そして来たるべく午年に乾杯。」  そう言って、互いのお猪口をチン、と合わせ、ぐび、と中身を一口、口に入れた。 「っあーー。」 「美味い!」  二人して、おっさんのような声を出す。おっさんにだんだん近づいてるなぁ、と頭の片隅で思うが、まぁ、良い。…今は。  それからしばらく、皆無言で夜景を眺めながらそれぞれの酒を口に運んだ。 「あんた達さ、蛇男と馬男っていうの?」  除夜の鐘がまた、ゴーン……ゴーン……と鳴り、風が一陣吹き抜けた時、少年が口を開いた。どうやら俺たちの会話を聞いていたらしい。寝ていなかったのか。 「あだ名だけどね。」  馬男が言った。 「うん、俺がこいつを“馬男”って呼んだら、俺は“蛇男”って呼ばれるようになったんだよ。」 「そのまんまじゃん。…失礼ながら。」  少年はにやっと笑い、焼酎を口に運んで、また少し笑った。よく笑うやつだ。あと、上下の犬歯が普通より大きめだ。まるで牙が生えているように見える。 「君の名は?」  馬男が聞くと、 「あ、俺?」  眉を上げ、つるりとした額に皺を寄せて、少年は自分をさした。 「……トラ。っていう。」  そう言って少年はスカジャンの左胸をつまんで、刺繍された虎を指さした。 「本名?」 「いや?本名の縮小版。呼ばれ名。」 「へー、かっけぇじゃん。」  馬男がトラの肩を軽く叩いて、にかっと笑った。  トラも、酔っ払っているのだろうか、頬を赤くして笑った。 “タラリン”  唐突に、機械的な電子音が冷たい空気中に響いた。どうやら俺のコートのポケットからのようで、誰かからのメッセージか?と、携帯を取り出す。 「あ、」 『ん?』  画面上に表示された四つの数字が目に飛び込んで、俺が声を漏らすと、二人は同時にこちらを見た。そんな二人に、白く発光する携帯の画面をかざして見せる。 『あ!』 「−−皆様、新年、明けましておめでとうございます。」  勝手に口角が上がって、にやにやとにやけてしまう。 「君の年が来ましたな、馬男くん。」 「明けましておめでとうございます、蛇男どん。一年間、お疲れさんでした。」  馬男もにやっとしながらおどけて言って、ははっと笑った。  かざされた携帯のホーム画面には、数件のメッセージの知らせと共に、 「00:00」 と記されていた。  新しい年の夜明けまで、あと数時間である。  あとがき  時間はどんどん経って、もう三日になってしまいましたが……  新年、明けましておめでとうございます。  2025年は、私の作品を読んでくださり、♡してくださり、コメントしてくださり、フォローしてくださり、本当に、ありがとうございました🙇‍♀️  いつも嬉しいです。誠に、感謝です。  2026年も、どうぞよろしくお願いいたします。  良いお年を!

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蛇男と馬男

愛を食べるばけもの

「ほら、つくし、ココア。外寒かったろ。」  ほわほわと湯気のたったマグカップを二つ両手に持って、彼が言う。 「わー、ありがとーぅ。」  満面の笑みを浮かべ、私はそれを受け取った。  ぺちゃぺちゃ……ごくん  ああ、まただ。耳の中でまた、咀嚼音がする。 「なに?なんかあった?つくし。なんでも話しなよ。」  私の目をまっすぐに見つめて、友達が言う。 「うん……ありがとう。」  友達の暖かさが身にしみた。  ぺちゃぺちゃ……ごっくん 「ちょっとぉ、つくし!ちゃんと食べなさいよー。あんた、そんなに食べなかったらガリガリになるわよ?」  かなり大袈裟に母が言う。 「はーい。」  頭では私のことを思って言ってるんだろうと分かっていても、どうしてもそんな返事になってしまう。  ぺちゃぺちゃ……ごくり。  また、まただ。  誰かに優しくされるたびに、誰かから愛情をもらうたびに、耳の中に気色の悪い咀嚼音が響く。  いつからだっただろうか。  いつの頃からか気づけば、耳の中にぺちゃぺちゃと音が聞こえるようになっていた。 「はぁー。」  学校からの帰り道、横からため息が聞こえてきた。 「どうした?ハルちゃん。」 「いやぁ、なんか最近妙に疲れてさぁ。」  首をコキコキ鳴らしながら、友達が言う。 「大丈夫?今日は遊ぶのやめとく?」 「うーん。……そうさせてもらおうかなぁ。ごめん、つくし。また絶対遊ぼう。」  ぱんっ、と音を立ててハイタッチを交わすと、ハルちゃんはタカタカと駆けていった。一見軽やかだが、やはり少し、その足取りは重い。  …最近、こういうことがよくある。  ハルちゃんだけに限らず、他の友達も彼氏も疲れているようで、遊ぶ約束をドタキャンしたり、遊んでもすぐ帰ることが多くなっている。  家族もだ。姉はイライラ気味だし、弟は最近よく寝る。学校から帰ってくると、布団の中に直行だ。  なんだか皆んな、私と一緒にいる度に、あの嫌な咀嚼音が聞こえる度に、そうやって疲れたり、ドタキャンしたり、イライラしたりすることが多くなっていっているような……。  お風呂というものは、極楽だ。  冬の寒さに凍えた身体に、お湯の温かさがじわ〜っと染みた。なんともいい心地だ。ふう、と息を吐くと、ふわりといい香りが鼻についた。 「お母さんバスソルト入れたんだ。」  ぺちゃぺちゃ……ごくん  自分の声がお風呂場に響くと同時に、あの咀嚼音がした。思わず、ざばんっと音を立てて立ち上がる。  ぺちゃっ、ぺちゃぺちゃっ……ごくん  ゆらゆら、ばちゃばちゃとお湯が揺れる度に、また咀嚼音がする。こんなに音が立て続けにしたことはない。あまりの不快感から、逃れたくて、湯船から走り出た………途端。  つるんっ  あ、そうだ、うちのお風呂の床、滑りやすいんだった……。  ばたーんっという音が響き、「つくし?!」と言う声とともにバタバタと足音がいくつか近づいて来る。どうも頭を強く打ったみたいで、意識が遠のいて…いった……。 「あ、つくしっ。目覚めた?目覚ました?!」  目を開けると、母がぎゅーっと私を抱きしめて来た。相当心配したらしい。姉と弟も、ほっとした顔をしている。 「ごめん…。」  抱きしめ返そうとした時だった。  ぺちゃぺちゃ……ごくりごくり  まただ、まただ!ゾワッ、と鳥肌が立った。 「ごめん、ちょっと部屋戻る。」  一人になりたくて立ち上がる。 「もう大丈夫なの?」  そう言う声を後ろに、私は階段を駆け上がり、ばたんと部屋の扉を閉めて、ベッドの横にうずくまった。  なんなの?もうなんなの?もうやめてよ、なんなのよ、これ?  その時。  黒くて、ずんぐり、どろどろした化け物の姿が瞼の裏に映った。 “愛…愛をくれ…もっと、もっと、愛を……!愛が欲しいヨォ!”  化け物は、真っ赤な口をがぱりと開けて、まるで駄々っ子のように訴えて来る。赤い目が爛々と燃え、“愛が欲しい、愛をちょうだい”とこちらに迫って来た。 「きゃぁぁぁぁあ!」  悲鳴がほとばしり出た。その声を聞きつけ、母と、姉と、弟が部屋に飛び込んで来た。 「どうした、つくし!どうしたの!」 「化け物が、化け物が、、」 「化け物?!」 「化け物が“愛をちょうだい”って近づいて来るぅう!」  叫ぶ私を抱きしめる三人に、必死でしがみついた。嫌だぁ、嫌だあ!と涙がぼろぼろ溢れでた。 「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」  母に背中をさすられているうちに、化け物の声は途切れ途切れになって、涙が止まった頃にはいつのまにか、声も姿も消えていた。  それから、ぺちゃぺちゃ、ごくりと言う不快な咀嚼音は、しなくなった。周りもすっかり元気になった。あの化け物は、何だったのだろう。  それに………なぜ私だったのかは、いまだに疑問である。

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愛を食べるばけもの

すき。

 お茶を飲むのが好き。  日本茶でも、紅茶でも、ハーブティーでも。  その時の気分で。  ケーキとか、マフィンとか、スコーンとか。  美味しいものを作るのが好き。  トマトスープが好き。  ジャガイモとか、にんじんとか、玉ねぎがゴロゴロ入ったのが好き。  おもちが好き。  焼いたおもちを、海苔でくるんで醤油をつけて食べるのが好き。  お味噌汁が好き。  鍋が好き。  煮物が好き。  炊き込みご飯が好き。  ラーメンについてるメンマが好き。  お煎餅が好き。  梅干しが好き。  じゃがいもが好き。  特に焼くか炒めたじゃがいもが好き。  音楽を聴くのが好き。  洋楽も、民謡も、讃美歌も、ジャズも、J-popも。  クラシックも、アカペラも。あと、ロックもかな。  K-popも、何曲か好き。  RADWIMPSが好き。  藤井風が好き。  Stray Kidsが好き。  Home Freeが好き。  Pentatonixが好き。  Michael Jacksonが好き。  西アフリカの、音楽が好き。  ジブリの曲と音楽が好き。  好きな曲って言ったらもっとある。  歌うのが好き。  たまにオペラを歌ってみたり。  高い声を裏声で出すのが結構好き。  低音が好き。  チェロやコントラバスの  ボロンボロンっていう音が好き。  低い声も好き。  低い声を出すのも好き。  日本が好き。  今住んでる国が好き。  日本語が好き。  縄文時代が好き。  江戸時代が好き。  江戸時代の文化が好き。  十二単が好き。  着物が好き。  下駄が好き。  地下足袋が好き。  手ぬぐいが好き。  綿入れ半纏が好き。  戦国大名が好き。  好きな曲の歌詞をノートに書くのが好き。  ちょっと古めかしい言葉遣いが好き。 “うららかな”っていう言葉が好き。 “こぼれるように咲く”っていう表現が好き。 “たゆたう”って言葉が好き。 “ゆらめく”って言葉が好き。 “バラバラ”っていう雨の音が好き。  話を書くのが好き。  情景を描写するのが好き。  どう書いたら伝わるだろう、って考えるのが好き。  本が好き。  漫画も、好きです。  絵本も、好き。  あと、童話と昔話も。  笑い話も好き。 〈月神の統べる森で〉のシリーズが好き。  上橋菜穂子さんの本が好き。 〈ラリルレ論〉が好き。  落語だけれど、〈そこつの使者〉が好き。  やまもり美香さんの漫画が好き。 〈しろくまカフェ〉が好き。  絵本であれば、 〈こぎつねこんとこだぬきぽん〉が好き。 〈つみきのいえ〉と、〈アボカドベイビー〉も好き。  他にも色々好き。    夜が好き。  夜に友達と散歩に行くのが好き。  夜の鬼ごっこも好き。  朝早く、まだ暗い時間が好き。  雨の日に、黄色っぽい電気をつけた部屋が好き。  とても心地いいんです。  京都が好き。  京都市内を歩き回るのが好き。  友達と、探検に行くのも好き。  家の近くの小高い丘が好き。  特に夕方、頂上で、ぬるい風に吹かれながら景色を眺めているのが好き。  重いものを持つのが結構好き。    冬が好き。  寒いけど。  でも、冷たい風が顔に吹き付けるのが好き。  雪が好き。  春が好き。  ぽかぽかあったかくて。  陽だまりで寝っころがって、  日向ぼっこをするのが好き。  焚き火するのが好き。  焚き火の煙の匂いが好き。  暖炉とか、薪ストーブが好き。  映画が好き。 〈宇宙人のあいつ〉っていう映画が最近は好き。  シュタイナー教育が好き。  今まで行ってきた学校が好き。  今の学校も…たぶん、好き。  家族が、好き。  友達が好き。  うちのわんこが好き。  大好きだよ、坊っちゃん。

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波紋

 ひたひたと  水を湛えた穴ぼこに  空より雨粒がひとつ、  ぽつんと落ちる。    ぽつん、ぽつん。  波紋が広がる。    真ん中に、アメンボをおきたくなった。

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波紋

第2回NSS 轟く雷鳴

 −−バリバリバリッ…ドドーン−−  ピカッ…  雷の落ちる物凄い音が響き渡り、暗闇に白く眩い光が閃いた。  ゴロゴロゴロ……ピカッ…  そのあとを追うように、巨大な石臼をひくような音がして、また、暗闇に白い閃光が閃く。  バラバラバラバラ−−  すぐに黒い闇に沈んだ中を、激しい大粒の雨が駆け抜けて、地面にその身を叩きつけた。  ピカッ…  また一瞬、暗闇が消えて、辺りが白く閃く。  それに照らされて、暗い嵐の中うずくまる影の背に流れる金色の長い髪がきらりと光った。また闇が戻ってもなお、それは鈍く金色に煌っている。  バラバラバラバラ−−  吹き抜ける強風に乗った雨粒が、彼女の肩を、背を、金色の髪を、殴っては弾かれ、落ちてゆく。  濡れてさらに色を濃くした濃い灰色のコートに身を包まれてうずくまる姿が、鈍く光る硬い甲冑を纏った姿と重なった。  ゴロゴロゴロゴロ……ピカッ  また、白い閃光が一瞬、あたりを包む。  それに続いて、  バリバリバリバリ−−と轟音が響き渡り、ドドーンと地響きがした。  前方からぱっと真っ赤な火の手が上がる。  ピカッ  また、白い光が閃いた。

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第2回NSS 轟く雷鳴