Tentomushi
4 件の小説にわか雨
滝のように降る雨。 時折り吹く強風。 ザワザワ揺れる木々。 雨。 雨の時間。 バラバラと窓に落ちる雨粒。 心地良い音。 「あっ小雨になってきた!」 明るくなっていく空。 大地を照らしていく光。 雨が止んだ。 ポタッ、ポタッ、と落ちる雫。 濡れた黄緑色の芝生。 濡れた庭。 濡れた世界。 「あっ、鳥たちが、鳴き出した!」
仏さま
「わたしね、お空って、水面だと思うの。」 ある日の学校帰り、突然、みゆちゃんが言った。 「水面?」 私が聞き返すと、みゆちゃんは頷く。 「そう。大きな大きな水面。その上から、仏さまたちが世界を見下ろしているんじゃないかって。」 みゆちゃんは、不思議な子だ。ふんわりしていて、たまに、こんな風に不思議なことを言う。 「ほら、極楽浄土には、ハスのお池があるっていうでしょう?」 でも、それが面白い。 「なんでそう思うの?」 聞いてみると、みゆちゃんは、 「こんなに空は澄んでいるんだもの。」 と、青くて今日は雲一つ浮かんでいない空を指差した。 ……確かに、縦横に走る黒い電線を除けば、空は気持ちのいいぐらい澄み渡っていた。 「でも、曇ってたり、雨の降る時もあるよ。」 「雨は、この世を浄化して、わたしたちに生きる力をあたえてくれる、仏さまと観音さまたちの、やさしい愛しみの涙なんだよ。」 「じゃぁ、梅雨とかは仏さま達、その愛し泣き?いっぱいしてるんだね。」 そう言うと、みゆちゃんは、 「ほんとだね、大泣きだ!」 と、あは、と笑った。 「じゃぁ、雲は?」 ちょっとして、聞いてみた。 「雲は、その愛しい気持ち。」 「灰色なのに?」 「雲は、灰色じゃないよ。いろんな色が、まざっているよ。」 「そうなの?」 「うん、そう。」 今度、じっくり見よう。私は心に決めた。曇りって、案外憂鬱な天気じゃないのかもしれない。 「だから、雨上がりの世界は、きらきら輝いているでしょう?」 ああ、確かに。 でも、 「でも、惑星は?太陽とか月とかは?」 疑問に思う。それなら太陽が後ろにあって、仏さま達は、熱くないんだろうか?火傷しないんだろうか? 「太陽も月も、お星さまたちも、仏さまたちの後光なんじゃないかなぁ。」 雨がしとしと降ってきた。空を見上げると、晴れていた。 「あ、狐の嫁入り…。」 呟くと、 「おめでとさん、だね。」 と、みゆちゃんが笑った。 「ほんとだ、末永くお幸せに………お狐さん。」 二人して手を合わせて、顔を見合わせて笑いあった。 その時、 「あっ虹だ!」 近いように見えて遠い、深い緑の山の方に、大きな虹が、かかっていた。 薄い、やさしい、赤、オレンジ、黄色、黄緑、青、紫の虹色。 きれい……優しい色だ…… ぽつり と、優しく、みゆちゃんが言った。 「きっと仏さまも、お祝いしてるんだね、お狐さんたちのこと。」 ☀︎ ☀︎ ☀︎
マフィン
マフィンの焼ける、いい匂いがする。 香ばしい、美味しい匂い。 「いい匂いだね、お母さん。なに作ってるの?」 学校から帰って来たばっかりの、七歳の息子の孝哉が、オーブンの前に座り込む私に抱きついてきた。 甘えん坊さんだな、とポンポン、と頭を撫でる。 「マフィンだよ。紅茶のマフィン。」 答えると、 「えー!今日のおやつ?おやつなの?やった、楽しみだな、はーやく食ーべたーいな!」 と、孝哉が踊り始めた。 「さっき焼き始めたから、あとだいたい20分ぐらいだよ。」 そう言っても、 「マ、フィン、マ、フイン。」 と、聞いているのか聞いていないのか…… 全くもう……昔っからこうなんだから……… いつも、ことあるごとに踊りだす孝哉を楽しく眺めながら、思う。そして、笑ってしまう。 そんな私を見て、孝哉はますます嬉しくなったらしく、くるくる回り始めた。 「コウ、目回してオーブンに当たんないようにね。」 「うん、おっけおっけ」 一応返事は返ってくるが、本当に聞いているんだか聞いていないんだか……いつもこんな様子なので、毎回ばあばには、コウちゃんは落ち着きがないねぇと言われている。 うむ、心配だ……火傷でもしちゃったらどうしよう。 「ね、コウ、落ち着いて。やっぱお母さん、見てて怖い。」 「大丈夫だって。」 こう大丈夫、が、怖い。………のだが、やっぱり心配しすぎなのだろうか?旦那にも、上の息子にも、心配しすぎだとよく言われる。まぁ、確かに、昔の私はこんなに心配ばかりしなかった気がする。 心配する、というのは、親になった者の性なのだろうか。 その時、ガチャリ、とドアが開く音がして、 「あっ、お兄ちゃん!」 とすぐさま孝哉がたたた、と走って行った。 上の息子が帰ってきたようだ。私も続いて玄関へと向かう。 「おっかえりー!」 「おかえりー。」 「おう、ただいま。」 「今日、ずいぶん早いね、いつもより。」 いつもなら、この時間はまだ普通に学校なのに。 「なんか、数学の土井、熱当たりで倒れちゃって。ほら、最近暑いじゃん?で、なんかもう帰っていいって言われてさ。」 上の息子−−空哉は、玄関上がりかまちに座って靴を脱ぎながら言った。向けられた汗だくの背中が、ずいぶん大きく見える。 大きくなったなぁ。最近、そればかり思う。 「え、じゃ、部活は……」 「今日は部活じゃないもん。」 「あ、そっか!そうだったね。」 すっかり忘れていた。私ももう年なのだろうか、という思考がよぎったが、いやいや、まだだまだだと打ち消した。まだまだぼけちゃぁ、いられない。 「お兄ちゃん、今日ね、マフィンがあるんだよ。焼きたてほかほかの、紅茶マフィン!」 横から、孝哉が興奮して言った。 「まだ焼いてるとこだけどね。」 私も口を挟む。 「お、どうりでいい匂いがすると思った。楽しみだな!」 空哉が孝哉の頭をぐしゃぐしゃぐしゃっと撫で回した。 「お兄ちゃん汗くさいね。」 「まぁ、暑い中、学校から家まで、歩いてきたからなー。」 なんでもないふうに言いながら、空哉は少し恥ずかしそうだ。 お、思春期なのかな?もう高一だもんねぇ〜。 嬉しいような、寂しいような気持ちになる。もう近いうちに家を出て行くのだろうな。 少し、微笑ましい気持ちでいると、 「ま、じゃ、俺、荷物置いて、着替えてくるわ。」 「僕も行く!」 と、兄弟二人で階段を登って、二階の空哉の部屋へ行ってしまった。 「ね、ね、僕がお兄ちゃんの服選んでいい?」 「えー、どうしようかなー。」 高い声と低い声の、楽しそうな会話が聞こえてきた。 「お母さん、マフィン焼けたっ?」 しばらくたって、着替えが終わったらしい空哉と孝哉が、どどどどっと音を立てて階段を降りてきた。 「あとちょっとよ、さっき見たら、いい感じに焼けてたから。」 「まだかー」 「まだかー」 それを聞いた二人は、ゴロンッと一緒にソファーに寝っ転がる。仲良しだ。 「あー腹へったー。」 そうぼやいた空哉に、 「お兄ちゃん食べざかりだもんね。」 と孝哉が言う。 「ねーお母さんもういいんじゃない?」 空哉が急かしてきた。 「そうねー。」 私も早く食べたい。 「見てみようか。」 そう言うと、 「僕も見る、僕も見る!」 と孝哉がやって来た。 「じゃあ俺もー。」 と空哉もやってくる。 オーブンの扉を開ける。開けた途端、香ばしいいい香りが広がった。 両側からの視線を感じながら、マフィンの一つに竹串をそっと刺して、ずっと引き抜く。 ベタベタ…………して、いない。 マフィンが、焼けた。
サイダー
口に含むと、しゅわっと弾ける。 甘い 味がする…… 飲み物。 暑い暑い真夏。そんな日には、サイダーにかぎる。ので、僕は、いつものカフェに入った。 「チリンチリン」 どっしりとした、鈍色の重い扉を開くとともに、上の方に取り付けられた、小振りのドアベルがなる。 店内に入ると、一気にクーラーの冷たい空気がこちらへと押し寄せて来た。外のジリジリする焼け付くような暑さの中で、熱った僕の体には、それが心地良い。 「いらっしゃいませー」 顔見知りの店員−−というか今日は店長じゃないか−−が、こちらに顔を向けた。おっ、という顔をして、こちらへと手を振って来たので、僕も手を振りかえして、そのままレジへと向かう。ここは、先にレジで注文して、お金を払う、先払い制だ。 「今日は、何にされます?」 店長は、黒黒した短い髭の、なかなかダンディーないい男だ。 モテそうだな、といつも思う。既婚者だけど。 「やっぱり、暑いですから、カフェAlagonia特製、ふわふわかき氷ですか??」 お、店長の一押しは、かき氷らしい。 だが、今日の僕の目当ては………… 「かき氷もいいんですが、今日は、ここの『しゅわしゅわサイダー』が飲みたいと思ってるんですよ。」 「おっ、カフェAlagonia特製、『しゅわしゅわサイダー』ですか。こんな暑い日には、それもいいですねぇ。 では、何味にされます?」 「そうですねぇ。」 と、僕はメニューに目を落とした。 【しゅわしゅわサイダー】 レモン:日の光のようにつやつやの、無農薬有機レモンを使用した、ほのかな酸味が心地よいサイダー スイカ:夕焼けのような、暖かさの赤が、心も身体も癒すでしょう ミント:飲むと吹き抜ける、涼しい風。甘味は高知産の有機ハチミツ トマト:無農薬トマトを使用した、他ではなかなか味わえない味 マンゴー:一口飲むと、南国の風が吹き抜ける ザクロ:ルビーのような色が美しいサイダー。ザクロには、美肌効果もあるとか マロウ:呼吸器や胃腸の炎症を軽減するマロウ。目にもあざやかな、青いサイダー レモングラス:グラスから匂い立つ、さわやかな香り。レモングラスは、殺菌効果や、消化促身などの作用を持つハーブです * * * 「はい、おまちどうさまでーす。」 お盆にのせた、サイダーを片手に、店長がルンルンとやって来た。 「なんか今日、店長、ルンルンしてますね。」 思わず問いかけると、 「えーっ、そう見えます?やっぱりわかります?」 と、店長は、なんだか照れたように笑いながら、テーブルにコースターを置き、その上にコトリとサイダーとグラスを置いた。 その話しながらでもの手際の良さ、やはりプロだ。 「いえね、昨日、うちの子が、初めて喋ったんですよ。ママって。で、その後に今度はパパって!その様子がいつ思い出しても可愛くて可愛くて……」 おお、それはそれは 「おめでとうございます。」 そういうと、店長は嬉しそうに、顔をほころばせて、 「ありがとうございますー。そろそろ、カフェにも連れて来たりするでしょうから、その時はよろしくお願いします。」 と頭を下げた。そして、 「あ、すいませんね、つい……では、当店の、『ザクロしゅわしゅわサイダー』です。ごゆっくりどうぞ〜。」 と、行ってしまった。 その姿を見送って、店長、親バカだな、と微笑みながら、僕はサイダーに改めて向き合った。 サイダーは、冷たいはずなのに、まるで、炎天下の下で汗水垂らして働く青年のように見えた。 僕は、その熱い佇まいにはっとした。 曲線を描いたグラスについた水滴。 グラスの中には、氷とともに、赤と透明の液体が入っている。 底にたゆたう赤いザクロシロップの上に、しゅわしゅわと泡立つ炭酸水。 それを銀色のストローでクルクルと混ぜ合わせると、しゅわしゅわぁ、という音とともに、綺麗な赤い飲み物ができる。 底に沈んでいた、ザクロの粒が、クルクルとその赤の中で舞った。 ストローに口をつける。 ひんやりした冷たさが気持ちいい。 と、同時に、甘くてさわやかな味が、しゅわっっとともに、広がった。 熱血漢。 そんな言葉が浮かんできた。 夏。 暑い夏には、やっぱりサイダーだろうか。