空想癖さん
33 件の小説通学路の一目惚れ 33話
もう日が落ちて、街灯に照らされながら家まで歩く。 家の前まで来ても、心臓は全然落ち着かない。 「……着いたね」 その一言が、やけに近い。 ちかはうなずく。でも、すぐにドアを開けられない。 さっき額に触れられた感触が、まだ残っている気がする。 (帰りたくない、なんて言えない) 「まだちょっと赤いね」 ふっと、また距離が縮まる。 思わず一歩下がると、背中が門に当たった。 逃げ場がない。 「本当に熱じゃない?」 いつもより少し低い声。 心配しているのが分かるから、余計に苦しい。 「……ちがいます」 声が、思ったより小さい。 「そう」 優しいのに、核心を突いてくる。 ちかは視線を泳がせる。 言えるわけない。 “あなたのせいです”なんて。 沈黙が落ちる。 夜の空気はひんやりしているのに、 自分の体温だけが異常に高い。 「ちゃんと暖かくして寝なよ」 その言葉が、胸の奥に刺さる。 なんでいつもそんなに優しいの。 なんでそんな顔で、そんな声で、好きにさせるの。 踵を返しかけたお兄さんの腕を、 気づけば掴んでいた。 少し驚いた顔。 「……放して?」 その声に、胸がぎゅっとなる。 「な、なんでそんなに期待させるんですか」 うまく呼吸ができない。 「なんで私に……そんなに……」 言葉が詰まる。 感情が溢れそうで、頭が真っ白になる。 お兄さんは何も言わない。 黙ったまま、ちかを見ている。 やがて視線を少しだけ逸らして―― 「次、今日はもう」 その“次”がある前提の声。 「……おやすみ、ちか」 名前が、夜に溶ける。 ドアが閉まったあとも、 その音がずっと耳に残っていた。
通学路の一目惚れ 32話
気づいてから全然落ち着きを戻せない。 (……顔赤すぎ?) 自分でもびっくりするくらい赤くて、鏡も見てないのに、自然と手で触れたくなる。 「……大丈夫?熱ある?」 お兄さんの声にハッとして顔を上げると、少し心配そうな瞳がこちらを見ていた。 「……え?」 あ、なんでもないって言おうとするけど、顔の熱を見逃さないお兄さん。 「顔、赤いから」 無意識におでこに手を当てられる。 指先の感触に、思わず息が止まる。 (……お兄さん、触った……?) 「…今日はもう帰ろ」 「家まで送る」 優しい声と手の感触に、ちかの顔の熱はさらに上がる。 手が震えそうで、でも自分から離せない。 (……やばい…心臓、落ち着かない…) 見上げると、お兄さんは少し微笑んで、でも真剣な目でちかを見ていた。 帰り道、お兄さんは歩幅を自然に合わせてくれて、車道側を歩いてくれる。 その距離感に、ちかの胸はぎゅうっとなる。 (……ただ、隣にいてくれるだけで、こんなに幸せなんだ…) 少しだけ手を握りそうになりながらも、我慢する。 でもその温もりと気遣いだけで、心臓はバクバク。 顔もまだ真っ赤で、笑おうとしても笑えない。 (……どうしよう、こんなに好きになっちゃって……)
通学路の一目惚れ 31話
手がまた勝手に動き、髪を耳にかけるときの感触を思い出す。 ふと気づく。 (……あ、お兄さんの耳) 小さなシルバーのピアスが、耳たぶに2つ並んでいる。 夕方の光に反射して、とても綺麗。 普段は気づかなかったけど、こうして間近で見ると余計大人っぽく見える。 「お兄さん、ピアス開けてるんですね」 「似合ってます」 思わず口に出してしまった自分にちょっと驚く。 お兄さんは軽く笑った。 その口元は、初めて会った時に見せた、自然に柔らかい表情を思い出させる。 無意識の、笑顔に心臓がぎゅっとなる。 「うん、昔開けた」 耳をこちらに向ける仕草と、返事がやさしくて。 普段は冷たく距離を保っていたお兄さん。 それが今、自然に笑って、目を細めて、ちかを見ている。 心のどこかで、ずっと遠くに置いていた答えが、確かにそこにある気がした。 (……あ、私、両思いなんだ…) それに気づいた瞬間、胸の奥が一気にぎゅっと熱くなる 嬉しくて、怖くて、でも確かに現実で。 思わず口元に両手を当てて真っ赤な顔を隠すように息を整える。 (やばい…好きすぎる…) この瞬間を壊したくなくて、好きなんて言葉には出来なかった でも、目の前にいるお兄さんが、笑っていてくれるだけで、もう十分だった。 触れなくても、声を聞かなくても、確かに「好き」で「見つめられている」ことが分かる。 ——両思いなんだ。 その思いだけで、世界が少しだけ柔らかくなる。 夕陽に染まった公園の空気も、ざわつく周りの声も、全部が二人だけのものに思えた。
通学路の一目惚れ 30話
――学校、チャイムが鳴った瞬間、いちばんに教室を飛び出した。 走って家に向かって、部屋でいつもより丁寧にメイクとヘアセット。 制服のシワをはたいて、鏡をもう一度見る。 「よし!」 いつもの通学路を駆けて、ベランダを見上げる。 「お兄さん、おまたせ!」 目が合った瞬間、胸が跳ねた。 「今から、公園かどこかで話しませんか?」 2人並んで歩く。 ベンチに腰を下ろす。 少しだけ間をあけて座ったはずなのに、気づいたら肩が触れそうなくらい近い。 (……あ) 私、 お兄さんの隣に座るの、初めてだ。 今までだって話してきた。 ベランダ越しに、道路を挟んで。 レジ越しに、電話越しに。 でも、こうして―― 同じベンチに、肩を並べて座るのは、初めて。 そう思った瞬間、 急に息の仕方が分からなくなる。 近い。 横を見ると、 お兄さんの横顔が視界に入った。 思ってたより、ずっと近くて。 まつげの影とか、鼻の形とか、 今までちゃんと見たことなかったところばかりで。 (……きれい) 好きな顔だ、って 遅れて自覚する。 気づいたら、 勝手に手が動いていた。 少し長くて、さらっとした髪。 耳にかけると、指先が一瞬だけ触れる。 「……綺麗」 声に出てから、はっとする。 お兄さんが、 体は動かさずに、目だけをこっちに向けた。 「……なに?」 低い声。 驚いてるのに、拒む気配はなくて。 その距離のまま、 離れない。 (……あ) この人、逃げない。 触れられても、 見つめられても、 困った顔をするだけで、立ち上がらない。 その瞬間、胸の奥が一気に熱くなった。 違う。 これは、優しさじゃない。 (……私) (…隣にいてもいいんじゃないかな)
通学路の一目惚れ 29話
朝、ベランダに出てタバコに火をつけ、道路をぼんやり眺める。 「おはようございます!」 一瞬、息が止まる。 いつもと違う、自信を持ったような声。 「…おはよ」 昨日までの距離感を思い出す。 必要最低限しか喋らなかった自分。 嫌な予感が、胸を締めつける。 「夕方、会いたいです。」 (は、?) 頭が真っ白になる。 あの真っ直ぐで、断るのが嫌になるくらいな目。 考える前に、口が先に動いた。 「いいよ、」 ちかの顔がぱあっと明るくなる。 (可愛い…だめだな…) 「ありがとうございます!!」 少し笑って、緊張がほぐれたような笑顔。 「テスト、頑張って」 「はい!」 嬉しそうな足取りで、去る後ろ姿。 ベランダの手すりに肘をつき、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。 (…夕方まで、耐えられるかな…) 夕方、何が起こるんだろう。 恐怖と不安。でも、会える少しのうれしさ。 何が起こるかなんて、考えたくない。
通学路の一目惚れ 28話
電話を切ったあとも、しばらくスマホを握ったまま動けなかった。 (……好きって言っちゃった) 冗談でも勢いでもなく、たぶん本音。 布団に仰向けになり、天井を見る。 (でも……否定されなかった) 受け止められたわけじゃない。 でも、拒まれた感じもしなかった。 ——それが、余計にずるい。 翌日も、その次の日も。 お兄さんは変わらない。 LINEは短い。 必要なことだけ。 優しくはない。 でも、冷たすぎもしない。 (……距離、保たれてる) 分かってるのに、心はざわつく。 ある日の夜。 問題を一通り解き終えて、通話もそろそろ終わるタイミング。 「……ありがとうございました」 いつもの言葉。 「うん」 短い返事。 ——ここで切れば、いつも通り。 なのに。 「……あの」 自分でも驚くくらい、声が小さかった。 「なに」 「……テスト終わったら」 一瞬、沈黙。 (あ、言っちゃった) 「……終わったら、もう連絡しちゃダメですか?」 「……」 「もう、電話もできないですか?」 心臓がうるさい。 「……」 間が、長い。 「……今は、テストの話しよう」 はっきり線を引く声。 (あ) 分かってたはずなのに。 「……はい」 それだけ返して、通話はそのまま続いた。 でも。 (……聞いちゃいけなかった) そう思いながら、胸の奥がじわっと痛んだ。 ーーーーーー 通話の向こう側から、ちかの声が小さく漏れる。 「……テスト終わったら、もう連絡しちゃダメですか?」 胸がギュッとなる。思わず手のひらを握りしめる。 でも、声の震えと、あの小さな勇気が痛いほど伝わる。 (…ずるい) 「……今は、テストの話しよう」 自分でも驚くくらい、冷たく聞こえないように線を引いた声。 頭では正しいことだと分かっている。 でも、胸の奥はじんわり痛む。 (……ごめん、優しくできない) その後も、問題の解き方を説明しながら、声のトーンは意識して落ち着かせる。 優しくない、でも冷たくもしない——その微妙な距離を保つために。 通話の向こうで、ちかが少しだけ言葉に詰まる。 「……はい」 その一言が、こんなにも胸に刺さるなんて思ってもみなかった。 ——我慢しないと。 これが一番いい選択。 指がスマホの画面を握り直す。 心の奥では、もう少しだけちかの声を聞きたい自分がいる。 今のが正解だから ——それだけを、自分に言い聞かせながら、通話を続けた。 通話を切ったあとも、 しばらくスマホを握ったまま、動けなかった。 胸の奥に、じんわり残る痛み。 (……痛いな) 心のどこかで、 ちかの声を、もう少しだけ聞きたいと思っている自分がいる。 我慢と、好き。 その二つが絡まって、 焦りと自己嫌悪が混ざり合い、頭が少し重くなる。 (……これから、どうすればいいんだろう) 手元のスマホを見つめながら、 答えの出ない問いに、ただ息を吐く。 それでも。 自分の心を抑えながら、 今日も「優しいお兄さん」でいよう。
通学路の一目惚れ 27話
朝、少しだけ話せたのが嬉しくて。 また、教えてもらいたくて。 (……誘えるようになってきたし) 通学電車に揺られながら考えて、 また勉強のことで誘ってみる。 断られてもいい。 ただ、話したかった。 『今日も、分からないところあったら聞いていいですか』 トーク画面を開いて、送信。 少しして。 『テスト前だけだよ』 ——テスト前が、 こんなに幸せな時間に変わるなんて。 前の私なら、きっと想像もできなかった。 その日は不思議と嬉しくて、 「頑張ろう」って気持ちになれて。 授業も、ちゃんと頭に入った。 夕方。 急いで帰って、部屋に駆け込む。 教科書を開きながら、ふと思う。 (お兄さん、何してるかな) トーク画面を開く。 『今、大丈夫ですか?』 返事を待つ時間も、最近は楽しい。 ——だって、絶対返してくれるから。 『大丈夫だよ』 少しして、返信が来た。 電話を繋ぐ。 声を聞く。 まだ慣れないけど、 たまらなく幸せな時間。 「……ここ。二次関数は、式よりグラフで考えた方が早いよ」 淡々としていて、分かりやすい説明。 (……あれ? なんか、冷たい?) 「あ、ここですか?」 少し遅れてしまった返事。 「そう。だから——」 その途中で、 近くに置いてあったコップを倒してしまった。 ガタン。 「あっ、すみません! コップ倒しちゃって」 「……大丈夫?」 ——声が、柔らかい。 (……今の) 確かめたくなってしまった。 「……今の」 「なんか、いつもより優しかったです」 言えた。 「……気のせいじゃない?」 少し、逸らすような言い方。 それが可愛くて、思わず笑ってしまう。 「そうですか?」 「……早く拭いて」 「さっきの声、好きです」 ——言っちゃった。 抑えられなかった。 好きって気持ちが、溢れてしまって。 「……問題、解けそう?」 話題を逸らされた。 「はい。たぶん……」 (……でも) 冷たいふりしてるのに。 声だけ、ずるい。
通学路の一目惚れ 26話
ベランダから戻って、 カーテンを開けないまま、床に座った。 静かだ。 だから余計、余韻に浸ってしまう。 (……あの声) 「おはようございます」 少しだけ震えていて、 それでも、ちゃんと目を見て言ってくれた。 (……輝いてたな) 思わず、笑ってしまうくらい。 スマホを手に取る。 さっき送った「よかった」の文字。 それだけで、 あんなに嬉しそうな顔をされるなんて。 (俺が、勘違いさせてどうする) ——期待させない。 ——踏み込まない。 自分で決めた条件なのに。 (テスト、近いんだよな) ちかの言葉を思い出す。 「焦ってます」って、笑いの絵文字付きで。 あれは、 助けてって意味だ。 小さく、息を吐く。 (……勉強だけ) それ以上は、 俺が耐えられなくなる。 スマホを握り直して、 自分に言い聞かせる。 冷たくする。 距離を保つ。 でも—— テストが終わるまでは。 困ってる間だけは、 ちゃんと隣にいる。 教える。 支える。 それ以上は、しない。 画面に、通知。 ちかから。 『今日も、分からないところあったら聞いていいですか?』 一瞬、目を閉じる。 (……ずるいな) 俺の方が。 指が動く。 『テスト前だけだよ』 感情を削ぎ落とした、 必要最低限の文章。 送信。 胸の奥が、少し痛んだ。 (これでいい) そう思わないと、 たぶん、俺の方が先に壊れる。 ——テストが終わるまでは。 それまでは、 「優しいお兄さん」でいよう。 その先は、考えない。 ……考えたくない。
通学路の一目惚れ 25話
スマホが震えたのは、 ベランダのドアを開けた直後だった。 空が、少し白んでいる。 夜勤明け。 一日の終わりと、始まりのあいだみたいな時間。 煙草は、紛らわすため。 吸いたかったわけじゃない。 ただ、それを理由にベランダへ出ただけ。 ……言い訳だな。 スマホを見る。 ちか。 『昨日はありがとうございました!』 『すごく分かりやすかったです!』 ——既読。 その二文字をつけた瞬間、 胸の奥が、きゅっと縮んだ。 (……律儀すぎる) たったそれだけの文章なのに。 飾り気なんて、どこにもないのに。 ちゃんと「嬉しかった」って、伝わってくる。 ベランダの手すりに、肘をつく。 朝の空気は冷たくて、 少しだけ、頭が冴えた。 (俺、何やってんだ) 優しくしすぎないって、決めてた。 教えるだけ。 それだけの関係でいるはずだった。 ……なのに。 スマホの画面に、もう一度視線を落とす。 「すごく分かりやすかったです」 その一文が、 やけに胸に残る。 ——安心したって言ったのは、俺の方だ。 少し緊張した「もしもし」。 無自覚に笑った、あの一瞬。 (……だめだろ) 手すりを握る指に、力が入る。 それでも。 既読をつけたまま、 返さないのは、もっとずるい気がして。 画面に、文字を打つ。 消して。 また、打って。 迷った末に残ったのは、 たった一言。 『よかった』 送信。 ベランダの向こうで、 空がちゃんと朝になっていた。 (……俺、もう) 踏み込んでるな。 そう自覚したときには、 少し、遅かった。 煙草を吸い終えて、 部屋に戻ろうとした、そのとき。 「お兄さん! お、おはよう、ございます…」 聞き覚えのある声。 少し緊張していて、 でも、勇気を出したのがはっきり分かる、まっすぐな声。 思わず、足が止まる。 一拍おいて。 「……おはよ」 短く返す。 それでいい。 「昨日はありがとうございました!」 LINEでも。 こうして、顔を合わせても。 ちゃんと感謝を伝えてくる。 (……優しい子だな) 「……うん」 それ以上、言葉が続かなくて、 頷くことしかできなかった。 ベランダのドアを閉めて、 部屋に戻ってからも、胸の奥が落ち着かない。 あの声。 あの目。 (……好きになりかけてる) そう気づいた瞬間、 思ってはいけないことだって分かってるのに。 自覚してしまったぶん、 余計に、逃げ場がなくなった。
通学路の一目惚れ 24話
机に突っ伏したまま、しばらく動けなかった。 耳の奥に、まだ声が残っている気がして。 (……電話、終わったのに) スマホの画面は、もう暗い。 でも、さっきまで確かに――つながっていた。 声も。 同じ時間も。 布団に転がって、天井を見る。 (……お兄さんから、誘ってくれたんだよな) ——安心したから。 その一言が、何度も頭に浮かぶ。 嬉しくて、勇気を出してよかったって、思えた言葉。 スマホを手に取って、もう一度トーク画面を開く。 ……送りたい。 でも、夜はだめだよね。 (明日の朝まで、我慢……) ⸻ 朝。 少しだけ早く目が覚めて、布団の中で考える。 「ありがとうございました!」だけじゃ、足りない気がして。 でも、長いのは重いかな、とか。 考えて、考えて。 結局、送ったのは。 『昨日はありがとうございました!』 『すごく分かりやすかったです!』 送信。 既読は、まだつかない。 (……寝ちゃってるのかな) ちょうど、夜勤が終わる時間だし。 そう思うのに、画面から目が離せない。 ——早く起きて、支度しなきゃ。 でも。 (もし、返ってきたら……) そんなことを考えてしまう自分に、 少しだけ、苦笑した。 (……だめだな、私) 布団をはがして、ベッドから出る。 今日もきっと、 そわそわして、授業に集中できない気がした。