徳永
7 件の小説邂逅
「現在見ている太陽の光は、8分前の光。おおいぬ座のシリウスから届く光は、7年前。知ってた?」 彼は病室で、持参したクッキーを食べる私に自慢げに言った。 知らなかったが、どこかで聞いたことあるような話だったので「ネットで得た知識をそんな鼻高々に話さないの」と一蹴した。 いわゆる職場恋愛をし、同棲を開始した直後に、彼の膵臓に癌が見つかった。 彼はとても前向きで明るい性格の為、病人という感じが全くなく、私自身も彼の病気は治るものだと信じきっていた。 彼の両親も私に気を遣い、病気が治らない事は知らされていなかった。 3ヶ月後、私にとっては、唐突に。 彼は亡くなった。 暫くしてから、ひとりでは広すぎるマンションの片付けをゆっくりと始めた。 始めは呆然としながら、動いて止まってを繰り返し、ゼンマイ仕掛けの人形のように彼との思い出をしまい込んでいった。 ある程度高価そうな物は、ご両親に返すように荷物をまとめていく。 それまで触らなかったラップトップのPCを念の為開ける。 私宛の手紙が挟まっていた。 中には「食器棚の上の棚の一番右」と書かれていた。 食器棚の上の棚の一番右を見ると、また手紙が挟まっている。 次は床下収納。その次は洗面台の下、また更にその次はクローゼットの中など、次々と指示に従い手紙を探していく。 彼に導かれるように私は「彼」を探した。 最後は、私が大切にしていたアクセサリーケースの下に封筒があった。 開くと、笑顔の私達の写真が入っており、その裏には、 「また会えたね」 と、彼の優しいまる字で、書かれていた。
誰そ彼
その日、小学生だった僕は居残りでドリルをさせられていた。 平成初期は未だ、昭和の風土が残っており現在のようにコンプラなどの意識は皆無だった。 ちょうど今くらいの、11月にもならない10月の終わり。 夕日が差し込む教室で、僕は一人「早く帰りたい」と焦っていた。 ドリルを終わらせ、誰も居ない廊下を走り職員室へ向かう。 長い廊下は暗く何処までも続くかのように見えた。 先生にドリルを確認してもらい、急いで家路を急ぐ。 夕日が沈みかけて、自分自身の影が長く伸びており、その自分の影を追うように運動場を走る。 校庭の出入り口を目指していると、その時、ふっと自分の影の横にもう一つ影が現れ二つ並んだ。 えっ、と思い立ち止まり振り返る。 誰もいない。 ただただ寂しい校舎が、ぼーっと立っていた。 僕は恐ろしくなり、全身の毛を逆立てながら、文字通り一目散に走った。 息を切らして自宅にたどり着く。 仕事帰りの母と玄関で、ちょうど居合わせた。 叱られると覚悟したが、母は、 「あれ?誰かと一緒じゃなかった?走ってる姿が二人居たように見えたんだけど」 と呟いた。 僕はまたもや全身の毛を総毛立たせ、泣きべそをかきながら母にすがりついた。 その日の夜、おばあちゃんが教えてくれた。 夕日が沈む頃の黄昏れ(たそがれ)時の語源は、 「たそかれ」 と言い、薄暗くて人の見分けがつきにくい時刻のことで、 「誰(た)そ彼(かれ)」 「あれは誰? 」という意味だということを。
ありがとう、と言う。
20代半ばを超えた頃、唐突に、元彼に振られた。 あれからもう一度冬を迎える。 友人達の結婚ラッシュが続いていた時だった事もあり、起伏の激しい感情のうねりをなんとか抑えつけて過ごした。 そして疲れ果ててしまい、全てどうでもよくなってきた頃だった。 仕事の忙しさも合わさり、眠れない日が続いていた。 そこまで名の知れていないゲーム配信者の動画をASMR代わりに眺める。 詳しいことは分からないけれど、機械やマイク、スピーカーなどに拘りを魅せる彼の配信は男性視聴者も多い様だった。 それまで淡々と配信していた彼は、急にうつ病を告白する。 ゲーム配信だけでなく、クリエイターとしてテクノやダンスミュージックなどの曲も作って発表していた彼からは想像も出来なかった。 配信や投稿が時折数週間も空いてしまうのは、そういった理由があっての事だったのだ。 それまで、さほど興味を持たずにただ眺めていただけだったのに。 自分自身の深く濃い喪失感とまだらでグラデーションがかった自己否定が共鳴する。 彼はいつもとは違う真面目な顔で、忙しさの中でいつの間にか疲れが取れず、ベッドから起き上がれない日が増えていったと話す。 「辛い」と言葉にも出来ずに「なんで」「どうして」と一向に立ち直ることの出来ない自分がそこに居た。 頬に入る縦の皺と笑顔が急に切なく見え、彼の作る音が、どんな人も弱い人であり皆一緒なんだと教えてくれた。 朝、いつものように出勤する。 彼の苦悩を知り、彼の前向きな音を聴いていると、いつもの景色の色彩がワントーン上がって見えた。 初めて「推し」の意味を理解する。 見返りは求めず応援したい。こういう感情のことなんだろう。 正直に。 希死念慮は無いけれど、もう生きることに疲れたとは思っていた。 いつの間にか流れる涙の意味も分からず、これ以上頑張れないとも感じていた。 配信者の彼は、写し鏡で教えてくれる。 「元気になろうとしなくていい。そのままの君でいい。ゆっくり歩こう」と。
藍色の空の下、月を見て君を思う
こんなに都心から離れた小さな駅近くのアパートからでも、東京の空では星が見えない。 けれど、雲に少し隠れながら、月だけはそこに居た。 大学進学の為、上京して一年。 バイトや一人暮らしにも慣れ、大学でもそれなりに話しが出来る友達ができた。 上京前、高校は違ったけれど、同じ塾に好きな人がいた。 君は地元の大学への進学が決まっていた。 流行りの髪型などではなく、自然体で清潔感のある彼は、なぜかよく話しかけてきてくれていた。 恋愛をきちんとした事の無い私は、はじめ動揺したけれど、それでもやはり、嬉しかったし、楽しかった。 田舎の塾は、主要な駅の近くにある事が多く、山や海側に住む子たちは皆そこまで自転車でやってくる。 私たちも漏れずにその部類で、彼は30分かけて自転車で通っていた。 私の自宅近くまで一緒に帰る15分程度の道。 どちらから敢えて声を掛けるわけでもなく、それでも横並びに自転車を押して、藍色の空の下を並んで歩いて帰る。 沢山の星が瞬いていたのに、私たちは見上げる事もせず話し続けた。 お互いの高校の話、先生、友達の話、家族の話。 彼の笑った時の頬に出来る縦の皺。 一緒に飲んだコンビニのホットドリンク。 じゃあ、と言って別れる時の少し寂しげな影。 「…上京するんだ」 そう言った時の、君の顔。 私達が会った最後の日、君はそっと抱きしめてくれた。 「好きでした」 「私も」 星の見えない空の下で、月を眺める。 SNSで、君には彼女が出来ている事も知っている。 それでも、 今でも月を見ると、 君を思い出してしまう。
首の匂いが嗅ぎたくなる
今はもう。 あなたにの横には、きっと別の女の人がいて。 私のことなんて、とっくのとうに忘れているのだろう。 それでもね。 この時間になると思い出すんだよ。 あなたの腕に頭を乗せて、耳の下から隆起した首筋に顔を寄せる。 忘れられない、あなたの匂い。 私も、早く忘れたいんだ。 だからさ。 教えてよ。 あなた以上の人。
月
僕は常に穴の底にいた。 穴の底から見上げる月はとても明るく、綺麗だった。 土の匂いと暗がりには慣れ親しんでおり、時々顔を覗かせる土竜とは友達だった。 ある日、可愛いらしい女の子が覗き込み、僕に向かって「何でそこにいるの?」と声を掛けてきた。 僕は考えてみたけど分からなかったので「分からない。生まれた時からここに居るから」と答えた。 女の子は不思議そうな顔をした後に、きらきらとした眼で、 「おいでよ」 と言った。 そう言われて初めて、穴の外を意識した。 それまで考えてみた事も無かった世界。 穴の、外。 僕は土の壁を触り、ゆっくりと手を上に伸ばしてみる。 本当にゆっくりと、月を掴むように、女の子のそばかすを数えるように、上を見上げながら、穴の壁面に足と手をかけ登る。 外の匂いが強く漂ってきた。 目だけ覗かせて見た穴の外の世界は、月明かりに照らされながら、緑と花々が風に揺れとても良い匂いがした。 踏みしめた大地が、ぞくぞくするほど心地よい。 柔らかな風に包まれながら緑の中に立つ。 胸がどきどきする。 生まれて初めて感じた感覚に身体がついていかない。 何をどうしたら良いのだろう。 その時、女の子の後ろから巨大な黒い影が、何かを僕に向かって撃った。 大きな破裂音と共に、僕の左足をかすめ血が吹き出す。 僕は恐怖で穴の底に飛び降りた。 見上げる。ギラギラと光る目が二つ覗き込んでいた。 僕は恐怖で言葉を失う。 穴の外はなんて恐ろしい世界だろうか。 ギラギラした眼の男と女の子は何処かへ消えて行った。 月が優しく覗き込む。 僕はここが良い。 この穴の底から見上げる月ほど美しいものは無い。 始めから穴の底にいる者は「底」にいる事で安堵を覚えるものだ。
目覚め
僕は最低単位数を取るだけの為に大学へ行っていた。 生きていく上で「行った方が良い」から仕方なく行く。 社会という獄に入るまでの執行猶予だ。 それ以外は自宅でオンラインゲームに時間を費やしている。 美しいアニメーションで、自由に山の中の村や石造りの都市を冒険できるオンラインRPGに嵌っていた。 ストーリーを進めていくと、協力プレイが可能となり、他のプレイヤーとチャット交流が可能になる。 その中で特に仲良くなったプレイヤーの娘がいた。 僕たちは一週間に数回、Discordでボイスチャットをする。 彼女を好きになるのにはそう時間はかからなかった。 水色のロングヘアのキャラクターを通して、勝手な妄想でワンピースを着た彼女を想像する。 文字での会話の内容と、ボイスチャットでの彼女のゆったりと柔らかで高めの声を脳内で組み合わせ、自分の中での彼女が作られていった。 僕は夢を見る。現実に彼女と会い、愛を育む夢を。僕には何故か自信があった。 僕からVideoで会いたいと伝えた。 「...」の表示が永遠にも感じられる。 かなり時間がかかり、文字が入力される。 「…本当にごめんなさい。実は…結婚してるの。このままの関係じゃ、ダメかな?」 目の前が、文字通り真っ暗になり、僕の中の理想像が、足下からがらんがらんと音を立てて崩れていった。 暗闇の中。モニターの灯りに照らされた僕は。 夢なら良いのに、そう思った。