宵依 (よい)
71 件の小説好きなのに、苦しい
好きな人ができて、付き合うことになった時。 私は、これから毎日がもっと楽しくなるんだと思っていた。 朝起きたら「おはよう」を送って、 夜になったら「おやすみ」を言い合って。 時間が合えば通話をして、 今日あった出来事を話して、 たまにはくだらないことで笑い合って。 そんな当たり前みたいな日常を想像していた。 でも現実は、思っていたものとは少し違った。 相手が悪いわけじゃない。 それは分かっている。 ただ、連絡に対する考え方が違った。 私は連絡を大事にしたい人だった。 長文じゃなくていい。 何時間も話さなくていい。 「おはよう」 「今から仕事だよ」 「おやすみ」 本当にそれだけでもいい。 相手が今日も元気でいてくれていること。 私のことを思い出してくれていること。 それが分かるだけで安心できるから。 だけど、相手はそうじゃなかった。 返信が数時間空くこともある。 半日返ってこないこともある。 既読だけついて終わる日もある。 もちろん仕事もある。 友達との時間もある。 趣味もある。 全部分かっている。 頭では理解している。 それでも、心はなかなか追いついてくれなかった。 スマホを見る。 通知は来ていない。 少し時間を置く。 また見る。 やっぱり来ていない。 そんなことを何度も繰り返してしまう。 気付けば、スマホを確認する回数ばかり増えていく。 返信が来ないたびに考える。 忙しいのかな。 疲れて寝ているのかな。 私が何か嫌なこと言ったかな。 何か気に障ることをしたかな。 嫌われたのかな。 冷められたのかな。 本当は聞いてもいないのに、一人で勝手に答えを探してしまう。 そして勝手に傷つく。 勝手に不安になる。 勝手に泣いてしまう。 相手は何も言っていないのに。 何も終わったわけじゃないのに。 それでも、返ってこない画面を見ていると、どんどん悪い方へ考えてしまう。 恋愛って、もっと幸せなものだと思っていた。 もちろん幸せな瞬間もある。 声を聞けた日。 優しい言葉をもらえた日。 好きだと言ってもらえた日。 そんな日は本当に嬉しい。 何度でも思い出したくなる。 だけど、その幸せが大きいからこそ、会えない時間や話せない時間が苦しくなる。 好きだから寂しい。 好きだから不安になる。 好きだから会いたくなる。 好きだから声が聞きたくなる。 そんな当たり前の感情を抱えているだけなのに、時々自分が重たい人間なんじゃないかと思ってしまう。 連絡が欲しいと思う私はわがままなのかな。 寂しいと思う私は面倒なのかな。 もっと大人にならないといけないのかな。 もっと一人でも平気にならないといけないのかな。 そんなことまで考えてしまう。 最近は、自分ばかりが悩んでいる気がしている。 相手は普通に毎日を過ごしているのに。 私は一人で考えて、一人で落ち込んで、一人で泣いている。 そんな気持ちになることが増えた。 そして、そんな毎日を繰り返しているうちに、自分でも少し怖くなることがあった。 誰かが優しくしてくれた時。 話を聞いてくれた時。 「大丈夫?」と言ってくれた時。 その言葉に救われてしまう自分がいた。 もちろん浮気をしたいわけじゃない。 今付き合っている人を裏切りたいわけでもない。 好きじゃなくなったわけでもない。 むしろ、まだ好きだと思う。 だけど、人は弱い。 寂しい時に差し出された優しさに、心が少し揺れてしまうことがある。 それが恋なのか。 ただの依存なのか。 安心したいだけなのか。 正直、自分でも分からない。 ただ一つ分かるのは。 私は今、すごく寂しいということ。 本当はたくさん連絡が欲しいわけじゃない。 四六時中構ってほしいわけでもない。 ただ、 「おはよう」 「おつかれさま」 「おやすみ」 その一言だけで安心できる日もある。 たった数秒で送れる言葉なのに、その数秒が届かないだけで、こんなにも苦しくなるなんて思わなかった。 好きって何だろう。 付き合うって何だろう。 価値観が違っても続けられるものなのかな。 それとも、好きだけじゃ埋められないものもあるのかな。 答えはまだ分からない。 でも今の私は、泣きながらでも、この気持ちと向き合うしかない。 好きだからこそ苦しい。 好きだからこそ離れられない。 好きだからこそ悩んでしまう。 そんな矛盾を抱えながら、今日も私はスマホの画面を見つめている。
優しさの種
ある町の片隅に、小さな花屋がありました。 その花屋のおばあさんは、少し変わった人でした。 花を買いに来たお客さんへ、お釣りと一緒に小さな種を渡すのです。 「これは何の種ですか?」 そう聞かれると、おばあさんは決まって微笑みながら言いました。 「優しさの種だよ」 もちろん、本当にそんな花があるわけではありません。 けれどおばあさんは、誰にでもその種を渡しました。 ある日、学校で失敗して落ち込んでいた女の子が花屋を訪れました。 おばあさんは花束と一緒に種を渡し、 「この種はね、人に優しくすると育つんだよ」 と言いました。 女の子は不思議に思いながらも、その言葉を心に残しました。 翌日、教室でひとりぼっちになっていた子に「一緒に帰ろう」と声をかけました。 すると、その日の夜。 机の上に置いていた種から、小さな芽が出ていました。 驚いた女の子は、それからも誰かに優しくするようになりました。 消しゴムを落とした子に拾ってあげたり。 泣いている友達の話を聞いたり。 ありがとうと言われるたび、芽は少しずつ大きくなりました。 やがて芽はつぼみになり、美しい花を咲かせました。 女の子は嬉しくなり、おばあさんに報告しに行きました。 しかし花屋は閉まっていて、おばあさんの姿はどこにもありませんでした。 近所の人に尋ねると、不思議そうな顔をされました。 「この場所に花屋なんてあったかい?」 女の子は驚きました。 あの花屋も、おばあさんも、誰も知らないと言うのです。 けれど、手の中には確かに咲いた花がありました。 その花びらには、小さな文字が浮かんでいました。 『優しさは、人から人へ渡る贈り物』 女の子はその言葉を見て気付きました。 自分が誰かに渡した優しさは、その人の心に残り、また別の誰かへ渡っていく。 そうやって優しさは広がっていくのだと。 だから今日も世界のどこかで、誰かの小さな優しさが花を咲かせている。 見えないだけで、その花はきっとたくさん咲いているのだろう。
立ち止まった五ヶ月、進んだ五ヶ月
適応障害とうつ状態で休職して、その後退職を選んでから今日で五ヶ月が経った。 「もう五ヶ月か。」 カレンダーを見ながら、そんな言葉が自然と口からこぼれた。 退職した当時は、とにかく毎日を生きるだけで精一杯だった。 朝が来るのが怖くて、電話の音に怯えて、何もしていないのに涙が出る日もあった。 保育士になることは昔からの夢だった。 子どもたちと関わる仕事がしたくて、勉強も実習も頑張って、ようやく立てたスタートラインだった。 だからこそ、休職も退職も悔しかった。 「自分が弱かったのかな。」 「もっと頑張れたんじゃないかな。」 そんなことばかり考えていた。 だけど、今振り返ると、あの時の私は頑張りすぎていたのかもしれない。 心も体も限界だったのに、「まだ大丈夫」と言い聞かせていた。 退職してからの五ヶ月は、決して順調だったわけじゃない。 昼夜逆転したり、外に出るのが怖かったり、何もやる気が出ない日もあった。 今だって完全に元気になったわけではない。 それでも、この五ヶ月で少しずつ変わったこともある。 好きなことを楽しめる日が増えた。 創作をしたり、配信をしたり、誰かと笑い合ったり。 将来のことを考える余裕も少しだけ戻ってきた。 回復というのは、ある日突然「治った!」となるものではないらしい。 一歩進んで、半歩下がって。 調子が良くなったと思ったら落ち込んで。 そんなことを繰り返しながら、少しずつ前へ進んでいく。 だから最近は思う。 焦らなくてもいいのかもしれない、と。 周りと比べなくてもいいのかもしれない、と。 今の私は、働くためではなく、生きるために休んでいる。 それだけは忘れたくない。 五ヶ月前の私へ。 ちゃんと未来は続いているよ。 まだ不安はあるし、迷いもある。 でも、少しずつ笑えるようになっているよ。 そして今の私へ。 ここまでよく頑張ったね。 今日も生きていてくれてありがとう。 五ヶ月という時間は、決して無駄じゃなかったと思う。
まだ六月なのに
最近、外に出るたびに思う。 「本当にまだ6月?」 天気予報を見ると、気温は30度を超えていて、ニュースでは真夏日だの猛暑日だのと言われている。 体感的にはもう7月の終わりか8月だ。 子どもの頃の6月といえば、梅雨でジメジメはしていても、今みたいな暑さではなかった気がする。 朝や夜は少し肌寒くて、長袖を着る日もあった。 それなのに今年は違う。 朝から暑いし、少し外を歩くだけで汗をかく。 買い物に行くだけで体力を持っていかれるし、帰ってくる頃にはぐったりしている。 まだ夏本番じゃないはずなのに、すでに「早く秋にならないかな」なんて考えてしまう。 そして最近いちばん困っているのが夜だ。 夕方になると少し風が吹いて、「あれ、意外と涼しいかも」と思うことがある。 昼間の暑さが少し和らいで、ようやく過ごしやすくなってきたなと思う。 なのに、夜になるとまた暑い。 布団に入った瞬間から暑い。 寝返りを打っても暑い。 足を布団の外に出してみても暑い。 眠いはずなのに、暑さでなかなか寝つけない。 時計を見ると深夜1時や2時になっていて、「早く寝なきゃ」と焦るのに、余計に眠れなくなる。 窓を開ければ涼しい風が入ってきた昔の夏が少し恋しい。 今は窓を開けても生ぬるい風しか入ってこなくて、結局暑さから逃げられない。 まだ6月。 カレンダーだけ見れば夏は始まったばかりだ。 なのに、もう夏の終わり頃のような暑さを感じている。 これから本格的な7月や8月になったら、一体どうなってしまうんだろう。 そんなことを考えながら、今日も暑くてなかなか眠れない夜を過ごしている。
〝ありがとう〟とは言えない父へ
※募集主ですが、せっかくなので私も参加してみようと思います。 父の日の思い出と呼べるほど温かい話ではありませんが、私にとっての「父の日」について書いてみます。 もうすぐ父の日らしい。 テレビや広告では「お父さんありがとう」という言葉をよく見かける。 だけど、私はその言葉を素直に口にできない。 私の父は、今でいうイクメンとは程遠い人だった。 雨が降った日に母が「洗濯物を取り込んでおいて」と連絡をしたことがあった。 帰宅した母が見たのは、自分の洗濯物だけを取り込んだ父の姿だった。 私と母の洗濯物は雨に打たれてびしょ濡れだった。 オムツも替えない。 家事もしない。 子どもより自分の趣味が優先だった。 バイクやゴルフ。 父親としての思い出よりも、そういう記憶の方がずっと多い。 父の不注意で車のドアに手を挟まれたこともある。 痛かったことよりも、「この人は本当に私のことを見ているのだろうか」と思ったことを覚えている。 保育園の年中の頃、両親は離婚した。 幼かった私はよく分かっていなかったけれど、大人になった今なら母がどれだけ大変だったのか想像できる。 養育費も満足に振り込まれない。 正直に言えば、感謝より先に怒りが浮かぶ。 それでも父の日が来るたびに思う。 父親らしいことを何一つしてもらえなかったからこそ、私は将来、自分の子どもを大切にできる大人になりたい。 反面教師という言葉はあまり好きではない。 けれど父は、私に「親として何が大切か」を教えてくれた人なのかもしれない。 ありがとうとは言えない。 でも、あなたみたいにはならない。 それが私から父への言葉だ。
紫陽花は、色を変える花
六月になると、道端に紫陽花が咲き始める。 雨の日は嫌いだという人も多いけれど、不思議と紫陽花を見ると、少しだけ雨を許してもいい気持ちになる。 晴れの日に見る紫陽花も綺麗だけれど、やっぱり一番似合うのは雨だと思う。 しとしとと降る雨に濡れながら、静かに咲いている姿はどこか人間に似ている。 紫陽花は土によって色を変える花だという。 青になったり、紫になったり、ピンクになったり。 同じ花なのに、置かれた場所によって姿を変える。 それを知った時、私は少しだけ安心した。 人も同じなのかもしれないと思ったからだ。 昔の自分と今の自分が違うのは当たり前で、環境や出会う人によって考え方も変わる。 好きなものも、嫌いなものも、夢も、少しずつ色を変えていく。 けれど、色が変わったからといって、その花が別の花になるわけではない。 青い紫陽花も、紫の紫陽花も、どちらも紫陽花だ。 人もきっと同じだ。 弱くなった日があってもいい。 泣いてしまう日があってもいい。 前より少し立ち止まってしまったとしても、それは駄目なことではない。 ただ、その時の色になっただけなのだと思う。 雨の日が続くと、空ばかり見上げてしまう。 早く晴れないかな、と。 けれど紫陽花は、晴れを待ちながらも雨の中で咲くことをやめない。 「雨だから咲けません」 そんな言い訳をせず、静かにその場所で花を開いている。 だから私は、紫陽花を見るたびに少しだけ励まされる。 人生にも雨の季節がある。 うまくいかない日や、先が見えない日。 誰かと比べて落ち込む日。 自分の色が分からなくなる日。 そんな日々が続くこともある。 でも、雨が降るからこそ咲ける花があるように、苦しい時間の中でしか見つからないものもあるのだろう。 六月の帰り道。 傘を差しながら足元を見ると、小さな紫陽花が咲いていた。 誰かに褒められるためでもなく。 誰かに見つけてもらうためでもなく。 ただ、そこに咲いていた。 その姿が少しだけ眩しく見えた。 私もいつか、そんなふうになれたらいい。 晴れの日だけではなく、雨の日も。 自分の色のまま、静かに咲いていられる人に。
セレナーデのような恋
恋をすると、少しだけ世界の色が変わる。 空が綺麗に見えたり、何気ない音楽の歌詞が胸に刺さったり。 今まで気にも留めなかった深夜の静けさが、妙に愛おしく感じたりする。 だけど、片思いは不思議だ。 好きになればなるほど、期待してはいけないと思う。 相手の一言で嬉しくなってしまう自分を知っているから。 少し優しくされただけで、「もしかして」と思ってしまう自分を知っているから。 だから私は、期待しないようにしている。 通話をしてくれても。 「おやすみ」と言ってくれても。 一緒にゲームをしてくれても。 それはただの優しさなのかもしれない。 期待した先にあるものが、自分の望んだ答えじゃなかった時の苦しさを知っているから。 それでも。 通知が来れば嬉しいし、声を聞けば少し安心する。 恋なんてしていないふりをしても、胸の奥は正直だ。 好きな人に好きになってもらいたい。 その気持ちは、きっと誰だって同じだと思う。 だから私は、自信がないなりに頑張る。 もっと素敵な人になりたい。 もっと笑顔が似合う人になりたい。 もっと胸を張って隣に立てる人になりたい。 叶うかどうかは分からない。 もしかしたら、この恋は私だけのセレナーデで終わるのかもしれない。 それでもいい。 誰かを好きになれたこと。 その人の幸せを願えたこと。 その人の声を聞いて、今日も少し頑張ろうと思えたこと。 それだけで、この恋には意味がある気がするから。 今夜も私は、期待しないようにしながら。 少しだけ、あなたのことを考えている。
私の恋人はユーフォニアム
きっと恋だった。 そう思うくらい、私はユーフォニアムが好きだった。 朝、登校すると真っ先に楽器庫へ向かう。 ケースを開けて、楽器を取り出す。 銀色のベルが光を反射するのを見るだけで少し嬉しくなった。 マウスピースを付ける。 音を出す。 たったそれだけのことが楽しかった。 中学の頃は違った。 部活へ向かう足取りは重かった。 練習が始まる前から疲れていた。 でも高校では違った。 今日はどんな音が出せるだろう。 今日は昨日より上手くなれるだろうか。 そんなことを考えながら音楽室へ向かっていた。 それが嬉しかった。 吹奏楽が楽しい。 そう思えたことが嬉しかった。 もちろん楽しいことばかりじゃなかった。 音程が合わない日もあった。 ロングトーンが上手くいかない日もあった。 何度吹いても思うような音にならない日もあった。 自分だけ取り残されているような気持ちになることもあった。 それでも辞めたいとは思わなかった。 不思議なくらい思わなかった。 悔しい。 もっと上手くなりたい。 そう思うことはあっても、楽器から離れたいとは思わなかった。 コンクール前は毎日が必死だった。 基礎練習。 パート練習。 合奏。 何度も同じ場所を繰り返す。 顧問の先生が指揮を止める。 もう一度。 またもう一度。 さらにもう一度。 何回も何回も吹いた。 それでも本番は一度しかない。 だから必死だった。 みんな本気だった。 だからこそ苦しいこともあった。 でも、その苦しささえ嫌いじゃなかった。 音楽のために頑張る時間が好きだった。 高校三年生になった。 最後の一年。 気づけば後輩もできていた。 入学したばかりだと思っていたのに。 楽器の持ち方も分からなかった私が。 音の出し方に悩んでいた私が。 いつの間にか教える立場になっていた。 時間は思っていたよりずっと早く過ぎていった。 そして、その年。 顧問の先生が変わった。 正直、不安だった。 今までと同じようにはいかないかもしれない。 部活の雰囲気も変わるかもしれない。 だけど、新しい先生は私たちをしっかり見てくれていた。 一人ひとりを見てくれていた。 そのことが嬉しかった。 最後のコンクール。 最後の定期演奏会。 最後の文化祭。 最後の本番。 最後の合奏。 最後のチューニング。 最後のロングトーン。 「最後」が増えていくたびに寂しくなった。 終わってほしくなかった。 まだ吹いていたかった。 もっとこの時間が続いてほしかった。 卒業式前日 友達と卒業アルバムを開いて 寄せ書きをした。 いろんな先生にも書いてもらった。 顧問の先生のページを開いた。 そこには先生からのメッセージが書かれていた。 何気なく目を通した、その瞬間だった。 私は言葉を失った。 『楽器を愛してくれてありがとう。』 たったそれだけだった。 だけど、その一言で胸がいっぱいになった。 涙が止まらなかった。 先生は知っていてくれたんだ。 私がどれだけユーフォニアムを好きだったか。 どれだけ大切にしていたか。 どれだけ愛していたか。 ちゃんと見ていてくれたんだ。 上手だったね。 頑張ったね。 お疲れさま。 そんな言葉じゃなかった。 『楽器を愛してくれてありがとう。』 その言葉は、私が高校三年間で貰ったどんな賞状よりも嬉しかった。 どんな結果よりも嬉しかった。 今でも卒業アルバムを開くたびに思う。 私は本当に幸せだった。 だって私は、人生で一度だけ、本気で恋をしたから。 相手は人じゃない。 銀色に輝く、大きな楽器。 私の青春そのものだった。 ――私の恋人は、ユーフォニアムでした。
宵依のこと、少しだけ
① ノベリー始めてどれくらい? 2026年4月から始めたばかりです🌷 まだまだ分からないことも多いですが、楽しく活動しています。 ② ノベリーを始めたきっかけ 適応障害になり仕事を休職している時に、専門の時の授業で書いた小説の作文用紙を見つけて。それの先生からのコメント「これからも機会を見つけて書き続けて下さい。」のコメント改めて読んで、小説やエッセイを書いて投稿しようと思って始めました。 ③ 読むジャンル 恋愛、青春、エッセイ、詩が多めです。 切ない話や感情が揺さぶられる作品も好き。 ④ 苦手なジャンル グロい系やホラー系は…苦手です 読むのは、ホラー系苦手だけど、書いたりはします。 ⑤ 書くジャンル エッセイが中心です。 その時感じたことや、日常の出来事を書いたり。 詩や短編小説を書くこともあります。 ⑥ 名前の由来は? 「宵依(よい)」です。 夜や夕暮れの静かな雰囲気が好きで付けました🌙 読みやすくて覚えてもらいやすい名前を目指しています。 ⑦ 活動場所 主にノベリーです。 ⑧ アイコンについて とある配信アプリで配信をしていて、それで出会って仲良くなったリスナーさんに描いてもらいました。 ⑨ 今後の活動目標 エッセイだけでなく、詩や短編小説にも挑戦していきたいです。 自分らしい言葉で、誰かの心にそっと寄り添える作品を書けたらと思っています🌷 まだまだ、療養生活を送っているので、自分のペースで頑張っていきたいです。 ⑩ ノベリーの好きなところ ・エッセイや詩も投稿しやすい ・優しい方が多い ・ジャンルが幅広い ・自分の好きな作品を見つけやすい ・文章を書くモチベーションになる
世界が少し静かな日
梅雨が来る。 今年もちゃんと来る。 別に待っていたわけじゃないのに、 約束したみたいにやって来る。 空はずっと機嫌が悪い。 洗濯物は乾かないし、 髪は広がるし、 靴の中まで湿っぽい。 正直、面倒だ。 それなのに。 雨の音を聞いていると、 少しだけ安心する。 頑張れない日がある。 何もしたくない日がある。 理由もなく心が重たい日もある。 そんな日は、 晴れた空が眩しすぎる。 みんな前を向いているように見えて、 みんなちゃんと生きているように見えて、 自分だけ取り残された気持ちになる。 だからかもしれない。 雨の日が少し好きなのは。 世界全体が立ち止まって見えるから。 急がなくていい気がする。 無理に笑わなくていい気がする。 今日くらいは、 曇った顔のままでも許される気がする。 梅雨は嫌いだ。 でも嫌いになりきれない。 雨上がりの匂いも。 葉っぱの先に残る雫も。 紫陽花の色も。 全部、 この季節だけのものだから。 早く夏が来ればいいと思う。 でもきっと、 梅雨が終わる頃には少し寂しくなる。 人間なんて勝手だ。 嫌だと言いながら、 過ぎてしまえば恋しくなる。 窓の外では今日も雨が降っている。 私は温かい飲み物を飲みながら、 そんなことを考えている。