宵依 (よい)

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宵依 (よい)

04(21) 元保育士 日常の中で、こぼれ落ちそうな気持ちを拾い集めています。 エッセイを中心に、詩や短編小説を書いています。 夢や思い出も、ときどき言葉に。🌙

言えなかった「寂しい」

遠距離恋愛をしていると、 「会えない」は当たり前になる。 だから、 記念日だからって会えるわけでもないし、 隣で笑い合えるわけでもない。 それでも私は、 少しだけ期待してしまった。 「今日くらいは、声が聞けるかな。」 その”少しだけ”が、 一番厄介なんだと思う。 期待しすぎたわけじゃない。 何時間も電話したかったわけでもない。 「おめでとう。」 その一言を言い合って、 「じゃあ、おやすみ。」 それだけで十分だった。 画面越しでもいい。 たった数分でもいい。 “一緒に記念日を迎えた” そう思える時間が欲しかった。 だから、 「できないかも。」 その短い返事を見た瞬間、 胸の奥が静かに沈んでいくのが分かった。 責められない。 忙しいことも、 疲れていることも分かる。 だからこそ、 「寂しい」とも言えなくなる。 理解したい気持ちと、 寂しい気持ちは、 同じ場所には並んでくれないから。 “分かってる。” その言葉は、 いつも自分に言い聞かせるために使う。 本当は、 分かってほしい側なのに。 遠距離恋愛は、 距離が敵なんじゃない。 「大丈夫。」 そう笑ってしまう自分が、 一番の敵なのかもしれない。 相手に負担をかけたくない。 重いって思われたくない。 だから、 飲み込んだ言葉だけが増えていく。 「会いたい。」 「声が聞きたい。」 「今日は少しだけ寂しかった。」 その全部を、 「大丈夫。」の五文字に変えてしまう。 恋って不思議だ。 好きだから我慢する。 でも、 我慢すればするほど、 本当の気持ちは言えなくなる。 記念日は、 特別な日じゃなくていい。 高価なプレゼントもいらない。 ただ、 「一ヶ月ありがとう。」 その一言を、 同じ日に交わせるだけでよかった。 きっと恋は、 “何をしてもらえたか”じゃなくて、 “一緒に同じ時間を感じられたか”なんだと思う。 だから今日も、 画面の向こうにいるあなたを想いながら、 私は静かに「おやすみ」を心の中で呟いた。

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言葉に宿るもの

昔から、ずっと思っていることがある。 人は、たった一言で救われることもあれば、たった一言で深く傷つくこともあるということ。 言葉は目に見えない。 触れることも、形として残ることもない。 だからこそ、軽く扱われてしまうことがある。 だけど私は、目に見えないものほど、人の心に長く残るのだと思っている。 「ありがとう。」 「大丈夫?」 「あなたがいてくれてよかった。」 そんな何気ない言葉に救われて、もう少し頑張ろうと思えた日は、きっと誰にでもあるはずだ。 反対に、何気なく言われた一言が何年経っても忘れられず、ふとした瞬間に思い出して苦しくなることもある。 言った本人は覚えていなくても、言われた側はずっと覚えている。 それほど言葉には、不思議な力がある。 私は、優しい人は弱い人ではないと思っている。 優しい人は、人の痛みを知っている人だ。 傷ついた経験があるから、同じ思いを誰かにさせたくない。 悲しかった記憶があるから、誰かの涙を減らしたいと思える。 だからこそ、本当の優しさは強さなのだと思う。 だから私は、言葉を口にする前に、一度だけ立ち止まりたい。 この言葉は、誰かを笑顔にできるだろうか。 それとも、気づかないうちに傷つけてしまうだろうか。 ほんの数秒考えるだけで、救える心があるかもしれない。 もちろん、いつも完璧にはできない。 感情的になってしまう日もあるし、後から「あんな言い方をしなければよかった」と後悔することもある。 それでも、そんな後悔を繰り返すたびに思う。 私は、強い人になるよりも、優しい人でありたい。 誰かの記憶に残るなら、傷ではなく、温かい言葉として残れる人でありたい。 それが、私が日常の中でずっと心に留めていることだ。

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生まれた日と、出会えた日。

私には、毎年大切にしている誕生日が二つあります。 一つは、8月25日。 この世に生まれた日です。 そしてもう一つは、1月29日。 私が初めて配信ボタンを押し、配信者として歩き始めた日です。 子どもの頃、誕生日といえば8月25日のことだけでした。 ケーキのろうそくを吹き消して、家族に「おめでとう」と言ってもらう。プレゼントを開ける時間が待ち遠しくて、一年で一番楽しみな日でした。 でも、大人になるにつれて、誕生日の意味は少しずつ変わっていきました。 学校があり、仕事があり、「また一つ歳を重ねたな」と思うだけで終わる年もありました。 もちろん、お祝いしてもらえることは嬉しい。 それでも、子どもの頃のような特別な気持ちは少しずつ薄れていったように思います。 そんな私に、もう一つの「誕生日」をくれたのが配信でした。 2021年1月29日。 初めて配信ボタンを押した日のことは、今でもよく覚えています。 誰か来てくれるのかな。 ちゃんと話せるかな。 何を話せばいいんだろう。 期待よりも、不安の方がずっと大きかった気がします。 それでも少しずつ、「こんばんは」と来てくれる人が増えて、「また来たよ」と言ってくれる人が増えていきました。 嬉しかった日も、落ち込んだ日も、思うようにいかなかった日も、配信を開けば「おかえり」と迎えてくれる場所がありました。 画面越しだから遠い存在だと思っていたのに、気づけば私の日常には、いつもリスナーのみんながいました。 配信を続けていると、嬉しいことばかりではありません。 思うように話せない日もあれば、自信をなくす日もあります。 それでも、「今日も楽しかった」「また来るね」と言ってもらえるたびに、「もう少し頑張ろう」と思えました。 私を支えてくれたのは、特別な言葉ではなく、そんな何気ない一言だった気がします。 だから私にとって1月29日は、ただ配信を始めた日ではありません。 配信者としての私が生まれた日。 みんなと出会えた、大切な記念日です。 そして8月25日。 今では、この日が近づくたびに、「今年はどんな誕生日配信にしよう」と考えるようになりました。 画面いっぱいに流れる「おめでとう」のコメント。 「今年も一緒に祝いに来たよ。」 そんな言葉を見ていると、会ったことはなくても、こんなにも温かい人たちに囲まれているんだと実感します。 昔は、誕生日は祝ってもらう日だと思っていました。 でも今は違います。 「今年もここにいてくれてありがとう。」 「今年も一緒に笑ってくれてありがとう。」 そんな気持ちを伝える日になりました。 私には、二つの誕生日があります。 8月25日は、一人の人間として生まれた日。 1月29日は、配信者として新しい人生を歩き始めた日。 どちらも私にとって、かけがえのない記念日です。 来年も、その先も。 8月25日には、生まれてきたことに感謝して。 1月29日には、みんなと出会えた奇跡に感謝して。 二つの誕生日を迎えるたびに、「おめでとう」よりも先に、「ありがとう」を伝えられる私でいたい。 それが、今の私の一番の願いです。

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間違えるということ

お手元のスマホで確かめてください。 生成AI、有名なものだとGemini、ChatGPTなど、それらには必ず最後に、 「〇〇はAIであり、間違えることがあります」 と記載されています。 ですが、これから私がお話しするのは、その表示が、 「間違えることはありません」 となっていた頃の話です。 当時、AIは本当に正しかった。 進路も、仕事も、恋も、人生の選択も。 迷えば、いちばん幸せになれる答えをくれた。 私も何度も助けられた。 でもある日、私はAIに聞いた。 「今、好きな人に会いに行くべきですか。」 答えは、 「いいえ」 だった。 成功率が低いから。 傷つく可能性が高いから。 未来の幸福度が下がるから。 理由は全部、正しかった。 それでも私は、会いに行った。 結果は、AIの言う通りだった。 泣いたし、傷ついたし、しばらく立ち直れなかった。 でも不思議と、後悔はしなかった。 間違えたからこそ、言えた言葉があった。 間違えたからこそ、分かった気持ちがあった。 その日から私は、AIに聞く回数が少しずつ減っていった。 そして今、AIにはこう書かれている。 「AIは間違えることがあります」 私はその一文を見るたびに思う。 間違えることは、怖いことじゃない。 むしろ、間違えながら選んでいくことこそ、 人間が人間らしく生きるということなのかもしれない。

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好きは、偶然から始まる

「好きな教科は何ですか?」 そう聞かれると、私は迷わず「日本史です」と答えます。 でも、最初から歴史に夢中だったわけではありません。 小学生の頃から、社会科の中では地理や公民よりも歴史の授業が好きでした。 「昔はどんな暮らしをしていたんだろう。」 「この人はどんな人生を歩んだんだろう。」 そんなことを考えるのが好きで、歴史の授業だけは自然と耳を傾けていました。 とはいえ、その頃は「好き」と言っても、授業が楽しみなくらい。 自分から本を読んだり、資料を調べたりするほどではありませんでした。 そんな私の歴史との距離が大きく変わったのは、中学生の頃です。 ある日、何気なくYouTubeを開いていると、おすすめ欄に一本の動画が流れてきました。 大河ドラマ『篤姫』。 当時の私は、大河ドラマに興味があったわけでも、幕末に詳しかったわけでもありません。 それでも、なぜか気になって再生ボタンを押しました。 今思えば、本当にただの偶然でした。 でも、その偶然が、私の「好き」を育ててくれたのです。 画面の中で描かれていた篤姫は、教科書の中の人物ではありませんでした。 笑って、泣いて、悩んで、大切な人を想い、自分の役目を果たそうと懸命に生きる、一人の人でした。 歴史上の人物にも、私たちと同じように喜びや悲しみがあって、迷いながら生きていた。 それを知った瞬間、歴史が急に遠い世界の出来事ではなくなりました。 「この人は、どんな気持ちでこの選択をしたんだろう。」 そんなふうに考えるようになったのは、『篤姫』が初めてだったと思います。 そして、この作品の中で、今でも忘れられない言葉があります。 「風があるから、雲が動く。雲が集まって、雨になる。雨が降るから木が育つ。木があるから火が燃える。火が燃えて、風が起こる……この世のものにはすべて役割があるのです。それは人とて同じこと……。」 中学生だった私には、この言葉のすべてを理解できていたわけではありません。 それでも、なぜか心の奥に残りました。 人にはそれぞれ役割がある。 その言葉を聞いた時、不思議と胸が温かくなったことを今でも覚えています。 歴史を学ぶことは、年号を覚えることだと思っていました。 でも『篤姫』は、そうではありませんでした。 歴史とは、その時代を生きた人の人生を知ること。 誰かの決断の裏にあった想いを知ること。 教科書には書ききれない人間ドラマに触れること。 そう思うようになってから、私は自分で調べるようになりました。 篤姫のこと。 徳川家定のこと。 和宮のこと。 西郷隆盛や大久保利通、勝海舟……。 一人の人物を知るたびに、その人と関わる別の人物が気になって、気づけば歴史の世界にどんどん惹かれていました。 今でも幕末が好きなのは、その時代が華やかだったからではありません。 時代が大きく動く中で、それぞれが自分の信じるものを守ろうと必死に生きていたからです。 誰もが正しいと思って選んだ道があり、その道の先で笑う人もいれば、涙を流す人もいる。 だから歴史は、一つの答えだけでは語れない。 そこに私は面白さを感じています。 今でも『篤姫』を観ると、中学生だった頃の自分を思い出します。 何気なく再生した一本の動画。 その一本が、日本史を好きになるきっかけをくれました。 そしてもう一つ。 人にはそれぞれ役割がある、という言葉を教えてくれました。 あの頃は、その意味を「素敵な言葉だな」と思うだけでした。 でも、年齢を重ねるにつれて、ふとした瞬間に思い出すようになりました。 誰かに支えられた日。 自分の存在に自信が持てなかった日。 そんな時、不思議とあの台詞が頭に浮かびます。 だから私にとって『篤姫』は、日本史を好きにしてくれた作品というだけではありません。 何度見返しても、新しい気づきをくれる作品です。 あの日、何気なく開いたYouTubeのおすすめ欄。 あの偶然がなければ、今の私は少し違っていたのかもしれません。 そう思うと、人生を変えるきっかけは、案外「なんとなく」の中に隠れているものなのかもしれません。

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53分だけ、隣にいた気がした

遠距離恋愛をしていると、「会いたい」と思っても、すぐには会えない。 体調を崩した日も、隣で看病してもらえるわけじゃない。 だから私は、「お熱しんどいー」と一言だけLINEを送った。 きっとバイト中だから、気づくのはあとになるだろうと思っていた。 でも、バイトが終わって休憩室で少しゆっくりしていた時にLINEに気づいた彼は、すぐ電話をかけてきてくれた。 「お熱、大丈夫かい?」 その声を聞いた瞬間、張りつめていたものがふっとほどけた。 熱が下がるわけでも、体が楽になるわけでもない。 それでも、好きな人の声には不思議な力がある。 遠く離れていても、「ひとりじゃない」と思わせてくれる。 他愛もない話をしながら過ごした53分。 画面越しでも、電話越しでも、その時間は私にとって何よりの安心だった。 帰る時間になって彼は、 「これから帰るね。電車だから。」 そう言って、 「そろそろ終わるね。お手洗いと水分補給はしっかりね。気をつけなね?」 と、最後まで私の体を気にかけてくれた。 看病はできなくても、声を届けてくれる。 手はつなげなくても、心配してくれる。 距離があるからこそ、その優しさがいつも以上に胸に響いた。 遠距離恋愛は、寂しいこともある。 すぐに会えない日も、触れられない日もある。 それでも、たった53分の電話で、「大丈夫」と思える日がある。 会えなくても、ちゃんと愛情は届く。 あの日、彼がくれた53分は、薬よりも優しく、私の心を温めてくれた。

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幸せは、なくしたあとに気づく。

「幸せって何?」 そう聞かれたら、少し前の私は答えられなかった。 朝起きることも苦しくて、笑うことも難しくて、何をしていても心が晴れない日が続いていた。 周りの人は前へ進んでいるのに、自分だけ時間が止まってしまったような気がして。 「前の自分に戻りたい。」 そんなことばかり考えていた。 だから、「幸せ」なんて、もっと遠くにあるものだと思っていた。 大きな夢が叶ったとき。 特別な日に誰かと過ごすとき。 そんな瞬間だけが幸せなんだと。 でも、ある日気づいた。 配信をつけた瞬間に流れる「こんばんは」のコメント。 「今日も来たよ。」 たったそれだけの言葉なのに、泣きそうになるくらいうれしかった。 猫が何も言わず隣で眠ってくれること。 窓を開けると風が入ってくること。 好きな曲を聴いて、「この歌好きだな」と思えること。 そんな何気ない出来事が、少しずつ私を支えてくれていた。 昔なら見過ごしていたような、小さな幸せ。 でも、苦しい時間を知った今だからこそ、その小ささがどれほど大切なのか分かる。 幸せは、特別な日にだけ訪れるものじゃない。 「今日も生きてるね。」 「また会えたね。」 そんな当たり前の一日が、本当は奇跡みたいなものなんだ。 今でも不安になる日はある。 涙が出る日もある。 それでも、誰かの「おかえり」や「またね」の一言で、「もう少し頑張ってみよう」と思える。 私にとっての身近なハピネスは、大きな出来事じゃない。 今日という一日を、誰かと笑って終えられること。 それだけで十分、幸せなんだと思う。

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明日が来ない駅

その駅は、終電を逃した人だけがたどり着けるという。  時刻表はない。  駅名も書かれていない。  ただ、一番線ホームに古びた列車が一両だけ停まっている。  その夜、仕事帰りの葵は、気づけばその駅に立っていた。 「……ここ、どこ?」  改札も駅員も見当たらない。  代わりに、一人の車掌が静かに帽子を取った。 「ようこそ。明日が来ない駅へ。」  聞き慣れない言葉に、葵は眉をひそめる。 「明日が……来ない?」 「はい。この列車は、あなたが一番会いたい人のもとへお連れします。」  車掌は一枚の切符を差し出した。  淡く金色に輝く、不思議な切符だった。 「でも、一度乗れば、この駅へは戻れません。」 「どういうことですか?」 「過去へ進む列車だからです。」  葵は思わず笑ってしまった。 「そんなこと、あるわけ……。」  その瞬間、ホームに風が吹く。  どこからか、懐かしい花の香りがした。  春の匂い。  小さい頃、祖母の家で嗅いだ香りだった。  葵の胸が締めつけられる。  祖母は三年前に亡くなった。  最後まで「ありがとう」が言えなかった。  忙しいからと面会を先延ばしにしたまま、その日は来なかった。 「会えるんですか……?」  震える声で尋ねる。  車掌は静かにうなずいた。 「ただし。」  その表情が少しだけ曇る。 「列車に乗れば、あなたの明日は失われます。」 「明日が……。」 「あなたは過去で生きることになります。」  葵は切符を見つめた。  会いたい。  謝りたい。  ありがとうを伝えたい。  その気持ちは、三年間ずっと変わらなかった。  列車の扉が静かに開く。  一歩踏み出そうとした、その時だった。 「葵。」  聞き覚えのある声がした。  振り返る。  そこには誰もいない。  でも、確かに祖母の声だった。 「前を向きなさい。」  涙がこぼれる。 「でも、おばあちゃん……。」 「ありがとうは、もう受け取ってるよ。」  風が優しく頬をなでる。  あの日、病室へ行けなかったこと。  電話すらできなかったこと。  全部、許せずにいたのは自分だけだった。  祖母は、ずっと知っていたのかもしれない。  葵は切符を車掌へ返した。 「乗りません。」  車掌は少しだけ笑う。 「後悔しませんか。」 「します。」  葵は涙をぬぐった。 「でも、その後悔も連れて、明日を生きます。」  その言葉を聞くと、列車はゆっくりと動き始めた。  誰も乗せないまま。  夜の闇へ消えていく。  気づけば、葵はいつもの駅のホームに立っていた。  始発電車がホームへ滑り込んでくる。  ポケットに手を入れると、一枚の古い切符が入っていた。  行き先は書かれていない。  ただ、小さくこう印字されていた。  「あなたの明日は、今日より少しだけ優しい。」  葵は空を見上げた。  東の空がゆっくりと明るくなっていく。  もう会えない人はいる。  伝えられなかった言葉もある。  それでも、今日という日は続いていく。  だからこそ、今そばにいる人には、ちゃんと伝えよう。  「ありがとう」と。  そう心に決めて、葵は始発列車へ乗り込んだ。  その列車は、確かに明日へ向かって走り出した。

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夢税(むぜい)

夜明け前、街中の灯りが一斉に消えた。  代わりに、王城の塔が淡い金色に輝き始める。 「夢納めの時間です。」  鐘の音とともに、白い外套をまとった徴収人たちが街を歩く。  人々は慣れた様子で家の扉を開け、枕元に置かれた小さな硝子瓶を差し出した。  瓶の中には、昨夜見た夢が淡く揺れている。  笑い声のする夢。  誰かと手をつないだ夢。  大空を飛ぶ夢。  色とりどりの夢が、朝日に照らされて輝いていた。  徴収人は瓶を受け取ると、新しい空瓶を一つ置いていく。  それが、この国の税だった。  夢税。  人々は毎月一度、見た夢を国へ納める義務がある。  夢を納めた者は、その夢を思い出せない。  何を願い、何を見たのかも、朝になるころには忘れてしまう。  アリアは空になった瓶を見つめ、小さく息をついた。 「また、何か大事な夢を見た気がする……。」  そう呟いても、思い出せない。  それが当たり前だった。  祖母は言っていた。 「夢は王様が国を守るために必要なんだよ。」  誰も疑わなかった。  夢税があるから平和なのだと。  ある夜、アリアは奇妙な少女と出会う。  少女は夢瓶を持っていなかった。 「納めないの?」  アリアが尋ねると、少女は笑う。 「私は夢を隠してるの。」 「そんなことできるの?」 「できるよ。」  少女は胸元から、小さな青い瓶を取り出した。  その中では、一輪の花畑が風に揺れていた。 「それ……夢?」 「うん。」 「でも、見つかったら……。」 「だから隠してる。」  少女はアリアの手を引いた。 「本当の夢を見せてあげる。」  二人が向かったのは、王城の地下。  そこには無数の夢瓶が並んでいた。  何万、何十万という瓶が棚を埋め尽くし、それぞれが淡い光を放っている。  笑顔。  涙。  恋。  家族。  未来。  誰かの大切な夢が、すべてそこに閉じ込められていた。 「どうして……。」 「王様は夢を食べて生きているから。」  少女は静かに言った。 「人は夢を見るから未来を信じられる。でも、この国では、その未来を王様が独り占めしている。」  その瞬間、玉座の間から声が響く。 「夢は、人を惑わせる。」  王は静かに立ち上がる。 「夢を持てば、人は争う。欲しがる。悲しむ。だから私が預かるのだ。」  アリアは棚いっぱいの夢瓶を見渡した。  その中には、誰かが見た幸せな未来も、叶えたかった願いもある。  誰も覚えていないだけで。 「違う。」  アリアは一歩前へ出た。 「夢は奪うものじゃない。」  棚から一つの瓶を手に取る。  瓶を床へ落とすと、光は無数の星になって天井へ舞い上がった。  一つ。  また一つ。  夢瓶が割れるたび、人々の夢が夜空へ帰っていく。  その夜、国中の人々は同じ夢を見た。  大切な人と笑い合う夢。  まだ叶えていない夢。  忘れていた夢。  朝になっても、その夢は消えなかった。  誰も瓶を差し出さなかった。  徴収人も来なかった。  王城の塔は静かに灯を失っていた。  アリアは空を見上げる。  夢は税じゃない。  夢は、未来へ進むための希望なのだから。

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幕が下りた、その先で

「お疲れさまでした。」 その言葉を最後に職場を出た日の景色を、私は今でも忘れられない。 保育士になることが夢だった。 子どもたちの笑顔に囲まれて、毎日を過ごす。 大変なことはあっても、それでも私はこの仕事が好きだった。 だけど、心は少しずつ悲鳴をあげていた。 朝が来るのが怖くなった。 涙が止まらなくなった。 眠れない夜が増えて、何もしていないのに胸が苦しくなる日もあった。 「頑張らなきゃ。」 そう思えば思うほど、体は動かなくなっていった。 そして私は、適応障害と診断された。 夢だった仕事を、一度離れることになった。 帰り道。 春の風が吹いているのに、私だけ時間が止まったようだった。 「ここで終わりなのかな。」 そんなことばかり考えていた。 友達は働いている。 同級生は前へ進んでいる。 SNSを開けば、誰かの幸せが流れてくる。 私は何もできない。 何者でもない。 そんなふうに、自分を責め続けた。 でも、立ち止まったからこそ気づけたものもあった。 家族がいてくれた。 画面の向こうで「今日も来たよ」と言ってくれるリスナーさんがいた。 何気ない「おはよう」の一言に救われる朝があった。 そして、大切だと思える人にも出会えた。 少しずつ笑える日が増えて、少しずつ未来の話もできるようになった。 私は今でも、完全に元気になったわけじゃない。 不安になる日もある。 何もできない日もある。 それでも、あの日の私とは違う。 私は知った。 人生には、幕が下りる瞬間がある。 でも、それは物語の終わりじゃない。 舞台には、最後にカーテンコールがある。 拍手を受けて、一度立ち止まり、「ありがとう」を伝えて、また新しい舞台へ向かう時間。 きっと人生も同じなんだ。 保育士としての日々は、私にとって大切な一つの舞台だった。 苦しかったことも、悔しかったことも、子どもたちの笑顔も。 全部、私の宝物。 だから私は、「終わった」とは言わない。 「ありがとう」と伝えたい。 あの経験があったから、今の私がいる。 そして私は、また少しずつ歩き始める。 焦らなくていい。 誰かと比べなくていい。 幕が下りても、人生は続いていく。 次にどんな舞台が待っているのかは、まだ分からない。 でもきっと、その舞台でも私は笑える日が来る。 そう信じて、今日も一歩だけ前へ進む。 これは終わりじゃない。 私の人生の、新しい幕開けなのだから。 着想元楽曲:清水翔太「Curtain Call」

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