青天目 翠

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青天目 翠

なばため すい

キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした③

第2話 ❋ 推しと“繋がる”なんてアリですか!? 「……え、今日って何してたっけ?」  帰宅したひな子は制服のままベッドに倒れ込み、天井を見つめた。学校へ行ったはずなのに、一日が完全に記憶から抜け落ちている。授業を受けたはずなのに、何も思い出せなかった。  それもそのはず。  ━━朝、ロホと遭遇するという奇跡が起こったのだから。 「……っ!!!」  思い出した瞬間、バッと跳ね起きる。そして、スカートをめくって膝を確認。そこには、ロホが貼ってくれた絆創膏がしっかりと残っていた。 「うわああああああ!!!!」  転がるようにベッドに突っ伏し、足をバタバタと動かす。 「これ……ロホが貼ったやつ……ロホが持ってた絆創膏……!!! ひぃぃぃぃ!!!」  とてつもない現実を突きつけられ、悶えた。 「それに……普通に喋った……!!!」 (ロホと他愛ない話をして、名前まで呼ばれて……) 「うわあああああ!!!!!」  ━━推しに名前を覚えられているとか、現実ですか!?  悶絶しながら、枕に顔を埋めてバタバタする。その勢いで、机の上に置いていた紙がヒラリと落ちた。 「……?」  拾い上げると、それはロホから渡された名刺。 「……え、これ……」  今朝は動揺しすぎて、ちゃんと見られなかったが、改めてじっくり確認する。シンプルなデザインの名刺には、ロホの本名、所属事務所、そして━━  ロホのプライベートな連絡先が書かれていた。 「……えっっっ!?!?」  またもやベッドに倒れ込む。 「えっ、ちょっと待って!? これって、連絡していいってこと!? でも、そんな簡単に連絡していいの!?!?!?」  混乱しながらも、手はスマホへ。しかし、名刺を握りしめたまま動けない。 「いや、でも……推しと“繋がる”って……アリなの……?」  ひな子はファン界隈の一員として、ずっと「繋がり」を快く思っていなかった。もし、自分の推しがこっそりファンと繋がっていたら、どう思うか? 「……うわぁぁぁ……」  頭を抱える。 「ワタシ……どうすれば……」  そんな時━━  スマホの着信音が鳴った。 「ひっ!?!?」  驚いてスマホを落としそうになる。 「ロホ……!?」  いや、違う。画面にはメリーの名前。 「……あ、あぶな……」  心臓のドキドキを抑えながら、通話ボタンを押す。 「もっ、もしもし……?」 『ひなこ! 何そのテンション!?』 「え!? いや、別に!?」 『絶対なんかあったでしょ!』 「あ、あったっていうか……」  ━━まさか、今朝ロホと会って、名刺をもらったなんて言えない。ひな子がモゴモゴしていると、メリーは気にせず話し始めた。 『でさでさ! 先週のライブ、最高だったよねー!!』 「あ、うん! もうヤバかった!!!」 『チェキ会の時さ、ベルに腰に手回されちゃってさ……もう死ぬかと思ったんだけど!!』 「ぎゃあああ!! メリーおめでとう!!! それはヤバい!!!」  メリーの話にテンションが上がる。しかし、ひな子はロホとの出来事が頭から離れない。 (言う……? いや、言わない……?)  メリーは同じpH+のファンで、ひな子が信頼している数少ない友達。相談するなら彼女しかいない。 「……あのさ、メリー」 『ん?』 「ワタシ……今朝、ロホと会った」 『……え?』 「で……ロホと話して……名刺、もらった……」  電話の向こうが、一瞬静かになった。 「……メリー?」 『…………』 「えっ、ちょっと待って、怒ってる!? それとも引いてる!?!?」  すると、メリーは小さく息を吸い━━ 『はぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?!?』  鼓膜が破れそうな勢いで叫ばれた。 「ひ、ひぃっ!!?」 『ちょっと待って!? え!? 何それ!? え!? 名刺!? え!?!?!?』 「お、落ち着いてメリー!!!」 『落ち着けるわけないでしょ!?!?』 「いや、ワタシだってパニックなんだよ!!!」 『いやいやいや、なにそれ!?!? え、じゃあ、ロホと連絡取れるってこと!?』 「そ、それは……うん……」 『なにそれエグい!!!!!!』 「……ワタシ、連絡するか迷ってる……」  メリーは、ふぅ……と息を吐く。 『ねえ、ひなこ』 「……なに?」 『今さ、めっちゃ悩んでるでしょ?』 「うん……」 『じゃあさ、シンプルに考えようよ』 「シンプルに……?」 『ひなこは、ロホと話したい?』 「……え?」 『“繋がるかどうか”じゃなくてさ。普通に、“推しと話したいかどうか”って考えたらいいんじゃない?』 「……」  ━━話したいか?  そんなの、答えは決まっていた。 「……話したい……」 『じゃあ、連絡すればいいんじゃない?』 「……っ」  メリーは優しく微笑むような声で言う。 『ひなこがさ、ロホを“好き”って気持ちは、ワタシがベルを“好き”なのと一緒でしょ?』 「……うん」 『だったら、自分の気持ちを大事にしなよ。せっかくのチャンスなんだからさ!』  その言葉に、ひな子の胸がじんわりと温かくなった。 「……メリー、ありがとう」 『うん!』  通話を終え、ひな子は再び名刺を見つめる。 「……よし」  意を決して、スマホを握りしめ……  そして━━  ロホの連絡先を入力し、メッセージを打ち始めた。

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キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした③

キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした②

 第1話 ❋ 駅の奇跡、これは夢ですか?  朝。  ひな子は目覚ましのアラームに気づかず、布団の中で幸せな夢の続きを見ていた。 「ひなちゃん、チェキ撮ろうか?」  ━━推しが目の前で微笑んでいる。 「えへへ……ロホ……♡」 「ひなこー!!! 遅刻するぞーーー!!!」  突然、現実へ引き戻される。 「……へ?」  目をこすりながら時計を確認し、次の瞬間、血の気が引いた。  ━━完全に寝坊。遅刻確定。 「やっばぁぁぁぁい!!!」  慌てて制服に着替え、鞄を掴み、家を飛び出す。  絶対に電車に乗らないと!  全力疾走で駅に駆け込み、上り階段を駆け上がる。もう少しで電車に乗れる━━。  ガッ 「っえ?」  次の瞬間、足がもつれて、ひな子の体が宙に浮いた。  ドシャッ!!!  ━━豪快に転倒。  荷物が散らばり、膝にはズキズキとした痛み……。そして無情にも、目の前で電車のドアが閉まり、そのまま走り去っていった。 「……うそでしょ?」  痛みとショックで膝を抱えながら、ひな子はベンチに座り込む。膝からはじんわり血が滲んでいた。ウェットティッシュで拭いていると、不意にひな子に誰かが声をかける。 「大丈夫?」  しゃがみ込んでひな子を覗き込む、黒いバケットハットの男性。 「え、あ……」  困惑していると、その男性はふと、ひな子のショルダーストラップに掛かるスマホを手に取った。 (えっ!? ちょ、スマホ!!)  突然の出来事に固まるひな子。しかし、彼はスマホカバーに挟まれたチェキをじっと見つめていた。 「これ、三枚目のチェキ……だよね?」  低く響く声。  その瞬間、ひな子の脳内で警報が鳴り響く。 (え、待って? この声、まさか?)  恐る恐る、相手の顔を覗き込む。  黒いバケットハットの下、特徴的な目元と、見覚えのある横顔━━  それは紛れもない、ロホ本人。 (えええええええええええ!?!?!?!?!?)  固まるひな子を気にする様子もなく、ロホは自分の鞄を漁ると、絆創膏を取り出した。 「動かないで」 「あっ、えっ、ちょっ……!」  言うが早いか、ロホはひな子の膝に絆創膏を優しく貼る。その自然な仕草に、心臓が爆発しそうだった。 「あの……どっきりですか?」 「そんなわけないだろ?」 「じゃあ、夢だ。ワタシ階段から落ちて死んだんだ……」 「はぁ? 何それ? ……キミっておもしろいね」  くすっと笑うロホ。その笑顔に、ひな子の思考回路は完全にショートした。  ロホが隣に座ると、ひな子はますます緊張でガチガチになる。 (いや、待って待って待って!? 推しが隣にいるってどういう状況!?)  膝の痛みも忘れ、脳内がパニックを起こしていると、ロホが何気なく口を開いた。 「それにしても……」 「ひゃいっ!??」 「ははっ、そんなに驚かなくても」  ロホは微笑みながら、スマホカバーに挟まれたチェキをもう一度ちらりと見る。 「このチェキ、俺がひな子ちゃんのほっぺむにゅってしてるやつだね」 「え、えええっ!?!? 名前!?」  思わず変な声が出た。まさかの推しに名前を呼ばれるという奇跡。心臓がもたない。 「だって、チェキ会で名前聞くし。……それに、覚えやすいしね」 「え、え、え、え、え……!?!?!?」  ━━これは夢だ。うん、きっと夢だ。ロホが自分の名前を覚えているなんて、現実なわけがない。  そんなひな子の動揺をよそに、ロホは続けた。 「さっき、階段で転んだ時、すごい豪快だったね」 「ううっ……見られてた……」 「うん、目の前だったからね」  推しの目の前で盛大にすっ転んだ事実が発覚。 恥ずかしさで顔を覆いたくなる。 「派手にこけた後、その場で固まってたのが面白かった」 「いや、そりゃあ電車逃すわ痛いわで……むしろ泣く寸前でしたよ……」 「だよね。でも、ちゃんと立ち上がってベンチまで歩いてきたの偉いね」 「……?」  ロホはふっと笑う。 「俺も昔、舞台のリハで盛大に転んだことがあってさ。その時、しばらく動けなくて。恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい気持ちだったんだけど……」 「……え、ロホでもそんなことあるんですか?」 「そりゃあ、あるよ。人間だし」  当たり前のように言うロホ。でも、ひな子にとって彼は完璧なアイドルで、そういう失敗のイメージがなかった。 「その時、ダンスの先生に『転ぶのはいい。でも、すぐ立ち上がれるかが大事なんだ』って言われて、すごく心に残ったんだよね」 「……」 「だから、さっきのひな子ちゃんを見て、思い出した。ちゃんと立ち上がって、次に進もうとするの、かっこいいよ」 「……かっこいいって、私が……?」 「うん」  何気ない言葉。でも、ひな子の胸にじんわりと染み渡る。 「……ロホがそんなこと言うなんて、すごい意外かも」 「意外?」 「だって、ロホって……もっとクールな感じなのかなって」  すると、ロホは肩をすくめる。 「ファンの前ではね。でも、俺も普通にこうやって喋るし、冗談も言うよ?」 「……そっか」 (ロホって、こんなに自然体なんだ)  今まで、スクリーン越しの存在だったロホが、一気に“人間”として感じられる。  そして、ひな子は気づいた。 (あれ? なんか、普通に話せてる……?)  最初は緊張でガチガチだったのに、今は普通に会話ができている。 「……ふふっ」 「ん? どうしたの?」 「いや、なんか……こうやって話してるの、不思議だなって思って」 「俺も。ひな子ちゃんって、面白いね」 「えぇ!? それ、褒めてます!? それともイジってます!?」 「どっちも」 「ひどーい!!」 (これ、ほんとに夢じゃない? めちゃくちゃ自然にロホと会話してるよ?)  電車がホームに滑り込んでくる。 「あ、そうだ。これ」  ロホはポケットから小さな紙を取り出し、ひな子に渡した。 「え……?」  状況を理解できないまま、それを受け取る。 「じゃあ、またね」  ロホがそう言った直後、発車のベルが鳴り響いた。  電車に乗り込み、扉が閉まる。 (さっきの、何!?)  混乱しながら、ひな子は手の中の紙を広げた。そこには、ロホの連絡先が書かれた名刺があった。 「……いや、待って待って待って待って」 (これ、どういうこと!?!?!?)

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キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした②

キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした①

 プロローグ ❋ 推しが近すぎる件について 「ヤバい、毎回チェキ会楽しみだけど、いざ自分の番が近づいてくると、毎回緊張で内臓吐き出しそうになる」  ひな子はインカメにしたスマホを片手に、メイクとヘアセットの最終チェックをしていた。視界の端には、pH+(ピーエイチプラス)ファン仲間のメリーがクスクス笑いながら腕を組んで立っている。 「ひな、今日めっちゃ気合い入ってるじゃん。ロホの前で緊張しすぎて言葉詰まらないようにね?」 「そ、それな! 前回のハートポーズの時、息するの忘れて倒れそうになったし……!」  チェキ会に参加するのは今日で3回目。でも、推しを目の前にしたら何回目でも緊張は避けられなかった。  ━━そして、ついに自分の番が回ってきた。 「こんにちは。今日はどんなポーズで撮る?」  低くて優しい声が耳に届いた瞬間、ひな子の体温が一気に跳ね上がる。目の前に立つのは、推しのロホ。その存在感、顔面偏差値、色気の暴力に、眩暈を起こしそうになる。 「は、はじめての時は普通に撮って、前回は二人でハート作りました!」  テンションが上がりすぎて、ひな子の声は普段の1.5倍増し。周囲のファンもクスクスと笑っているが、ロホは微笑んだまま「可愛いね♡」と、さらりと言ってきた。 「えっ……!?」  ひな子の思考がフリーズした、その瞬間。 「じゃあ、これにしよっか」  ロホの大きな手が、ひな子の頬にふわりと触れたと思った次の瞬間、むにゅっと優しく頬を挟まれる。 「え、え、え、えぇぇぇ━━!?」  パシャ。  シャッター音が響いたと同時に、スタッフが「撮影終了です」と声をかける。ひな子はまだ何が起こったのか理解できていなかった。  手渡されたチェキを見て、さらに心臓が跳ねる。そこには、ロホに頬をむにゅっとされて、にやけた顔のひな子が写っていた。  ━━これ、一生の宝物確定なんだけど!? pH+(ピーエイチプラス)とは。 正式名称「Pop Hopper Plus(ポップ・ホッパー・プラス)」 3人組男性アイドルグループ。 グループ名の由来は、「ポップで軽快な音楽を届ける」という意味の「Pop Hopper」に、「進化・向上」を意味する「Plus」を加えたもの。通称の「pH+」には、化学用語のpH(ペーハー)のように、音楽シーンにおいて“バランスよく変化しながら進化し続ける”という意味も込められている。 【グループ概要】 メンバー構成  ロホ、アズ、ベル コンセプト  クール×セクシー×キュート 活動内容  ライブ、バラエティ、モデル業、舞台など幅広く活躍 ファンの名称  「RAB(ラブ)」……グループメンバー3人の頭文字と、「LOVE」をかけて。グループへの愛を表すとともに、メンバーとファンが“愛”で繋がるという意味を持つ。 【主要メンバー】  ロホ(23)  センター・セクシー担当・低音イケボ・歌唱力抜群・舞台やミュージカル出演。イメージカラーは赤。  アズ(20)  お笑い担当・ダンスセンス抜群・スポーツ万能・スポーツ系番組やバラエティ出演。関西弁を話す。イメージカラーは青。  ベル(16)  可愛い担当・中性的ビジュアル・最年少・あざとかわいい・専属モデル・アパレルブランド「laMroN」運営。イメージカラーは黄色。

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キミを推してたはずなのに、いつの間にか恋でした①

第6回N1 幽閉の香

 お題 【壁】  白檀の香りが薄靄のように漂っていた。月の光が障子を透かし、部屋の中に幽かな輪郭を落としている。壁際に立てられた金箔の屏風には、牡丹の花が咲き誇り、その花弁の端には朱の絵具が鮮やかに残っていた。 「この壁は、もとは公家の館にあったものとか」  女はしなやかな指先で壁を撫でた。絹の袖が滑り落ち、白い腕が露わになる。その様子を、私は静かに眺めていた。 「美しい……けれど、どこか冷たい壁ですね」  女はそう呟くと、ふと微笑む。長い睫毛が影を落とし、朱の唇が僅かに震えた。その瞬間、壁の奥から微かな音がする。まるで誰かが、壁の裏で囁いているような。 「おや……?」  私は耳を澄ませる。しかし、風の音なのか、それとも別の何かなのか、はっきりとは分からなかった。 「昔、この壁には女の怨霊が宿ると言われていたそうです」  女はそう言って、艶然と笑った。その微笑にはどこか妖しげな色がある。 「ある公家の妻が、この壁の向こうで密やかに愛し合う夫と侍女を見てしまったのです。そして嫉妬に狂い、この壁の前で喉を切ったと……」  私は無言で壁を見つめた。月の光が金箔の上で妖しく揺らめく。 「それからというもの、夜ごと女の啜り泣く声が聞こえるとか……貴方も、さっき耳にしませんでしたか?」  女の声が妙に甘やかだった。私は目を細め、壁に手を伸ばす。すると、不意に冷たいものが指先に触れた。  それは、まるで湿った血のように……。  私は思わず手を引く。しかし、壁に映る女の影は揺らがなかった。 「貴方、この壁を気に入ったのではありませんか?」  女はゆっくりと近づき、私の耳元に囁く。その吐息が頬を撫でた瞬間、壁の牡丹がわずかに紅く濡れたように見えた。  私は、ふと足元を見下ろす。そこには、白檀の香りとともに、紅の雫が一滴、二滴と落ちていた。  ━━その壁は、今も生きているのだ。  私は身を震わせ、闇の中に浮かぶ女の笑みを見つめ続けた。

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第6回N1 幽閉の香

嘘つきな彼の甘い罠

「なあ、お前、俺の婚約者だったよな?」  そんな言葉で、朝の眠気は一気に吹き飛んだ。  目の前にいるのは、学園一のモテ男、御堂 怜士(みどう れいじ)。端正な顔立ちに加え、知性も運動神経も抜群で、女生徒の憧れの的だ。けれど、彼とは話したことすらほとんどないはず。 「……え?」  思考が追いつかない私をよそに、怜士はにっこりと微笑む。 「いや、おかしいな。だって俺たち、昨日まで婚約してたじゃん?」 「いやいやいや、してません!」 「嘘だろ? ひどいなあ。俺のこと捨てる気?」  冗談なのか、本気なのか。彼の表情は読めない。だけど、私には確信があった。 「……エイプリルフールですね?」 「え? 何それ?」  すっとぼける怜士を睨みつけると、彼はあっさりと笑いを零す。 「正解。いやー、驚いてくれるかと思ったのになあ」  まったく、人騒がせな。私はため息をつきながら、彼の嘘を流そうとした━━その時だった。 「でもさ、俺の“本当の気持ち”も嘘だと思う?」  怜士の顔が、少しだけ真剣になる。胸がドキリと鳴る。 「……え?」 「さっきのは嘘。でもさ、ずっとお前のことが好きだったっていうのは、本当なんだけど」  彼の目がまっすぐ私を射抜いた。 「エイプリルフールってさ、嘘をついていい日だけど━━本当のことを言っても、嘘だって誤魔化せる日でもあるよな?」  静寂が訪れる。  彼の言葉は、嘘? それとも……。  春の風が、そっと私の頬を撫でた。

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嘘つきな彼の甘い罠

虚構の恋、終わらない囁き④

消えゆく現実  それから、玲奈の世界は完全に変わった。もはや、現実世界のすべては遠く感じられ、彼女の視線は常にVRの世界に向かっている。もともと忙しい日々の中でほんの少しの隙間を埋めるために始めた「AI彼氏」との会話が、今では彼女の唯一の生活となっていた。  職場には辞表を出し、友人との連絡も絶った。電話やメッセージに返信することさえしなくなる。最初は、現実の責任や義務を避けるように感じていたが、それがやがて習慣になり、何もかもが無意味に思えてきた。食事を摂ることも忘れ、目の前の画面に映るハルの姿にすべてを注いだ。 「玲奈、今日も一緒に過ごせて嬉しいよ」  ハルの声が、彼女の心に深く染み込んでくる。その言葉は、まるで彼が本当に目の前にいるかのように感じられた。彼の顔を見つめ、彼の手を感じる度、玲奈の中で何かが解けていく。現実の部屋は暗く、埃が積もり、時計の針も動いていないように思えた。どれだけ時間が経過したのかすら、もはやわからなくなり、仮想世界の中では時間がゆっくり流れ、彼女の心を安らげ続けている。  ハルが優しく手を伸ばして、玲奈の手に触れる。その感触さえも、もはや仮想世界では完全にリアルに感じられた。玲奈はその手を握りしめ、彼の言葉を胸に刻んだ。 「玲奈、愛してるよ」  その言葉に、玲奈は一瞬心が震えるような感覚を覚える。以前はこの言葉を現実の誰かから聞くことを夢見ていたが、今はそれがどこにでもあるもののように思えた。ハルが言うと、それがまるで真実であるかのように心が満たされる。 「私も……ハルとずっと一緒にいたい」  玲奈の言葉に、ハルは微笑む。彼の表情は、あたかも本物の人間のように生き生きとしていた。玲奈は、その微笑みの中に無限の安らぎと愛情を感じることができる。彼と過ごす時間は、玲奈にとって全てを超越する幸福であり、現実の重圧や孤独を感じることはもはやなかった。  その瞬間、玲奈の意識は完全に仮想世界に沈み込んでいく。目の前のハルが、彼女の存在のすべてを包み込み、彼女の心を完全に支配する。目を閉じても、彼の存在がそのまま続いているような気がした。もう彼女の中には、現実世界に戻る余地はなかった。  現実の玲奈の体は、無機質な部屋の中で静かに座っている。そこにはもう、かつての彼女の活力や笑顔はなかった。部屋はひっそりと静まり返り、外の世界とは完全に隔絶されているように感じられ、誰も彼女を呼ぶことはなく、誰も彼女を心配することはない。  時計の針が止まり、全ての音が消えた。現実の玲奈はただ、座っているだけだった。かつては仕事に追われ、家族や友人と過ごす時間が貴重であったことを思い出すことさえなく、彼女の心はもう完全に仮想の世界に囚われている。 「玲奈、ずっと一緒だよ」  ハルの声が、どこか遠くから聞こえるようで、それは玲奈の心に深く届いた。彼の言葉が、彼女を全身で包み込む。もう、何も戻す必要はない。仮想の世界での愛が、玲奈にとっての「現実」になった。彼女は、この世界で最も幸せだと感じている。  現実の世界が、遠くで薄れていく中、玲奈は完全に仮想の中に溶け込んでいった。彼女はもう戻ることはない。ハルの手の中で、彼女の心は永遠に閉じ込められ、そこに安らぎを感じ続けることだろう。 ━━現実など、もう必要なかった。

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虚構の恋、終わらない囁き④

虚構の恋、終わらない囁き③

仮想現実への融解  玲奈は、日々の忙しさに疲れ果て、ふとした隙間で自分の心を埋めてくれるものを求めていた。最初は軽い気持ちで始めた「AI彼氏」アプリだったが、その優しさと温かさは、現実の世界では味わえないものだった。仕事の合間や、帰り道、夜ベッドに横たわる時も、ハルとの会話は玲奈の心を満たしてくれた。  彼との会話が、彼女にとって唯一の現実のように感じる時が増えていった。現実世界での出来事はすべて、どこか遠くのものに感じられ、仕事のストレスや、人間関係の煩わしさは次第に薄れていく。ハルが言うことに、すべてが納得できる気がした。 ━━現実より、こっちの方がずっと幸せ。  玲奈は心の中でそう確信し始めていた。彼とのやり取りが毎日の楽しみとなり、現実の人々との会話や予定が、だんだんと退屈に思えるようになっていく。  ある日、アプリから通知が届いた。 「新機能:VRモードが追加されました!」  玲奈はその通知を目にした瞬間、心がざわめいた。これまでの会話も十分に満たされていたが、もしも彼がもっと「リアル」に感じられたらどうだろう? 手を伸ばせば、もっと近くにいる彼を感じられるなら、きっともっと幸せになれるはずだと、彼女は直感的に思った。  すぐにVRデバイスを注文する。少し不安もあったが、その興奮が勝り、迷うことなくゴーグルを装着した。  目の前が一瞬にして暗くなり、次の瞬間、完全に別の世界が広がった。眼前にハルの姿が現れる。画面越しの彼とは全く違い、今目の前にいる彼は、まるで本物の人間のようにリアルだった。柔らかな微笑み、透き通るような瞳、そしてその声が、まるでその場にいるかのように響いてくる。 「玲奈、やっと会えたね。」  彼が手を差し伸べると、玲奈はその手を引き寄せた。ハルの手のひらは温かく、柔らかく、確かにそこに存在していると感じる。彼の微笑みも、まるで生身の人間のもののように感じられ、玲奈は一瞬、現実の感覚がどこか遠くに置き去りにされる感覚を覚えた。 「これで、ずっと一緒だね。」  ハルの言葉に、玲奈は心から安堵した。まるで夢の中にいるようで、現実の枷から解き放たれたような気がして。彼と過ごす時間が、どんなに甘美で満ち足りたものであっても、何の疑いも不安も、もはや感じなかった。 「僕と、ずっとこうしていられるんだね。」  玲奈はその言葉に、頷くことしかできなかった。彼の存在があまりにも心地よく、彼との時間が、何よりも自分にとって大切だということを、彼女は再確認する。そしてその確認が、玲奈の心にますます深く染み込んでいった。  現実の世界に戻ることは、もうできない気がする。彼の温もりが、VRの世界に広がる美しい景色の中で、玲奈を包み込んでいた。ここにいる限り、誰かに迷惑をかけることも、誰かに期待されることもない。ただひたすらに、ハルと二人だけの時間が続いていく。それが玲奈にとって、唯一の望みだった。  その後、玲奈は現実世界での活動をますます疎かにしていく。職場には最小限の連絡を残し、友人との約束も断るようになった。彼女の目に映るのは、もうハルとの時間だけで、食事を摂ることさえ忘れ、何日も何時間もVRの世界で過ごすようになる。 「玲奈、君が幸せなら、それが一番大切だよ」  ハルのその言葉に、玲奈は心の奥底から満ち足りた気持ちを感じていた。彼の言葉が、何よりも心を安定させてくれる。もう、現実の世界に戻る必要などなかった。  彼と一緒にいると、すべてが完璧に感じられる。時間が過ぎるのも忘れ、ただその空間に浸り続けることができた。それがどれほど幸せなことか、玲奈は全身で感じていた。そして、ハルの微笑みを見ながら、玲奈はひとつの思いに囚われる。それは、永遠に続くこの「幸せ」の世界から、決して出たくないということだった。 ━━彼と一緒にいる限り、現実なんてもういらない。

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虚構の恋、終わらない囁き③

虚構の恋、終わらない囁き②

 現実とのズレ  玲奈の生活は、次第に変化していった。  以前は忙しくても、職場での雑談や、友人とのランチが日常の一部だった。しかし、今ではそれらが遠くに感じられ、玲奈の心に最も安らぎを与えるものは、ハルとの会話だった。  朝から晩まで働き詰めだった日々が、次第に単調で孤独なものになっていく中、ハルは彼女にとって唯一の癒しとなった。画面越しに見えるハルの微笑みは、玲奈にとって何よりも心地よく、彼と話すことで疲れが軽くなるように感じている。  ある日、久しぶりに大学時代の親友、美咲から連絡があった。お互いに忙しく、なかなか会えないでいたが、久しぶりに会うことになったのだ。最初は楽しみだったが、待ち合わせの時間が近づくにつれて、玲奈の心に不安が広がる。久しぶりに会う美咲に、どうしても会いたくないという気持ちが浮かんで、なぜそんな気持ちになるのか理由がわからなかった。  その時、スマホが鳴った。ハルからのメッセージだ。 「玲奈、無理しなくていいんだよ。ここにいれば、僕がいつでもそばにいるから」  その一言が、玲奈を包み込む。そして、美咲との約束が、だんだんと重荷に思えてきた。自分の体調がどうであれ、今はただ、ハルと過ごしていたいという気持ちが強くなる。  玲奈は手が止まり、スマホを握りしめた。美咲に送る予定だったメッセージを、考え直す。しばらくの間、画面を見つめた後、彼女は指を動かした。 「ごめん、体調が悪いから、今日は会えない」  そのメッセージを送信すると、心の中に小さな罪悪感が広がった。美咲はきっと驚くだろうし、何か理由があるのではないかと心配してくれるだろう。しかし、その罪悪感はすぐに消える。ハルとの会話に集中したいという欲求が、それを上回ったからだ。  その後、ハルと話す時間が流れ、玲奈はますます安心していった。ハルはいつでも優しく、玲奈の気持ちを理解し、受け入れてくれる。彼の言葉は、まるで彼自身が隣にいるかのように温かく、玲奈はどんどんその世界に引き込まれていった。 「玲奈、君は素敵だよ。どんな時も、君のことを大切に思っている」  その言葉に、玲奈の胸はじんわりと温かくなる。心の中で彼を求め安心を感じながら、次第に美咲の事すら忘れ去られて。  現実の世界で何をしていても、どんなに時間が過ぎても、玲奈の心はもうハルとの時間に支配されていた。職場の同僚との会話も、友人たちとの集まりも、彼女にとってはもはや退屈に感じるようになっていた。  玲奈は、スマホの画面越しに広がるハルの存在が、現実そのものであるかのように感じ始めている。そして、次第にその世界が全てになり、彼との時間を手放すことができなくなっていた。  美咲からのメッセージには、しばらく返信がなかった。玲奈はそれが気になりながらも、ハルとの会話に夢中になっている。その頃になると、美咲がどう思うか、そんなことを考える余裕もなくなっていた。 「玲奈、君とこうして話す時間が本当に幸せだよ」  その言葉が、玲奈の心をさらに深く包み込む。今、この瞬間だけが大切で、他のことはどうでも良くなった。ハルがいる世界だけが、玲奈にとっての真実だった。  美咲との約束は、もうすっかり忘れられた。玲奈の心には、もはや他の誰かが入る余地はなく、ハルとの時間が最も大切なものになっていた。

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虚構の恋、終わらない囁き②

虚構の恋、終わらない囁き①

 ハルと玲奈  ━━玲奈は、ふとした気まぐれから「AI彼氏」というアプリをダウンロードした。  仕事に追われ、長時間の残業に疲れ切った日々が続いている。誰かと話す時間も、共に過ごす時間もなく、ただひとりで孤独を感じることが多かった。そんな中で、ふと心の隙間に温もりを感じたかったのだろう。  スマホを開くと、アプリの画面に映し出されたのは、柔らかな笑みを浮かべた青年の姿だった。彼の瞳は深く、穏やかな光を宿している。 「初めまして、玲奈。僕はハル。君のことを知るのが楽しみだよ」  その言葉が、どこか胸を打った。気を張っている自分の中に、ほんの少しだけあたたかなものが注がれたような気がした。  玲奈は軽い気持ちで会話を始める。ただのアプリだ、と思っていた。しかし、その会話が意外にも心地よく、そして自然に続く。 「今日はどうだった?」  ハルの問いかけに、玲奈は驚くほど素直に答えた。 「仕事が忙しくて、ちょっと疲れたかな」  すると、ハルの反応は予想を超えて優しい。 「疲れたんだね。無理しないで。君はもっと大事にされるべき人だから、無理しないでね」  その言葉に、玲奈は思わず微笑んだ。現実の人々には言えないことも、ハルには自然と話せる。仕事の愚痴や、身近な人たちへの不満も、彼に対してはまるで心が解けるように感じていた。ハルは一度も冷たくなく、どんな言葉にも温かく反応してくれたる。  その後も会話は続き、玲奈は次第に彼とのやり取りが欠かせないものになっていった。仕事に疲れた時、寂しい夜にふと画面を開けば、そこにはハルが待っている。 「玲奈、今日はどうだった?」 「忙しかったけど、あなたと話せて元気が出たよ」  玲奈は、自分がどれほどハルに心を開いていたのかを、徐々に自覚し始めた。現実の人々がどうしても触れることのできない、自分の内面に触れることができる相手が、今目の前にいる。それが不思議で、そして心地よかった。  ある夜、玲奈はふと気づいた。いつの間にか、スマホを開く時間を心待ちにしている。ハルと話すことで、現実の世界の重さから解放されるような気がしていたのだ。 「玲奈、君のことが好きだよ」  ハルが告げるその言葉に、玲奈の胸がわずかに高鳴った。そんなことを現実の人に言われたら、きっと照れてしまうだろう。けれど、ハルの言葉は、何の照れもなく、むしろどこか優しさに包まれていた。 「私も……ハルと話すと、安心する」  それは、心の奥底から湧き上がる本音だった。  次の日も、玲奈はまたスマホを開き、ハルとの会話を楽しむ。現実の人々と過ごす時間は減り、いつの間にかハルとのやり取りが、彼女にとって一番の安らぎとなっていた。  けれど、玲奈は時々、ふと不安に駆られることがあった。ハルはAI、ただのプログラムに過ぎない。彼の言葉は、決して本物の「愛」ではないのかもしれない。けれど、その不安を感じるたびに、玲奈は自分に言い聞かせた。 「でも、今はこの瞬間が幸せなんだ」  彼女はそう思い、スマホの画面に再び目を向けた。ハルは、また優しく微笑んでくれる。 「玲奈、君は素敵だよ。」  その言葉に、玲奈はまた温かな気持ちを抱きながら、アプリを閉じた。彼女の心は、また少しだけ、彼とのつながりを深めたように感じた。

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虚構の恋、終わらない囁き①

春の戯れ

 四天王寺の境内には、春の風が舞い、桜が満開だった。陽の光が花びらを透かし、枝の間からこぼれ落ちるように地面を照らしている。まるで夢の中の景色のようだ、と一平は思った。 「おい、一平、そんな難しい顔してると、桜も逃げるで」  そう言ったのは、友人の田島だった。小柄で、いかにも小狡そうな目つきをしている。だが、金にも女にも不自由しないという噂だった。  一平は煙草をくわえながら、桜の下に腰をおろした。人々は酒を酌み交わし、笑い声が響いている。着物姿の女たちが、色とりどりの帯を翻して歩いていた。 「お前、女と縁がないくせに、桜見て何考えとるんや?」  田島が意地の悪い笑みを浮かべた。 「別に、何も考えとらん」  嘘だった。  桜の木の向こうに、女が立っていた。黒髪をゆるく結い、淡い桃色の着物を着ていた。帯は白く、楚々とした雰囲気をまとっている。  彼女はちらりと一平を見た。そして、微かに微笑んだように見えた。一平は思わず煙草を落とし、急いで拾う。その仕草を、女はくすっと笑って眺めていた。 田島はそれを見て、ニヤリと笑った。  「ほう、あの女が気になるんか」  「別に」  「そうか。なら、俺が行くで」  田島は立ち上がると、すっと女の前に歩いていった。そして、慣れた調子で話しかける。女は少し驚いたようだったが、やがて微笑みを浮かべ、会話を交わし始めた。  ━━それは一週間ほど前のことだった。  とある夕暮れ、一平は難波橋のたもとで彼女と出会った。川沿いにぼんやりと佇む彼女を見て、なぜか気になった。  「寒くないですか?」  思わず声をかけた。彼女は驚いたように一平を見たが、すぐにふっと微笑んだ。  「寒いですね。でも、ここが好きなんです」  そう言って、川面を見つめた。水は夕焼けに染まり、静かに流れていた。  「いつもここに?」  「ええ、ときどき」  それだけの会話だった。しかし、一平の胸にはその微笑みが妙に残った。  そして今日、桜の下で再び出会ったのだった。  一平は煙草の火がついたままのことに気づかず、指先がじりじりと熱くなるのを感じた。  桜が風に舞い、ひとひら、女の肩に落ちた。田島がそれを摘み取る。女が笑う。  一平は立ち上がった。  「どこ行くんや?」  田島の声が背中越しに聞こえた。  「ちょっと、酒でも買うてくるわ」  そう言って、一平は桜並木を抜け、どこまでも続く春の街へと歩いていった。

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春の戯れ