相澤愛美(@アイアイ)
90 件の小説ラスト・ウィッチ(5)
壮絶な戦いの後、晴人は絶命した。 生き残った魔女は晴人に近付き、息をしていない事を確認すると、辺りを見渡して何処かに消えて行く。 血だらけになった晴人の左手にはスマホが握られており、彼は最期の力を振り絞り、誰かに電話をかけていた。 発信先は兄の鷲尾 龍二だった。 ※ ※ ※ ※ ※ 「鷲尾分隊長!ご司令を!」 「分隊長!東ゲートからも魔女が攻めて来ます」 「分隊長!」 部下達から詰め寄られた山羊の分隊長、鷲尾 龍二は、次々に攻めてくる魔女達を見つめ、無言でゆっくりと右手を上げた。 「撤退する……各自、山羊本部に戻れ」 壁にもたれ、地べたに座り込んでいたヴァルプルギスは、撤退の合図を聞きパッと頭を上げ、龍二に問いかける。 「それ本気で言ってる?」 「山羊本部が落とされたら日本は終わりだよ?」 「しかし隊員達の家族を焼き払うワケにはいかないんだよ……」 龍二はヴァルプルギスにそう言い放ち、唇を噛み締めながら過去のサバトで死んでしまった妹の事を思い出していた。 前回のサバトは今から5年前、魔女オルギア率いる魔女達の中に、龍二の妹の梨花(りんか)は居た。勿論、彼女は鷲尾 晴人の妹でもある。 サバトで混乱していた東京(現トウキョウ)。 龍二はオルギアを追う最中に、渋谷の交差点にて魔女化した妹に襲われた。それを当時の上司が撃った。 龍二は上司を責めることはしなかった。薬物に手を出した妹が悪い、そう思っていた。 だが、現実は違った。司法解剖の結果、妹はサクラメントを使用していなかったのだ。 魔女オルギアはサバトを行う為に、自分の血液を都内の水道水に少しづつ混ぜていた。それを飲んだ女性達は徐々に魔女化していった。 当初、その事件に日本政府は対応できず、事実を公表せずに隠蔽した。 罪の無い女性を捕まえ、虐待、拷問を行ったトウキョウ魔女裁判は、オルギアを探し出す為に行われたと報道されている。 しかし実際は、事実を知っている女性の口封じを狙った政府による大量虐殺だったワケだ。 薬物に手を出してしまったと、世間から汚名を着せられ死んで行った妹の為に必ず事実を証明し、マスメディアに公表すると龍二は誓った。 その為にはオルギアを捕まえ、彼女の口から自白してもらう必要があったのだ。 「……鷲尾分隊長?スマホ鳴ってる」 ヴァルプルギスの呼びかけに、ふと我に返った龍二は、建物の壁に隠れて胸元のポケットからスマホを取り出し、確認した。 「晴人から……?」 すぐに電話に出た龍二だったが、電話の向こうの晴人は終始無言で、その近くからは魔女の唸り声だけが聞こえていた。 「まさか……晴人が……」 龍二は晴人のスマホの位置を探り、すぐ近くだと確認すると、山羊本部に停車していた装甲車に乗り込み、エンジンをかけた。 「また大切な家族を失うのか……俺は」 「くそ!」 近くにいた部下がその龍二の行動に気付き、装甲車に駆け寄ると運転席の窓を何度も叩く。 「鷲尾分隊長!待ってください!どこに行くのですか!?」 「私達はどうすれば!?」 近くに居た部下の制止も虚しく、無我夢中の龍二は装甲車を発進させ、晴人のいるであろう首都高速出口まで急いだ。 その道中、街を徘徊する魔女達を数人見かけたが、どの魔女も動きが鈍くなっており、中には地面に倒れている魔女も居た。 「どうなってるんだ……これは」 「魔女達の力が弱まっている……」 ※ ※ ※ ※ ※ 姉のオルギアと対峙していた切子は、先程から全く動かなくなった姉の肩に触れていた。しかしその手はまだ、恐怖で震えている様子だった。 切子は恐る恐るオルギアの口元に顔を近付けると、オルギアはまだ微かに息をしていた。 アルビオンブラッドを打ち込まれたオルギアは、体内で二つの血液が混じり、急激なアレルギー反応を起こしている。 晴人の仮説によると、オルギアが死んだ時に全ての魔女の力は失われ、魔女化していた女性達は元に戻る。 それはオルギアの血液に含まれるナノ遺伝子が、魔女達をコントロールしており、司令塔であるオルギアが基地局の役割を担っているからだ。 オルギアが倒れた今現在、魔女達の力が弱まっているのは事実。 晴人の予想は的中していた。 微動だにしないオルギアは、実は体内で切子と戦っている最中。闇の血液と光の血液がお互いの効力を打ち消し合っていた。 切子は近くの端材で手のロープを切り、動かなくなった姉のオルギアを背負い、ゆっくりと一歩ずつビルの端に向かった。 「鷲尾先生……ごめんなさい」 「私達……もうこの世界には居れない」 「お姉ちゃんと一緒に行くわ……」 涙を流しながらビルの下を覗いた切子は、息を大きく吸ってから、ためらいも無くオルギアを背負ったまま屋上から飛び降りた。 その瞬間、バサバサとオルギアの背中から四枚の黒い羽が生え、大きく羽ばたいた。 ビルから落下して行く切子は背中から聞こえるその重厚な羽の音に気付き、思わず姉の顔を見る。 オルギアは目を真っ赤にして見開いており、黒い髪の毛の半分は白く変色していた。 「残念ね切子……あなたの負けよ」 「そんな……」 月夜に照らされた二枚の漆黒の羽はオルギア自身を包み込み、後の二枚は激しく羽ばたいて切子を空中で振り落とした。 「きゃあ!」 切子は払われた勢いでクルクルと回転し、そのまま地面に落下して行った。 装甲車からその様子を見ていた龍二は、ブレーキを踏み込み車から降りた。 「見つけたぞオルギア……そこに居たのか!」 龍二は肩に掛けていたマシンガンを構え、オルギア目掛けて連続で銃弾を放った。 その距離約八百メートル、元々長距離用の武器では無かった為か弾道は半円を描きながら逸れ、それをスコープで確認した龍二は銃を一旦下ろす。 「クソっ!ここからじゃあ奴にカスリもしない!」 すぐ様車に乗り込み、アクセルを踏み込む龍二だったが、ハザードを点滅させながら道路脇に止められていた見覚えのある赤いバイクを見つけて、彼は息を飲んだ。 「は……晴人……」 車から飛び降りた龍二は足がもつれながらも血だらけの晴人に駆け寄り、肩を掴んで揺らした。 龍二の心臓の鼓動は激しく脈打ち、身体全身から力が抜けて行く感覚を感じる。 「晴人!おい晴人!しっかりしろ」 兄はすぐ近くに落ちていた晴人の右腕に気付き、魔女との壮絶な戦いをしていた事を理解した。 龍二は自分の服をビリビリと破り、晴人の切断された右腕の傷口付近を縛り上げた。 言わば彼は戦場のプロ。晴人が既に事切れていた事は承知の上だったが、家族の死に向き合えない感情が、彼に正常な判断や行動をさせなかったのだ。 「晴人……よく頑張ったな……」 「勉強しかして来なかったお前が、まさかこんな場所まで一人で来るなんて」 龍二は涙を流し、晴人を抱きしめた。 最後に交わした二人の会話は妹の葬式の帰り際だった…… 「晴人、何か困った時は……連絡して来いよ」 「大丈夫だ兄貴、困った時なんて来ないよ」 「もし次に兄貴に連絡する時は、死ぬ直前かも知れないな」 龍二は五年前に交わした何気ない会話を思い出す。 「何故晴人は最後に俺に電話をして来たんだ……」 「何か俺にして欲しいのか?」 「……何かして欲しい」 「まさか……」 龍二は何かに気付き。晴人のポケットを探った。すると右ポケットから一本の注射器が出てきた。 月の光に照らしてみると、それは白く輝きを放ち、注射器の中でユラユラと揺れていた。 「何だこれは……」 その注射器に張られたシールに何か書いてある、それは紛れもない晴人の筆跡だった。 “対オルギア用高濃度アルビオンブラッド” ラスト・ウィッチ(5)終
【ザッピング小説】如月駅(上)
“きさらぎ駅”それは、数年前にインターネット上で話題になった都市伝説の駅。 ある男性が終電で寝過ごしてしまった時に、見知らぬ駅に着いてしまった。そこの駅看板には“きさらぎ駅”と書いてあり、昭和の時代にタイムスリップしたかの様なノスタルジックな風景と、誰もいない街の不気味な雰囲気。 一度足を踏み込むと二度とは帰れない、そんな話だった気がする。 仕事中の梶原 雅人(かじわら まさと)は、営業先のお客との会話でそんな話題が出た事があった。 都市伝説が好きな客で、荷物を納品する時には毎回一話ずつ都市伝説を聞かされる。 興味の無い話題に雅人はウンザリしていたが、取引先との関係を悪くしたくない雅人は仕方なく笑顔で聞いていた。 「どうだ?中々良くできた都市伝説だろ?」 「えぇ……眉唾ですけど」 「そう思うだろ?だけど最近また話題になってるんだ」 そう話すお客は、雑貨屋を営む“かんぺき屋”の店主だ。日本各地の骨董品を集めて販売している。雅人は印刷屋に勤務しており、この日は印刷し終わった納品書を持って来たのだった。 「最近何かあったんですか?」 「インターネットの掲示板に、あのきさらぎ駅から帰って来た奴が出てきたんだよ」 「え?二度と帰って来れない駅なんじゃ……」 雅人はわざとびっくりした反応を見せた。早く次の納品先に行かないといけない雅人だったが、近々値上げの話をしないといけない状況もあったので、この日は店主のご機嫌を伺っていたのだ。 「これだよ。見てみなよ、後から“印刷屋”さんにLINEでURL送っておくから」 「ああ……ありがとうございます」 (印刷屋さん……まだ俺は名前を覚えてもらえてないのか……) かんぺき屋の店主に別れを告げ、雅人は白いバンに乗り込み、次の納品先に向かった。スマホを確認すると、既に店主からLINEが届いており、その通知を見た雅人は更にウンザリする。 「都市伝説なんて作り話を延々と聞かされるこっちの身になってみろよ」 「忙しいのに……めんどくせぇな……」 そうボヤきながら、LINEの通知をタップした時、一瞬スマホが真っ暗になった。 「あれ?充電切れた?」 もう一度電源を入れ直そうと画面を触っていた雅人だったが、真っ暗になった画面に映っていた自分のすぐ後ろの後部座席に女性が座っている事に気付く。 「ええ!え?」 雅人はパニックになり、すぐに後ろを振り向いたが、そこには誰も居なかった。 「今のは……何だ?」 気のせいだと思いながらスマホに目をやるといつもの画面に戻っており、雅人はフゥっと安堵のため息をつきながら車のエンジンをかけた。 ※ ※ ※ ※ ※ 仕事を終えてアパートに帰宅した雅人は、買い物袋をキッチンの机にドサッと置き、すぐ様プシュっと缶ビールのタブを起こした。 「あーー美味い!」 塩ゆでした枝豆を頬張りながら、まとめ録画していたバラエティ番組を見ていた雅人だったが、何となく昼間の店主の言葉が頭に残っていた。 「この令和の時代に都市伝説なんて……」 「でも、既読無視するのも良くないから、一応チラッと見てみるか……」 かんぺき屋の店主が笑顔で写っているアイコンをタップし、店主から昼間に送られて来たURLを開いた。 そのサイトはきさらぎ駅についての考察や感想が書いてある掲示板で、既に数万人が書き込みをしている老舗の掲示板だった。 最新の書き込みを目で追って行くと、確かに店主の言う通り、きさらぎ駅から無事に帰って来たと言う報告が書いてある。 「私はハンドルネーム常世(とこよ)」 「私はきさらぎ駅に辿り着いたが、無事に帰って来れた。その時の様子を詳しく書き込む」 雅人はため息をつき、途中まで読んでサイトを閉じた。 時計を見ると時刻は夜中の二時過ぎ、寝室に向かう雅人は自身のスマホに新しいLINEが来ている事に気付いた。 「こんな夜中に……誰だ」 送り主は雅人の彼女、悠乃(ゆの)からだった。 「如月駅」 LINEにはその一言だけが書かれており、不審に思った雅人は悠乃にすぐ電話をかけた。 しかし彼女のスマホの電波は通じず、スピーカーにしていたスマホからは、機械的なアナウンスだけが繰り返し鳴り響く。 「悠乃、どうしたんだ?全然電話が繋がらないけど……」 ※ ※ ※ ※ ※ それから数日経っても雅人は悠乃とは連絡が取れなかった。彼女は行方不明になってしまったのだ。 彼女の親や親戚、警察にも相談しているが、一向に見つからない。 何か事件に巻き込まれてしまったのか…… 落胆した雅人は、悠乃から最後に来たメッセージを見つめながらある事を思い出していた。 「如月駅……きさらぎ駅……」 「あの掲示板の書き込みと関係があるのだろうか……」 気になった雅人は仕事場の事務所のパソコンを使い、例の掲示板に書き込みした人物にメッセージを送ってみた。 彼女からのLINEの事や、行方不明になってしまった事、ここ数日の出来事を全て書き込んだ。 すると以外にもすぐにリプライが返って来た。 「都内喫茶店でお話しませんか?」 掲示板の常世と名乗る人物は、雅人に直接会って話がしたいと申し出て来たのだ。 すぐに雅人は半休を取り、約束の場所に指定した都内の小さな喫茶店に向かった。そこには既に常世と名乗るジャージ姿の男性は到着しており、雅人が店内に入ると彼は軽く会釈をした。 スーツ姿とジャージ姿の異様な組み合わせで窓側の席を陣取った二人は、ブラックコーヒーだけを二つ注文して、周りに聞こえない様に小さな声で会話を始める。 「この度は彼女さんは大変でしたね……」 「はい……如月駅とメッセージが来たあと行方不明になってしまって」 常世と名乗る人物は、ブラックコーヒーを飲もうとしたが、何故か一度はコップを掴めず指がツルっと滑ってしまった。 よく顔を見ると常世は片目が白濁しており、恐らくコップとの距離感が掴めなかったのであろう。 「ああ……これですか?ははは……」 常世は白濁した自分の右目を指先して笑った。 「いや、すみません。何か、ジロジロ見てしまって……」 「これは、如月駅に迷い込んだ時に穢人(ケガレビト)にやられたんですよ」 「穢人……?」 「あやつらは駅に迷い込んだ人間の魂を喰らう化け物です」 「駅から帰って来れないのは、穢人の仕業なんですよ」 雅人はこの人間の言葉が全く理解できずにいた。 一旦窓の外を眺める雅人だったが、街を忙しく走る営業マンが目に入ると、わざわざ半休まで取って、この場所に来てしまった事を後悔し始めていた。 「で、僕はどうすれば悠乃の所に行けますか?」 半ば半信半疑になっていたが、とりあえず聞いてみた。 「渋谷駅から夜中に出る電車に乗って下さい、最終電車の後に来る電車です」 「最終の後に来る電車?」 最終電車の十二時四十分の後には、もう始発しか来ないハズだったが、常世の言うにはもう一本電車が来るらしい。 「一時八分の電車です。先頭にある行先パネルが真っ黒になっている、無人の電車に乗ってください」 「えぇ……そんな話が……」 雅人がそう言ってニヤけながら常世の顔をチラッと見ると、彼は真剣な表情をしていた。 それを見た雅人はすぐにブラックコーヒーを飲み、コップで自分のニヤけ顔を隠した。 「この切符を持って行ってください」 「これは僕の助けられなかった奥さんの分の切符です」 そう言って机に差し出されたボロボロの黄色い切符には、如月駅から渋谷駅と書いてある。 「この帰りの切符は一枚しかありません、もしきさらぎ駅に辿り着いても、切符がなければあなたは帰れない」 「それでも良ければ、彼女に渡してあげてください」 雅人はその切符を見て驚いた、悠乃から来たLINEには“如月駅”と書いてあった。 インターネットには“きさらぎ駅”としか書いていない。この漢字の如月駅は検索してもどこにも書いていないからだ。 「驚きました?」 「え?」 「きさらぎ駅の真実は、私とあなたしか知らない」 「本当のきさらぎ駅の漢字は、如月駅なんです」 そう言って、紙にペンで“如月”と走り書きをする常世は、何故だか楽しそうにしていた。 「駅の表札には如月駅と書いてあります。実際に行った人間しか分からない情報だ」 「本当に……悠乃は如月駅に迷い込んでしまったのか……?」 常世に礼を言うと、雅人は切符を受け取り、喫茶店を後にし、ぼうっとしたまま渋谷駅に向かっていた。 「切符が無いと帰って来れない……?」 「そんな馬鹿な話があるか……」 雅人は渋谷駅のホームで、以前悠乃から貰ったピンクのお守りを握り締めていた。 それはオリジナルのお守りが作れる神社に行った時に、悠乃が作ったお守りだった。 “浮気禁止祈願”そう書いてあるお守りの裏には、雅人と悠乃の名前が書いてある。 「悠乃……本当にどこに行ったんだよ……」 夜の一時過ぎ、駅から人の気配が無くなり、いつもなら賑わっている渋谷駅に静寂が幕を降ろした。掃除をしていた係員も居なくなり、ポツンと一人だけになってしまった。 「何時間も時間を無駄にして、もし電車が来なかったらホームにいるただの不審者だ」 時計を確認すると、一時八分。そろそろそれらしき物が来ても良い頃だが…… 「来ないか……やっぱり……」 座席から立ち上がり、駅の階段を登ろうとした時に、駅の構内に一台の電車が入って来た。 雅人は慌ててホームに戻ると、そこには古い型式の電車が扉を開けて雅人を待っていた。 中には人影は見当たらず、車掌さえも居ない。不気味な電車だった。 「あの人が言ってたのはこれか……」 電車の先頭の表札には、“回送”と書いてあったが、雅人がそれを確認すると突然パタパタと回転し、文字が書いていない真っ黒な表札に変わった。 「間違い無い……この電車だ」 「悠乃……待っていてくれ、今行くからな」 雅人は悠乃から貰ったお守りをポケットにしまうと、電車に乗り込んだ。 【ザッピング小説】如月駅(上)終 苺だいふくさんの小説(中)に続く
ラスト・ウィッチ(4)
「え、何これ?」 オルギアは首を横に傾げながら、胸に刺さった注射器を見た。 注射器の中の白い液体は淡い光を放っており、それが妹の切子(きりこ)の血液だと気付くまでには時間はかからなかった。 晴人の研究によると、切子の純白な血液アルビオンブラッドは、全ての魔女に有効とされている。勿論オルギアも例外では無い。 注射器を抜こうとした時、突然身体に力が入らなくなった彼女は屋上の床にドサリと倒れ込んだ。 「き、切子……あなた、いつの間に私に注射器なんて刺したの?」 徐々に大きくなる怒りの感情に反応する様に、今まで少女の身体だったその姿は、バサバサと黒い羽を撒き散らしながら大人の身体へと変化していく。 「病院から持って来たの……」 「お姉ちゃん、もうやめよう……」 「私は目の前で沢山の人が死ぬ事が耐えられないの……」 「切子ぉぉぉぉ!」 「許さないから!!」 激痛で震える身体を押さえつける様に、オルギアは自分の肩を抱いて妹に向かって叫んだ。 生まれて初めて姉に反抗した切子の両手は恐怖で震え、その表情には戸惑いの様子が表れていた。 「鷲尾先生……わたし……」 ※ ※ ※ ※ ※ 同時刻、切子救出とオルギア討伐に向かっていた鷲尾 晴人は、山羊(やぎ)本部まであと少しの所で、数十人の魔女達に囲まれていた。 「今回のサバトはえらく規模がデカそうだな……」 「あちこちに魔女がいるじゃないか」 バイクから降りた晴人は、肩に掛けていた改造映写機銃を構え、銃口を魔女達に向けた。 フードによって表情を隠された魔女達は、両手を広げ、晴人に向かってジリジリと歩み寄る。 魔女となった女性の能力については、晴人はよく理解していた。スピードとパワーは格段にアップし、もし一撃でも身体に打撃を喰らえば、その部分が吹っ飛んでしまう程の力を持っている。 「切子ちゃん……力を貸してくれ」 「ここを切り抜けて必ず君を助けに行くよ!」 晴人はそう言って映写機にクランク棒をガチっと差し込み、ガチャガチャと金属音をたてながら回した。 光を放ち、火花を散らす映写機銃の先からは無数のアルビオンブラッド弾が放たれ、それが当たった魔女は一瞬で動きが止まる。 それを見た魔女達は素早く地面を蹴ると左右に別れ、お互い示し合わせたかの様な動きで銃弾を避ける。 それでも晴人は歯を食いしばりながら、魔女達に向けてクランクを回し続けた。 壁に張り付いていた魔女の一人が、晴人の隙を見て背中を大きく引っ掻き、もう一人が晴人の脇腹を引っ掻いた。 皮膚は裂け、白衣が赤く滲む。 「グゥっ……!くそっ!」 肌を焼かれる様な激痛に反応し、身体が真っ直ぐを保てなくなったが、晴人はそれでも狙いを定め映写機を撃ち続けた。 どれくらいの魔女に弾丸が命中したのだろうか…… 持ち前の運動神経の良さが幸いしたのか、魔女による致命傷は避けた。 しかし度重なる魔女の攻撃によって晴人の白衣は真っ赤に染まり、大量の出血により意識が無くなりそうだった。 思わず地面に膝をつく晴人。視界が狭くなり、思考はブラックアウト寸前だったが、切子や西山の事を想い、彼は血を流しながらも、再び立ち上がる。 「ピンチを切り抜けてこそ……ロマンだ」 「……ここを抜けて、必ず山羊本部に辿り着く!」 鮮血に染る真っ赤な白衣を翻し、晴人は映写機銃のホルダーをガシャンと開けて、丸くフィルム状に巻かれた最後のアルビオンブラッド弾を装填した。 ※ ※ ※ ※ ※ 「ヴァルプルギス!止めろ!」 「攻撃はストップだ!」 晴人の兄、鷲尾分隊長は現場の異変に気付き、火炎を放つヴァルプルギスの腕を掴んで攻撃を制止した。 「……どうしたの?鷲尾分隊長」 ヴァルプルギスは手から放つ火炎を一度消し、キョトンとして鷲尾の方を向く。 「あそこにいる魔女達は隊員の家族だ!」 「殺してはいけない!」 「え?そうなの?……」 ヴァルプルギスはクシャクシャと頭をかきながら、その場にしゃがみ込み、呟いた。 「ああ、めんどくせぇ……」 隊員の何人かは、ヴァルプルギスが焼き尽くした魔女達が、自分の妻や娘だと気付き、真っ黒に燃え尽きた死体を抱き抱え、あちこちで泣いていた。 「オルギアめ!なんて残酷な事を……」 「これじゃあ魔女を攻撃出来ないじゃないか!」 次々と壁を乗り越え、攻め入る魔女達を眺め、鷲尾は頭を抱えた。 「晴人……頭の良いお前ならどうする……」 「どうこの状況を乗り越える……」 それが聞こえたのか、聞こえなかったのかは分からないが、アルビオンブラッド弾を全て使い切ってしまった晴人は、夜空に浮かぶ月を眺めてこう呟いた。 「オルギアさえ倒せば……全ての魔女は消える」 「だけどそこには到底到達できなかった」 血だらけの晴人はバイクにもたれかかって、地面に座り込んでいた。 意識はあったのだろうか……左手でポケットの中の“何か”を探していた。 倒し損ねた魔女が一体、唸り声を上げながら、晴人に近づく。 彼女のいたすぐ傍の歩道には、血溜まりの中、映写機を掴んだままの晴人の右腕が転がっていた。 ラスト・ウィッチ(4)終
ラスト・ウィッチ(3)
“ヴァルプルギス”……それは対魔女用に開発された最終兵器。 その全貌は公式には明らかにはなってはいないが“それ”から放たれる地獄の火炎には、全てを焼き尽くす力があるとされている。 ヴァルプルギスを所持、管理している対魔女特殊部隊“山羊(ヤギ)”その中でも一際優秀な人物、分隊長、鷲尾 龍二(わしお りゅうじ)大学教授、鷲尾 晴人の実兄である。 彼は唯一、過去の魔女集会サバトにおいてオルギアを倒す寸前まで追い詰めた人物だった。 2030年8月3日AM2時 「こちら第二部隊!新宿の魔女と交戦中!」 「魔女の数が多すぎる為、救援をお願いします!」 「こちら第五部隊、大阪道頓堀にて魔女が出現!かなりの数だ」 「名古屋支部からトウキョウ本部へ!大量の魔女が出現しました!山羊の出動を要請します」 「……どうなってるんだ、一体」 全国各地から本部へ入る救援要請に、分隊長の龍二は困惑していた。時間を合わせたかの様に、全国で一斉に大量の魔女が出現したのだ。 「鷲尾分隊長!」 龍二の元に駆け付けたのは、部下の矢作 光太郎(やはぎ こうたろう)。 「魔女達が本部に向かっています!」 「遂に来たか……」 「よし、我ら第七部隊は本部の死守」 「本部からヴァルプルギスの使用許可が下りた。すぐに準備しろ」 ※ ※ ※ ※ 「鷲尾先生……何してるの?」 「映写機を武器に改造してるのさ」 「ほら、こうやると弾が射出される」 「ダダダダダダ……」 晴人が映写機にある持ち手のクランクを回すと、マシンガンの様に連続で弾が発射された。 「わぁ!先生、凄いじゃん」 「だろ?でもこれは魔女を殺す武器じゃないんだ」 「弾は注射器になっていて、切子ちゃんのアルビオンブラッドを少しずつ入れてある。魔女になった女の子達を、この弾丸で救うのさ」 「そうなんだ……」 理子は映写機を眺め、少し悲しそうにした。 「でも先生……危ないんじゃ……」 「危険を伴わない世界の救い方なんて無いだろ?」 そう言って晴人はニッコリ笑い、改造した映写機を肩に掛け、バイクにまたがった。 「もし山羊にヴァルプルギスを使われると、魔女はみんな殺される」 「もしかしたら、切子ちゃんも……」 二人は黙り、静まり返った時間が流れる。 「じゃあ……ちょっと行ってくるよ」 「うん、また映写機で授業してね」 「私、先生を待ってるから……」 それを聞いた晴人はまた笑顔になり、嬉しそうに頷いた。 「へぇ……西山さんも、ロマンが分かる様になったじゃないか」 「まぁ……映写機はもう使えないけど」 理子が晴人の顔を見て何かを言おうとした時、晴人は右手を上げ、バイクのエンジン音を響かせて遠くに消えて行った。 「先生……必ず帰って来て……」 理子は晴人から預かった最後の一本、アルビオンブラッドの入った瓶を握りしめ、そう願うのだった…… 「待ってろよオルギア……必ず切子ちゃんは返してもらう」 「そしてもう誰も殺させない……」 テールランプの尾は、誰もいなくなった首都高速をなぞり、決戦の場所、トウキョウ都心部へと向かった。 そのころ、山羊の本部には晴人の兄、龍二が部隊を率いて既に到着していた。 「鷲尾分隊長!魔女が来ました。もの凄い数です!」 「よし!正面から迎え撃つ。直ちに隊列を組み直すんだ」 龍二がライトを照らすと、防護壁を乗り越える黒い塊が見えた。それは一つの生き物の様に集合し、うごめいていた。 「来たぞ!撃て!」 マシンガンの火花に照らされ、目の前に現れたのは黒いローブを着た魔女達だった。その火薬の煙を突き抜けるように魔女達が一斉に隊員に襲いかかる。 「うわあああ!クソ!」 一人、また一人と魔女の圧倒的な力によりねじ伏せられ、黒煙の中で隊員達は倒れていった。 「くそ!なんて数だ……」 龍二は弾を装填し、必死にトリガーを引き続けるが、魔女の素早い動きに翻弄されていた。 「鷲尾分隊長!ヴァルプルギスが到着しました!」 そう叫び、部下の光太郎隊員が本部入口を指さした。 龍二が振り向いたその先には一人の黒髪の青年が立っていた。 −−彼の名はヴァルプルギス。対魔女用の特殊兵器だ。 魔女がウィッチと呼ばれるのならば、彼はウィザードとでも呼ぶべきか。 彼の特殊能力は火炎。オルギアの血液を元に作り出された特殊な血液を沸騰させ、体内温度を急激に上げることにより、大気中の酸素を発火させる。 彼の指先から放出される炎は1000℃を超え、この世の全てを焼き尽くすのだ。 「ヴァルプルギス……たのんだぞ」 「あーあ……」 「またサバトかい?僕はせっかく気持ちよく寝てたのに……」 眠そうに応えるヴァルプルギスの首にはチョーカーが取り付けられており、龍二の腕時計では、彼の精神状態が分かるようになっている。 龍二は時計を見て計器の色がブルーになっているのを確認した。 「ねえ……龍二……」 「どうした?ヴァル(プルギス)」 「あれ、三分で片付けるから、また沢山眠っても良い?」 「三分?冗談だろ……この人数をか?」 眠そうに目を擦るヴァルプルギスは右手を上げ、手のひらの上で火炎を作り出した。 その丸い火炎は数秒で人の体くらいに大きくなり、その摂氏温度は、近くにいるだけで龍二隊員の防弾チョッキがプスプスと煙を上げるほどだった。 「やばいやばい、第七部隊隊員に告ぐ!すぐにこの場から離れろ!」 龍二の無線に反応するように、第七部隊の隊員達は一斉にその場から逃げた。 「ふふふ……見てみて切子……」 「夏にピッタリな綺麗な花火が見れるわ……」 近くのビルの屋上からその様子を見ていた少女は、嬉しそうにパチパチと手を叩いた。 「あいつら魔女を何だと思っているのかしら……ねぇ?切子」 隣には病院から連れ出された妹の切子が、両腕を縛られ座らされていた。 「お姉ちゃん……まさか、あの魔女達って」 「そうよ、あの中には山羊達の奥さんや娘が紛れているわ……」 「可哀想に……ふふふ」 「なんて事を……酷すぎる……」 切子は涙を流し、その壮絶な現場から目を背けた。 「オルギア……あなたには必ず天罰が下るわ」 「鷲尾先生がこっちに向かっているのよ……」 「先生は必ずあなたを止める!」 「あんな男に何ができるのよ!あなたの血液も無しに私に勝てるわけないじゃない!」 オルギアがそう叫ぶと辺りは一瞬明るくなり、山羊本部の敷地内ではヴァルプルギスの火炎球に燃やされる魔女達の悲鳴が聞こえた。 「正に火刑に燃やされる魔女ね」 「歴史は繰り返されるわ……」 オルギアがそう呟いた時、ふと彼女は自身の右胸に注射器が刺さっている事に気付いた。 その注射器には白く輝く液体が入っており、ビルの照明に照らされユラユラと揺れていた。 ラスト・ウィッチ3 終
ラスト・ウィッチ(2)
「妹はどこだァァァ」 「妹を返せェェェ……!」 大学の中央広場では、一人の女性が大柄の中年男性の首を掴み、頸動脈を締め上げるように持ち上げていた。 「ググッ……辞めなさい、柴崎さん!」 理子の友人、柴崎 湊(しばさき みなと)は狂犬の様にヨダレを垂らし、息は荒く、既に焦点が合わない瞳は、黒目部分が無くなっていた。 「ああ、大変だ!影山先生!」 現場に駆けつけた晴人は、正気では無い湊の様子を見て驚いた。 「あれは……魔女病……?」 「湊さんはサクラメントを使ったのか?」 「違うわ先生!湊はサクラメントなんか使って無い」 それが理解できず、一瞬理子の方を見た晴人だったが、湊の太くけたたましい叫び声に驚き、二人は身をすくめた。 魔女病に犯された湊の力は凄まじく、百キロを優に超える影山を、片手で軽々と持ち上げていたのだ。 それを見ていた大勢の大学生達は悲鳴を上げながら散り散りに逃げて行った。 「ねぇ湊!お願いだから、もうやめて!」 理子がそう叫ぶと、湊は首を傾げてこちらを睨みつけ、掴んでいた影山を晴人達の方へ投げつけた。 「うわぁぁぁ!」 「ああ……くそ!影山先生、こっちへ!」 晴人はとっさに着ていた白衣を広げ、影山のクッションになる様に構えた。 白衣に背中から上手くぶつかった影山は、突っぱねられた白衣に弾かれ、アスファルトの地面に落ちる。 「影山先生!大丈夫ですか?」 「うぐぐ……鷲尾先生……彼女は危険です、すぐに山羊を呼んでください」 「ダメです!彼らを呼べば彼女が殺されてしまう」 山羊(ヤギ)とは、政府公認の対魔女特殊部隊であり、魔女を抹殺する為だけに組まれたチームだ。 彼等が通った後には対魔武器“ヴァルプルギス”によって全てを焼き尽くされ、草木一本も残らない事で有名だった。 「妹を出せェェェ!」 正気を無くし、こちらを向いて今にも襲いかかろうとする湊だったが、晴人は両手を広げ、理子と影山の前に立った。 「ダメだ!切子(きりこ)ちゃんは渡さない!」 「先生!湊は何を言っているの!?」 「あの子は何らかの理由で、魔女オルギアに操られている」 「しかもあの様子だと、異常な量のサクラメントを無理やり体内に注入されたんだ」 「え!?そんな……じゃあ、もう助からないの?」 理子は両手で顔を覆い、泣き崩れた。 「西山さん。大丈夫、俺にはまだ一つのロマンが残っている」 晴人はそう言って、白衣のポケットに手を入れ、先程切子から採取した白い血液の入った注射器を取り出した。 「切子ちゃん……少し力を借りるね!」 「まだ実験段階だけど……上手く作用してくれよ」 湊は晴人に狙いを定め、身を低くし四つん這いになり、狼の如く足で地面を蹴ると物凄いスピードで晴人に襲いかかった。 しかし晴人は上手く白衣の裾を翻し、湊の一撃を逃れた。 「うおっと、危ねぇ!」 「おい湊!先生に暴力を振るうやつは単位をやらないぞ!」 晴人は暴れる湊の頭を両手で掴み、首元に注射器を刺した。切子の白い血液がみるみると湊の大動脈へ注入されていく。 全て注入される頃には湊の動きは止まり、彼女は目を閉じ、スゥっと眠りについた。 「良かった!やっぱり切子ちゃんのアルビオンブラッドは効果があった」 「えぇ……本当に良かった……湊……」 「先生、ありがとう」 寝息を立てて眠る湊を見て、安堵の表情を浮かべていた晴人だったが、すぐにある事に気付いた。理子の隣で崩れ落ちる様に膝を着き、頭を抱える晴人。 「ああ……しまった!」 「先生、どうしたの?」 「これは囮(おとり)だったんだ」 ※ ※ ※ ※ ※ 病院のベッドに横たわり、窓から吹く風に心地よくなり、暫く天井を見ていた切子だったが、何かの気配に気付き目線を天井から病室の入口付近に移した。 そこには五歳くらいの女の子が、パーカーのフードを鼻辺りまで被り、こちらを見て立っていた。 「来たのね……お姉ちゃん」 「いや……魔女オルギア」 「うん、探したよ切子……」 「広場で騒動があったみたいだけど」 「お姉ちゃんの仕業でしょう?」 パーカーを着た女の子は下を向き、室内をゆっくり歩きながら、切子に近寄った。 「騒ぎを起こしたのはあなたを連れ戻す為よ……彼女には私の血液を注入して、ウィッチにしたの」 「酷い……お姉ちゃん、もう辞めよ?」 「また女の子達が苦しんで、死んで行ってしまう」 それを聞いたパーカーの女の子は、切子の手を引いて笑顔でこう言った。 「またサバトが始まるよ」 「今度は邪魔はさせないわ」 「あなたが居なけりゃ薬は作れないでしょ?」 切子がそれを聞き、悲しそうに顔を引き攣らせると、「パン」と乾いた音が鳴り、数枚の黒い羽を撒き散らしながら二人は病室から一瞬で消えてしまった。 入口付近でカルテを抱え、“それ”を見ていた看護婦は言葉を失い、ヘナヘナと腰を抜かしてしまった。 「大変だわ……切子ちゃんが連れていかれた……」 「切子ちゃん!」 晴人が病室に戻ると、そこにはもう切子の姿は無かった。 ベッドには黒い羽が散乱しており、それは晴人達への宣戦布告、オルギアの襲来を知らせるサインとなっていた。 「くそ!!クソ!クソ!」 壁をドンっと叩き、握られた拳を震わせる晴人に、一緒にいた理子は言葉を失った。 「鷲尾先生……」 近くにいた看護婦が晴人に声を掛ける。 「小さな女の子が切子ちゃんを連れて消えてしまったんです……」 「またサバトがあるって……」 晴人は今にも泣きそうな表情で看護婦の話を聞いていた。 「切子ちゃんがいなけりゃ……オルギアには勝てない」 「あの子の血液が必要なんだ……」 晴人はそう言って、うなだれた様子で切子のベッドに腰掛けた。 「あの、先生?……そう言えば、先程騒ぎがあった時に、切子ちゃんが追加で採血して欲しいって」 「え?」 晴人はスっと頭を上げ、看護婦の方を見た。 「切子ちゃんが?そう言った?」 「はい……」 「それは今どこに?」 「切子ちゃんが先生に渡すって……」 ふと窓側の花瓶に目をやると、花瓶の下に紙切れが一枚挟まっていた。晴人はそれを広げ、走り書きで書いてある文字を急いで目で追った。 『鷲尾先生、いつも優しくしてくれてありがとう。とても楽しかったわ』 『お姉ちゃんが近くにいるのを感じたの、だから先生に私のロマンを託すわ……』 『ベッドの下より、愛を込めて。−−切子』 晴人が急いでベッドの下を覗き込むと、うっすらと白く光る、三本の採血瓶が転がっていた。 「ああ……切子ちゃん……ありがとう」 「どうしたの?先生?」 理子が晴人の肩を掴み、同じく不思議そうにベッドの下を覗いた。 「これは俺と切子ちゃんのロマンだよ」 切子から採血をしたアルビオンブラッドの入った瓶を手のひらに乗せ、晴人は理子に見せた。 「必ずお姉ちゃんを止めてみせるよ、切子ちゃん!」 ラスト・ウィッチ(中)終
ラスト・ウィッチ(1)
“トウキョウ魔女裁判”それはあまりにも残酷な事件だった。 魔女裁判に関わった職員から内部告発があった週刊誌の記事によると、総勢二百人もの女性が無実の罪で捕らえられ、拷問を受けたと記載されている。この水面下で行われている大規模な虐待は、日本政府主導の下、ある目的の為に行われている。 それは最後の魔女“オルギア”を探す為だった。 2030年、トウキョウ。 数百人の魔女達が行った“サバト”により一度は滅んでしまった東京だったが、懸命な復興により、今は名前を変え、かつての日常を取り戻しつつある。 サバトに集まった魔女達は特殊部隊“山羊”によって一掃された。しかし主導者の魔女“だけ”は未だ発見されていない。 現代における魔女とは違法麻薬“サクラメント”により、引き起こされる奇病“魔女病”にかかる女性の事を指す。 サクラメントの効果により、女性ホルモンは異常な分泌を起こす。ある時に発生する脳内の完全覚醒、それに伴う激しい興奮状態と、尋常ではない怪力が持続する。 そして、その先に最高のエクスタシーを体験できるのだ。 しかしサバト以降、政府によってサクラメントは完全に抹消され、もうこの世には存在しない。 魔女達を束ねるリーダーだった女性。彼女は“オルギア”と呼ばれており、彼女の生まれ持った特異な血液こそが、サクラメントの原材料に使われていた。 要は彼女自体が、違法麻薬サクラメントなのだ。 政府は……ザザザザ…… 「あれ?おかしいな」 「映写機が壊れちゃったよ」 魔女についての授業を行っていた東京第二大学の講師、鷲尾 晴人(わしお はると)は古い映写機をバンバンと叩き、残念そうに頭を抱えた。 「先生。そんな古い機械を使ってるからですよ」 「今の時代に映写機って……ねぇ?」 講義室の一番前に座っていた、西山 理子(にしやま りこ)は、友人達と顔を見合わせて笑った。 「俺はアンティークが好きなんだよ。ロマンがあるじゃないか」 「知らないわよ、そんなロマンなんて」 「それより、まともに授業してもらえますか?」 「よし、良いか!お前ら」 「サクラメントを使ってセックスはするな!以上!」 大学の授業が終わり、晴人は映写機を抱えて職員室に戻った。 「晴人先生ぇ……そのような埃っぽい機械を持ち歩かれると困るんですが……」 「学生達からも授業の苦情が……」 同じ講師の影山(かげやま)が晴人に苦言を呈した。 「本当にロマンが分からん奴らですよ。アイツらは」 「いや、ロマンとかではなく……」 ドカっと映写機を影山の机に置いた晴人は、一冊の本を取り出し読み始める。 「本当に変わった人だ……」 そう呟くと、影山はトボトボと次の教室に向かった。 晴人が読んでいたのは、2025年に起こった魔女集会サバトについての本だった。彼は妹をサバトによって亡くしている。サクラメントにより暴走した妹を止められなかった自分を今でも責めている。だからこそ、彼は魔女オルギアに対して異常な執着心を持っていたのだ。 「サバトは魔女オルギアによって起こされた大規模なテロ事件だ……」 「魔女オルギアは、必ずまたサバトを起こそうと準備をしている」 「しかし、何故彼女は未だ見つからない?」 ブツブツと独り言を話し終えると、彼は机にあったミルクコーヒーを一気に飲み干し、白衣に袖を通すと、スタスタと大学を出た。 彼が向かった先は大学に隣接された病院だった。 「切子(きりこ)ちゃん、こんにちは」 「鷲尾先生……こんにちは」 「調子はどうだい?」 「えぇ……とても良いわ」 ベッドに座り、笑顔で応える白髪の少女は、桜山 切子(さくらやま きりこ)ある理由で大学病院に入院する十八歳の女の子だ。 「今日も少し……もらうね」 「わかりました」 彼女は特殊血液の持ち主で、体内にはシルクの様な真っ白な血液が流れていた。 “アルビオンブラッド”と呼ばれるその血液が、研究者の間では魔女病に有効とされる投薬に役立つと噂されていた。 “ホワイト・ウィッチ(白の魔女)”誰が名付けたかは知らないが、研究者の皆からは彼女はそう呼ばれていた。 晴人がしている実験は、オルギアがいる限り、いつ何時また魔女病が発生するか分からない状況に備えての研究だ。 「あ、痛っ……」 「あ!ごめん、痛かった?」 「ふふふ、冗談です」 注射器を持つ晴人は彼女の演技に騙され、一瞬戸惑った様子を見せる。それを見て切子は子供の様に笑う。 これは彼らにとって、毎回のルーティンになっていた。 「よしっと、今日は15mℓもらうね」 「先生……ごめんね」 「ん?」 「私のお姉ちゃんのせいで……」 「うん……いや、切子ちゃんは悪くないよ」 「俺がきっとお姉さんを探してあげるよ」 切子は晴人の目を見て、うん、と頷いた。 「ガチャ……」 「鷲尾先生!ここにいたんだ!」 「西山さん?」 先程授業を受けていた西山 理子が息を切らし病室に飛び込んで来た。 「西山さん、一体どうしたの?」 理子は息を整え、晴人を見てこう訴えた。 「友達の湊(みなと)がいきなり暴れだして……」 「先生、助けて!」 ラスト・ウィッチ(上)終
なつたん!(夏の短歌)
「雨雲に 恋した筆は 物憂の 夜が明けても 清夏(せいか)は見れぬ」 (訳)小説のネタが思い付かない。一晩考えても成果を得られない様。 「潮騒に 隠れて咽ぶ 砂浜で 愛する人の 足跡辿る」 (訳)荒々しい波が私の泣き声を隠してくれた。別れを告げる彼との最後の時間を名残惜しむ様。
久遠の図書館7(菜の花編)
花々が揺れる音にハッと目が覚め、私は上体を起こした。 気付くとそこは辺り一面が菜の花に囲まれた美しい景色だった。 「帰って来た……あの日のあの場所に」 「そうだ!もうすぐ防空壕からお姉ちゃんが来るはず……」 少しすると、仲良く手を繋ぎ、歌を歌いながらお姉ちゃんと小さな私が向こうから歩いて来た。 「お姉ちゃんだ……」 今まで何百、何千とお姉ちゃんに会いたいと願っていた。それが今、本当に叶うなんて夢にも思っていなかった。 私は涙を流しながら、お姉ちゃんの姿を目に焼き付けていた。 「もうすぐB29が来るわ……急がないと」 私は涙を拭き、菜の花畑を走り抜け、お姉ちゃん達がいる場所まで向かった。栞は二ページ目を知らせる黄色に点滅していた。 幼い私の口元に付いたお茶を拭いていたお姉ちゃんは、私が向かって来る事に気付き、身をかがめる。 「誰ですか?こっちに来ないで!」 一瞬私の体は動きを止めたが、私はそれを振りほどく様に走り続けた。背後からはB29の轟音が聴こえ、その時が迫っていたからだ。 B29から発射された弾丸の鈍い音が、地面を伝って聞こえて来た時、私は姉ちゃんに覆いかぶさった。 銃弾が私の背中を撃ち抜く中、二人の向かい合った小さな空間は、ゆっくりと時間が流れるスローモーションの様になり、私を見つめるお姉ちゃんの口はこう動いていた。 「舞……」 ※※※※※※※※※※ 運命の三ページが終了し、きっと私は自分の過去の中で息絶えたのだろう。何故なら、久遠の図書館の広間で倒れている私を、私は今、天井から見ているからだ。 おばあさんは、倒れている私を抱きしめ、泣いていた。 どうやら私の状況を夏目さんから聞いていた様だ。 「栞の代償として体は頂いて行くわ」 「聞こえてるかしら?」 「魂は自由にしてあげる」 夏目さんが天井を見渡し、恐らく私に対しての言葉を放っていた。私は小さく頷き、夏目さんを見ていた。 「これで良かった……私の存在はこの世から消されるけど、お姉ちゃんは助かったはず……」 「私の事もお姉ちゃんの記憶から消えるんだろうな……寂しいな」 目から溢れ落ちた涙を拭いていると、私の体は空からの眩い光に包まれ、そのまま遥上空まで引っ張られて行く。 「お姉ちゃん……大好きだよ」 「私はお姉ちゃんを忘れないから」 ※※※※※※※※※※ 数年経ったある晴れた午後、お姉ちゃんは行きつけの花屋さんで、鼻歌を歌いながら花を選んでいた。 「何かお探しですか?」 店員さんに声をかけられたお姉ちゃんは、嬉しそうに答えた。 「ええ……プレゼントするんです」 「御家族の方にですか?」 「いえ、私は一人なので。父親も母親も戦争で死んでしまって、家族はいませんから……」 お姉ちゃんは同じ職場の男性に恋をしていた。今日はその人とデートに行くらしく、初めて挨拶をする男性のお母さんに、花をプレゼントするらしい。 花屋さんから花束を受け取って一礼をすると、お姉ちゃんは幸せそうに花屋さんを後にした。 その後、お姉ちゃんは意中の男性とめでたく結婚する事となり、いつもの花屋さんに結婚式のブーケを注文しに来た。 「ブーケはこんな感じで如何ですか?」 「まあ!可愛い。私の好きな花がいっぱいだわ!」 お姉ちゃんは試作品で作られたブーケを手に取り、持ち上げてみたり、胸元に置いてみたりと、まるで子供の様にはしゃぎ、嬉しそうにしていた。 「私が幸せなのは、いつも相談に乗ってくれる花屋さんのおかげよ……ありがとうね。本当にありがとう」 私はお姉ちゃんの幸せそうな顔が見れて、本当に嬉しかった。今はもう、過去の事には後悔はしていない。 「いえいえ、私は貴方が幸せそうな顔をすると、毎日生きてて良かったと思うのです」 そう言って、人差し指と親指で帽子をグイっと下に引っ張ると、顔が見えない様に下を向いた。 「まぁ……今度、もし私たちに女の子ができたら、是非花屋さんと同じ名前にしたいわ」 「花屋さんのお名前を聞いても?」 「舞……です」 「素敵なお名前ね。舞さん……」 お姉ちゃんがそう言ってブーケを渡すと、私は笑顔で受け取り、うんっと頷いた。 私たちが楽しそうに話すカウンターの端には、手作りの竹とんぼが置いてあり、それはまるで二人を優しく見守っている様だった。 久遠の図書館7(菜の花編) 終わり
久遠の図書館6(菜の花編)
霧が晴れ、私の目の前に現れたのは小さな図書館だった。 そのあまりの造形の美しさに幾分見とれていた私だったが、ふと目線を落とすと入口付近に女性がいる事に気付いた。 女性は扉の周りをホウキで掃除をしていたが、私がいる事に気付くと、彼女はニコっと笑顔になり、少し頭を下げて挨拶をした。 「あら……今度は可愛いお客様ね、いらっしゃいませ」 「あ……こんにちは」 「ちょっと道に迷っちゃいまして」 「道に?」 女性はそう言うと手に持っていたホウキをピタリと止め、私の顔を覗き込んだ。 「あなたが自分から迷い込んで来たのよ?」 「え?私から?どういう……」 私がそう言いかけると、女性は笑顔で手招きをして私を呼んだ。何故かその手招きを見ていると、無意識に足が前に進む。 「こっちにいらっしゃい。中で冷たい紅茶でも飲んで、ゆっくり話をしましょう」 彼女の不思議な魅力と落ち着いた優しい声に心惹かれ、ふと気が付くと、私は図書館の扉の前まで辿り着いていた。 私を館内へと先導する彼女の白い靴を見ると、そこにはポツポツと赤黒い血痕が付いている事に気付いた。 しかし私はそれを気にもとめず、彼女から漂う、まるで花畑にいる様な甘い香りに私の胸はドキドキしていた。 ※※※※※※※※ 「私はこの久遠の図書館の秘書、夏目 由香里(なつめ ゆかり)よ。よろしくね」 「よ、宜しくお願いします」 そう応えると背もたれ付きの椅子に座っていた私はぐるりと上体を回し、館内を見渡してみた。 しかし私はある不自然な点に気付く。 「あの……本が無いんですけど、図書館ですよね?ここ」 「ありますよ、ここに」 夏目さんは胸元に抱えていた本を指さし、笑顔でそう答えた。 「一冊だけですか?」 「この一冊が重くてね、よいしょっと」 夏目さんは重そうに本を持ち上げて、目の前の机にドサッと置いた。 「あの、手伝いましょうか?」 「いえいえ……ご心配無くってよ、私は腕が不自由なものですから」 「ほら……」 そう言って彼女が袖をまくると、夏目さんの右腕は銀色の部品で形作られた機械だった。腕が動く度にガチガチと音がして、いくつもの歯車が回っている。 「あっ……」 私が驚いた様子で目を背けると、夏目さんは少し恥ずかしそうに微笑んだ。 「驚いた?ごめんなさい」 「いえ……その腕は戦争で?」 「違うわ……栞(しおり)の代償を支払ったのよ」 私はその言葉に少しのわだかまりがあったが、綺麗な顔で微笑む夏目さんに、私は見とれてばかりだった。 机の向かい側で、フゥっと息を吐いた夏目さんは、本を開いてパラパラとページをめくった。 「この本にはあなたの人生が綴られているわ、あなたが生まれてから楽しかった事や悲しかった事……全部よ」 「全部…ですか?」 「そう、過去に未練がある人……過去患いをしている人が自然とこの図書館に迷い着くのよ」 そう言って夏目さんは、机の引き出しから一枚の金色の栞を出して私に渡した。 「あなたがもし過去を変えたいなら、私が協力するわ」 「過去を変える……できるものならそうしたいですけど」 私はお姉ちゃんが亡くなったあの菜の花畑の事を思い出していた。 「ええ、この栞があればできるのよ」 「但し代償はきっちり支払ってもらうわ」 「代償……お金を持ってないんです、さっき入口で入館料を払ってしまったから」 夏目さんはそれを聞くと、ふふふと笑って冷たく冷えた機械の手で私の手を引くと、笑顔でこう言った。 「代償はあなたの身体の一部よ」 「え?」 「ねぇ……こっちに来て……」 夏目さんに手を引かれながら案内されたのは、どこか雰囲気が違う大きな扉のある部屋だった。 重たい扉を開けたその薄暗い部屋の先には、血だらけの椅子があり、先程までこの部屋で誰かが拷問を受けていたのかと思う程の血が、コンクリートの床に流れていた。 「まだ片付けていないの……お見苦しい所をお見せしてごめんなさい」 「うぅ!ゲェッ……ゲボっ」 私は戦争で人が亡くなる場面は多々経験していたが、この部屋はどこか悪趣味で狂気じみていて、気分が悪くなる。 「過去を変える代償に、私の身体の一部を渡せって事ですか?」 「そうです。何故ならあの方がそれを望んでいるから……」 そう言った夏目さんは突然うっとりした表情になり、人差し指を口元に添え、そのまま艶やかな唇を何度もなぞっていた。 あの方とは一体誰なのか?この図書館にはまだ他に誰かがいるのだろうか? その時、入口の扉が開く音がして、誰かが図書館に入って来た。廊下の奥を覗くと、恐らく見た目からはおばあさんだろうか……帽子を深く被り、杖をついていた。 「いけない、別のお客様が入って来てしまったわ」 そう言って夏目さんはおもむろに席を立ち、入口まで走って行った。 「ごめんください」 おばあさんが図書館の入口で声を上げ、歩き疲れたのかロビーの椅子に腰掛けていた。 「はいはい、いらっしゃいませ」 夏目さんがおばあさんに近寄ると、おばあさんは懐からある物を取り出しこう言った。 「さっき見覚えのあるお嬢ちゃんを見かけて、ついてきたのよ……」 夏目さんの横から顔を出すと、私はハッと思い出した。そこに居たのはあの防空壕でハッカ飴をくれた優しいおばあさんだった。 「おばあちゃん!」 「おぉ……妹ちゃん、また大きくなって」 「私を覚えているかのぉ」 「覚えているよ!」 私は頷き、懐かしさからか思わずおばあさんに抱きついていた。 ふと手元を見ると、おばあさんが手に持っていたのは竹とんぼだった。 「あぁ……これは防空壕であなたのお姉ちゃんから貰った竹とんぼなのよ」 「え!お姉ちゃんから?」 手渡された竹とんぼは少し羽先が折れていたが、丁寧に、大切に保管されていた。 「結局ね……孫達には会えなかったから、この竹とんぼを妹ちゃんに返そうと思ってねぇ」 「そうだったんだ……」 その後、私は防空壕でのお姉ちゃんとおばあさんのやり取りを詳しく聞いた。もちろんおばあさんは、お姉ちゃんが死んでしまった事も知っている。 B29爆撃機に撃たれたあの日、菜の花畑で私達を一番最初に見つけてくれたのは、このおばあさんだったからだ。 「あの時私が防空壕に引き止めておけばねぇ……今でも後悔しているよ」 「お姉ちゃんは亡くなる最後の最後まで、妹ちゃんを探していたわ……可哀想に」 おばあさんは私の手を握り、少し震えていた。この人も私と同じ、過去患いをしていたのだ。 「おばあちゃん、私……やらなきゃいけない大切な事があるの」 「そうかい、でもあんたならきっと上手く行くさ。頑張ってな」 私は振り向き、夏目さんの顔を見た。 「夏目さん、私、過去を変えに行きます」 「お姉ちゃんを助ける方法を、思いつきましたから」 「……わかったわ。でもあなたの過去に行ける時間はあなたのストーリーの本の中で三ページだけ」 「あなたが物語の中で死んだり、あなたが栞の力で過去に来ている事がバレたら、あなたは消えるわ」 「わかりました」 もう私に迷いは無かった。私はお姉ちゃんに、今の日本を見せたかっただけだったのかもしれない。 サイレンに怯えなくても良い世界。争いの無い世界。昔からお姉ちゃんと私の願いはそれだけだったから。 夏目さんは俯き、私が指定した日のページに栞を挟むと、本は瞬く間に光に包まれた。それを見た私は、お姉ちゃんの作ってくれた竹とんぼを強く握って目を閉じた。 待っててね、お姉ちゃん 今行くからね…… 久遠の図書館6(菜の花)終
相澤愛美の初公判
「静粛に!」 手錠に繋がれた私が入廷すると、法廷はザワついた。まさか人気小説家の私が、殺人事件の犯人としてこの場に現れるなんて。もちろん誰も想像していなかったからだ。 「名前と年齢をお願いします」 「相澤愛美、二十二歳……」 私は法廷の真ん中に立ち、被害者遺族席を見て軽く会釈した。 「相澤被告の罪状を読み上げます」 裁判官は一枚の原稿用紙を手に取り、私への罪状を読み上げた。 「小説の登場人物の殺害、及び度重なる傷害罪により、警察側から死刑を求刑する」 私は下を向き、うなだれた様子で罪状を黙って聞いていた。 「あなたには黙秘権が与えられます」 「裁判長!異議あり」 早速私の弁護人は手を挙げ反論した。 「相澤被告は単に小説を盛り上げようとして殺した訳ではありません」 「そこで登場人物が死ぬ事によって、違う登場人物が悲しみを乗り越えて、強くなる事が目的でした」 私はうなだれたままだった。時折ポケットからクッキーを出し、少しかじったりしたが、どう見てもうなだれていた。 それを見ていた検事側が手を上げ、法廷の真ん中に歩いてきた。 「異議あり」 「相澤被告は読者の涙を誘うため、不必要に殺したり痛めつけたりしたのではないのですか?」 私はそれを聞いて。お茶を飲みながら、うなだれた。 「異議あり!裁判長、良いですか?」 「どうぞ」 「それは違います!」 「証拠がありません、それは検事側の感想に過ぎない」 「彼女は登場人物に対しての愛情は人一倍あります。無意味に殺したりしない」 弁護人がそう言った瞬間、警察側は席を立ち、私を指さしてこう反論した。 「主人公の名前を間違えて、後からリライトしていても?」 確かに私が書いた“コメントストーリー”の主人公の名前をひっそりと間違えていた。誰にも気付かれず直したつもりだったが、既に多くの読者が読み終えていたのだ。 「ふむ……相澤被告からは何かありますか?」 「あの日はお酒を飲みながら書いていたので、それで間違えてしまいました」 「異議あり!」 警察側は私の方を見て反論した。 「相澤被告はあの日は誰からも指名が入らず、バックヤードでマンゴージュースを盗み飲みしていただけです!」 「あの日はお酒を一滴も飲んでいません」 私はノーゲストだった事が恥ずかしくて、顔が真っ赤になり、一度手錠を外してから両手で顔を覆った。 「とにかく、登場人物を殺すのは控えるようにしてください」 「もううんざりです」 裁判長は呆れた顔でそう言い、木のトンカチみたいなやつをカンカンした。 こうして私の初公判は終わった。 私は今後登場人物をなるべく殺したりしない事を誓い、裁判所を後にした。 相澤愛美の初公判 終