ぐち
23 件の小説月日とともに 君は素敵になる
彼女は、誕生日が楽しみではないと言う。 年齢を重ねるにつれて、 「もう年を取りたくない」 そう思う人は多い気がする。 アラサーの僕ら世代は特に。 彼女も、その一人だ。 でも自分は、誕生日はやっぱり嬉しい。 自分が生まれた日。 産んでもらった日。 一人ひとりに必ずある、特別な日だと思う。 だから、「誕生日なんて来ないでほしい」と思わないでほしいな、と少し思ってしまう。 もちろん、年を取りたくない気持ちもわかる。 老いていく感じとか、 焦りとか。 「嫌だな」と思う部分も、たしかにある。 でも、年を重ねること自体を、楽しみにできたら素敵だと思う。 僕はB’zが好きだ。 『Happy Birthday』という曲があって、 誕生日じゃなくても聴くくらい好きな曲。 その中に、 「月日とともに 君は素敵になる」 という歌詞がある。 この言葉が、とても好きだ。 年を取ることって、悪いことばかりじゃない。 その年齢になったからわかる価値観。 その時になって好きになるもの。 経験して初めて見える景色。 そういうものが少しずつ増えて、 人は素敵になっていくんだと思う。 ……自分も、そうなれたらいいけど。 誕生日って、 命を懸けて産んでくれた日で、 命懸けで生まれた日でもある。 一人ひとりに必ずある、大切な日だ。 だから、そんな日を嫌だと思ってしまうのは、少しだけ寂しい。 彼女にも、いつか誕生日が楽しみになってほしい。 もしそれが無理でも、 「今年の誕生日、悪くなかったな」って思ってもらえたら嬉しい。 そう思いながら、今年もお祝いしようと思う。
結局、自分で作ったカレーが一番うまい
自分で作ったカレーが、一番うまい みんな大好きカレーライス。 (……うちの弟は嫌いだったけど。) これを読んでいる人は、何カレーが好きですか? 家のカレー。 欧風カレー。 インドカレー。 キーマカレー。 CoCo壱。 ゴーゴーカレー。 すき家のほろほろチキンカレー。 レトルトカレー。 「カレー」と一言で言っても、全然違う。 店ごとに味も香りも違うし、 具材が変われば、別の料理みたいになる。 まだ出会ったことのないカレーも、たぶん山ほどある。 そんな中で、最近思う。 結局、自分で作ったカレーが一番うまいんじゃないか、と。 もちろん、他人が食べたら「別に普通」かもしれない。 でも、自分で作って、自分で食べるカレーが一番うまい。 カレーって、ルーを入れれば誰でも作れると思われがちだ。 実際、ある程度はそうだと思う。 でも、友達の家のカレーとか、 学校行事で作るカレーとか、 なぜか全部味が違った。 同じような材料を使っているはずなのに。 肉の種類。 水の量。 煮込む時間。 蓋をするかしないか。 たぶん、そういう細かいところで変わるんだと思う。 カレーは、意外と奥が深い。 そして何より、カレーは自由だ。 ちょっとくらい変なことをしても、だいたいうまくいく。 ルーが強い。 めちゃくちゃ優秀。 多少冒険しても、ちゃんと“カレー”にしてくれる。 だから楽しい。 チョコ。 コーヒー。 ケチャップ。 ソース。 バター。 きのこを入れてもいいし、夏野菜を入れてもいい。 何を入れるか。 どれくらい入れるか。 それだけで全然違う味になる。 煮込んでいる鍋を見て、 「これどうなるんだろう」って考えている時間が好きだ。 料理研究家にでもなった気分になる。 身近で、簡単で、失敗しにくい。 でも、ちゃんと奥が深い。 料理が苦手な人でも、 挑戦したくなる料理だと思う。 だからやっぱり、自分で作ったカレーが一番うまい。 食べ切るのが、ちょっともったいない。 3日目のカレーを食べながら、 もう次は何を入れようか考えている。 ちなみに、CoCo壱の好きなトッピングは、 なす、納豆、フライドチキンです。
26歳、反抗期
自分でもわかっている。 なぜ、こんなにトゲトゲしてしまうのか。 本当は、したくない。 でも、してしまう。 反抗期とか、思春期とか。 多くの人は、中学生や高校生くらいで経験するんだと思う。 でも僕には、たぶんなかった。 そして今、26歳。 遅れてきた反抗期の真っ最中である。 大学生の頃、僕は上京していた。 4年間、東京で暮らした。 母とは夏休みや年末年始に会うくらい。 たまに会う分には、うまくやれていたと思う。 母には感謝している。 女手ひとつで大学まで行かせてくれたし、 帰省のたびに新幹線代まで出してくれた。 優しい人だ。 この頃の僕は、今よりずっと穏やかだった気がする。 少なくとも、母に対してトゲトゲした感情はほとんどなかった。 就職を機に、地元へ戻った。 一度は一人暮らしもしたけれど、 新卒で入った会社をすぐ辞めてしまい、実家に戻ることになった。 転職先は、母が勤めている小さな会社だった。 家も同じ。 職場も同じ。 最初は正直、かなり楽だった。 仕事では気軽に頼れるし、 家に帰ればご飯もある。 洗濯もしてくれる。 でも、だんだん苦しくなっていった。 「ご飯どうする?」 その一言に、イライラしてしまう。 今思えば、本当に意味がわからない。 食べるに決まっている。 でも、「どうする?」と聞かれると、 丸投げされた気がして嫌だった。 だから「なんでもいい」と返す。 でもそれも結局、 自分が丸投げしているだけだった。 提案されたご飯が微妙だと、イライラすることすらあった。 本当に情けない。 そんなふうに、 生活の中の小さなことで、ずっとトゲトゲしていた。 母も昔はカリカリしていたし、お互い様だろ、と思う時もある。 でも僕は、 「昔あんたもそうだった」 みたいな言葉が苦手だ。 だから思っても、口には出さない。 こんなことを言いながら、 僕はかなり甘えている。 生活を支えてもらっているし、 ご飯だって出してもらっている。 それなのに、母にはトゲトゲしてしまう。 罪悪感がある。 26歳にもなって甘えていること。 何も返せていないこと。 悔しさとか、申し訳なさとか。 そういう感情が、ずっとどこかにある。 疲れ切って、何も喋りたくない日があった。 母に「なんか変だよ。何かあった?」と言われた。 「これが普通」と答えた。 すると、「普通じゃない」と返ってきた。 たしかに、周りから見たら変だったのかもしれない。 でも、その時の僕には、 それが全力の“普通”だった。 このままだと、母との関係が悪くなる気がした。 だから一人暮らしを始めた。 本当はもっとお金を貯めるつもりだった。 でも、我慢できなかった。 一人の空間。 好きな匂い。 好きな部屋。 自由に出かけられる。 どこに行くのか何時に帰るのか、 社会人になっても聞かれていたがそれがなくなる。 それだけで、かなり楽になった。 お金の不安はある。 でも今のところ、 一人暮らしを始めてよかったと思っている。 家族だからこそ、距離感は大切なんだと思う。 家族でも、他人だ。 価値観も違うし、考え方も違う。 だからこそ、尊重するための距離が必要なんだと思う。
そうめんを食べる理由
今日、そうめんを食べた。 まだ5月半ばだというのに、真夏みたいに暑かった。 昼の時点で、「今日は絶対そうめんだ」と決めていた。 でも正直に言うと、 僕は“そうめんそのもの”が特別好きなわけではない。 そうめんは、薬味を食べるために存在していると思っている。 しそ。 みょうが。 しょうが。 ねぎ。 僕の場合は、トマトも入れる。 蒸し鶏をほぐしたのなんかもとても合う。 つゆには、ごま油を少し垂らす。 薬味は、できるだけたくさん用意したい。 ラーメンとも、うどんとも、そばとも違う。 そうめんは、薬味を迎え入れるための麺なのだと、僕はわりと本気で思っている。 だって、みょうがを単体で山ほど食べることって、あまりない。 しそも、ねぎもそうだ。 でも、そうめんを介した瞬間、 みんな急に輝き始める。 味だけじゃない。 シャキシャキした食感とか、 鼻に抜ける香りとか。 薬味が入ることで、「食べる」が急に楽しくなる。 僕にとって薬味は、 ハンバーガーで言うところのパティだ。 つまり、主役である。 だから、そうめん自体にはそこまでこだわりがない。 スーパーで一番安いやつでいい。 薬味さえ、ちゃんとしていれば。 よく考えると、ちょっと贅沢だと思う。 高級な食材じゃない。 でも、薬味をたくさん刻んで、 そうめんより薬味の方を楽しみにしている。 そんな食べ方をしていると、 「ああ、夏が来るんだな」と思う。 今年の夏も、楽しみだなぁ~。
彼女は春巻きを巻くのが上手い
春巻きを巻くだけで、性格が出る。 彼女は、春巻きを巻くのが上手い。 角はぴしっと揃っていて、 大きさも全部均一。 隙間もない。 対して、自分の春巻きはひどい。 大きさはバラバラ。 隙間もある。 しかも、無駄にでかい。 こんなにも差が出るものなのかと思った。 思い返せば、 折り紙も昔から苦手だった気がする。 紙を半分に折るだけなのに、少しずれる。 角が合わない。 そういう人間だ。 日常生活を見ていても、 彼女は丁寧に生きていると思う。 本人は「そんなことない」と言うけれど、 たぶん、持っている素質なのだと思う。 洗い物もきっちりしているし、 枕カバーも毎日変えている。 床に物が置いてあっても、 本は本、コスメはコスメ、みたいにちゃんとまとまっている。 細やかで、丁寧な暮らしだ。 じゃあ自分はどうか。 きれい好きではある。 掃除も嫌いじゃない。 でも、「とりあえず箱に入れる」はよくやる。 見えなければいい。 そんな感覚がどこかにある。 分類ごとに箱を分けたとしても、 箱の中は整理されていない。 春巻きも同じだった。 きっちり均等に巻かれた彼女の春巻き。 「具が入っていて、巻けていればいいでしょ」と言わんばかりの自分の春巻き。 別に、適当にやったわけではない。 むしろ真面目に、本気で巻いた。 でも、こういうところに出るんだと思う。 素質というか、 潜在意識というか。 生き方みたいなものが。 もちろん、経験の差もある。 自分は春巻きを巻くのが初めてだった。 でもたぶん、何回練習しても、 彼女みたいには巻けない気がする。
はじめまして
へろー。はじめまして。 ぐちと申します。 26歳、社会人の男です。 長野県に住んでいます。 長野県、知っていますか? いや、まあ知ってはいると思います。 みどりが豊かで、海がなくて、 山が広くて、電車があまりなくて、 最近やっとバーガーキングが上陸した場所です。 とてもいいところですよ。 さて、 ここには、たぶん小説はあまり載せません。 日々感じたことを、 エッセイみたいに書いたり。 あとは、バンドもやっているので、 歌詞なんかも載せるかもしれません。 そうそう、バンドもやっています。 YouTubeやTikTokにライブ映像なんかも載せています。 もし興味があったら、 その辺の話も書いていこうかなと思っています。 ……まあ、ほぼ誰も興味ない気もしますが。 少しでも「なんかいいな」と思ってもらえたら嬉しいです。 仲良くしてください。
みんな違う焼き方で生きている
焼肉に、ごはんいる派?いらない派? 焼肉は人間性が出る。 ・・・・・ 僕は焼肉を食べる時、必ずごはんを頼む。 焼いた肉を、一度タレにくぐらせる。 そして白米にバウンドさせて食べる。 これが好きだ。 米がいらない、という人もいる。 なぜだ。 信じられない。 もちろん、肉だけで満たされたい気持ちもわかる。 でも、焼肉のあとにかきこむ白米には、 普通の定食では味わえない特別感がある。 だから僕は、焼肉には絶対にごはんを頼む。 ただ、飲みの席は少し話が変わる。 焼肉とビールの相性は抜群だ。 熱々の肉を食べて、 冷たいビールを流し込む。 最高である。 でも個人的には、 ごはんとビールの相性はあまり好きじゃない。 合わない気がする。 だから、焼肉でお酒を飲む時は、最初はごはんを頼まない。 その代わり、後半戦で頼む。 前半はビールと肉。 後半はごはんと肉。 自分の中では、それが一番しっくりくる。 焼肉って、意外と性格が出る。 焼き方にこだわる人。 焼きすぎる人。 全然焼かない人。 勝手にどんどん皿に乗せてくる人。 サイドメニューを頼みまくる人。 焼肉奉行なんて言葉があるくらいだ。 肉を焼くだけなのに、 人によってルールが全然違う。 だから、大人数の焼肉はたまに難しい。 「もう一人焼肉が一番なのでは?」 と思ったことも、正直ある。 でも本当は、 相手の食べ方を否定するんじゃなくて、 「その焼き方いいね」 「その食べ方おもしろいね」 って言いながら食べられたらいい。 たぶん、人生も同じなんだと思う。 みんな違う焼き方で生きている。 だからこそ、 思いやりを持って関われたらいい。 僕も気をつけたい。 焼肉でごはんを頼まない人を、 「信じられない」と突き放すんじゃなくて、 その人にも、ごはんを分けてあげられるくらいでいたい。
小籠包は、好きでキライ
誰にも理解されない気がする。 熱いものを食べる時、 普通は「ふーふー」してから口に入れる。 でも僕は、それがほとんどない。 冷ますより先に、食べてしまう。 早く食べたいからだ。 でも、当然熱い。 そりゃそうだ。 冷ましてないんだから。 熱さが口の中に広がると、 なぜか怒りが湧いてくる。 何に対する怒りなのか、自分でもよくわからない。 冷まさなかった自分への怒りなのか。 そもそも、熱い食べ物そのものへの怒りなのか。 もし後者なら、かなり最悪である。 でもたぶん、そういう部分もある。 冷めていたら冷めていたで、 「なんか違うな」と思ってしまう気がする。 結局、自分勝手なのだ。 小籠包は好き。 でも、冷ましきれないまま口に入れた瞬間、 一瞬だけ嫌いになる。 心が狭い上に、せっかち。 いや、せっかちな人間は、 心が狭いのかもしれない。 慌てない心。 落ち着いた行動。 余裕のある考え方。 そういうものが身についたら、 もう少し上手に小籠包を食べられる気がする。 その日が来るまで、 たぶん僕は、小籠包に軽くキレ続ける。 ちなみに、中華で一番好きなのは青椒肉絲です。
人生で一番好きだった人
人生で一番好きだった人。 人生で一番好きだったのは、 中学生の頃、少しだけ付き合ったあの人だ。 別れてからも、なんだかんだ連絡は続いていた。 微妙な距離感のまま、ずっと仲が良かった。 向こうは、たぶん何とも思っていなかったと思う。 同じ高校に進学して、クラスも3年間ずっと一緒だった。 学校ではあまり話さないのに、LINEは毎日していた。 大学生になって、僕は上京した。 その子は地元で就職した。 それでも連絡は続いていた気がする。 東京で会ったり、 地元でお茶したり。 特別なことは何もなかったけど、 大学生くらいまでは、ずっと気になっていた。 就職して、 恋人ができたり、別れたりしていく中で、 いつの間にか「人生で一番好きな人」ではなくなっていた。 でも、完全には忘れられなかった。 恋愛感情とは少し違う。 元気かな、とか。 今、何してるんだろう、とか。 そんな感じだった。 そんなある日、突然また会う機会が来た。 中学の友達何人かで飲みに行くことになって、 そこにその子もいた。 最後に会ってから、4、5年は経っていたと思う。 会ってみると。 別に、なんとも思わなかった。 人生で一番好きな人は、 いつの間にか、人生で一番好きだった人になっていた。 無意識に。 自然に。 でも、その人が結婚したと聞いた時、 少しだけ心がざわついた。 もう二度と、 僕との間に何かが起きることはないんだなと思った。 寂しいとか、悔しいとかではない。 少しだけ、後悔だった。 もっと気持ちを伝えておけばよかったとか。 もっと違う関わり方もあったのかなとか。 でも、それも一瞬だった。 僕はその人のことを、 自然に、どうでもよくなっていた。 まるで、コンビニに置いてきてしまったビニール傘みたいに。 少し気になる。 でも、別になくても困らない。 そんな感じ。 今、人生で一番好きな人は別にいる。 そして、その人に夢中だ。
好きでいるために、離れる。
終わったと思った。 曲が作れない。 メロディが降りてこない。 歌詞も浮かばない。 あんなに好きだったはずなのに、 音楽が、少し嫌いになりかけている。 なぜみんな辞めてしまうのか。 なぜ続けないのか。 ずっと不思議だった。 でも今なら、少しわかる。 嫌いになりたくないから、離れるんだ。 距離を取るんだ。 昔は、それがもったいないと思っていた。 でも今は、思わない。 見るのと、聴くのと、演奏するのは違う。 でも「好きでいること」は、きっと同じだ。 音楽が好きなら、 作らなくてもいい。 演奏しなくてもいい。 違う形で、好きでいればいい。 好きなものを、嫌いになってしまうことの方が、 よっぽどもったいない。 それでも。 もう少しだけ、 メロディと歌詞を考えてみようと思う