ぐち
26 件の小説ハンバーガーという夢と欲望の食べ物
テイクアウトのハンバーガーを持って帰る。 中身の熱で温められた紙袋から、ふわっと匂いがする。 あの匂いが好きだ。 ハンバーガーを買ったという幸福感。 ちょっとした優越感。 そして、ほんの少しの罪悪感。 いろんな感情が、紙袋の匂いから感じる。 欲望に逆らわず、むしろ欲望のままに手に入れたハンバーガー。 僕にとってハンバーガーは、食べ物というより、 ちょっとした「夢」なのかもしれない。 | そもそも、僕はハンバーガーが好きすぎる。 定期的に食べたくなる。 食べなくてはいけないと体求めている。 もはや中毒だ。 バンズにパティやチーズが挟まっている。 言ってしまえば、それだけの食べ物なのに。 なぜ、こんなにも夢中になるのだろう。 ハンバーガーって、不思議だ。 シンプルなのに、強い。 期間限定のバーガーが発売されれば話題になる。 新しい具材が挟まっただけで、食べてみたくなる。 健康的かと言われれば、決してそんなことはない。 それでも、見つけるとフラッと店に入ってしまう。 我々は、欲望には勝てない。 いや。 そして、このハンバーガーとの付き合いは、かなり長い。 物心ついた頃から、ずっとそばにいた。 ただ、その時々で、ハンバーガーの意味は少しずつ変わっていった。 子どもの頃のハンバーガー。 学生の頃のハンバーガー。 社会人になってからのハンバーガー。 同じものを食べているのに、思い返してみると、そこにはそれぞれ違った「夢」と「欲望」があった。 少し振り返ってみたい。 | 子どもの頃のハンバーガー 子どもの頃、マクドナルドのハッピーセットは特別なものだった。 ただ、僕が食べていたのはハンバーガーではなく、プチパンケーキだった。 当時は、ハッピーセットについてくるおもちゃが欲しかったのだ。 今思えば、あのおもちゃたちの何がそんなに良かったのか。 正直、よくわからない。 でも、あの頃の僕にとって、マクドナルドは特別だった。 「今日はマックに行く」 それだけで嬉しかった。 | 学生になると、ハッピーセットは頼まなくなった。 ハンバーガーとポテトのセット。 それにナゲット。 さらに単品でもう一個バーガー。 今思えば、なかなかわんぱくな食べ方をしていた。 食べ盛りだった。 そして、少しずついろんなバーガーを知っていった。 ビッグマック。 チキンフィレオ。 えびフィレオ。 それまで知らなかった味を覚えていく。 マクドナルドだけではなく、モスバーガーにも行くようになった。 当時、僕の住んでいた長野県にはバーガーキングもロッテリアもなかった。 バーガーキングは最近やってきた。 ロッテリアは、今もない。 長野、そういうところだ…。 気づけば僕は、 「ハッピーセットのおもちゃが欲しい子ども」 ではなく、 「ハンバーガーが食べたい人」 になっていた。 そして、友達ともマックに行くようになった。 特別な予定があるわけでもない。 ただマックに行って、ハンバーガーを食べながら、くだらない話をする。 何を話していたのかは、もうほとんど覚えていない。 覚えていないくらい、何気ない時間だった。 でも、今になって思う。 あれは、とんでもなく贅沢な時間だった。 | 社会人になってからのハンバーガー 社会人になると、少し自由になった。 自分のお金で、好きな時にハンバーガーを食べに行ける。 もちろん、安いとはいえない。 最近は物価も上がって、ハンバーガーだって立派な食事だ。 それでも、昔よりは自由だ。 そして、気づけば一人で行くことが増えた。 誰かと話すわけでもない。 何か特別なことをするわけでもない。 ただ一人でハンバーガーを食べる。 何も考えず、かぶりつく。 それだけ。 でも、それが妙に心地いい。 最近、仕事の昼休みに食べるビッグマックがめちゃくちゃうまいことに気づいた。 昼からハンバーガー。 この背徳感がたまらない。 食べ終わったあと、 血糖値が爆上がりして眠い。 めちゃくちゃ眠い。 午後の仕事にならない。 でも、そんなことはどうでもいい。 みなさんもお昼にビックマック買って食べてみてほしい。 | 思えば、僕にとってハンバーガーは、ずっと「欲望」だった。 子どもの頃は、おもちゃが欲しかった。 学生の頃は、友達とくだらない話をする時間が欲しかった。 社会人になった今は、自分の好きなタイミングで、自分の好きなものを食べる自由がある。 同じハンバーガーなのに、欲しかったものは少しずつ変わっている。 そう考えると、ハンバーガーって面白い。 食べ物なのに、そこにその時の自分が映っている。 | ハンバーガーは、夢と欲望が詰まった食べ物だ。 紙袋を開ける瞬間のワクワク。 一口目の幸福。 食べ終わったあとの満足感。 そして、 「また食べたい」 という欲望。 たぶん僕は、これからもハンバーガーを食べ続ける。 子どもの頃とは違う理由で。 学生の頃とは違う場所で。 その時々の自分の欲望を、ハンバーガーに挟みながら。 そしていつか、もっと歳を取ったとき。 今の僕が食べているハンバーガーを思い出して、 「あの頃は、あれが贅沢だったな」 なんて思うのかもしれない。 みなさんもハンバーガーを通じて 大切な時間を噛み締めて、感じて、大事にしてみて下さいね。 | 今年も月見の季節がやってきました。 今年もしっかりと月見食べます。 が、僕はケンタッキーの月見フィレが月見シリーズの中では一番好きです。 −
気を遣いすぎて、人と話すのが苦手になった
僕は、気を遣って生きている。 正確に言うと、 気を遣いたくて遣っているわけではない。 勝手に遣ってしまう。 「こんなことを言ったら、どう思われるだろう」 「嫌な気持ちにさせないだろうか」 「これを言ったら嫌われるかな」 そんなことを、無意識に考えてしまう。 気がつけば、言いたいことを言うのにも勇気が必要になっていた。 頭の中では考えている。 言いたいこともある。 でも、いざ口に出そうとすると、 「いや、やめておこう」 となる。 その結果、話がまとまらない。 何を言いたいのかわからなくなる。 自分でも何を話しているのかわからない。 そんなことが増えた。 ⸻ 大学生の頃の僕は、もう少し人と話すことが好きだった。 人付き合いも嫌いではなかった。 初対面の人に話しかけることも、そこまで苦ではなかったと思う。 それが今では、真逆だ。 社会人になって数年。 気がつけば、人と話すことそのものに疲れるようになっていた。 一人が楽。 一人でいたい。 そんなことを思うようになった。 ⸻ MBTIも変わった。 大学生の頃はENFPだった。 「運動家」というやつ。 今はINFP。 「仲介者」。 もちろん、MBTIがすべてではない。 でも、 「ああ、確かに変わったな」 と思った。 以前より明らかに、一人でいる時間を好むようになった。 人と関わることに、以前よりエネルギーを使うようになった。 思い当たることはある。 ⸻ 新卒で入った会社だ。 サービス業の、とある専門店。 業界では長く続いている会社で、それなりに大きな企業だった。 僕が配属された店舗の店長は、50代くらいの男性だった。 いわゆる「昭和の人」という印象だった。 本人も、 「昭和の人間だから」 というようなことをよく言っていた。 昭和の教え方。 昭和の働き方。 昭和の考え方。 令和の時代についていけていないというより、 ついていこうとしていないように、当時の僕には見えた。 「昭和のほうがよかった」 と、心のどこかで思っていそうだった。 もちろん、最近の若い人が打たれ弱いと言われることもわかる。 昔と比べて、辛抱強さがなくなっている人もいるのかもしれない。 だからといって、 「昔はこうだったから」 を、そのまま今の人間に押しつけていいとは思わなかった。 少しくらいは、今の時代に寄り添ってほしかった。 少なくとも当時の僕には、そのやり方が合わなかった。 居心地が悪かった。 ⸻ 入社して半年ほど経った頃。 僕は、会社を辞めたいと伝えた。 返ってきたのは、 「もう少し続けてみたら?」 という言葉だった。 そして、 「あと何年か頑張ったら」 というような話をされた。 でも僕には、その「何年」がよくわからなかった。 あと何年頑張れば、何が変わるのか。 僕はどうなれるのか。 何を目指せばいいのか。 そこを教えてほしかった。 もちろん、人生がどうなるかなんて自分次第だ。 それはわかっている。 でも、 「こういうことを経験すれば、こんなことができるようになる」 「君にはこういうところがあるから、こういう方向を目指してみたらどうか」 そんなふうに、少しでも具体的な話をしてくれたら違ったかもしれない。 ただ、 「もう少し頑張れ」 と言われても、僕にはあまり響かなかった。 根拠もなく引き止められているように感じた。 正直、信用することもできなかった。 ⸻ 本当は、言ってほしい言葉があった。 「君のこういうところは必要だよ」 とか。 「こういうところがいいから、もっと伸ばしていけばいい」 とか。 「ここでこういう経験をしたら、君にとってプラスになると思う」 とか。 そんなことを言ってほしかった。 そんなところは、僕にはなかったのかもしれない。 でも、ただ引き止められると、 「店長の成績に響くのかな」 「人が辞めると困るだけなのかな」 そんなことを考えてしまった。 ⸻ そして、その時。 店長は、僕にこんなことを言った。 「僕があなたのお父さんだったら、とりあえず頑張れって言うけどな」 「僕がお父さんなら……」 僕には父親がいない。 正確には、生きている。 でも、僕が5歳くらいの時に両親が離婚してから、一度も会っていない。 店長には、そのことを以前話したことがあった。 だからこそ、 「僕がお父さんだったら」 という言葉に、ものすごく嫌悪感を覚えた。 ⸻ いや。 お前は父親じゃないだろ。 そう思った。 正直、父のことは好きではない。 むしろ、嫌いだと思っている。 僕にとって父親の話は、 気軽に触れられたいものではなかった。 コンプレックスというほどなのかはわからない。 でも、あまりズカズカと入ってきてほしくない場所だった。 そこに、 「僕がお父さんなら」 と言われた。 何が父親なら、だ。 と思った。 ⸻ どんなに素晴らしい父親でも。 どんなに僕がその父親を好きだったとしても。 事情があって別れるしかなくなったとしても。 父親の代わりにはなれない。 そもそも、なろうとしないでほしい。 当時の僕には、そう感じた。 店長に悪気があったのかはわからない。 もしかしたら、本当に親身になって言ってくれたのかもしれない。 でも僕には、 僕の気持ちを理解しようとするよりも、 「とにかく続けろ」 と言われているようにしか聞こえなかった。 僕の気持ちは、置いていかれた。 ⸻ 辞めたいという気持ちを伝えた。 でも、受け止めてもらえなかった。 自分の考えを話しても、 そのまま流されてしまう。 「もう少し頑張ろう」 「僕がお父さんなら」 そんな言葉で、僕の気持ちはなかったことになる。 その経験があってからなのか。 僕は少しずつ、 自分の気持ちを伝えることが怖くなった。 どうせ伝えても理解してもらえない。 そう思うようになったのかもしれない。 ⸻ 気がつけば、どんどん人と話すことが苦手になっていた。 バンドをやっていてもそうだ。 本当は言いたいことがある。 「こうした方がいいんじゃないか」 「それは違うんじゃないか」 そう思うこともある。 でも、言えない。 関係が悪くなったらどうしよう。 嫌な気持ちにさせたらどうしよう。 最悪、バンドができなくなったらどうしよう。 そんなことを考えてしまう。 ⸻ 仕事でもそうだ。 無理なことを、きっぱり「無理です」と言えない。 断ったら迷惑だろうか。 嫌われるだろうか。 評価が下がるだろうか。 そんなことばかり考えてしまう。 結局、 僕は気を遣っているのではなく、 嫌われたくないだけなのかもしれない。 ⸻ 人と関わるのが苦手になった。 その一方で、 人の嫌なところばかり目につくようになった。 あの言い方が嫌だった。 あの態度が気に入らない。 なんでそんなことをするんだ。 そんなことを考える。 本人には言えない。 だから、友達に話す。 ChatGPTに聞いてもらう。 自分の中で消化できないものを、 誰かに聞いてもらう。 ⸻ ちょっとしたことが気になる。 大したことないことでイライラする。 そして、 そんなふうに思ってしまう自分にも嫌気がさす。 「なんでこんなことでイライラしているんだろう」 「もっと大人になれよ」 そう思う。 でもまた、何かが気になる。 そしてまた、イライラする。 人と関わる。 気を遣う。 疲れる。 一人になりたくなる。 また人と関わる。 そんなことを繰り返している。 ⸻ 気を遣うことは、悪いことではないと思う。 相手の気持ちを考えることは、大切だ。 でも、 気を遣いすぎて、 自分の気持ちがどこかへ行ってしまったら意味がない。 相手を大切にするために気を遣っているはずなのに、 気がつけば、 「嫌われないため」に生きている。 それは、少し苦しい。 ⸻ 最近は、一人が好きだ。 一人の時間が必要だ。 誰かの機嫌を気にしなくていい。 何を言うか考えなくていい。 誰にも気を遣わなくていい。 それだけで、少し楽になる。 でも本当は、 人が嫌いになったわけではない。 人と話すことが嫌いになったわけでもない。 たぶん、 人と関わることに疲れただけなのだと思う。 ⸻ だから今は、 少しずつでいいから、 思ったことを伝えられるようになりたい。 嫌われないことよりも、 自分の気持ちを大切にできるようになりたい。 気を遣わない人になりたいわけじゃない。 たぶん僕は、これからも気を遣う。 それが僕だから。 でもせめて、 相手に気を遣うのと同じくらい、 自分にも気を遣ってあげたいと思う。 (病んだりしてないよ、元気!)
ストレス発散のため、唐揚げを揚げる
現在、絶賛ダイエット中だ。 それなのに、どうしても唐揚げが食べたくなった。 正確に言うと、唐揚げが食べたかったというより、唐揚げを揚げたかった。 - ダイエット中、基本的に食べているものは、 豆腐、サラダチキン、納豆、キムチ、キャベツ、パスタ、そうめん。 週一くらいでハンバーガーとかご褒美じゃないけど、一日の摂取カロリー内で羽目を外す。 二十代の折り返しに入り、痩せずらくなり、太りやすくなったと感じる。 一日1万歩目指して散歩してもなかなか落ちない。 (ランニングとか筋トレしろって) 頑張っているが、今日は我慢できませんでした。 - なんだかストレスがたまっていた。 上司の言葉がなんだか気に食わなかった。 自分は人の言葉を割としっかり受け止めてしまう。(友人や恋人も) もやもやとして、うぜ~とかも思っていた。 何より、そんなことを思ってしまう・引きずってしまう自分が嫌で。 罪悪感というか、もっと頑張らないとというか、、、。 なんだかたまっていた。 - そんなストレス、もやもやをため込んだまま、 仕事終わりにスーパーに向かった。 とりのむね肉やキャベツ、ダイエットのために買っているものとは他に、 今日は「とりのもも肉」を買おうと決め込んでいた。 今日はから揚げだ。 - ストレスを感じた時、僕はから揚げを揚げる。 揚げ物、カロリー、肉が食べたくなる。 それ以上に、好きなようにから揚げを揚げて、好きな量を好きなタイミングで食べることがストレス発散になるのだ。 レシピなんて見ない。 もう醤油も酒も好きなように入れる。 にんにくもちょっと多めに入れちゃう。 そして漬け込んでいる間。 若干の罪悪感があるので、散歩をした。 しっかりしみ込んでいることを期待して一歩一歩を踏みしめる。 - いよいよ、油を温めてから揚げを揚げる。 待ちにまったこの瞬間。 片栗粉を気持ち多めにつけて、アツアツの油に投下する。 片栗粉を多めにするのは、僕が触感の強い食べ物が好きだからだ。 ざくざくという心地いい触感。 何より満足度も高くなる。 そして、油の中に肉を落とすと、心地いい音が聞こえてくる。 ストレスが浄化されていくような美しい音色。 から揚げを油から引き上げると、 まさに求めていたその姿が現れる。 見るからにざくざく触感のから揚げちゃん。 - 好きなように作ったから揚げをほおばる瞬間。 この時にはすでに嫌なことも忘れてしまっている。 ジューシーな肉汁がストレスを洗い流してくれる。 ざくざくという触感が元気をくれる。 つくってよかったと思う。 塩コショウやレモン果汁で味変を楽しみながら、 一つ一つかみしめる。 - 嫌なことがあった日は、 好きなものを好きなように作ってみる。 コンビニで好きなものを買うのもいい。 ファストフードを食べるのもいい。 でも、自分で作るのは少し違う。 誰にも口を出されない。 味付けも。 量も。 食べるタイミングも。 全部、自分で決められる。 その自由さが、僕にとっては一番のストレス発散なのかもしれない。 明日から、また頑張ろう。(ダイエット)
月日とともに 君は素敵になる
彼女は、誕生日が楽しみではないと言う。 年齢を重ねるにつれて、 「もう年を取りたくない」 そう思う人は多い気がする。 アラサーの僕ら世代は特に。 彼女も、その一人だ。 でも自分は、誕生日はやっぱり嬉しい。 自分が生まれた日。 産んでもらった日。 一人ひとりに必ずある、特別な日だと思う。 だから、「誕生日なんて来ないでほしい」と思わないでほしいな、と少し思ってしまう。 もちろん、年を取りたくない気持ちもわかる。 老いていく感じとか、 焦りとか。 「嫌だな」と思う部分も、たしかにある。 でも、年を重ねること自体を、楽しみにできたら素敵だと思う。 僕はB’zが好きだ。 『Happy Birthday』という曲があって、 誕生日じゃなくても聴くくらい好きな曲。 その中に、 「月日とともに 君は素敵になる」 という歌詞がある。 この言葉が、とても好きだ。 年を取ることって、悪いことばかりじゃない。 その年齢になったからわかる価値観。 その時になって好きになるもの。 経験して初めて見える景色。 そういうものが少しずつ増えて、 人は素敵になっていくんだと思う。 ……自分も、そうなれたらいいけど。 誕生日って、 命を懸けて産んでくれた日で、 命懸けで生まれた日でもある。 一人ひとりに必ずある、大切な日だ。 だから、そんな日を嫌だと思ってしまうのは、少しだけ寂しい。 彼女にも、いつか誕生日が楽しみになってほしい。 もしそれが無理でも、 「今年の誕生日、悪くなかったな」って思ってもらえたら嬉しい。 そう思いながら、今年もお祝いしようと思う。
結局、自分で作ったカレーが一番うまい
自分で作ったカレーが、一番うまい みんな大好きカレーライス。 (……うちの弟は嫌いだったけど。) これを読んでいる人は、何カレーが好きですか? 家のカレー。 欧風カレー。 インドカレー。 キーマカレー。 CoCo壱。 ゴーゴーカレー。 すき家のほろほろチキンカレー。 レトルトカレー。 「カレー」と一言で言っても、全然違う。 店ごとに味も香りも違うし、 具材が変われば、別の料理みたいになる。 まだ出会ったことのないカレーも、たぶん山ほどある。 そんな中で、最近思う。 結局、自分で作ったカレーが一番うまいんじゃないか、と。 もちろん、他人が食べたら「別に普通」かもしれない。 でも、自分で作って、自分で食べるカレーが一番うまい。 カレーって、ルーを入れれば誰でも作れると思われがちだ。 実際、ある程度はそうだと思う。 でも、友達の家のカレーとか、 学校行事で作るカレーとか、 なぜか全部味が違った。 同じような材料を使っているはずなのに。 肉の種類。 水の量。 煮込む時間。 蓋をするかしないか。 たぶん、そういう細かいところで変わるんだと思う。 カレーは、意外と奥が深い。 そして何より、カレーは自由だ。 ちょっとくらい変なことをしても、だいたいうまくいく。 ルーが強い。 めちゃくちゃ優秀。 多少冒険しても、ちゃんと“カレー”にしてくれる。 だから楽しい。 チョコ。 コーヒー。 ケチャップ。 ソース。 バター。 きのこを入れてもいいし、夏野菜を入れてもいい。 何を入れるか。 どれくらい入れるか。 それだけで全然違う味になる。 煮込んでいる鍋を見て、 「これどうなるんだろう」って考えている時間が好きだ。 料理研究家にでもなった気分になる。 身近で、簡単で、失敗しにくい。 でも、ちゃんと奥が深い。 料理が苦手な人でも、 挑戦したくなる料理だと思う。 だからやっぱり、自分で作ったカレーが一番うまい。 食べ切るのが、ちょっともったいない。 3日目のカレーを食べながら、 もう次は何を入れようか考えている。 ちなみに、CoCo壱の好きなトッピングは、 なす、納豆、フライドチキンです。
26歳、反抗期
自分でもわかっている。 なぜ、こんなにトゲトゲしてしまうのか。 本当は、したくない。 でも、してしまう。 反抗期とか、思春期とか。 多くの人は、中学生や高校生くらいで経験するんだと思う。 でも僕には、たぶんなかった。 そして今、26歳。 遅れてきた反抗期の真っ最中である。 大学生の頃、僕は上京していた。 4年間、東京で暮らした。 母とは夏休みや年末年始に会うくらい。 たまに会う分には、うまくやれていたと思う。 母には感謝している。 女手ひとつで大学まで行かせてくれたし、 帰省のたびに新幹線代まで出してくれた。 優しい人だ。 この頃の僕は、今よりずっと穏やかだった気がする。 少なくとも、母に対してトゲトゲした感情はほとんどなかった。 就職を機に、地元へ戻った。 一度は一人暮らしもしたけれど、 新卒で入った会社をすぐ辞めてしまい、実家に戻ることになった。 転職先は、母が勤めている小さな会社だった。 家も同じ。 職場も同じ。 最初は正直、かなり楽だった。 仕事では気軽に頼れるし、 家に帰ればご飯もある。 洗濯もしてくれる。 でも、だんだん苦しくなっていった。 「ご飯どうする?」 その一言に、イライラしてしまう。 今思えば、本当に意味がわからない。 食べるに決まっている。 でも、「どうする?」と聞かれると、 丸投げされた気がして嫌だった。 だから「なんでもいい」と返す。 でもそれも結局、 自分が丸投げしているだけだった。 提案されたご飯が微妙だと、イライラすることすらあった。 本当に情けない。 そんなふうに、 生活の中の小さなことで、ずっとトゲトゲしていた。 母も昔はカリカリしていたし、お互い様だろ、と思う時もある。 でも僕は、 「昔あんたもそうだった」 みたいな言葉が苦手だ。 だから思っても、口には出さない。 こんなことを言いながら、 僕はかなり甘えている。 生活を支えてもらっているし、 ご飯だって出してもらっている。 それなのに、母にはトゲトゲしてしまう。 罪悪感がある。 26歳にもなって甘えていること。 何も返せていないこと。 悔しさとか、申し訳なさとか。 そういう感情が、ずっとどこかにある。 疲れ切って、何も喋りたくない日があった。 母に「なんか変だよ。何かあった?」と言われた。 「これが普通」と答えた。 すると、「普通じゃない」と返ってきた。 たしかに、周りから見たら変だったのかもしれない。 でも、その時の僕には、 それが全力の“普通”だった。 このままだと、母との関係が悪くなる気がした。 だから一人暮らしを始めた。 本当はもっとお金を貯めるつもりだった。 でも、我慢できなかった。 一人の空間。 好きな匂い。 好きな部屋。 自由に出かけられる。 どこに行くのか何時に帰るのか、 社会人になっても聞かれていたがそれがなくなる。 それだけで、かなり楽になった。 お金の不安はある。 でも今のところ、 一人暮らしを始めてよかったと思っている。 家族だからこそ、距離感は大切なんだと思う。 家族でも、他人だ。 価値観も違うし、考え方も違う。 だからこそ、尊重するための距離が必要なんだと思う。
そうめんを食べる理由
今日、そうめんを食べた。 まだ5月半ばだというのに、真夏みたいに暑かった。 昼の時点で、「今日は絶対そうめんだ」と決めていた。 でも正直に言うと、 僕は“そうめんそのもの”が特別好きなわけではない。 そうめんは、薬味を食べるために存在していると思っている。 しそ。 みょうが。 しょうが。 ねぎ。 僕の場合は、トマトも入れる。 蒸し鶏をほぐしたのなんかもとても合う。 つゆには、ごま油を少し垂らす。 薬味は、できるだけたくさん用意したい。 ラーメンとも、うどんとも、そばとも違う。 そうめんは、薬味を迎え入れるための麺なのだと、僕はわりと本気で思っている。 だって、みょうがを単体で山ほど食べることって、あまりない。 しそも、ねぎもそうだ。 でも、そうめんを介した瞬間、 みんな急に輝き始める。 味だけじゃない。 シャキシャキした食感とか、 鼻に抜ける香りとか。 薬味が入ることで、「食べる」が急に楽しくなる。 僕にとって薬味は、 ハンバーガーで言うところのパティだ。 つまり、主役である。 だから、そうめん自体にはそこまでこだわりがない。 スーパーで一番安いやつでいい。 薬味さえ、ちゃんとしていれば。 よく考えると、ちょっと贅沢だと思う。 高級な食材じゃない。 でも、薬味をたくさん刻んで、 そうめんより薬味の方を楽しみにしている。 そんな食べ方をしていると、 「ああ、夏が来るんだな」と思う。 今年の夏も、楽しみだなぁ~。
彼女は春巻きを巻くのが上手い
春巻きを巻くだけで、性格が出る。 彼女は、春巻きを巻くのが上手い。 角はぴしっと揃っていて、 大きさも全部均一。 隙間もない。 対して、自分の春巻きはひどい。 大きさはバラバラ。 隙間もある。 しかも、無駄にでかい。 こんなにも差が出るものなのかと思った。 思い返せば、 折り紙も昔から苦手だった気がする。 紙を半分に折るだけなのに、少しずれる。 角が合わない。 そういう人間だ。 日常生活を見ていても、 彼女は丁寧に生きていると思う。 本人は「そんなことない」と言うけれど、 たぶん、持っている素質なのだと思う。 洗い物もきっちりしているし、 枕カバーも毎日変えている。 床に物が置いてあっても、 本は本、コスメはコスメ、みたいにちゃんとまとまっている。 細やかで、丁寧な暮らしだ。 じゃあ自分はどうか。 きれい好きではある。 掃除も嫌いじゃない。 でも、「とりあえず箱に入れる」はよくやる。 見えなければいい。 そんな感覚がどこかにある。 分類ごとに箱を分けたとしても、 箱の中は整理されていない。 春巻きも同じだった。 きっちり均等に巻かれた彼女の春巻き。 「具が入っていて、巻けていればいいでしょ」と言わんばかりの自分の春巻き。 別に、適当にやったわけではない。 むしろ真面目に、本気で巻いた。 でも、こういうところに出るんだと思う。 素質というか、 潜在意識というか。 生き方みたいなものが。 もちろん、経験の差もある。 自分は春巻きを巻くのが初めてだった。 でもたぶん、何回練習しても、 彼女みたいには巻けない気がする。
はじめまして
へろー。はじめまして。 ぐちと申します。 26歳、社会人の男です。 長野県に住んでいます。 長野県、知っていますか? いや、まあ知ってはいると思います。 みどりが豊かで、海がなくて、 山が広くて、電車があまりなくて、 最近やっとバーガーキングが上陸した場所です。 とてもいいところですよ。 さて、 ここには、たぶん小説はあまり載せません。 日々感じたことを、 エッセイみたいに書いたり。 あとは、バンドもやっているので、 歌詞なんかも載せるかもしれません。 そうそう、バンドもやっています。 YouTubeやTikTokにライブ映像なんかも載せています。 もし興味があったら、 その辺の話も書いていこうかなと思っています。 ……まあ、ほぼ誰も興味ない気もしますが。 少しでも「なんかいいな」と思ってもらえたら嬉しいです。 仲良くしてください。
みんな違う焼き方で生きている
焼肉に、ごはんいる派?いらない派? 焼肉は人間性が出る。 ・・・・・ 僕は焼肉を食べる時、必ずごはんを頼む。 焼いた肉を、一度タレにくぐらせる。 そして白米にバウンドさせて食べる。 これが好きだ。 米がいらない、という人もいる。 なぜだ。 信じられない。 もちろん、肉だけで満たされたい気持ちもわかる。 でも、焼肉のあとにかきこむ白米には、 普通の定食では味わえない特別感がある。 だから僕は、焼肉には絶対にごはんを頼む。 ただ、飲みの席は少し話が変わる。 焼肉とビールの相性は抜群だ。 熱々の肉を食べて、 冷たいビールを流し込む。 最高である。 でも個人的には、 ごはんとビールの相性はあまり好きじゃない。 合わない気がする。 だから、焼肉でお酒を飲む時は、最初はごはんを頼まない。 その代わり、後半戦で頼む。 前半はビールと肉。 後半はごはんと肉。 自分の中では、それが一番しっくりくる。 焼肉って、意外と性格が出る。 焼き方にこだわる人。 焼きすぎる人。 全然焼かない人。 勝手にどんどん皿に乗せてくる人。 サイドメニューを頼みまくる人。 焼肉奉行なんて言葉があるくらいだ。 肉を焼くだけなのに、 人によってルールが全然違う。 だから、大人数の焼肉はたまに難しい。 「もう一人焼肉が一番なのでは?」 と思ったことも、正直ある。 でも本当は、 相手の食べ方を否定するんじゃなくて、 「その焼き方いいね」 「その食べ方おもしろいね」 って言いながら食べられたらいい。 たぶん、人生も同じなんだと思う。 みんな違う焼き方で生きている。 だからこそ、 思いやりを持って関われたらいい。 僕も気をつけたい。 焼肉でごはんを頼まない人を、 「信じられない」と突き放すんじゃなくて、 その人にも、ごはんを分けてあげられるくらいでいたい。