冬華
86 件の小説あたりまえ?
「あたりまえ」の話をしよう。 もしも、色がなかったらどうなると思う? あ、今、昔の白黒写真見たいな感じの風景を思い浮かべたね? だめだめ、白黒写真には、白と黒と灰色があるじゃないか。 白も黒も灰色もない世界だよ。 「色」という存在そのものがなくなった時、そこにはどんな世界があるのだろうか? 想像できないよね、そりゃそうだよ。 だって、「色」っていうのは、「あたりまえ」のものなんだから。それがないなんてことは、想像もできない。 じゃあ、もし君の隣にいる、大切な友達、大事なもの、大好きな家族やパートナー。そんな人たちが、いなかったら? …今、少しだけでも、想像「できちゃった」んじゃない? 一瞬でも、そんな世界が思い浮かんじゃったんじゃない? 想像できるってことは、「そんな世界もありえる」っていうこと。「あたりまえ」なんかじゃないってこと。 今、君が生きてるのも、大切な人がいてくれるのも、ご飯を食べられてるのも、実はあたりまえじゃないんだよ。 あたりまえだと思ってたものもあるんじゃない?当然のことだと思ってたんじゃない? 全然違う。それはみんな、特別なこと。 特別なものを、ちゃんと「とくべつ」だと思える人であって欲しいと、僕は思ってるよ。 「とくべつ」を、あたりまえだと思っているあなたへ。 たまには、少し目を閉じて考えてみるといいかも。難しく考えなくていいから。重く考えずに、気軽に考えよう。 『あれがなかったら、どうなるんだろ』ってさ。
幸せ?
あれから時は流れ、今。 僕は、いい人になれた。 昔のような、奴隷のような優しい人じゃなくて、ちゃんと断れるけど、頼み事もちゃんと聞いてくれる人。 できるものは快く引き受ける。 でも、無理なものは無理。 そんな時は、誰か他に頼れそうな人に繋げてみる。 こんなふうに、自分が壊れないように、ちょうどいいところで、頑張る。 自分が受けすぎないように、誰かの助けになる。 ここ最近で手に入れた、新しい考え方。 リーダーも、ちゃんといい人になった。 一緒に頑張ってくれたから、僕もリーダーも、いい人になれた。 僕もリーダーも、まだいい人としては未熟で、依頼を受けてから後悔するなんて、ざらにある。「受けなきゃよかった」とかも、思う。 でも、リーダーは生き生きとしてる。 僕は、以前よりは幸せだと思う。 自分ができることなんて、高が知れてる。 その中で。僕が持つ些細な力で、誰を助けられるのか。なにができるのか。 それを、相手のために考えるのが、今の幸せ。 本当の幸せなんて、本人も、他人も、誰も知らない。 今感じてるこの幸せも、本当に幸せなことかもわからない。たまに疑うくらいだ。 でも、今の自分が、胸を張って言えること。 今の僕は幸せです。ということ。 周りの人が幸せで、その幸せを、僕も少しだけ支えられて、感謝されて笑い合える。 この日常が、今一番、幸せなんだよ。 人々は、その時々で幸せを感じながら、それぞれの幸せを探している 僕も、今の幸せを感じながら、探していく 未来の僕は、なにを幸せと感じるのだろうか 楽しみだね
それは幸せじゃない
新しいチームに入って半年が経った頃、僕は気付いた。 初めてリーダーと出会った時、会話した時、なぜか親近感を覚えた。 それはなぜか。 それは、今のリーダーが、昔の僕と重なったからだった。 頼み事は断らず、相談も全て親身に受け付け、手伝いをいやな顔ひとつせずしてくれる。 昔の僕を見ているようだった。 そんな姿を見て、思った。 大変そうだな。疲れないのかな。 一歩間違えたら嫌われるだろうな。 そこで、ハッとした。 自分も、こうだったんだ。 だから、物として扱われたし、嫌われたんだ。 奴隷のように動き、働く。だから物のように利用されたんだ。 思った。 この人はまだ助かる 僕のようにならずに済む こんないい人に、僕と同じ気持ちをさせてたまるか 僕の中で、何かが変わった。 その時から、僕は変われた気がする。 人々は、幸せだったのだろうか 僕は、ある一人の幸せを作ろうとしていた
幸せじゃん
新しい環境にやってきた。 周りの人は全員初対面 今までとは全く違う環境 全く新しい生活 そんな中、僕らのチームのリーダーが決まった。 いかにも優しそうな、整った顔で、いい人のオーラが出ていた。 僕の、自己中な善じゃなくて、真の善を見た気がした。 あぁ、やっぱり僕はダメな人だなと、そう思った。 この時はもう、自己否定があたりまえだった。 なにをしてもダメ、なにを言ってもダメ、自分がやるだけでダメ。 そんなふうに考えてた。 それが、一番辛くて、でも、一番楽だった。 人々は幸せだった 僕は幸せなんて見ようともしなかった
幸せな世界?
誰も傷付かず、皆が幸せになれる世界があるのなら、そんな世界に住みたい。 誰もが幸福を感じ、嫌なことなど一つもない。 皆が、心の底から幸福を感じる世界だ。 そんな世界があったら、現代のように、戦争で傷つく人や、誹謗中傷で幸せを失う人はいなくなるだろうし、政治の世界で幸福をなくす人もいなくなるだろう。 そうすれば、僕の胸の痛みも無くなって、毎日が楽しいと感じられるのだろうか。 もう親の期待や、人々からの信頼に押しつぶされてしまうことも無くなるのだろうか。 生きづらいこの社会から、解放されるのだろうか。 ただ、人々の幸せは、一人一人違う。 僕が今感じている、親の期待や人々の信頼を、羨ましがる人もいるかもしれない。 戦うことを幸せとする人もいるかもしれないし、人から支配されるのが幸せな人もいるかもしれない。 皆が幸せになるのは、世界が別れない限り無理なのかもしれない。 でも、やはり望まずにはいられない。 誰もが幸せで、傷つくことも、嫌なこともない、そんな世界を。
カスミソウ
六月。 じっとりとした暑さが日常になってきた。 自信満々に照っている太陽は、背中に背負うリュックの重さと相まって、俺の体力を削っていた。 誰もいない、田舎の細道。「暑い…」と呟いた一言が、周りの空気に溶けていく。 学校が半日で終わり、一日の暑さがピークに達した時に下校とは、学校は鬼畜だ。さらには、明日に提出しなければならないレポートがまだ終わっていない。学校は本当の鬼のようだ。 生きづらい世の中になっちまったな、とか、一人で考えていると、足元の花に目が留まった。 たしか、カスミソウ、という花だ。暑い日光を、気持ちよさそうに浴びている。 ふと、思い出す。この花を見つけた時のこと。 何年も前、もう何歳かは覚えていないけれど、確か小学校高学年くらいだった。 厨二病になり始めた俺の隣には、いつも二人がいた。 名前も覚えてないけど、真面目なメガネくんと、ショートが似合う活発な女子。 今歩いている周りが田んぼしかないような道で、道草ばっかり食ってた。 そんな時のある夏、ちょうどこの辺で、今、目の前に咲いている花を見つけたんだ。 メガネくんは博識で、俺たちが「なにこれー!」と言ったものには必ず答えをくれた。でも、この花だけは、三人ともわからなかった。 三人でじっくり観察していると、田んぼの作業をしていたらしいおじいちゃんが声をかけてきたんだっけな。確かあだ名は、くらじい。 『その花はな、カスミソウっちゅうんだ』 くらじいの話し方はちょっと訛ってて、話が聞き取りにくかった。 でも、俺たちはくらじいにいろんなことを聞いた。学校帰りとか、休みの日とか、いろんなことを聞きに行った。 カスミソウのこと、田んぼのこと、農業のこと、たけのこ取りのこと、世間のこと、人生のこと。 でも、小さい頃の記憶だから、あんまり覚えていない。 このカスミソウのことも、詳しく聞いたはずなのに、今はもう思い出せない。 成長する時期、育つ場所、花言葉。花の名前以外、何にも覚えてない。 知りたくなった。でも、なぜか、調べたくはなかった。くらじいに教わりたかった。 でももう、くらじいに教わることは、できない。 二年前に亡くなってしまったから。 今、農業頑張ってるんだけど、ここがわからないよとか、これから先どうなるんだろうとか。 もう、くらじいはいない。僕の大切な先輩は、人生の先生は、いないのだ。 でも、僕の記憶の中では、ずっと僕の人生を導いてくれていて、一生頭が上がらない。 俺も、あの人みたいに、誰かにカスミソウのことを教えられるようになりたい。 『おめさんなら、わしなんかより、もっとつえぇ男になる。おめさんなら、なれるわ、うん』 ふと、くらじいの言葉を思い出した。確か俺が、『くらじいみたいな物知りな人になれるかな?』って、聞いてみた時だったと思う。 その言葉が、なぜか心に染み付いて離れなかった。それが、くらじいとの約束な気がして、プレッシャーを感じる。 ふと、また一つ思い出した。 暑苦しい空気を吸って、一つ大きく息を吐いた。心の中で感じてたプレッシャーが消えて、スッキリしている。 これも、くらじいに教わった呼吸だ。やっぱり、くらじいはすごいな。頑張ろう、そう、強く思えた。 目の前で、力強く咲いているカスミソウが、なんだかあの人と重なって、「頑張るよ」と、自然に声が出ていた。 浅く一礼をして、帰路につく。 カスミソウが、ふわりと揺れた。
幸せなんて
しばらくすると、噂話も収まり、今まで仲良くしてきた人たちとも、悪くはない関係を続けていた。 しかし、あの噂以来、仲がいい人からの相談や頼み事もなくなり、僕は暇になった。 きっとみんな、適応したのだろう。 あの時の噂話が、日常に溶け込んでいき、「冬華には頼らない方がいい」という形で、浸透していったんだろう。 「周りのみんなの幸せが、僕の幸せ」だと思っていた。 でも、本当は違くて、自己中な話だけれど、「僕が誰かの幸せを支えて、それをみんなに知って欲しい」というのが、僕の幸せだったみたいだ。 自分に酔ってる 自意識過剰 卑しい 人間として恥ずべきこと 自己中すぎるから死んだ方がいいのではないか どの言葉も、自分の心に刺さった。 でも、それらの言葉でも足りないくらい、自分が恥ずかしくて、戒めたかった。 自分で自分が、許せなかった。 人々は幸せだった 僕は、自分が幸せになるべきではないと、思っていた
幸せじゃないよ
ある日、こんな噂話を聞いてしまった。 「冬華って、八方美人だな」 「モテようとしてやってたんだっけ?あいつやばいな」 「優しい自分に酔ってたんじゃね?イタすぎだろ」 心臓が、止まった気がした。 僕が人の頼みを断って以来、僕への相談は仲がいい人以外からはなくなった。 それを楽だと思う自分もいる反面、僕はもう「いらない」んじゃないかなと、思ってしまっていた。 でも、違かったんだ。 「いらない」人になったんじゃなくて、「関わりたくない」人になったんだ。 根も葉もない誰かの一言が、みんなに伝わり、僕はみんなにとっての嫌われ者になっていたんだ。 僕にとって、「いらない」よりも、「嫌い」の方が、僕の心を傷つけた。 あの日、頼み事を断らなければ あの日、あの本を手に取らなければ あの日、自分が変わろうとしなければ いくら後悔しても、もう遅かったようだ。 人々は、幸せだったのかな 僕は、絶望した
幸せ…?
数日経って、変化が起きた。 僕を物のように扱う人はいなくなり、僕のことを「僕」として頼ってくれる人だけが、僕の周りに集まった。 もう、自分は利用なんてされない。物じゃない。少しだけ、そう思えた。 周りの人は優しいし、手伝ったらちゃんと心のこもった感謝もしてくれる。お話も楽しいし、思いやってくれてるのがわかる。 あぁ、幸せだな、と思った。 人々は、幸せ? 僕は、幸せを感じ始めていた
幸せじゃない
本を読んだ次の日、笑顔で仕事を頼んできた人がいた。 僕が引き受けることはあたりまえだとでも言うように、どんなことをすればいいか説明している。 事細かに説明して、「お願いできる?」と最後に聞かれる。 いつもの僕なら、笑顔で承諾していた。 けれど、僕は「断り方」を知り、その時は手が開かない状態だった。 一つ深呼吸をして、意を決して言った。 「すみません、今手が空いてなくて、できないです」 怖かったけれど、言えた。 ちゃんとお辞儀もして、謝罪の意を込めて、でもはっきりと、言えた。 自分が、ちゃんと言えたことに、変われたことに喜びを感じた。 しかし、いくら待っても相手の返事は来ない。 そっと顔をあげて相手の方をみると、相手は真顔で立っていて、はぁ、と一つため息をついてから 「じゃあいいや」 と言って去っていった。 その時、しまったと思った。 相手を傷つけてしまった 相手が嫌な気分になってしまった 自分のせいで 自分が悪いんだ どうしよう 頭がぐちゃぐちゃになって、その日はほとんど、そのことで頭がいっぱいだった。 人々の幸せは、少し変わったようだ 僕は、幸せじゃなかった