P.N.恋スル兎
148 件の小説現代侍 最終章 其の19
天城才賀が通う高校、逢刻高校へ不法侵入した鞠家牡丹は、早々に清水と名乗る男子生徒に見つかったが、幸いなことに天城才賀の後輩であったため、現在、彼の案内の元、天城才賀の所まで向かっている最中である。 「私が部外者だって、どうして分かったの?」 牡丹は、清水に問う。 「こんな綺麗な方、うちの高校に居ませんから。それにジャージも、よく見たら違うし、案外分かりますよ」 そっか。 侵入できたのは、本当に運が良かっただけということか。 今はもう、本物の生徒と歩いているため、疑われる事もないだろう。 てかこの子、一年生だろうに、それに、こんな童顔で、さらっと嬉しいことを言ってくれる。 「この廊下の突き当たりが、道場です」 迷路のような廊下を結構な回数曲がった後、清水は廊下の先にある障子風な引き違い戸を指差した。 「…………」 この先に………。 テンガが居る。 「さ、行きましょう。稽古が始まっていないうちに」 再び歩みを進める清水。 それに追従する、牡丹。 近付くにつれ、動悸が激しくなってゆく。 やだ私、緊張してる。 そして、ガラガラ、と。 清水が戸を引く。 「お疲れ様です! 部長、お客さんがお見えです!」 「お客さん?」 その声は、久々に聞く、懐かしい声。 清水の背後から道場を見遣ると、そこには、道場の中央で竹刀の手入れをする、天城才賀の姿があった。 ただ、昔と比べて━━━━━なんかこう、顔付きが違う。 昔の気弱な雰囲気は一切ない、洗礼されたオーラさえ感じる。 この人が……テンガ……? 「え……ま、鞠家さん……?」 向こうも突然の訪問者に、目を丸くする。 そりゃあそうだ。 「えへへ、ひ、ひさし」 途端、清水の背後の、牡丹の更に背後。 そこから猛速で二人を追い抜き、天城才賀へと向かう影。 その風圧に、再会の言葉まで詰まる。 「━━━━━━━━━!」 その影は━━━その男は。 ━━━━━━佐々木小次郎は。 勢いそのままに、見えない剣速で真剣を天城才賀へと振り下ろした。 「ぶ、部長!」 「ちょっと!?」 「………………………」 しかし、確実に天城才賀を袈裟斬りにしたと思われた佐々木小次郎の刀は、空を斬った。 天城才賀は、間合いを見切り、切っ先の届かない距離へ瞬時に後退していた。 竹刀を手入れする、座った状態からのその反応は、有り体に言えば異常。 その反応速度だけでも、佐々木小次郎が確信に至るには、十分だった。 「遂に見つけたぞ━━━宮本武蔵」 「人違いだけど、僕も会いたかったよ。通り魔」 道場の空気が、一気に張り詰める。
現代侍 最終章 其の18
「ついちゃった…………」 岩流丘(がんりゅうおか)高校からバスでおよそ十分。 隣校と言うだけあって、そう遠くない距離に、ここ、逢刻(おうとき)高校は所在する。 鞠家牡丹は、心の準備もままならないうちに、逢刻高校の正門前に到着した。 してしまった。 制服は道中のコンビニエンスストアのトイレで着替えてきたので、現在はジャージ姿である。 放課後に見かける逢刻高校の生徒のジャージに似てるものを自宅から持参していたので、それに着替えていた。 これを着て入れば、すぐにはバレまい。 幸い、予想通り、制服姿やジャージ姿、運動着姿の生徒達が、授業を終え、校内や敷地内に散在していた。 これなら、紛れられそうだと、牡丹は意を決する。 友人と放課後トークに花を咲かせる生徒。 部活動に打ち込む生徒。 いずれの生徒も鞠家牡丹を気にする様子はない。 牡丹は、正面生徒玄関から堂々と侵入り、持参した上履きに履き替え、校舎内へと足を踏み入れる。 わりと、すんなり。 (そういった面では、学校のセキュリティって、少し心許ないかもね……) なんて思いつつ、牡丹は校舎内へ歩を進める。 (……………………なっ) 初めて入る校舎。 (……なんて、広い) その“広さ”に驚愕する。 確かに敷地からデカイなとは思っていたが。 本校舎で言えば、岩流丘高校の二倍はありそうだ。 もっとも、岩流丘高校には、敷地内に本校舎とは別に旧校舎もあるので、敷地の総合面積でいえばどっこいどっこいだろうが、ここの本校舎内は案内図を熟読しなくては余裕で迷子になれるほどに広い。 (えーと、案内図は……あった) 校内の案内図は来客兼職員用玄関近くの壁面に掲示されていた。 そりゃあそうか。 「えーと、なになに……テンガは道場にいるんだっけ……」 「どこかお探しですか?」 ふと背後から呼びかけられた。 牡丹は、真っ先に「しまった」と思った。 振り返ると、可愛げな顔をした男子生徒。 制服姿だ。 「えっと……」 『どこかお探しですか?』という聞きかたは、牡丹が“部外者”であるという前提の質問の仕方である。 そんなにキョドっていたか? それとも、ジャージの違い? 教師陣ではなく、いち生徒にバレただけならセーフか? 様々な思考を巡らせつつも、牡丹は少年に道場への道を訊ねることにした。 「道場へ、行きたいんだけれど」 「道場!?」 途端、少年の目が見開く。 え、もうなんかマズった? 「剣道部に用ですか? まさか入部希望? 時期的には珍しいですけど、歓迎しますよ!」 「……え?」 「あ、僕、剣道部員の清水って言います! 同級生には見かけない顔なので、転校したての先輩とかですか?」 「あ、いや、えっと。入部希望ではなくて」 「え、あ、ごめんなさい。早合点しちゃいましたか」 「天城才賀って人に用事が……」 「部長に! 今日たまたま来てるらしいんで、会えますよ!」 たまたま? そうか、自宅に帰ってなかった期間、部活、あるいは学校も休んでいたのか。 ならば今日いるという情報は、朗報だった。 無駄足にならなくて良かった。 「案内しますね」 私も人のことを言えないが、この子もおよそ警戒心に欠如しているのではないかというほどに、なんて言うか、ホスピタリティが高い。 そんなやり取りを経て、牡丹は、少年の歩みについて行く。 「部長にこんな綺麗な彼女さんがいるとは思いませんでした」 「違います」 二人はそんなお決まりの会話を挟みつつ、逢刻高校の生徒の中を進む。
現代侍 最終章 其の17
侍を家に招いた翌朝。 鞠家牡丹は、いつも通り自宅の玄関を一人で出て、通学路を辿る。 もちろん誰も残らない自宅に向かって「行ってきます」とは言わなかったが、重要なところはそこではない。 家に招いた侍はどうしたのかと言うと。 玄関から外に出た牡丹の上から降ってきた。 「お早う。良い朝でござるな」 「シュタッじゃないのよ。出てくるな。昨日の夜から忍んでって言ったでしょ」 「朝の挨拶は大事だと思って」 「はいはいおはよう。それでははやくまた忍んでください」 「御意、行ってらっしゃいでござる」 「…………行ってきますでござる」 学校以外での「おはよう」も、自宅玄関での「行ってきます」も、鞠家牡丹は言い慣れていない。 あんたも行くんだろうが、と心の中で思いながらも、どこかこそばゆいような、少し嬉しいような、不思議な感覚を抱いた。 挨拶を済ますと、再び侍は身軽な身のこなしを見せ、瞬く間に牡丹の視界から消える。 非日常感。 まさに自分がその渦中にいるのだと、実感した。 退屈な日常が覆ること。 私が━━━━望んでいたこと。 少し、人生も捨てたものでは無いと、思えてくる。 ◇ ◇ 「おはよー牡丹! んん? あれあれ? 何だか今日はご機嫌ですな? イケメンに優しくされてメロメロになってる顔してる!」 「具体的だけど、そんな顔してません」 岩流丘高校の、自分の所属する教室に足を踏み入れた途端、クラスメイトの女子からの、鋭い挨拶が突き刺さってきた。 「……おはよ」 前半はさておき、後半はまるで違う。 どいつもこいつも、ツッコミ待ちのようなボケをかましてきおって。 「牡丹牡丹、今日放課後、おデートしない? 新しくできた大通りのカフェ!」 「んー、ごめん。今日は少し用事があって……」 「がーん。男?」 「違うって」 「ふーん、ま、りょーかい! また今度ー」 絶対勘違いをしたニヤニヤ顔のまま、クラスメイトの友人は引き下がる。 「そういえば、今話題の通り魔トーク! 噂では、遠い昔の時代からタイムスリップしてきた、落ち武者説が激アツ」 「はいはい。落ち武者ね」 あまりその話を深堀するとボロが出そうなので、興味無いようなフリをして、早々に切り上げようとする牡丹。 まさかこの近くに当人が忍んでいるとは思うまい。 それにしても、ねぇお侍さん……落ち武者だってさ。 ◇ ◇ そして時は過ぎ、放課後。 荷物を素早くまとめ、牡丹は校舎を飛び出す。 向かう先は、隣校。 逢刻(おうとき)高等学校。
現代侍 最終章 其の16
「拙者も学校に行きとうでござる」 宮本武蔵を追う侍と鞠家牡丹の作戦会議は、夕暮れ、鞠家家のリビングで始まった。 「ほ、本気でござるか」 侍は至って真面目に提案しているようだが、一体どこの女子高生が侍を従えてスクールライフを送れるというのだ。 このご時世、瞬く間にSNSの槍玉に挙げられることだろう。 あいにく、さすがに我が校の制服━━━特に男子用の制服━━━ましてやこの侍の背丈に合うものなど、我が家には用意はない。 和装でなくてもこの背丈と顔貌で十分目立つと言うのに。 「拙者忍ぶのも得意でござるゆえ、牡丹殿に迷惑はかけないでござるよ」 「ほんとかなぁ……?」 忍者的な事を言っているのだろうか。 確かに、天城父から逃走したあの身のこなしは、侍と言うより忍者のようだった。 「もしお侍さんがバレたら、私は他人のフリするからね」 「御意にござる」 とりあえず私についてこなければいいや、と、牡丹は楽観的に判断した。 魔法少女よろしく小さなマスコット的な妖精とかならまだ対処法はあるだろうが、侍はスクバには入らない。 忍べるというのなら、忍んでもらう。 「明日の学校についてくるのは分かったんだけど、宮本武蔵は、うちの学校にはいないよ?」 「ぬ? ……では牡丹殿は、何をしに学校へ行くのでござるか?」 「勉強だろ」 この侍は自由でいいな。 仮に牡丹が優等生であれば、一日くらい仮病を使って天城才賀が通う隣校に行っても良かったのだが、残念ながら牡丹の成績にそんな理由で休むほどの余裕はない。 ましてや平日の日中時間に他校の生徒が侵入したとなれば、それこそ牡丹が御用である。 だから、行くならば━━━。 「明日の放課後。学校の授業全部終わったら、探しに行こうか」 天城母からの情報によれば、息子は隣校の剣道部に所属しているようだ。 昔の“テンガ”からしたら有り得ない競技である。 放課後の、ジャージやウェアの生徒、外部顧問が入乱れる下校時間を狙って行くことができれば、道場までなら辿り着けるだろうと、牡丹は思考する。 「━━御意」 ━━━この時牡丹は、この侍に対する警戒心を既にほとんど解いていた。 得体の知れない逃走犯だということなど、忘れて。 否、忘れてはいないが、それを“些末な問題”と捉えてしまっていた。 家に招いている時点で自己防衛意識は無いに等しいが、ボロボロになりながらもひたむきに人探しを続けていた侍の姿に、憐憫の感情を抱いたのかもしれない。 それがいかに危険なのかを、牡丹は理解できない。 “ボロボロになりながら探し続ける”程の執着心が、“何”から来ているものなのか、問い質してでも明らかにすべきだった。 しかしそれも結果論。 そして、そのツケは、直ぐに回ってくる。
現代侍 最終章 其の15
「いい湯だった」 鞠家宅の脱衣場から出てきた侍は、開口一番にそう言った。 「シャワーでも言うんだ、それ」 「まったく良い世でござるな」 「そりゃ、侍の時代に比べりゃね」 鞠家牡丹が用意した袴をしっかり着こなし、タオルドライのみの濡れ髪を下ろした侍の姿は、下手なアイドルよりも色気に溢れたものであった。 「感謝する」 「…………」 そのサマになりようと言ったら、思わず、息を飲むほどに。 ちょ、髪をかきあげるな。 濡れ髪イケメンのインパクトで聞きたかった事の半分くらい飛んだような感覚だが、そんなことを言ってはいられない。 本題は、ここからなのだ。 「じゃ、座って」 清潔になった侍を食卓テーブルの椅子に促した牡丹であったが、なにやら目を煌めかせ、ソファを凝視する侍。 「…………そこでもいいけどさ」 「かたじけない!」 侍はそう言うやいなや、ばふっと、スプリングを盲信した勢いでソファに腰を沈める。 他所の家でやるには大変お行儀の悪い座り方である。 「うは! これは上等!」 (………………子供みたい) 先程までの殺気に満ちた男とは、もはやかけ離れた姿だった。 「ねえ、話の続き、していい?」 「え? あぁ、構わんでござるよ」 こいつは本当に令和丸を探す気があるのだろうか、と突っ込みたくなる牡丹であったが、自身に冷静を強いて、話を進める。 「まず、おサムライさん、名前は?」 「拙者? 拙者の名前でござるか?」 侍は、その質問を受けると、せっかくソファに沈めた腰をすくっと起こし、牡丹に相対する。 「まず名乗り遅れた事を詫びよう」 そして、深々と頭を下げる。 「拙者、佐々木小次郎と言う流浪人でござる」 歴史に疎い牡丹は、ふぅん、意外と普通の名前、と思った。 ◇ ◇ 一方、侍の目撃情報や被害報告が相次ぐこの町に、とある男達が訪問してきていた。 一人は、痩せぎすで小柄な老人。 白衣が似合いそうなものだが、漆黒のスーツに漆黒のコートを羽織り、黒いボルサリーノハットを被った、まるで闇のような格好をしている。 もう一人は、同じく黒いスーツの若者と言った風貌で、サングラスで表情が判別しにくいが、どうやらバツの悪そうな表情をしているようだった。 「先に向かわせた彼は、上手く才賀君と合流できたかのう」 「……ど、どうでしょう」 「これ薄井。反応までそんなに薄くてどうする」 「本当に申し開きもございません」 「もうとうにお主の謝罪は聞き飽きとるわ。耳にタコができすぎてそろそろエイリアンになりそうじゃ」 「…………」 「過ぎた事は致し方なかろう。お主がミスを犯したという事は、誰がやってもミスを犯していたという事じゃ」 「……じゅ、十二文字博士ぇ……」 「やめい、いい大人が、気色悪い」 それにしても、と、老人は続ける。 「沖縄で取り逃した被検体が、本当に自力でこの町まで辿り着くとは。“最強の敗北者”も、侮れんな」 老人らは、深刻な顔つきで、ある場所へ歩みを進める。
現代侍 最終章 其の14
如何に新しいもの好きの女子高生と言えど、日本刀を携えた侍との井戸端会議は少々斬新が過ぎるので、鞠家牡丹と長髪の侍は、場所を住宅街の路上から移すことにした。 とは言え、侍が現世のどこに居ても違和感があることには違いないので、その辺の喫茶店で茶をしばくという訳にはいかない。 現代人の姿だった令和丸とは違い、ご丁寧に誰がどう見ても侍の風貌をした不審者なのだ。 挙句暴力沙汰を繰り返して、今やその格好は警察の皆様にもしっかりマークされていることだろうし。 つまり、誰の目も届かない場所に移動する必要がある。 今後、手を組むかどうかを吟味するためにも。 「さ、上がって」 「かたじけない」 ということで、今度は鞠家牡丹が自宅に男を連れ込む形と相成ったわけである。 「とりあえずシャワー浴びな。ちょーくさい」 「重ねてかたじけない……着替えは拝借できるでござるか」 「うーん、父さんの服なら」 「出来れば和服が良いのでござるが」 「…………」 意外と注文多いなぁこの侍。 幸い、牡丹の父親は役者業をやっているので、自宅のウォークインクローゼットの中には、役作りのための様々な衣装が保管されている。 なにかと形から入る俳優なのである。 それを勝手に拝借しようが、怒る人間は仕事で半年帰ってこない。 「じゃあ、用意しとくから」 そう言って侍を脱衣場に追いやる。 「シャワーの使い方とか、わかる?」 「うむ、現世に来てから何度か使っている」 「そう……」 まだ詳しくは聞いていないが、この侍も、遠い過去から現世にやってきたらしい。 と言うより、元々過去に殺し合いにより命を落とした侍なのだとか。 全て自称で、妄言を吐く不審者である線は未だに消えないが、令和丸が言っていた境遇とある程度合致しているのも事実。 そして、身体は別人の物で。 記憶は前任者の物を引き継いでいるとか。 令和丸と違った点は、身体の持ち主が人格に現れることはないという点。 それに━━━━━令和丸と違い、口調がやたら“それっぽい”。 「まぁ、これから色々聞きゃあいっか」 そういえば、本人が着ていた煤けた袴は、どうしたものか。 本人がよっぽど気に入ってるわけでなければ、もう捨てた方がいいくらいにはボロボロである。 あそこまでボロボロになるほど、一体、今日までどこでどのように生活していたのかも気になるところである。 令和丸が現世に現れておよそ一年。 この侍も同時期に現れたのだとしたら、一年間、令和丸を探して彷徨い続けていたということなのだろうか。 一体、何を、返すために? 聞きたいことは山積している。
現代侍 最終章 其の13
脚が動かない。 息が苦しい。 心臓が締め付けられる。 まるで背後から聞こえたそのたった一言が、鋼鉄の鎖と化し、この身を締め上げたかのようだった。 鞠家牡丹は、身じろぎ一つできないでいた。 「どうした。答えよ。宮本武蔵を、知っているな?」 ……振り返っても、いいのだろうか。 ピクリでも動こうものなら、理不尽に斬り捨てられかねない。 そんな危うさが、もう既に背中に伝わってくる。 (逃げようにも、私の脚じゃあ、確実に逃げきれないし……) もし背後の声の主が本当にあの路地裏の暴行侍ならば、天城才一郎から逃げていったあの身軽さを目撃していた牡丹の中には、この場から逃走を試みるという選択肢は、ない。 (てか、“な?”ってなんだよ。“か?”だろ普通。なんで確信的なんだよ……) 意を決して、牡丹は、声の方向を振り返る。 「…………!」 案の定、そこには、侍のような男が立っていた。 煤けた袴姿に、後ろを一つ縛りにした長髪。 腰には長くて立派な日本刀を帯刀している。 眼光は鋭く、素人の牡丹さえも死を覚悟するほどの殺気を放つ。 こ、こえー。 路地裏での時はギリギリ部外者でいられたから、まだ良かったけれど、今はそうじゃない。 沈黙すらも、命取り。 「み……宮本武蔵に会って、どうするつもり」 令和丸イコール宮本武蔵と知った今、牡丹だって宮本武蔵を探していると言ってもあながち間違いではないのだ。 探して見つけて、殺そうとしているのなら、それはとても困る。 なので牡丹は、上擦った声で、質問を返した。 質問を質問で返す行為が、この得体の知れない侍の神経を逆撫でることに繋がるかもしれなかったが、そこは賭けであった。 「彼奴に、返さねばならぬものがある」 「……?」 少し、予想外の答えが返ってくる。 貸し借りの話……? (というか、もしかして、会話出来る……?) この暴行侍、話が、通じる、のか。 「な、なにか、借りてたの?」 「それは答えぬ。次は貴様が答えよ。宮本武蔵の、居場所を」 ぬっ、威圧がすごい。 分からないって言ったら殺されるかな……。 「………………わ」 牡丹は意を決して、言葉を紡ぐ。 「私も、探してるの」 夕暮れの町の静寂が、一瞬、二人を包む。 慎重に言葉を選べ。上手くこの場を切り抜けろ。選択肢をミスれば、斬り捨て御免だ。 「何……?」 「……宮本、武蔵の存在は……知っている」 「…………ほう」 「面識もある。ただ、今はどこにいるのか、分からない」 「何故貴様が彼奴を探す?」 「昔……助けられたから」 これは━━━━━━本心、のはずだ。 牡丹の答えを受け、侍は腕を組み、わずかに思案顔をする。鋭い眼光が一瞬和らぐと、その顔立ちが思いのほか整っている事に気付く。 「……そうか……」 侍は、しばしの沈黙の後、牡丹に、ひとつの提案をする。 「ならば、共に探さないか? なに、拙者も借りを返すだけなのだ」 少し目尻を下げ、先程までとは打って変わった柔和な表情を浮かべる侍。 そのギャップは、牡丹には少しときめくものがあったが、きっとストックホルム症候群と似たような感情を抱いてしまっただけなのだろう。 そこで、判断を鈍らせてはならない。 「貴様の美貌を持ってすれば、あの剣豪もイチコロだろうな」 「やだもう、仕方ないなぁ♡」 しまった、判断が鈍った。
【BGN】東京湾に沈めて【横浜リリー】
ここは、横浜のとある高層ホテルの一室。 壁一面の大きな嵌め殺し窓から見える景色は、夜の本牧町。 天ノ川を反射したかのような街明かりが、眼前に広がる。 ふと厭な夢から目覚めた女は、となりで誰かが眠るダブルベッドをそっと抜け出す。 眠る前に雑に剥ぎ取られたバスローブをそっと羽織り直し、女はその大きな窓から、街の灯りを見下ろすのであった。 その方向を遠い目で見つめながら、美しい細い指を自分のくちびるに充て、誰かと交わした接吻の名残を拭い去る。 かつて自分を愛した、自分が愛したばかで幼稚な男のことを、忘れないために。 これは━━━━愛と仁義に生きた、若い男女の物語。 ◇ ◇ 「リリー……リリーなんてどうだ?」 あなたは、お気に入りのギラギラしたジッポを片手で弄びながら、唐突にそう言った。 呼び名なんてどうでもよかったけれど、そのセンスは相変わらず微妙だと思い、私は笑った。 きっと、巷で流行りの西洋映画よろしく、律子という私の名前をもじったのだろう。 マイケルをマイク、キャサリンをケイトという風な感じで。 「なんでだよ、いーだろ。港町の女って感じがして」 それはあの邦画のメリーさんのことを言っているのだろうか。 だとしたら、私は娼婦ではないので、少し心外だと思った。 「結婚しても、そう呼ぶの?」 私は意地悪も込めて、あなたに訊いた。 「当たり前……いだっ」 消毒液が、彼の頬の傷に染みたようだ。 「じっとして……また傷だらけで帰ってきたあんたが悪いのよ」 「馬鹿言え、男の勲章だ」 キザで、ばかな男。 あなたが本当は弱っちくて、とことんばかなことくらい、とうに知ってるのよ。 でも、まぁ。 それを知るのは、私だけでいい。 あなたはあなたの人生を生きて。 私はそれを邪魔しない。 それが、私の愛。 あなたがたとえ社会から疎まれ、敵の多い人生を歩んでいたとしても。 ここに帰ってきさえすれば、私が愛してあげる。 「ねぇ━━━━━━」 ピリリリ、と。 突然二人を引き裂くように、彼の携帯が鳴る。 ぱかりと開き、しばらく液晶を見つめると、あなたは意を決したように自身の耳元に運んだ。 何。やめて。 「…………はい。今すぐ向かいます」 そんな、くだらない抗争のために。 仁義なんてさ、もういっそ、東京湾に沈めてきてよ。 「悪い」 通話を切った彼の眼差しは、私なんかでは推し量れない覚悟を秘めた、そんな目をしていた。 険しく歪めた眉間。戸惑いの冷や汗。 本当に、弱いくせに……。 「行くの?」 「あァ、俺ァ組の紋々背負ってんだ。大事なトコで命張れねーと、本当の“漢”とは言えねーだろ?」 「……そ」 あなたはそう言うと、ジッポをワイシャツの胸ポケットに仕舞い、黒のジャケットを羽織り直す。 そのワインレッドのワイシャツも、あなたのお気に入りなんでしょ? わざわざそんなもの着て、戦場に行かなくたって。 声が少し震えていたの、気付いてる? 本当の漢って━━━━━━━なに? どうせ私のことを不幸にするなら、失恋みたいな別れ方がいいの。それなら、乙女みたいに泣けそうだから……。 「似合ってない」 「うるせぇ」 「行ってらっしゃい」 「応、愛してる。じゃあ、また」 キザなセリフも、愛の言葉も、あなたの嘘で構わないけれど。 その「じゃあ、また」が嘘だった時は、一生あなたを許さないから、そのつもりで。 絶対、帰ってきてね。 ◇ ◇ 『やめよーよ! こんなとこ危ないし怒られるよ!』 『いーから、これぁ、儀式なんだ』 もうとっくに廃止になった瑞穂橋梁。 鴎(かもめ)が飛び交う東京湾の端に架かるその橋梁は、潮による錆と老朽による不快な音で軋む。 今にも崩落しそうな橋梁の、今にも外れそうな欄干に登り、あなたは東京湾に向かって叫ぶ。 『俺は、強ぇ漢になる! この世界の誰よりも! この名を知らぬ者無しと! 俺の名を世に知らしめる!』 『……ぷっ。なにそれ。少年漫画の主人公みたい』 『うるせ。お前に、カッコイイ漢の背中を見せてやるよ』 ギシギシと軋む音を響かせながら、照れ臭そうに私の元に戻ってくるあなた。 そんなあなたを、私は愛した。 「兄貴に、恋人がいると聞いてたんで……」 あなたが部屋を出てから一年。同じ組のヒトが、私の元に訪れた。 あなたがお守り代わりに持っていた、ギラギラしたジッポを持って。 「こんなもの……私の趣味じゃないわよ……」 果ても無い夢の話は、こんな結末じゃなかったはずよ? 「姐さん、兄貴は━━━━━」 「分かってます」 多分あなたのことだから。 最期は、それはもう泣きじゃくって、弱音をぶちまけて、震えながら引鉄を引いたのでしょう? とても、“らしい”わ。 このジッポは預かっておいてあげる。 返して欲しかったら帰ってきなさい、なんてね。 「……ねぇ、格好良い漢に、なれた?」 女は涙声でそう言って、ジッポにくちづけをした。 ◇ ◇ 横浜のリリーは、現在はその地を離れ、遠い街で暮らしているという。 家庭はなく独り身で、生計は水商売。 しかし、その身を誰に抱かれようとも。 彼女の心には、一人の男しかいない。 女は、そんな自分の不器用さを、誰かと重ねながら、生きてゆく。誰も彼女のことを、リリーとは呼ばない、遠い街で。 これは━━━愛と仁義に生きた、若い男女の物語。 ********* 横浜リリー/ポルノグラフィティ 第三弾は、横浜リリーという楽曲をご紹介します。 この曲は、なんと言っても重厚な物語性のある歌詞が魅力です。 一曲真剣に聞くと、一本映画を観たくらいの満足感を得られます。 少なくとも、私は。 しかしそれ故に、割と長尺な物語になりました。 こだわるとキリがないですし、自分の表現力の限界みたいなのも感じてしまいます。 でも、これを読んで少しでも興味が湧いたら、原曲の『横浜リリー』を、一度聴いてみてください。 私が楽曲を小説にしたくなる理由も、分かるかと思います笑
【BGN】My name is...【愛が呼ぶほうへ】
「お父さんのわからず屋! もう知らない!」 曇天の、今にも泣き出しそうな空の下、一人の少女はそう言って家を飛び出しました。 少女は役者を夢見る十七歳。彼女の上京を父親は反対したのでした。 ぐちゃぐちゃな感情のままやみくもに走った彼女は、自然と、ある場所に辿り着きます。 それは、ちいさな古い公園。 幼い頃、父とたくさん遊んだ、思い出の公園。 その公園の端にある、今はもう小さめなブランコに腰掛ける少女。 「うっ……うぅっ……」 彼女の嗚咽が物語るのは、父に対する罪悪感です。 本当は分かっているのに。父が反対する理由も、夢を否定したい訳ではないということも。 ただ、彼女がそれを言葉にして、父と和解するには、もうほんの少し、成長する必要があるようでした。 『ぼくの出番だね』 ぽろり、ぽろりと。 空から突然降り出した雨に、少女は戸惑ったようでした。 でも、その不思議とあたたかい雨に降られると、少女は落ち着きを取り戻します。 この雨は、彼女の罪を洗い流す雨。 この雨は、彼女の心の土壌を潤す雨。 さあ、めいっぱい泣いていいよ。 素直になれる頃に、きっと。 ほら。 『お迎えがきたよ』 少女の頭上に差し出された傘は、黒色の大きな傘。 誰の傘かは、彼女ならすぐわかりました。 「ごめんなさい、お父さん」 少女の謝罪に父親は微笑み、「さ、帰ろう」と優しい言葉を差し伸べます。 少女にはもう必要ないと知ってか、雨は次第に弱まり、ぴたりと降り止みました。 「キミは誰なの?」 少女はぼくに問いかけました。 『ぼくはね━━━━━』 ◇ ◇ 「行ってきます」 女は、あの頃よりも成長した顔つきで、旅立ちの日を迎えました。 心配する母とは対照的に、テーブルで黙々と新聞を捲る父。 女がその後ろを通り過ぎます。 「いつでも帰ってこい」 背中を見せたままの父の言葉は、彼女に深く染み入りました。 「ありがとう、行ってきます!」 女は、あの日とは打って変わった晴天の下へ、足を踏み出したのでした。 「あすか!」 駅で女を見送りに来たのは、幼い頃からの友。 幼い恋の終わりに、共に涙を流し慰めてくれた、かけがえのない親友。 「元気でね!」 「うん!そっちも!」 お互いの涙を知っている二人は、最後は微笑みあって別れたのでした。 『良い友達だね』 ぼくは、涙ぐんで微笑む女の横で、その光景を眺めています。 君はこれからも、空に向かって伸びゆく花のように。 海を越えてゆく旅人のように。 “ぼく”に、導かれてゆくのです。 「ねえ、だから、キミは誰なの?」 『ぼくはね━━━━』 喜びであり、悲しみであり。 優しさであり、厳しさであり。 笑顔であり、涙であり。 強さであり、弱さであり。 応援であり、勇気であり。 母であり、父であり。 友であり、君であり。 言葉であり、想いであり。 遠くからでも、近くからでも、色んな名前で君を見守って、手を差し伸ばす。 たった一つの━━━━━。 『“君への愛”だよ』 ********* 愛が呼ぶほうへ/ポルノグラフィティ 「愛」ってなんだろう、と、おそらく人間誰しも考えたことがあるかと思います。 好きより大きい好き? 相手を想う気持ち? 色々考えますが、結論、そのどれもが愛で、それは万物の至る所に、八百万の神様のようにあるものなのではないでしょうか。 と、私はこの楽曲を聴いた時に思いました。 この曲は、ポルノの地元では音楽の教科書に載っているそうです。 そんな名曲をストーリーに仕立てるのはおこがましいとは思いますが、素人の二次創作的な感覚で、お楽しみいただけたら幸いです。 あなたの周りにも、きっと、愛が溢れていますように。
【BGN】空色の筆先が描くもの【天気職人】
この地球(ほし)が眠りにつく頃。突き抜けるように清々しかった青空が、その役目を終え、舞台を満天の星空に譲る。 時の流れが織り成す、美しい、ブルーのグラデーション。 揺蕩う白雲だって美しい景色のアクセントとしていい味をだすけれど、雲ひとつない晴天というのは、他のなにとも替えがたい風情がある。 この芸術とも呼べるような空模様の製作者を、僕は知っている。 満天の星空の下、古びた階段を軋ませながら登ってゆくと、そこは雑然としたアトリエが広がっていて。 そこには天井がなくて。壁すらなくて。 部屋の真ん中には、大きなキャンバスと、そこに黙々と筆を振るう大きな背中。 そのひと振りひと振りが、あすの天気を彩る。 彼は、僕だけが知る、天気職人なのだ。 僕が布団に入って瞳を閉じて、意識がこの世界と切り離されると出会える、不思議なおじいさん。 「おじいさん、明日も晴れる? 明日、気になる子をデートに誘おうと思ってるんだ」 「さあな」 こんなふうに、滅多に、その天気を教えてくれはしないけれど。 いつも顰め面で無口な彼は、その仕事にだけ、ただ頑なに気持ちを織り込む。 なんたって、同じ色の空は二度とできやしないのだから。 それでも、どうやら今回の出来には、少し満足気な顔をしているように見えた。 僕は少し安心して、軋む階段を降りる。 ◇ ◇ カーテンから漏れる朝日が僕を揺り起こし、夢から引き起こす。 ベッドから手を伸ばし、カーテンの幕を開けると、見慣れた町と、青い空が広がる。 白い太陽が、この世界に朝を知らせるように眩しく輝いていた。 昨日と違い、ところどころに白い雲が浮かぶ。 あのじいさん、粋な天気を描く。 僕は朝食をほどほどに、身支度を済ませ、いつもより念入りに身だしなみに気を使う。 今日こそ、あの子を食事に誘おうと思っているから。 僕が最近見つけたカフェにいつもいる、あの子。 今日は、この天気を理由に、デートに誘ってみる。 あの顰め面なおじいさんが、僕の希望を叶えてくれたようなこの天気。 ずいぶんぐずついた僕の背中を押してくれ。 最高の天気を、最高の口実にして。 きっと、はじめて、彼女を誘ってみせる。 ◇ ◇ 僕は、その日の夕方、一人で自宅の玄関ドアを引いた。 「はぁ……」 意気地無しは、いつまでたっても意気地無しだったみたいで。 いざ彼女に声をかけようとしても、やっぱり最後の分水嶺をこえられない。 うじうじと、うだうだと。 何とも不甲斐ない。 自分の不甲斐なさに、胸から何かが込み上げてくる。 ため息を吐きながらベランダに出ると、青かった空は、次第に雲を帯び、暗い色が浮かぶ。 そして、天から、ついにひとつ雫を落とす。 僕もちょうど、少し雨に濡れたいと思っていた。 ほんの、少し。 『雨にもちゃんとした理由がある』 前に、天気職人のおじいさんが話してくれた言葉を思い出す。 なるほど、身に染みてわかったよ。 天気が、僕の心を見透かして、投影して。 雫が、頬を伝う。 君のことを想う、僕の涙を隠してくれる、優しい雨。 本当に、あの天気職人は、粋な天気を描く。 ◇ ◇ ひとしきり泣いた空は、まるで満足したかのように、光を取り戻す。 突き抜けるほど青かった空は、今宵も色を深めて、無数の星を散りばめはじめる。 あの天気職人の事だから。 明日もきっと、誰かに寄り添った優しい天気になる。 もしまた晴れたら、空の青を借りて、僕の心に鳥を描いて。 心の傷と共に、風に乗って飛んでゆけばいいな。 なんてね。 明日こそは、晴れたら彼女を誘ってみる。 ********** 『天気職人』/ポルノグラフィティ 15thシングル『シスター』のカップリング曲。 第一弾からいきなりカップリングかよ。 でも、天気を作る職人って、面白い視点の歌詞がいいですよね。 軽快で柔らかいサウンドと、ファンシーでポップな歌詞は、晴れた日のドライブやカフェタイムにおすすめです。 物語の流れは、勝手な解釈で歌詞の一番と二番を前後させています。 ボーカルの優しい歌い方と、独特な世界観が癖になる、隠れた名曲だと思います。 ファンの中でも好きな方は多いと思いますよ。 是非、聴いてみてください。