P.N.恋スル兎
158 件の小説現代侍 最終章 其の29
突如として現れたのは、かつて政府の命により非人道的な転生実験を行っていた、マッドサイエンティスト━━━否、そのかつての被検体を経て、宮本武蔵の完全体を現代に顕現させた、現在進行形の黒幕、十二文字博士(じゅうにもんじひろし)。 天城才賀の体に令和丸が宿った元凶であり、京都大戦において才賀達と共に魔女と立ち向かった男である。 かの大戦後、自分が生み出した被検体達が自らの意思で帰還したあとの彼が何をしていたかといえば。 既に政府の後ろ盾もない彼は、ほぼ個人的な趣味で、自分の研究を完成させてしまった。 転生の課題だった座標を克服し。 最強の肉体の量産化を実現し。 強固で精密なコントロール性能を発揮できるように改良した。 被検体(サンプル)を経て実験は実を結び、好きな魂を己のコントロール下で完璧な肉体に転生させることができる。 いまや、十二文字の思想次第では野放しにすることこそが日本の危機と言ってもよいだろう。 そんな彼が、ここに現れた理由。 コントロール下におけたはずの完全体宮本武蔵を、あえて制御せずに転生させ、佐々木小次郎の回収役に抜擢し先行させた理由。 「間に合った、間に合った。二人とも、“まだ生きておるな”」 二カッと、不気味な笑みを浮かべたと思うと、十二文字は、懐から、キューブ型の『何か』を取り出した。 それは才賀でさえも、知らない道具だった。 「何だこの爺さん」 と、天城才一郎。 「何の真似だ」 と、令和丸。 「い、嫌な予感」 と続くのは、天城才賀。 「なになに、もうこれ以上知らない人増えないでよぉ」 と、最後に鞠家牡丹。 「宮本武蔵殿。彼の願い、聞き入れる気は無いかのう。儂も観とうてのう、お主等の、真剣勝負」 そう言うや否や、キューブがにわかに光り出す。 まるで、令和丸に対するその問いに、答えなどはなから求めてはいないかのような流れるような動作。 事実、求めてはいなかったのだろう。 この、利己的なマッドサイエンティストは。 はなからどこの誰にも、彼の『実験』に対し、拒否権を有しない。 「素敵な舞台を用意した。本当は実在する巌流島に転移させたかったんじゃが、今の技術で出来るのは『瞬間移動』ではなく、『異世界転生』じゃからの。この道場の人間をゲストに、二人を儂のお気に入りの世界に招待しよう」 十二文字はそう言うと、右手に把持しているキューブを高らかに掲げた。 瞬く間に謎のキューブから放たれる光は道場を包み、世界を目が眩むほどの白に染め上げる━━━━━━。 「その世界の名はファルシア。名だたる異能が蔓延る、絵に描いたようなファンタジーワールドじゃ」
現代侍 最終章 其の28
そして時は、“現代(いま)”に戻る。 逢刻高校の年季の入った板張りの道場には、現代には似つかわしくない、まるで時代錯誤な光景が広がる。 道着を着た少年と、ジャージ姿の少女。 制服姿の少年に、壮年の男。 その光景を時代劇よろしくアンチ令和たらしめているのは、それらの者たちではなく。 道場の中央で制圧劇を繰り広げる、血と刀の時代を生きた二人の伝説の侍である。 天城才一郎の言う策が、プロセスは違えど、結果的に功を奏したと言うべきなのだろう。 もはやあれは、“策”と言うより、“賭け”みたいなものだと、才賀は聞いて思ったが。 『奴がこの街まで辿り着いているということは、お前らに到達するのも時間の問題だ。寧ろ、もう既にお前の知り合いくらいには辿り着いている可能性もある。多少暴れても問題ない広い空間で奴を待つんだ。そこに俺が万全の警備を張る』 目の前に拡がる光景を見て、才賀は“策(ギャンブル)”の内容を、思い出す。 ━━━━こうも予定通りやってくるとは。 それも、実行した即日。 才一郎には、何が見えていたというのだろうか。 万全の警備と言っていたものの、今日一日学校に居て、違和感には気付けなかった。 怪しい大人の姿も、防護柵も、見当たらなかった。 それもそのはず━━━━いち高校生でも勘づける警備など、鋭敏な感覚を有する侍相手に通用するわけはない。 才賀は自分の父親のことを一般人だと称したが、この手際は、十分、常軌を逸していた。 それに━━━━才一郎の持つ、拘束具。 もはやそれは、手錠などという生易しいものではない。 手首の拘束のみを目的としない、無骨なデザインである“それ”は、一体何処で何を拘束する道具なのか、もはや検討すらつかない。 人間を想定している拘束具にしては、強度が過ぎる。 「宮本武蔵に佐々木小次郎━━━本物なのかよ、マジで。お目にかかれて光栄の極みだぜ」 「……っ!」 既に状況は、詰んでいる。 リベンジを希う佐々木小次郎にとって、その願いは叶えられず、為す術なく、現代から排除される。 それほどに圧倒的な力の差を、宮本武蔵に示されてしまった。 「………ち、畜生………っ! 畜生…………っ」 その瞳には━━━涙。 「俺が……! どれ程の無念で……! どれ程の後悔で……! 貴様の事を探していたか解るか……!」 その悲痛なる叫びが、道場に反響する。 「もう一度……、もう一度……! 機会をくれ……! 宮本武蔵ぃぃ! 俺と、俺ともう一度決闘しろぉぉぉぉ!」 命と命の奪い合い。 かつて巌流島の闘いで繰り広げられた決戦の内容には諸説ある。 正々堂々と呼べるものだったのかという疑惑の声もあれば、宮本武蔵の最強伝説を裏付ける名勝負だったとする記録もある。 その戦いの全容は、勿論、令和丸と体を共有し、記憶を共有した天城才賀も把握している。 歴史を、文献ではなく追憶で理解している。 『正義なんてものは、立ち位置で変わる』 いつだったか父に言われた、数少ない教えのひとつ。 令和丸の主観で見たあの決戦と、佐々木小次郎から見たあの決戦もまた、全く違う意味合いを持っていたのだろう。 その無念は、この場にいる誰にも、計り知れない。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 この場にいる全員が、その叫びに、呑まれ、言葉を失う。 しかし、ここは大人代表、才一郎が、静寂を割る。 「気持ちは分かる。だが━━━」 「ほっほっほっ、間に合ったかのう」 役者は揃っていなかった。 この物語の黒幕は、最後の最後にも、波乱を招く。 十二文字という老獪な老害は、空気も読まず、水を差す。
現代侍 最終章 其の27
才賀の父、才一郎は、真剣な眼差しと圧倒的な威圧感で、才賀にそう、“命令”した。 鋭過ぎる、ともすれば殺気すら篭もる有無を言わせない語気。 それに対して天城才賀は、 「ごめん、お父さん。それは出来ない」 即答で一刀両断した。 「…………んだと?」 才一郎は、まるで息子から拒否の言葉を聞いた事が無いかのような予想外のリアクションをとる。 実際、ゼロとは言わないまでも、才賀がここまで大きくなるまでに、そんな場面はほとんど無かったのだろう。 徐々に、そして明らかに溢れ出るイラつきを隠そうともせず、才一郎は続けた。 「親の命令に従えねぇってか? 遅せぇ反抗期だな」 「反抗期じゃない。これに関しちゃ、僕の方が当事者だ。大人とか子供とか、父親とか息子とか、そういう次元の話じゃない」 才賀は、先程までの萎縮具合が嘘かのように、淡々と説得し始める。 この件は、令和丸から頼まれた依頼。 親の命令ごときで放棄できるほど、令和丸との約束は軽くない。 本物の侍相手に、そんな仁義の欠けた真似は、できない。 「…………」 才一郎は一旦口を紡ぎ、息子の言葉を待つ。 「さっき話したとおり、僕はお父さんが仕事で居ない間に、色んな経験を経て、色んな大人を相手取った」 僕が相手取ったのは警察よりも上に位置する組織、政府の人間だ、と、続ける。 「今回の件は確かに傍から見たら危険だけれど、僕“達”にすればその過去の経験の後始末に過ぎない」 才賀の覚悟の籠った言葉は、止まらない。 「宮本武蔵が僕の中に居た時に得た剣術。人外の怪物達を相手取った経験。そのどれも、お父さんにはない、僕の力だ」 そして、この件に必要なのは、“そういう力”。 「だから━━━━━今回に関しちゃ、お父さんの方が、一般人で部外者なんだよ」 「……………………………………………」 果たして、父親は。 「……言うじゃねぇか、才賀のクセに」 ふっ、と、表情の力を抜いた。 「お前の覚悟は伝わったよ。俺の負けだ。もうお前を子供扱いはしねぇ。ただしこっからは大人同士━━━━否、男同士の“交渉(ネゴシエーション)”だ」 交渉。 父親は息子に対しそう持ち掛けた。 ともすればその言葉は、“命令”よりも難易度の高い提案かもしれない、と才賀は思う。 脳死で従えばよい命令とは異なる、それこそ“大人扱いだからこそ”の、“手段(カード)”。 どんな条件を飲む羽目になるのだろうと、才賀は息を飲んだ。 「お前は引き続き奴を追えばいい。その代わり、この件に俺も噛ませろ。それが条件だ。飲めるってんなら、いい策がある」 そう言う才一郎の表情は、悪巧みを考える悪ガキのような、好奇心に満ちたそれであった。
現代侍 最終章 其の26
「才賀てめぇ、おもしれぇ事に首突っ込んでるみてぇじゃねぇか」 容赦なく息子を、自分が座るソファではなく、ローテーブルを挟んだ対面に正座で座らせる天城才一郎。 ニヤニヤと不敵な笑みを顔に貼り付かせたまま、全てを見透かしたように、そう口火を切る。 本当に、久闊を叙する暇も与えず、いきなり話しづらいところから切り込んでくる。 この人は。 「…………おかえりなさい、お父さん」 「まぁそう構えんなって。別に責めてるわけじゃねえ」 この構図を客観的に見て、責められてないと思う方が困難だろうと才賀は脳内で突っ込むが、言葉には出せない。 どこまで知っているのかさえも悟らせないで、「お前の事など全てお見通しだ」と言わんばかりの態度で話すこの父親の話術は、いわゆる職業病な所が大きいのだろうが、犯罪者でもない息子にとってはたまったものではない。 取り調べを受けている気分になる。 「少し見ないうちに、逞しくなったじゃねぇか。自殺企図をしたと聞いた時にゃ、本当に俺の息子かと心配になったが、今のお前の姿を見て安心したぜ」 「…………」 息子に対する心配の仕方がデッドボールくらいズレている。 そう、この親父は、僕が病院で死の狭間を彷徨っている間も、顔を見には来ていない。 来て欲しいとも思わないが、そのくせ会った時にはこうして父親面するものだから、タチが悪い。 仕事人間というか、立場が立場なのだから仕方ないと言えばそれまでなのだが、親として失格だと言われても仕方がないと思う。 その点は母の立ち回りで今までやってこれた節が強い。 「……で、今は一人なのか?」 どこまで知っているのか分からない父親は、息子にそう切り出した。 「……と言いますと」 「とぼけんな、めんどくせぇ。侍の事に決まってんだろ。俺の訊きたい事を察して、全て話せ」 「っ……」 無茶を言う。 今の時代こんな上司がいたら即刻パワハラで訴えられるだろうに、警察という組織が未だに旧態依然なのが、この人を見ているだけで透けて見えるようだ。 「宮本武蔵は、今どこにいるのかって訊いてんだよ」 シニカルな笑みを貼り付けていた顔から、一瞬で表情を消す才一郎。 「……今は別行動してるよ」 「ふぅん? ってぇことは、二重人格的な形でお前の中にいる訳じゃあ無ぇってことか」 「……本当に、どこまで知ってんすか」 才賀は渋々自殺企図から始まった侍との出来事を、かいつまんで説明することにした。 前の高校のいじめから始まり、北海道での冒険、京都での大戦。 そして、この街で起きている事の背景。 令和丸から聞いた、自分の知る全てを、犯人のように、洗いざらい白状していった。 「━━━━って事で、今は宮本武蔵と二人で通り魔の行方を追ってるの」 「…………」 才一郎は黙る。 「……そのおもしろ冒険譚を信じろってか」 「お父さんに嘘つくならもっと現実的な嘘にするよ、流石に」 「だよな……ったく、それで宮本武蔵を追っているってか、あの侍。佐々木小次郎だってんなら、そらそうだわな」 ……“あの”侍? 「え。お父さん、そいつに会ってるの?」 「まぁな。ちなみにこの街に帰って来てから最初に会話した人間だ」 この人もこの人で、“持ってる”ようだった。 面倒事に巻き込まれやすい体質は、遺伝によるものなのかもしれない。 「よし。才賀」 才一郎は、改まって才賀の名を呼ぶ。 「ここから先は手を引け。そして俺に任せろ。これは命令だ。日本警察として。そして何より、お前の父として。子供が関わっていい範疇を、ちゃんとしっかり超えていやがる」
現代侍 最終章 其の25
翌日。 天城才賀と令和丸は、通り魔探しに出発する。 事態は急を要する。 休み慣れたベッドで休む暇も、温かい湯船に浸かる暇もない。 今日中に見つけ、そして、捉える。 「そう言えば、母君には連絡しなくて良いのか?」 「大丈夫だと思うけど、そうだね。一応連絡しておこっか」 まだ未成年の無断外泊となれば、元警察官の母は黙っていない。 ……という程でもないけれど、一応の筋として、通しておいて損はないだろう。 過剰に心配するタイプでは、もうない。 それはきっと、僕が変われたから。 「そう言えば御主から、父親について聞いた事はなかったな」 「あぁ、父さん? 大丈夫、健在だよ。単身赴任でほとんど帰ってきてないから、ここ数年会ってないけどね」 「そうか。母君は元警察官だったな。父君は何をしているんだ?」 「警視庁の警視監。日本警察トップの警視総監の一つ下」 ◇ ◇ 二人は一日中通り魔の捜索を続けるも、中々手掛かりを掴めず時間が過ぎ、十五時を回った。 因みにその時鞠家牡丹は、天城家にお邪魔していた。 「もっと大胆な奴かと思ったら、思ったより忍んでいるのだな」 令和丸と天城才賀の二人は、見晴らしのいい高層アパートの屋上に腰掛け、小休憩を挟む。 「……転生者って、同じ転生者の気配が分かるんじゃないの」 「あれは勇者が言ってた事だろう。残念ながら俺には分からぬ」 「そっか」 「それはそうと、巻き込んだ手前訊きにくいが、御主学校へは行かなくて良かったのか?」 「大丈夫、病欠にしてって母さんに頼んでるから。流石に明日くらいからは行かなきゃだけど」 「ならよいが……」 「もとより転入してきてる僕に、皆勤賞とかないし」 「正直、急な依頼故に、もう少し説得に時間がかかるものだと覚悟していた」 一日中歩き回り、流石に顔に疲れを見せる才賀を気遣うようにして、令和丸は言う。 「二択の決断に時間かけるほど、もう僕は優柔でも不断でもないよ」 かつての幼さが消えた柔らかな笑みで、才賀は言ってのける。 大きくなった。 令和丸は、素直にそう思った。 見た目の話だけではもちろんない。 あの、全てを諦観していた弱き日の少年の姿は、もうない。 「母君が安心して放任するのも頷ける」 「放任って」 「ところで、母君から返事はあったのか」 「んー、えっと……」 令和丸に言われ、才賀はスマホの通知を確認する。 どうやらかなり前に返信は来ていたようだった。 「『父帰省、顔見せられたし』……えっ」 返ってきていた返信を見て、少年は固まる。 「父さん、帰ってきてるって……」 「なんだその嫌そうな顔は」 「いやぁ……、父さん、熱血というか苛烈というか」 「嗚呼、不得手そうだな」 「僕が落ちこぼれたのも、父の教育方針の反動だし」 はぁあ、と才賀は深いため息を吐く。 幼い頃に植え付けられた苦手意識は、そう簡単に克服できない。 「とりあえず今夜家に一旦帰る。帰らなかったら帰らなかったで面倒だ」 「同伴してやろうか?」 「……流石に結構です」 ◇ ◇ そして日が暮れ、才賀は自宅の玄関を開ける。 時刻は二十時十分。 およそ一日半ぶりの帰宅であった。 「ただいまぁー……」 おそるおそる、単独で自宅へと足を踏み入れてゆく才賀。 「よぉ、不良少年。まぁ、座れや」 リビングのソファに横柄に鎮座する才賀の父、才一郎は、感情の読めない不敵な笑みを浮かべ、そう言った。
現代侍 最終章 其の24
ところは岩流丘高校旧校舎の、かつて教室だった一室。 宮本武蔵は教卓に、天城才賀は机に腰掛け、状況を整理する。 「……巌流島の戦いの再現……ね」 歴史を紐解くと、宮本武蔵VS佐々木小次郎のカードに思い至るのは、至ってシンプルで判りやすい。 故に、天城才賀は思った。 「事態を鑑みるなら、何も同じ世界線の、実力も特性も近しい侍をぶつけるんじゃなくて」 もっと異能を以て制圧力のある者を再転生させれば良いのではないだろうか、と。 「例えば━━━━魔法と剣術に長けた、勇者とか」 「その通りではあるな。今回は戦闘が目的ではなく、制圧確保が目的である以上、武士に武士をあてがう事に非合理性を感じるのだろう?」 「……まぁ」 「理由は二つだ。一つは、この肉体が一般人のそれではなく、“全盛期の実力を最大限発揮出来る完成体”であること」 「…………」 なるほど、と才賀は思う。 つまり、僕の肉体を使って刀を振るっていた頃とは比べ物にならない実力を発揮出来ると━━━たとえ佐々木小次郎がどんな一般人の肉体を手に入れていようと、それが普通の人間である以上、フィジカル面で大きなアドバンテージが生まれる、というわけか。 「で、二つ目は?」 「十二文字のじいさんが歴史オタクだからだ」 「…………納得」 昔、宮本武蔵のファンだの言っていた気がする。 ならば、伝説の対戦カードを生で鑑賞したいと思う気持ちはあるだろう。 人的被害の出る真面目な案件に私情を存分に挟んでくるところが、根っからのマッドサイエンティストなんだよなあ……。 「本来であればこれは十二文字のじいさん指揮の元、御主らを巻き込まずに解決すべき大人の案件なんだ」 「何を今更と思わなくもないけど、まあそうだろうね」 「だが俺は御主を相方に立てる事を希望した。勝手に再転生させた条件としてな」 「…………」 「決して真剣勝負で奴に遅れを取るとは思っていない。それでも今回の任務の成功率を上げる為に、御主に助力を依頼したい」 「いいよ」 「……いい返事だ」 さしあたって、と、宮本武蔵は悪い笑みを浮かべる。 「世が更けた頃に、少し手合わせをしよう。御主の力、試してやる。全力で来い」 ◇ ◇ こうして、深夜の激しい手合わせは、静まり返る住宅地に鋼の交錯音を響かせた。 彼らのフィールドは町全体。 あの子の家の屋根や電柱、壁面、全てが足場。 月明かりの下、二人は楽しそうに真剣を振るうのだった。
現代侍 最終章 其の23
かつて公園だった空き地に、一人佇む天城才賀。 その背後に、無音の影が忍び寄る。 「━━━━」 その気配は一気に二人の間合いを詰め、無音のまま才賀に襲いかかる━━━━━━。 手に携えた“真剣”を━━━振り下ろす。 「…………っつ!」 「ほう」 寸前で気配を察知し、紙一重でその太刀筋を躱して直ちに構えに入る才賀を見て、その影の主は感嘆の声を漏らす。 「……っ! お前が今回の事件の……?」 才賀は自分に斬りかかってきた男の姿を目視し、問う。 丈のある身長に袴と道着姿、隆々とした筋骨に鋭利な日本刀。 口角は上がっているものの、獲物を見るような鋭い瞳、無精髭に雑に束ねられたボサボサの長髪。 なんだ……この、既視感……。 「更に腕を磨いていたようで安心したぜ。相棒」 侍姿の男は、朗らかな声で、そう、才賀に言った。 “相棒”と。 「…………え、令和丸?」 確かに初見で感じたのは━━━━令和丸の雰囲気。 安心感。 でも、そんなはずは。 なぜ、実体がある……? 「じゃあ……この傷害事件は、令和丸の仕業だったってこと?」 「んな訳あるか。その件で御主に会いに来たのだ。少し、場所を変えて説明する。犯人は、別の侍だ」 そうして少年と侍は、久しぶりの再開を果たし、現状に起きている事の整理を行うのであった。 犯人の目星が立っている令和丸にとって、その犯人との共通点の多い自分の姿は、地上では目立つことは明らか。 二人は空き地からそう遠くない人目の付かない場所を目指した。 そして自然と辿り着く。 岩流丘高校の、旧校舎に。 刻は放課後、帰宅部が帰り部活動がまだ活動している間隙(かんげき)を狙って、二人はかつての学び舎に忍び込む。 岩流丘高校の旧校舎はとある一件から侵入対策が強固となったのだが、裏を返せば、より他の生徒が寄りつけなくなったということになる。 つまり、ひとたび中へ侵入ってしまえば、外側からバレる事はほぼなくなるということ。 どこぞの侍のおかげで、身体能力が底上げされ、その後の自主訓練で究められた才賀の運動神経であれば、強固な一階窓の更に上、つまり二階からの侵入は容易いものである。 学校側も、まさか二階から入ろうなどと言う者は居ないだろうと思っていたのか、二階の窓には一箇所、無施錠があった。 なので、二人は、そこから事も無げに、音も無く侵入る。 「久しぶりだなぁ」 「令和丸の時にここ入ってないよ」 と軽い冗句を交わし。 数ある教室の中の一室に腰を落ち着かせた二人は、本題に踏み込む。 「さて、まずは俺がここにいる経緯を話そうか」 「……頼むよ」 どか、と一際背の高い教卓に腰を下ろすと、令和丸は訥々と語り始めた。 「およそ一年前、俺は現代(ここ)での役目を終え、元の世界へと還った。そして数日前、あの十二文字とかいうじいさんに、再びこの世に転生させられたのだ。完璧な肉体付きで」 ……あのマッドサイエンティストめ、まだ兵器の研究を……。 「否━━━━俺を転生させた目的は、兵器利用ではない。強いて言えば、“尻拭いの為の救援要請”と言ったところだな」 令和丸は、続ける。 「転生後現世(こっち)で死んだと思われていたとある転生体が、今になって生き延びていた事が判明したらしい。その転生体の名は『佐々木小次郎』。かつて俺が辛勝を収めた侍だ。佐々木小次郎の相手となれば、この宮本武蔵しかおらぬだろ?」
現代侍 最終章 其の22
ここで時系列を二日ほど前に戻し、冒頭の方で登場していた我らが主人公、天城才賀の動向を詳(つまび)らかにしていこう。 逢刻(おうとき)高校での放課後。 道場で部活前の清掃をしていた才賀の元に、不良生徒が凶報を持って訪れた。 『仲間が侍に襲われた』 部長であった才賀は部活を自主練にし、不良生徒と共にその現場へと向かったのだった。 まだ連続発生を知る前だったにせよ、才賀の脳裏には、マッドサイエンティストによる転生実験の被検体である可能性が過ぎっていた。 可能性どころか、十中八九そうだろう……! 侍に襲われたという場所には、既に救急車、警察が到着しており、生徒たちが救急車内で応急処置を受けているところであった。 助けを求めに来た不良生徒情報のみでは、何者による犯行なのか、その目的はなんなのかすら定かではないが、 負傷者当人たちからも聞かねばなるまい。 才賀は、かつて公園だった空き地での人混みを掻き分け、負傷者達のもとまで辿り着いた。 「誰にやられたんだ?」 「ば、番長…………すいやせん、番長の格、下げるような真似しちまって……」 「格ならもうその呼び名から下げてるから大丈夫。で、侍はなんて言ってた?」 搬送されるのも時間の問題。 ならば、端的な情報だけでも掴んで、被害が拡大する前に解決せねば━━━━。 「何者かはわかりませんが……侍は……」 不良生徒の一人が、ダイイングメッセージのように、生気を振り絞って答える。 「“宮本武蔵を知っているか”……と、言っていました」 ━━━やはり。 目的は━━━━━━━令和丸。 否━━━━宮本武蔵。 宮本武蔵を狙う侍━━━━その正体とは、何者なんだ? ◇ ◇ 不良生徒改め負傷生徒達は、救急車により搬送され、現場には警察官数名が残ったが、犯人の特定は難しいと判断されたのか、程なくしてそれらも掃け、天城才賀と付き添いの不良生徒のみが残ったのだった。 「宮本武蔵を知っているか……か」 「はぁ……誰すか? その宮なんたらって」 「そっか、君は知らなかったのかぁ。なら仕方ないな」 とりあえず、ここに残っていても仕方がない。 部活は自主練にした事だし、ツテを頼りに情報収集していかなくてはなるまい。 「そんじゃ、僕らも帰ろうか。君は無事でよかったね」 「番……才賀さん、あいつら、大丈夫ですかね」 「命に関わる状態では無いって言ってたから、心配いらないと思うよ。まぁ、明日以降見舞いくらいには行ってあげよっか」 「はい! それじゃあ、失礼します!」 「タメでいいってば。また明日ね」 そう言って帰路に着く不良生徒の背中を見送る才賀。 「帰ろう」とは言ったが、才賀本人にそのつもりは無いようであった。 そしてついに、空き地には才賀が一人、残る。 「……さて」 と、一息ついたところで。 まるで。 一人になるところを狙っていたかのように。 才賀の背後に大きな陰が忍び寄る。
現代侍 最終章 其の21
それは、現代からおよそ四〇〇年前のお話。 かつて悪鬼と呼ばれた少年は、幾千の死闘を経て、天下にその名を轟かせた。 生まれ名は新免武蔵(しんめんたけぞう)。 その後改(あらため)、宮本武蔵(みやもとむさし)と名乗るその侍は、純粋に己が力のみを求め、その真髄へと辿り着く━━━。 類まれなる感覚と恵まれた体躯を持って生まれた少年は、まるで童の戯れのように、真剣を振るい、返り血を浴びて育つ。 己を拾い育ててくれた義父から離れ、型破りな師から遊戯ではない剣術を学び、男は他に比肩なき天下に轟く侍となった。 佐々木小次郎と名乗るその侍は、師からの流派、『巌流(がんりゅう)』を背負い、強者を求める。 一つの時代に現れた、二振りの最強の矛。 その刃は、とある島で交錯した。 後に皮肉にも『巌流島』と名付けられる事となるその無名の島での死闘を制したのは、宮本武蔵であった。 歴史に名を残す名勝負。 それ故に、歴史上もっとも有名な『敗北者』となった男こそ、佐々木小次郎なのである━━━━。 ◇ ◇ 天城才賀に再び襲いかからんと息を巻いていた佐々木小次郎は、今、床に伏している。 その床に伏した姿勢から身動きが取れない。 それは、とある男が、押さえつけているからにほかならない。 「よ。ひさしぶりだな。小次郎殿」 身長は高い。 道着姿でも分かるほどの筋肉を付けた大きな体躯は、抵抗の無意味さを地に伏す男に突き付ける。 後ろで雑に纏めてひとつに縛った長髪。 おかげで、その鋭い眼光をした精悍な顔がはっきりと露わになっている。 不敵な笑みを浮かべ、その男も所持していた真剣を、伏した佐々木小次郎の鼻先を掠める位置に突き立てた。 「みっ………」 佐々木小次郎は声を振り絞る。 「宮本武蔵ぃぃぃぃいいい!」 「御主は驕りが過ぎる。今も昔も。俺達は現代(ここ)じゃ異分子。真剣勝負なんて、時代じゃねぇんだよ」 「大人しく拘束されてください。抵抗は無駄です。貴方のために、緊縛のプロフェッショナルも呼んでいるので」 才賀は言う。 「だれが緊縛のプロフェッショナルじゃ。父親を特殊性癖みたいに言うな」 「………!」 鞠家牡丹の後ろから、聞き覚えのある声がした。 天城才賀の父、天城才一郎。 「………さ、侍が二人……? 天城が、二人……?」 牡丹の思考が追いつかない。 「緊縛じゃねえ。拘束だ。つてで特注の拘束具、借りてきちゃったもんねー」 おどけたように、才一郎はおぞましいほどに厳つい拘束具を、片手で弄ぶ。 「詳しい説明は後でしてやる。今は退がってなお嬢ちゃん」 「…………」 何者なんだ……テンガのお父さんって……。 つい昨日まで、私と同じサイドの、いわゆる“追いかける側”の人間だったはずなのに……。 それに。 何より。 佐々木小次郎を組み敷くあの侍は。 宮本武蔵と叫ばれたあの侍は。 つまり。 「……令和丸……?」 テンガの中に居たはずの侍が、実体化したというのか。 誰か。 この状況を解説してくれ。
現代侍 最終章 其の20
「会いたかったよ。通り魔」 対峙する侍二人。 片方は、戦国の世に散った復讐に燃える現役の侍。 片方は、かつて日本を救った過去を秘める令和の侍。 宮本武蔵に敗れた侍と。 宮本武蔵を継いだ侍。 「ねぇ! アンタ! なんでいきなり斬りかかるの!」 鞠家牡丹は眼前に広がる現状を、遅れて理解する。 否が応でも、“自分が連れてきた男が、天城才賀に斬りかかったのだと”、理解する。 どうして。 どうして? そんなもの━━━━━━私が騙されたに、他ならないだろ。 「……全部……嘘だったの!?」 「可笑(おか)しな事を言う。嘘などついてはいない。真意を伝えなかっただけだ。勝手に信用したのは貴様だ」 佐々木小次郎は、視線を天城才賀に向けたまま、続ける。 「もっともらしい侍口調については、演技だがな」 子供は騙し易くて扱い易い。 「…………っ!」 暗に、そう言いたげな、冷めた口調。 今朝までのトーンとは、明らかに、ベツモノ。 考えてみれば━━━━否、考えてみるまでもなく、分かりきっていたことだった。 一年以上宮本武蔵を探し続けるだけの情熱が、何に起因するものなのかなど。 愛か━━━憎悪しか、あるまいに。 『勝手に信用したのは貴様だ』 その通り。 その通り以外に言葉はない。 (連続通り魔事件の犯人を、時代錯誤な侍を、根は善人だと信じ込んでいたのは、私のエゴだ) 牡丹の瞳に、悔しさと怒りから来る熱が篭もる。 「…………鞠家さんがここに来た理由は、何となく分かったよ」 天城才賀は、取った間合いを保ちつつ、真剣を持った侍を睨みつける。 「お前が鞠家さんを利用したんだな」 「…………そういう事だ。貴様は先程“人違い”と言っていたな? だが“会いたかった”とも。その辺りを、これから半殺しにして聞き出すとしよう」 何者かは知らんが、奴に対する釣り餌くらいにはなるだろう。 と、邪悪な笑みを浮かべる侍。 「安心して鞠家さん。自分を責める必要は無いよ」 佐々木小次郎の話を無視する形で、頭越しに、牡丹へと声をかける才賀。 「テンガ…………」 「さて。あなたの事は知っています。巌流・佐々木小次郎さん。近いうちにここに来ることも」 「……何?」 「まぁ、転生体にそのあたりの詳しい話をしても仕方が無いので、一つだけお伝えしておきます」 才賀は、続ける。 それと同時に、何者かが佐々木小次郎を、組み敷き、瞬時に制圧した。 瞬く間に。 「ぐっ………!?」 突然の出来事に、いきなりの衝撃に驚きを隠せない佐々木小次郎。 「「女の子騙して悦に浸ってんじゃねぇよクズ。罠にかかったのは、てめぇの方だ」」