P.N.恋スル兎
144 件の小説現代侍 最終章 其の15
「いい湯だった」 鞠家宅の脱衣場から出てきた侍は、開口一番にそう言った。 「シャワーでも言うんだ、それ」 「まったく良い世でござるな」 「そりゃ、侍の時代に比べりゃね」 鞠家牡丹が用意した袴をしっかり着こなし、タオルドライのみの濡れ髪を下ろした侍の姿は、下手なアイドルよりも色気に溢れたものであった。 「感謝する」 「…………」 そのサマになりようと言ったら、思わず、息を飲むほどに。 ちょ、髪をかきあげるな。 濡れ髪イケメンのインパクトで聞きたかった事の半分くらい飛んだような感覚だが、そんなことを言ってはいられない。 本題は、ここからなのだ。 「じゃ、座って」 清潔になった侍を食卓テーブルの椅子に促した牡丹であったが、なにやら目を煌めかせ、ソファを凝視する侍。 「…………そこでもいいけどさ」 「かたじけない!」 侍はそう言うやいなや、ばふっと、スプリングを盲信した勢いでソファに腰を沈める。 他所の家でやるには大変お行儀の悪い座り方である。 「うは! これは上等!」 (………………子供みたい) 先程までの殺気に満ちた男とは、もはやかけ離れた姿だった。 「ねえ、話の続き、していい?」 「え? あぁ、構わんでござるよ」 こいつは本当に令和丸を探す気があるのだろうか、と突っ込みたくなる牡丹であったが、自身に冷静を強いて、話を進める。 「まず、おサムライさん、名前は?」 「拙者? 拙者の名前でござるか?」 侍は、その質問を受けると、せっかくソファに沈めた腰をすくっと起こし、牡丹に相対する。 「まず名乗り遅れた事を詫びよう」 そして、深々と頭を下げる。 「拙者、佐々木小次郎と言う流浪人でござる」 歴史に疎い牡丹は、ふぅん、意外と普通の名前、と思った。 ◇ ◇ 一方、侍の目撃情報や被害報告が相次ぐこの町に、とある男達が訪問してきていた。 一人は、痩せぎすで小柄な老人。 白衣が似合いそうなものだが、漆黒のスーツに漆黒のコートを羽織り、黒いボルサリーノハットを被った、まるで闇のような格好をしている。 もう一人は、同じく黒いスーツの若者と言った風貌で、サングラスで表情が判別しにくいが、どうやらバツの悪そうな表情をしているようだった。 「先に向かわせた彼は、上手く才賀君と合流できたかのう」 「……ど、どうでしょう」 「これ薄井。反応までそんなに薄くてどうする」 「本当に申し開きもございません」 「もうとうにお主の謝罪は聞き飽きとるわ。耳にタコができすぎてそろそろエイリアンになりそうじゃ」 「…………」 「過ぎた事は致し方なかろう。お主がミスを犯したという事は、誰がやってもミスを犯していたという事じゃ」 「……じゅ、十二文字博士ぇ……」 「やめい、いい大人が、気色悪い」 それにしても、と、老人は続ける。 「沖縄で取り逃した被検体が、本当に自力でこの町まで辿り着くとは。“最強の敗北者”も、侮れんな」 老人らは、深刻な顔つきで、ある場所へ歩みを進める。
現代侍 最終章 其の14
如何に新しいもの好きの女子高生と言えど、日本刀を携えた侍との井戸端会議は少々斬新が過ぎるので、鞠家牡丹と長髪の侍は、場所を住宅街の路上から移すことにした。 とは言え、侍が現世のどこに居ても違和感があることには違いないので、その辺の喫茶店で茶をしばくという訳にはいかない。 現代人の姿だった令和丸とは違い、ご丁寧に誰がどう見ても侍の風貌をした不審者なのだ。 挙句暴力沙汰を繰り返して、今やその格好は警察の皆様にもしっかりマークされていることだろうし。 つまり、誰の目も届かない場所に移動する必要がある。 今後、手を組むかどうかを吟味するためにも。 「さ、上がって」 「かたじけない」 ということで、今度は鞠家牡丹が自宅に男を連れ込む形と相成ったわけである。 「とりあえずシャワー浴びな。ちょーくさい」 「重ねてかたじけない……着替えは拝借できるでござるか」 「うーん、父さんの服なら」 「出来れば和服が良いのでござるが」 「…………」 意外と注文多いなぁこの侍。 幸い、牡丹の父親は役者業をやっているので、自宅のウォークインクローゼットの中には、役作りのための様々な衣装が保管されている。 なにかと形から入る俳優なのである。 それを勝手に拝借しようが、怒る人間は仕事で半年帰ってこない。 「じゃあ、用意しとくから」 そう言って侍を脱衣場に追いやる。 「シャワーの使い方とか、わかる?」 「うむ、現世に来てから何度か使っている」 「そう……」 まだ詳しくは聞いていないが、この侍も、遠い過去から現世にやってきたらしい。 と言うより、元々過去に殺し合いにより命を落とした侍なのだとか。 全て自称で、妄言を吐く不審者である線は未だに消えないが、令和丸が言っていた境遇とある程度合致しているのも事実。 そして、身体は別人の物で。 記憶は前任者の物を引き継いでいるとか。 令和丸と違った点は、身体の持ち主が人格に現れることはないという点。 それに━━━━━令和丸と違い、口調がやたら“それっぽい”。 「まぁ、これから色々聞きゃあいっか」 そういえば、本人が着ていた煤けた袴は、どうしたものか。 本人がよっぽど気に入ってるわけでなければ、もう捨てた方がいいくらいにはボロボロである。 あそこまでボロボロになるほど、一体、今日までどこでどのように生活していたのかも気になるところである。 令和丸が現世に現れておよそ一年。 この侍も同時期に現れたのだとしたら、一年間、令和丸を探して彷徨い続けていたということなのだろうか。 一体、何を、返すために? 聞きたいことは山積している。
現代侍 最終章 其の13
脚が動かない。 息が苦しい。 心臓が締め付けられる。 まるで背後から聞こえたそのたった一言が、鋼鉄の鎖と化し、この身を締め上げたかのようだった。 鞠家牡丹は、身じろぎ一つできないでいた。 「どうした。答えよ。宮本武蔵を、知っているな?」 ……振り返っても、いいのだろうか。 ピクリでも動こうものなら、理不尽に斬り捨てられかねない。 そんな危うさが、もう既に背中に伝わってくる。 (逃げようにも、私の脚じゃあ、確実に逃げきれないし……) もし背後の声の主が本当にあの路地裏の暴行侍ならば、天城才一郎から逃げていったあの身軽さを目撃していた牡丹の中には、この場から逃走を試みるという選択肢は、ない。 (てか、“な?”ってなんだよ。“か?”だろ普通。なんで確信的なんだよ……) 意を決して、牡丹は、声の方向を振り返る。 「…………!」 案の定、そこには、侍のような男が立っていた。 煤けた袴姿に、後ろを一つ縛りにした長髪。 腰には長くて立派な日本刀を帯刀している。 眼光は鋭く、素人の牡丹さえも死を覚悟するほどの殺気を放つ。 こ、こえー。 路地裏での時はギリギリ部外者でいられたから、まだ良かったけれど、今はそうじゃない。 沈黙すらも、命取り。 「み……宮本武蔵に会って、どうするつもり」 令和丸イコール宮本武蔵と知った今、牡丹だって宮本武蔵を探していると言ってもあながち間違いではないのだ。 探して見つけて、殺そうとしているのなら、それはとても困る。 なので牡丹は、上擦った声で、質問を返した。 質問を質問で返す行為が、この得体の知れない侍の神経を逆撫でることに繋がるかもしれなかったが、そこは賭けであった。 「彼奴に、返さねばならぬものがある」 「……?」 少し、予想外の答えが返ってくる。 貸し借りの話……? (というか、もしかして、会話出来る……?) この暴行侍、話が、通じる、のか。 「な、なにか、借りてたの?」 「それは答えぬ。次は貴様が答えよ。宮本武蔵の、居場所を」 ぬっ、威圧がすごい。 分からないって言ったら殺されるかな……。 「………………わ」 牡丹は意を決して、言葉を紡ぐ。 「私も、探してるの」 夕暮れの町の静寂が、一瞬、二人を包む。 慎重に言葉を選べ。上手くこの場を切り抜けろ。選択肢をミスれば、斬り捨て御免だ。 「何……?」 「……宮本、武蔵の存在は……知っている」 「…………ほう」 「面識もある。ただ、今はどこにいるのか、分からない」 「何故貴様が彼奴を探す?」 「昔……助けられたから」 これは━━━━━━本心、のはずだ。 牡丹の答えを受け、侍は腕を組み、わずかに思案顔をする。鋭い眼光が一瞬和らぐと、その顔立ちが思いのほか整っている事に気付く。 「……そうか……」 侍は、しばしの沈黙の後、牡丹に、ひとつの提案をする。 「ならば、共に探さないか? なに、拙者も借りを返すだけなのだ」 少し目尻を下げ、先程までとは打って変わった柔和な表情を浮かべる侍。 そのギャップは、牡丹には少しときめくものがあったが、きっとストックホルム症候群と似たような感情を抱いてしまっただけなのだろう。 そこで、判断を鈍らせてはならない。 「貴様の美貌を持ってすれば、あの剣豪もイチコロだろうな」 「やだもう、仕方ないなぁ♡」 しまった、判断が鈍った。
【BGN】東京湾に沈めて【横浜リリー】
ここは、横浜のとある高層ホテルの一室。 壁一面の大きな嵌め殺し窓から見える景色は、夜の本牧町。 天ノ川を反射したかのような街明かりが、眼前に広がる。 ふと厭な夢から目覚めた女は、となりで誰かが眠るダブルベッドをそっと抜け出す。 眠る前に雑に剥ぎ取られたバスローブをそっと羽織り直し、女はその大きな窓から、街の灯りを見下ろすのであった。 その方向を遠い目で見つめながら、美しい細い指を自分のくちびるに充て、誰かと交わした接吻の名残を拭い去る。 かつて自分を愛した、自分が愛したばかで幼稚な男のことを、忘れないために。 これは━━━━愛と仁義に生きた、若い男女の物語。 ◇ ◇ 「リリー……リリーなんてどうだ?」 あなたは、お気に入りのギラギラしたジッポを片手で弄びながら、唐突にそう言った。 呼び名なんてどうでもよかったけれど、そのセンスは相変わらず微妙だと思い、私は笑った。 きっと、巷で流行りの西洋映画よろしく、律子という私の名前をもじったのだろう。 マイケルをマイク、キャサリンをケイトという風な感じで。 「なんでだよ、いーだろ。港町の女って感じがして」 それはあの邦画のメリーさんのことを言っているのだろうか。 だとしたら、私は娼婦ではないので、少し心外だと思った。 「結婚しても、そう呼ぶの?」 私は意地悪も込めて、あなたに訊いた。 「当たり前……いだっ」 消毒液が、彼の頬の傷に染みたようだ。 「じっとして……また傷だらけで帰ってきたあんたが悪いのよ」 「馬鹿言え、男の勲章だ」 キザで、ばかな男。 あなたが本当は弱っちくて、とことんばかなことくらい、とうに知ってるのよ。 でも、まぁ。 それを知るのは、私だけでいい。 あなたはあなたの人生を生きて。 私はそれを邪魔しない。 それが、私の愛。 あなたがたとえ社会から疎まれ、敵の多い人生を歩んでいたとしても。 ここに帰ってきさえすれば、私が愛してあげる。 「ねぇ━━━━━━」 ピリリリ、と。 突然二人を引き裂くように、彼の携帯が鳴る。 ぱかりと開き、しばらく液晶を見つめると、あなたは意を決したように自身の耳元に運んだ。 何。やめて。 「…………はい。今すぐ向かいます」 そんな、くだらない抗争のために。 仁義なんてさ、もういっそ、東京湾に沈めてきてよ。 「悪い」 通話を切った彼の眼差しは、私なんかでは推し量れない覚悟を秘めた、そんな目をしていた。 険しく歪めた眉間。戸惑いの冷や汗。 本当に、弱いくせに……。 「行くの?」 「あァ、俺ァ組の紋々背負ってんだ。大事なトコで命張れねーと、本当の“漢”とは言えねーだろ?」 「……そ」 あなたはそう言うと、ジッポをワイシャツの胸ポケットに仕舞い、黒のジャケットを羽織り直す。 そのワインレッドのワイシャツも、あなたのお気に入りなんでしょ? わざわざそんなもの着て、戦場に行かなくたって。 声が少し震えていたの、気付いてる? 本当の漢って━━━━━━━なに? どうせ私のことを不幸にするなら、失恋みたいな別れ方がいいの。それなら、乙女みたいに泣けそうだから……。 「似合ってない」 「うるせぇ」 「行ってらっしゃい」 「応、愛してる。じゃあ、また」 キザなセリフも、愛の言葉も、あなたの嘘で構わないけれど。 その「じゃあ、また」が嘘だった時は、一生あなたを許さないから、そのつもりで。 絶対、帰ってきてね。 ◇ ◇ 『やめよーよ! こんなとこ危ないし怒られるよ!』 『いーから、これぁ、儀式なんだ』 もうとっくに廃止になった瑞穂橋梁。 鴎(かもめ)が飛び交う東京湾の端に架かるその橋梁は、潮による錆と老朽による不快な音で軋む。 今にも崩落しそうな橋梁の、今にも外れそうな欄干に登り、あなたは東京湾に向かって叫ぶ。 『俺は、強ぇ漢になる! この世界の誰よりも! この名を知らぬ者無しと! 俺の名を世に知らしめる!』 『……ぷっ。なにそれ。少年漫画の主人公みたい』 『うるせ。お前に、カッコイイ漢の背中を見せてやるよ』 ギシギシと軋む音を響かせながら、照れ臭そうに私の元に戻ってくるあなた。 そんなあなたを、私は愛した。 「兄貴に、恋人がいると聞いてたんで……」 あなたが部屋を出てから一年。同じ組のヒトが、私の元に訪れた。 あなたがお守り代わりに持っていた、ギラギラしたジッポを持って。 「こんなもの……私の趣味じゃないわよ……」 果ても無い夢の話は、こんな結末じゃなかったはずよ? 「姐さん、兄貴は━━━━━」 「分かってます」 多分あなたのことだから。 最期は、それはもう泣きじゃくって、弱音をぶちまけて、震えながら引鉄を引いたのでしょう? とても、“らしい”わ。 このジッポは預かっておいてあげる。 返して欲しかったら帰ってきなさい、なんてね。 「……ねぇ、格好良い漢に、なれた?」 女は涙声でそう言って、ジッポにくちづけをした。 ◇ ◇ 横浜のリリーは、現在はその地を離れ、遠い街で暮らしているという。 家庭はなく独り身で、生計は水商売。 しかし、その身を誰に抱かれようとも。 彼女の心には、一人の男しかいない。 女は、そんな自分の不器用さを、誰かと重ねながら、生きてゆく。誰も彼女のことを、リリーとは呼ばない、遠い街で。 これは━━━愛と仁義に生きた、若い男女の物語。 ********* 横浜リリー/ポルノグラフィティ 第三弾は、横浜リリーという楽曲をご紹介します。 この曲は、なんと言っても重厚な物語性のある歌詞が魅力です。 一曲真剣に聞くと、一本映画を観たくらいの満足感を得られます。 少なくとも、私は。 しかしそれ故に、割と長尺な物語になりました。 こだわるとキリがないですし、自分の表現力の限界みたいなのも感じてしまいます。 でも、これを読んで少しでも興味が湧いたら、原曲の『横浜リリー』を、一度聴いてみてください。 私が楽曲を小説にしたくなる理由も、分かるかと思います笑
【BGN】My name is...【愛が呼ぶほうへ】
「お父さんのわからず屋! もう知らない!」 曇天の、今にも泣き出しそうな空の下、一人の少女はそう言って家を飛び出しました。 少女は役者を夢見る十七歳。彼女の上京を父親は反対したのでした。 ぐちゃぐちゃな感情のままやみくもに走った彼女は、自然と、ある場所に辿り着きます。 それは、ちいさな古い公園。 幼い頃、父とたくさん遊んだ、思い出の公園。 その公園の端にある、今はもう小さめなブランコに腰掛ける少女。 「うっ……うぅっ……」 彼女の嗚咽が物語るのは、父に対する罪悪感です。 本当は分かっているのに。父が反対する理由も、夢を否定したい訳ではないということも。 ただ、彼女がそれを言葉にして、父と和解するには、もうほんの少し、成長する必要があるようでした。 『ぼくの出番だね』 ぽろり、ぽろりと。 空から突然降り出した雨に、少女は戸惑ったようでした。 でも、その不思議とあたたかい雨に降られると、少女は落ち着きを取り戻します。 この雨は、彼女の罪を洗い流す雨。 この雨は、彼女の心の土壌を潤す雨。 さあ、めいっぱい泣いていいよ。 素直になれる頃に、きっと。 ほら。 『お迎えがきたよ』 少女の頭上に差し出された傘は、黒色の大きな傘。 誰の傘かは、彼女ならすぐわかりました。 「ごめんなさい、お父さん」 少女の謝罪に父親は微笑み、「さ、帰ろう」と優しい言葉を差し伸べます。 少女にはもう必要ないと知ってか、雨は次第に弱まり、ぴたりと降り止みました。 「キミは誰なの?」 少女はぼくに問いかけました。 『ぼくはね━━━━━』 ◇ ◇ 「行ってきます」 女は、あの頃よりも成長した顔つきで、旅立ちの日を迎えました。 心配する母とは対照的に、テーブルで黙々と新聞を捲る父。 女がその後ろを通り過ぎます。 「いつでも帰ってこい」 背中を見せたままの父の言葉は、彼女に深く染み入りました。 「ありがとう、行ってきます!」 女は、あの日とは打って変わった晴天の下へ、足を踏み出したのでした。 「あすか!」 駅で女を見送りに来たのは、幼い頃からの友。 幼い恋の終わりに、共に涙を流し慰めてくれた、かけがえのない親友。 「元気でね!」 「うん!そっちも!」 お互いの涙を知っている二人は、最後は微笑みあって別れたのでした。 『良い友達だね』 ぼくは、涙ぐんで微笑む女の横で、その光景を眺めています。 君はこれからも、空に向かって伸びゆく花のように。 海を越えてゆく旅人のように。 “ぼく”に、導かれてゆくのです。 「ねえ、だから、キミは誰なの?」 『ぼくはね━━━━』 喜びであり、悲しみであり。 優しさであり、厳しさであり。 笑顔であり、涙であり。 強さであり、弱さであり。 応援であり、勇気であり。 母であり、父であり。 友であり、君であり。 言葉であり、想いであり。 遠くからでも、近くからでも、色んな名前で君を見守って、手を差し伸ばす。 たった一つの━━━━━。 『“君への愛”だよ』 ********* 愛が呼ぶほうへ/ポルノグラフィティ 「愛」ってなんだろう、と、おそらく人間誰しも考えたことがあるかと思います。 好きより大きい好き? 相手を想う気持ち? 色々考えますが、結論、そのどれもが愛で、それは万物の至る所に、八百万の神様のようにあるものなのではないでしょうか。 と、私はこの楽曲を聴いた時に思いました。 この曲は、ポルノの地元では音楽の教科書に載っているそうです。 そんな名曲をストーリーに仕立てるのはおこがましいとは思いますが、素人の二次創作的な感覚で、お楽しみいただけたら幸いです。 あなたの周りにも、きっと、愛が溢れていますように。
【BGN】空色の筆先が描くもの【天気職人】
この地球(ほし)が眠りにつく頃。突き抜けるように清々しかった青空が、その役目を終え、舞台を満天の星空に譲る。 時の流れが織り成す、美しい、ブルーのグラデーション。 揺蕩う白雲だって美しい景色のアクセントとしていい味をだすけれど、雲ひとつない晴天というのは、他のなにとも替えがたい風情がある。 この芸術とも呼べるような空模様の製作者を、僕は知っている。 満天の星空の下、古びた階段を軋ませながら登ってゆくと、そこは雑然としたアトリエが広がっていて。 そこには天井がなくて。壁すらなくて。 部屋の真ん中には、大きなキャンバスと、そこに黙々と筆を振るう大きな背中。 そのひと振りひと振りが、あすの天気を彩る。 彼は、僕だけが知る、天気職人なのだ。 僕が布団に入って瞳を閉じて、意識がこの世界と切り離されると出会える、不思議なおじいさん。 「おじいさん、明日も晴れる? 明日、気になる子をデートに誘おうと思ってるんだ」 「さあな」 こんなふうに、滅多に、その天気を教えてくれはしないけれど。 いつも顰め面で無口な彼は、その仕事にだけ、ただ頑なに気持ちを織り込む。 なんたって、同じ色の空は二度とできやしないのだから。 それでも、どうやら今回の出来には、少し満足気な顔をしているように見えた。 僕は少し安心して、軋む階段を降りる。 ◇ ◇ カーテンから漏れる朝日が僕を揺り起こし、夢から引き起こす。 ベッドから手を伸ばし、カーテンの幕を開けると、見慣れた町と、青い空が広がる。 白い太陽が、この世界に朝を知らせるように眩しく輝いていた。 昨日と違い、ところどころに白い雲が浮かぶ。 あのじいさん、粋な天気を描く。 僕は朝食をほどほどに、身支度を済ませ、いつもより念入りに身だしなみに気を使う。 今日こそ、あの子を食事に誘おうと思っているから。 僕が最近見つけたカフェにいつもいる、あの子。 今日は、この天気を理由に、デートに誘ってみる。 あの顰め面なおじいさんが、僕の希望を叶えてくれたようなこの天気。 ずいぶんぐずついた僕の背中を押してくれ。 最高の天気を、最高の口実にして。 きっと、はじめて、彼女を誘ってみせる。 ◇ ◇ 僕は、その日の夕方、一人で自宅の玄関ドアを引いた。 「はぁ……」 意気地無しは、いつまでたっても意気地無しだったみたいで。 いざ彼女に声をかけようとしても、やっぱり最後の分水嶺をこえられない。 うじうじと、うだうだと。 何とも不甲斐ない。 自分の不甲斐なさに、胸から何かが込み上げてくる。 ため息を吐きながらベランダに出ると、青かった空は、次第に雲を帯び、暗い色が浮かぶ。 そして、天から、ついにひとつ雫を落とす。 僕もちょうど、少し雨に濡れたいと思っていた。 ほんの、少し。 『雨にもちゃんとした理由がある』 前に、天気職人のおじいさんが話してくれた言葉を思い出す。 なるほど、身に染みてわかったよ。 天気が、僕の心を見透かして、投影して。 雫が、頬を伝う。 君のことを想う、僕の涙を隠してくれる、優しい雨。 本当に、あの天気職人は、粋な天気を描く。 ◇ ◇ ひとしきり泣いた空は、まるで満足したかのように、光を取り戻す。 突き抜けるほど青かった空は、今宵も色を深めて、無数の星を散りばめはじめる。 あの天気職人の事だから。 明日もきっと、誰かに寄り添った優しい天気になる。 もしまた晴れたら、空の青を借りて、僕の心に鳥を描いて。 心の傷と共に、風に乗って飛んでゆけばいいな。 なんてね。 明日こそは、晴れたら彼女を誘ってみる。 ********** 『天気職人』/ポルノグラフィティ 15thシングル『シスター』のカップリング曲。 第一弾からいきなりカップリングかよ。 でも、天気を作る職人って、面白い視点の歌詞がいいですよね。 軽快で柔らかいサウンドと、ファンシーでポップな歌詞は、晴れた日のドライブやカフェタイムにおすすめです。 物語の流れは、勝手な解釈で歌詞の一番と二番を前後させています。 ボーカルの優しい歌い方と、独特な世界観が癖になる、隠れた名曲だと思います。 ファンの中でも好きな方は多いと思いますよ。 是非、聴いてみてください。
現代侍 最終章 其の12
食卓テーブルの上のエンゼルパイが無くなった。 私一個しか食べてないのに、と、鞠家牡丹は思ったが、これは天城家のお菓子である。 この目の前の大人が無心でチョコパイを頬張る姿をたしなめられる立場ではない。 閑話休題。 天城家にお邪魔しておよそ一時間弱。 虎穴に入らずんば虎子を得ず。 神経をすり減らしただけの成果は、あったと思う。 天城才賀のご両親から得た情報はこうだ。 少年は一年前、岩流丘高校を休学してから、紆余曲折を経て、半年前に隣の逢刻(おうとき)高校に編入した。 本人は自主退学したつもりだったのだろうが、そこは母の采配によるものだそうだ。 前記の紆余曲折の末、少年の中に入った侍は元の世界に還った。 そうして少年は晴れて新天地での普通の日常に戻ったのだった。 が、しかし。 この町に突如現れた通り魔。 かつて少年の中に居た侍、『宮本武蔵』を探す存在が、現れた。 天城才賀は、その出来事と呼応するように、未帰宅となった。 母へのLINEには、『すこしさむらいとこのまちをまもつてくる』とのみ、送られてきたそうだ。 アイツ、逢刻高校にいたんだ。 思いのほか近くにいたものだ。 「……今回の通り魔事件と関わってないと考える方が、無理があるな」 天城才一郎は、今までのやり取りを総括して、そう言った。 「よし分かった。お嬢ちゃん、今日はもう帰りなさい。そして、息子の心配は嬉しいが、ここは大人達に任せてくれ」 「え……連れ込んでおいてヒドい」 「ぐう」 「でもまあ、そろそろおいとまします。話の中で思い出しましたが、私も才賀くんのLINE、持ってるんでした。こちらからもアプローチしてみます」 そして、すっと、席を立ち。 「お邪魔しました。お菓子、ご馳走様でした」 深々とお辞儀をした。 「アプローチって、だからこれ以上……」 「そうね。連絡してあげて」 才賀の母、礼子が才一郎を遮る。 「あの子も、牡丹ちゃんからエールが来たら、頑張れると思うから」 「……は、はい!」 少し顔を赤らめ、牡丹は自分の荷物をまとめ、玄関に向かう。 「改めて、お邪魔しました」 「いいえー、また、才賀がいる時にでもいらっしゃい」 はらはらと手を振って才賀母は続ける。 「それとも今度は才賀が牡丹ちゃんを連れてくるのかもね」 「え?」 「んーん、気をつけてね。通り魔にはくれぐれも」 その優しい笑顔に思わず「行ってきます」と口にしそうになったが、一礼にとどめ玄関ドアから外に出た。 あー、緊張した。 時間は午後五時。 夕陽が沈みかけた、薄暗い町並みが迎える。 二、三歩アスファルトを歩いたところで━━━━。 「宮本武蔵を知っているな」 絶望に呼び止められた。
現代侍 最終章 其の11
当たり前のことなのだろうが、天城才賀の家は、鞠家牡丹の家とは全く違う匂いだった。 牡丹は花の女子高生である。 友達付き合いで相手の家で遊んだりはしているので、他所様の家に対し極端に緊張したりはしない。 が。 “この家”━━━━天城家は別である。 緊張しすぎて口腔内が乾く。 「ごめんねぇ、この人ったら強引だったでしょ」 そう言って様々な種類のお菓子の入ったバスケットを食卓テーブルに置く女性。 わ、エンゼルパイある。 ……じゃなくて。 「い、いえ、こちらこそ突然お邪魔してすみません……」 この女性は天城才賀のお母さんだそうだ。 細い線とは裏腹に強い信念を感じる佇まいは、さすがこの男の奥様をやっているだけあると言ったところだろうか。 食卓テーブルを挟んで牡丹の向かいに座り、エンゼルパイを頬張る、この男の。 「気にしないで。才賀のお友達なんだもの。……でも、才賀が連れてくるならまだしも、なんであなたが連れてくるのよ」 そう言って才賀母は、呆れ顔で視線を男にやる。 「久しぶりに帰ってきたと思ったら、友人と飲みに行くやら女子高生連れ込んでくるやら……。さすがに今回は逮捕案件かと思ったわ」 「笑えねぇ冗談はよせ。あの根暗にこんな可愛いガールフレンドが居たんだぜ? 親としてこんな嬉しいことはあるかよ」 「…………」 だから、ガールフレンドじゃねぇって。 「あの子、牡丹ちゃんとこの高校から、隣の高校に編入したからか、仲のいい友達ってあんまり連れてこないのよねぇ」 心なし嬉しそうに、才賀母は言う。 「なのに当の才賀は居ないし。全く、次はどんな厄介事に巻き込まれてるのやら」 台所に立ちながら自らもコーヒーを啜る才賀母は、さして心配をしてる風でもないように、そう言った。 なかなかの肝の座りようである。 というか、え? 隣の高校に編入してたの? 「才賀、くん……は、しばらく帰ってないんですか?」 なまじ友達と言ってしまった手前、編入を知らなかったなどと悟られてしまうのもなんだか憚られた。 ので、話を進める。 その際に、間違っても当時のあだ名を口にしてはいけない。 「昨日は帰らなかったわね。LINEは来たから、まあ無事なんでしょうけれど」 と、母親。 LINE……。 牡丹は、その態度を見て、自分の親と同じ放任主義なのかと思ったが、どうやら少し、違うらしい。 そこには、信頼が垣間見える。 それよりも、何かが今、引っかかった。 「親御さん的には、心配じゃないんですか?」 牡丹は問う。 我が子が未帰宅となれば、普通の親ならば多少なりとも慌てるものだろう。 「ぶっちゃけた話をすりゃあ、お嬢ちゃんならなんか知ってるんじゃねえかと思って連れてきたってのもあるんだけどな。アレでも俺の子だ。滅多なことはねぇだろうよ」 と、才一郎。 「まぁ、もう慣れたって言うのが本音かしらね。心配っちゃあ心配だけれど、あの子、連絡はくれるから。それに、海を渡って行ったわけでも、ないしね」 と、才賀母。 なるほど、信頼、ね。 「もっと言えば、あの子には心強い相棒がいるからね」 さらに才賀母は、さらっと、そう続けた。 え━━━待って。 「令和丸のこと━━━━知ってるんですか?」 「あら、牡丹ちゃんも知ってたの? 令和丸だなんてまた可愛らしいお名前付けていたのね」 あんな超有名な偉人に━━。 と。 才賀母は、言った。 「………………その偉人って」 天城才賀の母、天城礼子は、かつて息子の自殺未遂を目の当たりにした。 勿論そのことは、その後すぐに夫である才一郎と共有していた。 その後起きた、珍事も。 侍の名前は、あえて言ってはいなかったが。 「ああ、あなたにもあの子の中に入った侍の名前までは言ってなかったわね。うふふ、聞いて驚かないでね。なんと」 才賀の母は、半年前の激闘の末、元の世界に還ったはずの、今はもう居ないはずの侍の名前を、口にする。 この町に現れた、通り魔が探す、侍の名を。 「宮本武蔵なのよ」 牡丹の中で、点と点が繋がり、線となってゆく。
現代侍 最終章 其の10
確かに私は、非日常を望んだ。 そのためには、物怖じしてる場合じゃない、と。 目の前のチャンスは逃すな、と。 たとえ周りの大人や友人に止められようと、藁にもすがる思いで、たとえ悪足掻きと言われようと、みっともなく足掻いてみせる。 そう、思い始めていた。 きっとそんな覚悟を持たなければ、欲しいものは、手に入らない。 知りたいことは、知れない。 大人には━━━━なれない。 そう思っていたのに。 「…………なぜ」 なぜ、私は━━━━━今。 「天城家にいるのか……」 「ん? なんか言ったか?」 天城才一郎というおじさんは、食卓テーブルの向かいに座り、鞠家牡丹の独り言に反応する。 それぞれの目の前には、コーヒーカップが置かれており、片方はブラックで、もう片方は砂糖ミルクマシマシだ。 どっちがどっちのものかは、説明するまでもあるまい。 いや、そんなことはどうでもいい。 何だこの状況は。 話も場面も飛躍しすぎている気がする。 これでは、ただ中年のおっさんが自宅に女子高生を連れ込んだ絵面にしか見えないだろう。 少し、時間を遡る必要がある。 ざっと、三時間ほど前に。 ◇ ◇ 時は昼休み、場所は岩流丘高校の図書室。 『つーことで、もし“この件”を調べに来たんなら、お嬢ちゃんは回れ右だ』 ヒトの高校の図書室で好き勝手宣(のたま)う一般人、天城才一郎は、そう言って牡丹を退けようとした。 ここは私の高校の図書室なんだから好きにしていいだろ、なんなら部外者のおじさんが出てってよという言葉が喉のすんでのところまで出かかったが、一旦飲み込む。 代わりに、一番気になっていることを、聞くことにした。 『……天城才賀をご存知ですか』 ━━━途端、男の目の色が変わる。 その目の威圧に、牡丹はすぐさま聞いた事を後悔した。 なんだなんだ、地雷踏んだのか? 『……お嬢ちゃん、アイツのこと、知ってんのかい』 男が問う。 回答次第では殺されるんじゃないかと思うほどの、張り詰めた空気が場を包む。 『一応……はい』 『ガールフレンド?』 『がっ……! い、いや、そんなんじゃなくて、ただの、友達、というか……』 『友達……だと?』 ぴくりと、男の眉が動く。 やばい、つい友達とか言っちゃったけど、失敗したか。 『昔、いじめてました』よりは、正解なはずだ。 『友達か! そうかそうか! いやいや、アイツは俺のガキだ! 息子息子! いやー、友達ってか! アイツにもちゃんと居たのか! 友達! しかもこんなべっぴんなお嬢ちゃんが! アイツもすみに置けねえなぁ! そういう事なら、放課後ウチこいよ! アイツのこと聞かせてくれ! 俺も滅多に家に帰らねーから、アイツともあんまり話せてなくてよー! がっはっはっ』 その後図書室の秩序維持のため、男は図書委員により室外へ追い出され、放課後となり今に至る。 図書室は静かにしましょう。
現代侍 最終章 其の9
宮本武蔵。 その名前は、流石に不真面目な部類に属する鞠家牡丹でさえ、聞いた事のある歴史上の人物であった。 確か、めちゃくちゃ強かったお侍さんの名前だったはずだ。 今朝、クラスメイトが何気なく言った言葉は、牡丹の中で確かな引っ掛かりを感じるものだった。 『もしかしたらその人は、宮本武蔵を怨むあまりこの世に蘇ったお侍さんなのかもね!』 めちゃくちゃ強かった侍としてこうして後世に語り継がれているということは、それだけ絶対的な勝者だったということなのだろう。 それはつまり、そうなるまでに、数多の“敗者”を生んだということと同義。 宮本武蔵を怨む者など、無数にいるだろう。 ただし牡丹も、詳しい人物像を知らない。 (私が踏み込むには、歴史(このあたり)から切り込んで行くべきなのかな……) 昼休み、牡丹は学校の図書室へ足を運んだ。 勿論、入学してから初めての入室となる。 (うわ、頭良い感じの匂いがする) 幸いなことに、この学校の図書室は市内で一番の蔵書数を誇っている。 多岐にわたる分野の、その学業への投資は怠らないという、創立者の意向だそうだ。 さすが私立。 蔵書規模に見合う広大なスペースには、生徒のみならず、一般人の姿も散見できる。 ここなら、お探しの文献も問題なく見つかるだろう。 それにしても、一般開放もしていたのか、ウチの学校は。 知らなかった。 まぁ、それはさておき。 宮本武蔵に関する文献を漁ってみるとしますか。 歴史書コーナーは……っと。 (あの背の高い男の人が立っている辺りか) 「ん……?」 丈の長いベージュのトレンチコートに、グレーのフェルトハット。 牡丹は歴史書コーナーに立つその男に既視感を覚えた。 有り体に言うと、見たことがあった。 (あれは……) 牡丹のその僅かなリアクションに男も気付き、振り向く。 「んぁ? お嬢ちゃんはいつぞやの。というか昨日の」 やはり━━━━━━━。 どくんと、胸が跳ねる。 天城━━━才一郎。 その隙の無い佇まいに、柔和な声音。 あの少年と同じ苗字の男性。 「ここの生徒さんだったんだな。おじゃましてます」 男は本を開いたまま、ぺこりと頭だけ軽く傾ける。 牡丹も反射でお辞儀をする。 「…………」 どうしよ。 今は質問攻めにしたい。 「あ、あの……昨日はありがとうございました」 「いやいや、君を助けたわけじゃないからな。お礼を言われる筋合いはねぇよ」 まぁ、それは確かに。 「今日はちゃんと人通りの多い道で帰れよ」 「はい……」 さすが刑事みたいな見た目である。 素直に返事をさせられてしまう含蓄がある。 「えと、ど、どうしてここにいるんですか」 「ん? ああ、昨日のあいつ、ちょっと気になってな」 「……………」 この男性と私の中の“あいつ”となれば、あの暴行侍しかいまい。 男はぱたん、と、手に持っていた本を閉じ、その表紙をヒラヒラと牡丹に見せる。 「……五輪書(ごりんのしょ)?」 男の見せた本の表紙には、そう、書かれていた。 「昼休みに図書室たぁ、見かけによらず真面目なんだな。感心感心。……ただ、もし“この件”を調べに来たんだったら俺は止めるぜ。これは、ガキが首を突っ込んでいい案件じゃねぇ」 ……そんなの、わかってるもん。