夜音。

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夜音。

君を待つ

「つまり?」 「……つまり、なんも意味はないってこと」 そう言うと、お姉さんはいつものように、ふぅっとタバコの煙を陽の落ち始めた海へと流した。 白い拠れたタンクトップに適当な灰色のスラックス、ピンクのサンダル。適当に流してる長い髪。 こんなにもいい加減な見た目なのにも関わらず、日の当たるお姉さんの横顔は僕の目にはとてもキレイに映ってしまう。目元に落ちる長いまつ毛の影も、浮き立つ輪郭も。 ーー遠い目も。 きっと僕なんて届かない所にお姉さんはいるんだ。誰もきっと届かない。 誰も届いてほしくない。 今日もお姉さんはいつものように、防波堤で一人タバコを吹かしながら陽の落ちる海で黄昏ていた。 「じゃあさ、死んだらなんも意味ないものに、なんで人はがんばるの?」 「……知らないよ」 僕の質問に面倒くさくなったのか、お姉さんはちらっとこちらを見て一言そう答えた。 「……あんた最近よく私に絡んでくるけどなんで?」 お姉さんは今度は、心底わからんといった表情と目で僕をしっかり捉えるとそう聞いてきた。 「お姉さんぼっちだから笑」 「おーおー、余計なお世話だわ」 お姉さんはなんだそれ、といった感じでまたふぅっと煙を吐いた。 「……いくつ? 年」 「……あー、中学生! 中1! ……えっと、13、?」 「おー、無理あんぞー ランドセル背負った中坊なんてどこにいんの」 お姉さんは呆れたというように、僕が背に隠したはずだったくたびれた黒いランドセルに目をやるとふっと少し口元を弛めた。 「……もうあと半年くらいで中学生だもん。」 僕はなんか悔しくて、後ろに隠してたランドセルを前に引き寄せると体育座りの足とおしりの間に挟んだ。そして、ぎゅうっと足をクロスしてそれを押し潰した。 「……なんで盛るんだか笑 私にとってはどっちもガキんちょだよ」 そう言うとお姉さんは片腕を支えとするように背中をぐいーっと仰け反らせると、ふぅーっといつもより長めの煙を今度は空へと吐きだした。 そんなお姉さんに僕はむっとした。 一歳の違いは結構でかいんです。全然違うんです。どれくらいかって言われたら、、上手く言えないけど、ほんとに違うのに。 結局何も言い返せないまま、僕の体躯に見合ったようなちっさいプライドが、皮肉な程に自身に己の幼さを自覚させた。 「……お姉さんはいくつなのさ」 僕は膝のお皿に顔を乗せ、ふてぶてしくお姉さんに聞いた。 「ないしょ。」 「え、ずるっ、!」 僕の意表を突かれたという顔にお姉さんは、くくくと堪えるように笑った。 ずるい。答えなくていいなら、僕だって答えなかったのに。 ザァザァと。波が音を立てて時間を攫う。 ……笑っている顔を初めてちゃんと見た気がした。困ったように眉を八の字にして、緩めないように頑張って歪む口元。細く、緩くカーブする目元。 ……なんか、悔しいけど可愛かった。 僕もつられてふふっと笑ってしまった。 「なぁんで、あんたが笑うのさ?」 お姉さんはわからんやつ、といった顔で僕を見た。 「お姉さん好きな人いる?」 「いないよ」 突如、ぶあっと海風が吹いた。風は髪を揺らし、お姉さんの表情を攫っていく。まだまだ明るい日も先程よりかは大分影ってきていた。 「……恋愛相談にはのらんよ? 私そうゆうのわからんから」 短くなるタバコをお姉さんはまだいけるか?と少し確認してからまた吸った。 「……僕ね、お姉さんがすき!」 何故か分からないけど、今しかないと思った。今伝えたいと思ってしまった。突如吹いた風に背中を押されるように、僕は人生初の告白なるものをしてしまった。 僕は答えにどきどきしながら進撃な眼差しでお姉さんを見た。 「おー、?あー、ありがとさん」 結果は、まともに取り合って貰えなかった。 断られるとかよりもあまりにも残念すぎる結末に、僕は失恋というものとは違う、また別の傷を負う事となった。 イエスかノーかの立場にすら立てていない現実に打ちのめされた僕は、魂が抜けたように遠く海を見ることしかできなかった。 「……ガチのやつ?」 「……」 あまりにも僕の姿が悲哀に満ちていたのか。なんなのか。お姉さんが触れていいものかわからないというようにそっと聞いてきた。 僕も答えるに答えずらくて、こくんと頷くことしかできなかった。 「……そうか、なんかごめんよ」 僕はお姉さんに気を遣わせている現状に情けなくて、またもやこくんと頷くことしかできなかった。 「……んー、私24」 「え?」 何を意図しての言葉か分からず戸惑う僕に、お姉さんは「私の歳」と一言そう答えた。 「多分ね、あんたと12歳くらい離れてんの。」 「関係ない!」 僕の負けじと噛み付く威勢に、お姉さんは「大ありだわ」と牽制した。 「ごめんけど、ガキんちょとは付き合えんね かっこいい大人になったら考えたげる。」 お姉さんはぽんぽんと僕の背中をなだめるように、短いタバコの先を僕に向けると上下に振り揺らした。そしてそのまま防波堤のコンクリに押付けて火を消した。 「……お姉さんのいう大人ってなに?」 「んー、タバコ吸ってお酒飲める人」 まさに私というように、お姉さんはまた箱からタバコを1本取り出して僕に見せると、火をつけて煙を海へと吹かした。 「じゃあ、僕もそれ吸うし、お酒ものむ。」 「ばぁか、吸うな。飲むな。」 「えー、お姉さんが言ったんじゃんーー」 不服そうに口を尖らせる僕に、お姉さんは改めてあぐらをかき直してから、ん"ん"っとおっさんみたいな咳払いをした。 「『かっこいい』大人って言ったろ? 酒はまぁ、20で飲めばいいけど、コレは絶対吸うな」 そう言いながらお姉さんは、口元からタバコを僕の目の前に移動させて「吸うなよ」と強調すると、また咥え直して一吸いした。 ほんとにいい加減な「大人」なんだから。 僕はそんなお姉さんに呆れると共に、やっぱり好きを再認識してしまう。 「つまり、お姉さんと真逆な人になればいいって事ね。了解した」 「……あんた、友達いないから私に絡んでくるって訳ね。こいつめ」 にやにやしながらおちょくる僕に、お姉さんは小憎たらしいやつ、といった具合で僕の肩をコツンと小突いた。 風は穏やかだった。陽は大分沈んで、座る僕たちの影は次第に形を失いつつあった。 何もが静かだった。 「……明日もまた来ていい?」 「……すまんね、私明日からはもういないの。」 僕の問いにお姉さんは少し躊躇ってから答えた。 「……なんで? 僕が好きって言ったから?」 聞いてはいけないと思いつつも聞いてしまった。返事がこわくて、僕は海を見つめ続けた。だって、これで「そうだよ」、とか例えそうじゃないにしても、変に気を遣われたら…… 僕としてはとても、とても…… 「違うよ。」 「え、じゃあ……なんで?」 僕のうじうじと不安を孕んだミミズの這うような思考は、お姉さんの否定で爆発した。 僕が咄嗟に見てしまったお姉さんの顔は、さみしそうだった。 「……遠くへ行くの。」 「どれくらい?」 「んー、さあね。どれくらいなんだろ。」 どうゆう事だ? なんで自分のことなのに把握していないんだろう。まさか、 「……お姉さん、死なないよね?」 僕の問いにお姉さんは目を丸くしてから、ぷはっと吹き出した。 「んっははは、! 死なないよ」 「……だって! お姉さん、いつも一人だし、! ……時々、さみしそうだから、、」 僕は心配と拭いきれない不安を隠すように、声を張り上げては尻すぼみしてしまった。 だって、やっぱりお姉さんの顔が途中から物悲しそうだったから。 お姉さんは、「ありがとう。」と一言僕に言うと、ぽんと僕の頭に手を置いた。 「……少年さぁ、名前は?」 「……たいち」 ほお、いい名前だねぇ、とか言いながらお姉さんはタバコをまた消し始めた。 「……たいちさぁ、これあげる」 そうお姉さんのポケットから渡されたのは、綺麗で、小さな青い石のペンダントだった。 僕はそれを両手で受け取るとまじまじと吸い込まれるように見つめた。 ガラス玉のような不規則な丸み。まるで、海を閉じ込めたような。綺麗な深くも澄んだ青。 「……なにこれ?」 「幸せになれるお守り。」 ふーん、そうなのか。 お前にほんとにそんな効力あるのか? と、僕は持ち主のお姉さんをちらっと見て考えてしまう。 「さぁて、よいしょっと! 帰りますかねぇ」 お姉さんはそんな怪訝そうな僕の顔に気づいたのか。徐ろに立ち上がりパンパンとお尻の埃を払うと、ついでに手の埃も払うように打ち鳴らし帰ろうとし始めた。 僕も慌てて立ち上がった。 「お姉さん、また来る?」 「んー、またいつかね。もしかしたらね。」 お姉さんは腰に手を当て、ぐいーっと仰け反って答えた。 「……じゃあ、僕これ持って毎日ここに来るね!」 そう言いながら僕はペンダントをお姉さんに見せて、強い気持ちを伝えた。 「おー、わかった。いつまで続くかねぇ笑」 「ずっと! 約束!」 そんな甘い意思じゃないと分かって貰う為にも、僕はお姉さんの小指を無理やり自分の小指と絡ませて指切りをした。 「……じゃあね! またね!」 「んー」 僕は思いっきり手を振って、なにか言われるよりも先にと、足早にお姉さんに別れを告げた。お姉さんは気の抜けた返事をしていたけれど、その顔は優しく微笑んでいた。 陽は落ちて、気づけば灯る街灯に僕の影が先程よりも濃く地面に浮き出ていた。 徐々に遠のく波の音は、そこにあった僕たちの時間を優しく包んで引いていくようで。 待っている。とそう言われている気がした。

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商品は「幸せ」です。

「ーーこんばんは。今日もどこかで生きる貴方へ。この声は届いていますか?」 雨。 夜。 人。人。ひと。ヒト。 ーー僕。 ザァザァと絶え間なく。 一頻りに雨が降り続けるスクランブル交差点では大小、色様々な傘達が道を横行していた。 信号待ちの車のヘッドライト。日常を放映する大型ビジョン。高々と掲げられた数々の電光掲示板。歩く音、話す声。 音と光で構成された全ては、雨や水溜まりに反射して光線銃のように僕を乱射した。 「ーー日常に満足されていますか?」 身を守るようにボリュームを上げたヘッドホンからはラジオ番組がそう問いかけてきた。 「きっと今日も忙しない一日を過ごされたのだろうと思います。勿論、そうでない方もいらっしゃるかとも思います。」 周りの人たちは、みんな忙しそうに。目的を持って、迷うことなく歩みを進めている。こんなにも沢山道があるのに。この道が自分の歩かなければいけない道だと理解しているんだ。 19時半近くだからか。仕事終わりのサラリーマンやOLも多いように思われる。みんな比較的に早足で進んでいく。 ……僕は、どこに向かおうとしていたんだ? ふと、街ゆく人たちを見ながらそう考えてしまった。 それがいけなかった。 僕はそのまま、足が石になったかのように交差点の中央で立ち往生してしまった。 分からなくなった。家出しておいて、何を言っているんだとも思う。 帰るべきだよな、? いや、逃げるべきだ、。 ……どこへ?? 街ゆく人たちは傘も持たずに、立ち尽くす僕にぶつかる度に怪訝そうな顔や舌打ちをして消えていく。 「ーーな貴方へ、まずはこの一曲をお届けしますーー」 ♪♪〜 どうにも進むことが出来ない中で、うろうろと泳ぐ目だけが必死に僕を生かす道を探していた。 パァァっ! パッパっ!! 車のクラクションに、道に目を向けていた僕の目は反射で歩行者信号を映した。信号は青から赤に変わっていた。 まずい。 駆け足で渡りきる人たちももう少なかった。 やばい、ーー動けよ、、! 「おい!! 邪魔だ!!!」 「何してんのあいつ、どけって!!」 ざわざわと車や歩道から飛び交う僕への罵声。 スマホで撮り始める人たちも多くいた。 ヘッドホンから流れる音楽なんて、もう無意味だった。 ブゥン!! おい、嘘だろ、、待ってくれよ……! 余程腹が立ったのか。一台の車がアクセルを吹かしたかと思えばこちら目掛けて発進してきたではないか。 もう死ぬのか、と目を瞑ったその時だった。 自分の体が浮いて、地面に打ち付けられた。かと思った次の瞬間には、知らない少女に無理やり立たされた挙句に、強く手を引かれていた。 そのまま、僕も飛びそうになるヘッドホンを頭から外しつつ首元で抑えながら懸命に走っていた。 「あんた、バカじゃないの!? そんなに死にたいなら他所で死になよ!」 交差点を渡りきってすぐに怒号が飛んだ。 周りの視線が自然と集まっては関わるな、というように分かりやすくすぐに散っていく。 「……え、っと、」 「人に迷惑かけて死ぬな!」 そうポニーテールの少女は睨みながら僕へ言い放つと、ふっと表情を緩めた。 「……死のうとした訳じゃ、ないです、、」 「いいよ。むりしなくて。」 「……あ、いや、ほんとうに、、」 先程までの少女の勢いに気圧されたのと、この子がいなければ死んでたかもしれないという事実に今更心臓がバクバクと脈打った。 手も震えるし、声も震えた。 その様子から何か勘違いしたのか、それとも「死のうとはしてない」という僕の真意を正しく汲み取ったのか。 少女は徐ろに僕を人の少ない路地の方へと連れて行った。 「少しここで待ってて」 そう言って少女は僕を路地に一人、姿を消すと5分足らずで戻ってきた。 「これあげる」 そう、ずいっと渡されたのはコンビニの袋に入った1本のペットボトルだった。 「……お茶? ありがとう、いいの?」 僕は少女の返事を待たずにもうぐびぐびと必死にお茶を飲み出していた。今まで飲んできたお茶の中で一番美味しかったと思う。 すぐに緊張が解れていくのを飲みながら感じた。何も食べていなかったからか。食道を質量が通過して胃に溜まっていく、あの妙に気持ち悪い感覚に伴って身震いが起きた。 「……ほんとにありがとう。その、助けてくれたりとかも、、」 お茶のキャップを閉めながら、僕はもじもじと感謝を述べた。そして、そっと伺うように顔を上げた先の少女は、呆れた。というように整った眉は上がり、口元は少し開いていた。 「……呆れた。まぁ、満たされたならいいよ で? なんで死のうとしたの?」 「……あ、だから死のうとした訳じゃなくて」 「はぁ、? じゃあなんであんなバカな行動したの? 私が君を押し倒して走らせなかったら死んでたよ?」 少女は訝しげに僕を見て腕組みをすると、こてんと頭を横に傾けた。 「自分でもよく分からなくて、。」 正直これは本当だった。訳も分からずどうにも動けなかった。 「……家出しちゃって、、」 「ほう。」 僕の答えに納得いかないという顔をする少女をどうにかしようと、僕は話をずらした。 「つまり、幸せになりたくて家を出たの?」 「……? うーん、まぁ。 そうなるかな?」 少女の質問にそうではあるけど、それで纏められないような違和感を持ちつつも、あながち間違いではないので僕は頷いた。 「『幸せ』買う?」 「 ……??、うん?」 ニヤッとした少女は僕によく分からない提案をしてきた。 幸せを「買う」ってどうゆうことだ、? 疲弊してる頭ではどうにも追いつけない。 「売ってあげる。『幸せ』。買うの? 買わないの?」 「……待ってよ、意味がわからないんだけども」 「買わないなら、いいよ。元気でね」 少女はもう興味ないです。というように、くるっと後ろを向くとその場を立ち去ろうとし始めた。 「……か、買うよ!」 そんな少女に、金額も聞かないまま僕は愚かにも謎の「概念」という買い物をしてしまった。 まじで、何をやっているんだろうと自分でも思っている。 新手の宗教か何かか、、? ……なんてもう考えたって遅いんだけども。 「まいどありぃ〜」 かかったな、と言うように僕の「買う」という返事に、にこやかに振り返ると少女は手を差し伸べてきた。 「握手。 ほら」 にこっと笑う少女に言われるがままにしてしまった握手。 これが恐らく僕の人生で最大の買い物となってしまうとはこの時は思いもしなかった。 雨は止むことを知らず。 少年のヘッドホンからは「貴方の幸せを願っています」というラジオ放送の終わりを告げるナレーションが静かに流れた。

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記憶の日記

暑っちぃ。 じりじりと照る日に、ミシミシだかミンミンだか鳴き喚く田舎特有の蝉の声。広い道にも関わらず、チリンとわざわざ一鈴鳴らして俺たちの脇を邪魔そうに走っていく一台の自転車。 何時もなら許容できる範囲の全てが、この暑さに限ってはその熱に拍車をかける。 下校途中にコンビニで買った100円にも満たないこのアイスがなければ、俺という一切は形を成せずにもう溶けていただろう。 気温31度。俺は唯一の友と呼べる田崎とアイスを口に運びながら、この猛暑の中で坂道を下っていた。 「……お前さぁ、幸せ?」 「あ?」 ポトッ。 「「あ。」」 落ちた。 俺の100円、いや43円分くらいの「幸せ」が。目の前で。 「……いや?」 俺は手元に残るハズレの棒を見たまま、呆然とそう答えていた。 「ぶっは、! お前、ついてねーのな笑 どんまいだわー笑」 そう言いながら田崎は、「俺は落ちる前に食ってやる!」とこれ見よがしに一口で残り半分くらいを食い上げた。 腹立つやつだ。 ただでさえ、水分を失ってしなびた植物みたいだった俺の背中は更にしなっていった。 「くーーー、、あったま来てるわ!キンキン!」 「そうかよ。よかったな。」 俺はちょっとぶっきらぼうに返した。 「……キレんなよー、悪かったって笑」 「……幸せか、って。なんで?」 俺たちは歩みを止めたままに、一瞬沈黙が生まれた。妙に気まずくて。何気に目を向けた先の落ちたアイスは俺に施していた「幸せ」を今度は懸命に路へと与え始めていた。 「んー、なんというか、お前がちゃんといない気がした!」 田崎は食べ終わったアイスの棒を口から取り出し、指先でくるくると遊ばせながらそう言った。 「……おー、?」 俺はというと、言われたことがいまいち理解できず、困惑していた。 「……例えば?」 理解しようと捻り出した俺の問に、田崎は棒で遊ぶのをぴたっと止め、「んー、」と真剣な面持ちで考え始めた。 「……お前はさぁ、好きなこととかやりたいもんないの?」 「ない。」 「好きな人とか!」 「いない。」 「んじゃぁ、好きな……」 「ないよ。」 全部ない。何もない。 質問に食い気味で「ない」とだけ答える俺に、田崎は一瞬戸惑った顔をしつつも、これが俺がさっきの質問をした理由だと言わんばかりに困り笑いを浮かべていた。 顕になった空っぽな自分。確かに自分はつまらない人間だと思う。でも、別にそれで苦しんだことはない。不幸せだと思ったこともない。代わり映えしない日常を、毎日繰り返して眠りにつく。変わらない明日が来る。 「……なんつーかさぁ、お前、つまんなくねぇの?」 「……別に? 俺は満足してる。」 変化、刺激を求める事はその先を考えれない人間がする事だと俺は考えてしまう。趣味だって、恋愛だって。変化、刺激を求める行為の延長線上にある。 結局、その先に一体何が残るっていうんだ? 「おー、そうか。 じゃあ、さっきからキツく握ってるその拳なに?」 「え?」 田崎はそう言うと後ろ髪を掻きながら、アイスの棒で俺の握る拳を指してきた。 俺も瞬時に自分の手元に目が落ちた。全くもって、自覚がなかった。 なんの拳か自分でも分からず、戸惑いながら田崎に目をやるとあいつはニヤニヤしていた。 「お前、俺にとってはおもろい奴なんだよなぁ笑」 意味が分からない。 なんか、いいように転がされた気がしてイラッとくるな。 「うるさいぞ。 田崎のくせに、生き方に説教か?」 でも、さっきまでの緊張してた空気がふわっと溶けた気がした。 落としたアイスはもう跡形もなくなり、染みた跡さえほぼ残っていなかった。 「お前のせいでロスだ。 早く帰るぞ」 「なんだよー笑 友を心配する優しい青年に対してひでぇ奴だわ」 時間は有限で。真夏の日はまだ傾くには早いけれど、気温は先程よりかは下がっているだろうというのを肌で感じた。 *** 「じゃあなー、寄野」 「おー、じゃあな」 ーーカサッ。 「?」 「……なんだ? 紙飛行機?」 それは田崎と別れて少し歩いての事だった。目の前に紙飛行機が落ちてきたのだ。一体どこから?周りには建物というものも一切ない。 ーー7月14日。晴れ。 めっちゃ暑い。やばい。これは溶ける。今日から日記をつけていきます! 近所に美味しいアイスクリーム屋さんができたらしい。行く。バニラとチョコミントで迷って、どっちも食べてしまった。背徳〜! 「……んだ、これ?」 何気に開いた紙飛行機の中身は誰かの「今日」の日記だった。 こんなの飛ばすなよ、、こいつ黒歴史確定だろ 呪物は見なかった事にしよう、と改めて折り直して道に置こうと屈んだときだった。胸ポケットに入れていたアイスの棒が落ちた。 ……やけに物が落ちる日だな。 なんて、そう思いながら拾い上げたアイスの棒は「アタリ」だった。ハズレていたと思っていたのにこれにはちょっとニヤけてしまった。 そういえばさっきは、手に持っていた面しか見てはいなかった。 何気にラッキーだな。 俺は拾い上げた棒とは別に、置こうと手に持っていた紙飛行機を改めて見た。 そんで、リュックの中にそれを静かにしまった。 なんとなく。持ち帰ってもいいかと思ってしまったんだ。

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贖罪と逃避行

「おい!止まりなさい!」 若い警官と中年の警官が声を荒らげて追いかけてくる。男性の太く響く声の迫力を背中で感じながら、俺は振り返ってはいけないと再認識した。 ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、、! そう、ただひたすらにぶつぶつと小さく呪文のように口元で唱えながら俺は夜の街中を走り続けていた。 人を飛ばし、ネオンの看板にぶつかってよろけて、体の部位は集中させれば全て痛い気がした。それでも止まることのできない理由があった。 俺には償わなければいけない罪がある。 ……償うことのできない罪がある。 ぼわっと水彩の絵の具を溶かしたかのような過去の残影が頭の中で展開されては形を成せずに流れ落ちていく。足りない酸素と回りきらない思考で肺の中はぐちゃぐちゃだ。今はとにかく走らなければ。何も考えるな。あと少しで道が開ける、! 「ごめんなさい……!」 はっきりと言葉にして発した声と同時に、ひらけた道へ俺は大きく一歩足を踏み込んだ。 「市川!! こっちだ、はやくこい!!!」 駆け抜けきってすぐのその声に俺はやっと顔をあげた。ほんの少し遠く、目の先には汚れた白い軽トラが一つと、その運転席の窓から見慣れた先輩が中から身を乗り出しては目を見開き、大きく手を子招いていた。 こんな状況なのにその光景に思わず俺の目も光を取り込むように開いていき、口元に笑みがともってしまう。 止まるな……!あとすこ、、 ーーチリン。 安心を覚えると同時に懐かしい、いつかの鈴の音が俺の耳を微かに触った。逸る足に急ブレーキがかかり俺は咄嗟に後ろを振り返ってしまった。 「ばっか野郎!! 何してんだ! 早くこい!」 あんなにも安心を覚えていた稲田さんの声はフィルターがかかったかのように何故か遠い。もう俺はうろうろと顔を振り、必死に鈴の音を探してしまっていた。 確かに聞こえたんだ……! あの夏のーー、 「おい! 市川!! 聞いてんのか?!ぶち殺すぞ!」 「……先輩! 鈴の音が! 今! あの鈴の、、」 「うるせぇ! 目覚ませ! ほら、来てんぞ! 早く走れクソ市川! 置いてくぞ!? 」 俺の言葉を遮って怒鳴る稲田さんの声に俺はハッと現状に引き戻された。音を取り戻していく耳と、嫌にまた冴えていく頭は俺の体を勝手にまた走らせていた。ほぼ歩くスピードに等しかった小走りに力が戻る。 追っ手の手が俺にほぼ届くその瞬間、俺は何かを考えるよりも先に、助手席のドアを開けて無理やり身を押し込ませた。稲田さんもすぐさま、乗り込む俺の腕を掴み、思いっきり中へと引き上げ入れた。 「いてっ、!、」 どうやら乗る時にドアの角で横腹を掠った上に、足を捻ったらしい。 「大丈夫か? いや、いくぞ!」 すぐさま車を発車させつつ、俺を軽く気にしてかけた稲田さんの言葉は宙に浮いて消えた。 なんていったって余裕がない。結局のところ俺もそんなのどうでもよかった。 そんなことよりも警官らと距離ができていくほどに稲田さんに対しての申し訳なさが押し寄せてくることの方がきつかった。 「先輩、……ごめん。」 謝ったその瞬間顔をグーで殴られた。 痛い。口の中は血の味がたしかに広がっていく。俺は殴られたまま停止し、すぐには顔を稲田さんへと戻せなかった。 「……いたいか?」 「……ごめんなさい。」 「なんで痛いか分かるか?……今逃げきれてるからだ!! この野郎が!」 やりすぎたと思ったのか。稲田さんは俺を軽くちらっと横目で見るとすぐ前へと目を戻した。 「……鈴は、ーーもう忘れろよ」 「……っ、、! でも!! たしかにきこえ、! ……たんです、」 どうゆう意味で言ったのか。 「忘れろ」という俺にとっては酷なその言葉を。 俺は先輩の言葉に被せるように「あれはそうだった」と必死に弁明しようとした。 ……できなかった。 ここで噛み付いてどうするんだ。 記憶にあるのは小さい鈴だぞ?あんな町中で切羽詰まった状況で聞こえるか? 「そうか。」 そう、ただ一言。稲田さんは熱のこもらない空っぽな言葉をはいて、一先ず逃げ切れた安心からか、徐々に速度をゆるめていった。 先を捉える目は遠く、それは何処までも行きようのない乾いた薄い目だった。 ただ、「逃げたい」と。意気投合してしまった俺たちは本当に今日を決行してしまった。行くあてなんてのはない。 静かになった車内ーー。 回るエンジンの音と二人の呼吸音。 夜は深まるばかりだった。

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余情カフカ

「ねぇ、何見てるの?」 「ーーうん?百足だよ」 大きな木の下しゃがみこむ僕の後ろから、覗き込んだ女の子が小さく「ひっ、」と息を呑んだ。 「気持ち悪いよ、変だよ!」 「そうかな?」 「うん 、変!」 振り返らず、ただ空返事をするだけの僕の背中へ女の子はそういい捨てると足早にたたっとどこかへ走っていった。 刺す日から退けられた影の下、少年とそれは二人っきりになった。 「こんにちは、ーーぼく。」 うぞうぞと無駄に多い足を邪魔そうに、身体をよじらす「それ」にふと口をついて出た言葉。 人が重力に抗えないように。それが当たり前であるように。 妙にストンと「僕という存在」が自分の中で落ちた気がした。 それと同時にざわざわと鼓動も高鳴り始めた。変に心地よくて、それでいて静かで。周囲の音だけを残したすべての時が一瞬止まる。 程なくして、額からの汗が屈む足元へと落ちて地面を染めると共に、自分の中で再び時間がゆっくりと動き出すのを実感した。 ワシャワシャ、ジリジリとただひたすらに鳴き喚く煩い蝉の音が、まだ幼い少年の背にたしかに夏を刻んでいった。 *** 「おかあーさーん、、! はやく、こっちきてー! 気持ち悪い虫いたのっ! 」 「はいはいー、ひっぱらないのー暑いんだから」 ぐいぐいと母親の服の端をひっぱり、歩いていく少女がいた。パタパタと手で顔を仰ぎながらゆったりと引かれ歩く母親のその態度に、その子は眉を寄せ急き立てた。 なぜ、わかってくれないのか。 早くしないと「あれ」がいなくなっちゃうかもしれないのに。そんな焦る気持ちと想像できる母親の反応への好奇心とが入り乱れ、少女の足はやっぱり早くなる。埒が明かないと少女は母親の服を離し、一足先に木の元へと小走りで駆け寄っていった。 徐々に近づいていくあの木の下にさっきの男の子はもういなかった。まぁ、それは別に重要じゃなくて。問題は、 「あれ、? いやぁあーー、!!、?、、」 「なに!? どうしたの!……なにこれ、」 少女の尋常じゃない声に急いで駆けつけた母親も「それ」を目にして咄嗟に息をのんだ。 私が見せたかったあの虫はたしかにそこに「半分」でいた。

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傘と屋上

「だからなに?」 「は?何その態度?」 クラスとは、誰かにとっては広く。誰かにとってはまた狭いコミュニティの事であると私は捉える。そのコミュニティの中で、異端と見なされると所謂「いじめ」なるものがしばしば発生する。つまるところ、まぁ、今の私である。 「あのさ、いい加減気づいて。すごーーく、今村さんって邪魔なの。なんで合わせらんないわけ?」 「それが正しいと思えないから。」 私の言葉に目の前の3人が呆れたように、宙を仰いではこちらを睨みつけてくる。 「クラス代表気取ってるのか知らないけどさぁ、それ誰もやりたくないから今村さんになっただけだよ?」 「そう。」 今日も今日とて、机にただ向かうだけの私へこの3人組は絡んでくる。絡みと言っても身体的な危害はないし、漫画に出てくるように水をかけられたり、机に落書きなんてのもない。まぁ、もう高2だし、中堅高校ってことも関係あるのかもしれないけど。ただ、周りが誰一人として一切口を聞いてくれず(こっちから話しかけたことはないけど。)、配布物がたまに配られなかったりする程度。 「きもっ、ほんっとむり。お前やばいよ、協調性なさすぎ。」 「毎回毎回、あんた一人の意見で、周りの皆のやりたい事が通らないの。空気読んでよ、、」 「それは、私の問題?」 「は?」 皆、私を矢面に立たせて本当に言いたいことや考えを示す。それがこのクラス。私のことを守りはしないのに、自分達は守られに勝手に私の傘へ入ってくる。 いいよ。別に。助けてるつもりもないし。 「多数決で可決されない時点で、毎回私に合わせてる子達も少なからず半数以上はいる訳でしょ。今回の文化祭の出し物だって、、」 ガンッ!! 「うるさい!」 そんな大きな声と共に私の机は蹴られた。 お昼休みで人もいつもの半分とはいえ、割かしうるさかった周囲も流石に静まった。 「今回はほんとに通らなかったら許さないから。覚えてなね?」 そんな、漫画の三下みたいなセリフを吐いてポニテのリーダー率いる3人は散っていった。 私はそっと、机へと手を置いた。綺麗に整頓されていた私の周囲の机たち。 私の机。 蹴られたことにより、私の机がその一角を崩してしまった。まるで、自分だけが切り離されてしまったような。自分から切り離されに行ったような。いや、実際問題そんな事はどうでもよくて。ただ、なんというか。 ただ、なんというか胸が締め付けられる気がした。 *** 何もかもが固定化されて繰り返される日常の中で。唯一いつもと違って、私は屋上にいた。肌寒く、空も雲で翳っている放課後。人は追い詰められ、どうしようもなくなると「死」を選ぶらしい。死、か。 別にどうということもなく。私はゆっくりとフェンスへ近づき、金網へ手をかけ何気に下を見てみる。 この高さから、躊躇なく今の私は飛べるだろうか。そこまで追い詰められているのか?いやーー、 ガチャン。 不意に鳴った扉の開く音で、私は地に足着く現実へと引き戻され、反射で振り替えってしまった。 「なん?あんた死ぬの?」 「え?」 「え?じゃなくて笑 死ぬの?って」 急に何この人。というか、なんでちょっと嘲笑気味なの? ……てか、めっちゃかわいい子。私と違ってきらきらしてる。色白くて、髪の毛くるくるしてて、校則違反だけどメイク上手くて、アイドルみたい。 「死なないけど。」 「あっそー 」 私の答えを聞くと、もう興味無いというように徐にフェンスに近づいて来ては、私と離れた位置に座りそのままお弁当を開き始めた。 ふと、問題児としていじめられていると聞いた「ゆう」という子の存在を思い出した。確か、自己中で自意識過剰な子みたいな感じだった気がする。 「あなた、ゆうさん?」 「……?そうだけど?」 私の質問にもぐもぐと食べていた箸を少し止め、こちらを見ずに答えてからまた食べ出しては飲み込んだ。 「あたしも知ってるよー、君のこと。今村かんな、でしょ?『クラスの癌な』って呼ばれてるよねー」 そうだけど、わざわざ持ち出す必要ないじゃん。なんかチクチクくる子。……くすくすしてるし。目合わないし。なんか、嫌われるのも分かる気がする。 「……私も知ってるよ。あなたが自意識過剰、自己中で嫌われてるの。」 「……だから?」 さっき迄と違って、ピリピリとした空気が私たちの間に張り詰める。カチャン。と箸を閉まう音が聞こえて、私は立ってフェンスに寄りかかったままに仰いでいた空を見るのを止めた。そして、ふとゆうに目をやった。さっきまで合わなかったゆうの綺麗な目と私の目が合う。 「……ねぇ、きいてる。だからなに?」 「……そっちが先に煽ってきたんじゃん、、なんなの、」 私はあの3人組にでさえ縮こまった事などなかったのに、ゆうの静かな剣幕には謎に気圧されてしまった。 「……その時に嫌って言わなかったじゃん。 まぁ、いいよ笑 事実ではあるしね。全ては私がかわいすぎるのがよくない」 ふわっと、ゆうのさっき迄の雰囲気は緩んだ。が、しかし、私の耳がおかしいのか??さらっと、常人なら恥ずかしいことを言ってのけたような、、 「かわいいってさぁ、罪だよね。こんなにかわいかったら誰でも自分のこと好きになるよ、」 「……ああ、うん、、。」 なんかちゃんと人と会話をしたのが久しぶりな気がして、私は引きながらもこの状況を少し楽しんでいた。 「……今村さんもさぁ、自分が好きなんでしょ?」 「……なんで、?」 思ってもいなかった言葉が飛んできて、私は理解が追いつかなかった。 「今村さんのことちょーっと、噂で知ってるけど、虐められてまで多数に抗うってきっと私と同じく自分が好きなんだろうなぁって。」 楽しかったのも束の間、ゆうのにこにこと並べられたその言葉達に私はカチンときてしまった。そんな浅く自分の水準で私を推し量らないでほしい。どんな思いをして、したくもない「人の為」の自己犠牲となってまで常に力に抗っているのかも知らないくせに。 ゆうみたいに、あの3人みたいに。「自己」の事しか考えられない人達のせいで、抑圧される私たちのことをこの人はどう捉えてるんだろう。 「……なんも知らないくせに。いいよねー、自己陶酔して周囲なんて知りません、って生きていけるの。一貫した自分。あこがれるよ。」 「……なに?煽ってるの?」 別にこんな嫌味ったらしく言うつもりはなかった。なんて、少しの後悔も次のゆうの言葉で綺麗に消え失せた。 「……それを言うならお前がそうでしょ。誰からも頼まれてないのに、先陣切って進む偽善者。承認欲求?ある意味の自己陶酔?……笑えるね?」 「……」 立ったままゆうを見下ろし睨む私と、座ったままこちらを睨み上げるゆう。 飄々と空は濁ったまま暮れていき、冷たい風が前髪を吹きあげては通っていく。 (ああ、そうか。こんな派手で自己中な人の事なんて分かりたくもないし、分からない。) (こんな根暗で、承認欲求の塊みたいな奴の事なんてどうでもいい。) ((ただ一つ確かに言えるのは、)) 「あんた、」 「お前、」 「「……嫌い」」

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「ノブ」は拾わないで。

「目玉焼きが食べたい」 「食べなよ」 淡白に返された言葉とぺらりと本を一枚めくる音が少女ら二人だけの放課後の教室に響いた。開け放たれた窓からは蒸した後の蒸気のような風が吹き込み、外では煩く蝉が喚いていた。 「卵焼きがたべたいー」 「だから食べなよ」 机に顎だけを乗せて、ただ欲望を晒すおかっぱの少女に返される言葉はやっぱり淡白だった。 「……茶碗蒸しも可。」 「こんな暑いのに?」 それまで本をめくるだけだったボブ髪少女は、意表を突かれたというように初めてちらっと横目でおかっぱ少女を見ると、またすぐに本へと目を落とした。 「……じゃあプリン」 「買ってきなよ」 チリンと遠くで風鈴の音が鳴った気がした。 「ねーーー、なーちゃん冷たいーー !」 淡白な返しについに痺れをきらしたおかっぱ少女は口を尖らせ足をばたつかせた。 「ねーちょっと、花乃、、! 机揺らさないでよ。食べたいなら食べればいいじゃんかー」 同じ机で向かい合わせの二人。彼女と目を合わせまいと両肘を机へ置き、仕切りのように本を読んでいた夏乃はついに防壁を取っ払うと、むっと眉をよせた。 「なーちゃんは何食べたいの?」 「えー、冷たいもの」 「……じゃあプリンか」 「え、まって別にわたし卵系今求めてない」 会話が訳分からん方向に進んでいくもんで、私は思わず否定してしまった。が、これが後悔を生んだ。 「ざんねーん! 私が今食べたいものをなーちゃんの食べたいもので置き換えよーのコーナーでしたー !」 こいつはほんとに何を言っているのか。 頭の中はどうなっているのか。 私に構って貰えたと思ったのか。 ばっ!とそれまで机に突っ伏すかのように置かれていた花乃の顎が勢いよくあがった。 そして、奴は謎にしてやったり顔をしていた。 なんか負けた気がして悔しかった。 ので、こっちも気にしてない風を装ってとりあえず本に目を戻してやった。 すぐにストンと花乃も顎を戻すのを見るに、自分が一人でから回っていることにようやく気づいたんだろう。 ふと、青い葉が一つ窓から教室へと風と共に流れ込んできた。それは、カサっという質量を持って足元へと落ちる。 私はようやく、静かな日常が戻ってきた気がした。 全く花乃のよくわからん行動はいつものことだけど、この暑い中では流石に勘弁してほしい。 「ねー、なーちゃんーーまだ帰らないの?」 「うん。帰んない。先帰っていいよ」 ほんとに何故こうまでして、構ってもらおうとするのか。 「えーー、帰ろうよーさみしいよー」 放課後の静かな教室で本を読むのが好きだった。 誰にも邪魔されない中で、窓からの風が髪を揺らして、陽の光はそっと本に落ちる。 たまに聞こえる車の通る音に意識が向いて、時計を確認する。 これを何回か繰り返してようやく腰をあげるーー 私のルーティン。私の一人時間。大事な時間。 なのに、最近これがうまくいってない。私は本を読むフリをしてバレないように、またちらっと花乃を見た。 そう。いつからか、これが付き纏ってくるから。 「……ねー、なーちゃん。ノブの話知ってる?」 「また急にどしたの?」 落ち着きなくパタパタさせていた足をぴたっと止めて、急に何かを思い出したかのように花乃は話し始めた。 「ノブだよ。ドアとかについてるあれ。」 「あー、うん。取っ手でしょ?」 「うん。道端とかに最近落ちてるらしくて、それを拾っちゃうと別の世界に連れて行かれるんだって! 戻ってこれないんだって!」 「何情報?」 なんだそれ。 なんて、そんなこと思いながら聞いてしまうのがまた悔しかったりする。 「えー、それは噂だけどさぁ、でもでも! 行方不明の人とか出てるらしいよ!」 ふーん。 「例えば?」 私の質問に花乃は「噂だから知らないよぉー、」と面倒くさそうに声を漏らした。 私はそんな返しがちょっと意外で思わず花乃の様子を本越しにちらっと、伺ってしまった。構って貰えれば嬉しいのが花乃なのに、そんな態度されると私としてもちょっと罪悪感を覚えちゃうじゃん。 今回は別に適当にあしらっていたつもりはないんだけどなぁ。 てか、結局︎︎ ︎︎ ︎︎"︎︎なんだそれ‪︎︎"︎︎じゃん。 「前は空から落ちてきたUFOの欠片の話してたのに、今度はノブなの?」 私はあまりにもなんか花乃が不憫に思えてしまったのと、もやっとした自分の罪悪感を消化する為に話を広げた。 「なーちゃん、UFOの欠片って笑 もう古いよぉー 今はノブ!」 おお、めっちゃ馬鹿にするじゃん。私だって別にしたくてした話じゃないわい。 「あー、そうですかい、そうですかい。……ほら、帰るよ」 なんだか、もう一人に没頭できなくて。私は仕方なく帰ることにした。 「おお、新記録!今日は早く帰らせれた!」 「花乃の成果じゃないー 帰る気になっただけー」 本が閉じられて。顔が上がって。立ち上がって。二人は歩いていく。 静かに扉が閉まり、声が遠のく。 教室には元に戻し忘れられた椅子と舞い込んだ葉だけが残った。 窓からは、夏にあてられた少女達の跡形をそっと守るように、絶えず穏やかな風が舞い込み続けている。 放課後の教室は誰もいなくなった。

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手向けと逃避行

目の前の視界は揺らいでいる。ぐにゃぐにゃと。安定しないまま進む廃トラックに、全てを呑んで濁った夜が置いていかれる。突如、ガタンッと車体が縦に大きく揺れると共に俺の吐き気は最高潮に達した。 「先輩、、限界っす。さーせん、、」 「……てめぇ、ばっかやろう! ふざけんな!」 おろおろと口元を抑える俺を見るや否や、稲田さんはすぐさま急ブレーキをかけてドアを押し開いた。外に出てすぐ、耐えていた胃の残留物がバタバタと地に落ちていった。 「……おえっ、、あーあ、俺の最後の晩餐がぁ……」 「ほら、飲めよ。……ったく、軟弱な奴だな」 鼻を腕で覆いながらも、そう俺に渡されたのはもう冷たくはない飲みかけの稲田水だった。 「……ぬるい、、まずい、」 「……お前まじで腹立つ奴だな。口もゆすいどけよ? 全く。」 胃のむかつきも収まってきた頃。車に揺られていた時にははっきり捉えられなかった外が、案外暗くはなかったことに俺は気づいた。加えて、真夏ではあるものの、街中から離れた田舎道の荒野は、風のおかげか案外暑さに伸されることもなく心地よかった。 「……星がきれいですねぇー 気温もまぁ、夏を感じるけど丁度いい。」 「上見上げてりゃな。下見りゃ汚ねぇモンが転がってんぞ 」 「先輩がもっと気をつけて運転してくれてればこんなんなってないっすよ、、」 皮肉にむっとした顔で自分を伺う俺を、稲田さんは横目にちらっと見たまま、ふぅっ。と小さく息を吐いた。 「……でも、まぁそうだな。今に似合わず、それこそ皮肉な程きれいだな。」 俺たちは、むさ苦しくも男二人で軽トラの荷台に座って星を見上げていた。互いに何を考えてるのかなんて分からない。ただ、どうにもならない現実から目を逸らすには何もが丁度いい夜だった。 「……酒が飲みてぇわ」 「あーあ、だめっすよー? 飲酒運転!」 「わぁってるよ てか、トラック盗んでる時点でもう犯罪だろうが」 「……どこまで行くんですか?」 ふと、口をついて出てしまった言葉に重たい沈黙が生まれた。空っぽでありながらも、十分なほどに満たされつつあった空気を俺は汚してしまったらしい。俺はやってしまった後悔と気まずさに空を仰いだまま稲田さんの顔は見れなかった。 「……なんだ? 怖くなったのか? ガソリン尽きるまでひたすら走ってくって話したろ?」 「……いや、なんかこのままほんとに死ぬのは勿体ない気がしてきて、」 そう言いながら、ちらっと目を向けた先の稲田さんの目は真っ直ぐに俺を捉えていた。 俺は瞬時に、もう戻れないのだろう。と、そう悟ってしまった。 そんなに強く物悲しそうな目で見ないで欲しい。近くにいるのに、遠く感じるこの人もきっと最善がこの行動ではないことを自覚しているんだろう。なのに、なのにもう戻れないのか。 「……お前、帰れば? てか、帰れよ」 「え、、っと、?」 思ってもいなかった言葉に俺は思考が止まった。 「帰るっていっても、どうやってですか、、? 車運転できないっすよ、俺」 「……しらね。」 「……てか、先輩も帰りませんか? 俺、やっぱり先輩にも生きててほし、」 パァン! ーー音が響いて脳が揺れた。俺は結構な平手打ちをされたらしい。ジンジンと広がる頬の麻痺は鈍い痛みを引き連れ、またしても犯してしまった自分の間違いを嘲笑うかのようだった。 「……痛いっすよ、先輩 」

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