夜音。
16 件の小説第1章 中央都市国家・アヌタ敗戦
ーー年 中央都市国家・小国アヌタ敗戦ーー 明朝、暁の陽の光が大地を照らしはじめた頃だった。 まだ朝露に湿る国境付近の草原をダカダカと重厚な音で馬と共に駆けていく一兵がいた。 力強く蹴り上げられていくその地面からは、氷雪が陽の光を反射して噴煙のように巻き上がる。 また、燃えるような陽が空と海の間から這い出るように顔を徐々に覗かせ始めれば、赤く染まる兵も馬も地も堺などないに等しかった。 何もない開けた地をただ一心不乱に前へと躍進していくその兵の姿は、さながら業火に身を包む罪人を彷彿とさせる。 まだ大地が眠りに包まれる中で、馬が躍動する度にうち鳴らされるカシャンカシャンという甲冑の硬い金属音だけが、一定の間隔を保ち途切れることなく朝の乾いた空気の中を掻っ切っていく。 ーーそんな、ひどく澄んだ静かな夜明けだった。 トンビだーー。 自分の走る数m先を先導するように低空飛行していたそれは、馬の風を背に感じてかまたゆっくりと飛翔しはじめた。 ピーヒョロロと高くたかく、また空へとあがっていくそいつを前にして俺の顔も自然と追うようにあがっていく。 「……夜明けか」 真っ赤に染まった空を仰いで、そんな掠れた独り言が口からぽつりと漏れ出した。 寒さに乾燥してピシピシと裂けた唇は、裂け目から顕になった肉が外気に触れると共に一層の寒さをこの身にもたらした。 ……昇り出している陽はこんなにも赤々としているのに今日は昼頃から雨が降るらしい。 リエヌはふとそんなことを思い出した。 そして春の寒空から顔を前に戻し、朝露に湿る手綱をぎゅっと握り直す。 雨だなんて、この空を見てる人がいたとして誰が信じるというのか。 ーーだが、きっと降るのだ。 アヌタ国の小隊長であるリエヌは確信していた。なぜならアヌタの情報力はピカイチだからだ。 小国とはいえ今では有能な者も多く集まっている。今回の天気もその方面で有能な彼らが雨だというのならいつも通り当たるに違いないのだ。 真冬のように冷え込む朝の空気を一身に鼻から大きく吸い込み、リエヌはふぅーっと一気にはきだした。 同じ姿勢で強ばった体が少しかほぐれたような気がしないでもない。 そしてすぐに、雪解け後の少し見え始めた草の青臭さや土臭さがリエヌの鼻腔をツンとさした。 これが馬で駆けることの醍醐味であると、リエヌはこの深呼吸をする度に思うのだ。 自然と一体になるようなこの感覚が俺は堪らなく好きだった。 ついでに小さいころ、神話の火を吹く龍に模して自分の白い息で遊んでいたことが脳裏を過ぎった。 淡いいつかの。 戯れのような記憶の切れ端に、誘われるかのようにリエヌはつかの間目を閉じた。 ありありと今でも思い出される暖かい記憶の断片に頬が少し綻びていく。 ーー再び開けば、まぶたの裏で見ていた色は全て飛び、一色単な世界が広がっているというのに。 改めて見開かれた彼の目は、この地を目に焼き付けなければならない使命を背負っているとでもいうようなものだった。 現実に向き合い直したその瞬間、リエヌの心は先程よりもずっと冷えこむのだった。 やがてもう何十分か走った先で、ようやく前方遠くの方にうっすらと街のようなものが現れはじめた。 もう少しだな。 ……もう少しで着いてしまう。 そう思うとリエヌはようやく立ち止まり改めて前方を見据えた。空高く登りきった陽にもう赤さはなく、いつも通りの穏やかな陽光がずっと遠くまで降り注いでいた。 長く連れ添った愛馬も立ち止まるとともに筋肉の緊張を解くように大きく一つ身震いをした。 「……いつもありがとな」 そんな馬の身を労わってやるかのように、リエヌは複雑な面持ちのまま霜焼けに赤切れた無骨な手で、愛馬のしっとりと湿った体を優しく撫でてやるのだった。 ーーアヌタは小国だった。 リジュア、ユース、ユルグ3大国にほぼ囲まれ、内実いつ侵略戦争が起きてもおかしくなかった。 じゃあ、なんでアヌタは今のいままで存命できていたのか。 それはこの3カ国のほぼ中央に位置していたからだ。囲む3ヶ国はアヌタに容易に手が出せなかったのだ。 アヌタを攻めようにも、他の2国が黙って見ているはずもないからな。 ずっと昔、アヌタは広い領土の唯一の国だった。 いや、国というよりかは部族の寄せ集めの集落といった方がいいのかもしれない。 寄せ集めが多けりゃ、意見の食い違いなんてのは日常茶飯事に起きる。そんでもって、意見が割れりゃ合致するもの同士がまた寄せ集めとなる。 集落内で統率が取れなくなった結果、それぞれが他方に分散していったのだ。アヌタよりも小さくまとまっていた分、発展も早かったらしい。 これが後の3カ国というわけだ。 この頃はまだ国力差など然程ないに等しかった。 が、中央にあるが故に国土を広げにくく、また人も慈悲なく出ていくもんだから、3カ国が領土を広げていく中でアヌタは小国に留まるほかなかったそうだ。 まぁ、しかし何も悪いことばかりではなかった。 おれは、愛国を前方遠くに捉えたまま水をぐいっと飲み込んだ。冷えた体に、キンキンに冷えきった水が染み渡り喉が痛い。 だが、ずっと休む間もなく駆け続けてきたこの身体は余程水に飢えていたらしい。肺が痛かろうと、喉が痛かろうと関係なく飲み干すまであっという間だった。 ーーそう、悪いことばかりではなかった。 俺は口元を袖で拭いながら、それこそこれ迄当たってきた天気予報含め、栄える愛国を思い出しながら深く思う。 3カ国の情報が全て集まる中継地ということでアヌタは小国ながらに栄えた。街は活気に溢れ、3カ国のみならず他国からも人が往来するし、アヌタに来れば漁業以外はなんでも揃うともっぱら誰もが思うほどにだ。 異国の文化や情報は常に街を飛び交い、これに関しては商業大国と言っても大げさではなかったはずだ。 まぁ、だからこそ牽制し合う周りの3ヶ国がこの小国を喉から手が出るほど欲しがったのは言うまでもない。 そして、ある意味では危険視していたこともな。 ーーとはいえ、こんな状態下なものだからそうやすやすと戦争なんて起きるはずもなかった。 これから先も三つ巴の牽制下で存続していくのだろうと誰もが思っていたはずだ。 ーーそう、存続するはずだった。 俺だってそう思っていたさ。 愚かにもアヌタが権力に目が眩むまではなーー
「幸せ」と俺
「はい、お疲れ様でしたぁ〜 いやぁ、今回も大助かり 原稿もありがとねー」 「浅野さん、最近調子いいですね! なにかいいことでもあったんですか? は! 彼氏とか……!?」 ラジオの原稿をまとめて回収し、そうそうに片し始める調子いい中年ディレクター。 そして最近よくくっついてくる後輩。 いつもと変わらないのに、肩が軽い 「やめてよ笑 彼氏なんかじゃないのよ ただ、ちょっと幸せなだけよ」 私の発言にいつもの愛嬌を忘れて訝しげな表情をみせる彼女を無視し、私は颯爽と帰る支度を始めた。 「ちょっとぉ、幸せってなんですかぁ? みゆも知りたいです〜!」 ガサガサと紙を束ねたり、なんだり色んな音を響かせる彼女を置いて、私はドア前まで歩いていく。 そして、彼女を待ちつつリップでも塗り直そうかとスマホを鏡替わりにしたときだった。 わたわたと準備をするみゆへ、(男か聞いてこい)と手で合図を送るディレクターの多田が反射で映りこんできた。 ……あー、ほんと気持ち悪いわね。 自分の眉間に皺が寄るのがすぐにわかった。 「男じゃないので。」 すぐに私がはっきりと冷たく言い放った言葉で、ピシッと気が張り詰めたのがよくわかった。 3人しかいない空間でも、空気が凍るというのは体感できるものなのね。 揃いもそろって気まずそうな顔しちゃってまぁ。わたしが悪者みたいじゃない。 わるいけど、黙ってるいつもの私はもうやめたのよ。 「あー、はは そうか笑 浅野さんは「ちょうどいい」もんな笑」 なんだそれ。 同じ空間にいるのも嫌すぎて私は直ぐに部屋の外へ出た。 あのゲバ狸、そうゆうとこがおっさんなのよ。 人が強く出ればにへらにへら腰低くするくせに、弱いものには強く出んだから。ぜーんぶセクハラだっての。 「……あー、きっしょ!」 私はんーーっと大きく伸びをしながら、息を吐き出す過程で呟いた。そのせいで思いのほか声が大きくなってしまい、もしかしたら聞こえてるかもしれないと思いつつも実際そんなのどうだっていいなとすぐに思う。 なんなら聞こえていてほしいまであるもの。 「……ふぅ。」 そして、少しかすっきりした頭で私は軽く思い出してみる。 ここ1ヶ月前くらい前に買った「幸せ」を。 あの時はしんどくて、生きてる気すらしなかったのに。 「……そうね、ふふっ 不思議なかわいいこだったわね 」 あの子元気にしてるかしら。 *** 情報定期者:とあるAさん 「えぇ、ほんっとに孫のようにかわいらしい子でしたのよ」 ーー? 「そうよ、幸せをくれるのよ いまも、ほら。まだ心がぽかぽかよ」 ーーきっかけは? 「……きっかけねぇ、それは連れ添ったじい様が亡くなったのがきっかけね とにかくあの時は悲しくてかなしくて、、 え?なんです?」 「どんな子ですか、そうねぇー、 ひまわりのように笑顔が素敵な子よ ひまわりちゃんって呼んでるわ、名前は歳なもので思い出せないのよ笑」 ーーそうですか、ありがとうございました 情報提供者: 公園の子供たち 男児3人、女児1人 「お姉ちゃんはヒーローなんだ!」 ーーなんでヒーローなの? 「だって、魔法がつかえるんだ! それにお姉ちゃんが自分でヒーローだって言ってた」 「違うだろ! お姉ちゃんの隣の人がお姉ちゃんのことヒーローだって言ってた!」 「……それも違うだろ! お兄ちゃんがヒーローなんだよ! 女の子のヒーローはいないだろ!」 「プリキュアがいるでしょ!! お姉ちゃんはプリキュアなの!」 ーーありがとう、もう大丈夫かな…… やんややんや喧嘩が始まりだしたもんだから、俺はそっと離れて木陰のベンチへと避難した。 街角スクープなんて言うけど、もうネタねぇだろこれ…… 俺なりに仕事に向き合おうと何件か聞いて回って取れた証言はこれポッキリ。 安野さんも勘弁してほしいもんだよ、この際見る人もいないんだから打ち切りでいいだろうに。いつになったら俺のやりたい企画やらしてくれんのか。 もしーー、大手に受かっていたら今頃……なんて想像しかけてすぐにこんなの気が滅入るだけの時間消費だと気づいて、俺は目を閉じてベンチの背に首ごと凭れた。 五感のうちの一つを塞ぐと、他が冴えるってのはあながち間違いでもねぇなぁ。 ぎゃーだか、わぁーだか騒ぐ子どもの声、公園の目の前の音響式信号機の音。いつもよりか鮮明に聞こえるわ。 まぁ、そんな悠長に浸ってもいられず。 瞼の上からでも容赦のなく刺す日の暑さに、眉を寄せながら俺はそっと目を開いた。 真っ青な空。 見事なまでの快晴だった。 「……アホらし。」 なんか心底全てどうでもよくなって、そんな独り言が口から漏れ出していた。 そんで、俺に応えるかのように空には一本の白線が頭上を通って引かれていった。 てか、 幸せを与える少女ってなんだよ。 そんなんほんとにいたらSFもんじゃねぇか。 最近の人はアニメやら漫画やらに影響されすぎなんかね? いや、だからこんなんがハマんのか、? 俺はふぅーっと息を吐きながら、椅子に深く座り直し、胸元のメモを取り出した。 収集してきたインタビューメモは、改めて見直してもよくわかんなかった。ばぁちゃんのは多分人恋しさから来るさみしさで、人に会えたのを幸せだと思ってるパターンだな その前の中年男性は、、ありゃ危ねぇ奴だろ? 子供たちは……夢見がちなあるあるだな その前の前は…… そこまで考察して俺はメモを閉じた。 これみんなまじで信じてんのか? 考察することすらも馬鹿ばかしく思えてきたとき、ふいにピロピロとポケットのスマホが鳴りだした。画面に表示されている「安野」の文字に一瞬出るのを躊躇ってから、俺はいっそここで打ち切って貰おうとテンション低めに出てやった。 「あんのさぁん、、ちょ〜っときびしいですね。……いや、ほんとっすよ、」 「ーー、?」 「……ちゃんとやりましたって、俺この暑い中聞いて回ってほら……16、いや17、20件です! 20!」 俺の声のトーンに対して落胆の表情が読み取れる安野さんに、押し切れそうなものを肌で感じ、そのまま多少盛りつつ追い討ちをかけてアピールを続けた。 「やましたぁ、このせめぇ片田舎で、20も証言あがってんならやりきるっきゃないだろ」 なんでそうなるんだよ。 「残念だったな笑 終わらせようったってそうはさせねぇからな」 なんだこいつ。 次第に腹がたってきて、切ってやろうかと思った時だった。 「……まぁ、これが終わればお前のキャリア考えてぇ……ものによっちゃ1個企画通してやるよ」 「……まじすか! ちょ、がんばります!」 この先まだまだ聞くはずないと思っていた、企画通しの言葉に俺は背筋を伸ばした。 恥じるな俺。これが社会だ、巻かれていこう。 やる気に満ち溢れ出した俺の視界の端に、早速話しかけやすそうなくたびれた少年が映った。 「とにかくやるんで! この件誰にも渡さないで下さいね!」 俺は念だけ押して、足早に電話を切りあげた。
信号灯
朝、 電線にカラスが一羽いた。 目の前の信号は、 赤だから進めない。 渡ってはいけないことを認識しているから。 私は頭上のカラスを見あげてから、当たり前に引き返した。 昼、 電線にカラスが二羽いた。 目の前の信号は、 黄だから進めない。 危ないことを認識しているから。 私はただ高く鳴く、カラスの五月蝿い声に 耳を塞ぎ、下を向いて引き返した。 自分の白いスニーカーが少し汚れていることに気がついた。 夜、 電線にカラスが三羽いた。 目の前の信号は、 青だから進めない。 もしもの危険を知っているから。 バサバサと羽を仰ぐカラス達。 私は漆黒が反射する光を、その羽を、 ただ呆けるように見ていた。 ついにカラスは対岸の信号灯へと飛んでいき、羽は艶やかに散らばった。 抜け落ちた残骸を気にも止めず。 振り返ることもなく。 私は何気に足元の羽を一つ拾ってみる。 その瞬間、黒い質量にこっくりと包みこまれていく気がした。 夜の足元は暗く、白いスニーカーは黒く見えた。 今も、前も、その前も。 前の前も、前の前の前も。 信号は繰り返し、渡るチャンスは平等にあるのに。 私は一人渡れないまま。 私は私が、渡れることを信じてはいない。 私は私が、渡れないことを望んではいない。 いっそのこと誰か信号を壊してくれればいいのにと思う。 いっそのこと誰か、の「誰か」が 自分であってくれればいいのにと思う。 だから私は。 一つ羽を手にして、夜明けと共に散らばる羽の上を踏み歩いた。 横断歩道の真ん中にその羽を一つ落として。 地を踏む感覚を確かに、渡りきった。 クラクションの音に胸を踊らせる外で、車は渋滞となった。 私を、みんなが捉えていた。
生
朝の陽かりに包まれて。 躍動する命の音を聞く。 地が震え、天は高く。 押し寄せる幾多の生に触れて、私の生が目を覚ます。 あなたの手の温もりが。 あなたの命の温もりが。 こんなにも近く、何処か遠く。 「私は一つ」と認識させる。 私から切り離された後悔一つに、 取り留めのない感情が、バラバラとこぼれ落ちていくもので。 拾ってくれと、 私は必死に声を上げた。
思春期
ふと、もう死ぬんだなと思った。 訳もなく。 虫に喰われて空いてしまった穴のように。 小さく、ぽつりと。 そんな事を一度でも考えてしまえば、あとは早いもんで、解れがどんどんと拡がっていった。 私が解けていく。 私は窓を開け、宙をみながら夜に身を溶かしていた。 日常に抱かれる当たり前。 そんな当たり前の、一日一日が孕む熱の中のただの一人。 私はもう終わるらしい。 気がした。 最近どうも感覚が曖昧で、生きている気がしなかった。ぐるぐると回るだけの拙い感情と、形容しがたい嫌悪感。 全ては終わりへ歩んでいたからなのだと、納得した。 断頭台へ登る罪人が一部晴れやかな顔をしてるのは、し絡みからの解放を望んでいたからなのだろう。 死ぬというのに、私が幾分か涼しい気でいるのは。 夜の窓から吹き込む風が体を通り抜けていくからか。 解けていった私がもう密度を有していないからか。 もう繋ぎようがないというのに。 何故にこんなに穏やかなのか。 ……何故にこんなに空っぽなのか。 答えを求めて、見つめていた宙は新しい一日を迎えようとしていた。懸命に這い出ようと、天と地の境から漏れだし、生まれる光に目を細め私は悟った。 ついに私が死んだらしい。 訳も分からないまま、涙が頬を伝った。 嬉しい訳でも、悲しい訳でもないのに。 ただ、事実として死んでしまった私への手向けのように。 涙がとめどなく溢れた。 私は今日、18になった。
終電
なんでみんな同じじゃないんでしょうね。 不平等で、不公平ですよ。 私は一人、際限のない空間の中で茶色く褪せた小さな椅子に座って話をしていた。 目の前には、人一人を隠す分だけの白いカーテンが降り、地面に触れて少し余っている。空間が仕切られたその先には、ぼやけて丸く広がる影だけの存在があった。 暗くも暖かみを感じるような、黄ぐすみした白く広い空間。そんな中で異様に浮き立つ、カーテン、椅子、私、影の何か。 それはまるで、懺悔室のようだった。 私なんて特段秀でたものもなければ、人と違う点で悩み、苦労しましたもん。 人間、苦労するようにできてるのか何なのか。いい所なんてないと思えて、悪い所ばかりに目がいくんです。 え、全員ではない? ご冗談を笑 うーん、確かに私だけなのかもしれないですね。 それは極端? まぁ、何でもいいですよ。 兎にも角にも、 ?? ……ええ、まぁ、そりゃあ羨むこともありましたよ。 羨んで、妬んで、欲しがって。 その度に自分が醜い気がして嫌になって。 それの繰り返しですよ笑 みんな、見た目が良いもの、なりたいものに分かりやすく貪欲でしょう? あの人になれたら、あの顔だったら。 あれをしてたら、こうだったら。 全く、どこまでも後悔なんて尽きないもので。 足りないところにばっかり目が、 ええ、ええ。 今? 今はほら、それこそ落ち着いたもんですよ笑 でも、見えてるもの、思考、言動全てが。 人間みんな同じだなんてつまらないというのも、ようやっと分かってきました。 ここまできてですよ? 笑っちゃいますよね笑 自分は自分でいいのだと。 ここまできて、ようやく分かってきたんです。 幸せの形も、何もかも。 きっと人それぞれ違って、でも確かに一人一人に存在しているんじゃないかな、なんて。 もしかして私、くさいこと言ってます? すみません、いい年なもので笑 続けますけど、小さな幸せを見落とさないで、拾って。自分の中に、形として確かに留めおける人が、本当の意味で幸せな人なんじゃないかなぁとか。 思いますよ。 ええ。 え? 本心かって? ちょっとやめてくださいよ笑 ここまで話しておいて、嘘なら私恥ずかしい人じゃないですか。 まぁ、ただ一つ。 運だけはなんとかして欲しいですけどね。 仕方がないもの? 分かってますよ。それを知ってるからこその願望じゃないですか。 小さな幸せ、転機や好機も。 どれだけこちらに分かりやすく、気づきやすく現れてくれるかなんて運次第。 生まれや育ちも。巡り会う人も。取り巻く環境も。顔も。 こちらの努力でどうにもならない事なんてほんとに沢山。 わかります? ほんとに沢山あるんですから。 え? ああ、すみません少し力が入ってしまいました。 別に怒ってはないですよ。 ……まぁ、ええ、そりゃ少しはですよ? でもどちらかというと、怒りというよりも虚しさの吐露ですかね。 ああ、えっとなんでしたっけ。 そう、とにかくこれから先の半分はそれこそ後悔のないように。 やらずに終わっていたこと、逃げていたことの一つや二つに目を向けてみましょうかね笑 嘘、もう時間ですか。早いですね。 確かに結構お話させて頂いたかもしれません笑 行き方? 分かりますよ笑 終電なんて一つしかないのだから。 ……これからは下っていくのですね。 お話ありがとうごさいました。次お会いするのは終点ですか。 なるべく安全運転で、ゆっくり行って欲しいものです笑 ええ、はい。 それでは。 白いうつつに抱かれて。朝日から生まれ落ちるように、私はそっと目を覚ました。
最強の剣と盾
「ねぇ、パル。こいつ全然食べないよ?」 「ああ、こら! 殻ごとあげたらダメだって言っただろ?」 ぐいぐいとククの口元にユスの実を押し付ける俺の様子を見たパルは、慌ててすぐさまその手元から実を取り上げた。 そして、呆れたように「いいか、見てろよ?」と俺に言ったまま、実をコンコンと調理台に打ち付けて殻を割ると中身を取り出した。 「ちっせぇー、こんなんじゃククはお腹いっぱいにならないって」 俺も知っていたけど、直径3センチ程のそこまで固くないクルミのような茶色い殻の中から出てきたのは、向日葵の種程度の直径1センチにも満たない、乳白色につやっとした薄い実だった。 「だから、いっぱい取ってきたんじゃないか。」 あれを見ろ、と言わんばりにくいっとパルに顔で示されたすぐ先には、先程二人で取ってきたユスの実が編みかごいっぱいに入っていた。 「これ全部、割るのかよー、、 そこまで固くないし、このままの方が腹持ちいいだろ? ククだって早く大人になりたいはずだぜー?」 俺は割り続ける労力に見合わない、パルの手元の小さい中身を再度見てから、肩をなだしてボヤいた。 「クカァルカ龍の子供にとっては、ユスの実の殻は消化不良を起こさせる毒みたいなもんなんだよ。こいつはそれを分かってる。賢いやつだな!」 文句を垂れながらボヤく俺に当てつけるかのようにパルはそう言うと、割ったまま手に持つユスの実を、調理台の上にちょこんと座るククへと食べさせた。 ククもすんなりうれしそうに食べちゃって、なんか面白くない。 そんな俺を見かねたのか、パルは「あとはお前が割れ」と、ユスの実をかごから俺へとぽんぽんといくつか投げて寄越してきた。 そしてしまいには、よっこらせとカゴを俺のすぐ横に移動させてきた。 ククを横目に、龍のくせに消化不良とはこいつめ、、と思いながらも、割られては出てくる実に手を伸ばし、むいむいと食べる姿はかわいいもんだ。悔しいけど、なんだかんだ俺もせかせかと実を割って与えてしまう。 こいつからすりゃ俺たちの飴玉サイズだろうに、なんでそんな喜べるんだ? 俺の疑問なんて露知らず、薄いティールカラーで兎サイズの生物は、龍という名に相応しくない程無邪気に実を食んでいた。 「……にしても、また寒くなってきたなぁ。 このままじゃ僕達も大人になれるか心配になるね」 まじまじとククの食事を見ていると、ふとパルがククの頭を撫でながら釜戸横、上につく窓の外を見てそう呟いた。 「……大丈夫だろ! なんだかんだ俺達は生きてこれてる! 去年だって、同じこと言ってたぜ?」 俺はいつものパルの心配性が始まったと思い、「気にすんな」という景気づけも込めて強めにぐしゃぐしゃと拳で叩いて殻を割った。 「去年はね。まだ少ないとはいえ配給があったからね。」 「……けど今年は違う。」 ククを撫でる手を止め、パルは額に少ししわを寄せた。そして徐に窓へと近づいて行くと、そのまま窓を開けて遠くを見通した。 「……僕たちの国は、アヌタは負けた。もうここはリジュアなんだよ。その意味がわからないか?」 「……国が違っても俺たちは変わらないだろ?」 俺は殻を割る勢いを更に強めた。 問われている意味が分からなかったーー、フリをした。 俺だって分かってる。パルが何を心配してるのかも。不安はあるにはある。 確かに今年は体制が変わるかもしれない。僅かばかりだった配給すら確かにないかもしれない。 けど、元々何もない俺たちにとって、大人一人分にも満たない「僅かな施し」なんてあってもなくても誤差だろ? アヌタは確かにリジュアに降伏する形で敗戦した。犠牲が出たのはほんとに虚しいけど、国家間の大きさが違いすぎて一年にも満たない比較的短い戦いだった。お陰でそこまでの被害も出てないはずだ。 加えて別に、何か特別重たいものを課された訳でもない。お互いの合意の上で降伏したはずだ。 なんなら支援だって…… 「勝った国が、負けた小国に施しなんてしない。」 俺の思考を遮るかのようにそう言いながら、パルはこちらへと振り返った。その眉はしわがより、強くも悲しそうな目をしていた。 突如として、飄々と細く流れていた秋風が、強い風となって窓から吹き込み、パルの顎先までの長い髪の毛を散らしてはその表情を攫っていった。 「……今、アヌタの街中に住む下位民達は下女や売奴として悲惨な目に遭ってるらしい。」 「……?」 「……もっと酷いのは、同じ下位民でも戦力になりそうな男は徴兵されて労役、使えなくなると戦前の投げゴマ扱いらしいよ。」 俺はパルの口から悔しそうに、静かに語られる予想だにしていなかった情報に、頭が追いつかなかった。 窓枠にもたれ、体の支えとして置かれたパルの手先には見てわかりやすく力が入っていた。 ふるふると小刻みに震えるその指先が事実の裏付けのようで、俺は更に震撼した。 「……何言ってんだ、うそだろ、? だって、属国になっても暮らしは変わらないって言ってたじゃないか。なんなら、生活も大国として支援するって……」 俺の言葉にパルは静かに首を振った。 それが信じていた現実全てを否定するものだと知り、俺は自身の中でふつふつと湧き上がる熱を感じ始めた。 「……いいか? 僕たちはアヌタの中でも片田舎、なんなら住んでるのはほぼ森の中の小屋だ。すぐにはここまでリジュアの手はこないだろう。」 「でもこれから先何が起こるかなんて分からない。親もいないし、守ってくれる人もいない。 ……たった12の子供に何が出来る?」 「……」 「……ふぅ、とまぁ、今年がやばいかもねってのはこうゆうこと。」 淡々と現状を語っていたパルは、何も答えられない俺を見て緊張を緩めた。そしていつものように柔らかく笑いながら、近づいてきた。 「ごめんね、こんな話。結局、ここにいる僕たちには事実かも分からない。さぁ、……ククのご飯をもうちょいと、今度は僕たちのご飯を取りに行こう」 「……笑えないだろ。」 「……アジル?」 「……俺は、、悔しい!! こんなのおかしいだろ!」 両拳を骨が折れるのではないか? という程に強く握りしめ、俺は下を向き強く叫んだ。 顔を上げ、目を向けた先のパルは目を少し開き驚いていた。 なんの為の降伏なんだ? なんの為の戦いだったんだ? なんの為の犠牲なんだ? なんの為の制約で、 なんの為の、、 「弱いからだよ。」 パルの真っ直ぐこちらを捉える無感情な目とその一言に、俺に重たく伸し掛ってくる鎖のような思考がパンッと強く砕け解けた。 「……弱いからだよ。残酷だけどこれが全てさ。『弱い』のに挑んだのがいけないんだよ。」 「……そんなの、弱かったら何もしちゃいけないのかよ!されるがままでいいってことかよ!」 俺は淡々と語るパルに次第に腹が立ってきていた。こいつは自分の国が置かれている現状になんとも思っていないのか? 自身の国の都合に巻き込まれた人達が苦しんでるのに……こいつは、 「違う。 そもそも、財力面でも潤っている魔力大国リジュアになぜ刃向かった? 小国アヌタには秀でた魔力も、財力もない。 貧困国ではないが、対等に戦える要素を持ち合わせていない。」 「……だから?」 「小国が、自分を守る盾や戦う武器もないままに大国に勝てるはずがないだろう? 自分の立ち位置、大きさを自覚していない。認めない。その愚かさが『弱さ』なんだよ。」 「……??」 「……はぁ、アジルにはわからないか。 えーっと、盾は頭脳とかで武器は武力というか、、つまり、んー……」 パルは言葉に詰まると、困ったようにポリポリと後ろ頭をかいた。そして、まだこの話を続けるのか? というような顔でこちらを見た。 「……つまり、弱いままでいるのがだめだってことか??」 俺の言葉にパルはうーん、と少し考えてから「まぁ、そうだね。」と答えた。 「……じゃあ、俺たちは強くなろう。」 「……えっと、?」 俺の言葉にどうゆうことでそうなるのか分からない、といった顔でパルは分かりやすく困った顔をした。 「……弱いままでやられちまうなら、強くなればいい。俺がお前にとっての最強の「剣」になるから、お前が俺にとっての最強の「盾」になってくれないか?」 俺の真面目なトーンにパルは驚いた顔をした後で、ぷッと吹き出しははは! と笑い出した。 「……! なんだよ! 国がやられてんのは腹立つけど、それに巻き込まれないように、まずは俺たちが明日をちゃんと生きてけるように、! それが大事だろ! なんか変なこと言ったか!?」 「……いやいや、笑 あまりにもアジルが普段に似つかず真面目な顔して言うから笑」 パルは一頻りに笑った後で目尻の涙を少し拭ってから、また優しくククを撫で始めた。 「……僕はね、正直国自体はどうでもいいんだ。ただ、巻き込まれる下の人達に関してはやり場のない怒りを覚えるけどね。 それでも、……僕は、僕たちが安全なら、幸せならそれでいい。それ以外はどうでもいい。」 「……だから、そうだね。強くなろう。 お互いを守れるように。僕がアジルの少しばかり足りない頭を補う盾になるよ。」 「足りないは余計だろ!? 俺だって、お前のなまっ白い貧弱な身体を仕方なく守る、最強の武器になってやるよ! 感謝しろよな!」 そんな俺の威勢を宥めるかのように、パルははいはい、と適当にあしらうと、ククに「ほったらかしてごめんね」と実をひとつ砕いて食べさせた。 そして、何気に目を向けた窓の先を見てすぐに焦り始めた。 「やばいよ、日が暮れ始めてる! ほら、早くご飯見つけなきゃ! 強くなる前に野垂れ死ぬよ!」 「おお! そうだな! ククも最強の龍になる為に一緒に行くぞ!」 「きゅぅ!!」 落ち始めた陽は、赤く燃えるようで。窓から差しては、外へ飛び出していくまだ幼い二人の影を色濃くそこに時間と共に刻むかのようだった。
「いつか」の夏で。
朝。 敷布団から上体を起こして。 寝ぼけ眼で、頭も冴えきらない俺の目の前に、獅子舞サイズくらいの赤べこがいた。俺とそいつは今見つめ合っている状態だ。 背にある開け放たれた窓からは真夏の生ぬるい風が軽く吹き込み、窓枠にぶら下げられた小学生の頃の俺お手製の、不格好な風鈴をチリン。と一つ鳴らした。 六畳くらいの和室。よく歩くとこだけ傷んだ、けもの道ばりの褪せた畳。プリントが散乱し、シールだらけの汚ったない小学生からの勉強机。ばぁちゃんの部屋だった時からある褪せた焦げ茶のタンス、棚。 こいつの他に異変はないかと部屋を見回してみたが、何も変わらない。 当たり前に俺の部屋だった。 部屋の日当たりはあまり良くはないもんで、俺と赤べこには陽の光で線引きができていた。 「お前、ちょっとしたホラーじゃん……」 改めて向き直り、まじまじと見たそいつは顔や体の一部に影が落ち、ちょっとしたホラーもんみたいになっていた。 俺でも分かるお高そうな赤い漆塗りに、金の模様。 俺には分かる。さてはお前、高いだろ。 そんな俺の予測にそうです。と言うように、窓から差し込む陽を反射した埃が、演出ばりにぬんとしたそいつの巨体と輪郭を浮き出していた。 まぁ不思議と怖くはないんだよなぁ、デカいから威圧感はあるけど。 俺はポリポリと頭とお腹を同時に掻きながらそんなことを思っていた。 顔がなんとも間抜けだからか? うーん、と状況を考える俺に、そいつは一歩踏み出すとゆっくりと近づいてきた。 なんだ? 俺の陣地ともいえる線引きのこちら側。つまりは光ある俺の布団へとそいつは一歩、また一歩と踏み入れてきた。 こうして陽の下に晒されると、いまいち現実味を帯びなかったこいつの鮮やかな赤さや形に急に物体としての質量が与えられ、威圧感で殴られるような気がした。 こんな異様な奴が近づいてきて全くの平常心でいられる訳もなく。 だとしてもそれを悟られてはいけない気がして、俺は徐々にじりじりと体を仰け反らせることでバレないよう距離を取ろうと測った。 徐々に互いの距離が近づきながらも、見つめ合う妙な空気感の中、そいつは徐ろに俺の顔に首を近づけてきては口を開け、 ん?口、、? ……赤べこに口なんてあったか?、? いや、そんなことはどうでもいい、! 俺は目の前に迫るぽっかりとした暗闇に、必死に逃げようとしたが下半身が動かないことに気づいた。 やばい。 「待てまてまて、!!」 く、、食われ!! ……食われた。 それこそほんとに獅子舞みたいに。背を仰け反らせ、両手で赤べこの顔を抑えるだけの抵抗虚しく、俺は頭だけがっぽしと得体の知れない赤べこに食われていた。 俺は赤べこに吐き出させようと、力づくで口をこじ開けようとはしたものの無理なのが分かってすぐにやめた。 状況を受けいれ始めて意識を向けた口の中は、まぁ、暗くて。少し、湿気たような、埃っぽい匂いがした。 音もなく、ただ静か。 なんか分からないけど、無限ってこうゆうことなのかな、とか思った。 ……不本意にも案外嫌いじゃなかった。なんなら、ずっとこのままでもいいような。そんな居心地の良さまで感じていた。 何処か遠く、懐かしい。そんなーー 「ーーーいつかでまってるからーー。」 「え……?」 突如として聞き覚えのある、懐かしい少女の声が頭に響いた。 誰だ、、? 何処からとも知れないその声に触発され、俺の頭は何がなんでも思い出せと言わんばかりに、反射的に動き出していた。 心臓はバクバクと脈を打ち、急に回る血液に身体中が沸騰しそうな程に熱を帯び出した。 俺はその声を知っている気がした。いや、絶対に知っている、! さっき迄の静かさはもはや無く、俺は焦燥に駆られながら、必死に思い出そうともがいていた。ぐるぐると寝起きの頭が冴えていく中で、俺は視界が次第に明るくなっていくことに気づいた。 それと同時に、どうやら赤べこが銜えていた俺の頭から口を離し始めたのだと悟った。 ダメだ!……お前なんだろ?お前があの声の、 「……だめだ、! 待てよ! 待ってくれ!!」 俺は必死に手を伸ばしたが、もう赤べこは俺から数歩下がり、消えかかっていた。 逃してはいけないのに、分かっているのに!! 俺の体はその場から動くことができなかった。俺は唯一動かせる上体だけを前のめりにして、物を欲しがる赤子のように必死に手を伸ばした。 「……消えるなッ!」 ーーガバッと勢いで起こした体の痛みを引き連れて、俺は汗だくになりながら目を覚ました。 「……っはぁ、、」 最悪な目覚めすぎる。悪夢じゃないけど、いや、悪夢か??俺は痛む腰を擦りながら、呆然と先程まで赤べこがいた場所を見つめていた。 すぐに俺が起きるよりも遅れて鳴り出すスマホのアラームに現実へと引き戻され、止めながら俺はまた夢を思い返していた。 妙にリアルだったあの出来事に、俺は漫画のように現実に何か干渉とかないものかと、 誰にバレる訳でもないがそわそわとちょっと恥ずかしさ混じりに期待を込めて、改めて部屋を見回してみた。 が、もちろん変わった所なんてある筈もなく。 結果、ただの夢なんだと思い知った。 ……ああ、赤べこはいた。小さいただの置き物の赤べこが、色褪せた焦げ茶の本棚の上に。 それだけ。 ……それだけなんだよなぁ。 俺は納得いかないままに、真夏の暑さと夢にやられて汗に濡れた後ろ髪を確認すると、そのまま熱を散らすように頭をわしゃわしゃとかいた。 そんな俺の後ろでチリン。と、風鈴が小さく一つ鳴った。何気に意識が向いた窓の外ではブーんと車が通り過ぎる音が聞こえ、キシキシとチャリをこいでいくチェーンの音が流れて行った。 分かりやすく当たり前に。 時間は全てを抱いて走っていく。 ふと、そう思った。 なのに今の俺はその時間についていけない。まるで俺だけがそこから誤って落とされてしまったかのように。そして、その先で虚無に抱き止められたらしい俺は、頭が働かなかった。 程なくして、ドタドタと階段を上る足音が部屋に近づいてきた。 パァンッ!! 「おにぃ!おきぃ!!」 俺の部屋の襖を勢いよく開けたそいつは、俺を捉えるや否や徐々に目を丸くしていった。 「……なんで起きてるん? きもいわぁ、、」 「……お前、絶対俺と血繋がってないと思うわ。」 丸くした目を萎めて、ついには顔を引き攣らせる妹を見て、俺は一気に現実に引き戻された。 「……まぁ、ええわ。ご飯できてるで、食べな」 美咲はそう言うと、短いツインテールを跳ねさせながら、またドタドタと階段を降りていった。 「おかぁ、! あいつ今日起きてた、きもいわぁ!」 「ほーん、めずらしいねぇ。あんたお兄ちゃんにきもいとか言わないの!」 カチャカチャと皿が並べられていく音に混じって、そんな会話が下から聞こえてくるもんで、俺は下に降りるのが嫌んなった。 起きてるだけできもいって、俺は嫌われもんの父親かよ。 ……まぁ、うちは父親いないしな。中二、思春期のあいつにとって俺は唯一な男な訳で、気に食わんのかな? なんて。 俺は姿見の前で制服のシャツに袖を通しながら、自分を納得させようと頑張ったが、無理なもんは無理だった。 思いのほか力が入りすぎたネクタイに首を絞められて咳き込み、結局、苛立ちなんてどうでもよくなり考えるのをやめた。 *** 「ーーおーい、あーじきっ! 安食!!」 「……おー、なんだよ?」 机に頬杖をついて、今朝の夢の声を思い出していた俺は、須藤のでっかい呼び掛けで昼休みの教室へと意識を戻された。 「おい、なんでそんな不機嫌そうなんだよ? ぼーっとしてるし。」 そりゃ、そうだろ。ただでさえ、もう思い出しずらくなってきてるのに。あの声だけが人物特定の頼りなのに。ずっと考えていないと、忘れてしまいそうで不安になんだよ。 とは流石に言えない。 「別に?」 「別にっていう割には、鬱陶しそうな顔してるの気づいてないのな。なんだ? また妹か?」 俺は絡んでくる須藤を鬱陶しそうにちらっと横目に見上げては、また夢を思い出していた。 「……なぁ、「いつか」っていつだ?」 ふと、自分の中で生まれた小さな疑問が声となって漏れ出た。 「んあ? 5日? 来月の事か?火曜じゃね?」 「5日は水曜だよ、須藤くん。」 安食もやっほーと話に入ってきたのは、黒髪清楚美人とかうたわれている花崎ゆめだった。 そんなゆめは大量のノートを抱えており、俺の机へとドンと置いた。 「え、なにこれ?」 「君たちに私の仕事を手伝わせてあげようと思って。」 ぽかんとする俺たちを他所にゆめはにこにこと笑っていた。 「……お前さぁ、また押し付けられたのかよ?」 「ちーがうよ、今回はちゃんと先生から頼まれた」 須藤の呆れながらも心配する声を受けて、ゆめはムッとした顔を見せた。 「……ねぇ、見て。まーた、ゆめが男子引っ掛けてる。しかも、須藤くんだよ笑 自分に自信ありすぎ」 「……男子もほんと気づかないよねぇー、須藤くんは流石に本性気づいてそうだけど」 わざとなのか、なんなのか。抑えるにも、伝えるにも中途半端な声量でゆめを揶揄する女子二人。幼なじみを悪く言われるのは流石に腹が立った。 「いいのかよ? 言われたまんまで」 「いいよ? 私すでに友達いないし。直接何かされる訳でもないし。無敵なり」 「……お前かわいそうなやつだな、、」 俺の問いにそう答えながら小さくピースするゆめはふふん、と強気に笑みを浮かべていた。 「んで? 5日どっか行くの?」 「ああ、いやそうゆう訳ではなく」 ゆめの何かを期待した目には申し訳ないが、夢へと思考を戻された俺は、隠すのもめんどいので二人に今朝見たその内容を伝えた。 「くはっ、お前、かわいいやつだな笑 夢でそんな考えてんのかよ笑」 「……うるさいな、ほんとは言いたくなかったよ」 須藤の馬鹿にしたような吹き出し笑いに、俺の自尊心はひびが入るよりも苛立ちで燃えた。 「まぁまぁ、でも「いつか」かぁ。 いつかって日付の「5日」なのか、不確定な事を示す「何時か」なのかわからんねぇ」 「……不確定な事の方だとしても、何時かで待ってるなんて日本語めちゃくちゃじゃね?」 そうなんだよなぁ。5日だとしても、何時かだとしてもどっちも日本語としてあまりすっきりしない。 たまに鋭いんだよなと思いながら須藤を見ると、こいつは俺の視線に「なんだ?」という顔で耳をほじりだした。 俺は心底こいつがモテる意味が分からなかった。 「まぁ、あんまり考えなさんな安食くんよ たかが夢だよ」 そうゆめが俺の肩をぽんと叩いた。 たかが夢。ほんと結局それに尽きる。ゆめの核心ついた現実的な言葉に俺もそれ以上何も言わなかったし、須藤ももう話に飽きてた。 俺が知りたいのは、内容の意味よりも「声」の方だなんて。適当に話が流れそうな今、夢の話をわざわざ広げようとは思えず、二人には言わなかった。 程なくして、昼休みを終わらせるチャイムが鳴った。 「げー、、次鬼塚だよー、席戻りたくねぇー、」 「戻るもなにも、お前の席は俺の前だろ。」 呆れる俺を他所に、須藤は窓の落下防止の手すりに背をもたれながら、数学にブーブー文句を言っていた。 「おい、須藤! 須藤隼人!! お前、なぁんでまだ立ってんだ?」 「……さーせん、」 教室の扉がガラッと勢いよく空いた、と思った次の瞬間には、須藤が閉められる扉と同じくピシャッと叱られていた。 よく、まぁそんな熱量をもって毎回人を怒れるよなぁ。この柄ネクタイ。 なんて思いながら、小さくなった背中を自席に収める須藤を見ていたら、俺は鬼と不覚にも目が合ってしまった。 「……おい、安食。なんだその大量のノートは?」 「え、」 俺は鬼の顎でくいっと示された自分の机を見て、すぐに自分を落ち着かせようと目を閉じた。 あいつ、やってくれたな。 改めて目を開けた先では、大量のノートがドンと机に鎮座し、お忘れでしたね。と言わんばかりに主張してきた。 無駄にカラフルなのがまた一層苛立ちに拍車をかけるし、目に痛い。 当の犯人はちゃっかり自席に座り、こちらを見ては小さく手を合わせていた。 「……さーせん、」
君を待つ
「つまり?」 「……つまり、なんも意味はないってこと」 そう言うと、お姉さんはいつものように、ふぅっとタバコの煙を陽の落ち始めた海へと流した。 白い拠れたタンクトップに適当な灰色のスラックス、ピンクのサンダル。適当に流してる長い髪。 こんなにもいい加減な見た目なのにも関わらず、日の当たるお姉さんの横顔は僕の目にはとてもキレイに映ってしまう。目元に落ちる長いまつ毛の影も、浮き立つ輪郭も。 ーー遠い目も。 きっと僕なんて届かない所にお姉さんはいるんだ。誰もきっと届かない。 誰も届いてほしくない。 今日もお姉さんはいつものように、防波堤で一人タバコを吹かしながら陽の落ちる海で黄昏ていた。 「じゃあさ、死んだらなんも意味ないものに、なんで人はがんばるの?」 「……知らないよ」 僕の質問に面倒くさくなったのか、お姉さんはちらっとこちらを見て一言そう答えた。 「……あんた最近よく私に絡んでくるけどなんで?」 お姉さんは今度は、心底わからんといった表情と目で僕をしっかり捉えるとそう聞いてきた。 「お姉さんぼっちだから笑」 「おーおー、余計なお世話だわ」 お姉さんはなんだそれ、といった感じでまたふぅっと煙を吐いた。 「……いくつ? 年」 「……あー、中学生! 中1! ……えっと、13、?」 「おー、無理あんぞー ランドセル背負った中坊なんてどこにいんの」 お姉さんは呆れたというように、僕が背に隠したはずだったくたびれた黒いランドセルに目をやるとふっと少し口元を弛めた。 「……もうあと半年くらいで中学生だもん。」 僕はなんか悔しくて、後ろに隠してたランドセルを前に引き寄せると体育座りの足とおしりの間に挟んだ。そして、ぎゅうっと足をクロスしてそれを押し潰した。 「……なんで盛るんだか笑 私にとってはどっちもガキんちょだよ」 そう言うとお姉さんは片腕を支えとするように背中をぐいーっと仰け反らせると、ふぅーっといつもより長めの煙を今度は空へと吐きだした。 そんなお姉さんに僕はむっとした。 一歳の違いは結構でかいんです。全然違うんです。どれくらいかって言われたら、、上手く言えないけど、ほんとに違うのに。 結局何も言い返せないまま、僕の体躯に見合ったようなちっさいプライドが、皮肉な程に自身に己の幼さを自覚させた。 「……お姉さんはいくつなのさ」 僕は膝のお皿に顔を乗せ、ふてぶてしくお姉さんに聞いた。 「ないしょ。」 「え、ずるっ、!」 僕の意表を突かれたという顔にお姉さんは、くくくと堪えるように笑った。 ずるい。答えなくていいなら、僕だって答えなかったのに。 ザァザァと。波が音を立てて時間を攫う。 ……笑っている顔を初めてちゃんと見た気がした。困ったように眉を八の字にして、緩めないように頑張って歪む口元。細く、緩くカーブする目元。 ……なんか、悔しいけど可愛かった。 僕もつられてふふっと笑ってしまった。 「なぁんで、あんたが笑うのさ?」 お姉さんはわからんやつ、といった顔で僕を見た。 「お姉さん好きな人いる?」 「いないよ」 突如、ぶあっと海風が吹いた。風は髪を揺らし、お姉さんの表情を攫っていく。まだまだ明るい日も先程よりかは大分影ってきていた。 「……恋愛相談にはのらんよ? 私そうゆうのわからんから」 短くなるタバコをお姉さんはまだいけるか?と少し確認してからまた吸った。 「……僕ね、お姉さんがすき!」 何故か分からないけど、今しかないと思った。今伝えたいと思ってしまった。突如吹いた風に背中を押されるように、僕は人生初の告白なるものをしてしまった。 僕は答えにどきどきしながら進撃な眼差しでお姉さんを見た。 「おー、? あー、ありがとさん」 結果は、まともに取り合って貰えなかった。 断られるとかよりもあまりにも残念すぎる結末に、僕は失恋というものとは違う、また別の傷を負う事となった。 イエスかノーかの立場にすら立てていない現実に打ちのめされた僕は、魂が抜けたように遠く海を見ることしかできなかった。 「……ガチのやつ?」 「……」 あまりにも僕の姿が悲哀に満ちていたのか。なんなのか。お姉さんが触れていいものかわからないというようにそっと聞いてきた。 僕も答えるに答えずらくて、こくんと頷くことしかできなかった。 「……そうか、なんかごめんよ」 僕はお姉さんに気を遣わせている現状に情けなくて、またもやこくんと頷くことしかできなかった。 「……んー、私24」 「え?」 何を意図しての言葉か分からず戸惑う僕に、お姉さんは「私の歳」と一言そう付け加えた。 「多分ね、あんたと12歳くらい離れてんの。」 「関係ない!」 僕の負けじと噛み付く威勢に、お姉さんは「大ありだわ」と牽制した。 「ごめんけど、ガキんちょとは付き合えんね かっこいい大人になったら考えたげる。」 お姉さんはぽんぽんと僕の背中をなだめるように、短いタバコの先を僕に向けてから、上下に小さく振り揺らした。そしてそのまま、防波堤のコンクリに押付けて火を消した。 「……お姉さんのいう大人ってなに?」 「んー、タバコ吸ってお酒飲める人」 まさに私というように、お姉さんはまた箱からタバコを1本取り出して僕に見せると、火をつけて煙を海へと吹かした。 「じゃあ、僕もそれ吸うし、お酒ものむ。」 「ばぁか、吸うな。飲むな。」 「えー、お姉さんが言ったんじゃんーー」 不服そうに口を尖らせる僕に、お姉さんは改めてあぐらをかき直してから、ん"ん"っとおっさんみたいな咳払いをした。 「『かっこいい』大人って言ったろ? 酒はまぁ、20で飲めばいいけど、コレは絶対吸うな」 そう言いながらお姉さんは、口元からタバコを僕の目の前に持ってきて「吸うなよ」と強調すると、また咥え直して一吸いした。 ほんとにいい加減な「大人」なんだから。 僕はそんなお姉さんに呆れると共に、なびくタバコの匂いにくすぐられ、やっぱり好きを再認識してしまう。 「つまり、お姉さんと真逆な人になればいいって事ね。了解した」 「……あんた、友達いないから私に絡んでくるって訳ね。こいつめ」 にやにやしながらおちょくる僕に、お姉さんは小憎たらしいやつ、といった具合で僕の肩をコツンと小突いた。 風は穏やかだった。陽は大分沈んで、座る僕たちの影は次第に形を失いつつあった。 何もが静かだった。 「……明日もまた来ていい?」 「……すまんね、私明日からはもういないの。」 僕の問いにお姉さんは少し躊躇ってから答えた。 「……なんで? 僕が好きって言ったから?」 咄嗟に過ぎった考えに、聞いてはいけないと思いつつも聞いてしまった。返事がこわくて、僕は海を見つめ続けた。だって、これで「そうだよ」、とか例えそうじゃないにしても、変に気を遣われたら…… 僕としてはとても、とても…… 「違うよ。」 「え、じゃあ……なんで?」 僕のうじうじと、不安を孕んだミミズの這うような思考は、お姉さんの否定で爆発した。 僕が咄嗟に見てしまったお姉さんの顔は、さみしそうだった。 「……遠くへ行くの。」 「どれくらい?」 「んー、さあね。どれくらいなんだろ。」 どうゆう事だ? なんで自分のことなのに把握していないんだろう。まさか、 「……お姉さん、死なないよね?」 僕の問いにお姉さんは目を丸くしてから、ぷはっと吹き出した。 「んっははは、! 死なないよ」 「……だって! お姉さん、いつも一人だし、! ……時々、さみしそうだから、、」 僕は心配と拭いきれない不安を隠すように、声を張り上げては尻すぼみしてしまった。 ……だって、だってやっぱりお姉さんの顔が途中から物悲しそうだったから。 お姉さんは、「ありがとう。」と一言僕に言うと、ぽんと僕の頭に手を置いた。 「……少年さぁ、名前は?」 「……たいち」 ほお、いい名前だねぇ、とか言いながらお姉さんはタバコをまた消し始めた。 「……たいちさぁ、これあげる」 そうお姉さんのポケットから渡されたのは、綺麗で、小さな青い石のペンダントだった。 僕はそれを両手で受け取るとまじまじと吸い込まれるように見つめた。 ガラス玉のような不規則な丸み。まるで、海を閉じ込めたような。綺麗な深くも澄んだ青。 「……なにこれ?」 「幸せになれるお守り。」 ふーん、そうなのか。 お前にほんとにそんな効力あるのか? と、僕は持ち主のお姉さんをちらっと見て考えてしまう。 「さぁて、よいしょっと! 帰りますかねぇ」 お姉さんはそんな怪訝そうな僕の顔に気づいたのか。徐ろに立ち上がりパンパンとお尻の埃を払うと、ついでに手の埃も払うように打ち鳴らして帰ろうとし始めた。 僕もそれを見て慌てて立ち上がった。 「お姉さん、また来る?」 「んー、またいつかね。もしかしたらね。」 お姉さんは腰に手を当て、ぐいーっと仰け反って答えた。 「……じゃあ、僕これ持って毎日ここに来るね!」 そう言いながら僕はペンダントをお姉さんに見せて、強い気持ちを伝えた。 「おー、わかった。いつまで続くかねぇ笑」 「ずっと! 約束!」 そんな甘い意思じゃないと分かって貰う為にも、僕はお姉さんの小指を無理やり自分の小指と絡ませて指切りをした。 「……じゃあね! またね!」 「んー」 僕は思いっきり手を振って、なにか言われるよりも先にと、足早にお姉さんに別れを告げて駆け出した。数歩離れた先で軽く振り返って、見たお姉さんの顔は優しく微笑んでいた。 陽は落ちて、気づけば灯る街灯に僕の影が先程よりも濃く地面に浮き出ていた。 徐々に遠のく波の音は、そこにあった僕たちの時間を優しく包んで引いていくようで。 待っている。とそう言われている気がした。
商品は「幸せ」です。
「ーーこんばんは。今日もどこかで生きる貴方へ。この声は届いていますか?」 雨。 夜。 人。人。ひと。ヒト。 ーー僕。 ザァザァと絶え間なく。 一頻りに雨が降り続けるスクランブル交差点では大小、色様々な傘達が道を横行していた。 信号待ちの車のヘッドライト。日常を放映する大型ビジョン。高々と掲げられた数々の電光掲示板。歩く音、話す声。 音と光で構成された全ては、雨や水溜まりに反射して光線銃のように僕を乱射した。 「ーー日常に満足されていますか?」 街の喧騒から身を守るようにボリュームを上げたヘッドホンからはラジオ番組がそう問いかけてきた。 「きっと今日も忙しない一日を過ごされたのだろうと思います。勿論、そうでない方もいらっしゃるかとも思います。」 周りの人たちは、みんな忙しそうに。目的を持って、迷うことなく歩みを進めている。こんなにも沢山道があるのに。この道が自分の歩かなければいけない道だと理解しているんだ。 19時半近くだからか。仕事終わりのサラリーマンやOLも多いように思われる。みんな比較的に早足で進んでいく。 ……僕は、どこに向かおうとしていたんだ? ふと、街ゆく人たちを見ながらそう考えてしまった。 それがいけなかった。 僕はそのまま、足が石になったかのように交差点の中央で立ち往生してしまった。 分からなくなった。家出しておいて、何を言っているんだとも思う。 帰るべきだよな、? いや、逃げるべきだ、。 ……どこへ?? 街ゆく人たちは傘も持たずに、立ち尽くす僕にぶつかる度に怪訝そうな顔や舌打ちをして消えていく。 「ーーな貴方へ、まずはこの一曲をお届けしますーー」 ♪♪〜 どうにも進むことが出来ない中で、うろうろと泳ぐ目だけが必死に僕を生かす道を探していた。 パァァっ! パッパっ!! 車のクラクションに、道に目を向けていた僕の目は反射で歩行者信号を映した。信号は青から赤に変わっていた。 まずい。 駆け足で渡りきる人たちももう少なかった。 やばい、ーー動けよ、、! 「おい!! 邪魔だ!!!」 「何してんのあいつ、どけって!!」 ざわざわと車や歩道から飛び交う僕への罵声。 スマホで撮り始める人たちも多くいた。 ヘッドホンから流れる音楽なんて、もう無意味だった。 ブゥン!! おい、嘘だろ、、待ってくれよ……! 余程腹が立ったのか。一台の車がアクセルを吹かしたかと思えばこちら目掛けて発進してきたではないか。 もう死ぬのか、と目を瞑ったその時だった。 自分の体が浮いて、地面に打ち付けられた。かと思った次の瞬間には、知らない少女に無理やり立たされた挙句に、強く手を引かれていた。 そのまま、僕も飛びそうになるヘッドホンを頭から外しつつ首元で抑えながら懸命に走っていた。 「あんた、バカじゃないの!? そんなに死にたいなら他所で死になよ!」 交差点を渡りきってすぐに怒号が飛んだ。 周りの視線が自然と集まっては関わるな、というように分かりやすくすぐに散っていく。 「……え、っと、」 「人に迷惑かけて死ぬな!」 そうポニーテールの少女は睨みながら僕へ言い放つと、ふっと表情を緩めた。 「……死のうとした訳じゃ、ないです、、」 「いいよ。むりしなくて。」 「……あ、いや、ほんとうに、、」 先程までの少女の勢いに気圧されたのと、この子がいなければ死んでたかもしれないという事実に今更心臓がバクバクと脈打った。 手も震えるし、声も震えた。 その様子から何か勘違いしたのか、それとも「死のうとはしてない」という僕の真意を正しく汲み取ったのか。 少女は徐ろに僕を人の少ない路地の方へと連れて行った。 「少しここで待ってて」 そう言って少女は僕を路地に一人、姿を消すと5分足らずで戻ってきた。 「これあげる」 そう、ずいっと渡されたのはコンビニの袋に入った1本のペットボトルだった。 「……お茶? ありがとう、いいの?」 僕は少女の返事を待たずにもうぐびぐびと必死にお茶を飲み出していた。今まで飲んできたお茶の中で一番美味しかったと思う。 すぐに緊張が解れていくのを飲みながら感じた。何も食べていなかったからか。食道を質量が通過して胃に溜まっていく、あの妙に気持ち悪い感覚に伴って身震いが起きた。 「……ほんとにありがとう。その、助けてくれたりとかも、、」 お茶のキャップを閉めながら、僕はもじもじと感謝を述べた。そして、そっと伺うように顔を上げた先の少女は、呆れた。というように整った眉は上がり、口元は少し開いていた。 「……呆れた。まぁ、満たされたならいいよ で? なんで死のうとしたの?」 「……あ、だから死のうとした訳じゃなくて」 「はぁ、? じゃあなんであんなバカな行動したの? 私が君を押し倒して走らせなかったら死んでたよ?」 少女は訝しげに僕を見て腕組みをすると、こてんと頭を横に傾けた。 「自分でもよく分からなくて、。」 正直これは本当だった。訳も分からずどうにも動けなかった。 「……家出しちゃって、、」 「ほう。」 僕の答えに納得いかないという顔をする少女をどうにかしようと、僕は話をずらした。 「つまり、幸せになりたくて家を出たの?」 「……? うーん、まぁ。 そうなるかな?」 少女の質問にそうではあるけど、それで纏められないような違和感を持ちつつも、あながち間違いではないので僕は頷いた。 「『幸せ』買う?」 「 ……??、うん?」 ニヤッとした少女は僕によく分からない提案をしてきた。 幸せを「買う」ってどうゆうことだ、? 疲弊してる頭ではどうにも追いつけない。 「売ってあげる。『幸せ』。買うの? 買わないの?」 「……待ってよ、意味がわからないんだけども」 「買わないなら、いいよ。元気でね」 少女はもう興味ないです。というように、くるっと後ろを向くとその場を立ち去ろうとし始めた。 「……か、買うよ!」 そんな少女に、金額も聞かないまま僕は愚かにも謎の「概念」という買い物をしてしまった。 まじで、何をやっているんだろうと自分でも思っている。 新手の宗教か何かか、、? ……なんてもう考えたって遅いんだけども。 「まいどありぃ〜」 かかったな、と言うように僕の「買う」という返事に、にこやかに振り返ると少女は手を差し伸べてきた。 「握手。 ほら」 にこっと笑う少女に言われるがままにしてしまった握手。 これが恐らく僕の人生で最大の買い物となってしまうとはこの時は思いもしなかった。 雨は止むことを知らず。 少年のヘッドホンからは「貴方の幸せを願っています」というラジオ放送の終わりを告げるナレーションが静かに流れた。