ひばり

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ひばり

もっと高みに 書きたいときに書くので気まぐれ投稿多め

第6回N1 『優勝コンプレックス』

筆が落ちた。 からん、と乾いた音がしてころころと転がる。 「あれ?」 筆を拾う。また落ちる。拾う。落ちる。 「描けない……」 そう、描けない。描けなくなってしまった。どうして? 手が震えて止まらなかった。 「倉本さん、大丈夫?」 先生が近づく。 生徒の視線もちらちらとこちらに集まっていた。 「え、あ、大丈夫、です。なんか、寒くて。手が動かなくって。」 回らない頭で、震えた声で、何のための言い訳かも わからないまま、必死に言葉を並べる。 ふーっと深く息を吐いた。 筆を持ち直す。 目を閉じて、開いて。 ぎゅっと口を引き結んでキャンバスに向かおうとしたその時。 教室のドアが開き、 一瞬で、空気が変わった。 「ねぇ、あれ、佐々木ゆずじゃない?」 「え?」 「ほら、今年の絵画コンクール優勝者の……」 「あっ、ほんとだ。」 空気がうごめいて、そしてそれは生徒の視線を二つに動かした。 一つは好奇心が彼女へ。 もう一つは戸惑いと躊躇いが私へ。 彼女と目があった。 かちっ、という視線のぶつかり合う音。 幻のはずなのに生々しく聞こえた。 結局、今日は何も描けなかった。 あれから一週間。 絵画教室には行けていなかった。 私の部屋には真っ白いキャンバスと散乱した絵の具。 筆はいくら掴んでもただ落下を繰り返すだけだった。 ふと、スマホが震えていることに気づく。 おもむろに通話ボタンを押した。 同時に少し高めの声が耳に届く。 「りりかちゃん、大丈夫?」 私は軽く目を見張る。 「あんずちゃん?」 「そうだよ!いくらメッセージ送っても一向に既読にならないんだもん。もしかしてずっと部屋に引きこもってる?」 私はぐっと黙り込んだ。 「やっぱり。少しは外出ないとだよ?」 「わかってる。わかってるんだけど……」 画面の向こうから躊躇うような沈黙が感じ取れた。 「よし!」 「どうしたの?」 「せっかくの冬休みだし、特別にこの私が外に連れていってあげよう!」 「え、大丈夫だよ。あんずちゃん、来年から受験でしょ?」 「あはは、子供が心配しないの!気分転換に、ね?」 「子供って、一歳差なのに。……わかった。じゃあ、お言葉に甘えて。」 「やった!そしたら遊園地行こうよ!明日空いてる?」 私よりも楽しそうな彼女に、苦笑まじりで答える。 「うん。」 「楽しみだなぁ。詳しい時間とかはメッセージで送るね!」 「うん。ありがとう、あんずちゃん。」 「どういたしまして!」 しばらく世間話をして通話が切れる。 外はもう夕方になっていた。 暗くなった部屋の空気に押しつぶされそうになって、 思わず立ち上がる。 頼ってばかりではいられない。そんな思いで、 少し外に出ることにした。 散歩ついでに母からのおつかいも済ませてコンビニを出た。 その時。 「あの、倉本さん?」 控えめだけど、よく通る声に呼び止められた。 不審に思って振り返る。 同時に心臓がぎゅっと縛り付けられるような感覚に陥った。 「佐々木、ゆず?」 「そうだよ。良かった、覚えてくれてたんだ。 ……ねぇ、絵画教室は来ないの?」 心臓が暴れだす。鼓動が耳にまで届いた。 「関係ないでしょ?」 「でも……」 「私が!」 彼女の肩がびくりと震えた。 「私が、優勝してたのに!」 言ってから我に返った。 こんなことを言うつもりじゃなかった。 誰に向けてかもわからない嫌悪を抱いて私は走り去った。 その日の夜は夢を見た。 幼い頃の夢。 初めて絵を描いた時の高揚感。 描けることが何よりも楽しかった。 小学校入学と同時に絵画教室に通い始めた。 学べることは全て学んだ。遠近も。明暗も。人体も。 小学五年生では初めて絵画コンクールで準優勝を取った。 その時はたしかに悔しかった。 描いて。描いて。描いて描いてかいて……。 小学校六年生から中学校三年生。 実に四回。 私はずっと優勝していた。 目が覚める。 それなのに、今年は。 佐々木ゆず。彼女が優勝した。 彼女の絵を前にした時、ぶわ、と全身に鳥肌が立った。 大きな壁が目の前に落ちてくるような。 むしろ、押しつぶされそうな。 彼女には、確かな才能があったのだ。 どろどろとした粘土をこねくり回すような心とは裏腹に、 見事に快晴の空をぼんやり見上げる。 「りりかちゃん?大丈夫?」 突然、すうっと意識が戻された。 「あんずちゃん?」 周りを見渡す。 そうだ。遊園地に来ていたことをすっかり忘れていた。 「少し休憩する?」 「……うん。ごめんね。」 申し訳なさで、また、押しつぶされそうになった。 「私はね、写真家になりたいの。」 あんずちゃんがぽつりと呟いた。 「うん。知ってる。あんずちゃんの写真はすごく綺麗だもんね。」 彼女はふふ、と笑った。 「でもね、昔は全くと言っていいほど才能がなかったの。」 「え?」 「それでも、楽しくて仕方がなかった。 それはりりかちゃんも、わかるんじゃないかな。」 心がぐいっと引っ張られる。 私は必死に頷いた。わかる。すごくわかる。 きっと絵を描く時の気持ちと一緒なのだろう。 彼女はそれを見て淡く微笑む。 「でしょう?だけど、心が折れることが何度もあった。」 「……よく、続けられたね。」 彼女は、子供のような笑顔を作った。 「だってライバルがいたもの!」 「ライバル。」 思いがけない言葉に思わず復唱する。 「楽しかった。けれど悔しかった。 心をぐちゃくちゃにしてでも撮り続けたかったの!」 「……すごい。」 ただ、一言が浮かんだ。 彼女の目はきらきらと光っている。 ここまでの熱量をぶつけられて、 私はひたすら、心を打たれていた。 「倉本さん。」 あのコンビニにいれば、佐々木ゆずに会えると思って待っていた。 会いたかった。会って話がしたかった。 何を話したいのかはわからない。 けれど、また絵が描きたかった。 でも、会うのが怖かった。 そのせいだろうか、思わず後退りしてしまう。 「待って。」 彼女は逃げようとする私の腕を掴んだ。 軽く身をよじる。 唐突に彼女は叫んだ。 「二位の気持ちってわかる?」 「え?」 緊張も恐怖も全て、戸惑いに変わった。 「貴女が優勝していた年のコンクール、私全部、準優勝だったの。」 私は思わず目を見開く。 「ずっと、ずっと、悔しかった!毎年、貴女に勝てなくて。それでも絵は描きたかった!だから、今年は優勝できてすごく嬉しかったの。ようやく、貴女の隣に立てた!ライバルになれた!って。」 私は黙って聞いていた。 そして、圧倒されていた。 「なのに!何で貴女はいないの?何で隣にいてくれないの? 私は!貴女と、絵が描きたいのに!」 徐々に自分の体から力が抜けていくのがわかった。 彼女は、あんずちゃんと同じ目をしている。 勝てないんだ。そう、直感的に思った。 「……描けないの。」 「え?」 「描けないの!筆を持つと、キャンバスを前にすると手が震えて、息ができなくて、目の前が真っ暗に……」 私はごくりと唾を飲んだ。 「怖いの。また、負けるかもしれない。負けたらどうする? 私には、絵しか無いのに!」 ぼん、ぼん、と心臓の音が耳の奥で反響する。 「そしたら、待ってるよ。」 「待ってる?」 「うん、待ってる。貴女が負けるのは私だけでいい。 貴女と絵が描きたい。」 顔を上げる。 目が合った。 彼女は、笑っていた。 「明日、来て。絵画教室に。」 私は黙っていた。 彼女が呟く。 「好きなんでしょ?」 ふっ、と口元が少しだけほころんだ。 「うん。大好き。」 翌日、早朝に教室へ向かった。 先生に許可をもらってキャンバスに向かう。 彼女はまだ来ていない。 筆を取ろうとして、やめた。 まずは鉛筆を持つ。 くらり、と頭が揺れた。 まだ手が震えている。 水に引き摺り込まれるような。 ……押しつぶされそうな。 息を吸って、吐いた。 と、同時にすーっと線を引く。 思い出した。あの高揚感を。 あとはもう無我夢中に絵を描いた。 「……できた。」 気づいたら泣いていた。 喜びと、懐かしさと。 そして。今になって湧いてきた、負けて悔しいという感情。 「描けた?」 突然、声をかけられた。 「佐々木さん……」 彼女はふっと笑う。 「ねぇ。」 「ん?」 「今年も、負けないから。」 「……うん!」 春が来て。夏が来て。秋が来て。 二人で絵を描き続けた。 たくさん描いて、たくさん学んだ。 ただ、がむしゃらに。 コンクールはあっという間だった。 司会の人がなめらかに言葉を紡ぐ。 「今年の優勝は、」 吐きそうなほどの緊張と不安で頭がぐるぐるする。 ちらりと彼女の横顔を見た。 すごく、落ち着いた目をしていた。 同時にすっと雑念が消える。 もう、大丈夫だった。 「佐々木ゆずさん。」 私は、準優勝だった。 「りりか、ちょっと待って。」 さっさと撤収した私をゆずが追いかける。 「あの、あのね。」 おろおろする彼女の姿を見て、 私は可笑しくなって噴き出してしまった。 「え、え?」 「やめないよ。描くの、やめない。」 彼女はぽかんとしてから安堵の笑みを浮かべる。 「待っててくれるんでしょ?」 「うん、待つ。待つよ。一緒に描いていたいから。」 「そう。じゃあ、これからもよろしくね。」 ゆずと目を合わせて笑い合う。 「もちろん!」 エントリーナンバー6 才能の『壁』

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第6回N1 『優勝コンプレックス』

「王者の席」

壊してしまった。 この手で。 愛してしまった。 この私が。 振り翳される権力も。 ばら撒かれる穀物も。 ただ愛していただけだった。 愛し方を知らないだけだった。 愛されたかっただけだった。 安直に誓った忠誠も。 愛着の湧いた王様に。 ただ従うことが記されるだけ。 愚鈍だと罵られるだけ。 月の降る夜は。 星の降る夜は。 ただ奪い、殺し、嘆き、 また崩壊の運命を辿る。 光が希望ならば、 闇は絶望か。 光が在るから、闇が在るのか。 闇が在るから、光が在ると理解るのか。 光を知っているから、闇を恐れるのか。 壊してくれたのは誰なのか。 愛してくれたのは誰なのか。 ああ! 壊してしまったのは私で、 愛してしまったのは貴方だった。 もう遅いなんて言わないで。 戻る気なんかさらさらない。 遅効性のほのぼの魔法は ただ種を蒔いただけ。 貴方に問う。そして此処に記そう。 主のいない王者の席を ただ守り続ける騎士は愚直か? 扉が開いた。 今、種が芽吹く。

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「王者の席」

命に祝福。

痛い。 どっ。どっ。どっ。どっ。 聞いたことのない心の音と、 潮騒に似た音が耳の中でこだまする。 撃たれた腕が胸が足が。 全身が悲鳴をあげている。 でも泣いてはいけない。 奪った側は泣いてはいけないのだ。 じゃり、と砂の踏む音がした。 男の人と女の子。 男の方がしゃがんで言った。 「代償、って知ってるか?」 ぎりぎりと唇をきつく噛む。 どっ。どっ。どっ。 反響が大きくなる。 男は皮肉のような笑みを作って消えていった。 少女と私。 ただ静寂の中にいた。 刹那、それが破られた。 「獣は愚かだと思う?」 私は顔を上げる。 どっ。どっ。 「獣は理性がないと言われている。知っているわよね?」 私は頷いた。 「で、あるならば。人は?」 首を振る。 わからない、のつもりだったが少女には否定に見えたようだ。 「誰かを殴り、操り、騙し、狂わせ、 それでもなお、笑みを作る人は、」 少女は唾を飲み込んだ。 「愚かだと思う?」 少女は指をさした。 私の心臓をまっすぐに。 どくん。どくん。 耳に響く音が落ち着いてくる。 「理性なくして殺す獣と、理性をもって攻撃を快楽とする人ならば、きっと獣よりも人の方が愚かでしょうね。」 少女は腕を下ろした。 今度は少女が首を振る番だった。 「でも人は、殺生に関わらず、愚かになるように できているのでしょう。」 一瞬の間をおいて、少女はふわりと翻る。 すごく、綺麗だった。 「勘違いしないことね。今から言うことはあなたのためじゃない。けれどあなたに捧げるわ。」 少女は両手を組んですぅ、と息を吸った。 「あなたに、両手いっぱいの花束の祝福を」 私は壁にもたれかかって目を閉じた。 とくん。 うるさかった鼓動はとうに止んでいた。

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命に祝福。

茜色あいでんてぃてぃ

君は笑った。 僕も笑った。 君は微笑んだ。 桜の花みたいだった。 君は振り返った。 スカートがなびいた。 蓮の花のようだった。 画面が揺れたんだ。 ただ大きく揺れた。 大きく揺れて歪んでしまった。 赤信号の歩道でそっぽを向いた。 そっぽを向いてしまった。 そっぽを向いて言ったんだ。 「行かないで。」

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茜色あいでんてぃてぃ

『痛かったから』

ふわふわと、春らしい風に吹かれながら桜を見つめる。 花びらの雨に打たれながらぼんやりしていたら 鼻先にソフトクリームを突きつけられた。 「ねえ、春にソフトクリームは季節外れなんじゃない?」 目を軽く動かすと彼女がおかしそうに笑っていた。 「今食べたかったの!」 ぱっと彼女の手から取って口に運ぶ。 「そういう君だって食べてるじゃんか。」 「食べながら話さないの。」 「はぁーい」 春らしい穏やかな沈黙。 季節外れのソフトクリームだけがこの空間で異様に感じられる。 ふと彼女が口を開いた。 「やめてよ。しょっぱいソフトクリームなんか 食べたくないでしょ?」 私は必死に頷く。 「ほら、ティッシュあげるから。」 また頷く。口を開いたら嗚咽が漏れてしまう。 彼女が呆れたような表情をしてまた口を開いた。 「夏に。」 「……夏に?」 「夏に私と食べたかったんでしょう?」 「……ティッシュ、もっとちょうだい。」 「だめよ。泣かないで。」 「嫌い。」 「そんなこと言わないの。」 「じゃあ死なないで。」 耐え難い沈黙。苦しかった。どうしようもなく。 「無理なお願いね。」 「あっそう。」 「拗ねないでよ。」 彼女は可笑しそうに、ころころと笑った。 「次はどこにいくの?」 「……サイダー」 「もう、季節外れだってば。」 また、ころころと笑っていた。

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『痛かったから』

『茹っていたはずなんだ。』

春だというのに茹だるような暑さだった。 血の匂いってこんな感じなのか。 そんなことを考えながら、 トラックに轢かれてぐちゃぐちゃになった 親友の姿を見下ろした。 「お前も薄情だよな〜」 「なにが」 夏。本物の暑さ。あの時より暑いはずなのになぜかスカスカする。 「親友が死んだってのに涙一つ流さないなんて。」 「あ、……」 口を開いて、閉じて。また開いて。 これを繰り返して結局何も言えない。 「……ま、いろいろあるんだろうな。整理がついてないんだろ? お前の中で。」 「だろうな。奇異な目で見ないでいてくれるだけ助かる。」 「へーへー。貸し一な。」 「さんきゅ。」 俺はわずかに苦笑いを浮かべる。 同時に喉が窄まった。ひゅーと軽く息が通る。 呼吸がうまくできない。まただ。 今日も窓の外に親友がいた。 笑ってるような。泣いているような。怒っているような。 そんな表情。 「なあ、俺、泣けなかったんだ。怒ることも、悔やむこともだぜ?」 親友に微笑む。 「どうしたんだろうな、俺。俺にはお前だけだったのに。」 遠くで声が聞こえる。 「……い!おいってば!」 「ん?どうした?」 「どうしたじゃねえよ!どこに向かって喋ってるんだよ!」 「ん、わりぃ。なんでもない。」 目線を窓に戻す。 「あれ?」 まだ、いた。 いつもならいなくなっているのに。 幻想だとわかって、話していたのに。 親友が、ふらりと動いた。 「お前最近変だよ!あいつが死んでからだよな? どうしちゃったんだよ!」 「……うん。」 「うんじゃねえ……って、どこにいくんだよ!」 俺はすたすたと歩いた。親友についていくように。 がちゃりと扉を開ける。 風が吹いた。夏の風。茹だるような。あの時のような。 「待てって!お前、何する気で」 ばさばさと、筆箱も教科書も投げ捨てる。 フェンスに手をかけた。 「は、お前、死ぬの?待って、やめてくれ」 「悪いな、なんか。見せたくないから出ていってくれ。」 「はあ?さっきの貸しはいつ返してくれるんだよ。」 「俺の命とかでどう?」 「冗談言ってる場合か!」 「……はは、」 視界が滲んだ。やっと、やっと。 「お前、泣いてるのか……?」 これなら。これならば。フェンスに手をかける。 「待って、やめてくれってば。あいつがいなくなって、お前も死ぬのか?俺はどうすればいいんだよ?お前らのこと割と好きだったんだけど。」 親友が目の前でゆらゆら揺れている。 それを目で追いかけながら口だけを無意識に動かす。 「じゃあ、お前も来るか?」 「は、」 親友が手を伸ばす。その手を取る。 「これなら。」 「もっと早くこうすれば良かった。」 遠くで誰かが、叫んでいた。

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『茹っていたはずなんだ。』

『光が包む』(下)

「そういえば、貴方、幽霊だから水にも虫にも触れなかったじゃない。これで良かったの?」 「うん。私は、別に……」 「あ、そう。」 「あのね、一人だと寂しいんじゃないかって…思って…」 「…………余計なお世話よ、お姉ちゃん。」 私が小さく呟いた次の瞬間、家中の家具が激しく揺れ始めた。 「ちょ、ちょっと、なによこれ!」 「ご、ごめん、すぐに止める。」 しばらくして段々と音は小さくなり、すっと家具が止まった。 「なんだったのよ!」 「ごめん、嬉しくてポルターガイストが……」 「え、どう言う仕組みなの……?」 「えへへ、一度、お姉ちゃんって呼ばれてみたかったの。 ……他人でもいいから。」 一瞬。本当に一瞬、気まずい沈黙が流れた。 「……え?」 「え?」 「私のお姉ちゃんじゃ無かったの!? はっっずかしい……」 「あ……なんか、ごめん。」 「いいわよ、別に!」 彼女はおろおろと狼狽えた後、 しばらく黙り込んでしまった。 「ねえ、会いたい?妹に。」 「え、いや、多分、実感がわかないし…… ついさっき新しい妹ができたみたいだから。」 「……からかってるわよね?」 「ごめん。」 「気のせいだったら悪いのだけれど。」 「うん。」 「貴方、さっきから薄くなってない?」 「……うん。もう、成仏できるかも。」 「ああ、そう?じゃあ、さっさと天国に行ったほうが良いんじゃない?」 「天国、行けるかな……」 「はいはい。いけるいける。……って、ちょっと、 どうしたのよ?」 見上げた彼女の目からはぽろぽろと涙が流れていた。 その雫は地に落ちる前に淡い光となって消えていく。 「私……」 「ん?」 突然、彼女は声をあげて泣き出した。 「私!ちゃんとお姉ちゃんできなかった! たくさん遊びたかった!1人にさせちゃった!!」 そう言って泣き叫ぶ。 「もっと、もっと!生きたかった!」 その声で私の心に微かな痛みが走った。 躊躇った末に彼女に近づいて膝をつく。 それすらも意に介さずぐすぐすと彼女は泣き続けた。 「……あのね、少なくとも今日は寂しく無かったわよ。」 「え……?」 「あら?私は新しい妹なんでしょう?」 ひっく、と小さなしゃっくりのような声をあげていた彼女は きょとんとした顔をする。 やがて、小さく噴き出してくすくすと笑った。 「ちょっと!あんまり笑わないでよね。」 「ご、ごめん。わ、私も楽しかった。」 「私が一緒にいたんだから当たり前でしょう?ほら、泣き止みなさい。泣き笑いみたいになってるわよ。」 「う、うん……」 「それに、あと百年もしない内に会えるわよ。」 「みんな、死んじゃうから?」 「物騒な。天国で再開するって言いなさい!」 「ふふ……うん!」 二人で目を合わせて微笑み合う。 束の間の、穏やかな静寂。 そして彼女は小さく呟いた。 「もう、お別れみたい……」 彼女の足はすでに消えていた。 下から上へときらきらとした優しい光が舞い上がる。 「ばいばい……じゃなくて、」 声が揃う。 『またね』 無意識に消えた光に手を伸ばす。 握りしめた手にはなにも残っていなかった。 ある夏の昼下がり。 曇りだと言うのに茹だるような暑さを感じる中、 私はお墓に花をそっと置いた。 「よかった、貴女を見つけられて。」 できれば、彼女と生きて会いたかった。 それでも、死んでもなお、私と出会ってくれた優しい貴女に 花を添えたかった。 私はふっと顔を上げる。 雲の隙間から太陽がわずかに見え始めた。 その光が私の手を照らす。 微かに目を細めた。 掴んだはずの彼女の光が空中で揺らめいている。 そんな気がした。

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『光が包む』(下)

『光が包む』(上)

「ひっ……」 幽霊と、出会った。 夏にぴったりの現象だな、とか。 もうすぐ夏休みだっていうのにどうりで涼しかったな、とか。 ……幽霊ってほんとに透けてるんだな、とか。 なんて、感じている恐怖のわりには、くだらないことを 考えている内に“それ”は近づいてきた。 「ねぇ。」 想像よりも可愛くて、幼い声。 「な、なによ?」 「私の成仏、手伝って。」 「は……?」 「次、そこ入って。」 目の前には澄み切った泉。 「いや、ちょ、無理に決まってるでしょ!私、今制服なの!濡らしたら怒られるから!」 「私、体が弱くて小さい頃に死んだから、水で遊んだことがなくて……」 「わ、わかったわよ!でも、せめて水着持ってこさせて!」 「……うん。」 「ねえ、ここ行きたい。」 「え、ここ……?」 彼女が指差したのは薄暗い洞窟の中。 「いやよ。汚いし、虫が多そうだし……」 「私、こういう場所とか、探検してみたくて……やったことないし、友達もいなかったから……」 束の間の沈黙。 「あーもー!わかったわよ!ほら、着いてきなさい!スマホのライトで照らすから。」 彼女はこくりと頷く。 「スマホの充電、足りるかしら……」 「…………」 「次は、」 「はいはい、次はどこ?」 「…………」 「どうしたのよ?ここまできたら最後まで手伝うから……」 「ごめん、いっぱい迷惑かけて。」 「……あら、自覚があったみたいでよかったわ。」 「うん、あのね、次で最後。」 「そうなの?日が暮れる前に終わりそうね。」 「そう、だね。着いてきて。」 「って、ここ、私の家じゃない!」 「そうなの?」 「そうよ!なんで知ってるのよ?」 「ここ、私の家。」 「はあ?今、言ったでしょ。ここは私の家!貴方の家じゃなくて……」 「今はそうだね。前は私の家だった。」 「え、貴方、まさか、ここで死んだの?」 「違うよ。体が弱かったって言ったでしょ?死んだのは病院。」 「そ、そう……」 ふらふらと家の中を歩き回る彼女に着いていく。 「……あ、ここの部屋。ここ、私の部屋なの。」 「ちょっと。部屋“だった”、でしょ?今は私の部屋だから。」 彼女は首を傾げて笑った。 「……そっか。」 「妹がいるはずだったの。」 「なによ急に。」 「生まれる頃には私の病気も治るはずだった。」 「…………」 「でも、悪化しちゃって。死んじゃった。」 「……そう。じゃあ、私にちゃんと感謝してよね。思うままに遊べたでしょ?」 「ふふ、うん……ありがと。」

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『光が包む』(上)

『宮殿の姫は散る』(下)

「アリア」 私には可愛い妹がいた。 「あ、ユリナお姉さま!」 いつも明るくて元気で。 泣いて、笑って、怒って。はしゃいで、走っては、転んで。 「今日もお美しい……。」 「ふふ、ありがとう。貴女も可愛いわ。」 ああ、妬ましい。 おもむろに手を伸ばせば、 その首を絞めてしまいそうな程に。 「お姉さま!もし良ければお茶しませんか? お父様もお母様も久しぶりに揃っているんですよ!」 「まあ、じゃあ、お邪魔しようかしら?」 「はい!ぜひ!」 アリアの笑顔は花が咲くような眩しい笑顔。 貴女は私を美しいと言ってくれるけれど、 私は自分の笑顔を造花のようだとしか思えない。 「お元気でしたか?」 「ええ。貴女は……ふふ、相変わらずで良かったわ。」 アリアの感情は綺麗でまっすぐ。 貴女は心を殺して生きる日々を知らないのでしょうね? 「もー!どういう意味ですか!私だって少しは 大人しくなった……はずです。」 私はくすくすと笑う。 日に日に妬ましい思いが増加する私に、今も尚、アリアは 輝かんばかりの笑顔を向け続けてくる。 憎悪という感情と共に、徐々に興味が湧いてきた。 私には無くて、アリアにはある表情は?感情は? だけど、もう遅かった。 アリアの表情は見つくしていた。 普通の人が持つ感情だってたくさん見せてくれた。 だから、私が見たことのないものは残りあと一つ。 “憎しみ” それに気づいた時、私の世界は初めて色づいた。 アリアはどんな表情をするだろう? どんな感情を私に向けるのだろう? 否、向けてくれるのだろうか? 見てみたかった。 試してみたかった。 私自身が狂っていると気づいても、私は自分を制御しなかった。 アリアに私を憎ませるのが私の生きる理由だった。 だから、貶めた。アリアを。 だから、欺いた。周りを。 アリアが私を殺そうとしたと見せかけて。 毒は苦しかった。でも苦しみよりも期待が上回っていた。 アリアが処刑される日。 アリアがぼろぼろの格好でこちらを見た時、 私は声に出さずに呟いた。 「ごめんなさいね。」 こんな狂った姉で。 妹を貶めるような姉で。 でも、同時に思う。 私を狂わせたのは貴女よ。 さあ、どうなるのだろう。 火に飛び込んだ貴女は。 アリアは笑った。見たことのない顔で。 愛しています、と。 ぶわ、と全身に血が巡る感覚がした。 違ったのだ。あの子は憎むなんてことしなかった。 私は初めて泣いた。 やっぱり私とは大違い。 私を瞳に映しながら死ぬ貴女はとても美しかった。 ええ、ええ!私もよ。 私も。 『妬ましいほどに愛しているわ。』

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『宮殿の姫は散る』(下)

『宮殿の姫は散る』(上)

「ユリナお姉さま!」 私の姉は才色兼備であった。おまけに優しい心をも持つ彼女は、 花のような可憐な笑顔で人々を魅了していった。 「お久しぶりです。」 故に、彼女は次期王妃として、 民のための王政を王家の者たちと伴っている。 私はそんな姉を心から尊敬していた。世界中に自慢したい程に。 だから、姉を見つけた時、駆け寄ってしまうのは許して欲しい。 姉は私を見て微かに笑んだ。 「まあ、アリア……相変わらず、おてんばね。宮殿では走ってはいけないとマナーの先生に習わなかったのかしら?」 「ごめんなさい、お姉さま。でも、会えたのが嬉しくて!」 姉はくすりと笑った。 「嬉しいのは私もよ。少しお茶しましょうか?」 「いいのですか!でも、お姉さまはお仕事でお忙しいのでは?時間をとってしまって大丈夫でしょうか?」 「大丈夫よ。今日は貴女が来るからと休暇を頂いたの。」 私は思わず目を見張った。驚きと喜びが身体中を駆け巡る。 「嬉しいです、お姉さま!ぜひご一緒させてください。」 テラスでは春の気持ちのいい風が吹いている。 まるで、日々励んでいる姉を祝福しているようだ。 姉はお茶を一口飲んで口を開いた。 「お父様やお母様は元気かしら?」 「ええ!でも、お二人とも今日お姉さまに会えないことを悲しんでおりました。」 「そう……また今度休暇を頂くわ。 その時に4人でお茶しましょう。」 「ぜひ!ありがとうございます、お姉さま。」 姉はふっと笑んだ。 ふと、私はその笑顔を見つめる。なぜだろうか。 その時の姉は見たことのないほど綺麗な笑顔だった。 なのに。 なぜか胸騒ぎがする。血の気が引くような。 水に引き摺り込まれて、息ができなくなるような。 私はぱちぱちと瞬きをした。 直後、姉が傾いたように見えた。否、傾いた。 同時に、耳をつんざくような鋭い音が響き渡る。 割れたカップが足元できらきらと光っていた。 「……お姉さま?」 これは悪い夢だろうか?姉が目の前で倒れている。 「お姉さま?お姉さま!!」 お姉さま専属のメイドがテラスに飛び込んできた。 「ユリナ様!どうなさいましたか!」 メイドが姉を揺さぶる。 私は放心していた。 ただただ、姉を失いそうになる恐怖に抗っていた。 姉のお茶には毒が入っていたそうだ。 私は吐きそうだった。貴族の世界ではよく在る話。 けれども、姉を失うと考えると耐えられなかった。 ああ、でも良かった。お姉さまは助かったみたい。 だって、今、私の目の前に立っているのだから。 純白のドレスに身を包んだ姉は宮殿の窓から差し込む 朝日に照らされ、感嘆がでるほどに美しかった。 ……だが。 「お前は優秀な姉を妬み、毒殺を図った。あっているな?」 皇子様が言う。 「なんて愚かなことを……!」 天皇様が言う。 「嫉妬ほど醜いものはないですわ。」 皇后様が言う。 「私は、アリア様に毒を入れろと命じられました…… 弟を殺すと脅されて……!」 最後にメイドが言った。 これはなんの茶番だろうか? みなさん、私に向かって言っているの? 「おねえさま……?」 私は顔を上げる。 ああ、そうか。 姉の顔を見て全てを理解した。 姉が悲しそうに言う。 「わたくしは……信じていましたのに……。」 姉は、その美しい顔で笑っていた。 誰にも気づかれずに。 時の流れは早かった。 あっという間に私の処刑日になる。 ああ、お姉さま! どうして?どうして私を貶めたの? どろどろの粘土をこねくり回すような感情が 私の心に這いつくばっている。 どうやら私は火炙りの刑だそうだ。 白く綺麗な宮殿とは対照的に、 どす黒い炎が盛大に焚かれている。 私と目が合うと姉はにこりと微笑んだ。 「ごめんなさいね。」 声には出さず、口だけが動く。 ああ、私、悲しいです。 お姉さま、私、裏切られたんですね。 貴女に。 それでも。 視界がぐらりと傾いた。強引に腕を引っ張られる。 熱い。熱い熱い熱いあつい……! 焼かれるとはこういうことか。 それでも。それでも! お姉さま、私、 『それでも、愛しています。美しいお姉さまを。』

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『宮殿の姫は散る』(上)